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はてなキーワード: 逸話とは

2024-07-26

anond:20240726115840

そうだな、ワグナーによる楽劇タイトルロールとして名高い騎士タンホイザー引用していることから情欲の罪を悔い改めるためローマ教皇懺悔するが、枯れ木の杖に葉が生えない限り赦しはないと拒絶され、絶望して地獄行きになりそうになる、という逸話を死にゆアンドロイドに重ねているだろうし、死にゆくシーンでそれを語らせる創作者のエゴと、短命のアンドロイドを作り出した人間エゴメタ的に重ねているとも解釈できる単語だわな

2024-07-24

anond:20240724155149

小学校ときパン焼き主任チャールズジョーキンさんがウィスキーを大量に飲んで助かった逸話を読んだ。その時の影響もありアル厨になりました。

2024-07-09

anond:20240709231700

日本人慰安婦像を叩いたら結局欧米慰安婦像だらけになった逸話を思い出した。

文さんも尹さんも心の中でアッカンベーしてると思う。

2024-07-06

実家の庭の木は滅茶苦茶傷ついてる。

スコップで斬りつけてたから。

峯田の逸話みたいだな、ガキの頃って無性にイライラしてたよな、とか思うけど、冷静に考えるとそんな事はなかった。

樹液は木が傷を補修するときに分泌される。

樹液はカブトムシを呼び寄せる。

故に木を傷つけるとカブトムシが寄ってくる。

自分カブトムシを捕まえたい。

故に自分がすべき事は木を傷つける事である

という限定的知識から極めて合理的論理を導き出していたのを思い出した。

前提が間違っていたり少なすぎたり、保守的大人と違ってリスクよりも欲求を優先しがちではあるけど、論理の立て方自体合理的ではあるんだよな。

それはそれとして、シンプルに木を殴ると……楽しい!という気持ちが無かった訳でもないような気もする。

安易子供像であまり記憶改竄しないようにしたい。

2024-07-02

創価学会員を見ると侮蔑してしま

創価学会を信じている人を見ると内心侮蔑してしまう。 信じる事によって彼等は心が救われているのだと理解しても、蔑む気持ちが心の中に常に存在している。

 何故仏などという居ないものを崇め信じるのか。昔に『いた』と言われている、記録されているだけの何かを信じる事は、わたしには難しい。その神様か仏様が、定期的に15年に1度などのペースで現れて、何か大層な有難い言葉を紡ぎ、人間では有り得ぬ力で大勢を救う様子が見られ、記録されているのであれば信じるが、残念ながらそんな事は起こらない。

 神様や仏というものは、神話聖書等のコンテンツとして読む分には充分面白いゼウス唯一神宇宙や天候を司り、万能であるとか、ハデスは冥府の神であるとか、キリストが磔にされて3日後に復活したとか、様々な逸話物語キャラクターとして魅力的だ。才にあふれた個性豊かな神や人々が織り成す神話は、展開がぶっ飛んでいて読んでいて飽きるものでは無い。信仰心が皆無のわたしでも、素晴らしい、偉大だねと褒め称えることは出来る。鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎が活躍する見て「煉獄さん素晴らし過ぎる…!」と言うくらいのテンションくらいで。

 そんなわたしが何故、ここまで創価学会を毛嫌いするのかと言うと、まあシンプルわたしの願いを叶えてくれなかったからだ。

 わたし小学生の頃、母は創価学会の熱心な信徒で、毎朝題目を唱えていた。わたし題目のよくわからない言葉気持ち悪くて堪らなくて、唱える事を毎日嫌だ嫌だと抵抗していた。何故仏壇に向かってよくわからん言葉を唱えねばならんのだ。気持ち悪い、嫌だ。と嫌悪気持ちが非常に強かったのをよく覚えている。しか平穏に過ごすことを目的とした姉と弟や母にちゃんとやれと叱られ、ぐずぐず泣きながら、母の膝上で題目を唱えるフリをしていた。

 娘が毎日抵抗してるのにも関わらず、懲りずに毎日題目を唱えているので、ふとある日、「これをしたら願いが叶うのか」と聞くと「そうだよ」と母は返した。願いが叶うのならば、と単純でひねくれた小学生わたしは期待を込めて、創価学会とやらを小さく信じることにした。どうしても抵抗感があったので題目を唱える事こそしなかったが、毎日母の膝の上で「パパとママが仲良くなりますように。喧嘩がなくなりますように」と願った。そしてその願いは、当たり前だが叶わなかった。

 両親の喧嘩が絶えなかったのは、母がのめり込むこの創価学会に原因があった。創価学会に限らず、宗教というものは金がかかる。創価学会はそれが顕著で、聖教新聞や、創価学会教祖が書いた人間革命とか無駄に分厚い本の購入やらで色々金が入用なのは有名な話だ。実際、ここ数年なんかのニュースで、婆さんが聖教新聞大量購入などで貧困に陥り、栄養失調かなんかで亡くなっているなんていう話もある。ここまで来たらもうわかる話で、喧嘩の原因は主に創価学会に掛かる無駄金だった。

 父の信仰心の有無は詳しく聞いてないのでわからないが、たぶんわたしと同じように、父の信仰心ゼロに近いものだと思う。実際、願いが叶うという保証なんてどこにも無い、不確実な何かに掛ける金ほと勿体ないものは無い。こんなものに金をかけるくらいだったら、まだリターンが存在するパチンコ競馬といった賭博の方がマシだろう。しかも育ち盛りの子供3人を養わねばならぬのに、妻が宗教などにうつつを抜かしているなどとなれば尚更だ。

金が入り用なのにこんな事に使うなと、父は母に怒り、そこから喧嘩に発展していく様子を何度も何度も何度も見た。父の怒り方は神経質でうるさく、不快ものだったが、今思えばそれが正常だったのだと思う。わたしが同じ立場だったら、やり方こそ違うかもしれないが同じように苦言を催しているだろう。

 というわけで、わたしのささややかで純粋な願いは叶わなかった。

 正直、これが創価学会だろうと他の宗教だろうと、おそらくわたしは同じような過程を経るのだろうとは思うが、どちらにせよ、少なくとも創価学会に関しては信じても救われないというのがわたしの持論になった。

 ちなみに最終的に、この願いが叶ったかと言われればNoだ。

 何年かして母はフェードアウトするように創価学会を辞めたが、喧嘩は15年以上経過した今でも定期的に頻発している。今は何も信仰などはしていないが、15年以上の時を重ねても、幼い少女の『両親が仲良くなりますように』というささやかな願いさえも叶える事ができない、それどころか少女がそんな願い事をする原因になり得るあたり、創価学会には力が無い事を証明されたとわたしは思う。

2024-06-28

銀箔を貼った竹光で昇殿する逸話平忠盛に…って話かとおもっから違った

2024-06-21

大岡裁き2.0

大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である

白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まこと母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親最後まで子供悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。

この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。

これが大岡裁きの極限競技エクストリームスポーツ〉化である




大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである

競技化してから大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である

その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢たっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。

枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なもの彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。

もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合逸話に基づくものである彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである

当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審からくり手の技能を持ってしても勝敗判別不可能であった。

土煙が判決邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つの江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児釣り上げた。ちよが右手、お松が左手越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。

後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。




次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為のもの競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間必要であった。

最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手稚児身体押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。

この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である

その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。

裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。

お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。

双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。

2024-06-16

anond:20240616105003

元ネタがブルネレスキでコロンブス逸話創作から

「ブルネレスキの卵」って言えばええやで

ネズミって金属かじるけどさ

ネズミに大量にかじられた仏像を竜がばりばりーってかじったと勘違いしたみたいな逸話とかないのかな

ネズミの噛み跡と巨大生物の噛み跡は違うから厳しい?

2024-06-15

コロンブス」ではなくて「コロンブスの卵」

「“コロンブスの卵”というキーワードから制作に取り掛かり「前向きにワクワクできる映像にしたいという気持ちが、」

とあるように「コロンブスの卵」がキーワードだった

一般常識だと思うが一応ウィキペディアから引用すれば

ある席で「誰でも西へ航海すればアメリカ大陸に行き当たるのだからアメリカ大陸発見は大した業績ではない」と言われたコロンブスは、相手に卵を立ててみよと応じた。相手が諦めると、コロンブステーブルに卵の先端を打ち付けて平らにすることで立ててみせた、というものである

という逸話から、誰でもできそうなことでも最初にやった人の業績は偉大だというような意味

(実際はコロンブス逸話では無いというのが定説だが、「コロンブスの卵」という言葉が広く流通しているのだから、そこはこの際問題にしなくても良いだろう)

だが「コロンブス」のMVにそのような意味がどこかにまれているのだろうか?俺には全く無いように見える

類人猿が卵を立てようとするが立てられず、コロンブスが立ててみせる映像はあるけれど

それが「コロンブスの卵」の成句意味を反映してるとは思えない

(「Coke STUDIO 魔法のはじまり」のキャンペーン曲で、去年の曲は「Magic」だし、「手品」的なものとして扱われてるような)

MVだけでなく曲の方もジャケ写が「コロンブスの卵」だから、曲自体もこれがテーマのはずだと思われるが、歌詞に「コロンブスの卵」要素があるようには、少なくとも俺には読み取れなかった

「ほら また舟は進むんだ」とかあるように、「コロンブスの卵」よりも、探検家・航海者としての「コロンブス」をテーマにした歌のようだ

これは不思議なことではないか

セス自主的に「コロンブスの卵」をテーマに曲を作ろうと考えたのなら、こうはならないのではないか

セスが外部の誰かからコロンブスの卵」をテーマにした曲を作るように依頼されたけど

その意図がよく理解できずに、とりあえずコロンブス関係する感じの曲を作ってみましたって感がする

そこがボタンの掛け違いで、

MV本来意図が伝わらないまま、何だかよくわからない雰囲気だけ楽し気な要素を繋ぎ合わせて作ったもの

総合的に見れば、非情にまずいものが出来てしまったということではないだろうか?

2024-06-14

働き方がどうとか、部外者が色々言う事じゃねえよ

もののけ姫が公開に間に合わなくてジブリだけの制作じゃ間に合わない分を他のアニメ制作会社が加勢して2週間で完成した逸話とか、

youtubeから締め出されたニコ動が2週間で自前でサービス開始した逸話とか、

 

今はもう無理だろうなー。

徹夜なんて出来ないだろうし、ゆとり教育洗脳された若手は仕事に命を投げだす事もしないだろう。でもこういうプロジェクトXみたいな昭和スタイルで成り立ってきたのが日本サービスなのよな。

2024-06-05

I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (3)

ディープラーニングトレンド

過去10年間のディープラーニング進歩のペースは、まさに驚異的だった。ほんの10年前、ディープラーニングシステムが単純な画像識別することは革命的だった。今日、我々は斬新でこれまで以上に難しいテストを考え出そうとし続けているが、新しいベンチマークはどれもすぐにクラックされてしまう。以前は広く使われているベンチマーククラックするのに数十年かかっていたが、今ではほんの数カ月に感じられる。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/owid-test-scores-1024x723.png

ディープラーニングシステムは、多くの領域で急速に人間レベルに達し、あるいはそれを超えつつある。グラフィック データで見る我々の世界


私たち文字通りベンチマークを使い果たしている。 逸話として、友人のダンコリンが数年前、2020年にMMLUというベンチマークを作った。彼らは、高校生大学生が受ける最も難しい試験匹敵するような、時の試練に耐えるベンチマークを最終的に作りたいと考えていた。GPT-4やGeminiのようなモデルで〜90%だ。

より広く言えば、GPT-4は標準的高校大学適性試験ほとんど解いている。(GPT-3.5からGPT-4までの1年間でさえ、人間の成績の中央値を大きく下回るところから人間の成績の上位に入るところまで、しばしば到達した)

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt4_exams-780x1024.png

GPT-4の標準テストスコア。また、GPT-3.5からGPT-4への移行で、これらのテストにおける人間のパーセンタイルが大きく跳ね上がり、しばしば人間中央値よりかなり下から人間最上位まで到達していることにも注目してほしい。(これはGPT-3.5であり、GPT-4の1年も前にリリースされたかなり新しいモデルである。)

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/math2022-1024x273.png

灰色2021年8月に行われた、MATHベンチマーク高校数学コンテスト難解な数学問題)の2022年6月パフォーマンスに関する専門家予測。赤い星:2022年6月までの実際の最先端パフォーマンスML研究者中央値さらに悲観的だった。

MATHベンチマーク高校数学コンテストで出題された難しい数学問題集)を考えてみよう。このベンチマーク2021年に発表されたとき、最高のモデル問題の5%しか正解できなかった。そして元の論文にはこう記されている:「さらに、このままスケーリングの傾向が続けば、単純に予算モデルパラメータ数を増やすだけでは、強力な数学的推論を達成することは現実的ではないことがわかった。数学的な問題解決をより牽引するためには、より広範な研究コミュニティによる新たなアルゴリズム進歩必要になるだろう」、つまり、MATHを解くためには根本的な新しいブレークスルー必要だ、そう彼らは考えたのだ。ML研究者調査では、今後数年間の進歩はごくわずかだと予測されていた。しかし、わずか1年以内(2022年半ばまで)に、最高のモデルの精度は5%から50%に向上した。

毎年毎年、懐疑論者たちは「ディープラーニングではXはできない」と主張し、すぐにその間違いが証明されてきた。過去10年間のAIから学んだ教訓があるとすれば、ディープラーニングに賭けてはいけないということだ。

現在、最も難しい未解決ベンチマークは、博士号レベル生物学化学物理学問題を集めたGPQAのようなテストである問題の多くは私にはちんぷんかんぷんで、他の科学分野の博士でさえ、Googleで30分以上かけてやっとランダムな偶然を上回るスコアを出している。クロード3オーパス現在60%程度であり、それに対してインドメインの博士たちは80%程度である

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpqa_examples-768x1120.png

GPQAの問題例。モデルはすでに私より優れており、おそらくすぐにエキスパート博士レベル突破するだろう...。

続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (4) https://anond.hatelabo.jp/20240605205024

2024-05-26

振ってよかったなと思う元彼

一途で浮気しなくて優しかった元カレだけど、よく考えたら人をすぐ面倒臭い批判する冷笑系だったんだよな

モラトリアム的な何かだと思うけど


別れた後、再会すると、モタモタしてるだけの人にすぐキレてたり、電車内のベビーカー邪魔だとか中国人が増えてきてうざい犯罪者日本に来るなとか、陰謀論にホイホイ引っかかってたり言動が幼くて香ばしいんだよな

いつ見ても、さすが私!別れて正解!正しい判断ができてえらいなー!直感正しいなーー!と晴れ晴れした気持ちになるのを思い出した

ここに書かれてるキモいチー牛の逸話を見てると元彼を思い出す、元彼言動が似てて

2024-05-24

anond:20240524134734

サンリオキャラっぽいよね。ディズニーしからぬ。

ヤングオイスターがどんなキャラクターか、みなさんご存じですか? ディズニー映画ふしぎの国のアリス』で、双子のトゥイードルディーとトゥイードダムアリスに話す「セイウチ大工」の逸話に登場するカキの子どもたちです。

2024-05-21

弥助の話はついに爆発してしまたかという感想

まぁアサシンクリードはやってないので正直あまりよくわからんが弥助の話は正直なるべくしてなったなという感想しかない。

海外掲示板とかTwitterとかよく見るから知ってたんだけど、日本の(ポップ)カルチャー黒人関連の話は爆弾ばっかり。

黒人侍の話は英語圏では前々から陰謀論大手を振ってて語られる話が滅茶苦茶。

坂上田村麻呂黒人説は有名だけど、そういう話をする黒人の人がマジでいてこれ日本で本格的に広まるとまずいよなぁと。

"侍が勇敢であるためには黒い血が少し必要である"みたいなわけわからん諺が流布してたり。

弥助の逸話は話が膨れに膨れ上がってよくわからない状態になってた。

残念ながらこの手の話がついに日本逆輸入されたのがアサシンクリードになってしまたかと。

どこかで爆発するだろうとは思ってたがまぁ仕方ないかもしれない。

弥助のハリウッド映画の話が出てるけど、ちゃん日本専門家呼んできちんと考証してほしい。


ワンピースアオキジとかも黒人説が膨れ上がってるけど実写版で登場することになったとき大炎上しかねん。

外国人アオキジのモデルが"松田優作"だということをわかっていない。

例えばこれを知らずに調子に乗った黒人の人が"マイノリティ表現の場から奪うな"みたいなことを言い出したらまたぞろ滅茶苦茶になるぞ。

2024-05-20

モンティホール問題

これIQの高い女性が解いたんだね。

それで「お前は間違ってる!」と博士号を持った人たちからめちゃくちゃ反論くらったとか。

モンティホール問題のもの面白いけど逸話のほうも面白えや。

2024-05-18

武士貴族

まあそもそも貴族ってなんだって話になるんだが……。

話題アサシンクリードで言うと、ヴァルハラに出てくる9世紀ヴァイキングに登場する主要人物は農民だ。

ただ日本語訳がそうなってるだけで、実態としては土地持ち使用人持ちを指し、地域首長に兵を供給するポジションである

いわば日本で言うところの国人衆に近いだろう。

土地を持たない大多数の農奴には主権がなく、主人公として(リアリティ面で)不適格ではないか? という考え方が一定支持されている。

本来領地貴族になれない属性創作とはいえ主権を得ることは重大な文化の盗用、ウォッシングとされる)

彼らにとって弥助が俸禄で食うサラリーマン(家臣)か領地貴族武士?)であるかは極めて重大な事柄であるらしい。

先日タイタニックで亡くなった黒人執事秘書か混乱した逸話がまとめられていたが、アレと似たような話なのだ

昨今イスラエルやら何やらで西側の混乱を眺める毎日だが、彼らとしっかり付き合うにはここら辺の感覚必須だと思う。

いい意味でも悪い意味でも我々は東アジアとして生きていかなければならない気がヒシヒシと感じる。

2024-05-12

おはよう

おはます

太古の時代

母なる自然に思いを馳せる

もしも杉の大杉さんに

お目目とお口とお耳があって

お話しすることができたら

いろんな逸話をたくさん語ってほしい

増田選手はたくさん感謝を伝えたいですわ

2024-05-08

[]ファトゥス考察アップデート

席次コードネーム/英名仮面ネーム?※本名
統括官道化」/"The Jester"ピエロ不明
執行官第1位隊長」/"The Captain"ピターノ不明
執行官第2位博士」/"The Doctor"ドットーレザンディク
執行官第3位少女」/"Damselette"コロンビーナンジェリカ?
執行官第4位召使」/"The Knave"アルレッキーノペルヴェーレ
執行官第5位「雄鶏」/"The Rooster"プルチネッラ不明
執行官第6位「散兵」/"Balladeer"→空席スカラマシュ国崩
執行官第7位傀儡」/"Marionette"サンドローネ不明
執行官第8位「淑女」/"The Fair Lady"→空席シニョーラロザリンクルーズチカ・ローエファルタ
執行官第9位「富者」/"Regrator"パンタローネ蒼朮?
行官第9位(同率)?「富者」/"Regrator"?カッサンドロ?白朮?/考察元
執行官11公子」/"Childe"タルタリヤアヤックス

仮面を用いるイタリア即興コンメディア・デッラルテにおけるストックキャラクター元ネタと思われる

キャラクターリン: 十一人のファトゥス - Fandom

追加情報: フォンテーヌ廷で入手できる書籍「ペリンヘリから、ペリンヘリカーンルイア赤月王朝が人造降臨者(超越者)を錬成する実験の成果であると思われるが、この描写との多数の一致により、召使は同じルーツを持つ技術によって誕生した人造人間であることが示唆されている。
カーンルイア(ダーリ人)遺跡からおそらく同じ技術を持ち帰ったルネによって作られたのがキャタピラーで、こちらは灰からではなく不死の呪いを受けたヒルチャールへの改造であり、そこが違い。
また、同じく「ペリンヘリからアンジェリカは高天の使者であり、仙霊のルーツの(おそらく唯一の)生存者であり、その特徴と「少女」との一致から作中のアンジェリカと同一存在である可能性がある。考察元
この説でいくと、コロンビーナは最初の仙霊であり、古代統一文明を導いていた天理使者のうち最初に生まれ存在ということになる。創世神パネースは最初に4つの光る影を作った(おそらく統治のために使者とした)ことが分かっているので、その4柱のうちのいずれかであると思われる。
聖遺物の理の冠をパネースとして、生の花がスメール垣間見花神ナブ・マリカッタ、時の砂白夜国や雷電眞や千風神殿に関わる時の神イスタロト、空の杯が甘露花海となった高天の使者で前水神のエゲリアとするならば、コロンビーナは死の羽に相当する神格をもっているのかもしれない。
書籍酔っぱらい逸話」の中の「最初の仙霊」たる少女も目を伏せていて、コロンビーナも目を覆っているのは、人間や俗世の者と愛し合うことを避けて神力を失わないようにということだろう。
上にリンクを貼った白朮ファトゥス説動画コメントから興味深い指摘を取り上げる。白朮のマントは4枚のヒラヒラが垂れ下がる特徴的な意匠をしているが、動画中で「富者」のマークだと見做された「ヒーラーの手」シンボル酷似した模様は、上下反転すると白朮に巻き付く長生マント意匠に一致する。
最近出てきた新しい動き「厳冬計画」について…この考察がいい感じだと思った。

2024-04-27

0才児に投票権があるなら、小学生結婚しても許されないとおかし

一石投じてやったぜ

飛ぶ鳥落とす勢いの

俺はまるでブリューナク(ケルト神話の光の神ルーが持っていたとされる武器。投槍のような武器と考えられているが投石武器スリング)だったのではないかとも言われている。だが光の神ルーの持つ投石武器としてもう一つタスラムと呼ばれるものがある。これは宿敵であるバロールの魔眼を撃ち抜いたとされている。このことからブリューナクを投石武器とする説はタスラムと混ざっただけであるとも言われているが、同時にタスラムこそがブリューナクの投槍としての機能が投石武器として誤って伝わったものとも言われている。このように神話主人公複数神話的な武器を持ち神話的な逸話を作るが、これらの多くは戦場に出陣した兵を鼓舞する際、「お前たちの武器神話にも劣らない」と語った際に仲間外れになってしまう兵種が出てこないようにしている内に増えてしまたかであるとも言われている。神話とは現代においては単に娯楽として消費されるようなものになっているが、古代においては宗教的意味が強く、それはつまる所政治利用されるための道具であったわけである政治の道具であるということは、時の当事者達が都合によって何度も書き換えるためのインセンティブが働いてきたということである。王・将軍神官占い師などがそれぞれの都合により定期的に書き換えるわけだからして、そもそも正しい内容と呼べるもの存在しないとも言える。たとえば、ブラックジャックの例のセリフが「木の芽木の芽!」であったと語るものと「(検閲)」であったと語るもののどちらかが間違っているということではなく、どちらも正しくはあるのだ。もしもそこで正しさを問われるものがあるとすれば、それは自分の都合によって内容を書き換えてしまった者達の側だろう。そもそもをして政治利用意図がなければ神話の発展はなかったのだから、都合により好きに書き換えて良いという姿勢は好ましくないと私は考えている。それは親が子供に「お前は労働力として産んだのだから、お前の人生は俺達の所有物であるべきなんだ」と語るに等しいことだ。相手空想上のものであっても、生みの親の絶対的権限をふりかざしてその存在を歪めるのにも、どこかで限度というものがあるべきではないだろうか?)

2024-04-20

エマアレックスは、公園中央にある一本の大きな木の下に設置された古びたベンチに座っていた。黄金色に染まる木々の葉が風に揺れる中、二人はまるで異なる世界の住人のように、それぞれ異なる思索に没頭していた。

エマアレックスの横顔を盗み見ながら、彼への深い愛情に心を満たされていた。彼女思考は、彼の笑顔、昨夜二人で共有した冗談、そして彼の手が偶然触れた瞬間の温もりにまつわる記憶に溢れていた。彼女は、どうやったらこの繊細な感情言葉にして伝えることができるのか、その方法模索しながら、彼が同じように感じてくれていることを願っていた。

一方でアレックスは、まったく異なる思考にふけっていた。彼の頭の中はいつか見たコメディ映画一場面でいっぱいで、その滑稽なシーンを思い出すたびにくすりと笑いをこらえるのがやっとだった。映画の中でのある不器用キャラクターバナナの皮で滑って転ぶシーンは、彼にとってこの上なく楽しい逸話であり、その笑いが彼の心をくすぐっていた。

公園の夕景は美しく、風がエマの髪を優しく撫でる中、彼女アレックス自分愛情を感じ取ってくれることをただひたすらに願っていた。しかし、アレックスはその場の心地よさと映画コミカルな回想に心を奪われており、二人の間に流れる感情アンバランスは、見えない壁のようにそっと存在していた。

この小さな公園の中で、二人の心は同じ時間を共有しながらも、まるで異なる軌道を描いていた。エマ愛情深い視線アレックスの微笑みが、秋の柔らかな夕日の中で静かに交錯していた。

2024-04-17

anond:20240417165455

ジョブズは口からウンコみたいな暴言を四六時中撒き散らしてるけど、肛門からウンコはしなかったのは有名な逸話

2024-04-15

落語は疲れる

落語を聞きに行った

弟子

師匠

弟子

師匠

休憩10分

師匠

で3時間

youtubeばっか見てて集中力10しか持たない体になってしまったものにとって

一人喋りを長時間聞くのがきつかった。

弟子はやはりヘタクソで初めは気を付けていたようだがだんだん演じ分けがあやふやになってきていた。

その点師匠はうまかった。長い噺では落語を中断して彼の師匠逸話を入れて見たり。

とはいえ疲れた

それと隣のおっさんがとにかく一人大声で笑うのにも閉口した。

まあ完全に笑いに来てるんだろうな。

年齢層はやはり高く75歳くらい?

顔見知りらしく(後援会?)皆あいさつを交わしていた。

師匠の噺は面白かったけれどそれでも同じ人から3本はきつい。

次行くのなら師匠クラス3人くらいがいいなと思った。

それと舞台の美しさ

真っ暗の中に輝く、屏風と座布団には感動した、

2024-04-04

anond:20240404223403

ぜんぜんちがう…

それなら夏目漱石就任した英文学教師の前任者だったラフカディオ・ハーン日本で「へるん」と呼ばれて本人が『私はそういう名では無いが親しみをもって接してくれた結果がそれなら構わない、嬉しくおもう』という逸話のほうがまだ近い

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