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はてなキーワード: 予備校とは

2024-07-19

anond:20240719171824

ごめんそうだったわ!美大予備校通い始めた後だった

anond:20240718204920

なんか自分記憶と違うんだけど

翠は美大予備校では友達はつくらなくてなんとなく孤独感があって8/10の昼に予備校から帰ったときに親がいないか自分コーンフレークを用意して食べてるとき孤独感が表面に出て涙が出てくるみたいな話じゃなかった?

結局晃が誕生日を覚えててネックレスもらうんだよ

今日も朝から蒸し暑い一日だった。

目覚まし時計が鳴る前に目が覚め、ベッドの中で天井を見つめながら、焦りが胸に広がるのを感じた。

予備校の授業には出席しているが、成績は思うように伸びない。周囲の友人たちは次第に合格の手応えを感じ始めているようで、話す度にその差を痛感する。 午前中の数学の授業では、講師説明についていけずノートを取る手が止まった。復習しようと試みたが、頭に入ってこない。昼食も喉を通らず、気持ちが空回りしてばかりだ。 午後は自習室で黙々と参考書と向き合ったが、集中力が続かない。時計の針が進むたびに、焦りと不安が増していく。

家に帰る途中、夏の陽射しが肌を焼くように感じられた。帰宅しても勉強に身が入らず、気づけば夕食の時間になっていた。 夜は部屋で一人、過去問を解くが、思うように答えが出ない。焦りがピークに達し、思わず机に拳を打ち付けた。これからどうすればいいのか、先が見えず、ただ焦る日々が続く。

明日もっと努力しようと心に誓い、眠りについた。

2024-07-18

天使なんかじゃない

10年以上前の話、就活で病んで誰にも言わず最後一年留年して、当時LINEやってなかったからそのまま人間関係ごっそり消失した。当時もっと恥を忍んで周りの友人に自己開示して相談すればよかったという後悔が漠然とうっすら続いていたけど、友人たちも人生かかった必死な時期だったし余計な負担かけられないというのも当たり前だった。みんな自分人生に全力で向き合うために適度に周りをシャットアウトしていたし。それが正しかったと思う。

相談することでなんとかなったか問題ではなくて、周りに友人と呼べる人がいたのに傷つくことが怖くて心を開かなかったことがなんてもったいなかったんだろうと、その後数年くらいの孤独感の中で悔やんでいたんだった。

と、このまえお盆に会う予定を立てて久しぶりに話して思った。

天使なんかじゃないの8巻で主人公の翠が高校3年生の夏、仲間たちがいつのまにかはっきり目標決めて邁進してる中で自分だけ何になりたいのかもわからず迷走し、それまで熱い友情恋愛かましあってた仲間たちにも深入り出来ず、仲がいい教員も本人が自分で乗り越えるしかいからと翠をやんわり突き放す、という局面がある。そんな空回りの時期の翠が、親が作り置いてくれたご飯を食べているとふいに涙が溢れて止まらなくなるというシーンがあった。

あのシーンが矢沢あい漫画の中で一番印象に残っている。

天ないは絵柄が変遷しまくっていたけど、絵だけで言ったら2、3巻頃が好き。

なんか自分記憶と違うんだけど

翠は美大予備校では友達はつくらなくてなんとなく孤独感があって8/10の昼に予備校から帰ったときに親がいないか自分コーンフレークを用意して食べてるとき孤独感が表面に出て涙が出てくるみたいな話じゃなかった?

結局晃が誕生日を覚えててネックレスもらうんだよ

anond:20240719171824

このトラバが正しいです

元増田のは記憶違いでした!

2024-07-15

anond:20240715201823

予備校先生とか教える側の人なのかもしれない

こんなところに出入りしている高校生、悲しすぎる

anond:20240715005919

本当に大学就職予備校じゃなかったら大学進学率は5%くらいになるだろう

anond:20240715005919

就職予備校でないなら求人の応募条件に分野指定無しの学部卒ってのが意味不明だしな

2024-07-08

浪人生ってめっちゃ減ってるんだって

それって浪人するくらいなら第2志望でも滑り止めでもマシってことだろうか

自分一年浪人して第一志望の大学に入ったなぁ~

でもよく考えたらあの一年ってほんとにつまらなかった

予備校自習室と自宅の往復で勉強だけする日々

あれだけつまらない一年を過ごしたけどそれ以上のリターンがあったかというと疑問かもしれない

大学でも友達できずにぼっちだったし

就職別にすごいところに行けたわけでもない

というか会社名を言っても誰も知らないようなところだ

授業がめちゃくちゃ面白かったということもない

あの一年彼女作ってセックスしまくったほうが充実していただろうな

今の若者はそっちを選んでいるんだろうか

2024-07-07

今週の読書感想文

僕の陽気な朝

イヴァン・クリーマの短編

社会主義体制下のチェコ。深い霧。重い空気曇天。街ゆく人の目に映るのは自らのつま先と石畳だけ。

私たちの目に映る彼らの日常は、空虚不条理グロテスクしか体制下で生きる市民にとってそれは笑いあり、涙あり、退屈ありのまさにかけがえのない日常

真実を教えてくれる新聞はないが、体制の網目をくぐり抜けた物語がある。コカコーラはないがブドヴァイゼルがある。ハリウッド映画はないが滑稽劇がある。信頼できる役人警官はいないが自分必要としてくれる友人たちがいる。生きる上で、他に何が必要だと言うのだろうか?

移動祝祭日

アーネスト・ヘミングウェイエッセイ

冒険する作家アーネスト・ヘミングウェイロスト・ジェネレーションからまれアメリカの父。誰もが認める大作家となったものの、晩年の彼は自らの老い自覚し、苦悩し、そして闘っていた。広い海の中、たった1人で無数のサメと戦う老漁師のように。

そんな彼の心に蘇るのは、記者として赴き作家としての歩みを始めた若き日のパリでの生活。そして最初の妻ハドリーであった。

「もし、きみが、幸運にも、青年時代パリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日からだ.」

個人的体験

大江健三郎小説

不良少年官立大学学生大学院生、そして教授の婿。紆余曲折を経ながらも順風満帆に見えたバード明るい人生はアルコールによって閉ざされた。義父や妻、かつての学友たちの憐れみ視線から目を背けながら予備校講師で食いつなぐ日々。しかし若きバードアフリカ冒険を夢見ていた。広大なジャングル。壮大な夕焼け。見たことのない動物たち。それらは想像するだけで彼の目を輝かせた。そんな中、彼は妻の出産により現実に引き戻される。

ヘルニアを抱えた新生児、妻、義父、職場。苦悩するバードが向かった先はアルコールと女。青年現実を受け入れられるのか。それともさらなる深い闇に落ちていくのか。

大江健三郎長男は脳に障害を抱えて生まれており、その時の心境を基にして執筆された作品

ロビンソン・クルーソー

ダニエル・デフォーによる言わずと知れた冒険小説

中産階級青年ロビンソン大海原に駆り立てられ、父の忠告無視して旅に出る。案の定、彼の船は嵐に遭遇し、無人島に漂着する。たった一人で無人島に投げ出されたロビンソンを襲う疲労病気、空腹そして孤独と後悔。

しかロビンソン自分を奮い立てる。この島は私の国だ。私を邪魔する者は誰もいない。ロビンソンは今やこの島の君主であり法であるトンネルを掘り、家を建て、家畜を飼い慣らし、その生活を豊かなものにしていく。

そんなある日、ロビンソンが浜辺を探索していると自分以外の足跡があることに気付く。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と共に読んでほしい。なぜ世界辺境である西欧諸国地球上のほとんどの土地支配することができたのか。ロビンソン・クルーソーにはその問いに対するヒントがロビンソンの行動の随所に散りばめられている。

2024-07-05

anond:20240705205005

まあ好きなだけ論破してくれてかまわんけど、正直「塾とか予備校行って必死勉強しないと高校レベルの授業が理解できないやつが大学行ってなにすんの?」とは思うよ

2024-06-27

anond:20240626100644

もし東大生バフがかかってるのだとしたら1500円なわけないだろ。バフかかってないクソホワイトかつ安めの塾でしか許されない額だぞ。過剰に脚色してて一気に同情の気持ち失せたわ。みんなもバイト相場見てみてね。あと高校生向け予備校が一番給料高いので、一般組の多い東大生おすすめよ。採点バイトもある

https://www.baitoru.com/kanto/jlist/cramschoolteacher/

2024-06-26

https://anond.hatelabo.jp/20240626100644

どうも、Aです。

今思い返すと、Bさんは怖かった。

しばしば、Aさんはアイデンティティや進路、モテないことに悩んでいる。(そのくらいしか悩める不遇がないんだろう)

こういう棘が言動の端々にあるから。こっちだって競争の中で必死なのに、分かってもらえないから、友達になれない。恋愛対象にもならない。

結局、地方出身だったり、女性だったりでも、もっと物分かりのいい人との方がつるみやすかった。

地方出身の人に関して言うと、高校時代から恋愛してて羨ましかったし、大学に入っても県人寮とか楽しそうだった。あるいは、一人暮らし女性連れ込んだり宅飲みしたり、羨ましかった。

まさに書いてある通り、出身予備校で時給3500円の講師仕事してた。そこの塾で頑張ってきて、進学実績に貢献したごほうびだと思ってた。

あとは、お父様(投資家)と何かの機会で知り合って、出身高校の後輩の家庭教師(時給4000円)をしていた。普通に家庭教師サービス契約するより安いし、OBなら学校雰囲気とか行事にも明るいから助かる、と評価してもらってた。自分でも適材適所があるのかなと嬉しかった。

海外留学も親にさせてもらったよ。勉強になったし楽しかった。当時から地方出身の人は今まで借りていた部屋や家具をどうするのって問題があって、留学決めづらいし手間もお金もかかる、と聞いていたけれど、ぴんとこなかった。

就職してちょっと経ってから福岡支店に転勤になったけど、熊本大学とか大分大学とか出身のめちゃ賢い女性がいっぱいいるのにびっくりした。

首都圏関西に行きたかったけど、行かせてもらえなかったって人が多い。

在学中は、他の男と競争するのに必死で、そういうことに何も気づかなかった。勉強も、キャリア意識も、恋愛も、全てが劣ってる気がして焦っていた。

今も正直よく分かっておらず、とりあえず、東大をすごいと思ってくれるきれいで賢い女性マッチングアプリで遊べるのがありがたいとも感じてる。

こういう増田読むと、(東京大学研究教育環境相対的にいいという状況が変わらないなら)学費値上げもよくないし、地方出身女子が通いやすくなる施策をどんどん打てばいいと思う。

でも、女子率上げようと施策打っても10年以上上がらないままだし、東大は俺みたいな人がいる環境だと思うと(今は違うかな)、もっと他の大学研究教育水準が高いといいし、海外目指しやすい方がいいかな。ほんと地方女性として生まれるって貧乏くじなんだなと感じる。

東大生に対する一般的な見解

以下は、提供された文章を読みやすく整理したものです。

二人の東大生比較

Aさんのプロフィール
Bさんのプロフィール
東大生多数派と少数派
  • 多数派はAさんのような生徒で、進学や塾に苦労せず。
  • 少数派はBさんのような生徒であり、その実態は筆者自身体験したもの
家賃補助制度について
経済的差異と影響
社会的な意義

感想

AIに要約されると、感情というか、情念のようなものがごそっと抜け落ちて、熱が感じられなくなるな。

さらに100文字にしてくれと言うと「東大生経済的背景は多様で、一部は裕福な家庭から来ているが、全員がそうとは限らない。特に地方出身者には大きな経済的課題があることを考慮すべきだ。」ってしてきたんだけど、これじゃものすごい一般論で、一瞬で流されて終わりだもんなあ。

国立大学費の件は、Bさんのような学生には助成金を出すから問題ないのだ、と言われがち。だけど、助成金って恣意的に選べるから問題が多いんだよねえ。そこら辺もそう言った壁にぶつかったことのない人たちの発想だなと思いました。昔は大学運営側にわかる人たちがいたんだけど、今はそこすら固定化された階級の人々によって運営されているから、見えてないんだと思う。

東大生どうせ親ガチャSSRだし国公立学費安いし値上げしろ

って言うやつ、半分正しいよ。でも半分間違ってる。なんで半分かって、東大生の親の世帯年収1000万以上が大体半分だから

2人の東大生を例にして比べる。

Aさん

男。埼玉都市部出身。親の世帯年収1090万。私立小学校から都内中高一貫男子校に進学する。親が教育熱心で、校舎が学校の近くにあるSAPIX鉄緑会に通っていた。周りが東大を受けるので、自分もなんとなく東大を目指して無事現役合格上智出身の親には喜ばれる。大学には埼玉実家から通う。週に2回、時給3500円の鉄緑会の塾講師バイトをしている。奨学金は周りも借りてないし、親にも何も言われなかったので借りていない。旅行好きで、年に数回海外旅行に行く。

Bさん

女。九州田舎出身。親の世帯年収780万。小中と地元公立校で、習い事ピアノ公文高校県内トップの共学公立校に進学する。家や学校の近くに校舎がないので予備校にも通わない。高卒の親には東大受験を反対されたがそれでも押し切って東大を志望する。高校受験対策に手厚く、なんとか東大現役合格。月5万の奨学金を借りて進学を許される。2年間の家賃補助制度で3万円安くなった、6万3千円のマンション一人暮らし。時給1150〜1500の飲食バイト塾講師バイトを掛け持ちして週5〜7働き、たまに単発の派遣治験もして、学費生活費自分で工面している。旅行好きで、バイトを休めれば年に数回国内旅行に行く。

実際の東大生マジョリティはAさんである。進学にも塾にも苦労していない。しばしば、Aさんはアイデンティティや進路、モテないことに悩んでいる。(そのくらいしか悩める不遇がないんだろう)

一方、数%だが確かに存在するのがBさんである。なぜならBさんは筆者だからだ。(多少脚色を加えている)そして、東大がいま家賃補助制度対象として増やそうとしているのもBさんのような学生地方出身女子学生だ。

家賃補助制度女子優遇批判を受けがちだが、その実あれは反対派が捲し立てるほど良いものではない。対象地方出身女子学生、期間は2年間だけで、3万円支給されるわけでなく家賃が3万円差し引かれる。対象物件についても、あくま大学が選んだ数十の物件から10希望まで選んで抽選になるのだが、大抵は元の家賃が8〜12万かつ大学から1時間近くかかる物件も多く、「2年間、ちょい安でやたら遠い部屋に住む」ということになる。問題根底は、地方出身男子学生がよく格安の寮に住んでいる一方で、地方出身の女が入れる寮がほとんど無いことだ。

その他の問題性別の要素を差し置いても同じだ。

Bさんは週6回働いても、時給が3倍のAさんが週2回働くのと同じ給料しかもらえない。時給の高いバイトは大抵、高校時代に通っていた予備校や、中学受験経験に左右される。Bさんは予備校OGでもないし、中学受験勉強内容は特殊で、普通に公立中に進んだBさんは学んでいない。だからBさんは時給が安く、東大生の中での評判も悪い個別指導塾で働くか、激務の飲食バイトで早朝や深夜に働く羽目になる。東大生バフで時給1500円になる個別指導塾バイト時間外労働が多くて、実質時給1250円程度、だから多くのAさんのような東大生は時給も待遇も良い家庭教師や準備時間にも時給が発生する集団指導塾を選ぶのだ。

Bさんは本来なら周囲の大人に「Bちゃんは頭がいいんだね」と言われながら、地元県立大学心理学部に行くとか、短大に行って看護師になるとかが関の山だった人間だ。そうならなかったのは本人の才能と努力に加えて周囲の人間比較的寛容だったからでしかない。優秀な両親の頭脳社会的地位を受け継ぐAさんが難なくある程度良い大学に行けるのは本人の努力ではないとまでは言わないが、決して難しくない。持続可能社会とはAさんの子供がAさんであるだけでは成り立たず、Bさんのように1世代社会的地位が上昇する人間がいなければならない。

いまBさんは月8.5万のバイト代と5万の奨学金で53万の学費を支払い、月に使える生活費は9万。Aさんなら親が出してくれるかもしれない交通費教科書代も、Bさんにとってはバカにならない。この時点でまず進学は不可能だ。学費が年10万上がると、月の生活費は8万円になる。帰省交通費を出すので精一杯で、旅行には行けなくなる。

学費を年10万くらい値上げしたって平気だ。どうせ親ガチャSSR勝ち組人生なんだろ。金持ちはいくらでも払わせておけ。という言説は多くの東大生において確かに正しいが、それが当てはまらない東大生こそ、増やすべきなんじゃないのか。たとえBさんは自分の通ってる間に値上げがなくても、自分の苦労を思えばこそ、未来自分と同じような学生の苦境を想像して、自分のような学生が将来減ってしまうことを想像して、値上げに反対しているのだ。Aさんたちはどうせ知ったこっちゃないだろうから別に黙ってればいいけどさ、少しくらい想像力を働かせてくれてもいいんじゃないかな。

(追記:地方世帯年収780万なら東大じゃなくても、旧帝大でも医学部でも行けるだろ、という意見に対して

個人学歴キャリア問題としてなら分からなくもないですが、マクロ的に見ると、本来東大に受かる能力のある人が東大に行けないというだけで社会的損失だと思います。もちろん個人問題としても、学費免除が使えれば/あと少し世帯年収があれば/あと少し地域間教育格差がなくなれば/格安学生寮に住めれば/せめてあと10万円くらい学費が安ければ通えていた第一志望の大学に通えないというのは、残念なことです。また、Bさんタイプの家は「女は勉強できなくていい」と思っているので、たとえ隣県の医学部に入れるお金があっても、その代わりに県立大学に通わせて、余った金で新車の軽を買い与えます学費値上げの話と直接関係しないので省きました。

ちなみにAさん、Bさんの例は色々脚色を加えてはいますが、それぞれの全体的なバランスは極めてリアルものだと思います

皆さんが指摘している通り、Aさんも決して特段「富裕層」というほどではありません。Aさんは親が教育に熱心で積極的投資しているだけで、普段生活は極めて普通一般市民のものです。かつBさんも決して「貧困層」などではなく、少なくとも生活には困らず、そもそも大学に進めている時点で恵まれています。筆者は学費免除になる年収400万円以下の苦境で東大に進んでいる人たちを心から尊敬しています

ただ、学費が値上げされて困るのは誰か、現状変更によって「今はギリギリ通えているがこれから難しくなるのは誰か」というだけの話です。)

(じゃあ例の有志たちみたいに表立って実名抗議活動するかと言われると、下手に公安に目つけられたら将来国家公務員になりにくくなるのかな?とか考えるし、自分キャリア人質に取られてる気分ですね。。あ〜あ、東京大学の辛いとこね、これ)

2024-06-24

https://anond.hatelabo.jp/20240624174952

  昭和58年に記宏が生まれときに、晴生とは全く違い、平成23年に、まー変な顔になったね、と記宏に言うまでは、予備校時代東大時代も、世間の他の糞ババアと違い、

   規模の大きい完全無欠な愛情を注いできた町子

2024-06-23

anond:20240623030719

美大って私立なら年間200万ぐらいじゃん

予備校も高いよね

将来就職して回収できる目処もほぼ絶望的だから

家にお金がない子は行けないんだよね

か、金持ち

不登校から美大生になった

私は小学校低学年から不登校高校通信制に進学した。

通信制友達を作る気持ちもなく誰1人も友達はできなかったけど今はすごくいい選択をしたと思う

不登校勉強も全くできない人間だけど、小学生の頃想像していた自分よりも今居る場所が良いから今までのことを書いてみる。

小学校中学校ではずっと勉強もしていないし、何も分からない授業に参加されられて泣いたり

別室登校ができるようになったら次は教室に入ろうと言われて行かなくなるの繰り返し。



中学生になり、学校に通えるようになりたいと思い1週間わからない宿題もして毎日登校した

規律性調整障害になって学校には行かなくなった。


高校に入ってバイトを始めて、週3日10からシフトに入った

親の金銭的な束縛から抜けられ精神が安定して親の機嫌も良かった

私がレポートちゃんと出してちゃんバイトに行ってるかららしい


2年生から美大受験のための予備校に通い始め、バイトシフトは週3〜5ぐらい入った

予備校は楽しかったし、自由だった

授業中に眠すぎたら寝てもよくて、気持ちが楽で週2日1時間かけて通う予備校に一回も休まずに行けた


3年生はバイトを辞めて受験に身を入れて浪人生が通う昼間部に所属した

最初半年はすごく体力的にキツかった、寝付きにくくて薬を飲んで寝たり

寝不足になって体がずっと眠かったりして授業中に寝てどうにか毎日通う

スクーリングに行った時に体力がついたのか、お昼頃に充電切れになって寝るようなことがなくなり

朝起きれるようになった

数回電車吐き気と冷や汗の症状(おそらく規律性調整障害)が出たけどだいぶ付き合えるようになった。

受験直前にストレスで低音性突発性難聴になった、無理もできずストレス溜めると難聴になる

再発しやすく聴力は回復しないと聞いて絶望


浪人 受けた大学全て落ちたので浪人生活になった

だいぶ昼間部の生活に慣れたのでバイトを始めることにした、全く違う自分になりたくて周りが殆ど会社員というバイトを始めた

緩くて時給も高く土日祝日だけのバイトだったので休日はほぼ消え

社会人をすぐそばで見られて色々教えてもらえた。

冬にまた難聴再発×2 数ヶ月病院に通い続けた

受験当日も全く眠れなくて薬を飲んだけど眠れなくて睡眠時間3時間で受けに行った

受かった

通院はなくなった


私は自分ストレスを感知しづらくてすぐ体を壊すことを知り

体を慣らしながら少しずつやることを増やすことでだいぶいい方向に修正できた気がする。

起立性調節障害の症状は今でも出るけど、朝ごはんを必ず食べてちゃんと水分を取って外に出て

毎日同じ時間に起きて予備校に行く生活になってから生活リズムが整ってだいぶ良くなった

こんな風に体のことも全部には向き合わなくてはいけないけどほどほどに離れてみないと生きれないなと思います

私は美術世界の緩さが合っていたしすごく好きです、何もかもがこうであれとは思わないけどもう少し高望みしなければ楽かもしれません


追記

学費とかお金のことを書き忘れていたので書く

高校私立通信制高校で大体3年で40万

高2に通っていた週2日と夏期講習などの費用が大体50万

この時は画材費、交通費バイトから出していたので除外

高3と浪人

予備校の昼間部は大体1年で画材費、講習費込みで150万を2年

大学

私は受験頑張って国公立系なので年間100万

大体これぐらい出せないと美大受験を諦めることが多い、受験生や大学で関わった人の親の大抵は大企業サラリーマン自営業が半々ぐらい

たまに自分で稼いで全てを賄っている人がいる


私の家はサラリーマンの良い方(中の下)ぐらいの稼ぎで美大界隈ではかなりお金がない方、平均から見ると中の下

関東出身実家から大学に通える人でない限り

就職に有利な名前の売れている私立に進学できる人は大体親が自営業か、1000万円ぐらいの奨学金を借りてる

私も関東出身でもなく実家から大学に通える人ではなく

下宿費用学費画材私立に行くと

年300万以上かかるので私立受験しなかった

受験生の大半が浪人1年で受験から消える

エリートサラリーマンでもないただのサラリーマン家庭は大体1年までしかお金を工面できず受験できなくなる

私も1年までで諦めるつもりで受験して公立に受かって、名前を知られている大学なので美術界隈でなくとも就職できるかな

甘い考えだけど

美大受験学費高い問題は大体就職を考えると名前がある大学に入らないといけない

でもそのためには受験をしっかりしなくてはならず

早めに受験対策を始めたり、浪人するから予備校費用お金が飛んでいく、という所もあると思う

国公立大学の量も少なく競争率が高く、大学上層部と下層部の間がほぼないのも問題

中層部あったら私も浪人しなかった

受験とか美大について余計なこと書いた

ここまでお金を出してくれた親には感謝しているし、おそらく不登校心配をかけていたので頑張ってくれているのかなと

大体そもそも美大受験をできる時点で

ある程度親の稼ぎがあり、そこからお金を出してくれるという点で恵まれています


超絶金持ちでもないけど、親が頑張った分少しぬるま湯で頑張らせてもらっています

2024-06-21

練習生について

Twitterじゃつぶやきたくないしもうあんまなんも考えたくないか視聴者なんていなさそうな増田に失礼します。知ってる人しかからないように固有名詞はだしません。

悔しい。悔しいよ。彼女選択肯定したいし、素直に応援したいけど出来ない自分が悔しい。まだまだ未練たらたらでオーデ終わってから大学受験があって浪人したけどその間もずっとスマホ壁紙には彼女が微笑んでた。いつだって。悔しいときとか苦しいときとか、彼女のおかげで乗り越えられた。浪人決めたときだってそう。オーデでファイナルまで頑張ってた彼女を見て、自分もやろう。成し遂げよう。って思った。

水商売が悪いとかじゃなくて、自分が望んだ未来押し付けて、ファンダムとして彼女神聖視していた自分気持ち悪かった。そしてそういう選択肢とるに至った今までの炎上やら彼女の最大の魅力でもあった不安定さを鑑みて、すごく悲しかった。申し訳なかった。2日くらいずっと何もできなくて、予備校いる間もクヨクヨしてずっとTwitter見てた。大好きだから、置かれた場所で、というか彼女がいる場所では、常にずっと彼女が一番輝いていてほしい。少しずつ彼女について言及するツイート検索で引っかからなくなって、大手垢も少しずつ正規グル派生グル格差の麿をとりあげるだけに戻り始めて、現実をみられない私達ファンダムけがまだ彼女の話をして、見えるはずのないバックボーン想像して、ギリギリ精神を保っている。家庭環境なんてわかんないよ。多分みんなが言うような毒親じゃなくて、思ってるより普通で、少し厳格な家なんだろうと思う。もう下品考察とかはやめよう。

とりあえず彼女が傷つかなければ、嫌な思いをしなければ良い。ただとりあえず、なんでもいい、いつになっても良いから、どうか潰れないで夢を掴んでほしい。あなたは私の希望から。他の練習生がどれだけいい未来を勝ち取ったって、これからどんどん新しい練習生がでてきたって、私が感動したのは、泣くほど応援したのは、熱狂したのはあなただけです。もう花道だけを歩こうなんて私には言えないし、多分お店までは会いに行かないけど、応援してる気持ちは変わらないつもりです。自分勝手でごめんね。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-14

予備校偏差値表での女子枠の書き方

〇〇大・工・電気電子(女) 68

〇〇大・工・電気電子(共) 66

〇〇大・工・電気電子(数特) 66

〇〇大・工・電気電子(普) 65

〇〇大・工・土木(女) 65

〇〇大・理・物理(女) 65

〇〇大・工・土木(共) 64

〇〇大・工・土木(普) 63

みたいな書き方になるのかな

anond:20240613200534

高2で思い立って予備校に通うこともなく授業だけでA判定でさくっと現役合格。めちゃくちゃ頭いいんだろうな。すごいわ

院はアメリカ行けばよかったのに

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

    いたばし花火大会ときになると交通誘導警官熊谷の知り合いとかばかりになるし、お前の存在大会趣旨に合わないから、前日に寝ている間に刑務所で罰を受けた姿で

  自転車で出現することとなる。ただし受刑者長谷川から罰を受けて様相を変えたのは私は10工場で目撃したのでお前のように特定刑務所工場に行ったわけでもないのに、

   昨年8月5日に合わせて罰を受けて妖怪様相を変えて大会に出て来るのは理由が分からない。自分は寝ている間の何かで受刑者の顔が変化したのではなく、白昼の刑務所工場

  入って来た腐れの受刑者の顔が長谷川しごきあげるときに三日程度で別人に変貌したのを目撃したので睡眠中に腐れ女の顔を変えるときはそれとは違うテクニックを用いているのではないか

   と思うが本人が真相を言わないのだから理解しようがない。花火大会以外の日における新河岸舟渡地区はこれをいかに解しても人がいない。 志村警察は、俺がいないときに分からないように

  そういう奴に罰を与えているか心配するなという言動を5月10日にしていたが、どうやってやっているのか分からない。

    実不等式の問題子供に教えろと言ってもそういう能力がないのだから教えられない。 因数分解した1部を評価すると、2b=a+cの条件を維持するように、もう1つの過激な不等式が

  存在するので、その2つをうまく用意して、AMGMにかけるとできるわけだが、この論理は非常に、Highterであって東大受験でも経験のない論理であるので、いまどき予備校で教えるのは無理であろう。

    

2024-06-12

奨学金を背負わせるとか虐待だろうが!!!

高校生の時に母親に「大学行くなら学費は払わないわよ。奨学金で行ってね」と言われた!

「はぁ!?ふざけたこと言ってんじゃねぇぞカス!金がねぇならガキなんて作るんじゃねぇよゴミが!」ってぶちぎれてボッコボコにしたわ!

父親警察通報して家に警察来たわクズが!ま、逮捕はされなかっただけどな許してやるよ!

学費払わねぇとか親ガチャ外れだろ!何で親の経済力不足、努力不足のツケを俺が払わねぇと行けねぇんだよ?意味わかんねぇ!

大学で学びたいことなんてあるわけねぇだろ!大学就職予備校だろうが!

大卒じゃねぇとまともな仕事に就けねぇから、やりたくもねぇ受験勉強やって別に行きたくもねぇ大学に行ってんだろうが!

何十年もかけて返済すんだろ?やってらんねぇ!闇バイトでもやろうかな!

大学生の半分が奨学金という借金を背負ってんだろ?やべぇだろこの国!

教育に金を使わねぇで死にかけのジジババに金使ってんだぜ?未来ある若者に金使えや岸田!ふざけんじゃねぇよ!

もう終わりだよこの国!!!

2024-06-07

anond:20240607000041

言いたいことは分かるが、tinderやtappleみたいに顔の良い女性積極的に進めるアプリを考えると増田の言うことも否定はできない

予備校の件はあくまで例で本質じゃない

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