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はてなキーワード: 予備校とは

2021-05-05

予備校講師の男は謎に上昇婚率が高い

自分予備校で働いているしがない数学講師が、予備校講師の男は妻が医者外資系IT国内大企業バリキャリなど、妙に上昇婚が多い。経済面だけでなく、顔面偏差値もお相手の方が絶対に高い。ハゲ眼鏡中年講師かわいい奥さんがいる率は異常

何を隠そうあの林修先生も妻は医者だ(いまの林先生社会的地位も高く稼いでいるので上昇婚とは言いにくいかもしれないが、昔はね)

予備校講師になる時点で自分も含めて「訳アリ」な人生の人は多い。数学科は女性関係に疎いコミュ障も少なくない。なのにレア女性を引きあてて上昇結婚してるっていう

けがわからん。そんで自分には出会いは回ってこないのもわけがわからん

anond:20210505210455

1.2年途中から高校生活が楽しくなくなったから。勉強するのが現実逃避情報工学を学びたかった。

2.小学校クラスでTOP3ぐらい。中学校不登校だったから成績なし。

3.高3の夏まで一日2〜3時間、夏からは一日13〜15時間ぐらい。(通信制だっから予備校自習室あいから閉まるまで12時間ほど滞在、家帰ってからも寝るまで勉強してた。風呂の中でも数学してた。)

社会的信用がなくて詰んだので人生強制終了するしかない(適宜追記します)

https://anond.hatelabo.jp/20160117121121

後日談です。

https://twitter.com/chejffs

補遺とか書くと思います(21:00補遺アカウントブコメの返信行いました)。

 

スペック

 

 

 

 

 

  • 友人は2~3人程度いたが今は疎遠
    • 地元に友人はほぼいない

郊外辺鄙なところにある激安事故物件すら借りられないレベル社会的信用がない。そのうえ生活保護すら受給できないっぽいしどのみち詰み。

「いつ人生強制終了するの?今でしょ!あとこの点は出ねぇよぉ!」と脳内予備校講師がささやきかけてきます。もう駄目ですね。

こんな増田を書いて一時期は持ち返したけど結局は詰んでしまったという話。やっぱりあの時自滅しておけばよかったのか。

 

あ、田中くんはいつもけだるげはすごく良いアニメでしたよ。2期は来なかったのが残念…

 

追記1】

https://anond.hatelabo.jp/20210505173406

>なんで知人の手伝いを続けようとするのかが知りたい

実はジオラマに頻繁に使われるあるパーツ(特定防止のためどれかは答えられない)が今はほとんど流通していません。

そのパーツは10年ぐらい前までは秋葉原専門店かに行けば20種類、場合によってはそれ以上簡単に手に入りました。当時は各社も矢継ぎ早に新製品出していましたし。

しかし今はそのパーツは2~3種類ぐらいしか流通していません。恐らくジオラマ趣味で作る人が減って需要がなくなったからだと思います

そういう状況に風穴を開けたい!という自分エゴで墓穴掘ったのが正直なところです。

ジオラマ素材で10年前と比べ手に入りにくくなったものはたくさんあります

恐らく中国の工賃上昇でビジネスモデルが成り立たなくなったのと、スマホゲームが娯楽を丸呑みして他の娯楽産業が成り立ちにくくなったことが要因だと思います

追記2】

共産党事務所相談して一緒に行ってもらう

一時期赤旗読んでいた時期もありましたが、共産党はなんか支持できないんですよね。社民党支持者ですし。

ついでに社民党共産党は『きんいろモザイク』と『あそびあそばせ』ぐらい違います

まあ弾圧大好きな中国共産党とは今は一切関係ないですし、いざとなったら使うことは考えるかもです。

ケースワーカーさんとかいるの?

現時点ではいません。障害者福祉サービスヘルパーさんにも相談したのですがなしのつぶてでした。

障碍者年金という、絶対確実な毎月のインカムがあるなら、公的融資を受ければいいじゃない。

そういうのもあったのですね。余裕があったら調べてみたいと思います

うまくいけばノウハウだけを持ち逃げして知人に依存せず新たに起こすというのもありかもしれないです。

年齢差同学年カプのすすめ

こういうカプかわいいな〜と思うんですが、私の探し方がよくないのか全然見つかりません。

攻受の性別容姿わず、ぜひ創作にお使いください。

攻が21 受が19

ともに大学2年生だが、攻が浪人、受が早生まれ

このため、年齢差2つ、本来の学年差1つ、実際の学年差0という3つの年の差ができる。

付き合っていてもいなくてもかわいい

高校生留年×現役でもかわいいけど、高校も別の、全くの他人状態から出会いロマンがあると思うので…。

学年が同じため、普段タメ口で笑いあっているが、受が未成年お酒が飲めない、学生証の生年が2年違うなど、節々に本来の年齢差が見え隠れするのが萌える

また、先輩に憧れる受に対し、自分も年齢では上なのに、とモヤモヤしたり、逆に同学年ということでより親密になれたりと、年齢差ありの同学年ならではの関係性がかわいい

自分予備校にこもって勉強している間、この子制服を着て友達と笑いあってたのか…と、自分浪人時代の受けに思いを馳せてしまう攻め、良い。

受け側も、攻めが成人式に行っているのに複雑な感情を抱いたり、攻めの高校時代の友人が大人っぽく見えたりして少し悩んでしまう。

高校生のころ出会っていたら先輩呼びで敬語だったのか…と考えたり。

受験方式とか、選挙年齢の変更で、同学年なのに微妙ジェネレーションギャップができたりする。

受け攻めの性格はなんでもかわいい

個人的には攻めがデレデレだったりツンデレだったりがかわいいと思う。

年上からの愛が大きいのが性癖なので…。

受けはその好意に気づいていても、気づいていなくてもかわいい

同い年なのに年上もしくは年下、年上もしくは年下なのに同い年という絶妙距離感が最高なのです。

また、本来なら1個差のカプには、2人の誕生日によっては同い年期間があったりするのですが、受けが早生まれなことにより、永遠にまらない年齢差、なんなら2歳差にまでなってしまうというプラスアルファ絶妙さ…。

出会い方が違えば全く違う関係性になっていた、という運命性が魅力の年齢差同学年カプをぜひよろしくお願いします。

流行れ〜

2021-05-04

なんで教職って左翼が多いの?

浪人生です。高校でも予備校でも「なんか偏ってるなー」って思う人大体左。特に社会科目、安倍が嫌いじゃない社会科目の教員の方が珍しい。思想の自由があるから各々が偏ってるのは自然だけど、逆は見ないか教職全体ではバランスは取れてないよね。大学行っても変わらないのこれ?個人的には与党に対しては学術会議説明が足りてないかなって思う程度。うちの選挙区自民党から出馬してる奴が世襲議員なのが気に食わないからここではどっちにしろ自民党には投票しないけど、あんまり自民党ゴミ!みたいに興奮されると引いちゃう

2021-04-24

anond:20210424004131

当時の放送業界に、田舎地方からの人はほとんどいなかった。

放送業界視聴率がすべてなので、田舎地方馬鹿に付き合うにはどうするのかを真剣に考えていた。

志村けん下品で嫌いだというのは、テレビのことを何もわかっていない常識のない人である

志村けん放送作家の命令を、ただ一人完璧にこなしていた。絶対スターになるに決まっていた」というのは和田アキ子証言である

志村けんデビューした時、東大修士課程プロ軍団だった。今はアマ軍団ですらないそうである

とにかく、頭のいい人が1割を切り、9割強が馬鹿集団、それが1995年までの日本だった。

馬鹿向けのラジオ番組最後世代電気グルーヴといえばわかりやすいだろうか。


子供テレビを見ずにYoutubeを見る時代になった。

田舎では認識しずらいが、地方に行けばどこのビルにも衛星予備校がある。

30年前に進学をやめさせられた子は、親となって子供勉強必死に教えている。

こうまで進学熱が高まれば、下品ネタはやりずらくなるし、名古屋ソープもつぶれる

ラジオテレビも、即座に下品ネタクレームが寄せられ、何も作れない時代に入ろうとしている。

私はそれでもかまわないが、氷河期世代以前の世代にとっては苦しい日々が続くのだろうか。

2021-04-23

ホームレスの記事を他人事だと切り離せる人達が羨ましい

https://note.com/cchan1110/n/n5527a515fba2

ホームレスデート記事を、素直に批判できる人達が羨ましい。

ホームレス異世界だと思える人達も羨ましい。

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私の父はホームレスだと思う。

20年以上、私は父と会っていないので、詳しい状況は知らない。

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先日、実家の母の携帯電話から不穏な着信があった。

電話の向こうで何か言い争っている声が聞こえる。

私は、ついに音信不通の父に見つかったのかと思い、背筋に冷たいものが走った。

少し時間が空いてから、母から連絡があった。母の認知症の友人が何か勘違いをして母の携帯を取り上げようとしたとかなんとか言っていた。大変そうではあったが、父は関係していなかったので、ほっとした。

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多分、今の私は何の問題もない。

結婚して子どももいて、共働きだけれど世帯年収はそれなりにある。コロナ禍で仕事は減ったが、当面はリストラをそれほど心配しなくていい。子ども達は素直で賢くて自主性があり、心身ともに健康そうだ。

それでも、時々、言いようもない不安に襲われる。

父が私の生活を壊しにくるのではないかとの恐れを抱きながら常に生きている。

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父は、釜ヶ崎にいるらしい。ホームレスなんだろう。

少し前に、母のところに父から連絡が入ったと言っていた。父が母の連絡先を知っているというのに驚いた。

父が私の連絡先を執拗に書き出そうとしたらしく、絶対に教えるな、教えるようだったら私は母と縁を切ると伝えた。

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子どもの頃のわが家は、父のせいでめちゃくちゃだった。

常に金がなく、いろんなものを諦めるのが当然で、父と母の喧嘩は絶えなかった。

毎晩、父が帰ってこないでほしい、交通事故に遭って死んでくれたらいいのにと祈っていた。問題のない家庭の子どもが健やかに寝ている時間に、私は父母の喧嘩の声を聞きながら、父の死を祈っていた。

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毎晩、母は父に夕食を作っていた。それを食べるために父は家に帰ってきた。

どうして母は父のためにご飯を作れたんだろう? 

妻としての役目と信じ切っていたから? 

母は離婚という考えがずっとなかったらしく、私の感覚からするとアタオカだ。

子どもの頃、私が父の悪口をいうと、母から烈火のごとく怒られた。夫婦って気持ち悪い。

父は母と離婚してから仕事も家も失ったらしい。

父の母(私の祖母)は学校先生をしていた。学校先生をしていても、自分の子もの教育には失敗する。

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今、思い返すとかなりひどい環境であった。

でも、子どもに残せるのは教育だけという母の方針により、県外の旧帝大であれば行ってよいと言われた。それだけが子どもの私にとっては希望だった。

私は塾にも行かなかった。参考書を買ったり模試を受けたり大学受験するお金がなかったので学校に隠れてバイトをしていた(バイト代を父から隠すのも必死だった)。

よくがんばったと思う。もともと受験勉強に向いている頭であったのと、高校予備校のような対策をしてくれるところであったので助かった。

大学に入り、実家から離れた後の人生特に大きな問題はない。奨学金を二ヶ所からもらえたのはありがたかった。

人並みに恋愛をしたり失恋したり、就活に失敗したり成功したりした。問題が生じても、それは人に相談できる問題ばかりだ。

自分人生自分ハンドリングできている、普通人生を送れていると嬉しく思う。

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それでも、父が我が家発見したら、そこで私の人生おしまいだ。

私の配偶者は私の父のことを知らない。離婚される可能性は高い。

子ども達も危険に晒される可能性が高い。

そして、自分の中にあるクズな部分を感じると、私の中にも父の血が流れていると実感し、父から逃れることはできないとも思う。

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私はホームレス軽蔑している。理解できないではなく、そこまで行く前に立ち直るタイミングを全部捨ててきた無気力存在みえる。彼らの周りには数多の彼らに裏切られ、人生をめちゃくちゃにされた人たちがいるんだろう。

ホームレスとのデート異世界探訪のように楽しめる人生が羨ましい。彼女ホームレス人生を、一つもリアリティのあるものとして理解できないんだろう。いいなあ。心の底から羨ましい。

そして、それを差別的だと、正義感をもって批判できる人達も羨ましい。自分ホームレスになる可能性があるとか言える人間は、本当に自分や身内がホームレスになるなんて思っていないからこそ言えるんだ。私はそんなことを口に出すと、本当にそうなりそうで恐ろしくて言えない。

私は一生、釜ヶ崎には近づかない。

2021-04-19

anond:20210419103409

普通に必須だが覚えてないだけじゃね

或いは受験予備校私立受験に出ない科目をまともにやらない学校だったか

中学以降に男子家庭科履修しない世代だとしても小学校ではやったはずだぞ

2021-04-17

anond:20210417105529

周辺の質を下げるのは私立も同じだよ。

田舎公立の質が良かったんだけど、ここ20年の私立のせいで公立の質が落ちてる地域が増えたと予備校の人が言っていた。

2021-04-16

anond:20210416120205

履修登録せずとも勉強可能である

インターンに行く

セミナーなどに参加する

資格予備校に通う

ユーチューブで興味のある講義、分野を探す

後は本を借りたり生協で買ったりする

海外大の公開講義聴講サークルなどもあろう

anond:20210415194726

じゃあ高校受験中学受験不要という主張にもなるなあ

ああそういうことか

中学就職予備校にせよとの主張なんだろうな

東大生レベル地頭の生徒を中卒の人件費で雇える企業と早くから活躍できる15歳のウィンウィン

それを目指しているんだろう

anond:20210415194726

実質就職予備校になってるのに、それを無視して行く必要ないって言われてもな。

大卒資格必要無い仕事大卒資格を求めている現状に対する意見であれば、理解はできる。しかし、元増田意見は、大学勉強しない、ついていけない奴には大学必要ないというものだ。

就職予備校として大学に行く人からすれば、大学勉強が身につけられなくても行くべきものとなる。

それに、教養人としての自信が付いて主観的に豊かな生活を送れるのであれば、大学に通うことも無駄ではあるまい。カルチャースクールオンラインでや学べば良いという反論もあろうが、無料オンライン講座に興味を示す人って自分のことを教養人とか文化人って思ってないと、なかなかそんなことにアンテナ張らなくないか

anond:20210416100041

田舎地方でも「大学院」という単語が飛ぶようになったのは、「大学院重点計画」ってのをテレビネットで流したから。

から2000年代最後になるまで、田舎の人は大学院って何をするんですかってなもんだよ。

2020年代田舎は、ネットが行き届いたからか、ほんとにガチマジでなんも知らない人ってのはすごく少なくなった。


ただし、「大学って何ですか」ってのは、もう1980年代には消滅してたよ。

代々木ゼミナールとか予備校宣伝も全国テレビ1980年代にはガンガン流してたし、

行ったことはなくとも存在くらいはみんな知っていたと思う。

代ゼミが一番宣伝に時間をかけていた記憶がある。「前田物理」程度なら、地方都市で手に入ったが、田舎ときつかったかもしれないね

anond:20210416013626

当たり前だけど、大学レベルと才能・努力量によります。受かる奴は本番2週間前から対策しても受かるし、ダメな奴は毎日美術予備校通って2浪しても受からないです。

2021-04-15

就職予備校

大学大学生を揶揄する言葉かと思ってたら本当に「就活塾」みたいなのがあるらしい。

自分が知らないだけで昔からあった?

anond:20210415194726

大学卒業して十年ほどたった今が一番大学行きたい。

通ってた時は就職予備校しか思ってなかった(実際行きたい業界就職人数で選んだ)。

今は「何であの時〇〇学や××学をもっとちゃんとやらなかったのか」って後悔しつつ捨てた本をもっかい買ったりもしながらイチからやり直してる。

高校生の時点で自分の働きたい業界とそこで武器にしたいスキルを見つけられるのって一種の才能と思う。

高校卒業したら一回働いて、二十代前半くらいで大学行っても就職に困らない世界線が良かった。

ほとんどの人は大学に行く必要は無い

まず言っとくと、大学就職予備校ではないから、就職に不利になるとかそんなのは知らん。この反論をよこしてくる奴は、文章の一文目すら読めないアホだから無視する。

大学に行っても、ほとんどの人はそこで習うことを身に付けられないし、将来役に立つこともないから、そいつらが大学に行くのは無駄だ。

ところが、インターネット上を見ていると、大学教育必要性を説く自称知識人が驚くほどいる。いわく、「大学教養を身に付け、豊かな人生を送るために重要」だとか。

もちろん、本当に「教養」のある人がこういうことを言ってる分にはいいのだが、そうじゃない人がこんなことを言ってるのは相当恥ずかしい。童貞セックステクニックを語っているようなものだ。

専攻にもよるが、大学専門課程の内容をきちんと理解している学生は、東大京大でも上位の2〜3割程度だ。それよりもレベルの低い大学では、その割合もっと低い。

インターネット評論かましてる連中の大半は、言うまでもなく、残りの7割強の層である。こいつらはただ遊びに大学に行ってるのと変わらないし、もちろん「教養」なんて身についていない。

というより、こいつらは大学、真面目に勉強している学生企業などにとって迷惑なのだ

標準的な履修内容が理解できない人が大半であるため、大学はそれに配慮する必要が出てくる。

たとえば、授業のレベルは落とさざるを得ない。真面目な学生は授業から十分な内容を学ぶことができない。

それでもなお、再履修や留年をする馬鹿一定数おり、翌年の担当教員TA大学院生、事務員などに多大な迷惑をかけている。

大学の成績は当てにならないから、企業採用活動形骸化する。結果、多くの学生勉強するインセンティブを失い、ますます全体の学力は低下していく。

彼らがインターネット上で教育評論をするなら、

「私は大学で何も勉強してきませんでした。今では、そのことを本当に後悔しており、同級生大学職員の皆様に多大な迷惑をかけたことを申し訳なく思っております。」

くらいの前置きがあってもいい。彼らはなぜそうしないのか。要するに自分大学に行ったのは無駄だったと自覚できていないのだ。それどころか、自分大学で何か貴重な能力を得たと思い込んでいる。

インターネットでは誰でも評論家になれてしまうから、こういう自分エリートだと勘違いした底辺ウヨウヨいる。

2021-04-14

anond:20210410145703

学歴は金で買う時代に成り下がった

国立大学に優秀な人がいるというのももはや夢物語予備校に通わされお勉強した人ばかりで親世代〜が想像する優秀な人は極僅か。私学生徒も遊んでばかり

今の大学生院生教授になる頃には日本学術的な立場も地の底だろう

2021-04-13

anond:20210413183328

いろんな国に行ったけど、大学学部はどこも似たようなもんで、ほとんど就職予備校化してるよ。

日本人大学生が、特に世界に比べて馬鹿かといわれると、それはちょっと違うと思う。

ただし、大学院生は圧倒的な格差で負けていることは事実である

2021-04-12

「三塁で生まれただけの人たち」批判に覚える違和感

親に学歴資本があると、子も十分に教育文化的資本に触れる機会があり、

今の自分地位努力ではなく単純に生まれの差だ、ということらしい。

かにその側面はあるだろう。東京23区金持ちに生まれ子供と、

地方田舎で両親は農家なので旅行やお出かけなんてほとんどしたこともない子供では、

知っている世界や、文化や、与えられる選択肢は段違いだと思う。

からと言って、今高学歴高収入を手にしている人の努力無視して

(あるいはそんな努力なんてとても小さいものであるとして)

まれの差でしょ、と帰結するのはとても嫌な気持ちになる。

私自身、人口3万人もない田んぼに囲まれ田舎で生まれ育った。

東京10年ほど暮らしているけど、選択肢可能性は段違いであると断言できる。

でも、勉強して、(あくま地元から通える範囲の)ちょっとだけ良い高校に入り、

そこでも勉強して国立大学に入ったのは自分努力だと思いたい。

なぜなら、ほぼ同じような境遇だったクラスメイト達は、

専門学校短大Fランと呼ばれるような大学に進み、

仕事転々とし、今も地元で良い車に乗ることをステータスとして生きている。

受験の際には塾や予備校に通わせてくれたし、

大学は月4万円の仕送りをもらって一人暮らししていたので

私も十分2塁や1塁で生まれた人であるという自覚はある。

一応断っておくが、それ以外の学費生活費や教材のお金はすべてアルバイトで稼ぎ、

卒業後は東京で働きながら月3万円の仕送りを今も続けている。

親は別にいらないと言っているが、これは大学まで出してもらったことへの恩返しだ。

思えば親に「勉強しろ」と言われたことはないし、進路でもとやかく言われた記憶はない。

いつも私の選択肢尊重してくれていたように思う。

そういった意味では良い親だったから、今の自分があるのでこれも生まれ場所が良かったと言える。

しかし、誰もが誰も、環境が良かっただけで、何もせずに今があるわけではないのだ。

受験の時は何時間勉強したし、大学生活もそこそこ遊びながらちゃん単位は取った。

就職して終電帰り土日サービス出社も当たり前のようにやっていたから今があるのだ。

まれアドバンテージやディスアドバンテージ絶対にある。

でもそれだけですべてが決まってしまうような、あるいは今高い地位にある人は単純に生まれが良かったからだ、

というような決めつけに対しては声を大にして違うと言いたい。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

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