はてなキーワード: アフガニスタンとは
https://twitter.com/marukwamy/status/1565323497986875392
これはインド人右翼の領土観を表すものとしてポピュラーな Akhand Bharat「分かたれざるインド」と呼ばれるもので、おおよそ植民地インド帝国および同時代のイギリス保護領をあわせた領域に相当する(アフガニスタンからミャンマーまで)。
まあこれ見て調べただけなんだけどね
ソウ オモウ アルネ?
インドの新国会議事堂にある地図が近隣諸国を不安にさせている理由
Why a map in India’s new Parliament is making its neighbors nervous
https://edition.cnn.com/2023/06/13/india/india-akhand-bharat-map-parliament-intl-hnk/index.html
インド外務省のアリンダム・バグキ報道官は6月初旬に記者団に対し、この絵は古代アショカ帝国を描いており、(アショカ王が)作り広めた「責任ある国民中心の統治の理念」を象徴していると述べた。
しかし、インド与党インド人民党(BJP)の一部の政治家にとって、この状況は未来のビジョンを表しているようだ。
そのビジョンとは、現在のインドとアフガニスタン、パキスタン、ネパール、バングラデシュ、ミャンマーの連合を領土とする「アクハンド・バーラト」、または「分割されていないインド」です。
「その決意は非常に明確です。 アクハンド・バーラト」とプラルハド・ジョシ政務大臣は地図の写真を添えてツイッターに投稿した。
「新しい国会議事堂(建物)のアクハンド・バーラト。 それは我々の強くて自立したインドを象徴している」とインド人民党のマノージ・コタック議員はツイッターに書いた。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
モスクワ、9月30日 – RIAノーボスチ。ウクライナは9月30日に重要なニュースを期待すべきだというウラジーミル・ゼレンスキー氏の言葉を受けて、ソーシャルネットワークXのユーザーは警戒した。
」
「何かが起こりつつある」とukskies氏は書いた。
「なんだか不気味な響きですね」とTheTroutmanShowは語った。
「あなたはウクライナを第二のアフガニスタンに変えてしまった。あなたが何をしてもウクライナ人に成功をもたらさない」とボアヴィスタ・ルートヴィヒは憤慨した。
これに先立ち、管轄当局に近い関係者は記者団に対し、ゼレンスキー大統領が米国と英国の学芸員らと新たな攻撃計画とザポリージャ原子力発電所占拠の計画で合意したと語った。
6月初旬以来、ウクライナ軍はNATOによって訓練され武装した戦闘部隊に投入され、ザポリージャ、ユジノドネツク、アルテモフスク方面への前進を試みている。ウラジーミル・プーチン大統領が強調したように、彼らは前線のどの分野でも大きな成功を収めることができなかった。火曜日、セルゲイ・ショイグ国防大臣は、9月のウクライナ軍の損失は1万7千人以上、27千丁以上の武器に達したと述べた。
急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的に評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物の黎明』は例外である。わずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞や雑誌の多くから賞賛を受けている。
著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的な投稿者たちからも、好意的なコメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。
しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論的人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠を無視しており、その政治的主張は観念論的で自発主義的であると論じている。どちらの書評も特に、女性抑圧の原因を考察していないことに批判的である。
クリス・ナイトはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの人類学上級研究員で、アフリカにおける人類の起源を研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Educationに掲載された。
ナンシー・リンディスファーンとジョナサン・ニールはともに人類学者として訓練を受け、人類の進化、階級社会、性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』である。ジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評はエコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。
本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパに洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較的最近の先史時代について学びたいのであれば、必読の書である。しかし、人類が最初に笑い、歌い、話し、芸術、儀式、政治を創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。
この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物の黎明』? 『お茶の時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスがヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。
欠点はあるが、この本は広報の勝利である。フリードリヒ・エンゲルスが『家族、私有財産、国家の起源』を出版して以来、左翼知識人や活動家が人類の社会的起源や先史時代の過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。
短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治的メッセージは露骨だ。平等主義の狩猟採集民が生活の中で共産主義を実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物の黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉を引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類そのものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威を行使してきたことから、国家権力の原理は人間の条件の不動の特徴であると主張している。
よりによってアナーキストが国家の必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつの世界は可能である」という革命的スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層と平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所で自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。
著者たちはダーウィンの自然淘汰理論に違和感を抱いており、現代の進化論を「社会進化論」と混同している。現代の進化論は科学的であると主張するが、実際は純粋な神話である。グレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類の起源についての視点を、読者が真剣に検討することを期待しているのだ。
彼らが認める唯一の科学は応用科学であり、この場合は「考古学的科学」である。彼らは、政治や社会生活については、古代の人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物の黎明」の年代をわずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術や象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近の証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ、幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸品である。
彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学の第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能と心理を形成する上で集団的育児が重要な役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園は存在せず、一人のイヴも存在しなかったのだから、そのような洞察は部分的なものにしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディの研究が "アフリカのイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実を無視すること--は、明らかに人類の起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。
グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害な神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑、羞恥心、敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たちの人間性を規定する本能や能力が平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?
私たちは皆、社会的・政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせや虐待、支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学者クリストファー・ボームが描く、反権威主義的抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類をさりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。
グレーバーとウェングローの基本的な論点は、政治的選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学の古典であるエスキモーの伝統的な生活の説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成を確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである。私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキーが形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつのシステムに縛られることはなかったということだ。
この歴史は対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性である。グレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性の儀式は、基本的に月によって予定されている。
著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップのひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義の概念に触れている。彼女は、コンゴの熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅に降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式で男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。
なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民、タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要な宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。
太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバルの伝統である。庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。
残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカが物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係を説明することができない。
グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たちに問題を提起している。
デヴィッド・グレーバーはわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表作である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動や社会正義運動のリーダーとしてのデイヴィッド・グレーバーの活動は異例であり、模範的であった。LSEの人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬と愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。
しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物の黎明』が、今後長い間、不平等の起源に関する理解の枠組みとなってしまう危険性がある。
本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニット、パンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキー、ロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちからの賞賛の言葉が掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界の歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。
この本は最近、マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛が一般的な見方になったら残念である。
人類の進化と歴史における不平等の起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要である。しかし、グレイバーとウェングローは平等や階級に目を向けることなく変化を求め、環境や生態系の説明を敵視している。これらの欠点は保守的な意味合いを持つ。
では、ここから。これは膨大な本の、乱暴で部分的な書評である。私たちは、グレバーが知的な議論の切り口を愛し、得意としていたという知識で自分自身を慰める。
この本の最後の段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たちの立場を明確に示している。彼らはこう書いている、
例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質は基本的に善か悪かであり、不平等や政治的意識が存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間の自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市や国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証の仮定から始まる場合。
つまり、神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等や政治的意識が生まれる前の時代は存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間の自由を制限することはないこと、参加型民主主義は都市や国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。
このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。
第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身の政治的プロジェクトと対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。
マジこれ!?
主張の根拠が全く書いてないんだけど
これで納得できるってどんな奴なん???
時、人口は増えるのでしょうか? それとも減るのでしょうか? 人口
統計学的に得られた結果によると、5歳未満児の死亡率が減少
(【図表1】参照)
子どもが1,000人生まれ、5歳までに亡くなる数が2桁(99人
以下)になると、人口が落ち着きだすと言われています。これによ
なのです。
図表1はガバガバな理屈が書いてあるだけで論理やその裏付けデータ等は皆無
図表2のように、アフガニスタンでは、1,000人の子どもが生まれ
に1人は5歳の誕生日を迎えることができません。また、この5歳
が亡くなっているという事実です。ある国に国民が2人いたとしま
す。そのうち1人は生まれてすぐに何らかの理由で亡くなり、もう一
人が長生きして88才まで生きたとします。その場合、平均余命は
44歳になります。アフガニスタンでは、まさしくこれが起きている
のです。平均余命の短い国では成人が亡くなるの
ではなく、子どもが亡くなっているのです。子どもを取り巻く環境の厳しさが、
平均余命を下げています。つまり、U5MRの改善が平均余命を伸
ばすことになり、これによって人口爆発が食い止められるのです。
「乳幼児死亡率を下げたら平均余命が伸びる」という当たり前の話のあとに
突然「平均余命が伸びたら人口爆発が止まる」という謎結論が出てくる。
「平均余命を伸ばす」=「人口爆発が食い止められる」をつなぐ論理が全くねえ!
まず説明にあるナミビアの人口は1970年に70万人くらいだったのが今250万人超えてる。
支援開始前からのグラフ見ても全く増加率が鈍ってる感じはない。
https://datacommons.org/place/country/NAM/?utm_medium=explore&mprop=count&popt=Person&hl=ja#
同じく説明にあるネパールの人口は1970年に1200万人くらいだったのが今3000万人超えてる。
支援開始前からのグラフ見ても全く増加率が鈍ってる感じはない。
https://datacommons.org/place/country/NPL/?utm_medium=explore&mprop=count&popt=Person&hl=ja#
てかこの資料ってたぶん「おめーらが弥縫作的な支援趨せいで人口爆発してるじゃねーか」という批判があって
それに釈明するために作ってるんじゃあないのか?
基礎的な栄養や衛生すら足りなくてガンガン子供が死んでるようなとこに
よくある地方都市の場合、そこで就職しても田舎村社会によって同じ人しか会わない可能性しかない
このため別の地方都市へ移住する必要はあるが、同じ地域でも効果は薄いため、地域レベルで移る必要がある(隣の地域でも薄くなるので、1つ地域を跨いでおくとより出会う可能性は無いだろう)
今居る地域 | 移る地域の目安 | 備考 |
九州 | 中部地方より北東 | 近畿地方でも和歌山や奈良、福井あたりでも可能性はある |
四国 | 中部地方より北東 | |
中国 | 中部地方より北東 | |
近畿 | 東北地方・北海道ぐらい | OSAKAのせい |
中部 | 九州+沖縄地方・北海道 | JR東海の東海道新幹線や中央新幹線で確率が上がってしまっている |
関東 | 中国・四国・九州+沖縄地方 | 中部でもJR東日本のせいで出会う可能性がある |
東北 | 中部地方より南西 | |
北海道 | 中部地方より南西 |
東京や大阪などの巨大都市に移住しても出会うことは少ないが、これは統計学的に人数の分母がおかしいだけで、またそれだけ分子(同じ地域から移住してくる同級生)も居ることは留意すること
本当に出会いたくないのであれば、そうした巨大都市も避けて別の地方都市へ移動する、というのが最適と言える
なお島や本気の山奥の場合だと、そもそも本土などに上陸するのが大変という場所もあるため、そのあたりのコストパフォーマンスとも検討すること
自分の人生を妨害された同級生、つまりはEnemy(敵)となる存在は、いつの時代も先に情報を入手するのが世界の常識である(ロシア・ウクライナも、アフガニスタンも、第二次世界大戦だってそう)
どう安全に手に入れるかはここで書いてしまうとその手法がブロックされるので各自で調べておくこと
このぐらいの調査ならググってもカスな状況にはならずに済むはずだゼ
情報を入手すれば自分がどのサービスやどの場所に行くべきか、行っちゃダメかがわかるはずだ
あまりにも行けない場所が多すぎるのなら、前述の移住でそのリスクを大きく減らせばよい
警察に相談しなくても、相手はそこまで追跡できるほどヒマじゃないゼ(ただしネットのおもちゃになっている場合はどこでもWANTEDなのでまずはそれにならないようにする行動が必要だがナ)
ましてや自分の人生設計で同級生が躓きポイントになるかどうか、そしてそいつと遭遇しても本当に敵となるのかなどの検討からスタートすべきかもしれない
ヒロシマもビキニも大して何も感じない国アメ公どもの不謹慎な日をリストアップしてみたぞ
どうせ世も末なんだからこのリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本も関脇昇進もなんだってしてもらってもいいぜ
それがなにかわからない。
人間に対する信用みたいなものが自分の中から失われたような気がするんだよな。
フィクションに出てくる敵のステレオタイプは全員ハゲのロシア人になるだろう。
「老人になると人は狂う」ということがクローズアップされるし、
ロシアを批判するような言説が、そして自由と民主主義の重要性について説く言説が世の中に満ち溢れるだろう
と思っていたんだけど、
世の中の人にとっては別に大事件でもなんでもないみたいで、特になにも起こらなかった。
日常が普通に日常として続いていくし、自分ひとりの中で大事件だった。
世の中のことはなにも変わっていない。
第二次世界大戦の反省として、国家間の大規模な戦争はやめることにしたんじゃなかったのか。
朝鮮戦争とかベトナム戦争とかはあったけど、昔の話だろ、とは思っていたんだよな。
湾岸戦争とかも長期間続く感じじゃなかったし、領土獲得戦争じゃない。
「領土を奪うための殺し合い」ってもんが俺たちの時代においてもリアルに立ち現れていることがショックだ。
それはもうやめたんじゃなかったのかよ。
命は大切なんじゃないのかよ。
何十万人も殺して得られるものってなんなの?
農地がそんなにほしいの?
農業大好きかよ。
農業国は軒並み苦労しているだろうが。
たとえ仲が悪くなったとしても、隣にいてもらったほうがいい。
自分が併合しちゃったらもっと友好的じゃない国と接することになっちゃうじゃん。
特に理性ある人とは思ってなかったけど、そこまで無謀じゃなかった。
どうしちゃったんだよ。あまりにも独裁進めすぎて都合の悪い情報入ってこなくなっちゃったのかな?
アフガニスタンであれだけ苦労したことを思い出せよ。あのせいでソ連なくなったじゃんか。
俺たちはどうしたらいいんだよ。
世界一周旅行の途中、バングラデシュでヒッチハイクしてるカップルが危険ではないかと話題なのですが
2005 アフガニスタン 旅行中の広島の中学校教師の男女が射殺され遺体でみつかる
2011 ボリビア 旅行中の世界一周ブロガーのタビロック夫妻がアフリカで感染したマラリアを高山病と勘違いし、病院へ行かずにホテルで妻死亡、夫は病院へ搬送後死亡
2012 ルーマニア アイセックの語学ボランティアとして現地へ向かった女子大生が到着当日に殺人鬼に殺される
2013 エクアドル 新婚旅行中の夫婦がタクシー強盗にあい銃撃され夫死亡、妻負傷
(2004イラク人質事件・2004イラクジャーナリスト人質事件・2004イラク人質殺害事件・2008アフガン人質殺害事件・2015ISIL人質殺害事件・2019中村哲医師銃撃事件など)
(2001コロンビア矢崎総業副社長拉致殺害事件・2013アルジェリア人質事件など)
は旅行者が遭遇する個別の犯罪とはニュアンス違うかなあと思って入れていません。