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はてなキーワード: 高校とは

2019-01-20

東京私立中学高校を出て、さして頭がいいわけでもないのに環境だけの力で早慶を出て就職してきたようなやつらが、会社の同僚として気に食わない。

彼らは学費年金学生時代から親が払い、バイトもせずに大学生活を満喫して今働いている。仕事が辛い辛いというが、それは大学までで楽をしすぎたせいだろうと思ってしまう。

なぜ自分の働いている会社東大以外は早慶をメインで採用しているのかもわからない。新卒は、頭数の半分は東大、残り半分が早慶京大が2~3人。これら以下の大学の人は全員学歴フィルターで落としている。

田舎の県立高校を出た自分からすれば早慶なんて科目も少ないし、高2くらいで受けても受かっていただろうと思う。推薦とか付属から進学したやつなんてもっとひどくて、頭の中はすっからかんじゃねえか、とさえ思う。

そんなすからかんのやつらが、決まり決まって自分は苦労と努力を重ねて生きてきたと思いこんでいるのも腹が立つ。高校を出た後まで親の金で食っておきながら、いったいなにが苦労なんだろう。つくづく、人間はわかりあえないものだ。

なんとなく生きてきたけど

今までなんとなく生きてきた。

なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。

ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。

いや、努力が苦手だった。楽しいことだけを好んでやっていた。

漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。

から将来の夢を見つけることもできなかった。

ただ、なんとなく生きていた。

小学校の頃は勉強しなくてもテストは満点近かった。

この頃から目立ちたがりだった気がする。

中学校では生徒会長もやっていた。

テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。

面白そう、という理由総合学科高校入学した。

そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。

きっと自分高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。

3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。

ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。

卒業前に題材自由ミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。

大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当お茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。

学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。

成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。

やりたい事がみつからいからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。

そんな後ろ向きな目標必死勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。

一般受験をする生徒は珍しいので、同級生先生応援してくれた。

ありがたかったけど、反面全然勉強してない罪悪感も辛かった。

結局第一志望のMARCHは落ちた。

現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学入学した。

就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。

でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。

時間だけは沢山ある中、ネットゲーム実装されたばかりの対人コンテンツランキングに入ることが出来た。

ゲームのフレンドから賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。

そしてなにより、自分名前ランキングボードに載っている事が最高だった。

一度ランキングに載ってからはそれまで以上に時間を費やした。

ただ、それも長くは続かなかった。

コンテンツ人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。

声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。

ゲームですら努力はできなかった。

ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。

留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学中退した。

兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIer就職した。

面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。

最初に配属された現場プログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。

中高と体育会系部活所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。

それなりにこなすだけで雇用元の社員にも気に入ってもらえた。

「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。

何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。

小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。

契約期間も終わり、次の現場通信系の検証業務だった。

プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、

メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。

これもそれなりにこなすだけだったけど、最初倉庫整理よりかは給料がよかった。

今まで買えなかった漫画ゲームを買える経済的余裕もでてきて、

毎月の給料で今まで金銭理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。

ゲーム漫画楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。

それなりにこなして、小さなチームのリーダーにもなった。

といっても特段業務内容に変化は無かった。

このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。

けど、変わった。

年末山手線高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。

テレビCMを見てそんな感覚になったのは初めてだった。

「あ、これがやりたいことだ」と感じた。

これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。

言い換えれば、自分存在を認めてもらいたい、つまり承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。

から目立ちたがり屋だった事、ネトゲランキング名前を残すことに躍起になっていたこからも、人より承認欲求特に高いのかもしれない。

"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。

なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。

具体的ではないけど、夢に近いものテレビCMを見て気づいた。

義務教育プログラミングカリキュラムが導入されているこの時代スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。

どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。

Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。

きっとここから努力するってことなんだろう。

特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ち言語化してみたくて書いた。

やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。

文化祭映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子舞台俳優になってた。

Facebook自体がそういう場所から、というのはあるかもしれないけど、いまだみんな輝いている。

もし、何かみんながわかるようなものを作って残せたら、またここで報告したい。

大学入学してから周りの人は新たな人間関係築いてていろんな体験してる

高校の時陰キャ仲間だった友人も広い交友関係を持っている

それに比べて自分は家に引きこもってばかりです 友達もいません

しにてえ しにたいわ

試験前に遊んでた話が苦手

入試の前日までゲームやりこんでた

1日目の試験のあとゲーセンに寄って遊んだ/どこかへ遊びに行った

…けど、受験合格した。

自分の周りではそんな話をよく聞く。

高校の友人にも、大学の同期にも何人もいた。

そういう話を聞くたびになんとも言えないつらい気持ちになる。

それまで沢山勉強をしてきた人もいるんだろうというのはわかっているので、それと比べ試験前に余裕を持てるほど勉強効率よくできなかった自分をみじめに感じてるってことなのかな。

ギリギリまで勉強をしていた自分バカにされてるように勝手に感じてるだけ?ただのひがみ?

2019-01-19

anond:20190119205041

ああ、確かに高校時代制服着せてことにおよんだりしてますがw

勉強目的でない留学生について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00000030-asahi-spo

勉強目的でない留学生についてヤフコメでも批判的な意見が強いように見えるので、もうちょっと冷静に見ようねというスタンスで書いてみる。

まず部活動について、学校宣伝活動になっているとの批判があるが、

学校において部活動以外のどんな活動もすべて宣伝になりうる活動だ。

進学実績は?修学旅行先は?

「最低限」を超えたサービスはすべてそうだ。

この学校では交換留学生をやってるよ、というのも宣伝材料の1つだろう。

日本から海外留学していく学生だって、本当に向こうの高校数学を修得したのか?

南北戦争について十分に学んで帰ってきたのか?



次に生徒や保護者について、勉学を目的として高校に来る生徒がどれだけいるというのか。

大多数は「なんとなく」「普通人生を歩むため」だろう。

「本気で部活をやりたいから」も勉強を主目的とする人と同程度いるはずだ。

大学進学のため」だって部活の反対側に位置しているだけで、本来は怪しい立ち位置だ。




部活動改革が叫ばれ始めて久しいが、結局のところ部活動は大きなニーズであることは変えられない事実だ。

部活動が感動を呼ぶ側面は否定できないし、今テレビをつけたら「スポーツ王だってやっている。皆スポーツが好きなんだ。

保護者だってそういう人生過去に歩んできたのだ。

大成しなくとも、部活動に打ち込んだ高校生活を子どもに送らせたい保護者はたくさんいる。

勉強なんぞよりも、という保護者がどれだけ多いことか。



それならば公的予算を減らして、代わりに大会の入場料を取ることを認めるなどして半営利化をすることで、

学校名前を冠したままクラブチーム化すればいい。

どうせ金のかかる部活はこれまで通り部費が多くかかるし、多くの並の選手からは多く金をとって

実力のある選手には部費免除学費免除、謝礼金給付などで還元するだけだ。

各自治体や学校法人の財政状況は少し好転するし、クラブチームとして戦う気の無い学校は「楽しくスポーツ」に移行していくだろう。

生徒や保護者利益にも繋がるし、部活しか興味のない体育教師社会科教師は初めからクラブチーム指導者に職を求め、

教科指導純粋に追及する教師が増えて学習体制は充実していく。


学校と切り離してクラブチーム化、という意見はよく見るんだけど、

学校所属したまま営利活動としてクラブチーム運営していくというスタンスはあまり見ないので

結構いい案を考え付いたと自負しているのだけど、どうだろうか。

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

あおぎり高校ゲーム部すき

女と女の関係性が描かれたフィクション大好きだから、これも好き

ゲームプロジェクトも好きだけど、あっちはどうも異性愛をプッシュしていきそうな雰囲気がしてるからなあ(とか書いてたら、部長がみりあちゃんしゅきしゅき演劇投稿されてたはにわかですまん)

町田総合高校体罰とか言って、町田総合高校やろ、クズ学生大集合やん

これ教員全員辞めてしまうぜ

anond:20190119134259

大学高校でやってるよ。

地元国立大キャンパスならほぼまちがいなくやってるよ。

いじめ被害者大人になるまでの話

もし良かったら読んでください。

私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。

髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。

背中ニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)

小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。

今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識攻撃性もなく、学校先生家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まい5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。

家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜冷凍食品ばかりだし誕生日ほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテスト定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲーム必要ものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。

母の少女趣味で、4歳からバレエピアノ習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。

そんな子供だったから、小学3年生のとき給食牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。

私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識シフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。

いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。

運悪く、担任先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児クラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。

たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分下駄箱に他の男児上履きが突っ込んであった。

これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履き適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。

そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「何してるんだぁ!」と担任一喝すると、クラス中の注目が集まった。

みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。

担任に話を聞いてもらい、事態理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。

私は他のクラスメイトとは自分感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。

自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。

友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。

成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導いただき都道府県公立トップ高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分いじめなかった。とても驚いた。廊下男子にぶつかったとき気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。

中学生ぐらいからは、部活友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通友達や仲間ができた。

しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分高校からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。

流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。

頭の中の時間感覚おかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。

結局ほとんど絵も学問勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生身分となった。

浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。

高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。

それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市地方公務員として働いている。

陰険上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれ毎日が過ごしやすい。

20歳からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正マメにかけるようになり、あれほど男子不細工キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。

過去のことは忘れないと思う。

というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。

幸せ子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。

今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。1020年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分人生を大切にすべきだった。

そういうことは、大人になってから学んだ。

anond:20190119113658

やる気で育ちや遺伝特質が変わったりしません。

海外留学には向かないないが努力のすえ高校卒業する称賛されるべき人もいます

センター試験とか受験など、いわゆる普通高校大学受験というものを受けたことないので、毎年なんでそんなに世間的に騒ぐのかあまりピンと来ない。

多分その「センター試験とやらに合格すれば入学できる」という部分までは分かるけど、センター試験のものがあまり分かってない。

かく言う私は色々な事情により通信制高校しか行ってなくて、言わずもがな頭悪い方ではあるんだけども恥ずかしい話、根本的に大学入学する方法を知らない。

私が高校入学する時にやったテストは、普通高校受験受けている人や世間的にみれば特殊で、簡易的なテストだったので世の中の受験生が受けている苦労は分からない。

この時期になって、試験日間違えたり合格点に届かなくて受験に失敗し、荒れる人もいれば場合によっては自殺する人もいるけど、そこまで人生かかっている事なのか…?

2019-01-18

精神科に行こうとして3年が経った

アホかよ

予約しても予約しても

当日になると行けない

当たり前だろ

こっちは発達障害だぞ

6畳の部屋は寝るとこ以外ゴミで埋まってる足の踏み場がないとかじゃない

ゴミ天井まで行ってる

そんな俺が3ヶ月後の予約なんて覚えてるかよ

仮に覚えてても当日になって行けると思うなよ

こっちは33になって職歴なし童貞友達なんてもんは高校から一人としていない

面と向かって人と話したのなんか十年以上前

おそらく発達障害だけじゃなくて社交不安障害とか

鬱とか躁鬱とか余裕で併発してんだよ

こんな状況で医者の診察が一回辺り3ヶ月ってなんだよ

ふざけんな

俺に死ねってか?なんとかしてくれよマジで

日本死ねマジで

2019-01-17

anond:20190117181453

一応はそんなやつに来られても困るから入社試験簡単計算とか閃き問題みたいな筆記テストやってるんだけどな・・・

でも高校とか大学にも、なんでこいつ進学できたんだろうってやつがいたじゃん

たぶんその枠

鍵垢全部消した

持ってる鍵垢を全部消した。

思いつく限りでも、高校用鍵垢を作ったり大学サークルごとに鍵垢を作ったり、その中の特に仲の良い人用にさらアカウントを作ったり。気づいたら6個ぐらいアカウントができていた。

鍵垢では、自分自身恋愛就活の悩みを書くことができて、一番フォロワー数の多い公開アカウントでは言うことができないようなことを書くことができた。仲のいい友達からいいねをもらうことに承認欲求を満たせている感覚がありどんどんのめり込んでいった。「ここでしか言えない話」を共有することによって、仲が深まるような気がしていたのもある。今思えば中高生グループLINEみたいなものだなこれ。

だが「何でも書けてしまうこと」によって、ネガティブなことばかり呟いて精神状況が悪化してしまいそうになったり、本垢フォローしている人が鍵垢にリプを送ってきて、身バレ危機の予感がしてきてしんどくなってきた。そう感じるうちに、なんか鍵垢でしか叫べない自分がみっともなくなってきた。仲のいい人にはLINE相談するか会って話せばいいじゃん。

そんなわけで消した。

最初は少し寂しいかな、という気がしていたが実際に消してみると、「なんでこの人とかにあんな私の恥ずかしい情報を垂れ流していたんだろう」と思えてきて、スッキリしてきた。鍵垢を作りまくって信頼できる友達がいっぱいできたように思えたけど、実際そんなことはなかったのかもしれない。

しばらくしたら寂しくなってまた作りたくなるんだろうけど、今のところは悩みがあったらLINEで話すか実際に会って話す感じにしようと思う。

2019-01-16

感謝するばかり

いまの仕事の適正が一定以上あって本当に良かった

しかも、将来を考えていた訳ではなく趣味たまたまそうなった

あるレベルまではただ夢中になっていただけ…

高校入ってから勉強しなくなった低学歴なので、もしそれがなかったら今頃ワープアほぼ確定だった

anond:20190116220600

「私は友人に囲まれた恵まれ高校時代を過ごしました」って言う自慢か?

何が同窓会だクソが

anond:20190116212805

そんな病理ないよ

体罰のある場所は殴られないことしか考えなくなるというのは有名だけど民間高校大学はそんなのないよ

中学英語高校英語はなぜ分かれているのだろうか

金持ちの親に言いたい

子供学食があって屋上への立ち入りが自由生徒会権力が異常に強い高校に入れてやれ

そして高校三年間の間は子供一人だけを自宅に残して海外出張に行け

子供のためだ

これからの予定

大学に入ってみて思ったのは自分には向いてないってこと。高校先生達の情けで留年は免れてたけど大学ではそうもいかないらしい。

前期は出席だけしてレポートテストもテキトーに書いた。何事にもやる気が出ず倦怠感がずっとあった。当然だけど単位は片手で数えるくらいしか取れなかった。大学に呼び出され親にも連絡が行ったらしく、夏休みに親と色々話して大学は辞めても良いよって言われた。

後期もずっと怠くて体が重かった。でも前期よりはマシでレポートテストもやれるだけはやった。結果が少しずつ発表されてておもったより単位がとれてる。それでも留年になりそうだ。親は「お金は出すけどやるのはお前」と言うだけで相談しにくい。

誰も居ないところで少し休みたい

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