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はてなキーワード: 90年代とは

2017-09-26

anond:20170926233054

そもそもネット現実で同じ様態を観察できる前提なのがおかし

90年代異端の集いだったし、ゼロ年代ヲタクがイキリ始め

今では老若男女が二面性を露わにしてる。

そんな印象。

anond:20170925152727

角と辺がずれてなければ折り幅の比は適当で良いのかと思ってた(てかきっちり三等分だと開きづらいしそんな風に折られた書類は中々見ない気がする)。

それより封筒宛名の字がめちゃくちゃ汚ない方が気になってしまう。90年代半ばに流行った様な変な字体とか。

2017-09-23

90's

under coverとsacaiが合同で東コレだって

冠がメルセデスからamazonになって

coletteは閉店して

zozoが新しいPBをやる

文脈と新文脈の入れ替わりを見てるよう。今年で90年代も完全に終わるんだね。

2017-09-22

anond:20170921175909

ネットウォッチが猛威を奮っていた時代があったねえ

学校裏サイト全盛期と同時期?

90年代後半はもう少し牧歌的だった印象

90年代ガールポップってジャンルあったらしいけど

あれ結局どういう雰囲気ジャンルだったの?音楽性とかじゃなくて雰囲気

今でいうシンガーソングライタークリエーター的な路線?それともアイドル的な存在だったの?

ファン層はどんな風?

2017-09-20

安室奈美恵の偉大さ

J-POP最盛期の象徴であり、

かの小室ファミリー代表格であり、

最も売れたウエディングソング歌い手であり、

90年代後半の女子高生文化のものであり、

なによりそれ以降もずっと女性にとってのカリスマであり続けたのが素晴らしい。

2017-09-19

https://anond.hatelabo.jp/20170919163720

遅れる程度なんだろうか

緩衝材が分厚すぎて、もう何も変わらないんじゃ?と思い始めている

あれ、それって単に90年代に戻るだけか?じゃあ良いのか?

 

混乱してきた

そもそも俺は

雇用流動性を確保しなければ景気回復は難しいんじゃないか

不景気から雇用流動性が悪くなり、負のスパイラルに陥ってるのでは?

と思っていたが、そこがそもそも間違いなのか

好景気でも不景気でも、緩衝材が厚すぎて流動性はさほど変わらない

日本流動性を変化させた場合雇用回復するかは未知数 となりそう。

 

 

関係ないけど、ビズリーチやWantedlyなんかが転職前提の社会を見越して

キャリアパスの構築をできるサービス作ろうとしてるけど

このままじゃそうなりそうもないなぁ

人材紹介業界レッドオーシャンのままか

https://anond.hatelabo.jp/20170919135353

ブコメにもあがってるけどイーガンの「暗黒整数」(『プランクダイヴ』に収録)だと思われる。

ルミナス」(『ひとりっ子』および『90年代SF傑作選 下』に収録)はその前日譚なのでこちらを先に読んだ方がいいかも。

anond:20170919140221

若い人は最近知ったのかもしれないけど、民主政権取ったときにも官僚主導の打破とか言ってたし、90年代バブルのころも言ってたし、おっさんならみんな知ってる。

2017-09-17

大運動会かい百合アニメ

バトルアスリーテス大運動会というアニメをご存知だろうか

50世紀の未来舞台として、世界最高のスポーツエリートが出場するスポーツ大会大運動会」を目指して努力する少女神崎あかりとその友人たちを描いたスポ根ストーリーである。(Wikipedia先生

なのだが、放送したのは1997年

1997年といえば、例えばMAZE☆爆熱時空ガオガイガー超魔神英雄伝ワタル夢のクレヨン王国新天地無用烈火の炎とかあの時代だ(エヴァの2年後)

 

あの時代にも関わらず、大運動会最近百合アニメ雰囲気がある

登場人物に男メインキャラがほぼ居らず、そこかしこレズが居る

TV版で主人公三角関係になるが、もちろん相手は全員女だ

 

もちろんスポ根なので日常系かと言われると微妙なところだが

そもそもキャラばかりだとそこかしこ日常系空気が出てくる

最近で言えば競女みたいなもんだ、空気は基本ゆるい

 

最近ますます勢いを増す百合物、女だらけ者だが、似た空気のある大運動会を知らない人が割りと多くて少し悲しい

まれてくる時代を間違えたのかもしれない

あい空気アニメは色々探しているが、90年代00年代は少ないように思える

しろハーレムアニメとかが多かった時代だな

 

ちなみにこの作品メディアミックスされているが、当時よくあった「原案以外内容が違うタイプメディアミックス」ってやつだ

そこは注意して欲しい

個人的にはTV版が大好きだ、ストーリーがとてもいい

 

 

関係ないけど、女だらけもの、男だらけものをやろうとしたら、スポ根がすごくちょうどいいんだな

男子部、女子部で分けられるから、出て来るキャラが全部片方でも違和感がない

弱ペダとか、卓球娘とかな

 

__

 

一応言うと、私はリアルタイムじゃなく、2000年台になってから見たにわかなので

もっと深く知ってる人多いと思う

小説版とか読んでなかった

 

でも何となく見始めて、2日で全部見てしまったくらいに面白いよ。

面白いよ!(語彙がたりない)

流行れ。

2017-09-16

anond:20170915225309

あとは、90年代富士銀行運用委託していた、ヴィクター・ニーダホッファー。その弟、ロイ・ニーダホッファーも同じアプローチ90年代から売買してるよ。

マネー革命」でググれば動画見れるよ。

2017-09-14

90年代ぐらいまで、外国といえばすなわちそれはアメリカのことだったよね?

2017-09-10

色合いの段差が少なくエフェクトが過ぎるアニメが苦手なんだが

たとえば最新のパトレイバーなんかがそうで

http://www.patlabor-reboot.jp/

を多少スクロールして左にスクショがいくつかあるから見てほしいんだけど

全体的に霧がかってるというか、これ最近アニメではけっこうありがちなんだけど

ufotableとかの作品はとくにエフェクト厚めな感じだよね

fateとか光に関してはもうほぼエフェクト感ある

https://www.youtube.com/watch?v=SI5NcSypohw

いまの技術でなおかつ80,90年代のぱきっとした色使いにできないんだろうか

保善高校であった、今もあるであろう体罰の話

有名トランペッター日野皓正体罰の話が盛り上がっている。

世界トランペッター日野皓正中学生を往復ビンタ

http://bunshun.jp/articles/-/3929

ドラム日野ビンタダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見真逆すぎた」

http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456

日野皓正児童虐待ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」

http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待ビンタ)事件について元ジャ

日野皓正中学生へのビンタは教育…「必要な時もある」

https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml

正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネット体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットひとつだと思う。

で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。

舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。

ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガモデルになった偏差値70台のエリート高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。

我々が入学する前、この高校理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。

目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。

だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。

「三年の間に偏差値55前後人間普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場教師達は大混乱しただろう。

それはそうだ。彼ら教師ほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベル私大合格させられるノウハウといったものを持っていない。

そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。

要は部活含め授業以外の事は一切やらせない。

そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。

部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。

正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。

上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場板ばさみになってから嫌というほど知った。

現在の自分負担をかけてしまっている現場人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。

だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。

あらゆる異論の封殺体罰という名の暴力が使われた。

そして出来上がった授業自体適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるか有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実自分浪人して予備校通ってた時期に英語偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強いかに非効率かを知った)。

結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。

1人は卒業後、数年で自殺した。

正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態鑑みると、遺族が因果関係否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。

ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。

今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。

現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。

教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力制圧する」等。

だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。

他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。

それが事実だ。

今の自分のみならず、多くの人達当時の自分怠惰に写るのかもしれない。

いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。

言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。

だが、異論=即暴力否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ

常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。

現在自分内最高漫画更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみ人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれ役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。

昔、自分ナチスソビエトクメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校体験を通して以降、全く笑えなくなった。

さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。

曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。

平賀自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。

もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。

お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。

社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。

それだけだ。

お前は教師でもなんでもない。

自分安全な場所から他人を殴るのが趣味の糞野郎だ。

お前が定年退職たかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。

残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。

原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。

お前も曳地の同類の糞虫だよ。

そして96~98年に保善高校にいた教師達。お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。

ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手一方的に殴るのは保善高校教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。

96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。

そこから俺の名前googleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。

さてここまで書いて「保善高校」「体罰」でググったら

体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v

田村剛】私立保善高校東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。

2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから空手部の顧問でもあった担任40代男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。

携帯電話学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。

2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。

学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行理由説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。

もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。

耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。

自分たまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市桜宮高校教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。

同校の青木繁副校長取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。

という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…

正直、我々の時代体罰という理不尽問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。

そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。

だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。

そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。

進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。

保善高校理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。

お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。

質実剛健」とか本当に笑えるわ。

とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。

2017-09-08

https://anond.hatelabo.jp/20170907231035

日本の三大RPGは何てことが言われだしたのが90年前後くらいの話。

それ以前はDQ一強だったところにFFが割り込んできて、じゃあ三大RPGなら何だろうみたいなことがよく話題になるようになった。

ブコメでも女神転生を挙げる人が多いし当時も多かったんだけど知名度も売り上げもDQFFには遙かに及んでなかった。

ありていに言えばメジャーどころのDQFFを嫌ってちょっとマイナー気味のゲームを推す人に人気だったってくらい。

とにかくDQFFが圧倒的だったし比肩しうるものはなかった。

 

そうこうしてるうちに90年代半ばにポケモンが登場する。機種はゲームボーイ

当時の「ゲーマー」にはゲームボーイ微妙に見下す風潮があった。

ファミコンの登場から10年以上経ち、小学生時代ファミコン出会いゲームと共に成長した世代高校生とか大学生

現在と比べると公衆の場でゲームをすることの抵抗感が大きかったというのもあって

ゲームボーイ子ども向けで自分たち守備範囲外だと思う高校生大学生は多かった。

大学生になってジャンプマガジンを読んでる人は多くてもコロコロボンボンを読んでたらちょっと恥ずかしいみたいな感じ。

 

ところがまあポケモンが大ヒットするわけだ。しか日本のみならず世界中で。

ちょうどインターネットが普及しだして海外情報が入って来やすくなってポケモンの人気がヤベえらしいと伝わってくる。

世界的な知名度でいえばポケモンDQFFを一気にブチ抜いてしまった。

結果としてそれまでDQFFを不動の前提として語ってた三大RPGには何だかポケモンを入れづらい雰囲気になって

残りのひとつ何となくあやふやなままポケモンは別枠みたいな扱いになった。

 

以上が俺の記憶をもとにした印象論。

非モテラノベネトウヨ

ふと気づいたのだが、ネットで声のデカいこれらのアホはあまりにも思考回路が似通っている。

よってひとまとめにしてひとつの病状で言い表されるべきだ。

実際、層は近いと言うどころじゃなく被っていることだろう。

非・ラ・ネ病者とは

非モテラノベネトウヨ病の一般的な症状は、「客観的に見れば欠点がすぐわかる自分(の好きなもの)を、とにかく現状はまったく変えないままで屁理屈だけで他人に認めさせようとする」ところにある。

明らかにモテる努力放棄しながらモテないのを逆恨み

自分でも萌え燃えくらいの評価しかできないのにラノベ芸術として認めろとか言い出す。

他国批判するとき人権平等性の問題点理解できるのに、日本批判されると「それの何が悪い」「ここは日本だ」で通して恥じもしない。

子供駄々と言えばそれまでだが、匿名インターネットでいい加減に放言できることを差し引いても度が過ぎている。

無責任に唱え続けるうちに、自分でもそれが正しいと無根拠に信じ始めているのだろう。

から、改めて「客観的にわか欠点」を問われると、ただ発狂する。

真正から反論反証ができない。

詭弁じみた言い逃れをする。

まさしく病気である

ラノベ文学になれるか

こういう話を思い立ったのも、ネットの某所で久々に、相も変わらぬ「文学だって昔は低俗だった」論を壊れた機械のように繰り返している非・ラ・ネ病者を見かけたかなのだが、その「低俗だった」小説東大卒インテリがよってたかって批評し、創作し、芸術性を証明たからこその今日文学だというだけの話を何故理解できないのだろう?

文学だけではない。

SFアニメ漫画

かつて低俗とされ今はそれなりの地位を築いたものは全てその初期に「これは読む(見る)価値のあるものだと証明してやる」と意気込んだ先人が、科学考証を緻密にしたり、作画、芝居、ストーリーテリングの隅々にまで拘って、作品の力そのもので世の中に価値を認めさせてきた結果である

ラノベがいつそんな努力をしたのだろうか。

断っておくが自分自身は、90年代ラノベに退屈な既存文学オルタナティブになるパンク文学の萌芽を見たものである

しかしそれらを感じさせた作家も消え、ラノベは当時よりももっと「ライト」な、消費材としての物語を量産し続けている。

何が悪かったのか?

時代が悪かったのか?

失われた20年とやらの、国全体がネトウヨじみた、いじけた空気に包まれている時代に生まれしまたから、ラノベもいじけるしかなかったのか?

世が世なら、昭和漫画アニメのように負けん気の強い先人が「子供向けのラノベでも芸術性のある作品が作れるんだって証明してやる」と心血を込めて、結果子供たちを熱狂させ、延いては大人にも読まれるような作品を書くことになったのか?

はたまた、出版社主導で、何ヶ月に一冊きっちり出版計画を立てて乱発すると言う、あまりに余裕のない制作体勢のなせる業か。

なんにせよ、こんな志のない作品群が先達たちのように芸術的と認められる未来などというものは、万に一つもあり得ない。

ミソジニスト非モテモテること、レイシストのままの日本世界に認められることと同様に。

客観的事実は揺るがない

非・ラ・ネ病者はネット時代の生んだあだ花である

彼らがかような恥知らず言動常態化させてしまった背景には、匿名文化のいい加減な事を言いっぱなしにできる特性が一因としてあることには疑いがない。

さらネットは、大多数の読者が「くだらない」と思っている事実も覆い隠す効果がある。

「くだらない」戯れ言を世界に発信し、ごく少数の生真面目な読者がそれに反論することで、彼らはそれが「議論に値する」意見であるかのように錯覚する。

いくら自分自身でもどう考えても「くだらない」はずの放言でも、そう彼らは錯覚している。

から機能を正常に作動させて、自分自身の言ってることを客観的に見直すことができない。

客観的ものを見れば、横柄な男は嫌われ、低俗小説もどき芸術として相手にされず、人命を軽んじる国が世界から歴史から認められるはずがないのは、「考えれば」などという言葉を使うことすら大げさに感じるほど当たり前に認識できる。

それができないのはまさしく病気であって、これら非モテラノベネトウヨ論者に共通する病状こそ現代日本蔓延った根本の病を顕著に代表するものであると考えられる。

海外テック記事で「同じことを繰り返しながら違う結果を期待するもの狂人と呼ぶなら、それはソニー(の携帯事業)のことだろう」という批評を読んだことがある。

この前半はアインシュタイン言葉とされる名言らしいが(違うらしいが)、ともあれ、これはソニーのみならず現代日本を覆う理不尽空気もっとも正しく表す言葉だろう。

進歩なくして前進することは不可能なことである

いつ、それに本当に気づけるのか。

2017-09-07

へそ曲がりオタクの居場所

自分ネットに入り浸ってオタク談議をするようになって、もう15年くらい経つわけだが、最近ネット自分のようなへそ曲がりにとっては、あまり居心地のいい場所ではなくなってきたように思う。

例えばアニメ特撮漫画の話にしても、昔のネットは通り一遍雑誌テレビ受け売りのような論評ばかりではなく、

「この作品は名作と言われているが、本当に名作か?駄作と言われているが、本当に駄作か?」

「今、世間じゃこの作品がすごく流行っているらしいけど、どうも俺には合わないなぁ」

「この作り手は深いテーマを描き続けた偉大なクリエーター評価されているが、そうかね。俺はそこまで素晴らしい作品ばかりとは思わないし、かなり問題も多かったと思うがねぇ」

という意見も割と見かけたものだった。

その中には共感をおぼえるものも少なくなかったし、時にはそれこそ雑誌テレビではまずお目にかかれないような、深く感銘を受ける意見出会うことも度々あった。

それがここ5、6年くらいだろうか、いつ来てみても、2chTwitterも他のSNSブログサイトも、

「名作と言ったら名作なんだよ、異論は認めん。やいやい文句をつける奴はバカだ」

「お前は偉大な大御所の○○先生ケチをつけるのか?!上っ面しか見ていないくせにわきまえろ」

という空気支配的になっていった。

そして気づけば文字通り薄っぺらな、何処かから拾ってきたような通り一遍評価しか見られなくなった。

近年の作品はまだ評価が固まっていないせいか、それほどでもないのだが、90年代以前のもの特に昭和の名作と呼ばれるような作品や作り手になると、もうどうしようもない。

もちろん、じゃあ昔のネットはそこまで風通しが良かったか?と言えば、別にそんなことはない。

昔でも基本的には誰かの受け売りのような評価の方が多かったし、自分のようなへそ曲がりオタクにそこまで居場所があったわけではないのだが・・・

今は少数どころかほとんど絶無になってしまったし、意見を表明できる場もそんなにない、無理矢理主張したところで誰から同意してもらえず、逆にフルボッコされて終わり、というのが当たり前になってしまったようだ。

2017-09-06

2000年代東京カルチャー

ってなんなんだろう。

やっぱりビットバレーベンチャーみたいな世界なのかな。

それがガラガラポンして90年代リバイバルをしてるのが2010年代って感じがする。

それももうすぐ終わってどうなるんだろ。

2017-08-28

真木よう子コミケ参戦はコミケ理念に反していない

かれこれ20年近く夏冬と連続当選してサークル参加してる身だが、真木よう子コミケ参戦は別に問題ないと思ってる。

真木よう子の参加は、コミケ理念に照らし合わせると、何の問題もないからだ。

私のようにコミケに長く参加している古参でさえも勘違いしている人がいるのだが、

まず、コミケは、オタのためだけの、非オタは参加を許されない祭典ではない。

そして、今のコミケは、「非営利」の、「アマチュア」に限った場ではないのだ。

2013年に、申込書等、コミケ準備会側の公式文書に書かれている「コミックマーケット理念」の記述から、「営利目的としない」などの一連の文言が消えたことを知る人は少ないんじゃないだろうか?

営利目的としない」の等々の文言が消える前は、

コミケットアマチュア営利目的としない団体サークル)、個人のための展示即売会です。基本的法人会社)あるいはそれに準ずる方の参加はお断りします。

と、なっていた。参考 http://wanda.hatenablog.jp/entry/20100418/1271549068

長らく「営利目的でない」「アマチュアの」イベントであり、「法人」は原則ダメですよー、という理念を掲げていたが、

こうした理念がとっくの昔に形骸化していたのは、コミケにそれほど詳しくない者の目にも明らかであっただろう。

そして、最も新しいC93(今年の年末に行われるコミケ)の申込書に書かれているコミックマーケット理念には、

コミックマーケット同人誌を中心として

すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした

表現可能性を広げるための「場」である

と、書かれており、続いて、

コミックマーケットは、法令と最小限にとどめた運営ルール違反しない限り、一人でも多くの参加者を受け入れる事を目標とする

とも書かれている。オタじゃないと参加はダメとか、オタク文化系の頒布物じゃないと参加はダメ、とも書かれていない。

有名人ダメ、とかもない。

このコミケ理念に照らし合わせると、真木よう子の参加希望を、現時点で全否定する理由は無い。

個人として、事務所を通さず好きに作りたいのなら、本人がコミケを選んだって構わないだろう。

クラウドファンディングで本を作るのだって別にいいと思うし、これから時代同人活動での一手法になりうると思う。

自分の金で作らないなら、参加は絶対に認めないぞ!なんてルールは、どこにも書いてないのだし。

また、「コミケでやる必要がないかコミケ以外でやれ」というのは暴論すぎる。

それこそ、よく知られている「一般的な」同人活動だって

委託店等の販路が多くある昨今なら、「コミケでやる必要はない活動」となってしまう。

参加目的に「(ファンの)皆様と会いたかった」と言ってる点を持ち出し、参加するなと批判している人がいるが、

同人作家で、「買ってくれる人や~~さん(同人作家)と交流が楽しみ」みたいな呟きをしている人なんて簡単に見つかるし、

混雑しそうだから参加ダメ!なら、そもそもサークルや島中の大行列を生んでいるサークルはどうなんだ?となる。

禁止されている徹夜等を含め、そういう混雑を生んでいる大人サークルは、コミケに参加するべきでなく、大手委託店等で通販のみを行うべきなのだろうか?



私が参加したこの20年近くの間に、オタとオタを取り巻く環境、そしてコミケも大きく変わった。

90年代には、アキバビルの薄暗いフロアスチールラックをおいただけ、という裏ビデオ屋のようだった同人委託店が、

今や全国に複数店舗を擁するようになり、販路も拡大し、

同人だけで食っていけるような人も(参加者全体の数からすると割合は少ないが)見受けられるようになった。

まり、明らかに営利目的収益目的だなってとこも珍しくはなくなった。

サークルのような大手や有名どころは法人成りしてる例も見受けられ、限定グッズを売り出す企業ブースは毎回長蛇の列で大盛況だ。

企業人間がブレーンとして関わって制作された、商業流通している本に顔負けの同人誌だってある。

コスプレ広場コスプレイヤーには、芸能事務所登録しているような子も増え、

芸能界へのステップアップを目指す子もおり、現役グラドルすら来るようになった。

現役プロ漫画家イラストレーターが参戦する例だって、ずっと前から枚挙に暇がない。

そうしたコミケに参加するプロアマチュアが、コミケを通して知名度をあげたい、広告宣伝効果を得たいという思いだってごくごく普通のことになっている。

コミケに参加したこと無い人でも、コミケ等大イベント前の怒涛の頒布広告宣伝ツイートはよく目にするだろう。

好き嫌いはあるだろうが(私自身はこうした一連の変化は苦手だが)、こうして世とともに変わっていったのもコミケ現実だ。

私は今の言葉で言うところの陰キャなので、キラキラした芸能人や、リア充と言うのかパリピというのか、

なんというのかそういうある種の言葉でくくられる人が来て多数派になっていくのは嫌だ。

しかし、それは私の好悪に過ぎず、そうした好悪の感情をもとにある参加希望者を叩き、拒むことは、コミケ理念に間違いなく反している。

極端な話、コミケ理念に反せず、法令と、準備会が定めた運営ルールを守っているならば、

「オタなんて大嫌い」という人が、「オタ大嫌い論」という本を評論情報ジャンル頒布するために参加したっていいのだと思う。

コミケ準備会側が、搬入計画懸念を示したりして参加させないと判断するならまだしも、

私のような一人ひとりのコミケ参加者らが、コミケ理念に反していない者を、

「こいつは参加するべきではない」「コミケに不慣れなこいつは問題を起こすに違いないから来るな」として叩き、

参加を断念させることになったら、ただただ禍根となる。

特に、オタというもの境界定義ますます曖昧になっていくであろうこれから時代に、

オタ的でないからと叩いて参加を断念させ排除するのは、悪用される恐れのある前例にもなろう。長文すまない。

2017-08-27

ブリなんとか

小説投稿サイトを使ってみた。

今まで一人で黙々と書いていたのだけれども、せっかくなのでネットで公開してみることにした。

ミクシィ流行った時期もミクシィやってなかったんだけど、(そもそも友達がいないので招待してくれる人がいなかった)こういう雰囲気だったのかなと何となく思った。

プロフィールページにも作品ページにも足跡機能があり、読んだ人やスターを送った人が分かる。そんでスターを送ると、マメな人は「ありがとうございます」とお礼をしてくる。

ランキング上位は色んな人と手当たり次第交流する人ばかり。こういうのを互助会?っていうんですかね。スターをばらまいて、そのお返しにスターもらって上位になる感じ。

ランキング作品への評価というより、いかに人と仲良くするかで順位が決まっているような。熱心な人はサイト以外のSNSでも書き手交流して、お互いにスターを送り合っている。(誰がどのくらいスターを送ったのかも確認できる)

プロ志望な人がそれやってると、これがワナビーってやつかと感心する。

熱心な人のプロフィールページちょっと覗いただけで、その本人から、いきなりタメ口1行メッセージが来たこともある。こっちとしては、恐怖しかなかった。

友達いないから人との交流が極端に苦手なんだけど、自分としては交流するために小説を載せたんじゃなくて、ただ読んでほしいだけなんだ。

自分が書いた小説がクソなのかもしれないけれど、読まれもしない。

からといって自分互助会に入りたいとは思えない。仲間内スターを送り合って上位になってもむなしいだけにしか思えない気がする。

1か所しか使ってないから他のサイトは分からないけれど、途端にやる気をなくした。

順位が高い人に嫉妬しているだけかなと思ったけど、その輪に入るくらいなら読まれない方が気楽だ。

読む側としては、一人称小説が多すぎてだるいしかもノリが90年代初頭の少女小説みたいな。ティーンズハートとかレモン文庫とかコバルトとか。

普通に売られているミステリとかの小説でも一人称はあって、ああいう書き方なら面白いんだけど、ネット小説ポエムみたいな少女小説と同じ書き方なんだよね。

確かに90年代少女小説一人称でも面白いのはあった。ジャパネスクとかゴーストハントとか。でもそれって、よっぽど突出した人だよなー。その後一般文芸に行ってるし。

ネット小説普通小説とは違う、独自文化が息づいているんだなと思いつつ、それは独自文化というより、かなり昔の文化が残っているだけにも思える。一時期流行ったケータイ小説の流れみたいな。

字下げしてないのも気になるし、変な改行も気になる。

投稿するとき一人称三人称登録しなきゃいけないサイトはないかな。

これから何だかんだと書けば投稿するだろうけど、つかず離れずのスタンスでいたいなあ、と。あんまどっぷり浸かる場所じゃない。

といいつつ、読者数に落ち込む日々なのだった。しかもこの読者数も、本文ページへのアクセスであって、最後まで読んでもらえたわけではないんだろうなと思う。

開いてみないと自分に合う小説か分からないし、実際自分も開いてみて一人称ポエムだとすぐ閉じる。

https://anond.hatelabo.jp/20170827105358

学生奨学金問題の一側面に、下宿学生生活費問題があると思う。90年代初めまで、各大学に寮があり、割に安く住居費、食費を抑えることができていた。90年代以降、経費がかかる、自治会対策などの理由から、まず学生寮を耳障りのよい「留学生寮」に変更、さらにどんどん廃寮してきた。

例えば同志社大学学生寮だと

寮費(月額)1万強+自治会費1000円

寮食は、朝150円弱、夕食300円弱

である

https://www.doshisha.ac.jp/information/facility/dormitory.html

給付制の奨学金生活費を安くできる学生寮ともに重要だと思う。

2017-08-26

24時間テレビのメインテーマがどんどん気持ち悪くなっている

80年代前後24時間テレビのメインテーマは、必要支援は何かということを明確化していた。

気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスイメージを抱くテーマである

回数(放送年)メインテーマ
第1回(1978年)・第2回(1979年寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバス車椅子を!
第3回(1980年カンボジアベトナムラオス難民のために!
第4回(1981年アジアアフリカ障害者のために!国際障害者年記念
第5回(1982年ストップ!ニッポン姥捨て時代!
第6回(1983年君の地球ボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念
第7回(1984年この地球未来子どもたちのもの!
第8回(1985年アフリカ飢餓救援
第9回(1986年寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバス車椅子を!そしてアジアアフリカの飢えた子どもたちのために!
10回(1987年SAVE THE CHILDREN
11回(1988年君は地球ボランティア年寄りに在宅福祉を、障害者社会参加を!
12回(1989年アジアアフリカの子どもたちに海外援助を!
第13回(1990年地球を救え!10計画
第14回(1991年雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者社会参加を!アジアアフリカ海外援助を!

 

90年代ごろ、何が必要支援かということがメインテーマから消えた。

その代わり、メインテーマ薄っぺら美辞麗句だけで構成されるようになった。

個人的にはポジティブ押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。

回数(放送年)メインテーマ
第15回(1992年愛の歌声地球を救う
第16回(1993年出会い
17回(1994年チャレンジ!
第18回(1995年もう一度、チャレンジ
第19回(1996年ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜
20回(1997年勇気を出して
第21回(1998年いま、始めよう
第22回(1999年伝えたい…夢のちから!
23回(2000年がんばる…君のために!
24回(2001年家族って何?
第25回(2002年家族で笑ってますか…?
第26回(2003年あなたを一番愛する人
第27回(2004年あなたの夢はみんなの夢
28回(2005年生きる

 

2000年代の中ごろ以降、メインテーマ90年代以降の薄っぺら美辞麗句路線を維持しつつも、

本来漢字ひらがな表記すべきところを意味もなくカタカナ表記キズナ・キセキなど)したり、

一般受けやす単語(絆・愛など)に薄っぺらポエムドッキングさせたりしている。

得も言われぬ気持ち悪さを感じさせるものばかりという印象。

回数(放送年)メインテーマ
第29回(2006年絆(キズナ)〜今、私たちにできること
第30回(2007年人生が変わる瞬間(とき
31回(2008年誓い〜一番大切な約束
第32回(2009年START!〜一歩を踏みだそう〜
33回(2010年ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜
第34回(2011年力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜
第35回(2012年未来 みらい
第36回(2013年ニッポンって…?〜この国のかたち
第37回(2014年さなキセキ、大きなキセキ
第38回(2015年つなぐ〜時を超えて笑顔を〜
第39回(2016年愛〜これが私の生きる道
第40回(2017年告白勇気を出して伝えよう〜

 

数十年もの間、毎年数億円単位募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビ存在には頭が下がる思いだ。

そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。

しかし感動やポジティブ押し付けと言い、気持ち悪いメインテーマと言い、見ていて歯が浮く番組でもある。

2017-08-24

90年代3DCGってだけで魅力があったけど、今は3DCGであることに魅力が全くないね

CGだとがっかりするよ。

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