はてなキーワード: メインストリームとは
などと、周りでPixelでNFCが使えなくなっている事例を目にして思った。(4月のアップデートでも治ってないらしい)
https://iphone-mania.jp/news-444457/
個人的にはAndroidもiPhoneもどっちも使ってるんだけど、大事な認証とか支払いとかの機能は全部iPhoneに持たせている。
(Androidって一口にいうのは主語がでかいとは思いつつも)端末バリエーションが多すぎるのが問題で、Androidは信用できないし、開発側からしても魅力的に思えない。
もちろんAndroid端末個々のスペックを取れば大抵iPhoneに勝ってると思う。iPhoneは1世代、2世代前の技術使ってて面白味はあまりないのにも同意する。
ただ、Androidは、アップデートの安定性とかアプリの移植性とか考えると、どうしても不安定になる。
実際、アプリ開発の現場で、特定の会社の特定の端末のみで起こるバグとか、画面が見切れるとかの事象に延々追われて、Androidのリリース・アップデートが遅れるというのは何度も見てきた。ハードの各パーツ、対応しているAPI、OS、画面サイズなどなどが掛け算で無限にバリエーションとして出てくるので全部テストするなんてのは不可能。
おまけにAndroidにインストールされてる他のアプリの影響とかも出てくることがあるので、ユーザレベルでもバリエーションが出てきてしまう。メインストリームだけ、と思っても会社ごと製品ごと全然仕様が違うのでやっぱりつらい。
UI/UXは端末最適、シームレスなものには絶対にならない。周辺機器を考えるともっと辛い。
iPhoneも多少はバリエーションあるけどAndroidに比べると全然大したことない。ハードとソフトが大抵整合していて考えやすい。
そんな状況だから、Androidを使い続ける限り、アプリとかOSのアップデートでいつかバグを引いてしまう。開発側もテストめんどいのでiPhoneに特化してアプリ出したりする(特に日本ではその方がコスパ良い)。もしくは汎用的でそんなに使いやすくないUI/UXでAndroidにはリリースしたりする。そうしてますますAndroidが使いづらくなってしまう・信頼できなくなってしまうというループが長期的に発生しているように思う。少なくとも自分はそう感じていて、Android使う頻度は漸減傾向
今回、平常通りになんでも噛みついてるネトフェミと、何でも擁護する表戦の他は「青年漫画のヒロインがビジネスマン向けの新聞に出てるんなら別に問題ないのでは」って言ってる一般人女と、「たわわは無理、引くわ」って言ってる一般人男が出てきてて面白いと思ってる。
たわわの場合、絵柄だけで言えば一般人女性が見た時に気持ち悪いボディバランスの絵ではなくかわいいと感じる一方、漫画として見たときに「女体大好き!都合のいい女体が身の回りにいて癒される!」みたいなエゴがダダ漏れなところに対して一般人男でノットフォーミーって言ってる人も多くて、そういうねじれが生じていると思う。
個人的には、漫画読んでくれってPRだったらいいんだけど「月曜日に癒やしを」ってコンセプトがさっぱりわからなかった。巨乳に癒やされる人って男女問わずメインストリームとは言えないと思うし。
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
不味いは不味いだろ。
不味くても食える。
そんなに分かりにくいかな?
サイゼの話題でも顕著だけど、「美味い・不味い」という軸と「食える・食えない」という軸が独立したものという感覚が無い人が世の中にはかなりの数いるんだと思う。
どうも結構な割合の人が「食える・食えない」の軸しか持ってないっぽい。彼らの言う「美味い」は「食える」という意味だし、「不味い」は「食えない」という意味なんだよな。
だから「食える・食えない」とは別の軸として「美味い・不味い」を持っている人とは会話が成立しない。
これは貧乏だからとか食育が為されなかったからとかいう背景の理由もあるのかもしれないけど、どっちかというとそもそも社会の平均的傾向として割と多くの人は食に興味が無いんだと思う。
昔JPOPが流行ってたときは猫も杓子も音楽を聴いてたけど、その中で音楽そのものに興味がある人ってかなり少なくて、現代みたいに音楽そのものがメインストリームから外れてくると音楽自体聴かない人が多くなってしまった。
食もそういうもんなんじゃないかと思う。
ネットにいる人間には信じられないかもしれないが、石原慎太郎の世間一般での評価は「欠点もあったが、一本芯の通った昔ながらの剛毅な政治家」だ。
だからテレビでの石原慎太郎の取り上げられ方は一般的な視点に近い。
「賛否あるが一本気な政治家」が、「有象無象の文句しか言わない奴ら」に妨害されている、というストーリーが一般的な見方である。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の日本人」に聞いてみればわかる。
これは別に不思議な事でもなんでもなく、単純に年を取るとわかりやすいストーリーしか受け付けなくなるということだ。これはごく自然なことだ。
はてなのメインユーザーは40代だろうが、最近本を読むのがきつくなってきたのは実感しているだろう。単純に老眼になってきているというのもある。若者のトレンドが理解できなくなってきているだろう。
60代となればそれがもっと加速する。新聞も、物理的に見出ししか読めない。物理的に政治家の話を聞けない。だから政治家はイメージと顔で選ぶようになる。
大阪府知事の吉村氏が支持されているのは、老眼と難聴と思考力の低下が主な理由だろう。若くて一本気な政治家が頑張っている、それが理解できることの7割を占めてしまい、それ以上の具体的な政策だとかは物理的に理解できない。
ゆえにこれからも維新は躍進を続ける。難しいことを理解できない国になるからだ。
オタク層には、クジラックス氏の話が参考になるだろう。年を取るごとに、純愛を描けなくなってきた、という話だ。
年を取ると、以前のようにうまく体を動かせなくなる。だから若者が恨めしくなる。「健康という財産に感謝しない不届き者ども」とみるようになるわけだ。
年を取ると、若者の多様な価値観に「うんうん」とうなずく脳を持つことが物理的に難しくなる。
けしからん若者に思い知らせてやる、という意識が非常に強くなる。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の人」に聞いてみればわかる。
複雑な話は理解されない。
そしてそれははてなの40代メインユーザーにも同じことが起こる。
あと10年すると、はてなは「他人に思い知らせてやりたい老人の巣」となり果てる。もちろんTwitterもfacebookもインスタグラムもticktokもそうなる。
平均年齢が45歳の国だから、脳の平均年齢も45歳になる。認知機能も45歳になるのだ。
フェミニズム界隈を見てみるとわかりやすい。自分の気に入らないものにレッテルを張って延々と叩き続ける脳機能がそこら中にある。あれが一般的になると思っておいていいだろう。
細かく分析し、是々非々で考えることができる人間は、もはやメインストリームではない。
知性は驚くほど劣化する。多様性を受け入れる器にはとんどんヒビが入っていく。
迷惑かけないようにってことなんだろうけど、ボカしが強すぎてどういう体験をしたのかよくわからない。
誰からいつ離れたんだろう?
界隈全体の話としては、着ぐるみを徹底していたのは初期のキズナアイとそのフォロワーだけで、その流れも遅くとも2018年には終わっていたと思う。
四天王とか言ってねこますが注目されて、そのちょっと後に月ノ美兎が現れて、「生身の人間」性が前面に出たタイプが強い勢力になってからどんどんそっちに飲み込まれていったイメージ。
だから「VTuber界隈が着ぐるみを脱ぎ始めたから推せなくなった」という話は2018年の話なら理解できるんだよね。でも今それを感じてるっていうのはちょっと…何見てたんだろう。
もちろん、メインストリームが生身の人間タイプになっただけで、今でもロールプレイタイプでやってるVTuberはぼちぼちいるからその辺だけを増田が見てたっていうのはあると思うけど。
でも今の配信勢有利の状況でロールプレイやる人ってかなりこだわりを持って活動してるはずで、その人たちが最近着ぐるみを脱ぎ始めたっていう増田の話はやっぱりよく分からない。
どこかの箱でそういうのがあったのかな。