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はてなキーワード: キャッチーとは

2018-07-21

スターを沢山集められる人は

お喋りが上手で頭の回転が速くて、あと、コミュニケーションが上手で、キャッチーで魅力的な人なんだろうなあ。

2018-07-20

ヒプノシスマイク怖い話

ヒプノシスマイクというジャンルを知っているだろうか。

H歴。武力による戦争は根絶された。

勿論、そこには多大という言葉ではくくれない程の犠牲を払ったのだ。

野蛮な男に変わり、女性覇権を握ることになる。

中王区と呼ばれる、男性を完全に排除した区画で政は行われるようになった。

そこで新たな法が制定された。その名もH法案。人を殺傷するすべての武器製造禁止、及び既存武器の廃棄。しかし、それだけでは愚かな男性の争いは根絶されない。

なので、争いは銃ではなく人の精神干渉する特殊な【ヒプノシスマイク】にとって変わった。

言葉が力を持つことになったのだ。

そして争いに親和性のあるラップを使い、優劣を決する世界になった。

男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロディビジョン、ヨコハマディビジョン等の区画生活をすることになる。

ディビジョン代表MCグループがバトルをし、勝った地区は決められた分の他の領土を獲得することができる。

これは、兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で紡がれる男たちの威信をかけた領土バトルなのだ

公式サイトより引用

有名なライターダイツイート新譜の影響で今かなり注目されている新進気鋭のジャンルだ。要はいわゆるオトメイトありがちなキャラクター個性の強いイケメンたちの話なのだが、今までになかった「オタク向け×ラップバトル」という所が独特である

現在アニメ小説ではなく、オーディオドラマキャラクターラップの収録されたCD主体コンテンツになっていて、このラップパートにかなり力が入っている。藤森慎吾サイプレス上野新譜にはラッパ我リヤやAvecAvecが参加していて、どれも中毒性の高い曲に仕上がっている。

正直、結構ハマっている。新譜更新された日も、日付が変わってすぐに聴きに行った。前述の通り曲もかっこいいしかわいいし、ドラマパートも思いもよらない掛け合いや、思いもよる掛け合い、オタクなら妄想した展開が起きたりしていて、5年前の自分なら「マジ公式が最大手wwww病気www」と呟いていたと思う。

だけど一方で、このジャンル、かなり危険なんじゃないか、とも思っている。完全に馬鹿にされて乗せられているんじゃないかと感じてしまう。

女尊男卑のH歴では男は女の10倍の税を貸されていて、中王区を囲む高い壁と厳重な門は税金で作られている。男と男のディビジョンを巡るラップバトルの際は許可を得てその門をくぐって中王区に入り、そのバトルは恐らく放映なり中継なりされて、女性の巨大エンターテインメントになっているらしい。しかもかなり人気があるようで、次の日に初バトルが控えているキャラクター女性に追い回される、という展開もあった。

この「女性に消費されるエンタメとしての男」という在り方は完全に女性向けジャンルの在り方と一致している。イケメンが出てきて、カッコイーだの顔がいいーだの個性強すぎだの言って話題にする。物語の中でもラップバトルの勝敗女性が付けるようだけど、CD投票券が付いているので、これはリンクというより完全に重なり合っている。

これが例えば「女性アイドル露出過激サービス男性に消費されていることへのアンチテーゼ」とか「流行り廃りの早い女性向けジャンルの在り方へのジョークで笑い所」ならかなりブラックだとは思うがまだいいのだ。けれど、設定の基幹、何度も繰り返し強調される部分で行われている。

体制側に女性を置き、打倒すべき相手として設定することで、今の社会なら「クソ女」と言えば差別蔑称になるのを、不満や怒りの発露、当然の悪口のようにしてしまう。逆に「所詮お前も男ということか」というセリフが出てくるが、これは侮蔑として受け取れるし、そう発する女性に対してキャラクターたちは唇を噛む訳だ。

私にはこの置き換えがホモソーシャルにおいて女性排除する事への正当化しか思えない。

オトメイトレーベル女性向けなのもあって女性キャラクターほとんど出てこない。そこに正当な理由があるんですよ、としたいがための設定に過ぎないんだと思う。それを元に作り込むような丁寧な世界構成とは言い難い。

言い訳にしては、女尊男卑世界観はあまりにメインターゲットに失礼ではないか

本当に女尊男卑が貫かれているならいい。税金10倍、手取りも悪くて、がんばってもマトモな仕事につけない。女性からは常に舐められる。正社員なのにお茶汲み、ものを頼めば「ほんと生意気、やっぱ男だから仕方ないか(笑)」と言われる、そういう世界観なら確かにキャラクターに肩入れして「このクソみたいな世界を変えてくれ!」に素直になれる。

しかヒプノシスマイク世界観はそういう訳でもない。

ホストはもてはやされ、お客の女の子を「子猫ちゃん」と呼ぶ。別に上から目線営業、という訳ではなく、むしろ紳士的な営業タイプだ。

サラリーマンと同じ職場には女性もいるし、その友達(ホスト)が職場に来た時にナンパしまくった、という描写から、少なくとも声を掛けられるような関係だとわかる。

警察官という官職にも、医者にも男はなれる。それがとても恵まれ特別なことというような描写はないし、そういう仕事権力の弱い男に押し付けるということでもないようだ。

ヤクザは「権力・金・女に酒」と歌っているから、少なくとも世の女がほとんど皆男に対して高圧的で支配的な訳ではなく、むしろ逆の立場女性もいるということがはっきりわかる。

別にこれらだけを抜き出せば女性差別すぎるという訳でもない。現代と変わらないレベルだと思う。

あるいは女性だけのクラス壁の中だけ異常に差別が強いのか、と思えば、レストラン店員女性生意気な口を訊いても追い出されるわけでもなし、道で女に声を掛けても「キャー!」と黄色い声を上げるだけで、デリカシーのない発言は返されない。

そのような実状の描写がありながら、ストーリーの旨みのために「覇権を女ばかり握る間違った世の中」としてしまって、巨大な壁を描写して、わかりやすい敵として女性全体を想定することはおかしいのではないかと思うのだ。それならもっと徹底すればいいし、あるいは燃えやすジェンダーへのdisは避けるのだって定石だ。

しかも元々ラップヒップホップというのはかなりミソジニー文化である。FSDではラッパー女性に「おまえもいつか妻になる 妻になり母になり、そのあと『なんでお母さんあんなことしていたの』っていわれないように」と向けられたほど、女性スタンス地元、これまでのバトルよりもジェンダーdisに上げられてしまう。

それが問題視され始め、ジェンダーフリーなヒップホップをと少しずつ声が上がり始めたまさにその今、こういう性差別コンテンツが出て来た意味は、偶然というには出来すぎている。単に商業的にいいフィールドだったとしても悪趣味だ。

ヒプノシスマイクというジャンルが怖いところは、ポップでキャッチーキャラクターや、「ラップ回復精神干渉・防御する」というコメディチックでバカバカしい、笑ってしまうような楽しいジャンルとしてパッケージングされているところだ。twitter検索をかけても、ヒプノシスマイクミソジニーを指摘している人はいるにはいるがそう多くない。みんな楽しんで考察二次創作をして盛り上っている。

こういう時、「あなた皮肉られているかもしれないんだよ!」とファンに言っても無駄だ。女性向けジャンルソシャゲトレス疑惑が騒がれた時、ファンは指摘する側を非難して意見を潰そうとした。ましてやはっきりいけないことという訳でもない思想の話、騒ぐ方が野暮だといえば黙って頷かざるを得ない。

けれどここで不快ジャンル無視しよう、になれないのは、私もまたファンの1人だからだ。好きなキャラクターもいるし、新曲はかっこよかった。投票結果がどうなるのかも楽しみにしてしまっている。ここでとりあえず文字にすることで、あるいは盛り上がりの中心まで届くんじゃないかと思うのだ。

創作物現実はもちろん違う。しかし、創作物行間においてこそ現実常識意識が反映される。行間を埋める努力が足りないままセンシティブ問題をただ面白みとして利用するのは軽率だ。純粋ファンにしてみればうるさいだけだとしても、世に出した以上、世間の流れと切り離すことは不可能だ。

先程書いたように、ヒップホップジェンダーフリーを目指すべきだ、という転換期に来ている。勿論、ヒップホップ以外も世間全体が性別に囚われない個人評価時代になってきている。ヒプノシスマイク女性権力を握る社会への単なる下克上ストーリーではなく、ジェンダー立場が縛られる価値観への一石になることを願ってやまない。

2018-07-11

時代が泣いてる』の時代はどんな認識だったのか?

みなさんもご存知の通り、これは『機動戦士ガンダムΖΖ』のエンディング曲で、作詞秋元康だったわけだけだけども

この当時、「型にはめられた(レールの上を進む)人生は楽」「0から始めるのは大変」みたいな価値観って共感を得ていたんだろうか?

今にして見ると、後者はまだしも、前者は結構同意を得づらい価値観だと思う(まず「レール」とやらに乗るのが大変だし)

アイドルを散々売り出している人間作詞なのだから、それなりのキャッチーさはあると思うのだが、それでもやっぱりダサいもの認識されてたんだろうか?

今と当時の秋元康に対する評価理解しているわけではないので、そこら辺詳しい方にお聞きしたい次第である

あと、『アニメじゃない』は言ってることの是非は別としてクソダサだと思います

2018-07-10

俺の青春人生

悲しいことに俺の青春人生は、オウム真理教の影響を大きく受けている。

杉並区高校に通っていたことも、俺の精神オウムで埋めることに拍車をかける要因になっていただろう。

高円寺駅には毎日のように彼らが居た。

オウムシスターズという呼称で4姉妹が踊る。

オウムショップもあったし、何度も面白がって足を運んだ。

高校のある久我山駅も然り。

彼らの一部は愉快な教祖のはりぼてを被り、ある者は象の着ぐるみに身を包み、あるいは象の帽子を頭に乗せている。

特殊コスチュームを持たない信者らは、サマナ服と呼ばれる修行用の衣服をまとい、風船やら麻原彰晃マンガを配ったりしていた。

もちろんBGMは例のマーチやらアストラル音楽という、キャッチーでありまた環境音楽のような不思議ものである

当時彼らは政界進出を目論み、選挙活動をしていた。

俺は国語を筆頭に社会科政治、そう言ったいわゆる「文系」科目は苦手ではあったものの、そんな俺でも「選挙権を持たない子どもをメインターゲットとしている活動」が、少々不自然であると感じていた。

さな子どもは風船を欲しがり親を困らせる。

そりゃそうだ。

風船はただの風船ではなく、教祖似顔絵プリントされているのだ。

高校生に配られる小冊子には、確か空中浮遊できるまでの修行の様子が描かれたマンガなどが掲載されていたが、しょせん高校生などアホの集団であり面白がってそれを貰うのだ。そして教室の後ろのロッカーの上には放置されたそのチラシが散乱していた。

男の子は好きなんだよ。

秘密基地のようなものや、仲間をコードネームホーリーネーム)で呼び会う秘密結社感が、想像力をかきたてるのだ。

ではその秘密結社に入りたくなったのか?と言えば、残念ながらそれは無い。

「なぜこんな怪しげな組織に入りたくなるのか?」と、信者心理精神構造が気になって仕方なかった。

ずっとだよ、ずっと。

彼らが大きな事件を起こし、事態収束していくまで、いや、それ以降もか。。

「そこに何かの救いがあったのだろう。」と漠然と思っていたが、なぜソレなのか?ソレでなければいけなかったのか?

その構造が知りたかったのだ。

彼らは事件を起こした。

自宅最寄り駅の野方駅近くには、呉服屋の上にオウム真理教病院があったが、そこもまた事件舞台となってしまった。

震撼した。

にも拘らず、日々テレビ報道されるオウム真理教情報は、心を揺さぶったのだ。

サティアンと呼ばれる施設には秘密化学工場があり、ヴァジラヤーナ号とかいクルーザーを所有していたり、次々と明かされる関係者ホーリーネーム挙げ句の果てに報道陣が居る目の前での暗殺まで……

笑えない、笑ってはいけない。

バイト仲間の友だちは丸ノ内線で死んだ。

比較的身近に被害者が居た。

笑えるわけがないのだ。

……にも拘らず、興味が絶えないのだ。

事態収束報道される情報の減少に、軽い寂しさすら覚えたのだ。

終わりが近づくことは良いことであるはずなのに、だ。

心を返して欲しい。

俺の心も脳細胞も、そんなことを考えるためにあるわけじゃあない。

そんなことを覚えるためにあるわけじゃあない。

心と脳細胞を返して欲しいのだ。

教祖は死んだ。

これで本当に、人々の興味も、記憶も、薄れていくのだろうか?

それとも、まだあの教団から派生したいくつかの組織が存続している以上、しぶとく人々の記憶に巣食い続けるのだろうか?

人々の……というより、俺の、だ。

こんなに、こんなに興味を注ぎ続けてきたのに、一度たりとも「入りたい」と思ったことは無いのだ。

だったら考える必要なんてまったく無いじゃあないか

その時間、心、脳細胞、そう言ったものを全部返して欲しいのだ。

2018-07-01

無敵の人」っていう呼び方、本気でやめてほしい。

“なんでも「◯◯女子」とか「◯◯男子」って名前つけるのやめろや〜” とかよく言ってるけど、同じ事じゃないか

いや、ネガティブ呼び名キャッチー言葉にしてみせました風な分、「無敵の人」の方が質悪い。

実態をとらえられない相手に、名前をあてがってるだけでしょう。

あと「(失うものがなにもないので)向かうところ敵なし」っていう意味で「無敵」って使ってるのかしらんけど、意味違くないか

しろあの人たち「お前ら全員敵」って思っているんじゃないのか、こちらのこと。

そこに無自覚すぎるんじゃないのか。

誰か特定の人を恨んで敵視するのとはわけが違う。

社会から拒絶されたと(一方的しろ)感じて、刃を持つに、殺意を持つに至るんだから、むしろ敵意ありありでしょう。

無敵の人」と呼ばれてる人たちがやったことを肯定するつもりは全く無く、むしろ怒りしか感じないけど、

結局、そういう人たちの内実を知れるわけでもなく、自分に置き換えて考えられるわけでもなく、遠くから指差すだけしかできないでいるうちは、そんな風に呼ぶべきじゃないと思う。

2018-06-28

anond:20180628082230

与党より期待を持てる野党を育てる、に尽きるのでは

でも野党系の人達ってこういう正道の話はつまんなそうにするんだよなあ

なんか一夜で大逆転的なことばっか目論んでる

からキャッチーフレーズ与党をあげつらえるネタばっかりに腐心する

2018-06-25

すごくいやな気持ち

どうせ今この時しかこ気持ちは維持できなくて、書くこともできないだろうから、仕方ないとあきらめて書いてしまおう。

Hagex氏が亡くなったという、殺されたんだという。これ以上のことは今は何もわからず――もしかしたら今後もわかることはなく――ただ、おそらくは彼の放ってきたあれこれの言説がその原因であろう、という無根拠匂いが鼻の奥を突いてくる。

ブログの表層に表れるようなふざけた表現、煽っているとしか思えない口調の一方で、編集文章に対してのありかたに一種の真っ当さがあることを知っていた。何かのイベントだったかで直接言葉を交わせる機会があって、彼の単著について二、三の質問をしたら(彼からすれば、それは「重い」とまではいかなくても、まあ苦い類の質問だったと思う)、突然現れた初対面の読者に対するにはじゅうぶんすぎる丁寧さと誠実さで、制作の内幕をほんの少し明かしてくれた。

彼のエントリに含まれていた、エントリの主旨に反していて望ましくない誤字脱字の類を見つけて、せっかくだからと、できるだけ急いでまとめて、暗黙に報告したことがあった。メールを送ってすぐに、「心配していた部分だったから、とても助かりました」という趣旨の小気味いい返信が届いた。もちろんエントリ修正されていた。

たった2回のやり取りだ。でも、やり取りをしたことがある。一方的に読むだけではなくて、コミュニケーションを交わした。

これから自分は、彼のことをまるで教訓のように、まるで反省のように、まるで歴史のように、この事件エピソードに押し込めて語ることになるんだろうか。インターネットの闇、発言リスク、みたいな、キャッチーに整頓された見出しで。

そう言ってしまえるだけの根拠が今後出そろい、そして言う必要があったなら、もちろん自分はそうするだろう。二度とこんなことが起きてほしくはないから。

でも、一度は会って言葉を交わし、もう一度は会わず言葉を交わしたあの人を、教科書記述のように扱うことが、扱うであろう自分が、つまらなくてならない。

あの時Hagex氏がすぐに修正してくれたエントリには、実はまだ修正漏れがあった。すぐに修正漏れには気づいたのだけど、やっぱり遠慮してしまって、再訂正依頼になりかねない2通目は送りそびれたのだ。

うそれを直してもらうことはできない。絶対に。

2018-06-22

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

2018-06-16

anond:20180615221540

便利でキャッチーから皆んな使うけど、怖いよな。。

anond:20180616095137

元増田に噛み付くわけじゃないけど

4000字につき画像1枚くらいの感じなら引用OK

という感覚理解できない。「引用」だぞ?  どうして「○○文字書いたら画像1枚転載して良い」みたいな感覚になるんだ?

もう一度言う。「引用」だぞ?

じゃあ何か? 元増田基準で言うなら4000文字書けば、書いた内容と関係なくてもそこらの適当写真無断転載していいのか? ダメだろ?

権利者の許可を取らずに画像を「引用」するというなら、書いた文章に、その画像引用しなければいけない必然性が含まれていなければならない。

 

例えば漫画ならコマ割りのテクニック解説するとか、絵の表現テクニック解説するみたいな文章に限ってしか漫画画像を「引用」する必然性は全くない。

よくブログであるのが、ストーリー分析自分感想を絡めた文章に、ところどころキャッチーコマ画像を貼り付けていく記事だが、はっきり言ってストーリー分析とか感想漫画画像を「引用」する必然性はない。そういう分析ブログ感想ブログは単に無断転載して、権利者に見逃してもらってる状態なだけだ。

 

「このコマに感動しました」と言って、そのコマ画像を貼り付ける。これって「引用」じゃないからね。単なる転載からね。感動したコマを貼り付ける必然性なんて全くないからね。感動したコマ説明したければ、「何巻の何ページ目の何コマ目で主人公がこうこう、こうしてるシーンに感動しました」って文章表現すればいいだけなんだからね。且つ、引用するならセリフだけで足りる。

 

これを全く理解せずに「引用」「引用」って言ってる人の多いこと多いこと…。

LINEスタンプ感覚アクセス集めに、漫画コマアニメキャプ画像無意味転載するのは意識高いはてな民ならさっさと辞めるべき。

2018-06-15

anond:20180615130153

忘れるの自体が無理だろ。本人がキャッチーコピーを笠に着て登場してるんだし。

本人NEMの盗り逃げ失敗の時点で雲隠れすりゃいいのにいまだに同じ名前ビジュアル立ち位置でなんかゴニョってるあたり、「ただのイキリスト」が正解なんだけれども

周りがどうもそう扱ってないように見えてなあ。

2018-06-14

電車で隣に座ってるタブレット二の腕スリスリおじさん

あれキャッチー名前つけてセクハラにしたほうがいいよ

タブレットに夢中で小一時間二の腕同士をスリスリスリスリしてんの気づいてないんだよ

ミートゥーさんよろしくおなしゃーす

2018-06-12

anond:20180612110228

computer city キャッチーメロディーに切ない歌詞共感。PVのダンスも必見。

seventh heaven とろけて消えてしまう、夏にぴったりのー5℃涼しくなる歌

perfect star perfect style 多分ね君は本当はそう 全てパーフェクトなスター

2018-06-08

10年越しにSOUL'd OUTにドハマりした話

日本人グループが歌ってるHIPHOP曲ってのは微妙なのばかりだと思ってたけどこのグループは尖りすぎててすごい。

キャッチーメロディーと流暢なラップ意味不明歌詞が見事に合体していて中毒性がヤバイ

さながらアニソンでいう電波ソングに近い。

COZMIC TRAVELからドハマリしたんだけどこの曲はめっちゃキャッチー

クリストファーコロンブス唐突に出てくる歌詞意味不明さは置いといてめっちゃノレるメロディーから入り口としておすすめしたい。

https://youtu.be/ZZIur_FcAOw

2018-05-22

anond:20180522103050

元増田です。言及ありがとうございます

仰ること、「確かに!」と頷けました。

煮え切らないウジウジした話は、聞いているとイラつきますもんね。

キャッチーで簡潔な言葉選びをしていきますブクマ書いて読んでたら磨いていけますかね(笑)

2018-05-02

anond:20180502114736

珠玉作品を作っているのはわかるんだけど、なぜか聴く気にあまりならないんだよなー。聴けば捨て曲なし、歌詞も秀逸ってのはわかってるんだけど、たくさん聴こうってなぜか思わない。なぜだろう。ポップさとかキャッチーさとかの問題だろうか。人生をすごく損している気がする。聴いてみるよ。

2018-04-26

anond:20180426164750

どれもピーキーなだけじゃん。なにがキャッチーだ。むしろマニア向けだから一般に受けなかったんだろ。

anond:20180426163940

ぶっちゃけ脚本ショボいからだよ

パシフィック・リムとレディプレ1

〇〇のキャラが出てた! た~のし~! ってだけの映画ははっきり言うとずいぶん前からヒットはしていない。

スターウォーズEP8とかバットマンV:Sとかも言ってしまえばダメ映画で、興収もそれにならった結果が出てるだろ。そういうことだぞ。

如何にキャッチーでも内容が伴わなければヒットは生まない。

163km出したってちゃんと打ち取ろうとする球を投げなければ打ち返される。そういうもんなんやで。

2018-04-18

自分ビジネス書にも学術書にも居場所がない

映画ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』には主人公レイクロック自己啓発レコードを聞いている場面がある。

公開してすぐに見た。ビジネスとか経営かいうのは、結局こういうものなのだろうかと感じた。

数カ月後の今、就活中であり自分は大変厳しい状況だ。

偏差値が低い私立大学色物学部に行ったせいだろうか。

個人的にはもっと社会学などに突っ込んだほうが幸せだった気がする。

まぁ、マネジメントだとか云々いう企業容姿キモくて身長やらも低い気持ち悪い人間を取りたくはないだろう。

企業説明会に行くと、たいてい出てくるキーワードがある。

自律性」とか「イノベーション」とか。

自律性」というのは、積極的若いときから活躍できる云々ということだろう。

イノベーション」というのは、世の中に新しい価値を生む云々ということだ。

言い換えると、皆が賃上げを受けれると思うな 上に文句を言わず自己啓発やら能力開発に勤しめ 物が売れないかイノベーションを起こさなきゃいけないんだ ということだろう。

こんなことを包み込んで要求してくるのだから資本主義は終わりに近い状況なのかもしれない。

企業が欲しい人材というのが、安倍政権が思い描く臣民に非常に似ている気がしてならない。

安倍政権というのは人文を軽んじているだとか諸々言われている。

その上、「働き方改革」だとか「異次元金融緩和」だとか見かけはキャッチーで中身はカスみたいなものを打ち出す。

まぁ、強引な結論だが「国民は上に文句を言うな 扇動されて働け」という何か自己啓発的なものを感じる。

例えれば、安倍政権理想的図書館というのは自己啓発本とビジネス書と愛国心的な本がびっしりものだろう。

安倍政権自己啓発的だという批判は、前からあるようだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/062200099/

自分だけではない感覚だととても安心した。

企業説明会で言われることも、それに近いものを感じることがある。

変にドキュメンタリー映画を人より見ている人間不要で、「実用的な」知識があって文句を言わず会社に尽くしてくれる人間を求める。

恐らく、ビジネス界隈の思想というのが政府と考えが近く、安倍支持者が一定数つくりだす温床的なものになっているのではないか

自己啓発的な市場は拡大をしているらしく、安倍政権というのは世の中の流れを映し出しているのかもしれない。

実家には父親ビジネス書が高く積まれている。マネジメントだとかマーケティングとか個人的には嫌気がさす言葉だ。

それを積み上げて足置きにして、学術書をめくる。時たまに、父親会社社員Twitterを見ると良くわからない意識高い系ツイートをしている。

シリコンバレーがどうのだとか、イノベーションが云々。こんなものよりも、自分を取り巻く法律やら過酷労働を気にしろよと言いたくなる。

自分ビジネス書とか自己啓発書に熱心になれない。

しかし、学術書を読みこむのに知能も、もちろん学歴も低い。

もし、容姿がよければ何色でもとりあえず染まれたのかもしれないが容姿は醜い。

自分に居場所がない。

参考資料

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/20/9/20_9_26/_pdf/-char/ja

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180110_73043.html

2018-04-05

noteの新たな脆弱性

情報を追記し期待させることで購入させる有料記事話題だ。

https://note.mu/ancha0408/n/n47e28e4a9526

特商法表記こちら。

https://note.mu/ancha0408/terms/specified

キャッチータイトル言わずもがななのだが、注目はその手法

アウトラインを書き、それを追記していくことでお得感を出している。ツイートを見ると現在追記は1回行われたようだ。

さて、noteでは返金ができない。

だが、読者はこの追記が適切に完了することを期待して購入しているはずだ。しかし本有料記事では終了時期には言及していない。もしかりに作者に万一のことがあったらどうなるのだろうか。

かつて、有料メルマガ炎上した事案があった。

◆週刊(だったはずの)有料メルマガが一ヶ月間配信されなかった件

http://hotakasugi-jp.com/2012/11/13/mailmagazine/

実際、ツイートを追っていくとまだ情報本丸は明かされていないようだ(つまり購入前時点ではこれが本当のことなのかフィクションなのかの判断がつかない)。それが最終的に明かされたとしても、それが1年後だったりしたら、読者はどう思うのだろうか。

noteは、分割追記していくタイプ記事販売は、早急にスケジュール設定し、完成してからでないと販売できないようにするべきだ。もしくはリスクについて説明する欄を追加しそれが入力されなければ有料発行させないよう対応すべきだろう。

さて、くだんの記事は、現在販売数は800を越えているとのこと。

果たして

◆追記

「書き足していくごとに値上げする」という、そのセンスは素晴らしい。情報本丸最後にならないと明かされないな。さていつになることやら。

https://twitter.com/annin_book/status/981472714656432128

かつての料金。

https://megalodon.jp/2018-0405-0125-42/https://note.mu:443/ancha0408/n/n47e28e4a9526

2018-03-27

そだねー商標登録気持ち悪いなあ

全然キャッチーでもなんでもない、むしろダサいのにこれを推す気持ち悪さ。道民として恥ずかしい。これが方言なんて聞いたこともないし。カーリング女子被害者

2018-03-22

anond:20180322221024

同じく洋楽に分類されるかわからないけど、私はタイの曲をよく聴きます

Room39というユニットキャッチーな曲が多くておすすめです!

2018-03-20

出版業界はもう終わっている

これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。

編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。

宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターフォロワーが多い人間ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通もっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。

売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッター感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。

そこで出るツイッタラーの本も通り一遍ものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。

本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。

本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。

小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由次回作は出ない。

じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。

じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業宣伝を説得できない。

こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。

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