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2019-04-23

anond:20190423004633

前に同じようなことで困ったわ。そういや、どーしたんだっけな。。兄弟名前書いた気もするし、職場を書いた気もする。賃貸保証人は、不動産屋と提携している保証会社にした。そんなに高くなかった。

やべー毒親持ちの独身リーマンって入院とか引越しとかどうしてんの?

真面目に聞きたい。

兄弟かいないし親戚は連絡先どころか名前も顔も知らないし

保証人代行とか高額だしどこが安全わからん

賃貸なんかは保証人不要とかあるが、どの道緊急連絡先は必要だし

まじでどうしてるんだ?

2019-04-20

きっと甘いみかん / 一定甜的橘子

中国語勉強していたら、「一定甜的橘子」という文章に遭遇した。

内容は、一休さんのようにとんちを聞かせて上手いこと言い訳して難を逃れるというたわいもない話。

けれども、このテキストを読んでいると不意に他のことを考えてしまう。

ぼくの両親の実家愛媛で、母の実家瀬戸内海に面する小さな港町だった。

出身を言うと「みかんだよね」と、得意そうに、とき申し訳なさそうに言われる愛媛県民のどれくらいがそうしているのかわからないのだけれど、ぼくの家には子どもが生まれたらみかんの木を植えるという習わしがあった。種からではなく、苗から植えて、遅くとも小学校入学までには自分みかんを食べる。一つの通過儀礼だったのだ。

みかんを植えたのは母がたの祖母である祖母は、無口で芯を持っていて、彼女を知る人から言わせると、珍しい人、であった。ぼくが物心つくころには祖母祖父仕事退職しており、いつも家にいた。だから、ぼくと兄は、よく遊びに行って、いろんな場所に連れて行ってもらった。魚市場、港、砂浜、そしてみかんの木のある山へと。

みかんの木の植えてある山までは歩いて30分ほどかかる。それに道は急勾配だった。それでも還暦を超えた祖母は、ぼくたちを連れて山に登った。祖母の畑は頂上に展望台がある山の中腹にあり、海が綺麗に見える。天気の良い日には、猫のほうが人口より多いという島が見えるが、当然のごとく猫は見えない。

少しだけ耕された土地と、植えられた数本のみかん。鍬やはさみなどの農業道具を保存する小さな小屋土地自体は広いのだけれど、管理されている土地はそれくらいで、他は好き勝手雑草が伸びている。

祖母の話では、2週間に1度ほどこの山に登り、ぼくたち兄弟の木の周りに生えた雑草を抜いているらしい。体調を心配する母に「この子らはまだ弱いけん、守ってあげなね」と言い、行く頻度は実がなるまでの間、ずっと一緒だったそうだ。

山に行ったことは覚えているのだけれど、初めてみかんを食べた日のことは覚えていない。母曰く、「あまり甘くなくて美味しくなかった」とのこと。それから毎年、雪が降りはじめる少し前に「あまり甘くないみかん」を食べるようになった。クソガキだったぼくは、祖母の苦労など知らず、甘くないから、あまり食べなかった。

数年後、ぼくは高校に無事入学して、少し遠くの学校寮生活を始めた。家に帰るのは数ヶ月に一度になり、祖母の家に行くのも同じくらいの頻度になった。祖母の体調が優れないと聞いたのが夏のこと。秋にはステージ4のがんが見つかり、ホスピスに入り苦しんでいた。そして、春を迎えることなく、年末に、みんなに看取られて亡くなった。

「〇〇なら大丈夫だよ。かしこいけんね。」

最後に交わした言葉は今でも覚えている。というより、忘れられない。

祖母が亡くなり、祖父は持病の腰痛が再発して、買い物に行くことも、もちろん、山に行くこともできなくなった。山には誰もいかなくなり、土地権利を売るかどうかという話になったとき、「ああ、そういうのもあったね」と言われるほどには忘れられてしまった。

誰に言われたわけでもないが義務のように毎年草刈りに行く父は、年末年始にぼくたち兄弟に対して山の話をする。

「〇〇の木はまだ残っとったぞ」

心の中で「当然だ」と思う。

祖母が、強くなるまで大事に守ってくれた木なのだから

その木に実るみかんは甘いのだろうか。

そもそも、今でも実るのだろうか。

それは自分次第なのだろう。

祖母が育ててくれた木を豊作にするのも。みかんを甘くするのも。

ばあちゃんGWには帰るよ。

入院して感じた家庭環境の危うさ

少し面倒な病気入院治療をしたんだけど、その時にハッキリと感じた我が家の危ういところを記録がてら書きたいと思う。

まずは母の行動。

手術の関係で喉から大量に出血したのに、翌日お見舞いとしてフルーツの盛り合わせを持ってきた。病院食すら食べきるのが難しいのに、食べ物差し入れをした人は初めてだと看護師さんが半ば呆れながら笑っていた。退院前日に残したフルーツを持ち帰るよう頼んだ時の不機嫌な顔が頭から離れない。

次に父の行動。

退院の送り迎えをしてくれたことは感謝している。しかし、とにかく無関心。まだ傷口が塞がりきっていない中で終始速足で移動。付いていくだけで一苦労だった。周囲からはお忙しい人ですね、なんて言われたけど仕事引退しているし家では寝ている。当然、病状については一言の会話もない。

最後兄弟の行動。

たびたびお見舞いに顔を出してくれたが、必ず甥を連れてくる。騒がしくなると同室の人に悪いので、安静が必要だったがロビーまで移動して話をした。なぜかロビーで甥が脱いだ靴を履かせたり、こぼした水を拭いたりするのは自分役割だった。

小さい頃に多少ネグレクト虐待はあったが、親が離婚しているわけではないし、死ぬほど暴力を振るわれたわけでもないので気にはしていなかった。

だけど、なんだろう。この感じ。家族が皆、世間様に文句を言われないように役割だけを果たしている感じ。いや、そういう環境で育った自分にも、充分にそのような素養はあるのだろう。

親戚もお見舞いにきてくれたが、父母と距離を置いている人が多い。

病気の他にも、今後のことについて色々と考えていく必要があるかもしれない。

2019-04-19

もうすぐ長女の誕生日

明後日は長女の10歳の誕生日だ。

思えば長女が生まれる前はいろいろあった。

長女の生産地は7月下旬ビジネスホテルの一室。その日の夜に行われる花火大会を見るために1泊するのが便利だったのと,彼女浴衣姿が見たかたから予約した。

花火を見終わりホテルに帰ってほろ酔いの僕たちは “合体” 

それまではちゃん避妊していたんだけど,その日の彼女は激しくて,近藤さんを着けていなかった僕はあえなく果てた。

それから3か月後,体育の日を挟んだ3連休初日彼女と付き合って1年5カ月,いままで会ったこともなかった彼女の親父さんお袋さんに紹介されて初めてあいさつした。和やかな雰囲気だったな。

その翌日,デート帰りの車,もうすぐ彼女の家,運転する僕に彼女が「〇〇公園に寄って」と。そして,車内で見せられたエコー写真キューピーさんというかクリオネさんというか,そんな白い影が写っていた。「4カ月目だって・・・」という彼女は涙ぐんでた。「ごめん,もっとから分かっていたけど言い出せなかった」だって

俺は思わず「ヤッター!!」って叫んで彼女を抱きしめた。そして「結婚しよう」と言った。キョトンとする彼女の表情は忘れられない。

それから一昨日初めて会ったの彼女の両親の元にスーツを着て舞い戻り,ぶん殴られるのを覚悟謝罪結婚挨拶に行ったんだけど,親父さんもお袋さんもこっちが拍子抜けするくらい喜んでくれた。

それから1週間後,役所婚姻届けを提出しに行き,2週間後には親せきを交えた食事会,それまで,妊娠していることを妻とともに隠れて縮こまっていた長女は,ようやく解放されたらしく妻の中でグングン成長し,あっという間に妻はどこからみても立派な妊婦さんになった。

海辺の温暖な町から山間部の極寒の僕の町にお嫁にきて,「寒い寒い,この寒さは妊婦に悪いか実家に帰りたい」という妻を必死になだめた冬。

やがて春がやってきてめでたく長女が誕生

うれしくてうれしくて,立ち会った分娩室で僕はまた「ヤッター!」って叫んだ。「涙を流すお父さんはいますけど,ヤッター!って叫ぶお父さんは初めてです」と産婦人科看護婦さんにたしなめられて,妻はちょっとふくれていた。でも妻曰く「意外と痛くない。まだいける」だって

1歳で卒乳し,2歳ころには,自分フォークスプーンを持って一切こぼさず食事をしていた長女。3歳になる前にはおむつも取れて,それから今までおねしょしたことがない。

幼稚園では4月生まれアドバンテージ早生まれの子たちを引き連れてお姉さんの立場マーチングで一番難しいティンプトンドラムも,お遊戯会でのあいさつも,いつも長女だった。

やがて,妹ができ,弟も2人でき,4人兄弟お姉ちゃんになった。

長女を育ててみて,「なーんだ,子育てってめっちゃ楽やん。こんなの何人でもいけるやん。」と思った夫婦は,立て続けに4人の子どもを授かったが,楽なのは長女だけでした。あとの3人が未だに大変なことと言ったら・・・

いつまでお父さんといっしょにお風呂に入ってくれるかな?

いつまでお父さんと一緒に寝てくれるかな?

いつまで「おとうさんと結婚する」って言ってくれるかな?

もうすぐ10歳。あと8年もすれば成人か。もう折り返してしまったんだね。

嬉しいけれど,なんだかさみしいなあ。

このまま健康で明るく元気に育ってね。

2019-04-18

相方とは

自分芸人になるならだれを相方にするだろう?と考える。ちなみに芸人になる予定は皆無だ。

まず、二人で話していても気を遣わない相手がいい。とはいえ友達だとだらけてしまう気がする。向上心に欠ける人間なのでウケなくても相方と話しているだけで楽しいからいか、となりそうだ。それでは食っていけないし意味がない。

それなら気心が知れていてかつ尊敬できる人だろうか?ただ芸人になろうと思ったならある程度は自分お笑いの才能に自信があるはずだ。そんな中、自分の才能をちっぽけだと思える相手出会えるのだろうか?出会えたとして向こうは自分よりも才能がない人間相方にしてくれるのか?それに上下関係ができあがってしまうとのちのち亀裂が入りそうだ。

幼馴染くらいがちょうどいいのだろうか。実際、幼馴染でコンビを組んでいる芸人は多い気がする。でも、転校ばかりしてきた自分は幼馴染がいない。

……弟か?弟ならいける気がする。弟しかいない。弟ならダメ出しもしやすいし、向こうもそうだろう。多分。付き合いだってだれよりも長いわけだからおたがいの性格も癖も把握している。弟しかいない。というか兄弟以外でコンビを組むってどういうことなんだ。養成所で知り合ってコンビを組みましたって正気か?

anond:20190417122123

夫婦収入が少ないだけ。

夫がやりくりや家事責任を持たないんだったらもっと家計負担やすべき。

たぶん夫の可処分所得もたぶん3〜5万くらいなんでしょ?

だったらやっぱ収入が少ないよ。

ちなみに、


おすすめ対策は、

車両門番の掟(改)

一、乗降客の邪魔にならぬよう常日頃から節制してスリムであれ

一、ドア開閉時はスマホを持つ手を折りたたむ出来る門番であれ

一、荷物は棚に上げるか手ぶらを心がけよ

一、咳エチケットのため常にマスクをすべし

一、戸袋に手を挟む者は破門と心得よ

一、反感を買わないよう常に微笑を浮かべ謙虚な表情であれ

一、駅員やおしくらまんじゅう要員を親兄弟の如く慕え

一、女性専用車両門番はAカップ(又は超絶貧乳)のみ着任可能とする

一、起床後と就寝前に「車両門番の掟」を3回唱えるべし

祖母のこと

年末祖母が亡くなったんだけどなぜか今頃もう会えないということを実感し始めた。

葬式では周りがワンワン泣く中で涙の一滴も出なくてさ、さすがいつも感情が無いってネタにされるだけあるわって半分自虐的に思ってたんだけど違うね。もう祖母に会うことも会話することも動いてる姿を見ることもないって実感できてなかっただけなんだよね。

祖母は遠くに住んでいたか小学校の頃は毎年遊びに行ったけど中学生になってから全然行けてなくてさ。ここ数年はまた何年かに一回顔出せてはいたけど学生の頃は5年くらい会えてない時もあった。

生きてるうちに会いに行くのが一番って分かっててもさ、交通費とかケチちゃうんだよね。ほんとしょうもない。会いに行けよって昔の自分を殴りたいわ。その時はその時でギリギリ生活してたんだと思うけど。今なら親に借りてでも行けって思うね。

ただ私は孫じゃん。母はもっと会いたかっただろうなぁって思うと本当に申し訳ない気持ちになる。

うちの母は私も兄弟も小さいからってずっと家にいてくれたんだよね。専業主婦だったからずっと甘えて親がいないと何もできない子でさ。きっと祖母に会いに行きたいって何回も思ってただろうなぁ。

亡くなる前もその月に行こうとしてたんだけどちょうど引越ししてバタバタしてるからってその次の月に予定を変更したんだよね。そしたら亡くなっちゃってさ。何の病気もなかったか予測できないし仕方ないとはいえ本当に私が行ってきなよって言ってあげればよかった。

結局何が言いたいんだろうな。わからない。ただ二度と会えない人がいるっていうのが悲しい。人間から仕方ないこととは分かっているし世の中には早くに親が亡くなってしまった人だっているけど。何ならうちの母も学生の頃に父(私の祖父)を亡くしてるけど。

あぁ、だからこそ母には祖母に沢山会いに行ってほしいって思うのかな。

母は強いから、嫁いだ時にもう死に目に会えない覚悟は決めてたって言ってたけどどうやったらそんな強くいれるんだろう。その強ささえ悲しくて申し訳なくなるよ。

終わりどころが見えなくなってきたからやめる。みんな、親は大切にしよう。例外の親もいるけど、好きだと思える親を持っている人は大切にしてあげてください。

2019-04-17

anond:20190416005820

自分が老人になって病気したり働けない満足に歩けないようになって誰が人並に助けてくれる?

そんなことしてくれるのは愛情がかけらたと思う子供ぐらいだよ

奥さん旦那さん、いても、どちらかが早く死ぬことだってある

親は死に、兄弟は死に、友達の連絡もしないとれないようになり、ひとりの老人になって、おもしろいこともない時期がやってくる

ほとんど老人が病気になるし、働けない動けないなら死ぬと思っていてもその時になって死ねるやるは半分もいないし、ホームに入れば一部の安月給の介護士に意地悪される

行き場もなく、死ねるでもなく、そんな老人になるのか

子供がいて、孫がいて、年に何度か、近所なら週末や月に何度か、ひとりぼっちの老人を家族と思って来てくれる、そういう人がいる老人になるのか、だな

anond:20190417040130

リム兄弟ラプンツェルの話でちゃんと性描写規制していったのに

アンデルセン野郎はってこと?

リム兄弟童話から性的な要素を省くプロセスが明確である例としてよくあげられる。

初版では主人公が夜ごと王子を部屋に招き入れて逢瀬を重ね、結果として妊娠。それがばれてしまったため放逐されたプロセスを詳細に書いているが、後の版では逢瀬シーンが最小限に、さらに性行為の暗示は全てカットされ、放逐の理由も外部の人間である王子を招き入れ、恋仲にまでなっていることをうっかり言ってしまったためとされ、後に自分が生んだ子供暮らしている描写が挿入されることにより「妊娠」が発覚、という版に改変された。

2019-04-16

人生が上手くいかないのは顔のせい

タイトルの通りのこと友人に言われて、俺はとてもそいつ幸せだと思った。

はじめこそ共感して話を聞いていたが、顔が悪いかモテない、顔が悪いから自信をもてない、もっとチヤホヤされたい、など、あまりにも話が長いので、途中からめんどうになって整形したら?とか、勉強がんばれば?とか、仕事がんばろうぜとか、新しいことしたら?って適当解像度の低いアドバイスをしていたが、努力はしたくない、努力したら努力したことコンプレックスになると言われて、それ以上なにも言うことはなくなったが、友人は満足そうな顔をしていた。

俺は限りなく恵まれているし、親も兄弟も親戚もいい人だし、いい教育も受けさせてもらった、友人もいいやつばかりだ、みんな困ったと言えば助けてくれる。だから、俺には、なにかのせいで俺の人生がめちゃくちゃになったのだと思えるような信念がない。ないので、おれはただただ絶望する。俺の人生が上手くいかないのは単にお前自身怠惰である世界から指をさされているような気分なのだ

世の中の人安倍政権が悪いとか韓国が悪いとか日本はクソ、○○という制度ゴミ(だから自分人生が上手くいかない)という信念を持つ人が多くて、それを信じ続けていられるかぎりとても、とても幸福なんじゃないかと俺は思ってしまった。

俺にも人生が上手くいかなかった理由を用意してほしかった。

鈴木陽子のやり口

愛人(男)に殺されそうになっている鈴木陽子が採った手段とは?

アメリカの有名映画監督ってなんで兄弟多いの?

なんで日本映画監督には兄弟すくないの?

漫才師は多いけどさ

2019-04-15

今年、第一志望だと周りに言い張っていた大学に進学した。

同じ学部に進む同級生が4人いて、全員違う学科。他の3人は友達ができるか不安だとか常に言っていたが自分は全く心配していなかった。高校で友人に恵まれていたから。同じ高校ほとんど同じグループにいて一緒に騒いでいたのに不安だという彼らに疑問しか抱いていなかった。

入学式後、身体測定やらガイダンスやらの予定表を配られ、ここかもしくは名前だけは知っている学科歓迎会なるもの友達作りができるだろうと考えていた。

だが、ガイダンスで集められた部屋ではすでにグループがいくつかできていた。これはまずいぞと感じ取って一人で座っている人に話しかけたが反応は薄かった。その日は座って説明を受け、軽く大学内の説明を受けて解散したがその間に声をかけてきてくれた人、話しかけに行った人と何となく話してみたが何というか、ノリが誰一人として合わなかった。初対面だし、まだ緊張しているんだろうなと思っていたが、ガイダンスが終わり、授業が始まっても変わらなかった。冗談も、ノリも、何もかもが合わなかった。話題を出してもすぐに終わり、続けようとしない。自身問題があるのかと言われれば断言はできないが、おおむね無いだろう。コミュニケーションをとるのは得意な方だし、人との接し方でなにかを言われたためしはおそらくない。

このグループワークが重要視される大学で、毎日気を使いながらコミュニケーションをとることを4年間続けるの無理だ。

話題や話し方、言葉遣いをどう努力してみても無理なのにさらに気を使うなんて。

しか歓迎会はうちの学科だけ行われなかった。例年は開催されていたらしいが今年はない。どうしろと。

毎日泣いている。家へ帰る途中で、家についてからも、大学から離れて同級がいないところへ行くと、勝手に涙が流れてくる。泣いてしまう。泣こうだなんて全く思っていないのに。

編入学も今この時点で考えたが、学費を考えると親になんか言えない。ただでさえ高い学費を払って入学させてもらい、パソコン定期券スーツ大学へ来ていくための私服やバッグ、教科書、体育費用、ほかにも支払ってもらっているのに。自分バイト代だけではどう頑張っても編入先の初年度の学費なんか払えない。

もう、死ぬしかないと思った。自殺するにしても、だれにも迷惑はかけたくない。樹海に行って死のうと思った。だけど、自分がただ死ぬだけでは支払ってしまった学費もったいないし、申し訳ない。

から生命保険下りるように死のうと思った。なのに生命保険自殺だとダメなんだって迷惑はかけるけど、交通事故で死のうと思った。でも、ちょっと注意すれば起きなかった事故とか、保険金のためだけに死ぬお金くれないんだって。じゃあ自分はどうすれば親に迷惑をかけないの。大学を続ければ費用はまだかかる。し、自分はもう大学には行けない。何かがおかしくなりそうだ。毎日泣きたくないし親にも迷惑をかけたくない。19が書いたぐちゃぐちゃな文章なんて意味なんてないのにな。大学エピソードがうっすらとしか書いてないけどきっと事細かに書いたらばれるし、書こうとすると嗚咽が止まらない。ごめん。誰にもどこにも言えないから書いちゃっただけなんだ。ごめんなさい。

高校友達と会って遊ぶのは楽しいのにな、この先だって仲良くしたいし、友達でいたいし、結婚式だって出たいのに、でも死にたいって思っちゃうんだよな。死にたいなんてファッションだったのに。今は真剣死ぬ方法を調べながら、ずっと死にたいって言ってる。今も涙なんか止まってくれないし。将来の夢もあるしやりたいこともまだちょっとあるんだけど、いまもちゃん死にたいよ。

自分が死んだら兄弟自殺した人の兄弟になっゃうのか、やっぱりそしたら生命保険金くらい降りてくれないといけないのに。臓器とか皮膚とか眼球とかって全部売ったら大金になるんだろうか。処理もしてくれるだろうし。ちゃん家族お金振り込んでくれるのかな。臓器って全部売ったらしねるのかな

anond:20190415155701

戦争をするだけでしょ。ルール無用の。

それが加藤インセル、そこに続くフォロワーたち。


ガンダムXのフロスト兄弟みたいなのが続々と現れることになるんだ。

世界が我らを黙殺するから、我らが世界を滅ぼすのだ」って。

推しcp地雷過ぎてしんどい

タイトル通り、推しcp地雷過ぎてしんどいということを今日は好き勝手に言いたい

ポイント推しcpではなく推しcpであることです

私はとうらぶユーザーであり、腐女子でもありわりとcpには寛容なタイプ

推しは初期刀のymnbgrknhr

本題いきまーす

まずkncgcgknも嫌いだということがいいたい

どこがどうなったらcpになるんかまじでわからん

ymnbgrknhrは「俺は偽物なんかじゃない」、「俺は俺だ」と一貫して主張しているのに対し、本歌であるcgはknhrを「偽物くん」と呼んだ

(正直めちゃくちゃ解釈違いで、私自身は長義を迎えていないがとりあえずそれは置いとく)

まずこの時点で全ての恋愛フラグ折れてるよね??

てか友情フラグでさえ死んでるやろこれは

いじめっこといじめられっこが付き合う少女漫画並みに理解不能

わかりあえるわけないからな

腐女子創造力豊かすぎんか?

本歌age写しsageがあまりに酷くても、推しが本歌しか見えてない痛いやつ扱いされても、赤ちゃん返りみたいにかかれても見えなかったらいいんですよ

それを良しとするかどうかは自由だとおもうので

ただ腐女子ちゃんと隠れてやってくれ、BL創作自由やけど公に垂れ流すもんじゃないんやわ

cp名で検索してすぐ出てくるのアウトやから

てかymnbgrknhrで出てくるときもあるから

ベッターかpixivリンク飛ばせ

問題公式

なぜアイシャドウをセット売りで出そうと思った??

バラ売りにせえよ👹

ブルータス、おまえもかですよ

ymnbgr界隈はヲタクお金出すもんね??

商売という側面から見たらよくよくわかりますよ?

でもセット売りにする必要はないよね~~??

アイシャドウ調べてたら、まぶたの上で実質kncgみたいなツイートも出てくるんですよ

公式cp匂わすのはほんまに勘弁してくれ

いやいやそんなことないやろ、穿ちすぎやろって思う?

公式cpが認められたと思う人が出てくるんですよ

エアプのやつが二次書いて、えっ二人って兄弟じゃないんですか~~??みたいなんも何回見たかわからん

私はymnbgrknhrが好きで、

私の中のymnbgrknhrを壊してほしくないだけなんです

それだけなんです

kncgcgknも理解は全くできないけど、やめろとは言いません

隠れてやってください、表に出てくんな

ゴリラのmnbも、顔を自慢するmnbも、cgラブなmnbも全部全部だいっきらい

お前らのせいで私の推しが悪く言われるのはもうたくさんです

anond:20190415122251

× ADHD

O AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリア出身ロックバンドスコットランドまれアンガス、マルコムのヤング兄弟を中心に結成。同国を代表するグループとして世界的な知名度を獲得し、21世紀に入ってから活動した。

2019-04-14

家族間には無償の愛が

あるとおもう?どう?

私は腹を痛めて産んでくれた母親、血は半分しか繋がってないけど、兄弟についてはわりかし愛を持ってるつもりだよ。

当然のように自分語りするけど、私は父親と血が繋がっていない。本当の父親の顔なんて知らないし、働きもしない穀潰しの顔なんか見たくもなかった。離婚してくれて正解だったと思う。

でも。再婚相手が最悪だった。いや、世の中に出回ってる、私の最悪の毒親!とかそういう類では断じて無いんだけど、私のものしからしたら本当になんでこんな人間と?って思うぐらいの人間だった。もしタイムスリップできるなら、結婚しようとする母を殴ってでも止めようとしたと思う。でもそういうモード人間ってもう他人ことなんて眼中にないからどっちにしても結婚しちゃってたんだろうな。

何が不満ってまともに働かない。働いてもアルバイトパート配偶者10分の1ぐらいしか稼がない。働きに出てる日より家でテレビ見てる日の方が俄然多い。なのに一日一箱、500円を超える煙草を吸う。二日に一本、1000円弱の焼酎のパックを開ける。自分の稼ぎから出すなら文句は…いや、ある。家計を支えんかい。何しとんや。まあ今更言ったところで変わらないし馬鹿は死んでもって言うから期待はしてない。自分の稼ぎで賄えない、酒煙草をやってんのはマジで気が狂っとんか?って思ってしまうよな。なんで生きてるんだ。苦痛だ。

あと自分世界の中心だと思っているんだけど何をどうしたらこんな尊大粗大ゴミが産まれるんだ?

本当に離婚してほしい。このままだと私の収入が嫌いで仕方ない人間に使われてしまう。敵に塩を送るどころの話じゃない。育ててもらった義理?あるはずないだろお前に育ててもらった記憶はない。こっちがこんなに精神すり減らしてんのに素知らぬ顔で煙草を吸って酒を飲んでいる。いいご身分だ、本当に早く召されてほしい。ガンとかは金かかるから一発でころっと、よろしくな。

2019-04-13

新卒入社したのだけど同期の目がみんな輝いていて辛い。

同期の目がみんな輝いていて辛い。

別に偉い人がそれっぽい話をして輝いている訳ではなく、純粋に、根っこから輝いている目をしている。

先日、いわゆる""同期の飲み会””というものがあった。正直にいえば決して安くはないし、1ミリも行きたくなかった。しかし、私以外の全員が参加する飲み会に欠席する訳にもいかず、適当に参加して、たいして美味しい訳でもないにお酒を飲み、量の少ない料理を食べて、適当に相づちを打ってきた。

「なんでアイツは参加しないんだ...」なんて目をつけられて、陰でなにか言われたくなかった。それだけだった。

お察しの通り、私は所謂陰キャ”と言われる側の人間だ。ゲームが好きでアニソン声優ソング好きで、ライブにもたまに行く。強いて人にいえる趣味料理お酒。それ以外は(例え自分の事でさえも)興味が持てない。そういう人間趣味の話なんて、できるわけがなかった。

からなのか、同期に対してもほとんど興味を持てないし、何より自分のろくでもない、粗大ゴミより価値のない「今まで」という話をしたくなかった。そのくせ、周りの普通の人々と比べて”マトモに話一つできない”と、勝手に惨めになる、どうしようもない人間。目が輝いていて、自分は誰かに少なからず期待されている事を信じてる人々が羨ましかった。

所謂、”同期”と呼ばれる人々はみんなそれなり新しい環境に対して不安とどこか将来への希望があるように見えた。研修感想も私なんかよりしっかり書いている人がほとんどだった。

当の私はほとんど書けなかった。未来への希望だとか、目標だとかそういうものが一切なかった

(しいて言うなら今年リリース予定の推しているゲームの新作くらいだけど、流石にこれは違うことはわかっている。)

いじめられ、友人と呼ばれる人々に裏切られ人間不信になり、勉強部活も幾らやっても結果がでない自分絶望し、教師コーチにも見放された。なんとか変えようと受験猛勉強した。けれども、受かった先に待っていたのは自分ではどうすることもできない”生まれた家の経済的な差”だった。おまけに親からは「育ててきた時間無駄だった。」と面と向かって言われもした。

なにもかもどうでもよくなったのは20歳くらいの頃だろうか。未来への希望とかそういうものも一切なくなった。私の目はもう輝いていなかったと思う。

実を言えば、内定式の時から「ここにいる人達自分と生きる世界が違う」と薄々感じてはいた、しかし他に行くアテもないので見てみぬフリをした。「昔の友人が~」「高校クラスでは~」「免許お金は出してもらったけど~」「仕送りもあって学生が楽だから~」、聞こえてくるのはそういう話ばかり。私はその手の話はなにもできなかった。

だってなにも経験していないんだもの

振り返るような学生時代の思い出も、親しい友人や両親、兄弟のことも、私にはろくでもない思い出でしかなかった。全部忘れたかった。

入社して研修の時も、それはほとんど変わらなかった。周りにとって自分の「今まで」の人生はとても素晴らしい思い出。私にとっては忘れたい、ろくでもなさそう思い出。おまけに趣味の話をしたらなにか言われるかもしれない。そんな人間不信を抱えた私は、ほとんど何も話さなくなった。

周りの当人達にとってはごく普通の目が輝いている人々が怖いと同時に羨ましかった。私もそうなりたかった。

結局なにも変われない私は周りに合わせることすらできない自分が惨めになり、1人でつらくなっていた。どうしようないのだから、さっさと諦めればいいのに。

勢いで殴り書きしてしまたかほとんどまとまっていない文章だと思う。もし読んで頂い方がいれば申し訳ない。

そろそろ配属した先での研修になる。同期との関わりは減るだろうが、今度は”先輩”と呼ばれる普通の人々が近くに付くことになるだろう。

自分の話なんかできないし、そもそもしたくもない。かといって悪い印象を持たれることだけは避けないといけない。裏で何をされるかわからないのだから

いつになったら周りと比べて惨めにならず、割り切ることができるのだろう。少なくとまだ暫くの間は無理そうだ。

お父さんお母さん、私に謝ってください

自分の気持の整理のために書き連ねる。自分語りで相当長い。


昭和生まれ就職氷河期経験済みのアラフォー

二歳年上の兄(長男)がいる。自分は長女だ。

幼い頃は特に兄と自分への待遇に差を感じたことはなかった。

親は団塊世代で当時は給料右肩上がり時代で、それなりの中流家庭だったと思う。

習い事などもどちらもそれぞれ好きにやらせてもらえていた。

兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。

自分最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。

毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内テストを受けに行き、自分純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。


そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。

具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。

兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。

自分と兄はひとつ屋根の下暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、

自分中学高校御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。

ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。

から自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。

別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。

道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。

学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。

学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。

犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察バカにし、遵法精神などまるでなかった)、

それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。

兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期問題があったのかもしれない。

だがだからといって兄の行為正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。

私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。

(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。

  そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)



そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。

親はどこでもいいか大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。

ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。

音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。

自分高校卒業大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。

そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。

Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。

しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。

何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。

フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しか結婚も確定しないうちに買って与えた。

呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。

『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しか自分国立大で、学費トータルしてもマンション費用20%にもならないのだが)。

兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。

そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。

(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかしか思えなかった)


この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。


自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大しろ』と。

親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。

しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。

通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金バイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。

親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。

根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。

自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。

グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。

家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。

しかし兄は正真正銘クズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。

(余談だが、なかにし礼氏の小説再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。

なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。

何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)



Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。

自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。

この頃から自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。

やがて自分大学卒業して、氷河期の中なんとか上場企業就職を決めた。

希望の会から内定が出ず、文系プログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。

親の反応は『とりあえず上場企業から、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。

同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社営業として働きはじめた。

兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっとき小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。

その外車ポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。

乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文しかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。

(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)

マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。

そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分ほとんど知らない。

その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。

結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。

兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。


予想していたが、兄の結婚生活は長くは続かなかった。

営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人リフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。

あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。

そしてまた、マンションで自堕落生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。

自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。

『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。

しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。

そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。

そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?

『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転たか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』

そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。 

自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。

自分と同じ親のもとで、恵まれ環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。

兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。

そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。

自分大学時代、兄は親が与えたマンションゆうゆう一人暮らしして、自分仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。

就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。

その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。


家庭のことや仕事ことなど色々あり、結局自分新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。

兄は親が見つけてきた非正規パート仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。

だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。

最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。

もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。

自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。

そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンション暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。

Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。

しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。

(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)



兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろしか思っていない。

残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。

きょうだい他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。

だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。

もう親も老い自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、

自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたか理解し、悪かったと謝ってほしい。

だが、過去喧嘩した時の経験から、親は絶対自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。

『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対絶対自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。



自分自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。

なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分けが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。

これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。

本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。

ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたもの自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。

男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男役割も果たさねばならないのだろう。

兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。

母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。

子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。

そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。

精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。

50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。

そもそも出産までにどれだけ苦労したか流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療高齢出産がどれだけ母体負担がかかると思っているのか。

娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。

孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。 

私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。

結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。

図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。

結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻

(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)

その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。

兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。

(主に要求を突きつけ言ってくるのは このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-04-12

泣いてもらって幸せだね

小学生の頃の夏休み、母方の従兄弟の父方の祖父の家に遊びに行ったことがある

当然自分とは何の血の繋がりもないが、母方の叔母が自分の姉=私の母とその娘=姪である私も誘ってくれた

祖父(ではないけれど便宜上そう呼ぶ)は九十九里海岸沿いに別荘を持っていて、叔母家族と母と私でお邪魔した

祖父は優しい人だった

なんの縁もない私にも血の繋がった自分の孫と同じように接してくれた

ザリガニ釣りをしたりスイカ割りをしたりバーベキューをしたり、まさに「小学生の夏」のイメージそのままの1泊2日を過ごした

とても楽しかった

ちなみに「別荘」という言葉から当時の私は勝手に大豪邸を想像していたのだが、実際の別荘はそれより3回りは小さくて

内心「家ちっさ…」とか思っていたのは内緒だ 今考えると失礼な小学生

祖父に会ったのはその年とその次の年の夏の2回きりだった

それから10年ほど経って、祖父が亡くなったことを聞いた

叔母は母と私も葬儀に呼んでくれた

正直な話、この時既にもう祖父の顔も声もよく思い出せなかった だって2回しか会ってないんだから

それなのに涙が止まらなかった

忘れかけていたあの夏の思い出を一気に思い出した 浜辺に流れていた月の砂漠の物悲しいチャイムの音も急に思い出した

棺に手を合わせていたら後ろから知らないおばさん達が私の話をしているのが聞こえた

「○○さん女のお孫さんもいたっけ?」

「あの子は直接のお孫さんじゃないけど一緒に遊んだことがあるんだって(みたいなことを説明してた気がする)」

「あらそう、それなのにあんなに悲しんで泣いてもらってるの、○○さんも幸せねえ」

あんなに悲しくて泣いたのに、結局葬儀から数日もすれば私はまた祖父のことを忘れてしまった

なのに「泣いてもらって幸せだね」という言葉だけはなぜか強烈に頭の中に残っていて、

私はどうにもバツが悪くなってしまった

どうして泣いたんだろう、泣く資格とかあったのかなとか思った

ところで、それから数年経って私の血の繋がった祖父(父方)も亡くなった

葬儀では私は当然のように泣いたのだが、母もまた泣いていた

それを見た親戚のおばさんが、「お嫁さんにあんなに泣いてもらって、●●さんも幸せねえ」と言った

示し合わせたようにまるっきり同じようなことを言うからびっくりしてしまった

けれど血のつながらない祖父葬式で泣いたのは別にいいことだったのか、とも思った

anond:20190406171138

赤ん坊なんて泣くのが仕事だ。

泣いたまま適度に転がしておけばOK

泣きすぎて死んだ赤ん坊なんていない。(←たぶん。)

(弟たちが双子だった。自分は四人兄弟長男母親育児適当だった思うが、今はみんな普通大人になった。)

豆腐



私は何年も病んでいて、毎日お葬式みたいだと親から言われ、兄弟からもそんなに死にたいなら死ねばいいじゃん、と言われてた。

死にたいっていくら思っても本当に死ぬ勇気なんてなかった。このままじゃダメだと思って、やっと自分病気とも向き合おうと思って、頑張ってるけど、何をしてもうまくいかない。

レベルが低いくせに理想が高くて、理想現実の差がありすぎてしんどくなる。

日々をこなすのがやっとで、昨日何したかすらほとんど思い出せない。よーくよーく思い返せば思い出せるけど、思い出すという行為が面倒臭い

うまくいかなかった日は惨めで、そんな事ないのはわかってるけど知らない通りすがりの人にまで、出来ない奴だと思われてそうで存在したくなくて。

夜になると悲しくて寂しくてどうしようもない感情に押し潰される。

なかなか寝付けなくて、何度も目が覚めては朝がきて、重い体を起こして日々をこなす

楽しみがあるから頑張れる。

1度は諦めたいい娘、いい子になりたい一心で頑張ってる。

ただ、頑張っても頑張っても結果がでない。これからって言われれば、これからなんだろうけど。どうしても焦ってしまう。

元々要領が悪い。だから、きっと無駄な事ばかり頑張っているのかもしれない。でも、何を頑張ればいいのかももう分からない。

一度壊れた心は意外に脆くて、すぐに折れるけどもう自分に負けたくない。

みんな色々ある中で、辛くても何も言わずに頑張ってるのに、本当にしょうもない事で弱音ばかり吐いて情けない。人と比べる事は良くないことだけど、みんなが出来てることを辛い辛いって言いながらじゃないと頑張れない自分が嫌いだ。

こんな私は、平成に置いていって令和では幸せになりたい。

2019-04-10

お嬢様とかおぼっちゃんとか

今の職場、育ちがいいというか、

実家が太い人が多い。

それでいて、一人娘とか、一人息子とか。

もちろん人にもよるけど、

びっくりしたのは、字がとてつもなく汚かったり、箸の持ち方がドラえもんのような人が多くいること。

お金持ちなら、人一倍教育されそうだけどな.....と常々疑問を抱いていたけど、最近そうじゃないかもなあと思うようになった。

私は兄弟が多く、裕福とは言えない環境で育った。自分で言うのもなんだけど、字はかなりうまい。箸の持ち方も綺麗だと自負しているし、周りからも言われる。

でも、それって、お金をかけないで習得することができたからで、

資産を持たない家庭で教えられることってそういうことだけだよな、と思った。

貧乏ながら精一杯頑張って育ててくれた両親を尊敬しているが、私はお嬢様・お坊ちゃんの彼らが当然に喋る幼少期から通っているお店や広い人脈などはまったく持っていない。

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