はてなキーワード: 脳内とは
オール・ユー・ニード・イズ・キルと脳内メーカーの関係性はざっくり2種類。1つは「脳内の自分の過去とあまりリンクしていない結果」。もう1つは「脳内の自分自身の未来を投影した結果」。これをやっている人はもっとすごいんだけど、自分はよくわかっていない。2~3ヶ月前の自分と対極の未来。実はこの未来を、アル中を患いながらも希望を捨てない医師が受け取った。という内容だ。まあ、未来を自分の過去とあまりリンクしないほうが負けだってのはよく昭島市にスターリンが猛ることでわかる。
ゴキブリを一匹見つけたので殺虫剤スプレーを浴びせようとしたのだが、スプレーが空だったため「やめなさい!」と丸めた新聞紙で追い回して仕留めた。
記憶ではスプレーの中身はまだ残ってたはずなのだが、昨日も一匹始末したという話を聞いてたんで「ははあ」と。
つーか、ゴキブリを怖がり過ぎだ!
ゴキブリというのは外見はああだが、咬みついたり、毒針を刺してきたり、寝ている最中に耳の穴から卵管を挿入して卵を産み付けたり、皮下に侵入して中を這いずり脳まで達して死に至らしめたり、脳内で卵が孵化してそのまま寄生したりなんてしない、ただちょっと不衛生極まるだけのすばしっこくて大人しい奴だ!
だからゴキブリには友達に話しかけるぐらいの気軽さで殺虫剤をかけてくれ!
なので。
ほとんどの人が過剰反応してないというかまともに相手にしてないと思うんだけど、
こういう人の脳内ってどうなってるんだろうか
自分が相手に相手にして欲しいのを、相手が自分に絡みたがっていると脳内変換してしまうの、何なんだろうなあ
誰もあんたにそんなに興味ないって
彼は精神疾患なので、
尋問すればするほど、どんどん頭の中の記憶が書き換わっていく。
弁護士の入れ知恵だという人がいるけど、
人を殺したという罪悪感が生じた際に、それを打ち消そうとする脳の働きによって、
「銃が暴発した」という虚構の真実が彼の脳内に生みだされている。
という新しい真実によって上書きされるだろう。
少子化対策は自分に得がないから嫌、海外労働者の受け入れも認められないとなると、後は穏やかな衰退を受け入れるためのプランを作るしかないけどそれでいいのか…?
おそらく生産性の低い地方の田舎の方から、生活インフラの提供範囲を徐々に狭めていって、人間の住める範囲を限定し、国土を自然に返していく。
平成生まれの頑固な老人たちを、子どもや役人が説得して、地方都市や東京圏に移住させていく。
近所で生まれた優秀な子どもたちは、自国の給料の安さや失業率の高さに辟易とし、憧れの海外へ旅立っていく。
京都や東京は観光客が喜ぶように、より「それらしい」木造建築を増やし、観光資源で食い繋ぐ。
接客のストレスを発散するために、俺たちは毎日平成の世の中をシミュレートしたVR世界にフルダイブする。VR世界でテレビを付けると、当時のニュースが映し出される。呑気な政治家たちが国会でどうでもいいやりとりを気長に行なっている。
クソ、お前らが何もできなかったせいで、俺たちは毎日過去の尻拭いをするハメになったんだぜ。
居た堪れなくなり、メインメニューの赤いボタンをタップ、その瞬間に脳内に溢れる多幸感、眠気、すべてどうでも良くなる充足感。一発1,000元、かまうものか。このままここで眠りにつければいいのに…
1位 Cult of the Lamb
他の宗教の奴等を殺して資材を得て、カルト教団を運営していくってゲーム。
カルト教団の中は平和そうだけど、老人になったら生贄に捧げたりして信仰を稼ぐ感じ。
つまり、脳内が子供で止まってる弱者男性の、おっさん趣味にも耐えられるってこと。
2位 モンスターサンクチュアリ(Monster Sanctuary)
ポケモンて、いあいぎりとかで草をかれるようになってステージ進めるじゃん。
そういう感じで、特定の能力持ったモンスターを捕まえて、ゼルダみたいにパズル解いてステージ進める的なゲーム。
絵柄も絵本レベルで可愛いから、やっぱ脳内子供の弱者男性向き。
萌えゲーのカードゲーム的なやつ。萌え女子をひたすら集めていって、萌女子を指示してバトルに勝っていく。
カードじゃなくモンスターだけど、実質カードゲームと同じ感じのシステム。
はっきり言って、弱者男性だけど、こういう萌えゲーは本来好きじゃない。
この批判がまさにそうなのだが、どうもわれわれ日本人は「ChatGPTが一番苦手なこと(≒自分が知らないことを教えてもらう)にChatGPTを使おうとする」という傾向があるらしい。日本の経営者に聞いたChatGPTの使い道のアンケートでは、「仕事で調べものをする時に活用する」が39.3%でトップだ。これが米国の職場でのChatGPT利用法の調査だと、上から順に、
となっていて、情報検索や調べもののタスクは上位5位に入っていない。総じて米国の働き手は、ChatGPTを自分に情報をインプットするためのツールではなく、自分が他人に情報をアウトプットするためのツールととらえている。
深津氏も折に触れて言っていることだが、生成AIは元々「文章の続きを書くAI」であり、それがスケーリング則によって多くの拡張的能力を獲得したものだ。だから一番得意なのは、「プロンプトで与えたテキストを指示通りに加工すること」(校正・要約・分類・翻訳など)と「プロンプトで与えた指示によって、新たにテキストを作り出すこと」(作文・提案・問題作成・コード作成・ロールプレイなど)だ。元々そのようなことを実行するための仕組みなのだから、ここがスイートスポットになるのは当たり前だ。少し触ってみて、何ならうまくいくのか、何だとうまくいかないかを自分なりに検証して結果を見れば、今のChatGPTはテキスト加工器・テキスト生成器として使うのが一番いいということがすぐわかるはずだ。増田自身も
と書いている。その通り。そこが一番使える用途なのだ。つまり元増田も、体感的にはそれがChatGPTの一番得意なことで、情報検索は不得手だとわかっているのに、不得意なことをバリバリやらせて、その結果に失望している。GPT-3やGPT-4は「2021年9月以後の情報は持たない」と折に触れて回答してくるのにも関わらず、生成AIのハルシネーション問題がこれだけ広く注意喚起されているのにも関わらず、それを調べものに使って勝手にガッカリしているのである。
これは元増田だけではない。自分の周囲にも、同じことをやって同じようにガッカリしている連中がたくさんいる。おれは、これが日本人が文化的・歴史的に〈ファンタジーとしての汎用人工知能(AGI)〉に馴染みがありすぎるせいなのではないかと思っている。自律思考型のロボットやアンドロイドが登場する数々の創作に触れ続けたことで、我々には「思考能力を持つ、優れたAI」というものの存在が、脳内に〈リアリティある未来〉としてインストールされている。だから、おれたち日本人は、「AIと対話的なテキストコミュニケーションができる」となった瞬間、その対象に一定の知性を仮定してしまう(これはもちろん、ANI(特化型人工知能)にすぎない今の基盤モデルに対しては、高すぎる期待だ)。そして自分の知りたいことを問いかけては、的外れな答えが返ってくることに失望し嫌悪する。これは「知性のようなものが、実際はそうでなかった」ことに対する、一種の「不気味の谷」反応だ。
上のサーベイで取り上げたアメリカ人のChatGPTの使い方を見ると、彼らが全くそんな幻想を持っていないのがわかる。これはキリスト教圏における、おそらくは宗教的タブーに紐づいた、人間/非人間のあいだに設定された懸隔の大きさと無縁ではないだろう。彼らは、人間以外の存在には軽々しく知性を見出さず、あくまで〈道具として〉ChatGPTを使役する。だから回答の正否を自分で判断できないようなことは聞かない。テキストの加工器として、あるいはアイディアの生成器として使うだけだ。生成された結果の善し悪しは自分が評価し、使うか使わないかを判断すればよい。そういう道具を使って、作業時間を大幅に短縮しつつアウトプットを仕上げる。そのような使い方が、今のところはChatGPTや生成AIの用法のベストプラクティスということになるだろう。
そのことは、マイクロソフトの365 Copilot実装のデモ動画を見てもわかる。スピーカーは、人間が操縦士であり、Copilot(GPT-4ベースのChatGPTの兄弟)はその名の通り副操縦士だとして、両者の主従関係を繰り返しアピールする。Copilotは忠実な僕として、人間がプロンプトで指示したことをやる。娘の卒業パーティのために会場の予約メールから情報を抽出し、友人達に送る招待メールの文面を書き、OneDriveから写真を引っ張り出して、指定したトーン&マナーでパワポを作成し、画像を生成し、アニメをつける。Wordでスピーチの文案を作らせ、みんなから戻ってきたエピソードを適度に切り貼りさせる。あるいは職場で、商談相手に向けたWordドキュメントを補完させ、それをPowerPointにコンバートさせる。Excelで昨期の売上低下要因について考えられる候補をいくつか出させ、そのひとつを掘り下げて分析させ、ボトルネック要素を改善した場合の予測をさせる。
これだけてんこ盛りのタスクショーケースの中に、「ローカル側にデータが存在しないことに関する情報検索・調べもの」が入っていないのがわかるだろうか。つまり、生成AIというのはそういう使い方をするものではない、という話なのだ。
確かにBingは出典リンク付きで答を返してくるが、これはGPTのような基盤モデルにとってはあくまで余技の類だ。本来一番得意な「生成」の能力を制約しつつ、リアルタイムブラウジングの機能を持たせた結果、何とかそのように動作するのであって、逆にBingやperplexity.aiはテキスト生成・加工がめちゃくちゃ苦手だ。つまり「正確な情報を返すこと」と「新たなコンテンツを生成すること」は、現状の生成AIにおいては相反する要請だ。どちらかを重視するなら、それが得意なAIにやらせればよい。
ChatGPTを調べものに使って文句を言うやつは、裁ちばさみで鼻毛を切ろうとしていることに気がついてほしい。とにかくおれたちはアトム幻想を一旦捨てなければならない。生成AIは、知性ではなく道具だ。道具だから、お前が使った通りに動作する。動作結果に不満があるなら、用途が間違っているか、指示が間違っているか、その両方だ。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
何でこれに星が付くのかわからん
でも牛は殺して食う
そういう意味じゃ
「可哀想だから犬を虐待するな」って言いながら「牛うめぇ」っていう奴より
ヴィーガンの方が言ってる事の筋が通ってる
みんな真面目過ぎるんだよな〜。
オレの爪の垢を煎じて飲んでほしい。
好きだった子は、顔は整った雰囲気をキープしてるのに、華のある成長を遂げていた。
イチかバチか… 当たって砕けろ。
それから半年、連絡を取り合ってたけど、まあ進展しないのなんの。
んで、あるとき気付いた。
夢見続けるのって…… QoL低くね?
よく考えると恋が叶う理由がない。
だってオレの方には「普通の男に比べて負けない何か」なんて無いわけで。
コツは、嘘をつかないことな。
「他に好きな子がいて第一志望だったんだけど、無理そうなので諦めた。」
「パッとしない滑り止めにアタックすることにした。」
「オレ、嘘ってあんまりつきたくないんだよね。嘘をつき続けるのは負い目になるからさ。」
「たった一度の人生で、なんで自分らの幸せ以外に無駄なエネルギーを割くの?」
「だから大して好みじゃない女と結婚して、まあまあ幸せな家庭を築いておきたいって思った。」
「どう? 参加しない?」
そうしてC級の女と妥協婚して、早々に子どもを産んでもらった。
スクスク育っていく我が子を見守るのに勝る喜びはない。
若かりし頃はプログラミングこそが人間の知性の到達点たる行為だと思ってたが。
二人の稼ぎでは大学には送れそうにはないが、そのときはそのとき。
岸田首相がなんとかしてくれるさ。
夢を見るのにも、脳内でイメージを作るために精神エネルギーと集中する時間が必要だ。
時間がありふれていた子ども時代には、そのコストは計算に入れてなかった。
テスト問題みたいな机上の空論、ただし時間とイメージ力は無尽蔵にあるものとする、ってね。
生きる意味を問うポエムを書いて、答えを求めて五里霧中をさまよう日々の先で。
なぁ、みんな。正解はいいぞ。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。
「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。