「偏重」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 偏重とは

2019-04-07

主人公クズなのに良い奴として成功ちゃう漫画割合が減った気がする

最近主人公ってヤンチャだったり自分勝手だったりの度合いがだいぶマイルドになってきているよね。

逆に徹底したクズとして描かれていて作中でもそれが原因で失敗するか、社会的にまともじゃない位置から出てこれなくなっているか

どっちにしろ一見乱暴者のアウトローだけど実は心優しいひょうきん者のいいひと」っていうバリアで守れているクズはだいぶその数を減らしてきているように見える。

今や漫画の総数は増えているのにそういう主人公をあまり見なくなっているってことは、全体における割合で見たらかなりの縮小傾向にあるんだろうな。

ある種のリアリティ偏重というか、読み手が求めるものが変わってきたというかね。

まあデータいから単なる印象論なんだがな。

2019-03-25

anond:20190325175350

その場の空気が男偏重男優先男はのびのび気を使わず発言できるってのが問題なんだろうがよ

2019-03-24

anond:20190324161159

頻度関係あるだろ。半年前に起きた出来事と昨日起きた出来事でどっちに評価偏重するかっていったら当然昨日だろ?その偏りをなるべく少なくして欲しいんだよ。

昇給に比べると降給って会社的にけっこうめんどくさい手続きのはずだからそんなに心配してないけどな。頑張って降給なら辞めるしな。

2019-03-17

ハリウッド映画脚本女性容姿描写の話と愚痴

VOGUE特集か何かでのそういうツイートを見た。

脚本容姿についての描写性別で偏りがあるんだって話。

それを書いた人は男性に書かないなら女性も書かなくていい、というような事を書いてた。

いやそれも違うんじゃないのって思った。

男性でもキャラクターを表す上で容姿描写される事自体はあると思う。

実際ハリウッド脚本現物読んだ事なんかないけど。

でも女性脚本による恋愛映画なんかでの相手役の描写には間違いなくあるはず、というかセリフバンバン出て来る。

ハンサムだと表される役の俳優さんはまさにそう演じているように見えるし、そういう作品女性監督女性脚本コメンタリなんか大体ずっとハンサムハンサム言ってる。

キャラクター容姿の詳細自体性別関係なくあるものだろうしプロットに関わるなら余計にそう。

から問題脚本にそういう見た目の描写がある事じゃなくて何でそれが女性に偏りがあるかって事だと思う。

まずは単純に女性脚本家の絶対数問題はあると思う。

創作する上で登場させるキャラクター理想を反映させるのは珍しい事でもないし、その中で外見の描写が入る事はある意味当然の事でもある。

から女性容姿を讃えるような描写が多くなってるのは単純に数の偏りって面があるんじゃないかなと思う。

でもこれはたぶんそういう話ではないとは思うけど。

脚本容姿描写する目的ひとつに書いた人間が持つキャラクターイメージの伝達がある。

これはキャラクター創作、脚色する上での要素だからそれ自体問題ではない。

美しさを描く事に罪はないし、美しいとするキャラクターを作る事にも問題はない。

美しさは主観的定義によるものから

そして次いで、ひとつ客観的な印象の提示がある。

外見情報によって社会的にそのキャラクターがどのような立場、印象にあるかを客観的に示す要素。

問題はこっちにあると思う。

これも社会一般の印象を引用するに過ぎないわけだからそれ自体問題ってわけではない。

問題なのはその引用した社会一般の印象の方。

男性キャラクターでも必要なら容姿描写される。

それが性別で偏りがあって女性描写必要とされる事が多いなら、それは男性以上に女性容姿共通認識として印象への判断材料ひとつになっている、またそれだけ女性容姿ステレオタイプ的な印象が紐付けされている、という事になる。

男性より女性の方が容姿の美醜が社会的立場内面性格を表す要素として一般的認識されている、そういう話。

脚本という性質イメージを伝えるためにステレオタイプ共通イメージを用いた伝え方をするのは、あくま方法論としては仕方ない部分もあり、それは責め切れない面もある。

だけど恐らくツイートで訳されていた女優さんたちの口ぶりからは、そういう脚本家側の引用する共通認識彼女達の考える、今意識として持つべきとされる認識が許容する範囲を越え、既に共通イメージとしては過去のものとすべきところから引っ張られたもので、そういうところに辟易しているのだとそう感じた。

から男性を書かないなら書かなくていい、は、ある意味思考停止的な発想だな、と思った。

書いてる事が問題なんじゃなくそう書く事で伝わる共通認識があるとする、そこに問題意識を持たない事に平然としてそれを書く、その感覚問題なんだから

それは今後女性脚本家が増えて理想像を反映した男性容姿描写が増えても解決するものじゃない。

美しさの描写といっても同じように男性脚本家の理想を表した女性像の描写も、個人的範疇のものはそこに自由はあるべきで批判すべきものでもないし、キャラクター主観としての描写安易非難すべきものじゃないし。

考えるべきはその価値観社会のどこからどういう体で引用されたものかって部分なんだと思う。

容姿描写自体問題なんじゃないんだ。

でも見てる近辺でたくさんRTされてて何も言えずに誰も見てないような増田で書くのだ。

気がちいせえ。



あとついでに言うと容姿を美点とする場合に知性や能力性格比較して容姿で表される事自体問題視する人もいるけど個人的に正直それこそ問題だなと思う。

書いたみたいな容姿偏重問題なのは分かるけど、それなら必要なのはその容姿地位まで知性等の要素を持ち上げる事で、バランス取るために容姿を落として相対的にやるのは結局今まで知性で苦汁舐めてた感覚容姿を持ってる女性に味わわせる事になってて、それって知性を持つ女性を掬い上げるために容姿を持つ事の価値を低く見積もり直すって事だからどうなのって思う。

突出した美しさと突出した知性はどちらも自立して価値が同じようにあるべきものなのに、今は美しさそれ単体では魅力として、特に女性意識として認められなくなって来てる部分はあると思う。

からこそ美しさだけで女性を表す事が問題視されるんだとも思う。

魅力ある人間とされるものを表するに足りない要素だけで、その相手表現する事になるから

悪意は無くても、あなたはそれしか持っていない、となってしまう。

同時に男性からは根強く美しさは魅力として捉えられる部分も大きいから、女性が知性を自立した魅力だと捉えていてもそれ以上に求められるという面もある。

その齟齬でまた女性側に容姿が持つ価値への否定的感情が増してまた男性との価値観差異が酷くなって、となった結果また容姿価値を低く見積もってそれを世に提示して、更にまた容姿を褒められる事への価値を低く捉えるようになってって女性自尊心には悪循環に思える。

からそれを止めるために男性が美しさって要素へ持つ価値基準否定して齟齬を埋めようってなってるんだけど。

やっぱりそれも男性が高く認める美しさって要素の価値を下げさせる事によって、それ程には正しく評価されてないとされる他の面との差を縮めようというやり方で、それは魅力としての美しさっていう本来多くの魅力がそこにあるべき正しく高い位置に置かれていたそれさえその価値を失わせる結果になる、というかなってるわけで、やっぱり良いやり方とは言えないんじゃないかな、と思う。

本当は美しさもそれだけで100%魅力だし知性も性格100%の魅力なのになって思う。

絶対値あんま変わらない相対的な差の埋め方って何にしてもよくないよほんと。

美しい事の価値を据え置かないで下げてバランスとるの求める人多くて内心悪手でしかないってほんと思ってる。

思ってるけど匿名でもないと言えないのだった。

そして溜飲を下げるのだ。

気がちいせえのだった。

よくないわ。

2019-03-10

anond:20190310120011

これは興味深い。

条件を統制した経済学実験みたいだ。

早く日本大学学力偏重入試廃止して、受験生人間性バンバン落とすようになって欲しい。

2019-03-05

日本英語教育がクソな理由が分かった

30年前に受けた英語教育って、なんであんなに読み書き、文法偏重なんだと思ってた。

今は、だいぶましなんだろう。詳しくは、知らんけど。

根本的な原因は、日本島国から

地理的な要因が、言語に影響を与えて相互にその特徴を先鋭化していった結果だと思う。

大陸にある国は、他国との交流に人を介してやりとりすることが、可能

それに対して、島国は、書物を介して知識技術を導入することがメインになる。

遣隋使遣唐使から始まって、明治維新昭和時代まで、いつだって日本人は、外国語書物から、最新の知識技術を導入していた。

そうすると、必然的に読み書きしか必要なくなる。会話する相手いないんだから

その伝統文化の集積が日本英語教育だったんだと、昨日気づいた。

英語教育関係者の間では、常識なんだろうか?

常識だったとしたら、もっと早く日本人全員に周知徹底してほしかったわ。

30年間、英語勉強方法について、ずっと誤解してたわ。

何で北朝鮮軍が自衛隊より弱いことになってるんだ

マフィアなんて最大の武器バズーカだけど世界中であらゆる団体活動してる

日本軍精神論偏重で負けたという戦後理屈が間違いなんだ

本気で戦う気の人間の頭数がいれば容易に攻め込まれない

本気で勝つ気がないから負けた日本では平和主義が一番正しい

2019-02-28

女性を消費するって言葉の氾濫

本来被害を受けた当事者への共感を伴った義憤によって分母を大きくする事で加害側への責任サイズを正当にしそこに個人に納まらない社会においての蔑視観念の影響が認められるなら啓発としての批判的働きも含めというような概念で本当は消費できない存在をそのように扱うことへの糾弾皮肉意味合いを持った言葉なのに今では性的な消費という言葉拡大解釈させて女性という概念への被害を叫ぶ事で属する自身をも直接的被害者としてカウントさせ正当化させるための単なる利己的なツールと化してもきているようで辟易する

加害者責任制裁を求めるのも当事者である被害を受けた女性によりも集塊した個々の怒りに対して望むような傾向が見られるし主観の域を出ない個人感想主語を"女性"とすり替え同調を誘う事での自己正当化また溜飲を下げるための手段非難のための免罪符としても使い勝手良く氾濫してしまって意味性としてはむしろ正当性が削がれていっているように思うしそこに危うさも覚える

その言葉は多くを包含する女性という概念の下で主観的なものに左右される消費への定義を振るうものであるのに消費という単語が持つ即物的客観性を含んだ印象のためにさもそこに共通する絶対的基準存在するかのような錯覚を起こさせ個々に主観を反映させたそれを自身正当性担保としたならそこに齟齬や違和は当然生まれるし実際見ていると女性間でさえ性的価値観の差や意識差においてその寛容さ奔放さを自身との相違でもって本来は違って当然で双方が尊重し合うべきものであるあくま相対的ものしかないそれを性の消費へ加担しおもねるものだというような非難へ繋げていて(エマワトソントップレス写真問題が分かりやすい)それは女性選択できる性的自由度の幅を狭めるようなもの全体主義的というかほんとどうなってんのというきもちになる

それは加害者としてファンタジー現実区別がつかない人間だけでなくそ性的対象にも原因を求める痴漢自衛論的な発想でそんなものでも"被害を受ける女性性"を盾にすれば正当性を伴ったあまりに大きすぎる分母の代弁者として振る舞えるそんな客観的正当性を欠くような類の安易な乱用が許されるガバガバな現状はともすればそのまま安易女性性が消費できるものだと定義認識されかねずそれはいわゆる二次元キャラクターなんかに対して更に顕著で代弁し得る被害者がいない分自身がその対象を受け入れられない不快に感じたそれを消費されているとして被害を主張し嫌悪不快感の赴くまま狭く特殊世界性的意図や人によってはポジティブ性的さと捉える類のまた場合によってはそんな意図自体から無いようなものにまでその責任を取らせるため拳を振り上げ本来は絵や漫画に限らず性的なまたは偏った視点による都合のいい理想像としてそのために用意されたもの次いでそれらへの一方的性的視点現実女性は全くの別物で前者に後者を反映させる事はあってもその逆は原則的に無いとすべきところをむしろ進んで混同を招くかのようにそこに消費できる女性性が存在しているまたその性的な偏った視点が消費され得る現実女性性を含むものとするそれこそ現実に生きる女性への冒涜でそれは特殊嗜好やそこへ向けた性的娯楽表現社会における女性男性定義するような性的玩具女性性を認め性的な消費だと言うような話でその辺の誰かが言ったおっぱいエロいって発言が胸を象徴としての性的な興味の個人的な発露なのかフェティシズムとしての限定的性的嗜好によるものなのか対象ポジティブ性的魅力の客観的優位性を語るものなのかそれとも女性性的な消費物としてしか捉えていない事での無意識発言かなんて場合によっては当人にも分からないのに性的さや性的な魅力へ惹かれるそれ自体を消費だとするそれは傲慢以外何なんだという話でもの区別がつかないのかと思う

私はそれこそそんな身勝手に"女性が消費される"なんて言葉が使い回されるそれに"女性という概念が利用され消費されている"という気持ちになる(皮肉

いや実際性的ものに限らずそんな類の感情にまで体よく使えるそれこそ消費という言葉の現状へ思う事でもある

言葉自体を使う事被害を訴える事共感や怒りそれ自体社会の在り様を問う事疑問を持つ事嫌悪感や不快感その苛立ちをどうにかしたいという気持ち許容しかねる性的価値観被害者がいなくても"女の子"とされるものの後ろにいる人間への非難めいた感情やその影響への懸念やそれを示す事それが問題なんでも悪いわけでもなくそれが本当に正当性のあるものかそのマイナス感情自分帰結するものではないかその対象個人的なものかまた属するグループの特徴か社会に反映され得るもの社会を反映したものかを考える必要を欠かせたまま通用させてしまいかねないその責任感の無さから軽率さでお手軽にやってしまえるそこが言葉の持つ重さに対してあまりにもに思えるしそれが招く扱う内容や巻き込むものの影響のサイズを考えればそんな程度に扱えるものではないはずなのにと考えてしま

個人的にはそれが気に入らないもの非難排除する印籠または虎の威を借る狐的使われ方だとしてかわいさややわらかさみたいなものを弱さだと前提として定義してその上で"弱い女性"を理想化している事での消費という捉え方での使われ方が無意識男性性への優位的価値基準に基づく無責任さを見るようで本当に恣意的独善的できらいだし理想像偏重さへの抗議の意としてそれが言われる事もあってでもそれは他を貶めて相対的に優位さを確保するやり方でその度そんな事に問答無用で総意として私が女性という性で巻き込まれまた使い方如何でその責任まで勝手に負わされることになるその不当で理不尽ガバガバさがほんとうにほんとうにきらい

そしてきらいだけどそれは個人意見でそれに異を唱え打ち捨てたいと思う人もいるように本来性別のようにグループにおける総意とは"個人的に""私は"の集約であって集約されるという過程飛ばし個人主観で代弁できるようなものじゃなくするべきでもなくまた次いでその中に見られるあくま問題解決への手段である問題提起とその周知を自尊心を満たすための個人目的としてとやってそのためにと短絡的に対象を大きくとり優生学的に貶し相対的また絶対的優越に浸りそれを自己肯定感へ繋げ反芻するその姿は痴漢や他の性的被害に対して女性への蔑視思想でもって心無い人間によって見られるようなそれでもあり持ち出す内容やその是非倫理性は違っていてもそれ以前に同じ事をしているというその影響は個人でなく"女性"の代弁としてやるには確実にあってそうしてしまう事で女性言葉"としての説得力が失われていき実際そういう観念でもって本当に総意の力が必要とされている場でもその説得力の有無をこちらへ突き付けるような人間が少なからずいるその事も恐ろしいしその必要な人のための必要な場のためにも代弁者とするなら個人的な部分をこえたところでの危機意識は持つべものだと思う

個人として何を思うのもどんな価値観を持つのもそれを発表するのも基本自由ではあるけど少なくとも女性というだけでなく大きな枠で多くを巻き込む事になる上で代表として語るならその自覚はあるのかそれがどこから来たものかそこに客観性が含まれるか主観とは区別できているか自論であるなら自身でそうだと理解しているかそれを示せているかひとつくらい考えて使うべきだと思う

本当にひとつでも十分なのにと思う

というような事を消費という言葉を見る度思って胸焼けを起こすので文字に起こした

提言とかでさえない

おしまい

2019-02-18

anond:20190218013449

映画とかでもあるけど萎えるの分かる

急に作り手の顔が悪い意味で見えるというか

うまくやる人は受け取る側を誘導するから政治でも何でも違和感ないんだけど

説得性と必然性が薄いと主張自体の是非というより作者の偏重さの印象が残る感じある

作品ちゃん違和感なくやる事より自分の主張入れる事の方が大事だったんだなって

同じマッチポンプではあっても単純にヘタなんだと思う

2019-02-17

anond:20190217135921

なるほど。外貨貯蓄の推薦が詐欺的なんだね。気をつけるよ。

おれはこの筆者のことを知らないで記事を読んだが、ここで言ってること自体は間違ってないと思ったよ。

知的能力無駄にする(経済効率労働生産性リンクしてない)風潮が国際的比較して日本は高いってことを言いたいと思うよ。

日本問題解決能力知的能力よりコミュ力重視に偏重してるからね。

2019-02-02

お前らのブコメアナログハックされている

お前らのブコメスター欲しさに意見偏重されていて本当は思ってもいないようなことを書いている.

ということでみんなビートレスの序盤を観よう!

2019-01-24

anond:20190123132843

同じく婚活してる40代後半女だけど、男性からの申し込みで、普通に800-1000とか1000超とかの収入帯の人、当たり前に普通に来るんだよね。特に職業が謎の経営者役員だったら、結構割合でそれ(サラリーマン役員の人は勿体ないので会社員として登録した方が良い、余談でした)。まあ大嘘なのかもしれないけど、会って、車とか服装とか持ち物とか見ると、細部まで余裕の暮らしぶりが感じられて、あながち嘘でもないのかなと。そのくらい、この年代では全く珍しくない収入なのだと思う。

そういうわけでイケルと思っちゃう人が出るのは仕方ないような気がする。

自分もこういうの始めるまでは、タイトルのようなことって嘘だと思ってた。

ネットの年齢偏重もマユツバだと思う(実子希望年代ならともかく)。

2019-01-23

anond:20190123035602

とりあえず、厳格な上下関係も、体調悪かろうが出勤させる体制も、人に過度な力強さを要求する傾向といえる

で、そういう(内面的な意味でも)力強さ礼讃つか強要が「男らしさ」問題の一側面なのかなあ? という気がする

自分でも「という気がする」レベルから、当然異論は認める

では、逆に「女らしさ」の弊害てあるのか?

仮にあるとすれば、とかくニコニコ仲良く協調を求める(正しいことであっても、ズバズバ物を言うと露骨に嫌われる)、仕事の実務能力より人間的な好感度(愛想がよい、不潔感がない、化粧やファッションセンス等)に偏重して人を評価する、とかなのかなあ?

2019-01-18

睡運瞑菜」を実践して1年が経った

はてな民にとって、すでに常識となった「睡運瞑菜」。言葉の通り、これは四つの生活習慣の総称である

宣教師の際立った存在感のおかげでネタとして消費されがちであるが、これらが現代の厳しいストレス社会を生き抜くために極めて効果であることに疑いの余地はない。

一方で、これら全てを実践することが容易ではないこともまた事実である

ここでは、私がいかにして「睡運瞑菜」を実践してきたのかについて話したい。

「睡」:十分な睡眠

疲れを取るのに必要睡眠時間には個人差がある。

個人比較ロングスリーパーであり、経験的には、少なくとも8時間睡眠が確保できなければ明らかに仕事の能率が低下する。過去に1日6時間睡眠を続けた時期もあるが、金曜日には体力を消耗しきってしまい、まともに仕事ができない状況になってしまっていた。

また、長年にわたる学生生活 (入学から博士を取るまでに9年) での不摂生の結果、午前中には強烈な眠気が襲い、夕方から目が冴えてくるという体質になってしまっていた。

 (なお、睡運瞑菜を続けた結果、今ではこの体質は大きく改善した)

職場裁量労働制残業代が出ないこともあって、夜中までだらだらと職場に残って仕事をするのが日課になってしまっていた。

 

睡眠時間を確保する方法自体は非常に簡単である

  早く寝るか、遅く起きるか だ。

私は後者選択した。

以前は、裁量労働制であるにも関わらず、上司に気を遣って定時出勤を厳守していた。

上司は早い時間に出勤する生活習慣を取っているが、私までそれに合わせる必要はないと思うことにした。

その結果、朝ゆっくり寝て昼前に出勤し、夜は遅めの時間に帰るというペースを確立した。

上司は内心では快く思っていないようだが、それによって不当な扱いを受けるということはなかった。

どの道、以前の働き方では午前中の能率が低すぎたから、寝ていたほうがマシなはずだ。

「運」:適度な運動

仕事デスクワークであるため、普通に家と職場を往復しているだけでは十分な運動時間を確保することは難しい。

出不精な私にとって、ジム通いを続けることもハードルが高い。ジムでの運動が嫌いなわけではない。まともな人には理解できないかもしれないが、受付の人とほんの一言や二言やり取りするのを想像するだけでも、心の中に忌避感が充満するのだ。

新たにスポーツを始めるのも難しい。昔、嫌々やっていた部活なんて思い出したくもない。

そもそも、私の特性上、他人と関わりを持たねばならない習慣は中々続かない。完全に個人でできるスポーツというのも限られている。

そういうわけで編み出したのが「通勤の中で運動時間を確保する」という手法である

基本理念は非常に単純だ。

  1. 職場から徒歩1時間くらいの場所引っ越して、毎日歩いて通勤する
  2. エレベータを使わずオフィス (7階) まで階段で昇降する

雨の日も風の日も、とにかくこの二つをひたすら厳守して生活する。これにより、毎日およそ10kmを歩くスタミナ、加えて、階段を上っても息切れしないほどの心肺機能を手に入れることができた。

また、明らかに睡眠の質も向上し、以前よりも精神が安定し始めるなど、多様な効果が得られたように思う。

 (ただし、これは「睡運瞑菜」の相乗効果によるものであり、運動のみの効果と断ずることはできない)

「瞑」:瞑想による心の休息

睡運瞑菜」の中でも、何をすれば良いのかが一番分かりにくいのが瞑想ではないかと思う。

瞑想を行う目的は、はっきりとしている。現代人はとにかく脳 (心と頭脳) を使いすぎているのだ。

暮らしのこと、仕事のこと、たくさんの心配事でいつも頭が埋め尽くされて脳が疲れ切っている。

心配から気をそらすために、スマートフォンを握りしめ、さらに過剰な情報疲れた脳にぶち込んでいる。

こんなことをしていては、脳が「壊れて」しまうのも時間問題だろう。

目に見えて「壊れる」という状態にまでならなくても、いつでも頭の中はネガティブ思考が充満していて、まともな幸福感が得られなくなっている人は多いのではないだろうか。

 

とにかく、脳が疲れているのだから、休ませないといけない。

  瞑想は、脳に休息を与える手段である (諸説あります)

脳を休ませるにはどうすれば良いのか。様々な手段があるだろうが、私はマインドフルネス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%b9

という概念に着目した。

Wikipedia記述にある通り、マインドフルネスとは「今現在において起こっている経験に注意を向ける」ことである

これは特にネガティブ思考を何度も頭の中で繰り返してしまう「反すう」や,頭からこびりついて離れない「心配」を減らす効果がある。

個人は非常に心配であるし、幼い頃から過去の嫌なことをひたすら「反すう」する癖がある。

学生時代、研究の成果を学会で発表すると周囲から褒めてもらえることが多かった。その日はすごく気分が高揚して、自己肯定感が急上昇したように錯覚する。しかし、次の日の朝に目が覚めると、胸の中には既にネガティブ感情が渦巻き始めて、一週間もすれば朝の目覚めが最悪になる。

  自己肯定感カケラもない「あの」自分を思い出してしまうのだ。

ポジティブ経験をすると、ほんの一瞬だけ気分が良くなるが、その後、楽しい気分は指数関数的に減衰する、というのが経験則だ。とにかく、「睡運瞑菜」を始める前は、メンタルがいつもズタズタになっている状態だった。

 

閑話休題マインドフルネスの話に戻ろう。

脳というのは非常に創造性の高い代物になっていて、放っておくと、蓄えられた膨大な記憶や刺激をもとに、極めて雑多で有害情報を次から次へと生成して人の精神を蝕んでしまう。

そこで、1日にほんの10分程度でも、過去の嫌なことや将来の心配をすべてシャットアウトし、無理やり今現在という限られた対象に注目させる時間を取る。

  これにより、脳の創造性を強制的に低下させるのだ

PCをつけっぱなしにしていると、どうしてもメモリにはゴミが溜まっていく。そうすると思わぬ不具合が出始める。

こういう事態を避けるために、再起動 (リブート) が大事であることはもはや常識ではないかと思う。

  1日1回、脳をリブートしよう!

経験上、睡眠だけでは不十分だ。睡眠中、脳はここぞとばかりに創造性を発揮する。夢の世界に浸るのは愉快かもしれないが、それだけでは脳はゴミにまみれたままだ。

リブートが、必要なのである

1日たった10分で良いのだ。難しい話ではあるまい。

「菜」:1日350グラム以上の野菜摂取

私のように家事の苦手な人種にとって、最大とも言える難関だったのがこれである

長年、コンビニ弁当スーパー惣菜依存しきった食生活を送っていて、お世辞にも栄養バランスが良いとは言えない状態だった。

   朝食は摂らず、昼食はコンビニ弁当、夕食はスーパー惣菜という黄金ループ

そもそも、手軽に購入できる食事は、栄養価が炭水化物や脂質に偏重していることが多く、十分な量の野菜を摂ることは難しい。

昔、自炊をしていたこともあるが、あれは学生時代に時間が有り余っていたからできたことだ。私のように手先の不器用人間は、野菜を切るだけで1時間以上かかるのだ。食後の洗い物も苦痛だし、やはり不器用なので時間がかかる。

私のスキルでは、仕事をしながら自炊をするなんて不可能に近い。

 

そこで、どうしたのか。

実は昨年、良縁に恵まれ結婚することになった。

相手は5歳年上の家庭的な女性健康栄養に詳しい医療専門職

(信じがたいことに) 家事が大好きで、私とは比べ物にならないスピード家事をこなしていく。

職場に不満もあったようで、結婚と同時に退職。今は専業主婦をやってくれている。

  毎日3食、手作り食事

厚労省策定食事摂取基準準拠して、献立を立ててくれる。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000041824.html

  妻曰く「野菜350グラムなんて、普通にしてれば余裕で摂れるわ」

……完全に他力本願であるが、こうやって「睡運瞑菜」を実践する環境が整ったわけだ。

 

あ、ちなみに瞑想の項で私自身の実践方法を書き忘れましたが、毎日、妻と無言でハグする (甘える) 時間をとって、マインドフルネスしてます

みなさんも、「睡運瞑菜実践してみてくださいね

2019-01-06

anond:20190106145821

今のセキュリティというやつはソフトウェア偏重すぎてハードウェアを攻めたら脆弱性だらけだよ

例えば今のパソコンOS情報を抜き出すのが難しくなっているけど、ディスプレイが付いてるんだからディスプレイを表示するためのケーブルへ延長ケーブル的に機械式読み取り機を接続しておいて「中抜き」したら良い

今のモバイル通信モジュールなんて小型なんだから中抜き」した情報モバイル通信送信してしまえば良い

パソコンOSで実行が難しいならパソコンOSの外でやると良いんだ

これらを行う全体のユニット自体タバコの箱よりも小さくできるだろう

断言するよ、日本会社ディスプレイケーブル毎日確認している会社なんて100社も無いと

これをするには泥棒侵入技術必要からハッカー必要とあれば泥棒にもなる

2018-12-29

anond:20181229030835

お金つぎ込まないと遊べないゲーム批判されて久しいのだが、SteamSteamお金つぎ込んで色々買って試さないと面白いゲームに会えないという意味課金偏重である

ゲームにかけられるお金が低いびんぼーな人には試行錯誤費用が意外と重くてあんまりお勧めできない

2018-12-18

女性特権が羨ましい

高卒フリーター底辺♂だけどさ

現代日本って少なくとも底辺の生きる世界では女性の方が圧倒的に有利だよな

基本女性ってだけでネットだと童貞やヤリ目のおっさん達に構ってもらえて承認欲求満たせるしなんならAmazon欲しいものリストとか支援サイト物乞いも出来るじゃん

まとまったお金稼ぎたいなら風俗勤めれば大手企業リーマンよりコンスタントにがっつり稼ぐ女性もいるらしいじゃん

ソープまで身体張らなくても手コキ風俗とかでも俺が働いてきた清掃業とかコンビニバイトとかよりかよっぽど稼いじゃうわけじゃん

それに男で高卒だとそこそこ稼いでるかまともな定職に就いてないと恋人作る難易度高いけど女性高卒収入でも無職でも恋人セックスも男よりよっぽど難易度低いよな

それに女性事務職に受かりやすいっていう暗黙の特権あるじゃん

データ入力バイトとかさ、正直最低賃金の清掃や最低賃金ちょい上のコンビニとかよりよっぽと実労働と対価の割りが良いから俺もやりたいって思うときあるけどああいうの大抵「女性が多い職場です」みたいな「女性限定採用枠」なんだよな

まあ俺は底辺からバイト求人観点で語ってるけど普通に正社の事務職採用女性偏重なんでしょ?

まあそういうのも昔から受け継がれてきた男尊女卑的な企業体質のせいなのかもしれないけどさ

ぶっちゃけそんなん俺にはなんも関係ないよな

からすれば今の日本では単に楽で割りの良い仕事女性の方が供給があって有利って事実があるだけだもんな

最近だとよくネットフェミニズムに関する発言記事を目にすることがあるけどさ、俺からしたらあれ女性達がこうした女性特権を維持しつつ制度的な男女不平等是正しようとしてる運動って印象あるわ

この前婆ちゃんに聞いた話だけど戦争終結するまで日本では一部の男性しか選挙権がなかったって聞いた(こういうの中高の歴史とか公民の授業でやってる内容なんだろうけど全然覚えてないわ)

それに男女雇用機会均等法が出来るまでは職場待遇面での性差別禁止する法律もなかったらしいじゃん

そういうの不平等だと思うし、最近だとはてブで読んだ記事で一部の医大入試女性受験者に試験の点数で傾斜をかけてたって話は性差別だと思うし、寡婦控除で婚姻歴の無い一人親に控除が付かないってのもある意味性差別的な要素が含まれてるんじゃねーかとも思ったな

そういう制度的な男尊女卑とか不平等是正するのは分かるんだけど、なんか下層民の生活レベルっていうかさ、そういうミクロレベル日本男尊女卑女性社会的弱者だっていうフェミニスト意見は納得できないわ

だって少なくとも底辺にいる俺からしたら女性女性ってだけで俺が見上げる位置にいるもん

この前Twitter見てたら秋葉原加藤の「彼女さえいたら」みたいな文意発言を記したツイートがバズっててさ

フェミニストっぽい垢がすげーキレてたんだよな

女性トロフィーじゃない」とか言ってさ

彼女さえいたらこんな惨めな思いはしなくて済んだっていう一人の人間の素直な感情吐露さえ糾弾するのが社会的弱者仕草なのかよって思ったわ

きっと簡単恋人が出来たり異性から求められてしま女性には生物レベルでああい男性気持ちが分からないんだろうなって思うわ

まあ俺も彼女さえいたらみたいな気持ちには共感できない人間だけどさ、それでもそう思ってしま男性思考回路理解できないわけじゃないよな

この話に関連することだと思うんだけど、この前NHKねほりんぱほりんって番組で「喪女」の特集やってたから観たんだけどさ

番組に出てた30代前半の喪女が「男性不信になった原因は友達に誘われてやったチャットレディのバイト顧客男性からセクハラ発言をされたことが一因です」って話をしててさ

ぶっちゃけビビったよね、童貞喪女世界観の解離に、男と女非モテ実態格差にさ

そりゃ秋葉原加藤発言に一部も共感できない女性がいるわけだわ

求められる側と求める側の圧倒的な断絶があるんだよな

うそう「弱者男性」って言葉フェミニストの人ってすげー嫌うよな

こうして俺みたいな男が女性はそんなに弱者でもなくね?みたいなこと書くとすげー叩く癖に自分達は「社会的弱者」だと主張する男性の一群を絶対に認めようとしないのな

まあ俺も自分女性があてがわれることを権利の様に主張するのはどう考えてもおかしいとは思うけどさ、現に総合的に男性としての魅力に乏しいということで社会から自尊心を奪われ続けている男性達は間違いなくいると思うけどな

制度的にまだまだ女性に不平等な国であることと、弱者男性呼称する社会的弱者男性達がいることは別々に成立できると思うんだよな

まあ俺は別にセックス恋愛結婚もしたいとは思わないんだけどさ

そんなことじゃ多分満たされないんだよな俺のこの虚無感みたいなもの

まあでも仮に俺が女だったら間違いなく風俗バイトはやってると思うんだわ

まあこんなifの話したってしょうがないんだけどさ

そりゃ風俗はそれなりに辛いと思うよ

清潔で常識的おっさんばかりくるわけじゃないだろうから

でも清掃のバイトだって三角ボックス生理ナプキン入ってる度にげんなりしたり小便器の尿石を磨いたりそれなりに生理嫌悪感が伴う仕事なんだよな

同じ生理嫌悪感が伴う仕事でも賃金は雲泥の差なんだもんな

から俺が女だったら清掃のバイトなんてしないで風俗店に勤務するわ

ちゃんが前に「お金に困ったら金持ちの婆さんひっ捕まえな」とか呑気なこと言ってたけど、まあそんなこと出来る可能性もなけりゃする気もないのは当然としてさ、もし俺が女性だったら真面目にそんな馬鹿げた選択肢も取り得たかもなってちょっとだけ思ったわ

まあ流石にそれは呑気すぎる発想かな

ここまで書いて気付いたけど俺は女性が羨ましいっていうより女性が妬ましいのかもね

2018-11-22

anond:20181122224552

単に君に興味があるか、話を盛り上げようと深煎りしてくるのだろう。

それはそうと、なんでもかんでも言語で表せると思ってる言語偏重主義というか言語教じみた価値観言葉を使うのが苦手な人にとっては辛い。

2018-10-12

異性愛偏重した表現同性愛者への配慮が足りず不当、したがってやめろって言わる人を観測したけど

たからみたらそういうこと言ってる人も、

異性愛同性愛」というせまい観点にとどまらない種類の人間への配慮については足りてないとも取れるのではって思ってしま

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

anond:20181011150429

その指摘はもっともで、統計学的データ分析偏重批判されるポイントでもある。

ソシャゲガチャギャンブル全般)を見て「多少のハズレ(不幸)があったほうが、幸福度の総量が増す」なんて結論が仮に出ても、それが政策に持ち込まれないように批判するのが哲学分野(人間論幸福論等)の役割

完成された民主主義がないように、確定した結論がない(多くの分野で持ちづらい)のが社会科学特性ともいえる。社会科学分野の意義をかっこよく言うならば、「より良い人間社会を目指す闘争過程」ともいえるかもね

anond:20181010212828

東鉄神とか柚木Nとかcuvieとかあほすたさん

絵柄が男っぽいってトーン多いとか性癖偏重な画風とかしかなくね

2018-09-30

もしもスタンド能力能力ビジュアル化)が発明されてなかったら

キャラクターが持つ個性象徴した武力メタファーとしての人型ロボットを用いたロボットアニメが今よりずっと沢山やっていたのだろうか。

しかしたら、ロボットアニメを殺したのは、ガンダムの頃に加速しだしたリアリティ偏重ではなくて、別にロボットを出さなくてもいいんだとオタク業界に気づかせた荒木飛呂彦だったのではないだろうか?

みたいな話を思いついたんだが、こういう無茶苦茶理論もっと聞きたいから教えて。

でっち上げてくれても良い。

2018-09-29

旧来型SIerである弊社でアジャイルスクラム)が上手く行っていない

弊社は未だにメインフレーム相手をしてCOBOLを書いているような、低技術力・プロマネ偏重SIer

20代の若手SE(笑)である自身ウォーターフォール経験しかなく、社内の99%も同じ。

最近興味があって近くにいる人とアジャイル開発の勉強をしていており、ジェフサザーランドの著書ほか何冊か本を読んだ、というだけのただのエンジニアワナビー

最近近所で絵に描いたようなアジャイル失敗例があって、ちょっとかに聞いてほしくて書いてる。


この度、既存システム刷新するプロジェクト(たぶん1億以上5億未満)をアジャイル開発でやることになり、先月くらいに最初スプリントスタートした。

アジャイル導入にはおそらく特に動機がなく、お客さんの偉い人たちが

最近アジャイル流行ってるんでしょ

無限要件変更できるんでしょ

アジャイルにすると早く安くできるんでしょ

などと仰せになった結果だと聞いている。

そのスプリントが当初からコケ

最初スプリントスピードが出ないのはよくあることなのだろう。古事記にもそう書いてあった。

が、内容を聞いているとどうもそうは思えない。もっと根本的なところだ。

スクラムなのに、なぜか最初からウォーターフォールみたいなスケジュールがある

なので、開始直後から「遅れが…」とか言ってる

要件範囲もなぜか最初から必達が切られている。ウォーターフォールかな。

なので進捗報告もウォーターフォールみたいに行っている

当然「ご報告資料」づくりもセット。

開発メンバーが開発できないらしい

どうも、開発メンバーユーザストーリー理解していないらしい。

それがなぜかというと、プロダクトオーナーとのコミュニケーションがとれていないらしい。

さらにそれがなぜかというと、プロダクトオーナーユーザ部門の人がよそと兼業してて全然時間がとれない、そもそも別の場所にいて会うことすら難しいらしい。

ユーザーがしっかり参加するのがスクラムじゃないのか。

また、そもそも開発でかき集めたメンバースキルが、スクラム要求するそれに届いていないという話もあるらしい。スクラム要求する開発チームのスキルはおそらく自力要件解釈解釈コードまで落とせるレベルだが、弊社が旧来の手法で人売りから買ってきた「エンジニア」たちにそれを求めるのは酷だろう。


現場プラクティスだけは導入している。デイリースクラムスプリントレトロスペクティブ…比較スタンダードに全部形から入ったらしい。表面だけとってきてスクラムと称しているが、サザーランド氏がつぶしたかった予測不可能予測しようとする傲慢さとか、ユーザ不在のシステム開発とか、コミュニケーション協調のない開発とか、マイクロマネジメントとか、一番重要エッセンスを尽く省いているようにみえる。

お魚買ってきて、全部は食べられないね~って言いながら表面の皮とウロコだけ食べてる感じ。これで以て「アジャイルってお魚は、ウロコと皮しかなくて、おいしくないし食べづらい」って結論づけるんでしょ僕知ってるよ。



この件について、まあ弊社じゃこうなるよな。だったらここまでなんだけど、こんな駄文を書こうと思ったのは今回の顛末不思議だったから。

本件のプロジェクトを率いているのは弊社でも指折りの有能PM。何度か一緒に仕事をしたり、指導を受けたりしたこともあるが非常に頭の切れる人で、社内での発言力も非常に強い。彼は「スクラムで」との命令を受けた後、当然スクラムについて勉強しただろうし、当然「何もしなかったらこうなる」とわかっていたはずだ。その政治力を使ってなんとかしようとしたはずだ。彼の周りについた弊社メンバーも、それぞれがスクラム勉強をしていたし、みんなPMには劣るかもしれないものの頭の切れる人たちだ。

そんな知力と政治力の両方を備えた歴戦のPMが、こんなにもあっさりと、なんの策も打てずにウォーターフォールの悪いところをしっかりと引き継いだアジャイル(笑)をやって失敗するのか。これじゃあ、弊社じゃあずーーーーっと無理じゃないか

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん