はてなキーワード: 豚肉とは
元増田さんはこの歌詞が歌われている曲を知りたいのだろうけれど、それは生憎存じ上げないのだが。
ただ、宗教というものを考えると、開祖がいる宗教は、その開祖が作ったわけで、それは「手作りの宗教」と言えるのかも知れない。そう思うと原始宗教のような自然発生的に生まれた信仰以外は全て手作りなのかも知れない。
はたして自分が神様を作ってそれを信仰することができるのだろうかということも考えてしまう。
俺は自己評価が低いタイプの人間なので、自分が作ったものには一定の不信感というか、どこか間違っているんじゃないかという疑念を完全に払拭することができない。仕事で客先に製品を納品した後も「何かチェック漏れがあるのではないか」と思っていて、客先から電話があったりするとドキッとしてしまう。しかし仕事であればそのくらいの用心深さがある方が良いとも思っている。
だから自分で神様を作ることができたとしても「この神様どこか間違ってるんじゃないだろうか」と思ってしまうだろうからうまくいかないだろう。信仰は盲信することが必要なのに。
しかし世の中には、自分の考えていることや自分のやっていることは完全に正しいと信じて疑わない人もいる。自己評価の高い人。彼らは、自分の行いや考え方の正しさを信じて疑わない。己を盲信しているとも言える。
そういう人が神様を作れば「これは完璧な神様だ」と何の疑いもなく思えるんじゃないだろうか。
しかし自分が作ったものというのは自分という創造主よりも下位にいるわけで、そうなると信仰のような気持ちを持てるだろうかという気もする。やはり神様は絶対的な上位にいてそれを崇めることで信仰は生まれるだろうから。ブッダもキリストもムハンマドも神を作ったわけではなく、神という存在は既にあって、その解釈や神様に近付くための教義を作ったといえるのかも知れない。
それでも敢えて神様を作るとすれば、どういうのがいいだろうか。世界中にある宗教の良いところを抽出して採用して、受け入れられない禁忌は除外していく、そういう方法が良さそうだ。
豚肉は好物なので食べてもいいことにしよう。
日曜日は遊びに行くか休みたいので、教会にいかなければならないみたいなのもなしで。
婚前交渉はあってもいいでしょう。ありで。
あまり自堕落にしていると軽い天罰みたいなお叱りはあった方が良いかもしれない。
こんな風に考えていくと、基本的に自由でいさせてくれて、堕落しそうな時は叱ってくれる。そしていつも暖かく見守ってくれる。そういう神様が良さそうだと思ったけれど、それってオカンやん。
それはもちろん、お好み焼きだろう。
お好み焼きは、小麦粉とキャベツと卵と豚肉と海老とイカとチーズとマヨネーズとソースと青のりとかつお節と紅ショウガという、まさに日本の食材の宝庫を使って作るんだぞ。
それをフライパンで焼いて、ひっくり返して、ふわふわに仕上げるんだ。
そして、熱々のお好み焼きを箸で切って、口に運ぶときの幸せな気分といったらないぞ。
お好み焼きは、朝から元気になれるし、栄養もバランスがいいし、美味しいし、何より楽しいんだ。
朝ごはんにお好み焼きが出てきたら、その日は一日中笑顔で過ごせるに違いないぞ。
だから、朝ごはんに出てきたら嬉しいものは、お好み焼き以外にないんだよ。
これが俺の答えだ。
・赤身が好みかどうか
シンプルにこの2点で決めてけ。
要は就活と同じなんだよ。
・赤身が好みかどうか
→その品種が好きか、もしくは好きになれそうか(興味関心があるか)
→実際食べてみて、思ってたのと違ったとか、なんか舌に合わなかったとかあるだろ?
逆に美味しさを感じるなら最高だ。そこ以上の天国はない!
衣がサクサクだの、油がラードだの、キャベツはどうしただの、好きなときに食べなよなんていうのは、求人情報でいう詳細情報欄だ。
そこに拘ってたら永遠に就職できないぞ。求人情報眺めてるだけの無職だぞ。
せめて一個か二個に条件絞れ。
豚の好みの範囲が極端に狭い奴。
街を歩いて、肉屋100軒の看板を見ろ。半数くらいはいけると思ったら合格。
あと、自分の顔も鏡で見てな。
夜は揚げ物。ひとつひとつきらりと色づき、油に浸かりて、金色に揚がった豚肉の切れ端が、熱く煙を立てながら揚げられる。また、鳥の一部や野菜の切れ端、たった一つ二つの揚げ物が、じんわりと熱を放ちながら待つ者を喜ばせる。揚げ物の香りが広がるもをかし。
朝は果物。だんだんと色づき始める果物が、少しだけ甘さを増し、紫に染まったブルーベリーが美しく盛りつけられる。
昼はお弁当。日の高さはさらに深まり、強い日差しの下でも、昼食のお弁当の色とりどりの食材が鮮やかに映える。また、たった一つ二つのおにぎりが、ほのかに照らされて美味しそうに見えるもをかし。夕立が降るもをかし。
午後はおやつ。日が沈んで山の端が近づくと、子供たちが帰宅する道すがら、三つ四つ、二つ三つと、美味しいお菓子を買い求める姿は何とも感慨深い。飛行機の形をしたクッキーや鳥の形をしたチョコレートなどが、とても小さく見えるが、それがまた美しい。日が完全に沈んで、風の音、虫の音と共に、おやつの時間が終わるのは寂しい。
深夜は特別な時間。外が静まり返る中、特別な料理を急いで作る時間である。火を急いでつけて、炭火で焼き物を作るのはとても楽しい。明け方になると、温かいスープができて、火鉢の火も白い灰に覆われて、ほっと一息つける。
そんなんで鼻で笑う男は無視しとけばいい。
という素直な感想は置いといて。
得意料理かー。作ろうとおもえば、適当にレシピみりゃある程度は作れる。そんな程度の料理の腕で、以前は肉じゃがとか適当な和風パスタっぽいものとか得意だった。が、もう随分作ってないので今じゃ得意かどうかもわからん……。
普段自分の分なんて適当に野菜と肉炒めただけでいいや。ってなっちゃうからなぁ。
たまに食べたくなって作るのでいえば唐揚げとか。
あー。得意というか、自分の作る粕汁が自分ながら結構好きだわ。
よく鮭のアラとか入れる人(うちの親がそうだった)がいるけど、あれは鮭の油があまり好きじゃなくて、豚肉で作る粕汁。
味見てほんとにちょっとのお塩やめんつゆ入れるくらいで超簡単。超簡単なくせに、粕汁っていうと料理できるようなイメージやら家庭的なイメージやらを勝手にもってくれるので結構おすすめかもしれん。
婚活してるんだけど、お相手の男性に「得意料理とかありますか?」って聞かれて、「うーん…その時その時作りたいものをレシピ検索して作ったりとかなので…得意料理って言われると難しいですね…」と答えたら
私の中では、毎日自炊してる人ほど「名もなき料理」とか(何かと何かを煮たやつ、何かを卵で和えたやつとか)「なんでもない料理」(野菜と豚肉をせいろにぶちこんで蒸したやつとか)を作る率が高くて、たまーに自炊する人ほど凝った料理をつくるイメージだった。
ので、この男性の方は自炊しないんだなと思った。(実際そうだった)
…んだけど、もしかしてみんな自信を持って得意料理はこれです!って言えるものを持ってたりするの?
まあそれはそれとして、婚活としては「ハンバーグとかカレーとかオムライスとかですかね…!結婚したらもっとレパートリー増やしたいと思ってます☺️🎵」が正解なんだろうなと後で思った。
(追記)
ムスリムへのハラール給食を提供している/いた学校があることが認識できない人っていうまとめ見てビビった。見事に議論が噛み合ってない。
……それはまだ違憲判決が出てないだけなのでは?
「裁判になるまでは普通にやってて問題になってなかったこと」なんて、いくらでもあるからね。それこそ、親を殺した人を重い刑に処すのなんて、違憲判決が出るまでは当たり前だったわけで。
個人的に、ここで挙げられている横浜市立飯田北いちょう小学校のハラール給食は、憲法違反だと思う。……もしそれが本当にハラールなら。
ハラールは、単に豚肉を避ければよいというものではない。たとえば「特定の生徒の野菜炒めから豚肉を取り除く」だけではダメだ。豚肉と一緒に調理された野菜や、さっきまで豚を調理してたフライパンで炒められた野菜もハラールではないからだ。別々に調理する必要があるし、当然、新規の食器を購入する必要も出てくるだろう(要するに、「ムスリムにとって豚肉とはウンコのようなもの」だと思えばよい。誰も、特殊な趣味の人を除けば、ウンコと一緒に炒められた肉や、さっきまでウンコが乗ってた皿に盛り付けられた料理を食いたくないだろ?)。
あるいは仮に牛や鶏であっても、屠殺はムスリムか啓典の民(ユダヤ教徒・キリスト教徒)によって行わなければならないので、仮に「行政が認めたハラール」なるものがあるとすれば、それはすなわち「行政が、特定の宗教の信者のみを屠殺人として指定している」(あるいは、特定の宗教を持つ屠殺業者のみを選んで契約している)という意味になる。要するに、本当に公立学校でハラール給食を出すなら、仏教徒や無神論者の屠殺業者は入札に参加できないことになる。これは特定の宗教の優遇を禁じた憲法に違反する。行政が給食の契約をするに際して事業者を宗教で選別することは許されない。横浜市民のはてなーはぜひ横浜市立飯田北いちょう小学校の給食に関する行政訴訟を起こしてほしい。
ただし、小学校の給食なので、厳密なハラールではない可能性もある。つまり、普通の野菜炒めから豚肉を取り去って「ハラールですが何か」と言い張っている可能性はある。牛肉や鶏肉も、日本人が屠殺したやつを使ってるのかもしれない。それなら日本国憲法には違反しないので訴訟の必要はないが、それは断じてハラールではないので、ハラールであると嘘をついてムスリムの住民を騙すのはやめるべきだ。
個人的には、ムスリム住民にハラール給食出すくらいは別にいいじゃん、と思うが、市が神社に無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(砂川政教分離訴訟)、琉球王国時代から続く孔子廟に那覇市が無料で土地を貸すのが憲法違反とされたり(孔子廟訴訟)、大規模災害の被災地で寺社仏閣への支援がなかなか行われてこなかったりしてきたわけで、ムスリムだけ公費による優遇OKにするのは不公平感が強くて納得がいかない。土地の無償貸与がダメで、業者を宗教で選別するのはOKなんて通らないでしょ。憲法を改正して「伝統宗教に公序良俗の範囲でカネを出すのはOK」ってことにする以外に解決策がないので、ムスリムの人たちが公教育でのハラール給食を望むなら、ぜひ憲法改正運動に手を貸してほしい。