はてなキーワード: 東日本大震災とは
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
インガオーホーだヨ
(一方のジャップランドはジャニーズとビッグモーターで大変だけどネ)
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
もう10年以上前の話をするのを許してもらうとして、2012年に
「2011年3月11日、東日本大震災の後に発生した福島第一原発事故により、広範囲にわたる放射能汚染を引き起こした。その収束に向けての対応、また避難者・被害者への保障についても、2012年7月現在も不十分といわざるを得ず、日本全体の社会、経済に多大な被害を与え続けている。また農地や海、川や山という自然環境そのものの放射能汚染は、今後数100年、数万年にも及ぶため、人類・自然環境への影響は計り知れない。」
という理由で東京電力がブラック企業大賞にノミネートされてたんだけど、それって労働者関係ないよねと思ったし、労働問題の研究者である濱口佳一郎氏もブログで疑問を呈してたんだよね。
「東京電力はどういう理由でブラック企業なのか?(hamachanブログ EU労働法政策雑記帳)」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-c8f4.html
こういうのがまさに「そういうとこやぞ」で支持を失う原因なんだろうね。
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
うちも親父が陰謀論に浸かりかけていた。
◇経路は2つ
複雑なことに、一定の年以上の人は「テレビ=実際を映す箱」という風に潜在的に感じているようだ。陰謀論にハマった人はテレビの情報は「悪!」と断じて見てないように思われるが、実態として、高齢者は膨大な時間をあの箱に捧げてるし、ボタンの配置にまで気にしていない。
テレビ番組も東日本大震災以降はかなりディフェンシブになってて両論併記でふわっとした内容になっている。そこで、一部界隈でそれなりに支持のあるYouTuberが「あなたに真実を伝えます」と話しかければイチコロだ。
上記のネット番組を見た複数の参加者が集まり、井戸端会議的にエコーチェンバーを形成する。
◇対策
①.ベタだが同居に近い形で乗り込んだ。
令和なのにリモコン争いをふっかけ、若さで勝利。BSの長閑な番組やNHKのアート系番組などを独占的に見て、毒気を抜いていった。場合によってはネット接続のボタンに細工して切り替えられないようにして「あれれー?おかしいなー?」と白々しく惚ける。
結局、口コミ共同体も話について行けなければ冷静に眺めるようになるので、多少の時間はかかるが、おすすめする。本人には悪いかもしれないが、元々陰謀論で繋がる仲間意識なんて、ネチズン並なので非行少年をゲーセンでボッチにするイメージでやった。
②.新聞をとらせた
年金暮らしの高齢者は情報インフラ費として、月々のネット料金を払うか新聞代を払うかを天秤にかける。まあ、なんならこっちが出すくらいの気持ちでやるといい。口コミ共同体になんとなく所属する位の知識はあるし、リタイア組には編集でフィルターのかかった情報でいいだろう。
どの新聞がいいかは各々に任せる。新聞を文句いいながら読むのは、当たり前の姿だと思う。
毒抜きには多少時間はかかる。相手が情報を得る接続元を押さえてあるので泳がしておく。ここで刺激すると、躍起になって接続しにいくので注意。風邪みたいなもので、薬飲んで温かくしたら、あとは寝て過ごす感じだ。
◇健闘を祈る
〈以下、追記〉
●いくつかブコメ稼ぎに返信
自分は情報系出身だが、「新聞で見出しはみたけど読まなかった記事」っていう逆張りしながら自身のリテラシーをチェックしてる。あと、当人から接続元を単に取り上げるのではなく、代替物を与えておくの大事だよ。エンタメという指摘は同意。
・同居に近い形
近くに引越して日常的に出入りしてるってこと。当初、高齢者が火の元をどう扱うか怖くて来訪していたが、発言の異常さに気づく流れ。火事や事故で他人まきこんで晩節を汚すのは勘弁してほしい。
・陰謀論の内容
他の親族にガン患者がいたため、反ワクは薄い。金融支配や政府のウソ関連かな。でも旧統一教会問題もジャニーズ性加害も“事実”だったな〜というくらいのスタンスだから、親父への対応は「それ新聞に載ってたの?」と返し続けた。
接続元を封じられてるから、相手もだんだん揺らいでくると思う。新聞は手元にエビデンスが欲しいだけなのでスポーツ紙でもいいよ。あとは相手が大問題(笑)を語るならBBCの無料のネットラジオを聴かせる。「ロシア・ウクライナ情勢とかめちゃくちゃ早いよ!英語の勉強にもなるし!」とか。
・エンタメ
ペットの世話、野良仕事、金のかからない新たな趣味、自己研鑽のための修練などが無いと、広大なセカンドライフは漂流してしまうみたいだ。あと、スマホの充電はリビングで家族皆するようにしよう。何事もほどほどが肝心だと思う
都知事が食べたのは放出前に水揚げされた魚だから意味ないっす。
⬇
この日のメニューは、福島県産のスズキや宮城県産のカツオ、ヒラメなどの刺し身、三陸産イワシのフライなど。刺し身を口にした小池知事は、「グッドです。フレッシュです。みなさんもぜひ召し上がってください」と話し、笑顔を見せた。
東日本大震災で被災した岩手や宮城、福島の魚介類や農産物の消費喚起に向けた取り組みの一環。水産物は、福島第1原発の処理水が海洋放出される前の、24日午前までに水揚げされたものだという。
(先に補足しておくと、これは私個人の考えであり、会社の総意ではありません。社内外でも当然、それぞれの考えや価値観があることだと思います。)
そもそも処理水をこのまま流せるのは33%に過ぎないので前向きな解決でも何でもない。
・ふくしまの魚は「常磐もの」(じょうばんもの)と呼ばれており、最高に美味いです。
・東日本大震災直後は、福島沖で漁ができなかったので我々鮮魚店は、福島“以外”の魚を売るほかありませんでしたが、その時に気付きました。
“やっぱ福島の魚ってうまかったんだな”って。
東日本大震災と震災と福島第一原子力発電所の事故から12年が経過しました。
この間、本県の沿岸漁業は漁船・施設等の復旧と試験操業に取組み、生産・流通体制の再構築と出荷した魚介類の市場等での評価調査を行って参りました。また、放射性物質の自主検査体制の構築と県等と連携したモニタリング検査により、福島県産魚介類の安全・安心の確保と情報発信を行って参りました。
これらの取組みによって、
1 漁船、漁港、市場等の生産・流通体制については一定程度復旧しました。
2 震災前に行っていたほぼ全ての漁法が操業可能となりました。
3 福島県沖の漁場については、一部の自粛海域を除き震災前と同様の海域が利用可能となりました。
4 放射性物質の検査体制が構築され、福島県産の海産魚介類の安全性が確保されており、また、令和3年3月末現在、放射性物質はほぼ検出されなくなっております。
5 出荷先都道府県数は、震災前とほぼ同様に回復しており、市場において一定の評価を得ております。
以上のように試験操業の目的は達成されたことから、令和3年3月末で試験操業を終了いたしました。
今後は、原発事故等の影響による、風評被害等で停滞した本県の水産業の生産・流通を震災前の水準に回復するため、作成したロードマップを基に課題解決を進め、地区毎、漁業種類毎に出来るところから、水揚量・流通量の拡大を目指します。
8月22日、政府の廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議において、ALPS処理水の海洋放出の開始が判断され、放出開始日は24日を見込むと公表された。
ALPS処理水の海洋放出開始は、国家的見地から国が全責任を持って判断したものと思料するが、これまで一貫して申し上げてきた通り、漁業者・国民の理解を得られない海洋放出に反対であることはいささかも変わるものではない。
一方で、IAEAによる「国際的な安全基準に合致する」とする包括的報告書や廃炉までの安全性確保へのコミット等、安全性における漁業者や国際社会への説明を通じて、科学的な安全性への理解は深まってきたことも事実である。
しかしながら、科学的な安全と社会的な安心は異なるものであり、科学的に安全だからと言って風評被害がなくなるわけでない。
廃炉に向けた取り組みは数十年の長期に及ぶことから漁業者の将来にわたる不安を拭い去ることはできない。
我々漁業者は、生まれ育った前浜で事故以前のように安心して漁業を継続することが唯一の望みである。
今回の決定は、廃炉作業のプロセスの一つに過ぎず、今後数十年にわたるALPS処理水の海洋放出に伴う国内外の風評被害や運用面も含めた安全性の担保等に対する国の対応を確認・見極め、緊張感をもって事業を監視しながら、最後の一滴の放出を見届けるまで、漁業者の受け止めは予断を許さない。
この間、国においては、科学的な安全性のみならず社会的な安心を確保し、本県の漁業者やその後継者が子々孫々まで安心して漁業を続ける環境が損なわれることがないよう、「漁業者に寄り添い、必要な対策を取り続けることをたとえ今後数十年の長期にわたろうとも、全責任をもって対応する」との岸田総理の約束を確実に履行していくことを、強く求めるものである。
小野崎雄一/おのざき4代目
@onozaki_1923
(先に補足しておくと、これは私個人の考えであり、会社の総意ではありません。社内外でも当然、それぞれの考えや価値観があることだと思います。)
・処理水の安全性は科学的に示されているし、第三者機関(IAEA)にもお墨付きを得ているのに、なぜ騒ぐの?
・処理水の放出反対を言い続けている人は、何か他の代替案はあるの?
・処理水の放出反対活動をするよりも、風評を起こさないような活動をして力を貸していただけないか?
・風評が起こっ“たら”、等のたられば論で未来の不安を煽ることが新たな風評に繋がるであろうことにまだ気づかない?
・福島だけの問題ではなく、日本国全体の問題だと思う。だからこそ、みんなで手を取り合って前向きな発信しませんか?
・ふくしまの魚は「常磐もの」(じょうばんもの)と呼ばれており、最高に美味いです。
・東日本大震災直後は、福島沖で漁ができなかったので我々鮮魚店は、福島“以外”の魚を売るほかありませんでしたが、その時に気付きました。
“やっぱ福島の魚ってうまかったんだな”って。
日本人のネット民もやばいので人のことは言えないがさすがに驚くレベル。
中国SNSが大荒れなのは想定内だったが、X(Twitter)まで大荒れなのはさすがにびびった。わざわざ壁越えしててそれなのかと。
「日本が汚染水を流したあと、未曾有の大地震が起こった」というデマが東日本大震災の津波の映像付きで投稿されると、多くの人民が「天罰!」「日本人全員死ね!」と大喜び。中国の外交官も「これは偶然でしょうか?」と反応。
「中国は日本よりも大量の汚染水を海に垂れ流している」という(同じ人民の)投稿に対し、「これはプロパガンダだ」と猛批判。IAEAの発表についてもプロパガンダ認定。
・日本語が読めるのに読めない
在日ウクライナ人の「政府が隠そうとしてる事実。実は処理水にはDHMO(一酸化二水素)という液体が多く含まれている。人間が吸引すると死亡するだけではなく、防虫剤や殺虫剤の主成分であり、鉄を錆びつかせる程強力なもの。原発でよく使われ、2011以降、日本全国の水道水にも確認されてる。一酸化二水素で海を汚さないで!」
というジョークツイートを引用し、「ウクライナ人だってこの件を不安に思っている」と拡散。
せめて内容を読んで…
一方でわりと冷静な人民もいる。
「安全な水なら飲めと言うなら、中国が海に薄めずに流している工業排水も飲めばいい。海に流しているなら安全なはずだ。そうしてくれたら説得力が増すので黒い水をガブ飲みしてほしい」
「自国がだめなものを普通に海に流しているので、日本が海に流すものもだめなものだと思ってしまうのでは」
「国内の専門家がまだ出てこないのが不自然で不気味だ。日本を批判するため化学的に間違ったことを言うと化学者としての信頼を後で失うことになるからでは」
「自国の大気の中で毎日ご飯食べてるから身体はかなり丈夫なのはずなのに気は小さいんだな」
「囚人が頑張ってるね(中国は囚人にネットに工作的な書き込みをさせているという噂がある)」
など…
お疲れ様です。
増田です。
mixi, Twitter, Facebook ニールセン調査によると
その後、逆転されますが2010年8月に抜き返してからは利用者数では
常にTwitterがmixiを使用者数で上回った状態が続いています。
mixi:13,211千人
mixi:1864百万分
とmixiが圧倒的に「視られている」メディアだったのは間違いありません。
ただし、基本的に文字と画像をツイートする以外の機能がないTwitterに対して
mixiはゲームプラットフォームとしての強い役割も持っていたことは特筆しておくべきでしょう。
使用者数ではTwitterを下回っていたmixiですが2011年2月調査時点では1割程度の差であり
「mixiはとっくに廃れていて誰にも見られていなかった」
「当時は既にTwitterの圧倒的な天下だった」という事実はありません。
というか2011年2月時点では「写真共有サービス」として開発が行われており、
ここのブクマ米では、日本では寄付は偽善と叩かれるから寄付をする人が少ないって意見が多いけれど、
それって本当にそうか?
自分は寄付が偽善と叩かれてるのって、さっぱり見た記憶ないんだよなあ
試しに「寄付 偽善」で検索してみても、「偽善や売名と言われるけれどそれでもやる」みたいな有名人のインタビューが出てくるくらいで
日本で寄付と言えば東日本大震災辺りから沢山見掛けたけれど、どれも大体称賛一色で、よほどの事がない限り偽善なんて言われてないと思う
日本で偽善認定されるのって寄付がどうとかじゃなくてとにかく「左翼っぽいもの、リベラルっぽいもの」じゃない?要は日本赤十字とかcolaboとかさ
とにかく綺麗事っぽく見える対象だと偽善認定されるし、その反対で地位や名誉のある有名人の寄付とかは寧ろ称賛されてるイメージしかない
俺は40代。俺が小学生の頃の流行りの本ってさ、バブルの残り香のせいで、とにかく浮かれてオシャレだったんだ。旅先で食べたカツ丼が美味しかったからタッパーに詰めてもらって高速をタクシーで恋人に届けたりするんだぜ。サラダが美味しかったから記念日だとか。自分が住んでる田舎にはない世界がそこにはあると思ってた。ホント、都会スゲーって思ってたよ。歌の歌詞も浮かれてたな。ゲレンデが溶けるほど恋したいとかさ。
田舎にいたって、あれが幻だったのはわかる。
あの頃乱立したゴルフ場はさびれ、たくさんできた温泉宿は建て替え時期だったのもあって東日本大震災で宿を畳んだ。
でも、東京にいけば、あの空気がまだ残ってるんじゃないかって思ってる自分がいる。
現実はといえば、若者はタクシーでカツ丼を届けてもらうどころか、ウーバーイーツの配達員で自転車で届ける側だ。貧乏人はゲレンデが溶けるほど恋するどころか、格安バスツアーでバスごと谷底。
そろそろよくね?
ほそぼそとやるのはいいよもちろん
______
バズったから何か書こうかな
年表でも書くか
|(53年)
|(25年)
|(4年)
|(9年)
|(4年)
|(9年)
色々
20世紀後半はその後悔の半世紀って感じだったけど
・ボランティア行って怪我したり、体調崩したら自己管理できないやつはボランティアすんなって叩かれる。
・良かれと思ってやったことが裏目に出たら、無能は余計な事するなと叩かれる。
・相談されたので無い知恵絞ってアドバイスしてみたら、アドバイス罪と叩かれる。
・怪我した子供の手当をしていたら泣き出して、子供の親に不審者として通報される。
・倒れていたお年寄りに心臓マッサージや人工呼吸を行ったら、そのせいで死んだと遺族に訴えられる。
本当かどうか知らんけど、こういう話がネットで定期的に出てくるよね。
こういう話題が定期的に蔓延するせいで、日本って人助けやボランティアやるハードルがやたら高くなってない?
東日本大震災の時のボランティア行くなら自前で水や食料に医薬品、寝床の確保まで全部準備しないと現地に迷惑がかかるって話が未だに尾を引いてる感もある。
体力に自身がない人、経済的余裕が無い人はボランティアなんてやっちゃダメって風潮あると思う。
ボランティアに限らずちょっとでも相手の迷惑になったら、迷惑になる可能性があるならそれは人助けじゃないって考える人かなり多いと思うんだよね。
「余計な事するくらいなら金を出せ」
人助けしようとしたけど上手くいかなかった人にこういう言葉が投げつけられて、ボコボコに叩かれる社会で他人に親切にしようって考える人ってそうそう居ないと思うんよ。
まあ他人の干渉が嫌で嫌でたまらなくて都会に出てきた人は、今みたいな風潮を喜ぶべきなのかもしれない。
親切とか人助けって受ける側からすれば、他人からの干渉以外のなにものでもないからな。
赤の他人に自分に都合の良い干渉だけして欲しいってのは、流石に自分勝手過ぎる。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
戦争だああああああああああああ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る