「入学」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 入学とは

2019-04-22

大学生

この春から大学生になったんだけど、大学生って漠然とした不安が付き纏ってこないか

受験が終わって一つのデカ目標を無くしてしまたこともあるけど、何してても将来どうなるんだろうって考えてしまう。

自分でここが良いと思って入学したはずなのに、ほんとにこれで正しかったのか疑問を持ってしま自分がいる。

世間大学生って何考えて生きてんだろ。

取り敢えず大学生活遊び尽くすぞ、みたいな奴らは不安とか感じないのだろうか。

やっぱなんか目標とか作った方良いのかな。

anond:20190422174139

このコピペ思い出した。

入学したての頃、俺は初めて学食に行ってみたんだ。もちろん一人でね。

慣れない食券システムにに戸惑いつつも、俺はウキウキした気分でハンバーグ定食を購入した。

定食を貰って、席に着こうとしたんだが、もうすでに満席

一見空いているかに見える席も、DQNどもが荷物を置いて席取りしていた。

今考えたら混雑した昼時に学食に行ったのが、全ての間違いだったんだ…

俺は焦った。とりあえずどこか席が空くのを待ってみたが、一向に空かない。

明らかに食事を終えている奴らも、友人と会話をしていて席を立とうとしない。

俺はハンバーグ定食お盆を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。

どうしようもなくなって錯乱してしまった俺は、近くの調味料飲み物が置いてある台に、持っていたハンバーグ定食を置き、その場で立ち食いを始めてしまったんだ。

俺のあまりに滑稽な姿に、周りの奴らが笑っているのに気づいた。

中には俺の姿を写メール撮影し始めるDQNもいた。

俺は半泣きになりながらハンバーグ定食を急いで食べ終え、逃げるようにその場を去った。

あれ以来2度と学食へは行っていない…

2019-04-21

anond:20190421233215

女性が期待してることはいちいち言わなくてもフツー分かるよね?

からない人が多いなら小学校入学時点で大規模療育プログラムを走らせなきゃ。

じゃあ入学者の男女比がどうなればあなたは満足するんですか

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-20

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。


私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

きっと甘いみかん / 一定甜的橘子

中国語勉強していたら、「一定甜的橘子」という文章に遭遇した。

内容は、一休さんのようにとんちを聞かせて上手いこと言い訳して難を逃れるというたわいもない話。

けれども、このテキストを読んでいると不意に他のことを考えてしまう。

ぼくの両親の実家愛媛で、母の実家瀬戸内海に面する小さな港町だった。

出身を言うと「みかんだよね」と、得意そうに、とき申し訳なさそうに言われる愛媛県民のどれくらいがそうしているのかわからないのだけれど、ぼくの家には子どもが生まれたらみかんの木を植えるという習わしがあった。種からではなく、苗から植えて、遅くとも小学校入学までには自分みかんを食べる。一つの通過儀礼だったのだ。

みかんを植えたのは母がたの祖母である祖母は、無口で芯を持っていて、彼女を知る人から言わせると、珍しい人、であった。ぼくが物心つくころには祖母祖父仕事退職しており、いつも家にいた。だから、ぼくと兄は、よく遊びに行って、いろんな場所に連れて行ってもらった。魚市場、港、砂浜、そしてみかんの木のある山へと。

みかんの木の植えてある山までは歩いて30分ほどかかる。それに道は急勾配だった。それでも還暦を超えた祖母は、ぼくたちを連れて山に登った。祖母の畑は頂上に展望台がある山の中腹にあり、海が綺麗に見える。天気の良い日には、猫のほうが人口より多いという島が見えるが、当然のごとく猫は見えない。

少しだけ耕された土地と、植えられた数本のみかん。鍬やはさみなどの農業道具を保存する小さな小屋土地自体は広いのだけれど、管理されている土地はそれくらいで、他は好き勝手雑草が伸びている。

祖母の話では、2週間に1度ほどこの山に登り、ぼくたち兄弟の木の周りに生えた雑草を抜いているらしい。体調を心配する母に「この子らはまだ弱いけん、守ってあげなね」と言い、行く頻度は実がなるまでの間、ずっと一緒だったそうだ。

山に行ったことは覚えているのだけれど、初めてみかんを食べた日のことは覚えていない。母曰く、「あまり甘くなくて美味しくなかった」とのこと。それから毎年、雪が降りはじめる少し前に「あまり甘くないみかん」を食べるようになった。クソガキだったぼくは、祖母の苦労など知らず、甘くないから、あまり食べなかった。

数年後、ぼくは高校に無事入学して、少し遠くの学校寮生活を始めた。家に帰るのは数ヶ月に一度になり、祖母の家に行くのも同じくらいの頻度になった。祖母の体調が優れないと聞いたのが夏のこと。秋にはステージ4のがんが見つかり、ホスピスに入り苦しんでいた。そして、春を迎えることなく、年末に、みんなに看取られて亡くなった。

「〇〇なら大丈夫だよ。かしこいけんね。」

最後に交わした言葉は今でも覚えている。というより、忘れられない。

祖母が亡くなり、祖父は持病の腰痛が再発して、買い物に行くことも、もちろん、山に行くこともできなくなった。山には誰もいかなくなり、土地権利を売るかどうかという話になったとき、「ああ、そういうのもあったね」と言われるほどには忘れられてしまった。

誰に言われたわけでもないが義務のように毎年草刈りに行く父は、年末年始にぼくたち兄弟に対して山の話をする。

「〇〇の木はまだ残っとったぞ」

心の中で「当然だ」と思う。

祖母が、強くなるまで大事に守ってくれた木なのだから

その木に実るみかんは甘いのだろうか。

そもそも、今でも実るのだろうか。

それは自分次第なのだろう。

祖母が育ててくれた木を豊作にするのも。みかんを甘くするのも。

ばあちゃんGWには帰るよ。

anond:20190420193750

うんうん。フェミニスト無視する領域だね。こういう不利な点を挙げないのもフェミニズムが異常な点。

社会学ぜんたいを敵に回したくないって気持ちがあるのは、志願兵アメリカ永住権目的だって場合に関して取り扱えるのは社会学だって点とかがあるから

こういう、一見して「社会的弱者特別配慮をする」制度でも、現実的運用された結果としては、弱者個人不利益を敷いているケースがあるから

上野千鶴子東大祝辞に関しても、2019入学生にだけ配慮要求している形だから結果としては、ほかの代の東大生に対する単純な差別なんだよね。マスコミが大きく取り上げたから全体的に拡散したが…

2019-04-19

anond:20190415205510

ありがとうございます

大学に入ってから、進みたい専攻に必ず進めるわけじゃないこと、専攻に進めたとして、その先やることの内容が入学してからやっと公開されたけど自分が求めていたものほとんど違ったこと。

大学でやりたいことができない上に友人関係がどうにもうまくいかないんだ。

3人子を産んで

年収は400なかったはず。両親と同居。夫正社員非正規収入大元祖父年金。長女は中卒、長男も中卒、次女が高校に入るころにはシングルマザーになっていたため支援金だかでゼロ入学。それがなければ次女も中卒だったはず。うちの両親の話だけど地獄実写化

2019-04-18

anond:20190418224213

皮肉なことにドイツではとりあえず大学に行かせようっていう日本型モラトリアム入学が進行している

anond:20190418125337

身内の不幸と旅行じゃ意味が違うでしょ。

旅行はただの遊び。遊びで学校行かないのはサボり

まあ年に一度程度ならサボってもそれで済むなら大した悪影響はないだろうが、

例えば入学したての一年生なら学校に行く習慣をつける大切な時期であるから

学校は遊びでサボっても構わない所」と親が教えるってのはどうなのか、とも思う。

教育委員会対応

お忙しいところ恐れ入ります

去年の夏に県立S高校夜間部中退した増田と申します。

S高校に在学中の出来事についてお知り頂きたいことがいくつかあるので、メールを送らせていただきました。

私のいた○年○組の担任数学教諭のK先生言動についてです。

入学して間もない頃の数学の授業中、神原先生が「ノートを書くのが遅い子は数学ができない」という話をされたあと、「増田とか書くの遅そ~」とクラス全員の前で言われました。

学校に登校して教室に向かう廊下で、K先生に会ったので私が「こんにちは」と挨拶をしたら、「あれ?昨日いた?」と開口一番に笑いながら言われました。

数学の授業の休み時間教室で同じクラス友達が「疲れた」と言ったところ、それを聞いたK先生が「S高の授業で疲れたなんて言ってたら他の学校行ったらどうなっちゃうの?ずっと夜間にいるの?」と大きい声で言いました。

私は中学校で色々なことがあり不登校になって、高校では心機一転頑張ろうと無遅刻無欠席で高校に通う中

クラスのみんなの前で馬鹿にされたり

挨拶してすぐ「昨日いた?」と笑いながら言われたり

自分選択したS高校夜間部という道を他の高校と比べて否定されたことが、とても辛くて、今でも思い出すと涙が出ます

S高夜間部ホームページには

中学生ときに、色々な悩みや不安、手助けが必要だった生徒が自分の居場所を見つけられる学校

「欠席が多い生徒も活躍し、自分を変えられる場所」だと書いてあるのに、そんな風に言ってくれる先生は一人としていなくて、K先生には上記の無神経な言動をとられ

私のような生徒はどこに行っても馬鹿にされて、嫌がられるんだと悲しい気持ちでいっぱいです。

K先生が私を故意に傷つけるつもりはなかったとしても、学校先生特に夜間部先生は、生徒への発言を充分に考慮するべきではないのでしょうか。

現在はS高校通信制に通っていて、夜間部に戻るつもりはさらさらありませんが、今でも心に傷が残ったまま辛いので、このようなメールを送らせていただきました。

教育委員会先生方はどのようにお考えですか?

ご返信いただけたら幸いです。

この文章を県の教育委員会メールしましたが2日経っても返信がありません。

彼女収入は低いが、おっぱいは大きい

私は日本の片田舎に生まれ育ち、高校卒業までは地元公立学校に通っていました。大学は隣の県の旧帝国大学工学部入学し、そのまま大学院を修士で修了しました。現在都内の某大手メーカー研究所で働いています

付き合っている彼女大学時代に合コンで知り合った他大学の同い年の女性です。おっぱいは初めて会ったときから大きかったです。

彼女とは、私が大学院を卒業してから現在一年ほど遠距離なのですが、結婚を考えるにあたって、彼女収入が気になっています彼女地方実家暮らしをしながら事務をやっています。具体的な給与額は知らないですが、私より早く社会に2年間早く出ているにもかかわらず、一切残業をしなかった私の初任給より余裕で低かったようです。聞いてみると昇給ゼロで、残業代も貰えず、スキルも身に付かない職業のようです。

彼女結婚した場合現在、住んでいる独身から追い出されてしまい、二人暮らしできる部屋に転居することが予想されます住宅に関する月額の負担としては、結婚前と比べて7万円程度増える事が予想されます

正直、彼女都内に移り住んで転職活動を行い、フルタイムで働いても家計に入れてくれる金額はせいぜいその程度だろうと考えられるので、結婚による金銭メリットは皆無です。更に彼女奨学金を数百万円借りてるようで、その返済を考えるとむしろマイナスだと思います

いくら大手メーカーといえども金融コンサル医者などの職業には給与水準では敵わないですし、都内では子ども私立に通わせないとまともな教育を受けられないという話を聞くと、正直一人で家庭を支えるのは非常に不安です。

食事も私は社食比較的安い金額で美味しい食事を三食頂けているので、あまりメリットがない状況です。

そんな状況であるため、頭では結婚するべきでないと思っています。社内の同期の女性結婚すれば30前には世帯収入が余裕で1本超える事を考えると生涯収入の差にめまいがしてしまいそうです。ちなみに、同期の女性に何度か告白されていますが、彼女いるからと断っています。そういう背景もあって、今付き合っている彼女とは、たまに会うたびに、会う前は別れ話をしようと思いますしかし、いざ会うと、彼女は夏以外は私の趣味でぴったり目のニットを着ているため、彼女のはち切れんばかりのおっぱいに目がいってしまい、別れ話を切り出す事ができません。彼女の下らない仕事愚痴おっぱいをチラ見しながら聞けばなんの苦もありません。たまに、おっぱい凝視しながら、うんそうだねーと相槌をうっていれば、自然話題を移すことができます

そうして昼間のデートをやり過ごし、夜は彼女おっぱいを拝み、揉み、舐め、セックスをし、射精をすれば、もう別れ話をしようとは思わなくなっています

その後、しばらくしてやっぱり現実的に別れたほうが良いと思うのですが、会ってみるとおっぱいのせいでやっぱりなぁなぁとなってしまうというルーティーン最近は繰り返しています

結論:おっぱいは凄い。

2019-04-17

若者応援おじさんの思い出

https://twitter.com/MAEZIMAS/status/1113114798672113665

若者説教する老害は二流。

一流の老害は「君たちこそが真のニュータイプだ」とか言って、若者自分既得権益確保のための鉄砲玉にする。

…いやマジ本当に、若い人気をつけてね。若者説教おじさんは、せいぜいまだ極限の不愉快ですむけど、若者応援おじさんに乗せられると最悪人生詰むので…

というツイート流行っているので、私が遭遇した若者応援おじさんについて書こうと思う。

当時の私は親との折り合いがつかず、学力もそこそこあったし、勉強もしていたのにも関わらず大学に進学せずにフリーターをしていた。実家を出たかったし、大学にも進学したかたから金の工面が当面の目標だった。そんなとき出会ったのが若者応援おじさんのAさんである。Aさんはバブルの頃に就活をしていて、まだインターネットやパーソナル・コンピュータというのが流行る前から電子工作プログラミングをやっていた人だった。実際、経歴を聞いてみると10回以上転職を繰り返しているものの、有名企業(今にして思えば、カビ臭いSIerだが)で部長をしていたことがあって、年収が1700万ぐらい稼いでいたこともある人だった。

最初出会ったとき自分が如何にすごいかということを熱心に語っていた。80年台後半ぐらいのコンピュータ開発の大型プロジェクトに関わっていたとか、セキュリティ専門家とか、今までに触ったことのあるプログラミング言語が300個を超えるとか。でも、当時の技術的なトレンド(MongoDBRuby on Rails、AngularJSとか)についての知識が限りなく少なく、「フレームワークなんてその場で覚えればいい」みたいなタイプだった。中学生の頃にラジオ工作したとか、はんだごてで電子回路設計したとか、そういう話は熱心にするのに、Bram Moolenaarの名前を知らなかったりした。要は、最近プログラマがどういう関心やインセンティブプログラミングやってるかを知らずに、過去の栄光を語ってるようなタイプだったと思う。

まぁ、それでも、その人のコネで中規模程度のSIer入社して、そこそこいい感じの待遇だったように思う。当時の私の技術力は『わかりやすJava入門』『たのしRuby』を一通り終わらせて簡単言語仕様を把握したぐらいでろくにコードも書いたことのないような人間だったから、定時で帰れて手取り二十万もらえるのは甘い汁を吸えたとは思うんだ。

でも入社を決めた一番の理由が、そのAさんが私の関心に理解があると思っていたからだ。というのも、当時の私は「人工知能人工生命に興味があります。三年後に大学入学するまでにプログラミングスキルを磨きつつ生活費学費を稼ぎたい」ということを明言した上で、それを叶えてくれる会社を探していた。技術力はないものの、「自頭がいいか入社してからプログラミングを覚えればすぐに戦力になるよ」と複数人間から言われていて、それぞれ就職先を紹介してもらえるような状況になっていた。今から思えば、そんなコードを書けない人間を自頭なんて胡散臭いもので褒めるような人間は信用してはいけないと思うし、口車に乗せられたと思うのだけど。そこは自分にも甘いところがあったように思う。あ、あと、補足しておくと、当時はDeep Learningなんていうのは全く人口膾炙してなかった時期で、スチュアート・カウフマン金子邦彦に憧れてたような、周回遅れの複雑系に魅せられた若者が私だった。

駄文を書き連ねてしまったが、要は

①親との折り合いが悪く、大学に進学したいが、金が足りない

実家を出るために生活費を稼ぐ必要があったが、飲食バイトとかではスキルが身につかない状態で、価値の高い若い時間無駄にしてしま

③そんなところに現れたのが過去の栄光を話す若者応援おじさんのA

自分殆どコードを書いたことのない業務経験で、21世紀になっても複雑系の話に興味をそそられるような斜に構えたスノッブ

という状況設定理解してくれればいい。

では、入社後の話をしよう。私が配属されたプロジェクトは80万行程度のJavaコードで動いてるBtoB向けの製品保守開発してるプロジェクトだった。やってることはGoogleAmazonMicrosoftみたいな大手ならやってるようなサービスの完全下位互換みたいなソフトウェアを、情弱だけど社員数は多いみたいな企業に売りつけるような仕事だ。国産とか、セキュリティとか、そういうよくわからない言葉を並べ立てて、海外UIも洗練されていて、優秀なエンジニア管理してるものセキュリティ的に怪しいと不安煽り立てて売りつけるようなやつだ。そんなクソみたいな製品でも年間5億円ぐらいの売上になるのだからIT系って糞だなって思う。ネット上では優秀な人間ばかりがアウトプットしてるし、NDAの名の下に詐欺まがいのソフトウェア(今回の例なら無料UIも洗練されていて、使いやすサービス)が明るみにならないのだから、こんな国はさっさとスクラップ・アンド・ビルドすればいいのにって思うよ。IT化されてないのが時代錯誤で〜みたいな記事ネット上でもバズるけど、実際には10年前のスパゲッティコードを惰性と不安につけ込んで売りつけるようなSIerがたくさんある。そんで、そんな意味不明ソフトウェアを導入すれば、どこに何があるのか分からないUI操作に大切な業務時間を奪われて、日本全体の生産性が落ちてしまう。ユーザー時間生産性を奪い、開発者にとっても技術負債しかならないようなソフトウェアを売りつけてる悪性腫瘍みたいなSIerはさっさと滅んでしまえばいいと思うよ。

まぁ、私が配属されたプロジェクトはそんな感じだ。まるで意義を感じないが金にはなってるプロジェクトに配属された。そのプロジェクトの根幹部分は一人のエンジニア設計開発しており、そのエンジニアは既に退職して、どこに何が書いてあるのかわかってない人間が後任として保守を行っている。盲腸みたいに全く有難みのない機能を増やすことでより高く売りつけるようなプロジェクトだった。

そのプロジェクトの中にいる人について話そう。プロジェクトマネージャー仕事漬けで毎月350時間ぐらい働いている60連勤とか当たり前で、常に酔っ払ったような、眠そうな目をしてる人だった。にも関わらず、同じプロジェクト人間仕事がなさすぎて業務時間中に関係ない談笑をしたりしていた。プログラマテスター文書作成をするスタッフが40人ぐらいいるところで、閑散期(機能追加のサーバーリリース前以外)は暇そうにしてる人が多かった。プロジェクトマネージャーを除いて。要は、PM一生懸命働いているが、その一生懸命さは惰性で行われており、無能なのに業務時間が長いPMがいて、その人が全部仕事をやってしまう。他人に頼めない性格らしくて、存在意義が分からない業務他人に頼んでは「なぜこんなこともできないんだ?」って怒鳴るのが生きがいみたいな人だった。頑張ってることがアイデンティティになってて、その頑張りに意味があるのか、必要なのかという吟味ができず、タスク他人に振ることもできず、情報もそのPM一人だけが握っているから、周りの人も「私が仕事を請け負いましょうか」ということもできない。それで新入社員をイビるような存在意義のわからない仕事を振って、できなかったら人格否定をするような感じの。

私が受けた仕事ととしては、週に1回ベンダーのところに会議をしに行くんだけど、そのときの社内の資料を全部紙でプリントアウトして持っていくというのがあった。文書作成スタッフ製品仕様Wordでまとめて、600ページぐらいのpdfにしたものが1500万円ぐらいで売れるらしく、その増えた言語仕様プリントアウトしてベンダーのところまで持っていく。追加された仕様以外にも、今週やったテスト内容をExcelで纏めたものプリントアウトしたりしていた。紙の量で言うと、一回の会議で2500枚ぐらいで、それをキャリーケースに詰めて客先であるベンダーまで持っていくらしい。聞いた話では、その2500枚の会議資料殆どまれずに捨てられるのに、そのPMベンダーにその慣習を廃止しようとは提案しない。ベンダーとの週一の会議の他にも、進捗報告を主とする社内会議があって、PM以外の人はあのプリントアウトする悪習は廃止すべきという話が上がっているのにPMが首を縦に振らないから一向に改善されない。まぁ、そのプリントアウトするのをやるのが私の仕事だったわけですよ。毎週4時間ぐらい掛けてWordExcel文書サイズとか調整してさ。元の文書サイズや余白が狂ってるのに、客先に失礼だと言われて、手直しして、プリントアウされたコロコロコミック何冊分だよ? みたいな紙の束をホチキスで止めていくんだけど、ホチキスの止め方が汚いとやり直し。

じゃあ、なぜPMは頑なに意味のない業務をし続けて、それによって新入社員を使い潰そうとするのかと言えば、弊社の業績が悪くて倒産しそうだったときにそのベンダーが手を貸してくれたからそのときの恩義があるとかなんとか言っていた。だから、靴を舐めるようなことをするし、他人生産性を奪うようなクソ製品を世の中に出して何も感じないらしい。読みもしない産業廃棄物を作り出して、それを無碍にされて喜んでいるような業務が、今の日本の何割を占めているのだろう? そのPMの口癖は「俺はプログラミングは全くわからないが、こんなプリントアウト段取りもできないようなやつはプログラミングなんてできないと思うよ」だった。FizzBuzzどころか変数関数すら知らないような人間にこんなことを言われるのは屈辱だったし、これが高卒経験就職することなのだろうと思った。

他にも、私が受け持った仕事に、製品が動くかどうかを確認するテスターという仕事があった。RSpecSelenium自動化しようと言っても、そんな技術を持ってる人がいなかったから、一々自分でその製品を触って仕様通りになっているか確認しないといけなかった。画面遷移が600ページのpdfになっているから、それを見ながら正しい画面遷移ができているか確認する業務だったが、正直人間のやる仕事ではないと思う。画面遷移だから前のページから次のページに移行したときに前にどのページだったなんてスクショを撮ったぐらいじゃわからないのに、「このテストExcelにした内容じゃ、本当にテストしたのかわからないだろう?」と言われた。言われたとおりにExcelファイルスクショをひたすら貼り付けていたというのに。しかも、その他にも特定ファイルアップロードするときにどの条件だとアップロードができないか判別するテストをどうやって行うのか考えろというのがあった。今までにテスターをやっていた人に聞いても指針なんてないと言われ、「賢い人はそういうのを考えつくものだ。俺はパソコンに詳しくないが」とPMに言われ、嫌気が差した。

まぁ、ここまで書けば、如何にブラックと言うか、理不尽で不合理な職場かというのはわかったと思うけど、いい面もあったんだ。前にも書いたように、未経験高卒手取り20万貰えたのは嬉しかったし、研修のない会社だったから、最初の二ヶ月ぐらいは一人で勝手勉強しててと言われたから、実働換算で時給3000~4000円ぐらい貰える計算だったのかな。一番瞬間時給が高かった日はメールの返答に20分ぐらい使ったときだったから、日給1万、実働換算の時給が30000円ぐらいになった。それぐらい放任されていた。

最初社長が「君にはソースコードUMLを書いてもらおう」とか言って、クラス図を書く練習をしていたんだけど、現場の人は「今更UMLなんて必要ない」「ソースコードを読めばわかる」と言って、全く必要とされていなかった。だから業務とは関係ないTCP/IPRubyGit勉強をしていた。家のことで勉強に対してモチベーションが落ちていた私は、金を貰えるという環境では目の前の勉強に集中できるようになって、元の勉強するための生活リズムっていうのか、そういうのを取り戻せた。それは当時の私にとっては有難かったと思う。

ここまでをまとめると

無料で使えるサービス下位互換といえるような、他人生産性と金無駄にするような製品を開発してるプロジェクトに配属された

PMけが忙しく働いて、周りの人の割り振りができていない。

PM多忙なのはしなくていい仕事を引き受けているだけ。

社会悪のようなソフトウェアを売りつけて金を稼いでいるプロジェクトだった。

仕様書やテスト内容のプリントアウトという必要ない業務をしたり、指示内容と叱責内容が矛盾する理不尽を受けなければならなかった。

しかし、勉強してるだけで月20万貰える環境は有難く、当時の私にとっては願ったり叶ったりだった。

では、次に私がその会社入社から辞めるまでの経緯について書こう。最初のうちは、自分勉強時間を取れていたし、振られる仕事理不尽で意義を感じられないものであるものの、すぐに終わることが多かったか問題ないと感じた。それが徐々に仕事が増えていき、勉強時間が取れなくなっていった。

ここで若者応援おじさんAの登場である。Aさんは私と会ったときは有名企業に勤めていて、そこを辞めて私を紹介してくれた中小企業で働き始め、その数カ月後に私を紹介してくれた。元々、その会社社長とは懇意にしていたから、一緒に働こうという話が何十年も前からあって、今回ちょうどタイミングが合ったから、その友人の会社の重役として就職したらしい。私が就職したのはその数カ月後だった。

Aさんは「何か問題があったら、部下や上司という立場を気にせずに忌憚なく言ってほしい」「俺は人を見る目はある方だ。君は一本芯の通ったところがあるから、周りに流されずに新しいことをできるだろう」「君には将来性がある」「俺は新しい会社でも権力を持ってるからへんなことを言ったり、したりしてる人がいたら遠慮なく言ってほしい」とかそういうのを入社する前に言っていて、まぁ、色々とおかしいところ、FAKE野郎みたいな発言が多かったけど、そこだけは信じてたんだよね。本当に騙すんだったら、そんなすぐに辞められるようなリスクを上げるような発言はしないだろうってさ。ちなみにFAKE野郎って感じたのは、一方的自分の話だけをして、私が質問すると煙に巻いたり、私のことを買ってるという割には私の話をすぐに中断させて自分の話をし続けるとか。その人はFラン出身だったから、ちょっとインテリなことを言うと「君は変わってるね」って言ったり、きょとんとした顔で10秒ぐらい固まった後、すぐに自分の自慢話を再開したりと、決して自分の知らないことや分からないことを認めようとしなかった点だ。他にも、「私と働きたいと言ってくれていた会社はあったけど、そこは技術的に成長できそうだけど給料は月7万程度でバイト身分から、迷ってるんですよね。バイトから自由時間は多く取れるんですけど」みたいな発言をしたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、私が感じていた不安を取り合ってはくれなかった。Aさんは「俺は社内で影響力を持っているから、君を正社員にすることもできる」みたいな話を延々としてたのに、いざ蓋を開けてみると、「君の面接での受け答えが駄目だから契約社員として雇用することになった」「あれから上層部に渋られてしまって、請負契約にすることになった」と話が二転三転していった。だったら、他にも選択肢があったのに、他のところに就職したのにと思ったが、自分能力や経歴で負い目を感じていたから強く言うことはできなかった。高卒就活するというのはそういうことだ。他にも選択肢があるのにも関わらず、どうせ労働に関する知識がないと足元を見られて、条件を徐々に下げられ、他に選択肢をなくした後で、悪い条件で働かざるを得ない状況になっていた。結局、勤務時間タイムカード管理されてるのにフリーランスとして請負契約を結ぶという偽装請負契約させられ、もっと技術力を磨ける選択肢は潰されてしまっていた。

私は会社問題点を丁寧に分析してpdfにまとめてAさんに送ったんだ。それが間違いだった。如何に会社がそのベンダーに良くしてもらったか、大変なのをわかった上で俺たちが会社を立て直してきたかということばかりを話していた。百歩譲ってそこはいいとしても、ベンダーとは関係なく職場環境を良くするための話までいい加減に聞かされてうんざりしていた。

「Aという問題があります。その背景にはBがあります。そのためにはCという解決策があります

という話をしたときに、「Bぐらいみんな当たり前にしている。君だけ特別扱いすることはできない」みたいな返し方をされて、問題が発生してる事自体はないものとされていった。結局、職場にはびこる不合理で理不尽業務ルール改善することはなく、私への人格攻撃で終わってしまった。

毎日どうでもいい作業で疲れ切って勉強時間が取れなくなってしまった私は、最初出会った頃のAさんの言葉を信じて、「私が本当にしたいことは、仕様書やテスト時のスクショプリントアウトしたり、よくわからないテスターをやったりすることではない。このままでは、プログラマとしてのキャリアを積むための勉強時間を作ることもできないし、業務内でコードを書くこともないか業務時間を短くしてほしい」と言った。少なくとも、最初Aさんと会ったときは、「君には人工知能このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

きょうだいコンプレックス、持たれる人間もつらいという話

2歳年上の兄と折り合いが悪い

というのも、昔は明確に「暴力」という形で兄の絶対的支配の下に入っていたけど、もう20歳も超えてそんなこともなくなって、むしろそのころから兄の人生と私の人生社会的評価のされ方が変わってしまって今となってはただの折り合いが悪い兄妹になってしまった。

いや思えば昔から兄は口下手で滑舌が悪く、口達者でよく舌のまわる妹(私)に口喧嘩では勝てず、暴力支配していたのだ。

それこそ骨折するとか縫うみたいなケガをしたことはない。それは兄が優しかったとかじゃなくて、今ならわかるわ、大きいケガさせてもっと強大な権力であるところの父に叱られたくなかったんだろうな。

小中学生くらいの私はまぁまぁ勉強ができて、学級委員とかをやりたがるタイプで、図書委員長とかもやってて、運動は全くできず、50m走したら10.2秒かかって先生に「まじめに走りなさい」って怒られてた。マジ全力で走ってたんだけど

友達はいた気がするけど、私が人間として生まれたのは18くらいの時なので記憶はないです。

対して兄はサッカー少年で、成績がどうだったかは覚えてないし学校でどうだったかとかは覚えてないけど、同じ中学校に通ってた時、吹奏楽部の子がみんな「あんたが○○っていうの?兄ちゃんいるでしょ」って言ってくるからどうしたことかと思ったら兄は同級生吹奏楽部サックス吹きの、私からしたら先輩と付き合ってたんだそうだ

いや知らんけど

まぁいろいろあって、高校生の時に兄はどっかから金を工面してきて某英語圏に行った。7年くらい?8年だったかな?金の仕組みがよくわかってないけど、両親は兄が金をかけずにうまくやったことを喜んでた。

うちはハイパー貧乏だったけど子供が5人もいて、生活が本当に苦しかったのだ。ちなみに兄と私は長男長女。マジこれ最悪なんだわ。

そこからまたいろいろあって、私は現役で某地方国立大学に進学した。奨学金は2つ借りて、当時は神の子だったし家がハイパー貧乏だし当時小学生の弟とかもいて余裕で無利子だった。20年間返済するぜ

ここから一人暮らしスタートして、私の物心がつき始める。これが…自我…!って感動した。18歳の目覚め

ちなみに父実家がクソ男尊女卑思考から兄は海外で羽伸ばしてんのに私は「うちの女の子がそんな遠くで一人暮らしなんて認めません」みたいな態度だった。ゴミ思考。一応有名大学だったので蹴っ飛ばした。両親は応援してくれてたのが幸い、最高両親ありがとう

私が大学3年のとき、兄が日本に帰ってくることになった。向こうで通ってた大学留年して、除籍になったっぽかった。

兄は「日本教員になりたい」と言って、大学に3年次編入することになった。

23大学浪人生の兄に奨学金を貸してくれるまともなところなんてないから、両親がお金を工面した。ここでももっといろいろクズ伝説はあるけど、今は関係いからまあいいや

問題浪人生時代インターン実家に帰っていた私にとって兄がとんでもないモンスターモラハラ兄に変化していたこ

兄が3年次編入を狙える大学は私が通っていた大学よりランクとしてはずっと下で、サッカー少年ですらっとしていた兄は目測20キロは増えて帰国しており、暴力による支配もできなくなった兄は私を以下項目において貶めることでしか関係を築けなかったんだろうね、かわいそうなひと

そもそも大人きょうだいに力関係って必要?その辺も考えが貧しいというか子供のまんまなんだろうな、かわいそうなひと

まずは容姿

かに美人じゃないけど、どんな話してても最終的には「お前はブス」「お前の顔だとほかの人間に許されることも許されない」みたいな小学生みたいなことを言う

次に恋愛

当時彼氏はいたが、実家ではそんな話もしなかったしいないと思われてたほうが都合がよくてわざわざいるとか言わなかった。そしたら兄はさっきとの合わせ技で「お前みたいなブスは結婚とか恋愛とかあきらめたほうがいい」「お前はブスなうえにオタクからモテない」「ブスは一人で生きるしかないんだから」とかまぁ本当にいろいろ言われた。

毎日深夜のマックでその元カレに泣きながら電話してた。早く大学に戻りたくて仕方なかった。

実は、モラハラが始まるまでは私は兄のことが本当に好きだった。

よくわからないけど遠い国で頑張ってるし、どっかからお金も見つけてきてすごいなって純粋尊敬していた。本当に本当に、嘘かと思われるけど、兄の美しい面しか記憶になくて、兄みたいに頑張ろうって思ってた。

でもこんなことになっちゃって、大学生になった兄はさらゴミみたいな人間になっていくし、教員免許取るのもやめて大学意味感じられなくなるし、大好きなおばあちゃんお葬式で私に「ブス」って言いすぎて叔母たちに超説教されたりしてもやめないし、どんどんコンプレックス拗らせてった。哀れだよね人間って

コンプレックスを持たれている人間、私もそんな兄の攻撃に耐え兼ねてできるだけ兄とは会わないように生活してきたし、今後もしていく予定

いやごめんどんどん長くなるけど、これから自分いかに立派な人間かを語っていくわ。わたし立派な人間から


私は大学ストレート卒業して趣味のもの作ってるメーカー営業職で就職も決めて、おばあちゃんお葬式とき大学3週間休んだけどなんとか卒論も完成させて一緒に卒業旅行行ったり遊んだりする友達もいて、マジ平凡の中の最高ランク人間なんですけど、一度もモラハラ兄に「いやブスでも大学4年で卒業するし」とか「結婚できなくても安定した職はあるし」とか「てめぇがブスって言ってる顔でも学歴社会じゃ関係ねえし」「てめぇとは語彙と愛嬌で差がありすぎて話にならん」とか、反撃したことないですからね。

私は大学入ってから仕送りもしてもらってない実家の両親に誕生日父の日母の日プレゼント買ってるけどお前は?

自動車学校に通うからってバイトしてたお金、全部使い切って結局家に一円も入れずに親に金出させて通った自動車学校、楽しかたか

お前がストレス発散のために怒鳴り散らしてた受験生の妹を慰めて勉強見てやって国立大学入学したときにお祝いあげたの誰か知ってるか?

お前は学生の妹から金借りてたけどその妹に仕送りしてんの誰か知ってるか?

女の子に学はいらん」ってマジで身内に言われたことあるけどお前は?

金がないか就活できないとか言って父に金出させてたくせに香港旅行行ってたの誰だっけ?

就活できないとか言って留学先に残してきた彼女に会いに行ってたの誰だっけ?

お前が毎日ご飯食べさせてもらってたおばさんの家にお礼送ったの誰か知ってるか?

全部言ってない、飲み込んでる、偉すぎる

大学受験期、どうやったら一番金がかからいか考えて予備校にも通わずに現役合格した神の子の長女と両親に湯水のように金を使わせる長男、どっちが立派ですばらしい人間かわかりますね?

ここまで金にこだわる私がどんな貧乏暮らしをしていたかわかります???

学生の時も金がなくて超つらかったな~~早朝5時半とかからバイトしてた。

全部全部兄に頼まれてやったことじゃないけど、私は私が正しい大人としてやるべきと感じたことを兄がおろそかにしていることに関して補っているという認識普通毎日ご飯食べさせてもらってたらお金払うとかお礼の品持っていくとかするでしょ。なんでお前にはそれができないの。

最後時事ネタ入れるけど、上野千鶴子がどういう人間かとか著書にどう書いてたとかよく知らないけど、あの東大祝辞はよかったと思う。

ただの地方国立大の私でさえ「そんな学つけても子供産んだら役に立たんぞ」とか言われるわけ。いやてめーらみてえな思考にならないだけ役に立ってるわ。

本当に性差別も感じる、一介の営業マンでさえ感じる、これはそのうち。

かつて兄が好きで、兄のことを心の底から尊敬していても、兄が拗らせたコンプレックスでぼろぼろに言われる、まだ兄を好きな私が心の片隅に生きていて毎日ブスって言われるたびに泣いている。せめて私は妹や弟をかわいがりたいと思う。心の底からかわいがって、彼らの翼が折れないように守りたいと思う。私がしたような苦労はしてほしくなくて一人暮らし学生の妹には仕送りをする、受験生の妹は親と相談させて予備校に通わせる、弟には部活で使う高い道具をじゃんじゃん買ってあげる。みんなかわいいよって言ってあげたい。私は誰かのかわいくて仕方がない妹にはなれない、一生なれないから、私は私のかわいくて仕方がない妹と弟がいらないコンプレックスを抱かないように尽力したい。

てゆーかブスでもよくない?お前とおんなじ親からまれてんだから

おんなじ親からまれてるのに私より子供のまま26歳になっちゃった兄、かわいそう

[]2019年4月16日火曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
008813039148.239
01314096132.135
02202911145.636
0312112293.528.5
04112265205.982
0581195149.4114
06181835101.970.5
0735260774.544
0842409097.428
09113850775.331
101351135184.147
111171153998.641
122121850887.340
1312012085100.730.5
14101511150.625
151461295288.746
1614417792123.665
1713014809113.950
1818419539106.250
1916016256101.637
2010012644126.438
2112516346130.871
2212820959163.746
2313915507111.650
1日2319247065106.544

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

楠木(24), ノートルダム大聖堂(6), 消火器(4), タフブック(3), スカラー(3), 日本学術振興会(3), こじき(3), モルダー(3), ぶちかます(3), セラミック(5), ゴー☆ジャス(4), はたらけ(3), 氷河期世代(16), 上野千鶴子(14), 氷河期(13), 上野(8), ガイドライン(7), 東大生(11), ゴール(13), 実況(9), 嘘松(20), 研究者(19), 燃え(10), 通販(9), 表現規制(12), カルチャー(8), 恵まれ(22), 引っ張っ(8), 表現の自由(28), 東大(28), な~(15), 研究(38), 世代(33), 規制(37), 証明(30), 宣言(12), 告白(13)

頻出トラックバック先(簡易)

嘘松って単語が嫌い /20190416020204(19), ■研究者の食い扶持に関して /20190416091458(19), ■VTuberの何が良いの? /20190415210026(16), ■姪が小学校入学してから /20190416092748(9), ■女性向け同人の方が質が高い説 /20190416180331(8), ■被害者面のマリー・アントワネット /20190416124602(6), ■P活女子って何ですか? /20190416061836(5), ■ゆとりだけど氷河期って甘えでしょ /20190416190516(5), ■嘘松よりパワーのある代替を出せよ /20190416111333(5), ■面白くなさで鑑賞候補を削る午前10時の映画祭 /20190416000748(5), ■あれ? これ女性監督で年間邦画興行収入1位いくんじゃね? /20190416105500(5), ■さっきUFOを見た /20190416093322(5), ■トラップヒロイン /20190416103118(5), ■イケハヤとかはあちゅうを叩いている奴って何なの? /20190416174516(5), ■鳩を食べていた /20190416063126(5), ■ /20190416141731(5), ■人生が上手くいかないのは顔のせい /20190416103850(5), ■ /20190416081552(5), ■年齢=26歳=彼氏いない歴処女歴 /20190414171844(5), ■anond20190416091458 /20190416105657(5)

増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

6179555(2211)

2019-04-16

anond:20190416213841

ずるいといってもあんたも平凡な家庭ではあるでしょ

ガチャを恨むなら↓こんな家に生まれから恨むべき

梶川美由紀仮名)は、軽度の知的障害を持って生まれた。IQは60台。背が低く、ふわーとした雰囲気で、何も考えずに相槌だけを打っている女性だ。

両親の意向小学校中学校普通学級で学んだが、中学時代いじめにあったため、卒業後は特別支援学校高等部入学した。その後、障害者を多く受け入れているクリーニング店で働きはじめた。

由紀が13歳年上の谷亮(仮名)と知り合ったのは、その職場でのことだった。亮は自閉症わずらっていた。2人は家が近所だったことと、趣味ゲームが同じだったことで、お互いの家を出入りするようになり、やがて恋に落ちた。

結婚が決まったのは、出会ってから5年目のことだ。美由紀妊娠したのである。当初は両家の親が話し合って、中絶することも考えたが、本人たちがどうしても生んで結婚をしたいと言い張ったので、認めることにしたのだ。

まれたのは、女の子だった。2人は子供が1歳になってからアパートを借りて暮らしはじめる。だが、すぐに壁にぶつかった。美由紀離乳食づくりやおむつ替えを毎日続けて行うことができないのだ。

夫の亮もそうだった。彼は極度の潔癖症だったこともあって、よだれを垂らしたり、お漏らしをしたりする赤ん坊を触ることができない。

そこで美由紀の両親が毎日アパートに来て、赤ん坊の世話をすることになった。離乳食をつくり、お風呂に入れ、オムツを変える。熱を出した時は駆けつけて病院へ連れて行った。育児のすべてを両親が代わりに行ったのである

こうした生活は長くは続かなかった。娘が2歳になって間もなく、美由紀父親脳梗塞で倒れてしまったのだ。半身が麻痺して1人でトイレすら行けなくなった。母親は夫の介護と、孫の世話を同時にすることになる。

この状態が、母親の心をすり減らした。間もなく母親うつ病わずらい、2年後に自宅で自殺をしてしまった。

母親を失った美由紀は、保育園に通う娘の育児を1人でしなければならなくなった。

生活は立ち行かなくなった。美由紀は懸命に育児をしているつもりでも、保育園の送り迎えを忘れてしまったり、ご飯を何日も食べさせなかったりしてしまったのだ。本人も無自覚なところで、育児放棄が起きてしまったのである

夫の亮にも大きな負担がかかった。美由紀子育てをできないことから、亮が代わりにしなければならないことが増え、情緒不安定になっていったのだ。亮は娘を害虫のように嫌うようになり、時折パニックを起こして暴れたり、美由紀や娘に手を上げるようになったりした。

家庭の状態にいち早く気がついたのが、保育園だった。娘が通園しなくなったばかりか、連絡も取れないようになり、市に通報したのである職員家庭訪問に訪れた時、娘はやせ細り、全身が垢だらけになって、しゃべることさえできなかった。美由紀DVによって全治2週間の怪我を負っていた。

その後、勤め先の上司などが間に入って2人は離婚することになった。亮に子育ては無理だという判断もあったのだろう。美由紀は娘を連れて母子生活支援施設に入居することになった。

母子生活支援施設にいる間、職員が家庭の世話をしてくれた。美由紀も支えてもらうことで少しずつ精神の安定を取りもどしてきた。

そんな中で、美由紀は新たな恋をする。ビデオレンタル店で、精神疾患を抱えた男性と知り合ったのである男性無職。親が所有するアパート一人暮らしをしており、美由紀は娘を職員に預けてそこへ通い詰めるようになった。

ある日、職員が美由紀お腹が大きくなりはじめているのに気がついた。病院へ連れて行ったところ、妊娠が発覚した。どうするのかと問われ、美由紀は答えた。

「産む。彼と結婚する」

何を言っても意志を曲げることはなかった。そして、施設には黙って、精神疾患を抱えた男性と何も言わずに籍を入れてしまったのである

夫婦となった2人が望む限り、結婚を妨げることはできない。だが、母子生活支援施設には夫婦で入ることは許されていない。母子のみでの入居が条件なのだ。とりあえず、施設の側は美由紀がお産を終えるまでは面倒を見ることにした。

数ヵ月後、美由紀は第2子となる女の子出産した。ここで想定しなかったことが起こる。第2子の赤ん坊ダウン症であることがわかったのだ。

知的障害を持った母親が、精神疾患を抱える無職男性結婚して2児、しかも1人はダウン症の子を育てるのは難しい。

職員たちは何度も美由紀への説得を試み、ダウン症の第2子を乳児院へ預けさせることにした。

ある知的障害もつ女性が抱える、恋と育児にまつわる様々な問題

育てられない母親たち④

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52673

はてなー差別に反対する前に内なる差別真摯になった方がいい

あんまり言っちゃいけない雰囲気だけど匿名から言うよ

はてなーって外にある差別には敏感で自分の中にある差別意識に鈍感過ぎる

知的障害者高校入学障害者差別丸出しで、別の学校行けばいいとか平気で言う

多様性が何なのか100回勉強し直してほしい

黒人はしっかり黒人専用のトイレ用意してるんだからそれ使えばいい言ってるのと一緒

障害者と健常者の間に線引きすることは差別のもの

お願いだからもっと勉強して

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん