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はてなキーワード: 20世紀とは

2018-11-11

anond:20181111214058

素晴らしい説明いただきありがとうございます

20世紀初頭には聞き流すための音楽、として作られていたんですね。サティ検索してみました。よく聞いたことある曲ですが確かにすごく聞き流しやすい!

大変勉強になりました、ストリーミングでの音楽鑑賞も捗りますありがとうございます

anond:20181111205631

遡ると多分エリック・サティ元祖かな、と思います

彼は20世紀初頭に、生活空間雰囲気作りの為の「聴き流して貰う」事を目的とした音楽作りました

家具壁紙のような役割ですね。

BGMとか環境音楽とかもこの系譜だと思います

生活邪魔をしないよう、わざと印象薄く作られています

コンサートなどで集中的に聴くタイプ音楽と対極ですね。

2018-11-10

そういえば総入れ歯

Enter キーを Return キーと呼ぶのは、20世紀頃にPCを使っていた人に刷り込まれた、いわばゲーム機区別なくファミコンと呼んだり、スマホ区別なくあいふぉーんと呼んだりするような習性の一つなので、どうかそっとしておいてほしい。

2018-10-31

anond:20181031085231

大昔の20世紀プラスチックでできたおもちゃブーメラン、または薄い発泡スチロールみたいな、組んで飛行機作る素材(アレ)でできたブーメランがあって

水平を意識して投げるとそれなりにご無体な軌道で戻ってきた記憶がある

その程度でいいなら経験ある人多いんじゃね

2018-10-29

うおお

ボーイズオンザラン、最初からよむのかったりーし、なんか強い先輩と公園ボコられる話だったよねと思って途中から読みだしたら止まらない

つんぼの、赤灯えれじいみたいなパツキンの女の子がでてきて、あれこんなん読んだおぼえねーなってなってぐいぐい読む

正直ワゴンに連れ込まれたりする当たりは主人公があまりにもうざすぎてイライラマックスだったけど、なんとかその後カタルシスあったからよかった

この作者のかく頼りない変顔冴えない男ってワンパターンテンプレすぎててそういうキャラしか書けなさすぎだろお前ってぶん殴りたくなる

んでパツキンのほうが長野にいったらそこでちはるってやつがいて、あれちはるって最初にほれてた女の子名前じゃなかったっけと思って読み返したらやっぱりそうで、

あーあの女の子だったんかやっぱりと自分記憶力にびっくりんこした

つーか負けてボコられて終わりだと思ってたのが実は続いてたってのが自分思い込みだったってのがすげー驚き桃の木20世紀だわ

イライラしてムカつくのは同族嫌悪からだな認めたくないけど

振られ際に精一杯なんかやり返してやりたくてひどいこと言っちゃうとかね

ほんとクズだわ自分

2018-10-25

anond:20181025231716

イギリスは未開の猿どころか救国の英雄性的マイノリティとして迫害して殺してるからな。しか20世紀も半ばに。

名誉回復したのは21世紀になってからだ。二枚舌に関しては格が違う。

2018-10-22

「じゃあ俺のお気持ちは誰が考慮してくれるの?」という痛み (追記した)

昨今の流れでは、お気持ち、と揶揄されがちだが、他者感情に対する配慮自体は確かに重要なことである

ていうか、最近重要ってことになった。

というのも、ちょっと前までの人権っていうのは、個人感情というものを全く無視していた。弱者への保護は、「無知のヴェール」で有名なロールズ流の功利主義的な操作によってのみ正当化されていたし、そうでないといけないと考えられていた。だって客観的論理的議論を進めるには、感情無視した功利主義を使うしかなかったから。

でもそれじゃあやっぱり理屈から取りこぼされるものが出てくるし、そもそも現実に即してない。現実人間感情を持っていて、感情に基づいて人を助ける。もし自分弱者だったら、とかいちいち想像力を働かせて人権を守ってる奴なんていない。

理屈にならない感情個人お気持ちに対する配慮共感こそが人権を守る本当のキーなのだ

そういう事を言い出したのがだいたい20世紀後半だ。「相手気持ちを考えましょう」と俺も学校で教わった。

でもここでKKOとかの話が問題になってくるわけだ。

感情感情から理屈じゃなくて、平等じゃないんだよ。

キモいオッサン共感する人は少ない。人権の話をしているのに、*ただイケ、みたいな事が起きてしまう。

そもそも昔、ロールズ功利主義人権定義づけようとしたのは、そうしないと平等には出来なかったからだ。なのに功利主義を捨てて共感メインに走ったら、それはもちろん不平等・身内ひいきになる。そういう批判は昔からされていたが、ポリコレ運動の結実とSNSの普及が始まった2010年代になって、現実社会危惧顕在化してきた。

増田ツイッターの上っ面だけじゃなく、もっと別の文脈でも、このような批判は、既に始まっている。

https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080275981.html

「でた、お気持ちー!」とか揶揄している人たちが本質的に求めているのは「お前の気持ちはいいけど俺らの気持ちは?」ということだ。ヘイトスピーチを広めるネトウヨたちにも気持ちはある。しかも彼らは往々にして低所得者で、つまり社会弱者だよ。人権運動家が彼らと敵対するしかなかったの、ほんと思想危機と思うわ。

かといって、今更ロールズに戻るわけにもいかず、一体どうするんだろうね。

anond:20181022121044



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たくさんのブクマカありがとうございます

ざっくり3つポイントがあったと思うので追記ときますね。

>一体どうするって、やはり戦争が続くのだろう

ですかね。

このエントリは、言及先の増田を見て、個人的には戦争以外の何か包括的な考えがないだろうか、という思い付きから書いたものだったが、「そんなもんねーよ」と言われたら、うーんやっぱりかーという感じ。

弱者のみを都合よく救うことなどできない、という話も胸にささった。こうなるともうネット正義議論すること自体不毛で愚かだ。それもやっぱり感ある。

わたし母親じゃねーし男どものお気持ちなんかしらねーよ。

貴方がたは正しい。

問題は、相手も同じ正しい主張をしているということである

男どもは貴方父親や夫じゃないので、貴方が性行為に恐怖していてもしったこっちゃない。

このエントリは、そんなしったこっちゃないの殴り合いでいいのか?という思い付きを記したものだが、やっぱ殴り合いはするしかないのだろう。

ロールズ功利主義じゃない。

あそうか、変な言葉使ってしまった、というのが正直なところ。教科書にないことを書いた。

しかしやはり僕は、ロールズは実際に功利主義の一派だと理解している。正義論は功利主義批判とは言われるが、その内容はつまるところ「無知のヴェールみたいな仮定を置けば、功利主義でも弱者を守れる」であって、遅れてきた修正功利主義といって差し支えないと思う。しかもその理論は、ロールズ批判に重箱の隅をつつかれまくって最終的に破綻したように思われ、その根本原因はロールズ功利主義的であったからじゃないかと思う。

ロールズ後に現れた共感、と書いたは現代フェミニズムの源流の一つ?であるケア倫理の登場を念頭に置いており、フェミニズムの皆様がお気持ち理論を繰り広げるのは明らかにケア」の影響のはずだ。しかしそれは先の述べたように社会全体としては争いを誘発するものであるようだ。

そういう自分の中のぼんやりした理解を、雑に社会学史一般に当てはめてしまったのは、やはり失敗だったのだろう。まさかこんなに読まれるとはね。

2018-10-20

anond:20181020130111

増田のいうような知は20世紀の初めには出揃っていた。

1世紀経とうとする今も、多くの人々は自分の信じたいものを信じる。

彼らに、それは間違っていると言っても逆効果なのはトランプフェイクニュース関係などから明らかだろう。

問題の焦点は、なぜそのような現象が生じるのか、と、それをどう防ぐかに移っている。

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-19

anond:20141005001115

ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀パロディであるといっても過言ではないと思う。

そもそもロシア文学においては大元プーシキン西欧パロディをやっている。というよりも、プーシキンを読んでその背後にある西欧を読み取るのが正しい読み方。

プーシキンのすごいところは、パロディ翻案でありながらオリジナル凌駕しているところ。

オネーギンなんかもジュコフスキーから引用が多く見られる。また、本来韻文においてはヒロイックテーマ選択されるという常識を破り、世俗的な恋愛を描くというメチャクチャ実験的な小説だったということも補足します。

まりソローキンはなんら実験的なことをしているわけではなくロシア文学の定石をやってるだけで、なんら評価されるべき手法を用いているとは思えません。

彼の新しい点としては、単なる下ネタ文学偽装して増田みたいな人にありがたがらせたということかな。

ロシア語読めればわかるけど、彼のスタイル19世紀的で一見すると伝統的な文学に読めてしまうんですよ。

かにその点は新しいと思うけれど、それが優れているのかはビミョーです。

ロシアの諺に、背広を裏返して着ることは新しいけれど、それはすでに衣装の体をなしていないというのがあるけど、まさにそれだと思いますね。

2018-10-16

anond:20181016224634

すべての物質の動きを予測することが本質的でないどころか、寧ろその個別性を大胆に捨象するところに熱力学の真髄があったわけですねえ。これは神が世界をそのように作った御業のなかでも特に深淵かつ示唆に富むものと思います

詳しくは田崎先生の「統計力学」(裳華房)などを読んでみてください。あなたの問いかけたその質問よりも20世紀物理は遥かに豊穣で奥が深いですよ。

2018-10-12

なんで日本20世紀に成り上がったの?なんで21世紀に成り下がってんの?

誰か

2018-10-11

anond:20181011184334

エビデンス

実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。

この辺りのこと?

Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)

Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)


フロイト理論の諸々の失敗

精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピービクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。

フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してから人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代マシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティンセリグマンは、幼年期のできごとが成人してから人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠ほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してから性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。

また心理学者のバウマイスター一同がフロイト提唱する理論メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。

もちろん、フロイト理論示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則彼岸」については現代思想の中ではかなり重要位置づけになっている。ラカン執拗にこの論文にこだわるわけだしね。

それに、フロイト批判をしたバウマイスターは、フロイト提唱する説でエネルギー重要位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。


科学的な心理学

著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学基本的研究方略である単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベル単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象ありのまま理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話批判している。

現代心理学の始まりブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学科学化と言っても、物理学化学実験を導入するのではなく、心理学実験手法神経科学実験手法(EEGfMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的科学心理学学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学科学と他の文系学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。

個人的には、人生全体から人間理解フロイト理論人間理解よりも、人類史から人間理解(進化心理学)(9)や神経科学から人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。


▼出典

(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).

(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)

(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).

(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)

(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)

(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)

(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)

(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)

(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)

(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。

(11)HR テクノロジーで、人や組織パフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析サービス販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)

2018-10-10

anond:20071109191006

「あの時代」って言うけどハイジ舞台ってヘタしたら20世紀くらいじゃないのか…?

2018-10-09

anond:20181009155650

ハーケンクロイツナチス党の党のシンボルでしたが、旭日にはそのような政治的意味はありません。

これは航海の無事と漁の成功を祈るための伝統的な意匠で、19世紀日本海軍軍艦旗として使用されました。

旭日旗は大日本帝国海軍シンボルでしたが、ハーケンクロイツにはそのような政治的意味はありません。

これはヨーロッパ幸運を祈るための伝統的な意匠で、20世紀ナチス党旗として使用されました」

というくらい意味不明だな。

韓国さえも2011年までは旭日旗を拒絶していませんでした。

ちょっとググるだけでも2011年以前の旭日旗に批判的な記事が見つかるんだから

こういう嘘はやめといたほうがいいと思うぞ。

2018-10-08

学術分野の世界共通語フランス語ドイツ語だった時代はもちろんあるし、今でも数学黄色い本だと基礎文献が平気でフランス語だったりするけどさあ

20世紀前半までのろくに民間航空すらなかったような時代と、グローバリゼーションが果てしなく進んでインターネット地球を覆ってる時代を比べるのはナンセンスでしょ

現に中国大学所属する中国人の研究グループarXiv英語論文バンバン投稿してるのは不都合な真実なんですかね

2018-10-04

「○○に傷ついた」と叫ぶ人へ

20世紀初頭の偉大な哲学者であり社会学者である、H.B.ジョーンズは、こんな言葉を残している。

あなたには、社会からの酷い仕打ちに対して、『傷ついた』と気持ちを表明する権利がある。しかし、それで社会あなたの望むものに変わるなら、誰もが被害者のふりをする醜い世界が生まれるだろう。本当に社会を、あなたの生きやすい世の中に変えたいのであれば、あなたはこれから、今よりもさらに傷つくことを覚悟しなければならないし、それに対して今後長い期間耐えなければならないということを、学ばなければならない」

2018-09-30

anond:20180930180855

Libertyがないか民主制アメリカ白人強制されるまで実現できず君主が神といったローマ帝国エジプト並みの時代遅れ概念20世紀まで引き継いで神風特攻みたいなことも平然とできたんだろ

アメリカからもらった民主制日本人は何もやっていないのでFreedomブラック企業大企業政治家官僚不正が野放しにされている

Libertyがあったら今よりましだった

2018-09-25

anond:20180925115713

半日かかるのを1時間でやれるというのは嘘ですね。物理的な仕事においてはできる人間の差はせいぜい1.5倍程度ですよ。20世紀工場労働でさんざん議論されて終わった結論です

2018-09-12

戦術レベルの敗退を繰り返してじり貧になったNEC

昔の格言か何かで、『戦略レベルミス戦術レベルでは取り返せない』というのがある。

かに、近年電機業界で大きな損失を出した会社を見てみると、この戦略レベルミスが非常に目立っておりなるほどなと思う。

プラズマディスプレイ社運をかけて大赤字を出したPanasonicPioneer、巨額の開発費をCell Processor投資して爆死したSONYWestinghouseの買収でやらかし東芝等。

ところが、最近増田話題NECを調べてみると、こうした会社とは不振の状況が違うように思えてきた。

なんというか各事業競争力を失って徐々に敗退していくというような。言い換えれば戦術レベルの敗北を繰り返してじり貧になったとでもいうか。

半導体がらみの仕事をしていてNEC事業所にも出入りしていたことがあり、個人的にも興味があったので歴史を少しまとめてみた。

なお、この記事を書くのに参考にしたのは下記NECIRで、1990年からの業績データと、1995年から会社紹介資料が閲覧可能

https://jpn.nec.com/ir/index.html

NEC 事業撤退歴史

1999年 半導体メモリ事業日立統合して分社化。後のエルピーダメモリ2012年経営破綻

2000年 家電部門NECホームエレクトロニクス事業停止。

2001年 有機EL事業サムスンSDIと合弁化。2004年有機EL事業から撤退

2004年 プラズマディスプレイ事業パイオニアに売却。

2010年 半導体子会社NECエレクトロニクスをルネサステクノロジ統合半導体事業から事実上撤退

2011年 パソコン事業レノボとの合弁化。

2011年 液晶事業天馬グループとの合弁化。2016年に完全売却。

2013年 携帯電話事業から撤退

2017年 リチウムイオン電池事業から撤退

NECのかつての栄光

1991年 NEC研究員だった飯島澄男がカーボンナノチューブ発見

2001年 スーパーコンピューター地球シミュレーターが世界一の性能を発揮

2001年 2000年3月決算過去最高の売り上げ5兆4000億円達成。 ※バブル期1990年度でも3兆7000億円程度。この時期までは比較的うまく経営ができていたと思われる。

2003年 小惑星探査機はやぶさ打ち上げ

1985年-1991年 半導体世界一

2001年-2004年 携帯電話日本一

NECの業績に影響のありそうな政治案件

1989年 アメリカスーパー301K発動

1998年 防衛庁談合事件

個人的経験に基づく雑感

NECに出入りしていたころに思ったが半導体事業部に新卒で入った社員は大体優秀かつ深夜残業休出当たり前なモーレツリーマンだった。

設備投資研究開発費も年間3000億円コンスタント投資しており、今の水準で考えても少ないことはなさそう。

しか20世紀終わりから21世紀にかけて爆発的に伸びた情報通信産業に社内のリソースを集中してて、バックに住友財閥もついている。

会社の置かれた状況を考えると韓国サムスン電子中国Huaweiみたいに、今でも世界を席巻できていただろうに。マジでどうしてこうなった

当時気になったのは本業関係ない関連会社が異様に多いことぐらい。(不動産NECファシリティーズ運送業NECロジスティクス食堂運営NECライベックス、企業研修NECラーニング等)

どうでもいいけど最近スローガンのOrchestrating a brighter worldってのはマジで意味不明。迷走ぶりを象徴している。

https://jpn.nec.com/press/201507/20150701_01.html

https://anond.hatelabo.jp/20180911165115

2018-09-09

考えるのも馬鹿馬鹿しい話題

高齢者子供の引き起こす公害

今時高齢者子供人間特性理解できない人がいるというのは驚いた。私は学のある社会人男性から子供の泣き声とか高齢者の怒りやすさとかに対するこだわりはないけど、頭使えば考えるのもばかばかしい話題になんで引っかかるんだろう?欧米人だったらまともに相手にされない話題だと思う。

高校生大学生が車やバイクに乗る社会的メリット

今の学生社畜ならぬ家畜みたいになっていることがわからないのか?勉強が忙しすぎて時間的な余裕がない。内需云々とか景気回復云々とか言っている人が多いけど、それとこれでは問題が違う。

パワハラセクハラ問題

から暴言撒き散らす人間とか体罰行使する人間とかはいて、しか絶対数が減っているのにどうして体感的には増加しているということになっているんだろう?そんなことは30年か40年ぐらい早く言いなさいよ。

今のストレス社会について

年々ストレス社会についての研究が進んできて、昔に比べて体感的なストレスは軽減されているのに、年々ひどくなっているような印象操作は許せない。体感治安だけで犯罪の増減を考えるぐらいナンセンス

ブラック社会問題

長時間労働しろブラック環境しろ20世紀と比べればこれまでもかと云わんばかりに改善されているのにどうして年々ひどくなっていることになっているの?事実を調べてから言いなさい。

日本1960年代から1990年代まではずっと好景気だった

ふざけたこと言うな。1970年代にも不景気就職氷河期はあったんだよ。こういう人間に限って、普通の景気という概念がわかっていない人が多い。

ゆとり世代日本で一番学力が高くて優秀な世代

高学歴者率の高さとか、学力テストの成績だけ見ればそうかもしれないけど、そもそも昔とは教育のあり方とかが全然異なるので昔の世代と比べようがない。

2018-09-07

anond:20180907143620

実際そうだろうな。

ある年代まで、文系学問としてアカデミズムとして正当であるためには、ナチス批判をやっている必要があった。その潮流からは多くの20世紀の偉大な思想家が生まれたが。

そういう潮流のうわべしか受け取って来なかった方々は、今でも「ファシスト」という単語を抑圧・差別・反アカデミズムといった意味だと思っているだろう。

つーか、みんな中学ぐらいまでそう思ってなかった? 俺は思ってたよ。

2018-09-05

物語の展開などは面白かったが、どうしても文章テイストが『20年前のラノベかよ』といった感じで、テキストを読んでいて冷める。

冒頭3分でもはや古典レベルの展開と、数百万回見たような主人公のノリ。文章タッチなんてニュアンスでは伝わらないかも知れないが、いわゆる“あの”時代いかにも頭の悪そうな文章

まさか平成も30年というこの時代に、20世紀凸凹によく見たような時代遅れの文章を読むことになるとは思わなかった。

面白ノベル必要なのは【引き込むネタ】と【読ませる文章】だと個人的に思っているのだが、この作品には圧倒的に後者が足りなかった。

正直ページ送りがストレスに。

中身自体は良かったので今後ライターの方は原案に、執筆は若々しいセンスを持った後進に譲ってはいかがだろうか。

全体的に評価がいいようだが、恐らくあの時代の古臭いタッチ文章違和感なく受け入れられる世代か、感覚の持ち主なんだろう。

自分には無理だった。

体験版があるのか知らないが、一度実際のテキストを見てから購入を考えていただきたい。

皮肉に聞こえるかもしれないが、ストーリー面白かったので。

シナリオライターが電撃黎明期に燦然と輝いた阿智太郎からなあ

まさに20年前のラノベ全盛期の人だしwww

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