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2017-08-18

高等教育無償化

高校卒業後すぐ大学に進学するという流れに無批判な人が多すぎる

一旦社会人になってから入学でもいいじゃないか

23区内での定員増は半数を社会人枠にするとかさ

リカレント教育も増やしてよ

大学選ぶときに「くらきまいいるか立命館」ってのを割りとほんきで考えてた時期があった

でも計算したら自分入学と同時に卒業するらしいことがわかって一気に冷めた

でも推薦で入れるってのはかなり魅力的に感じた

結局滑り止めの私立地元を受けた

うーん私立合格発表まったく記憶にない・・・一応受かったはずだけどやっぱ国公立受かったインパクトのほうが強かったせいか

2017-08-17

大学辞めた石田祐希ってブロガーどうしたんだろう?

大学辞めて起業しま~すって記事上げたら1000ブックマークついた人ね。

最近思い出した。

名前あやふやだったから、けんすうの対談みつけてすっきり。

ブログを探したんだけど見つからない。

ツイッター更新停止。

ブログツイッターはお休みするそうな。

1言でいうと

「親かわいそう」

レールに乗った人生やだーっていって

起業して頑張ってくれるのかと思いきや何もせず。

入学金返して!!って叫びたくなるだろ。

いや、ネットから消えただけで頑張ってるんだよ、彼は!!

という話を聞きたい。

起業できたのかなあ。

何したかったんだかわかんなかったのが残念。

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

2017-08-13

ブックマーカー正論でも食ってろ

甲子園下関国際の監督がこっぴどく叩かれてる。

中にはありがたい教育論やご高説を垂れるやつもいる。

だけど、その中で偏差値36の高校でまともに教育受けさせられる奴がどれだけいるのよ。

野球部とは言わなくても、全国大会出場させて、偏差値50以上の大学一般入試入学させられる文武両道教育をちゃんと与えられる奴なんているの?

もういっそ部活してなくて帰宅部でもいいよ。

君らはいつも正論自分の信じたい理想論で人をぶん殴るけど、自分とは無関係責任現実の汚いとこも背負わなくていいとこから石投げてるだけなんだよ。

空虚無責任正論なんて無価値なんだよ。

ネットで許しがたい悪を叩いてる暇があるなら、君らの有り難い教育論で底辺高校の生徒を救ってやってくれ。

そもそも、偉そうに正論理想論を振りかざすやつは、他人批判できるほど、理想的模範的生活を送ってるの?もう一度自分の胸に手を当てて、その発言にどれだけ実感があるのか考えてみてよ。

2017-08-12

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

変な学歴社会学歴偏重日本ダメにしている。

<現状>

1.戦後日本経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の

  高等学修機関大学短期大学専門学校等)への進学率も上昇してきた。

2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気崩壊)までの約20年間(1972年~92年)

  は、女性社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%

  台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)

  http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/

  http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に

  は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)

4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の

  上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。

5.しかし、これも上述のように長引く不況非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、

  親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する

  という社会問題も出てきている。

6.また、日本大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生

  時代」という独特な文化もあり、企業就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や

  研究してきた事は重視せず、「部活動リーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など

  という学問とは関係ない事を重視する傾向がある。

7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、

  バブル崩壊後の長い不況雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業

  で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと

  考える事ができる。

8.大学数が増加し、いわゆるフリーパス入学できる大学(Fランク語源)が増加した事も背景

  にある。

9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代学習してきた事を活かそうというシステム

  になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務

  ついては配属先に丸投げという文化が定着している。

提言

1.仕事を創出している企業経営者人事部門などの採用する側の意識から学歴に対する昔の

  イメージをなくし、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代

  ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。

2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと

  いった、いわゆる人間力判断する事をやめる。

  (なぜなら、それは採用時には測定不可能から

3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味多様性を求

  めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学

  院卒業者も含めて、必ず一定数は採用するように努める。

  そして、新卒者に限らず、既卒者も希望によっては、新卒と同等の扱いをする事を可能とする。

  これは給与なども含めて全ての面で、という意味である

無理して奨学金で金借りてまで大学に行く必要ある?

 昔は奨学金って頭いいやつが特待生として受け取るもんだと思ってたけど・・・

 結局は利子付きで数百万も借りて、後で困窮するって選択肢として無理があると思う。

 もうちょっとバイトとかで金貯めて、自分の中の方針が定まってから入学したって遅くない。モチベも違ってくるし。

 自分で予め入学金を稼げば、それを無駄にしたくないって意識だって働く。

 今の風潮は自分でわざわざ重過ぎる借金を背負うも同然。

 確かに、若くて時間が有り余ってる内にいろいろやってみるというのは分かるが。

 適応力に乏しくて上手く時間が使えずに何も出来ないオレみたいなのも沢山居るわけで。

 

2017-08-09

40代大学非常勤講師でも後悔はない

都内私立入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力好きな人新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学自由雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求けが続いたんだと思う。

30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的海外留学した。最初語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文テーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。

留学を始めたばかりのころは新聞社給料が良かったか貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学非常勤で何コマ担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学大学生相手仕事をしていれば、自分生活水準が低くても気にならないか自分収入の低さはあまり気にならない。非常勤講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいから、結果として今すでに隅っこに入っている自分担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤講師にすらなれなかった。非常勤講師アカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。

40代大学非常勤講師といえば悲惨人生典型例のように言われる。無駄高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からいからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系企業に雇ってもらえるけれど、文系博士大学教師になる以外に道は残されていない。文系博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社就職することはなかったと思うし、それがなければ学問世界キャリアもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。

今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。

キモ金おじさんと努力関係

自動車免許の取得に例えてみよう。

「俺は貧乏自動車学校入学金すら払えない。これは格差、俺は被害者だ。」

「俺の家はクソ田舎自動車学校からめちゃくちゃ遠い。これも格差、俺は被害者だ。」

と、延々と呪詛並べててもいつまで経っても免許は取れん。何も行動してないからだ。

これが「俺は●●部落出身から自動車学校入学を断られた。」とかなら完全に差別だけど、そうじゃないよな?

最初に挙げた二つの課題自分の力で超克できる。どうしても免許を取りたいなら、どうにかしてこの課題を乗り越えるしかない。

土方で金貯めて合宿型の自動車学校行くも良し、学校わず私有地練習で一発合格目指すも良し、努力の仕方は人それぞれだ。

でも、努力のもの放棄して「俺より恵まれ金持ち・都会住み全員死ね!誰か、俺に免許を与えてくれやクソが!」と

大声でわめき散らしたところで見苦しいだけで、誰も同情してくれないと思うんだよな。できる範囲努力はしようぜ。

「俺は努力した!でもダメだったぞ!」って返しが来るだろうけど、それは大抵努力ベクトル絶望的に間違ってる。

今回の例えで言うならば「『3日で免許取得キット』っていう30万の情報商材買ったのに落ちたぞ!」みたいな。

https://anond.hatelabo.jp/20170809124743

保育園児とかじゃなくてホイ「卒」なのは

幼稚園に入れない年齢のうちだけ保育園だが『卒園(6歳小学校入学直前)』まではいない」人を除く、

って意味も含まれてるんじゃね?

2017-08-08

流れてきて8年目になった

中学校の成績は中の上ぐらいで、友達受験する普通高校合格する自信が無かったから、兄弟が通っていた実業高校を選んだ。県内でも下から数えた方が早いくら偏差値が低くて、自分学力でも余裕でやっていけそうだと思った。履歴書に書けないような検定・資格試験対策がメインだったけど、ゲームクリアするような感覚で楽しかった。少し頑張れば常に成績はトップだった。卒業後の進路は先生に進められるまま、地元国公立大学受験した。もちろん正面からセンター試験突破できるような学力はなかったので、推薦を受けて合格した。

入学してしばらくは講義を真面目に受けて、分からないことは教授質問しに行って、必死に食らいついていた。学科の先輩たちとの勉強会にも頻繁に参加して、大学って楽しいと思っていた。でも1年後期には、講義を受けるだけでは追いつかなくなって、質問をしても返ってくる答えの意味理解できなくなった。基礎学力があまりにも足りないんだとようやく気づいた。でもまだ1年後期だし、今から勉強すれば遅くないと思っていた。そして学力不足を補うことができないまま大学3年になって、単位を落とすことはなかったけど評価は散々だった。

大学3年になると研究が始まって、ただ講義を受けてレポートを出せばいいってわけじゃなくなった。自分で考えて研究を進めないといけないのに、今まで受け身でしか物事を考えてこなかったから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。ゼミに入って進捗報告を求められてもその場しのぎの報告しかできなくて、どんどん切羽詰まっていった。

大学4年になって、卒業研究中間発表の時期がきても状況は変わらなかった。その頃から文章が読めなくなったり、思考停止が著しくなってきて変だなと思った。でも自分がサボってきたツケが回ってきたのだと思うことにした。そのうち熱が下がらなくなり、身体が痛み、起きられなくなった。風邪だと思って病院に行ったら精神科受診を勧められた。うつ病だった。休学を勧められたけど、中学ぶりに自分で頑張ったと思えた院試合格内定無駄にしたくなくて、薬を飲みながら大学には通い続けた。どうにかお粗末すぎる論文を書き上げ、卒業はできたけどもう限界だった。

でも環境が変われば体調も良くなると思って、そのまま院進した。大学とは少し違った講義スタイルで、友達にも恵まれてしばらくは元気に過ごすことができた。でもやっぱり学力不足とお粗末な論文を書いた研究の続きをやらなくてはいけないという不甲斐なさは消えず、体調はだんだん悪くなった。夏休みに入る頃にはまた起きられない日も増えて、研究活動は一旦休み、履修している講義単位を取ることだけに集中した。そして、同期が就活を始めたのを知って心がぽっきり折れた。こんなボロボロ状態ではこの先やっていけないと、ようやく決心がついて後期の休学を決めた。

研究から離れると気が楽になって、体調もかなり良くなった。カウンセリングを受けて、研究に対する考えを整理したのも良かったのかもしれない。1年間の休学を終えて、復学後は研究テーマを変えて少しずつ作業ができるようになっていた。でもそれは長く続かず、最近また何も手につかないことが増えた。前みたいに体調が悪いわけではなく、ただただやる気が起きない。タスクを書き出して細分化したうちの1つも満足に終わらせられない。

そもそも僕は勉学に自信がなかったのに、いつの間にそれを自分がやりたいことだと思い込んでしまったんだろう。今研究している分野も高校でやっていたことの延長線で、本当にやりたかったとは到底思えない。院進した理由も、就活が上手くいく自信が無かったからで、研究がしたいという嘘の理由を作って不安から逃げていただけに過ぎない。僕は自分自分の首を締めることを選んできたことに向き合うまでに、あまりにも時間をかけてしまった。

またしばらく研究活動を休むことにした。自分の今後の進路について、今度こそしっかり考えようと思う。逃げや甘えだと言われるのは分かっている。全て努力不足が招いた結果だとはっきりと分かる。だからこそ、何を言われても否定せず、逃げずに自分に向き合うことが、今できる最善の手段だと思う。8年間流れるままだった自分選択を、次こそは自分で決めたと断言できるようになりたい。

2017-08-07

しかった彼女

10年前、私が高校生だったころ、同級生にとても美しい子がいた。

入学から地元紙などに載っていて、彼女が歩けば街がざわめくと評判だった。

私も初めて彼女を見たとき、こんなに目を開けたことがないと言うほど目を開いたので、しばらく瞼の辺りが筋肉痛になったほどだった。

そうしてでも目に焼き付けておきたいほど彼女は美しかった。

肌は、中国陶工人生を捧げて作るあの白よりも甘い白だったし、目は、星くずを集めて作る装飾品より輝いていた。彼女が笑えば花が咲いたし、彼女が憂えば花は散った。

もし今ぐらいSNSが発展していたら、彼女写真を上げればTwitterを使っている全員がRTしていたので、500万RTくらいいっていただろう。いや、彼女写真を見るために皆がTwitterを始めただろうから、70億RTはいっていたかもしれない。まあとにかく彼女は美しかった。

私は彼女と仲良くはなかったが、同じクラスだったので何度か口を聞いたことがあった。彼女の美しさに私は引け目を感じていたので、いつもどこかへりくだった感じだった。

私が地味なグループだったということもあるけれど、彼女クラス女子全員とそんな風な関係だったと思う。

誰も休みの日に彼女遊んだことは無かったし、彼女が大きな声で笑ったり泣いたりするところも見たことがなかった。彼女はいつもどこかぼんやりしていた。

私は彼女を見てから美というもの存在を知り、ファッションメイクを好きになり、大学進学のため東京に出て、卒業してから美容に関わる仕事に就いた。

その間、何度か整形をして、酔った男たちから美人と言われるぐらいにはなった。けれど彼女には遠く及ばなかった。仕事モデル女優といった、国中から集めた美女達と幾人も会った。彼女たちはみな美しかった。けれどみな彼女ほどには美しくなかった。

先週地元彼女と会った。

有名な待ち合わせ場所広場を横切っていると何かが目について、ん?と思ってじっくり周りを見てみると彼女がいた。

私が彼女を見ていると彼女も私に気づいた。彼女笑顔で私に駆け寄り、すごい!久しぶり!と笑った。

彼女と私はそんな関係ではなかったし、彼女もそんな性格ではなかったから私はとても驚いた。

しばらく近況を話したあと、何か変わったね?というと、彼女はそうかな?と首をかしげた。

「前ってもうちょっとふわふわしてたっていうかさ、なんか明るくなったっていうか、いや、前が暗かったってわけじゃないんだけど」

あはは、そうかも。あの頃って何か気を張ってたからさ、それより○○こそ変わったよ!すごくきれいになったね!」

「そんなことないよ、○○こそ相変わらずきれいだね」

嘘ではなかった。周りの男たちはみな彼女のことを振り向いてから去っていった。彼女は美しかった。けれど昔ほどではなかった。あの頃の彼女が街を歩けば振り向いた男たちは皆石化したように永遠にその場を動かなかっただろう。

何が彼女を変えたのかはわからない。誰にも平等に降り注ぐ時という試練か、生活というぬるい毒か。

それか、私の方が変わったのかもしれない。東京美女に眼が慣れたのか、整形したことで美に対する憧れが薄くなったのか。

もし私たち2人が並んで、男性10人にどちらを選ぶかと聞いたら、あの頃なら10人が10彼女を選んだだろう。だけど今なら3人くらいは私を選んでくれてもおかしくはない。

私は少し嬉しかった。

私は少し悲しかった。

「あの頃はさ、色んなことに気をつけなきゃいけなくて、あんまり余裕がなかったんだ。雑誌に出て少しだけ有名になっちゃったから、大変なこととかが割りとあって」

彼女が笑った。花が散った。

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806202026

老婆心から申し上げると、中高一貫校で良い環境と思えているのは、あなたにそれなりの地頭学力があったからにほかならない。

子供学力と家庭の財力に恵まれていたならば、中高一貫高はお勧めである点には同意だが、

小学校の時必死勉強させて入学できたものの、そこが学力限界で中高ではすっかり落ちこぼれしまった子は大変な思いをしているはずだ。

一目惚れ面食いじゃない!

小学生とき一目惚れした転校生くんはつむじから飛び出るアホ毛から目が離せなくて好きになった!

中学生ときは斜め前の席の男子ズボン靴下の隙間から見えたくるぶしが忘れられなくて好きになった!

高校入学時には提出物に書かれてた文字一目惚れして後から本人を探して初めて顔を見たくらいだし!

顔以外にだって一目惚れする要素はあるんだよ!

短絡的に「イケメン好き」ってまとめんな過去に好きになった人に1人もイケメンいないわ!

2017-08-04

AKIRA登場人物の裏設定

http://www.albatro.jp/birdyard/movie-animation/akira/index.htm

>主人公 金田正太郎過去設定

劇中では語られないが、クリーニング店経営の両親と障害を持つ弟がいたという設定があります父親は弟の看病疲れでアルコール依存症を患い、母親蒸発し、父親扶養能力が無くなった事で、養護施設入りなります。 その後は寄宿制の中学校入学するも、翌年に非行に走り、さら警察沙汰を起こして退学されられます職業訓練校に編入し、バイクチームを結成、マンガ舞台へと続きます

2003年9月5日まれ

クラス友達が死んだ

突然、担任が教壇の前で、授業後大事な話がありますと言った。

英語の答案返しをしていた。夏休みまであと1週間を切り、教室はどこかふわついた雰囲気が漂っている。各々夏にどこに行く、何をするだの小声で話していた。

授業後、担任教室に入ってきた。

担任は、どこかずれている。思ったことを言語化するのが苦手で言い間違えや方言が多々混じる。今回も試験の成績が悪いか夏休みしっかり勉強しろといったニュアンスのことを茶化しながら聞くのだろうなと思った。

「今朝東山君が亡くなりました。」

意味が分からなかった。

亡くなるとは何だろうか。明日明後日永遠に会えないし、話せない、何かを共有できなくなることなのか。

そんなはずはなかった。

昨日、東山国語試験に遅れて0点になったことを冗談めかして嘆いていた。

校内で1番厳しい先生の授業中、ムカデが思わぬところから出てきて一緒に必死になって笑いを堪えていた。

入学当初、人見知りで誰にも話しかけられずどこか距離をおいていた私に声をかけてくれた。

担任交通事故だと言った。葬儀の詳細は分かりしだり連絡すると言った。気分が悪い人は早退していいと言った。

「それとついでに言っとくけど、レポート出してない人多いから早く出してね。」

課題提出の催促で話は終わった。

物心ついてから初めての死だった。

今日というのは昨日の延長線で等しく全てに与えられるものだと思っていた。

あいつの分まで生きようなんて白々しいことはまだ思えない。

心のどこかでは、また教室にひょっこりと現れるんじゃないかと思っている。

駄文失礼しました。他に吐き出すところがないのでここに投稿します。

https://anond.hatelabo.jp/20170804174557

から入学ハードル落としてたくさん入学させてたくさんお金回収して一人当たりの学費減らして

馬鹿に夢を見させた後、蹴りだして

本当に勉強できるやつだけ卒業させるアメリカのやり方が正しいんだよ

中学不登校定時制Fラン入学

中学数学英語も危ういのに無事Fランク大学へ進学した。そりゃそうよなという感じで、期末試験はできなさすぎて終わった。学力が足りてない人間が行くべきではなかったのだ。

いってた高校商業高校定時制課程があるような感じで、商業科目も学べた。だから自分商業科目ばかりを選択して取った。必修である数1、英語国語などなどは必要最低限だけ取って、残りは商業科目に全ふりした。

結果がこのザマである

もっと商業とかそう言ったの学びたいと思って進学にしたが大学を選んだのは間違いだったのだと今になって思った。なぜ専門学校へ行かなかったのだろう。

自分プロフィール自己紹介で、いちいち○○大学出身ですって言う

こういう人って、何目的?っていつも思う。

早慶あたりだと特にアピールする人が多い。あれってなんなんだろう?

そんな何年前かもわからないことを今言われてもさあってよく思うのだが。おまえがどこの大学出てようが、兄弟何人ですって言われるくらいどうでもいいわ。

特に東大の院に他大学から入ったケース、こいつらのアピールはすさまじい。

自分の友人は京大出身で、書籍も出しているが、自分出身大学について一切語っていない。

この差は何なんだ??

そんなに誇らしいのかどうか、彼らの主観はよくわからないが、

自分なりに分析させてもらうと、大学名によってアイデンティティーを誇示しようとしているようにしか見えない。

逆に中身がない人なんじゃないか?っていつも疑う。

  • もっと上を目指した結果、やむを得ず行っている人。

こういう人はおそらく触れないと思う。

以下のケースは絶対ヤバイ

こいつらも間違いなくアピールしてくるだろう。

そういう自分旧帝大には及ばない主要都市部理系国立大学出身だが、まったく話題にしたことはない。FBにも載せてないし。

おっと、できないだけだろってツッコミは勘弁してください。

2017-08-03

[]Fラン

Fラン」という言葉河合塾用語発祥

Fランク」というワードは、元は河合塾大学難易度ランキング作成した際に名付けた言葉です。

意味は「不合格者数が極めて少ない、または皆無なため、偏差値を付けることが不可能大学学部」です。

「Fラン」という言葉の由来 | Fラン.com

よって下記は正確ではない。

すべての大学は、大手予備校実施する模擬試験偏差値によって完全に段階分けされている。そして、受験偏差値の低い、つまり志願者の少ない大学は、入学選抜機能を果たさずフリーに入れる状態になっている。こうした大学は、「FREE」の頭文字を取って、「Fランク大学」と呼ばれていることは、周知の事実だろう。

「教育困難大学」のあまりにもひどい授業風景 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

森鴎外12歳で東大医学部入学したが

レイプされかけたので護身用にナイフを持ち歩いていたと見て、今も昔も女が居なくても男子大学生レイパーなのかとドン引きした。

【激アツ】パチンコ店の車内放置をなくす方法

つの頃か知らんが18歳未満はパチ屋に厳格に立入禁止にしてそれを守らないホールに厳しい処分をするようになった

そのおかげで車内放置が起こる、言ってみれば警察による犠牲なんすよ

車内放置をなくすには0歳児~小学校入学前くらいはパチ屋に入場はできるようにするべきだ

もちろん打つの禁止だが漫画コーナーで漫画絵本を読ませるくらいならいいと思うけどね

まあホール側も子供を預かってなにか怪我でもさせたら責任追及されるのが嫌なんだろうけど

そういうパチンコを打つクズ親こそいざというときは訴えるだの慰謝料払えだのと揉め事を起こすから

というかこういう車内放置パチ屋で起こるとパチンコが悪いと必ず叩かれる

叩かれるべきは親なのにね

これがスーパーで親が買い物に夢中になって赤ちゃんを車内放置して蒸し殺したんだったら親が悪いってなるけど

2017-08-02

貧困JK話題になったとき

萌えアニメ円盤買って毎日シコる生活を送りながらアイドル声優ライブに通っていたせいで

代々木アニメーション学院入学費用がなかった

キモオタ男子高校生は救済するんですか?という問いかけに誰一人答えなかったのを俺はずっと覚えてる

2017-08-01

20にしてやっと自分の女としての人生危惧しだす

20歳大学生自分で言うのもなんだけど勉強できて今までの人生も割となんでもそつなくこなしてきた。

でも今抱えてるコンプレックス20歳なのに処女。それどころか今まで彼氏も一人しかいたことない。

告白とか両手人数くらいされてきたし、高校とか花形スポーツ男子運動部マネージャーなんかしちゃって、それなりにちやほや女としていい人生送ってきたと思ってたけど

大学入学したら自分井の中の蛙状態だったことに気付いた。

女としての幸せって仕事とかキャリアとか趣味の充実とかいろいろあると思うけど

世間体とか親のこととか考えたら一番間違いない安パイ結婚だよね。

なのに私まだ処女自分がどんどん女としての理想からはみ出ていく感じをひしひしと感じて毎日生きづらい。

どこで間違えたんだろう…

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