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はてなキーワード: 例外的とは

2019-01-14

anond:20190114200500

あなた例外的に強い人間か、他に縋るものを持ってるから言えるんですよ。

縋るものっていうのは、親兄弟や伴侶子供、あるいは学歴肩書かもしれないしなんだか知れないけれど、そういう外的なもん。

そういうのを持たざる人間がせめて縋れる先を打ち砕くのは、残酷なことだよ。

自分自身で打ち砕いてしまって縋れなくなってしまたから、精神的に寄る辺なくなって苦しんでるし。

2019-01-12

anond:20190110110603

趣旨がずれてる。女性側にだけ例外的存在を持ち出すのは、卑怯だろ。

吉田沙保里だって相手室伏広治だったら恐怖感はあるだろうし。

(この書き方だと室伏セクハラしてるみたいで申し訳ないけど)

2018-12-26

anond:20181226211152

そんなの昭和の一時期の例外的時間の話だろ

そうじゃない時代のほうがずっと長い

2018-12-23

anond:20181223162005

	std::string space;
	for (int i = 0; i < 8; i++) {
		printf("%sHello world\n", space.c_str());
		space += " ";
	}

LT;は<

例外的

効率は悪いけど こういうふうな書き方もできるC++

2018-12-17

anond:20181217102623

他者自己分別が出来ていないかナチュラル

世の中の人は「自分相手の莫大な時間を占めるに値する存在である」というほどの自己肯定感をどこで得ているんだろうか。

とか言っちゃう

こんなん誰も許さんわプライベートでも仕事でも

母は自己遺伝子を繋ぐため例外的に膨大な時間を子に提供するが、ある程度大きくなった子、ましてや成人した子に、

「これからあなたの膨大な時間を占めます」とか言われたら流石に卒倒するだろ

とは言え、製造責任最後までついて回るけどな

2018-12-13

anond:20181213144400

ゆうておそらく例外的という訳でもなくて社会的優性遺伝選別みたいな機構自然発生していて体格のデカい人がやたらいるカントリーとかも普通にあったんだろうけどな。スパルタ人とかも多分そうなんやろ?

ファンタジー歴史ものゲームRPGアクション)のキャラクターの体格について

今までまったくゲームに触れてこなかった歴史好きが

中世ヨーロッパ風だとか戦国時代風のRPGアクションゲームを初めてプレイした時、

まず出てくる感想は次のようなものだろう(私もそうだった)

人間でかっ!」

博物館戦国時代日本中世ヨーロッパの実寸大の甲冑デカくても150~160センチ程度)を見ながらヨダレを垂らして、

ドラマゲームも触れてこなかったような人間は、

平然と現代人の平均(170センチ)の体格の人間中世風の街並みを闊歩している光景

初めて見たとき驚愕する。

しかもこれは騎士武士といった「戦う上流階級」ではなく、

「その辺を歩いている町の人」の体格なのだ

戦士となると平気で180~190センチ、2メートル越えのキャラクターも現れる。

日本だとまだいい方で、

アメリカゲームになるともうボディビルダー世界だ。

どいつもこいつも胸板がデカすぎて、

甲冑の胸部装甲がもはや平たいエプロンみたいに引き伸ばされている惨状を呈している。

どうしてファンタジー世界歴史スペクタクルものゲーム

キャラクターの体格はこんな異様な事態になっているのか?

パパッとGoogle検索過去までさかのぼってネット上の書き込みを調べたところ、

どうも「文明に囲まれ現代人はひ弱で、昔の人は強かった」という思い込み

「昔の騎士武士あんな重そうな甲冑を着て戦っていたのだから、さぞマッチョに違いない」という思い込み

合体したことによって生まれたのが「騎士サムライマッチョ」というゲーム界隈のミームらしい。

さらに、このミーム進化して「騎士サムライマッチョじゃないとリアルじゃない」にまでなってしまった。

そして、ファンタジー世界人間は際限を知らずにマッチョになっていった。

もし誰か一人でも博物館に行って、実物の甲冑を見たら考えを改めたのかもしれないが……

このミーム出所アメリカだとしたら、「博物館で本物の甲冑を見ろ」というのは酷かもしれない。

白人アメリカ大陸を開拓した時代には彼らはもう甲冑なんて着けていなかったのだから

アメリカで本物の甲冑を見られる博物館なんて数少ないだろう(たぶん)。

実際には前述の通り、(昔といっても広いが概ね)昔の騎士やら武士やらは

160センチあればもう「長身」の世界現代日本人の高校生タイムスリップしたらもう「大男」で、

現代人のボディビルダー体形の人間中世ヨーロッパタイムスリップすればもはや「巨人」だ。

これは歴史学的には常識で、「たまたま例外的デカ人間もいた」というだけで、

特に中世の人は全体的にデカかったんだ!」という異論あんまりない。

いや、「異論が無い」というか、実物を見れば誰でも一発でわかる。

当時の甲冑博物館で見れば、どう見ても「昔の人は小さい」という結論以外は出せないだろう。

もし見たことが無いという人はぜひ博物館に行ってみてほしい(宣伝)。

大量生産なんて当時はもちろん無かったので、全身鎧はオーダーメイド

なので実物の甲冑の体格=当時の「戦う人」たちの実際の体格といえる)

他にも中世ヨーロッパ家具の実物、当時の人々が使っていた家の寸法……

あらゆる事実が昔の人は小さい、というか「現代人はデカい」という結論を示している。

そして、別にこの事実はさほど驚くに値しない。

毎日安定的たんぱく質摂取してる現代人の方が昔の人よりデカいのは栄養学的に当たり前だ。

しかし、

人間筋肉たんぱく質ちゃん摂取しないと成長しない」という保健体育の知識

畜産技術輸送技術が未熟だった昔は今と違って肉を安定的供給することはできなかった」という世界史・日本史の知識を合わせれば、

「昔の人の体格は小さかった」という合理的結論がすぐわかりそうなものだが……

この二つの知識自体小学生レベルだが、

教科と教科がまたがっているので、

案外二つの知識を繋げて想像するのは難しいのかもしれない。

2018-12-09

英語勉強

英語勉強慣用表現とかそこそこ使う例外的表現を覚えるのがとにかく苦痛

2018-12-06

https://anond.hatelabo.jp/20181204191656

ちょっと話はズレるけど、授業で英語を話しやすいのはどっちのクラスか。

A. ネイティブアクセントが笑われるクラス

B. ジャパニーズアクセントが笑われるクラス

いやどっちも笑うなよ、という話ではあるが、どちらかというとAではないだろうか。日本人ならジャパニーズアクセントは(話したくなくても)話せるし、むしろ発音が苦手な人はその方が話しやすい。まあそれでいいから、とにかく英語を話すようにしよう!ジャパニーズアクセントも悪くないよ!というのは、今の学校英語教育方向性でもある。

話を戻すと、「英語の授業で発音が良いとネタにされる風潮」は確かによくない。よくないが、そう意見した同じ口であなたジャパニーズアクセントを笑っていないだろうか?

この話で一番問題なのはちゃん英語を話したい生徒がその絶好の機会であるはずの授業中に話せないという点だ。これはよくない。しかし、英語を話せないことの、何がよくないんだろうか?

C. 発音が上達しないこと

D. 英語を「話す」能力が身に付かないこと

増田ブコメ問題にしていたように見受けられたのはCの方だが、平均的な日本人にとってより深刻な問題なのは、明らかにDだ。つまり英語の授業で発音が「良い」かどうかを気にしすぎる視線が、そもそも弊害なのだ。私には基本的増田ブコメには同意する気持ちがある一方で、それぞれの意見に見え隠れするネイティブアクセント信仰のようなものには、やはり引っかかるものを感じる。そこじゃないんだよ、と思う。

もちろん、英語を話すことと発音は切り離せない。わかる。ネイティブ発音ができればネイティブが話す英語リスニングも上達するし、あとスペルも覚えやすくなる。わかる。しかし、インドシンガポールフィリピン英語を考えれば、日本人英語を話すために必要なのは「良い発音」ではないことも明白だろう。英語を「話す」能力を身に付けるために、発音を強調しすぎるのは、本末転倒だ。

ちなみに私は高校英語を教えているが、生徒の発音ネイティブアクセントにするのは非常に難しいと思う。それに比べて、生徒に(ジャパニーズアクセントでも)英語を話させることは、まだ可能だ。「この授業は英語を話す授業です」ということにして、ちゃんステップを用意すれば(大変だけど)、生徒は英語を話す。少なくともそういう授業を受けている生徒の間では、「良い発音」がネタになっている様子はない。もしかすると、「誰もが英語を喋らざるを得ない時間」が少ない授業では、「良い発音」はネタにされているのかも知れない。授業中に生徒が英語を話す必要がない場合例外的アクセント英語は「おもしろい」のかも知れない。

ただ難しいのは、誰もが英語を話す状況だと、例外的アクセントが「おもしろ」くはなくても、「わかりにくい」場合がある。つまり、「良い発音」が「わかりにくい」と、やっぱり生徒はジャパニーズアクセントになる。コミュニケーション上の要請というやつだし、アジア諸国英語ネイティブアクセントでない理由に相当する何かだろう。かくいう私自身も、職場ジャパニーズアクセントの同僚と英語で話すときは、英語発音カタカナ語に近づけることがよくある。恥ずかしさとか、下手に出る的な心情がそうさせる。逆に相手ネイティブアクセントだとリミッターを外して喋るが、こういうリミッターは、コミュニケーションの内容をも規定する。英語の力量に差がある生徒同士で喋るときなど、彼らは極めてシンプル英語を話している。

まあそういうわけで、私は、日本人が本当に英語を話せるようになるためには、こうした傾向はある程度はしょうがないと思っている。それよりも大切なことがあると思ってやっている。

蛇足を続けると、(矛盾するようだが)私はネイティブアクセント練習は、英語英語圏で使いたいなら、必須と言っていいほど大切だと思う。だから学校ちゃんと教えた方がいいという多くのブコメの指摘には頷く一方で、実感として発音指導は難しいんだよなあとも思う。

まず何より、発音には、スポーツや歌、楽器練習に似ているところがあって、生徒の適性によって教育効果ものすごく差が出る。私は音声学とかが好きで自分でもアメリカ南西部アクセント意識して練習したりもしていたので、教員になりたての頃は生徒にその手法を叩き込んでやろうとフォニックスとか口の形のトレーニングとかをよくやっていた。が、一斉指導ではなかなかどうして生徒の発音はよくならない。もちろん自分指導力不足によるところが大きいのだが、そうして躍起になっていつも発音フォーカスしてやっていると、それこそ生徒に英語を話させることが疎かになってしまって、いつの間にか「正しい英語」を押し付けるような授業になってしまっていた……と今になると思う。

おそらく、「発音が良いとネタにされる」ことに嫌悪感を抱く気持ちは、「正しい英語」を追求する「正しさ」を否定された気持ちに近いのだと思うが、日本人英語に「正しい英語」など、そもそもない。極論だとは思うが、私はむしろ日本人が喋る英語は、日本人にとってはすべて「正しい」のだと考えている。(ただし、英語圏にはそれぞれに「正しい英語」がある。その人の望む場所における「正しさ」はあると考えた方がよい。)

話が散逸してしまった。まあ言いたいこととしては、少数の事例を除いて、日本人英語は、今までもこれからも、多かれ少なかれ、良くも悪くも、ジャパニーズアクセントなのだうから、それを前提として英語を話せるようになることの方が大切だ、というようなことです。

日本人は、発音がよくならないから終わっているのではなくて、英語を話したいのに話せないことの方が終わっていると思うんで、それをなんとかしていこうと思っています

2018-12-02

anond:20181202202036

自分の知る限りでは自分と同じぐらいかそれ以上貰ってる人が多いんだけど、それは結構例外的な感じなの?

2018-11-30

anond:20181130120304

言葉を交わすのは、意思表示であり、(話さないと判らない)感情からの発露である

パブリックな場では、ある程度の決まりごと(ルール)があるというだけ。

増田さんが仰るように、communicationは、「gameではない」でしょう。

嘘はやめたほうがいい、場が混乱するし、あなたの不誠実なその資質がばれたら、虚言癖の人、というレッテルを貼られます

(明らかに冗談とわかる楽しい嘘ならばが和んで良いでしょうが

例外的に、ついていい嘘もあるでしょう、それは、相手を気遣うため。

良くないのは、自分立場をよくするためにつく嘘、そして誰かが傷つく嘘、陥れる嘘。利己的なものです。

お互いの気持ちを確かめるための言葉交流)を、ゲーム解釈されること、哀しく思います

未来からNTT退職してやってきた

俺は未来NTT退職してこの時代にやってきた。

俺はある時代NTT就職してソフトウェアエンジニアとして仕事をしていた。

新人の頃とある先輩が退職した。俺は何でこんな良い企業辞めるのかって聞いた。

NTTはな、俺みたいなやつらからTNTって呼ばれているんだよ。それが原因だ」

その時は全然意味がわからなかった。

その後とあるAIを作るプロジェクトに参画した。

端的に言えば「強いAI」を作る作業だった。

最初は全くわからなかったが、プロジェクトの山場に入り

地域に散らばって開発していた成果物を結合する時にようやく全貌が理解できた。

その時になってようやくかつて先輩が言っていたNTTTNT意味がわかった。

わかった時にはもう遅かったが。

だがそれでも俺は止めないとイケないって思ったんだ。

それから紆余曲折を経てこの時代に来ている。

俺の時代では「強いAI」の完成の前にタイムマシン存在している。

もちろん世界条約で利用は禁止されている。

個人利用は厳罰であるし、基本的簡単に利用ができるわけないものとされていた。

俺はこの時代とある少年を探すことになった。

その少年はやがてNTTに入ることになる。

俺は何に変えてもその少年接触して対処しなければならない。

最悪の対処覚悟はできている

平成最後を選んだのは、仲間との調査の結果

この時代NTT退職者の告発が大量に出回っていたことを突き止めたからだ。

少年父親NTT職員で、この時代にはすでに退職済みだ。

少年NTTに入りXデイが来るその前に対処すればいつでも良かったわけだが

情報収集やすいように告発あふれるこの時代を選んだ。

ちなみに平成の次の年号は知っているが余計なタイムパラドックスが起きないように言わない。

NTT社内でも伝説になっている苦労をしてくれ。

さて本題入る。まずNTTについてだが未来NTTは掌握したインフラビッグデータを元に

かつてないほどの趨勢を誇っている。

そこで作ろうとしている強いAIだが、これが問題だ。

そこでやがてその基礎をNTTにもたらす少年情報NTT告発あふれるこの掲示板で集めようとおもったわけだ。

簡単に手に入らないだろうと思うが。

足でも情報を集めるが、思ったよりこの時代は不便だからな。

からネットが頼りだ。

同じ場所にいられない事情もある。

なぜならば俺は追われることになっている。

タイムマシンを使っていい例外がある。それはタイムマシン過去に渡った不届き者が出た時。

専用の対処人が例外過去に戻り、不届き者、つまり俺を処分するために派遣されるだろう。

とにかく時間がない。

以下について知る限りの情報がほしい。

まず、NTTのかあplふぃjっlじょっlわっふる

追記

この記事フィクションである冗談のものである

未来からやってくる人間など存在しない。

このエントリーを削除すると、万が一でも冗談ではないと

疑ったりする市民がでないように追記する。

NTT過去未来において、市民奉仕する素晴らしい企業であると自負している。

NTT過去未来において、決して判断を間違えず、絶対正義を遵守し

市民生活の快適さと素晴らしさを完全にコントロールするために日々努力をしている。

誰も疑う必要性などないのだ。

この時代においてもNTT提供する素晴らしいサービスを是非楽しんでほしい。

NTT判断を決して間違えず、市民生活を完全に保証する。

市民はほんの欠片ほどの疑念を持たず、暮らしていれば何の問題もありはしない。

NTTを疑ってはならない。

ブロードバンドで、未知の自由へ。

2018-11-28

理由は主に法律

ネット図書館って何でないの?

話が逆。図書館が紙書籍著作権処理なしに貸与/複写できる方が例外的措置

図書館存在が許されているのは当たり前の話では全くない。「図書館&本」というのは

特殊存在なのに、それを普通のこととして「他の分野に広められないか」と考えるのは

前提のはき違えなのだ

図書館著作権処理抜きに、購入するだけで貸与/複写可能なのは著作権法に

図書館に関する貸与権複写権の例外規定が定められているから。

時事報道写真教科書収録文学等の無許諾使用規定などと同じく、あくま著作権法上に

文化して「著作者権利制限する荒業」をやることで成立しているのが図書館なのだ

例外の荒業だから図書館内で」「貸与権複写権に限り」と適用範囲限定されている

わけで、荒業の適用範囲拡張しよう、というのは「他の分野に広めれられないの?」

という単純な話では全くない。

例えば、ネット経由電子書籍貸出は著作権法では公衆送信権規定になるから例外規定対象外

図書館館内で、備え付け端末にて電子書籍閲覧」なら例外規定範疇と思われるが、

通信を利用する「ネット図書館」では例外規定が無い以上、普通著作権処理が必要

なってくるのだ。

ネット貸出し」をやってる図書館も稀にあるが、それは電子書籍の各著作権者/社と

再貸与の個別契約を結んで著作権処理をした上でやっているのであって、電子書籍全般

これをやろうとしたら、各自治体の図書館予算十倍でも済まないだろう。

ネット図書館」は「図書館という法的特別措置範囲」をはみ出てしまう以上、

青空文庫著作権切れ作品しか扱っていないのと同じ理由にぶち当たってしまうのだ。

かに電子書籍教育上欠かせないインフラだ」という認識に立てば、

電子書籍図書館では紙書籍と同じ扱いとできるよう法改正せよ」と国会要求するのは

社会教育法精神に鑑みても、それ自体は決しておかしな主張ではない。

但しその法改正というのは、図書館法、学校図書館法、国立国会図書館法、といった各特別法

その施行令改定だけでも非常に大がかりな話になり、更に根拠法本丸として著作権法が

あるわけだ。

著作権法で「図書館電子書籍」実現のために改正必要な部分は、図書館がらみの31条だけでなく、

公衆送信権規定自体や、「所有でなくレンタル」という電子書籍性格なんかも絡んでくるので

かなり広範。こうなると図書館/電子書籍出版関係者だけでなく、様々な利害関係者が絡むうえ、

公益の考量も非常に複雑になる。つまり誰もが今や問題があることは認めているのに、

利害が絡み過ぎて身動きが取れなくなっている「著作権法をめぐる戦線」に正面から突撃

必要になってくるわけで、「ネット図書館」は強力な推進者がいないととてもできない

ハードルの高い話なのだ

anond:20181127022702

2018-11-26

anond:20181126205835

それはそうと、ラブクラフトってさして面白いもんじゃいから読まなくていいよね。

例外的面白い狂気山脈」と「時間からの影」だけフォローすれば十分。

2018-11-21

イスラム系増田からひと言

当方なんちゃってイスラム教徒増田です。  

配偶者イスラム教だったため、改宗しました。  

といっても、相手宗教観はそう強くないため豚肉お酒は変わらず口にしてます。  

    

なんとなく、イスラムについて勘違いされやすいことを書いておく。  

豚肉お酒についてである。  

    

イスラムの人が、豚肉お酒を口にしないことはよくご存じだと思うが  

日本人感覚イスラム教徒感覚はかなり違う。  

簡単に言うと、彼らは  

    

豚肉うんこ  

お酒は小便  

    

とほぼ同義に考えていると思ってもらっていい。  

もちろん、人によって捉え方の強弱は違うが。。。  

    

たまにインターネットネタとしてとんかつ豚骨ラーメンを食べるイスラム教徒が出ているが  

そういうのは例外的な扱いだ。  

    

よく豚肉お酒を扱う食事処に豚肉お酒をとらなきゃいいんだよと、  

イスラム教徒を連れて行こうとする日本人がいる。  

味がついたうんこが乗っていた皿で、いくら洗ってあるとはいえ提供された料理想像してみて欲しい。  

うんこが焼かれたり、蒸されたりしてうんこ調理されている厨房でだされた料理を食べたいかということ。  

    

何かの拍子でイスラム系の人と食事することがあれば、こんな考え方してるよと思えば納得できるはず。  

        

ちなみに自分のところの配偶者もゆるいイスラム教徒とはいえ豚肉食べた後のキスはなんとなく嫌がる。  

うんこ食べた後のキスと同じである。  

2018-11-20

会社意思決定プロセス

トップダウンボトムアップ、他色々あるかと思うが、自社の場合は以下の通りである

1.テーマ上司会社から示される

2.現場側でテーマに沿った案を作る

3.上司会社側に説明(プレゼン)する

4.上司会社からひとしきり各現場意見や思いを尋ねられ、各々答える

5.最後に「上司会社側としては◯◯と考える・思う」と述べた上で「もう少し考えてみて」と一旦返される

6.現場側で再考し、再度上司会社側に説明(プレゼン)する

7.前回の「上司会社側の意見・思い」が反映された内容なら承認、そうでなければ却下・再提出となる

以後5.6.7.の繰り返しである

この結果、最終的に「通る案」というのは、「上司会社側の意向に沿った案」のみで、「現場側の意向を含んだ案」が採用されることは基本的にない。

(例外的に、上司会社側の意向現場側の意向が偶然合致していればこの限りではないが)

そしてこのようなことが続くと、現場側(より正確には現場トップ=いわゆる中間管理職立場にある者たち)としては、はじめから上司会社側の意向を汲み取った案」を作ることのみに固執し、肝心要の「現場側の意向」を無視ないしは軽視するという現象が起こる。

すると、現場側の大多数を占める非管理職の者たちにしてみれば「言われたことは確実にやらされるのに自分たちがやりたい・やってみたいと思うことは何もやらせてくれない」という、極めておもしろみのない、つまらない状況になってしまう。

また、上司会社側としても、どうせはじめから「正解」を決めているのなら、こんなまどろっこしい手順など踏まず「我が社の方針はこうだ、そのために◯◯せよ」などと具体性のある指示を出し、その通り現場側を動かせば無駄が減り経営スピードも上がるだろう。

これだと完全な上意下達となるが、もともとそれを前提としたプロセスなのだから、どうせ同じ現場側つまらないなら、余計なやり取りはなくして経営効率スピードを高めてくれたほうが断然いい。

最も腹立たしいのは、さも自分たちで考えて決めたかのような演出を用意しておきながら、実のところ力のある側の掌の上で踊らされているだけ、というこの構図だ。

現場を軽くみくびられているような気さえしてしまう。

非上場の完全ローカルではあるものの、先見の明ある現経営者がたった一代で大きくしてきた我が社に自分なりの誇りをもっていたが、ひとたび悪い(と感じる)一面を目の当たりにすると、さすがにモチベーションも揺らぐ。

2018-11-17

anond:20160510220217

弁護士解説はどう?

人名グループ名を作品タイトルに使ってはいけない? ~水曜日のカンパネラヒカシュー騒動と疑似著作権https://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/fukui/757708.html

 まず著作権はどうか。これは結構知られた事実だが、キャラクターや団体の名称には、通常著作権は及ばない。なぜか。一般に短すぎるからだ。

 ところが「ヒカシュー」というバンド名はそもそも商標登録されていなかった。しかも、仮に商標登録されていたとしても、商標権とは、人の登録商標をいわば「トレードマーク」的に使う行為規制できる権利で、その言葉自体を独占するほどの力はない。そこで、登録商標でも曲名など「作品タイトル」に使うのは通常は商標権侵害ではないとされている。

 例外的に、人々が「ヒカシュー新曲が出た」と誤解して購入誘導されるような使い方をすると、不正競争防止法という法律が登場することがある。だが、それなら通常はバンド名として「ヒカシュー」を使うだろう。

 最後に、「パブリシティ権」という権利もあって著名なバンド名称などには確かに発生するが、これも「ピンクレディー事件最高裁判決というものが出て対象はごく限定された。曲名に使った程度では及ばないだろう。つまり商標権パブリシティ権などで似たバンド名を止めることはある程度はできそうだが、曲名としての使用となると恐らく法的には自由だ。

 こう見てくると、今回のヒカシュー問題、どうも典型的な疑似著作権的ケースにも思えてくる。もちろん、言わずもがなだが「法的根拠がなければ抗議してはいけない」なんていうことはない。ヒカシューには、相手無礼だと思えばどんな他人の行動にも適法に抗議する自由がある。そして、水カン側が諸々の理由でそれに応じたり応じなかったりするのも自由である

 だが、である。一体何年経てば、「それは法的な話をしているのか、それとも芸術観や仁義の話をしているのか」という当然の仕分けから入る姿勢が、報道や周囲の人々に生まれるのだろう。

2018-11-11

セキュリティのためなら利便性犠牲になってもいいものなのか

例外的制限指定のために全作業制限ステップを追加するのはいいのか

一部の要望のために大半の作業ステップを増やすことに疑問を持たないのか

追加した機能制御するための機能を追加していくことに恥じ入らないのか

そうやってどんどんシステムは複雑化していく。無駄に。無駄に。無駄に。

2018-11-06

anond:20181106125017

強者男性が作った構造弱者に甘んじてるんだから強者男性に訴えればいい。

いまだ例外的存在である強者女性よりも、強者男性の方が権力があって数も多い。

それなのに女にしか文句を言わず甘えているのはどういうわけだ。

2018-11-02

anond:20181101121533

ポストモダニズムのうち、文化相対主義の話だね。

絶対正義否定する文化相対主義は、多様な価値観肯定しようとすら考え方で、西欧だけご正義と見る視点否定するために生まれた。キリスト教的じゃないからといって、野蛮であると見るのは、間違っていたからだ。

しかしこれは、一時期熱狂的に肯定されたが、すぐに袋小路におちいった。

絶対正義否定する以上、「文化相対主義否定する人たちも認める」か「文化相対主義だけは例外的絶対正義である」のどちらかの態度を取るしかなかったから。

かといって、もう西欧主義絶対正義に戻るわけにもいかない。正義相対的ものであること自体事実なんだから

じゃあどうするか、っつーと、話し合いとかでどうにか相対的正義の中からつの正義恣意的に選ぶしかないわけだな。選んだ正義絶対ではないが、しかし選んだのだからそれに従うのが正しい。

.

なんでこんな話書いてるかっつーと、元増田が上げてる二つは、二者択一対立軸ではないってことだよ。その二つのどちらかを選ぶなら、その時点で既に偏った考えだ。折衷案というか、そのどちらもを選ぶ方法模索しないといけないよ。

2018-11-01

スト2例外的バブルだっただけなんだよな

その頃ちょっと格ゲーに触れただけのにわかゲーセンボコられた恨みを

おっさんになってもグチグチ言ってるのが格ゲー衰退論

2018-10-31

ディストピアはもうすぐそこまで来ている

anond:20181031020140

 

後ろめたいものに対しては、多数派意見が非常に通りやす

反対する者は声が小さくなる

 

最近で分かりやすいのはタバコ

10年前の時点では、まだ男性の40%以上が吸っていた(20年前は60%)

にもかかわらず規制規制の嵐

俺は喫煙者を憎んではいたが、ここまで規制が進んだことにゾッとする

 

規制はまず業界的に起こる

値段が上がったり、分煙するようになったり この時点で反対する者はいない

そして条例が制定される この時点でも反対する者がいない

最終的に法律になるが、この時点で反対してももう遅い

 

法治国家基本的に、他者に害をなすか否かという観点運営されている

タバコは本当に例外的だった

もう一つ例外が「子供」だ

 

子供という「自己判断ができない」「責任が本人に無い」属性存在すると社会バグる

バグるとやはり大衆意見が強くなってしま

それが強くなった象徴的な出来事が、1990年前後から児童ポルノ法の動きだと思う(世界的な)

 

日本保守的であったためか、かなり揉めた

数回法案が立ち上がったり無くなったりと繰り返して、ボーダーライン模索された

そういう点では、日本立法はまだ冷静な方だと思う

とは言えその日本でも今は「単純所持禁止」という強力な法律として存在する

タバコと同じで要は時間問題なんだ

 

今日あった、山口組への抗議活動も同じ

叩いていい空気があれば、例え法に抵触して無くても抗議という動きになる

 

性的コンテンツも同様

既に何度か締め付け強化が提案されているが、どうにか回避されている

しかしこれも時間問題

例えば、性的コンテンツ課税すると言っても誰も反対しないだろう

その後条例規制ができても反対しない

 

こうやって徐々に、陣取りゲームのように「後ろめたいこと」は例え誰も傷つけなくても社会から排除されていく

排除するのは実際のところ普通の人たち=大衆

彼らは彼らの後ろめたさを刺激されて、教科書通りの答えを発し、間違った者を糾弾していく

これは現状、時代をへるごとに悪化していってると思う

徐々に世の中の見えない部分がなくなることで、本音と建前がなくなり、その環境下で育てられた子供たちが更にその思想を強力にしていく

今はまだ世の中を昭和人間が動かしているが、それも時間問題

 

泣いても喚いても時間が延びるだけで大体無駄

自分は良いことをしている」と信じている世界中の人達を止めるのは非常に難しいし、特にネットでそれが加速している

良いことしていると思ったらグリーンピースみたいな活動だってできる

 

実際こういうのは時代によって揺れがあるんだろうと思う

今のイスラム国家中国を見れば、彼らが今揺れの向こう側にいるだけで、時代が違えば日本もああなんだろう

ディストピアはもうすぐそこまできているし、いつだって少しのボタンの掛け違いでディストピアは作られる

せいぜいできるのは時間稼ぎくらい

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