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はてなキーワード: 分析とは

2021-02-24

anond:20210224180900

自分参考書問題時間制限で解いてみても

結構間違うし、しか解説にもぴんと来なかったりすること多いんだよなあ。

解説自体文章からその恩恵を受けるにも読解力の制約があるのかもしれない。

詩とかも知ってる単語とかしかなくても理解できない。

雪の下にねむる釘

考えられる!

造船所の裏の堀割で

子供昆虫暗号だけの愛を

試みている半世紀も前の事

憎しみは鋏や石臼のひびき

人びとの死面の格子

ぼくの次にだれが吠える

リンネルの空の下で

みせかけの海の波へ

ぼくが溺死したあとだれが泳ぐ

なぜ月が出る

トマトの山を半分かくし

伝統受難の野に

もう少し歩いて行けば

ぼくは死ぬより無関心になろう

拷問道具のうしろ

砂丘がおどろくほどぴんと張つている

信じられる!

髪の毛の下にうごく櫛

吉岡実という詩人の詩だけど、

難しい言葉ってせいぜい「受難」がそのカテゴリに入るかどうかで、全然ないでしょ。

なのに何言ってるのか分からない。

量子コンピュータの本とかブルーバックスの平易で説いと謳う本でも、

単語はわかるが、いわゆる論理が分からないという状態になるんだよな。

そもそも日本語において単語の難しさってたかが知れると思う。

見慣れぬ熟語も、知ってる漢字の組み合わせのことが大半だから意味の推測は立つし、

漢字自体が知らないものであっても、その部首とかの構成部位に全く見覚えがないのはさらに稀だから

やはり意味が分かってしまう。

しろ、同じ意味を言ってる文でも、それが難しい単語によるものでも簡単単語によるものでも、

その構文としての難しさのゆえに、理解できないということが多い。

単語力よりも、そういうもの理解できるような、構文力というか、概念分析力というべきものを身に着けたい。

それが詩も科学的な論理理解にも欠かせないと思う。

その基礎にはやはり一般的にいわれる読解力がある。

anond:20210223103027

「どんな選び方しても2世3世議員を減らせないだろう」って?

うーん。よく言われるネタだけど、「政治家選抜共通テスト」くらいやったらいいと思うんだよ。あるいは既存試験が適切だと判断できるなら、司法試験でも、あるいはたとえば国家公務員総合職大卒程度)試験面接以外受けて成績公表でもいい。少なくとも官僚になる奴は基本的にはこれに合格してるわけだし、それと同等の能力があることくらいは示すべきでは。もちろん、別に新たに試験を設けるのもあり。制度の作られた20世紀中頃とは異なり、家庭事情から公教育すらまともに受けられない人というのは大きく減少し、また、社会も高度複雑化した。そんな現代においては、それぞれの専門性はもった上で、かつ、行政について最低限の知識があることくらいは担保できないと、議員活動の上で色々とマズいんじゃないかな。こうやって立候補の前に網を掛けるだけで、中身のないタレント候補や2世3世議員の乱立を、少しは減らせると思うんだよね。とりあえず参議院だけでも導入してみるとか、どうかな。一度受検すれば5年は有効で、期限の切れる前年から当年までの間に再び受検しないと、国政選挙に関わる被選挙権を失う、とする。つまり政治家免許更新制度」ですね。全国津々浦々の教員ですら全員これを自費で行っているのだから、遙かに職責の重い政治家の皆さんが、まさか能力証明など不必要だ!」とかおっしゃらないでしょうし。

陶片追放は、ポピュリズムを強化するものなので、正直あまり効果はないという気がするんですよね。選出するところで民衆の知性が働かないのに、追放に際して働くと期待できる根拠がないので。また、マイナスを恐れた政治家が、失点だけないようにばかり振る舞うのもマイナスで、やはりその地位には一定の安定保証必要だと思うんですよ。それよりも、国政選挙において、選挙本来の形に則るなら、結局「その人がどういう活動してきて、どういう思想の下、どういう政治をしていくのか」を公正にチェックした選挙公報に基づき投票する、という仕組みを整備するのがいいんじゃないかと思うんですよね。「地盤看板・鞄(金)」で決まる選挙にしないためには、その原点に立ち返るしかないでしょう。

これをするには、ネット投票の仕組みを整備しないといけないんですが、

 ・選挙葉書で投票サイトアクセスすると、ランダムに選ばれた二人の人間について、その選挙公報が示される。

 ・有権者は、どちらか「望ましい」と思う方に投票

 ・これを4~5回繰り返したら、投票終了。

 ・集計・分析して、もっとも望ましい人間必要数選び出す。

みたいな選挙にする(ぶっちゃけ、この前増田で少しバズった「戦う猫の話」のkittenwarからアイデアを得た。)、つまりPoliticianWar選挙金も時間もかからないし、公報の内容は選挙管理委員会によってファクトチェックかけられて、必要字数のみ、かつ、正しい内容しか掲載できないようにする。(いま、民間選挙ときオープンしてるサイトみたいなのを想定してもらってもいいと思う。)

これで、「地盤看板鞄」関係なく、お金もかからない選挙実施できると思うんだけど、どうだろう。というか、これで困るのって「地盤看板鞄」頼りの選挙ばかりしてきた人たちですよね? あと、「それでも結局芸能人含めた有名人が有利じゃね?」と思われるかもしれない。それは否定できないけど、「全く公平に比較対象を用意した」状態なら、「よく分からいか有名人に入れる」みたいな人の数を少しは減らせると思うし、それなら、現状より少しはマシになると思う。あと、投票率も上がるし、「全然知らない人に○したけど、あの人その後どうなったんだろう……」みたいに、政治への関心も高まると思うんだけど、どうだろう。

2021-02-23

anond:20210223124418

何年前で認識止まってるんだよw

この数年で失業者が激増して合計特殊出生率が0.8を割り込もうかって国に憧れるとかもはや特殊性癖の域だぞ?

暗鬱な雇用市場…構造調整で押し出された失業者が急増=韓国

雇用労働部が昨年12月に事業体労働力を調査した結果だ。12月に事業体で働く従事者は昨年同月に比べて33万4000人減った。雇用部は「社会的距離の強化と公共雇用事業の終了が大幅な減少を導いた」と分析した。だが、政府分析とは違い、常用職で26万7000人も減少した。公共雇用が多い臨時日雇いでは8000人減った。その他5万8000人減少だった。政府財政バラマキ式で雇用を作っても事業体従事者が減少した決定的原因は悪化の一途をたどる経済状況だといえる。

文大統領の「韓国経済善戦」発言も…9月に常用労働者24万人減少

1人以上の事業体従事者減少傾向が先月、また拡大した。雇用期間が1年以上で比較的安定した常用労働者の打撃が大きかった。文在寅ムン・ジェイン大統領は前日(28日)の施政演説で「経済奇跡のような善戦世界の注目を受けている」と述べたが、雇用指標悪化する様相だ。

雇用労働部が29日に発表した「9月の事業体労働調査」によると、9月の1人以上の事業体従事者数は1857万6000人と、前年同月比11万2000人減少した。新型コロナ感染拡大で雇用危機が最も深刻化した4月(-36万5000人)が過ぎてからは減少幅が縮小していたが、先月、減少幅がまた拡大したのだ。

安定的雇用は減り、不安定雇用ばかり増えている。正規職を含む常用労働者は24万1000人(-1.5%)減少した。一方、臨時日雇い労働者は18万1000人(10.1%)増加した。新型コロナの影響で3月から6月までは常用職と臨時日雇いは共に減少していた。しかし7月から臨時日雇いは増え、常用職は減少幅を拡大した。

安倍・菅・ゆとりを失った国民絶望的な基礎的学問と悲観的未来

 菅首相の息子、東北新社社員の菅正剛氏が総務省幹部官僚を高額接待したとして国会で集中論議されている。追及する野党議員はかつての大蔵省官僚接待汚職事(いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ)件以来だと糾弾する。週間文春記事には秋本芳徳・情報流通行政局長が菅正剛とみられる男性から賄賂を受け取り頭を下げられ見送られている姿の写真掲載され、あろうことか録音された会話内容が公開された。これにより、秋本局長は虚偽答弁の疑いが強まりNHKにおいても全国ニュースで再三これが取り上げられている。また内閣広報官山田貴子氏も高額接待がなされた。山田貴子氏といえば、NHKニュース番組にて菅首相日本学術会議の任命拒否問題について明確な説明を求めた件について、電話にて圧力をかけた疑いが報道されている。

 私はある基礎科学分野に従事するいわゆる任期付き研究者である。基礎的な学問社会にとって役に立たないとされ、安倍菅政権下では徹底的に蔑ろにされてきた。大学では裁量にゆとりのある国交金を急速に減額させられており、競争力のない大学は弱体化の一途をたどり、就職支援学校となり下がった。大学経営竹中平蔵のような政権与党のお友達も浸み入ってきた。菅首相国会にて大学研究者による"国会"ともよべる日本学術会議既得権益糾弾した。このように書くと、アンチ自民のように思われるが、私は世代的にはちょうど民主党政権下で行われた事業仕分けによって、危うく大幅予算削減にあいかけた日本学術振興会にて特別研究員として従事していたこともあり、その流れをくむ立憲民主国民民主は支持できない。維新ファーストは論外。いわゆる任期付き研究者の救済指針を明確にし、また露頭に迷う高学歴ワーキングプアを大量輩出した大学院重点化を失策として反省する旨を述べている日本共産党を支持する。党員ではない。国会中継はいつも見ている。支持政党宣言できるのは現実インターネット含めておそらくはてなアノニマスダイアリーだけであり、感謝申し上げたい。

以下は個人的分析に基づくものである。ほぼ無根拠に等しく随筆に過ぎない点を詫びたい。また全くまとめるつもりもなくとりとめもなく書いている。

 安倍・菅を支持せざるを得ない人とはどのような人たちか。(1) 政府予算にてほぼ直接首をつながれ自民党を支持せざるを得ない人々、(2) アベノミクスによって益を得た大企業・あるいは傘下企業就職した人々・あるいはその親族配偶者、(3) カルト的に安倍・菅なるものを狂信する信者である

 (1) には学校役所など税金によって経営されている機関に勤める非正規雇用職員が多数含まれる。たとえば学校であれば常勤非常勤講師役所であれば派遣委託金も税金から。そして私のような大学に勤める任期付き教員、ここでは他にも触れられない多数の人たちもいる。

 (2) 大学はもはや多数学生にとっては就職予備校に過ぎず、3年生になればインターンに参加するのはもはや常識と化している。学生卒論修論にかける時間など研究室に配属された全体の時間からすればほんの一部に過ぎない。実験フィールドワーク重要な分野にとっては学生研究活動・成果は重要資源であり、全く無視することなどできない。リーマンショックにて極端に就職率が下がった時代大学院に一時避難しその後企業の状況が良好となり一般就職した優秀な学生も多くいた。彼らが研究室・分野に残したレガシーは未だ活用されているし、彼らの中には今戻ってきても通用するであろう人もいまだ多数いると思っている。あれ以降、そのような時代は訪れていない。もしかしたら、新型コロナ不況になってしまった今、再び大学院は一時避難先となるかもしれないが。

 (3) 私からはてな民には説明不要だろう。

 アカデミックに身を置く私から見れば、安倍・菅はどうやら学問というか大学に対してコンプレックスというか憎しみに近いような感情を抱いている点はもはや間違いないだろうということが推察される(安倍氏はかつての家庭教師大学時代の恩師からダメ出しされている。)。非常に優秀な人たちが何だかよくわからないこと(基礎的な学問)にエネルギーを費やすことが無駄しか見えないのかもしれない。こうした感情は多くの国民シンパシーを感じているという点は見逃せない。日本学術会議の任命拒否問題はこれまで国会が定めてきた法の解釈に反するという一点が本質であるにも関わらず、問題は菅によってすり替えられた。つまり学術会議の在り方に問題があると指摘し(既得権益だそうだ)、これになんと国民の半数以上がそうだと思っているとの世論調査が出た。(問題すり替えという点が実にアンチアカデミックらしい思考だという皮肉も込めたい。)(ところで、全く非論理的あるいは違法ともいえる手段安倍菅政権で何度も取られてきた。安倍氏が自身公職選挙法政治資金規正法違反による逮捕を恐れ、当時の鑑定の守護神でもあった東京地検検事長黒川氏を違法に定年延長させようとしたのもそうだ。)

 国民には学問が何か役に立つものだとは信じている人はそれほど多くないのが実情である。そんな20年も30年も時間をかけなければ芽が出るかもわからないことに税金を費やすくらいなら苦しい自分たちを救ってほしいのである。これが実情。だからアベノミクスのおかげで就職できたお子さんを持つ親御さんや祖父母さんは安倍を支持せざるを得ないだろう。個人的には東日本大震災のような日本に深刻なダメージを与えた地震津波といったことを研究しているような地質学地震学・あるいは地球流体といった分野や、ここ毎年のように繰り返される豪雨台風による被害を予見するための気象学といった分野に、ごく少数の研究者しかかかわっておらず、むしろから次へと研究室が畳まれている深刻な事態に誰も何も言わない(言えない)ということに、絶望以外の感情が持てないというのが率直なところである。あるNHK特番東北を襲った過去津波から教訓を得ようとする名誉教授先生が自らフィールドワーク沿岸を歩いて地層を見ていると聞いたときは膝から崩れるような思いになった。(当然だが津波地震研究者がいないわけではないと思っている。)これらの分野は地学の1分野とされ、役に立たない理学の一分野とされている。国民の大多数がこんな見方だろう。これ程に基礎学問蔑ろにする政権イノベーションだの科学技術立国などのたまうのだから滑稽極まりない(ちなみに私はもっと無駄であろう分野の研究者である)。いずれにせよ、大学博士課程で教育を受け学位をディフェンド(審査から自分の主張を守るのだそうだ)することが一流企業就職する最低ラインと正しく認識されているアメリカ合衆国ヨーロッパ中国台湾には追いつくことは二度とないだろう。一生彼らが最先端で開発するスマートフォンなどの端末やウェブ技術を使い続ければよいと思う。自動車けが最後の砦になるのだろう。それもいつ世界最先端から取りこぼされるのか。

 トランプ政権の4年で良心を失ったことを顧み、バイデンを選んだアメリカが心底羨ましい。強いネガティブを避けるためにバイデンが選ばれた、という向きも否定できないが。やはり自分たちリベラル自由平等)を勝ち取るという気概は失われていないと感じた。そしてアメリカリベラルには非常に豊富経験がある。この点が日本とは大きく異なる。日本自民党を拒むときは、いつも不況だった。バブル崩壊後・リーマンショック。そして新型コロナでも非常に怪しいわけだが。このような積極的でない背景による政権交代しかなく、自分ドライブする準備が出来ていない野党が突然与党になってもなかなかしんどいである民主党政権はうまくいったとは言えない。国民自分たちリベラル的なものを獲得してやろう、という気概は持てないのである。何より、経済的精神にゆとりが持てず、いつ派遣から切られるかもしれない恐怖と不安、巨大な大企業庇護されているという虚栄ともいえる安心感が強く、社会全体を根幹から支えようとか社会的弱者や虐げられてきた人たちに目を向けようとか、つまり社会福祉や学問教育社会として注力して、たとえ遠回りであっても国全体の再生を目指そう、という気にはなれないのである自分には介護対象の親や祖父母いるから、とか女性であるとか、小さな子どもがいるとか、それらと家庭の経済状況を計りにかけている人もいなくはないだろうが。なにせ、かくゆう私も任期付きでいつ首を切られるかわからない立場である。そんな者が来年予算の財源を握る政権与党を支持しないで大丈夫なのか、と思われそうだが、全くの事実。実は私も政権与党に首根っこをつかまれている人間の一人に過ぎない。だが、ここは増田。私がどこの誰かなど特定することもできない。だから、これから数十年先の日本絶望的状況でしかないと言っているのだ。目を覚ませ、国民よ。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

女性管理職になりたがらない」問題についての雑感

ジェンダーギャップ指数とやらが144カ国中121位だと言う記事でも賑わっていた覚えが。

中身を軽く調べてみると、政治経済教育健康の4分野のうち政治経済においてのスコアが低い結果によるものだ。

経済においては、男女間の賃金格差女性管理職の少なさがスコアの低さとなって現れているという分析らしい。

人をを雇う側の立場からすれば、このあたりは仕方ないよなぁという気がしないでもない

従業員ユニットとして見た場合コスパいいのはどっち、ってなるとやはり差は出るよね、という話。

男女雇用機会均等法施行改正男女共同参画ジェンダーフリー運動などのおかげか、うちの会社にも女性社員、女性管理職は増えてきている。

うちの会社は規模や質、仕事量は10年前20年前と殆ど変わっていない、ほぼ同じ仕事を同じ程度の従業員で回している。

男女の内訳だけは大きく変わった。昔は1割から2割程度で事務しかさせていなかった女性社員は今は4割に迫り、男女の格差なく仕事を任せている。

土日祝日、盆暮れ正月おやすみで、別途有給20日。

勤務時間は8:30から17:00、残業時間は人によるが月に20時間を超えることは年一回の繁忙期くらい。

産休育休病休にも手当はつけている、もちろん満額とはいかないが。

ある程度ホワイトと言っていい環境だと思っている。

女性管理職になりたがらない、という話はうちの会社で言えば正しい。

女性管理職になりたがらない、とも言えるとは思うが。

私もできればなりたくなかった、他に人が居なかったらから仕方なかった。

昇進を打診して拒否される割合女性の方が多いのは事実だ。

うちは希望降格制度があるので拒否はできる。

そもそも新規案件を任す=仕事を増やそうとしたとき拒否が激しいのも女性だ。

これは私の経験則しかいか根拠はないが。

同じような理由残業休日出勤もしたがらない。

いや、したくないのは私も同じだが。

結果として男女の残業時間の平均は男のほうが圧倒的に多い。

1年、5年、10年の離職率女性の方が高い。

産休育休を除いた休職率も女性の方が高い。

基本的に男女で与える業務を分けていないので、負担は同じだと思うのだが。

会社だけでなく、家庭内での負担もあるだろうから一概には言えないか

産休育休病休で昇給昇進にマイナス査定することももちろんしていない。

休んでいる間に同期と比べて相対的昇給昇進が遅れるのは、仕方ないと言えると思う。

長期休職の取得率が高くて離職率も高い、さらには残業休日出勤の実績も低い。

こうなってくるとやはり格差ではない男女の差、というものがある気がしてくる。

差別主義者が主人公ゲーム

https://anond.hatelabo.jp/20210221191006

差別主義者が主人公作品、あるよ!

蒼き雷霆 ガンヴォルト』という2Dアクションゲーム。だいたいロックマンみたいなゲームだと思ってくれていい。

世界中超能力を使える者が生まれ始めて、彼らに対する差別迫害、それに対抗する能力者のテロリスト集団により治安が急激に悪化している近未来舞台

差別主義なのは第二作『蒼き雷霆 ガンヴォルト爪』ダブル主人公の片方、神園アキュラくん。能力を持たない科学者少年で、能力分析して作った兵器武装して、私的能力者を討滅して回っているやべーやつだよ。身内には優しいしシスコンな一面もあるけど、ファンからは「過激派レイシスト」「空飛ぶヘイトスピーカー」「能力無差別殺人鬼」って呼ばれてるよ。

能力者を強く憎んでいて、無能力者に差別された悲劇的な過去を持つ敵能力者に対して「バケモノ」「神の定めし摂理に背く背徳者」「生まれながらの害獣」「世を生きる道理はない」「危険生物」「バケモノに判る人の心などない」「貴様能力者(バケモノ)は、生きているだけで害悪」とヘイトスピーチ三昧。

もう一人の主人公であるガンヴォルト(世界最強の能力テロリスト)に能力者との共存可能性を問われると「腕から銃を生やした者と、手を取り合えと言うのか?」と即却下

そんなアキュラくんは最後までいわゆる「改心」をすることはなく、エピローグでこれから能力者を討滅することを宣言するし、物語ハッピーエンドを迎える。

『ガンヴォルト爪』は元々3DSリリースされたソフトで、今はSwitchPS4Steamでもプレイできる。SwitchPS4では第一作と第二作がセットになった『蒼き雷霆ガンヴォルト ストライカーパック』として販売中。バイナウ! 第三作にしてアキュラくんが主人公スピンオフ『白き鋼鉄のX THE OUT OF GUNVOLT』もあるぞ(ダイレクトマーケティング)。

スタイリッシュヘイトスピーチアクションの極限を感じろ!

anond:20210222001619

正確に分析すると、日本人国際的評価されたのは21世紀

日本のみならず、中国人韓国人の何割かも国際的評価21世紀に受けるだろうし、もう受けている分野の人はいる。

それまではそうではなかったし、1990年代好転していたとはいえ地方惨状はひどかった。

なので1980年代は、まだまだ田舎地方反知性主義オンパレードで、バカしか住んでない地域しかなかったよ。

いっぺん田舎地方1980年代の話を聞いてみるといいよ。

1980年代田舎地方に住んでた馬鹿が、馬鹿再生産しているのが2020年代なんだからね。

田舎だと女性人生は即詰む。これがいいって人は、1980年代肯定するだろう。

2021-02-21

anond:20210221154239

違う違う

なんでやりたく無いのかを分析して解消するのがスタートだよ

つまらない人ほどTwitterでわかったようなことを言いたがる

Twitterに書くと角が立つのでこっちに書くが

たまにTLに人生論や自己啓発人間分析いたことを書いたりRTする人がいる

見かけるたびにイラっとするから止めて欲しい

それならまだ政治的ツイートでもしてる方がマシだわ

あいう話をしたり聞いたり読んだりすることに興味ある人間はつまらない

anond:20210221080633

ある意味科学」の副作用だね。科学は近視眼に陥りやすくなる。

科学デカルト方法序説提唱された考えで、明証、分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられた思想は正しいという考えだ。

ただし、大規模であれば大規模であるほど明証が難しくなる。例外も増える。なので、近視眼に陥りやすくなる。

それでも統計をきちんととってやればいいのだが、金や時間もかかるし、例外が増えるから明瞭に物事を語るのは難しくなる。

それでも頑張っていかないとならないんだがねぇ。

2021-02-20

anond:20210220232856

「上手い」の基準絶対にあるからね。

分析させれば余裕でしょう。

まあカレカノリアルタイムっていうと

高校生セックスしてるとか不良!とか

10代女といえばコギャル!みたいなまだ前世紀で

性の低年齢化と10代の恋愛戦国時代化前夜だったわけで

あれでも当時の感覚としてはなんか割とイケてるけど不良ではないっていうマスメディアの隙間を縫ったところをうまく突いた部類であったと思う

ただ自分気持ち悪くて読めなかったクチなのでこれ以上の分析わからん

弱者力」の計算社会学者にして欲しい

有色人種+50点、女性+100点、LGBT+200点という風に、弱者の中で誰を優先すべきかの基準となる数字弱者力」を社会学者に算出して欲しい。

昨今なにかとネットで叩かれがちの社会学者だけど、複雑化する一方の差別問題へのソリューションになる「弱者力」計算ツールを開発して政府機関企業がこぞって使うようになれば、社会学が役立つ学問であることを世間の多くの人々が認めるようになり、社会学者研究費とポストも増えるはずだ。

理系社会学つーか文系客観的数字を出せない馬鹿から学問ではなくお気持ちでしょ?」

かいDisも跳ね返せる。

社会科学の中では経済学もっとも洗練された計量化ツールを揃えていると思うけど、ある人がどの程度「弱者であるかを測るのは幅広い社会現象が関わるので、これこそ社会学の出番だと思う。

弱者力」の活用事例は、こんな感じ。

政府大企業に対して「総従業員弱者力、合計1万点以上」を義務付けることで弱者エンパワーメントを促進する。

企業は「当社はゲイLGBT+200点)を100人雇うことで法的義務の2倍となる合計2万点を達成しました」とCSR報告書に誇らしく記載できる。

また「弱者力」を使えば弱者同士の利害が衝突した時にも明快なジャッジを下せる。

例えば、トランス女性(男体持ち)が女子トイレを使いたいと主張しているが、シス女性(生まれつきの女体持ち)は女子トイレペニス持ちが入ってくると性犯罪が増えて安心できなくなるので嫌だと主張している、どちらの利益を優先すべきか?

という現代社会アポリア(難問)に対しても、

シス女性弱者力:「女性+100点」=合計100点

トランス女性弱者力:「女性+100点」+「LGBTトランスジェンダー)+200点」=合計300点

以上より、シス女性よりも3倍も弱いトランス女性利益を優先すべきことは明白であるので、女子トイレトランス女性(男体持ち)に開放するものとする。

ここまでネタに見えるかもしれないけど、アメリカ大学入試就職でのアファーマティブ・アクションでは「弱者力」計算をしているはずだ。

例えば、試験で同じ点数の貧乏白人と中所得黒人受験生がいたとして、

白人貧乏なのは+10点だけど、

黒人は+50点だから、中所得黒人を優先的に入学させる

という風に。

(実際はもっと複雑な計算だろうけど)

蛇足だが、こういう「弱者」とタイトルに付けた記事を書くと、増田に常駐しているKKO

「でもキモくて金のないおっさん弱者力0点に計算されて救済の対象にしてもらえないのは特に問題ないんですよねわかります

かいクソリプしてくる可能性が高いので、

KKO VS 資産家令嬢Ph.D.持ちGAFA勤務年収千万女性

というカードで「弱者力」バトルをしてみよう。

資産家令嬢Ph.D.持ちGAFA勤務年収千万女性弱者力 合計100点

内訳

女性+100点(女性は、いかに裕福な家庭で生まれ育ち、高い教育を受け、高所得になろうとも、女体である限り、性犯罪暴力犯罪被害者になりやすく、月経による体調不良妊娠出産負担させられるという強い弱者性を持つ。地上から性犯罪が根絶され、人口子宮実用化し、サイボーグ化により男女の身体の差が無くなるまでは、無条件で+100点)

KKO弱者力 合計25点

内訳

低所得+10点(万人に平等に与えられた24時間所得を増やすためのハードワークに費やすも、娯楽に使うのも個人自由であり、所得はそのような個人選択の積み重ねの結果であるとはいえ環境による有利不利も無いことはないので+10点)

中卒+5点(所得と同じく、自分人生時間を将来の所得を増やすための学習に使うのも、遊んで浪費するのも個人自由であり、学歴個人選択の結果である

診断済み発達障害+5点(発達障害は外見からわかる障害ではないので弱者度は低め。投薬や療育により改善もできる。もちろん治療拒否するのも個人自由。なお一目でわかる身体障害なら+50点)

2型糖尿病+5点(2型は生活習慣病であり不摂生生活をする個人自由行使した結果だから自己責任度が高い。1型なら遺伝性が強いので+20点)

高齢独身+0点(言うまでもなく婚姻個人自由。人には家族を持たず孤独死ぬ自由がある)

以上、KKO弱者力たった25のただの雑魚、いやただのマジョリティ強者であることが客観的に論証された。社会に救済を求めるなら最低でも女性平均の100を超えてからから物を言って欲しいものだ。

もちろん私は謙虚素人なので、本職の社会学者の方々の目には、上述の計量化噴飯もの稚拙計算に見えていることは自覚している。

からこそ、社会現象分析専門家である社会学者に、より客観的な「弱者力」計算仕事に取り組んでいただき成果を社会還元して欲しい。

anond:20210220112414

もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論操作できることが多い。

ただし、数値データ必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。

古典義務教育とする理由」の証明に、「数値データ必要ない」という主張でしょうか?

この場合、その主張の根拠は何になりますか?

数値データ必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。

まず、この場合の数値データはおそらく、

 A:古典教育を行っている群

 B:古典教育を行わない群

を用意し、そのAB間での比較を行うことでしか得られない。

が、この比較教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。

日本場合古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。

参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。

また、短期間のデータ古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)

もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問調査(などでよければ)であれば、データ玉石混淆存在している。

もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。

これって、「義務教育として必要」の説明ですか?

これって、大学なりなんなりで専門分野としての必要性の説明じゃないですか?

義務教育高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。

古事記竹取物語大鏡源氏物語平家物語枕草子徒然草奥の細道論語史記唐詩故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。

この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社現場が着いてこなかったんだ……。

で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。

市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)

anond:20210220112831

国民教養として必要情報処理法律で現状教えられてないもの、って具体的にはどういうのを想定してるの?

専門家じゃないからわからないよ!

素人所感だと、

情報処理は、「関数」と「レイヤー構造」かな!

関数は、「インプット」「アウトプット」「処理」の要素から成立していることとかね!

関数理解すると、「ソフトウェア関数の集合にすぎないこと」「機械学習所詮関数一種にすぎない」のように、「得体のしれない便利なもの」という理解から進めるからね!

関数理解できれば、Excelはもちろん、熱量計算とか言語分析とか各専門分野で利用できるからね!

プログラミングを教えるべき!」ってのは「関数理解させるべき!」って意味だと思うんだよね。

言語仕様アルゴリズムは必ずしも必要とは思わないよ!

次に「レイヤー構造」ね!

例えば「ソフトウエアにおけるアプリケーション層データ層…」とか「ハードウェアにおけるサーバデータベース、ロードバランサー…」とか「ネットワークにおける物理層セッション層…」とかね!

レイヤー構造理解すると、全体と部分の関係がはっきりして、各要素の理解が進むからね!

レイヤー構造理解できれば、情報処理に限らず、ものごとを整理して理解することに役立つよね!

法律は、「法」と「契約」かな!

法は、各法の目的理解かな!何のために存在して、法改正によってどう影響があるか理解できるからね!

各条文を細かに理解する必要はないけれど、条文の読み方は修得させたいよね!

契約は、騙されないためにだね!

anond:20210220024108

なんで教えて教えてばかりで自分で調べようとしないんだ。

なんで自分で調べるかどうかって話になるの?

相手発言根拠を尋ねているだけで、その相手コミュニケーション可能状態にも関わらず、相手質問せずに、書籍等にあたる必要性って何?

自分で調べようとしない」と判断した理由は何?

個人的には「他人質問すること」も「自分で調べること」に含まれるしね。

興味があるならこのあたり読めばいいよ。おそらく近隣の図書館にあるだろう。

 『万葉集発明 新装版』 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455381.html

 『創造された古典』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788506695

論文がいいなら、このあたり。

 「国語教育史における「古典概念の成立時期についての一考察--国民国語における「古典トシテノ国文から遡及

 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002220719

すごい!ありがとうございます

よくポンポンでてきますね。

義務教育対象である理由を知るためには、当然に義務教育目的理解する必要があって、その理解を深めるには政治歴史を知っておく必要がありますよね。

その役に立ちそうです!

数値データを期待してると思うけど、これらには確か数値データはない。どちらかといえば、なぜ「古典必要とされたか」を言説研究から読み解こうとするものだ。

言説を「個人の感想」と見なすかもしれないが、そんなことを言われると質的データが取り扱えなくなる。データの捉え方をもっと広く持ったほうがいい。

もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論操作できることが多い。

ただし、数値データ必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。

古典義務教育とする理由」の証明に、「数値データ必要ない」という主張でしょうか?

この場合、その主張の根拠は何になりますか?

個人的には、全ての人が一次データにあたるだけのスキルを持つ必要はないと思うけど、「古典」のようなものを事後的に創る(当たり前だが、どんな作品でも生まれた直後は古典ではなく、必ず何かしらの共同体での価値づけを経て「古典」に祭り上げられる)仕組み自体があることを知っておくことは必要だと思う。相対化の視点必要からな。

それにピンと来るためには、ある程度古典に触れておくことは必要だろう。

これって、「義務教育として必要」の説明ですか?

これって、大学なりなんなりで専門分野としての必要性説明じゃないですか?

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

高齢化が最も速い韓国…老人貧困率OECD1位」

韓国高齢者人口の増加が経済協力開発機構OECD加盟国の中で最も速いことが分かった。2048年にはOECD加盟国のうち最も高齢の国になるだろうという見通しだ。そのうえ老人貧困率OECD加盟国のうち最も高く対策づくりが急務だという指摘もある。

韓国経済研究院(韓経研)は17日、米国英国ドイツフランス日本など主要5カ国(G5)と韓国高齢化現況および対応策を分析した結果を発表した。これによると、2011年から昨年まで韓国の65歳以上の高齢人口は年平均4.4%増加していることが分かった。最近10年間、老年層が毎年29万人増えたということだ。韓国高齢化速度はOECD平均(2.6%)の1.7倍で、加盟国の中で最も速い。

現在韓国高齢人口比率は15.7%で、OECD37カ国のうち29位だ。だが、今の勢いでいけば20年後の2041年には33.4%となり、人口の3人に1人は高齢者になる。2048年には65歳以上の高齢者人口全体の37.4%を占め、OECD国家のうち最も年老いた国になる見通しだ。

◆老人貧困率OECD加盟国中で最高水

高齢人口比率が急激に伸びている中で、他の国々と比較して韓国高齢者経済的困難は相対的に大きいことが分かった。韓経研によると、2018年基準韓国の老人貧困率(43.4%)はOECDのうち最も高かった。これはOECD平均(14.8%)の約3倍水準だ。

韓経研のチュ・グァンホ経済政策室長は「韓国の老人貧困率はG5国家である米国(23.1%)、日本(19.6%)、英国(14.9%)、ドイツ(10.2%)、フランス(4.1%)と比較して圧倒的に高い」とし韓国高齢者が非常に困窮していて、高齢化も世界的に類を見ないほどのスピードで進んでいる」と話した。

◆硬直した労働市場青年老年求職難に

高齢化と老人貧困問題を触発する原因として、1つ目に労働市場の硬直性が指摘されている。派遣・期間制に対する規制が強化されて解雇費用が高く、企業がさまざまな人材活用して柔軟に人材を調整できる余地が狭まっているということだ。これによる青年求職難は長期的に少子化問題と結びついて高齢化がますます進み、老年求職難は老人貧困につながるという指摘だ。

延世(ヨンセ)大学経済学部のソン・テユン教授は「最近制度の変化によって増えた労働費用労働硬直性で、企業雇用を増やしにくい状況」としながら「職に就けなかった青年結婚をしないか出生率が低くなり、高齢化を触発する原因になっている」と話した。

韓経研のイ・サンホン雇用政策チーム長は労働市場の硬直性が高齢層の就職環境悪化させている原因だと話す。イ氏は「G5国家製造業を含むほとんどの業種で派遣を許容している。派遣・期間制期間もドイツフランスを除く3カ国は無制限」としながら「これらの国々は賃金体系も職務・成果給中心なので、企業高齢者雇用するにあたり負担がない」と説明した。

◆「年金機能を強化して老後所得の拡充を」

韓経研は老人貧困問題解決策として年金機能の強化を提案した。韓経研によると、2018年基準韓国公的私的年金所得代替率は43.4%だ。退職年金個人年金などの私的年金と、国民年金公務員年金など公的年金をすべて合わせても引退前の平均所得の半分にも至らないということだ。反面、米国などG5国家場合年金所得代替率は平均69.6%水準だ。

韓経研は、G5国家税制恩恵を通じて私的年金加入を活性化したおかげで、年金受領だけで所得補填する効果をあげていると分析した。これらの国々の場合私的年金に対する税制支援率は2018年基準で平均29.0%だった。米国場合、この比率が41.0%に達する。その結果、G5国家では満15~64歳人口私的年金加入率が54.3%と比較的高い。

反面、韓国私的年金税制支援率が20.0%で、加入率も16.9%にとどまっている。チュ氏は「主要国家私的年金の加入を誘導する代わりに、公的年金韓国に比べて『もっと多く出してもっと遅く受け取る』形で運営し、財政健全性を強化した」とし「韓国私的年金に対する支援を強化し、公的年金効率化して国民が老後の所得基盤を拡充することができるようにしなければならない」と話した。

老人ばかり重視する日本韓国のこういう所を見習うべきだね。

2021-02-18

anond:20210218222957

そのへんは難しい。

トッドの描像はいちおうアフリカシステムイラントルコを詳しく分析してるという事になっているが

まあ結局歴史から未来を推論すること自体が怪しいというのは正しい。

でも少なくともアフリカエリートはそのへんの学問を確実に輸入してるのと(統治成功はしてないけど)

イラントルコも参照はしてるはずだから

白人の影響力は思想学問では結局残るはず。

個人的には中国人口動態学をどうやってるのかが気になる。

戦略を読まれないために表に出さず研究してるとかありそう。

anond:20210218193419

その相談中に、どこが異性として意識できない要因なのか一緒に分析しなかったの?

anond:20210218112257

そういう分析をするのであれば、損得を「今でも(有象無象の)記憶に残っている」ことをもって判断するのが誤りであろう。

 

DeNAはあの会見によって、その時顧客だった人が顧客でなくなったことを防いだのかもしれない。

そうやって守れた顧客の数は、WELQ問題の悪印象のせいで減った顧客の数よりも、多かったかもしれない。

2021-02-17

anond:20210217093447

マジレスすると、幸福学の大方の研究によれば、君の言うような「幸福」感が個人あるかどうかは、コミュニティに属して貢献しているかどうかに大きく依存する。

 

社会に属して、社会の役に立っていることをしていれば、財産の過多に関わらず幸福感は上がる。

ハリウッドセレブよりも、発展途上国インフラ仕事をして家族を食わしている人のほうが、調査に現われる幸福度が高かったりするわけだ。

そういう意味で君は一部正しい。

 

一部正しいが、それが信仰やりがいっていう、個人の心の中の作用だと分析するのは誤っている。

あくまでもコミュニティに貢献しているかどうかが重要だ。

宗教の主要な機能の一つは、宗教コミュニティを作ることだ。それが幸福感に作用する。

 

信仰してない日本でも、例えば友達とめちゃくちゃ仲良くていっしょに稼いでるマイルドヤンキーとかは、幸福感が高いいと思われる。

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