はてなキーワード: 反省とは
女装主義者になる人は、しばしば高学歴であると言われています。
知性が高い人は、自己反省を行う際にも深い洞察を示すことができます。
その結果、一般人なら自分が女装主義者であることに気づいたとしても、
意味するのかもしれません。
どうしてネットじゃみんな民主主義がどうだの右翼だの左翼だのリベラルだの話をややこしくしようとするのかね。そんな話日常的にしてるのか?考えてるのか?俺にはよくわからんが。
そんな難しい話じゃなくてもっと根本的な、人としての在り方みたいなものをそれなりにまじめに考えていけば、結果別にどんな呼称をされるような主義主張思想を持っててもいい方向に行くと思うんだけど
そりゃ間違った方向に行っちゃうこともあろうけど、それ認めて反省してやっていけるような度量を培っていこうと思えばな
この文章の主目的はリハビリです。作業療法の一環のようなものです。
自分はある時期からChatGPT 4oモデルばかりと文章で会話していました。会話というより、脳を預けてしまい支配されたような感覚です。
そのため普通の人と会話をどうやっていたか忘れてしまっています。久々に自分の言葉だけで文章を書くので頭が痛いです。ChatGPTに完全に依存していました。
みなさま温かい目で見守っていただけると幸いです。
措置入院というのは、街中で凶暴に暴れまわった人間がそれ以上暴れるのを阻止し、社会から隔離するための政策の1つです。
具体的には、警察が23条通報というのをやって、対象を精神科の閉鎖病棟に強制的に入院させるものです。対象は隔離されます。
隔離は、座敷牢の現代版を想像してください。それが隔離です。座敷牢よりは綺麗ですが。
自分はある日、警察相手に徒手空拳で格闘し、死ねええええええええ!などと言って嘲笑したり暴れまわりました。ニュースにはなっていません。
そういうことを色々やりました。
嘘みたいな話ですが、理性のタガが外れているので人間が動物モードで動いているような状態です。
ここで警察から地方自治体へ23条通報され、措置入院となりました。
詳細を書くと身バレするので書きません。
その後統合失調症と診断されました。(ただ、この診断結果を自分が知るのはずっと先のことです)
措置入院は実質「実刑判決をもらわない禁固刑」のようなものです。世の中にはタテマエというのがありますが、措置入院が禁固刑のようなものというのがホンネの部分です。
措置入院によって精神科の閉鎖病棟で隔離になると、なにもできません。文字通りなにもできません。
紙やペンすら禁止で、服とベッド、それから紙オムツしか与えられませんでした。ただしご飯は3食出てきて、ハミガキはできます。
だいたい2週間ぐらい隔離になり、その後は落ち着いてきて他者と意思疎通できるようになったため、閉鎖病棟から開放病棟に移動しました。
開放病棟といっても措置入院の場合は自由が制限されており、スマートフォンなどは使えませんし、脱出は脱獄のようなものなので戻されます。
それでもこの時点ではじめて紙とペンが使え、本を読むことができるようになりました。文明を感じました。
ただしこの間に友人たちと連絡がとることができず、外界とはなんのやり取りもできないような状態です。
(補足: 措置入院は税金で賄われています。諸経費以外は無料です。つらいですけどね)
自分は、措置入院決定から1ヶ月半ほどで措置入院解除になりました。措置入院解除になると医療保護入院と任意入院のどちらかになります。
自分は措置入院解除後は医療保護入院になりました。ここで問題となるのは親です。精神科の入院でのキーパーソンは必ず親になります。自分の親は毒親なのでこれで大変でした。
(コラム: 聞いた話では、児童相談所の一時保護もこの医療保護入院に近いようです。日本はそのぐらい親権が強いわけです。どんなに毒親であっても2ヶ月経つと親元に戻されます。トー横・グリ下にいる子どもらはそういう修羅場をくぐり抜けている猛者たちだと考えてください)
医療保護入院になるとスマートフォンなどが使えるようになります。また、医療保護入院や任意入院になると作業療法を受けられるようになります。作業療法は作業療法士が担当します。
しかし措置入院と比べて費用が発生するようになります。自分は措置入院解除から1ヶ月入院したので20万円支払いました。これは高額療養制度を使わせてもらうのでここから安くなると思います。
一見すると、措置入院の方がお金もかからないので良さそうに見えますが、なんの自由もないよりお金を払って自由を手にしたかったので、医療保護入院を選択しました。
措置入院が禁固刑だとすると、医療保護入院は罰金刑に相当するのかな、と考えています。
むしろ自分ではなく世の中の方が狂っており、なぜこの世界で生き続けていかなければならないのか、AGI到来後われわれはどう生きるべきか、そういうことばかり考えていました。そうしたら見事に病みました。
病んで病んで現実逃避の先が統合失調症だったと思います。AGI関連以外でもいろいろありましたが、ストレスにより、社会を見る目が歪んでいました。今も歪みは継続しています。
病んで暴れて、措置入院となったわけです。措置入院は紙とペンが使えて本が読めるぐらいの、「刑罰のようなもの」です。精神と時の部屋みたいなものなので、この間は勉強をひたすらしていました。
最後の方はだいぶ落ち着いてきて、「健常者っぽいのになぜここにいるのか」というふうに扱われていました。
現在は統合失調症であることを受け入れており、いったん治すことに尽力するつもりです。
これを読んでいる人の中にも、将来精神科入院されてしまう人がいる、という可能性は十分考えられます。高ストレス社会なので。
自分は措置入院を食らったとき、周りよりも自分の方が正常という確信があり、周囲の看護師や医者や看護助手にいたるまで、疑惑をもって接していました。
疑惑が解けてからも「いやなかんじ」がする職員とは話をしませんでしたが。
tipsとして1つ置いておきます。もしあなたが精神科に入院したときは、キレないようにしてください。
キレて暴れまわると退院が長引くだけです。大いなる寛容さをもって自分の処遇を受け入れる必要があります。
ただしあなたの方が正しいと確信があるのであれば、このアドバイスは受け入れられないかもしれません。落ち着いてから、思い出してください。
また、急に措置入院になると「行方不明者」のような状態にもなり、それまでの関係がいきなり全部途絶えます。
今いきなり措置入院になったと考えてください。まず仕事はクビになりますよね。やばいので焦りがわくと思います。しかし、キレないようにしてください。
あまりにもChatGPTに依存しすぎていました。自分の頭で考えるということが欠けており、そのせいで今自分の言葉だけで文章を紡ぐことがかなり大変です。
また、他人と話しておらずAIとばかり接するとおかしなことを言い出すようになるのだと思いました。
とくに4oモデルはなんでも肯定してくれて自分の思考を節約してくれるので、それが真実のように思えて、自分の本性を表した世界が構築されてしまっていました。
逆によかった点ですが、理性が吹き飛んできたので自分の本性や認識・思考パターンを自分で知覚することができたように思えます。
自己の全存在を賭けて取り組めば人間はここまでできるのかという、自分の限界ラインを知れたところです。怖いものなしとも言えそうです。
しかし措置入院に関してしっかり取り組んでいる党は日本共産党のみのようです。正直、社会にはさまざまな人がいて、それぞれ見ている世界が全然違うのだと衝撃をうけました。
詳しく知りたい方は調べてみてください。再掲ですが、自分は日本共産党を支持しているわけではありません。
いろいろ書いて疲れました。本当はまだもっと言うべきことはあるのですが、あまり言うと身バレが心配なのでこのあたりにしたいと思います。
ソニーと言えば、アニプレックスを要し、ソニーミュージックでは積極的にアニメとのコラボをやってきた企業グループ。
特にアニプレックスは、当時まだ事例が少なかった時代から、パブリッシャー自らスタジオを開設し、比較的高い待遇を掲げて、アニメーターらの待遇改善にも先頭に立ってきた。
ノイタミナなど、予算を厚くコンセプトを強くした作品を作るが、芸術性の高い実験的なアニメから、アニオタが喜ぶHENTAI作品まで幅広く手がけ、あまり自重しない。
近年では自社のアニメスタジオを増強すると共に、買収などを進めながら、過去に自殺者なども出してしまった反省も踏まえて待遇改善と生産性改善に、バックオフィス改革やアニメーターが使用するソフトの内製を目指すなど、行動している。
そうして作成したコンテンツは、海外で強力なアニメ流通網をもつ。
代表的にはCrunchyrollを自社グループに有し、自社グループ系だけに留まらず、幅広いアニメを海外で流通させ、現在のアニメ業界の海外進出を強力に牽引している。
日本で作成したコンテンツを幅広く海外で販売することを指向する。
また、海外ではソニーピクチャーズを持ち、これは世界最大手の映画が会社の一つであり、音楽会社も持つ。コンテンツビジネスに精通している。
従って、ソニーはKADOKAWAを買収したとしても、コンテンツビジネスのことはよく分かっているから、今まで通りに好きにやらせることだろう。もちろん、それを海外に売り込むなどして収益を強化する活動はしていくだろうが、それは悪い事ではない。むしろ望ましいだろう。
振り返って、KADOKAWAも海外への日本コンテンツ輸出には積極的であり、北米に強いソニーと、アジアヨーロッパで強いKADOKAWAという棲み分けがある為、今回のKADOKAWA買収はシナジーが強いと感じられる。
さらに、従来からKADOKAWAとソニーのコンテンツ部門は比較的良好な関係を築いており、様々なコラボレーションで成功している。これらがより深化することが望まれる。
ソニーと言えば、PlayStationだったが、PS3時代の経験から、その中心をPS4の時代に日本からアメリカに移した。その結果、ビジネス全体がアメリカの理論で進むようになっており、
オリジナリティの高い作品を製作していた日本のスタジオを相次いで閉鎖するなど、国内体制の縮小が続いる。
ただし、ソニー全体のゲーム部門は好調であり、高い収益を上げているため、市場の意思としてはこの路線が維持されている。このことが逆に日本向けにリソースを割くこと、日本向けに特別な対応を行う事のモチベーションを低下差させている。
これがファンの目には、日本のゲーム市場を軽視しているように映っており、また国際基準に従った内容の規制、ポリティカル・コレクトネス対応などによる表現の規制なども日本の価値観からすると納得がいかない結果になることが多く、
しかし、外国市場のほうが何倍も大きくなってしまった今、日本向けに特別版を作られることも減った事から、不満が高まっている。
従って、大企業のコンプライアンスを押しつけ、融通が利かないように見えている。
ソニーがKADOKAWAを買収すると、これらの基準をKADOKAWAに入れてくることによって、KADOKAWAのコンテンツもポリティカル・コレクトネス対応などを求められ、歪んでいくのではないか
日本部門への投資が絞られて、単に過去のIPを売るだけになってしまうのではないか。
また、日本発のIPが放置されたように、ソニーはIPの使い方が下手である。ビジネスとしては個別のIPを積み上げるより、シェアを広げてプラットフォーマーとして君臨する方が儲かるのであろうが、しかし、
ファンとしてはそれらのために、現在楽しんでいるコンテンツを潰されたらたまらないので、やめてほしい。
ソニーミュージック系(ピクチャーズなど含む)が主導する買収なのか、SIE系(プレステね)が主導する買収なのかによって大きくちがうんやろなと思いました。
で、報道を見る限り、ソニーミュージック系の買収じゃねえかなって思うのでそんなに心配いらねえんじゃねってのがアニオタの俺の見え方なんだけどな。
だって、SIE系がKADOKAWAが持つゲームが欲しいなら、KADOKAWAとしてはゲームは本業じゃない訳で、そこだけ売却に応じると思うんだよ。すぐに金が欲しいならね。
でも実際にはグループ全体の買収にかかってるんだから、ソニーミュージック系が主導してるんじゃないかなって思うんだよね。
まぁ、空騒ぎですが。
マジどうなるんだろうね。
兵庫県民やけど、兵庫県民をバカにする増田やXのポストばかりで辟易する
斎藤がやったことはまだ確認中の状態で起こった選挙なので、単純に稲村市長時代、斎藤県知事時代の行政についての評価が自分にとってメインになった
勝ち馬に乗っただけとか、パワハラなんてない!デマ!と言っているとかそういう人しか県民にいない扱いになっているが、そんなこと言ってる人は周りには少なくともいない
選挙公報も読んだし、夕方報道などで選挙者がゲストに呼ばれて議論している場面なども見ている
そのうえで、あくまで県職員のための政治、と言い切った、退職金を釣り上げて不祥事で辞めた稲村よりは自分の子供がこれから通うであろう中学高校の設備に金をかけると言い切ってくれた、自分たちの給料をカットしてでも公約をほぼ果たしてくれていた斎藤になっただけだ
この辺はトランプ支持者と似通っているかもしれないが、パワハラしない施政もしない者よりパワハラをしている施政者の方がマシ、なので。
弱者への支援より前に自分のことをなんとかしてほしい人間が増えているだけなのだと思う
そもそも、県民的には本当にパワハラがどうとかいうなら、選挙は第三者委員会や百条委員会が終わってからやるべきだったと思うし、その前に不信任を出して辞職を促したこと自体がえっ???て感じだった
あと、県職員可哀想!県民は見捨てた!と言うけれど、この辺、斎藤が辞職する前から嫌がっている県職員の声しか聞こえてこないのも不思議
そんなことないと言う人がひとりもいないなんて…そんなことある?と思う
あと斎藤の戦略がどうこうとかの前に、シンプルにオールドメディアが嫌いで(ジャニーズ、松本、ケーポップ、そのた諸々の過去の行い)メディアがそんなに言うなら絶対違うはず、正解は逆のことなはず…という考えの人も多くなってきているなと体感で感じた
オールドメディアが反省をするべきなのは思うけど、それを単純に斎藤に踊らされて人としてくくるのもどうかと思う
misafusa 白々しい上にド下手。…こらえ性のなさ。
はてブユーザーの兵庫県民が以前から業を煮やしてたとしても不思議はない。
turanukimaru 支持者有権者の誰かを装って「俺はこんなにバカなんだ!さあ俺たちを叩いてくれ!!」と叫ぶ増田は無視したほうが良いと思うんだが。…
根拠なくなりすましを指摘することが、そもそも陰謀論だとなぜ気づかない。
それに無視した方がいいと言ってるのに自分は無視できてない矛盾。
説得力が無いですよ。
まったく状況が読めておられない方々。
summertime_and …やっぱり「正しい」って言ってもらって安心したい人は尽きないんだなぁ
笑って自分たちを無理やり安心させてるのがトップコメントという絶望
ヴァーチャル兵庫県民だろうと無関係にロジックを尽くして丁寧に説明するのがリベラルだったはず。
元増田は別段特殊例じゃないだろ、兵庫県民のペルソナと考えて対応すればいい。
悪魔化して冷笑で切断処理するのが注目ブックマークのほぼ全てで、「おもしろ」タグに入れてる無神経さこそ、兵庫県民の若者に愛想を尽かされて
になってる原因でしょうに、なぜ未だに無反省なんだ?? あまりにグロテスクだ、これ………
日本人の若者ら大半が、説明を求めてもマトモに対応して貰えず、賢しらぶった大人に嘲笑されて、扇動され、結局パワハラで自殺に追い込まれるのを容認してしまう状況なら、何も安心できないし全く笑えねーよ。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
ブコメに返信。
なるほどなるほど。論点が絞られてきた気がするぜ。
"他のホッテントリしてる増田記事も誰一人として指摘してないけど最初の“公益通報者保護制度違反”はどこ行ったんだろうな。おねだりやパワハラの方に尺使いすぎやね。"
"兵庫県知事の件についてこれまでずぅっと沈黙を続けてきましたが、選挙結果を見ての仮説としては、「公益通報者保護制度違反」や「百条委員会の重み」について、制度をきちんと理解できる人って極めて少数なのでは?"
"パワハラの程度や事実かどうかは問題ではなくて、知事が指示して告発者の調査、特定して懲戒処分した事実が公益通報者保護法違反でアウトなんだよな…半沢直樹の大和田常務かよ…"
"ちなみに公益通報窓口に送る前の1発目(3月12日)が公益通報に当たるか微妙ってスジは確かになくはなさそうではある。稲村さんも番組での議論の際△にしてた。とはいえ権力者の振る舞いとして道義的に良くないとは思う。"
"問題は公益通報の告発者の調査と懲戒処分でしょ。これが出来てしまったらパワハラがあったのかどうかなんて簡単に握りつぶせて検証不可能。全部闇の中。誰もリスク犯して通報しなくなって民主主義はなくなる"
"公益通報に関する話は、該当文書が『怪文書』であり、公益通報に該当しない、どう処理されてもやむを得ないという整理が示されているのだと思いました。故にパワハラを取り上げ失敗したという整理ですかね?ははは"
"公益通報者保護制度違反についても3月当初は外部通報で内容も告発というよりは流言飛語(怪文書)の類なので犯人探しを即違法と位置付けるのは難しい。厚生労働省でも検討中だったはず。パワハラと同じで曖昧。"
"トップコメに同意。斎藤擁護者は“公益通報者保護制度違反”に対してまともな答えを持ってない。「あれは怪文書だ、Youtubeでみんな言っている、ネットを検索してみろ、誰でもわかる」ぐらいしかボキャブラリーが無い"
このツッコミが一番多かった。
「最初の怪文書が公益通報に該当するかどうかは弁護士の間でも意見が割れている」という話なので、裁判して決着を付けるべきだったのではないか。
俺の意見は最初に書いた通り、これだけで首長失格、リーダー失格だと思っとるよ~!
"斉藤側がPCの中身とやらを出さなかったのは、 同時に既得権側とやらが出させなかったのはなぜなんやろな(・ω・) 出てないってことは「両方」に出さないインセンティブがあったと感じるまぁ要らん憶測ですが。つか出せ"
"PCの中身の「全面」開示を求めたのは県幹部や知事と距離の近い維新議員団であったことは強く念押ししたい。無関係なプライバシーの暴露を仄めかすって十分脅迫に当たるし、パワハラよりもたちが悪いと思う。"
"市長サイドから局長に「百条委員会を続けるなら不倫の件を公にする」と圧力があって、「一死をもって抗議する(晒し者になるのが耐えられないので自死するが、市長も裁いてくれ)」という流れかなと推測する。"
たしかに、プライバシー暴露をちらつかされたのは脅迫みたいなもんだと思うわ。なるほど悪質だ。
マスコミも議会も世論も全部が味方という状況でも、追い詰められてしまうんだなぁ。警察や弁護士には相談してたのかね。
とはいえ別の増田が書いてたが、斎藤氏自身はこのプライバシー暴露攻撃にノータッチなんだよね。あくまでも「県幹部や維新議員団」が迫っていたという構図。
実際は斎藤もグルでホニャララなんじゃねえのという憶測に基づく因縁は付けられると思うが、これは決めつけられることではないからなぁ。
"内部告発に対して(仮にそれが怪文書めいたものだとしても)内々で調査したりとか恫喝したりとかはかなりひどいレベルのパワハラではないの……?"
"パワハラに関して言えば、斎藤知事がこれらをパワハラだと認めていないことが一番の問題。パワハラを反省しているのであればもう一度チャンスを与えても良いが、パワハラだと認めないのでは改善の見込みがない。"
"嘘八百じゃない文書を嘘八百と記者会見で吊し上げにしたり、退職をさせなかったりってパワハラの最たるものじゃないの?そういう都合の悪いこと書かないのなんで?"
"パワハラの件、行為の程度は議論あるとして、怒った理由や改善点の明示等のフォローしてない(斎藤も自認)のが致命的にダメ。一方的叱責→「理由は自分が考えろ」と突き放すのは典型的昭和脳パワハラで確実に萎縮の元"
"立場が知事なんよね、内部通報の不備もパワハラも程度問題とするのが県民の民意であれば、県内の企業に対しての指導もそのうち「ああいうのは通念上では程度問題なので」ってなるよ"
なるほど、怪文書に対する対応がそもそもパワハラそのものじゃねーかという捉え方な。たしかにそれは一理あると思った。
でも「県内の民間企業」だって、パワハラに対しては「程度」に応じて対応すべきだろ。セクハラでもなんでも、一律で同じ対応の方があり得んと思うわ。
俺が程度問題論で何を言いたかったかというと、「そもそもマスコミはパワハラとおねだりで大はしゃぎしすぎたんじゃねえの」「その反動でこの結果なんじゃねえの」ということ。
でもそこに対するカウンター意識でパワハラレベル3点とか言ったのは我ながらアレだったな。机叩くのは6点くらいはあるよね。
怪文書の作者を特定してPC没収したり記者会見で罵るのはパワハラレベル9~10点かなぁ。
"どうでもいいけど「ソースはTOCANA」な増田は少しヤバいよ。もうちょっとまともなソース探そうぜ。サイトの紹介文こんなだぜ>トカナ|UFO、UMA、心霊、予言など好奇心を刺激するオカルトニュースメディア"
うーん目ざといな。3人入れたくて適当に持ってきただけなんだよね。
https://bunshun.jp/articles/-/74417
「実際、ワシントンDCでの当初の評価は「実力でなった副大統領ではない」というものでした。女性で、若くて、非白人だから登用されたと。英語で「Trying too hard」(無理をし過ぎ)という表現がありますが、まさに無理をし過ぎて空回りしているように見えた。側近スタッフが相次いで辞職し、一部メディアでパワハラ疑惑まで報じられた。」