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はてなキーワード: 形態とは

2018-10-18

anond:20181018134100

いやあれを枝とは呼ばんでしょ

さやじゃん

あの形態エンドウマメサヤエンドウじゃん

anond:20181017185657

その友人は「丼物」が男性社会において最適化された食のありようだと考えているのかもしれない。

だって丼物って、その形態どんぶりを手に持って掻き込むように食べるファストフードから一般的に体格の劣る女性の手では、どんぶりを持ち上げるのも辛いし食べにくい。口のサイズ的にもつらい。結果として、男性なら一口にほおばって食べられるご飯の上の具をちまちま小分けしたりかぶりついてかみ切ったりする見苦しい食事行動を強いられ、また、持ち上げられないどんぶりテーブルに置いたまま犬のように食べる屈辱的な姿勢強要されることにもなる。このような丼物が安価で広く提供されており、これを避けると自社近くでの食事選択肢が大きく減るのは、男性原理社会の表れである

その友人が男性女性か分からないが、その人が「女性丼物を食べている光景が許せない」のは、このような屈辱的な状況を女性に強いている社会への憤りである可能性はないだろうか?

…とまあ、無理矢理擁護するとしたらこういう方向かな、という練習

2018-10-16

anond:20181016094435

さ、誘い方のイチ形態なんですか?勉強になるーーーー!!きっと増田のお父様も、そうやってお母様を誘って増田ができたんですね(^^)サラブレッドって感じしますもん!

anond:20181016094308

そのライムも誘い方の一形態だろ。

おっさん実力行使にも出てないし、脅迫もしてないだろ。元増田脅迫したけどな。

2018-10-15

『よう実』見たせいで色々怖くなった

ようこそ実力至上主義の教室へ(以下:『よう実』と表記)』というアニメがある。

まりアマゾンビデオが勧めてくるので1話と2話冒頭だけ見た。

端的に言えば中高生向けディストピア作品という感じ。それに昔天海祐希がやっていた『女王の教室』の要素もちょっとまれいるか

中学生時代特撮ヒーローものに復学した派生としてエヴァンゲリオンのようなアニメに興味を抱いたのだが、そのころの自分に見せたら一発でのめり込んでいたことだろう。

まあ自分実家のある地域田舎過ぎて放送されていなかったんだけど。

 

ここからが本題なんだけど、『よう実』を見ていたら現代社会が急に怖くなってきた。

『よう実』の舞台一般社会から隔絶された全寮制の高校で、スマホ型の端末に電子マネー支給される。

その電子マネー学内にある娯楽施設など(服屋とか映画館カラオケコンビニゲーマーズ風の店)で使うことが出来る。

んで1話ラスト、「お前らの態度悪すぎだから電子マネー支給基準を満たしてない。だから1円もやらね。」みたいなことを担任教師が言い放つシーンがある。

あのシーンで感じたことは、「態度の悪さ」というのがどこまでを示すのかということである。ついでに担任遅刻欠席私語携帯弄りを例に挙げていた。

2話冒頭では「リアルタイムで生徒の動向を把握している」というセリフもあった。

まり「態度の悪さ」というのは授業態度の悪さももちろんあるだろうが、電子マネーの使いっぷりや私生活の悪さも「態度の悪さ」として勘案されている可能性があるということだ。

例えば電子マネー舞台となる学校では学校支給電子マネー以外では買い物することは出来ない(学内諭吉などの現金を扱っている描写もない)。

生徒の動向を担任関係者つけまわしているという描写もなかった。

ということは考えられることはただ一つ、生徒一人一人の電子マネー利用実態支給基準を決めるところに筒抜けということである

言い換えれば生徒の消費行動を通じ、学内統治者(?)が生徒の一挙手一投足を監視しているのである

加えて生徒に支給される携帯端末は通信機能も有し、おまけにカメラまで搭載している。

これらの端末を使えば生徒間のやり取りや寮(劇中の寮は普通ワンルームマンションみたいな感じだった)での行動まで丸裸なのではないか

それらのビッグデータ総合し「お前ら態度悪いか電子マネーやらねー!クソして寝ろ!!!」ということも可能なはずである。というか授業態度だけでは「態度が悪い」と断言できないはずである

携帯端末や電子マネーデータが筒抜けで、それらがクラス単位でのビッグデータとなり「態度が悪い」と判断されたと考えるのが自然であろう。

 

翻って現実社会ではどうか。自分電子マネー日常的に使っている。(関東在住なので)PASMOを使ってバス電車に乗っている。

やろうと思えば『よう実』世界のように自分の行動を一挙手一投足監視することも可能ではないか

少なくとも「最寄り駅は○○駅」とか「コンビニキオスクではよく××新聞を買っている(から政治思想はこうだ)」といったことは筒抜けである

また、自分は幸いスマホガラケーは持っていないが、デスクトップパソコンは持っている。そうしないと増田には投稿できないし、アマゾンも使えない。

アマゾンビデオを見られるということはアマゾンプライムに入っている。実際、アマゾンでよく買い物をしている。今日ティーパックをポチった。

dアニメストアにも入っている。使う検索エンジンFirefoxデフォルトGoogleだ。Youtubeだってよく使う。

アマゾンGoogleYoutube、dアニメ、これら4つのサービスの利用履歴を洗うだけでも趣味嗜好や行動形態は相当絞り込めるはずである

その結果『よう実』世界のように、「この人の態度は悪い」「この人は社会不適合者だ」といったことを閲覧・検索・購入データから判断される可能性もなくはない。

スマホに至っては常時身につけて歩くものであるGPSカメラ機能でどこにいるかといったことまでもが筒抜けになるのは想像に難くない。

 

2話冒頭まで見た感じだと、『よう実』は監視社会は身近に迫っていること、またそれを可能にする事物はもうすでに日常に潜んでいることをテーマにしているように感じられた。

精神疾患を患っており、ここ一年で何度も警察のお世話になった身である警察としては監視対象にしたい人間であることは疑いようのないことだ。

その際、日々使っているサービスにより監視されてしまうことが起こってしまうのではないか…といろいろ気をもんでいる。

いっそ東京の自宅を引き払い、パソコンイエデンワも捨て、回線も解約し、セオドア・カジンスキーみたいに山奥の掘っ立て小屋で一人暮らすしかないのではないかとすら感じている。

anond:20181015164231

それって資本主義が導入されて別の形態奴隷ができたから成立したんでしょ?

女についてはまだ代替的な奴隷はないから無理じゃね?

anond:20181015125057

>「MSが登場してそれに色々な人が乗る」というMSと言う”フォーマット”と言うか”パッケージ”というか、それだけが共通ってことなのか?

この論理定義するなら、"GUNDAM"という名前と、似た形態例外は多数あるけど、基本的に二本角+ツインアイ)が共通になると思う。

例えば、機動武闘伝GガンダムだとMFモビルファイター)って名前になってるし、SDガンダムでは基本的に人が乗らない(ヒト科などの分類の一つにガンダムなどがある感じ)。

2018-10-14

anond:20181014222339

町の電気屋さんとかはもう店に商品置かないで、ほとんどは注文受けてから取り寄せるらしいね

電気屋ならその形態メリットあるだろうけど本屋だとどうだろうか

2018-10-13

anond:20181013125559

社会進出を阻まれ続けた女性が全体として力をつけるには時間がかかるだろう。過渡期の今はいまだに女性社会進出を阻む人間がいる限り多少の優遇措置大臣女性枠など)をしてでも女性社会進出を後押しする時期なんだろう。ただ、女性男性同様に力そつけた後の社会は当然離婚率は上がり、伝統的な家族のかたちは崩壊するだろう。人は皆神のもとに平等すべからく神の子であるという思想欧米と異なり、血縁家族重要視する日本男女平等社会となった中でどのように子育てしていくのかは興味があるところだ。キリスト教圏ではこのような思想によりステップファミリーでも日本人よりも抵抗なく家族になれるようだ。男女平等子育て支援が充実する社会では婚姻継続率は低くなるだろう。わざわざ結婚という形態をとることも減るだろうし。親になっても一人の人間として仕事恋愛自由であるべき、という社会子供たちにとってはどうなのだろう。子供たちもいずれ大人になるわけだから、望ましいと考えて良いのだろうか。それに、大人の方も子育てを生きがいとすることはできなくなる。仕事趣味恋愛...なんでも良いけれど、自己実現自分で探さなければならない。俺は子供たちのために生きていて、何物でもない自分に、彼らの父親という他の誰かには代のきかない役割を与えてもらったことに感謝している。子育ては、自分の全てを捧げなければならないということはありがたいことだと思っている。他になすべきことを自分で探す必要がなくなるから。どんな社会になっても全てが満たされる社会にはならんだろう。だから何を選ぶかだよね。今、自分たちが何を選択するか。

2018-10-11

日本社会学における査読論文価値研究者評価大勢

備忘録程度に

社会学における査読論文位置

一般に、日本社会学において査読論文は重視されます特に、若手にとって査読論文を出すことは研究業績を重ねる上で、非常に重要であると考えられています

ただ、以下の三点が一般的な「アカデミア」のイメージとずれているため、わかりにくいところかなと思います

雑誌の格が厳格に決まっているわけではない

日本社会学においては雑誌の格が明確に決まっておらず、これがIFやh-index論文の格がある程度自動的に決定される理系(+経済学)と違うところです。

たとえば、おそらく日本社会学で一番格が高い雑誌日本社会学会が発行する『社会学評論』でしょうが、これに掲載が決まったからと言って、マーケットにおいてダントツ評価が高くなるということは無いですし、掲載率も25%程度とそこそこ高いです。

一方、関東社会学会が発行する『年報社会学論集』や関西社会学会が発行する『フォーラム現代社会学』なども掲載率は同程度ですし、評価もされると思われます。つまり査読論文の質がジャーナルの格によって決定される、という仕組みが弱いです。これは社会学領域多様性手法多様性+後述する国際意識の弱さに起因していると思われます

また、『思想』『現代思想』といった一部商業雑誌や、『ソシオロジ』『ソシオロゴス』といった同人誌に近い形態を取る査読雑誌が、ある程度の評価を受けているという点も特殊かな。

依頼論文査読論文より偉いということはないが、同程度の評価はされる

依頼論文査読論文より偉いというのはまず無いと思いますが、一方で依頼論文評価されないということもないです。一般に依頼論文査読論文と同程度の評価を受けているかと思われます

ただ、依頼論文の質がピンキリだというのが所感です。

なぜ査読論文を書かずに本にしたがるのか

エライ社会学者ほど査読論文を書きたがらない、というのは事実です。というのも、彼らは自分の考えたことを本にしてまとめてしまうからですね。

ではなぜ本にしてしまうのかというと、査読を受けたがらないというのも確かにあるのですが、概ね①社会学ギョーカイ一定程度の市場があり、エライ教授がまとめた(キャッチーor教科書になる)本は出版社としても出したがる傾向が依然としてある②査読プロセスが長い(半年-2年)ため、自分の考えをとっとと出せる本のほうが魅力的③先述した社会学領域多様性手法多様性により、査読による集合知が先駆的研究場合働きにくい場合があるという点のほうが大きいかなと思います

特に特殊なのは①ですね。この日本社会学の市場の大きさが与えたアカデミズムへの影響は、無視できないと思います

なぜ日本社会学は国際化されてないのか

日本社会学がどちらかというと内向きな傾向にあることは否定出来ないと思います比較的国際化が進んでいるのは計量分析が盛んであり、アメリカ社会学親和性が強い家族人口ネットワーク社会学の一部と、伝統的に留学風潮の強い学説史・理論でしょうか。とはいえ後者はいわゆる「国際化」とはずれてますが。いずれにせよこれら以外の領域では、英仏独語論文を書くという行為はあまり一般的ではないです。

ではなぜ内向きなのかというと、前述したように社会学比較的まだ「売れる」学問から、というのが大きいように思います。つまり国内マーケットの中で、研究にせよ知名度にせよ院生にせよある程度獲得できてしまうという現状が、外に目を向けない元凶かなと。

もちろん社会学という学問が、もともと世界的な共有知を探求するというよりも、個別特殊的事例や、異なる側面から理論体系を構築する研究を好む傾向があるということも大きいでしょう。

ただ、国際化されてないからと言って国際化が評価されていないかというとそういうことはなく、IFを持つ海外査読誌に論文が載ることは、希少故に非常に意義があるものとして認められています

社会学ムラにおける研究評価

上記したように、社会学においては論文の格は雑誌によって決定されず、査読論文と依頼論文区別曖昧であり、内向き志向である。とすれば一体研究評価はどのようになされているのでしょうか?

この問に答えるのは容易ではないですが、平均的な回答をしておきます

博論単著の出来

まず重要なのはこれで、博論単著が出せるか、出したあと評価されるかは、研究個人評価に決定的な影響を及ぼします。

一部大学院で未だに課程博士をなかなか出したがらないのは、これも影響しています。つまり単著で出せるような博論でないと、そもそも就職が覚束ないという考えなんですね。

同様に、単著就職の際の評価点として重要です。

査読論文の数

査読論文の格が特に決まってないとはいえ査読論文重要評価対象とみなされているということは、先述したとおりです。ですので、いきおい査読論文の数は、若手研究者の就職にあたって非常に重要です。いくら良い博論単著刊行できたとしても、査読論文がない研究者が就職することは(比較的)難しいでしょう。

ではどのくらい必要なのかということですが、だいたい就職までに3~4本(紀要除く)書いているのが一般的なようです。

なお、海外著名ジャーナルや『社会学評論』に載っていると、当然その分評価されますが、評価が格段に良くなるということは無いように思います。これが「格がない」という言葉事実であります

最後社会学ムラ内での振る舞い次第…

どういうことかというと、結局いくら査読論文重要とはいえ、それ以外の仕事というのも社会学では評価対象となります。つまりムラのネットワークの中で、いか仕事(ブックチャプターや非常勤講師など)を貰えるかが、結果的研究評価において非常に重要ファクターとなるんですね。コネ採用されるというのはほぼなくなったと思いますが、未だに特定大学院生比較就職やすいのは、あるネットワーク所属していると、比較研究業績を増やしやすいということもあると思います。こうした状況の中で若手研究者は業績を稼ぐために媚びへつらい、顔を売り、己が付き合っていて気持ちがいい人間であることをアピールするために、愛想笑いを浮かべながら査読論文抜き刷りを配り歩くのです。

とはいえ、これは一般的な「社会」でも一緒ですからなんとも言えないですね。とかくこの世は世知辛いアカデミアがコミュ障楽園だと思っていたら、実はベンチャー企業営業類似スキル必要であることを痛感するのは、博士課程進学後になってからなのです。

ちなみに一部の大学ではこうした制度公的に備えているところもありますが、これは先述したネットワークが発達した大学への対抗実践として見ることもできるでしょう。

なお社会学ムラ内でのふるまいのコードは、一般的な民間企業とも、いわゆる「アカデミア」の無縫さとも異なる独自の体系があるのですが、それは省略

問題などありましたら、ご指摘ください。あくまでも個人的意見です。

anond:20181011135841

調べても、利用許諾で済ませている場合が多いとは出てこないけど。

出版権設定契約

日本出版界では最も一般的契約形態

http://www.jepa.or.jp/ebookpedia/201701_3374/

(2) 日本書籍出版協会ヒナ型を使用、また修正して使用している場合、その書協ヒナ型の版(回答総数85社)※複数回答

a. 2010年版紙+電子書籍出版権設定契約書(18社 21.2%)

b. 2010年版紙+電子書籍の独占許諾契約書(7社 8.2%)

c. 2010年電子出版契約書(7社 8.2%)

d. 2005年出版定型契約書(51社 60.0%)

e. 2005年著作物利用許諾契約書(6社 7.1%)

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/denshishoseki/11/pdf/shiryo_4.pdf

最初増田提示した資料でも、

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/denshishoseki/10/pdf/shiryo_4_1.pdf

アメリカにおける典型的出版契約

著作者は、出版社に対して、あらゆるフォーマット、あらゆる言語によって当該著作物を複製し頒布する権利、及び第三者にそれを許諾する権利を、現在及び将来の法律における著作権保護期間および更新期間のすべてにわたり譲渡(grant)する。

日本における出版契約の現状

出版権設定を除き、権利移転はない。

やはり、むしろ出版権だけ出版社に譲渡されて、それ以外は作者が持っているというのが日本式で、

それだとアメリカでは「出版社が権利者と見なされない」から情報開示請求もできない、という話じゃないの?

実質的少女架刑

少女は自らを語ることができなかった。

何人かの男が現れ、立ち去り−−

少女は状況を語る言葉を持たなかった。

男たちが集まって言った。

我々はついに究極の言語を手に入れた。

我々の情念の焼却に最適化された

神聖表現、もはやいかなる規制にも縛られない

真なる自由、至高の形式

女たちが集まって言った。

私たちはついに究極の言語を手に入れました。

私たち情念の焼却に最適化された

神聖表現、もはやいかなる規制にも縛られない

真なる自由、至高の形式

しか少女は自らを語ることができなかった。

何人かの男が現れ、立ち去り−−

少女は状況を語る言葉を持たなかった。

その物語を語る言語

与えられたことはなかった。

また男たちが集まって言った。

そこ、では

すべての情欲の組み合わせが承認されるし

それは街の書店の陳列棚に平積みにされてしかるべき唯一の形態なのだ

それは海外でも広く受け入れられ

不遇な時を耐え忍び、苦難の果てにたどり着いた

約束の土地、乳と蜜の流れる大地なのだ

また女たちが集まって言った。

そこ、では

すべての情欲の順列が承認されるし

それは街の書店の陳列棚に平積みにされてしかるべき唯一の形態なのです

それは海外でも広く受け入れられ

公共鉄道大広告をきらびやかに飾る

世界と後世に誇るべき文化様式なのです。

しか少女は自らを語ることができなかった。

何人かの男が現れ、立ち去り−−

いま

私たち受肉の時を迎えました。

この文化の中で

私たちが何度それを希求したことでしょう?

少女は自らを語り得ぬまま

無力な身体が動き

無風を受けて髪が揺れ、飾り紐がたなびき

舌のない口からは、ああ、息のない声が出てくる。

それだ、と男たちは言った。今こそまさに受肉とき

肉体の肉体と情欲情欲が綴じ合わされ

世界は二つの球形の乳房へ閉じる。

それよ、と女たちは言った。今こそまさに受肉とき

肉体の肉体と情欲情欲が綴じ合わされ

世界は一本の男根と一つの穴へと結合される。

少女は涙を流さずに涙を流した。

(なぜなら、それは設定されなかったから)

少女は自らを物語らずに自らを物語った。

(なぜなら、それは設定されなかったから)

(なぜなら、それは設定されなかったから)

見よ、完全な肉体が、美しく情欲燃えている!

あわれ、操られた仕草の中の、完璧ないじらしさ!

男たちはそれを見て、全員が射精した。

女たちはそれを見て、全員が達した。

精液と愛液の海の中で少女溺死を願った。

切断された舌の切れ端が生き物のように海を漂っている。

https://anond.hatelabo.jp/20181010024150

2018-10-10

anond:20181010004010

電子計算機という形態のものがそういう言語言語性、感情のフワフワ感、人間動物として地質学時間にわたって繁栄させてきた生物本質からの決別でありその宣言なんだよね

手続き的に処理できないもの死ねっていうのは計算機工学者の思想でありおよそ電子計算機を応用したあらゆるものに既に埋め込まれ基本的態度

バカマツタケの"完全人工栽培"は偉業なのか

先日、加古川肥料メーカー多木化学バカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリスト田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題さらった。

http://archive.is/fdyLb 

ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解一助となれば幸いだ。

冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。

以下該当記事の一部を引用するかたちで解説

バカマツタケマツタケの近縁種。名前名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである

マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般湿度の高い広葉樹林に生えることからマツタケよりも柔く品質劣化がはやい(一般的にきのこ寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質ものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所情報なしに個体だけで同定できる自信はない。

別名がサマツ早松であるように、マツタケより早く8~9月に発生することから名に「バカ」がついてしまった。

バカマツタケサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツバカマツタケではない。きのこ地方名は極めて多様で曖昧世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。

マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境適応やすいか栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。

『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究マツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターバカマツタケ栽培研究農水省委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。

これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培常識を覆す大発明かもしれない。

菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者白水先生も、

とその成果を讃えている。

しかし本文にある『キノコ栽培常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。

とくにマツタケ類は、植物との共生必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。

繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般きのこ栽培はざっくり以下の工程をたどる。

a. 優良品種の選定・組織分離

b. 菌糸の培養

c. 原基形成

d. 原基の成長肥大

e. 子実体きのこ)の発生

ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこ組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。

ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズム存在することであるマツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである

理由は当該記事にあるとおり、マツタケ樹木共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木必要で、実験室での再現ほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培可能だったのか。

マツタケなどの樹木共生する菌根菌に対し、シイタケナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化過程樹木共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表ホンシメジであるホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用である。菌根菌とされるホンシメジ栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しか系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるもの発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年タカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在一般流通している。

多木化学バカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記ホンシメジ栽培成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケ食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。

勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているかである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ

つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。

繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力もつ系統の発掘と培養法の確立必須となる。その意味において本研究の応用範囲限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明ブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。

菌床栽培なら、植物共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培から虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。

逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケ普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培確立されたところで、天然松茸価値のものは今後も揺るぎのないものである消費者がどう捉えるかはさておき)。

菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフポルチーニホンシメジタマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術もつながるかもしれない。

トリュフポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。

これらの菌根菌の人工栽培可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統発見と、それらの培養方法確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹共生する系統があり、更にはそれらが日本ナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能ものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフポルチーニ国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培実験レベル成功する日も来るかもしれない。

まとめ

参考文献

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/

http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf

http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html

https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf

http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja

トラバブコメに反応

見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業

あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケ代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<

2018-10-09

というか一見エロっぽい意匠に釣られてるだけに見えて実は消費者着眼点はそこにはないみたいな

消費の形態分析するみたいのが社会学お家芸だったはずなのに

つのまにかまったく反対のことが社会学になってるのが草生えるんよな

萌え絵には性的ニュアンスがある ← 有って当たり前だろクソボケ

http://blog.c71.jp/?p=3064


この現象って面白いよな

・誰かがポルノでないものキズナアイ)をポルノだと騒ぎ出す

ポルノ定義についてクソくだらないキリスト教純潔主義が叫ばれる

・その議論のなかで、エロいエロくないの話も当然される

問題提起と称してエロゲの話がされる

エロゲで萌え絵が使われてエロ消費されてんだから萌え絵エロを含むと話を進める

 これにはゆらぎ荘なんかのエロ消費が多くを占める作品も含まれよう

ドヤ顔オタクエロ消費してる萌え絵エロくないとか言ってて支離滅裂揶揄

この話からスポイルされてるもの

キズナアイエロいとして、それはポルノなのか?

はじるすとゆらぎ荘とキズナアイを並べて、「みんなえろい」と宣言して、キズナアイ18禁にすべきか?

・ちがうというなら、その度合を無視して、ただただ性的だと宣言することの意図絶対にクサイ印象操作

エロ消費されてるものポルノであるなら、BLでの消費含め世の中の大抵の表現ポルノとなること

ポルノ自粛されるべきと叫ばれているか反論したのに、エロ否定するオタクダセェみたいな印象操作をしてること


ちなみに、TOPブコメ

萌え絵(がいやならオタク向け絵)は、不快に思われるリスク比較的高い表現形態コミケ袋を隠して持ち歩こうと啓蒙アニメ絵を貼った車を痛車と呼んできたオタクが急にわかんないふりすんの本当に不思議

この阿呆も、18禁コンテンツセーラームーンの違いに気が向いていない

セーラームーンオタク向け絵wでは無いとするなら、顔や体や衣装含め、どこからオタク向け絵wなのか説明するべきだが、絶対にできない(断言)

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

人工子宮ができれば真の男女平等が実現するのでは

最近夫婦両方がフルタイムで働いて、家事育児を分担する家族形態がかなりの割合を占めるようになった。

また、専業主夫バリキャリ女性なども登場し始めた。

しか夫婦子供を望む場合女性けが出産を行える性である以上、どうしてもこのような多様な生き方には制限がかかってしまう。

人工子宮が真の意味悪用できない仕組みの上で運用されるようになれば、このような制限から解放されるのではないだろうか。

世の中には社会に出て一家を養えるほどバリバリ働くことに向いていない男性や、家庭の中に収らず、キャリアを諦めたくない女性もたくさんいるだろう。

やはり一つの選択肢としてこれから社会に人工子宮必要だと思うし、どうすれば科学的・倫理的に正しく運用できるかをもっと議論すべきではないか

追記:

誤字指摘ありがとう。直しました。

Vtuber女の子なのは当たり前

なぜVtuberには女の子が多いかって、そりゃネットユーザーの脳をハックして自らのミームを広めるのにこの形態からもっと進化的に適応してたからだよ

人口92%を異性愛者が占めてる世界では異性愛規範に乗っかる方が有利

女の子は男女双方から自動的に好かれるので、ただ女の子であるというだけでこの92%を味方につけることができる

女の子Vtuberを見てる人のなかに百合文脈で見てる人も多いのは事実だが、そもそも現代百合エスとはまったくの別物で、異性愛と結びついてる

なんで男の子じゃいけないのかという意見もあるかしれないので一応言っとくと、女の子がただ存在してるだけで好かれるのとは違って男の子物語とセットになって初めて好かれる

というより物語に組み込まれることで「ただの(性別不定な)人」から男性」になる

これはフェミニズムの中でも神話学や人類学の流れをくむ流派の間では常識

から文学漫画世界過去にあった「女の子主人公お話を作ろう」って流れは実は女の子男の子役割をさせているだけであって男性中心主義を脱することが出来ていない

現代フェミニズム文学はそんな次元はとっくに超えていて、いま目指しているのは物語において「女」にいかに新しい機能を与えられるかということ

話が逸れたが、つまり物語が欠如しているVtuberというものには男の子より女の子の方がうまくハマる

2018-10-07

anond:20181007164838

明らかに性的な魅力を著しく誇張する狙いのイラストなので、TPO販売レーベルを考えるべきだと思う。

お前がTPO販売レーベルを正しく把握できてないだけ。

たとえば自分教師だとして、「黒スーツミニスカハイヒール(ちょっと乳首が浮いてるようにも見える)」な

いかにも二次元女教師イラスト職場PRに使われたら嫌だし、納得するだけの理由説明されなければ反対すると思う

いかにも二次元女教師」はお前の主観であり、それをもとに他人表現経済活動妨害する権利はない。

ただ、同時に萌え絵っていうのはそもそも女性への性的視線はらんで育ってきていることは否定できない

それの何が悪いの?

絵は絵であってお前関係ない。

それゆえ、「萌え絵であること」それ自体に「女性への性的蔑視」と批判されやす文脈があるとは思う

何が悪いの?

絵は絵であってお前関係ない。

あと「性的視線」「性的蔑視」の具体的な定義どうぞ。それ定義ないレッテル貼りと違うか。

その感覚が正しいと私は決して思わないが、バイアスのかかりやす表現形態であり、そこに近年の医大受験をはじめとしたマジモンの女性蔑視案件が絡んで批判吹き出したのではないか

医大の件は男性にのみ重労働を求める男性差別やぞ。

そもそも女医外科等の重い科も選んでいれば起きなかった問題


いから略。この後も妄言邪推お気持ち造語の嵐。そのくせ何一つソースなし

ネトフェミなりに考えるキズナアイ論争

▼前段

ネトフェミ=ここでは「学問として体系的にフェミニズムを学んではいないが、フェミニズム的言説に親和的ネット発言することがある」人。つまり

過去オタク騒動についてのスタンスでいけば、のうりんラノベ表紙については「いやおっぱいしまいなよ」と思う。

明らかに性的な魅力を著しく誇張する狙いのイラストなので、TPO販売レーベルを考えるべきだと思う。

碧志摩メグについては絵自体性的強調よりは海女さんたち本人に嫌われたことが大きいと思う。

たとえば自分教師だとして、「黒スーツミニスカハイヒール(ちょっと乳首が浮いてるようにも見える)」ないかにも二次元女教師イラスト職場PRに使われたら嫌だし、納得するだけの理由説明されなければ反対すると思う


キズナアイについて

・正直Vtuberという文化をよく知らないので絵だけの評価になるが、個人的にはそこまでエロ要素が強いと思わない

・なので批判に対して賛同する立場ではない

・ただ、同時に萌え絵っていうのはそもそも女性への性的視線はらんで育ってきていることは否定できない

・それゆえ、「萌え絵であること」それ自体に「女性への性的蔑視」と批判されやす文脈があるとは思う

・なんというか、「刺青を入れてる人は、反社会的であると疑われ怖がられても仕方ない」みたいなことで、「萌え絵を用いる人は女性蔑視を疑われても仕方ない」みたいな。

その感覚が正しいと私は決して思わないが、バイアスのかかりやす表現形態であり、そこに近年の医大受験をはじめとしたマジモンの女性蔑視案件が絡んで批判吹き出したのではないか


キズナアイが「無能な聞き役」に見える点について

・おそらく女性からというよりは「若者よりの(オタク)カルチャー」のアイコンとして選ばれていると思う

・ではなぜキズナアイ女性の形でなければいけなかったのか?と考えるとそれってオタク向けカルチャー全体の構造の話ではないか

初音ミクもそうだけど、オタク向けカルチャーでメインを張るのは常に少女の姿だ。Vtuberほとんどは美少女キャラだ。

・もちろん女性向けのオタクカルチャーもあり男性表象もあるけど、それは常に傍流だ

・これは、「ネット上で声が大きいのは男性オタクである」ことと同時に、「少女表象を好むのは男性オタクだけではない」ことも影響していると思う

女性萌え絵性的視線

萌え絵女性への性的視線はらんでいると書いたが、同時に萌え絵ルーツには少女漫画の絵があり、また萌え絵師には女性の描き手もすごく多い

・これはなにも矛盾することではなく、単純に、多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じると思う

・ようちえんのころ読む絵本お姫様金髪碧眼で胸元の空いたドレスを着ていたし、男性好みだろう制服に似せたミニスカートのアイドルはかわいらしい

・それはもしかしたら「社会から男性価値観刷り込み」の結果かもしれないけど、ともかく感覚として、それらを美しいと感じる人は多い


萌え絵「悪」なのか(1)セーラームーンのこと

セーラームーンなかよしで連載された女児向けの漫画だけど、明らかに男性向けのモチーフに満ちている。彼女たちがセーラー服である必然性あんなにもミニスカートである必然性もまったくない

(何十万年も前の前世から続く戦いでなんでセーラー服着てんねんて話である)

・確か単行本あとがきで、この企画男性担当者が作者に「セーラー服女の子ヒーローものかこうよ、ぐふふ」的な持ちかけ方をしたと描いてあったと思う。あの作品の萌芽には「男性による女性への性的視線」があったし、実際にそういう消費の仕方をされまくった

・それでもセーラームーン批判する声が少ないのは、もちろん「フェミニズム的な考え方より先に作品が浸透した」「現在の論壇の人たちが子供時代に楽しんでみていた」こともあるだろうが、セーラームーン作品内において男性がまったく支配的でないこと(むしろ彼らは客体にしかなれなかった)、少女たちのある種ホモソーシャル関係性が描かれていたこともおおきいだろう

女性作家が、流麗な「女性的な」筆致で、誇りをもった存在としてセーラー戦士を描いたからあの作品批判対象にはなりにくかったのではないか

萌え絵「悪」なのか(2)これからのこと

・今、「萌え絵」と「少女漫画絵」の区別はつけにくい。もちろんどちらにも傾向はあるがネット社会において文化は常に交雑している

萌え絵は「女性蔑視アイコン」とされやす文脈を持っているとかいたが、萌え絵を用いて描かれる作品多様性にしたがって、その文脈は変化していくだろう、そうだといいな、と思う

・同時に、「男性から見た性的魅力」以外の「美しさ」も、次第に私たち意識に浸透してきているんじゃないか

・そういう時代の変遷に希望を託しながら、なりゆきを見守っているのがいちネトフェミ現在である

----------------

気が付いたらブコメたくさんついてて驚いた。

1点だけ。

id:kamm

セーラームーン衣装、年齢にかかわらず可愛いって女性少なくないと思うのだけど、この人の中で存在をかき消されてるような…

かき消してない、全然かき消してない。

その前段で多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じる、と言ってる。

その一例としてセーラームーンの話をしている。

セーラームーンを美しいと感じる女性は非常に多くて、

女性が魅力を感じる女性表象と、男性性的魅力を感じる表象が一致していることが現実としてある。

 

そして、仮に「セーラー服女の子が戦う漫画描こうよ、ぐふふ」が萌芽にあったとしても、

現実に多くの男性性的に消費されるキャラクターデザインであったとしても、

セーラームーンの中で確かに誇り高い女性キャラ描写され、広く女性に受け入れられた。

それは同時に起こりえることだった。

そういう話がしたかった。

 

文章力がなくて伝わらなかったなら申し訳なかった。

id:nonolili

セーラームーンを平気で「男の性欲が無ければ無かった存在」として扱うの、当時女児純粋に好きだった自分としてはかなりショックなんだが。萌え絵否定のためなら女性作家少女ファン蔑ろにしても平気なんだね。

扱 っ て ね え よ

担当のぐふふについては事実からしょうがないでしょ

 

だめだ謝ろうかと思ったけど謝れない

もともとの文章が悪かったのかと思ったけど追記してもなおそう書くのってどういうことなんだ

ついでにいえば萌え絵否定もしてないからね

ブコメだけ読まないで本文読んでください

anond:20181007023709

形態リゾームモデルとツリーモデルと言える。

まぁ実際は法律・慣習の制約などもあって、その二つを極としたスペクトルのどこら辺かで捉えることができる。

2018-10-05

「論争という形態」でしか女と接する機会の無いキモオタ=我ら。

しかネットでのみ。

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