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はてなキーワード: 高校とは

2019-03-24

anond:20190324212034

ワイの会社履歴書空白10年とか高校大学中退とか転職10回以上とかそういう人しか応募してこないやで

ずっと大企業正社員やってた人が来たら即採用するけどそんな人一回も来たことないやで

ウェブサイトです。センバツ-第91回選抜高校野球甲子園バーチャル高校 ...123

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自称鬱の人間

20代大学中退フリーター

結局何者にもなれず、何かを成し遂げることもできそうにない。

なにもかも中途半端で、昔は時間を忘れて熱中した趣味すら今は半ば義務感のように接してしまっている。毎日死にたい楽になりたいと言いながら高校生と肩を並べてしょうもないバイトをしてだらだらと生きてる。

やりたいことやなりたい職業もない。このぼんやりとした感覚ネットで調べると新型鬱や希死念慮といった言葉が出てきて、一丁前に病人面して心療内科にも通った。心の何処かで精神病という免罪符を求めつつも、貴方自閉症の傾向はあるが問題はないと書かれた検査表を貰ったので嫌になって通うのをやめた。客観的に見て自分はただの自堕落な怠け者なだけだったらしい。

これは持論だが、世の中には一定数生きるのに向いていない人間存在すると思う。

もちろんそれは本物の自閉症ADHDのような人間ではなく、追い詰められないとなにもできないくせに、いつの間にか追い詰められたら逃げることしか出来なくなった自分のような人間である勉強だけちょっとできる程度で誤魔化せていたので努力の仕方を身につけないまま大人と呼ばれる年齢になってしまった。中身は今も社会を知らない高校3年生のままだが。

こうなったら就職自分のゴールだと言い聞かせながらそれでも全力でそれに取り組むこともせず、毎日眠りにつくときに何もかもめんどくさいしこのまま死ねればいいのになと思いながら寝る。いっそ日本安楽死が認められればなんて考えたこともあるけど、本当に認められたところで自分安楽死に臨む勇気すら持てそうにないのが本当に笑える。

結局自分は早かれ遅かれ社会不適合者になるタイプ性格から仕方なかった。そういう生き方しかできなかった。そう言い聞かせるしか自己擁護できない。

この文章を読んだ精神科の人が自分病気だと診断してくれたら言い訳の一つにもなるのになぁ。

あー宝くじで一生暮らせるお金当たらないかな。まあこんな性格から宝くじを買うという行為すらしてないしできるわけないんだけど。

[]2019-03-24アタック25実況集計5ch実況chテレ朝liveanb版

きょうのテレビ朝日はは女子ゴルフ?でたくさん書き込みがあり出遅れ

ID2ちゃんねる該当板の本日ものです

・01 [球団]ロサンゼルス エンゼルス (29): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:26:45.17

・02 [アルファ3]2800 NPB (47): ID:/lRaRpWRM 13:27:55.02

・03 花巻東 高校 (67): ID:AVTmlVNT0 13:28:55.28

・04 [2択]週刊少年)サンデー (76): ◆WZAoee0DRN9N 13:29:18.62

・05 3(番 (98): ID:AVTmlVNT0 13:30:14.00

・06 [アルファ4]PPAP (117): ID:AVTmlVNT0 13:30:44.04

・07 [2択]奇 数 (154): パブロフの猫 ◆bBexGCASrY 13:31:39.85

・08 かすみがうら(市 (166): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:32:02.10

・09 [共通漢字]旅 (177): ID:AVTmlVNT0 13:32:29.99

10 壇ノ浦(の戦い (196): パブロフの猫 ◆bBexGCASrY 13:33:12.65

11 3346フィールド(キャスト ID:-----

 

12 京《けい》 (222): パブロフの猫 ◆bBexGCASrY 13:34:03.75

・13 1(番 (245): パブロフの猫 ◆bBexGCASrY 13:34:39.17

・14 井口資仁 いぐちただひと ID:-----

・15 [国名]チリ (269): ID:Mbtppgey0 13:35:26.87

・16 ベンチ(プレス (288): ID:MI+ErQUK0 13:36:01.94

17 徳川 吉宗[OK] (288): ID:MI+ErQUK0 13:36:01.94

・18 3741タケノコ (319): ID:/lRaRpWRM 13:37:11.92

・19 野村克也 のむらかつや (350): ID:/lRaRpWRM 13:38:23.42

20 「1R《いちラウンド》1分)34(秒」 (370): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:39:05.30

・21 [対角線]5(本 (375): ID:1j8l9N6Ca 13:39:26.42

・22 3958宮城(県 (400): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:39:56.42

 

23 ヘミングウェイ (415): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:40:34.09

24 [AC]29(人 (510): ID:AVTmlVNT0 13:44:28.95

・25 マリアノ・リベラ (530): ID:AVTmlVNT0 13:45:13.20

・26 [2択]上 手《かみ て》 (537): ID:7i02xWIv0 13:45:39.52

・27 [衛星]タイタン (553): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:46:04.71

28 リズム[→] (569): ID:AVTmlVNT0 13:46:34.32

・29 風(にそっと歌うよ (596): ID:L2DDtNLT0 13:47:11.94

・30 5(チーム つ (612): ◆WZAoee0DRN9N 13:47:49.21

31e 早稲田 大学 (641): Rx ◆IRC1/LAAAk 13:48:18.99

・xx [都市名前]モントリオール (704): ID:/lRaRpWRM 13:50:26.96

 

7/31pts*2 Rx ◆IRC1/LAAAk ID:AVTmlVNT0

4pts パブロフの猫 ◆bBexGCASrY

3pts ID:/lRaRpWRM

2pts*3 ◆WZAoee0DRN9N ID:MI+ErQUK0 ID:-----

1pt*4 ID:1j8l9N6Ca ID:7i02xWIv0 ID:L2DDtNLT0 ID:Mbtppgey0

Happy birthday

だいぶ年下の同僚の誕生日に、おめでとうと言った。本人がこの日が誕生日です!!とめっちゃアピールしていたので、気楽におめでとうを言うモブの一人としてである24歳になったそうだ。

24歳か。たった一歳の違いだけど23歳よりも大人って感じだよね」

と私が言ったら、

「いやいやいや、いやー、遂に24歳になってしまいましたよ、あっという間っす!」

と彼は言った。

高校卒業したら時間の流れがもう本当に速くって、そうこうしているうちにこんな歳になってしまいました」

月並みな事をいうと、三十路になったらもっとスピードアップするからね。そりゃもう怒濤のごとくに。今年だってつい最近正月になったかと思ったのにもう3月も後半に差し掛かってますよ」

「俺も気付いたら30になっちゃってるのかなぁ」

「そうだね、きっとね」

私が24歳の時、歳上の人達若いんだから可能無限大もっと日々を大切に生きろと叱咤激励してきて、それが出来ない私って無能なのかなぁと思って一人で落ち込んでいた。

けどやっぱり、若くたって中々自分の力で道を切り開くなんて難しくって、否応なしに遅い来る奔流に流されてあっぷあっぷしているうちに、いつの間にか歳を取ってしまうというのは普通なのかもしれない。それはべつに責められる事ではないのだろう、と思いたい。

目まぐるしい日々だけど、いいことあるといいよね。

浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

高校購買部に行ったらたまたま彼女友達といて、すれ違いざまバレないように手をチョンって当ててきた可愛い

帰り道で学校から何分くらい?って聞いたら10分くらいって言うから車で送っていくよって言うと、でも遠いよ?って車の10分を遠いっていう彼女可愛い

というところで目覚めた。

………大変よい…夢でした。

好きだった女の子の話

失恋しました。

失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。

出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います小学から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分いちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。

転機は高校ときです。彼女特殊高校に、私は普通高校に進学しました。彼女学校と私の学校そもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから勉強部活を私みたいな存在邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきますもっともっと大切になっていきます高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います

はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります私たち同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会ときに、今度遊ぼうね、と約束しました。彼女卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。

「いつ遊べそう?」「春休みわっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分もびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります

こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとうあなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきますあなたがこれから幸せであるようにここから願っています

2019-03-23

空気の読めない、高校生だった私

家族全員おそらくADHDだった我が家は、着ているものは時々ぼろぼろだし、お金はないし、お腹すかせてるし、

そんなこんなで私や兄弟たちは小学校はいたこから浮いていた。

気性がのんびりしていたのもあるのか、問題児として扱われるよりはもっと遠巻きに、仲間はずれとかそんなくらいの感じ。

ちょっと知的に…と言われなかったのは父の勉強だけはちゃんとやるという姿勢が良かったんだと思う。そのほかはほとんどだめ。

そんな私でも高校生になるころには教室移動のときに一緒に行く友達くらいはちゃんといるようになった。

その時のことを30を超えた今ようやく正しく理解できるようになったんじゃないかと思う。

私の行動を共にする同級生は、いつも流動的だった。

ごはんたべよー、とか、次どこそこだってーとか、話しかけてくれる人は今までほとんど話したことのないやつだ。

入学してすぐに楽しく話した記憶はある…くらい。

長いやつもいたけどだいたいみんな数週間くらい、わたし達はどこに行くにも一緒になる。

テレビの話をしたり、コスメの話をしたりする。たまに恋バナもする。

けど、数週間後にはいなくなる。

思うに、わたしを誘った人やそこに加わった人はみんな仲間はずれにされていたんだと思う。

からすぐにもとの友人のところに戻っていったんだ。

そう認識した今はつらいような…不思議なような… そんな気持ち

でもわたし避難所みたいなものの所長だったんだと思っている。

それはそれでなかなかかっこいいと思う。

特定友達は結局できなかったんだけど、まあ、世の中そういう人間でも生きていけるしね。

下駄箱前で目があったときわたしは気まずく思っていたのに、向こうはいい顔して挨拶くれたのを思うと、私は舐められて…と思ったりするけど、まあいいや。

高校三年間、途切れることのなかった私の避難所はなかなか良かったんじゃないかと思うんだよね。

社会人になって、男女問わず派閥があるけど、私はやっぱり避難所をやるよ。

うざくてキモいし、話は面白くないのについ喋りすぎる私だけど、それでも私は私でやっていくよ。

海外学生をしている

ランキングなんてなんの信憑性もないとはいえ、一応世界ランクtop100に入ってはい

が、普通にサボりまくってクズ大学生生活を送っている

なんだか未来が見えない。親に申し訳ない気持ちと罪悪感で一層現実逃避に励んでしまうという悪循環

こんなだったら高校卒業してすぐにお水の世界にでも入れば親孝行してあげられたのになと思って後悔したりもするけれど、お酒弱いし胸はないしでそれもたぶん無理だっただろう

どうしよう

受験勉強リソース割くのもったいない

受験期の勉強量を大学時代でやる学問のそれに振り分けたい

知的リソースの有り余ってる天才受験なんて余裕でこなしちゃうんだろうけど凡人はそうはいかない

中高大一貫教育が最強なのかな

高校時代から公認会計士勉強とかできたらいいかもしれない

かに縛られていた方が充実感はある

小、中、高校大学自由校風学校に通ってきたが、充実してた順は中≧小>高>大だったように思う。

小、中学校自由校風だったとはいえ義務教育なこともあり親や先生監視比較的厳しいものだった。宿題はきっちり出され、遅刻も出来ない。あんまり夜遅くまで外で遊べないし、夜更かしも出来なかった。

高校生になると自由度が格段に上がった。親も先生大分緩くなったし、自分物事を決めることが増えた。それでもまだ未成年だったため、多くの物事において親の許可必要だったし、親に逆らえる立場でもなかった。

大学に入り、一人暮らしを始めるとほぼ完全に自由の身となった。授業をサボっても怒られない、夜遅くまで飲みに行けた。大学3年にもなるとほとんど授業もなければバイトもあまり入れておらず、その上親から仕送りも十分あったため、生きる上での「制約」みたいなものが全くなかったように思う。

かに大学の頃は楽しかった。金銭的にも時間的にも恵まれ人生で一番自由に遊んで過ごした。

しかし、「充実感」というものは全く感じられなかった。

元々、私は人にやれと言われないと何もできないタイプで、勉強部活も、親や教師といった監視の目があったからこそ出来たものだった。

それが、高校大学監視の目が緩くなり、それらに縛られることもなくなると、私は何もしなくなった。

何もしなくなると、人生における充足感のようなものがなくなった。

自分の思うままに遊んでいても、何も達成できなかった。

そして何となく人生が物足りないまま社会人になった。

社会人になると、完全に自立した身分となる。会社で働くようになった分、「制約」は高校大学の頃よりキツくなったが、学生の頃との大きな違いは「制約」を自分で拒むことができる点だろう。

会社が嫌ならやめればいい、親に何か言われたら逃げてもいい。

眠くて何書いてるのか分からなくなってきた。

とりあえず、「自分を縛るものがあったほうが人生は輝くのではないか?ただ縛られることってしんどいし、社会人になると縛るものを拒むこともできる。でも拒んで人生が物足りなくなるのは怖いな」ということです。

どうでもいいけど私が物理的に縛られることが好きなマゾであることと人生かに縛られてたほうが充実感はあると思う考え方はもしかしてリンクしてるのかな?

たまに思い出す人のこと。

中学同級生村田くん(仮名)という人がいた。

彼は軽度の知的障害だったのではないかと思う。

特別学級ではなく普通クラスにいたけれど、成績は下の下で、いつもヘラヘラしていた。

いつも服のそでで鼻水をぬぐうからそれが乾いてパリパリ黄色いシミになっていたり、パンツ姿で校内を走り回ったり、学校前電車踏切棒で遊んで叱られたり、そういう人だった。

自分は彼とひとこともしゃべったことはなかった。

臭そう。

話が通じなさそう。

近づいたらいきなり噛みつかれそう。

例えるなら、野生動物にはみだりに近づいてはならない。そんな感覚で遠巻きに見ていた。

喋ることのないまま中学卒業し、自分は遠くの高校に進学した。

高校一年生の夏、高校の寮から帰省したとき母親が言った。

村田くん(仮名)ってあん同級生だった?川でおぼれて亡くなったらしいよ」

そんな感じで何気なく聞いた気がする。

ふーん、と思った。

高校にあがってもあいかわらず村田くん(仮名)は友達がいないから、いつもひとりで遊んでいたらしい。

その日もひとりでタモとバケツを持って、自転車で川に遊びに行った。

そして川の底に沈んでしまった。

村田くん(仮名)の人生は途切れたんだな、と思ったのをおぼえている。

高校生の頃なんて人生無限に続くものだと、そんな気分で毎日生きていたけれど、自分と同い年の見知った人間人生が終わったことを知ってすこしびっくりした。

その頃の自分はたくさん小説を読んだり映画を見ている子供で、色々な人生があるってことは知っているつもりだったけれど、ある日突然ぶつりと途切れた彼の人生を思った時がいちばん死ぬことがとてもあっけなくて当たり前のことなんだな」と理解したように思う。

人は息ができなければすぐに死ぬんだなと。


成人してからも、ふと彼のことを思い出す。

薄汚れたTシャツと短パンサンダルを履いて汗を流しながら自転車を漕ぐ村田くん(仮名)。

タモで何を採ろうとしていたんだろうか。

何を採ったんだろうか。

残されたバケツには何が入っていたんだろうか。

暖かくなってくると、そんなどうでもいい想像をしてしまう。

一度もしゃべったことのない人なのになぁ。

2019-03-22

anond:20190322154134

ならない

というか昔のゲーム開発者インタビューとか読んでると80年代末~90年代頃でも中学高校時代PC買ってもらってプログラミング始めたとかってエピソード普通によくあるんだよな

TefuがiPhoneアプリ作って持て囃されてたのですらもう10年前のことだしなあ

anond:20190322161501

いるいる、高校時代くらいにめちゃプライド高い夢女やってた反動三次元だと自己評価くそ低くなるやつ・・

とりあえず、良い悪いは彼氏が決めることだろ、

彼氏にこんなに相談しまくってるけど大丈夫ですか迷惑かけるかもしれなくて不安ですが、と聞いてみろ

あと日記の内容がまだまだ黒歴史さなかなんだと自覚しろ

匿名からいいけど、増田黒歴史日記としてつかうだけにしろ

増田からアドバイスは一切うけいれるな(←これが一番まともな増田アドバイスという自己矛盾だがw)

ここは自称「KKO、キモくて金のないおじさん」「男嫌いの女」「女嫌いの男」などの歪んだ価値観がのさばる場所から

この日記に出た中で一番健全価値観もってそうなの彼氏だぞ

バリキャリ母とイクメン父に育てられた

今思えば私の家庭は最先端だったんじゃない?と思い投稿

20代半ば女性

母は正社員フルタイム残業たっぷり

父は自営業夕方には仕事も終わる

保育園の送迎は98%父

母は早朝から深夜まで仕事のため不在、朝起こされるところから寝かしつけまで父のワンオペ

朝、謎にハイテンションな父に起こされ苛立ったことも、寝かしつけの際、謎のお話アンパンマンからコナン君まで当時の私が好きなキャラクターが大集合だった)をされたこともよく覚えている。深夜に帰ってきた母は何故かよくマクドポテト食卓でひとり食べていた。それを分けてもらうのが私の密かな楽しみだった。

周りの子はみんなママが迎えに来て、休みの日はママとお出かけするが、私はすべてパパ。やはり少し寂しかったが、たまに母と遊べる時はすごく嬉しかったし、まぁそんなに問題ではなかったと思う。

めんどくさくなってきたので結論育児は男でも女でもどっちでもできる

唯一、父ワンオペに困ったことは高校入学説明会制服の試着をするとき女子更衣室で試着しながら制服サイズを決めるのだが、当然父は部屋に入れず、私はひとりで着てみるも相談相手もおらず鏡もなく少し困った。他の子はみんなママと来てたのでママ相談してサイズを決めていた。まぁ、結局友達のお母さんが見繕ってくれたので事なきを得たが。それくらい。

一回ヤらせて

そいつは毎回、飲み会の後半あたりになると決まってこう言う。

増田っち、一回目ヤらせてよ。」

彼とは高校時代、2年生の1年間だけ同じクラスだった。

私は所謂スクールカーストでいうと中の下のあたりと自覚していたし、特別男子と仲が良い女子とは言えない方だった。

かといって男が苦手という訳ではないから、話しかけられれば話すし、仲良くなった人とはそれなりに話していた。

彼は割とお調子者で、クラスの中では男子の中心で騒いでいるような、そんなタイプ

正直、高校時代にそんなによく話をした記憶はない。

彼は、私が当時付き合っていた人と仲が良く、イジられやすかった彼氏をめちゃくちゃからかって、私までからかわれていた。

から私はむしろ彼のことが少し苦手だった。



卒業して、お酒が飲めるようになった頃から定期的に飲む仲になった。

きっかけは多分クラス会。

もう記憶曖昧だけれど。

向こうから連絡が来て、私の予定が合えば飲みに行くというのが定番の流れ。

大抵もうひとり、同じクラスにいた男の子も一緒。

飲んで話すのは毎回たわいも無い事で、たいして記憶にも残らないようなことばかり。

もう大人になった私たちは、それぞれに彼女彼氏がいて、貯金がどうだ、家賃がこうだ、残業がああだ、セックスレスがそうだ、この前のデートがどうだの。

そんな話をしてダラダラと過ごす時間が私は結構気に入っている。

ほとんどの話は記憶に残らないけれど、いつか聞いてすこしびっくりしたことがある。

彼は私を、クラスが一緒になる前から知っていたというのだ。

私は目立つ彼のことを認識していたけれど、中の下のグループで静かに学生生活を送っていた私をなぜ彼は知っていたのだろうと思う。

「乳でかくね?ってなってたからね。増田っち何カップなの?D?E?」

彼はそう言って笑っていた。

うるさいよと笑いながら、サイズを伝えた私も私だなと思う

そんな私も去年の春に結婚した。

ちょうど婚約した頃にいつものように飲みに誘われて、結婚することを伝えた。

彼にも大学生の頃から7年くらい付き合っている彼女がいた。

俺もそろそろかな、なんて話をして。

その日以降、1年ほど連絡がなかった。

珍しいな、とおもいながらも、既婚者の女というのはそう簡単に男と飲みに行くものでもないのだろうかと思ったりして。

そろそろ会いたいけれども私から連絡するのもなぁなんて考えていたら、ちょうど彼から連絡がきた。

いつものように飲んで、しょうもない話をして、高校時代恋人の噂話なんかもして。

そして彼も今年の6月入籍するらしい。

なんとなく、もうこの会は開かれなくなるのかなぁと、そんな気がした。

そして二軒目でまたいつものやりとりが始まった。

「じゃあ増田っち、とりあえず一回ヤらせてよ」

始まったよ、バカだなほんとに。と私は笑う

「え、まじでじゃあ、どうやったらヤってくれんの?」

出会うところからやり直しだわ

なんて。

もちろんその気は私には無いし、向こうもきっとただの冗談だろうと思う。

その日もいつもと同じ、タクシーに乗り込むまで定期的にその台詞が飛んでくる。

もうひとりの男友達

「お前、ほんと増田っちのこと好きだな。」

それを聞いて、酔っ払って足元もおぼつかない彼は、優しい顔で言った。

「そう。だいすき。おれね、増田っちのことだいすきなんだよね。」

一度も意識したことなんてなかったのに、深夜3時、タクシーの列に向かいながらそんなことを言われて、初めて一回ヤっといても良かったかも、なんて、思ってしまった。

本当にヤりたいのかどうかもわからないし、ヤりたかったらそのくらいさらっと言うだろうし、好きだよな、と言われて返す言葉なんてそれくらいしか無いのもわかるのに。

過剰なくらい、私と当時の彼氏からかっていたのも

同じクラスになるよりも先に私のことを知っていたことも

クラスから頻繁に飲みに誘ってくれることも

まさか、なんて思ってしまった。

チョロいね

ああ次に飲みに行くときは、きっと1次会で帰ってこよう。

次は無いのかもしれないけれど。

2019-03-21

父親を殺したい

19歳。

いわゆる体育会系父親財閥総合商社窓際族会社ブランドの自慢、給料の自慢しか口にしない。

飼い犬が食べ物を欲しがり吠えると、怒鳴りながら与える。

犬は吠えると貰えると思い込み、なお吠える。

母親父親悪口しか言わない。

二人が会話するのは、父親会社帰りに買ってくる食材話題のみ。

わたしお金を貰い、中学高校大学と通わせてもらい、生活の世話をしてもらっている。

まれているほうだと思う。

だけど、父親ってこんなものなの?

わたし父親が恥ずかしい。皆さんはどうですか。

日本のクソなところ

32で早稲田の理工に入学して修士まで行ったのに仕事がない

家が貧乏過ぎて勉強できる環境じゃなかったから、高校卒業してから自衛隊入って金ためて

そっから大学行った

そうするしか無かったんだよ俺は

これが、海外なら職種採用からインターンと合わせればいくらでも仕事ある

日本バカが30後半からキャリアスタートバカにしてるから仕事がない

ふざけんなよカス

この年齢差別主義者が

それってお前のせいじゃないか

少し前の同窓会で、怖い話を聞いたので書き残す。

冗談か嘘だといいんだけど。

その怖い話とは、知人の昔話だ。

彼は小学生の頃、可愛いクラスメイト(以降A子とする)に恋をした。

偶然にもA子の髪の毛を手に入れた彼は、おまじないをすることにした。姉の部屋におまじないの本があったらしい。

A子が自分を好きになりますようにっておまじないをすればよかったのに、彼はこんなおまじないをしたんだそうだ。

A子が男の子たちから嫌われますように。

多分、恋のライバルを蹴落とす系のおまじないだったんだと思う。

A子が自分以外の男から嫌われたら、自分を好きになってくれるとでも思ったんだろう。

小学5年から高校3年まで、毎日そのおまじないをしたんだって

まじないのおかげか、A子は彼氏も出来ずにいたそうだ。

で、彼は大学進学のために上京大学恋人を作って結婚子供ふたり出来た。

最近、彼がA子について調べたら、まだ独身だったそうだ。

「A子、30代半ばにもなって、まだ独身なんだって。きっと顔は良くても性格が悪かったんだな。告白しなくてよかった!」

なんと彼は、A子に執拗におまじないをかけたのに、告白どころか話しかたこともなかったんだ。

まじないのことを恐る恐るきいたけど、

「おまじないなんか効くわけないだろ。もうA子とは関わりないし、結婚出来ないのは自業自得!」

ケラケラ笑っていた。

A子は今でも、全く記憶にない男に呪われているのかもしれないと思うと、とても怖かった。

処女女性風俗に予約した

もう題名の通り

アラサー処女が一応めちゃくちゃ考えた末女性風俗に予約した

まだ予約しただけで行ってはないからなんも内容とか書けないんだけど、こういうこと周りの誰にも喋れないしとりあえず誰かに聞いて欲しくて書いてる

なんで予約しようと思ったかっていうとアラサーになるまで1度も異性と触れ合ってこなかったか

理由は共学だった小中でカーストの下の方にいたか恋愛云々とか無理だったこと(イジメではないけど避けられたりしてた)、高校大学女子校根本的に異性と接する機会がなく恋愛をしやすい時期に出来てなかったとこが主な原因かな?って思う

有難いことに(?)告白して貰って2人の人と付き合ったとこはあるんだけど、異性としての好意があった訳じゃなくて人として好意的なものはあるしな~って軽く考えてOKたから異性として見だしたらあ、この人無理!ってなって全く長続きしなかった。下の名前呼ばれたら気持ち悪って思ったとか、会いたい会いたいうるさいとかそんな感じだった

からやって手を少し繋いだ程度でアラサーであるにも関わらずキスすら未だにしたことないということになったのです

社会人になって会社とかよく行く店とかで彼氏出来るかなって淡い期待を抱いて社会に出てみたけどまぁそんなものないよね!漫画の読みすぎですよね!!

そしてあれよあれよ卒業から数年経ちその間付き合った人は0人……私人を好きになれるのか??って思うこともしばしば……

別にそれでなにか生活に支障が出るのかって言われればぶっちゃけ出ない

婚期が逃げていくだけで現状の生活は充実してる方だと思う

でもなぜこれが風俗予約したとこに繋がるのか

それはこの頃なんかもうすごくムラムラするからなんですよね……言ってて恥ずいけど……

この頃は女性用のそういうコンテンツも多いし、エロ本とかDVDとかオモチャとかもネットで買えるし手元には揃えることができる。出来るんだけど…漫画とかDVDに出てくるイクって感覚が一切分からなくて永遠悶々してるだけで終わるんですよね…

気疲れとムラムラとが溜まって人肌とか触れたことないのに人肌恋しい……とかそういう寂しい感情がせり上がってくるようになってもういっぱいいっぱいになっちゃったんですよ

一緒に試してくれる相手もいない、オモチャを中にとかは処女だしもの入れるの怖いしオモチャ処女膜破るのはすっごい抵抗あるし、でもフラストレーションは溜まるし……って考えてたら女性風俗っていうのを知ったんですよね

本番NGから中に挿入も多分ないし、高確率性的気持ちよくしてくれるってとこにコレだ!!って飛びついたわけです

1回イクってことが分かれば自分で慰められるし、異性との触れ合いにも少しはなれるかなってことで……

予約してついに明後日なんですが日にちが近づくにつれ緊張が半端ないんですがこれも経験!ってことで行ってきます!!

気力があれば記録用にレポも書きたい気持ちもある

2019-03-20

結局女は学歴よりも顔

高校生の時、いわゆるクラスのマドンナみたいな女がいて、確かに美人だったけど性格悪くて、私のようなブスのことはいつも笑い者にして、クラスで何かやろうって時もハブにしてたんた。

そいつは遊んでばかりでロクに勉強してなかったから、Fラン大学に入るもすぐに中退して、キャバ嬢とかやってたらしい。

私は死ぬほど勉強して有名大学に受かった。うちの高校ではそこそこ快挙だったから、翌年の学校パンフレットには私の写真が「○○大学合格!」って煽りとともにどーんって載ったんだよ。

そんで4年間まじめに勉強して、そこそこ有名企業就職した。

マドンナのほうは、元ホストみたいな男と結婚するもすぐに離婚してシングルマザーになったらしい。

その話を聞いたとき、今まで不真面目で他人を見下してきたバチが当たったんだと思ったよ。そんなことを思う私の方が性格悪い、と言われそうだけど、こっちは今まで真面目に勉強してたのに見下されてハブられてきたんだ。どう考えてもマドンナのほうが人間として欠けているし、私には、今度こそ人生逆転のターンだ、とほくそ笑む権利くらいあると思う。

で、結局マドンナはその後すぐどっかの金持ち結婚して専業主婦していて2人目も生まれたらしい。

おかしくない? 専業主婦寄生虫なんじゃなかったのかよ。キャバ嬢なんて中古のクソビッチなんじゃないの。他人の子を育てるなんて罰ゲームじゃねーの。なんで性格悪くて不真面目なクソビッチ金持ち結婚できるんだよ。

あいい。私は同窓会には行かないし、彼女とは二度と会わないだろうから。それに、私の夫は金持ちでもイケメンでもないけど穏やかでいい人だから何だかんだで不満はない。

最近自分には新しい趣味ができた。もともと映画オタクだったんだけど、ある役者さんが気になってググったら小規模な舞台イベントによく出ていることが分かって、小遣いの範囲で通うようになった。

マイナー役者さんなのですぐ認知してもらえたし、握手も会話もしてくれるし、有名俳優舞台挨拶のチケット必死に取ってた時に比べれば夢のようなオタク生活が出来ているんだけど、ある日、同担の子の多くがキャバ嬢風俗嬢であることに気づいたんだ。

なるほど、だから彼女らはチェキ10枚買ったり出来るのか。私は、貯金もしたいし不妊治療お金かかるしで(結婚したあとに排卵しにくい体質だと明らかになった)、チェキは2枚までと決めている。当然、チェキ10枚買うファンの方が推しと仲良くなれるし優遇される。

でもさ、私、リーマンショック最中就活したのに有名企業就職できて、30代前半で年収500万円以上ってぶっちゃけそこそこ頑張ってるほうじゃない? これって割と勝ち組じゃないの?

なんでみんなが遊んでる時にコツコツと努力してやっと勝ち組になれたのに、ロクに勉強もせず遊んでたキャバ嬢風俗嬢に負けるわけ?

結局、女に必要なのは学歴でも仕事でもなく、顔だったのかなって最近思う。

時間を戻せるなら、恋愛や遊びを犠牲にしてまで頑張って勉強するのではなく、その時間風俗嬢でも何でもやってお金を貯めて整形したい。

あ、でもそもそもブスじゃ風俗嬢にもなれないかあはは。ブスは決して幸せにはなれないんだな。

anond:20190320151505

すげえわかる。よくはてなを知ってるな。

ついでに言うと、小学校中学校高校大学とそれぞれそいつらが挫折する直前で時間が止まってる感じ。

さよなら 昔のゲーム仲間

コルムオンラインというMMORPGがあった。

このゲーム2013年サービス終了を迎えるわけなんだけれども、確か正式サービス後も無料だったため金無し高校生だった俺は睡眠時間も削って没頭した。

当然ギルド的なものがあって、最初は確かGM支援してくれるギルドでやってたのち、GMが次のギルドマッチングまでしてくれた。

まぁ、マッチング会みたいなのに人が集まりすぎて自分PCが落ちたんだけど。

でもプレイヤー名がいわゆる「†クラウド†」みたいなもん(記号+ゲームキャラ名+記号)だったから印象に残っている人が多かったみたいで、マッチング会が終わって入った後も3ギルドぐらいから声をかけられた。そのうちに1つのギルド所属することになった。

おっと、話の本題はここからだ。

 

当時のネトゲギルドってのは、FC2ジオシティーズギルドHPをもっているのが普通だった。

ゲーム外でのつながりをそのギルドHPの中にある掲示板でやってたわけだ。今だと、DiscordTwitter簡単にやり取りできるからすげーよな。

まぁその入ったギルドもあった。ジオシティーズで。

ここで、もうどういうことか察してくれると思うが、3/31でジオシティーズが終わるということは、昔のゲーム仲間とのつながりが消えるということである

高校3年間と大学2年まではこのコルムというゲーム馬鹿みたいにプレイした。

しかし、気がつくと、大学生活が忙しくなり、ログイン頻度は減り、社会人になって何年か後にコルムが終了し、昔を懐かしんでジオシティーズHPをみるとまだ掲示板が生き残っていたので、「久しぶり」と書き込んで返信がつくのを待った。

そしてそれから5年ほど立つわけだが、返信はなく、ジオシティーズは終わろうとしている。掲示板ジオシティーズじゃないので生きるだろうが、そのHP以外からリンクされてないだろうからアクセスは困難になるだろう。

 

Twitterやっていないか探ったりしたが、どうも微妙だ。

5年という歳月HNを変えてしまう人も少なくはない。

事実自分は「†クラウド†」みたいなのだったのが「okashi」みたいなHNになっている。どう考えても「†クラウド†」と「okashi」は結びつかない。

微かな期間だけど、HPの終わりを見守ろうと思う。

掲示板の返信を待ちながら。

2019-03-19

「地毛証明書を出す理由を教えてください」ってやつ

中学高校でよくある、生まれつきの茶髪or天パです、って親に説明させるやつな。

あれは差別偏見助長しているか直ちにやめるべきだ。

普通に人種差別だろ。

日本人なら髪の毛は黒くて直毛のはずだ」っていう単なる思い込みレベル偏見根拠で、「そうじゃないやつは何かしているに違いない」っていう偏見を隠そうともせず、「パーマや毛染めは不良だ、風紀が乱れる!」って80年代ヤンキードラマ見過ぎの馬鹿どもが未だにしがみついてる前世紀の遺物

もう今時完全にアウト。

もしいま北米で同じ校則つくったら訴訟になるだろうし、大騒ぎになって校長謝罪会見しかねないレベル


日本人でも完全な直毛はさほど多くはない。うねっている人の方がはるかに多く、うねらないようにみんな手間暇かけてまっすぐにしている。こんなもん美容業界なら常識

・くせ毛がストパをあてるのはよくて、直毛がパーマをあてるのはダメ?それで何が損なわれるのか合理的説明できるのか?

・身なりに気を使って自尊心を育むことも大切。学業に悪影響を及ぼすレベルで過度に華美な場合のみ注意すればよく、画一的な外見を強要することはむしろ人権侵害では?

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