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2018-06-18

俺は自分の顔がかっこいいと思っている

俺は自分の顔がかっこいいと思っている。そしてそんな自分気持ち悪くて仕方が無い。

これから、そうなっていった過程の話をする。それが良かったとか悪かったとかの話ではない。過程の話をする。要するに、自分過去をだらだらと綴る。

俺は小さい頃、具体的には中学にあがる前後くらいまで、親や周囲にかわいいかわいいと言われてきた。そして俺はそれを「自分の顔がかっこいい」のだと解釈していた。わかっていると思うが、一応言っておくと俺は男だ。

幼稚園の頃、俺はモテていたらしい。幼稚園の頃の記憶などほとんどないが、お前はモテていたと親から聞いた。

そして、小学校にあがったとき、俺は全く、微塵もモテていなかった。なぜか。それは、俺がかっこつけていたかである

俺が運動が苦手だった。そして、泣き虫だった。ついでにいえば、性格が暗かった。そのくせ、妙なところでかっこつけていた。なぜかっこつけていたかというと、この頃からすでに自分の顔がかっこいいと思っていて、顔がかっこいい奴がかっこいいことをすればそれはとてもかっこよくなると思っていたからだ。

妙なところというのは自分でも説明しがたいのだが、具体例をひとつ挙げるとすれば、昼休みに朝礼台の階段をかっこつけて上り下りをしていた。何を言っているのかわからないと思う。自分でもこの行動はほんとうに意味がわからない。なんかそれがかっこいいと思っていたのだ。要するに、俺は小学校の頃からキモかったということだ。

中学にあがった。その頃俺は泣き虫自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった。さすがにまずいと思った。このままではずっと馬鹿にされて生きていくことになると思った。顔がかっこいいのに泣き虫からずっと馬鹿にされて生きていくことになると思った。そしてどうしたら泣かなくなるか考えた結果、俺は周囲の刺激から守るため自分の心に蓋を被せた。自分が傷つかないように、心の感覚神経を鈍くした。ように自分自身に見せかけた。そんなことはできるはずがない。めちゃくちゃ強がって周囲の刺激が、人に言われた嫌なことが心に響いていないフリをした。この話はあまり関係いか脱線してしまった。

高校にあがった。入学当初、俺はモテた。小中学校はほぼ変わらない面子だったが、高校では俺のことを知っている人間が少なかった。だからモテた。なんかクラス女子からやたら話しかけられた。気持ちよかった。これがモテるということかと思った。だが、二学期にもなればそれは冷めた。授業中も休み時間も机に伏せている男には、いくら顔がかっこいいといえどよって来る女の子はいなかった。当たり前だ。あと、俺はモテたいとは思っていたが、顔がかっこよければなんとかなるとだけぼんやりと思っているだけで、女子と(男子でもそうだが)うまく話せるでもなく、自分から女子に(というか人に)寄っていけるでもなく、モテるためのなにかしらの努力をするでもなかった。

この「顔がかっこよければなんとかなる」という考えはモテるということに限ったものではなかった。人生に対してもそうだった。俺は顔がかっこいいか人生なんとかなると思っていた。紛れもないバカ。何も考えていない証拠である。一応言い訳しておくと、全面的にそう思っていたわけではないが、心の隅にこの考えが常にあった。そして、だいたいこの中学高校あたりから客観視というもの大分できるようになっていったので、「自分の顔がかっこいいと思っている自分」が気持ち悪くて仕方がなくなった。

大学バイトを始めた。ミスしまくる。仕事が全く覚えられない。顔がかっこいいことはファミレスホールに全く役に立たない。非常にバカな話だが、バイトときも、心の隅に「顔かっこいい」の考えがあった。結局店長に怒られまくって2ヶ月でやめた。その後もいくつかバイトをしたが、どれも長続きせず、大学生活後半は全くバイトをしなかった。勉強もあまりしなかった。



そんなこんなで今に至る。書いていてすごく恥ずかしかった。自分でもよくこんなことやったなと思う。何回顔がかっこいいって書いたんだ。語彙力の無さを実感する。

ここまで読んでわかったかもしれないが、俺には自分の顔がかっこいいと思っていること、すなわち、自意識過剰が過ぎること以外にも多くの人間的な問題がある。そしてそれは仮に自分の顔について何も思わなくなったとしても解決するわけではない。現在俺は一応就活中の大学4年生だ。が、今はそんなことをしている場合ではない。している場合といえばしている場合だが、今はそれよりもやらなければいけないことがある。俺は変わりたい。自意識過剰をどうにかしたい。誰かアドバイスをください。あとよければ自意識過剰以外の問題アドバイスもください。お願いします。

あーー予防線張りすぎた。気持ち悪い。

2018-06-13

世間内定習得率は65パーセントらしい。私はまだ35パーセントの中にいる。

自分なりに、去年の夏からやれることはやってきたつもりだった。すべては今後のため。何十年かはわからないけど、人生殆どを過ごす会社くらい、自分が一番希望したところへ行きたいと思っていた。

もうすぐ6月も後半。内定ひとつもない。何時間もかけて書いたES履歴書早起きをしてお金を払って都心まで行って、練習したとおりに言葉遣い笑顔に気を配って質問に受け答えをして。それら労力のすべてが、二週間後くらいには数行のメールに変わる。書いてあることは同じ。

「誠に申し訳ございませんが、採用を見送らせていただくこととなりました。貴殿のご健勝をお祈りいたします。」

何が悪かったのか。考えてもわからない。ご縁は目に見えない概念だ。はっきりと態度が嫌だったとか、適性検査の結果がだめだったとか、言ってくれればこちだって次に繋げられるのに。ご縁はどうすれば改善できるのだろう。

志望していた業界企業ほとんど選考を締め切ってしまっている。いまから業界を変えて、研究して、また志望動機を考えて……気が遠くなってくる。そもそもいまから募集を始める企業なんて存在しているのだろうか。

友人もほとんど就活を終えて、髪を染めて、楽しそうに旅行の話をしている。学校に行って、普通に話していても、気を遣われているのが痛いほど伝わってくる。「あなたにあう企業がきっとある」「まだ始まったばかり」「これからが本番」「いつかきっと報われる」……4月にも5月にも同じことを言われていた。正直もう、ポジティブ言葉は聞き飽きた。はっきりいってくれ。何がだめなんだ。私はそれほどまでに社会不適合者なのか。

面接へ行くのにはお金がいる。アルバイト中、男性に怒鳴りつけられた。店で買ったストップウォッチ不良品だという話だった。商品を詳しく見ると、絶縁テープがついたままになっている。あれ、と思って外してみると、やはり商品は正常に動き始めた。するとその様子をみていた男性に、何故だかもっと怒鳴られてしまった。絶縁テープをひっぱれなんてどこにも書いてなかった。返金しろレジの前で、何人もが見ている中で激しく叱られた。男性スーツを着ていた。男性しかに、立派なスーツを着ていた。彼は社会に求められている。私とは違う。私より、この男性の方が社会価値がある。この人は就活を何十年も前に終えて、人として認められている。

何が何だかよくわからない。カンボジアボランティアへ行ったら偉いのか。ニュージーランド留学へ行ったら偉いのか。自ら主体的に動いて部活動問題解決したエピソードがあれば、なにかコンクール大会入賞した経験があれば、あるいは。

今までの人生就活のために生きてきたわけではない。高校受験大学受験自分が行きたいところに入学した。一連の流れに特別性はない。ほかの人は違うのだろうか。みんな何か特別なことを成し遂げてここに立っているのだろうか。

家に帰ると母がスーツ姿の私を傷つけないように、傷つけないように、と言葉を選びながら就活の進捗を聞いてくる。最終面接二つ受けて結果待ちって言ったよね。ごめんね。あれ昨日二つとも不採用メールがきたんだ。また最初から頑張らないといけないの。そんなことがずっと言えないままで、大丈夫だよとか、心配しないでとか、あやふや言葉しか出てこない。

私には兄が二人いて、父親がいない。兄は高卒で、いまはアルバイトをしている。母も高卒だった。だから大学に行かせてもらって就活をしているのは私しかいない。そんな私がこんな失敗作で本当に情けない。申し訳ない。こんな私が、何の役にも立てない私が家でのうのうと、お母さんがパート終わりで疲れてるのに作ってくれたご飯を食べていていいんだろうか。生きていていいんだろうか。毎日何をしててもそんなことを考えてしまう。

気に入っていた茶色い髪も、楽しみにしていた友達との旅行も、大好きな服を買うお金も。全部全部あきらめた。流行りの服も、メイクも。お気に入りスニーカーも埃をかぶっている。毎日毎日リクルートパンプス、“適切な”メイク。そろそろもう、限界を感じている。

生きていることに理由がない。死ぬことにも理由がない。だから自殺なんか考えたくない。就活に疲れて自殺なんてバカバカしい。わかっている。分かっているけどふと、ホーム電車を待っている時。家に一人きりでいる時。信号待ちをしている時。今なんじゃないか?という声が聞こえる。頭の中でもう一人の自分必死に死を促してくる。死にたい、という気持ちがあるわけじゃない。ただ、そうした方が楽なんじゃないか?と投げかけてくる自分自身がいる。

なんだかもう、ひどく疲れた。近くない、けれどきっと遠くもない未来、情けない私が愚かに自分自身の誘惑に負けて、親を悲しませる選択をしてしまったら。そのときは私の実名と、そこに至った経緯が全国へ公開されて、偉い人がニュースで語り合ったりするのだろうか。

そうなっても、いいのかもしれない。

追記

こんな鬱々としたユニークさの欠けらも無い長文に目に通してくださってありがとうございます

いくつか思ったことを箇条書きに。

・誰かを無差別に傷つけたいわけではありません。それだけは絶対にありません。

風俗は志望職種ではないので…すみませんが。

ニュースで取り上げられる云々は私の浅はかな想像産物であり、例としてあげただけで、別に目立ちたかったりしたい訳ではありません。文章が下手ですみません

他人よりも不幸ではないといけないのですか?個人裁量では勝手絶望してはいけないのですか?

一部の優しい方々、励ましのお言葉、はっとさせられるお言葉ありがとうございました。不甲斐なさで涙が出てきました。しっかりと受け止めて、今後に生かしていきます

もう少しだけ、がんばろうと思います

お付き合いくださりありがとうございました。

2018-06-12

anond:20180612230724

小学校低学年でプリキュアなんか見ないよ。

最初から「かなり小さい子」がターゲットだ。

小学校入学グッズにプリキュアが無いのは何故だと思ってるのか。

入学グッズ買うのは小学生ではなく年長だからな)

2018-06-11

安易医療学校に入ってはいけない

看護師理学療法士診療放射線技師などの養成校に就職目当てで軽い気持ちで入るのはやめた方がいい。

特に発達障害の傾向が少しでもある人には絶対にやめろと言いたい。

具体的には先延ばし遅刻癖、コミュ障のうちどれか一つでも当てはまったら別の道を考えるべきだ。

私はこれで20代前半の貴重な時間と金を失った。

7年、8年通った挙げ句卒業できず去って行った人を何人も見てきた。目的意識の高いはずの社会人学生ですら挫折した人が複数人いた。

ストレート卒業する人は約半分だ。

華々しくホームページパンフレットに飾られる国試合格率就職率の裏にどれだけの留年者・中退者がいることか。

コメディカルに向く人は、与えられた課題をコツコツやるのが苦ではないが、秀才になれなかった人だろう。

医療保健学学問ではないと思う。学問とはきつさの中にも面白さがあるものだろう。

医療保健学職業訓練以外の何物でもない。もし入学するならば、それこそ学生になるのではなく軍隊に入隊するのだというくらいの覚悟必要だろう。

やりたいことが見つからない高校生浪人生社会学科(社会福祉学科ではない)に行けばいいと思う。もちろん興味があれば哲学科だろうが数学科だろうがそこに行くのが一番いいが(哲学科に関して言えば、生きる意味といった人生哲学的なことをやりたいのなら慎重になったほうがいい。あそこは半分ドイツ語学科フランス語学科である)。

社会学科は卒論的な意味で潰しが利くと思う。アニメゲームや性産業まで研究対象になるから、在学中に何か興味の持てる対象が見つかりそれを研究に生かせる可能性は他学科より高いはず。

いかいかはわからないが、元AV女優東大院に入って本を出したなんていうこともあった。

コツコツ型でない人間が何よりも避けなければならないのは、中退である

就職云々の前にまずは卒業しなければ話にならない。

コメディカルを勧める人は口を揃えて「資格を取れば食いっぱぐれない」と言うが、ある年齢以上から給料は伸び悩むし、コスパが良い選択とは言い難い(看護師夜勤をやれば結構稼げるだろうが)。

もし人体に興味があるなら、それこそ医学科に行かなければ間違いなく後悔する。

どんなに研鑽を積んでも、制度新米医師にすら敵わないというのは非常に精神的にきついと思う。

しつこいようだが、就職目当てでコメディカル養成校に入っても得をするのは学校経営者のみである。既に泥沼に足を踏み入れてしまった人は、一留が決まった時点でなるべく早く撤退すること。

2018-06-08

児相保護されて生き残った

とある地方都市、母と兄との三人家族物心がついた時には既に、母から厳しい「躾」という名の暴力日常的に受けていた。

私には何かしらの、検査に引っかからない程度の発達の遅れがあったのだと思う。小学校入学する頃になっても、母が私に要求していることを理解できていなかった。自分がなぜ怒られているのか、私の何が悪いのかもわかっていなかった。

怒鳴られれば謝る。殴られれば謝る。ただそれだけ。反省なんてなかった。「母は正しく、私は間違っている。」それが私の、理解の全てだった。

年が離れた兄は、私に優しかったと記憶している。受験ストレスからか、一度だけ八つ当たりのように殴られたことはあるけど、それ以外に私を虐めたりすることはなかった。友達と遊ぶ時間を削って、私を家の外へ連れ出してくれることもあった。私は兄のことが好きだった。

同時に、私は心のどこかで「兄は私の味方ではない。」と思っていたかもしれない。兄は、少なくとも私の前では、母に殴られることがなかった。そして、母の暴力から私を助けようとしなかった。兄は甘やかされているように見えた。母に贔屓されているように感じていた。

私は家出を繰り返すようになった。その度に警察保護され、家に帰され、そして折檻を受けた。家出が「悪いこと」だとは暗記していた。ただ、理解はしていなかった。だから繰り返した。家に帰るのがとにかく嫌だった。

やがて私は、家の一室に軟禁されるようになった。それでも私は外に出たかった。外から鍵をかけられた部屋の中で一人、じっとしていることができなかった。

他に外へつながる場所を見つけられなかった私は、ベランダから飛び降りた。動けなくなる程度の怪我を負って入院し、数週間の後に退院し、待っていたのは引っ越し先の見知らぬ家と、以前と変わらぬ軟禁生活だった。

一時保護は9歳の時。ほとんど学校に行けなかった私を案じて、教師同級生が動いてくれたのだと後になってから知った。

私はただ、運がよかった。もし誰も声を上げてくれなかったなら、私は今ここにいないだろう。エスカレートしていく母の暴力は、しばしば生命危険を孕むものだったから。

施設を出て、もう10年以上が経つ。母は死に、兄とはもう連絡さえ取っていない。

母の望みはきっと、ささやかものだったのだろうと思う。「家族三人で仲良く、穏やかに過ごしていけたら。」少し贅沢かもしれない、でも当然の願い。私を持て余し、余裕を失い、叶えられることのなかった願い。

兄もきっと、嵐が吹き荒れる家の中で、家族を守ることができない自分の無力に苦しんでいたのだろうと思う。

悲しい事件があるたびに、生まれた家のことを思い出す。私を守ろうとしてくれた人たちのことを思い出す。身を切られるような痛みの中で、自分に与えられた運を思い知る。

私が今、この世界をどうにか信じて生きていられるのは、家出を繰り返す私の言葉を信じ、受け止めてくれた人たちのおかげだ。「そんなにひどい親はいないだろう。」「親が子供を殴って躾けるのは普通のことだ。」そんな人にしか出会えなかったとしたら、きっと私はここにいない。

最近、ある児童相談所責任ばかり追及する声を多く見るから書いてみた。

今までどれほどの子供が救われたのか、救われなかったのかはわからないけど、私は確かに児相に救われたと思っている。

同じように救われる子供が一人でも多くなりますように。つらい思いをする子供が一人でも少なくなりますように。

子供たちのために何ができるのか、みんなで一緒に考えていけますように。

2018-06-06

去年の晩秋辺りに、急に子供達が言うことをきかなくなった。

私には小学1年生と幼稚園年少の二人の娘がいる。

の子達は特別大人しい方ではないのだが、大人の言うことをよく聞けるし危険な行動を取る事が少なく、たぶん育てやすい方だと思う。

ところが去年の秋から今年の3月頃にかけて、突然二人揃って人が変わった様に暴れん坊になってしまい、私は今までになく育児に苦労することになってしまった。

今は二人とも元の子供達に戻っている。

子供達の様子がおかしかった頃は以下のような感じだった。

・家の中で喉が張り裂けんばかりの奇声を上げて走り回る。

スーパーなどに連れて行くと大興奮し奇声を上げながら走って行こうとするのだが、商品棚や他のお客さんなどにやたらぶつかってしまう。

・私が注意する・叱る・堪忍袋の緒が切れて怒ると、何故か大はしゃぎ。

・待って!危ない!など制止する声に全然反応しない。

・楽しそうに走り回っていたかと思うと酷く不機嫌になる。

テレビの音が聴こえないと癇癪を起こす。

調子っ外れな歌を大声で歌ってはゲラゲラ笑っている。

友達が話し掛けて来たのに無視をする。

以上の様な感じで、私は自分の子供への接し方が悪くてこうなってしまったのだろうかと悩み苦しんでいたのだけど、ある時長女に対してつい感情的になってしまって、

「何でママの言う事が聞けないの!?

と怒鳴ってしまった際の長女の反応で、これは今すぐ子供達を病院に連れて行かなければならないやつだと気付いた。

長女はちょっと困った様に眉尻を下げて言った。

「聴こえるよ。聴こえない、聴こえる?……うーん、やっぱり聴こえないかな?うん?うーん、聴こえる、と、思う」

それですぐに長女を近くの耳鼻科に連れていった。

長女は両耳とも酷い「滲出性中耳炎」になっており、医師が言うには「これは殆ど耳が聴こえていないと思う」という事だった。

その時は次女は受診させなかった。次女は単に長女につられてはしゃいでいるのかと思ったからだ。だが数日後に心配になって次女も診て貰うと、やはり両耳中耳炎で、長女同様耳が聴こえづらくなっていた。

次女の方が幼いぶん深刻だった。聴力が発達する時期に中耳炎で耳が聴こえにくくなってしまう事により、聴力の発達が妨げられてなんちょうの様になってしまったり、言葉習得が妨げられてしまうからだ。

子供達の様子がおかしいと感じ、更に日常生活に支障が出て来てから受診まで、二ヶ月もかかってしまった。それから投薬や手術によって完治するまでに一ヶ月かかった。でも幸い、二人の入学入園には間に合った。

子供達がそこまで酷い中耳炎になった原因は、ただの風邪だった。二人とも、去年の秋から今年の春先まで、何度も何度も繰り返し鼻風邪を引いていた。それで数回小児科受診していたのだが、鼻水だけしか症状が出ないし、アレルギーのものでもなさそうなので様子を見ようと言われ、風邪薬を処方されて服用していた。

私はそのとき子供達の息が妙に臭いのが心配で、小児科医に相談したが、異常というほどでないしちゃんと歯磨きが出来ていないのでは?と言われて納得してしまっていたのだが、今思えば子供達の息の臭さは副鼻腔炎によるもので、二人は副鼻腔炎から中耳炎になったのかもしれない。

長女の幼稚園担任先生中耳炎の報告をしたところ、大層驚かれた。担任も他の先生方も長女の聴こえが悪くなっていた事に気付かなかったのだ。

そして報告の翌日、お迎え時に担任から言われたのは、

今日一日の長女ちゃんの行動を注意して見てみたんですが、言われてみると確かに聴こえていないみたいですね。集団活動の際、周りの様子をきょろきょろうかがって動いていました」

親の私が言うのもなんだが、長女は賢い子なので、耳が聴こえにくく先生の指示を聞き逃してしまっても、周りの様子を見て聴こえないぶんをカバーしていたのだ。


子供達は今ではすっかり快復して、元通り、人の話をよく聞ける子供達になった。

長女は歌を歌うのが好きなのだが、中耳炎の頃の様に聴いてる私の鼓膜が破れそうな程の大音量調子っ外れに声を張り上げて歌う事はなくなった。

長女の歌は結構上手だけれど、2月頃に覚えた歌を歌う時だけは酷く音程が外れている。

この一件以前、私は子供達が聞き分けよく穏やかな性分だったのを自分育児が上手くいった結果だとおごっている部分があった。

だが、本当は子供達の性分のお陰で上手くいっている様に見えただけ、楽をさせてもらっていただけだと気付いて、凹んだ。

2018-06-05

anond:20180605163529

大学ときと言うのなら、そんな「ごとき」には、ちゃん入学して卒業できるはず。

2018-06-04

anond:20180604085551

なんと放送大学なら15歳から入学できます

選科または科目履修生として16単位取得すれば高認なくても全科生になれるのです

全科生は18歳からなので、18歳までに124単位取得すれば

まわりが大学に通っている4年間の時間自由に使え、4年後には学士が得られます

お得ですね

2018-06-03

あれは鬱だったんだろうな

今でもたまに思い出す。

心の整理のために綴る。

=====

大学入学を機に一人暮らしを始めた。

ある年の12月31日、近所のお寺さんの年越しのお手伝いをしてから1月1日の朝の電車に乗って実家に帰ることを予定していた。

両親にもそう伝えていた。

年越しの手伝いだったので深夜の2時ごろ自分の家に帰ってきた。

手伝ってくれたお礼としてお菓子をもらっていた。

昼頃には実家に着きたいと考えていたので、逆算して朝6時には家を出なければいけなかった。

これはもう寝れないなと考えた。

そしてまだ帰省の準備もしていなかった、すぐに手を付けた。

ノートパソコンを持ち運ぶための、カバンが見つからなかった。

残っていた仕事をするために、パソコン絶対必要だった。

家中を引っ掻き回した。絶対にそんなとこから見つかるわけないとこまで引っ掻き回していた。

捜索のためというより、アレは物に当たっていただけなんだと思う。

パソコンを、ただ実家に持っていきたいだけなのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろうと考えてたことを覚えてる。

もちろん家中がぐちゃぐちゃになった。

深夜とかどうでもいいくらいめちゃくちゃに泣き騒いでたと思う。

途中でカバンが置いてる場所にも気が付いたけど、それで落ち着けたはずもなかった。

とにかく片付けをしなきゃいけないし、でも帰省の準備もしなきゃいけない、深夜まで働いていたかシャワーも浴びたい。

そんな色々なことを考えていたかどうかは覚えていないけど、でも気づいたら放心状態になっていた。

散らかったままの部屋で、なんかもう全部めんどうになって、布団を被って寝た。

実家には帰らなかった。

1月1日の昼頃に、母から連絡がきた。

このあたりはあんまり覚えていないけど、

後で、心配させるようなことを言ってしまった自分の迂闊さには気付いた。

母が家に来ると言った。

来ないでほしかった、理由はいろいろあった。

こんな状態を見られて、母が心配しないわけがないと分かっていた。

来ないでと伝えることすら甘えてるみたいで嫌だった。

母は結局家に来た。

部屋の片付けはぜんぜん出来てなくて、ぐちゃぐちゃのままだった。

心配してもらいたいみたいで嫌だった。

母はやっぱり心配そうな顔をしていた。

なんで?って言われたし、どうしたの?って聞かれたし、いつから?って呟いていたのを聞いた。

全部に答えるのが億劫だったし、私はとにかくずっと泣いたり鼻水を出したりしていた。

そんな私の姿を見て、母も泣いてた。

やっぱりなって思った。

から来ないでっていったじゃん!!って、心の中でめちゃくちゃキレてた。

何しに来たの?ってめっちゃ聞いた気がする。

心配たから来たって言われた、それでも何で?って思った。

それから、おもむろに私の部屋を掃除しだした。

鼻すすりながら。

何しに来たの?って聞いた。

母さんは私の部屋の掃除をしに来たの?って聞いた。

心配されるって分かっていて、母を迎え入れた自分が嫌だった。

今でも嫌だと思う。

どうしたの?って聞かれて嫌だった。

どうしたのかどうかなんて、自分が知りたい。

色んなことが積み重なってこうなってるんだと思うけど、説明がぜんぶ面倒だったし、それを全部説明してもどうにもならないのは分かってた。

母は私の救世主ではなかった。

自分でもそれは分かっていたはずなのに、心配させるようなことを言ってしまった自分が嫌だった。

心配させたくてこんなふうになった訳ではなかった。

母は少しの間だけ滞在していたと思う。あんまり覚えていない。

時間が経って少しだけ私も動けるようになってたと思う。あんまり覚えていない。

レンタルしていたDVDを一緒に見た気がする。

母の帰り際をよく覚えている。

人生でも、あれほどに「寂しい!」と思ったことはない。

頭の中で、ずっと大声で寂しい!寂しい!寂しい!という声が鳴っていた。

気が緩んでしまったら、すぐにでも泣き叫んでしまいそうな衝動だった。

けど母にも仕事がある。

私は結局寂しいとは言えなかった。行かないでとも言えなかった。

かわりに私は近くのバス停まで母を見送って、来てくれてありがとうみたいなことを伝えたと思う。

部屋に戻って、シンクに残った母が使ったコップを見て、また泣いたことを覚えている。

この日のことを覚えいている。

結局、私は一番に信頼する母にすら素直に何も言えないんだと痛切に思い知った。

自分のそういった性質をわかってるつもりが、分かってなかった。

この日のことを今でもたまに思い出して、泣きそうになる。

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その日こそピークだったが、それ以前にもずっと前兆はあった。

私はレジ打ちのバイトをしていたのだが、人手が足りず希望時間よりも少し早い時間シフトに入ることが増えていた。

学校研究に費やす必要のある時間を削り、バイトに足を運ぶ日々が続いていた。

そんな生活なのでもちろん、学校研究がままならなくなってきた。

教授には「バイトが忙しくて」と(今考えるとあんまりな)言い訳をしていたが、「バイトも大変だろうけど、研究ちゃんとしようね」と言われた。

温厚な教授にそのように言われて、さすがにマズイと思ってバイトを辞めることを考え始めた。

一度母に相談して、「辞めるのはやめたら?」と答えられた、

そうかあと思っていた。

1ヶ月の収入が無くなるのは確かにキツイ

でも、そうだね、辞めていいんじゃない?って言葉が欲しかったんだと思う。

バイト先の店長に、来月のシフトは少し減らしてくださいと伝えた。

学校研究が大変になってきたので、と理由も伝えた。

3~4日後のシフトの時に、「シフトは調整したけど、そういうことはもっと早く伝えてね」って言われた。

なぜかその言葉にめちゃくちゃ悲しくなったことを覚えている。

大学教授からも、店長からもどちらからも封じられたような感覚があった。

ある日レジ打ちのバイト中、商品の袋詰の途中でお客様から「袋2つにまとめてくれます?」と注文された。

ミニ鉢のようなものだったことを覚えている。

10個くらいあって、ミニ鉢の他にも普通商品もあった。

で、全然うまく袋に詰められない。

ウンウン唸って、最終的にすごい適当に詰めた気がする。

すみませんって謝りながら、会計をした。

そのお客様笑顔のままで袋を手にとって去っていった。

そんなんでいいのかよ、じゃあいちいち面倒な注文つけんなよ、って薄暗い気持ちがワッと湧いたことを覚えている。

めちゃくちゃに涙が浮かんだ。

でも、バイト中だし、なんなら今会計中のお客様は全く無関係だし、ぐるぐる考えれば考える程、手が震えていった。

さっきのお客様から3人目くらいのお客様会計の途中で、急に

急に全部めちゃくちゃな気分になって、その場にしゃがみ込んでしまった。

もう気付いたら涙が止まらなくて、前も見えないし、立ち上がれもしない。

パートさんが社員さんを呼んでくれた。

でも「これでやっとバイトを辞められるな」って冷静に考えてる自分もいた。

バックヤード社員さんと話をして、バイトを辞めたい意思を伝えた。

別の日に、店長と話す機会ももらった。

「なにか、悩みでもあるんじゃない?」と心配言葉をもらった。

何もありません、と答えたらきっともっと心配されると分かった。

いいえ、とにかく研究が忙しくて。と答えた。

12月の末にレジ打ちのバイトは辞めることができた。

バイト先の先輩後輩、社員さんもパートさんも本当にみんな良い人だった。

ただただ私の心の問題だったと思ってる。

あんなに良い職場を離れたのは、すこし勿体なかった気が少ししている。

---

本当に先に辞めるべきはこっちのバイトだった。

レジ打ちのバイトの他に、もう一つバイトをしていた。

先輩から紹介された。

自分研究を活かせるような業種だと思って、快く受けた。

いつかレジ打ちのバイトを辞めて、こっちのバイトに専念できるようになったらいいなと思ったのだ。

(紹介された時期、「なんかうつっぽいな」という気持ちがあったので、なにか新しいことを始めて気を紛らわそうという思惑もあった気がする)

在宅でできるらしいし、きっと気軽にできる気がすると思っていた。

このバイトが最悪手だった。

もうあんまり詳しいことは説明がたいへん面倒になるくらい、今でもよく分からない職場だった。

簡単説明すると、デザイン会社で、デザインを手伝う仕事だった。

最初面接と聞いて、学校で話すのだろうと思っていたら車で隣の職場まで見学?することになった。

履歴書などの提出もなく、契約書を交わしたりもしなかった。

私は一体どのように雇われてるのか、まったく宙ぶらりんのままで、気付いたらたぶん私は働くことになっていた。

デザインの現場はそういうものなのかなと思って、とくに何も口出しはしなかった。

(今でもよく分かってないが、そういうものなんだろうか。

だとしたらすごく不安業界だなと思う。)

ある工場ロゴを作って欲しい、と言われた。

何もかも、今でも納得がいっていない。

何に従えばよかったのか今でも分からない。

なにも分からなくて、ただただ疲労した。

在宅なので自分で働いた時間計算して、作業報告書を送った。

時給、800円くらいだったと思う。(これも聞かされてなかった)

ぜんぜんお金にならない。

あなた勉強にもなると思うから

なにが勉強だよ、ふざけやがってと今は怒ることができる。

もう遅いけど。

1月1日に母が来たあとのこと、自分でもこれはだめなやつだと自覚し始めて、この仕事ちゃんと辞めようと決意した。

たぶん1月中旬頃、電話メールで辞める旨を伝えた。

契約書も交わしていないのだし、気軽に辞めてやった。

上司からLINEが来たが、今でも未読状態だ。

---

あれは鬱だったんだろうな、と思う。

私はあの頃、「鬱にでもなってしまいたい」とよく考えていた。

病気と診断されてしまえば、楽になる気がした。

精神科に言って、鬱ですよって診断書を貰えれば、なんか全部解決するんじゃないかなって思っていた。

ちなみに結局のところ、精神科心療内科には行けなかった。

近所の病院は人気で予約して1週間から3週間くらい期間が必要だったからだ。

基本的に昼間は元気に動けていた。

でも夜になると急に泣き出したりしていた。

たまに昼間も元気が出なくなって、布団をずっと被るだけの日があた。

寝て起きて泣いて寝てを繰り返す日があった。

あれは鬱だったんだろうな。

ずっと頭にモヤがかかっているような感覚がある。

集中力があった頃を思い出せなくなっている。

たぶん病気にかかっていたんだと思う。

もう元には戻れないんだと思う。

今、バイトは全部辞めて、お金が無いなりに楽しく過ごしている。

それでもたまに、色々なことを思い出して動けなくなる。

中学高校にあった悲しいことまで思い出す、あれももしかしたら、鬱だったのかもしれない。

私はこれと、一生付き合わなければならないのかもしれない。

重度知的障害者きょうだいです。

私は既婚の38歳の女性です。

実の妹(34歳)に重度知的障害(A1)があります

知能は2歳程度ですが体はどこも問題がないので身づくろいなどは自分でしています。けれども低い声でいつも卑猥なことをうなったり、外に出ると小さな子を押したり人に水をかけたりして、目が離せません。温泉で小さなお子さんを突き飛ばして大けがをさせてしまたこともあります。おそらく自閉症を伴う知的障害者の中ではかなりひどいケースだと思います

療育は両親が人並みにはおこなって、特別支援学校高等部まで出たのですが、効果なく上記のような状況です。今も70歳近い両親とともに住んでいます

非情だとは思われるかもしれませんが、両親亡き後この妹の面倒を一切見たくありません。

この妹のことでいやな目にたくさんあいましたし、とてもひどい状況で妹を家族としていつくしむというような気持ちを抱くことができずここまできました。ここでいうのもはばかられるような、ひどい目にもあってきました。

「それが障害なのだから(こらえてちょうだい)」と両親の口癖ですが、とてもそのようにはできません。

私は大学入学と同時に家を出ています

けれども両親亡き後、私やもしかしたら妹が私よりも長生きして私の子供たちにその面倒が降りかかるのかと思うと気が気ではありません。

両親亡き後の障害者はどうなりますか?

私は責任放棄することはできるのでしょうか?

ユーザーID:0170378125 [説明]

2018-06-02

世界摂食障害の日

初めて投稿します。

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みなさんは6月2日が何の日かご存知ですか。

世界摂食障害の日だそうです。

私もそれを知ってから今年で2回目。

せっかくの日なので、私も少し、摂食障害のことをみなさんに知ってもらえたらという思いで書き綴ります

自己満足です。

ただ自分過去をこの機会に振り返ろうと思って記す備忘録です。

ある程度道が拓けたと感じている今の思いも綴れたらと思います

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摂食障害というと、拒食症が有名でしょうか。

異様に痩せ細った身体がよくメディアに取り上げられますよね。

でも摂食障害はそれだけではありません。

大量に食べては吐く過食嘔吐

また大量に食べるが吐くことができない非嘔吐過食もあります

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私は高校生の頃、拒食症でした。

きっかけは1kg増えてしまった体重を落とさなきゃとダイエットを始めたこと。

たったそれだけです。

でも何も食べなかったら4kgくらい落ちたのが気持ちよくて、

また何も食べず体調を崩してしまったのを周囲に心配してもらえたのが嬉しくて、

どんどんハマっていきました。

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当時は難関の大学を目指しており、寝るとき食べるとき意外は言葉どおり全て勉強に費やしていたりして知らず知らずにストレスが溜まっていたこと。

家庭環境が複雑だったこと。

母親から強く責められることが多く、もともと自己否定感が強かったこと。

完璧主義だったこと。

色んな私の性格に、ダイエットというきっかけが合わさって、拒食症世界に引きずり込まれて行きました。

大学合格とともに手に入れたのは、身長164cm体重37kgの身体でした。

拒食症としてはそこまで軽い体重ではありませんが。

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当時は自分が大好きでした。

ダイエットを頑張れる自分は凄いと思ったし、

大学合格のため一日中誘惑に負けず勉強できる自分もすごいと思いました。

もちろん口には出しませんが、自分の周りの人たちはそれができない心の弱い人だと内心見下していました。

今思えば、一番心が弱かったのは自分自身です。

摂食障害ドーピングしないと、生きていけないほどに心が弱かったんです。

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大学入学後、一人暮らしを始めました。

入学後しばらくは本当に楽しく過ごしました。

完璧主義だった私に、一人暮らし大学は、良くも悪くも色んなことを教えてくれました。

授業でSを取らなくても、単位がもらえること。

部活練習後、夜遅い時間友達ラーメンを食べに行くこと。

勉強のため毎朝5時に起きなくてもいいこと。

夜遅くまで友達と飲んで、ときには昼の12時に起きたっていいこと。

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そんな中で完璧主義は多少和らいで、そのせいなのか体重も5,6kg自然に増やすことができました。

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大学1年生の夏、家族が私の住む家へ遊びに来ました。

そこで、私がどんなに高校生の頃自分の首を絞めて生きていたのか、思い知りました。

から色んなことを言われました。

「〜ちゃんは少食だから、このお店の定食全部は食べられないでしょ?」

「〜ちゃんは今でもきっと朝早くから起きて勉強してるんだよね、えらいね

「部屋いつも綺麗にしてるのね、えらいね

自由に生き始めた自分を押し殺して、少し高校生の頃に戻って「いい子」で過ごした4日間はとても苦痛でした。

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このあたりから父と母の関係が更に悪化したこともあって、家族とは連絡を極力取りたくないと思うようになりました。

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そして時は流れて12月。

忘年会シーズンで、色んな団体忘年会に参加しなくてはならず、体重は更に増え、拒食になる前の体重をついに超えました。

そこからどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。

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もともと、飲み会など食べ物がたくさん出る場は、何をどう食べていいのか分からず、苦手でした。

からいからこそ、人以上にたくさん食べ過ぎてしまます

飢餓から解き放たれた獣のような感じで、たくさん食べて、翌日後悔します。

だいたい今までは、その翌日に断食をする事でなんとかやり過ごしていました。

そう振り返ると、大学に入ってからも完全に拒食症から解き放たれていたわけではありませんでした。

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12月は飲み会続きで、翌日断食をすることもできず、不安と恐怖だけがつのりました。

自分自分制御が効かなくなり、気付けばコンビニスーパーで大量に買い込んでは、一度に食べるのが習慣になりました。

その頃新しく始めたバイト先で、毎日暴言を浴びていたストレスも原因にあったと思います

そこからは、非嘔吐過食の始まりです。

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ここで忘れないで頂きたいのは、非嘔吐過食に苦しむ人たちは、いつも頭の中は「痩せたい」でいっぱいなのだということです。

行動と照らし合わせたら、信じていただけないかもしれませんが、誰よりも痩せたいと思っています

いつも「痩せたい」で頭が支配される病気、それが摂食障害なのかもしれません。

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拒食症の時から一変、非嘔吐過食の時は何もかも頑張れなくなりました。

朝起きるのもつらく、おしゃれをするのもつらく、化粧もしなくなりました。

勉強も頑張れませんでした。

学校休みがちになりました。

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そして拒食症の頃、自分で内心バカにして来た対象自分のものとなりました。

ダイエットすら頑張れない。

勉強も頑張れない。

過食して家にこもって涙を流してばかり。

そんな自分が大嫌いになりました。

高層の建物に忍び込んで、飛び降りようとしたこともありました。

犬のリードを買って、首を絞めたこともあります

すべて死に切れないことが怖くて、最後まではやり遂げられませんでした。

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医者にも行きました。

初めて行った医者では摂食障害は専門には診ていないところだったからか、個人的に心が傷つくことを言われ、薬を出されて帰されました。

そしてまた誰もわかってくれないという思いで、過食が酷くなりました。

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ただそんな私も、色んな人に支えられて、あれから1年以上経って、普通食事を取れる日は増えて来ています

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2回目はすがるような思いで専門病院を訪ね、そこで良い先生出会えました。

「過食しないと生きていけないくらい、心が辛いんだよ。過食は悪じゃない、ないと生きていけない大切なものなんだよ。」

そう言われてからスッと心が軽くなり、過食は減ることはありませんでしたが、罪悪感で心がはち切れそうになることはなくなりました。

今は授業の関係上、病院に通うことはできていませんが、今でもたまにまた話を聞いていただきたいな、と思うことがあります

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また大学休みがちになった時、1人だけ熱心に私に電話をかけたり、家を訪ねたりしてくれた友人がいました。

の子は私とは対極的の楽観主義者で、今はどんな状況でもその子に励ましてもらって頑張ることができています

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今の自分の体型はとても、嫌いです。

今でも痩せたいといつも思っています

メンタル完璧ではありません。

特に生理前は特に気持ちが崩れやすく、学校に行けない日もまだまだあります

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でも私は摂食障害経験できて良かったと、心の底からと言ったら嘘になりますが、少しだけ、思っています

もし摂食障害にならなかったら、私は挫折経験せず、自分より劣る人の気持ちなんて考えず、内心バカにして生き続けたでしょう。

そんな私の心を広くしてくれました、また人の気持ちがよりわかるようになりました、思いやりを持てるようになりました。

神様から「お前はこのままではいけない」と与えられた試練だったのではないかと、今は考えています

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先ほども述べましたが、私もまだまだ万全ではありません。

身体健康的になりましたが、時には辛くて辛くて仕方ない日もあります

過食が止まらない日もあります

まだまだ自分が大嫌いです。

人と自分を体型や成績、全てのことで比べがちです。

まだまだ課題が沢山あります

摂食障害と私のおつきあいは、きっとこれからもしばらく続くんだと思います

それでも平穏にお付き合いをして、いつかはお別れをしたいです。

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一番伝えたいのは、「一見健康そうに見えても、摂食障害と闘っている人は沢山いる」のだということ。

これは摂食障害の9つの真実、というものにも取り上げられています

http://peerful.jp/articles/eating-disorder/7255.html

あなたの周りにももしかしたら、闘ってる人がいるかもしれません。

気づいたらそっと、見守ってあげてください。

辛そうな時は寄り添ってあげてください。

それだけできっと救われます

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上長々と失礼しました。

少しでも摂食障害への理解が深まりますように。

2018-05-31

日本学校に「偏差値35」の教師が増えている問題

嘘みたいだが本当の話である

難易度を示す偏差値河合塾基準)が35以下となる入試を通じて

入学した人間のことをとりあえず「偏差値35」と言うが、

本当に、日本学校に「偏差値35」の教師が増えている。

ここでいう「教師」は、教育学部卒業教員免許を持って

実際に教壇に立つ教師のことで、誇張や叙述トリックでもなんでもない。

偏差値35」の教師が、高度化する教育ニーズ対応し、

子供たちを教え育てていることになっている。

そんな信じられないことが学校現場で起きているのだ。

 

根拠として、データを見てみよう。

旺文社サイトで「偏差値35以下」「教育教員養成学部」で

検索したところ、なんと92大学が見つかる。

https://passnavi.evidus.com

数多くの大学から、毎年、偏差値35の教師が世に送り出される。

僕の調べた限りでは、この大学数は近年なぜか急増しているのだ。

そんな教員でも社会から必要とされているということだ。

 

教師といえば、子供たちに正しい知識を正しい方法で伝えるプロ

この認識はそれほどまちがっていないだろう。

だが、偏差値35の教師にそれを担うことができるのか。

 

実際のところ、偏差値35の教師中等教育高校中学)よりも、

初等教育小学校)以前の学校に勤めていることが多い。

それでも、小学校教師知的能力要求されないわけではない。

偏差値35の教師国語を教える。

偏差値35の教師算数を教える。

子供たちの基礎的なリテラシーを育てる重要仕事だが、大丈夫だろうか。

最近では、偏差値35の教師英会話(必修化)を習う。

偏差値35の教師プログラミング(必修化)を習う。

偏差値35の教師が説く道徳を学んで議論する(通知表特別評価記入あり)。

事ここにいたっては、恐怖しかない。

 

偏差値がすべてではないと人は言う。

その通りだと僕は思う

しかし、教師たるもの、ある一定以上の水準が求められるのは必然

それでは、偏差値35とは実際どういうものなのか。

例えば、2018年センター試験結果から計算すると、以下の数字が出てくる。

 

 英語:200点中、63点

 国語:200点中、48点

 

これは全問カンで答えたのとほとんど差がないということだ。

承知の通り、センター試験は基礎知識を問う問題ほとんどで、

からなくても選択肢を選べば一定確率で正解することもある。

まり、それがこれほどまでに解けないということは

高校勉強はさっぱりわかっていない。

中学あやしい

小学校果たして文章が読めていない可能性)。

それが、偏差値35なのである

 

なぜ、このような事態が起きてしまたか

少子化によって大学全入時代となったことだけでは説明がつかない。

ベテラン教師の大量退職と、教員免許更新制によって教師になる資格を持つ者が

不足しているのが大きい要因だ。

詳しくない人でも、ニュース教師不足を嘆く声を聞くことがあるだろう。

あれは、決して学校労働環境悪化だけによるものではない。

現行の制度は、教師のなり手そのものを減らす結果となっているのだ。

そうして、本来教師となりえる有能な人間会社員経験者、研究者上がりを含む)を弾き飛ばし

人生経験も学識も浅いが免許だけは持っている「偏差値35」の教師誕生する結果となった。

 

偏差値35の教師は、確実に増えている。

あなたの子供の教師は、賢そうなふりをしているが、本当は偏差値35かもしれない。

教室偏差値35の教師支配され、子供たちは偏差値35から学ぶ。

かつて教育立国と呼ばれた日本の末路がこれだ。

我々はその先の未来をまだ知らない。

 

 

以下、予想される反論にあらかじめ回答を。

 

部活などに打ち込んで来て、受験準備が遅れた者が入学しているのかもしれない。
 その場合偏差値が低いのはやむを得ない。

A. 現行の入試制度では、私立大の場合AO入試・推薦入試での入学

半数を大きく超えるのが通常だ。

受験準備には遅れたが課外活動で実績あるという者は、

推薦入試を利用するのが極めて普通ルートになっている。

しかし「偏差値35」は一般入試の話。

一般入試を受ける者は、十分に受験勉強をしてきた。

すなわち、がんばっても偏差値35にしかならなかったということである

 

教師には、偏差値よりも人柄や人間味も重要

A. もし本当に人柄や人間味が秀でているとしたら、

高校在学中にAO入試お勧めされるはずである

学力がないにも関わらず一般入試にまわった時点で、

人としてわかりやすい魅力を備えていないこともわかる。

魅力も学力も欠けている状態偏差値35である

 

偏差値35の大学から小学校教師採用されないはず。
 せいぜい幼稚園がいいところ。

A. 事実として、偏差値35の各大学ホームページには、

就職実績として小学校教師も、少なからず載っている。

もし教員養成をうたったコースで極端に教員採用試験合格率が

低ければ経営に関わる問題なので、一生懸命試験対策に取り組むのだろう。

 

また、幼稚園教諭に知的能力必要ないというのは大間違いだと思う。

小学校教師と同様の理由で、重要仕事である

 

○もし大学入学時点で学力が低くても、教員採用試験合格しているか大丈夫

A. 何を言っているのか。

当然であるが、教員採用試験スタートでありゴールではない。

採用後に何を積み重ねていくかが重要であり、教師たるもの日々勉強だ。

教員採用試験は決して教師能力保証しないのは、

日報道される教師の起こす不祥事からもわかるだろう。

勉強が苦手な偏差値35は、この点で大きなハンデを負う。

 

自分の子供は私立に通わせるから問題ない。

A. 論外な考えだ。

自分の子はいいかもしれないが、偏差値35の教師から教育された

偏差値35チルドレン」がやがて社会を覆い尽くす。

その中を、あなたの子供は生きていかなければならないのだ。

 

○なんの意図でこんなことを増田に書く?

A. さあ。本当の意図は伏せられているかもしれないね

学生です。酔いながら書いてます

何で書いてるのか、よくわかりませんが、とりあえず書いてます

中高男子校大学理系しかし男女比は半々。

入れば彼女の一人や二人できると思っていた。

から入学すぐに先輩に新地に連れていかれたとき、「あと一年以内に、一旗あげます!」と言って逃げた。

一年後、そこには一人の童貞野郎がいた。

彼女ほしいな、とは思っている。

合コンも行った。向こうから、「絶対連絡してね!」と言われた。

スルーした。

女の子たちはかわいかった。ただ、LINEの画面を開くと、途端に打つ気がなくなる。

同級生サークルバイト先、かわいいな、と思う子はいた。だからといって、こっちから一言も話さなかった。

もちろん、向こうからしかけられることはない。

折々に、彼女いないなーって思い、欲しいと思い、しかし次のステップには移らない。

友達は、多い。

しかし彼らのほとんどに、彼女がいる。

飲みにいくたび、「あいつらには女がいるんだな」とうらやましく思い、一方、自分彼女いないキャラをおいしいと思っているのも確かだ。

溢れん性欲を抱きつつ、二歩目を踏み出せない自分は、ただの意気地無しクソ野郎なんだな、と思う。

この勢いでいくと、結婚はできなそうだ。

素人童貞でなくなるかどうかも怪しい。

生きてって何があるんだろうか。

とりあえず、親が生きているうちは、生きよう。

さてその後は、何のために生きるのか。

五里霧中

同学に、某プライムビデオのバチェラー何々をすすめられ、見ながら書いている。

男、女、共に程遠い世界だ、

是非彼、彼女らには、頑張ってほしい。

壊してやりたい衝動は常に起こる。

おめえには選ぶ権利がある。

女は選ばれようと策を巡らす。

おまえさんはいいよな。

でも、おまえさんは高スペックからな。

努力もしてるんだろうしな。

2018-05-30

コンプライアンス」は高校生にとって普通言葉である

先日「入学した高校風習が異常すぎる」を投稿した者です。

ブコメで、「増田に浸かってると高1でコンプライアンス使えるのかと感心してしまった。(http://b.hatena.ne.jp/entry/364884386/comment/mshota)」とありましたが、僕の経験では、「コンプライアンス」という言葉高校生もごく普通に使う言葉です。(ちなみに僕はあれが初投稿でした)

例えば、同級生が(冗談で)不適切言動をしたときに、(冗談で)「それはコンプライアンス的に見てどうなのかな」というようなことを言っている人を、何度も見たことがあります。また、ユダヤ陰謀論を授業で生徒に教え込む先生に対して、「あの先生の授業はコンプライアンスを逸脱してる」と評した投稿を、Twitterで見たこともあります

ですからコンプライアンス、という言葉は、確かに日常語ではないかもしれませんが、高校生にとっても、(ネタ扱いではありますが)普通言葉であると思います

2018-05-29

伝統を捨てる大変さ

私はあの大学アメフト問題について、当該の学生たちは大変だろうな、と思っている。それは自分中学生時代を思い出したからだ。

特定を避けるために細かいところはぼかすが。あるジャンル部活で昔は全国大会で何連覇とかしていた、かなりの有名中学校。我々はその《すごかった時代》が終わって10年とか以上してから入学生だった。

昔、そんなことがあったなんて知らないで入学してなんとなく入部して。でも伝統の誇りとか、部活の決まりとか、先輩との上下関係の厳しさとか、卒業生練習を見ていただけるように連絡を取るとか、システムだけは生き残っていた。

公立中学から先生は何年かしたら変わるわけで、あのすごかった時代先生はすでにまったく関わってなくて、ただシステムけが生徒から生徒、先輩から後輩に託されて、黙々と動いていた。

でも、自分世代は、そんなにもう全国大会とか行けるようなレベルになれるとは思えなかった。もちろん、一生懸命練習してはいるけど、行けるレベル中学生なりに分かっていた。先生もその部活ジャンル専門家というわけではないし、コーチも来てくださってはいたけど、やっぱりあの《本当にものすごかった》頃を再現できるとは思えなかった。

3年生が引退して部を引き継いだとき自分たちにできることは、今はもう意味のなくなった理不尽な厳しさを捨てて、自分たちの下の世代を、もっとのびのびとさせてあげることじゃないかとみんなで考えた。先輩のことは尊敬もしているが、一方で相当に嫌な思いもしてきたからだ。顧問先生ともそのような方針で一致した。先生も生徒同士で勝手に厳しすぎて、中学生らしくないとお考えだったのだ。

3年生の春になった。部活の決まり理不尽な様々なこと、厳しすぎる上下関係について、新1年生にはそういうことを教えなかった。新2年生にははっきりとは方針を言わなかったが、秋の引き継ぎの時から空気感でなんとなく伝わっていたようだ。おかげでやりたいことをのびのびと後輩と仲良くやれた。そのせいで1つ下の同性の後輩に恋までしてしまい、告白したが前向きに玉砕したのも今ではいい思い出だ(Tさん、あの時は心底から困らせてしまって本当にごめんなさい。でも笑って許してくれた素敵な後輩で、自分だったらああは対応出来なかった。今でも誇りに思っています)。

さて…夏の大会もそれなりに完全燃焼して終わり。やっぱり勝てなかったけど、それは後悔していない。

大会の翌日、荷物を取りに登校したら、先生職員室で事後処理をしながら妙にサバサバニコニコされていた。

何十代も先輩から引き継いで来たもの勝手にぶち壊しにした自責感、楽な方向に逃げて卑怯だったんじゃないかという気持ちはずーっとあって、相当に悩んでいたから、先生には本当に救われた。

我々は2年生後半に部を引き継ぎ、夏の大会までの1年間、そしてその先も、卒業生の皆様方とまったく連絡を取らなかったわけで、色々と薄情者と思われてしまっただろう。それも覚悟の上の決断だった。全国大会で成績を残す、古豪復活、ということを夢見ないではなかったが、それよりも自分たちの足元を見つめての活動だった。先輩方には大変な非礼だったかもしれない。でも、現役生としては実りのあることができたんじゃないかと思う。

秋になり、部活運営Tさんたち、我々よりもしっかりした頼れる後輩たちに安心して託した。それでも練習だけは受験ギリギリ11月下旬までやらせてもらい、なんとか第1志望地区公立での最難関高校合格した。その高校特にこの部活の強豪というわけではないが、その顧問先生は形だけ見守る感じで、生徒は自分たちのペースでじっくり研究しているスタイルが気に入っていた。その高校でその部活をやるためだけを考えて、3年生の春から部活受験勉強とをしていたから、本当にうれしかった。ジャンル野球では無いが、ちば先生の《プレイボール》に運営雰囲気は近いだろう。まあ、あんなに夜中までとか練習しているわけではなかったけれど。おかげで、今でもそのジャンルのことは大好きだ。

ところで、あの時の中学顧問先生は、我々の入学と同時にうちの学校に着任され、我々の卒業と同時に退職された。我々が最後の生徒たちになるって、もしかしたら早くお決めになられていて、だからあの夏の大会の翌日、妙にサバサバされていたのかもしれない。

我々の卒業後。3年になったTさんたちは、新任の顧問先生がこのジャンル経験者だったこともあり、のびのびと前向きな努力地区大会で勝てたと聞いた。大会を見てはいなかったが、自分のことのようにうれしかったし、やっぱり我々の決断は間違っていなかったと思った。あのまま厳しさを貫いていたら、Tさんたちはこのジャンルを嫌いになってしまたかもしれなかったから。

長くなった。

あのアメフト部とは状況は全然違うけど、伝統を捨てたら捨てたで、そのジャンルを追求する熱い日々は待っていてくれるに違いない。

なんのジャンル部活にしても、みんなでそれを追求し、熱くなれるのには変わりはないはずだ。

彼らがどうか、前向きな大学時代をまっとうできるように祈りたい。

私などには想像も出来ない、大変な経験をなさっていると思う。どうかこれが、学生の皆さんの人生において、良き糧になりますように。

好きな友人の話

サイゼリアエスカルゴオーブン焼きを、キャベツアンチョビソテーに入れると美味しいって教えてくれた大学の友人の女の子の話。

こんなところで書くのもいかがなものかと思うけど、どうしても消化不良で話したい。

当時の記憶を頼りに書いているので、断片的な話しかできない。それに文章が下手くそなので死ぬほど辛気臭くてつまらない話になると思う。

ご勘弁願いたい。

の子のことは入学から友達を作る一環ですでに知っていた。

入学直前のオリエンテーションたまたま私が隣の席に座ったのと、そもそも学部女の子が少ないからすぐに仲良くなった。

大学入学したてって浮かれてるからインキャ上がりとか地方ヤンキー上がりみたいな奴らのまとまりに私も彼女所属してまあまあ楽しくしてた。

入学から一ヶ月もしないうちに、私も彼女グループ内の男子交際するようになっていった。

彼女地方出身で、東京にきて一人暮らしをしていた。地元にいた頃からサイゼバイトしてたらしくて、冒頭の食べ方も四月頃に教えてくれたっけ。

一人暮らし仕送りもなくて毎日のようにアルバイトしていた記憶がある。その頃は「大変なんだなあ〜」ぐらいにしか思ってなかった。

6月ぐらいには夜職のバイトも初めていた気がする。「あんま無理すんなよ」って言っても、「まだまだ平気だよ」って言うので、これ以上は何も言えなかった。

そんなこんなで夏が来た頃に彼女身体を壊して一時入院した。無理がたたったようだ。

それから確か夜職オンリーで働いていたっけ。その子の当時の彼氏は優しい青年だったので、仕事が終わるまで職場の側で待ってて家まで送ってたらしい。

彼女と親しくなるにつれ、彼女の家が結構ひどい状況だった話とか、親の借金を返済するためにも過剰にアルバイトをしていることを知った。

私も彼女ほどではないが、親の暴力があったりしたので親近感を抱いていた。あまり彼女の置かれた状況が過酷でなんども「家と縁を切ったほうがいいんじゃないか?」

と言いたかったけど(実際言ったかもしれない)、彼女の答えは「家族なんだから見捨てられない」だった。また私は何も言えなくなってしまった。

それからしばらく時間が経って、彼女は当時交際していた彼氏と別れた。急なことで驚いたが、どうやら毎晩家まで送っていた彼氏の体調が崩れたことが原因で、彼氏の親が別れるように話を進めたのが直接の理由だった。それに加えて、四月頃からつるんでいたグループ彼女と私が喧嘩別れして、残っていたその子彼氏立場も危うかったらしい。

死ぬほどくだらないし、理不尽がすぎる。

まりの怒りで当事者じゃないのに泣けてしまうほどだ。

追い討ちをかけるように、彼女彼氏交際してる時に浮気をしていただの、あいつはヤリマンだの事実無根なことを彼氏に誰かが吹聴していたことも発覚して泥沼化した。

そのせいか、もともと真面目だった彼女元彼と別れてからは本当に奔放に振る舞い始めたし、授業の出席率も下がってしまった。

この先の話は本当に最悪としか言えないので、もう書かないことにする。

その後の彼女だが、大学を退学して夜職オンリー生活しているらしい。詳しいことはあまりからない。

私があることがきっかけで連絡を断ってしまたからだ。

結局私は彼女に何もできなかった。男だったら彼女と付き合うとかそういう解決もあったかもしれないが、女に生まれしまった以上どうしようもない。

サイゼリアエスカルゴキャベツアンチョビソテーを食べてると無性に悲しい気持ちになる。

終わり

エスカルゴキャベツアンチョビソテーにぶっこんで食べるのマジで美味しいんでおすすめです。

[]2018年5月28日月曜日増田

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1日2729279450102.445

頻出名詞

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頻出固有名詞

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2018-05-28

anond:20180528150005

空デ出身者の方にお話を伺えて光栄です。

ありがとうインテリア系を目指しています

4大卒なので1年から入り直すというと

想像するだけでoh...と正直思ったけど

そんなこと関係ないよね。うん。

一般から編入一年から入学者はどのような方がいらっしゃったのか、ぜひ知りたいです。

又、桑沢スペースのイメージや繋がりはどうですか?

日本教育は遅れてる

それまではそんなに強く意識したことはなかったけど、フランスの友人と話していたら、いか日本教育が遅れているか実感させられた。

友人は拙い日本語ながら一生懸命伝えてくれた。「日本英語勉強英語じゃなくて、英語テスト勉強だよね。フランス英語教育も遅れてるけど、日本よりマシ」

日本英語テスト勉強なのは大学受験がそういう制度で、学歴社会地位が決まっちゃうからなんだよと言うと、「その社会構造自体が終わってるね」と返された。笑うしかなかった。

少し前ツイッターアメリカ育ちで日本に帰って大学入学した人が、政治の話とか全然できなくて泣きながら向こうの大学に再入学した、みたいな話がバズってたけど、これは切実な話題だと思う。私も大学生になってようやくそういう社会的な話題ができる場所サークル)を見つけたけど、そもそもそういう話題をする場所を設けてること自体に疑問を感じた。

政治とか社会問題とかって、もっとカジュアル議論してもいいと思うんだけど。特に身近な人に対してはそう思う。何もネットで全世界に向けて発信するわけじゃない。情報媒体で得られることは、フィクションコンテンツじゃなくて私たちの生きる世界で、私たちの生きる時代で起こっているのに。内輪で話し合うことでもっと関心が持てるようになるのに。

どうしたもんかなあ。

anond:20180528080935

空デ出身者です。(卒業したのは、もう結構前ですが..)

 

まず、結論として入るだけなら頭良ければ入れると思う。(MARCHあれば余裕。日東駒専でも多分大丈夫

が、1度も実技やってないのでテスト行くのは無謀。夏期講習か冬期講習はやっていいたほうが無難

課題違反とかで実技0点だと、即終了なので。。。

 

もし、学科で点数撮る自信がないなら実技で点を稼ぐしかないのですが、空デのポリシーとして、実技では浪人ぽさは嫌われる。

浪人っぽさっていうのは、受験テクニックに走ったような作品素人でも発想などで光るものがあればそこそこ取れるとは思う。

なので、実技やりこんでも空デの場合はそんなに意味ないんじゃないかなという気がしている。

いずれにせよ予備校で実技はある程度練習したほうがいい。

 

ちなみに、何を目指しているか

インテリア?セノグラフィ? 桑沢のスペースも併願ってことはファッションは無いかな。

 

ファッションは正直、就職良くない。同期でファッションコース出て、まともにデザインやってる奴は少ない。

ファッション”関連”はいっぱいいる。販売とかMDとか営業とか..)

 

インテリア系だったら入学後、学業に専念してGPAいい点数とって研究室とか教授に気に入られろ。

そうすれば学科の推薦みたいのがあるはず(昔はあった)なので、そこそこの会社東証1部とか大企業)に就職できる。

そうでなければ、デザイン事務所バイトしてそのまま卒業就職するか、その事務所出身デザイナー事務所に入るとか色々道は開ける

 

セノグラフィだったら、やめておけ。よっぽど好きじゃない限り卒業後は地獄だよ...

 

【追記】

一般からの人は1年から編入の人、両方いたけど、1年からやる方がお勧め

3年からだといきなり専門課程になるので正直しんどいと思います

anond:20180527212910 「異常な風習」は大した話じゃない。

増田より、救急車が出るレベルだという補足がありました。それであれば、その風習は何らかの改善か、廃止必要だと思います。以下は「怪我暴力は無かったけど、怖かったし理不尽だった」筆者の高校の話と、大学生になってから解釈です。

(ここから

予防接種が痛かった、とか獅子舞に噛まれて怖かった、に近い話。

あとからきっと健康とかのご利益があるよ。

※最下部に「体育会系」と何が違うのか、如何ににメジャーイベントか、を追記しました。

https://anond.hatelabo.jp/20180527212910

この記事について思ったこと。

私も埼玉県の某校で同様の体験をしており、体験直後には増田と同じことを思いました。

が、これが「興奮した当事者」と「何も知らない部外者」によって考察なく語られることに危険を感じたので書きます

※筆者はこの風習肯定的評価していますが、「ネトウヨ」「セクハラ」「体育会系」は嫌悪しておりますあしからず

◎この「異常な風習」はお化け屋敷ドッキリでしかない

⇒誰しもドッキリの直後には怒りを覚える。筆者の義憤は間違っていない。

しかし仕掛ける側は、このお化け屋敷安全で、後々は楽しい思い出になることを知っている。

経験者の大半は、この風習は負の連鎖ではなく、正の連鎖と思ってる。だから続いている。

⇒1週間、おそくとも1年後には、この筆者も仕掛ける側を楽しんでいる。それでいい。

お化け屋敷は巧妙にコントロールされている

⇒こういうのが苦手な子は、事前に中学校先生から高校先生に申し送りが言っていて、個別ネタバレがされているか、当日こっそり欠席している。

主催側(応援団生徒会等)にも、「N組の●●君にはやらないで」や、「M組の彼はお兄さんから聞いてるからサクラができる」という情報が回っている。

⇒数年に一度、これらのセーフティーネットから漏れる子もいる。そこについては心から謝罪し、救済を行わなければならない。

軍隊ブラック企業とは同じようで、違う

⇒この風習の隠れたカリキュラムは「お化け屋敷陳腐な作り物で、お化けはいない」と学習することだ。

⇒一方、カルト軍隊ブラック企業のやってることは、実際の存在が見えない「お化け(敵国、弱い自分、無収入の恐怖)を倒せ」であり、アトラクションを本物と騙し続けることだ。

⇒(ちなみに表のカリキュラムは極限状態の共有による仲間意識の醸成と集団への歓迎だ。ここは軍隊共通している)

◎この風習ワクチン接種と同じ。

⇒これを体験した大半の生徒たちは、次に出会った「お化け」に対して、「ただのお化け屋敷かも?」と疑うことができる。

⇒この感覚は、カルトブラック企業洗脳に対する強力なワクチンである

ワクチンなので、副反応が出てしまう生徒もいる。ここに対する振る舞いは、確かに難しい。

⇒なので、いわゆるリベ・サヨの人は少しこの風習に対して寛容になってほしい。

◎この記事の筆者も実は途中から構造」に気づいている。

風習最中に、感情が「恐怖」から「怒り」に遷移した時点で彼は被害者ではない。ことに、みんな気付いた?

⇒(まあ強いて言えば、大きい声出させられ晒されたことは被害といえなくもないが・・・

⇒彼の、恐怖を感じるかもしれない同級生や将来の後輩のための義憤は間違いではない。

⇒が、果たして半年後も同じ感想だろうか。いまの感情のままネットで突っ走るのが正解か。

部外者は黙っていてほしい

客観的に見れば明らかに蛮習であることは2,3年生もOBOGも先生も、みんな分かっている。

⇒なんなら地域の人も割と知ってる。

⇒が、その上でなお、それにプラス価値を感じているから続いている。

◎まとめ

・これは、「安全に」「犯罪性がなく」「コントロールされた」極限状態未成年のうちに体験させるイベントだ。

・このイベントワクチンであり、ブラック企業研修カルト洗脳を「鼻で笑いながら脱出できる」耐性を獲得できる。

一見軍隊的なものであるが、しかし実は強烈な皮肉として機能しているので、リベサヨは少し冷静に。

・この隠れたカリキュラムに気づけるのは、体験した者だけで、しかもしばらく時間をおかなければいけない。

◎その他

・これを体験したのは各県の名門校出身証明から大学とか社会に出たときには共通話題になるよ。

男子校だけでなく、共学校でもこういう風習はあるよ。

・むかしは1週間これをやる、って感じだったから、実はかなり現代風にライトにはなってきてるよ。

大学で「異様な飲み会」とかに出くわしたとき雰囲気に飲まれ被害者になってるのは、これを体験してない人たちだよ。

・「こんな体験しなくても、口で説明すればいいじゃん」という人とは議論をする気はないよ。そう賢くないのが人間だと思うよ。

お祭りなどのコントロールされた汚れ、がこの世から減ってると思う。それで、カルトブラック企業など、ホントの汚れに出会ったとき、逃げ出せるのかな。

(追記部分)

・「体育会系」の関係は、「上下関係が、法・正義・実力よりも優先される理不尽世界」が、在学中はもちろん、卒業後も延々強要されるものです。

・この「異常な風習」は、入学後の1日(1週間)だけの通過イベントで、その後の関係性は1~3年生までフラットに「同窓生」です。

⇒なぜなら、仲間を迎え入れるための儀式儀礼であり、上下関係を植え付けることが目的ではないからです。

・「バンカラ 応援歌」等で検索してください。NHK映像が出てこないので、地元放送局か何かのをご参考に。(https://youtu.be/3MUCktbO0uQ

anond:20180527212910

私の高校も同じようなもんだったよ。理解できなくても高校行事ひとつとして軽く受け流せば良いんじゃないかな。

私の高校100年以上の伝統がある旧男子校で、入学式より前の入学説明会とき校歌応援歌応援歌その2(!)のテープを渡される。入学式の日から3日間は応援団放課後体育館に集められる。移動中の廊下には応援団員が立っていて、「早くしろ!」とか「口をきくな!」とか怒鳴られる。体育館に入るとなぜかカーテンが締められて薄暗くされている(が、これは皆の前で大声で歌わなければならない練習の恥ずかしさを和らげてくれた)。

体育館内では一人づつ点呼(返事が小さいと「声が小さい!」「聞こえねえ!」と言われる)のあと等間隔に並んで正座させられ、目をつむるように言われる。応援団員に肩を叩かれ、指示通り目を開けて立つと、「校歌2番」とか「応援歌その2の3番」とか指定された歌をひとりで歌う(ひとりといってもこれを10人くらいがそれぞれあちらこちらでやってる)。音程関係なくて声が大きいことが一番大事。あと歌詞を覚えていること。歌えなかった人は前のステージに行かされて見せしめにされる。

これを3日間やったあと、最終日には応援団長のありがたいお言葉(これまで厳しくしてきたけどよくがんばった、俺はお前たちが好きだからこういうことをしたんだ的な話)があり、最後に皆で校歌を歌う。団長の合図で校歌を歌い始めるとともに体育館カーテンが開けられ光が差し込むという演出があり、最後にこれまで厳しかった応援団員と握手をして体育館を出ていく。私はこの演出に不覚にも感動してしまった。

今思えばブラック企業研修と変わらないが、私にとってはマラソン大会と同じような、つらかったけど良い思い出として印象に残っている。あとで知ったことだが、あんなに厳しかった伝統応援団も実は入団希望者が年々減っており、応援委員として各クラスで割り当てられてしぶしぶやっている先輩もいたようだ。代々受け継がれているボロボロ学生帽を目深に被っている応援団(委員)だが、その下には笑顔も見え隠れしていたような気がする。

anond:20180527212910

ブコメの中にいくつか気になるものがあったので、返信します。

shikahanさん

>たぶん増田以外のほとんどの人はこの一連の流れを楽しんでるんだと思う。だから増田や録画して晒せと憤る人はアレなんだけど、今はアレな人に配慮するのが主流なのでそのうちなくなるんだろうね。

傍観している上級生はともかく、指導を受ける側にとっては、楽しむ余裕があるほど生ぬるいものではありません。今年は、あわせて数十名の体調不良者が出たそうです。数年前には救急車が来たことがあると聞いています

「晒せ」というのがアレなのはそのとおりですが。

Betty999さん

>「バンカラ」ってやつだね?

まさにそのとおりです。

>進学も情報収集大事だよね。

事前の情報収集(先輩に聞く)などの大切さは、入学して痛感しました。

rider250さん

男子校? 俺も県内一の進学校昭和時代入学したけどこんな奇習はなかったね、ただ県体の開会式に向けての応援練習でチラッとこれに似た練習風景はあったけどなにせ女子いるからねえ、そんなに無茶はできない。

共学です。

meikotarou276さん

>ん?単なる応援団の奴だろ?厳しさは学校によって違いがあって商工が厳しい風潮らしいが校歌を覚えるようにとか姿勢を正すこととか前もって言われてるはず。貴方が聞きのがしただけじゃないかと。

校歌を覚えるようにとの学校から指導は、少なくとも入学まではありませんでした。一度目の体育館での指導のあとに、研修があって、そこでは先生校歌を何度も練習させられました。従って、二度目の指導の前には、僕も含めて大半の人が校歌を覚えていたはずです。

覚えていようがいまいが、一律に責められるのが、この指導不条理な点です。

なお、姿勢に関する指導は全くありませんでした。

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