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2018-01-21

anond:20180121172027

というかそもそも都心部に勤務するのに都心部に住む必要はないんだよなあ……

それはともかく有名私大出てるなら(と言うか別に有名じゃなくても)UターンJターン就職できるはずで

そもそも東京に残らない選択は無かったのかなあと

自分大学じゃ全国に散ったから、残って当然という感覚もよくわからん

ある程度の学歴と、都心部上場企業での勤務経歴があるなら、今からでも普通にそれを活かして地方かに転職できないものなのか?

というか年齢的に、まだ今から地方公務員受けれるし。

anond:20180121171510

いや、適当地方駅弁大とか行ってもそこの公務員になりゃ

学費生活費も安く済む(その分奨学金を借りる額も減る)し、貰える給料だって今と大して変わらんだろうけど生活費は安く済んでたわけで

有名私立だ有名上場企業だって辺り、学生時代から東京在住だろうし

実家に住んでないって事は、実家場所は周囲にろくな大学就職先もないような田舎という事だろうけど

実家仕送りしなければならないくら実家に金がないなら、学生時代仕送りなど期待できなかったはずで

バイト奨学金だけで学費都心部生活費賄うってのは計画に無理あり過ぎだろ

今更風俗とか言うくらいなら、もっと若くて高く売れる&暇がある学生のうちに風俗で働いた方がマシだった

anond:20180121170254

主語をでかくしても救いは無いぞ。

日本じゃなくて元増田自身のせい。

事務職があることが悪いんじゃなくて事務職を選ぶ奴が悪いってのをはき違えないようにな。

どうしても日本のせいにしたいなら意識高く海外就職でもしろや。

あっ、そこまでの学力はないんだったっけ(笑)

anond:20180121170403

揚げ物と焼き物区別がつかないのに就職できた奴もいるくらいだし

働き方改革給料だけ減った日本死ね

働き方改革様のおかげでタイムカード打てなくなりました。

こっちは労働時間が長いぶんは納得して会社入ってるの。

ただそのかわり残業代は出ると。それを希望就職したの。

うちの会社業界じゃ珍しく残業代を出すと約束してるの。

でも今の働き方改革のおかげで労基がうるさいらしくて、ここ1年でタイムカード押させてくれなくなったの。

どうしたらよいの?

ちなみに早く仕事を終えられれば早く帰れるお仕事でもないのです。

いろんな人が関わってるもんだからどうしても深夜まで働かなきゃいけない時とかなんべんもあるの。

そこは納得してるから早く帰らせてくれとは思わないんだけど。

結局タイムカード押す押さないまでチェックする体制が整わないまま働き方改革を進めちゃったばっかりに、経営者だけ儲かって労働者搾取されてんの。

どーしてくれんの。

僕が小学校テストで満点を取った時、母さんはほめてくれた。

医者弁護士か、立派な人になると自慢していた。

でも中学ときからだんだんと授業がむつかしくなって

どんどん分からなくなっていった。

僕がテスト赤点を取る頃には、

母さんの興味は中学でも満点を取ることのできる妹に移っていた。

本当はいつも僕を庇ってくれた父さんと同じ理髪師になりたかったけど

高校はとても難しくて、中退してしまった。

結局、おじさんの友人がやっているパン屋就職した。

母さんは僕に話しかけることはもうずっとなかった。

この前、妹は国立大学に進学が決まっているらしい。

お母さんは「立派に育ってくれて自慢の娘だわ」と言っていた。

僕はりっぱになることができなかった。

どこでしっぱいしたのだろう?うさぎの足をなくした時かな。

2018-01-20

anond:20180120111134

具体的にどんなのを「楽しい」と思うんだろう。コミュ力が高くて、周囲の人と上手くやっていけるとか、あまり経験も興味もない仕事についてもポジティブに取り組めるとかいキャラクターだったら、よっぽどのブラック企業就職しない限り楽しめると思う。今学生だとしたら、学生生活普通に楽しめていれば大丈夫なんじゃないの?

就職しても人生楽しく生きたいなー

大学生の恋もそろそろ終わり

就職したら離れ離れだね。

離れてたって心はそばに、なんて言えないよ。

そばにいるあなたが好きだから

それも一つの「好き」の要素なんです。

ともかく、遠くにいるあなたを愛せるのか自信がないのね。

そんな表現をすると冷めた感じになってしまうかな。

離れるのが嫌なんだ。

でも、現実的にお互いやりたい仕事があって、それが叶うんだ、仕方がない。

そばにいるあなたが好き。

あなた」が別の人になるんだろう。

職場の人、新しく住む街の人…

だけど、もしかしたら、そばにいないあなたが好き、という「好き」の新要素が生まれるかもしれないね

あと二ヶ月よろしくお願いします。

2018-01-19

勉強」って何なのか教えてやろう

勉強とは何か、何のためなのか、何かいいことがあるのか、どうやってするのか。これがわからなくなったことのある全ての人へ。

まず、勉強は「技能習得」「概念習得」の二つに分類できる。

技能習得

勉強をする」と聞いて大半の人が思い浮かべるのはこっちだろう。問題を解くために勉強する。テストの点を取るために勉強する。資格試験合格するために勉強する。絵の描き方を勉強する。必要目的を満たすため必要技能習得する。

大事なのは意味理解している必要なんてないってこと。例えば数学テストなら、何書いてるか自分でわかってなくても求められている答えを書けばそれで正解する。意味がわかっている人との差はない。もちろん理解必要なこともあるし、それなら必要なだけ理解すればいい。

概念習得

人は、物自体認識することはできない。何を見るとき概念を経由している。自分の知らないもの認識ができない。そんな「世界認識するための概念習得すること」が勉強だ。あるいは「認識の壁を破壊すること」と言ってもいいかもしれない。人一人に見えている世界には制限がある。その制限を壊すために勉強をする。

勉強する時のポイント

勉強」をそんな二つに分類できたが、もちろんこの二つはお互い影響し合っている。実際のところ全く「概念」を理解せずに「技能」を習得することは難しいだろう。「技能」の習得という作業なしに「概念」を手に入れることは難しいだろう。

しかし、この二つは別のことだ。概念勉強だけでは技能は付かないし、その逆も同じ。重要ポイントだ。

勉強をするときは「技能概念のどっちが目的で」「今はどっちを勉強しているか」。これをしっかり意識しよう。』

・「なんで勉強しなきゃいけないの?」

技能習得概念習得でだいぶ意味合いが違う質問だ。技能習得はどうだろうか。テストの点とか。いい大学行っていい就職先が欲しいならそりゃ勉強するべきだ。他にも、役に立つと思うならやればいい。技能習得するだけの勉強なんてただのコツだし、そんなのが壁になって生き方制限されるのは損だぞ。

概念習得はどうだろう。こっちが色々難しい。この「勉強」は、それなりに生きる上で根本的にはいらないものだ。具体的に役に立つことはなかなかない。そして、楽しいことでもない。目的は知らないことを知ることだ。知らないもの自分にない概念なので、怖い。わからない。つらい。でも、する意味はある。思うに、これは一つの手段だ。例えば本を読むだけなら、誰でも手軽に、いつでもいくらでもできる。それで見える世界が少しだけ変わるのだ。もしかしたら、何もしないよりは楽しい世界が見えるかもしれない。たとえ見えなくても、役にも立たなくても、その勉強すること自体が生きる手段になってくれるかもしれない。楽しくなくても。

勉強することって何を選べばいいんだろうか?

概念勉強しろって言われても、何を勉強するのさと思うかもしれない。選定基準はこの辺だろうか。

「やりたいこと」「興味があること」「面白いこと」「役に立つこと」

どうでしょう、何かあった?あるならそれを勉強してみよう。

なかった?勉強したいこととかない?

ならよかった、上記基準は全部忘れてください。新基準こちら。

「やりたくないこと」「興味がないこと」「面白くないこと」「役に立たないこと」

ここから選んでね!

知ろうと思う範囲基準を持つの制限しかならない。その上で行動できる人間ならいいけど、「興味ないから」って言った結果として何もしないでしょキミ。なら、その制限を取っ払おう。ほんの少しでも興味を持てたらそれでいいし、なくてもいい。もちろん興味があるならそれが一番強い。

ランダム性を持とう

知っていることだけ知っても勉強にはならない。知らないことを知るべきだ。

でも、知らない概念そもそも認識できないので、選定候補にできないというジレンマがある。じゃあ、どうやって知らないものを選ぶのか?学生ならすっごい簡単だ。学校行くじゃん?興味ない授業があるじゃん?たまにはその授業をまともに聞いてみよう。これで知らないことを知れた。

学生以外でも、たまたま目に入ったものについて知ってみよう。目に留まった本を、手に取ればいいのだ。そういう意味では本屋図書館は最強。

全てを自分から勉強」にして、認識範囲を広げていく。楽しい楽しくないを理由にして選ばない。こう書けば、生きる手段としての「勉強」、それなりにありな気がしてこない?

もちろん、概念習得に絞る必要はない。自分頭が悪いから…、英語は読めないから…、絵は全く描けないから…。技能がないことで、無意識に壁ができているかもしれない。

もし興味が少しでもあるのなら、いやなくても、その技能習得してみない?

・おわりに

勉強なんて世界認識する一手段しかないし、世界なんて認識する必要もない。

でも、自分認識できていない”何か”が壁になって、そのせいで何もしないよりは、ひょっとしたら楽しいかもしれない。

それなりにやっていこう。

親の教育がクソで死ねって思って爆死寸前に

俺の親は共働きだった。

父親公務員

母親事務


俺は小さい頃からロボットみたいにいうことを守ってきた。

門限を気にし、起床時間、親の言う事、親の価値観を気にしてきた。

守らなかったら、怒声を食らった。

から怒鳴られ、旅行先で怒られ、俺はいつも怯えていた。

もちろん、ムカついてもいたが、守っていれば褒められたので、

嬉しいときもあった。


親は世間には良いかっこして、悪く思われないようにと必死だった。

気に食わないことが在ると、世間を見下すことによって自分たち肯定していた。

俺もその「相手を見下す」方法でもって叱られた。

自分の考えをバカにされ、「今のお前にはわからない」と言われてきた。


親は口癖だった。

「好きにすればいいじゃん。」

「好きにすればいいじゃん。」


何を言っても同じだから、悩みを相談たことは一度もなかった。

そして俺は好きに生きなければいけないという価値観に縛られていた。



もう一つ口癖があった。

「人様に迷惑をかけるな。」


ならいうだろう。でも、言われた俺はもうよくわからなかった。

迷惑をかけず、好きなことをするなんて、できなかった。

親のいう人様なんて9割自分たちのことだ。

親に迷惑をかけずにできる好きなことなんて、オナニーぐらいだった。


親は「お金が無くても幸せと感じて欲しい」と願って教育してきたようだ。

俺はその願いを遂行しなければいけないと思っていた。

学校はいろんな言葉を習った。

「恒産なくして恒心なし」

一定職業財産を持たなければ、しっかりとした道義心や良識を持つことはできない。)

「衣食足りて礼節を知る」

(人は生活に余裕ができて、初めて礼儀節度をわきまえられるようになるということ。)


大人になった時、俺は就職せずに社会にでた。

大多数が就職するように教育されてきただろうが、俺は違った。

就職がわかんなかったから、お金がなかった。

衣食も足りてなかった。

親の教えに沿って生きてきたが、俺は圧倒的に不幸を感じていた。


はいわばコンピューターだった。

そして、親のプログラミングで動いてきた。

親は「幸せ」に向かうように設計したつもりだと思う。

しかし、俺は不幸だった。あきらかにエラーだった。


教育に正解は在ると思う。

教育って、出してほしい結果があって、そこにたどり着かせたいからするんでしょ。

子供に限ったことじゃない。

新人教育だって、なんだって、同じ。

別にすげえ人間を育てられたら正解とかじゃなくてな。

目的を達成するかどうか。


批判したいやつが批判してくるポイントもわかるけどね。

ただ、批判したいヤツは、初めから親の言う事を守るように設計されてないんだよな。

別に珍しい話じゃなくてさ。

感情派は否定してくる話なんだよ、これ。

感情派は「スタートそもそも違うんだよ」って話してもわかんないみたいなんだ。

でも、ロジカルオナニー野郎はわかってくれるよな?


もう爆死だ。

地獄で、絶望だ。

(ちなみに爆死も、地獄も、絶望自分が感じたらソレ。

誰も他人の爆死も、地獄も、絶望も図れやしない。)

全部、嘘デタラメだった。

コード全消去だ。

色々考えたけど、こればっかりはもう無理だ。

解決できない。


だけど、地獄の世の中で、1個だけ伝えたいことがある。

親も所詮男と女しかない。


タリーズでくっちゃべってる金髪の女、

スーツ来て口臭そうなおっさん

ロン毛でタバコ臭いバーのマスターみたいなヤツ、

クラスでいけ好かなかったあいつ、

うるせえ女子

鏡の前にいる自分

そういうなんかどっからどうみても不完全な人間一人ひとりが

結婚して子供を育てて死んでいく世界だ。


ソレを思えば、ロジカルオナニー野郎にも、少しは心の余裕が持てる。

anond:20180119200658

なんだかんだ大卒就職率100%で大卒初任給もらえるんだから例えFランだろうが貧困対策にはなってる・・・ってことでいいのかな

もう最終学歴高卒とか1割もいないでしょ今の世代

結婚より就職のが大事だろ

だって結婚相手と過ごす時間より、その仕事をして過ごす時間のが長いんだから

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

もう大学通う理由学歴のためだけになった

学歴もそこまで凄いわけじゃない。大した人間じゃないんなら、何の指標にもならない。 単位いからとりあえず授業出て講義も聞かずうわの空で、時間をドブに捨ててる気になる。

じゃあその時間があれば、君は何かできるのか? 何もできない、たまに嫌になって授業サボるけど図書館映画見るか本屋立ち読みしてるだけ。

周りに合わせて就職は出来るかもしれないが、たいした仕事はできる気がしない。

年収400万円になった

高卒定時制)で32歳まで一度も就職せずバイトしながらやりたいことをやって生きてきたが、3年前に就職して去年の収入年収400万円だった。

今まで極貧に近く保険年金も滞納(一昨年全部払い終えた)していたような生活だったので、もうこれ以上の収入を望む気になれない。

400万円以上貰っている人は凄いなと、この年齢になって気付いたのです。

というか年収400万あれば充分幸せに生きていける……。

家があるって本当嬉しい。

anond:20180118090002

俺も男だからフラれた当初はむやみに筋トレしたり走ってみたりしたよ。でもなかなか発散されなかった。運動モヤモヤ昇華するなんて嘘かもしれん。

早くサークル引退して大学卒業して、一切の関わりを断って知人が誰もいないところで働きたいとも思うよ。

でも表向きは元カノとも爽やかに別れてて、就職サークルOBのツテで考えるような雑魚から、そこまでの勇気が出せないんだ。

元カノを殴りたい」って気持ち内面に抱えながら表面だけ取り繕うような、卑屈な生き方しかできないような気がしてる。

アドバイスありがとう。もうちょっとバイト増やしてうまいもん食ってみる。

フリーター30代の将来は23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まる

inoue311です。

フリーター30代の将来は、23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まります

現在、30代のフリーターが悪いということではありません。私自身もある意味では30代のフリーターみたいなものですから

そういう体験談も入れつつ、なぜ23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まるのかを伝えていきます


フリーター30代の将来は別に暗くない

別に就職して正社員になったから偉いとか、ずっと安定した生活ができるとかはありません。

正社員になっても、経済的精神的に苦しんでいる人もいますし、「せっかく正社員になれたのだから……」と変に拘っては人生台無しにしてしまう人もいますからね。

フリーター正社員と比べて、自由時間人生を過ごせますしかし、精神的に未熟な人がフリーターとして生活すると、甘えすぎてしまうのが難点。

その辺をうまくコントロールできれば、フリーター30代の将来も決して暗くはありません。


フリーター30代がヤバいと思われる理由

世の中の大半の人達は、フリーター30代がヤバいと思い込んでいます


その理由は以下の通り。





他にもまだまだあるとは思いますが、逆に正社員になればこれらのことが解決するのかといわれると、そうとは限らないのが現状。

フリーターでもお金を稼いでいる人もいますし、何かを目指して頑張っている人もいます

正社員からすれば、フリーターが安定していないと思うのはほぼ「お金」だけでしょう。そのお金解決できたフリーターのことを「羨ましい」という感情が湧いてくるのなら、正社員フリーターになるべきです。



23歳以降の危険な過ごし方

23歳以降の過ごし方で最も危険なのは毎日消化試合」の生き方

具体的にいいますと、毎日平均15時間くらい寝ては起きて、すぐにスマホポチポチゲーム

週2~4程度のアルバイト生活費を稼いで、暇潰し&よくわからない人生逆転一発チャレンジ精神ギャンブル(パチンコ競馬)三昧。

それで生活費がなくなると給料日まで生きるために、誰でも入会できる楽天カード飲食品や嗜好品(酒・タバコ)を買います。※以下繰り返し

このように書いて冷静に読むと「クズ」という人生のもの。まだ国を騙して生活保護を貰ったり、社会迷惑をかける犯罪自殺をしないだけマシですが、果たしてこのような生活がいつまで続くのでしょうか。


フリーター30代の将来は23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まるのまとめ

現在23歳以降のフリーターで将来にしたいことがとくにない人はブログを書きましょう。

書くネタがなければ、今過ごしているクズ生活を書きましょう。別に最初は誰も読まなくても大丈夫継続していれば読む人は必ず現れますからね。

面倒くさくても今の自分人生としっかり向き合って、パチンコで勝った、負けたなどを書くのもいいでしょう。ブログ全体のタイトルは「クズの極みブログ」でOK。

タイトルはあとから何回でも変えられますので心配無用

本当にこれから人生がどうしたらいいのかがわからない人は、下記にある私のツイッターブログコメント匿名でもいいので相談しにきて下さい。本気で人生を変えたいのなら、ブログライターとして稼げるように育てます

私自身も勉強になりますし、そろそろライターを雇いたいサイトも増えてきたので。

全くの初心者でもいいですが、やはり多少はブログを書いていた人の方がいいです。まずは自分人の力で、無料ブログを開設するくらいの力はつけて下さい。

それだけでも十分に人生が生まれ変わるきっかけになりますからね。


ブログを書いて今の人生を変えたい人は連絡を待っています

2018-01-17

弟が好きだ(長い)

私には弟が2人いて、どちらも大好きだ。もちろん恋愛的な意味じゃなくて家族として。

上の弟は今高校三年生で、この間センター試験を受けた受験生でもある。

7歳から剣道をやっていて、小柄で痩せすぎな体格を逆に生かして先鋒としてすばしっこく活躍する姿は、姉としてのひいき目を無しにしてもかっこいいと思う。

中学でいろんな大会やらで結構いいとこまで行って、その結果を持って高校で推薦をもらったスポーツ少年(剣道スポーツと呼ぶのはどうかというのはあるが)なのである

下の弟は今小学六年生で、こちらも6歳から剣道をやっている。先鋒を務めることが多い上の弟とは対照的に、主に大将をやることが多い、体格がいい少年だ。相手の動きを見切り、堂々とした動きで相手を確実に仕留める戦い方は、もうすでに上級生をも上回る貫禄を見せていて、これからに強く期待が持てる。中学九州剣道強豪校からスカウトをもらっていて、親元から離れてそちらの寮に入ることが決まっている。

話が変わるが、私の家は、母親バツ3で、今の父親は4人目になる。

そして、私、弟1、弟2という兄弟構成なのだが、全員父親が違う。

私の実父はクソ男で、マルチをやってたらしくて豚箱に入ったりしたと親戚から聞いたが、顔も覚えていないし私が2歳の時に離婚したようだった。私はその父親認知されてることを18歳の時免許を取ろうとして戸籍謄本を取得した時初めて知った。ちなみにその次の父親とは子供を作っていないが、私に性的虐待をしていたことがバレて離婚した。

現在はマシだが上の弟がまだ乳児で、私が小学生だった頃、私と上の弟はネグレクト被害に遭っていた。

上の弟の父親借金を抱えてしまったせいで母親が心を病んでしまって、私たちの世話をしなくなった。前々から結構な量の家事をやらされていたので、少しやることが増えたなくらいにしか思っていなくて、弟の世話をしながら家事をする日々が中学卒業するまで続いた。

その頃は新しい父親もいて、下の弟も生まれていて、母親もだいぶマシになった。ネグレクトからひどい過干渉(私にだけ)になっただけだけど、私たち食事を用意するようになったからマシになったと思う。

けれど、親の代わりに授業参観避難訓練の引き取りに中学生を行かせたり、学校結構な回数休ませて弟を病院に連れて行ってあげたりするのはやっぱりおかしいと今でも思う。

もちろん下の弟の保育園の送り迎えもやっていたし、熱が出ると親ではなく私の携帯に連絡が行くようになってて(親に連絡しても出ないので)、私は仮病で早退しては弟を保育園に迎えに行っていた。

とにかく、そんな経緯もあって私は弟が好きだ。これは育児をしたことがある親御さんが聞いたら怒るかもしれないが、私が半分は育てたようなものからなのかもしれない。

ろくに友達と遊ばないで(遊ぶ時間がなかった)、毎日学校から走って保育園に向かった。

中学の時は下の弟と手を繋いで小学校学童保育に向かって上の弟を迎えに行ってから家に帰り、高校の時はママチャリで通学していたので、下の弟をチャリに乗せて学童保育向かってから帰宅した。帰り道に、2人に今日は何があったの?と聞くのが大好きだった。

19の時に私は家出をした。

私は大学でやりたいことが見つからなくて、それなら就職して家出資金貯めるか〜という気持ち高卒就職をした。

就職しても母親の過干渉はなくならず、むしろひどくなって、色々我慢できなかったことが多すぎた。さすがに自分携帯代を支払っているのに携帯GPSで居場所がわかるキッズケータイなのは我慢ができなかった。

何より、上の弟の大学進学の話で、「弟の大学進学の資金あんたも出してよ。ボーナス入るでしょ」と上の弟の前で言い放ったことが本当に我慢できなかった。

その話の後、上の弟はこっそり「姉貴は払わなくてもいいからな。ごめんな。」と言ってくれた。こんなこと高校生男子に言わせて恥ずかしくないのかと憤慨した。こんな家には居られないと、頭に血が上った結果だった。

結果的に私は家出した3ヶ月後に父親から一人暮らしをしてもいい。保証人になるから一度帰ってきてくれ」と連絡が来て、3ヶ月間働きながらネカフェ生活をしていた私はちゃんとした家に住むことになった。

それから四年経った現在実家との関係はまあ悪くはないが私は母親のことは許していない。時たま贖罪のつもりなのか母親から食料が送りつけられてくることがあるが、許せないことは許せない。

年末年始お盆には実家に帰ることにしている。もちろん弟の顔を見に帰るためだ。父親にも、まあ、元気ですかくらいは言う。母親は知らん。

会うたびに小遣いを渡そうとしても、上の弟は「姉貴も生活しんどいだろ。無理すんなよ」と言ってくれるし、下の弟は、「お金よりお姉ちゃんが家に来てくれる方が嬉しいからいらない」と言ってくれる。泣けてくる。

2人の誕生日は毎回奮発する。PS4京都友禅染の財布、ちりめん細工の飾りが付いている斜めがけバッグ、switch本体、他にも本人が欲しいと言ってくれたものたち。LINEタイムラインとかで「姉にもらった」と言ってくれたり、ふとした時に使ってくれてたりするのを見ると本当に嬉しい。

普段はツンケンしてるしラインもたまにしかくれない上の弟も、私が元彼に暴力を振るわれていたと知った時はひどく怒ってくれたし、殴り込む勢いだったのを止めたことがある。

下の弟はいつも、次はいつ来るの?と懐いてくれて、覚えたてのSMSでたまにメッセージをくれたりして(内容が、テストで100点だったとか、いい試合動画が撮れたとかでかわいい)とってもうれしい。

私は弟が大好きだ。誰かに理解されなくても、きっと、2人がいなかったらあの家で私は潰れてしまっていただろうから

付き合えなかった男の話

もう結婚してて、それなりに幸せ暮らしてる主婦

それでもたまに思い出してしまう人がいる。

その人は、元カレでもなんでもない、告白したら振られてしまった人。

でも今まで付き合ったどんな元カレよりも印象深く、忘れられない人だ。

彼とは同じバイト先で、私はフリーター、彼は学生

4つくらい年下の彼のことを、最初は真面目で謙虚好青年だと思っていた。

バイトで同じ内容の仕事をしているのもあり、そのうち彼とは自然とよく話すようになっていった。

私は当時よくバイト仲間とお酒を飲みに言っていた。男の子と飲むことも多々あったけど、あくまでもバイト仲間としてワイワイするだけで、誰のことも異性としては全く意識していなかった。

彼は、いつ誘っても忙しいからと断ることが多かった。同じ周りのバイト仲間の学生たちも、「○○くんは謎が多いから」「○○くんは真面目だから」と、一線を置いていた。私自身も何度か断られているうちに、きっとお酒の席やワイワイしてる空間が苦手なんだろうなと思うようになっていった。

その日のバイトは彼も私も17時上がり。(彼は日中講義のない日だった)予定もなかったので、私はダメもとで彼を飲みに誘ってみた。

すると、彼はこう言う。

今日は、他の人は一緒じゃないんですか?」

私は、もしかすると二人きりだと嫌なのかな?と思い、ああ、じゃあ誰か呼ぼうか?と提案した。けれど、彼はこう言う。

増田さんと、二人きりなら行きます

それを聞いて、思わず私は目が点になってしまった。

二人きりなのは、もちろん構わないのだけど。

どうしてなのか、それ以上の意味はらんでいる気がする。

その当時、私には彼氏はいなかったのだけど、恋愛対象として見るつもりの全くなかった彼に、まだ働いてる時間なのに不意打ちでそんなことを言われ、(誘ったのは私からだが)少しだけ舞い上がってしまった。

結果、じゃあ、二人きりで行こうか。と、いう流れになった。

はいえ、この時点では全く好意を持ってるとかそんなんではなかった。

なんだか緊張するので、店は個室居酒屋かい雰囲気場所ではなく、バイト仲間の野郎どもと良く行くタイプの、焼き鳥日本酒ビールしか出てこない、常に親父がテレビ野球中継見ているみたいな雰囲気大衆飲み屋へと連れていった。普通、男女のカップルでは絶対に行かないタイプの店だ。

彼は、「僕、こういう雰囲気の店、好きですよ」とにこにこしていた。こうやって二人で飲みに行くまで知らなかったけど、きれいめのファッションがよく似合うおしゃれな男だった。正直、ファッションセンスはとても、ものすごく好みだと思った。

とりあえずビール枝豆乾杯する。飲んでる彼のことを初めて見た。酒が苦手だと勝手に思っていたので、ビールガンガン空けていく彼にものすごくショックを受けた。こんな話、聞いてない。知らない。そんなに飲めたんだ?と聞くと、「酒は好きなんですよ」と、いつもはしないタイプのにこやかな笑顔で笑った。

酒が進むにつれ、彼はどんどん饒舌になっていった。

普段飲み会を断るのは、本当の自分とのギャップに周りがびっくりしそうだから、というのが一番の理由らしく、真面目そうに見えるが実はお調子者で、どんな相手でも絡んでいってしまうので敢えて避けているとの事だった。

また、普段は気をつけているが、そこそこ口が悪いらしく、友達の前だとくだけた口調で話すらしい。

これは、内緒ですよ。なんて口に指を当ててしーっとするジェスチャーをされて、不覚にもどきっとしてしまった。

なんだか、開けてはいけない扉を開けてしまった気分だった。

一軒目の店を出て、そこそこ酔いも回っていたけれど、なんとなく解散ムードにはならなかった。

「もう少しだけ、一緒にいません?」

なんて聞かれて、正直ちょっといい気分だった。

二軒目は、普通に個室居酒屋に連れていかれてしまった。もうどこでもよかった。もうすこしだけ、二人きりで話がしたかった。

そこでした話は、今ではもうほとんど覚えていない。でも、向かい合わせでも座れるのにいつの間にか隣に座ってて、彼が

「酔った増田さん、全然バイトの時と印象違ってかわいいです」

「これ食べます?あーんして」

なんて感じであやされているのは記憶にある。久しぶりに、ものすごく、女として扱ってもらえて、すごくドキドキした。その日の夕方までなんとも思っていなかったはずの彼が、信じられない位かっこいい男の子に見えて、つい、私も、普段隠してた自分の女っぽい部分をさらけ出し始めた。

「このままじゃ帰れないです。責任とって…」

なんて、わかりやすく甘えて。

彼は、そのままタクシー自分の家まで私を持ち帰って、その夜は、最後まではしなかったけれど、それなりにエッチなことを沢山した。

夢みたいな時間だった。

それまで、自分はあまり自分のことを女だと思ってなかった。それなのに、彼は、たった一晩で私の女の部分をこじ開けた。

あんなに真面目そうに見えたのに、どうして。

別に今まで私のこと好きだったとかそんなんじゃないのに、どうして。

家にコンドームがないからと最後のそれは断ったくらい遊び慣れてなさそうなのに、どうして。

たくさんの「どうして」で胸がいっぱいで、でもなんだか嫌ではなかった。

結果、彼とどうなったかというと、このあと彼のことを好きになった私は、次のデート約束を取り付けるものの、そこでふられた。

理由は、「増田さんは僕と似すぎてるからダメ」で、今思い出してもなんじゃそりゃって感じだ。ふられた直後はショックで顔も見たくなかったけど、バイト先で会う手前平然としていなければならなかったし、他のバイト仲間は私たちにそんなことがあったなんて誰も知らない(知ってても困る)から、この期間が一番きつかった。

やがて彼と私は、バイトの中でもお互いに違うポジション仕事担当するようになり、一緒のシフトに入っても、休憩時間さえ被らなければ、顔を合わせることもめったになくなった…………はずだった。

彼は、あの夜以降、なぜかよく飲み会に顔を出すようになった。

今まで真面目で通してきたキャラが一転、女の子大好きキャラになり、女の子からは嫌がられていたもの男の子から面白いと絶賛され、バイト内での友達も増えたようだった。

それを別の輪の中から見ながら、(元気そうでなによりだな)と思っていた私だが、しばらくは彼と会話をする気にもなれず、半年くらいはずっと無言か、業務上必要な会話も明らかに塩対応だったと思う。

年下にいいように遊ばれたな、というのが正直な気持ちだった。そんな自分が恥ずかしくて、なるべく早く次の恋がしたかった。

そんなある日だ。

閑散とする時間だったので、自分ポジションを私一人で回していたとき、急に彼が私のところへ来たのだ。

お久しぶりです」

なんでもないような感じで普通にしかけてくる彼に、私は全身から警戒オーラを放っていたと思う。すると彼は、近寄ってきて、急に手を取って私の手になにか握らせる。

びっくりして中を覗くと、クッキーだった。

「一人で頑張ってたから、ご褒美……」

困ったみたいに言う彼に、なんだかおかしくなって私は大笑いしてしまった。ありがとう、って言ったら、彼は、

「やっと俺に笑ってくれた」

と嬉しそうに笑うので、すこしだけ、やっぱこの人のこういうとこ、スキだな…と思った。

それ以来、つきあってるわけではないのだけど、バイト中に遊びに来たり、一緒に食事に言ったり、バイト帰りに自転車二人乗りでどこかに行ったりと、私がバイトをやめるまでよく遊ぶようになった。

彼は、バイト先では絶対に言わないが私のことを増田さんではなく名前で呼ぶようになり、慣れ親しんだ友達に接するみたいに私をぞんざいな態度で扱うようになった。でも、たまに○○さんの名前かわいい。なんて言いながら頭撫でたりするので油断ならなかったが。

私も、彼のことを好きだったのかどうなのか、思い出してもわからない。けれど、ものすごく一緒にいて楽だった。あの日以来、キスも何もしなかったけど、彼の前では無理せずに、女の子でいられた。女扱いされてなかったのに。

今思えば、お互いに、別に理想相手でも付き合いたい相手でもなかったんだと思う。

ただ、どうしようもなく、性癖に刺さる相手だった。

それはきっと、うぬぼれでなければそうだと思う。

だって、当時こっそり覗いた携帯メモリー、女の名前は私だけだったから。

それがすごく、嬉しかった。

まぁ、彼女じゃなかったんだけどね。

というわけで、私が県外に就職し、3年もしたら別の男とあっさり結婚したのでこの件はわたくしだけの思い出話なのだけど、何が恐いってつい最近私は一方的に知ってしまったんだよね。彼、今わりと近くに住んでるっぽい。偶然見つけてしまった。

なんでなんだろう。

県外も県外、行き先も何も知らせてないのに。

どうやら今は向こうにも相手がいるみたいだし、私も太って誰だかわからなくなったので大丈夫だと思うけど。

でも、今が幸せから願う。どうか、出会いませんように。

たぶん彼がまたあんなふうに仕掛けてきたら、どうなってしまうかわからないなととっさに思った自分がいた。

こんなこと、誰にも言えない

そのくらい、どうしようもない恋を、してしまたことがあるんだ。

母親の話

母親が好きだった。たぶん小学生くらいまではいい人だった。彼女のことをひとりの女性として「ムリ」と感じた話。最近この時のことがフラッシュバックしてきて眠れないので、いっそどこかに吐き出してしまったほうが楽だと思った。大した話じゃない。

3年くらい前だったと思う。当時精神的に参っていて、私は仕事をしていなかった。平日家にいた母親祖母宅に行くというので、車に乗ってとりとめもない話をしていた。ちょうどラジオから結婚CMが流れてきて、子どもの話になった。子どもは好きだが、自分で産む気はほとんどない。でも母親は、私が当然のように結婚して、当然のように子どもを産むものだと考えている人だった。そんな母がなにげなく言った。

子どもを産むなら、ひとりにしておきなさいね。手間もお金も段違いなんだから

マジかと思った。愕然とした。うんともすんとも言えなかった。

私は2人姉妹である。妹はとても優秀だった。国立大に行き、就職大手。母の機嫌を取るのがうまい子だった。どんな喧嘩をしても真っ先に母に告げに行き、いかに私が悪いことをしたのかを強かに告げていたことを思い出した。私は抓られ、怒鳴られ、部屋に閉じ込められ、外に出された。いかに辛いしんどいと訴えても、「お前は甘いから」と繰り返された。熱を出したとき病院へ連れて行ってくれ、ポカリを買ってきてくれたのはいつも父だった。

合点がいった。この母は、優秀な妹しか産みたくなかったんだと、単純に絶望した。

自分でも被害妄想じみていると思う。その時は心も随分弱っていたこともある。しかし今でも「じゃあ私はひとりしか産まないね」とは言えない。子どもを産む産まないの話になるたび、この出来事を思い返しては泣きそうになる。

それ以降、母親に関して様々な「いやなところ」が目につくようになってしまった。そして今では何の期待も抱いていない。一度意見を口にしたとき飲食店内だったにも関わらず、大声で「黙れ」と罵られたからだ。これは反面教師にして生きていこうと思う出来事だった。

とある親戚のうちに遊びにいくと、なぜかそこのお母様にいたく気に入られていて、「あら○○ちゃん!元気?」と体を抱きしめられる。私より背の低いお母様が、私の背中に手を回して、ぎゅーっとしてくれる。それだけで涙が出そうになる。私の母親も以前はこんなことをしてくれていたのだろうか。今では「いい歳こいて夫婦で手をつなぐなんて」と嘲る母親だ。それでも大好きだった。大好きだった。

おいおいそんなの許されるの?

許されるんだよなあ・・・。

いくら政府残業ゼロとか副業可能にとか言ってみたところで、現実問題そんなのに従うのは大企業や優良企業だけだから

地方零細企業にまで浸透しないから。

うちの会社にはそもそもタイムカードがないか残業なんてしてもつかないし、求人とは全然違う内容になっててもどうにもできないから。

会社辞めても転職なんか容易にできないしホームレスになる覚悟でもあれば出来るけどね。

みなし残業とやらと、休日出勤強要されてもただただ奴隷になるしかない。

だってまずハロワに行けないもの

先日、同期が解雇された。

聞いた話だと仕事中の事故会社業務に支障を与えたからと言うけれど、事故とかしたくてするわけじゃないし、そこまでこき使ってたからじゃないの?って話。

同期は会社内容証明を送ってきてたけど、ついでに厚生労働省ヒーローみたいに調査に来てくれないかなあなんて妄想でもするのが関の山

そりゃそんなところにしか就職できなかった自分無能だったという自己責任論になるわけだし、このままクビになるのを待つか病気になるのを待つかしかないんだろうな・・・。

2018-01-16

仕事をやめたのを家族内緒にしていた人の話

元同僚の友人の話

僕の友人は40代後半に妻をガンでなくした

それまで人並みの給料をもらっているのに贅沢を全くといっていいほどしなかったのでただでさえ金があったのに、さらに妻の退職金保険金、あわせて3000万円がはいってきた

妻が死んで働く気力がなくなった

子供はまだ小学生だったがある程度の金融資産があるのでやっていけると思い、年老いた同居している母にはいわず小学生の娘にも言わず会社をやめてしま自分退職金も手に入れたのだ

それまでは休日も月に3度くらいしかなく朝7:00に出社する毎日だったのだがそれから毎日することがないが家族には内緒なので、図書館に行ったりスーパー銭湯に行って過ごしていたという

そんな生活を3年以上続けていたがあるとき、別の家に住む妹に「ボロいか実家を建て替えろ」といわれた

余計なお世話と思いながらも母親のこともあるし無碍にはできず一応母親相談した、老人というのは生活が変わるのを嫌がるので反対すると思ったのだ

ところが母親はぜひ建て替えたいといい、見積もりをすぐ取るように言ったのだ

見積もりは約2000万、もちろん仕事をやめているのでローンは組めないので現金で払うしかない

現在7000万ほどの現金はあるもののそこから2000万をひかれ、年間200万ほどの生活費さらにこれから子供教育費がある、自分の老後の金がほとんどなくなってしまうのだ

会社のある地方都市まで車で45分かかっていた酷い田舎子供地元で就学、就職することはないため、子供独立したら高齢者賃貸に引っ越す予定だったのだ

10年後に誰もすまない家に2000万もかけられない」と言っているのだが果たしてどうなるか

anond:20180116071707

読み手側のライフスタイル的に、 時間  と  気力  がない。

これに尽きるんだろうね。

 

ソシャについても増田は書いてたけど、

自分も昔は、ソシャなんてものに数万も使うならそのお金

なんでより作り込んでて楽しめるコンシューマ買わないの?と思ってた。

 

でも一度転職間中ニートした事があって

その時は暇だったかコンシューマをやりこんだものだけど、

でも就職してからはほんのわずかすら触らなくなった経験を経た事で

自分でこの理由に気付けた。

 

結局、仕事家事ニュース見るのに時間取られて

そんなの触ってる暇ねーよ、っていう時間的制約と、

あと仕事で疲れてるから能動的にプレイするものじゃなくて

画面見てボタンを数度押すだけの簡易的なものが良い、

疲れてるから壮大なのや設定が多いのは見たくなくなり、

空っぽで見れて、且つ何時切っても良い話が好まれ

という気力的な問題があるのが原因らしい。

 

話題作で、面白いのは分かってて、凄いのも分かってる、

 でも見るだけの時間と気力がないんだよ!」

という、趣味嗜好の問題じゃなくて、作品の良し悪しでもなくて

ライフスタイル作品の売れ行きが左右される状況になってる。

 

案外、定時で帰れる人、仕事が体力的に辛くない人、通勤が辛くない人、

実家住まいなどで家事をあまり気にしなくて良い人なら

結構ゲームプレイできるんだろうな、と思うが

それだけそろってる人が今の日本だとあまり居ないのが

増田の言っている良作が売れない原因だと思う。

 

そうなると学生ターゲットにするかと思うけど

お金がそれほどない上に、LINEなどの付き合いで忙しいか

彼らも時間が無いし疲れていから無理だしね。

 

そんなわけで、読み手になる人が少ないのが問題なんだろうと思う。

 

BIが日本に導入されたり、そこまで行かなくても

家事簡単になる、通勤せずにオンライン勤務が流行る、

スーツ着用義務が無くなったり、満員電車が解消したり、

LINEで返事するのが礼儀みたいな風潮がなくなって

自分だけの時間が十分とれるようになる、など

ライフスタイルが変われば皆時間が持てるようになり、

結果的にまた良作が売れるようになると思いたい。

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