はてなキーワード: 理由とは
すごく貧乏、ということもなく、子どもたちは全員大学卒業までさせてもらってる。
ただ昔から「うちにはお金がないから」と言われて育ってきて、自分の好きなものを買ってもらったことは少なかったように思う。
少ないお小遣いをやりくりして過ごしてきた。
高校の時にバイトを始めて、一定程度は自分の自由にできるお金ができても友達と遊ぶために使うか必要なものを買うくらいで、好きなものを買うとか、趣味にお金を使うとか、そういったことが少なかった。
好きなことも趣味もあるけど、幸いなことにお金がかからない範囲で楽しめたし、好きなアーティストがライブをやるとか、そういう時の大きい出費くらいは惜しまない程度の金銭感覚だった。
現在。
結婚してから、相手に付き合うための出費はするけど、好きなことにお金をかけることをためらってしまうようになった。
子どもができて、より一層ためらっている。
ポッキー食べたいな、と思っても買えない。
ためらう理由として、稼ぎがいまいち、というのが一番大きいのはわかっている。
将来のことを考えると色々お金がかかるのは見えているし。
ただ、ある程度の貯蓄はあるからもっと好きなことに使ってもいいんじゃないかなとも思っている。
いっぱい稼げたら悩むこともないんだろうけど、それも難しくて。
この状況が自分で嫌すぎる。
どうしたらいいんだろう。
①
上島竜兵が死んだ時、特別大ファンというわけでもなかったのに何故か家でオンオン泣いた。その時はわからなかったけど、私は上島竜兵が生きているだけで社会の懐の深さを勝手に感じていたんだと思う。バカがつくほど(おそらく)優しくて、優しいが故に少しポンコツでも生きていける世の中の余裕を私は彼に見出していて、だから彼の芸風を見ても辛くなることがなく、ケラケラと笑って見れたんだと思う。社会のシステムだけではこぼれ落ちてしまうかもしれない、とびきり優しい人は、生きているだけで社会そのものが本来持ちうる懐の深さや余裕を証明していた。その人が、おそらく世の中で最も辛い自死を選んだことに完全に打ちのめされたんだと思う。
②
「くもってら ドーナッツ 食べたくなったけど
チバユウスケが書いた「誰かが」の歌い出しには、そういう世の中にまだあるかもしれない懐の深さや暇を感じる。ドーナッツを見て「なんでこの穴空いてんだ、かわいいな」と、思える世の中にある一瞬の暇や余裕を感じる。このワンフレーズを聴くだけで元気が出る、大好きだ。「誰かが」でチバはその後、こう宣う。
「誰も教えてくれない でもわかっていることがある
誰かが泣いてたら 抱きしめよう それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう それだけでいい」
なんだよそれ。信じられないくらいシンプルな話に落ち着いて、子供っぽさすらある。でもその子供っぽさに私はこの1年間、本当に随分支えられた。エブリバディ・ニーズ・サンバディーって言ってくれたから、駄々をこねれたこともあった。
③
「涙がこぼれそう」も大好き。私はこれをただの酔っ払いの曲だと思ってる。だってあまりにも見覚えのある光景が多すぎるから(笑)。夜中に泥酔して、ロータリーで寝っ転がってて、転んだ拍子に口とか切ってるんだよ。立ち上がりたくねー、てかここどこだよとか思ってると男女が横でキスとかしててマジで情けなくて泣けてくる。夫くーん、ここどこ〜迎えに来て〜とか電話したくもなる。んで、気づいたら朝になってて、おっしゃ!帰るか!って。覚えがあまりにもありすぎる。
チバが死んで、多くの人がこれを追悼ソングに選んだ。でもこれは、チバが酔っ払いのことをかっこよく歌ってくれたもの。私にとってはそう。
④
そもそも、私はあまりうるさい曲が好きじゃない。Birthdayだってミッシェルだって、学生の時にちょろっと聞いたけど、はまらなかった。なのに、youtubeディグで、民生の「世界の終わり」をみつけて、心がブルブルと震えて、アベフトシのことを知り、解散ライブの映像を見て、知りもしないバンドの聴いたことのない曲でポロポロ涙が出た。
⑤
思えば、うるさい曲を好んで聴くようになったのは、大人であることを求められるようになった社会人になってからかもしれない。
⑥
「息もできない」は、世界の終わりのライブ映像を狂ったように見続ける私に、10年来のマブが「これも好きなはずだ」と教えてくれた。そして、完璧にBirthdayにハマった。ほんと、今年「息もできない」を狂ったように聞いた。Aメロの文字数に比べると、Bメロの文字数は極端に少なくて、その言葉少なさを保ったままサビに駆け抜けていく。
⑦
チバユウスケが作る歌、特にbirthday以降は、すべてがシンプルな話に帰着していく。そこが好きだ。大人になったことや忙しさを盾に、正当な理由ばかりが上手くなっていく中で、取りこぼしてしまいそうになる単純なことを思い出させてくれる。歩いて家に帰る夜道、お風呂に入っている時、大音量でイヤフォンから「アイラブユーは最強、愛し合う姿は綺麗」とチバが叫んでくれる。
⑧
チバがインタビューで大きい愛と小さい愛の違いを問われた時の回答が好き。
「愛だけで何もかもが作られていればいいなとは思うけど。それは無理なんだよ。無理なのは知ってるんだけど、それでも愛で行こうよ、と俺は思うけどね。(中略)いろんなところにポツポツと愛があるじゃない。それがあればすごくいいことになるっていう風に思っただけ。マジックの人がいて、そこにロウソクがあってさ、パチン(指を鳴らす音)ってやったら、火がついたのよ。小さな愛って、ちょっとそれに近いっていうか。なんか“おぉ〜”と思って。違うかな(笑)。」
たぶん、彼らが許される世であって欲しいと思っているんだと思う。その願いと、そっちの世の中のほうがなんだか楽しそうだという希望を見出してんのかな。錦鯉が好きな理由を考える時、西成あいりん地区の三角公園を思い出す。どんなに治安が悪くて、どんな人相の人がいるんだろうとか思って行ったけど、公園で過ごしている人たちは朝っぱらから発泡酒を飲み、チューニングのあってないギターを弾き、踊り、その脇でボールもないのに全力でピッチング素振り(バッティングじゃない)をし、事情はあるにせよ彼らはかなり幸せそうにみえた。私にとって錦鯉は、三角公園でみたあの光景に近く、彼らが注目されている現状は三角公園に沢山の観光客が集まっている様子を想像する。あの空間はあのまま保たれていて欲しい。西成あいりん地区でおっさんが昼間っからピッチング素振りをしていることが許される世の中であって欲しい。
先日、空気階段もぐら、ニューヨーク嶋佐、トマホーク坂井が「ボクらの時代」に出演していて、坂井が「結局、何かで抑圧された人が自己解放のために芸人やってる人がほとんど。俺はおやじコンプレックスだと思う。おやじの人生みたいになりたくない」と言っていたんだけど、芸人に限らず人は自己実現とか自己解放とかなんやかんやできっかけや理由、目的を求めるもんだと思う。元々あるのではなく能動的に探す、見つかる。でも彼らはずっと受け身。野心や頑固さ、見栄、敵意などの突き動かすような大きな意思を感じない。そりゃM1の優勝を狙っているくらいだから無いわけではないと思うけど、熱すぎることもなくかといって冷めすぎてもいない。2人が出演したしくじり先生で、優勝を逃した2020年M-1を「僕たち2人に、人生で初めて悔しいという気持ちが芽生えた。しかもその悔しさはどんどん増した」と(主に渡辺が)振り返っていて徹底的に情けないと思いつつ、その情けなさを恥を忍んで言えるおじさんたちにちょっと胸を打たれた。
「誰も傷つけない笑いなんてものは本当に存在するのか」というテーマを一人遊びのおもちゃにしていた時期があったんだけど、表現をする人は常に誰かを傷つけるリスクがあり、たとえどんなに気をつけていても知らないところで見知らぬ誰かが傷つき不快な思いをしている可能性は捨てきれない。実際にミルクボーイのM1決勝ネタをみていた友人が「モナカってチョコモナカジャンボのこと?」と彼氏に聞いたところ「最中も知らねえのか」と随分バカにされ傷ついたみたいなことを言っていたし、さっきの三角公園の話も、きれいなところだけを観てわかったような態度でいるよなと自分自身で思う。
私は2020年M-1の錦鯉のネタ「パチンコ」でソファから落ちるほど笑ったんだけど、何が痛快だったかっていうと、パチンコに行ったことない人にとって、まさのりのあの顔が初めて見る「パチンコ台」になったこと。パチンコを知らなくても笑えるネタは、本当の意味で誰も傷つけてないし、置いてけぼりにもしてない。ネタを見ている人が例えパチンコを知らなかったとしても、誰からもバカにされないように、まさのり自身がパチンコ台になってくれる。錦鯉は、バカ担当まさのりさんがこの世の全ての"傷つき"を一身に背負ってくれてるんだと思う。「どうせみんなこうなるんだよ」「からっぽだよ」と冒頭から徹底的に自分を下げ、コンプレックスを持つ人たちに対して「俺のほうがもっと下だから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれる。だから私は錦鯉のどんなネタも安心して観ることが出来る。一番好きなネタは「数え唄」です。
日本人にとっては「ジェミナイ」より「ジェミニ」のほうが言いやすいからってだけで、ジェミニが言語的に正しいからとかではないよね。経緯はよくわからんが複数の音写がそれぞれ正解として採用された外来語はたくさんある。
逆に日本人が認識しづらい外来語というのもあって、「ユグドラシル」「タイコンデロガ」あたりは昭和のオタク達を大層悩ませたと聞く。往年の人気シリーズ「それゆけ宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ」シリーズに「聖夜のユグドシラル」という本があるくらいだ。インターネットがなかった当時は資料集めも大変だったということなんだろうが、じゃあ現代は手軽に英語動画で発音を確認できるから表記揺れの問題もなくなったかと言えば全然そんなことはなく、たとえばこないだのOpenAIお家騒動で話題になったIlya Sutskever氏は「サツキバー」「サッツケーヴァー」「スツケヴェル」など6パターンくらいの表記をされていた。ポッと出のマイナーキャラだし表記が定着してないんでしょという意見もあろうがまあその通りである。じゃあいずれ正しい表記に落ち着くのかといえばそうはならないのが面白いところで、たとえば10年来エンジニアを悩ませてきたKubernetesは英語圏では明らかに「クーバネーティス」なのだが日本語では「クベルネテス」「クベ」に落ち着いている。だからGeminiはジェミニに決まってるのだが、しかしあらためて見てみると「ルクソール」と「ラクソー」、「アテナ」と「アシーナ」のようなアクセントの位置が変わるやつにくらべれば、「ジェミニ」と「ジェミナイ」の発音には然程の差がないようにも感じる。根本的には発音が難しいというより「巻き舌とか恥ずかしいし・・・」というのが理由なのかもしれない。
イスラエルは中東国家から蛇蝎のように嫌われており、中東で孤立状態にある。
かつてアメリカを中心とした西側陣営はサウジアラビアを西側へ引き込もうと様々な援助を行ったが、結局今年八月にサウジアラビアはBRICs(中露陣営)への帰属を発表し、アメリカの中東におけるパワーゲームは見事に失敗した形となった。
その失敗によって苦境に立たされたのはどの国だろうか? イスラエルである。
反イスラエルを掲げる武装組織は複数あり、BRICs陣営の某国がそれら武装組織を支援しているというニュースは公然の秘密である。一機数十万~数百万のドローンによって数億円の戦車が破壊される映像が今回のガザ動乱では世界に向けて発信された。Poor warとでも言うべきか、武装組織は安価かつ強力な兵器で武装することに成功しており、毎年数千億円の軍事援助をアメリカから受け続けるイスラエルとは言えど、その対応には苦慮している。海外のニュースソース(アルジャジーラ)によれば、ガザ地区に投入された機甲戦力の23%に及ぶ九十台近い戦闘車両が現時点で破壊されており、その苦戦の色は濃い。また、前線で指揮を執っていた機甲部隊の司令官の一人であるシェルダグ・ジオール大佐が戦死したとのニュースが11月に入って舞い込んできた。繰り返す通り、イスラエルは孤立しており、支援された武装勢力によるPoor warに果たして今後二十年三十年耐え続けられるかというと疑問である。イスラエルは孤立している。
さて、そんな中で、今年の九月に入って、イスラエルはサウジアラビアとの国交を回復させる政治交渉を開始していた。
これは、一度は西側の勢力下から離脱したサウジアラビアを引き戻すという意味での交渉であると、世界中の人々が捉えていた。
勿論、この交渉は十月に入って行われたハマスによる奇襲攻撃によって立ち消えとなり、サウジアラビアは公式にこの国交正常化交渉を凍結したのだが、この2023年に至るまでの経緯を考えれば、イスラエルが本当にサウジアラビアに対して『西側に引き戻す』という悠長な交渉を仕掛けようとするだろうか?
寧ろ、イスラエルの人々に必要なのは、明らかに中東のBRICs陣営に対する恒久的な平和条約であり、和解であり、友好関係である。勿論、歴史的経緯を考えれば、そのような友好関係を取り結ぶことは難しいものの、しかしBRICs勢力が伸長していく中で、表立って彼らを敵に回すことは避けたいはずだ。わざわざ敵対的な態度を中東のBRICs陣営に対して取り続ける意味は無いはずだ。
いや、一つだけある。そのような行動を取り続ける理由が一つだけある。
『私たちはあなたがたの予想通り、想像通り、BRICsの人々と対立していますよ』というメッセージは、西側のイスラエルに対する友好的な態度を引き寄せるはずだ。というか、正直なところイスラエルがBRICs陣営に対して強硬的な態度を取り続ける理由は、それ以外に無いのである。
想像してほしい、周囲の国々を数十年に渡って侵略し、殺戮し、強権を奮い続けてきた国家で生きるということを、その国の為政者であることを。想像して欲しい。それが、どれほど心胆を寒からしめる事実であることかを。四方八方の国々が自国を憎悪している、その渦中の国家の為政者であることを想像して欲しい。彼らが喉から手が出るほど欲するであろうものが何であるかは、火を見るよりも明らかだ。それは恒久的な平和条約だ。
そして、それは許されないことなのだ。
西側陣営の一国であるというアイデンティティが、彼らに年間数千億の軍事援助を提供し続ける某国が、そのような願いを許すはずがないのだ。
[B! 共産党] KADOKAWA翻訳本出版停止、共産党からの圧力があった模様
https://l.pg1x.com/j5MrA3nZVyiBzPH7A
角川様が「差別」関連での抗議に弱いのにはコイツラがのさばっていたことによる悪い経験があるため。
https://l.pg1x.com/MQ7ZuAzRzzcmAGad7
ジャップランドのくそったれキャンセルカルチャー団体(笑)だ。
差別的な表現を「時代背景を一切無視して」がなり立てて、編集部に直電してきて、業務を妨害するのだ。
やり方は「同和のアレ」と同じ。
「そんな昔の話なんかされても……(笑)」って思うだろ、はてなーども。
「差別」でぶん殴られると分かってるなら、それとは戦わず損してでも逃げるんだよ。大した損じゃねぇからな角川様にとっちゃよ。
俺が角川様大嫌いな理由は「出版社のくせに、言論で絶対に戦わない」出版社だからだよ。ホント表現者の砦たる出版社かよ(笑)
約3年前 ピンキーポップヘップバーンというVtuberが引退した。
絵柄も良く、沢山の良いオリジナル楽曲を持っていたのにも関わらずである。
引退理由ははっきり覚えていないが、やりたいことのために。とかだった気がする。
(推しとタイトルで書いたがこの通り、曲をよく聞く程度のやや推しである。)
Vの中では良い方の生まれであって 外から見ると充実しているように見えたが、
せっかく持っているいいものを捨ててまで優先することがあるのかと。ちょっとびっくりした。
......じゃあ、やりたくもない仕事に食らいついて、日々を消費している俺はなんだろう?
何に固執しているんだろうか?と、ふと我に返った。
次に運良くやりたいことができる会社に入り、3年ほど経った。
この仕事によって自分の特技を活かして多くの人を喜ばせることができた。
転職してよかった。
仕事でも金が無いし、
上司と反りが合わないし......
そんな中、先日KMNZ(ケモノズ)のLIZ(リズ)がVtuber引退を発表した。
こちらも絵柄に恵まれて、外からはのびのびと活動しているように見えた。
neruの脱法ロックを聞きながら無理やり通っていた。
あのちゃんの絶対小悪魔コーデは未だにゲロチューよりイケてると思うし
オリジナル曲はあんま刺さらなかったからライブには行かなかったけれど
突然開始される歌配信が好きだった。
やっぱり選曲が解っていた。
彼女経由で好きになった新しい曲がたくさんある。
......よし。また俺も仕事辞めるか。
イラストレーター女性が酒サブスクサービスとコラボするも、サブスク側が彼女が未成年だったことを理由に取り下げ
https://x.com/rokumei1129/status/1733121443154817172
https://x.com/hmc9as/status/1733075148696440935
自分と違う人間は間違っている=人間扱いしなくてもいいと無理矢理定義することで
そんな間違った人間とは違う自分は正しい人間なんだ、生きていてもいいんだと実感できる
自分と違う人間は差別をしている、もしくは人権侵害をしているクズだと決めつければいい
自分と同じ考えの人間を集めれば数の暴力で正義を勝ち取ることができるから
半年前から週に3回くらいのペースで遺書を書いている。なんとなく「あー死にたいかもしれない」みたいな気分の日に書くことが多い。基本A4のノートに手書きで書いている。
この習慣を始めた頃は、結婚を考えていた彼氏と別れたり、身内の不幸だったり、仕事で重い案件を任されたりと、色々重なってぐちゃぐちゃになった自分の頭と心の中を整理するつもりで書いた。
「これで衝動的にいつ死んでも、読んだ人には私が何を考えていたかわかってもらえる」ことと、「紙に書くことでちょっと落ち着く」ことの2点が続けている理由だ。
前者に関しては、自分的いつでも死ねる状態の最低ライン=遺書があるなので、書くことで安心して社会に溶けることが出来る。
後者に関してはとっても単純であるが、紙に書くと誰かに話を聞いて貰えた気分になって、ちょっと前向きになれる。
書くことはまちまちで、具体的な生活での怖いこと・嫌なこと・逃げたいことや、もっと曖昧な、将来に対する不安とか自分の可能性の上限とか、割と書く時によってまちまちである。
体感的に前者より後者の方が頻度としては多くて、月の後半に差し掛かると顕著になる。
それでも秋の初めくらいまでは、仕事が嫌だとか社会のなんとなくの圧力が嫌だとかあの人と一緒にいたくないだとか、具体的なことがかけていたのに、最近はめっきり、書こうと思っても何も書けなくなってしまった。
その代わりに願望を書くことが増えた。家に帰りたいとか、こうえんにいきたいとか、もう1回学校に行きたいとか、おじいちゃんに会いたいとか、そんなことを書いている。
おじいちゃんには割と本気で会いたい。もちろんおばあちゃんにも会いたい。他にも会いたい人はいっぱいいるんだけど、今の私を見たらどんなことを思われるんだろう。私は会ったら彼らのことをどう思うのだろうと考えたり。
結局現実逃避して仕事に行くんだけど、今日は行けませんでした。こんな日もあるよねと思ったけど、多分この土日が明けても行けない気がする。
なんで死にたいとか思っちゃうのか、遺書をかけなくなってから本当に本当に分からなくなってしまった。「ちょっとさすがに厨二くさいか、、」とも思っていたけど、かけるなら書きたい。何も書けない。ただ漠然と不安で寂しくて怖いだけになってしまった。
よく芸能人とかが自らを終わらせたことに対して、『この世界で生きるには綺麗すぎた』みたいなことを言っている人を見るけど、私は死んでいいほど綺麗かしらって思ってしまう。
半年前から週に3回くらいのペースで遺書を書いている。なんとなく「あー死にたいかもしれない」みたいな気分の日に書くことが多い。基本A4のノートに手書きで書いている。
この習慣を始めた頃は、結婚を考えていた彼氏と別れたり、身内の不幸だったり、仕事で重い案件を任されたりと、色々重なってぐちゃぐちゃになった自分の頭と心の中を整理するつもりで書いた。
「これで衝動的にいつ死んでも、読んだ人には私が何を考えていたかわかってもらえる」ことと、「紙に書くことでちょっと落ち着く」ことの2点が続けている理由だ。
前者に関しては、自分的いつでも死ねる状態の最低ライン=遺書があるなので、書くことで安心して社会に溶けることが出来る。
後者に関してはとっても単純であるが、紙に書くと誰かに話を聞いて貰えた気分になって、ちょっと前向きになれる。
書くことはまちまちで、具体的な生活での怖いこと・嫌なこと・逃げたいことや、もっと曖昧な、将来に対する不安とか自分の可能性の上限とか、割と書く時によってまちまちである。
体感的に前者より後者の方が頻度としては多くて、月の後半に差し掛かると顕著になる。
それでも秋の初めくらいまでは、仕事が嫌だとか社会のなんとなくの圧力が嫌だとかあの人と一緒にいたくないだとか、具体的なことがかけていたのに、最近はめっきり、書こうと思っても何も書けなくなってしまった。
その代わりに願望を書くことが増えた。家に帰りたいとか、こうえんにいきたいとか、もう1回学校に行きたいとか、おじいちゃんに会いたいとか、そんなことを書いている。
おじいちゃんには割と本気で会いたい。もちろんおばあちゃんにも会いたい。他にも会いたい人はいっぱいいるんだけど、今の私を見たらどんなことを思われるんだろう。私は会ったら彼らのことをどう思うのだろうと考えたり。
結局現実逃避して仕事に行くんだけど、今日は行けませんでした。こんな日もあるよねと思ったけど、多分この土日が明けても行けない気がする。
なんで死にたいとか思っちゃうのか、遺書をかけなくなってから本当に本当に分からなくなってしまった。「ちょっとさすがに厨二くさいか、、」とも思っていたけど、かけるなら書きたい。何も書けない。ただ漠然と不安で寂しくて怖いだけになってしまった。
よく芸能人とかが自らを終わらせたことに対して、『この世界で生きるには綺麗すぎた』みたいなことを言っている人を見るけど、私は死んでいいほど綺麗かしらって思ってしまう。
半年前から週に3回くらいのペースで遺書を書いている。なんとなく「あー死にたいかもしれない」みたいな気分の日に書くことが多い。基本A4のノートに手書きで書いている。
この習慣を始めた頃は、結婚を考えていた彼氏と別れたり、身内の不幸だったり、仕事で重い案件を任されたりと、色々重なってぐちゃぐちゃになった自分の頭と心の中を整理するつもりで書いた。
「これで衝動的にいつ死んでも、読んだ人には私が何を考えていたかわかってもらえる」ことと、「紙に書くことでちょっと落ち着く」ことの2点が続けている理由だ。
前者に関しては、自分的いつでも死ねる状態の最低ライン=遺書があるなので、書くことで安心して社会に溶けることが出来る。
後者に関してはとっても単純であるが、紙に書くと誰かに話を聞いて貰えた気分になって、ちょっと前向きになれる。
書くことはまちまちで、具体的な生活での怖いこと・嫌なこと・逃げたいことや、もっと曖昧な、将来に対する不安とか自分の可能性の上限とか、割と書く時によってまちまちである。
体感的に前者より後者の方が頻度としては多くて、月の後半に差し掛かると顕著になる。
それでも秋の初めくらいまでは、仕事が嫌だとか社会のなんとなくの圧力が嫌だとかあの人と一緒にいたくないだとか、具体的なことがかけていたのに、最近はめっきり、書こうと思っても何も書けなくなってしまった。
その代わりに願望を書くことが増えた。家に帰りたいとか、こうえんにいきたいとか、もう1回学校に行きたいとか、おじいちゃんに会いたいとか、そんなことを書いている。
おじいちゃんには割と本気で会いたい。もちろんおばあちゃんにも会いたい。他にも会いたい人はいっぱいいるんだけど、今の私を見たらどんなことを思われるんだろう。私は会ったら彼らのことをどう思うのだろうと考えたり。
結局現実逃避して仕事に行くんだけど、今日は行けませんでした。こんな日もあるよねと思ったけど、多分この土日が明けても行けない気がする。
なんで死にたいとか思っちゃうのか、遺書をかけなくなってから本当に本当に分からなくなってしまった。「ちょっとさすがに厨二くさいか、、」とも思っていたけど、かけるなら書きたい。何も書けない。ただ漠然と不安で寂しくて怖いだけになってしまった。
よく芸能人とかが自らを終わらせたことに対して、『この世界で生きるには綺麗すぎた』みたいなことを言っている人を見るけど、私は死んでいいほど綺麗かしらって思ってしまう。
ぜんぶ間違い。
もう非婚のやつに結婚して子どもつくってもらうのが少子化対策なんて思ってねーんだよ。だってなんだかんだ理由つけて何もしない奴らばかりじゃん。
その村は、実に奇妙な村だった。
おおよそ布と呼べぬようなボロきれを最低限、身にまとう格好で生活し、浅黒な肌は古来の原住民を思わせ、ぱちりとした大きな目と背の高い鼻は相手を威嚇するようであった。
こうした彼らアングロサクソン系に属さぬ種族の暮らす集落は、全体の人数はおおよそで百人前後。
森林に囲まれた場所に集落を築き、たいして大きな村とも言えず、互いの顔を知り合い、共存して暮らしている。
まさに一個の家族、巨大な集合体のようなもので、かれらは時計的時間に暮らさず、出来事時間によって生活をする。
つまり村のF氏と午前11時に会う約束をするならば、「11時に会おう」と言うのではなく「子牛を散歩に連れ出す時間に会おう」という必要があった。
尤も、11時ならば彼は散歩に行くので会えないことにはなるだろう。
然しこうした出来事時間を持つ社会的集団は少なくなく、それはむしろ、急激に進歩を遂げた我々とて同じ。
以前、といっても数百年ほども前だが、とにかくそのころは我々先進国であろうと正確な時計は持たず、正確な時刻を知らずに暮らしていた。
故に、時間、というものは絶対的なものに成り得ず相対的であり、さらには個人的。
各町、各村によって時間は異なり、時計がずれている事さえも常識であった。
だからこの町が奇妙だと、
そう評するのは何も、こうした出来事時間に添って暮らすためではない。
彼らは我々との認識が、著しく異なっていたのだ。
そう、”死”に対する認識が。
彼らは”死”を恐れない。
いいや、そうではなく、むしろ彼らは”死”を喜んで受け入れるのだ。
まるでそれが大層めでたい事のように。
その事に気付いたのは、滞在三日目の朝だった。
日の高さが頂点付近にまで登り詰めた頃に起床すると、いつもと違う雰囲気に戸惑い、太鼓の音などが聞こえ、辺りには明るい民謡のような、陽気な歌声が響いて回った。
それからテントのような簡易的な宿を出ると、村の人々はみな笑顔で、子供などは小躍りしている。
「なにごとかね?」
するとその男は「ああ、あの家あるだろ」といって軒先の一軒を指差し、あそこの爺さんが、雄鶏の鳴く頃に死んだんだ、と私に言った。
満面の笑みでだ!
私は奇妙に思い、「どうしてみな笑い、騒いでいるのだ?」と訊ねた。
すると男は不審者を見るような視線を私に向け、「めでたいからに決まってるだろう!」と言った。
私はますます分からなくなって困惑したが、同時に彼らの習慣にえらく興味が沸いては、滞在予定の一週間を変更し、長期に渡って居続けよう、という気になった。
彼らが何故 ”死” を祝福し、そして恐れないのか。
そもそも、私が間違っていたのだ。
”死”は恐れるものではなかった。
私は彼らに訊いた。
「どうして”死”がめでたいのか?」と。
すると彼らの一人は笑顔でこう言った。
私は人間だ。
そして、私は既に死んでいたのだ。
それだけに過ぎない。
片割れの私は既に死んでいて。その死んだ片割れこそが ”死” だったのだ。
もしこれまでの私と今の私とに違いがあるのだとすれば、それはその事に気付いているかどうかの違いに過ぎない。
私は教わった。
誰もが、いや、どの生物も、不完全で生きてるのだということを。
それは半身が欠けているからであり、人間なる生き物は、そうしてかけた半身に
”死”
という名前をつけたのだ。
誰もが死を恐れながら、死に惹かれ、死に関して興味を示すのは無理もないこと。
理由が分ければ明白で、それは自分を求めていての行動だったのだ。
誰もが自分のかけらを求める。
それはそうだ。
すべてのことを。
私の半身、それが持つ、きおくのかけらは、いのちのかけらなのだ。
今の私は好意的に ”死” を向い入れよう。
いいや、これでは言い方が適切でない。
”自分”
を受け入れる。
ただそれだけのことだ。
私は枝木のように細まった腕を床で十分に見つめた後、ゆっくり目を閉じる。
やあ、こんにちわ。
そんなふうに声をかけて、
そんなふうに思いながら、
私は安らかな表情をして、意識を失った。
私は難病患者ですが、マッチングアプリで恋人を見つけました。結婚も考えてくれています。
避けては通れない結婚や出産の話題で、わたしが思うことを書きます。
まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者の恋愛はかなり難しいものだと言えます。
わたし自身、マッチングアプリを使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性がほとんどでした。
中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。
実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます。
体調を崩した場合も、家のことや入院する場合は手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。
両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います。
わたしは幾度と入院と退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。
人は、1人では生きていけない。
だから、結婚するためにマッチングアプリを使用し、恋人を見つけたのです。
もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています。
ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています。
寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます。
帰宅後、俺も子供をよくやったと褒めたが、子供の顔色はいまひとつ良くない。
理由を聞いてみると、
「自分の受け持ちの作業は最初の半分の時間で終わっていた。サボってると怒られてる子はさっさと終わらせて遊んでただけ。怒られたくない子は自分みたいに何度も同じ作業をダラダラ繰り返してるんだよ」
俺は面食らって、先生に『終わりました』と言えばいいんじゃないかと訊いたら、
「そしたら他の人の手伝いとか、関係ない掃除とかやらされる。それをやるくらいなら最初の自分の仕事をずっとやってた方がマシだ」
社会には子供の頃から勉強をし条件の良い仕事に就き、恋愛結婚子育てをして悠々自適に暮らしている人がいる。なぜ自分はそれができなかったのか。年を取りもうすぐ人生が終わるため今更、後悔もないが、死ぬ前に理由を知りたい。
複雑な気分だ。
心療内科に通う理由は大うつ病だけではないから焼き肉を楽しめるけど辛い症状というのもあるし、