はてなキーワード: 分析とは
経済産業省などから出ている資料を読んでいるのだが、民間で流行っていそうなAIなどの言葉が出てくるようになって、先導しようとしているのはわかるのだが、
国内企業の名前が思い浮かぶものもなく、アメリカ企業に対抗する手段も書かれていない。
デカルトにより、科学的検証というものが提唱された。それにより、科学というものが生まれ、明証性、分析が馴染むものは宗教からでていって科学の管轄になっていった。
けど、明証性、分析がなじまないものはどうなるか?「誰かが言ったから正しい」の世界のままにいる。それは1つは仮説であり、一つは宗教。
もっとも、対人関係なぞは明証性や分析が馴染むものでないので、宗教関係の知識がまだまだ意味があるとも言える。少しずつ検証されたものの範囲は広がっているが。
宗教と科学の境界について知りたいのなら、デカルトの方法序説読んでみるといい。最近は「まんがで読破」シリーズに出てる。まんがで読破シリーズのデカルトの方法序説はおすすめ。
横だけど、かつて野党時代の安倍は「多くの人は東日本大震災の辛い現実を直視できない。だから政治家は前向きな事を常に言い続けなければいけない。」と語っていた。
おそらく元増田らはこの発言を肯定的に捉えるだろうが、俺は非常に危険な発言だと感じた。というのも辛い現実を直視する事なしに前を向く事なんて出来ないからだ。誰だって暗いニュースは見たくないが、目を閉じて耳を塞いでも無かった事にはならない。この安倍の発言は分析としても戦略としてもよく出来ている。政治を大衆に迎合するもの、人気集めゲームと割り切っている。戦後長らく、いや戦前だってこのような考え方はありふれていた。
けれどもその結果起きた事が太平洋戦争だった。また戦争の話かと思うかもしれないが、戦後民主主義はここから始まっている。何度だって振り返る必要がある。
野党は与党よりももっといい政策を出してほしい、それは元増田らの本音だろう。世論調査を見る限り、政権支持しかし政策にはほとんど全て反対という有権者がかなり多い。ここで野党が、現実を直視できない多くの人向けにまやかしのような、耳心地いい政策を出しはじめたらどうなる?ちょうど元増田が欲しがってるような政策とはそのような性質のものじゃないのか?いかに多くの人を心酔させられるか競い合う事がバランス感覚ある振る舞いか?
民主主義とは人気集めゲームになりがちだというのはこれまでの歴史が証明している。民主主義は不完全でたやすく暴走する。そして地震や原発、その他の理不尽な災害は人々の心に暗い影を落とした。元増田らも、先行きだって本当は不安なんじゃないか?人心につけ込むような人気集めゲームが加速したら必ず取り返しのつかない事が起こる。
だから選挙前に野党は政権公約を作る程度でよく、まず野党の仕事は政権運営の監視、民主主義の暴走を防ぐ事が先決だと考えてる。長くなったが、以上。
「多角的な視点から分析を試みる」とあるが、客観的なデータが一切なく、
「ではないか」「と思われる」「興味深い」と主観的で一面的な感想に終始しているため、
内容に一旦疑問を持つと、それ以上読み進めることが難しい。
「関係性消費」についても下調べが不足している。
最低限、日常系以外のコンテンツとの「関係性」の比較・検証をし、内容の客観的な違いや売上、言及数などのデータがないと、この仮説は成り立たない。
また、腐女子にとって「関係性」が重要だというジェンダー比較が出てくるが、なぜ現在の日常系は腐女子からではなく男性向けから出てきたのか。
・同じくバーチャルYouTuberの人気も「関係性消費」だけで説明できるのだろうか?
前段となるニコ生やUstreamやYouTuberなどの動画配信、また声優ラジオなどの類似コンテンツの調査・比較は少なくとも必要。
また、キズナアイ登場時は、関係性よりも単体のコンテンツとして人気だった印象があるが、その変遷も調査しデータとして述べる必要がある。
全体的に最も信憑性に乏しい段。
「ホモソーシャルな絆」がキーワードのようだが、「腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く」という文言があるが、単なるイメージでしかない。
「BL研究家」を名乗るものがマイノリティへの差別意識を吐露し、またそれに追従するBL愛好家たちが炎上した件が有名である。
逆にホモソーシャル的な絆を強めるためには「攻撃対象」を用意することが有効という事例もある。
主観的な意見だけで不用意に書かれているので、要調査の上で客観的なデータを伴って修正する必要がある。
また、旧来の男性おたくが少女漫画と親和性が高かったという事実も、本稿では重要なポイントになるのではないだろうか。
全体としてデータ不足が顕著。
<承前>
https://anond.hatelabo.jp/20190216024920
そして2018年現在、百合ジャンルはその定義をやっと安定したものとして確立し、内部で属性の細分化が進行している。「少女小説」にルーツを持つ「正統派百合」や「セーラームーン」にルーツを持つ「戦闘美少女」もの、多数のメディアミックス作品からなる「アイドル」もの、「アイカツ!」や「プリパラ」の代表的な女児向けアニメ本編での百合的な描写など、ひとことに百合といっても多岐にわたる作風や絵柄、対象層の想定の下で日々多くの作品が創作されている。この流れを示唆するのが、2017年頃からみられるようになった細分化された特定の百合ジャンルの作品を掲載したアンソロジーの発刊である。例としては、おねロリ(お姉さん×少女のカップリングに限定したアンソロジー)、社会人百合(学生設定の多い中、ヒロイン二人の年齢を成人以降に限定したアンソロジー)、夢(一人称視点でストーリーが進行し、主人公としての読者とヒロインの恋愛が描かれるアンソロジー)などがある。また、少年誌で連載されていた百合マンガのアニメ化が続々と決定し、各書店で百合特設コーナーが作られるなど、確実にやおい/BLコンテンツと肩を並べられるまでの規模に成長しつつある。さらに、「ユリイカ」「ダ・ヴィンチ」といったオタク向けでない雑誌においても、「百合」が特集されて取り上げられることもあった。これらによって百合ジャンルは読者層をどんどん広げ、境界線の明確なものではなく、あらゆる作品にエッセンスとして取り入れられるように変化してきているといえる。
つまり、2000年初頭にみられた「百合」論争とファン同士の対立とは逆に、ジャンルの細分化によっていい方向に百合という概念が拡散してきているといえよう。女性と男性が議論を重ねながら平等に構成している百合ジャンルは、マンガジャンルの中でも特異な体質のものだ。しかし、やおい/BLジャンルに関する研究は数多くみられたが、百合/GL ジャンルに関する研究は現在ユリイカに掲載されたもののみである。今後、さらに百合ジャンルが広まっていくにあたり、読者分析や内容分析によってさらに細かい分析をするに値する分野だと考えられる。特に、マンガという表現形態だけに限らず、各時代を代表する百合作品を時代背景を踏まえ、ジェンダーやフェミニズムといった視点からのより詳細な分析の必要性を感じた。
<参考文献>
川崎賢子, 2014,「半壊のシンボル――吉屋信子と百合的欲望の共同体」『ユリイカ』12月号:42-49
上田麻由子,2014「内なる少女を救い出すこと――『シムーン』の孤独と連帯」『ユリイカ』12月号:190-198
藤本由香里「『百合』の来し方――『女同士の愛』をマンガはどう描いてきたか?」『ユリイカ』12月号:101-109
アライ=ヒロユキ, 2015,「オタ文化からサブカルへ――ナラティヴへ誘うキャラクター」繊研新聞社
山岸涼子, 1971,「白い部屋のふたり」集英社 『りぼんコミック』掲載
池田理代子, 1972-73,「ベルサイユのばら」集英社 『週刊マーガレット』掲載
池田理代子, 1974,「おにいさまへ…」集英社 『週刊マーガレット』掲載
武内直子, 1992-97,「美少女戦士セーラームーン」講談社 『なかよし』掲載
さいとうちほ, 1996-98,「少女革命ウテナ」小学館 『ちゃおフラワーコミックス』掲載
介錯, 2004-05,「神無月の巫女」角川書店 『月間少年エース』掲載
サンライズ・佐藤健悦, 2004-05,「舞-HIME-」秋田書店 『週刊少年チャンピオン』掲載
なもり, 2008-「ゆるゆり」一迅社 『コミック百合姫S』・『コミック百合姫』掲載
えばんふみ, 2010-2011,「ブルーフレンド」集英社 『りぼん』掲載
白沢まりも, 2011,「野ばらの森の乙女たち」講談社 『なかよし』掲載
<アンソロジー>
2018,「あの娘と目が合うたび私は 社会人百合アンソロジー」KADOKAWA
2018,「百合+カノジョ」ふゅーじょんぷろだくと
<雑誌>
2007-2011,「コミック百合姫Wildrose」一迅社
<テレビアニメ>
2011,「魔法少女まどか☆マギカ」
2012-2016,「アイカツ!」 サンライズ、バンダイナムコピクチャーズ
2014-2017,「プリパラ」タカラトミーアーツ、シンソフィア
<あとがき>
これを書いたときはやが君アニメ化前だったので取り上げなかったな~と思うと感慨深い。あとファン考察が雑で本当に申し訳ございません。いつかしっかりやろうと思います。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】
女性の心の弱みに付け込んで自分に依存させて、患者女性を自分の恋人や妻にする精神科医は狡猾なナンパ師だわ。変な医者に引っかかったら人生悲惨やね?
2/15(金) 8:32配信
2018年1月にアイドルグループ「ももいろクローバーZ」を脱退、芸能活動を休止していたタレントの有安杏果が2月6日、自身の個人事務所「アプリコット」を立ち上げたと発表。
さらに、事務所の代表は結婚を前提に交際している48歳の医師であると明かした。
「FRIDAY」の直撃取材によるとこの医師が都内でメンタルクリニックを開業している精神科医のA氏であることが判明。公私ともに支えてくれているパートナーがいるのは喜ばしいことだが、有安がA氏について「医師として」活動をサポートしてくれた人物であるとコメントしてしまったのはやぶ蛇だった。
なぜなら、有安とA医師の関係は精神医療業界としてはアウトだからである。
心理臨床家や心理学研究者が属する日本心理学会の職業倫理規程には「多重関係の禁止」として、以下のように書かれている。
「心理臨床実践にたずさわる者は、原則として、現在自分と利害関係や親密な関係にある者、あるいは過去にそうであった者を援助対象にはしない。そうした関係にある者からの援助依頼を受けた場合には、他の機関や他の専門職を紹介するなど適切な処置をとる。また,臨床実践の開始後に援助対象者との間に恋愛関係や性的な関係をとり結んではならない。たとえ援助が中止ないし終結された後であっても、専門的な関係の影響が及びうる間は、そうした関係をとり結んではならない」
簡単にいうと、多重関係とは治療者とクライアントという以外に、別途新たに結ばれる関係を指す。
だが、これはあくまで日本心理学会員向けの倫理規程であり、A医師は精神科医。医師会の規定に反していなければセーフという逃げ口上も可能だ。だが、これについて精神科医の岡本浩之氏は、このように指摘する。
「医師と患者が恋愛関係になることに対して明確な罰則はなく、少なくとも日本国内では法的には問題ないと言えます。ただ、日本医師会が平成29年に出した『医の倫理について考える 現場で役立つケーススタディ』には、医師と患者の恋愛についての項目があり、次のような記載があります。
『医師個人には恋愛の自由はあるが、もしこの医師が患者と付き合った場合、患者という弱い立場を利用したと言えなくはない。また恋愛関係がこじれた場合、医師がこの患者に対する治療を継続する上で、確実に影響をもたらすであろう。(中略)ちなみにアメリカ医師会の倫理規定では、患者との恋愛は禁じられている』
今回の恋愛関係に至る経緯を考えると、医師会としても賛同できる内容ではないと思います。普通の交友関係からのスタートでも、相談に対して治療的な対応をしたのであれば、医師と患者の関係に準ずるものとして考えます」
「患者は精神科医に対してかなり深い悩みを話すことが多く、精神科医はまずは悩みをしっかり聞き、内容を受け止めて理解を示すことから治療を始めます。ですから、患者が医師に依存し恋愛感情を持つことはあります」
患者が治療者に特別な感情を持つ現象は「転移」と呼ばれ、心理職であれば誰もが注意するところだが……。
「精神科医と患者が恋愛関係になった場合、患者は精神科医に過度に依存するようになり、精神科医はそれを重荷に感じて不安定となり突然音信不通となり行方をくらまし、捨てられたと感じて傷ついた患者も自殺を図るという例が実際に起きています。
また、患者の依存を利用して精神科医側が支配的、暴力的となり、その関係に苦しんだ患者の状態が悪化して自殺を図った、という類いのことも起こります」
有名精神科医・ゆうきゆう(本名:安田雄一郎)氏が自身のクリニックの患者であった当時17歳の女性と性的関係を持った後、一方的に関係を絶ち、女性の精神状態が悪化したと報じられた件である。女性側の狂言であるという説も浮上し真相は不明たが、精神科医と患者という立場ではこうしたことは起こり得る事態なのだ。
ちなみに精神医療研究の最先進国とも呼ばれるアメリカでは心理臨床家がクライアントとSEXをすると、州によっては犯罪行為として処罰される。A医師はところ変われば逮捕・実刑に相当する可能性があるのだ。
またアメリカ心理学会(American Psychologist Association)では、一度クライアントとして関わったら2年間はSEXしてはいけないという倫理規定もある。そのくらい、多重関係は治療に害を及ぼすものとみなされているのだ。
ただ、両者は婚約中で、いずれ結婚するためそうしたことも帳消しになるのでは? という意見もあるが、そう単純な話でもないという。
「結婚すること自体は問題はないのですが、有安さんのメンタルケアが今後も必要なのであれば、A医師自身は夫としてのサポートに徹し、別の精神科医に治療を任せることが必要でしょう。交際相手や配偶者の精神症状を冷静かつ客観的に治療すること、患者側も多重関係にある医師と距離感を保って依存しないことは極めて困難です。ですから多くの精神科医は、自身の診療の目が曇らないようにする意味でも、患者と恋愛関係にならないことを意識しています」(岡本氏)
今はまだいいが、万が一、二人が別れた場合は苦難が生じる可能性がある。
「もちろん、お互いにしっかり話し合って納得をして別れることが出来れば問題はありません。しかし、こういうケースではそのような別れ方をすることは少ないです。
先ほどの事例のように、精神科医が患者の依存に耐えきれなくなって関係が破綻した場合、精神科医がうつ状態となり、それを見て不安に感じた患者もさらに不安定となり、互いの精神状態が悪化します。
また、精神科医の支配的な態度に患者が耐えられなくなって関係が破綻した場合、患者は精神的に不安定となり、衝動的な自殺企図などを起こしやすくなります」(岡村氏)
だが、あくまで職業倫理の話であり、法的強制力がない以上、追及するのも野暮かもしれない。逆に、医師の治療的サポートがあったとはいえ、したたかに個人事務所を立ち上げていた有安のメンタルの状態は本人が言うほど深刻ではなかったともいえる。ファンとしては喜び、応援すべきところなのかもしれない……。
【安宿緑】
編集者、ライター。心理学的ニュース分析プロジェクト「Newsophia」(現在プレスタート)メンバーとして、主に朝鮮半島セクションを担当。日本、韓国、北朝鮮など北東アジアの心理分析に取り組む。個人ブログ
それは逆だろ。
朝日新聞こそ国内で最も信頼できないメディアだとの分析がある。
https://www.news-postseven.com/archives/20180703_711415.html
こういう体系傾向があるからこの部分をスッキリ見せてくれる服を着てみましょう、試しに着てしっくりくれば成功
大雑把に3種類に分けられるってだけでカウンセリングだと更に肩幅や胸囲で細かく判断する
ヴィーガンで例えるのは無理がある
虐待されて死ぬような悲惨な底辺に生まれなかったお前らは幸福なほうなんだから日本国のためにキリキリ働いて納税しろやっていう
国民を道徳観で縛り付けて従順にするという意味があるんじゃないですかね
闇金ウシジマ君なんかと同じですね
主人公(男)に五人のヒロイン(五つ子 しかも全員胸がでかい)というアニメに「そうだよ、ハーレムというのはこうでなければ(パァン)」とタイトルの「性の【柏手の安】」が柏手をするぐらいハマってるわけなんだけど、このアニメのせいで「性の【柏手の安】」を認識するようになった。
自分でいっちゃうのもどうかとおもうが、自分は作品を貶すことは殆ど無い。
例えば、みんなが駄作といっている艦隊これくしょんのアニメも「ゲームないで数秒で終わる演出の細部が見れてよかった」と褒めるし、大体どんな作品も「良い作品だったな」と終わる。でもなんとなく、二回目はないなという気持ちもある。
他にもアニメの実写化となるとオタク界隈はざわつくものの自分は「見てみないとわからない」というスタンス(実際るろうに剣心はかなりよかったし、実写というだけで拒否するのはどうなのだろうか、俳優が好きでその人の演技を楽しみにしている人は完全無視なのだろうかと思う)だし、これまで本気で糞アニメだと思ったのは「ポプテピピック」のような良い意味での糞アニメしかない。
でも、糞アニメと言われたら「いや、いい部分もあったよ」と擁護しながらも結局は二回目は見ないアニメと、糞アニメと言われても「そうじゃない、好きな人だっているんだ」と必死な擁護をしつつ二回目を見るアニメ、何が違うのかなんてわからなかった。
糞アニメと切り捨てることは簡単。でも自分は「糞を好む虫だっているだろう」と思って、悪い部分を全く見ずいい部分だけを見るようにしていた。
話を五等分の花嫁に戻そう。
五人のヒロインが出てくるので、当然「誰が良いか」、という話になる。はっきりいうと全員巨乳でしかもピンク髪(無類のピンク髪好き)なので全員いいんだけども、無類のハーレム物好きで柏手がでるような俺でも3P,4Pぐらいは考えるため、「誰が良いか」を選ぶことは必要だ。流石に6Pは難しい。(自分の体力では五発連続発射は不可能なため、二人目ぐらいで終わってしまうと他の子が可愛そうとよぎって発射に至れないため。)
各ヒロインの所感を書いておくが
中野 一花:長女。クール気だるげなお姉さんという枠。こういうキャラは年上気取ってるだけに時たま見せる動揺だとかがかわいいのでオタク受けはいいですね。
中野 二乃:ツンデレ。しかも生意気。しかも意識も高い。しかもギャル。しかも巨乳。
中野 三玖:クーデレ。ヘッドフォン女子なので素晴らしいキャラ、オタクはこういうのが好きだなというのを甘く煮詰めた凄みがある。人気一位というのも納得のかわいさ。むしろ一位以外考えられない。
中野 四葉:人懐っこい元気キャラ。こういうポジションは犬とか妹ポジションで不遇だけど、好きな人は好きだろう。
中野 五月:うーん、控えめにいって最高。他のヒロインがキャラ立ちしまくってるというのに正ヒロインのようなポジションでここまでの正ヒロイン力を身に着けているのは純粋なパワー力を感じる。
さて、「性の【柏手の安】」が柏手を出したのは誰でしょうか。三人居ます。
まぁ、正解は二乃、四葉、五月なんですけど。
三玖の事を考えたときに、どうやっても人気の要素の詰め合わせで自分のビッグマグナムが暴発するようなキャラ(無類のクーデレ好き)なんだけど、なぜか股間が全く反応しなかったわけ。
冷静に分析すればするほど「うん、俺はこういうキャラすきだよな。」とメロンソーダを飲んだ井之頭五郎みたいな顔になったんだけど、だけど3P、4Pのラインナップを決めた時、三玖が入ることがない。
何かが決定的に違うとわかった時自分は「性の【柏手の安】」が存在していることに気がついた。
無類のクーデレ好きと書いたが、実は無類のツンデレ好きでもあるわけで、そういう点で「生意気で巨乳で意識も高そう(この時点でそうとう好き) 態度が軟化し始めた(この時点で目の前に竹達彩奈が現れる)」という段階で二乃は柏手が出たし、四葉が最初に人懐っこく主人公に絡んできてくれる時点で無条件に柏手が出たし、五月の正ヒロインとはこうあるべき人々は忘れてしまっているなとかんがえたとき頭に浮かんだのは母親が作ってくれたカレーだったので柏手が出た。
「クーデレ。ヘッドフォン女子なので素晴らしいキャラ、オタクはこういうのが好きだなというのを甘く煮詰めた凄みがある。人気一位というのも納得のかわいさ。むしろ一位以外考えられない。」と言いながら、冷静にも柏手を出さない「性の【柏手の安】」が評価して、将太のライバルキャラが「柏手は…無しか」と落胆している表情が浮かぶ。
今思えば、艦これアニメも、グラブルアニメも、アニマス以外のアイマスアニメ(端的に言うとアニデレ)も、その他「こりゃ人気はあるだろうな」というポジティブな要素を見出しているのに二回目三回目を見ないアニメは難しいことを考えるまでもなく「性の【柏手の安】」が柏手をしなかった。
ただそれだけなんだなと思った。
俺はこれからも「性の【柏手の安】」を信じていこうと思う。他の誰もが「いや、ゴミだね。ありえない。」といっても「性の【柏手の安】」が柏手をしたのなら信じていこうと思う。多分、俺の股間についている脳みそというのが「性の【柏手の安】」なのだ。そのある意味もうひとりの自分が言う事ならどんなことでも信じられるのだから。
10年近く働いてようやくわかったことがある。それは、「人とのコミュニケーションが億劫」だということ。
いや、それはとうの昔にわかっていた。だけど、社会に揉まれれば治ると思ってたし、20代までは若さのパワーで乗り切ってきた。ただ、30も後半になって、相変わらず億劫に思うことは変わらず、むしろ、老いなのか、跳ね返す力がなくなってきた。
このままだと、精神的に病んでくるかもしれない。コミュ障は治らないもんなのだろうか。
思うに、人が苦手ではなく、むしろ好き過ぎるのではないだろうか。だから、嫌われたくないから、そもそも遠ざけてしまう。そんなところだろうか。
まあ、原因分析してる場合ではない。早くこの問題にケリをつけないと、いつまで経ってもこのままだ。自己催眠でも怪しい宗教でも、なんでもいい。コミュ障を完治させてくれ。
今度も注意するだぉ。
たが21000を付ける前に20750まで下がる可能性もあるだぉ
なのでここは絶好ので買い場になるだぉ
それでは👋だぉ。
なので20750の範囲は
20630〜20750になるぉ
偽物みっくちゃんはチャートで判断してるからこんな事書けないぉ
これが最後の贈り物
それではホントに👋だぉ。
じゃじゃ〜ん
そんなわけないだぉ。
みっくちゃんの大予言を買った人達にはちゃんとアフターフォローはするだぉ
キャハハ〜💓
やっと今 復旧しただぉ。。
てっきり21000ノックインしてみっくちゃんの大予言が当たると思い込んでいたからその後アカウント削除してしまっただぉ。
そしたらあらら大変
これは嵌め込んのではなく
マジで外れただぉ。。
これはみっくちゃんも大損こいただぉ。。
ビックリ仰天だぉ。。
キャハハ〜💓💓
きっと神様がわざとみっくちゃんの大予言を外してツイッターからみっくちゃんを消さないように仕向けただぉ。
まあ神様の使命には従うしかないだぉ。。(半分オマイらの怨念がこもってる鴨🦆🦆🦆⁉️)
まあそんな事はどうでもいいだぉ。。
とりあえず今までの経過だぉ。
最初 ツイッターを始めた頃はオプション建て玉考察になるだぉ。。
これは毎日 毎日 奴らの建て玉を日々集計する必要があるだぉ。。
今はこの分析法はやってないだぉ。。
今やってるのは
もっと正確に言うと
になるだぉ。
これが今回 初めて外れただぉ。
外れた原因は
正相関から逆相関に転換しただぉ。
全く初めてのケースだぉ。
ビックリ仰天だぉ
まあよくよく考えてみれば相場で100発100なんて有り得ないだぉ。。
外れた原因が分かっているので
逆に読めばいいだけだぉ。
なので今回 みっくちゃんの大予言の通りにポジション組んだ方には
そんの損失をカバーするたげの事は当然やるだぉ❗️
しばらくここでオプションクロス考察法 逆相関版をツイートするだぉ。。
それで儲けてちょうだいだぉ。
もっと早くこれを言いたかったけどアカウント削除してごぢゃごぢゃしてたからこんな時間になってしまっただぉ。。
ごめん🙇♀️ちゃいだぉ。
だがオプションクロス考察法も日々のクロスによって方向性がコロコロ変わるだぉ。
長々と長文読んでありがとさんだぉ。
今回の教訓だぉ。
転換する時は必ず失敗するだぉ。
やはり何度も何度言ってる
キャハハ〜💓💓👠
大口クロスがCALL.22000とPUT.18500に入ってるだぉ
で どちらが先か❓
今のところ五分五分だぉ
てか
キャハハ〜💓👠
また今日もみっくちゃんに暴言を吐いたアホをブロックしただぉ。。
なのでここでみっくちゃんに暴言や批判はリプしない方がいいだぉ。。
もうこのツイート見れなくなるだぉ。
糞みっくと思っても黙って見てるだぉ。その方が身の為だぉ。
あっ間違えた
19500〜19750ノックイン間違いないだぉ
野郎ども打って打って売りまくれ〜
キャハハ〜⤵️⤵️⤵️💓👠
逆に方向性が出なくなった時
なので日足ベースでモミモミしたらポジションは一旦閉じた方がいいだぉ
入浴だうは
24600〜24800の巨大な窓を埋めに行く可能性大だぉ。。
キャハハ〜⤵️⤵️⤵️💓💓❗️👠
NOTEは使い物にならないだぉ
てか みっくちゃんの予想は日々のクロスによってコロコロ変わるだぉ
かと言ってツイッターで無料の予想変更しても購入者に不満がでるだぉ。
もし今後
有料情報を発信するとしたら
でもこれはやらないだぉ。
当たり杉の副作用が出るだぉ。
こっちの方が怖いだぉ
キャハハ〜💓👠
今後225先物は20625を付ける事なく19500〜19750ノックインだぉ
これを明記しないと無意味だぉ
仮に19500ノックインすると2番底目指して19000ノックイン濃厚になるぉ
これは現時点での予想なので今後変わる可能性もあるだぉ
みっくちゃんのオプション考察は基本的に大きな流れしら分からないだぉ。。
狭く読める時もあるがデイトレには向かないだぉ。
値幅が大きいので建て玉は余裕を持ってやるだぉ。
キャハハ〜💓💓💓
オプション その1
今回てっきり21000ノックインすると思い込んでいたからみっくちゃんはCALL.21000を大量買いしてただぉ。
これもう手口情報でネット証券の建て玉も全て公開されてしまうだぉ。
今回みっくちゃんの買いが異常に突進していただぉ。
オプション その2
これを奴らが逆に利用した可能性もあるだぉ。
PUT.19500を1人3枚づつ10人買ったら30枚
500人買ったら1500枚
こんなのもう丸見えだぉ
ここまで来ると奴らはわざとノックインさせないだぉ
これがネット公開の悪影響だぉ
キャハハ〜💓
オプション その3
225先物や225先物ミニはキャパがデカイから今すぐどうこうと言う事はないだぉ
俺も好きだし
好きでやってるのは分かるんだけど
それがわかってるけど必死にやってる感じ
当の人気Vtuberたちは結構そこ冷静に分析してて関心するんだけど
若いのに
その、一個外側の界隈がイタイ
趣味の延長じゃなくて事業として見ようとしてる第二陣みたいな人たち
センスない
彼らは、ってかほとんどD社だけど
割とマスを取ろうとしているから、Vtuberみたいなニッチ層の扱いは割と慎重っぽい
あれは正しいと思う
Vtuber自体をどうにかしようとしてるのは違うんじゃないの
G社は何なんだよ
流行りのはてブするまでの長さまで溜められなかったのでつらつらとついったーの下書きに残ってたやつを流す
もしどっかで纏まったらはてブにするかも知らんが
メイン4人時代ってなんだったんだろうな
西畑さんが何回か言ってるけど15年に4人がメインに選ばれてその後個人戦でってどういう事なんだろ
じゃあ17年の東西は?あれは選抜ってこと?ユニットではないと?どういう心持ちでストと向き合ってたんだろ(自分のあたった資料量が極端に足りないので分析ができてない部分もある)
衣装も揃いとかいっぱいあったけどあれはどう解釈したらいいんだろうか(春松竹からの揃い衣装2着だけ紫にわざわざカラチェンしたの永遠に恨むからな)
まあいうて結構な期間まで3+1って感じだしメインを3人認識してるって人もいるので(最後まで龍太くんまいジャニレギュラー表記つかなかったの何なん)(話ちょっとそれるけどシネマスクエアの関西組プロフィール内のまいジャニの扱いを見てほしい)
各々が個人戦という認識だったからか別になにわができてメインが死んだ時も何も遺言もなかったし メインという歴史自体が消えたし(だから極少数だけどこんなめんどくさい亡霊がついたのかもしれん)
ただ、それでも謎なのは歌割り立ち位置とか(特に梅芸のハチャメチャ)あれは何?
なぜメインだけ(衣装は違うにせよ)一段高く区切られたところにいた?(まああの1曲だけだったので改変前から決まっていた誤差という可能性も捨てきれない)
解釈するとしたらハチャメチャ音頭だけ夏松竹周辺に作られてレコもしてたのかなって思う
なにわ結成は夏終わってすぐだったからその後レコーディングしてたらあんな歌割りにはならないよな
なにわ結成後の例としてあげるとMy dreamsの歌割りとかね
梅芸クリパあけおめ(あけおめはとりあえず置いといて)でメイン時代の曲が少なかったのは出番の兼ね合いの関係で4人揃わせるのが難しかったからってこと?
事務所ちゃんはメインを推していこうとは思ってなかったのか 彼らのことをどう認識していたのかよくわからないんだよな
3人(4人)で括るくせになにかそのメンツとして未来に繋がることを与えてくれたわけではないし
推して無いんだったらじゃあなんで他の子たちの出番が少なかったのか(じゃあリューンが確変の始まり?)
だってメイン時代ってなんて呼べばいいのさ こんな検索に引っかかりづらいありきたりなワードじゃ何も資料が残らないよ
彼らにこのメンツで括られていると言う認識が足りなかったからか?
人のせいにするのはよしとくわ
関西に残っていかない組の担当だったからこんなに執着してるのかはわからん 多分そうだけど
割と当たり前のことがわざわざ説明してあるという感想なんだが、秀逸だと思うのは、「モテない男性の恋愛観」とやらの観察と分析。よくそんなこと(観察と分析)ができたなぁ、というか、する気になったなぁ、という点が驚き。
19世紀のアメリカにジェニファーという女性の神経学者がいた。彼女は学者というよりは詐欺師として扱われていたようだが、彼女が打ち立てた理論、Karma theory はのちの構造主義の前身となった。専門は神経学だったが、それだけでなく倫理学や哲学、キリスト教神学にも通じていた。彼女の論文の主張は、誤解を恐れずに言えば、神経学はキリスト教的視点を捨てて、もっと多角的に分析されなければならないということだ。
昨今、神経科学が倫理的でなければならないということは自明であるかのように言われているが、しかし実は全く自明ではない。
例えば、神経に電気を通して反応を観察する診断の事例がある。通電によって生じた影響が人体に長く残ってしまうかどうかは専門家の間でも意見が分かれている。もし倫理を優先するならば、治療の現場はこのような瑣末な判断で溢れてしまうだろう。そのような状況にもかかわらず、この直観に反する事例が報告された。
Q. その事例とはなにか。
最近またVtuberが話題なので、私が好きなVtuber「ゲーム部プロジェクト」の魅力についてひたすら語ろうと思う。
ゲーム部プロジェクトとはVtuber4人組のユニットである。都内高校のゲーム部に所属する生徒4人が、部活動の一環としてVtuberをしている、という設定。ゲーム部は4人のVtuberで一つのYouTubeアカウントを運営している。実際には株式会社バーチャルユーチューバーという企業が運営しているIPである。
ゲーム部の動画ではキャラ設定や台本が比較的かっちりと決まっている。アドリブの生放送では中の人感が透けて見えるが基本的なキャラのロールプレイは守られている。日常動画に至っては恐らくコンテが切られていて、ほぼCGアニメと同じと言える。
動画を構成する脚本、声の演技、編集、ゲームプレイングなど個々の要素のクオリティが高いため、恐らく各種のプロの合作であることが推測できる。
特筆すべきは、このVtuberたち、ゲームがめちゃめちゃ上手いという事である。ポケモン初心者の私でもゲーム部部長の夢咲楓さんがポケモン超上手いことは理解できる。(他メンバーも凄いようだが私には評価できない。でもみんな好き)
ポケモンというゲームは三ヶ月に一度、世界中の全プレイヤーの戦績が発表される。夢咲楓さんは、その中でほぼ毎回コンスタントに10位以内を取り続ける実力者である。
「美少女JKだけど実はチート級のゲームスキルを持っている」というキャラクターはアニメやラノベなどでありがちな設定だ。これまではアニメやラノベだからこそこんな設定のキャラクターを作ることができた。フィクションの世界でそういうキャラを創り出すのは簡単で、ラノベにそういう設定を一行書き足せばいい。しかし現実のプレイヤーランキングに食い込んでくるとなると話が違う。ゲーム部の画期的なところは、そんな最強アニメキャラクターを現実世界に半実在させたということである。夢咲楓は永遠の美少女JKでありながら、PGLの中に確かに実在する。そしてポケモンに人生捧げてるような世界中の並み居るガチプレイヤー達を打ち負かしてランキング上位に躍り出ている。
去年のTGSでゲーム部に会えるイベントが開催された。参加者はVRのHMDを被り、仮想空間の中でゲーム部のキャラと一対一で交流することができる。参加者には目の前にゲーム部の面々がいるように見えている。さながら握手会である。このイベントが今後も行われるかは不明だが、他のVtuberでも同様のことができる可能性は大いにある。
複数のプロクリエイターが協力し合いCGキャラクターを動かすことで、従来のニコ生やアニメとは違った価値を生み出すことができる。個人的には監督がいて脚本があってコンテが切られていればそれはもうアニメだと思っているが、ゲーム部プロジェクトはアニメの性質を持ちながらもプレイヤーランキングの中に実在しているし、生放送で視聴者と相互作用することもできる。言うなればインタラクティブな「生きたアニメ」「会いに行けるアニメ」という全く新しいコンテンツの可能性を示したのだと思う。
これは本筋から少し外れる話だが、ポケモンというゲームの性質について言及しておきたい。
数年前、googleのAlphaGOという囲碁AIがプロ棋士を打ち負かして話題となった。囲碁における石の置き方は10^360通りあり、どんな打ち方が最強なのか未だに確定していない。(ちなみに観測可能な宇宙に存在する電子の数が10^87以下とされている。)囲碁には二千年の歴史があり、競技人口もそれなりに多い。つまり人類が2000年かけて探索してきた歴史ある定石とされるものが、コンピュータシミュレーションによってあっさり覆されたということだ。それどころか人間がこれまで思いもよらなかったような強い定石がAIによってどんどん産み出されているので、世間に衝撃を与えAIブームの発端となった。
何が言いたいのかというと、ポケモンも(ちょっと大袈裟だが)これに似た性質を持つゲームだということ。約800種類のポケモン(レートで使われるのはせいぜい100種類だが)それぞれにタイプ、個体値、種族値、努力値、性格、特性、わざ構成、持ち物など無数の隠しパラメータがあり、育て方に無限のパターンがある。それらを6体組み合わせて戦術を作る。戦闘では相手のPT戦術を予測し3体を選出、各ターンで何をするか臨機応変な判断が必要となる。相手の裏をかくといった読み合いもする。PT構築の時点でメタゲームが始まっており、何のポケモンが最強なのかは誰にも分からない。酷い時は一週間単位で強いとされるポケモンが変わったりする。戦闘中はダメージ計算も必要だし(わざの威力の表れ方は毎回乱数で変わる)、上位勢の間では毎試合スクショを取って記録、環境を分析する者も普通にいる。
ポケモンをガチろうとすると考察や計算だけでなく、時間的なリソースもかなり消費する。育成や厳選にも相当の時間コストがかかる上、ポケモンを入れるボールや色違いに拘る者も珍しくない。(ちなみに色違いを意図的に作るためにはサブロムを買って外国語設定で二周目をプレイするなどの手間をかける必要がある。)そのためポケモンをガチるプレイヤーはしばしばポケ廃と呼ばれたりする。
そして、、夢咲楓さんのプレイングは可愛い顔や天然な性格、優等生な立ち振る舞いからは想像できないほど、エグい。ニコニコしながら躊躇いなく厨ポケを使うし、批判されるようなプレイングをしてでも泥臭く徹底的に勝ちにこだわる。ほぼ負けが確定した試合でも、諦めず、限りなく細い勝ち筋を必死にたぐり寄せていく姿は圧巻だ。
彼女は、そんな厳しい、そして世界中の老若男女から愛されるポケモンというゲームで、最高レート4位の偉業を成し遂げている。今現在も1位を目指して努力を重ねていることだろう。