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2021-03-09

anond:20210308173216

私は神戸大学時代を過ごして卒業後に就職茨城県へ,で阪神淡路大震災

その後に東京赴任から10年を経て大阪へ転勤阪神間に転居,で数年後に東日本大震災

なんかムズムズと後ろめたさみたいな気持ちがあるのは分かる気がするよ。

自動応対orオンラインで解約できるプロバイダを教えて欲しい

就職研修中は会社の寮に住む予定だから、今まで使ってた光回線を解約したんだけど、

手続き電話じゃないとダメだった。

仕方なく電話を掛けたのだが、最初お客様番号を入力したのに、

オペレーターに繋がって最初に聞かれたのがお客様番号。

この時点でなんか嫌な予感がした。

続いて解約理由と住所の確認

有料オプションの案内。

モデム郵送返却の案内。

最後に解約後に何かあったときのための、電話番号の確認

結果、通話時間が15分もかかっていた。

固定電話がなくてスマホからかけたかフリーダイヤルが使えず、通話料はこっち持ちなのに。

かかった時間は15分。30秒で20円だから通話料で600円。

電話中既に腹が立っていたけど、この解約の電話で苦情をぐちぐち言ってもさら通話料がかかるから

その後すぐにメールで苦情を入れたところ、

「解約手続きには契約に関する詳細な確認・案内が必要。違約金発生の確認もあるので。」

と返ってきた。

んなわけねーじゃん。

携帯電話機種変更水道ガス電気の解約もオンラインでできるこのご時世、

んなわけねーじゃん。

客にとって御社で利用する最後サービスの”解約”がこんなにお粗末なのってどういうことなんだよ。

システム開発も満足にできないのかよ。

就職後に配属されたら再び一人暮らしから再度ここを契約しようと思っていたが、

もう絶対にこのプロバイダは使わない。

タイトル通りだけど、電話チャット自動応対orオンラインで解約できるプロバイダがあったら教えて欲しい。

適当会社転職して、入社一週間で後悔している。

当方30歳、女。

もともとは化学系の特定派遣をやっていた。

特定派遣という業界に思うことのある人は多いだろうが、私にとっては良い会社だった。社員距離感自分に合っていたし、基本給は高いとは言えないが福利厚生は十分に揃っていた。

家庭の事情引っ越しが出来なくなり、派遣として働くことが難しくなってしまった。やむを得ない退職だった。

有給消化で自堕落生活をしつつ、合間に転職活動をしていた。

化学というもの自分には向いていないような気がして、全く違う業界から転居が不要場所にある企業を片っ端からブクマし、気が向いたら応募していた。

ある日、サービス業からスカウトメッセージが来た。

通勤はさほど大変ではない。完全年寄り相手事業内容には一切興味がなかったが、業務内容には興味があった。

面接トントンと進み、あっさりと就職が決まった。「○日から来てください(その電話の5日後の日付)」って、普通いいですかとか了承を取るもんなんじゃないかと思った。

履歴書白紙の期間ができなくて済む。

職歴に間があくと、年金とか保険とかの手続き自分でやらないといけないことが面倒。

来てほしいって言われたし……

とかなんとか、押しに弱い性質が響いたのか、まあいいか……とここに決めてしまった。

電話が来た日は不安で、普段しない親への電話などをしてしまった。

入ってみて。

風通しの良い社風だとは聞いていた。確かに社員間の風通しは良い。

が、パートのお局2大巨頭が強大すぎた。挨拶するだけマシ、しないギャルババアもいる(本当にギャルみたいなのだ、見た目はどう見ても40代後半だが)。

雑談には一切乗らない。挨拶をしないやつが世界で一番嫌いな私は既に毛根が死にかけている。


~ここから自分語り~

近くにグループがあるのに、「自分だけ会話に加われない」という状況がとてつもなくストレスになるらしい。

それらしいトラウマ体験に心当たりは、あるようなないような、という具合だが。学生時代記憶が本当にぽろりと抜け落ちてしまっているのだ。

ただし、こういう話をしようとすると、感情とは関係なく涙が出てくる。今も書きながら涙が出ている。自分の中でなにかの防衛機能が働いているのだろうとは思う。

まり、すぐ近くにパートのお局がいるのに、自分だけ(同時に入った社員も同様なので、自分だけではないのだが…)が会話に入れず、ハブられているという今の状況は、非常にストレスになっている。

給与が低いのは別に構わない。前も高くはなかったし。と思っていたが、思ったより見合っていないと荒むものだ。それなりに良い大学は出ている。

将来性がないのはまあ構わない。こんなところいつでもやめてやるという気持ちになれる。

とにかくずっとモヤモヤし続けていて、まとまっていないのだ。

よく考えないで就職するからだろカスと言われたらまったくそのとおりである

自分のやりたいことがわからないし、何が向いているのかも未だにあんまりわかっていない。

とにかく自己評価が低いからこういう行動をしてしまったんだろうな、とは今にして思う。

いつでもやめてやるぞーーーーー

2021-03-08

同じように悩む社会になれという呪い

後輩たちの理想になることは諦めた。

からせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。

今日国際女性デー

本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。

塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)

ここ最近、女とか男とか、人生で一番考えている。

小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形たまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。

小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子恋愛対象にはならないかOK、ということだ。

中学に入ってもそれはあまり変わらなかった。

お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。

やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。

そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなた絶対女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。

結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。

ギャルヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服スカートズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。

強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。

学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。

ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。

日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。

そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。

高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリ文系である自分文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである

入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。

多分1週間も持たなかった。

一瞬で最初グループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。

見れば、同じ高校同級生だった。

そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である

女子高を卒業し、大学学部バイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社就職した。

久々どころか人生初の男社会

総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。

どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。

社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。

「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。

「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」

前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。

今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。

会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。

性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。

もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。

自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。

いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。

女性採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。

でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやす会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ

から、やっぱり続けたい。

優遇してくれとは思っていない。

ただ、男性と同じところに立たせてほしい。

だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。

結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さん子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。

ただ、この状態総合職男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。

キャリア子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。

同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。

「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないかだって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚出産は考えられない、と判断した。

男性も本当に同じように悩むんだろうか。

大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身子どもはいない率に茫然とする。

きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性活躍できる場を広げてくれた。

ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。

一緒に頑張ろうと言っていた同世代女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。

幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。

子どもを産んで仕事に復帰した女性なんてたくさんいるよ」

そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。

だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。

それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか

男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。

気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。

これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。

男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。

そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。

後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。

そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。

自分ラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから

それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。

私の心がそれまでに折れなければの話だけど。

日本社会ジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。

なれるかな。

なれたらいいな。

この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。

少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。

anond:20210308171439

だいたい毎日いつも行っている夢の世界のどこかで夢を見る感じです。

私は北海道の小さな街の生まれで、例えばそこを天塩中川だとしましょう。

中川町の自宅付近もっとも夢に見る場所です。自宅内や庭先、自分の部屋(床についている夢が多い)、町内会くらいの規模で夢の街を思い起こすことができます

だいたい、自宅付近不安な夢になる場合が多いです。時間に間に合わなかったり、課題をしなければならないのに家に戻らなければならなかったり。

小学校にいる夢が一番頻度が多く、ついで中学校高校と続きます

空間的には、中川町には南側に「佐久」という小さな集落があるのですが、ここもよく夢に出ます

自動車で行く場合大きな橋を渡ると交通に便利なのですが(裏道あり)、この橋が渡りにくかったり、河川敷で何かしなければならなかったりして結構大変です。

天塩中川町の北方には、幌延とか豊富とか小さな街があり、最後稚内に行きます。近隣の天塩町含めて、全部夢の中で訪れることがあります

南方には音威子府村があり、美深、智恵文、名寄風連、多寄、士別、剣淵、和寒旭川にたどり着けます

それぞれ夢の街があり、特定の入れる家がある感じです。水族館みたいになっている家や、お土産が売っている家、誰もいない家。

美深のあたりで天塩川を渡らねばならないのですが、たまに橋がないことがあり、難儀することがあります

他にも特定の沢や川が記憶にあるようで、よくそこで作業をしたり、洪水や増水の被害にあったりします。ダムもよく夢に出てきます朱鞠内湖とか。

歩きで移動するので、一回の夢で例えば旭川から天塩中川まではたどり着けたことは多分ないと思います。車を用いても手前の音威子府あたりが限界です。

おそらく、親が自営業旭川稚内までよく車で一緒に乗って行っていたのが記憶にあるのだと思います

高校旭川だったので、旭川の夢もよくみますショッピングモールとか。

大学札幌で、駅の周辺がよく夢に出ます。ただ、配置はかなりランダムで、変なところにカプセルホテルがあり、馴染みの居酒屋も変な場所にあります。夢の中ではいつも同じ場所です。

札幌はだいたい時間帯は夜、季節は冬の場合が多いです。

大学生の頃の冬に、すすきので飲んだ後ずっと歩いて家まで帰った記憶関係しているのかもしれません。

札幌から東の方に車で行くと、空港があります新千歳空港なのでしょうか?

チェックインを済ませて飛行機に乗ると、東京ハワイに行けます

東京からは親戚のいる伊豆半島に行けます

旭川就職して10年以上経ちます

最近ようやく、自分マンションとその界隈が夢に出てくるようになりました。

子供の頃のメインだった場所の夢と比べて、不安な要素はかなり抑えられていますパンお菓子を買いに行こうなどの夢です。

もちろんここから実家に帰るパターンもあります。たどり着いたことありませんけれど。

夢の中では小学校からすら帰れません。色々な事情で寄り道が発生し、途中の公園までが限界です。

最近は、札幌旭川マンションを両方借りたままになっていて家賃が大変な夢だったり、前の彼女と今の彼女と知り合いの女性と全員同時に交際していることになっており(大変!)、これはまずい、ととても不安になって朝目覚めて安堵することが多いです。

明日の朝目覚める直前に見る夢も、きっとこのどこかでの出来事になる(と私が認識しているだけなのかもしれないのですが)と思います

気づいたらまわりが夢中になってて、日常侵食してくるアニメだった

エヴァンゲリオン、四半世紀続いたこともあって、見始めたきっかけや時代もそれぞれ違うんだろうな。

朝一の回でシン・エヴァ最終章見てきたけど、妙な脱力感。

ここに至るまで随分かかったな…なんて思ったり、思わなかったり。

これから続々出てくるであろう、ファン感想、思い出話を見るのが楽しみ。


自分ファンではないけど、アニメ好きでもあり、周りが盛り上がっているのを眺める機会が多かった。

テレビシリーズリアルタイムでは見ていなかったけど、

美少女キャラに目がないのと「ふしぎの海のナディア」繋がりで存在自体は知ってた。

でも見るきっかけになったのはブームが始まったあと。

転勤族日本アニメをろくに見れる環境ではなかったけど、

海外から帰国後、転校先の学校放送ジングルで流れてた「残酷な天使のテーゼ」がきっかけで色々知ることになった。

流れるたびになぜか周りがノリノリで歌い出す謎現象が起こったので

不思議に思って何の曲か聞き出して、そこで作品名合致再放送を断片的ではあるが見ることになった。


その数年後、海外にまた引っ越しときに現地の学校不思議光景に遭遇することに。

放課後パソコンから日本語で歌う外人たちの歌声が聞こえてビビり、耳をすましたらまさかの「残酷な天使のテーゼ」。こ っ ち も か 。

ちょうどYouTubeが出始めたころだったから、OP動画を見ながら歌っていて、そばにいた先生苦笑いしながら何の歌か聞いてた。

日本アニメ海外でもウケていることを実感させてくれる出来事だったので特に印象に残っている。


帰国後、受験に失敗してアニメ鑑賞にさらにハマった宅浪時代、「序」が始まるということで、ここでやっと全話一気見。

同時に、綾波だけを長年描き続け、昨年引退した人の薄い本などにも何度もお世話(意味深)になった。

そんな感じで準備して映画館に見に行き、3DCG活用しまくった映像の迫力には驚いたものの、

キャラデザの見た目の変化に違和感を感じたり、中身については焼き直しであまり楽しめず、寝そうになるのを堪えてた思い出。

でも、まさかここから完結するまで13年も経つとは想像つかなかったなぁ。

一方、「破」「Q」公開時も周りは「XX回見に行った!」「内容はわからんおっぱいはすごかった」でめっちゃ盛り上がってた。

ちなみに、Qが公開された年は就職失敗で大学卒業直後にアルバイトを始めたときだったけど、その移動中の電車シンジくんの中の人に遭遇。

大変な時期だったけど、前述の諸々の出来事を経て、主人公役の声優に偶然とはいえ会えたことは嬉しかったし、確実に元気をもらった(その後は無事第一志望に入った)。


そんなこんなで、庵野氏も還暦を迎えるほどの月日が経って最終章本日公開。

今回はどうしても気になり、月曜日だけど勤務時間に間に合わせるために朝一の回で映画館に行ってきた。バルト9だとメディア取材も入ってたね。

なにを言ってもネタバレになりそうなので避けるけど、

知っている名前が多く出ているスタッフクレジットを眺めるのは楽しかった。

自分世代を含め、各世代で有名なアニメーターが集結してたし、新旧いろんな会社が集まって作り上げた感じが分かって良き。

と同時に、物語最後を見届けることができなかったファンも多くいたんじゃないだろうか、と思うほどに25年の月日の重さを感じた。


自分はドハマリすることはなかったけど、意識しなくてもエヴァ日常侵食してきたり、

周りの人たちが夢中になっているのを眺めたり、長い間楽しませてくれた作品だった。


とりあえず、完結おめでとうございます

フェミニスト(仮)と婚活の相性は、良くて悪い

自分ではフェミニストだともリベラリストだとも思ってない。正確に言うと「日本一般に思われてるフェミニスト」ではないと思ってる。表現規制かに対してはむしろ擁護側(なんでもかんでも良いとは言わないが規制する時は慎重に派)だが、選択夫婦別姓性的同意年齢の引き上げ、アフターピル問題については概ね「フェミニスト側の立場」だ。

でも家族に対する憧れはあるし、結婚もしたい。子どもも産みたい。でも自分専業主婦になったら、仮に離婚したり、夫と死別したりしたらその子学費はどうなるの?と思うから家事育児外注して自分キャリアを追いたい。そのために学歴就職も人並み以上に頑張った。

さて本題だが、前の恋人と別れて1年経ち、コロナ自粛や自宅勤務もあって出会いが無くなった。そう焦る年齢でもないが、Twitter婚活とやらに前々から興味があり、試しにアカウントを作って相手を募ってみた。

自分結婚しても働きたい、家事育児アウトソーシング希望

学歴年収性別や年齢を考えるとまぁちょっと特殊だが、目を引く条件はこれだったと思う。

深夜のノリでアカウントを作ったので、ツイートをしたのも深夜だったが、思いのほか反響があり、普通Twitter婚活ツイート10倍ほどRTいいねがあった。開放したDMには何件も応募があった。面白かったのは、私の呟きを見て「Twitter婚活というのを初めてやるのですが」と、恐らく普段から使っているオープンアカウントから挨拶をしてくる人間が多かったことだ。

メインアカウントから応募が来るということは、相手普段どんなことを考えている人なのかが簡単に見えるということだ。RTいいねある意味深層心理を知るにはうってつけの材料なのかもしれない。

でも今回はなかなかこれが厳しかった。とにかく所謂アンチフェミ」が多いのだ。私は最近トランス差別に躍起になっているラディカルフミニストにも多少苦手意識があるが、攻撃性を隠さなアンチフェミアカウントもとにかく苦手だ。嫌いと言ってもいい。自分がそこそこ実家が太いという背景もあり、マジョリティ強者が持つべ責任みたいなものには人一倍敏感なのだが、「年収1000万以上」「旧帝国大学卒」と名乗る彼らがなんだかよくわからない恣意的統計をとるアンチフェミアカウントいいねしていたり、選択夫婦別姓に対してとにかく冷笑的な態度のツイートをしていたりするのを見るとクラクラする。

いやこの際思想自由だ。でもなんでそんなアカウントが、よりによって私のツイートを見て「惹かれました」とDMを寄越してくるのかがわからない。なんだろう、あまりにも都合がいいところだけ享受しようとしていないか

LGBTって言うほど弱者か?

ゲイバイ男性MtFは男って時点でストレート女性に比べて圧倒的に強者だよね。

女性とか障害者と違って進学も就職別に差別されてなくない?

からビアンバイ女性ストレート女性並みに大変なのは分かる。

ゲイ同級生がいるけど、普通に上京して良いところ就職して稼いでる強者だよ。

大学でもLGBT運動してる人たちいたけど、バイトもせずに運動してさぞ裕福なんだなって思ってた。

勝手異性装したりストレート男性を好きになって生きづらいって我儘言ってるだけで、

体や顔とか運動機能は健常な人がほとんどなわけだし。

これでLGBT権利がどうこう言われても何言ってんだこいつらって思う。

anond:20210308161945

努力確率を上げるだけだけど、大体確率が上げる人は何やっても確率が高いので一つ二つ失敗してもすぐカバーできるように思う。

学歴の例なら高校受験で失敗したけど大学受験では成功した、とか、大学受験失敗しても就職では成功した、とか

anond:20210307062014

オレも記憶にある限り、小学校では作文/感想文の類は1回しか提出したことないな。どんなに怒られてもひっぱたかれても廊下正座させられても書けないものは書けないんだ。でも就職して仕事の用件を伝えるとか、何かを説明するとかなら全く問題なくこなせることに気が付いた。

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (2)

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デュマ・フィス「椿姫

個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。

ちなみに主人公独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまものです」。……バレましたか

野尻抱介太陽簒奪者」

自分日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。

この作品は、太陽の表面に異星から物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。

ちなみに日本SF作家をより広く読むようになったのは大森望日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝

オルハン・パムク無垢博物館

三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公結婚約束をした女性から婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い

ところでトルコという国は、女性スカーフを被るかどうかだけで政治的立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。

マヌエル・プイグ蜘蛛女のキス

映画オタクゲイ政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話であると同時に、ゲイお気に入り映画を語るとき調子推しについて語る幸せオタクのものである安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。

リチャード・ブローティガン西瓜糖の日々」

大学時代年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。

彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガン絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。

町田康パンク侍、斬られて候

就職のために架空宗教団体によるテロでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間クレーマーおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチ基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチギャグ結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。

トーベ・ヤンソン「たのしムーミン一家

ムーミンシリーズ以外のヤンソン文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。

児童文学短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。

全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニールヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。

マリオバルガス=リョサ「悪い娘の悪戯

嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽ存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。

これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこら悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。

バルガス=リョサには基本的にどれも面白い

D・H・ロレンスチャタレイ夫人の恋人」。

猥褻だということで昭和時代裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。

表現露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。

ピーターワッツブラインドサイト

最強のファーストコンタクトものひとつで、ネタバレするとオチは「意識クオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。

基本的構造は「宇宙ランデブー」の変奏で、未知のエイリアン遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配

それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼ゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?

以上。

家賃保証会社問題解決策の検討天涯孤独でも生きていける社会

※末尾に追記あり最後追記したのは 2021/03/08 23:40頃※

3月になり、進学や就職転職などといった人生イベントが発生して転居するという方もそれなりに多いだろうと思います。その中には入居できる部屋が見つからずに苦戦されている方も居られることでしょう。私の過去経験から、入居できる部屋が見つからない原因の一部は、いま賃貸住宅市場存在する「家賃保証会社」なのではないか、と想像しています

3行まとめ

この記事は長いので、ここに3行まとめを置いておきます

筆者のポジション

この記事に限らず、人間が発する言葉はほぼ全てポジショントークです。なので初めにポジションを明かしておきたいと思いますマウンティング目的ではありません。

極端な話、私は安い家なら買えてしまうので家賃保証会社問題に触れずに生涯を送ることができてしまますが、天涯孤独若者が生き易い社会を作りたいと強く願っています

この記事構成

まず、長々と筆者の経験談が並びます

その後「賃貸住宅市場はどうあるべきか?」のところで意見が述べられています

筆者の経験その1:市場健全だった頃の話

2009年頃、私は引っ越す必要に迫られました(大阪市内から大阪市内へ)。このとき初めて、家賃保証会社存在を知りました。体裁は「連帯保証人を用意できないのならば、保証会社お金を払って保証を受けて下さい」というものでした。この仕組みはとても納得感のあるもので、連帯保証人を用意する手間に比べれば、初期費用家賃1ヶ月分程度の出費は圧倒的に安いものでした。もちろん保証会社契約しました。

保証会社からは緊急連絡先を求められましたが、勤務先の情報提供することで了承を得ました。のちの体験に比べればとても良心的なビジネスでした!

信用の無い人間から金を取って信用を作り出すという仕事、これは資本主義社会においてとても尊いものであると思います大事なことは二度言う)。

2010年とある時期、私が仕事上の炎上案件に巻き込まれ残業まみれになり、一度だけ家賃の振込を忘れたことがありました。締日の翌日には家賃債権保証会社譲渡されたらしく、保証会社から電話がかかってきました。まぁ、電話の声は明らかにアレな雰囲気なんですが、世の中にはカタギの人でもそういう見た目だったり声だったりの人もいますし、そこは目を瞑りましょう。過労のあまり締め切りまでに振り込まなかった私が悪かったです。その日の夜23時に退勤したあとすぐに24時間営業ATMから家賃保証会社に振り込んで、保証会社電話しました。

この家から退去するとき大家さんから告げられたのは、当該の保証会社倒産していたという事実でした。まぁ確かに収益厳しそうだよなぁ、と思ったのを覚えています

筆者の経験その2:帰国

ワーキングホリデーを終えて日本帰国しました。最初ホテル住まいで、一般に言う「住所不定無職」というやつです。住民票の住所はホテル所在地として役所に届けたので、法的には住所のある無職といったところでしょうか。

そして家探しをする訳ですが、無職なので当然のように家賃保証会社審査には通りません。不動産屋さん曰く、銀行の残高証明とか出せば審査に通るかもしれないよとのことで出したりしましたが、当時150万円弱の資産では通りませんでした。民間で探すことは諦めて、URで家探しをしました。

URでは、家賃&共益費の1年分を前払いすれば経済面審査を通過するという「家賃等の一時払い制度」という神のような制度(実際には敷金2ヶ月分もかかるので、14ヶ月分のお金必要)がありますワーキングホリデーで私が海外に行くことができたのも、この一時払い制度というセーフティネット存在を知っていたからです。死守していた150万円弱という貯金は、これを利用するためのものでした。

URでは、良い条件の空き部屋はすぐに見つかりましたが、改装工事中とのことで「入居は2週間後」と言われました。ホテル代で2週間も費やすと入居後の生活に困りそうな状態でしたので、窓口のお姉様に泣きつきました。すると、しばらくしてお姉さまが、書類上は改装工事中なんだけども物理的には工事完了している部屋、みたいなものを見つけてきてくれて、土下座する勢いで感謝しました。このURの窓口のお姉様は私の命の恩人だと言っても過言ではありません。契約後に緊急連絡先は求められましたが家族は居ないし無職でこれから就活するところだ、と伝えると免除してもらえました。結果的に、無事に入居して就職活動を進めることができました。また、すぐに就職できました。

余談ですが、就職から親族の緊急連絡先を求められましたが「それが必要ならばこの雇用契約白紙に戻させて下さい」と突っぱねたところ、了承を得ました。職業スキルがあって本当に良かったです(たぶん未経験就職なら「じゃあ白紙に戻そうぜ」ってなってたと思います)。

筆者の経験その3:東京

2017年収入を上げるためには、家賃相場満員電車の消耗を差し引いたとしても東京の方が有利かな、と思い東京で家を探していました。

この時、2009年当時の感覚、つまり就職先という緊急連絡先さえ用意することができれば容易に賃貸契約を締結することができる、という認識はいましたが、家探しの時点では内定が出てた訳ではなかったので、職場を含めて緊急連絡先を用意することができず、民間賃貸住宅を借りることを断念しました。「敷金1年積んでもいいから!」と不動産屋さんで懇願しましたが、3件回って全滅し、心が折れました。

当然にUR検討する訳ですが、当時、東京都内の目的エリアに近いところのUR賃貸住宅は、満室であるか、月額家賃が30万円を超えているか、といった状態でしたので、東京に隣接する県のUR住宅に住むこととしました。これは現在の家になっています

筆者の経験その4:東京・再試行

2019年東京での仕事に慣れたので、通勤時間を削減するべく、目的エリアの近くで賃貸住宅を借りようとしました。築10年ほどの1DKの家が月額家賃12万円みたいな区域ですが年収800万円あるので、収入に占める家賃比率20%を切ってます問題にならないはずだ、と認識していました。

ところが、家賃保証の動きは変わっていました。

私があたった不動産会社3社から紹介される家賃保証会社では全て、「親族の緊急連絡先」を必須としていたのです。2017年時点ではまだ職場を緊急連絡先とすることで家を借りる道筋存在していたのに、それが途絶えていたのです。

後述の、人権侵害のことについて考えながら、挫折しました。

賃貸住宅市場はどうあるべきか?
人権侵害可能

私のようなポジション人間、具体的には

という4要件の揃った人間は、少なくとも筆者が経験する限りにおいては、今の賃貸住宅市場の商習慣のもとでは、住むことのできる住宅

という方法しか調達できないという状態になっています年収が800万円だろうが1000万円だろうが、住宅購入の資金が貯まるまでは選択肢は狭いままです。

これはひとえに、現状の家賃保証会社親族の緊急連絡先を必須としているからです。

我々のような、「親族が一人も居ないという卑しい身分人間」は民間賃貸住宅には住むな、と言われているようなものです。

URも、いつまで存在し続けてくれるのかわかりません。UR運営を停止したり、UR管理物件老朽化が進んで住めなくなったり、家賃保証会社が現状の業態のまま普及率をさらに上げて溢れた人間UR殺到して空き部屋が無いという状態になったり、様々なシナリオが考えられます。こうなると、我々のような人間かつコネの無い人間は、その時点で貯蓄が無ければ路頭に迷います職業能力があって仕事があっても貯蓄が無ければ住所不定です。

このような状況というのは、日本国憲法 第22条「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住移転及び職業選択の自由を有する。」に反するものであると考えています私たちは、家賃保証会社に「親族の緊急連絡先を提供できない者は住まわせない」という差別ビジネスをやめさせることによって、我々の人権を守らなければなりません。

ある程度の貸主保護のために

私たち人権を守ることと同じくらい、貸主の財産権が守られることも重要です。

家賃の滞納や、通常の使用では発生し得ないような汚損等によって、貸主の財産権侵害される可能性があります。このような事象が発生したとき、貸主は借主に家賃の支払いを求めたり損害賠償請求をしたり、時には強制退去という手段に出る訳ですが、現行法の下ではこんな手段に出るためのハードルは高く、あっという間に貸主は大赤字です。

そこで家賃保証会社の出番が来たというのが現代社会ですが、そもそも現行法が悪意または重大な過失のある借主を含めて借主保護に過剰に傾いているからこそ、斯様なビジネスが興った訳です。

どのような制度であるべきか?

以下のようなもの想像していますが、他の設計でも諸問題解決することはできるでしょうし、私のような法制設計素人が組んだものよりはその分野に詳しい方が組んだ方が良いでしょう。

素人が作った制度なんでザルな部分だとかその他の不具合存在したりするかもしれないですが、政策立案の場面で参考にしてくれたらとても嬉しいです。例えば「親族の緊急連絡先を求めることを禁止する」というだけの改正をした場合、私のような人間は嬉しいですが貸主の保護が弱くなってしまますので、前述の改正は同時になされるべきです。

こういう法規制が仕上がったとき家賃保証会社は今の業態のままでは仕事が少なくなるので業態転換をする訳ですが、どのようなビジネスをすることになるでしょうか?私が想像するところでは以下の仕事です。当事者や賢い方なら他にも「三方よし」なビジネスを思いつくかもしれません。

あと、なんか滞納について厳しいことを書いてますけど、これは経済的に困窮したものはタヒねって話ではなくて、生活困窮者を保護するのは大家ではなくて政府だ、ということです。生活保護をもってしてもまだ滞納するのは、それは追い出されるべき悪であるか、身体障害等があって振込という動作支援必要であるか、生活保護の額が世情に合致していないか、のいずれかでしょう。

なんにしても、多くの人が幸せになれる社会であって欲しいと願うばかりです。

余談

雇用契約についても、「連帯保証人を設定すること」や「親族存在すること」を雇用契約の条件に入れることは出生環境による差別ですので、違法とする方向で進めましょう。

追記2021/03/08 23:40頃

追記こちらへ anond:20210308233904

15:20頃の追記リンク先に移動しました。

2021-03-07

どうして死なせてくれなかったと言われた

めちゃくちゃ長くなるかも

気持ちを整理したいので、便所の落書きと思って勘弁してください。

兄は30前半で、俺は20代半ば。

俺たちは四国のド田舎で生まれ育った。

兄と俺は年齢的に小学校で被らないくらい歳が離れていた。

兄は昔から家の中では積極的に誰かとコミュニケーションを取るとタイプではなく、自室でずっとこもって過ごすことが多かった。

そのため俺は兄弟ゲンカ以前に兄と遊んだ記憶殆どない。周りの家族を見れば兄弟仲が良いのが普通であったので、物心着いたときから俺と兄はギクシャクしていて、互いに存在を心から飲み込んであげるにはちょっと喉がつまるそんな関係だったと思う。

しかし一方兄は家の外では、その知っているところに限りはあるが、サッカー部に入ったり彼女を作ったり青春していて比較的人気者のポジションにいたらしい。(ド田舎なので勝手情報が耳に入ってくる)

弟ながらそのギャップはずっと謎だった。

家のなかでの態度は思春期特有反抗期限定のものではないみたいで、兄が都内某国立大学に進学したまに帰省したときも、兄は殆ど自室にこもり母親とだけ最低限の会話をするくらいであった。

(ちなみにみな兄をネグレクトしている訳ではなく、兄は大人になっても家族からの問いかけには反応が薄いか無視が多かった)

兄が大学卒業して都内企業就職した後、俺もたまたま同じ大学入学して院まで進み、卒業後は関西で働くこととなった。

実家という唯一家族と兄と俺を繋いでいた場所から二人とも離れてしまっため、兄弟間の接点はなくなってしまった。

俺は新卒で働き始めた会社に今も勤め続けているが、家族から聞いた話だと兄は新卒で勤めた中小企業一年以内に退職した。

その後実家に戻り一年休養し、働き口を見つけるものの、すぐに退職、そしてこういうループを繰り返していたという。

根気の問題か、深刻な精神問題か、ブラック企業にあたったのか何なんだろうなと考えたものの、その時はそこまで兄について意識したことはなかった。

(こういうことを書きたくないが、入った会社は全て大学名に見合わず、またブルーカラー的要素があるところで、何故ここに?とは毎回疑問には思った)

俺が社会で働き初めて数年ある程度経ったそんなある日、母親から兄と音信不通になったとLINEがあった。

その時兄は都内企業に勤めていたのだが、無断欠勤が続き連絡も取れず、兄の上司から実家へと連絡があったというわけだ。

当然会社だけでなく誰が連絡しても全く連絡が取れない状況であり、両親は精神が参って疲労困憊であった。

四国田舎から東京に出るのも困難だったため、俺が有給を数日とって代わりに東京に向かい、まず兄の上司と合流することとなった。

出会った兄の上司は気さくな印象を持たせるおじさんであった。

遠くから東京にきたことや兄の弟となる俺のことを気づかってくれて明るい口調で色々と話してくれたのでこちらとしては特に緊張することはなかった。

早速上司の車でまず兄の家に向かうことになり、道中で色々と話を聞いた。

兄はその会社に3ヶ月前に入社したらしく、その時は研修真っ最中であったらしい。

特に変な様子はなかったとのことで上司は兄のことを一層心配していた。

目的地に到着し車から降りると、そこにはコンクリート造りのデザイナーマンションがあった。

かに洒落な外観であったが、どちらかと言えばコンクリの無機質さとそれが不調和な気がして、不気味な印象を抱いたのを覚えている。

チャイムを鳴らしてみたが全く反応はなく、母親から預かった合鍵をつかって部屋の鍵を開けた。

(母親退職を繰り返す兄のことを以前から心配しており、何かあったときのためにと兄から合鍵を貰っていた)

「開けた瞬間倒れてたりしないよな」「もし死んでたら親に何と言おうかな」など嫌な緊張に後押しされながらドアを押した。

電気をつけるとそこには整然とした空間が広がっていた。

家具食器などは全て最小限で、またその全てが有るべき正しい位置に正しく設置されているという風に家主の哲学を感じさせるモデルルームみたいな部屋であった。

ゴミなんかは全くなく、生活感は完全に欠落しており、建物の外観の組み合わせとは対照的に、このコンクリート空間が生み出す無機質さとマッチして空虚な部屋を作り上げており、何故かしっくりきた。

1LDKでミニマリストのような部屋だったので全体を見るのに時間はかからなかった。

兄は部屋にはおらず、死体第一発見者にならなかったことに正直安堵した。

上司ふたりで部屋をきょろきょろしてると、上司が「弟くん」と声をかけてきた。

上司が立つ玄関近くに向かうと靴を収納する棚の上に置き手紙があり、そこには「申し訳ございません探さないでください」という殴り書きのメモがあった。

この時の感情はよく覚えていないが、しばらくの間上司と無言で過ごしていたと思う。

失踪が確定したのとメモの衝撃で、このときには上司最初笑顔は消えていた。

その後上司と、今兄がどこにいるのか探そうと前向きに行動することに努めた。

部屋にあったパソコンから何か情報を得られないだろうか。

色々とトライアンドエラーがあったが、兄のパソコンスマホが同期されており、検索履歴確認することができた。

履歴を見ると自○の方法やその他ネガティブ言葉が多々見られ、精神的にまずい状況というのはすぐさま理解できた。

肝心の居場所だが北海道とあるホテルへのアクセス方法を調べており、北海道にいる又は向かっていると俺たちは推測した。

それからパソコンメモ書きを持ち出し、一旦兄の部屋を出ることにした。

俺の意思は決まっていたが、事態が深刻であることを理解し、とりあえず北海道に向かうこととした。

上司も行って会えるか分からないが、行く価値はあると思うと賛同してくれた。

パソコン北海道に持っていけないので、上司パソコンを預かり、追跡のため検索履歴が追加されていないか逐一連絡してくれることとなった。

(その後一応警察に行って捜索願いを受理して貰ったが事件性無しの成人の自主的失踪判断され、大々的な協力はできないとのことだった。また発見しても本人が警察への応対を拒否したら警察としては何もできないのであとはお兄さん次第、とのことであった。まあ考えれば当然かと思う)

両親に経緯を連絡し、その後北海道へと飛び立った。

実はここで親に連絡した際、俺が知らなかった兄の過去を教えてもらった。

兄が就職活動していた時期は景気がかなり悪く、かなりの就活難であった。

兄もやはり苦労をしたらしく、最終面接で何社も落とされてしまい、鬱を煩ってしまったとのこと。

どうにか秋冬頃に都内中小企業から内定を貰い就職したが、鬱は段々と悪化していき、最終的には身体が動かなくなり退職してしまった。

その後家で休んでまた都内社会復帰をしたが上手く行かず実家に戻り、また(ド田舎なので就職先なんて殆どないが)たまたま実家の近くにある工場にお願いして働いたがここで身体を壊してしまい、仕舞いには鬱も悪くなり結局そこも辞めてしまった。

その後派遣したりしたらしいが、今回兄が働いていた会社は、兄が鬱であることを面接告白したところ受け入れてくれたとのことであった。

鬱に理解がある職場で両親も安心していた矢先のことであった。

色々な思いを抱えながら飛行機の外の景色を見ていた。

様々な家が見えた。幸せな家庭もあれば、きっとどこかの屋根の下には兄と同じく苦しんでいる人もいるのだろう。

夜遅くに到着したが、すぐさま兄がいると思われるホテルへと向かった。

もしホテルに泊まっていても時間的に部屋で寝ているだろう。

この時ホテル員に兄が泊まっているか確認したが、個人情報保護観点から警察が絡んだりしない限りは答えることはできないと一蹴されてしまった。

そこで東京で捜索願いを出していたので、札幌警察に協力を仰ぎ、警察ホテルに呼びホテル交渉してもらった。

ホテルから回答があり、兄が泊まっていることが分かった。

警察にお礼を言いお別れし、一階のロビーで兄が部屋から出てくるのを朝までずっと待っていた。

(ちなみに警察雑談し、このようなことでお呼びして申し訳なかったと言ったところ、たまにあることとのことであった。複雑な気持ちになった)

人生初の札幌の夜と朝は長く感じた。

ロビーに人が見え始め、サラリーマン達が同フロアレストランで朝食をとっている。

きっと周りは当然ながら俺がどういう気持ちでここにいるかは分からないだろう。

日常の営みが太陽の光を合図に始まるなか、ずっと俺の周りだけ時が全く別ベクトルに動いているような気がした。

チェックアウトの時間ギリギリのことだった。

エレベーターから中肉中背の男が出てきた。兄だった。

確信を持つべくしばしその姿を眺めていたが、顔は老け白髪があったものの、兄に間違いはなかった。

チェックアウトし外に出る兄を追いかけた。

兄と最後に話したのはいつか覚えていない。

どう話しかけようかタイミングを探ってみた。

しばらくの大きな通り沿いを歩いた後、人もいない静かな裏路地に兄は入っていった。

ここがチャンスと思い、一気に距離をつめて兄に声をかける。

兄は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに冷静さを取り戻し「○○か」と俺の名前を呼んだ。

近くで顔を見るとやつれた感じがしていたが、数年ぶりなみたその顔には父と母の面影があり、少し泣いてしまった。

たまたま近くに公園があり、そこのベンチに腰掛け、俺が札幌に来た経緯を説明した後、失踪理由を聞いた。

鬱を患い仕事も上手く行かず職を転々する生活を送っていたが、ある職場とある女性と知り合った。

互いに意気投合し付き合うこととなり、兄の鬱に対しても理解があった。

結婚も考え、当時二人は派遣だったので、兄は安定した職を探し、今の会社内定をもらった。

そんな幸せへの一歩を踏み出そうとしたとき彼女が亡くなってしまった。

自ら命を絶ったとのことだ。

実は彼女も鬱を患っていたらしいが、突然のことだった。

精神的に大きなダメージをおい、心の支えを失った兄は不安定になった。

とりあえずは就職したが、不安絶望で前が見えなくなり、ついには全てを投げ出して、彼女のお墓のある北海道へと墓参りをした後、自らも彼女のいるところへと向かうつもりだったらしい。

会う前はどんな言葉で諭してやろうかと思っていたが、

まりの話に言葉を失ってしまった。

ただやはり死なせる訳にはいかないので、ありきたりな言葉ではあったが、「みんな心配している。仕事はいいから家でゆっくり休んでほしい。」と伝えた。

(本当にあまり陳腐言葉だが、相手の心に響くものが思い付かなかった)

兄貴もそれに了解してくれた。しかし、一人で墓参りをしてから家に帰るので、ここで解放してほしいと懇願された。

多少の不安はあったが、俺は兄を信用してその場で兄と別れた。

東京に戻り兄の上司に連絡した。

札幌での出来事を話し、退職したいとのことだという旨を伝えた。

兄の上司はすぐに受け入れてくれて、「本人が戻る気ならいつでもどうぞと伝えてほしい」とありがたい言葉をもらった。

兄はその後約束通り実家に帰って休養生活に入った。

俺も関西に戻りいつもの生活に戻り、そのしばらく後に兄がまた新しい職場ではあったが、仕事し始めたことを知って一安心することができた。

この一連の出来事をすっかり忘れかけていた頃、母親から突然LINEが飛んできた。

今の職場から連絡が母にあったみたいで、兄が失踪してしまったらしい。

また俺も急いで兄の住む埼玉に向かい、例のごとく母親合鍵を借りて部屋を開けたが、今度はパソコンは置いていなかった。

兄に電話しても通じず、行方も完全に追えなくなってしまった。

母親から教えてもらった兄のメールにすがる思いでどこにいるんだとメッセージを送ったところ、返事が帰ってきた。

札幌でどうして死なせてくれなかったんだ。あの日から今まで本当に辛かった。お前のことを憎く思った。母さんをよろしく

自分が正しいと思っていたことが、俺は正しいと思って行動していたことが相手まさか苦しめていたなんて思っていなかった。メールを受け取った瞬間あまりのショックに嘔吐しそうになった。

このメールを受け取ってから一年経過したが、それ以来全く連絡はない。

今どうなっているのか全く知りようがないが、今でも俺は兄を深く苦しめてしまったのでは、札幌いかなかった方が良かったのか、他に方法があったのではとあらゆる後悔の渦が胸に込み上げてくる。

このメールを受け取ったことは親にも誰にも話せていない。

もう出会うことはないのかもしれないが、兄のことを思い出す度に喉に何かがつまる。

このつまりは俺が兄と繋がっていた唯一の証しとして俺の身体に残り続ける、そんな気がしている。

anond:20210307200026

不景気続ける限り言い続けるんじゃない?

コロナ禍を放置しておけば、来年からしばらくの大卒学生就職は悪くなるから、彼らが怨嗟の声をあげ続けるだろう。

もう自己責任論は通じないのだし。

俺は怨霊になったのだ

小中学生の頃、いじめにあっていた。

とにかく意味もなく殴られ、容姿や喋り方をからかわれ、荷物を隠されたり、机に花瓶を置いて葬式ごっこをされたり、給食を捨てられたり一通りの仕打ちは受けた。

俺は弱かったからいつも負けたけど、時には泣きながら口では反抗していた。

何十年も前のことなので記憶はやぶさかでないが

「お前たちのこと一生許さないからな!」

とか

「一生恨んでやる!」

とかそんな感じだったような。

とにかく腕力では勝てないから、泣きながらそんな泣き言を言い返していたような気がする。

高校卒業後、俺は地元を出て都内専門学校に通いそのまま都内就職した。

地元ではそんな扱いを受けていたか成人式で帰ったきり、ほとんど子供の頃の友達には会わなかった。

29で結婚し子も授かり、40代となった今ふとそのいじめられていた頃の記憶が蘇った。

あいつら今何しているんだろう?

幸いにも俺はつらい経験をしたがそれがフラッシュバックするような心の後遺症はなく、今が充実しているしわざわざ思い出すこともないことだと気持ちに折り合いをつけられていたのかもしれない。

成人式の時も含め同窓会の類は一切不参加だったが、一回くらい行ってみるかという気分になった。

フェイスブック高校の友人の名前から検索すると小中時代名前が少し出てきた。

その中でも比較的俺へのいじめには関与していないがお互い名前は知っている程度の実家が近所の同級生に軽い気持ち友達申請を送ってみた。

返信はすぐに来てDMをやり取りするようになった。

の子地元就職していて地元事情にも詳しかったのだ。

「〇〇たちってどうしてる?」

俺がいじめを受けていたことは公然事実であり、〇〇の名前を出すことでその子も返信しづいであろうことは分かっていた。

しばし間をおいて「実はね・・・」という返信に書いてあった事実に俺は衝撃を受けた。

俺をいじめていたグループは〇〇を中心に4人いたのだが、なんと〇〇を含むそのうち3人がもう故人となっていた。

〇〇は数年前に自死

あとの2人は20代の頃に同乗していた車の交通事故で亡くなったとのこと。

4人ともクラスの中心的な人気者で、てっきり同窓会でも張り切っているのかなと思ったがまさかのことだった。

残り1人も俺と同じく(笑)音信不通だったのでどこに住んでいるのかも分からないという事だ。

そして同窓会も久しく開催されていないらしい。

俺くんが元気で良かった。

の子はそう言ってくれたが、ふと考えてしまう。

今はこうやってSNS簡単に連絡が取れるが、もしネットもろくにない時代だったらどうだろう。

同級生ならみんな知っている俺が4人にいじめられていたという記憶

俺の両親が早逝している事情もあり音信不通の俺の情報を知る手立てはほとんどない。

〇〇の自死、2人の交通事故死。

こんな事があったら同級生の間だと「俺くんの呪いだ」とかそんな風に悪く言うやつもいるかなぁと想像してしまった。

怨霊の正体ってこういう因果関係勝手に生まれものなのかもしれないなぁと思った。

まあもしかしたら本当に俺の怨霊かもな。

でもまああれだ、まだどこかで元気に生きていると思う(願う)M田くん。

俺の怨霊なんてそんなのないから、達者で暮らせよ。

俺は元気です。

沖縄の遺骨の件

あのニュースみてもうガックリしちゃったかモヤモヤ吐き出すために書く。第一に言っておくのは、これは個人的いであって、当然県民の総意ではないと言うこと。チラ裏だけど予防線張っとくわ。

自分は生まれも育ちも沖縄なうちなんちゅで、就職と同時に関東に来た。

地元情報をちょこちょこと確認するために、ネットニュース沖縄検索して見ることが増え、沖縄基地問題関連のネットニュースを読んだ時。

そこに出てきたコメント、それを見た衝撃を今でも忘れない。

今思えば過激ネトウヨコメントが多くあったと思うが、それでも大多数の人が沖縄問題日本から遠い僻地で起きている他人事として、また基地反対派の沖縄県民を能のない異国人か何かのように扱っている様に衝撃を受けた。

国防大事さはわかるよ、それは県民も身に染みているよ、生々しい戦争の跡が文字どおり体に刻まれているおじいおばあを見て育ったんだから学校の校庭で不発弾発見されることなんてざら、幼い頃から戦争平和教育を延々と受け、米時代の名残を見て、米軍特権を身近に感じて、戦争とその爪痕をいやでも意識させられて生きてきたのよ

それを踏まえてのこの複雑な感情を、ちょっとでも慮ることすらできんコメントの数々。

当たり前に気分悪くなったわ。

本当にずっと不思議なんだけど、ネトウヨ普天間基地問題やら何やら、全てを「国防」と「沖縄」の問題にしてるのは何なの?

日米の不平等関係日本国民の誰もが知ってるだろうけど、その不平等さの実害を受けてる人間がいることをご存じない?日米の問題ではなく、国防・それを担う沖縄問題として思考停止してらっしゃる?また、沖縄県民戦争被害感情反日思想なのだと思ってる?

国防関わってんだよ。沖縄だけじゃなくて日本国民問題に決まってんだろ。守ってもらってる上に金もらってんだから文句言うな、なんて当事者意識がありゃ出てこない発言だよ。国防関わってる重大な問題なんだから末端切り離して思考停止せずもっと身近に感じてくれよ。

あんたが日本のどこかで米兵に殺されても、米兵基地に逃げりゃ米に守られ米兵犯罪者が正しく裁かれる保証はない、そんな現状なんだよ。個々人の安全犠牲にして国防をとっている複雑な問題を身近に感じてくれよ。

メリットデメリットもあることは重々承知の複雑なお気持ちだというのに、既知のご高説垂れてきて気持ちよくなる人間の多いこと。むしろ県民が米基地に反感抱く背景は、自国第一主義右翼的考えと親和性高いと思うんだけど。そしたら「国防もやるし、日米の不平等解決する、両方やらなくっちゃあならない」となってくれよ。米との関係維持優先の保守派から余計なこと言うなって感じなの?日米地位協定改定訴えても、国民がそのデメリットに重みを感じてないなら当然変わるわけはないし、沖縄が個々人の安全面のデメリットを多く被る構造になってしまっているんだから、そりゃ戦前からずっと日本に切り捨てられ続けている意識変わらないよ。実際そうなんやろな。沖縄戦関連を反日とかイかれたこと言うネトウヨいるし。

沖縄基地前で激しいデモやってるやつらの実態は正直知らん。ネットはいくらでも出てくるけど。もうしらん。

現状変える意識ないんだったらそっとしてくれ。何も論じないでくれ。

自分日本人の沖縄県民として育ったつもりだが、ネトウヨにとって沖縄日本じゃないんだろうな。

anond:20210306093924

働きたくないのなんて当たり前の前提も前提

その言動だけで見たら鬱でもなんてもないよ、当たり前のことを言ってるだけだから

そこで停滞して大学4年まで行って手遅れになってから報告するのは普通に甘ったれ

たいしたこと言ってこないと親を舐め腐ってるから何もしたくないといいつつ大学行く気はないが辞めない

就職したくはないが報告はする。実に小賢しいね

親に決めてくれって言ってるんだろう、ずいぶんと意志薄弱責任意識のないバカ子供を作ったもんだね~

まぁ留年するのは不幸中の幸いかもしれない、新卒切符切られなかったことを幸いと思って

当たり前の先に行けるように責任もって躾しな

anond:20210306093924

もはや一般的日本人のレールから外れてるから自由にさせてみたらいい

俺は大学へたれものの、親とか周囲への義務感だけで留年せずにそれなりの企業就職したけど、結局その時から状態をひきずって今苦しんでるし、どんどん悪化してる

無理してレールに乗せようとせず若いうちに自由にさせてみるのも一つの手段

業界や分野にもよるけど、だんだんレールにはずれた人間にも優しくはなってきているし

anond:20210307001500

お疲れ様です。世の中大変な家庭があるもんだな……なぜ就職実家に?親元離れた方がいいんじゃ……

母が嫌いだ

母が嫌いだ。

嫌い通り越して憎いとすら思うことがある。

からヒステリックな人で、事あるごとに「こんな家出て行ってやる!」と言って家を飛び出し車に乗り込み、呆然と見送れば怒りながら戻ってきて「どうして追いかけてこないの!やっぱりお母さんいらないんだ!」と叫んだ。それが嫌で、面倒で、いっそ出て行ってくれと思いながら、幼い私は泣きながら縋りついて謝り倒した。

今ならわかる。どうせ見送ったって戻ってきていた。それなら表面上だけでも謝っておけば平和に終わる。あのときの私の判断は間違っちゃいない。

「お母さん死ぬから!」「死んでやる!」も口癖だった。今言ったら確実に口に出してしまいそうだ。「いっそ死んでくれ」と。

そんな母も、息子、私の年の離れた弟のことはとても可愛がっていた。

弟が悪さをして、普通なら弟が叱られ、謝らねばならないところ、「あんた、弟が可愛くないの?お姉ちゃんなら罪を庇ってやるもんなんだよ」と言って、私を叱り、私に謝罪を求めた。

弟が怒られることをするたび私が謝らされ、そんな私の姿を見て育った弟は、次第に口数が減り、あまり自己主張をしなくなった。

そんな弟の変化を見て、私は可愛い弟だけは守らねばならないと、母の暴力的なまでの感情の波を一身に受けるようになった。中学生ときのことである

だが、反抗期真っ盛りの私には耐えがたく、口汚く反抗しては母を怒らせた。朝になるとシンクに叩き割られた食器があったり、私の教科書が床に散乱していたり、ゴミ箱に捨てられていたり。まぁ多々あった。

結果、弟を溺愛している母が弟に、「あんた、反抗期なんてきたら家から追い出すから」と言うことになるので、弟には本当に申し訳ないことをしたと思う。

高校生になって、反抗はやめた。倍になって返ってくるし、言い返すのは単純に疲れる。ただただ、延々と繰り返される仕事愚痴、知人の悪口、全て聞き流して、適当に相槌を打った。聞かなければ機嫌が悪くなるので、その間勉強なんてできない。もちろん成績は落ちた。

しばらくして、担任でも、副担任でもない、週に数回しか会わない程度の教科担任に、生徒指導室に呼び出された。何か悪いことしたっけとビクビクしながら、先生に勧められるがまま椅子に座った。

大丈夫、じゃないよね、何かあったでしょ。友達と話してたとき、無理して笑ってるように見えたから」

話し出す前に泣き出してしまった。要件も告げずに生徒指導室に呼んだのは、他の人には隠してる様子だったから、だそうだ。いい先生だった。

少し距離を置いた方がいいかもね、とのアドバイスどおり、大学は自宅から通えない範囲で決めた。

心配だった弟の件は、生まれときからそういう環境だったせいで弟自身スルースキルが身についていたこと、弟を可愛いがっている母は弟には攻撃的な態度を取らないことから大丈夫だと考えた。念のため、父に私がいない間は弟のことを頼むと言って家を出た。父は仕事が忙しいことと、私以上に母に攻撃されることもあり、会社に泊まり込むか深夜に帰宅するかであまり家にはいなかったが、できるだけ帰ってきてくれるようにはなった。

一人暮らしは最高だった。

ただ、もう十数年も母の金切り声を聞き続けていたせいか、夜中目を閉じるとこれまで聞かされてきた言葉が頭に響いて眠れないこともよくあった。完全に逃げられはしなかったが、それでも実物がいないだけましだった。

四年間はあっという間に過ぎ去って、現在就職のために実家に戻っている。

控えめに言って地獄だ。暴力がないだけましだと思うようにしているが、私の自我全否定の上にネガティブな話をキイキイ話されるのは精神的にキツイ

特にコロナ流行からテレビ政治家への強烈すぎる批判が加わり、家にいる間は常に愚痴悪口批判しか聞いていない。もっと楽しいこと考えられないのだろうかと思う。

私には学校行くな(必要があれば振り切って行った)就活やめろ(親が責任とってくれるわけではないので続けた)友達と遊ぶな、というくせに、母は友達ランチに行くし遊びに行くし。そして帰ってきたら友達悪口に行った場所批判の嵐。だったら行くなよ。

一度離れてわかったことだが、私は母との相性が良くないし、母のことが嫌いだし、憎んでいる。

それを認めてしまったら、余計に一緒にいることが辛くなった。

早く一人暮らしがしたい。

仕事をする意義とは、なんて就活ガイダンスで聞かれてもありきたりなことしか思い浮かばなかったが、入社目前にしてはっきりした。

私にとって仕事をする意義とは、お金を稼いで家を出て、自分らしく自分人生を歩むことだ。

現在も母が嫌いでしかたないが、働くモチベーションをくれたことには感謝したいと思う。できるだけ早く死んでくれとは思っているが。

2021-03-06

就職出来ない

ずっと引きこもりだったけどなんとか就職出来ましたみたいな話をたまに聞くけどあんなの全部ウソだろ。

anond:20210306205100

わかる

昭和後半ぐらいの

キトーに生きてたら就職して結婚して子供まれマイホーム建ててガッポポ年金もらってた日本人

令和に生まれてたら7割は死滅すると思うんのな

昔よりハードル上がっ上がですぜ

anond:20210306093924

これで鬱だったら自分も鬱だったなあ…何でもかんでも精神科へ、と言いすぎじゃないかなあ?すごく普通感想だと思うよ。

現代は「働く」=「奴隷労働」だという文字情報が多すぎる気がする。実際は部活動文化祭屋台に似てるのにね。

中学高校帰宅部とかじゃない限りは会社所属して働くなんて言うのは普通にその延長なので、そういう雰囲気をひた隠しにして「キラキラビジネス★」みたいな雰囲気にして、説明会だなんだとこれから就職するであろう子供に向けてアピールしてしまっている社会のほうが大人げないよねと、たまに思う。

アカポスに就けない数学者ってどうやって食ってるの?

ほかの分野なら企業研究職に就職したりできるだろうけど、数学ってどうなってんの?

anond:20210305212529

最初就職してから20年ぐらい経つが、最近2年位以外は職場上司がどこも全員ことごとくこういう人ばっかりだったわ。

というか、少なくとも自分世代は、これが正しい社会人仕事に対する模範的態度だと社会的風潮の中で教育され続けてきたはずだ。

そして、自分もその素質を無意識に取り込んでいた。

当時はこんなんで生産性上がるわけないだろってなんとなく思ってたけどうまく表現できなくて悶々としてたが、最近2年ぐらいでこういう人と無縁の職場環境になってから、やっぱおかしかったんだなってほぼ確信し、増田ブコメを見て確信さらに深まった。

そうできない人間関係職場じゃないはずなのに。

既に元増田が、そうできない人間関係職場にしてしまったのではないか心配だ。

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