「判断」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 判断とは

2018-01-18

あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

再来月結婚式を挙げるんだけど。

結婚式決まったとき非常勤退職したタイミングでさ。

まあお友達だけ呼べるし気軽でいいや~~って思ってたんだけど。

11月に非常勤だった職場正社員採用決まってさ。

じゃあ式どうする?呼ぶ?ってなって。

旦那は呼ぶわけ。

でも私は会社プライベートガチで分けたいんだよね。

旦那にちゃんといっとけばよかったな。いや言った気もするけどさ。

「呼ばないといけない」って言い張る両親。

お前ら頭堅いし古いんだっつーの

やっとのこと”言うことをよく聞く良いお姉さん”から脱却しようと思って

色々自分たちで考えて作り上げてたのに

何で邪魔するの

声かけるだけかけたら向こうが判断してくれるからそれでいいじゃん、じゃねーよ

声かけないと後々面倒だよ、じゃねーよ

旦那さんの職場の方も来るのにおかしいよ、じゃねーよ

いまどきそんなんじゃねえっつってんのにさ

結局言い負かされてバカ素直に上司声かけてみたもの

そもそも上司たちも会社風習的にも会社的にプライベートには関わらないを貫いてるの知ってるし

からか一向に返事くれないし

来てほしくないからもう一回声かけるのだっていやだし

プライベートの話必要以上に職場でしたくないし

本当こういうとき自分の要領の悪さに辟易する

適当上司には「内内で挙げる」つって親には「来ないんだって」って言えばよかった


あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

幸せだったのに

挙げたくなくなってきちゃった

恋してないけど結婚する

春に結婚を控えている。

式もない、結納もない。入籍だけの、いわゆる地味婚。

地味婚を希望したのは私だ。

くそオタクゆえ恋愛に興味がなく、式への憧れもない。

結婚に対しても「共同生活を送る相手を見つける」程度の認識しかなく、今もそう思っている。

彼も私の性格をよくわかっているので、「僕ららしいんじゃない?」と賛同してくれた。

ところが、「興味ないから式あげません」とか「恋愛めんどくせぇ」とかドライなこと言ってると、親や周囲が心配するわけだ。

「その人のこと、本当に好きなの?」って。

もっとときめく、本当に好きな人結婚しなさいよ」などという助言には、「好き=男女の恋愛」という決めつけがあるように思う。

私は結婚に必ずしも恋愛必要だとは思っていない。

相手人間的に好ましいと感じ、生活スタイル経済状況が見合うのなら、それで共存に至れるはずだと考えている。

から、今回はたまたま彼だったけども、別に異性である必要はないし、なんなら女友達を選んでも良かったと思う。

ここで声を大にして言うが、彼のことは好きだ。

今後の人生60年、共に生きていけると感じたか結婚する。

だがそこの判断に、当然のように恋愛要素があったと捉えられると、もぞもぞと居心地の悪い気持ちになるのだ。

だって、A×Bは恋愛結婚よね!って言われると必ずしもそうじゃないじゃん。

一言結婚といってもAとBの関係性は100通りくらい妄想できるのが腐女子って生き物じゃん。

私は、

あ、あ~~~まじコイツといると楽だわ・・・推し友だわ・・・

子供産んだらあそこ連れてこ、ああしよこうしよ。うわっ人生設計もできたわ~~~

よっし!!!なんかもう一緒に住むか!!!!!!ちょうど結婚って制度あるし!!!!!

って思って結婚するわけで、そこに「彼のこと愛ちてるのね~♡運命の人ラブラブなのね♡おめでたいわね♡」って体で来られると

ちげぇ!!!!!!!!解釈違い解散!!!!!!1111!

ってなるわけ。

「なんで式挙げないの?」「面倒臭いとか、本当に好きなの?」とか言われても、

はぁ恋愛理由結婚するわけじゃないし解釈違いなので・・・って言うしかない。

恋してる・愛してるから結婚するんじゃなくて、パートナー相方)になりたいか結婚するんだ。

から特別おめでたいことだとも思ってないし、面倒なことは面倒だって言う。

漫画みたいなロマンチック演出は嫌いだし、甘い言葉がほしいとも思わない。

個人個人であることを前提に感謝礼儀をもって共存したい。

結婚します。

anond:20180118145306

うんまあそれはあるよね。

とりあえず自分が処理できる限界はある。

儲けられるかどうかは俺の器量によるので、とりあえずその範疇になく、利益につながらないと判断したら議論相手にはしない。

てか、検証するのはいいけど「正しい」ことを言うんじゃなくて「儲かりそうなこと」を言って欲しいかな。

anond:20180118103621

かもめごとがあるとき

☑ 誰かが嘘をついている

☑ 誰かが勘違いをしている

☑ 論旨がおかしい方向に行っている(わざと?)

☑ 正しい答えをした人に、間違った人が粘着している

などが見えるとき

嘘と勘違いは、個人批判をせず確実なソースをもって諭す。

事実と違う事だけ判れば良い。

論旨がおかしいについては、そこで最初の議題を示唆すればいい。

感情論ではなく。

最後のがいちばん大変だけれど、確実なソースなどで、正解者に対しての同意を短文で述べる。

※間違った人が恥ずかしさから否定している処をうっかりたたくとさら感情論になる

くらいかなぁ。論破っていうのは正解が出た処で、ある程度の人が「判った」の時点で良いかな。

間違った人が謝罪するとか、ドロドロギスギスするのは、さらに溝が深くなるし

謝ってもらうと逆恨みされそうだし、間違っていた人は理解力がまるでない点で、理解力のない人という判断するしかない。

∴私が思う論破は、相手の間違いを正して、ある程度の人に理解されたらそれでいいです。

 正しくなくても、持論を曲げない人は、頭が固く、子供っぱい、プライドばかり高いなとはおもいますが、

 危ない性質の人は、正しさが判っていても非を認めないのでしょう。

バンドマンと異性のスタッフについて

本当にムカつくことがあった。

ムカつくので匿名なのをいい事に書いてみる事にします。

きっと読む人が読めば「ああ、あの記事に対してね」と気づくことでしょう。その人は自分名前を明かして書いています

それに対して匿名攻撃するのは如何なものか、と思われるでしょうがわたしには発信するツールがないし、ただ意見を言いたいだけであって議論しようだとか思っているわけではないので悪しからず。

まず、わたしが何に怒っているのかザックリと説明すれば「好きなバンドマン女性ローディー舞台袖でハイタッチ握手をすることがムカつくからファン辞めるわ〜〜」という主張を見かけた事にです。

いや、どんな脳味噌してるのと。

すんごい恋愛脳なんでしょうか、嫉妬に狂ってしまうほどのガチ恋なんでしょうか。

そもそもローディー楽器のセッティングチューニングを整えて、良い状況でライブが出来るようサポートしてくれる存在です(わたし音楽に詳しいわけではないので大雑把な説明のため、ここに対するご意見批判質問不要です)。

わたしが行くライブでは基本的に、ローディーバンドマン握手ハイタッチをするし、笑いあうし背中を押してくれたりしています。それがこの世の演者ローディー関係とは言えないだろうけど、わたしはそれが普通だと思ってきていました。

わたしは裏方を大切に出来ないような人たちは長く続かないと思うのです。どれだけ良い演奏をしようとも、全てを自分でやる事はまず不可能です。だからこそ、スタッフに色々な部分をお願いする。

それはローディーに関わらずだと思います。今回矢面に立ってしまったのが女性ローディーだったというだけで、女性で同様に仲良くしているスタッフは他にも居るでしょう。何だか今回の問題は、好きなバンドマンに関わりのある女性から、ではなくそローディー女性に対する私怨のようなものを感じてさら気持ち悪くなります

話が逸れました。

仕事をするうえで信頼関係は欠かせません。信頼していない人に、舞台笑顔で送り出してくれない人に、自分商売道具である楽器を触らせるものでしょうか。

あの握手ハイタッチ笑顔は信頼の現れであり、鼓舞であり、そのバンド運営するためのチームの証。そうは思えないものなんでしょうか。

舞台袖で握手をするのがムカつくから配慮しろ???それ、男性ローディーには言いませんよね。だから嫌なんです。

決して男尊女卑〜だとか男社会が〜だとか、ジェンダー論的なことを繰り広げたいのではなく、あくまで、真摯仕事をしている人たちを邪魔するべきでは無い、という話です。

ここまで、信頼関係の話をして来ましたが、いい音楽を作るにあたってのいいスタッフ、いい環境、そのための信頼関係だと思うのです。

からこそ、そこに「異性だから」と読めてしまうような切り込み方の批判は野暮なんではないでしょうか。

ローディーになりたくてなりたくて、やっとの思いでその場所まで辿り着いたのならば、どうか思う存分演者を支えてください。ローディーになりたくてなった女性に、男性には許される握手ハイタッチをすることさえも許さないのはなんだかひどく乱暴で、幼稚だと思うのです。

触れ合ったら、微笑みあったら、それは恋なのでしょうか。色恋沙汰があると判断できるのでしょうか。そんなことで二人の仲を邪推してファンを辞められるようなことなんでしょうか。

だったら一生、手を繋いだら妊娠するとでも思っててくださいおやすみなさい。一生会うことはないでしょうけれど、気持ちのいい環境バンドマンを見つめ続けられたら良いですね。

ほんとうに不愉快でした。この記事不愉快になってしまった何処かの誰か、ごめんなさい。

2018-01-17

なぜレイプ犯は●すべきなのか?

自分の頭で考える習慣がない人は、物事善悪判断が表面的で、理由を尋ねられると答えられない。

「人を●すのはいけない」という言説に対して、なぜダメなのか?本当の理由を知っている人は少ない。

 

レイプ犯でも人間から、「●すのはやりすぎ」「逮捕処罰されたら良い」という考え方は間違っている。

なぜか?

 

次の被害者を守る

レイプは、弱い者イジメ一種であり、広義には搾取の一形態である

レイプ犯は、女が黙って泣き寝入りすることを知っているので、何度も繰り返す。その度に被害者が増える。

 

レイプされた女は、自分の次にも、未来被害者がいることを気付いて欲しい。

次の被害者は、未来自分なんだよ?

 

次の被害者を守るためにも自分の番で止めるのが親切。

止めないのは、次の被害者に対する不親切ということになる。

 

  • レイプ犯を●すのが親切であり、●さないは不親切ということになる。
  • レイプ犯を●すのが善であり、●さないは悪ということになる。

この利害関係理解できれば、●すのは一切躊躇する必要はない。

(状況が状況だけに、「過剰防衛」でも「正当防衛」に情状酌量される?)

 

●す判定基準

人間動物の違いは、言葉ロゴス)が使えること。

人間言葉が通じない相手は、人間の皮をかぶった獣でしかない。

言葉で「やめてください」と言ってやめる相手なら良いが、やめない相手なら人間扱いはしなくても良い。

害獣を●すのと同じでOK

 

スマートな●し方

人の●し方は、学校じゃ教えてくれない。

  • 半●し:目潰し
  • 全●し:目潰し → 睾丸を手でつかみ、握りつぶして、全力で引きちぎる。

男の弱点は、目と金玉と覚えておこう。

 

  1. 目に指を入れただけでは失明しない。眼底出血で1ヶ月ほど視力が失われるだけで済む。指を入れてかき回すと眼球が破裂して失明する。
  2. 男の生殖器は、神経が集まっており、痛覚も強い。金玉を蹴ったり握れば、痛みで悶絶する。

女性は全員、この2点を知っておいて欲しい。

 

anond:20180117235252

いくつになったらアセクシャル名乗っていいの?

現在大学3年生、身体的にも精神的にも女。

人を好きになったことは、まだない。

2度ほど告白されて、とりあえずでいいから付き合ってみないかと言われ頷いたものの、いずれも所謂男女の関係にはなれずお別れした。

友人や家族とそういう話になった時、何度そう説明しても

「まだ運命の人出会ってないだけだよ」「今は他のことで忙しいからじゃない?」

と言われ、まともに取りあって貰えない。

ネットとかで色々調べてみたら、どうやら自分のような人間一定数いるらしく、"アセクシャル"(無性愛者)と呼ばれていることを知った。

ただ、確証が持てない。

wikiとか見ても自覚時期については「第二次性徴期以降であることが多い。」としか書いてなくて、自分が無性愛者なのか、レズビアンなのか、はたまた友人たちの言う通り単なる奥手なタイプなのか、それは一体いつ判断していいんだろう。

そもそもから執着心や依存感情に縁が無く、広く浅く淡白な人間関係しかいたことがないので、これがセクシャリティ問題であるのかすら定かでない。

ちなみに男女問わず美しい顔が好き&刹那的青春っぽいエモさに弱いのでアイドルとかは好きでよく観に行く。

しかし当然ながら恋愛感情ではないと思う。推し多数だし、認知欲求もないので。

あと子どもも好きだし、いつか自分の子どもが持てたらとは思う。まあ現実的に無理だな。

別にこのままボンヤリと生きていけばいいかなと思ってたのだけども、最近まり上記のやり取りをすることが多く、しかもそれが結構ストレスであることに気付いた。

からこの際ハッキリ決めて宣言してしまおうと思ったものの、これ他のセクシャリティに比べて判断基準ぼんやりしすぎてないか?という印象が拭えず躊躇われる。

から誰か教えて下さい。

私はAセクなのでしょうか?

また、アセクシャルの明確な判断基準はないのでしょうか?

モヤモヤするわ~。

最近ツイッターで、「子供が出来たので予定していたツアーアルバム制作は中止します、ごめんね☆」

ということをファンに伝える謝罪文的なものを見た。

そいつは多分相当のバカだろう。過去には神だの、音楽素晴らしーだの、世界平和にする―だのの発言をしてるし、内容の深さがあまりにもないようなことばかり。

全てを中止して、子どもを生むまでは休止するという判断は懸命だ。

そもそも子どもができて、それを生んだ後のそいつにはもう大人があつかってくれるようなタレント的な価値はないのだろう。

それがあれば休止ではなく、作品の発表くらいの提案はしただろうし。

そいつとしては、「目標に【なってしまった】出産」というくらいだから本来望んでないのかなと。

もう二度と公の場に出ず、家庭をしっかりさせてほしい。

もうこいつのバカを見るだけでぶん殴りたい衝動が貯まり続ける。

祝辞呪詛を同時に聞かせてやる。

今の会社の悪いところ

今の会社SIer)への不満的なものが溜まってきたのでここに置いておきます

仮想通貨を買うタイミング

去年後半に仮想通貨めっちゃ流行ってるの見て、やってみたいなーと思ってちょっと調べた。

そしたら、なぜか必ず1月暴落を起こす「January Dip」って現象があるのを知って、これが落ち着いた後が参入タイミングかなー。とか漠然と考えて、とりあえず口座とか一通り準備は完了して、暴落を待ってたら、予想通り起きた。イマココ

ただ、今回の下落は、中国マイナー規制の影響、という見方もあるらしいので、下落傾向が今までより長そう。ということで、2月前半で上昇傾向ならまだフェイクと判断

2月後半で上昇なら持ってみようかなー。と考えている。

anond:20180116130219

読んでてすごく悲しくなってしまった。

この増田にとってコピーライターもそうだけど、クリエイティブ職業に対してものすごくマイナスで、馬鹿にしたような感情が見えるから

佐野さんの件は個人的にも残念な事件だったけど、それだけでクリエイティブな人たちのことを判断しないでほしい。

短い言葉商品作品表現して心をつかんでいくコピーを作れることは十分仕事に値する。

最近はどんな分野でも予算予算でどんどんクリエイティブな部分のお金が削られて、専任ではない人間兼任せざるを得ない状況が続いている。

うまく言えないんだけど、どこの案件でも、遊び心や、教養なんかの情緒に関する「すぐには必要ないもの」を真っ先に削っていく風潮をこのエントリから感じて怖くて悲しくなった。

漫画村が流行ったせいで

出版業界志望やめました。

しがない就活生一人の力違法アップロード業界縮小の流れをすぐに止めるのは無理だと判断しました。

広告系のほうに就活シフトします。

編集者になりたくて大学入ったのに。

クソくらえ。

anond:20180117125742

相手さんは良い判断したよ

これは会わないほうがいい

あったらもっと面倒なことになってた

相続に関する民法改正案、元の素案にまだあたってないからアレなんだけど、記事を読む限りあんまり意味なくないかなぁと思った。

多くの夫に先立たれた専業主婦の妻は、よほど稼いでいた夫を持っていた人以外は、世帯で受け取れる年金額もガクッと下がる。

そのような高齢独居長寿寡婦問題は確かに顕在化しつつあるんだけど、根本キャッシュフロー問題なので自宅を確保したところで解決にはなりにくい。

家を売ってキャッシュ化するのは「長生リスク」があるから難しいし、リバースモーゲージ適用できる地域は限られるし。

そもそも、家がある人はなんだかんだ多少であっても資金化できるわけで、高齢独居長寿寡婦問題は、むしろ自宅資産を持たずに過ごしちゃった人の方がより深刻だ。

相続人名義の家は自動的に残された配偶者のものになる、と言われても、現実では今のところは、

自分の取り分を厳密に主張して、配偶者を失った親から相続分を取り立てて住むところまで失くしてやろうとする子供はいない。

一次相続(親の片方が死んだとき)には、ほぼすべての大きな財産は残された親がそのまま継続保有するケースがほとんど。

もちろん余裕のある家なら子が財産を受け取るのも当たり前に起こってるけど、残された親が困窮するかもしれないのに財産要求する子は、寡聞にして知らない。

相続税がかかる金持ち一家場合でも、配偶者継続居住する自宅へはかなり大きな税額軽減があるので、その軽減策を選択しない人はまず見たことが無い。

まぁ今のところではあるけど。

美しい国日本では、「夫を失って悲しんでいる母親からぐるみ剥いででも相続分を確保してやろう」と考える子や

「夫を失って生活基盤が揺らいでいる母親」を見捨てる子が当然になる、という判断法務省はしているということなのだろうか。

まぁ親の老後の面倒を見る子世代も、そろそろ氷河期棄民世代差し掛かっているので

「夫を失って生活に困窮する母親物理的に面倒見きれない」層が増えるからというのもあるかもしれないが。こっちがメインかなぁ。

それはそれで、「高齢独居寡婦管理できない自宅を持て余して廃墟化」しやすくなりそうなんだけどなぁ。

2018-01-16

分かる

制度改定の利点・欠点をきちんと把握しないで、現象面だけで否定するな、というのはもっともだ。

https://anond.hatelabo.jp/20180116095356

参考までに、少し自分経験を述べる。東京ではない道府県の、似たような制度があった公立進学校入学した生徒を対象に、一度リサーチした結果だ。

 A入試点数と、一年後の校内偏差値との相関

 B中学校内申点と、一年後の校内偏差値との相関

 C内申点入試点数と、一年後の校内偏差値との相関

校内偏差値大学入試の結果は、かなりよく相関していることが進路のデータから分かっていたので、じゃあ高校入試の成績と校内偏差値との相関はどうだろうと思って調べてみたわけだ。Cが従来型の入試方法妥当性、Aが新型選抜妥当性、Bが内申点自体信頼性をはかるのに役立つと考えた。そして2~3年にわたって調査した結果、A、Bには実質相関が無く、Cにのいくらか相関が認められるということがわかった。

個人的には、地頭の良さは高校では大きいと思っていたので意外だった。どうも、公立高校での「学習成績」は、地頭とかだけではなく周囲との社会生活をうまく送れるかどうかにも左右されるということらしい。私立出身自分には意外だったが、確かに、生徒達を見ていると、公立高校では周囲とうまくコミュニケーションを取りながらやっていく「公立タイプ秀才」が多いようだ。ピーキー能力の持ち主はあまり場所がない様子だった。まあこれは地域にもよるのかもしれないが。

自分のいた所では、その後すぐこの制度がなくなってしまったが、結局Cによる判断が一番無難であることが分かったので、自分としてはそれなりに納得している。

中身読まずにタイトルだけでブクマつけるブックバカー多すぎ問題

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asagei.com/96582

t_massann これを批判するのは簡単だけど、数年に渡って標準的治療を受けて駄目だと判断してのことだろうから、本人の意思尊重されるべきだと思う

miragestlike 仙ちゃん◯したのはこいつか

YukeSkywalker なんでこういう人はトンデモ医療を受け入れてしまうんだ。

xevra スティーブジョブズ星野仙一も標準治療してたら助かる道は有ったのかもしれないのに。こういうトンデモが人を殺しながら暴利を貪る様はまさに妖怪。何とか収監できなものか。

舞台挨拶はしごはいいけど印象は良くないよ

なんかそういう感じのエントリを見て思い出したから書く。

数年前、地元(クソど田舎)の映画館で当時全盛期だったAKB!…の、無名メンバーが登場する舞台挨拶があった。

こちらの県では同じ日に昼夕の二回回し、

うちの映画館は昼に舞台挨拶映画上映

もう一軒の映画館では夕方から映画上映→舞台挨拶

といったスケジュールだったと思う

田舎AKBがくるのかと思って好奇心地元でやる昼の上映会のチケットを取った。チケット完売していなかったので映画が見やすいよう真ん中の席を選んだ。映画館に入ると前3列くらいまでは熱心なファンが座ってて、それ以降はぽつぽつ、中央よりうしろはほぼガラガラで、関係者らしきスーツのおじさんが頭を抱える始末だった。

舞台挨拶がはじまり和気藹々と進行した。

映画も楽しんでいってくださいね」なんて言いながらアイドルが退場したあとはその場にいた大多数の客が猛ダッシュで映画館を飛び出していった。夕方舞台挨拶を見るには映画を見ていては間に合わないという判断だろうけど、ほとんどの人が我先にと飛び出していくさまにちょっと引いた。

結局映画最後まで見たのは数人で、あの舞台挨拶も、映画自体大成功だったかはよくわからない。

でもこの経験をした以上、チケットが買えるんだし金を落としているからいいだろうというのは、さすがに乱暴すぎると感じるんだ。

地元に来てくれたAKBはもう卒業して久しいけれど、あの猛ダッシュが忘れられなくて、そのメンバー自体にもなんかいい印象がまったくないな。申し訳ないけど。

お金を落とすは大事だけど落とし方もあると思う。

それに映画はいつでも観れるという主張かもしれないけれど、この映画は見る価値ないよと教えてくれてるようにも捉えられてしまった。そんな記憶

人類が毛の呪縛から解放される日

私はハゲている。

毛は勝手に生えてくるし勝手に抜ける。生えてほしいところには生えてくれないのに、要らないところの毛はやたらと伸びる。

自分の体に生えている一番長い毛は乳首の横に一本だけ生えているチーくん。もはや友達だ。大切に伸ばしている。

女性脱毛お金をかけるのは自分コントロールの効かない部分を制御するためなのだ、という文章をどこかで読んだ。たしか自分自分コントロールの効かないハゲに頭を抱え、更にハゲ助長させている気がする。

ハゲはつらい。部下の女性と目が合わず彼女目線が上の方に行くのが分かる時が何よりつらい。風が多少なりとも吹いている日は前を向いて歩けない。濡れるとさら悲惨だ。海やプールへの誘いを一体何年断り続けているのだろう。ちなみに私はまだ20代なので、同僚たちのフサフサで艶のある髪を見て自尊心が傷付けられる。

ちなみに皮膚科に通っている。肌が弱いのがハゲの原因の一つにあるみたいだ。でも治療の成果が出ている気はしない。AGAについても調べたが、薬の副作用が怖いなと思って以来気が進まない。スキンヘッドにする勇気はまだない。頭の形が悪いし、頭皮に湿疹があるからできるだけ隠したい。

よし、そうだ、毛から解放された人類のことを想像しよう。

その人類は毛が一本も生えない。その代わり、オシャレカツラ産業がとても盛んだ。人々は自分オリジナリティ溢れるカツラデザイン表現する。カツラの色や形にも流行世代があって、カツラを見ればその人がだいたいどんな人間なのかが分かる。

まつげやまゆげが無いのは目に悪い気がするから、目を保護するためのつけまつげつけまゆげが普及している。あとつけ鼻毛も。つけ陰毛で愛を表現する人たちなんかも現れる。

人類は毛をコントロールし、デザインし、肉体のすべての制御を手中に収める。人類がまだ制御できないものは死とうんこくらいだ。

そんな世界になったら、チーくんと離別することにはなるものの、ハゲによって磨り減った私の心は輝きを取り戻し、海に行ったり風雨の中を堂々と歩いたりできるようになるのだ。自分制御できないもの判断されることは減り、我々は我々のことを自分の思うままにデザインすることができる。

でも、私は飽くなき人類の一員なので、毛の制御だけに飽き足らず、健康な肌や、凛々しい目や、高い身長に憧れて、それら全てを制御できる世界を夢見ることだろう。そんな世界での外見は、インターネット世界アバターみたいなものなのだろうか。

だいたい皆同じような美しい体や顔を持っていて、派手な装飾品やありえない色合いで差異を付ける。しかしそんなアバターばかりが増えてくると、自分ありのままを受け入れる「自然派」が一番だみたいな主張をする人たちが現れる。

世界は「アバター派」と「自然派」と「中間派」に別れ、それぞれに所属する人間たちにはなんとなく特有の傾向が生じてくる。そして終わりのない論争が起きる。昼下がりのワイドショーでそれぞれの派閥所属する人間たちが唾を飛ばし合う。

人間は与えられたものを受け入れるべきだ」「いいや、与えられたものだけで生きて行くのに苦痛を感じる人だって居る」「自分が苦しいと思うものだけ改善すればいいじゃないか」そんな怒号が飛び交うワイドショーから今日わんこ』にチャンネルを変えるところまでを想像し終わると、私はいつも考えることをやめて、頭皮に軟膏を塗り、チーくんが今日も元気かどうかを確認する。

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

ADHDは車の運転ができるの?していいの?

 

 

どうも、来年から社会人になるのですが、親から強制される形で自動車免許を取得するべく自動車学校に通っている学生です。

ADHDの人って車の運転できるのですか?そういうお話です。

僕は軽度のADHDです。多分。

最近ようやく症状を自覚するようになりました。短期記憶が著しく劣っていますし、少しのことでパニックになってしまい、連鎖的に何もかもがダメになってしまます

そんな僕が今日は初めて無線教習というものをやりました。既に自動車免許を取得されている方はご存知だと思いますが、無線教習とは指導教員から無線での指示のもと、一人で自動車に乗ってコース内を走行するといったものです。

僕はすでに10回近く自動車に乗っていますが、その何れも助手席には指導教員が乗っていました。何かミスがあれば、その場で指摘してくれます。僕はあまり要領が良い人間ではないので、最初の方はいつも失敗を繰り返します。なるべく同じ失敗をしないよう心掛けてはいますが、それでも失敗します。アルバイトではよく怒られたものです。

一方、自動車学校指導教員運転を生徒に教えることを目的としていますので、同じ失敗を繰り返しても怒るようなことはありません。アドバイスをくれたり、危ないときブレーキを踏んで停止してくれるので、むしろ落ち着いて運転ができていました。

ですか、今回の無線教習では車内に僕一人。おまけに同時に複数の生徒で教習を行うため、指導教員は僕から目を離すこともあります。手がめっちゃ震えました。頭の中で一つ一つの動作を思い出しながら、なるべく慎重に運転しました。それでもやってしまうんですね。はい

まずコースを間違えました。「一周まわって○○番交差点を右折ね」と指示を受けたのに、そのはるか手前の交差点を右折してしまいました。ほんの数秒前の指示すら正確に記憶できないんです。ダメですね、ホント

その後、気を取り直して走行していると、前方で別の指導教員コース上に現れ、僕の車に停止するよう指示をしました。何事かと停まってみると、どうやらサイドブレーキが完全に下げ切れていなかったようで、戻すよう指示されました。慌ててサイドブレーキを戻し、再びコースに戻り走行を始めたのですが……はて、僕はどこを走れば良いのでしょう。

先ほどのやりとりで、完全にその前の指示が頭から飛びました。とりあえずのろのろと走行していると、無線教習の指導教員から早く左折の合図を出すようにとの指示が来ました。どうやら僕は次の交差点左折すればよいみたいですね。残念ながらこの指導教員は一連のやり取りを見ていなかったようで、また僕がコースを間違えていると思ったことでしょう。いや、まぁ実際指示を忘れてコースを間違えていたんですけどね、はい

もうこの時点で冷静な判断が出来なくなってしまいました。その後もコースを間違え、ウィンカーを出し忘れ、しまいにはブレーキアクセルを踏み間違えて、前方の車両にぶつかりかけました。なんとか最後まで運転しましたが、授業の終了後、指導教員からは残念な目で見られながら励まされました。

こうして僕の最初無線教習は散々な結果で終わりました。いやぁ、キツイですね。正直、自動車なんて乗りたくないです。僕の命も危険ですが、周りの人たちにも危険を及ぼすのが車の怖い所です。

失敗をするのは、まだ運転に慣れていないだけで、今後は安全運転が出来るようになる、とは思えないんですよ。既に1年以上続けているアルバイトですら、未だにミスが発生します。自動車運転なんてちょっとミスですら事故に繋がる可能性がありますよね。

ここでタイトルです。僕のようなADHDが車を運転することが可能なんでしょうか?そもそも運転していいんですか?2014年に『JAMA Psychiatry』で発表されたスウェーデン研究によりますと、ADHDのある1万7000人超のデータを調べたところ、自動車事故を起こすリスク男性では通常の1.47倍、女性では1.45倍になるとのことです。

どんなに慣れた仕事でも、100%をこなすことが不可能に近い人間です。いつか必ずミスします。そして、それが運転でも例外なわけではありません。僕は運転したくないですね。なんで僕は自動車学校に通ってるんでしょう……。

底辺医学科4年生によるCBTの勉強法

大学医学科4年生が受けることになるCBTの個人的所感

および成績別の勉強法について書いていきます

CBTという試験不安だ、という人の助けになれば幸いです。

なぜ書こうと思ったか

というのも、「CBT 勉強法」などの検索ワードで出てくる諸々のサイトの内容では問題があると思ったからです。

現時点で出てくるサイトほとんど、「CBTの個人的勉強法」と銘打っているものたちですが、

実際は自分の成績がなかなか良かったことをドヤりたい連中が書いてることが、底辺から見させてもらえば丸わかりなんですね。

「数か月前から○○をやりました」「直前まで試験があって不十分なまま試験へ」「結果は80数%、多少不満が残る」

などなどなど。効率よくやってまあまあ上手くいったわ~。

ドヤってます。そして参考になりません。

そもそも成績がいい人はCBTに落ちないので。

落ちる訳のない人が落ちる訳のない勉強をして普通に受かった。それだけの話。

自分正真正銘底辺勢。

なんせCBT留年しましたんで。

先に申し上げておきますが。CBT留年は非常に危険です。

1、2年生の時の教養科目や3、4年生の専門科目で落第して留年するよりも危険です。

なぜならば、CBTは留年して再度勉強しても落ちる可能性が高いからです。

理由は単純でして、まず1年間やることがありません。堕落しようと思えばどこまででも堕落できてしまます

加えて当人は「なぜ落ちたのか」がわからないままに時間けが過ぎていくことになります

大学内の科の単位でしたら、一度留年した時点で、大学教員側もサポートしてくれます

先生方は悪人ではありませんから自力では受かることが出来なかった子は拾おうとしてくれます

ただし、助けを求めれば、ですけども。

とにかく、自分から行動すれば何とかなります

ところがCBTは国が問題策定しているテストです。

大学内に、言うなれば専門家」は存在しません。

先生方との面談でも、結局のところ、「勉強頑張って」というメッセージを送られるだけです。

実際それが正しくて、勉強さえすれば受かります

ただCBTに落ちる連中(自分含む)はどう勉強すればいいのかわからないというのが実際でして。

そういう人のためにどう勉強すべきか書こうと思います

1、現時点でクラス内で成績上位10%内にいる人

なぜこの記事を読んでいるんでしょうか?

その成績であるのに不安不安しょうがないのでしたらむしろ病院へ行きましょう。

あとしいて言うなら公衆衛生社会分野を勉強しましょう。

常識が足りていない可能性があります

2、現時点でクラス内成績上位50%内にいる人

あなたはもう受かっています

今までの勉強法で何の問題もありません。

おそらくいろんな人からQB(もしくはこあかり)をやろうと言われてると思います

言われた通りQBをやれば受かります

3、現時点でクラス内成績下位50%内にいる人

落ちる可能性があります

特に、今までサークル内の情報過去問等で定期試験パスしてきた人は討ち取られる可能性がやや高いです。

4、現時点でクラス内成績下位10%以下の人

まず落ちます

友人や先輩からの「まあ何とかなるよ」という言葉無視しましょう。

本当に落ちます危機感を持った方がいいです。

この記事あなた方のために書いています

1、2の人

ブラウザバックしてQBをやりましょう。

3の人

友人や先輩方に言われる通りです。

QBをやりましょう。そしてわからなかったことは病気が見えるや自分に合った参考書を用いて調べる。

基本的勉強を繰り返していけば問題はないです。

4の人

まずスマホたたき割りましょう。

スマホを手元に置いた状態勉強できる人種は成績下位10%にいません。

スマホが手元にない状態勉強できる環境を作りましょう。

自分スマホを家に置いた状態図書館大学学習室へ行って勉強していました。

そしてQBをやりましょう。

3と一緒じゃないか、と思われるかもしれませんが違います

QBだけ」をやるようにしましょう。

クラス成績下位10%にいる人は、現時点で持っている知識の量が他とは比べ物にならないくらい少ないです。

例えば大動脈から直接分岐する動脈3本言えますか?

アホみたいな問題ですけども、おそらく自信を持って言える人はこのランクはいないでしょう。

一度QBのVol1,2,3をやってみればわかると思いますが、8割方分かりません。(社会分野や公衆衛生常識問題なので例外です)

ここまで記事を読んでくださった1,2に該当する方は「自分もそうだったぞ」と思われるかもしれませんが、少し意味が違います

1,2の方は「答えがわからない」んです。4の人は「何を言ってるのかわからない」んです。

1,2の人であれば、出題された疾患に関する参考書を開けば、「ああ忘れてた。覚えとこ」となるんです。

4の人は違います。「へーこんな疾患あるんだ」となるんです。

ここからです。一から説明しないとアカレベルなんです。

で、改めてQBの解答解説を見てください。

1,2の人ならQB解説で納得がいきます

疾患そのものは知ってるからです。今まで知らなかった知識を埋めるか忘れてた知識を埋めることで充足できるからです。

4の人にはQBの解答解説では不十分です。

参考書を開いて疾患そのもの最初から学ぶところからやらないと知識としてまず定着しません。

何もわからねえ!となっていろんな参考書問題集に手を出すと最悪で、全然点数が上がらないままに本番を迎えることになります

QBのみをやりましょう。そしてQB問題はほぼ完ぺきにするようにしましょう。

オススメ勉強法は出題された各疾患をノートにまとめることです。というかやってください。

やらないと点数が上がらないです。

他のサイトでよく言われている、「QBの一周」というのは、少し表現に不足があります

QB問題参考書を用いてまとめつつ一周」です。問題ざっと読んで当たった外れたしてるだけでは勉強になりません。

故にQBオンラインもほぼ役に立ちません。少なくとも4のクラスの人には。

しかし、逆を言えば、ノートにまとめる。これだけで充分です。

どうしてもそれだけでは心配ならば、QB問題集最初にある、CBTの出題範囲となるコアカリキュラムを見てください。

そこに載っている疾患や指定された内容をさらノートにまとめましょう。

それをやれば、QBの内容でほぼ必修疾患は網羅されているということに気付くと思います

QBを信じよ・・・

加えて、ここが非常に重要なのですが、QBVol1の基礎医学の分野、真面目にやりましょう。

方々のサイトが、「点数に繋がりづらいのでほどほどに」などと書いてありますが違います

基礎医学分野は絶対にやった方がいいです。

基礎医学分野の点数が上がりづらいとみなが口々に言うのは、難問の中に、膨大な知識量を要求される問題が混じっているからです。

そもそも知識がまるでない4の人には、得点を稼げる猶予があります

ノートに一通りまとめれば点が取れるようになる問題が残っているはずです。

1,2年の間にろくすっぽ勉強してこなかったはずですから

基礎医学分野を7割から8割9割まで取れるように勉強するのは非常に大変です。

しかし、4のクラスの人はそもそも5割取れるか怪しいレベル

5割を7割にすることはそれほど無茶な学習をしなくても可能です。

更に、CBTは臨床分野が重要とは言われていますが、一部の臨床分野は基礎医学知識があって初めて理解が出来ます

臨床分野だけをひたすらやっても忘れます理解できないので。

そんなわけで基礎分野はきっちりやりましょう。ここが結果を左右します。本当に。

企業から販売されているCBT向けの映像講座について

見る価値はあります。が、複数回見る必要はありません。

一度真面目に見ることが大事です。

各科を大まかにまとめるのが目的講義ですので、詳細な部分は説明されません。

しかし、必須となる疾患の大まかな病態理解するのには非常に役に立ちます

身振り手振りを用いて疾患を説明してもらうのはかなり理解に役立ちます

しかし、「この疾患はこんな感じ~」というのがわかっても、「○○と○○を覚えろ」と指定された言葉意味はありません。

それよりはるかに膨大な知識要求されるので。

結局は冊子(QB)を用いて勉強するほかありません。

しかし、全くイメージの湧かない疾患を大まかにはいえ一発で理解できるのは非常に有用です。

一回見ましょう。それで充分です。

4の人向け結論

1、スマホをたたき割る。

半ば冗談、半ば本気で言ってます。隙あらばスマホを触る生活から離れましょう。

無論人によっては誘惑のものスマホでない場合もあるでしょう。とにかくそから離れましょう。そうしてようやくスタートです。

2、講義を見る

相性が悪いと判断した場合はやらないのも手です。

また、すでに試験が直前に迫っている場合絶対飛ばしましょう。直接点数に繋がる勉強ではないので。

付け焼刃でもいいから点数がほしい。そういう状況の際はやらない方がいいです。

3、QBを用いて勉強。わからない疾患や用語ノートにまとめる

これが全てです。1,2はこれのための下準備です。

以上です。たったこれだけです。QB参考書を用いて詳細を調べながら勉強すること。これに尽きます

これを時間が許す限り試験ギリギリまでやりましょう。

3のクラスの人も同様です。

個人的に非常に有用だった参考書

病気が見えるシリーズ

QBを用いるんですから当然使いましょう。ページ指定までしてくれています危機感を感じているなら今すぐ買いそろえましょう。

人体の正常構造機能

とんでもない名著です。様々な基礎医学分野の事項が必要十分に書かれています

標準なんちゃらのように詳しく書かれ過ぎてて意味が分からなくなっていることもありません。

CBT試験用として容量が絶妙なんですね。これ一冊で基礎はほぼカバーできます

何を買えばいいかからない場合はこれを買いましょう。

最後に、CBTは各大学合格基準がまちまちです。

自分大学は現時点で70%を合格点としていました。

国家試験合格率を上げようという大学全体の流れからして、これからは各大学合格ボーダーインフレがどんどん進んでいくでしょう。

ただ、勝手保障しますが、上記した勉強法で75%は取れます。(80%と言いたいところですが、多分勉強法の相性もあると思うのでちょっと謙遜

その間は自分の書いた勉強法通用するはずです。

2018-01-15

anond:20180115214537

沈黙は金」って言葉がある。

あれが格言として何世紀も残っていることが、意味しているのは、「日本人は減点法で人を判断する」という事実だ。

飲酒運転って減刑にならないとおかしくない?

もちろん、厳罰にするべきなんだけど

酒に酔って判断能力が落ちてたら普通減刑になるわけじゃん

判断能力が失われてるなかでやる犯罪なんだから

本来普通に事故するより刑が軽くないとおかしくないか

逆にもし酒飲んでて厳罰になるなら

他の犯罪についても酒飲んでるからこそ罪を重くするみたいなケースがたくさんないとおかし

そこんとこどうなってるの?

anond:20180115173014

そういう判断をする奴のアニメ語りは読む必要がないと断言できる

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん