はてなキーワード: 出版とは
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こういうことだ。
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俺は残りの人生を、日本という人でなしの国が世界から爪弾きにされるようにすることに全力を傾けたいと思う。日本は滅びるべきである。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
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パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
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性暴力を受けた男性被害者たちの苦悩「なかなか一般社会では認知されない」 - ライブドアニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/13970596/
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プロ小説家「今度いじめをテーマにした小説を出版します。ストーリーもキャラも私のオリジナルですが、貴方の話をモデルに書いたので、原稿を読んで了承を頂きたい」 - Togetter
https://togetter.com/li/865648
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今回の件は、(お二人には申し訳ないレッテル貼りだが)弱者と弱者が行き違っただけであり、周囲がああだこうだ言うのは、二人をいじめていたやつらと同類なのかな、と。
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『空があるから』
『地球の中に、潜っていくと…』
『月へ行きたい』
生物なら、
『食べられて生きる草の話』
『まちぼうけの生態学』『おいかけっこの生態学』『すれちがいの生態学』
などがあります。
さ・え・ら書房から出ている『わたしの〇〇研究』も地味ながらおすすめです。
など、面白かったですよ。
子供向けではない書籍なら『海獣学者、クジラを解剖する。』はどうでしょう。
ちょっとお子さんには難しいですが、東海大学出版部から出ている「フィールドの生物学」シリーズもいいです。
ブコメでも紹介されているウルド先生の『孤独なバッタが群れるとき : サバクトビバッタの相変異と大発生』もありますし。
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つまり表自系で戦ってる人たちにとっては、フェミもそっちの話題(たわわとか)の方が熱量高く見えるのも事実なんだろうけど、みんなもう少し観測範囲について考えた方がいいよ
なんていつもの迷惑はてブのブサブコメを見かけたけどさ~大体の人は議論の前段階で
「表現行為が『規制』を全く受けないという事態は有り得ない」という事は大前提として理解している上で
「どの段階で、どんな基準の規制を設定すべきか」というQに対して、所謂表現の規制戦士達が
お前らみたいな、生まれてからろくに勉強もせず他人を妬んで社会の底辺でシコってるだけの人間が、社会について物申すことに憧れちゃうのも分かるけどさ
フェミニストが云々じゃなくてこいつが単に差別構造について無知なだけだよな
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なーんて、偏見と差別と蔑視とアンチイズムに基づいた偏りまくった視点で「どんな基準の規制を設定」しようかぶつくさ言ってるから
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何度も同じ話するのかって、そりゃ何度も何度も嘘吐いて来るのはそちらだし、面倒になって議論打ち切ると勝手に勝利宣言する
だけなら別にアホがバカしてるだけで問題無いけど、さも自分達は被害者だけど真実は勝った!みたいな感じで議論ですら無いヘイトスピーチまで正当化しちゃうじゃん?
結果的にクレーマーに屈してしまう事が多いのが、昭和~平成までの時代だったという認識。
結局の所、件のキモいたわわのイラストは、まあ個人的意見を言えばしょーもないしキモいと思える部類に入るが
「イラストには性器や卑猥な台詞どころか、下着すら描写されていない」
という事実だけで、(キモいかどうかはさて置き)法律的にも世間的にも道義的にも新聞広告だろうが街看板だろうがに掲載しても問題無い訳よ。
「現状では法的には問題無いけど性犯罪を助長する働きがある」というデータも論文一つ出せないし、
「そんなのは見れば分かるでしょ!?これだからオタクはw」と逆ギレして居直るしかない。
日本社会において、他者の表現の自由なり自由な経済活動を規制するには正当な根拠が必要なんだが、
根拠を示す事が無理な事を表現の規制派側にいる人間はさすがに分かっているから、
例えば、
オタクをディスってエロい事しか考えてないからエロい表現しか守らないんだろ表現の自由戦士などと、
「エロくてキモい性犯罪者予備軍しか喜ばないイラストだから規制しろ!」と好んだり問題無いと思う人間の思想や嗜好を勝手に捏造しつつ批判したり
「私は性犯罪者被害者だからあのイラストを見ると社会的に不安になる、性犯罪が肯定されるメッセージを感じる」
という、自称性被害者のお気持ち表明、からの妄想で規制を正当化するしか無いんでしょ?
法的にも出版コード的にも(今の所)問題は無いから、「こんなイラストはキモいし児童ポルノで性犯罪を肯定している!」という
(ごく一部の偏見と差別による)社会的合意とやらを形成したいんでしょ?
確かにこういった輩は、表現規制派、と呼ぶのは間違っていたのかも知れない。
オタクアレルギー、ミサンドリー、リベラルの逆恨み、(自称)性犯罪被害者の八つ当たり、などなどの理由でさ。
「オタク表現の自由規制戦士」「ジェンダー(ミサンドリー)クレーマー」「二次元追放運動家」「オタク狩り部隊」
「KKK(キモオタ・嫌い・切り込み隊)」「お気持ちの自由戦士」
などと思いついたが、正直どれもしっくりこない。
まあそんな事は後で決めれば良いのだけど、「表現規制派」と呼ばれる人間が、
性差別と属性差別が強烈で、とにかくオタクが気に食わないからオタク的表現を撲滅したい、
こうやって世間に出てくる事自体が「オタクの癖に調子こきやがって」と思ってるから潰したい、
40歳を越えてから初めての小説を出版し、さらにそれから3年以上の時が経過した
あれから唐突に地球を半周したり、なぜかいきなり九州の工場に働きに行ったり、いまさら結婚したり、唐突に3DCGを勉強したり、いろいろやった。
なんだか基本的に迷走していた気もする。
最近になって、前作を気に入ってくれた方から原稿を頼まれた。忘れ去られてないだけでもありがたいことだ。
少し苦労して、自主的に書いていた時は完成しなかった短編をなんとか書き上げた。どうやら締め切りがないと書けないタイプらしい
書き終わって原稿をメールで送って一息ついたまさにその日の朝、書いた話とまったく同じアイデアの漫画がwebで公開された。
ういてるふたり
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496895224892
あわててTwitterに、「ネタかぶりした」とアリバイ投稿をする。こういう時、内容の修正ができないTwitterはありがたい。
それにしても、タイミングが悪い。
実は前作も、ネタが被った。
応募しようと思っていた小説コンテストの投稿締め切り1ヶ月ほど前に、「世界中が突然長期間停電してしまう」という自分の小説とほぼ同じネタの映画「サバイバルファミリー」が公開されたのだ。
映画の内容次第では、応募すらできないかも。と、戦々恐々としながら劇場に見に行った。
結果としては、大丈夫だった。題材は同じなのだが、書き方が違う。ある部分では負けているが、ある部分では勝っている。
具体的に言えば、世界停電の理由付けやリアリティの部分では勝てた。
コツコツ調べて積み上げた小説内のディテールが、「これを世に出しても意味がないのではないか」という思考から自分を守ってくれた。
今回の漫画を読んだところ、今回も同じことが起こっているように見える。
食材は同じだが料理法が違う。そんな気がした。まあ自分の作品ゆえの贔屓目なのかもしれないけど。
世間の大体の創作は、おそらくアイデアレベルではオリジナルじゃない。
有名映画監督や、「○○節」と言われるような独自の歌い方をする歌手など、作風、芸風を極めた場合、ひょっとしたらどんなアイデアでもオリジナルの作品として消化できるのではないだろうか。
わかりやすい例えでいうと、「シン」シリーズ(シン・ゴジラ以降がまだ未公開なので庵野監督が成功パターンが作れてるかどうかはまだ謎だけど)。
これはむしろ福音ではないだろうか。もし世にある様々なアイデアを自分流に作り直してオリジナルに消化できる、ということなのであれば。
後出しが遅ければ遅いほどパクり認定されやすいのでは、という考えで、早々に公開することにした。
こうやってここに書くのも、なんだか言い訳がましいなあ、と自分でも思う。
https://anond.hatelabo.jp/20220506182856
ハマってたというのは言い過ぎで
暇な時にたまに読むぐらいなんだけど
元増田は「女の子が作ったもの」なら中身にかわいい女の子が出てこなくてもハマれるかもしれないので
夢小説を勧めてみる
すごいよ、夢小説。
クソ拙い文体と口調で実在のアイドルがセックスを迫ってきたりするから
それでいてたまにやたらと難しい語彙が出てきた時に「他の人が書いた夢小説に出てきたのかなぁ…」とか