はてなキーワード: 理由とは
営業と役員がまともになれば、我々の残業手当/休出手当などが発生しなくなります。
営業と役員がまともになれば、我々の磨いた『爆速で何とかするスキル』は用をなさなくなり、評価されなくなるので、給与額を上げる理由もなくなります。
営業と役員がまともになれば「まともじゃない相手の対応」のせいで人手不足(無論育てる時間がない)になることも、属人化も、精神に不調をきたして休職してしまうこともなくなります。
主に
・営業の「俺のクライアント売上多いからいいだろ」のルール破り
・ミス秘匿
辺りがなくなると、休憩を規定時間取った上で勤務時間内に業務を終了することができます。
販管費下げるとか言って総務や事務の首切るの、うるせーのもいなくなるし役員的には一石二鳥なんだろうなってのはよく分かる。
ので、体質として変わる気はないんだろうな〜と思ってる。
本物の写真に似せたAIの絵が溢れているけど、俺は拒否感を持っている
やっぱりその理由は、被写体の女が実在しないからってところなんだと思うんだよな
なんつーか、実際に裸を晒してる女がいない
バックグランドが感じられない
この女に恋人はいるのかとか、裸を撮られてどう思ってるかとか、なぜ裸を撮られるに至ったのかということに想像の余地がない
物語がないわけよ
おじいちゃん、世の中の人はブームとか気分で仕事しているわけじゃないよ。アマゾンは米国以外の国が乗っ取ろう、潰して自国のサービスを後釜に据えようと画策する陰謀が文字通り暗躍しているわけ。だからリモートとか危なすぎてセキュリティが管理できないのよ。でもセキュリティのリスクがあるから出てこいっていうと、客に心配させるだろ?だからチームワークのため、とか適当な話でお茶を濁しているんだよ。テスラも同じような理由。どっちもJTCにはあんまり関係ないw
相手に好意を持ってもらうために私生活を捻じ曲げる人間は好きになれない。
自分の人生は自分で決めてくれ、付き合ってもないのにこちらに何でも合わせようとしないでくれ。
好かれるために自分の人生の一部を犠牲にすることを好意だとか本気度って言わないでくれ。
媚びる奴はおまじないをしている。自分がこんなに献身したんだから見返りがもらえるはずだというおまじないを。
重いよー、クソ重い!お前のことが好きになれなかったらどうすればいい?
振ったら恨まれそうなオーラを漂わせるな。好きじゃなかったらこっちは振ります。
自分を捧げ物にして愛を得ようとする人間は男女問わず相手から好かれることはない。だって重いんだもん。
他人を支配して自分の都合よく使いたいタイプからは好かれます。そういうタイプに当たるまで頑張るの?頼むから自分の人生を生きてください。
実装されたときは10件って少ないなと不満げだったが、思えば結構長い間もったものです。
でもいつまでもベータにしないでもっと増やしてくれてもいいんですよ?
ミュートしたやつ
賢い人は知ってる。これらを絶対見る必要がある3つの理由。誰か教えて。
最初は批判的なコメントを見るために覗いていたけど、延々とバカ向け文章を自主的に見に行ってバカと言ってる人たちを見に行ってる自分もバカだなと思ったので見るのをやめた。啓蒙活動とかを冷笑することにしたってことかな?はてブでは。
・弱者男性
・婚活
・投資
興味ないので……。マンションとか持ち家もそうだけど。アドバイス罪といいますか、ウエメセや意識高い系なコメントがつきやすいのはNGで。次にかかるけど創作話も多いしね。弱者男性で年収うん百万、家族構成は~みたいな雑増田を持ってこないでください。
そういうのはいろいろあるけど弾きやすい特徴的なワードがあるやつが選ばれました。換言すればブクマカが爆釣な疑似餌すぎて虚しい。
興味なしはサウナも多かったけど、なんだか最近は落ち着いたのか見かけなくなった気がする。
ブコメに求めるのは時事の詳細な追加情報とジョークで、ライフスタイルに踏み込むのは見たくないってことかな?
・tinect.jp
・shinshinohara
漫画や小説とは別枠で、作り話って読む気がしない。仮にその題材から語るべきことがあっても。弱者男性増田もかなりこれ枠。作り話を種に喋ってることの価値も自分は下がるのでミュートで。
togetterの嘘松も弾けるなら弾きたいけどタイトルスルーできるしそんなに気にしてない。
創作だとフミコフミオもだけどあるときから互助会壊滅したのか、ライン越え上司ムーブのご指摘で盛り上がるか給食業界話実話ぐらいでしか上がってこなくなった。
山本一郎はギリギリ自分をBETしてると思うし自身の話も多いからポジトークだろうが業界の内輪話も見逃している。
・3大「
殺したかったし殺せたから殺した。これも9割浮上させるブクマカにうんざり案件なんだけど、追記宣伝で自己主張してくるのもキツかった。
これは今までのとはちょっと違って、内容は悪くないけど「おもしろ」カテゴリがデイリーポータルZばっかりになって多様性が死んでるなと感じることが多かったので。
面白い記事は別枠で流れてくるからはてブはミュートでもいいかもなと。
アニメとゲームもジャン+をとにかくブクマする人が多くて辟易してるけどこっちのカテゴリは普段見ないしスルーしてる。
小分けで並べたら9個しかなかったや。やっぱり10件で十分ってことか。
もう何年もタイトルだけ見つけては開くことすらしないから。orangestarでもいい。
はてなの下駄あっても見なくなるぐらい自分がはてなへの帰属意識から解脱してきたのかな。
まとめると恐らく
価値が低い+無言ブコメが多い英語学習やQiitaの考え方記事とかは流しているから、コメント傾向の比重が重いみたい。
他者が自分と同じ考えにならないのに怒るというのはヤバい兆候ですが、好みのタイムラインを作る一環としてこれらぐらいは許して欲しい。
その年で子なし前提でわざわざ結婚するなら考えることは
金のことが前提になるのは当たり前なのでそんな事情があるならしないでええやろ
メリット皆無
ただ結婚する気はないのでそれ前提で今後も同じ付き合いできるならお願いしたいけど
結婚って先にあるからって理由だったらもう辞めよってところはハッキリしないと不誠実だろうね
両取りはダメよ
考え方次第ではなんとでもなるよ。
一例を挙げれば。
北総線沿線は、運賃が高い、列車本数が低いなどの理由で、都心アクセス時間に比べて住宅価格が比較的安い。
中央線浅草橋まで30分程度の駅から、徒歩10分〜15分(自転車5分)で、築20年強の中古一戸建てが3000万円程度でゴロゴロしている。子育て終わるころには資産価値は土地代だけになるだろうけど、都心8000万のマンションの代わりに買って、浮いた5000万で2人目3人目の子育てや、他の自由を買うという考え方もありだと思うよ。
焦って色々欲張るから、視野が狭くなっている。我慢できることと、その対価を含めて、もう少し幅広で考えてみたら。
とはいっても、土地取引経験のない夫婦が考えたって出てくる発想はたかが知れてる。自分たちの住環境に対する要望をリストアップ・整理したら、専門コンサルタントを50万円くらいで雇って相談するのがベスト。
これはすごく単純な話でプログラマー仕事とはつまるところ、なんらかの言語を使って文章を作成する、ということだから。
生成AIが一番得意としている分野はいうまでもなく、なんらかの言語使って文章を作成する、ということだ。
このプログラマーの仕事と生成AIの得意分野の親和性があまりに高すぎるがゆえにプログラマーは最も速くAIに仕事を取られるのだと考える。
逆に言うとプログラマー程度の仕事を奪えないのであればAIは人間の仕事を奪うことは出来ないとも言える。
誤解をしてほしくないのは決してプログラマーの仕事が単純だという意味ではない。
あくまでAIの側からすると一番容易に攻略出来そうな人間の仕事がプログラマーの仕事だ、という意味だ。
結局、物理世界に関わることはAIにとっては難易度が高すぎる。
また歩く
久しぶりに故郷に帰った。 就職を機に東京へ移り住んでから、色々な理由をつけて帰省を避け続けていた。政令指定都市の中心駅から数駅離れた、どこにでもあるような住宅街をしばら...
東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都がグローバルというのではなく、東京はローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。
↑
邪な意図をもって変な切り方するな😠
https://www.famitsu.com/article/202409/18892
https://web.archive.org/web/20241005231346/https://www.famitsu.com/article/202409/18892
「ニンテンドーミュージアム、宮本茂氏インタビュー。ミュージアムは新入社員やお客さんに「任天堂とは?」を説明するものも兼ねている
更新」
『――さまざまな作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出すうえでの京都という土地の魅力ってどのように感じますか?
宮本 これはね、いろいろな視点であちこちでお話することがあるんですが、とくに一般に言われる京都の文化を大事にするとか、京都の伝統を守って何かを作るとかっていうものではないんですね。最初に言いましたけど、山内がミュージアムを作るって聞いたら「やめとけ」って言うと思うんです。それくらい山内はとにかく「おごるな」で。京都はやっぱり盛者必衰というか平家物語ですし、方丈記は“ゆく河の流れは絶えずして”で、そんなフレーズが好きやなと思うのは京都にいるからかもわかりません。けど、僕らもその中で流れているんですけど、淀まずにずっと流れている状態をどう維持したらいいのか、それから"おごるな”。必ず栄えたものは滅びると、そのためには新しい栄えたものを作っていく。この考えかたっていうのは、エンターテインメントの会社にはいちばん大事なことかなというので、山内の教育を受けたものとしていちおう考えています。
それからもうひとつは、京都に僕がいたことで、一時期30歳くらいになると「京都の田舎にくすぶっているとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出ていかなきゃ」とか、いろいろなことを言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんですけど、そのはしかのようなころを過ぎて、40歳くらいまでここで仕事をしていると、なんか妙に、30歳くらいでいっしょに仕事を始めた仲間が全部いっしょにまた仕事をしていて、なんか作ったものが世界で売れていると。それをなんでかなと思うと、東京に行くと東京で流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都がグローバルというのではなく、東京はローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。で、そういうことをどうして感じて言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。
たぶん僕は丹波の田舎の出身なので、田舎のコンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」、「俺は東京へ来たぞ」と思うかもわかんないですが、ここでのんびり仕事できたっていうのは、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都に好きな人が働いていて、それで京都の中で何をするかというと、まわりに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。その結果、けっこう世界中で売れてるやないって。そうすると、じつはいちばん内部にあるものがグローバルで、グローバルって言われているものは別にグローバルじゃないんやないかという風に、40歳くらいになると思うようになって、いまはもうそれを若手に吹き込んでいます。ミュージアムと関係がないですね(笑)。』
https://dengekionline.com/article/202410/19493
https://web.archive.org/web/20241005231535/https://dengekionline.com/article/202410/19493
「【ニンテンドーミュージアム】宮本茂氏インタビュー「分かりやすく、使いやすく面白さを伝えることが上手な会社と思ってもらえたら」「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」
文:ことめぐ
『――先ほど京都にこだわりがあるというお話がありましたが、様々な作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出す上での京都という土地の魅力をどのように感じていますか?
これはね、いろいろな視点であちこちでお話することがあるんですけど、特に一般に言われる京都の文化を大事にするとか、京都の伝統を守って何かを作るとかっていう強度ではないんですね。
最初にも言いましたけど、山内がこれを作ると聞いたら「やめとけよ」と言いそうなぐらい、山内はとにかく「おごるな」という考え方でした。京都はやっぱり盛者必衰というか、平家物語ですし。
方丈記の“ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのの水にあらず”も大好きなんですけど、そんなフレーズが好きだなと思うのは、京都にいるからかもわかりません。
けど、僕らもその中で流れてるんですけど、よどまずにずっと流れてる状態をどうして維持したらいいのかを考えるんですけど、だからこそ「おごるな」と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。
この考え方というのは、京都に根付いてはいるんですけども、やっぱりエンターテイメントの会社には一番大事なことかなというので、山内の教育を受けたものとして考えています。
また、30歳くらいの時期に「京都の田舎にくすぶってるとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出て行かなきゃ」なんて言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんです。
けど、その“はしか”のような頃を過ぎて40歳ぐらいまで京都で仕事をしていると、なんか妙に30歳ぐらいで一緒に仕事を始めた仲間が全部一緒にまた仕事してる、そして何か作ったものが世界で売れる。
「なんでかな?」と思うと、東京に行くと東京で流行ってるものに誘われて、日本で売れるものを作る。逆にそれをすることで、日本でしか売れないものを作っていることに割と気付かないんじゃないか? と思うようになってきました。
だから僕は“東京ローカル”と社内で言っています。京都がグローバルということじゃなくて、東京はローカルという意味です。そういう思想で行くんなら「せめてニューヨークと言えよ」っていう風に思うようになって(笑)。なぜそういうことを言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。
僕は園部という丹波の田舎の者なので、田舎のコンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」「俺は東京来たぞ」と思ったかもしれません。
でもここでのんびり仕事ができ、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都に好きな人が働いている。そして、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを作る、周りに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。
その結果、それって結構、世界で売れてるやない? と。そうすると一番内部にあるものがグローバルで、グローバルと言われているものは別にグローバルじゃなのではないか? という風に40歳ぐらいになると思うようになり、今はそれを若手に吹き込んでます(笑)。』
横増田やけど、そんならわざわざ書かずに黙っとけばいいやん
わざわざ 04:22 に起きて誰かに暴言ぶつけるためにコメント書くとか、ストレス溜まっとるんか?
私の父親はめちゃくちゃ変な人で、私はよく自分の知り合いにその話をよくする 笑い話として
どう変なのかは長くなるからここには書かない
けど、話を聞いた人が全員私の父親のことを「イカれてる」とか「面白い」って言ってるから多分客観的に見ても本当に変な人なんだとは思う
こないだ知り合いの男性にその話をしたところ、共通の知人にその話が伝わって
そしたら、「〇〇さんのお父さん変わってますよね、実は俺の父親もヤバくて……」みたいな感じでその人に話しかけられて
なんでかと言うと、物心ついたときから変わり者な父親に振り回されてきて、それを周りの人と比較することで少し寂しい気持ちがあったから
それで、その人の話をよくよく聞くと、
その人の父親も確かに変な人ではあるんだけど、どちらかというと毒親に近くて
口答えすると殴られた、勉強しないと怒鳴られる、家に遊びに来た友達を殴った、とか
そういう、笑い話のレベルではない昔話をその人に延々と聞かされた
話を聞いている途中から「私のお父さんとはタイプの違う人だな」と思い始めて
その人は昔のエピソードトークを嬉々として語ってくるんだけど
なんか変なスイッチ押しちゃったな……って私はちょっと申し訳なく思いながら聞いてた
それで、最後に「俺は子供生まれたら絶対虐待しちゃうから結婚したくない。〇〇さんも子供生まれたら殴るでしょ?お父さんみたいにw」
みたいなこと言われた瞬間にめちゃくちゃムカついて
「いや、うちのお父さんは優しかったし私はそんなことしないですよ」って早口で返してしまって
私もスルーすればよかったものを…と思う気持ちもあるけど、その人の言葉の節々から「お前の父親も俺の親父と同じ嫌な奴なんだろ?」というニュアンスが伝わってきてたから
言い返したときに、私って結構お父さんのこと好きなんだなと初めて自覚した
確かに人のこと殴ることもあるけどそれは余程の理由があってのことだし よく怒るけどよく笑うし 他人には優しいし やること全部豪快だけどみっともないことは絶対しないし
1. [すぐにイライラする、イライラで人をコントロールしてくる] 意味不明なところでイライラされる。これが一番大きい。対等な関係を築けない。この人のためになにかしてあげようと思えなくなる。
2. [「自分はいいけど他人はダメ」という事が多い] 決定的なものはないけど、チクチクとそれを感じる。いわゆるポジショントーク。自分のことは棚に上げて的な。
3. [何かと馬鹿にしてくる] 容姿、仕事、臭い、、とにかく粗探ししてるようにしか思えないくらいチクチク言ってくる。冗談のつもりかもしれないけどいい気分はしないよ。
4. [完璧主義] そこまで気にする?ってところまで気にしてウジウジしてる。正直見てて鬱陶しい。あれダメこれダメのルールが多すぎる。ただ完璧主義の良い面もあるので諸刃の剣ではある。
5. [地図が読めない、運転ができない] 2に通じるところがあるけど、自分が地図が読めずに運転ができないで頼ってきてるくせに人が道を間違えたりすると非難してくる。
6. [精神的に自立してない] ことあるごとに実家のママに愚痴ってママがこう言ったママがああ言ったと。
7. [発言に一貫性がなさすぎる] 一時的な感情で物を言い過ぎ。一生〇〇しないと言いながら次の日には意見を変えてる。こちらはそれに合わせて計画を考えてるのに狂わされる。
8. [他責思考] うまくいったら私が言ったおかげ、うまくいかなかったらお前のせい。とにかくなんでも人のせい。
9. [暴力] 喧嘩でいつも先に手を出すのは君だね。そのくせ反撃されたら被害者ヅラ。いい加減大人になりな。
1. [姿勢が悪すぎる] 近くで見ていたら気にならないけど外で遠目で見たら不格好。猫背で巻き肩で首が埋まってる。
2. [好奇心が低い1] なにかやってみようとかここに行ってみようとかの提案に乗ってくることはほぼ皆無。基本的に何もしたがらない。そのくせにどこも連れて行ってくれないと言う。
3. [好奇心が低い2] 娯楽の幅が狭い。基本的に動画や映画を見るだけ。それに合わせるこちらもたまにしんどい。
4. [爪を噛む] 普通に見苦しいからやめてほしい。やめられない理由をストレスを与えるお前のせいと人のせいにするのはもっとやめてほしい。
最近シンガポールで女性に対し性的な暴行をした日本人男性が鞭打ちの刑に処されるというニュースがSNSを中心に話題になり、
この件から派生して "日本人男性の東南アジアにおけるセクハラ問題" が議論の的になった。
この件を見て私は同じ日本人男性として恥ずかしいと思うと同時に、ある一人の男のことを思い出した。
その男とは某ライブ配信サイトOで最も人気のある配信者 布◯ちゃん である。
彼を思い出した理由は言うまでもなく、彼自身も "日本人男性の東南アジアにおけるセクハラ問題" に加担する行動をとったからである。
彼は2年前友人たちとベトナム旅行に行き、現地の様子を伝える配信を行なっていた。
彼がカメラを回し雑談を交えながら街中を歩いている途中、一人のベトナム人女性が彼に話しかけた。
彼女の様子はあいにく映像には映っていなかったが、もしかしたら水商売を行なっていそうな見た目だったのかもしれない。
あろうことか彼はその女性に対し
と言い放った。
私はベトナム語はわからなかったが、その声には憤慨の気持ちが込められていたように感じた。
その当時既に日本人男性のセクハラや蔑視がベトナムでは社会問題にも発展しており、
ニュースを通してそのことを知っていた私は彼の行動に深く失望し同じ日本人として恥を覚えた。
教員になってそこそこのポジションにいる人は、だいたい生徒から見て2、30年前の人にあたる。となると、今でこそ「難関女子校」と言われているところでも当時は大したことなかったり、いわゆる難関大学に行こうとする女子がそもそもほぼいない時代の人だったりする。
そういう経歴の教員は、難関大学は遠い存在だと無意識に思っている。
そやつらによる進路指導で牙を抜かれた生徒が、自分東大行けるッスわ!などと突然変異のように思いつくわけもなく……志望者の数が増えないので当然合格者も出ない。
居間で飯を食いながら、いとこたちと興味ない箱根駅伝についてくさしていたらしい
なんかその記録がPCに残っていたのでまとめてみる
4個ほど論点があったようだ
あまりにも走る選手たちに興味が無く、「隣の車線混んでるなあ」と言った話になったようだ
この点に関しては、もし渋滞中の運転手だったらという目線で、二通りの意見が出た
意外と「選手を近くで見れてラッキーと思っているかもしれない」という意見
単純に「駅伝に興味が無かったらこの大学生たちのために渋滞してるかもと考えて、憎いって思う人もいるんじゃないか」という意見
また「そもそも箱根駅伝のために車線を全部封じないのか(ランナー危なくないの?迂回設定とかできないの?)」という指摘も出た
これは駅伝自体がつまらないという意見ではなく、あまりにも自分たちが楽しむために事前情報を持っていないからだという結論に至ったらしい
「推しができないので、ずっと知らんやつやなあとなる」
「しかし、これは私たちが関東周辺の大学に通ったわけではないから愛着が無いのでは?」
また唯一、駅伝に詳しい弟による「学生連合が10位以内になると来年の予選枠が一つ増える」という情報提供がこの論点の際にあった
この情報提供後、「じゃあ学生連合を応援してみるか」の流れになったかはメモに残っていなかった
現在視点だと、それだけの理由でチームメイト内に絆が一番なさそうな学生連合を応援するのはひねくれすぎているように思う
箱根駅伝鑑賞の楽しさがわからないという話をつづけた結果、「え、じゃあこの道端で応援している人たちって何?」となったようだ
応援している全員がランナーに知り合いがいるわけではないだろうし、出身大学のチームがあるわけでもないだろう
自分たちと同じ状況のはずなのに、わざわざ道に出て応援している人がいる理由とは何だろうと話し合いが行われた
しかし、駅伝に詳しいわけでもないからテレビ内の情報からのみ考察し、「そもそも応援する時間が短い」という指摘があったようだ
「これって一位から最下位までの時間差の間、道に出ていればすべてのチームを応援できるのでは?」
「寒い中で立って応援していて大変なことだと思っていたけど、現在の差だと意外と短くて、30分アニメくらいの長さの娯楽だ」
「だとすると、家の近所をランナーが走る場合、箱根駅伝応援ってわりと気楽にやれる娯楽かもしれない」
駅伝に詳しい弟が見かねて「がんばっているすごい人を応援するのは元気が出る」という意見もあったようだ
暇だったようだ
「正直似合っているとは思えない」
「美容師に何も言えないタイプの人なんじゃないか」というするどい指摘が出た
従妹からの意見だったため、「え?髪型が似合ってなかった場合、女性からそんなこと思われてるの?」と男性陣がざわっとした
何でこの話をその当時メモに残したかわからんし、よっぽど暇だったんだろうなとも思うが、
独身どうしで割といつでも誘いやすかったのにそれができなくなるとか、
自分だけが置いていかれるというか、社会のメインストリームから外されていく感じがするとか、
若い頃はそれもあったかもしれないけど、今となってはそのへんはもう別にそこまで自分を寂しくさせない。
40手前にして結婚すると伝えてきた友人が、
『相手(彼氏)にはずっと「いま住んでる地域から離れない」と伝えてるのに、「転勤についてきてくれ、結婚しよう」と言われた。でもこっちが名字を変えることになるだろうに、住所も仕事も変えさせようとするなんて私のことをなんだと思ってるのか、と腹が立ったから相手に転職させることにした。』
と言ってて、いままで感じてたモヤモヤがわかった。
結婚に際して明らかに私の友人のほうが不利な条件を飲まされたり舐めた態度を取られてるのにそれを当たり前と受け入れてるのが悔しかったんだ。
舐めた態度を取られることを仕方がないこととしてなんの疑問も持たずに受け入れてることとか、それに私が(それ大丈夫なん?)みたいな態度を返すと周囲には勝手に既婚者への僻みということにされたり、それが当たり前、大人のすべき対応みたいに未熟者扱い(?)されたりしたこと、それが嫌だったんだな。
いままでも友人の結婚の話を聞いてきたけど、はじめて何のモヤモヤもなく素直にこれからも応援したいと思えた。
自分のままでいることを諦めないでほしい。
私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位、経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。
これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ。自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ。
私はつねに漠然と死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害(当事者)でもある。私の目に見えるものは本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ。恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。
私には子どもが一人いる。
まだ幼い、母親の庇護を必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般は子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。
私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それから、それから、息子を産まずに済んだのだ。
私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロのテレビ画面に不思議な抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり、子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。
だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初で最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚は合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。
そして母親から望まれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。
16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日のご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。
私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。
私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。
曾祖母は戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母は家業と家事育児を両立させ手作りの洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮の必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。
だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷なものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラも痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。
閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生を言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作の迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生の定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。
2024/08/27 18:28