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2022-08-15

ケチケチすんなよ

コンビニコーヒー無料サイズアップ」の不正大手3社の見解対策

https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=7072382&media_id=81

 

マスコミ煽りすぎって言うか自警団が騒ぎすぎ。

そんなに不意か故意かの押し間違いが嫌ならレシートに印字されたQRコード機械に読み込ませたら自動で出てくるとかにすりゃ良いじゃん。定期的に新バージョンコーヒー機械入れ替える金あるならそれくらい余裕だろ

2022-08-14

記憶法はやる価値あるけどクソ

自分大学底辺私大だが、学部が医歯薬系なんで暗記量が膨大

二週間前から勉強したが、単位複数個も落とした自分は、勉強量ではなく自分記憶力が悪いんじゃないかと思うようになった

というわけで、増田はいくつか記憶法を試したのである

ここに所感を書く

ストーリー法 

頭の中で、覚えたいものの羅列を順番通りにストーリーに仕立て、そのお話ごと覚えることで、ものをまとめて記憶する技法

暇 人 し か 無 理 だ ろ こ れ

→覚えたい単語が5つだけならいいが、十個も二十個もとなるとイメージを留めるのに頭がパンクする

→「りんご」や「自転車」はすぐにイメージできるが、「ピロカルピン塩酸塩」や「NSAIDs」なんかイメージストーリーも浮かばない

ストーリー自分経験したことではないので長く頭には残らない 

場所

事前に自分が決めていた『場所』に新たにおぼえたいもの存在するというイメージを作ることで順番を覚える技法

面 倒 く せ え 

ストーリー法とほぼ同じ理由

資格試験定期試験に応用すると50や100の場所必要になるので新しい場所を探すのが面倒くさい、そんな暇があるなら普通に覚えた方が速い

PAOシステム

2桁あるいは3桁の数字から、人・行動・対象への変換表を覚え、数字対応するイメージを組み合わせて1つのイメージを作り出して記憶する技法

こ れ 使 え ん の ト ラ ン プ だ け

→いや当たり前か。変換表なんか1秒で忘れるわ

身体部位法

場所法の身体バージョン

自分の体の部位は、動かなくても分かるので場所法よりは楽。でもやっぱり場所が尽きる。

音楽活用

覚えたい単語自分が知っている曲の替え歌にする

→ケト原性アミノ酸とかカルバモイルリン酸シンターゼをどう歌にしろっちゅうねん

ここまで読んで、お前記憶法の愚痴しか言ってないやんと思ったあなた

そう、記憶法はクソ

向いてるのはメモリーアスリートを目指している人だけで、試験に応用するには向いていない

凡人は必死で見たり書いたりして泥臭く勉強するしかない

それが一番早い

これが分かっただけでも増田的には収穫だったという話

2022-08-12

一応ポケモンを(略)ピカブイ・第八世代アルセウス

カブから最新のアルセウスまで書きます。主に第八世代追記修正しました。

三世代~第五世代anond:20220812150701

第六世代~第七世代anond:20220812184049

カブイ・第八世代アルセウス:ここ

おまけ:anond:20220812194606

7.5世代(ピカブイ):Switch

舞台カントー地方(赤・緑と同じ)

第七世代と第八世代の間に発売された「ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ」のことを

便宜上7.5世代と呼ぶ人もいる。ピカブイ限りのシステムもあるので参考程度に書く。

今作からイーブイの声が悠木碧のものになった。これは第八世代でも継続される。

アメ

カブイは一応初代のピカチュウバージョンリメイクしたゲームという体裁だが

ポケモンGOとの連動を強く意識したゲームで、システムにもポケモンGOの影響がある。

ポケモンGOではポケモン博士研究所に送ったときにもらえるアメでポケモンを強化するが、

カブイでも同じようにアメをもらえ、ポケモンレベルとは別に強化できる。

これは本編では導入されなかったが、第八世代では経験値アメという似て非なるアイテムが導入された。

経験値アメはその名の通り経験値が入る。

ポケモンGOっぽいポケモンゲット方式

ポケモンGOでのポケモンゲットはタッチパネルを使ってボールを投げるの方式だったが、

カブイでもそれっぽい方式になっている。

カブイではSwitchJoy-Conを使って投げる動作を行うこともできる。

でも面倒なのでSwitch携帯モードボタンを押す方式のゲット方式にする人が多いと思う。

ポケモンの入れ替えがどこでもできるようになった

今まではポケモンセンターに行かなければパーティを編成できなかったが、

カブイではポケモンセンター外でもポケモンの入れ替えが可能になった。

この仕様変更ソードシールドにも引き継がれている。

第八世代(ソードシールド、BDSP(ダイパリメイク)):Switch

舞台はガラル地方(イギリスモチーフ)。

現在の最新世代。

ダイマックスの導入

メガシンカZワザ廃止された代わりに導入された戦闘中1度だけ使える特殊システム

ポケモンが数ターン巨大化して、その間はわざも「ダイマックスわざ」に変化する。

どのポケモンで、どのタイミングダイマックスを切るかという駆け引き結構好評だったと思う。

また、ポケモンによっては「キョダイマックス」という特別なすがたに変化して、

わざも通常のダイマックスわざとは違う「キョダイマックスわざ」を使うことができる。

システム的にはメガシンカとZわざの折衷のような仕組み。

DLCの導入

今回はエメラルドプラチナウルトラサンムーンのようなマイナーチェンジは発売されなかったが、

その代わりに有償の追加ダウンロードコンテンツとして「鎧の孤島」と「冠の雪原」が遊べるようになった。

前回のウルトラサンムーンが「DLCみたいな内容なのにフルプライスなのはおかしい」と言われていたし、

金も2000円ちょっとで以前と比べてかなり良心的になったと個人的には思う。

オープンワールドフィールドワイルドエリア

ガラル地方にはワイルドエリアというオープンワールドフィールドがある。

ポケモンシンボルエンカウントとなったがあくまオープンワールド「風」なので

別にポケモンに襲われて死ぬ事は無い。後述のアルセウスでは死ぬ

マックスレイドバト

ワイルドエリアにあるポケモンの巣から光の柱が出ているときに、

巣の中にいるダイマックスポケモンと戦うことができる。

倒せばそのポケモンを捕まえるチャンスが与えられ、またいろんなアイテムも手に入る。

これがまた大縄飛びを面倒臭くしたようなゲームで、正直面白くなかったんだよね…

DLC「冠の雪原」で歴代伝説のポケモン出会うチャンスもあるダイマックスアドベンチャーも追加された。

リージョンフォーム独自の追加進化の登場

サンムーンで初登場したリージョンフォームだが、

今回はさらリージョン独自進化を果たすポケモンも現れた。

例えばルビサファで初登場した「マッスグマ」にはガラルのすがたがあるけれど、

(設定上ではガラルのマッスグマ原種なのだという)

そこからさらに「タチフサグマ」というポケモン進化するようになった。

まり従来のマッスグマには進化が与えられないわけだ…そこはちょっと悲しいね

ちなみに伝説のポケモンリージョンフォームが登場したのも第八世代で、

初代に登場したファイヤーサンダー・フリーザーリージョンフォームが登場した。

登場ポケモンリストラ

サンムーンまでに809種類ものポケモンが追加されてしまったので、いよいよ限界が来てしまった。

ポケモンは開発期間がビジネス上の都合で制約がある(ゼルダのように4年も5年も開発期間を裂けられない)ため

全てのポケモンを新しい作品に連れて行くことは今後できないという話だ。

例えばサンムーンで初登場した「ネッコアラ」は最新作の剣盾やアルセウスには連れて行けない。

ただ、リストラされてもポケモンHOMEのようなクラウドサービスには残せておけるため

今後リストラされたポケモンが復活するまでHOMEで寝かせることはできる。

とくせいパッチとせいかく変更ハーブ

とくせいパッチ使用するとポケモンのとくせいを隠れとくせいに変更できるようになった。

また、ハーブ性格ステータス補正を別の性格のものに変更できるようになった。

これらによって厳選難易度が落ちた。

正直、とくせいパッチしろハーブしろもっと早く実装して欲しかった要素だ。

俺はそういうの疲れちゃったからポケマスやってるよ。

わざレコードの導入

第五世代わざマシン何度でも使えるようになったが、

使い捨てわざマシンがわざレコードとして再び導入された。

わざレコードマックスレイドバトルなどで手に入れることができる。

もちろん何度でも使えるわざマシンも今まで通りある

第8.5世代(アルセウス):Switch

舞台ヒスイ地方(過去シンオウ地方)。

Pokémon LEGENDS アルセウス」は今のところポケモン本編最新作だが、

従来のシリーズとは大きく違っているため便宜的に8.5世代とする。

今作でピカチュウイーブイの声が電子音に戻った。

次回作スカーレットバイオレットでも電子音継続されるらしい。

3Dアクション

なんと今回はポケモン戦闘に入るまでが3Dアクションとなっている。

モンスターボール自分で狙って捕まえられ、相手が気づかないうちに遠くから狙い獲ることもできる。

ただしポケモンプレイヤーを襲うし、プレイヤーの体力が尽きると持っていたアイテムフィールドに落としてしまう。

他の人も言っているかもしれないが全体的にモンハンっぽい。

ヒスイ最初出会うラベン博士も「ポケモンは怖い生き物です!」と言っている。

オヤブンと呼ばれるオーラをまとったポケモン特に強く、プレイヤーはかいこうせんを撃ってくるものもいる。

がんばりのいし

カブイのアメのシステムちょっと洗練させたもの

ポケモンを逃がしたり捕まえたりすると通称ガンバアイテムと呼ばれるアイテムをもらえる。

今作のポケモンにはガンバレベルという個体値的なパラメータが設定されているのだけれど、

ガンバレベルガンバアイテムを与えていくと最終的にMAX(10)まで上昇する。

従来の個体値努力値(ポケモンを倒すと取得できるいわゆる基礎ポイント)を統合させたような仕組みで、

今後はこれでもういいんじゃねえかという気持ちになってくる。

 

他にもいろいろあるけど、正直書き切れないわ。勘弁してくれ。

今日一日一連のポケモン記事だけで2万字も書いて疲れた

一応ポケモンを全世代やってる俺が第三世から第八世代の大まかな変更点を書いてみる(第三世から第五世代まで)

anond:20220811195707

間違ってたらポケモンに詳しい他増田(not順一)が指摘してくれると思う。

書いてたら分量がアホみたいに増えちゃったから今回は第三世から第五世代まで。

三世代~第五世代:ここ

第六世代~第七世代anond:20220812184049

カブイ・第八世代アルセウスanond:20220812213515

おまけ:anond:20220812194606

追記ブコメ返信・補足:anond:20220815093836

三世代(ルビーサファイアエメラルド、FRRG(初代リメイク)):GBA

舞台ホウエン地方(九州地方モチーフ)。

ソーナンス進化前のソーナノが登場したのはこの世代

金銀までとの互換性の消滅

年齢などの要因もあるかもしれないけど、おそらく増田はこれが原因でポケモンから離れたんじゃないかな。

ちなみに第三世から第八世代互換性があるからルビサファからソードシールドポケモンを持ってくることもできる。

めっちゃくちゃ面倒臭いしいつまでできるかわからないんだけど…

この互換切りによって当時リメイクが発売されなかった金銀のポケモンの入手性が下がってしまって、

ホウオウルギアイベント配布以外ではポケモンXDというゲームキューブゲームが無いと入手できない

ほとんど幻のポケモンのような存在になってしまった。

この問題はFRRGやエメラルドで金銀のポケモンが追加で登場することで多少緩和され、金銀リメイク自体も後にDSで発売された。

ダブルバトル

従来のポケモンバトルは1対1のシングルバトルだったが、第三世代では2対2のダブルバトルが登場した。

シングルダブルでは戦略が大きく違ってくるため

シングルでは活躍できないポケモンダブル活躍できる、といったこともままある。

現在公式大会ではダブルバトルが主流。

とくせいの追加

ポケモンがかならず1つ特別能力を持つようになったのが第三世代の大きな特徴。

攻撃力が2倍になる「ちからもち」や戦闘後に何らかのアイテムを拾ってくる「ものひろい」だとか

ポケモンごとにいわゆるパッシブスキルが追加された。

同じ種類のポケモンでも違うとくせいを持っていることがある。

いかくの追加

ポケモン性格が追加され、同じポケモンを捕まえても性格が違うということになった。

性格は25種類あり、また性格は単なるフレーバーでなくステータス補正に影響するため

本気で対戦をする場合は厳選するのが当たり前だった。

複数のすがた(フォルム)を持つポケモンの登場

金銀(第二世代)まではポケモンには性別色違いくらいの違いしか無かったが、

三世代では条件によって異なるすがたをとるポケモンが登場した。

たとえば「ポワルン」は天候によって3種類の異なるすがたに変化する。

ポケモンコンテスト

三世代(及びORAS)と第四世代(及びダイパリメイク)のミニゲーム

ポケモンには従来のステータスの他に「かっこよさ」「うつくしさ」「かわいさ」「かしこさ」「たくましさ」の5つのコンディションを示すステータスがあって、

それぞれの優秀さを競うコンテストポケモンコンテスト

コンテストには1次審査と2次審査があって、ポケモンのわざを見せてアピールする2次審査結構奥が深い。

ダイパリメイクだと音ゲーめいた要素も追加されている。

ほとんどやってなかったから完全に忘れてたわ。

うつくしさを一定以上にしないとヒンバスミロカロス進化できなかったけど

ポロックやポフィン(木の実から作る)を投与しまくればよくてコンテストに出させる必要すら無いんだよね。

やらない人はとことんやらないモードだと思う。

ちなみにミロカロスコンテストが無い世代では「きれいなウロコ」というアイテムを持たせて通信交換することで進化する。

世代によって進化条件の変わるポケモンは数あれど同じポケモン進化するのに進化方法複数あるのはミロカロスくらいじゃないかな?

第四世代(ダイパプラチナHGSS(金銀リメイク)):DS

舞台シンオウ地方(北海道モチーフ)。

シンオウ地方チャンピオンシロナプレイヤーから制作からも人気で、

第五世代と第七世代にも登場するしグッズも豊富。ポケマスでは不遇気味。

追加進化

第四世代テーマの一つがポケモン進化についてで、

今回最初ポケモンをくれるナナカマド博士も「ポケモンの9割は進化関係している」という説を唱えている。

それもあってかこの世代では結構な種類のポケモンに追加の進化が与えられた。

実はこの手の追加進化の大盤振る舞いはこれ以降あんまりなくて(第六世代ニンフィアくらいかも)、

その代わり後述するリージョンフォームなどで追加進化に相当する形態が追加されるようになっている。

わざごとに物理特殊が分けられるようになった

三世代までだとわざのタイプ物理わざ(こうげきを参照するわざ)か特殊わざ(とくこうを参照するわざ)かどうか決まっていた。

例えばほのおタイプなら特殊わざ、かくとうタイプなら物理わざといった具合。

ただこれだと「ほのおのパンチ」のような名前「パンチ」が入っているわざでも特殊わざだったので、

攻撃力が高いポケモンがそのステータスを生かしたタイプ一致わざを使えないということも少なくなかった。

特にゴーストタイプはなぜか物理わざ扱いだったかゲンガーシャドーボールをつかってもそこまで大きいダメージを期待できなかったわけだ。

第四世代からはわざごとにその区分が設定されるようになったおかげで、ゲンガーシャドーボールをメインウェポンにできるようになった。

インターネットを利用した通信交換、GTS(グローバルトレードステーション)

第四世代ではついに世界中の人と通信交換を行えるようになった。

掲示板SNSなどでポケモン交換を呼びかけるようなことももちろん可能だが、

GTSポケモンを預けて指定した条件のポケモンと交換するといったこともできる。

ただし、コラッタのようなその辺にいるポケモンミュウツーのような伝説のポケモンを釣ろうとする子どもが非常に多かったし、

さらにそれに対して改造ポケモンを送りつけるという嫌がらせまであった。

何かとトラブルの絶えない仕組みだが、GTSは今でも形を変えて続いている。

第五世代(ブラックホワイトブラック2・ホワイト2):DS

舞台イッシュ地方(ニューヨーク皇居モチーフ)。

クリアするまで過去作のポケモンが出てこない

なんとブラックホワイトではクリアするまで全てのポケモンが今までに見たことの無いポケモンだった。

追加されたのは総勢156種類。こんなにポケモンが追加されたのは後にも先にも第五世代だけ。

ピカチュウですらクリアするまで出てこない。(流石にアニメでは普通に登場しているが)

ただ、その反動か第六世代では新ポケモンは72種類と控えめになってしまった。

ポケモンデザイン多様性が広がってきたのもこの頃で発売当時はアンチも少なくなかったけれど

今ではなんだかんだで受け入れられている。

シナリオの強化

第五世代の一番大きな変化はシナリオだと個人的に思う。

第四世代まではジム攻略しながら悪の組織を倒しつつ最後チャンピオン戦という流れが確立していたが、

そのパターンが第五世代から崩れ始めた。

チャンピオンを越え人からポケモン解放しようとするプラズマ団の王Nと

彼を傀儡としてポケモンの独占を企むNの養父にしてプラズマ団の真の首領ゲーチスは何かと人気。

今でもキャラ人気が根強いのもこの世代で、ポケモンマスターズというトレーナーに重心を置いたスマホゲーでは

バージョン(季節限定衣装など)の実装イッシュ地方トレーナー特に多い。今のところNは3種類実装されている。

隠れとくせい(夢特性)の追加

三世代でポケモンは各種類1~2種類とくせいを設定されるようになったけれど、

それに加えて特別なとくせいが新たに設定されたのが第五世代

ただ、これは「ポケモンドリームワールド」というゲームと連動する(クソ)ブラウザゲームを遊ばないと捕まえられなかったり

メスのポケモンじゃないと子どもにとくせいを引き継がせられないなどの理由であまりにも入手性が低かった。

特に歴代御三家隠れ特性攻略本やムックポケモンカードのおまけとして限定配布された。

とくせい「かそく」(毎ターンすばやさランクが1段階上がるすごいとくせい)を持ったアチャモ(BW攻略付録)や

とくせい「サンパワー」(天候が晴れの時に体力を犠牲とくこうが1.5倍になるとくせい)を持ったヒトカゲ(ポケモンぴあ付録)

特に需要が高かったが、付録に付いていたコードを使ってももらえるポケモン

アチャモの時はアチャモミズゴロウキモリからランダムで1匹、

ヒトカゲの時はヒトカゲフシギダネゼニガメからランダムで1匹だった。

これらを入手するために攻略本やムック複数購入するガチ勢も現れるなど

かつてなくえげつない商売が行われていたのもこの世代

なお、この手のキャンペーンは「幻のポケモンゲットチレンジ」などにも引き継がれる。

幻のポケモンゲットチレンジ」は期間中ポケモン関連商品を購入すると

貴重なアイテム幻のポケモンなどを手に入れられるキャンペーンで、

加速アチャモなどとちがってお金さえ出せば確実に手に入るので多少は良心的。

わざマシン何度でも使用可能になった

今までわざマシンは使いきりだったが、第五世代からは一度手に入れたわざマシン何度でも使えるようになった。

わざマシンのために周回する必要が無くなったが、その代わり店で入手するわざマシン価格は高騰した。

例えばギガインパクトは90000円もする。

続く→anond:20220812184049

anond:20220812115901

文春のすごいバージョン、みたいなの期待してたのかもなあ

2022-08-11

レベルエンジニアばかりのところに参画して失敗した

エンジニアリング経験者を採用して失敗する例もあると思うが、俺の場合は低レベルエンジニアばかりのところに参画して失敗した。

参画のきっかけはCTOからの誘い。

開発者イベントで以前知り合った。

そのCTOレベルがとても高い。

なので、その会社(チーム)も当然にレベルが高いと思っていたんだが全くそんなことがなかった。

かろうじて動いているようなコードが積み上がっており、たまに動かない時があると「アタリ」をつけてコメントアウトしてスキップして動いたかOK、みたいな感じのコード運用が積み重なっていた。

コードの静的解析やフォーマットも行われておらず、記述バラバラ

もちろんテストコードゼロ

ライブラリ言語バージョンも古く、deprecatedやobsoletedな記述が残る。

セキュリティパフォーマンス上で懸念があるところも多い。

今一生懸命に直して整備しているが、膨大な作業になっている。

そしてこの作業自分にとってプラスにならない。

CTOの話をもっとちゃんと聞いておくべきだった。

人材が不足しているから、経験である増田くんに是非ジョインして欲しい。言語は**で、これこれこういうことがやりたい。」ぐらいのレベルまでしか話せてなかった。

契約更新はしないと思う。

anond:20220811162423

DebianRedhatでそれぞれ違うしなんなら同じOSでもバージョン毎にガラリと変わったりするのにな笑

anond:20220811150131

そして反社・・・DQ3サブタイトル風に)

2022-08-11

プログラミングとか好きだけど業界スキルマウンティングとかキャリアポルノばっかりだよな

牧歌的だった昔はこんなことなかったのにな

文系高卒

ITパスポート基本情報技術者などの資格は持っていない

プログラマ歴1年 クラシックPHP開発経験

バージョン管理Github仕様経験はない

LinuxCUI作業も出来ない

ソースコードコピーペーストして何となく動くようにすることはできる、なぜ動いているかは全く理解できていない

理系国立大

第二種情報処理技術者陸上特殊無線技士一種は持ってる

プログラマ歴だけなら長い

LaravelのコードのようなモダンPHP開発経験

バージョン管理GitHub仕様経験はある

LinuxCUI作業はできるけど、あんまりシェル芸とかワンライナーみたいなの嫌い

(かっこ悪くてもミスらない方法がすき

ソースコードコピーペーストして何となく動くようにすることはできる

Cの黒魔術とか、なぜ動いているか全く理解できないときもあるけど、デバッガとかあればなんとかなるはず

正直、なんかもうこの手の世界がつまらない

多分、自分が年を取ったからだけなんだろうけど、つまらものはつまらんのだ

もっとソーシャルハックとでもいうか、ヒューマンな方をやれば良かった

最近話題新興宗教とかマインドコントロールとかもそうだけど、

プログラミングなんかより、他人心理とか感情コントロールする方が生活に役立つ

プログラミングとか好きだけど業界スキルマウンティングとかキャリアポルノばっかりだよな

牧歌的だった昔はこんなことなかったのにな

文系高卒

ITパスポート基本情報技術者などの資格は持っていない

プログラマ歴1年 クラシックPHP開発経験

バージョン管理Github仕様経験はない

LinuxCUI作業も出来ない

ソースコードコピーペーストして何となく動くようにすることはできる、なぜ動いているかは全く理解できていない

理系国立大

第二種情報処理技術者陸上特殊無線技士一種は持ってる

プログラマ歴だけなら長い

LaravelのコードのようなモダンPHP開発経験

バージョン管理GitHub仕様経験はある

LinuxCUI作業はできるけど、あんまりシェル芸とかワンライナーみたいなの嫌い

(かっこ悪くてもミスらない方法がすき

ソースコードコピーペーストして何となく動くようにすることはできる

Cの黒魔術とか、なぜ動いているか全く理解できないときもあるけど、デバッガとかあればなんとかなるはず

正直、なんかもうこの手の世界がつまらない

多分、自分が年を取ったからだけなんだろうけど、つまらものはつまらんのだ

もっとソーシャルハックとでもいうか、ヒューマンな方をやれば良かった

最近話題新興宗教とかマインドコントロールとかもそうだけど、

プログラミングなんかより、他人心理とか感情コントロールする方が生活に役立つ

経験エンジニア採用してしんどかった

anond:20220811091202

文系高卒経験経験1年)エンジニア採用して死ぬほど大変だった

経緯

優秀な新人正社員採用できたので、一緒に新人研修受けさせればいいやと思いついでに契約社員で1名採用

だめなら3か月でポイするつもりだった

文系高卒

ITパスポート基本情報技術者などの資格は持っていない

プログラマ歴1年 クラシックPHP開発経験

バージョン管理Github仕様経験はない

LinuxCUI作業も出来ない

ソースコードコピーペーストして何となく動くようにすることはできる、なぜ動いているかは全く理解できていない

問題点

勉強する方法を知らない

中学高校大学受験経験がないため、そもそも勉強する方法」「本を読む方法」を知らない。

漫然とテキストを読んではいるが、「情報」を「知識」として取り込むことができない。

言語能力が低い

日本語が非常にへたくそ

主語述語目的語あいまいで、自分が考えていることを他人に伝える能力が著しく劣っている。

同時に他人が何を言っているのか意図を把握することもできない、故にメモを取ることができない。

伸びしろが少ない

よって同じ量の学習量を費やしても成長スピードが極めて遅い。

対策

そもそも

そもそもプログラミングソフトウェア技術知識がどうこう言うレベルではない。

思考能力に欠陥があるので本を読ませる。

理科系の作文技術 (中公新書 624) 新書 – 1981/9/22

知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫) 単行本2002/5/20

世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく 単行本2007/6/28

ワイド思考の整理学 (単行本) 単行本2017/1/23

ケツを蹴り上げて文章を書かせまくる

「お前はプログラマどころか知識労働の適性が全くないので他人の倍の時間勉強しろ」と入社1週目に伝えた。

日報時報議事録を書かせまくって添削する。

これを3か月ほど繰り返しようやく中学レベル言語能力が身についてくる。

技術的には

並行して基本情報技術者試験の勉強と、RHELOSLAMP環境の構築をさせる。

LAMP環境構築の目的は以下


現状

まあ💩プログラマなので、掃除ゴミ出しさせて安月給でいいならしばらく様子を見る。

anond:20220811134111

これは、『天気の子』や『リコリコ』のテーマに直接的につながる主張であることのように思えます


 また、SF作家のアーシェラ・K・ル・グィンはこのエピソードを踏まえた上で(彼女によれば書いているとき意識していなかったということですが)、「オメラスから歩み去る人々」という寓話的な短編を書いています(『風の十二方位』収録)。


 これは、あらゆることが完璧に成立した理想都市オメラスの物語なのですが、じつはオメラスには恐ろしい欺瞞があって、ある小さな穴倉にひとりの子供が精霊への生け贄として閉じ込められているのです。


 この子供はその暗い牢獄のなかであらゆる権利剥奪され、虐待され、自分自身の糞尿の上に寝そべって暮らしているのですが、オメラスの住人のだれひとりとしてこの子供に優しい言葉ひとつかけてやろうとはしません。


 というのは、精霊との契約により、もしこの子供を救ったらオメラスそのもの崩壊することになっているからです。オメラスの大半の住人はこの事実を知ったときショックを受けますが、そのうち忘れてしまます


 ただ、ごく少数の人々はそのことを忘れられず、ただオメラスを壊してしまうこともできなくて、ただ、ひとり静かにオメラスを歩み去るのです。


 『天気の子』を観た人なら、この作品がこの「イワンテーマ」、あるいは「オメラスのテーマ」に対してひとつの答えを出していることがわかるでしょう。この映画はまさに「欺瞞理想都市オメラスから歩み去るのではなく、それを崩壊させる」物語なのです。


 そしてまた、オメラスが崩れても、それでも人は生きていくという物語でもある。これは少なくとも公開当時としては決定的に新しい決断だった。


 たったひとりの子供を犠牲にして成り立つ平和繁栄があるとしたら、その子供ひとりを救うためにでもその平和繁栄は亡んでしまってかまわない。そういう倫理的判断がその背景にあるように思えます


 一方の『リコリコ』では、リコリスたちの犠牲を背景にして成り立つ「オメラス」としての東京、あるいは日本社会は必ずしも否定的に描かれてはいません。そのことを批判的に告発することはできるでしょう。


 しかし、ぼくはあきらかにリコリコ』はその批判をも織り込み済みで、意図して「現在日本社会現実」を描出していると考えます。したがって、単になぞの組織DA」や「アラン機関」の悪を批判告発するだけではこの作品を正しく批評したことにはならない。


 『リコリコ』が語っているのは、ぼくたちが依拠しているこの「平和日本社会」そのものひとつ欺瞞理想社会オメラスなのであり、少数の人間たち(それも子供たち)の犠牲の上で成り立っているという現実なのです。


 いい換えるなら、『リコリコ』はぼくたちに対して「ほんとうにわずかな子供たちを救うためにこの平和を崩しますか? 理想平和崩壊させますか?」と問いかけて来ているといっても良い。


 『カラマーゾフの兄弟』のイワンル・グィンの描く「オメラスから歩み去る人々」のように、ただ欺瞞ユートピアを拒絶するだけならためらわない人も多いでしょう。しかし、『天気の子』のようにそれを崩壊させてしま選択を選ぶことがほんとうに「絶対正義」でしょうか?


 リコリスたちは、だまされ、利用され、搾取されているかもしれないとはいえ、一面では誇りをもって戦っているというのに?


 まだ物語は途中で、放送は続いているので確定的なことは書けませんが、ぼくは『リコリコ』は『天気の子』のように欺瞞告発し、欺瞞ユートピアとしての「日本社会≒オメラス」を崩壊させて終わるような結末にはならないと思う。


 DAリコリスによって維持される日本平和醜悪なまでに欺瞞的ですが、それでも平和には違いないのであって、一概に否定して終わることができるものではないのです。


 ここら辺の「必要悪としてのディストピアユートピア」の描写アニメPSYCHO-PASS』に通じるものがあるといって良いでしょう。


 『PSYCHO-PASS』の世界でも、欺瞞的な平和が続いているわけですが、それは必ずしも「悪」として告発すれば良いというものではなく、それを倫理的に乗り越えるためには「より良い社会モデル」を提示するしかないわけなのです。


 そして『PSYCHO-PASS』はそういうSF的にマクロテーマを扱う方向に進んでいるけれど、『リコリコ』はたぶんそういう物語にはならないんじゃないか


 ここまで書いて来たことを踏まえた上で、『リコリコ』が決定的に新しいといえるのは、その欺瞞、その偽善、その矛盾にもかかわらず、作品トーンが非常にあかるいことでしょう。前出のインタビューを読む限り、このあかるさも意図して選択されたものであることがわかります


 しかし、それはただ「暗いとウケないからあかるくしてみた」といった次元の話ではない。『リコリコ』は表面的なあかるさと裏面の深刻な暗さが奇跡的なほどのバランスで成立していて、それがおそらくは人気のもとになっている。


 匿名ダイアリー批判されているように、ただ百合百合女の子たちにガンアクションやらせれば人気が出るなんてことは、じっさいにはありません。エンターテインメントはそんな甘いものじゃない。


 『リコリコ』の人気は、この「天国ユートピア)のようでもあり地獄ディストピア)のようでもある過酷欺瞞社会」を「当然の前提」として受け入れつつ、なおかつ「突き抜けたあかるさ」で描くその斬新さの帰結です。


 べつの見方をすれば、『リコリコ』は日本アニメ歴史のなかで延々と語られてきた『新世紀エヴァンゲリオン』、『輪るピングドラム』、『進撃の巨人』、『BANANA FISH』、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』といった「孤児たちのサバイバル」を描く物語の最新バージョンともいえる。


 いいかげん長くなったのでこれらの作品の内実については触れませんが、つまりはこれらの凄愴な物語ではごくシリアスに語られていたことが、『リコリコ』では一見ライトコミカルに語られている。


 しかし、それは搾取問題が消えてなくなったことを意味していない。そうではなく、その残酷な(新自由主義的な?)構造を生まれながらにある所与の前提として受け止めている新世代が出て来ているということ。


 それが『リコリコ』の「新しさ」であり「面白さ」だというのがこの記事結論です。『リコリコ』と最も同時代的な作品は、いま「ジャンプ+」で連載されている『チェンソーマン』の第二部とかじゃないかな。


 以上! こういったことを批判的に踏まえてより高次な議論ができれば良いと思っています。でわでわ。

anond:20220811134111

これは、『天気の子』や『リコリコ』のテーマに直接的につながる主張であることのように思えます


 また、SF作家のアーシェラ・K・ル・グィンはこのエピソードを踏まえた上で(彼女によれば書いているとき意識していなかったということですが)、「オメラスから歩み去る人々」という寓話的な短編を書いています(『風の十二方位』収録)。


 これは、あらゆることが完璧に成立した理想都市オメラスの物語なのですが、じつはオメラスには恐ろしい欺瞞があって、ある小さな穴倉にひとりの子供が精霊への生け贄として閉じ込められているのです。


 この子供はその暗い牢獄のなかであらゆる権利剥奪され、虐待され、自分自身の糞尿の上に寝そべって暮らしているのですが、オメラスの住人のだれひとりとしてこの子供に優しい言葉ひとつかけてやろうとはしません。


 というのは、精霊との契約により、もしこの子供を救ったらオメラスそのもの崩壊することになっているからです。オメラスの大半の住人はこの事実を知ったときショックを受けますが、そのうち忘れてしまます


 ただ、ごく少数の人々はそのことを忘れられず、ただオメラスを壊してしまうこともできなくて、ただ、ひとり静かにオメラスを歩み去るのです。


 『天気の子』を観た人なら、この作品がこの「イワンテーマ」、あるいは「オメラスのテーマ」に対してひとつの答えを出していることがわかるでしょう。この映画はまさに「欺瞞理想都市オメラスから歩み去るのではなく、それを崩壊させる」物語なのです。


 そしてまた、オメラスが崩れても、それでも人は生きていくという物語でもある。これは少なくとも公開当時としては決定的に新しい決断だった。


 たったひとりの子供を犠牲にして成り立つ平和繁栄があるとしたら、その子供ひとりを救うためにでもその平和繁栄は亡んでしまってかまわない。そういう倫理的判断がその背景にあるように思えます


 一方の『リコリコ』では、リコリスたちの犠牲を背景にして成り立つ「オメラス」としての東京、あるいは日本社会は必ずしも否定的に描かれてはいません。そのことを批判的に告発することはできるでしょう。


 しかし、ぼくはあきらかにリコリコ』はその批判をも織り込み済みで、意図して「現在日本社会現実」を描出していると考えます。したがって、単になぞの組織DA」や「アラン機関」の悪を批判告発するだけではこの作品を正しく批評したことにはならない。


 『リコリコ』が語っているのは、ぼくたちが依拠しているこの「平和日本社会」そのものひとつ欺瞞理想社会オメラスなのであり、少数の人間たち(それも子供たち)の犠牲の上で成り立っているという現実なのです。


 いい換えるなら、『リコリコ』はぼくたちに対して「ほんとうにわずかな子供たちを救うためにこの平和を崩しますか? 理想平和崩壊させますか?」と問いかけて来ているといっても良い。


 『カラマーゾフの兄弟』のイワンル・グィンの描く「オメラスから歩み去る人々」のように、ただ欺瞞ユートピアを拒絶するだけならためらわない人も多いでしょう。しかし、『天気の子』のようにそれを崩壊させてしま選択を選ぶことがほんとうに「絶対正義」でしょうか?


 リコリスたちは、だまされ、利用され、搾取されているかもしれないとはいえ、一面では誇りをもって戦っているというのに?


 まだ物語は途中で、放送は続いているので確定的なことは書けませんが、ぼくは『リコリコ』は『天気の子』のように欺瞞告発し、欺瞞ユートピアとしての「日本社会≒オメラス」を崩壊させて終わるような結末にはならないと思う。


 DAリコリスによって維持される日本平和醜悪なまでに欺瞞的ですが、それでも平和には違いないのであって、一概に否定して終わることができるものではないのです。


 ここら辺の「必要悪としてのディストピアユートピア」の描写アニメPSYCHO-PASS』に通じるものがあるといって良いでしょう。


 『PSYCHO-PASS』の世界でも、欺瞞的な平和が続いているわけですが、それは必ずしも「悪」として告発すれば良いというものではなく、それを倫理的に乗り越えるためには「より良い社会モデル」を提示するしかないわけなのです。


 そして『PSYCHO-PASS』はそういうSF的にマクロテーマを扱う方向に進んでいるけれど、『リコリコ』はたぶんそういう物語にはならないんじゃないか


 ここまで書いて来たことを踏まえた上で、『リコリコ』が決定的に新しいといえるのは、その欺瞞、その偽善、その矛盾にもかかわらず、作品トーンが非常にあかるいことでしょう。前出のインタビューを読む限り、このあかるさも意図して選択されたものであることがわかります


 しかし、それはただ「暗いとウケないからあかるくしてみた」といった次元の話ではない。『リコリコ』は表面的なあかるさと裏面の深刻な暗さが奇跡的なほどのバランスで成立していて、それがおそらくは人気のもとになっている。


 匿名ダイアリー批判されているように、ただ百合百合女の子たちにガンアクションやらせれば人気が出るなんてことは、じっさいにはありません。エンターテインメントはそんな甘いものじゃない。


 『リコリコ』の人気は、この「天国ユートピア)のようでもあり地獄ディストピア)のようでもある過酷欺瞞社会」を「当然の前提」として受け入れつつ、なおかつ「突き抜けたあかるさ」で描くその斬新さの帰結です。


 べつの見方をすれば、『リコリコ』は日本アニメ歴史のなかで延々と語られてきた『新世紀エヴァンゲリオン』、『輪るピングドラム』、『進撃の巨人』、『BANANA FISH』、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』といった「孤児たちのサバイバル」を描く物語の最新バージョンともいえる。


 いいかげん長くなったのでこれらの作品の内実については触れませんが、つまりはこれらの凄愴な物語ではごくシリアスに語られていたことが、『リコリコ』では一見ライトコミカルに語られている。


 しかし、それは搾取問題が消えてなくなったことを意味していない。そうではなく、その残酷な(新自由主義的な?)構造を生まれながらにある所与の前提として受け止めている新世代が出て来ているということ。


 それが『リコリコ』の「新しさ」であり「面白さ」だというのがこの記事結論です。『リコリコ』と最も同時代的な作品は、いま「ジャンプ+」で連載されている『チェンソーマン』の第二部とかじゃないかな。


 以上! こういったことを踏まえてより高次な議論ができれば良いと思っています。でわでわ。

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

2022-08-09

Microsoft Officeライセンス、365のサブスクではなく買い切りで買っている

かつて2016が最後買い切り版と言われてたので購入、機能アップデートはないがどうせ自宅で資料ちょっと更新するだけだし古いバージョン問題ないと判断

その後、親が使いたいというので別にライセンス購入した その時のバージョンが2019

2台利用可なので、親のPC自分PCに入れてる

Amazon検索したら、買い切り版で2021が出てるらしい

最後だと言われつつもなんだかんだ買い切り版は2〜3年おきに出てるんだなあ

そして自分ははからずもなんだかんだと2〜3年おきに購入していた

365サブスクの年額が1万ほどだったので、買い切り版3年使って次のバージョン買い切り版使っても費用としては大差無いのか

365を買うよりこっちのがお得な気はする

古くても使えるものが残るわけだし

anond:20220809071600

キャラニキビ顔でも醜男でも制作陣は面白い話作ってるけど

それの女バージョン女性差別が強すぎて作れないんだよね

増田みたいに最初からブサイクな女なんて面白くない!!って差別があるから

 

これが男キャラブサイクからもう読みたくないって言えば容姿差別とか

中身をみていないとか言って男が吹き上がるところ

2022-08-08

[]

やっと自宅のネットが復活した

ここ2,3週間ずっと調子悪かったけど、

数日前についにまったくつながらなくなった

原因特定めっちゃ苦労した

結局原因はルーターだった

ルーターを最新バージョンしたことでIPoEがまったく使えなくなってたことが原因だった模様

PPPoEは使えてたかルーター大丈夫だと思ってしまってた

DSLite対応で最安だからと思って中華を使ってたけどたった1年でダメになるとか中華はやっぱ安かろう悪かろうなんや

保証期間だから一応交換してもらうよう連絡してみるけど

ヨドバシ店舗いったら高めの利益たかルーターしかおいてなくてワロタ

とりあえず調べた中で一番安いのかってやっとつながった

ONUまで交換してもらったのにとんだ無駄骨だったわ

ルーターかうと地味に高いから最終手段だと思ってたけど結果だけみればそれが最適解だったんだなって

ルーターファーム最新にしてONUとあわせて再起動したり接続しなおしまくってもなおらんとかまじでゴミ

中華まじもう二度とかわねえ

2022-08-06

亀頭ワレメに紙をスライドさせる」の女バージョンは何?

想像しただけで死にそうになるけど女に共感してもらうにはどうすれば良いか分からんので教えて女さん

2022-08-05

野菜ドロボー作り出して追い詰める番組の件

この中では中村さんのコメントが最も徳が高いと思う。

犯罪が起きないようにしてあげることも思いやりと思うけどなぁ。 」これ。

仏教の考えに通じるものがある。

もし仏教知識がなくこの考えに至ったのであれば、かなり徳が高い人物だと思う。

しかしいつまで続くのかね、この下卑た企画は。

ゴキブリホイホイ設置して捕まえたーゲラゲラしたいだけやん。

数百円の被害を突き止めるためにカメラ人件費、どんだけ使ってんのよw

ユーチューブ視聴数も稼げるし、やめられんのだろうな。

この企画を考えた人間ゲス臭がすごい。

「わざと他人犯罪を作って」「自分利益にする」って、

地獄でもかなりの重さにランクされるはずだけど。

https://www.youtube.com/watch?v=gzvos-Mwi8Y

片山真司

1 時間前(編集済み)

盗むやつが100パー悪いけど

人に盗むような動機とか機会つくるような売り方も考えもんかなあと思う

まれ持ったセコさみたいなん持ってる人はこういう状況つくられるとやっちゃうでしょ

S

2 時間

警察「もうこんな万引き誘発施設やめてくれえや」

残念ながらこれが本音では。

massyla92

4 時間

無人販売書が成立するのは日本だけ。無駄犯罪者を増やさないためにもちゃん有人販売しろと思う。客に計算などを任せている限り、勘違いで差額以上の請求はできない。警察リソース無駄遣い。

Haruyoshi Shibata

4 時間

わざとドロボー作ってると思うのは私だけですか?店番ひとり置けないんですか?もともとの無人販売お金入れてくれたら儲けもの、くらいのものでした。

農家の悪意を感じます

Mike Kawasaki

4 時間

それでも無人販売をする理由は何だろう? 誤魔化されても農家にとってオイシイから? 鬼の首を取ったように犯人を見つければテレビ的には良いかもしれんが、そこの所を「しらべてみたら」してくれんかな

Knifewell

5 時間前(編集済み)

いや普通に人の一人雇った方がいいだろ…

値段バカにならない防犯カメラを何台も設置して…

人件費節約とか言っといて本末転倒だろ…

返信は求めません。

Tune Bee

18 時間

この映像を見ていてちょっと首をかしげしまうのは、無人での販売では、一定不正が発生するのは初めから予測できることである。だから一般には友人販売形式を採るのであって、無人でいくなら人件費が要らない分、ある程度の損失は盛り込むべきだ。一般スーパーでさえ、万引き被害に苦しんでいて、悲しいかな、そもそも(人は)性悪説で捉えるべきで、性善説ありきで、結果的不正をしやす環境を作っておきながら、犯人捜しで徹底的に糾弾するFNNのこの番組も、視聴率が取れるのかのしれないが、趣味が悪い。ここで連行される犯人はおそらく暴行障害など凶悪犯罪を起こすような人たちではなさそうだ。わざと無人にしておきながら、隠しカメラで細かくチェックし、数百円の軽微な被害警察を何度も呼びのはどうか。世間ではもっと凶悪犯罪がおこっている日常を考えると、自己管理をせず、このような形で警察を介入させるには、税金無駄遣いとはいえいか

YAMANO INDUSTRIES TV

18 時間

無人販売って本当に治安が良くて教育がしっかりしてる状況じゃないと成り立ちませんよね。

お金入れたり、鍵開けたら商品取れるゲーセンであるように、野菜バージョンで作るべきじゃないですか?

無人でするなら

家の鍵開けてドロボーに入るなよとお願いしてあとは犯人次第としてる様なものです。

YAMANO INDUSTRIES TV

18 時間

そもそも無人販売することをやめたら済む話ではないですか?

無人餃子もそうですが自販機みたいなお金入れたら出るみたいにすれば良いと思います

昔と今の状況は違います

昔の日本マナーやしきたりがありましたが、今は何でもあり、宗教などで悪い事したら地獄行きみたいなのもないので道徳心が欠けてるんです。

また年金暮らし問題とかで窃盗が横行してます

文字

19 時間

ヤメロよこういう商売

こんなの当たり前だろ

やってる方が悪い

頭悪いだろ。

自己責任だよ。

tomo rrow

19 時間

ここは防犯カメラを設置してるだけすばらしいけど、人間に対して囲いなしで無人販売をするには無謀にもほどがある。

夜に煌々と光をともして、虫に対して「近寄らないでください」と言ってるようなもの

生ごみを置いてハエに「たからないでください」と言ってるようなもの

せめてコインロッカー形式自動販売機形式でやらないと。

中村幸輔

20 時間

お金を誤魔化すのが一番悪いが、犯罪が起きやす販売方法をそのまま継続する方もどうかと思う。

誤魔化されるのが嫌ならば農家の方が直接お金を受け取る販売方法にしないとね。

犯罪が起きないようにしてあげることも思いやりと思うけどなぁ。

七つ星

20 時間前(編集済み)

野菜やさんが悪いわけではなく、こんなことで一々警察を呼び出しをさせるなんて、その間交番は留守だったりするわけです。刑務所はいらないなら、罰金ものですね。それと、料金箱の前に顔が写る大きな鏡を置いたらどうでしょうか。やはり、ギョッとするでしょう。(@_@。

他のお客さんがどう思うか?盗み防止に理解を。

軍曹

21 時間

犯人かばう訳では無いが安くない。その門構えで農家?安いの感覚がズレていますよ。ぜいきんである程度の減税を得て、副業可能日本農家専業農家を)馬鹿にしているのかな?

被害者の怠慢が日本農家全てではないが、この農家農家と語らせる事態片腹痛いわ!

yk schumacher

23 時間

まれることを前提にした販売方法問題あんだろ!馬鹿じゃねーの。自動販売機みたいに金払わなきゃ開かない位にしないとだめだろ!嫌ならやめろ!

クラウドTV

23 時間

こんな販売の仕方やめたれや

ロッカー見たいのでも設置したれや

この程度で済むのは日本だけ

tekkae

23 時間

盗人が悪いという話はもちろんだが、日本も良い人間けが住んでるわけじゃないので、この販売方法は辞めたほうが良いと思う。

どうしても無人にしたいのであれば自動販売機を導入するとか、撮影しているモニターモザイク無しで流すとか方法はいくらかあるような気はするけど。

バル

23 時間

無人はやっぱロッカーみたいので売るのがベストだと思う。

NAH GO LOVE IT riddim

23 時間

無人販売はいい加減にしろと思う。警察迷惑だわ。世の中すべての店舗無人にできるとおもうの?経営者人件費を浮かせた分儲かるし、泥棒動画メディアに売って儲ける2重取り。有人でも万引きされるのに完全に犯罪助長してるシステム無人販売所が世の中通用するなら全世界平和だわ。

丸氏の日記

1 日前

正しいと思わないけど、人件費削減のために無人販売をしているのだと思うけど、ちょっと、取られて仕方ないと思う!だって人がいないのだもん!

売る方はちょっと盗られることを、覚悟した方がいいと思う。ちょっと無責任なんかな?

ミチ

1 日前

無人販売やめろよ、わざわざ警察呼ぶのも迷惑やわ

はり〜炭酸

1 日前

犯罪者をリンチ的に非難しても仕方ない。

そういう人間なんだから治る事はないし減らないよ。

それより何でわざわざ金と労力かけてこんな豪華なネズミ取りシステムを構えるのかが理解出来ない。

窃盗を誘発する販売形態であると十分認識してるという事なんだから、その販売形態自体を止めようよ。

犯罪者が100%悪いのは当然としても、犯罪を生み出すシステムを作り出してる自覚はないのだろうか。

ametoraちゃん

1 日前(編集済み)

安く売るために無人にしてるってのは表向き正論に聞こえるけれどこれ自体農協スーパーへ卸すわけじゃないからぼろ儲け

申告しないので税金もなし(脱税)

形のよい商品は店へ。売り物にならない捨てるやつは無人

盗むのは悪いこと。盗まないのが普通

ただ、

トウモロコシ枝豆なんかの無人販売の人はこんなこと問題にして騒いだしないんだよ

「んで、売り上げは?どのくらいですか?」ってつっこまれたくないか

泥棒に肩入れするコメントじゃないですよ

腕組み農家に対してちょっと思っただけで

tiger jp

1 日前

逮捕してないのに尋問しか威圧的な、こんな違法捜査よく録画して公開したもんだ。

too sai

1 日前

ゴキブリホイホイみたい笑

ゴンザレス74

1 日前

じゃ無人でやるなよ(笑)

人件費かかってないんだからこんな事想定内だろ

tt

1 日前

まぁでも、、、この労力払うくらいなら、無人はやめたらどうよ・・・

自販機方式にするとかさ、、、

悪い人はそりゃいるよ。防犯しようぜ。

こたつ

1 日前

普通に無人販売の仕組み上のリスクから

売ってる側が工夫してないのも悪いやろ

ユウ

1 日前

そもそも無人である事が問題なんじゃないのかな? どうぞ持ってって下さいと、そう勝手解釈する方も居るかもだし、店員風のかかしでも設置しといたらちょっとは違うかもですね!

seguel rene

1 日前

カメラにかかる費用かんがえたら売らない方が良く無い?

この販売方式理想だけど成り立たないでしょう!

chanchi

1 日前

FNNプライムオンラインは大体、賽銭泥棒などをする人をアップしています。次は歩道信号無視する人、コンビニペットボトル回収の所に缶を入れ人を追跡すれば良いです

ひょうご

1 日前(編集済み)

これ、完全にヤルのを待ってるよね…

何台ものカメラ、機材、両替機… そして裏で待機してる人員。 

またテレビ局サイドはヤラセではないが、この番組企画はヤル人間がいないと成立しないわけで… これに費やす時間・労力を考えると絶対やってもらわないと困るよね

まり、ヤルのを待ってるよね?!

この番組を手放しで持ち上げてる人らは、このやってもらわないと困るという前提に違和感を感じないのかな…

久志 桑田

1 日前

何故無人販売をしているんだろう?はじめは余った野菜を棄ててしまうのだったら誰かがもらってくれればいい感覚で始めていたんじゃないの?犯罪者扱いするのなら辞めるべき。わざわざ犯罪者を作ってしまっては本末転倒

manga2199

1 日前(編集済み)

あのさー、監視してる人置くなら店員一人置けよ・・・と思ったけど、野菜自動販売機にすればいいじゃん。

監視カメラあれだけつけるなら・・・出来心」というのもあるし、ご近所ホイホイみたいになっちゃってここで生活できるの?おれは農家さんに悪い印象持つけどね。すぐ警察呼んで、どれだけ無人販売所が偉いんだよ?

hara kita

1 日前

無人販売は、罪人を作るシステムだぜ✨時して無人でなければ泥棒はしないですんだかもしれない。

飴玉ぶら下げて罠をしかけているもんだな。

農家は楽しないで手渡しで商売しろよ、

hara kita

1 日前

無人販売は、罪人を作るシステムだぜ✨時して無人でなければ泥棒はしないですんだかもしれない。

飴玉ぶら下げて罠をしかけているもんだな。

農家は楽しないで手渡しで商売しろよ、

hoshi hyuuma

1 日前(編集済み)

別の見方をすると、無人販売所は罪を誘発している様な物。 カネが無くてお腹をすかせて本当に困っている人が見たら、どうするか迷うかも知れない。 善人も誘悪に負けて犯罪者になってしまうかも知れない。  防犯カメラまでつけて、盗まれ警察を呼ばなければならない様な状況ならば、止めるべき。 残念ながら、古き良き日本では無くなってしまった現実を認めるしかない。 警察も、もっと大事仕事がある。

DAY SUN

1 日前

なんか胸糞悪い番組だな

開いた口が塞がる

1 日前(編集済み)

こういうのは良くないことだけど、メディアがいちいち張り込んで一部始終をYouTube投稿するっていう陰湿な感じも好きになれない。

被害に遭った人と警察だけで終われせたらいい。

わざわざYouTubeに上げることじゃない。

f浩次

1 日前

かに泥棒になるが、農家おっさんも偉そうに腕組んで言ってるんじゃねー

俺の茄子が俺のトマトが〜‼️ってか(笑)

アドレス

1 日前

まあ、でもぶっちゃけじゃあ無人で売るなって話ですわな

売り子置くコスト削減すりゃ多かれ少なかれこうなるやん

盗む奴が一番悪いけど、売り子おけや

議長(仮)

1 日前

防犯費用ケチってる。

これで窃盗があったら、警察を呼んで税金が使われることになる。

人員を配置して、最低限の防犯対策はするべき。


と、思ったらちゃん判断できてる人が多くて安心した

テレビ離れが進んだ効果ですね

邪悪ヤラセに騙される人間が少なくてよかった。

IE動作するシステム開発法律禁止しろ

2022年にもなってなんでIEで動くシステムの開発をせにゃならんのだ

作業だらけのエクセル設計書とあってないようなバージョン管理、手動でしかできない試験

新しい技術なんて一つも学べやしねえクソが

こんなんで日本が成長するわけないだろ頭いかれてんのか

2022-08-03

anond:20220803092715

どのバージョンも出てすぐはあそこが不具合、ここが不具合とか話題になるけどあんまり気にせんでええんちゃうかな

俺は携帯の2年縛りサイクルで新しいのにしてるけど致命的な不具合にはまだぶち当たったことないし

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