はてなキーワード: 有象無象とは
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である。
現在の国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者と交戦者・軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合、戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。
この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在はジュネーブ諸条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。
時期によっても異なるが概ね
にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合、交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。
さて、
2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。
即ち、軍隊らしい立派なおべべを支給できぬ場合、交戦者たらんとする者共は「固有標章」だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう
欧州を失陥しつつあった大英帝国はドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材を活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品をほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古の銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601
ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである。
欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。
負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である。
黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人民突撃軍)のステンシルが施されていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg
占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国は本土決戦を覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月、国民義勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず(対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である。
本土残地の正規軍にすらろくろく兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。
そんな時こそ腕sy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!
というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。
なお、この部隊は樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434
長いし荒ぶってるからタイトルと最終行にだけ言及するけど、ぶっちゃけこういう会話は「普通」の範疇だな
仲のいい友達に対してはもうちょっと不躾だけど、踏み込んでほしそうなところまでは踏み込むし触れてほしくなさそうなところは回避する(「この件触れても平気?」みたいにダイレクトに様子をうかがう回数は増える)
まあ世の中にはそういうの苦手な人もたくさんいるし、ぶっちゃけ男性は会話ベタ多いし、アプリなんて有象無象が集うところで当然のように求める元増田はちょっと男性に期待しすぎ、理想高すぎかなと思う
だからコミュ障って揶揄されるんだぞってちょっと思ってしまっている
女性は〜っていうけど生まれつきそういう動物なわけじゃなくて、色んな人と会話する中で努力して学習して日々研鑽してるから今多少楽にできてるだけだぞ
社会的?文化的?に女性の方がそういう圧が強いからそういうことできる女性が多いってだけで、男性が生物学的にできないたぐいのものじゃない(個人単位での脳の特性でできないことはあるかも)
62 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ cf9f-tz0l) sage 2023/05/17(水) 19:10:04.79 ID:4v3F0x350
推し活って言葉がまず気持ち悪い
意思の弱い弱者に何かポジティブなことをやってると錯覚させるクソみたいな言葉
どうしても受けつないわこの言葉
これが老害になるって事なんだろうな
振り向かれない自分を負け組ではないアピールし、自己正当化するための負け惜しみ用語だろ
やりがい搾取と同じだよ
要はすぐ辞めるかもしんねえから今出せるもん出せやって事でしょ
>643
タカりだよな卑しい
>643
言われてみれば確かに
>643
ある程度の年齢でアイドルからは卒業するのが昔は普通だったしな
企業のいいように推さされてるだけだろ
好き→推し
みたいな
>167
>167
アイドルはスキャンダルやら突然の引退で死亡することあるからその時本気で"好き"って言ってるとダメージデカいし防衛のために推しって言葉使ってると思うんだけど
>200
俺は橋本環奈ちゃんだいしゅきしゅきしゅきでかんなちゃんに嫌儲止めてって言われたら止めるからね
お前らとの別れは寂しいが、すまん…
また気色悪い“弱者男性”叩きか
終わってる板だな
本当それ
>213
女を養うっていう余裕、価値観が失われた現代で本気で言えたらカッコいいんじゃないか?
だが現実はロリアイドルにバブみを感じてオギャる奴しかいないのだ
群れ意識もある。
同じ対象を推す者同士の連帯で居場所を得て、と同時に貢献度(グッズ購入等の金額)で競いけん制しあう
うらやましい
宗教とかとやってること変わらない印象
>1みたいな理屈は後付け
才能ある人間を売り込むのはこれ案外難しい
それよりもどうでもいい普通の奴、場合によっては普通未満を混ぜて頭数揃えて、そこから選ばせる行為が重要
自分で選んで応援するってのが快楽になる、それがめちゃめちゃシノギになるってのは
Vtuberで言えば、単独の才能、新しい存在を作りだして売り込もうとしたキズナアイが難航して
事務所作って1ダースどーん!で素人に雑談させて投げ銭させた面々が儲かってるってのも本当皮肉だが
まあそういうことなんだよね、ってすごく思う
>489
ジャップ自体が完成されたものを嫌い未熟なものを好む性癖が強いな
幼稚なんだろうな
なんかでも最近は音楽は割とみんな上手くて当たり前って感じで変わってきてるしKPOPもレベル高いしで淘汰されつつあるのかもしれない
VTuberなんかひでえポンコツしかいないからそういう奴らにとっちゃたまんないだろうな
>510
元はAKB総選挙のせいだろ
最近すぐに気持ち悪いとか言う奴多いすぎだな、何でそんなにひ弱になったんだろ、赤の他人の行動に心乱されて自分が情けないとか思わないんだろうか
男で使ってるやつはキモすぎる
昔ながらのキモオタは好きな物に対する知識が凄まじいイメージあるけど、推し活とか言ってる奴らはただ貢いだ金額でSNSでマウント取ってるだけだよね
30年くらいまえの老人も
頭に「超」〇〇を付ける言葉が流行した時に違和感凄かったろうなあ
>656
「超」に関しては語義を用いて実態を歪めるような言葉ではないからな
なるほどね
受動的に搾取される単なるいちファンでしかない有象無象の存在なのに
あたかもそのアイドルの芸能活動を支えるスタッフかのように錯覚できるからか
使っている当時者たちも新しい言葉の響きの部分だけですんなり受け入れているのだろうけど
無意識化ではその言葉の主体性に気持ちよさを覚えているのだろうな
キモオタ業界でやってる分にはなんも思わんかったけど、数年前からスポーツ選手だのミュージシャンだの芸人だのなんでもかんでも推し推しうるせえ馬鹿がウジャウジャでてきたから言葉自体大嫌いになったわ
搾取されてるだけなのにそれを認めたくないからマイルドな言い方にして自分が主導で支えてやってるんだってすげ替えてるようにしか見えんわ
推し活ってのは私はもう普通の人間ではありませんのアピールじゃないの?
オタクがよくやるやつ
お前らよっぽど大衆が嫌いなんだなあ
割と嫌ってる人多くて安心した
俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。
まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基本的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。
色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基本わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基本的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。
ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。
ホストは、ブサイクな女の方が心置きなく騙せる。なぜかというと「お前みたいな女をまともに相手してやってるだけ感謝しやがれ。鏡見たことあるのか?」という感情が湧くからだ。だから金は等価交換だと認識する。したがって、悪いことをしているという感覚が無くなる。また、相手の性格が悪ければ悪いほどそれを感じやすくなる。良い女(良い女などホストには来ないが)に近いほど、罪悪感が湧く。
基本的にホストも全員病んでいる。まともな男はホストなどしない。ゲラゲラ笑っているように見えていても、1人で家でずーんとなっていることがある。これは結構な人たちがそうなる。平気そうにふるまっていても、自分の感情と真逆のことを言うのはストレスなのである。「好きだ」「愛してるよ」「本気だよ」とずっと言わなければいけない。「お金がたまったら辞めるよ」と、ずっと真逆のことを言わなければならない。ずっと一緒にいれば家庭環境や辛かったことなどもわかって情も湧いてくる。それを覚えてなければ客ではなくなるから正確に覚える。つらい、つらい、こんなにつらい、あなたのためにつらい思いをしてるんだよ、わたしを助けて、というサインを黙殺して、自分が生きるために女の人生を搾取する。
「俺はこんな酷いことをした」「俺なんてこんな酷いことをしたよ」というのが武勇伝のように語られる。武勇伝のようでいて、ストレスを発散している。客がクズだからだ。俺たちがこんな酷いことをするのは客がクズだからである。金はその対価だ。ありがたく思え。どうして俺が悪いと言われなければならないんだ。俺は救ってやってるんだぞ。
どれだけ言葉を取り繕っても現実は変わらない。「本当は好きじゃないんでしょ」と言う言葉に「好きだって言ってんだろ!!!」というキレ気味の言葉で返す。自分でも本当はどうなのかわからない。生活のすべては女のために尽くすためだけに存在することになる。月曜日はこいつ、火曜日はこいつ、水曜の午前はこいつ、水曜の夜はこいつ、木曜はこいつ、金曜はこいつ、土曜はこいつ、日曜はこいつ……
誰がどうなっているか覚えなければならない。間違えることはできない。絶えず監視されている。メモる。しかしメモも見られる。携帯は必ず漁られる。女はずっと自分が本当に愛されているかどうか不安なのである。女は女で「私が一番愛されてる」と言う。私が一番彼のことをわかっていると言う。誰も本当のところはそのホストをわかってはいない。ホストはただの集金マシンで、客は金蔓である。旬も短い。若さを搾取されている。生きるために仕方なくやっている。ホストは、ホスト自身が幸せになるためにやっているのだ。女を幸せにするためではない。女性不信になる。まともな恋愛をしようとしても、ホストのテクニックがちらつく。こうすればなびくというのがわかる。モテようと思えばモテるが、真にモテているわけではなく、ただ言い寄って来られ、無尽蔵の愛を要求されているだけだ。そんなものはない。
胃も壊れる。酒ばかり飲むからだ。酒は、飲まなければいけない。客が高い金を出して買った酒だ。こぼせば最悪になる。
キラキラした世界ではない。順位を上げるために売掛金とかいうのを作る。要はあとで自腹を切るということだ。ナンバーワンなどになると箔がつく。「ナンバーワン出して」という、ナンバーワンばかり狩る女がいるからだ。こういう女は金を持っていることが多い。痛客ほど金を持っている。初回なのに意味不明に酔っ払った状態で来るガキほど、意味不明に風俗で働いて精神状態がマッハになっていることがある。
俺は性病は2回なった。店に来る女だけじゃなく、自分で開拓しなければいけない。死ぬほどヤッた。ナンパしてそのまま路上でヤるとか、ナンパしてネカフェに行ってヤるとか、声掛けしていけそうだと思ったらキスするとか、そういうことを別にやっても問題ないような感覚になってくる。自分でもなぜモテていたかわからないが、とにかく俺はモテるのだという謎の自信があった。一般人になった今は誰にも言っていない。ホストをやっていたことすら伝えない。
金を多く得ている人々は、風俗に行かせることに慣れていた。風俗に行かせるのは「風俗に行ってくれ」と言うわけではない。ホストが困っているのを暗に示す。だんだん気軽に会えなくなってくるのだ。これはわざとやっている。それでもホストは必死に "時間を作って" 会いに来てくれる。ホストは「ほんとごめんね…会いたかった……」と言う。女は寂しくなる。ホストはそうやって頑張って会いに来てくれるのだから、少しならお店に行ってもいいかなと会いに行く。「来ちゃった」と言う言葉に、ホストは「ごめんね。 "ありがとう"。でも無理はしないでね」と言う。これは "無理をしろ" という意味だ。客は、店に行ってもお金を払わなければまともに相手をされない。そして別の女がシャンパンを頼む。「◯◯さんからシャンパンいただきましたー!!!」などと言われコールが始まる。そうすると担当がそちらの客のところに行く。
「あいつか。あいつが苦しめているのか…!!!!!! 私の彼を苦しめているのはあいつか!!!!!!!!!」
そして金を作らなければならないと思い始める。客は最初は風俗に行くことなど考えない。一生懸命働く。足りなくなる。貯金も底をつく。風俗ぐらいしかないと考え始める。冗談めかせてホストに言うのだ。「お店にあんまりいけないし風俗に行こうかなー……なんて」と。ホストは怒り狂う。「お金は確かに助かるけど、風俗になんていかなくていい!!!ごめんね…俺がちゃんと会いにこれれば…」と。これは "風俗に行け" という意味だ。
だんだん本当に会えなくなっていく。私の彼が、苦しめているあの女のものになっていきそうに感じる。風俗に行く。しかしひとたび風俗に行けば、もう取り返しがつかない。
「なんのために私は風俗にまで行ったのか」
あとはひたすらコンコルド効果である。金を貢げば貢ぐほど、あとに引けなくなる。誰に何を言われようが辞めることはできない。もう「辞めなよそんなホストなんて」という友人の言葉は耳に入らない。むしろ友人は敵になる。「この有象無象らは私のことを理解してはくれない。どれだけ私が苦しんでいるのかわかっていない」となる。もはや愛がほしいのではない。意地である。止められない。ホストもホストで、止められない。
ホストは客に別の客の悪口を言う。「愛してる」と言ったその次の日に「まじであのブスのせいで最悪」などと別の女に愚痴り、その女にも「愛してる」と言う。それを全員にやる。「俺は苦しめられているのだ」と思っている。事実苦しんでいる。女は「私と一緒にいるときぐらい休んでなよ」と言う。これは決して「休んでいい」という意味ではない。いい女・優しい女でありたいのだ。ホストは「いや、せっかく会えたんだから一緒にいたいよ」と言う。「休ませろ」という意味だ。こういうやり取りが限界まで続き、「私のためにこんなに無理してくれるなんて、私は本当に "愛されている" んだなあ」ということを実感する。そして携帯を確認するのだ。無尽蔵の愛を要求し、確認する。
タダで女を獲得するのは比較的容易だ。しかしお金が絡むと段違いに難しくなる。実証するには、彼女に「ほしいものがあるから5万円ちょうだい」などと要求してみればよい。相当な抵抗をされる。「なんでそんなことをしなければいけないの」「はあ?結局金目的ってこと?」というようになる。お金で買えるすべてのものがライバルになる。セックスというのは安いものだ。
こんな状態で大量に稼げるホストというのはどこか割り切っている。客の人生を抱える気でもいる。どちらかといえば嫌ってほしいのだ。ホストは辞めておけ。愛がわからなくなる。そして、クズの仕事である。
差別問題に限らず、なんらかの問題に社会規模で対処しようとしたら「利権」が生じるのは当り前のことだ。
原発問題もそうだ。コロナ問題もそうだ。防災問題もそうだ。途方もない規模のカネと権力が動く世界だ。なぜなら、社会問題の解決にはまとまった予算が必要だからだ。
「自助」で原発事故やコロナ禍や大震災や大津波や大噴火に対処できるかといえば、それは無理である。
したがって「利権」の存在自体がただちに悪いとは言えない。利権が悪いのではなく、利権を悪用した犯罪行為が悪い。
コラボの会計問題では今のところ誰ひとり逮捕起訴されていないし有罪判決を受けていない。今後も多分そこまでは行かないんじゃないか?
コラボと同和団体は「刑事罰の対象となったかどうか」という点で根本的に違う。
鳥取ループあたりは「コラボ問題はネオ同和だ」と喧伝しているが、それは単なるセンセーショナリズムに過ぎない。
物事の本質がよく見えていない有象無象がイメージでワーワー騒いでいるだけだ。
鳥取ループや暇空あたりが何故そうやって騒ぐかといえば、彼らはそれで儲けている立場だからだ。
いうなれば「反利権」を掲げた営利活動だ。「利権イコール悪」という表面的なイメージに便乗した金儲けだ。
そんな活動に利用されて鳥取ループや暇空の小遣い稼ぎに協力するのは愚の骨頂だ。
「NHKの放送利権をぶっ潰す」。そんなスローガンを掲げれば情弱からカネががばがば入ってくることに気づいたのは立花孝志の慧眼だ。
このビジネスモデルの嚆矢は「郵政利権をぶっ潰す」の小泉純一郎だったかもしれない。
勇ましいスローガンで胸がスカッとしたが、小泉改革の結果、本当に暮らしは良くなったか?
生活困窮者をアパートに住まわせて生活保護費を着服する行為では、たびたび逮捕起訴され有罪判決を受ける者が出ている。
しかし、こういう本物の社会悪としての「利権」には鳥取ループ(示現舎)は関心を持たない。なぜなのか?
なぜかといえば、彼らネオリベは貧困ビジネスで公金チューチューしている輩と同じ穴のムジナだから、というのが正解だろう。
彼らの行動の動機は、どんな立派そうな大義名分を掲げていようと「自分個人が儲けること」であって「社会を良くすること」ではないのだ。
・良心の欠如
・社会のことはどうでもいい
その点で彼らは竹中平蔵とも話が合いそうだ。鳥取ループ、暇空茜、立花孝志、小泉純一郎、竹中平蔵、みんな同じニオイがするだろう?
皮肉なのはこの「利権イコール悪」という思考停止的な図式の流布に一役買ったのが日本共産党のライター(一ノ宮美成と寺園敦史)による『同和利権の真相』シリーズだったことだ(※)。
かつて日本共産党が解放同盟との縄張り争いから俗情と結託して広めた図式が、回り回って日本共産党自身に跳ね返ってきたとも言える。
因果応報とはこのことだろう。
褒められたり認められたりするためにオタクをする、アイデンティティがオタクしかないという存在のイメージがどちらかというと、批判されてる側のオタク趣味が大衆化して群れるようになった有象無象のオタクが生み出した概念だからそうじゃないオタクにとっては何言ってんだこいつとなる
そうじゃないオタクはそもそもコンテンツにハマることで周りとの差異を認識して、他者との異質性や隔絶を感じることから自分ってオタクなんだなあと認識する段階を経ているので、評価、成功体験、アイデンティティという他者との関係や社会から分けられる属性を前提とした単語の全てにズレを感じるし、群れたり仲間と盛り上がるためにオタクであること、その中で成功するため?評価されるためにオタクである世界観が増田自身の吐露であるとしか感じられない
例の増田の文見ても常識じゃん、そんな攻撃的に書くほどの内容じゃないよねってことしか書いてなかった
そういえば議事録だけは褒められたな(当時信じなかったけど)
結局私は、理不尽な暴力装置である相手に意地悪されると信じてるから相手の言葉を素直に信じることができないし余計な解釈を加えずにはいられない
加えてトラブルは全て自己責任で相手のせいにすると自分の成長が止まると信じてるから「先輩、以前●●と言いましたよね。それと矛盾しているんじゃないですか」とか「彼は●●と言うのだけど、その前に言った▼▼と矛盾していて困る」なんて言えないんだ。余計な解釈を加えて困らせた負い目もあるしね
こんなのどうにもならないじゃん
相手を信じると最悪なことになる、相手に指摘なんてしたら嫌われて何をされるかわからない
怖い
今も状況は最悪だけどもっと下があると思う
「今日は指示をちゃんと遂行するぞ」って思ってもいざとなると「この理解でいいのかな?確認したいな。細かすぎる質問は相手をすごく怒らせることは知ってるけど、そもそもこれは細かい質問なのか?」って迷って結局聞かずに失敗する
怒られることは嫌われること
嫌われたら何をされるかわからない
あーあ
「#最強の鬱マンガ」ランキングが凶悪な作品揃い…「ブラッドハーレーの馬車」「宝石の国」「おやすみプンプン」などこれはなかなかのもんだ
まあtwitterで募集してランキング~なんてしたらこんなもんだよな。
関わってる人間が全員無能なんだからそりゃこれぐらいつまんない出来にもなる。
俺達が読みたいのは
有象無象やブロガーからのゴミみてーな情報のキュレーションじゃねーんだってのが改めて分かった。
ほんのちょっとだけツッコむけど
鬱漫画とは言えない。
それすらわかんないような感性なら投票とか書評とかやらんでよろしい。
というか作者も「鬱漫画」なんてつもりで描いてないだろう。
突き詰めて考えてることがないのに迫力で押し通す、みたいな怠け癖が増した。
ていうか、お前ら本当にこの漫画で憂鬱な気持ちになったことあるの?
描けもしないキチガイを描こうとしてやっぱり描けないからアップ顔芸で誤魔化してる漫画、
以上の評価が出来ない。
ガールフレンドになりかけた子は可愛かったし
素直にエロあり青春漫画描くのがこの人の本道であり素直な欲望であるのは見え見え。
フェイクじゃん。
表現したいものが無いのに(無いので)キチガイのふりしてるだけの痛々しい漫画。
実感の籠ったものがほぼ絶無。
アビスの方は、
その気持ちのあたりは実感籠ってた。
あれはきっと作者の実体験だと思う。
でもその先の過剰な展開はもう作者の中になんにもないよね。
なんにもないから「異常な行動」とか見開きでブツブツ言ってるコマとか
そういう表層的なオドカシを多用するわけ。
お前ら本当にこんなもん読んで憂鬱になれるのか?なれるわけねーよ。
どんどん強い薬打つみたいにエクストリーム展開やってるだけの空回り漫画じゃねーか。
どっちの作者も才能はあったし当人の本道もあった。
なのにこういう横着なダークサイドに行ったのが運の尽きだ。
リアリティも実感もなんもないのは見過ごすとして
それしか売りが無いのにぶっ殺し方が面白くないのはいかんでしょ。
酷い漫画を描くと決めてこれっぽっちっていうのは単純に能力が足りない。
この作者はタコピーやアビスの作者と違って純粋に体力が少ないって感じ。
で、お前等ほんとにこんなクオリティの漫画で憂鬱になれたのか?
こういうものの見方をする人間がちゃんと漫画読んでちゃんと何か感じ取ってることなんてあるのかな。
ダーク池ちゃんみたいにカテゴリ付けして飛ばし飛ばしで読んで満足してる手合いと一緒じゃね?
ちゃんと時間かけて読んでるとしても、受け取ってるものが池ちゃんレベルなんじゃね?
そういうレベルの能力の人達がことさらに漫画を語る必要ってあるの?
https://pbs.twimg.com/media/FuJlC_KaQAAKMH9.jpg:medium
もう惹句のことごとくがキツいわ…。
こういうこというと「漫画読み様」とか言われるんだけどさ、
漫画読み様が過剰に高い水準にいるんじゃなくて
どう見ても漫画をまともに読めてないって連中がいるだけなんだよな。
俺、本当に「ああ!あああああああ!」ってなった漫画いくつかあるよ。