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はてなキーワード: キャッチーとは

2018-05-02

anond:20180502114736

珠玉作品を作っているのはわかるんだけど、なぜか聴く気にあまりならないんだよなー。聴けば捨て曲なし、歌詞も秀逸ってのはわかってるんだけど、たくさん聴こうってなぜか思わない。なぜだろう。ポップさとかキャッチーさとかの問題だろうか。人生をすごく損している気がする。聴いてみるよ。

2018-04-26

anond:20180426164750

どれもピーキーなだけじゃん。なにがキャッチーだ。むしろマニア向けだから一般に受けなかったんだろ。

anond:20180426163940

ぶっちゃけ脚本ショボいからだよ

パシフィック・リムとレディプレ1

〇〇のキャラが出てた! た~のし~! ってだけの映画ははっきり言うとずいぶん前からヒットはしていない。

スターウォーズEP8とかバットマンV:Sとかも言ってしまえばダメ映画で、興収もそれにならった結果が出てるだろ。そういうことだぞ。

如何にキャッチーでも内容が伴わなければヒットは生まない。

163km出したってちゃんと打ち取ろうとする球を投げなければ打ち返される。そういうもんなんやで。

2018-04-18

自分ビジネス書にも学術書にも居場所がない

映画ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』には主人公レイクロック自己啓発レコードを聞いている場面がある。

公開してすぐに見た。ビジネスとか経営かいうのは、結局こういうものなのだろうかと感じた。

数カ月後の今、就活中であり自分は大変厳しい状況だ。

偏差値が低い私立大学色物学部に行ったせいだろうか。

個人的にはもっと社会学などに突っ込んだほうが幸せだった気がする。

まぁ、マネジメントだとか云々いう企業容姿キモくて身長やらも低い気持ち悪い人間を取りたくはないだろう。

企業説明会に行くと、たいてい出てくるキーワードがある。

自律性」とか「イノベーション」とか。

自律性」というのは、積極的若いときから活躍できる云々ということだろう。

イノベーション」というのは、世の中に新しい価値を生む云々ということだ。

言い換えると、皆が賃上げを受けれると思うな 上に文句を言わず自己啓発やら能力開発に勤しめ 物が売れないかイノベーションを起こさなきゃいけないんだ ということだろう。

こんなことを包み込んで要求してくるのだから資本主義は終わりに近い状況なのかもしれない。

企業が欲しい人材というのが、安倍政権が思い描く臣民に非常に似ている気がしてならない。

安倍政権というのは人文を軽んじているだとか諸々言われている。

その上、「働き方改革」だとか「異次元金融緩和」だとか見かけはキャッチーで中身はカスみたいなものを打ち出す。

まぁ、強引な結論だが「国民は上に文句を言うな 扇動されて働け」という何か自己啓発的なものを感じる。

例えれば、安倍政権理想的図書館というのは自己啓発本とビジネス書と愛国心的な本がびっしりものだろう。

安倍政権自己啓発的だという批判は、前からあるようだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/062200099/

自分だけではない感覚だととても安心した。

企業説明会で言われることも、それに近いものを感じることがある。

変にドキュメンタリー映画を人より見ている人間不要で、「実用的な」知識があって文句を言わず会社に尽くしてくれる人間を求める。

恐らく、ビジネス界隈の思想というのが政府と考えが近く、安倍支持者が一定数つくりだす温床的なものになっているのではないか

自己啓発的な市場は拡大をしているらしく、安倍政権というのは世の中の流れを映し出しているのかもしれない。

実家には父親ビジネス書が高く積まれている。マネジメントだとかマーケティングとか個人的には嫌気がさす言葉だ。

それを積み上げて足置きにして、学術書をめくる。時たまに、父親会社社員Twitterを見ると良くわからない意識高い系ツイートをしている。

シリコンバレーがどうのだとか、イノベーションが云々。こんなものよりも、自分を取り巻く法律やら過酷労働を気にしろよと言いたくなる。

自分ビジネス書とか自己啓発書に熱心になれない。

しかし、学術書を読みこむのに知能も、もちろん学歴も低い。

もし、容姿がよければ何色でもとりあえず染まれたのかもしれないが容姿は醜い。

自分に居場所がない。

参考資料

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/20/9/20_9_26/_pdf/-char/ja

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180110_73043.html

2018-04-05

noteの新たな脆弱性

情報を追記し期待させることで購入させる有料記事話題だ。

https://note.mu/ancha0408/n/n47e28e4a9526

特商法表記こちら。

https://note.mu/ancha0408/terms/specified

キャッチータイトル言わずもがななのだが、注目はその手法

アウトラインを書き、それを追記していくことでお得感を出している。ツイートを見ると現在追記は1回行われたようだ。

さて、noteでは返金ができない。

だが、読者はこの追記が適切に完了することを期待して購入しているはずだ。しかし本有料記事では終了時期には言及していない。もしかりに作者に万一のことがあったらどうなるのだろうか。

かつて、有料メルマガ炎上した事案があった。

◆週刊(だったはずの)有料メルマガが一ヶ月間配信されなかった件

http://hotakasugi-jp.com/2012/11/13/mailmagazine/

実際、ツイートを追っていくとまだ情報本丸は明かされていないようだ(つまり購入前時点ではこれが本当のことなのかフィクションなのかの判断がつかない)。それが最終的に明かされたとしても、それが1年後だったりしたら、読者はどう思うのだろうか。

noteは、分割追記していくタイプ記事販売は、早急にスケジュール設定し、完成してからでないと販売できないようにするべきだ。もしくはリスクについて説明する欄を追加しそれが入力されなければ有料発行させないよう対応すべきだろう。

さて、くだんの記事は、現在販売数は800を越えているとのこと。

果たして

◆追記

「書き足していくごとに値上げする」という、そのセンスは素晴らしい。情報本丸最後にならないと明かされないな。さていつになることやら。

https://twitter.com/annin_book/status/981472714656432128

かつての料金。

https://megalodon.jp/2018-0405-0125-42/https://note.mu:443/ancha0408/n/n47e28e4a9526

2018-03-27

そだねー商標登録気持ち悪いなあ

全然キャッチーでもなんでもない、むしろダサいのにこれを推す気持ち悪さ。道民として恥ずかしい。これが方言なんて聞いたこともないし。カーリング女子被害者

2018-03-22

anond:20180322221024

同じく洋楽に分類されるかわからないけど、私はタイの曲をよく聴きます

Room39というユニットキャッチーな曲が多くておすすめです!

2018-03-20

出版業界はもう終わっている

これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。

編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。

宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターフォロワーが多い人間ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通もっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。

売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッター感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。

そこで出るツイッタラーの本も通り一遍ものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。

本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。

本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。

小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由次回作は出ない。

じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。

じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業宣伝を説得できない。

こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。

2018-03-13

anond:20180313122326

考察特に長文はブログにまとめるといいと思う。

で、twitterではハッシュタグ付きで短くキャッチー投稿を心がけて、たまにブログシェアしたりとか。

読み応えあるブログコンスタントに書いてると、わりと興味もたれやすいと思うんだよね。

逆に、twitterで無理に長文書いても敬遠されることが多いし、下手すると発言の一部だけ抜き出されて炎上したりあまりいいことない。

2018-03-08

オフをやめた

とあるジャンル同人誌を出している。ネット上にも小説を上げている。

ひとつ前に出していたジャンルではあまり売れなかった。全くと言っていいぐらいに売れなかった。ジャンル友達もいないので他人がどれぐらい売れているかなんて聞いたことはない。それでも毎回20部売れれば良いほうだった。

閲覧数も少ない。評価も少ない。つまり人気はない。

自分文章が下手だからだと思った。面白くないから読まれないのだと思った。他の同カップリング書き手は(片手の指ほどもいなかったけれども)パロがうまいとかエロうまいとかキャッチーな部分がある。自分はそれがない。だから人気が無いのだと思った。

面白い話を書きたくて、映画を見た。小説を読んだ。面白い話の構造を分解してどうして面白いか探ろうとした。売れている物をなるべく見るようにした。

とあるジャンルにハマってそちらで小説を書き始めた。前のジャンルの数十倍は人がいる。比喩ではない。私の書く小説ですら、閲覧数が20倍になったので人がいる。このあたりで他人と比べてしまうのが嫌で、スタイルシートを変更して閲覧数と評価数が見えないようにした。

話の傾向は変わらない。キャッチーさはない。エロ殆どない。面白パラレルが書けるわけではない。好きなものを好きに書いた。

感想を時折もらえるようになった。人が多いからだろうと思った。

同人誌を書いた。即売会に出た。売れた。前のジャンルと同じ部数を刷ったらすぐに捌けた。

次の即売会では倍にした。捌けた。感想を言いに来てくれた人がいた。

その次の即売会では1.5倍にした。それでも捌けた。今度こそ余ると思っていた。

この時、売り子として友達に入ってもらったお陰で周囲を見る余裕ができた。同じ島で一番人が並んでいた。

書いている話の傾向は変わらない。文章力は上がったとは思えない。何も変わっていないはずだった。なのに売れる本の冊数も10倍近くなった。

ジャンルが変わるとこれだけの人に見てもらえる。怖くなった。今は売れている、反応もある、感想ももらえる。でもこれはジャンルのおかげだ。私自身の文章力や話の構成力、キャラ再現力がどうなのかわからない。傲るのが怖かった。自分の話が上手いんじゃないか勘違いするのが怖くなった。下駄を履かせてくれるジャンル自体が怖くなった。他の人より売れている、人が来てくれる、嬉しい、そう思ってしまった自分嫌悪感を持った。

オフをやめた。話は書き続けている。相変わらず閲覧数や評価を見えないようにしている。面白い話を書きたくて映画小説漫画を取り込むようにしている。構造分析もするようにしている。好きな子たちが萌えることをしているところを、少しでも面白い話として読みたい。でも他人と較べてしまうのは嫌だ。

オフはまたやらないのですかとたまに訊かれる。オンは1万字程度しか書かない。オフ10万字前後の話を書いていた。長い話を楽しんでもらえるのは嬉しい。そのうちオンライン上に長い話をアップしたい。

2018-03-07

森田美勇人くん、はじめました。

ずっとずっと、逃げてきた。

言葉にすることも、名前を付けることも、形を整理することも、どうしてもずるい臆病なわたしだったので、もう一方の過去や誰かを否定して手離してしまうみたいなそれやこれを、できないままでいる。だけど、「好き」なことを「好き」と言える誰かの愛や答える笑顔が羨ましかったり、それはほんとうに喉から手が出るほど欲しい勇気であって、だったらもうそんながんじがらめから解き放たれてみようって。

これは、所謂担降りブログというか、担当宣言なのですが、「今」のわたしを語る文字になります。主軸は今にあり、全ての想いや歩みを書き記すわけではありませんが、振り返ると変わらぬ道の続きを歩いているんだもの、どうにも抜かすことはできないから、思わずびっくり、話は4年前に遡るのです・・・

2014年2月、金曜夜でおなじみの歌番組で、ハッとときめきを知ったのが、発光体のような伊野尾くんと、Hey!Say!JUMPだった。彼がシングル曲に初めてソロパートを得た『AinoArika』の披露であるそれから伊野尾くんがわたしの気になる存在になるわけだけど、例えば好きな女性タイプを聞かれたとして、伊野尾くんは「みんな」と答える。素直な人間性で全ての自分ファンを受け入れ、「選択肢があることが幸せ」「知らないことを経験できる人生は長くて楽しい」と言う伊野尾くんが偉大で、夢をあきらめたくないってなんだかわたし人生観まで変わって。今やってみたいことをやろうって志したのも伊野尾くんがいたからだし、そう選択しなかったら多分あのとき病院に行くことはなくて(健康診断を受けることが両親からの条件だった)、自分病気に気づかなかった(大抵は出生後すぐ発見中学生治療するような生まれつきの心疾患があったようで、ちょうどその年齢が合併症なく手術できるタイムリミットだった‥完治済みなので心配無用です)し、伊野尾くんがほんとうの意味でのお薬で命の恩人になっている。

未知との遭遇みたいなHey!Say!JUMP伊野尾くんは、自分でも驚きだったし、なんだか目新しい出会いへの興奮を愛に変換してしまっているのかなとも思えて。この思考回路が変わらないオタク気質なんだけれど、自分を試そう!と未開のジャニーズ摂取すべく『Sexy Zone Channel』も『少年倶楽部』も『ガムシャラ!』も、『お兄ちゃんガチャ』は勿論『49』も見始めた。ここでは、「やっぱりHey!Say!JUMPが好き」の結論になるんだけど、習慣にしたそれらは続くことになり、その産物が今への扉である

当時の『少クラ』では、今のようなユニットは無いに等しく、所謂Sexy鬱」のように、デビュー組でさえ個々人での健闘をするだなんて、グループに親しんできたわたしには馴染みがなく、どうしたものかと戸惑った。そんな折、トップバッターにも立つ「あらちか」はTravis Japanというユニット所属するうちのシンメだと知ったし、 一目でわかるキャッチーで見栄えもダンスも良いふたり確約の光に見込んで、ルーズながら思い入れ対象と決めていた。「クリエA」なメインにも、セクバとしてSexy Zoneトラジャとして優馬くんのバックにも立つ才能たっぷりふたりで生きる「あらちか」は、わたしの思い描いたジャニーズJr.だったし、ふたりを見るとふわふわ胸が柔らかくなるようだった。性分としてわかりやすユニットを支持したくて指名するように選んだわけだけど、セクボ(じぐいわきしあらちか)は愛くるしかったし、トラジュ・トラジャは成る程美しかったし、Travis Japanメンバーレギュラーの『お兄ちゃんガチャ』は愉快であるし、顔が好いからまちゅまちゅ、みゅうと、あらんさん回は焼いてるのある意味奇跡だし、トラジュで唯一出ていない子・・・意識したうみちゃんビビときたし、まぁ落選したクリエトラジュ公演でそんなそれをネタにせず『兄ガチャDVD販促するうみちゃん(※ヒモ予備軍)レポに素敵だなぁ〜とほっこりした。キンプリが結成されてセクボ消滅が残念だけど、これできっとSexy Zoneも前に進むし、事実、5人のシルエットからカラフルEyesを歌う彼らは涙ぐましく、情に厚く刃向かったふうまくんって絶対的青春だし、見栄えは着飾るのに言葉は着飾らないなんて魅力的すぎる人だと知った。深夜の『ガムシャラ!』はもはやバラエティとして毎週の生き甲斐だった。チーム覇は史上最高のユニットだし、Jr.のことをもメンバーだと称す「風 is a Doll?」のご縁からパフォーマンスバトルを痛切に裁かなければならない司会に駆り出された「さなじぃ」にジャニーズJr.最高〜!と思ったし、美勇人くんのことはリアクション芸人だと思っていた。だから、嵐・JaponismドームTravis Japanがいるだなんて夢のようで、豪華なお顔・あらみゅがいないのが寂しかったけど、Mr.FUNKするうみちゃんがとびきりキュートで『愛を叫べ』を踊る宮近くんが宝石みたいに美しかたことを、覚えている。ゆるゆるゆるゆるゆるゆる、ジャニーズJr.ならこの子たちだなぁ~と、セットのドリンクメニューを選ぶ感覚わたしにとってメロンソーダみたいだったそれが、Travis Japanのように思う。そしていつの間にか、このメロンソーダのために、この店に通っていることに気付いていて。

それはまさに2年前、2016年3月4日は、Love-tune結成日であるまがいなりにもTravis Japan意識していた人間としては、美勇人くんが公式グループ兼任することも、顕嵐くんがいつのまにかそのセンターマイクを持っていたことも、「待って待って」と思うばかりだった。顕嵐くんのことは、だって嵐くんなんだもの、輝くべき場所で輝けるのならそれは素敵だよと思って、けれどあらちかが隣同士でなくなってしまうのにズキッとしてしまうし、「宮近ももってけドロボー!」なんてまだ外野立場なのに、それっぽいよう嘆いていた。だから特別ダンスするみんなの美勇人くんには、どうしてもTravis Japanでいてほしくて、青山劇場さよならもして、兄組・弟組別から改めてグループとして動きだした知り足りないTravis Japanに、そのままグループでいてほしくて、そんな勝手な願掛けで呪いをかけることが、始まりだったのかもしれない。

言うなればまりわたしは、森田美勇人Love-tuneTravis Japan)出のご新規美勇人担です。両方の登場場面で現れた出ずっぱりな少クラ美勇人くん、嵐についたら翌日はえびバック、ドリボに出たら幕間で稽古、次はえび座で…、DIGITAL BOYSえび座内アイドルユニット)のセンターで笑って、アイランドゲストガチャも最もバック選抜される名実休みのなかった美勇人くん。木星から金星へ、その場でジャケット羽織ってTravis JapanからLove-tuneへ変幻する美勇人くんにハートは奪われたし、精神的な切迫を考え出すとキリがなかったのに、呼ばれるうちが華、なんてやっとのお休みダンス留学なんてしちゃう。誰よりアイドルをして、歌って奏でて踊りまくる美勇人くんがいて、うみちゃんを見にお邪魔するようになっていた筈が、「美勇人くんにお金払ってるよ」と言うくらいにはもう充分なほど君を見つめていたし、「リア恋枠」を称して離れて行きそうな彼への、典型的な重い女な執着心を抱き、チャーミングで頑張り屋さんなうちゃんを、極上スイート存在にしていた。思えば、心の奥底でこうなる「いつか」を分かっていたから、1mm責任や傷を負わないよう距離を図っていたし、悲しんだり嘆いたり、咎め権利だなんてほんとうはない。

昨年のジャニーズJr.祭りLove-tuneの出番は美勇人くんうちわにしよう、と担当を名乗らないまま、どさくさに決意を握りしめるわたしがいた。唯一オリ曲を持っていないのが切なかったけど、こだわりの玉虫衣装を纏ってソークレ・スパノバを踊るトラジャのために心臓は動いていたし、「マスピを踊る美勇人くんが見たい・・」と言ったら埼玉で叶うだなんて夢のようで、パリマニで闊歩してCha-Cha-Chaで低音ラップする人一倍出演者に膝から崩れ落ち、『山の手外回り』を選曲して、大阪では2番の「御堂筋線」を歌うトラジャがなんの誇張なく天才だった。そんなふうにTravis Japanへの信奉と美勇人くんへの「好き」が顕になった祭り、「今はどっち?」なんてついつい神経質になるわたしを宥めるように、トラジャのジャケットのうえにらぶのジャケット羽織ったり、らぶのジャケットのうえにトラジャのそれを羽織ったり、同じくらいの交互にする美勇人くんはとてもやさしい。横アリ開演前、早売りとして流れてきた「最後の一人になってもTravis Japan」の言葉と、そう言ってくれた現実が、ほんとうにやさしくて強かった。

ジャニーズJr.なのに」と卑下せず、「ジャニーズJr.から努力を選んだ。ベースラップダンスも、誰より上手な美勇人くん。両グループのまんなかを歩いては、どちらでも0番になれた美勇人くん。ほんとうに最後まで、どちらも100%だった、美勇人くん。衣装を変える度、曲が変わる度、変身する美勇人くんは、ほんとうのみんなのスーパーヒーローで、仮面ライダーだった。グレちゃってたくせに、「もりたさんきょうだいでまわしてる」なんてひらがなで言う美勇人くん。出演公演数を知っても、昔の方が、なんて何食わない美勇人くん。トラジャを引っ張って、らぶを底上げして、全部を抱きながらアイドルで居てくれて、本当にほんとうに凄い美勇人くん。トラジャが冬の帝劇に呼ばれたこと、今やオリジナル衣装や曲をもらっていること。多分、あと寸前のところで、影に覆われてしまわなかったのは、窓系列トラジャに今があるのは、毎週の少クラコンサートに、やっとおんなじ土俵に立てているのは、美勇人くんが、Love-tuneTravis Japanでいてくれたおかげなのかな、と。そういう、守り抜き方をしてくれたんだ、と思う。美化しすぎだと怒られてしまいそうだけど、もう大丈夫なところまで、守ってくれたんだ、と思えて。

「いつか」来る「いつか」を知ってしまったとき自分を最大限傷つけないよう「担当」と呼ばない逃げ道に立って、大好きなのにすべてを100%応援できない、身勝手自分肯定していた。だけど、キントレトラジャ単独公演、あんなに泣きじゃくったのは最初最後の夜だったし、すべてのエネルギーが注がれた美勇人くんは、それでも逞しく踊り続けるから、綺麗で綺麗でそして美しかった。「お仕事がんばって!」と笑ってアイドルでいてくれるいつも通りすぎる美勇人くんだったし、限界まで踊りきってくれるトラジャは只格好よくて前しか向いていない、もう大好きで大切なグループだった。6人の『夢のハリウッド』をお披露目したのに「オリ曲」と言わず、命の限り7人だったジャニーズJr.アイドル森田美勇人くんとTravis Japanが、ずるすぎるくらいに愛おしかった。

こんなに大好きになってしまって、なのにこれが最後だったなら、「美勇人担」を自負して当事者として死にたかった、と思った。だけど、嫉妬心独占欲から縋っているわたしにそんな資格はなかったし、最後ひとつ、身の程知らずな賭けに出た。Travis Japanは、5月13日から始まったキスマイツアーのバックに付いており、残すは、追加公演として発表された、8月26日・27日に仙台公演が待っていた。一方でLove-tuneは、8月25日〜29日にサマパラ橋本良亮ソロ公演に付くことがわかっている。美勇人くんは、仙台にいるのだろうか。もし、美勇人くんが、仙台にいたというなら、これからのことも応援していこう、と。いろいろな憶測がなされたけど、TDCに、そして仙台に、両方に現れる森田美勇人Love-tuneTravis Japan)の美勇人くんがいた。キスマイの方が先約のお仕事だし先輩だし、当然と言われれば当然かも知れない(同じような状況で2016年、トラジャがバックの嵐オーラスとらぶバックのえび初日が被った際、美勇人くんは嵐に出演)。だけど実際、Love-tuneクリエと日程が重なった美勇人くんは、キスマイツアーバックにニ都市からの参加だったし、行かないという選択も自ら出来たんじゃないか、と思う。嫌いになれればどんなに楽か、なんて思ってしまうのに、最後最後まで一途に筋を通し続けた美勇人くん、そんな生き方をされちゃったら、嫌いになれないわけなくって。(後に、"キスマイツアーを全うしたい"と嘆願していたことが明かされる。)

そうして立ち会った「Love-tune Live 2017」、後ろのカッコの中身が減ってしまってもキラキラに輝いて「好きなんだよ」「泣かないで」と恋させてくれるアイドル美勇人くんが、たしかに泣けるくらい好きだった。Love-tuneは、完璧すぎるからずるい。熱を呼応させる高い求心力も、まんなかで指揮する最小最年長を含め、もはや二次元バランス個性も、魂から魂へ奏でる音色も、なのに努力できる才能も、幸せを作る力と信念も、思わず恋する運命共同体笑顔も、バンドだけじゃないダンスだけじゃない、7人じゃなきゃLove-tuneじゃないLove-tuneに、まるっとときめかないわけがないし、わたし自身が完敗だった。出会う順番やこんな欠点のなさにも理由をつけて、「わたしなんか応援しなくたって完成されているじゃん」と卑屈になったり、当たり前ながら当たり前に「ファン」する方に引け目を感じて縮こまったり、羨んでしま自分がどうしても存在してしまうけど、そんなそれらも好きを表す賞賛ひとつとして、まだ、ずるいのおあいこで持たせていてほしい。

そんなLove-tuneの頂点で、なにより踊って奏でる素晴らしい美勇人くんは、お茶目で熱い恋を沸かすし、使命を果たしてくれた美勇人くんによって、どこかで「言ってはいけないこと」と決め込んでいた無意識解放され、言っていい言葉になった。「Love-tuneが好き」をやっと、言えるし、言いたい!Travis Japanで魅せる美しい美勇人くんも、Love-tuneで魂をぶつける勇ましい美勇人くんも、ほんとうはずっと、ほんとうにずっと、ちゃんと大好きだった。それ以上にも歴史のある人だけど、今の美勇人くんを、いちばん「好き」だと言っていたい。

最高のアイドルでいてくれているのに、目の前に答えはあるのに、それを言う自信はなくて、自制していた言葉、もう約1〜2年回り道をしてしまっただなんて、こんなぐだくだの自分善がり、伝える勇気を持てなかったこと、まっすぐな思いが眩しかたこと、弱いなあ。さらに、手離してしまうことたちをカバーすれば、結局言い訳になってしまうから、「好き」を宣言してしまうことが怖かった。きっとすぐ好きが増えたり減ったりするんだ、永遠を誓うことももうどんな誰かも自分も傷つけたくないから、「担当」のない人になろうかな、とも思った。けれど、美勇人くんの方は語らずにも区切りをつけて、今をありったけ生きてくれているんだ。後ろ手に隠せないほど美勇人くんが好きで、もう逃げたくなかった。胸を張って、美勇人くんの、「担当」を宣言したいと思います

Love-tune Liveから8日後に行った「ABCジャニーズ伝説2017」、前楽。日生劇場には、美勇人くんが見学にいた。5人になったTravis Japanはピカピカに輝いてハリウッドにいたし、見せ場のアドリブ、ここぞとばかりなのえしめを呼んでひっちゃかめっちゃかするうみちゃんはよくぞやってくれただし、ショータイム完璧美勇人くんへ指差しウィンクする宮近くんや、客席一番後ろへ目配せをして、美勇人くんのために、楽しそうに嬉しそうにこれでもかと"Dance for you"するTravis Japanがたまらなかった。人数が減っても不死鳥のように生き続け、武器を磨き上げるTravis Japanが、やっぱり今、真っ先に火を灯したい至高のエンターティナーだった。悔しい悲しい切ないでドロドロになってしまうのに、一瞬でその汗と笑顔に魅了されてしまうから、嬉しくて楽しくて最高の「生きる」をもらってしまう。わんぱくどろんこなのに、パフォーマンスとなるとキリッとお澄ましをして青年になるうみちゃんなんて、とてもとても可愛いらしくて。どうしようもなく愛おしくなるし、彼らのパフォーマンスになにより心が揺れ動くし、ドクドクと血は巡り、体温が何度だって上がる。誰もわるくなくってどうしようもできなくって、それでもちゃんと、彼らは彼らの幸せを描いていた。Love-tune美勇人くんを、100%好きだと言い切れない自分が負い目のままだったけど、美勇人くんを好きなTravis Japanを、Travis Japanを好きな美勇人くんを、まだずっと、好きでいいんだ、と幸せの渦に巻き込まれているようだった。

美勇人くんのおかげで、こんなにもTravis Japanを好きになるなんて、Love-tune出会うことができるなんて、!もらった運命大事に、ついてくる未来ともかく今を本気で愛していたい。Love-tuneが好きだし、Travis Japanが好きだ!森田美勇人くんが、100%にだい、だい、だいすきだ〜〜っ。改めて、Love-tune森田美勇人くんをはじめたいし、Travis Japanと生きたいな、と思っています。(やっと言えた!)

担当として、初めて迎えた美勇人くんの誕生日更新されたジャニーズWebのボイスから流れた美勇人くんの声は、数ヶ月前、わたしリクエストしていた、まさにその一言だった。

2018-03-05

ボーカルが歌わないでぼそぼそ言ってるタイプの歌

なあちょっとそこのオーバー30代さ。

あのさ、一時期さ、なんつうの、ポストロックっていうの?

ボーカルメロディにのせて歌わないで

ぼそぼそ呟くだけみたいな歌さ、

めっっちゃあったよね?

レディオヘッドのフィターハピアーとかさ

ゆらゆら帝国の3×3×3とかさ

ビョークとかCHARAとかさ

なんかさ

あったよね?

なんか今ああいうやつが無償に聞きたいんだけどなんかおすすめある?


ちなみにああいうのって好きで聞いてた?

自分はわかってるふりして聞いてた

ほんとはメロディキャッチーな方が好きだったけど

そういうとバカにされそうだから好きな曲の三つ目くらいに挙げてた

2018-02-07

https://anond.hatelabo.jp/20180207163018

財テクをめぐる40台オバサンの葛藤

時流的にはビットコインとかああいうのがキャッチーかなと思うが

上映タイミングによっては古くなってる可能性もあるので、ふわっと財テク

2018-02-05

バブル時代の誤解

あの時代は猫も杓子もバブってたと思っているようなコメントなどを見かけるんだけど実はそんなこともないんだよね

今ほど「明日が見えない」というほどではなかったにせよ、ごくごく普通暮らしをしていた人もかなり多い

安保闘争学生運動、あれのイメージが近いかもしれない

キャッチーから物語にされやすいけど当時の同世代ほとんど中卒高卒でとっくに働いてたわけで

どうも世の中キャッチーな話が膨らみすぎて歴史修正されやす

というわけでバブル時代海外旅行にも行かず毎晩飲み歩かず特に資産も増えてない人はたくさんいるのですということです

まあだからなんだということでもないんだけど

2018-02-02

アイマスから足を洗ったを見た

総括するとオタクめんどくせえな!辞められてよかったねおめでとう!で終わることだと思ったけど、自分もここ1年くらいアイマスを辞めたいと思っていながら切る勇気が出なかったクチで、明日にはsideMライブに行くことになるので、改めて最近の考えをまとめてみようと思った。

9.18の騒動アフィブログランキングを騒がせてる「アイドルマスター」ってなに?』

深夜アニメを見始めてネットに慣れてきた2011年、当時興味を持って見ていたことといえばやらおんニコニコ動画だった。調べたらかわいいキャラクターアニソンに合わせて歌って踊っている。それはもう追いかける要因になりえた。なんとなく見た目が好きだった竜宮小町プレイアブルキャラクターから外されたことや、765アイドルと961男アイドルの絡みコラが面白おかしアフィブログに載るのを目の当たりにして、ショックだったし怒りを覚えた。でもキャラクターは可愛かったし、曲もキャッチーで、ゲームプレイ動画を見たりして毎日を過ごしていた。

当時程なくして始まった「アニメアイドルマスター」がとても面白く、またオタクになりたての私には全てで、後発で始まった某スクールアイドルに変に対立意識を持ってしまったりしたせいで対抗意識を燃やすようにアイドルマスターにのめり込んだ。

そしてシンデレラガールズにたどり着いたのだ。

売り出し中でポチポチゲーがモバゲーランキングを占める中、アイマスといえば信号機メインキャラクターとして冠を置かれていたのになかなか出番を貰えないキャラがいた。Mだった。

この時点で、RとSにビジュアルでタメを張れるとは言えないキャラクターデザインの時点であまり雲行きは良くなかったのかもしれないと今なら思う。

CDリリースが決まり、当時人気のあるキャラ順ともいえよう数名に声優がつき、作品の冠ラジオが始まった。この時に属性ごとのパーソナリティキャスティングされたが、信号機の順でいくとMだったはずのものが既に声が付いているJになったのを当時の私はわだかまりに思った。Mはまだ声優もいないしメインなのに前に出て来ない扱いにくいキャラクターだったし、あまりに新カードが来ないと記事にされているのをネタにされるのをたまに見ていた。そんな中訪れたアニバーサリーでついに声優が決まりCDデビューが決まりガチャSRで登場した。好きになってしまった。声優も当時見ていた女児アニメ出演者と知り余計に親近感が湧いた。

そこから、Mを中心に漠然信号機が好きになった。今でこそ歴史の積み重ねで声なしのキャラクターでも「担当」と名乗ることに不安はないかもしれないが、設定も小出しの当時は有名だったAやYに比べるとほぼモブみたいな扱いが多かったし、ピクシブもRとSだけが扱われたような2次創作も珍しくなかった。好きなキャラが仲間はずれにされて傷心しながらも、毎日のように更新される美少女イラストテキスト、ボイスに夢中だった。

主題歌シングルを買い、噴水公園イベントゲリラライブSSA、念願の1stライブ、雪辱の総選挙、そしてアニメ化が決定し、We’re the friends!のリリイベで初めて現地の観覧に参加して2ndライブの発表を聞いたり、とにかく楽しくて仕方なかった。

アイマスを辞めたいと思ったのは、『TVアニメ アイドルマスターシンデレラガールズ』で”アイマス地雷ができた”からだ。事象説明で長くなってしまうのでサクッと済ませるが、「自分の思い描いていたM」と「アニメで描かれた情緒不安定さ」・「Pやシンデレラガールズの200人近くと接するM」のギャップが受け入れられなかった。いわばMの夢女になってしまっていた。(夢Pとも言えるかもしれない。当時は夢理解がなかったので最近気持ちの整理がついてから名前をつけた)

アニメの展開をなぞるライブセトリ3rdライブ以降あまり気持ちが乗らなくなった。その時点で辞めればよかったのだろうが、デレステが始まり、平面の世界にいたシンデレラガールズアイドル3Dの新しいステージにいるという、765シリーズ彷彿とさせるような”アイドルマスターらしさ”に目が眩んでしまった。

デレステオリジナル曲〜後発声実装キャラの飛躍により序盤のキャラクター声優は出番が減り、私はラジオメインに以降していった。声優活動を追うしかなくなった。

本格的に声優個人ラジオ聴くようになり、イベントに通い出したところで気がついた。

結局今の今まで見ていたのは”M”なのか”Mを通した声優”なのかを見失っていた。

まあアイマスはその辺りの次元をぼかすのが上手だったと今なら思う。普通声優キャラクタービジュアルを寄せたりしないからだ。その辺りは自分が型に当てはめたがりなせいと、2.5次元俳優を知った今だからこう思うのかもしれない。

アニメが全てというわけではない、でも与える影響があまりに大きすぎる」

結局は自分が「キャラ解釈はこう思ってる!」って芯があればいいことだと思うけれど(リアルギャルゲー理解のある女オタがおらずみんなもれなく腐女子になっていったので)1人でオタクをしていた私にとって「ネットなら同じことを喋れる仲間がいる」ことは唯一無二の趣味だった。

アニメになると、自ジャンルが腐の友達でもみんな見てくれた。更にとっつきやすソシャゲが出ればイチコロだった。そんな友達でも在学中は関係を損ねたくなかったし、アイマスの良さを分かってほしかった。宣伝したら見てくれて、話を理解してくれる友達も増えた。

ネットでは、解釈不一致の人と関わらないようにするのは容易だった。例をあげればコスプレイヤーだ。「Mというキャラクター」が好きだったので、コスプレイヤーはみんな顔やスタイルというオフラインの部分をちやほやされたい承認欲求ダダモレな奴らだと思い込みブロックしまくった。レイヤーオタクの中で目立ち、オタクの種類の中で世間に例として挙げられることが多くなった現在ではこれは偏った考えだという認識もあるのだが、今後もレイヤーとは分かり合えることはないと思う。

一方自分ファンアートを描いたりしてそこそこツイッター人間関係を築き上げることに成功した。作り上げるプロセスや褒められることで得られる承認欲求快感レイヤーとさほど変わりはないけれど、オタクネットで顔をあわせることなく楽しむものと型にはめたがっていたところがあった。そうとは言いながら実際ライブ即売会ではフォロワーと会ってご飯などしていたので、なんだかんだネット友達と会うことは楽しかった。容姿オタクとしての楽しみに持ち込みたくなかった。

まりに遅いが、私とシンデレラ最後は結局5thでMの声優が出る回をライブビューイングで合計2回見て終わった。千秋楽であまりの辛さに途中で席を立って、そこでやっと辞められた。もうMに対してもMを演じる声優に対してもお金を払おうと思わなくなった。それに伴ってツイッターアカウントも消し、本格的に2次元美少女女性声優を好きになることを辞めた。

声優2.5次元じゃない

その後、イケメンが出てくる女性向けにハマってみたりもして声優ライブにも足を運んだ。平均30代くらいだと思うが、女性声優みたくかわいいとか見てて癒されたりは一切しなかった。ただ『顔の良いキャラクターの声をしている』と漠然と感じ、当たり前だがあざとかわいい系のキャラゴリゴリのおじさんの顔が声出してるのを見て、悪い意味でも良い意味でも裏切られたと感じた。その中で一番若かった20代男性声優は推せる!と思ったが、正直また若手かと正直自分辟易した。(オタクめんどくさいな)

そこから初めて2.5次元という世界に触れて、舞台を見て、そこで初めて「推しは生きてる」と感じた。でも、どれだけ見た目と行動が完璧でもやっぱり2.5の俳優キャラクターの声では喋らないのだ。そこから、声は声優に求めて、演技は俳優キャラクターの成長は公式に、という考えが自分の中でちゃんと整理できた。

ちょっと前まではこれを声優に求めていたんだな、とも反省した。

結果的に、声優に無理やり2.5次元性を求めるのはやめて3次元アイドルを推すようになった。アイマス現場でたまにいる”厄介オタ”の行動原理もなんとなく分かった。(当時は現地で近い席になるとペンラでぶん殴ろうかと思うほど憎しみを抱えていた)

次元アイドルは生きているし、アイマス2みたく中途半端に成長しない。曲が良くて、歌が上手くてかわいい現場も行きやすいし、会いに行ける。同性として可愛い子は見ていると元気が出る。(疑似恋愛にはやっぱり賛同しかねる部分があるけれど)

推し」を推している時の感情は、Mを「担当」していた時と近いと思う。

推し」って言葉はPから嫌われてるけど、ライトで使い勝手が良くて、追いかければ追いかけるほど熱が入っていって、今では「好きだ・応援できる」という時自分常套句だ。

アイドルマスターキャラクターの「担当」って言葉はやっぱり呪縛であり麻薬だと思う。自分がいなくちゃダメという錯覚

Mに対しても、「ソシャゲ課金をして強くなりたい、カードを入手したい」という気持ちではなくて「声を聴きたい、新しい絵が見たい、この子がどんな行動をするのか知りたい」という気持ちのほうが強かったので、課金はあまりしてこなかった。時間をかけることもお金をかけることも、モバゲーシステムには投資したいとあまり思えなかった。今思うと、この行動は「担当」ではなく「推し」だったのかなと思う。

デレステ限定が来た時に、それはもう当時持っていたお金を財布の中身以上に費やして、何が何でも72時間で入手しようとした。結果的には入手できず、ただ財布の中身以上のお金を擦ったという現実けが残った。なんとも後味が悪く、シンデレラガールズを辞めるという感情駄目押しをされた気分だった。

今でも「推し」と「担当」のファン行為としての境目は見つけられていない。

ミリオンの「担当」でSSRが来ても同じことにならないといいなと漠然と思っている。

765とミリオンライブを辞められずにいる理由。それは、声優2.5次元性とキャラクターの設定の深さ、デザインの可愛さ、そして3Dモデルキャラ実在性を感じられるという点だ。完成度の高さだ。

sideMの今後はどうなるんだろうと、まだどこか「アイドルマスターに」期待している自分がいる。

今度の新作発表会には、既存コンテンツの展開やアイマスの4つのシマの合同ライブなどを期待している。

アイマス2アニメ以降、当時中途半端存在をなかったことにされていた彼らがどこか気がかりだったので、2014年SSAsideMの告知された当時を知っていると復活することは喜ばしかったし、現にアニメ関連のプロジェクトが公開される2ndライブまでは嬉々として現場に通ってきた。

アニメ化は嬉しかったが、放送中も『Mの時みたいになってしまうんじゃ』と不安が拭いきれず、冷えながらもなんとかアニメを見切った。

そこからモチベーションや熱は戻っていないが、アイドルマスターを辞められなかったので明日からsideMライブビューイングに行く。アニメ以降、sideM出演者のうち特定声優を推すようになった友人と連番するつもりだ。リアル友達アイマスの話をするのは楽しいさらに言えば今後現地に行く予定もある。行くのはライブ後半なので、それまでにあわよくば熱が戻ればいいなと思う。

次元混同をすると下手すると数年無駄にする」

こう分かっていても、セカライで私は確実に声優を通してもふもふえんを見た。ある意味声まで備えた2.5次元俳優のようで、もふもふえんは無敵で完璧だったと今でも思う。かわいいし、カッコよかった。

ユニットは「〇〇キャラ役の声優が歌っている」止まりで、それが普通だ。

でも、もふもふえんはそれを飛び越えた何かだった。実名を出してしまうと、男声優の歌とダンスを見て「あゆむらせかわいい」でなく「かのんさんぎゃわいい!!」になった。女性声優アイマスには、この現象が全編に渡って効いている。一種魔法だ。

サライ見に行くのためらってるのは、声優が見に行きたい訳じゃなくて315プロキャラクターが見に行きたいからだ。

アイドルマスターは増えすぎた。キャラクターも、声優も。正直シンデレラガールズで徐々に増えていくのを追ってたけどもう完全にお腹いっぱいだ。

「お前、『「声優ライブ』って言葉知ってっか?」と聞かれたら、答えはきっとNOだ。

はいアイマスを辞められるんだろう。

2018-01-21

谷山紀章結婚してほしくない

GRANRODEOを知ったのは友人が勧めてくれたInfinite Loveだった。この曲と同じアルバムに収録されているOnce & Foreverという楽曲に射止められてから私はロデオガール自称している。それまで声優に興味はなかったし今もそれほど詳しくないが、谷山紀章という存在は私の感性を大きく開発した。

初めはただただ歌が上手いと思った。GRANRODEO歌詞言葉遊びが印象的であるが、Go For It!以外の楽曲の詞を谷山自身が手掛けていると知ってからは一層彼への興味が湧いた。下ネタ混じりのトークを繰り広げると思いきや、厭世的で刹那的世界観の詞を上梓する。ちやほやされたいと言いつつ向上心を忘れない姿勢は非常に興味深く魅力的だった。ビジュアル等への言及をしているときりがないので省略するが、山口県出身ということもなぜか好感度が高い。

そのように谷山に魅了された私は、GRANRODEOにのめり込む以前はポルノグラフィティファンだった。様々なことが積み重なってポルノから心が離れてしまっていた時期にロデオに出会った。不倫浮気の始まり方に理解を示せるようになってしまうくらいに、私の心移りは激しかった。そのまま10年以上ロデオは最推しの座に収まっている。年月は私の感性成熟させ、またロデオも様々な挑戦や成長を経て、今や非常にメジャーユニットに成り上がった。

先日、久し振りにポルノグラフィティ楽曲に触れる機会があった。かつて夢中だった頃の楽曲は今も色褪せない名曲揃いで、現在感性を新たに揺さぶった。気持ちが離れた頃の楽曲は今も向き合えずにいるが、それ以降の楽曲を耳にして「変わったな」と思った。

この胸を、愛を射よ以降が特に顕著だ。男らしく(これは旧時代的な価値観かもしれないが敢えてこう記そう、本人たちがそう評した楽曲存在することだし)想い人に対して献身的な曲が増えたと思う。新藤晴一文学性は洗練され続けているし、岡野昭仁ボーカルはいくつになっても衰えない。そんな二人の音楽は、20代の頃とは大きく方向性が変わっていた。

例えばミュージック・アワーは非常に衝撃的な楽曲だった。メロディー伴奏キャッチーさはもとより、終始ラジオDJセリフ歌詞となっており、前例のなさと意外性で多くの人の心を鷲掴みにした。アゲハ蝶についての解説蛇足だろう。特にオタク諸姉にとっては定番イメソン楽曲である。私は25歳まで愛が呼ぶほうへ歌詞意味理解できずにいた。身近にあふれる様々な愛をテーマしっとりと歌い上げるナンバーを、ただただイントロ音色からクリスマスソング認定するのは惜しすぎる。

20代の頃から数々の神曲を生み出してきたポルノグラフィティは間違いなく才能のあるミュージシャンで、いまも衰えることなく輝き続けている。けれどもう20代の頃のエネルギーは別の音色に変わっている。

それは彼ら自身にそれをする必要がなくなったからだろう。岡野も新藤も夫となり父となった。守るものができ、ライフステージを上った二人は、独身だった20代の頃とは見ている景色が違うのだと推察する。そこから新たに生まれ楽曲は新たなファンを生むし、あるいは彼らと同じライフステージに近づいたかつてのファンを呼び戻すだろう。

私といえば、親の庇護下にいた学生から少し世の中を知っただけで、未だに見えている世界アポロの頃に彼らが見ていたものなのだろう。相手の代わりに雷に打たれるような愛を抱いたことも覚悟を決めたこともないしそもそも守るものがない。アゲハ蝶歌詞独善的であると感じつつも賛美せずにはいられない。荒野に咲くこともなければ水を求めることも愛を欲しがることもない20代だ。

話を谷山に戻す。私は今まで一度たりともロデオの楽曲違和感を覚えたことがない。新しいことに挑戦はしていても、私が好きなロデオから離れていると感じはしないのだ。それは私がロデオとともに成長しているからなのかもしれないし、本当にロデオの音楽が私の好みドンピシャであり続けているだけかもしれない。

しかし先述のポルノの例を鑑みると、谷山ライフステージ10年前と同じことが楽曲作りに影響しているのではないかと思わずはいられない。

声優としての知名度は格段に上がっていると思う。他のアーティストと親交を深めコラボすることも増えてきたし、アーティストとしてのステージは鰻登りだ。

けれど谷山は未だに独身である相方飯塚は既婚者となったが、谷山は今も独身である

以前ツイッター独身であることを嘆いているのを目にしたときは少し驚いた。好んで独身でいると思っていたからだ。谷山歌詞にはしばし、恋は終わるものであるという考え方が見え隠れする。遊びの関係だと言い切っている曲もいくつかある。欲しいのは安心感で嫌いなのは安定感――この一節は、身を落ち着けることを拒んでいるかのようにも聞こえていた。けれど強がりなのかもしれない。愛を聴かせるための言葉を知っているのに愛を語る言葉ない――これもただ不器用なだけなのかもしれない。あのツイート以来、谷山紀章に対する解釈が少し変わった。

けれど谷山結婚してしまったら、私はその後もロデオを追いかけ続けられる自信がない。守るものを得た谷山が紡ぐ言葉に興味はある。どのようなモチベーションで歌い続けるのかも気になる。だが変わらず応援し続けられる自信がない。

私がこの先もロデオガールで居続けるには谷山独身でいることが必要かもしれない。

素晴らしいアーティストには幸せになってほしい。だが幸せの形は人それぞれだから型に嵌ってほしくもない。大好きなアーティストはい他人に対してこんな身勝手な願いを抱く女オタクに虫唾が全力疾走する。

2018-01-04

昔の外国の歌でキャッチーカラオケで歌いたくなるのが知りたい

最近見つけたのは明日に向って撃て!の歌

2017-12-31

大晦日自分を戒める。

どうも私は自分で思っている以上に騙されやすいらしい。

ダマされた番組を観ていて、ある芸能人が町ぐるみでダマされていたのだけど、単純に良い子だなあ…って感動してしまった。

自分にはもうない、心の綺麗さや人を信じると言う行為大人になってもわず、人のことで涙を流せるって、素敵な子だなあ。可愛いなあ。こういう子はこのまま生きていけたら良いのになあ…って思ってしまうのだ。

とても演技でやってるようには見えない。

それと同じでいつだったか芸能人の乗っているタクシー幽霊が現れたら…みたいな番組があって、幽霊について行ってもいいか聞かれた芸能人が、了承するシーンがあった。

どうして了承できるのか私は神経を疑った。幽霊について来られても除霊する力もないのに困るだろうって思った。

同時にやはり良い子だなあ。きっと心がピュアなんだろうなあ…と思っていた。

ところがその話をすると、ヤラセでしょ?と言われるのだ。

失礼な話、どちらも演技力があるようには見えないので、つい本当なんだと思っていたのだけど、テレビ番組なんだからヤラセ可能性はゼロではないのかもしれない。

もしヤラセだとしたら、それに気がつかずに信じている私こそがとんだ騙され易い人だと言うことになる。

こう言っては何だけれど、私は周囲の誰よりも疑い深い性格をしていて、なんとか商法とか押し売りの類だとか、勧誘だとかに引っ掛からないタイプだと自負していたのだ。

からと言うわけでもないけど、いまだにあれらがヤラセだとは思いきれずにいた。

けれどここに来て、やはり実は自分は騙され易い人なのかもしれないと思い始めている。

ある広告に惹かれて仕方ないのだ。

商品は売るためなら手段は選ばれないし、もっとキャッチーコピー宣伝されるものだ。

たまに失敗してるのもあるけど。

少なくとも努力なしで痩せる薬は麻薬だし、福袋素人アルバイトが詰めている。

もしくは在庫処理も兼ねていて、少しも福じゃないことが殆どだ。

宝くじ自分じゃない誰かが当たるものだし、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦

値段と機能が見合うかどうかを吟味してあるかどうかもわからない物には手を出さないことだ。

自分に騙され易い要素があるかもしれないと気がついたのだから来年も堅実に行こう。

[]

今回は少年ジャンプ+読み切り作品感想をいくつか

『彼方のアストラ』が最終話から感想書こうと思ったけれども、細かいこと言い出すなら色々とあっても結論としては『良い作品だった』ってことになるから、まあいいや。

FLEAGHT-フリート-

ド派手なアクションシーンで楽しませながら、終盤にちょっとしたオチ

まあ終盤のオチは、あれがないと単なる「巨大生物に立ち向かう戦士たちのヒューマンドラマ」になって月並みからちょっと捻ってみましたっていう印象のほうが強いかな。

もちろん設定とかもちゃんとこじつけはいるけれども、大筋の描写がしっかりしすぎているが故の弊害かもしれない。

マッチョグルメ』の人が原作だってこと踏まえると、ある意味で納得。

ややもすると真面目に描きにくい話を、大真面目に描いてストーリーを成立させるっていうスタイルからね。

鬼の影

話の流れ自体は、良くも悪くも言うことなし。

いや、「良くも悪くも言うことない」ってのは、つまり評価していないってことになるか。

前半の話に読者を引き込んでくれるようなものがないし、後半はタイトルにもなってる『鬼の影』についての解説ほとんどだし。

坦々としているというか、陳腐というか、「設定垂れ流しマンガ」みたいになってしまっている。

「実は主人公は……」みたいなパターン定番だし、その展開も読んでいる途中ですぐに気づく。

展開が読めること自体が悪いとは一概に言えないけれども、それが作品面白さとは何ら関係ないってのは欠点だと思う。

絵も基本的に拙いけれども、鬼の影が登場する場面は割とサマになっている気がする。

カラーの力が大きいだけかもしれないが。

佐本家のニケ

ストーリーものってサクッと読めないか感想書きにくいけれども、テーマ最初からハッキリしていると、それだけで読みやすくて助かる。

粗探しをするなら、ニケはキャラクターとしては出来ているけれども、ストーリー上の役割としては舞台装置的でしかないって点かな。

超常的な存在なのに大したことをやらせいから、展開としてはあまり盛り上がらない、役割としての必然性が薄い。

もちろん主人公の心境が少しだけ変化するキッカケにはなっているけれども、その程度だったら別に似たような人格登場人物でも良いって思ってしまう。

ハートフルコメディ”らしいが、コメディ要素に関してはそこまで楽しいと思える要素が少ない(ハートフル要素に関しては異論はないけれども)。

はいえ描きたいことは理解できるし、作風演出のものケチをつけるようなところはないので、総じて手堅く纏まっているって印象。

ロストサマーメモリー

回想の代わりに動画の記録という演出を取り入れて、その演出がちゃんとストーリー上でも意味があったと分かる構成が良い。

この手の話ってオチが読めたり、判明した後だと途端に白けるんだけれども、本作はそれが分かった上でなお読ませる構成になっているのが上手いと思う。

オチ理解したうえで改めて読み返すと、カメラに映っている登場人物たちの言動とか、視点が見下ろしになったところとか、色んな箇所に恐怖を覚えるっていうね。

もう一度読み返したくなるっていう意味では、今回感想を書いた読み切りの中では一番印象的かな。

難点は、ちゃんと読み込まないと話を理解しにくい構成なのが一長一短といったところ。

色々と工夫しているのに、それが分かりにくいのは勿体無いと思う。

余談。常々思っていることなんだけれども、はてブホッテントリになる漫画って、いまいち基準が分からないことが多いんだよね(面白いかどうかって話じゃなくて、面白いマンガの中からホッテントリになるのはどういう類のものなんだろうって話)。ただ、今回のに関してはまあ分かる。やっぱりプロットキャッチーさがあると強い。

欲(仮)

特定のシーンとかしっかりキマっていて、絵の迫力も中々なのに、話の流れとか展開が不自然なところが多くて悪目立ちしてる。

セリフ選びのセンスというかセリフ運びもぎこちなくて、そっちが気になって目が滑る深読みするなら、一応この不自然さにはちゃんと理由があるといえなくもないんだけれども、ほとんどの登場人物セリフがぎこちいから、ちゃんと機能しているといいにくい)。

テーマ犯人セリフからして明瞭ではあるけれども、ただ喋らせているだけって感じ。

ときおり出てくる独特な表現プロットに馴染んでなくて、単なる賑やかし的な飾りにしかなってないのも気になるし。

演出意図希薄なのに目立つ表現って、悪目立ちに近いから読んでると戸惑う。

作風は色濃く出ていて、一つ一つの要素を抜き出して評価する分には面白いんだけれども、それらが一つの作品としては噛み合ってないなあって印象。

雨音く君の綴る音

こういうシチュエーションは、『言の葉の庭』を思い出すね(別にパクりって言いたいわけじゃない)。

君の名は』でメジャー級になるまで、新海誠監督いまいち大衆認知されない理由象徴するような作品だと思う。『言の葉の庭』って。

アニメーション表現力は圧倒的なんだけれども、プロットが退屈すぎるからね。

要人物のやり取りとかの繊細さ、空気感など、作り手の表現したいことを汲み取った上でなお退屈だった。

なんか『言の葉の庭』の感想なっちゃたけれども、なんでこういう話をするかというと、この漫画長所短所も大体同じだからだと思う。

身も蓋もないことをいえば、動きの少ない、劇的じゃない物語面白がるのは難しい。

ましてや本作は漫画から劇半やアニメーションがない分、漫画という媒体を存分に活かした表現や、よりプロット重厚で繊細でないと厳しい。

キャラ漫画とかだと、キャラクター性に振り切ることで緩和されるけれども、地に足の着いた登場人物たちが現実的世界観物語を紡ぐなら何らかのフック、エンターテイメント性のある劇的な要素がないと、どうしても盛り上がりに欠ける。

ど忘れゴッデス

漫画記号キャラであるゴッデスと、漫画記号取り巻きたちに、主人公イライラするっていう要はメタフィクション要素の強い作品

“こんなヤツ現実にいるわけがないし、いたとすれば絶対キャラでやってるだろ”っていう読者の共通認識コメディ主体にしているのは、取っ掛かりとして良いと思う。

キャラとかではなく、本当に忘れっぽいだけ」みたいなオチに逃げず、ゴッデスが最後最後やらかしたポカが、ネタを忘れるっていう展開なのも利いてる。

深読みするなら、結局ゴッデスがネタでやっているのか、素でやっているのか有耶無耶にしているとも解釈できるけれども、それだと話としてフワフワしすぎているか個人的にその線はナシかなあ。

それと、展開にもう一捻り欲しい。

漫画記号に対するツッコミ主体にするなら、それこそゴッデスというキャラや、彼女を持てはやす取り巻きの不気味さとか掘り下げられる要素はたくさんあるのに、ただ表面をなぞっているだけのストーリーになっているのが物足りないかなあ。

2017-12-30

ゲームを観ることのなにが悪いかに一つだけ反論する

いつからゲームは「遊ぶ」のでなく「観る」ものになったかid:arcadia11

http://arcadia11.hatenablog.com/entry/2017/12/29/210000

色々言いたいことがあるけど一つだけ反論する

プレイヤーよりも動画視聴者に向けて、もっとキャッチーで、奇抜で、女性子供も喜ぶデザイン修正しよう、という流れになっても不思議ではない。

女性子供も喜ぶデザイン修正されることが問題のように書かれているが、なにが問題なのだろうか。

ゲーム業界を見る限り、人気のあるソフトポケモン妖怪ウォッチを筆頭に

マリオロックマンソニッククラッシュ子供受けする(かつ人外の)キャラばかりだ。

洋ゲーに出てくるような海外規準セクシーなオッサンが誰か一人でも彼らと並ぶほどの人気を得ただろうか?

プレイ動画が無い時代から、老若男女問わずキャッチーデザインが好まれるのだ。

動画関係なく、ポケモンが売れて妖怪ウォッチが売れた時点で、

売上のためならデフォルメされた動物っぽいものがたくさんでるゲームを作ればいい。と誰もが思うはず。

でもゲーム史上は二匹目のドジョウを狙ったもので溢れかえったりはしなかった。

クリエイター安易な目先の売上だけに流されず、様々な年代性別に向けて、それぞれ面白いと思うもの提供してくれているおかげだ。

売上にそこまで影響しないであろうプレイ動画程度で揺らぐとは思えない。

そもそもプレイ動画を見てるのは女子供だけじゃないからね。

2017-12-27

なぜスターウォーズ 最後ジェダイダメなのか

※ この記事にはネタバレが含まれています

公開初日最後ジェダイを見て来たのだが、何とも言えないモヤモヤが残り続け

自分の中ではずっと評価保留になっていた。

色々と他人感想を聞くにつれ、モヤモヤの正体が見えてきたので聞いてほしい。

前作であるep7「フォース覚醒」はパーフェクトではなくとも、それなりに楽めた。

ep6「ジェダイの帰還」から作中でも実世界でも30年越しの新作、ファンとして興奮しないわけがない。

ep7を鑑賞した後、次回作の展開について頭の中で空想を巡らせた。初めてスターウォーズを見た子供のように。

レイスノークの正体は?ルークはどんな活躍をするのか?カイロ・レンはアナキンの後継足り得るのか?

今になって思えば、公開前までが一番ep8「最後ジェダイ」を楽しむことができた、幸福時間だった。

実際にep8を鑑賞すると、想像していたような展開は何一つとして実現せず、常に観客の裏をかく脚本に仕上がっていた。

もちろんこれは意図的路線変更であり、明らかに過去作との差別化を目指している。

過去キャラクターとの決別や「お約束」の排除、「神話」と揶揄される古いヒーロー像の否定・・・

これらは確かに旧作ファンからすると寂しいものがあるが、私は実のところこういった「テコ入れ」は嫌いではない。

少し話が逸れるが、私はスクリプトをこねくり回すような職についていたことがあるのだが、

国内外わずシリーズものが強いコンテンツ業界においては「テコ入れ」や「リブート」は必須スキルだ。

これは持論だが、テコ入れはいくつか定型パターンがある。

構造の変更」とは例えばギャグ漫画がバトル漫画になったり、

冒険譚が日常系になったり、物語フレームを取り替えてしまう。

舞台の変更」とは例えば現代の話が江戸時代タイムスリップしたり、

SFになったりファンタジーになったり、「海外編」が始まったりする。

キャラクターの変更」とは例えば敵キャラ主人公に抜擢されたり

性別を変えてみたりキャラクター解釈を変えてみたりキャッチーな新キャラを登場させたりする。

演出の変更」とは絵柄や作画担当を変えたり、アニメ化実写化もこれに当たるかな?

そして最後に「抽象度の変更」、これは物語リアリティレベルを変え、

リアルハードストーリーになったり、逆にマイルド子供向けになったりする。

ep8の「テコ入れ」で大きいのは「キャラクターの変更」と「抽象度の変更」だろう。

ep8ではジェダイ血筋神話性を否定し、これまで凡俗とされていた人々にフォーカスを当てた。

正直、このタイプテコ入れは大好きだ。大好物だ。

X-MENの新作「ローガン」では今まで考えられなかったウルヴァリンキャラクター性と生き様を描き、

シン・ゴジラ」では原点回帰意識させつつ妙なリアリティ説得力を持って庵野ワールド表現している。

しかし、ep8はどうだろうか。

本来この方針で行くならば徹底的にリアリティを追求して凡俗な者たちの力で泥臭く物語を進めたり、

新世代のジェダイ」は「滅びゆくジェダイ」と全く違う描き方をすべきだった。

凡俗な者たちの人間ドラマについても群像劇なりに感情移入できるだけの脚本力が欲しい。

しか実査には御都合主義的で破綻した脚本感情移入できないキャラクターたち、

とりあえず性別は変えたが扱いに困る「新世代のジェダイ」。

これが自分の中のモヤモヤの正体だった。

ついでに書くと、この方針転換はep7からやるべきだった。

ep7では旧作を意識した作りをして、旧3部作を踏襲するかのように思わせておいてep8でどんでん返しを決めた。

かに驚きはあったが、仮にep8の物語が上出来だったとしても幸福裏切りにはならなかっただろう。

最後に望むのは、ep9がep8の「テコ入れ」を上手く回収し、ep7からの3部作を「名作」たらしめて幕を下ろすことだ。

2017-12-25

anond:20171225034726

書いてることは概ね間違ってないけど、結論は間違ってる。

 大衆シンプルキャッチー音楽を求めるという見方は全く間違っていないし、実際にその理屈のもとで大成功を収めたベリー・ゴーディJrという人物がいる。彼はもともとジャズが好きで、ジャズ中心のレコードショップを開いていたのだけれど、売れるのはより音楽的に簡素演奏技術も高度でないドゥー・ワップやダンス向きのジャンプブルースロックンロールで、自分が売りたいものが全く売れなかったという苦い経験があり、そこからリズムが豊かでわかりやす楽しい音楽を作る会社であるモータウン・レコードを創設し、ミラクルズ、スプリームスジャクソン・ファイヴといったミュージシャンを輩出していったという経歴がある。

 音楽理論的に高度であるということが音楽的に優れている、という見方は極めて安直で、音楽理論的に高度な音楽音楽理論的に高度な音楽なのであって、優れた音楽であることとは直結しない。

 アメリカ、及び現代の音楽史を語る上で、アメリカ黒人奴隷(強制労働者)が生み出したブルースは欠かせないけれど、ブルース自体はごく僅かなコード進行からなる、元増田言葉を借りて言うなら“音楽理論的に低レベルな”音楽だ。けれども、ブルースが持つ音楽価値というのは極めて大きなもので、黒人がより高度な音楽教育習得するようになった1950年代以降においてもシンプルギター演奏だけで音楽を作り続けるレッドベリーライトニン・ホプキンスといった黒人ブルースシンガー評価は続いていたし、更には彼らの直系の影響下にはウディ・ガスリー、ボブ・ディランといったビッグネームがいて、彼らについてはもはや言うまでもない。

 それに、理論的高度さを追求する人間シンプル音楽を“低レベルであると見做している、というのも違う。

 例えば増田の言う現代音楽の分野で成果を残しているフランク・ザッパキャリアはドゥー・ワップやリズムブルースといったシンプル黒人音楽内面化から始まっているし、生涯に渡ってこうした音楽に興味を持ち続けていた。ロック文脈ではアヴァンギャルドノイズシューゲイザー先駆者であるルー・リードボビールイスアイズレー・ブラザーズファッツ・ドミノ、フレディ・キングといった50年代黒人ポップスの愛聴者だったし、日本でも山下達郎ジェームズ・ブラウンはじめ60年代ソウルミュージックの愛好ぶりはよく知られているところ。

 というように、わざわざ結論を書き直すまでもないけど「音楽理論的に高度な音楽けが優れた音楽であるというわけではない」ってこと。

 あと最後蛇足だけど

アーティストでも、若いころは電子音バリバリの歌を歌っていたのが、歳を取るにつれアコースティックな静かめの曲ばかり歌うようになったとか

 これのわかりやすい例にロッド・ステュアートがいて、彼も年齢を重ねるに連れてビバップ以前、あるいはポップス寄りのジャズスタンダード(わかりやす音楽)を積極的に採り上げてカヴァーしてます

 

2017-12-22

はあちゅうヨッピーナチスドイツ経験主義』というトンデモ記事への反論

こんにちはエルサレムアイヒマン警察です。上司インフルエンザで休んで暇なので、大好評炎上中のはあちゅうセクハラ告発について調べてたら id:plagmaticjam 氏の「はあちゅうとヨッピーとナチスドイツと経験主義~ハンナ・アーレントは何を語ったのか~ - メロンダウト」という記事発見

タイトルからし地雷臭がヤバイと思ってたら案の定トンデモだったので、おうちにあった『エルサレムアイヒマン 新板』を読み返しつつ反論したいと思います

炎上の経緯はハゲ大先生 id:hagex のまとめが鬼詳しいのでこっちを読んでください。→はあちゅうのセクハラ告発大炎上まとめ(追記あり) - Hagex-day info

 

件の記事ブログ筆者は、アイヒマンはあちゅう類似性を下記のように定義しています

はあちゅう氏=「自分被害者になったら告発する。いっぽうネットで実際に被害者が見えないなら加害者になれる凡人」

「凡人は無自覚悪人であること。」

アイヒマン命令によって思考行為を切り離し悪人になれたように、はあちゅうネットをかませ被害者特定しないことによって思考を切り離しているように見える。」

ヨッピー童貞いじりが誰を傷つけているのか、と擁護していたが「誰がわからない」から傷つけてもいい、なんてアイヒマンが「名前を知らない」から業務的に虐殺したのと構造的に同じだ。」

「何もはあちゅうだけに限った話ではない。ネット思考行為を切り離す。凡人が容易に悪人になりうる構造を持っている。」

ブログ筆者は「思考行為を切り離すがゆえに、無自覚悪人になる」構造があるとし、類似性を下記のように指摘しています

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

ですが、前提にしているアーレントの読みがそもそも間違っています

アーレントが指摘したのは「アイヒマンが何も考えていない=無思想性」ということでした。

「俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった。」

「彼は愚かではなかった。完全な無思想性−−これは愚かさとは決して同じではない−−、それが彼があの時代の最大の犯罪者の1人になる素因だったのだ」(p.221)

アイヒマン相手匿名から虐殺したわけではありません。知っているユダヤ人も知らないユダヤ人も等しく虐殺しました。

彼は「善悪弁別する能力をまったく欠いている」(p.20)のであり、「彼は自分義務を行った。命令に従っただけではなく、法律にも従った」(p.107)のです。

アイヒマンの特徴は「自分思想がなく、善悪区別がつかず、ただ義務命令法律に忠実な男」であり「自分よりも権威のある立場の人が『正しい』と言ったなら盲目的に従う男」であるということです。

アイヒマンには、反ユダヤ主義思想教育もなかった、とアーレントは指摘しています

好き嫌いがあるゆえに行動するのではなく、一切の好き嫌いがないからこそ、自分より高い立場権威から命令されたことをマシーンのごとく忠実に実行しました。

実際、アイヒマンは「良心問題については、命ぜられたこと(筆者注:虐殺)をしなかった場合にのみ疚しさを感じた」(p.20)と述べています

 

アイヒマンのような「無思想で、法律義務命令に忠実である」人は、平和時代であれば、上司の言うことを忠実にこなす「優秀なサラリーマン」、法律など絶対に破らない「良き市民」として一生涯をまっとうしたでしょう。

アイヒマンはあまりにも「普通おっさんであるという事実について、アーレントは<悪の凡庸さ>と指摘しました。

アイヒマンはきわめて凡庸一般人であるというアーレント見解は、「ナチスは、ユダヤ人絶滅したくてたまらない極悪人狂人」という世間見解とはまったく違うものだったので、多くの反発を招きました。

 

一言でまとめると、アーレントが語る「悪の凡庸さ」とは、「平和時代ならあまりにも普通おっさん、ただし無思想善悪判断がつかないから、彼が従う権威や法が狂えばなにも考えずに極悪人になれる」ということです。

以上の経緯から見ると、ブログが「悪の凡庸さ」を誤用していることがわかると思います。もう一度、ブログ言及されていた構造をおさらいしてみましょう。

ブログ筆者が考える構造類似性

アイヒマン:「命令」によって思考行為を切り離す

はあちゅうヨッピー:「ネット」によって思考行為を切り離す

思考」と「行為」が個別にあり、それらの連結を切り離す「X」があるという前提です。

しかし、アイヒマンそもそも思想」がありません。だから自分に注入される命令義務を己のものとして実行します。

ブログ筆者が考える構造: A(思想)=X(切り離すもの命令ネット)=B(行為

アーレントが指摘したアイヒマン構造: X(命令義務法律)→B(行為

構造がなにひとつかすっていないことがわかると思います

 

そもそもはあちゅう氏はアイヒマンのような「無思想」ではありません。むしろ自己主張が強く、自分を良く見せたいタイプだと思います

善悪判断力はわかりかねますが、盲目的に命令権威に従うタイプではありません。

はあちゅうは凡人」と言うとなんとなく納得感ありそうなんですが、アーレントが言った「凡庸な悪」とは意味が違います

ネット」とか「不特定多数他人」とかも、アイヒマンにはまったく関係ありません。

 

凡庸な悪」というパワーフレーズはすさまじいものがありますし、引用したくなる気持ちもよくわかります

しかし、なんとなくキャッチー単語フレーズだけを使って独自理論を展開するのは、引用源にも読者にもどちらに対しても失礼ですし、誤解を与えます

名著や歴史的パワーワード換骨奪胎して持論を展開するのはやめてほしいです

ぜんぜん引用源を正しく参照してない記事内で、ナチスドイツという激烈ヤバイもの名前を同列に並べられたはあちゅう氏とヨッピー氏、さすがに流れ弾すぎるだろ…と思います。あとブログ言及されてる「経験主義」も「違うだろ…」て感じなんですが、続きは経験主義警察の方々にお譲りします。

 

参考文献:ハンナ・アーレント大久保和郎・山田正行訳『エルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告 新版』(みすず書房2017年

エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】:Amazon.co.jp:本

(所要時間:45分)

 

※もちろん「書籍を読む」行為に、明確な正解はありません。私の読解もまたひとつ意見にすぎませんから、別のハンナ・アーレント警察の方から「違う!」とおしかりの言葉を受けるかもしれません。とはいえ、いくらなんでも適当すぎる読みだと思うんで反論を書きました。

2017-12-08

31歳のオッサンだがカラオケで使える歌を知りたい

条件は2つある。

1つ目は、気持ちよく歌える曲。

歌って楽しいのもいい。とりあえず発散できる曲が知りたい。

2つ目は、周りがしらけない曲。

基本ヒトカラメインなので1つ目の条件が満たされる曲が見つかれば万々歳なんだが、近々会社の人と忘年会カラオケに行くことになってしまった。カラオケも酒も好きなので嬉しいんだが、せっかくなのであまりみんな知らないけど初聴の人も楽しませられるような曲が知りたい。盛り上がる曲もいいが、「初めて聴いたけどこの曲いいな」って思わせるようなやつがいい。誰かがカラオケで歌っていて思ったことないか?俺はあるんだ。

30歳前後のやつで、最近の曲を聴いているやつが周りにほとんどいないので分からないんだが、たまに地元の奴とカラオケに行ったりすると結局昔流行ってた曲だけみんな歌って終わるんだよな。それも楽しいんだが、もう一歩踏み出したい。大体ラルクポルノグラフティグレイガクトあたりが定番だけど、俺も歌ってて楽しいんだけど、正直聴き飽きてる。途中で結局、「あー、あったなこれ懐かしい!」みたいな曲を入れる勝負になったりして、サビ以外グダグダだし、セックスマシンガンズとかX入れても三十路の親父だから最後悲惨な感じになったりするんだよな。

俺の好みは大人しくない(=ノリノリな感じ?)のが好きなのでそういう系統が望ましい。ミスチルスピッツゆず、19なども同世代は好きだろうが、たまに聴くはいいが正直あまり好きになれなかった。心にこもった訴える感じのも好きで、椎名林檎なんかはすごく好きだったが、女性ボーカルなのでやはり歌える曲は限られてくる。頑張れば歌えるが、練習量少なくても歌えるようになれる曲が嬉しい。条件が増えてすまない。

ここ数年だと、フレデリックのオドループなんかは歌ってて楽しいし盛り上がる。同世代もあまり知らなかった。個人的には惑星アブノーマルとかポルカドットスティングレイとか大好きなんだが、いずれもヒトカラで何度か挑戦したものの癖のある女性ボーカルなので無理ゲーだった。やっぱり男性ボーカルがいい。

思えば中学生ぐらいか洋楽一辺倒になってしまったので、1999-2010年ぐらいの有名な曲も知らないことが多い。最近の若者はどこで音楽を見つけてるんだ?YouTubeなんだろうなぁ。

ということで、キャッチーで歌ってる本人も気持ちいい、ストレス発散になるような素敵な曲があったら教えてください。アニソンも好きなんだが、基本的アニメを観ていないのに主題歌だけ歌うのは主義に反するので、今回は除外させていただきたい。

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