はてなキーワード: ベースとは
ワイも岸田嫌いやないけどコロナ鎖国とかロシア制裁とかでやるべき時はやれるタイプで優柔不断な印象はないやで
野党側はウクライナがあって外交安保は争点化したくないしコロナ感染者や失業者は煽れる水準になくて
キシダインフレくらいしか叩けるネタないからネガキャンやりにくいんやろうなという気がするやで
「アベノミクスで雇用が増えたのは海外経済のおかげ」とか言っておきながら海外のせいでインフレになっても政権叩きにつなげるから見ててうんざりするやで
あと数量ベースで輸出が増えてないとかインバウンドの効果小さいとか言いつつ「アベノミクスで雇用が増えたのは海外経済のおかげ」というのも同時に主張したりして論理的整合性皆無な批判が多い印象やで
写真家の今森光彦氏が、段々畑のある里山に土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。
写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本。
私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈りの必要性についてだ。
年に数度の下草刈りが必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山の生物多様性は人の手によってつくられるのだ。
昔、映画『もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビューで宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山の風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。
人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのままの自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物や昆虫、小動物など生物にとっても住みやすい環境なのだ。
蝶は、それぞれごく限られた種の植物に依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地に暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地の生物多様性の指標としてはもってこいなのかなと思った。
30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園。楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業や園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ。
自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木だけが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々は老いや共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。
人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異の再現であり、しかも計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしまう草木を残し、土地の養分と日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。
環境保護というトピックにおいてはつい人間の存在を不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間は自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話からは脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。
裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系のベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性や共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分の繁栄だけが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。
まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山の風景や草木や蝶をはじめとする昆虫の写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。
それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからあまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキに依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。
ネットとともに生きてきたネット民って、70になっても80になってもネットしてると思うんだよね
もしかしたらその頃はメタバースみたいなものが若者の間では主流になって、
こういう文字ベースの掲示板やSNSみたいな場所は老人だらけ、みたいな住み分けになっているかもしれない
いずれにしても、俺たちって多分死ぬまでネットやってるよなって思った時、
「老人が孤独じゃない世代」って世界で俺たちが初めてかも、って思った
子がいても自立して家を出ていき、同世代の友人はどんどん死んでいく
孤独になっていく老年期だけど、ネットがあるからきっと寂しくない
『平家物語 犬王の巻』とか『きのう何食べた?』とか数冊の本だの漫画だのと平行して読んだので、すごく時間がかかってしまった。最近、年のせいか集中力が続かなくなってしまってなぁ。でも集中力が衰えたからといって本を読む気力がなくなったわけではなく、好奇心旺盛な性格は変わってないお陰で、複数の本をかわるがわるちょっとずつ読むことで気分転換が出来るので、いいんだけど。
暴力団の有力幹部・韮崎が何者かに殺害された。事件には暴力団同士の抗争の痕跡がなかったため、単なる殺人事件として本庁捜査一課が担当することとなった。
事件当時の状況と推定された凶器から、プロの殺し屋の仕業とは考え難い。捜一の係長・麻生龍太郎警部は韮崎の周辺を捜査にあたるが、その過程で韮崎の企業舎弟・山内練と再会する。練は十年前、麻生が担当した強姦未遂事件の犯人だった。
当時は気弱な大学院生でしかなかった練が、なぜヤクザの片棒担ぎに堕ちてしまったのか。麻生は韮崎殺害事件を捜査していくうちに過去の因縁に翻弄されてゆくのだった。
同作者の『RIKO――女神の永遠――』から始まる「緑子シリーズ」のスピンオフ作品。約670ページ、しかも2段組みで細かい文字がびっしり。鈍器のようにずっしりと重い……読む前に見た目に心を折られそうになった。本編よりも分厚いスピンオフってなんなの。でも読み始めてみると、かなりのページターナーぶりで、本の厚みなど気にならなくなる。きっと二十代の頃に読んでいたら徹夜で一気読みしたことだろう。
前半は練ちゃんの章と麻生の章が交互になっていたので、韮崎殺害事件そのものよりは練と麻生のBLがメインなのだろうかと思ったらそうでもなく、ちゃんと骨太サスペンス小説。事件の重要参考人が登場するごとに謎が謎を読んで、なかなか推理のし甲斐のあるストーリーだった。
登場人物の心理描写が巧み。特に、麻生が慣れと惰性から無意識のうちに練ちゃんに自白を強要してしまった事に長年気づかず、担当弁護士から指摘されてもプライドが邪魔をして認められないという所がリアルだった。
練の冤罪事件に関しては麻生はかなりの悪人ぶり。主人公なのにこんなナチュラルに悪い事してていいのかよ……と思いつつも、文章が共感ベースというよりは理解ベースというか、登場人物をちょっと突き放した書きっぷりだから、共感できない事が読書のストレスにならなかった。へぇー、なるほどなるほど。お前はそんな風に思ったからそうしてしまった訳ねー、と他人事として読めるというか。こういう感情移入のし難い主人公も、ありなんだなあ。もし文章が下手な人がそういう主人公を描いたら、ただのイラッとするキャラになるだけなんだろうけど。
女性の登場人物がとても魅力的。麻生の恋人の槙や、韮崎の愛人の皐月、捜査一課の静香など。特に静香は若い女性らしい真面目さと潔癖さと甘さがいい。著者が女性だからなのか、女性の描き方が単純な可愛さやお色気の枠にはまっていない。
しかし一方で、男性の恋愛心理が微妙にリアルじゃないなと思う所もあった。恋人に裏切られたときの男の反応なんかは馳星周の小説の方がいいな。よりバイオレンスだけど。
後半は、韮崎殺しの真犯人は誰なのか、見当がつくくらいにいい案配で小出しに情報が与えられるので、犯人が解らなさすぎて嫌んなったなんて事にならなくてよかった。ラストの犯人との対決シーンも緊張感があってよかった。
詳しい増田さんが何人もいるようなので内情はよくわかっていると思うけど、
昨今のコロナや戦争の影響で、今ソーラー関連の事業者はなかなか厳しい状態なのである。
彼らは海外からパネルを仕入れるのももちろん、設置場所への設計から工事などなど、まぁつまりは稼働するまでの責任を負う。
ハウスメーカーがソーラーを乗せる場合にも、ハウスマーカーから各業者に発注する流れとなる。
もちろん価格はソーラー専門会社がハウスメーカーへ見積もりを出して、そこに上乗せして客へ提示される。
で、ハウスメーカーにとって今問題になっているのが仕入れ値の上昇である。
戸建てでは契約から引き渡しまでは1年ほど時間はかかるが、基本的には契約時の見積もりがベースになり、そこにオプションがどうのこうのなった金額が最終見積もりとなり請求される。
のだけど
コロナ禍と戦争があるこの一年で、仕入れ値が据え置きなんてことはもちろん無いわけである。
とある業者は、ソーラーパネルの仕入れ値が倍になってしまったので、某ハウスメーカーにも相談しているが、交渉は難航している。
ちなみにこの某ハウスメーカーには、個人的に戸建て建築で相談に行ったこともあるが、営業マンいわく「企業努力で価格の上昇は抑えている」とのこと。
FITと設置費用の相関については多くの人が知っての通り、パネルの仕入れ値は年々安くなり、それと同率でFIT買取価格も下がっている。
つまりは、設置してFIT期間の10年で設置費用が回収できるように、販売価格が調整されている。
しかし、これまでのパネル仕入れ値の下げ幅と歩調をあわせてきたFIT買取価格であるが、昨今のコロナ、戦争の影響による仕入れ値爆上がりには対応してくれていない。
そうなると、ソーラー設置費用を上げることはできない。(回収までに15年とか20年とかになってしまうので)
で、じゃあ誰が企業努力してがんばるのかといえば、俺の観測範囲ではソーラーの設置業者である。
ハウスメーカーは値上げを飲んでくれない、個人宅への後付でも、10年で回収できないのであれば見送るということになるので、
利益なんてほとんどない状態でやらざるを得ない状態が続いている。
もちろんパワコンも不足しているし、それらがすべて揃わなければ納品完了にもならないので請求もできない。
戦争前から大変だったけど、戦争始まってからはもうホントにお手上げ状態。
この状況がいつどのようにして落ち着くのかはわからない。
ソーラー事業者を守るためにはFITの価格を引き上げるか、FITの期間を10年から15年に伸ばすかなどしかないが、まぁ現在は守るべき対象の業種が多すぎる問題もある。
メガソーラーで評判を落としてしまっていることも足かせになっているのかもしれない(憶測)
いずれにせよ、ソーラー事業者にとって、これまでハウスメーカーは味方で大事な取引先だったわけだけど、
これからはどうなるのかわかりませんよ。
現状ではやればやるだけ赤字ですよ。
もしかしたら、新築住宅への設置義務が、歴史の浅いこの業界を潰す一手になるのかもしれませんよ。
うちはソーラー設置しないことに決めたのでどうでもいいです(土地の問題、北側斜線で結構削られちゃうので、それなら別にいいかということで。)
よく、アイドルに対してアイドルなのにブスwwというアンチが湧いてくる。
それに対して鏡見てから言えwwwというアンチへのアンチが湧いてくる。
正直不毛だと思う。
事実ベースで言えば、いつでもどこを見ても誰が見ても可愛いアイドルは存在しない。一瞬をうつした写真は誰からみても可愛いいこともあるが、別の角度だったり加工を外した歌番組だとかチェキではあれ、、、?ってなることは確率として100%である。
なぜファンがいつでもアイドルを可愛いと思えるかというかというと、疑似恋愛をしているからである。
恋愛に関して、本当に好きになった人って何してもかわいいって思えるのと一緒。アホみたいに酔ってたり、口開けて寝てたり、機嫌が悪い時とかも恋人なら可愛いって思えるのと一緒。
恋は盲目なので、それに対してブスを応援してどうするのwwwというのは無意味なだけではなく人間関係を大きく崩壊されることなのはこれでわかってもらえただろうか?
自分は左翼だけど、野党が掲げる消費減税や所得減税策は非常にナンセンスだと思っている。野党支持者はこうした馬鹿げた政策を支持するべきではない。その理由は、(1)貧困者に大した恩恵がない、(2)政治的な実現性がない、(3)シナリオが楽観的すぎる、(4)選挙戦略としても最悪という4点である。
(1)減税策は、再分配政策として効率が悪く、そもそも大した税金を払っていない貧困者には、さほどの恩恵はない。年間食費100万の世帯が消費税ゼロになったら10万円給付されたのと同じだと言う人がいるけど、同じ理屈で食費30万の貧困層は3万円しか給付されないということになり、あまりに不公平な政策としか言いようがない。
(2)減税の主張には、見返りとして「代替財源」を必ず要求される。基本的には歳出の大幅カット以外にない。れ新のようにMMT理論で「国債」と即答してバカにされないのはネット経済論壇オタクの世界だけで、それが現実政治の場面でも通用するかのような物言いは明らかに甘すぎるだろう。財務官僚の実務経験や勉強量を前にして、論破できる能力のある政治家が野党にどれだけいるのか怪しい。そもそも「低負担・高福祉」政策は世界のどこも採用しておらず、これまで成功例のない政策が採用される可能性は限りなく低い。
(3)将来的に再増税するときの経済的なショックについては、なぜ楽観的なのかわからない。減税しても期待したほど消費は伸びずに経済成長もせず、再増税したら消費が大打撃を受けるという、最悪のシナリオはどうして想定もしないのだろうか。少なくとも政策というのは、最悪のシナリオをベースに立案されるべきなのが鉄則だろう。
(4)選挙戦略としても減税を掲げることはきわめて悪手である。とくに野党が「減税」を掲げる場合、民主党政権の記憶もあり「また有権者をバカにした現実性のない甘い政策を掲げている」「やっぱり政権を担う覚悟や責任感がない」と見られるだけである。「減税」を全面に掲げた場合、野党は無残なほど大敗するだろう。減税策は、政権運営能力があると認められた与党が徹底的な民営化や厳しい歳出削減とセットにした上ではじめて支持されるものであり、政権運営能力がないと思われている野党が提案しても無党派層に響くことは絶対にない。
しかしなんで日本の左翼って、「増税分を社会保障と再分配に回す、それと並行して景気対策も進める」という当たり前の主張が少なく、ネオリベが喜ぶ減税策が大好きなんだろうか。
だって男性が自分よりも収入が上の(大抵は年齢もずっと上の)女性と結婚したニュースってたまに流れてくるけれど
それに対する男性の反応って「羨ましい」よりも、「よくもまああんなBBAと…」って嘲笑が殆どじゃん
余命投票制度を反射的に否定する人は、莫大な費用のかかる手術をしないと死亡する幼児と老人がいる場合、どちらも対等に扱うべきだと考えているのだろうか?
費用の制約により救える命が限られている場合、原則としては余命の年数をベースに優先順位をつけるのは自然な発想であり、実際に根拠に基づく医療(EBM)の考えではQOLを考慮した期待余命の年数(質調整生存年)をもとにした費用対効果に基づき判断するのが一般的である。
日本でも質調整生存年に基づく費用対効果を考慮した薬価基準制度は2019年にに導入されており、余命をもとに物事を考えることはそれほど反倫理的ではないといえる。
と迷いつつ、幾数年。という人はしないんだろうし、そういう自分もしないしできないですねってのが後に続く駄文のサマリ。
何とか受験戦争もおおよそ勝ち抜き、そこそこの会社でそこそこの地位について、そこそこのお賃金で、ギンギンとは言わないけど、そこそこはもらっている。
で、入社以来その収入で節約&コツコツ投資を進めて金融資産はおおよそ1億程はできて、今四捨五入で40歳。
月々の収入は50万±5万程度で、ボーナス+諸手当が年200万程位で、生活費は10万/月未満。
生活費については、家賃を抑えればあと2、3万は下げられるだろう。
だからそろそろ、まず退職して今の収入がなくなったとして、で、耐えて失業保険貰って
で、その切れ際に長期職業訓練を入れて保険を延長して、なんてつなぎを入れて、
今の生活レベルを維持するか、さらに抑えればまぁ年金まで生き延びることはできるっしょ。
ちょっと厳しければ時々バイトして、なんてので今の仕事を俺は辞めるぞジョジョォオオォ!
なんて計画していた矢先にコロナが来て、リモートベースの仕事になって
働きたくないでござる侍が活動を弱めている昨今。
その思いが揺らぎつつも、やっぱりその思いは消えてはいない。
これがやっかいだ。
そして、FIREに対抗する状況として
現在の金融市場の相場が少し冷え込んで、これからも寒そうな季節が来ている。
この状況だとしても、退場しても中長期で見れば生きていけるんだろう、多分。
だからFIREするんだって、思うんだけど。思うんだけどさ。。。
もともと、数年前に思っていて、準備していたところに
図らずもコロナ鍋が来てリモートベースの仕事になって、少し楽になった。
かといって、働かなくていいなら働きたくはない。
それはそう。
じゃあここで、辞表をWordでしたためて辞めるかって自問自答しつつ足踏みしている毎日が今なんだ。
おそらく今FIREすれば、生きていける。
仮に資産が底をついても、生きていける。
生活保護なり、それが無理でも日本という国はまぁ恵まれてはいる。
少なくとも今の自分はどの選択肢でも死を選ぶほどの最悪はないと考えられる。
こちとら、将来のリタイアを見据えて価値観を貧乏学生からアップデートしていないんだ。
過労からくる体調不良で入院して半年ほど入院した経験もあり、無職透明な生活には慣れている。
あとは決断するだけだ。
もう、合コンとかマッチングアプリで彼女を探して結婚してなんて統計的にはない年齢なんだ。
上振れを望めない年齢、立場に突入したんだから、じゃあ細く長く生きるってのがコスパとしてはベストだろうよ、と。
無職に舵を切ることに、細く長くの人生設計に対する何のリスクもないはずだ。
だけど、やはり決断できない。
今以上に資産が目減りしたら?
そしたら生活保護?
それが認められなければ、学生時代にコンビニバイトでシフトを増やしてくれって店長に懇願していたようなあのおっさんみたいになるのか?
その時にコンビニバイトなんてあるのか?シンギュラリティが来て、高度な技能以外を持つ人間以外は仕事にもつけなくて死ぬのか?
なんて考えて、幾数年。
この考えの起点に立ったあの時、数年前に即断即決でFIREしていれば。。。
あの時はヤバかった。
電車を眺めながら椅子に座り、気がついたら終電を逃して漫画喫茶に泊まり、そのまま翌日出社して。
パワハラ先輩には同じ服装をいじられて、幸運にもその日が金曜日だったので、体調不良で退社して
泥のように寝て、土日をキングクリムゾンして。
で、頭を垂れてため息の月曜日を迎えて、思考停止でパワハラを受けて。。
そんな生活が、今日、この月曜日を経験してかなり緩和されていることに気づく。
だけどまぁ、かといって無職に比してはリモートワークでもストレスはあるし、プレッシャーもあるんだ。
だからFIREしよっかな、って暗黒の月曜日を終えた今日も思って考えるけど
結局これをN+1考えて、定年を迎えるんだろうな。
だったら、糞みたいな資産形成なんかさっさとやめて、浪費浪費で宵越しの貯金はしねえってな、刹那的な生き方をすれば幾分人生を楽しめるんだけど
それもできず、ありもしない選びもしない未来への糞みたいな砂上の楼閣を夢見て資産形成をするだけで、いつか数十年後いや数年後に床のシミになって死ぬんだろう。
だけど、けれどもわかっちゃいるが、分かってはいるつもりなんだが
染みついたその価値観に基づく夢は、ハーフプライサーとしての生業を止められないし、娯楽に金を出せない脳になってしまっていて、今さら浪費もできないだろう。
本当に糞みたいな人生で、糞みたいな展望だけど、資産をためて変死するってのが、
直近十数年の結末の予想としては、単勝1.1倍位あるかなり鉄板な未来予想図だ。
辞職するぞのブレーキランプを5回なり6回なり脳内で会議で何回ぶつけても、FIREするぞの裁決になんてなりはしない。
このまま腐って死ぬだけなんだろう。
はぁ。
リサイクルに関しては、三元系だろうがLFPだろうが、「やればできる」技術ですよ。人間が自然界から取り出せるものを、高濃度な人工物のコンパウンドから取り出せないわけがない。湿式製錬でも乾式製錬でも、どうとでもできる。今「やれてない」のは、そこに何か未解決の技術的課題があるわけじゃなくて、新規採掘マテリアルより再利用マテリアルのほうが高くつく間は、リサイクルはペイしないから。それでもコバルトとニッケルは回収が採算化するメドがついてきたから、レアメタル大手のUmicoreとかはLiBリサイクル事業を積極的に拡大してる。
一方でLFPのリサイクルに関しては、現時点ではエネルギー業界ではあまりポジティブな意見がないのは確かだけど、これも何か高い技術的なハードルがあるわけじゃない。鉄とリンの塊という、現在は低価値なマテリアルをリサイクルしても、業者は儲からないから、やってない。リサイクルをする経済合理性がないということです。こういう「中長期的には枯渇していくかもしれないけど、現時点では比較的入手が容易な資源」でリサイクルを廻すには、もっと価格が上がるか、新規採掘量を法的に規制するステップが必要になる。
以下の動画はバッテリ持続性サミットの質疑応答。「LFP電池のリサイクルにも経済的合理性は見込める」と言ってるけど、それは今ではない、LFPのEVが市場に増え、そのEVの製品寿命が1ターン回り、リサイクルするLFPの量が増え、リサイクルの採算規模が確保できる頃に意味が出てくる、また(一度マテリアル化しての資源市場での再販ではなく)廃LFPの正極を直接リサイクルして再利用できるようになれば有望だ、というようなことを言っている。
https://www.youtube.com/watch?v=4MvSABcJ70k
それにね、増田は「リンが高騰してて大変だ」というけど、今の「高騰した」リン酸塩の取引価格が250円/kgぐらいでしょ。対するコバルトは10000円/kg超え。やっぱりこの2つを「希少な資源」として同列に語るのはかなり無理がある。元増田は「「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ」と言うけど、期待付加価値から考えれば、産業用途リンは絶対に農業用途リンに買い負けたりしない。もし農業リンがコバルトに競るぐらいの希少資源になったら、その頃は世界の慣行農業の仕組みは崩壊してるよ。
もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
そうだよ。もし今後LFPがずっとEVバッテリの本命級のままで、リンが電池への採用が困難になるほどの希少資源になれば、その時にはLFPリサイクルが実現する(そして、その時に走行しているLFPベースEVの台数を維持できる程度のLFP電池を、リサイクルから再製できる)。一方、リンが今のように肥料としてバンバン蕩尽できるぐらいの価格で供給されるなら、LFPリサイクルは実現しない。さらに、もし将来、LFPよりも製造コストが低くて十分な性能を持つ次世代電池が普及し始めたら、やっぱりLFPリサイクルは実現しない。つまり、将来LFPリサイクルが実現しないとしたら、それは「LFPをリサイクルしなくてもEV業界には問題ないから」なんだよ。
なお、自分はLFPはあくまで脱レアメタル化のためのひとつの通過点だと思っている(二次電池進化の「現時点での経由地」という書き方をした通り)。さらに高密度で安価で持続性のある電池が必要とされる限りは、新たな技術が開拓され続ける。
電池技術の発展速度が、たとえば電子技術なんかに比べると比較的遅いというのは正しい指摘だけど(自分もこのエントリ https://anond.hatelabo.jp/20150504101626 の中でそれに言及したことがある)、その後6年間で電池業界が達成してきたことは、正直自分の予想を超えていた。やっぱり将来の基幹産業としてR&Dが廻り出すと、これまでとは技術進歩のペースが桁2つぐらい違ってくる。CATL、BYD、テスラみたいなとこは言わずもがなだし、NEDOだって日本の研究機関だって企業だって色々やってる。
次世代EV電池で上市が一番速そうなのは、ナトリウムイオン電池かな。CATLは2021年にラボレベルで製品発表していて、2023年に量産化を予定している。ご承知の通り、CATLは狼少年みたいなことはしない会社なので、ある程度の目算はついているはず。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01992/00001/
元増田ならこの他にもカリウム系、カルシウム系、Li-S、Al-S2などを始め、電池分野では多種多彩なトライアルがなされていること、そのうちいくつかは近年ブレイクスルーが起きて実用化までのロードマップが大幅に短縮されたことも知ってると思う。リン枯渇が全地球的な課題になるよりずっと前に、電池技術は大幅に進歩して、普及価格帯のEVでもICEを超える走行距離と必要充分な充電速度を達成できるよ。社会がそれを求めていれば、研究と産業は絶対にそのニーズに応える。自分はそのステップで日本の研究者や企業が貢献してくれることを期待したいし、楽しみにしてる。
最後の、「でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな」については、自分はめちゃめちゃ日本の自動車産業や電池研究を応援してるし、そう書いたつもりだよ。
ただ、トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
id:sgo2 2030年時点でBEVが1.6〜26%という予測(https://s.response.jp/article/2017/10/11/300895.html )なので、1/3という数字でも十分前のめり。因みに現時点で欧州17%中国16%米国4.5% https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/05/613a9a4551b47453.html (本当に数字見んのな)
2022/06/21
この上の記事は2017年時点のデロイトトーマツの予測で、ドッグイヤーのこの業界では既に典拠にしないほうが良い内容です。なお2017年はEVバッテリの平均価格が急低下した年で、これ以後コンサル各社はBEV普及ペースを大幅に上方修正しました。たとえばボスコンがつい最近(6/13)に出した予測はこんな感じです。
https://www.bcg.com/ja-jp/press/13june2022-electric-cars-are-finding-their-next-gear
図表では、2030年の世界の新車販売台数のうちBEVが40%、2035年には59%になってますね。米国・欧州・中国を個別に見ると、さらに多い。上で書いた通り、トヨタの海外売上は北米・欧州・中国の3エリアで70%を占めてるんですけど、そのマーケットは今からわずか8年後にはこういう顔つきになっているということです。これ見てると、トヨタの「BEVラインナップは3割」戦略は相当ヤバいな〜って思いませんか。
自動車産業に特化した情報サイトのマークラインズは、LMC Automotiveの調査を引用して世界乗用車販売に占める各パワートレインの構成比推移予想を出しています。こちらは2022年1月の予測ですが、ボスコンよりやや保守的で、2030年のBEV比率は25%前後。ただしその3年後の2033年には40%を超えるシナリオです。
https://www.marklines.com/ja/forecast/index
2番目の記事で引用されているIEAも、2030年に①現状政策シナリオでは世界販売台数の26%程度が、②持続的発展シナリオでは47%程度が、EV(BEV+PHEV)になると予測してます。なおBEVとPHEVの販売比率は現状7:3で、IEA予測では、2030年もだいたいこの比率が維持されるようです。
https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/global-ev-sales-by-scenario-2020-2030
つまり2017年時点では「最大でも26%」と推定されていたBEV販売比率が、今では「最低でも26%」(ただしPHEVも含む)になっているんです。この5年間のBEVの販売台数の伸び方は、多くの業界関係者の予想をも大きく上回ってたということですね。我々消費者も、EVについて何か考えたり議論したりするのであれば、とにかく最新の情報をチェックして、細かく自分の常識に当て舵をしないと、あっという間に現実に置いて行かれます。そういうスピード感のある業界だから、自分は面白くウォッチしてるんですけどね。
(異性間の話も同じくらい好きなので性別を問わないというのが本当かもしれない)
最近、ご自身がLGBT当事者であると公表されている作家さんが
作品内でも同性間で恋愛や結婚するのはまったく普通のことだという前提で作品を描かれているのをよく見るので
自分はマイノリティの消費をしているんだなと感じ、作品を発表することが不安になることが多くなりました
同性婚も当たり前にできるような、そういう世界になって欲しいと本当に願っています
でもそれと同時に私は、創作物の中での、
恋人同士にならずとも、結婚などせずとも、ずっと特別でいられるような同性愛の関係が好きなので、
そういう関係にならないことを結論にするみたいな話ばかりを描いているのですが
それはもしかして当事者の方の祈りの否定になるのではないかと…
例えば同性に惹かれることへの葛藤とかも表現として好きなんだけれど
誰かを、とくに当事者の誰かを傷つけてしまうことになるのではないかと思うことが増えました
自分が好きなものの加害性に気がつけただけでもいいことなのかなとは思うし
加害性の全くない創作物などないというのはわかっているんですが
どうにもまだ折り合いがつかないでいます
あのね、トヨタのBEV戦略はね、「2030年に1/3をBEVにする」ということなんだよ。
いまトヨタは台数ベースで1000万台/年売ってるんだけど、2030年にはEVを350万台販売する。
トヨタは車種でカウントすると100車種ぐらい展開してるんだけど、2030年には30車種のEVを投入する。
どっちも1/3。
動画編集ソフトはゆっくりムービーメーカーを使っているんだけど、結構使いやすくて重宝してる。
しかしGPU対応がなくエンコードが遅い点や、AVIUTILをベースにしていることを知り、
なんかブコメいっぱいついてるけど、賢者っぽくいい加減なことを書くのはいかんよ。
リン酸鉄系もよく引き合いに出されるけど
あのさあ、LFP電池が使うリンの量なんて、農業利用される莫大なリン量に比べたらタカが知れてるというか、はっきり言って誤差のレベルでしょ。農業分野での消費量のオーダーは年間1.5億〜2億トンって世界じゃん。「世界の推定埋蔵量は700万トン」のコバルトに関して増田がやったような試算をリンでやったら、LFP電池のEV何台作れることになるかな?って話ですよ。
しかも、消費とともに土壌や水系に原子レベルで散逸して回収不能になる農業用途と違って、電池に利用するリンは決して「消費」はされないわけ。そもそもLFP電池自体がNMC系のLiBに比べて長寿命なうえに、最後までバッテリセル内に滞留してて100%リサイクルできるからね。今時の自動車産業は、現時点でも途轍もなく高いリサイクル率(重量ベースで99%)を誇ってるわけで、リンの資源制約がLFP電池ベースのEV生産の現実的障害になることはまずありえないよ。
電池技術開発はいまエネルギー分野で一番アツい領域のひとつだから、日本でも海外でも、企業でも研究機関でも、開発ロードマップがものすごく充実してる。主となる幹が太いし(現行技術の延長でモノにできる見込みの高い技術がある)、枝も多い(ブレイクスルーになりうる新技術が数多くトライされてる)。資源制約の問題があるから、脱コバルトと脱リチウムはその中でも優先順位が高い。2030年までにはほぼ確実にコバルトフリーLiBが主役を担うようになり、CATLはじめ各国メーカーからリチウムフリーの新世代電池も出てくる。
そういうタイムスパンで動いている業界で、EVの消費量とはほぼ無関係な2060年頃のリン資源の枯渇予測を持ち出してEV懐疑論の論拠にするの、たぶん増田も内心(コレ、ちょっと無理があるかな〜…)と思ってるんでしょ? だから、そのへん曖昧な書き方をしてるんじゃない? だったらさあ、
とにかくEVになるとテスラ信者が偉そうになる上に日本オワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする
とか書かないほうがいいよ。そういう仕掛けに気づかれると、元増田みたいな主張に対して「EVオワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする」って思う人はむしろ増えると思うよ。
これは増田の批判から離れるけど、供給制約がある資源の問題解決は、実は市場原理ととても相性が良いんだよ。シンプルに、あるアプリケーションを作るときに、割高な技術は割安な技術に負けるから。原材料の価格はずっと製造供給コストを拘束する。テクノロジーを高度化することで、安い原材料で同等性能を発揮する製品を作れれば、イニシャルの研究開発投資・設備投資を回収したあとはずっと製造供給コストを低廉にできるでしょ。
これは環境正義の話でも、途上国でのレアメタル生産に伴う労働搾取の話でも、資源安全保障の話でもないよ。単純に、レアメタルを使わないと作れない電池より、コモンメタルだけで安く作れる電池のほうが市場性を期待できるから、電池の研究開発は後者に向かって進んでる。
市場原理に任せれば、自ずとレアメタルは使われなくなっていく。その経由地が、現時点では、コバルトの代わりに供給制約が少ないリンを利用するLFPということ。数年前は「LFPは容量の問題でEVには向かない」と言われてたけど、すでにテスラやBYDのラインナップの半分程度はLFPに切り替わっている。なんでかといえば、一生懸命に技術開発したことで、安いけど必要十分な性能を発揮できるようになったから。
これからはもっと安い方式の二次電池が出てくるし、安くなればなるほど、そのアプリケーションは社会全体に広がっていく。それぐらいのペースでEVをとりまく環境は激変してるし、そこには日本の研究機関や企業も大いに関わっている。
なんか日本でのEV化懐疑論って、やっぱり「日本はEV化時代には勝てない」という悲観論が背後にある感じがするんだよね。でも、トヨタがダメでも日産三菱とホンダソニーは頑張るかもしれないでしょ。トヨタのエンジン作ってるヤマハ発動機が潰れても、日本電産は世界最大のeアクセルサプライヤーになるかもしれないでしょ。日本の衰退って、技術力の衰退だけじゃなくて、そういう時代の画期を新たな事業機会につなげるポジティブなマインド自体の消失にあると思うんだよね。
何度か書いてるけど、日本の自動車産業って、もともとは環境技術への適応によって世界的覇権を獲得してきたんだよ。マスキー法という非常に厳しい排ガス規制に、米国の自動車メーカーに先駆けて対応したからこそ、ホンダやトヨタは米国市場で急拡大できたわけでね。 https://www.ipros.jp/monosiri/term/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E6%B3%95
そしてEVについて、日本はもともと要素技術を全部持ってたんだよ。リチウムイオン電池の産業化は日本が先陣を切った。自動車の電動化技術も日本が先駆者だった。EVの発売と商用化だって日本がリードしてきた。今だって欧州のEV性能のベンチマークカーは日産LEAFだよ。いま世界の電池技術をリードしているCATLはもとはTDKの中国子会社だよ。
日本を愛し、日本の企業や技術に自信があるなら、なぜ変化をおそれるのかなあ。日本だけが「いやだいやだ」と言ってても、結局その変化は来ちゃうんだよ。日本だけが「HVが最適解だ」と言ってても、HVはもう世界中で売れなくなるんだよ。カリフォルニアのZEV規制では、PHEV以外のHVはもうエンジン車と同じ扱いだよ? https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/04642/
もう「日本が誇るハイブリッド車」は、そのうち世界中で法規制で売れなくなる(禁止されたり、クリーン車との販売比率に制限を課されたりする)。だったらEVに全振りして、そっちでどんどんイノベーションして、欧州のいけすかない高級ブランドや中国のポッと出メーカーと互して戦える「日本が誇るEV」を売りまくればいいじゃない。なんでそっちに発想が行かない? 自動車産業を取り巻く客観的情報から隔離され(あるいは自ら目と耳を塞ぎ)、「EVなんかダメだ」と後ろ向きの大合唱をしてる連中が、日本の産業競争力をさらに下げ、国際市場での生残可能性を潰しているということに気づいてほしいなー。
…というようなことを書くと、さっそくブコメで自動車産業を取り巻く客観的情報から隔離された(あるいは自ら目と耳を塞いでる)実例が採取されたぞ。
id:XYXY EVが売れないのは懐疑論者のせい!は流石に草。どうにかこうにか気に入らないやつを攻撃して自分の見識をアピールしたいという要求しか感じられない
自分はこのエントリで「EVが売れない」なんて1mmも書いてないよね。というか…いいか、耳をかっぽじって聞けよ。あのな! EVは! 売れてるんだよ! HVより!
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59942190T10C22A4MM8000/
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220530/k10013648981000.html
https://www.autocar.jp/post/807594
日本にいて、自分が心地よく感じるメディアばっかり読んでると、そういうことがわかんなくなっちゃうだろ? 「EVはエコブームに乗じた高級車で、HVこそがICEの延長のスタンダードな乗用車」「EVは大して売れてない」っていう数年前のイメージのままEVを批判してるんだろ? それとは違う、自分の先入観とは反するファクトを不意に示されると、それは相手が「自分の見識をアピールしたいという要求」なんだと解釈して、肝心の新たな情報自体は見なかったことにするんだろ? そういう要求(正しくは欲求)しか「感じられない」理由は、あんたがそれ以外のことを「感じたくない」からなんだ。もう、まんま地面に頭を突っ込んで危機を逃れたつもりになってるダチョウじゃん(ちなみにこれは俗説で、そもそもダチョウにはそういう性質はないのだけど)。何が「流石に草」だよ。なさけない。
もう一度書くよ。こういう風に、現実歪曲フィールドの中で「EVなんかダメだ」と後ろ向きの大合唱をしてる連中が、日本の産業競争力をさらに下げ、国際市場での生残可能性を潰してるんだよ。
元増田が https://anond.hatelabo.jp/20220620201004 を書いてくれたので、こちらもリプライ。
たとえば三国志ってまあ史実ベースとはいえ、ほとんどが創作成分で満たされているから史実ではないんだけど、
でも、それでもやっぱり史実に基づいているからこそのリアルっていうのが概念として存在するじゃない。
でも銀英伝って完全に絵に描いた餅じゃない。
まあ創作物っていうのは当然そうなんだけど、なんか銀英伝ファンの中にはあれを史実的なもとして認識してしまってる人がいるよね。
そういう人が苦手なんだよねえ。
バズれ。
ブラックボックステスト (英: black-box testing)は、内部構造や動作を覗き見することなく、アプリケーションの機能を調べるソフトウェアテストの手法のこと。アプリケーションを見えない箱として扱い、入力と結果の整合性を確認する。このテスト方法は、ソフトウェアテストのすべてのレベル(単体テスト、統合テスト、システムテスト、受け入れテスト)に適用できる。仕様ベースのテストと呼ばれることもある[1]。
「ブラックボックス?飛行機に付いてるやつ?」という反応が多かった。
ドッグフーディング (英: dogfooding) または「自社のドッグフードを食べる」「ドッグフードする」(Eating your own dog food、Drinking your own champagneとも言う)は、コンピュータ業界において、自社製品を開発して利用する組織の習慣で[1]、組織が実際の使用法で日々自分たちで製品を利用しながら製品テストを行うことである。日本語では単に「ドッグフード」ということもある。そのため、ドッグフーディングは品質管理として機能し、開発者自身による製品の自信を表す証言広告となる[2][3]。尚、日本企業では自社実践(じしゃじっせん)という言葉が相当する意味の言葉として使われている。