はてなキーワード: ほととは
文化的にもシステム的にも変更に手間が無い、そもそも全く大した問題ではないのは確か。
はっきりいってどっちでもいい。
女性が仕事で必要な場合があるっていう話もあるけど、現行でも名刺だけ旧制のままやってる人とかいるしな……。別姓にしたとしても、銀行や役所に書類出すのめんどくさい手間が無くなる程度がメリットだと思う。あれば嬉しいかもしれんが、やっぱりどっちでもいい。
どっちでもいいんだけど、爺さん婆さんの中にはやっぱり「家を守る」みたいなこと言われて育って実際に自分もそうしてきた人たちがいて、そういう人たちの心情を変えるのは手間……というか不可能だ。
少数の爺さん婆さんの老い先短い心情を慮るか、書類の手続きがめんどくさい女性の手間を慮るか、の2択になる。どっちかは切り捨てることになる。
でも、結局はお気持ち以外どっちでもいいんだから、俺は爺さん婆さんの心情を当面慮ればいいと思うけどな……。
だってそのうち死ぬから。べつに急いでやらなくても死んでからでいいと思う。
最近読んだんだけど、フェミでもBLMでも、近頃のネットで話題になっている社会問題のあれこれは、ほとんどが「変化が自分が死んだ後完了するぐらいゆっくりだけどいいか」にかかっている。世代が代わるごとに差別が無くなっているのも平等に近づいているのも自明だ。
それを待つことができない人たちが、または近視眼過ぎて遠い未来の変化が予想できない人たちが騒いでいるって感じがする。
夫婦別姓に熱心な人たち、今それができないことを、永遠に夫婦別姓が成立しないことと同一視してると思うんだよな。
ジジババが死んだ後ではだめなのか、ということをそもそも考えてないと思う。
「newnではとにかく“ダサいことはやらない”と決めています。例えば、人のコンプレックスを刺激するような広告や、訴求の仕方は絶対にやりません。広告を打てば計画通りに数字は伸びていきますが、それを続けたとしても『広告の工夫』になってしまう。これだけ良いものが伝わりやすい時代だからこそ、広告以外の部分を工夫した方が絶対に早く成長しますし、そっちの方が現場も絶対に面白いと思います」
こんな偉そうなこと言うんだったらまず、過去の自分がやったことについてきちんと謝罪して、その反省の上に自分が立っていることを表明してほしい。
昨日のWein溝口氏の件もそうだが、悪いことは有耶無耶にして、事実に真摯に向き合わず、ほとぼりが冷めた頃にしれっと復活というのは誠実さに欠けるしそういう人が有名人になってはいけないと思う。
僕は儲けのためにインターネットの理念を歪めた中川綾太郎さんを一生認めるつもりはないし、あの件について正面切って謝らない限りは今後どんな美辞麗句を並べても絶対に信用しない。
自殺率は日本人だけ見れば男性と比べて女性が低いように見えるけど、国際的に見ると日本は非常に女性の自殺率が高い国。
https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0305/sp3.html
男性に自殺が多い:これもまったくその通りで,ほとんどの国で男性の方が女性よりも自殺率が高い。日本でも男性の自殺者は女性の2.5倍である。現在のように中高年の男性自殺者が急増する前(例えば1997年)はだいたい2倍だった。男性が女性の2倍というのは世界的に見ると小さな数字だ。先進国ではやや特殊な部類に入る。米国では男は女の4.2倍,英国は3.6倍だ。日本では女性の比率が高いことがわかる。実際,WHOが把握している99カ国の自殺率を男女別に比較すると,日本は男性では世界12位,女性では5位になる。日本でも男性の方が自殺者は多いが,日本は女性の自殺率が高い国といえる。
個人的な感情で人種差別と書いてしまったが、マレーシア政府からするとマレー人優遇政策らしい。が、正直人種差別だとしか思えないのでタイトルではそう書いた。
マレーシアは多民族国家である。2018年のデータでは、マレー系69%、中華系23%、インド系7%という人口構成比となっている。
中華系マレーシア人は19世紀ごろに中国南部から渡ってきて定住している人たちや、植民地時代に労働者としてヨーロッパ諸国に連れてこられた人たちの子孫である。
今回は主にマレー系マレー人と中華系マレー人の断絶について語っていく。
あくまで全体的な傾向だが、マレー系の人は良くも悪くもおおらかである。細かいことは気にせず、10時に始まる授業が始まるのは11時だったり、12時だったり、15時だったりした。基本約束は守らず、お店の人はずっとスマホを見ていたように思う。
一方中華系の人は、勤勉な人たちが多かった。何事にも一生懸命、留学したり、インターンをしたり、積極的な人が多かった。
全く違う性質を持つ2つの民族間の断絶は大きかったと思う。仲が悪いわけではないが、少なくとも私が住んでいたクラスの席は人種ごとに分かれ、ランチも、ショッピングも、人種が交わったグループで行われることはなかった。日本人の私は、マレー系の人からは「中華系の人たちは働きすぎて余裕がない。あんな働いてどうするんだろう」と、中華系からは「マレー系の人たちはあんなに怠惰でひどい」とよく言われていた。
こうしたことから生まれるのは経済的格差である。マレーシアは資本主義をとっているので、勤勉に働く人がお金を得られる。つまり、多くの経験をつみ、起業したり大企業で働く人の多くは中華系である。こうしたことで、経済を回すのは中華系の人々で、マレー系の人々は農業などの一次産業に従事するという構図が出来上がった。
ここに待ったをかけたのがマレー系の人々で、マレー系の人々を優遇することで、マレー系の地位を守ろうとした。そのための政策が1971年にうまれたブミプトラ政策である。
教育は、日本で言えば高校入試において男女別に枠を設けているのと同じようなものだ。こうした場合、性別ごとの最低合格点が異なることで不公平が生じることがある。マレーシアの国立大学では人種ごとの合格枠の比がその人口比とかけ離れているため、優秀な中華系が大学に落ち、マレー系ばかりが合格するということが多発した。
就職は、中華系の人には職業選択の自由が保障されていないということだ。中華系の人は、公務員にはまずなれない。もしなれても昇給などで不当な扱いを受ける。私の友人の中華系マレーシア人も、子供の頃から警察官に憧れていたが、途中で自分はなれないことを知って、その時はとても悲しかったと言っていた。
減税はそのまま、マレー系の人たちは車や家に関する税がかなり優遇されている。低金利ローンや住宅購入時の割引などもある。また、会社もマレー系の人が経営している場合はかなり税金の優遇措置がある。(中華系の人は、無能はマレー系を人形としてトップとしておけばいい、なんてジョークをよく言っていた。)
国際的な批判(マレーシアは人種差別撤廃条約を批准していない)や、中華系(や、とばっちりで差別されているインド系)の人たちの反発があり、ブミプトラ政策の緩和を推進する動きもある。
しかし、マレーシアは民主主義国家であり、マレー系の人口は全体の69%であることから、ブミプトラ政策の緩和という政策は話題になっては消えるということを繰り返してきた。
最近では2019年に選挙の結果首相となった93歳のマハティール氏の支持率は当初79%であったが、ブミプトラ政策を見直す姿勢を明らかにしてから、下院議員や州議会議員の補選で与党は3連敗し、支持率も39%まで低下し、デモも多発した。
もともとマハティール氏は昔も首相であったが、その際もブミプトラ政策の見直しをしようとして野党に転落した。
こうした背景もあり、実際ブミプトラ政策の撤廃は難しく、もし撤廃される日が来るとしてもそれはかなり先のことだろう。
マレーシアのことだから差別的だと思ってしまうが、他の国から来た何世とか言われる人たちが日本の富のほとんどを持っていて、政治的主導権も持ってたら、多分私もそれを良しとは心から思えないから。
俺は転職経験者として転職をおすすめする。自分の理想が高望みかどうかなんてチャレンジしてみないとわからないからな。
でも転職を決断するには自信か開き直りが足りないんじゃねーかな。
俺も増田と同じで転職活動を途中でやめたことがあるからわかるけど、エネルギー使うし転職後も不安だしでしんどいんだよな。
そんな状態だと内定出ても今の会社に引き止められたら内定辞退しちゃうかもな。というか俺は辞退しちゃった。
とはいえ会社や仕事に対する不満が解消されたわけじゃないから、結局その後しばらくして転職したけどね。
ただ俺は増田と違ってずっと現場で手を動かす仕事をしてたから、技術力や市場価値に対する不安はほとんどなかった。
といっても大した実績があったわけじゃなくて、周りはプライベートどころか業務時間中すら自分が使ってる技術の勉強をしない人らばっかりだったから、そうじゃない自分はなんとかなるだろっていう漠然とした自信があっただけ。
おまけにSI業界の最下層下請けだから高い給料や社会的地位みたいな失うものもない。
(それよりも社会人としてやや難ありだったから労働環境とか人間関係とかが変わるほうが怖かったわ)
だから俺は最終的に転職へのモチベーションが不安を上回ったから転職できたんだろうと思う。
そういう観点でいうと増田は心配や不安のほうが勝ってるだろうし、失うものもある。
(本筋と関係ないけど増田の収入は客観的にも高いほうだぞ。30代男性の年収って平均でも500万以下、中央値だと300万代とかだったはずだ)
増田も業務外に勉強してるんだから今からでもITエンジニアとして伸びる下地はあると思うけど、まあインターネットで匿名のやつにそんな事言われても自信にはつながらんよな。
俺が開発の仕事にちゃんと自信持てたのは、はじめて(既存システムの改変じゃなくて)1からシステム構築したときとか、自分主導でお客さんのヒアリングした仕事を完遂したときとかだった。
そういう手応えみたいなものがあればわかりやすいんだけど、増田は会社で技術に関する手応えが得られる仕事ができないから、自信がない→転職できない→自信がない→...の無限ループになってしまっている。
自分の市場価値が無いことを気にしてるみたいだけど、それも同じ無限ループ。
そこから抜け出すには仕事以外でなにか人目に触れる活動をやってみるとか、こっそり副業でフリーランスやるって手もある。自分の周りはそうやって転職・独立してる人がけっこういる。
なんにせよ行動してみないと自信って生まれないと思うので、自信が持てそうな具体的な行動目標を探してみたらどうだろうか。
とはいえ家庭があるとなかなか仕事以外の時間は確保しにくいかもしれないよな。
それならもう開き直って自信も市場価値もなくても転職してしまうという手もある。
まともなエンジニアとしゃべるのが怖いと書いてたから技術力コンプレックスみたいなものがあるのかもしれないが、経歴も実績もないものはないのだから現実を受け入れるしか無い。
正直に話して拾ってもらえる会社に転職だ。そもそもITエンジニアなんて一生勉強なんて言われてる職種なんだからそこは大目に見てもらいやすい。
まあ、実際に転職できても、戦力外だし、年下の方が技術力も立場も上だし、他の中途組には経験でも敵わんし、全然うまくいかないわってなるかもしれないが仕方ない。
だって10年間レガシーまみれのキャリアを送って来てきたんだからそれはもうしょうがない。
それでも歯を食いしばってもっかい新卒入社したつもりで頑張れば増田が思うような理想のエンジニアになれるかもしれない。
もし増田の理想のエンジニア像に「若くしてイケイケのベンチャーで最新の技術をリードしてネットの知名度も年収も高い」みたいなイメージが含まれてるならたしかに「今さら」無理だと思うわ。
でも「技術で課題解決できる」エンジニアとか「合理的で先のある判断ができる」エンジニアにはその気があればいつでもなれると思うぞ。
女に生まれて不満とか後悔とかほとんど感じずに、割と女でよかったなと思って生きてきた方である。
だけど夜に自由にお散歩に行けないのだけはちょっとだけ困っている。好きに散歩すれば良いじゃないかと思われるが、お恥ずかしながら一人娘であり箱入りなので、夜に一人でふらふら出歩くのは言語道断だし、基本的に大丈夫だとは思ってても、住んでる地域の治安があまりよろしくないので……ちょっと怖い。
だからといって男がいるせいで、とは思わないし、誰かを責めたりはしないけど、夜の空気をいっぱい吸いながら一人であてもなく歩いてみる感覚を少しだけ味わってみたいな〜とは思う。
犬飼えばいいのかとも思ったけど、深夜に犬叩き起して散歩行くのかわいそうな気もする。
反応もらって気付いたけど別に男だから危険はないとかそんなこともないな〜と感じた。男も女も、というかそうなると夜に散歩を楽しみたい人間はどうすれば安心できるだろう。諦めてリスクごと味わうしかない? ハイリスクローリターンな気がするな…。
選べる選択肢が多い状態を「自由」とするならば、子どもの頃ほどより自由であると言えそうだ。
歳を取れば取るほど、選択を繰り返し、その幅は徐々に狭まっていく。
死を待つ床の上では、わたしたちに選択肢はほとんど無いだろう。最後に食べるものの選択や、言い残す言葉を選ぶくらいはできるかもしれない。
大学生だった頃、少ない友人とよく連んで話をした。
山岸(仮名)は服が好きでおしゃれなやつだったが、社交性はなく引っ込み思案なところがあった。根本(仮名)は世間ズレしたやつで、いつもほぼ同じ服を着ており遠くからすぐに見つけることができた。わたしは大学に入ったことがゴールのようになっていて、目標を失ってふてくされていた。わたしたちは共通点があった、3人とも友達を作ることがおそろしく苦手だった。同じ学部の隅っこに追いやられた3人は、しょうがないから連携をした。
3人は部活やサークルを見学に行ったが入らず、授業以外の時間はいくらでも空いていた。概ねバイトで時間を潰したが、それでも時間は余っていて、よく集まっては議論した。社会情勢のこと、株価のこと、単位の取れる講義のこと、世の中への不満、恋愛観、自分たちのあるべき姿。議論、といっても着地点のすり合わせは行わない。ただただ自分の思ったことを話し、時に反発し、たまに少しだけ納得した。大学の周りのほとんど何も無いような夜道を歩きながら、ああでもないこうでもないと話し続けた。おそらくお互い以外に話し相手がいなく、ある種の発散として議論は行われていた。
大学卒業のタイミングにはズレがあったが、3人とも無事に卒業はした。山岸はちゃっかり銀行系、根本は働きたくないと言いながら派遣、わたしは夢を追ってクリエイティブ系。同じ大学、同じ学部の吹き溜まりからでも進路は分かれるものである。
わたしたちは生き方についてよく話した。無難に生きるか?趣味こそが人生なのか?何かを成し遂げることこそが生きる意味なのか?話しに話したが、3人の進路を見ると始めからあるべきようにあっただけ、3人とも議論の中で人生の方向性が変わったことはなかったのだろう。
きっと、自分を肯定したい、もしかしたら肯定してほしいと思って話していたのだ。変わらない自分、そうあるべき自分像を固定するために、言葉を並べてあるべき姿を描き続けたのだ。昼も夜も、何年間も、ずっと。
ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。
自分は33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市に暮らしている。
会社は子会社系のSIer。新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的な時代遅れの会社だった。
正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料は年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間の残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分の市場価値を考えれば高いと思っている。
一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術も会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持がモットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。
こんな環境に危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京の求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷な面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートでプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分でブレーキを踏んでいたんだ。
そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社にインパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシーな技術たちだ。
「SIerはPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社に見積と作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。
それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレのサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。
「このままGitHubもクラウドもDockerもBacklogも使わず、(自称)エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。
個別の技術に思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術で課題解決したいと思って入ってきた世界だからさ、会社の前例やルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。
結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドもWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)
じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールとかいろいろあって無理なんだって。
年代的には技術とリーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーなシステムの保守でそのほとんどが業務よりの仕事でなんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。
転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。
思考がネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。
現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供が小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。
安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社で活躍する未来は思い描けない。
よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分の仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。
今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりのギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。
【追記】
便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。
共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。
みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。
今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。
コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。
やってみる勇気、前向きな思考、フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社やエンジニアが眩しく、現職に不満が募る。
思考をアップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。
この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。
昔から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブな人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。
それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分に能力が無いと卑下しているからなんだろう。
と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。
これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。
永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。
具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーだから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化そのものが問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。
・年収について
高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。
東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。
我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカーで注文住宅建てたり市街地の高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。
ローベール・フォーリソンという、リビジョニストでおそらくは最も有名と言っていいフランス人がいた。いた、というのはこのコメント時点の3年前に89歳で亡くなったからである。
フォーリソン氏は、1970年前後くらいからホロコーストに疑問を持ち始めたらしい。そして、1974年ごろにイスラエルにあるホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェムと呼ぶ)に長大な長さのホロコーストについての疑問をまとめた書簡を送った(無視されたようであるが、当たり前だと思うw)
フォーリソンがホロコーストに疑問に思ったのは、ざっくり言うと、世間で言われている内容が変だからだ。
例えば、テレビか何かだと思うが、ガス室と呼ばれた部屋に、窓ガラスがあったんだと。どんな映像か知らんけど、とにかくそんな画像か映像かを見たんだと。
そんなもんがガス室なら、ガラス割って逃げればいーじゃねーかと。
多分だけど、テレビか何かが間違って伝えたんだと思う、実際に戦後に残っているガス室とされる部屋にはそんな箇所はないからだ(あるにはあるがそれはまた別の話だからしない)。
で、そうしたいろんな疑問があるとフォーリソンは認識し、ついにあのアウシュヴィッツへ赴く。
そして、今現在もある有名なアウシュヴィッツのガス室に、アウシュヴィッツ博物館の案内係と一緒に赴く。
ここで重要なのは、フォーリソンはもはや既にガス室など信じてはいないのである。ヤド・ヴァシェムに大量の書簡を送りつけるほどガチである。
つまり彼は、シャーロック・ホームズの気分だったのである。どっかにアラはないかという視線しか彼にはない。
そして、ついに発見する。そのガス室の隣の部屋にある、いわゆる遺体の火葬炉の、遺体を入れる口元に、指で触れると煤がない……と。
先に答えを言っておくと、その火葬炉は、戦後に再現されたものだ。戦時中1944年中頃に、ガス室と火葬炉のあるクレマトリウムごと防空壕に作り替えてあったので、ポーランドが博物館にするために、もう一度ガス室に見えるように再現工事をしたのである(おいそこ!、戦後の捏造だとかゆーなw)。
その時に、撤去してあった火葬炉を元の姿に見えるように再現したのである。だから一部部品がなかったりする。
そしてフォーリソンは「やっぱりか!」という心境になったのか、一緒にいた案内係に向かってこう言った。
「ここは当時のままなのですか?」
すると案内係は
「はいそうです、当時のままです」
と答えた。
するとフォーリソン
(明らかに嘘を付いている、これはこのガス室を捏造したことを隠蔽しているに違いない!)
と確実な疑念を持つようになる。
だって、ガス室への疑問を持つのは構わないが、火葬場は別である。そこは間違いなく元々火葬場であり、ガス室とされているところは、最初は死体置き場だったからである。
図面もちゃんと残っているしガス室とは書いてないが死体置き場ときっちっと書かれていて、実際その図面をフォーリソンはその後すぐ入手しているのである。
実際、著名リビジョニストの全員だと思うが、誰一人、そこがが火葬場だったことに異議を唱えた人はいないはずである。
火葬炉の燃焼能力に疑問を持つのは否定派の定番だが、存在自体を疑った人は誰もいないであろう。
だからちょっと考えるだけで、煤の疑問は「再現されたからだ」とわかったはずである。あるいは疑問の根拠になってなかったのだ。
そして、それとは別に、フォーリソンはアウシュヴィッツ収容所の敷地内に、例の、否定派には有名なアウシュヴィッツのプールを発見する。
ところが、フォーリソンはそんな感じで「隠蔽」を疑っているものだから、案内係がプールに案内しないのはおかしい!とまた疑う。
(どうして絶滅収容所であるはずのアウシュヴィッツ収容所に娯楽用のプールがあるのだ? そして案内係はプールに案内しない・・・怪しい、隠す気だな?)と。
プールは1944年半ば頃設置の防火用であり、親衛隊がどう言うわけか飛び込み台まで設置させて娯楽用としても使えるようにしたのだが、そこはアウシュヴィッツ基幹収容所であり、絶滅現場のビルケナウではないし、虐殺なら1941年から始まっている(絶滅は1942年春である)。
ていうか、プールがあったからって何なんだ? プールがあったら残虐なことしてはいけないとでも言うのか?
この発想がのちに、劇場があるとか(敷地外に、元々ポーランド軍兵舎だった時代からあるのだが)、図書館だとか、そんな話につながっていく。
しかしだ、ガス室を始めとする歴史的存在である収容所を案内するのに、どうしてプールまで案内する必要があるのだ?
それじゃ、案内に関係のないボイラー室とかゴミ置き場とか全部案内しろとでも言うのか?
そんなことしたら、何日あっても案内が終わらないぞ。
さらに、細かい事実はあんまり知らないんだけど、フォーリソンはテレビか何かでおおっぴらにホロコーストへの疑問を公言するようになったものだから、とうとう逮捕されてしまう(民事かもしれないがその場合は読み替えて欲しい)。そして、上で述べたクレマトリウム1の捏造疑惑の話が裁判で出たのだが、検察側は戦後の再現である事実を証明するために、ある証人を出廷させる。ポーランド人でその再現工事に関わった人物である。証人は、工事内容を語り、煙突を再現したことや、ガスを落とすための天井の穴を再び開けたことなどを証言した。元々あった穴をコンクリで埋めてあっただけだから、簡単に開けることができた、と証言した。ところがフォーリソン、再現工事をした動かぬ証拠となる証言者に、疑惑を抱く。
(おかしい。私が疑っただけで、こんなにタイミング良く証人が出てくるとかあり得ない!)
と。いやいや待て。フォーリソンがそう主張するから検察が探してきたんだろ!
一応、アウシュヴィッツ博物館は戦後からずっとあるので、戦後に行われた工事関係の残っている資料でも漁れば、業者くらい簡単に見つかってもおかしくない。博物館だって積極的に協力するっつーの。
一事が万事この調子で、フォーリソンの信念が逮捕・有罪判決如きで覆ることはあり得ず、有名なホロコースト否定論裁判であるカナダのツンデル裁判にもほとんど裏の支配者(ほとんど表に出てるけどなw)として様々なアイデアや指示を与え、あの有名なロイヒター報告の最初の提案者にもなっているくらいである。彼には有名な決まり文句が二つある、その一つが、、
である。だからロイヒター報告の調査をやらせたのだ。彼らはこれが世界初のアウシュヴィッツガス室への法医学調査だと思っていたらしいが、実はそうではない。アウシュヴィッツ解放後にポーランドの地元、クラクフ法医学研究所がすでに調査をやって、青酸成分をすでに検出していたのであるが、その信憑性はともかくとして、二番目である。そしてロイヒター報告後に、同じ機関であるクラクフ法医学研究所が、再び詳細な調査(ロイヒターより遥かに精度が高い)を行なって、やはり青酸成分をきっちり検出している。
だが、このロイヒターとクラクフの矛盾を、フォーリソンは一方的にクラクフは正しくないとして無根拠に否定する。フォーリソンに言わせれば、陰謀当局がロイヒター報告に震え上がって、慌てて否定する調査報告を出したに違いない、となるのである。
こんな感じでどんどんフォーリソンは自身の信念をがっちり固めていったのである。こうなるともはや何を言っても聞かない。フォーリソンの決め台詞はこうである。
「私に一つでも証拠を! 一つでも証拠さえあればホロコーストがあったと認める!」
―あるわけない。だって、それはフォーリソンだけが納得する証拠だからであり、具体的にどんな証拠なのか絶対に言わないからだ。その上、どんなに確実な証拠を示したところで、フォーリソンの前では陰謀にされてしまうのだからwww。アメリカの有名な疑似科学批判者であるマイケル・シャーマーがフォーリソンに「具体的にどんな証拠が欲しいのですか?」と聞いても、答えは返ってこなかったそうな。なお、このセリフを真似しているのが西岡である。
ともかく、フォーリソンに反論なんかすると、それは全部、いわゆるユダヤ人の陰謀工作なのである。今でも例えばJアノンとかがそんな感じだと思う。ともかく、ホロコーストやガス室に対して、様々な証拠で確実性が高められたとしても、それはフォーリソンにとっては全く逆の効果を示し、「おかしい……そんな都合よく、後から後から証拠が出てくるのはあまりにも不自然である」にされてしまう。
フォーリソンが如何にガス室虐殺を認めなかったかということを示す興味深いエピソードがある。
フォーリソンほどではないにせよ、同様にホロコーストに懐疑的であったプレサックと言う薬剤師がいた。フォーリソンは確かにホロコーストについて博学なので、ホロコーストをモチーフにした小説を書く計画を持っていたプレサックは、フォーリソンに近づき、一時期一緒に共同研究ぽいことをやっていた。ある時、ナッツバイラー収容所のガス室の証拠とされていた資料を一緒に調べていたら、プレサックはフォーリソンがおかしいことに気づく。ある資料にどう考えてもガス室による殺害としか考えられないデータが記載されていたにも関わらず、「いやそれはたまたま書き間違えたのであろう」と、全くの無根拠で否定してしまったらしい。そしてそれがきっかけで、超優秀だったプレサックはフォーリソンと袂を分ち、自分で徹底的な資料調査(それまで一級の学者ですらそこまで調査したことのないレベルである)を行い、アウシュヴィッツのガス室で虐殺が行われたことを証明する、界隈では有名な『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』を出版するのだった。これについてフォーリソンはどう思っていたかは知らないが、プレサックに修正主義者から足を洗わせたのは間違いなくフォーリソンの責任である。
ともかく、フォーリソンはガチでホロコースト否定教の教祖(始祖ではないが)になってしまったのである。ホロコーストが実際にはなかったと固く信じて疑わなかった稀有な人だろう。
リビジョニストでホロコーストがほんとになかったと心の底から思っていたのはフォーリソンだけだと思うよ。
あんな、キチガイじみた発想ができるのはフォーリソンを除いていないと思う。
他のリビジョニストはもっと論理的に話を進めるけど、フォーリソンはレベルがまるで違う。
悪意は全くなく、本気で信じてたわけだから。
現代のいわゆる一般的な市民否定派さんたちはある意味可哀想だと思う。だって、プールとか音楽隊とかの疑問を持ち出した始まりはこのフォーリソンだよ?
知る人ぞ知るYoutubeの例の動画にもある、プールの話。あれはフォーリソンが始まりなんだ。
ローベール・フォーリソンという、リビジョニストでおそらくは最も有名と言っていいフランス人がいた。いた、というのはこのコメント時点の3年前に89歳で亡くなったからである。
フォーリソン氏は、1970年前後くらいからホロコーストに疑問を持ち始めたらしい。そして、1974年ごろにイスラエルにあるホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェムと呼ぶ)に長大な長さのホロコーストについての疑問をまとめた書簡を送った(無視されたようであるが、当たり前だと思うw)
フォーリソンがホロコーストに疑問に思ったのは、ざっくり言うと、世間で言われている内容が変だからだ。
例えば、テレビか何かだと思うが、ガス室と呼ばれた部屋に、窓ガラスがあったんだと。どんな映像か知らんけど、とにかくそんな画像か映像かを見たんだと。
そんなもんがガス室なら、ガラス割って逃げればいーじゃねーかと。
多分だけど、テレビか何かが間違って伝えたんだと思う、実際に戦後に残っているガス室とされる部屋にはそんな箇所はないからだ(あるにはあるがそれはまた別の話だからしない)。
で、そうしたいろんな疑問があるとフォーリソンは認識し、ついにあのアウシュヴィッツへ赴く。
そして、今現在もある有名なアウシュヴィッツのガス室に、アウシュヴィッツ博物館の案内係と一緒に赴く。
ここで重要なのは、フォーリソンはもはや既にガス室など信じてはいないのである。ヤド・ヴァシェムに大量の書簡を送りつけるほどガチである。
つまり彼は、シャーロック・ホームズの気分だったのである。どっかにアラはないかという視線しか彼にはない。
そして、ついに発見する。そのガス室の隣の部屋にある、いわゆる遺体の火葬炉の、遺体を入れる口元に、指で触れると煤がない……と。
先に答えを言っておくと、その火葬炉は、戦後に再現されたものだ。戦時中1944年中頃に、ガス室と火葬炉のあるクレマトリウムごと防空壕に作り替えてあったので、ポーランドが博物館にするために、もう一度ガス室に見えるように再現工事をしたのである(おいそこ!、戦後の捏造だとかゆーなw)。
その時に、撤去してあった火葬炉を元の姿に見えるように再現したのである。だから一部部品がなかったりする。
そしてフォーリソンは「やっぱりか!」という心境になったのか、一緒にいた案内係に向かってこう言った。
「ここは当時のままなのですか?」
すると案内係は
「はいそうです、当時のままです」
と答えた。
するとフォーリソン
(明らかに嘘を付いている、これはこのガス室を捏造したことを隠蔽しているに違いない!)
と確実な疑念を持つようになる。
だって、ガス室への疑問を持つのは構わないが、火葬場は別である。そこは間違いなく元々火葬場であり、ガス室とされているところは、最初は死体置き場だったからである。
図面もちゃんと残っているしガス室とは書いてないが死体置き場ときっちっと書かれていて、実際その図面をフォーリソンはその後すぐ入手しているのである。
実際、著名リビジョニストの全員だと思うが、誰一人、そこがが火葬場だったことに異議を唱えた人はいないはずである。
火葬炉の燃焼能力に疑問を持つのは否定派の定番だが、存在自体を疑った人は誰もいないであろう。
だからちょっと考えるだけで、煤の疑問は「再現されたからだ」とわかったはずである。あるいは疑問の根拠になってなかったのだ。
そして、それとは別に、フォーリソンはアウシュヴィッツ収容所の敷地内に、例の、否定派には有名なアウシュヴィッツのプールを発見する。
ところが、フォーリソンはそんな感じで「隠蔽」を疑っているものだから、案内係がプールに案内しないのはおかしい!とまた疑う。
(どうして絶滅収容所であるはずのアウシュヴィッツ収容所に娯楽用のプールがあるのだ? そして案内係はプールに案内しない・・・怪しい、隠す気だな?)と。
プールは1944年半ば頃設置の防火用であり、親衛隊がどう言うわけか飛び込み台まで設置させて娯楽用としても使えるようにしたのだが、そこはアウシュヴィッツ基幹収容所であり、絶滅現場のビルケナウではないし、虐殺なら1941年から始まっている(絶滅は1942年春である)。
ていうか、プールがあったからって何なんだ? プールがあったら残虐なことしてはいけないとでも言うのか?
この発想がのちに、劇場があるとか(敷地外に、元々ポーランド軍兵舎だった時代からあるのだが)、図書館だとか、そんな話につながっていく。
しかしだ、ガス室を始めとする歴史的存在である収容所を案内するのに、どうしてプールまで案内する必要があるのだ?
それじゃ、案内に関係のないボイラー室とかゴミ置き場とか全部案内しろとでも言うのか?
そんなことしたら、何日あっても案内が終わらないぞ。
さらに、細かい事実はあんまり知らないんだけど、フォーリソンはテレビか何かでおおっぴらにホロコーストへの疑問を公言するようになったものだから、とうとう逮捕されてしまう(民事かもしれないがその場合は読み替えて欲しい)。そして、上で述べたクレマトリウム1の捏造疑惑の話が裁判で出たのだが、検察側は戦後の再現である事実を証明するために、ある証人を出廷させる。ポーランド人でその再現工事に関わった人物である。証人は、工事内容を語り、煙突を再現したことや、ガスを落とすための天井の穴を再び開けたことなどを証言した。元々あった穴をコンクリで埋めてあっただけだから、簡単に開けることができた、と証言した。ところがフォーリソン、再現工事をした動かぬ証拠となる証言者に、疑惑を抱く。
(おかしい。私が疑っただけで、こんなにタイミング良く証人が出てくるとかあり得ない!)
と。いやいや待て。フォーリソンがそう主張するから検察が探してきたんだろ!
一応、アウシュヴィッツ博物館は戦後からずっとあるので、戦後に行われた工事関係の残っている資料でも漁れば、業者くらい簡単に見つかってもおかしくない。博物館だって積極的に協力するっつーの。
一事が万事この調子で、フォーリソンの信念が逮捕・有罪判決如きで覆ることはあり得ず、有名なホロコースト否定論裁判であるカナダのツンデル裁判にもほとんど裏の支配者(ほとんど表に出てるけどなw)として様々なアイデアや指示を与え、あの有名なロイヒター報告の最初の提案者にもなっているくらいである。彼には有名な決まり文句が二つある、その一つが、、
である。だからロイヒター報告の調査をやらせたのだ。彼らはこれが世界初のアウシュヴィッツガス室への法医学調査だと思っていたらしいが、実はそうではない。アウシュヴィッツ解放後にポーランドの地元、クラクフ法医学研究所がすでに調査をやって、青酸成分をすでに検出していたのであるが、その信憑性はともかくとして、二番目である。そしてロイヒター報告後に、同じ機関であるクラクフ法医学研究所が、再び詳細な調査(ロイヒターより遥かに精度が高い)を行なって、やはり青酸成分をきっちり検出している。
だが、このロイヒターとクラクフの矛盾を、フォーリソンは一方的にクラクフは正しくないとして無根拠に否定する。フォーリソンに言わせれば、陰謀当局がロイヒター報告に震え上がって、慌てて否定する調査報告を出したに違いない、となるのである。
こんな感じでどんどんフォーリソンは自身の信念をがっちり固めていったのである。こうなるともはや何を言っても聞かない。フォーリソンの決め台詞はこうである。
「私に一つでも証拠を! 一つでも証拠さえあればホロコーストがあったと認める!」
―あるわけない。だって、それはフォーリソンだけが納得する証拠だからであり、具体的にどんな証拠なのか絶対に言わないからだ。その上、どんなに確実な証拠を示したところで、フォーリソンの前では陰謀にされてしまうのだからwww。アメリカの有名な疑似科学批判者であるマイケル・シャーマーがフォーリソンに「具体的にどんな証拠が欲しいのですか?」と聞いても、答えは返ってこなかったそうな。なお、このセリフを真似しているのが西岡である。
ともかく、フォーリソンに反論なんかすると、それは全部、いわゆるユダヤ人の陰謀工作なのである。今でも例えばJアノンとかがそんな感じだと思う。ともかく、ホロコーストやガス室に対して、様々な証拠で確実性が高められたとしても、それはフォーリソンにとっては全く逆の効果を示し、「おかしい……そんな都合よく、後から後から証拠が出てくるのはあまりにも不自然である」にされてしまう。
フォーリソンが如何にガス室虐殺を認めなかったかということを示す興味深いエピソードがある。
フォーリソンほどではないにせよ、同様にホロコーストに懐疑的であったプレサックと言う薬剤師がいた。フォーリソンは確かにホロコーストについて博学なので、ホロコーストをモチーフにした小説を書く計画を持っていたプレサックは、フォーリソンに近づき、一時期一緒に共同研究ぽいことをやっていた。ある時、ナッツバイラー収容所のガス室の証拠とされていた資料を一緒に調べていたら、プレサックはフォーリソンがおかしいことに気づく。ある資料にどう考えてもガス室による殺害としか考えられないデータが記載されていたにも関わらず、「いやそれはたまたま書き間違えたのであろう」と、全くの無根拠で否定してしまったらしい。そしてそれがきっかけで、超優秀だったプレサックはフォーリソンと袂を分ち、自分で徹底的な資料調査(それまで一級の学者ですらそこまで調査したことのないレベルである)を行い、アウシュヴィッツのガス室で虐殺が行われたことを証明する、界隈では有名な『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』を出版するのだった。これについてフォーリソンはどう思っていたかは知らないが、プレサックに修正主義者から足を洗わせたのは間違いなくフォーリソンの責任である。
ともかく、フォーリソンはガチでホロコースト否定教の教祖(始祖ではないが)になってしまったのである。ホロコーストが実際にはなかったと固く信じて疑わなかった稀有な人だろう。
リビジョニストでホロコーストがほんとになかったと心の底から思っていたのはフォーリソンだけだと思うよ。
あんな、キチガイじみた発想ができるのはフォーリソンを除いていないと思う。
他のリビジョニストはもっと論理的に話を進めるけど、フォーリソンはレベルがまるで違う。
悪意は全くなく、本気で信じてたわけだから。
現代のいわゆる一般的な市民否定派さんたちはある意味可哀想だと思う。だって、プールとか音楽隊とかの疑問を持ち出した始まりはこのフォーリソンだよ?
知る人ぞ知るYoutubeの例の動画にもある、プールの話。あれはフォーリソンが始まりなんだ。
むしろ日本人がすぐに無駄に謝るほうが異常だということに気がつくべき
しかし大体の日本人というか仕事の新人などは知らないことが大くて過ちをおかす
郷に入ったら郷に従えと言う輩は多いが
そんな狂ったことが当然になっているということに何の疑問も感じない社会人の方が危険だ
そんな文化があるがそれ自体なぜ何も悪いことをしていないのにやる必要があるのか
ならなぜ社会人として当然なのかという答えを出していないからだ
だから俺は謝らない新人に対して謝罪を要求することはほとんどない
しかし会社のルールで従わない場合、何かしらのペナルティが科せられてしまうことは説明している
そもそも入社後は特に会社のおかしいだろうというところに気づきやすい
なんでこんな手作業やらなきゃいけないのか意味不明というものが多い
例えばなんで上司が出すべき案内文を自分が考えなければいけないのかというものがあるとする
これは文章力を見るためというのもあるが上司の代わりにつくれるようにしておくという意味合いがある
議事録などもなぜ一人に任せて書かなければならないのか
会議に参加したあとに議事録を毎回書いてそれに時間を費やし修正作業にも時間を費やし議事録に承認を得る
こんなことを沢山の人がしている
正直自分もそう思う
決定したことのみまとめてはい終わりということにすればいいだけのことをぐだぐだと面倒くさいと思うことはある
なぜ無駄なことをしなければいけないのかと不満を持つ
更にそれらを改革しようとしない上司や周囲に愛想なんてできるわけがない
会社と言えばさまざまな年齢層がいるが
40を超えたおっさんおばさんだとかジジイババアとかが何か偉そうなこと言ってるなと言うので腹が立ってきてもおかしくない
周囲にブサイクやブスやデブやヤニカスやら何やらがいれば愛想なんて湧くわけがない
「なんかあのじーさん臭いし言ってる通りにしてるのにお前の考え方おかしいと思わないのか?とか言ってきてやり方が間違ってるとか言うんですよ。3日前にお前がそうしろって言ったくせにって思うんですよ。逆らいたくなりますって」
自分は新人に絶対に怒らない。何度でも説明する。理不尽なルールは押し付けない。守らないと面倒な事になることなど教えていたが
上司はあいつはミスばかりしてるし謝らないしお前もっとちゃんと教えろと言い放つ
社会人としての期間が長い人ほどその社会に溶け込んでいるので既に社畜脳が備わっているから
その逆が新人なわけだ
そんな相反する二人が思うように動けるわけがない
自分はそういうのを折衝している
まぁどちらかと言えば新人寄りだろうか
新人はちゃんとこうすればいいんですかと聞き返しているしなんならその説明された内容をボイスレコーダーで記録しており
実際に説明された通りのことをきちんとしている
つまりこんなことされたら謝らなくなってもおかしくはないということだ
このしょうもないワークショップのお題を肯定的に捉えてみて、何かまともな議論ができるか考えてみる。
細かい制約や歴史的経緯は考えたり調べたりする時間がないわけだから、抽象化したレイヤーで考えるしかないだろう。
「創生」する必要がある地方の典型的っぽい課題を抽象的に並べて見るとこんな感じだろうか。
うーん、挙げて見ると結局こんなもんなのか。「場所が悪い」とかももちろんあるだろうけど、それはどちらかというと制約条件であって課題って感じじゃないよな。
「創生」された地方がどんなもんかと想像してみると、要するに「金があって人がいる」ということに尽きるだろうし、そんなに間違ってない気がする。
これらの課題のいずれか(あるいは全て)を解決していくアイデアが何かあるのかということで考えてみる。
というわけで全体としてはやっぱ企業誘致かな〜という気がしてきた。「豊かな自然の中で働く〜」みたいな生ぬるいこと言っててもダメで、めんどくせー国のしがらみをガン無視してやりたいことやれまっせ、くらいのパワーが必要だろう。保守的な地元住民の反対が大きいだろうけどまあ無視するしかないな。
ああいや、もちろんキラキラIT企業を誘致なんてそうそう無理だとは思う。エムスリーを誘致できんのかとかそういう。でもティアフォーやZMPとかならやり方によってはあり得るかも。あとはその地方の財政規模からだいたいどのくらいの税収増が欲しいかみたいなのが出るだろうから、それに合わせて規模感は小さくてキラキラしてないけど上手いこと統一感出しつつ誘致を進めていける業界みたいなのがもしかしたらあるかもしれないと思う。