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はてなキーワード: 意気投合とは

2018-05-20

大企業辞めて起業した会社退職して、再就職した話

妻が寝ちゃって暇なので、深夜に私の転職した話を書くよ。

■経歴と話のまとめ

WEBメディアとかやってるIT企業就職イメージは、楽天リクルートYahooサイバーエージェントDeNAGMOかその辺りで考えていただければと。そこを7年ほど勤めた後に、大学時代の友人に誘われて共同で起業。ただ、とあるきっかけで起業した会社を離れることになって、転職活動を新たにして無事内定もらって働いているって話。

起業の経緯

自分で言うのもあれだが、最初会社ではかなり評価されていて同期の中では昇進早い方だった。年上のメンバーマネジメントしてたし、IT企業なりの実力主義みたいなのにうまく適応できて、トントンと昇進して年収も900万円前後だった。

ただ、そんな中で大学時代の友人に起業に誘われ、共同創業起業することになった。もともと起業には興味があって、何かやるネタがないかなと考えていたところだったので、仲の良い友人から何度も熱心に誘われたこともあり抵抗なく起業の話にの会社をやめることにした。起業します!って行って辞めていった時の、なんとも言えない高揚感は今でも思い出す。資本も入れてるし株も筆頭ではないが十分持ってたよ。

起業した会社を離れた理由

シンプルに2つ。

・産まれ子ども障害があった

・そのことを、共同創業者と分かり合えなかった

まれ子どもに、身体的な障害があったのさ。そこまで重い障害じゃないけど、まあ矯正しないと生涯に渡って付き合っていかないといけない障害が体に残るようなレベルの。

もう、青天の霹靂

うちは夫婦共働きだったけど、妻も理解があってベンチャーやってる俺の忙しさを知ってるから家事育児などはかなり頑張ってやってくれていた。ただ、子ども障害があるとなると話は別で、やっぱり子どもへのサポートを最大限にしたい。となると、私も当然働く時間などに制約を持ちながら(と言っても普通に深夜ではなく夜には家に帰ってきてくれ、と言う程度のもの)働かなければならなくて、創業期にがむしゃらに起きてる間ずっと仕事してる、みたいな状況はできなくなってしまった。

で、そのことを共同創業者に相談したときそいつの反応。いまでも思い出すよ。

「そうか、まあお前のプライベートには興味ないけど、結果だけ出してくれたらいいよ(笑顔)。俺に期待することある?ないよね」

で話が終わったんだよね。

もう、愕然

もともとクールなやつだったけど、こっちが相当参っているとき申し訳なく泣きそうな思いで打ち明けたことに、↑みたいな反応されると、固まるしかなかった。

と言うことがあってからは、感情を共同創業者に出すこともせずに淡々仕事をこなしていたり、とはいえ家庭との板挟みで(俺はもう完全に家庭に心が向いていた)睡眠時間がどんどん削られて行ったりで、身体精神ともに参ってしまった。ので、家族相談して起業した会社を離れることに。辞めることを伝えたときには、共同創業者は最後まで怒り狂ってた。「家族を裏切れないって言うけど、俺のことは裏切れるのか」とか言われたけど、そう言うことをいうやつだから一緒にやりたくないんだよな、と思った俺は後悔はあれどスッキリし、心のもやが晴れていくようだった。

転職エージェント登録

正直、今度は自分自身起業しようかななんて思いもちょっとあったんだけど、まずは収入を安定させねばという思いでサラリーマンになることにした。起業してると、給料日お金が出ていく日だけど、給料日お金もらう日にしたかった。これだけで心の安定が相当違う。

上記みたいな経緯だったので、もうとにかく辞めることを優先して、転職活動は後になった。結果として、30代既婚子持ち職なしの爆誕である。無事起業した会社退職した後に、信頼できる年上の知り合い(=最初会社の元上司)にだけ打ち明け、信頼できる転職エージェントを紹介してもらった。取り急ぎ2社登録したけど、結果的に2社くらいで私はちょうどよかったと思う。

案件は、大体似ている

(よっぽど特殊スキルを持っていたりするなら別だけど、私のようにWEB系だったらまあ似たり寄ったりの求人も多く、被っている求人も山ほどある)

自分相場観が多面的にわか

(私の場合、狙える年収みたいなのがエージェントによって差があった。「新卒で入った会社の900万円レベル全然いけますよ!起業していた経験などはプラスに見られますよ!」みたいな意見と、「起業していた時の給料がほぼ皆無だったということであれば、無難に750万円くらいだったらいけますよ」という意見が両方あって、どちらも真実だろうなーと思いつつ転職活動していた)

志望動機などの相談多面的にできる

(これも、私の場合上記のような経緯だったので、起業した会社退職理由をどう話そうかと迷っていた。一方では「正直に言った方が、自分自身の納得感も大きいし、本当にFITする会社を選ぶためには話すべきです」という意見と「子ども理由だけで十分なので、創業者と分かり合えなかった〜みたいなことは言わなくていいですよ」みたいな意見があった。私は、性格的に隠し事が好きではないので前者の意見採用してありのままを伝えることにしていた。これは前者のアドバイスに救われたと思う。)

■以下、いろんな会社を受けて思ったこ

大体各エージェント10社ずつ、20社ほどエントリーを出した。最初ビビって多めに出したけど、書類落ちたのは2社くらいで、面接に忙しくなってしまった。印象的な会社を下記に述べる。

①某数千億規模のオーナー企業。3年前に役員に、某外資から鳴り物入り転職してきた常務が手腕を振るっている。常務意気投合して内定しますね、って口で言われたのに、5日後くらいに「オーナーに人を取りすぎだ」って言われてどうしても内定が出せない、申し訳ないって断られた。なんだそれww って思ったけど、俺以上に転職エージェントめっちゃキレてた。一度口で内定って言った以上、出さなくなるなんて本当に失礼だと。そりゃそうだ。

②某六本木ベンチャー。無借金経営でそれなりに名前を知ってた。会社に入ったらみんながみんなしっかり挨拶してくれて、それだけで印象がめちゃくちゃいい会社挨拶大事新卒4年目みたいな人と面談だったが、よくいうと非常にビジョナリーな感じの人で、悪くいうと地に足がついていない感じ。悪い印象もないんだけど、肌に合わなかったのでこちからお断り

③某六本木ベンチャー2。ベンチャーで有名なビルに入っていた。ここはもう最悪だった。人事に清潔感がなく、面談中もずっと髪の毛を触っていた(女性)。それで、30分くらい面談した後に「それでは、詳しい求人票はまたエージェントからもらってくださいね」とか言われた。思わず「今この場でないってことですか?」って聞いたけど、そしたら「いろんなエージェント求人票出したりしてるので、そのエージェントさんの最新のものは、エージェント自身確認してもらった方がいいんですよ」とか言われる。もう話す気もなくなったのでそれ以上質問せずに終了。大体、職務経歴書履歴書を紙で印刷してもってこいとか書いてあるのに、こちらが渡そうとしたら「データであるので結構ですよ」とかさらりと言ってくる時点で、求職者への扱いがぞんざいなんだなって印象である会社でた瞬間、お断り電話エージェントにした。

渋谷AIベンチャー。本当にあけっぴろげに会社課題や求める人材を語ってくれて、1時間面談が本当に充実した時間になった。結果的に、私がやりたいことと違ったのでお断りする形になったが、お断り電話エージェント経由ではなく俺から直接電話でさせてくれと頼んだほど、真摯採用に向き合っている方で本当に好感触であった。こういう人と会えるなら、転職活動は貴重な経験になるなと実感した。

⑤某港区大企業。1兆越え。採用システマチックで本当にうまくできていた。後一次面接から役員が出てくるとか、採用にかける本気度をの高さを非常に感じた。後、毎回面接の後に、エージェントを経由してくる俺の評価言葉を尽くしてくれるので本当に嬉しかった。「マネージャー経験しかないが部長レベルも担えるポテンシャルを感じる」とか「物腰柔らかで好印象」「新しい領域でも安心して任せられる安定感」とか、そんなことを箇条書きで毎回伝えてくれて次の面接に進んでいくので、こちらも嬉しい気持ちで進められた。内定をもらったけど、最後まで悩んだ会社である。やっぱりどういう評価をされているのかがわかるとこちらはとても愛着がわくし興味を持つ。

⑥某社。Newpicksのジョブオファーを見ていて、面白そうだったから話を聞いていってトントン面接が進んで内定をもらった。ただし、Newspicks求人票に書いてあることと違う条件でオファーが出てきて(本社募集だったのに、子会社採用みたいな)、そのことを質問するともごもご言い訳をしていたので、気持ちが離れてしまった。一言面接過程で、意思確認しながら別ポジションでのオファーとなることがあります」くらい書いておけばいい話なのに、内定しますね〜っていって面談に言ったら違うポジションで、とか、印象悪くなりすぎる。

⑦某社。これもNewspicksジョブオファー。一度面接にいって、面白そうなので2次面接に進むときに、途中でメールが途切れてしまい(あっちの候補日程提示に対して、俺が返信しても返事がなかった)、そのまま当日を迎えてこちからメールをすると「(要約すると)ごめん忘れてた、ほんとごめん」みたいなメールが返ってきて、すでにいくつか内定をもらっていた中なのでもういいやとなりお断りダイレクトリクルーティングを頑張るのはいいが、人手足りないなら最低限のアレンジくらいはアシスタントなど雇わないと回らないのではないかと思った次第である

⑧某ヒルズの大きめベンチャーオフィス綺麗かっこいい。すっごい早口面接官で、2次面接の後に「よかったらオフィス見学していきますか、時間オーバーしてますけど」みたいなこと言われて、志望度それなりに高かったのでしっかりオフィス見学させてもらった。でも3日後くらいに落とされた。「優秀な人材で非常に残念だが、今のチームへのフィット感がないため泣く泣く断念する」みたいなことを言われた。非常に便利な断り文句だなと思ったw ことと、事実オフィス見学までさせてもらっての不採用なので、その会社のことは全く嫌いになれない(むしろ今後も応援したいなと思った)。断り方ひとつとってもエクセレントだなって感じた。

結論的に

で、そんな俺だけど、結局転職したのは20人くらいのベンチャーだった。

起業した会社退職した経緯が↑みたいな理由だったので、今度働く会社は、お互いのプライベート尊重しながら、困ったときには支え合えるような会社がいいなって思っていた。

そんなことを面接で伝えても迎え入れてくれて、3回面接をしてオファーをもらった後にも何度もランチを設定してくれたり、「もしベンチャーということで不安になることもあれば、私から奥様にお話をすることもできますので、何なりとおっしゃってください」みたいなことを社長自らが言ってくれたり。入社前に社員半分くらいに会わせてもらって、シンプルに「いい会社だな」って思ったんだよね(入社してから今もその印象はかわらずむしろ高まっておる)。もちろん会社課題感なども隠さずに伝えてくれるし、その課題に対して自分が貢献できそう、と確信できたことも大きかった。

ちなみに年収は、オファーをもらった中では一番低かった。800万を超えるようなオファーもあったけど、お金じゃなくて働きや働く人が大事だなって心の底から思えていたので、そこはそんなに問題ではなかった(ベンチャーはいえ、決して低くはないので。後半年働いたらSOオファーがある、というのも大きい。)

ということで、チラシの裏に書くような話なんだけど、転職活動中の人に参考になれば嬉しいです。後中途採用やってる人事の人にも役立てば嬉しい。

2018-05-16

親の前で自殺未遂した話

親の前でマンションベランダから飛び降りようとした。

軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。

三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂未遂くらいで終わってしまった。

希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズ新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。

リストカットしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。

高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラ中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日明日ハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。

正直17歳くらいで自分死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。

大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。

それも居酒屋ホテルバイト疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。

まりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。

その後いろいろあって至る現在就職活動ストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。

ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。

親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。

自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。

飛び出すように家を出て、半日考えた。

私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。

親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。

事実借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値から目をそらしたかった。

でも逃げさせてくれなかった。大学自主休講したこと就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。

私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。

カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。

これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。

無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。

葬式に来て欲しい人のリストアップをする。遺書を書く。

それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。

1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。

簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。

考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。

せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。

お父さんお母さん、お金時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。

ももうすこしで、マイナス100をプラスにはできないけど、マイナス50くらいにはできるように頑張ってバイトするからね。

私の生涯最後一年くらい、苦労や心配をかけないで済むように、私頑張るから

2018-04-30

anond:20180430174802

家族いないの?

俺も一人飲み好きなんだけど話しかけて意気投合みたいなノリ苦手なんだよねー。

最近寂しいから一人で飲んでる人いたら話しかちゃうかも。その時はヨロシク。

2018-04-28

anond:20180428004859

ライブのあとのオフ会意気投合して結婚した方とかはありますね。

一部の熱狂的な追っかけさんとは、一緒にはしちゃいけないと思いますよ。

実際、ご本人さんたちに必死で接触しようとするのは、この、一部の熱狂的な追っかけさん達なので、

ご本人さんたちに、あんがいそうでないファンと、一部の熱狂的な追っかけさん達の区別つかないのかも、とも思います

普通一般ファンLIVE行って、帰りにお茶してセトリ確認したりして

そういう、仲間同士のファントークのほうが楽しいですね。おしゃれして行くし。

2018-04-25

車無しで恋愛する都会の人

想像がつかない。

知り合って日の浅い二人が二人きりになれる場所なんてそうそうないよね。

車があれば「送っていくよ」の一言だけで一つの空間に二人きりになれる。

まだ付き合う前の段階でも意気投合すれば、そのまま朝までドライブなんてことにも良くある。

友達グループ抜け出して、好きな音楽かけて、二人で時間気にせず朝まで話つづける。

最高に楽しいよね。


都会の人は、車を持たない人が多い。

車無しで自然に好きな女の子と二人きりになれるチャンスなんか想像もつかない。

こっちが好きだからって仲良くなる前に急にデートなんかさそっても十中八九玉砕するだけだよね。

やっとデート約束して二人で会っても常に周りに誰かがいるし、終電もある。

女が心を許すまで親密になるのに何回デートを重ねればいいんだろう。

と、思うと都会で生きるって難儀だよね。

一秒でも早くつがいになりたいっていう本能を押し殺して生きるしかない。


俺は意気地なしだが、車があったか自然に女を誘えたし彼女もいた。

車がないことが想像できない俺は、都会生活は無理かもしれない

5月から東京生活。自信ないわ。

過呼吸

その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。

オープン前のまだ穏やかな時間

いつものようにSが近寄ってくる。

彼とは新規事業部に移る前からの付き合だ。

新しく入店した2名の女性スタッフを紹介したいのだという。

1名はすでに履歴書確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。

Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社ペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。

少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。

しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。

準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。

ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。

あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。

そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらい食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。

この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。

「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」

そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋テーブルを囲うことになった。

はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。

Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。

15年前、Zはまだ19歳でしかなかったのだから

僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバル従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大ストレートに交わっていた。

世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。

こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。

聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。

ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。

「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」

よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。

Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。

すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。

Sと新人女性2名、自分店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。

タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。

それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。

いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。

「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」

こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。

酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。

「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分根性見直してこい!」

自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所はいかない。

お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要儀式だと譲らないからだ。

居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。

しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。

怒りにまかせて身を翻し駅前タクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。

Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。

それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。

それがわかると今度は心底情けくなってしまった。

このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。

唐突孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話アドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。

である理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。

しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。

「すまない。特別理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」

沈黙の後、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「今から来る?」

Hとの付き合いは僕から一方的音信不通になって終わった。

色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。

何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。

その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。

仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。

結婚生活には満足している。

それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。

ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。

お酒のせいで冷静な判断が出来なかったのかもしれない。

「30分あれば着きます。」

それだけいって電話を切った。

Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。

相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。

今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。

テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒けがいたずらに消費されていった。

気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。

何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。

携帯電話を取り出すと、メールをうち始めた。

申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”

「誰にメールですか?」

Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。

Hも「そう。」とだけ答える。

しばらくの沈黙唐突に震える携帯電話。妻からの返信だった。

「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」

メッセージと一緒に、体操服を着た長男写真が送られてきた。

忘れていた。明日子供運動会だったではないか

子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。

自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。

猛烈な後悔が押し寄せる。

涙で目の前はかすみアルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。

周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。

いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。

身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。

シャツの上から胸元をひっかきながら床に倒れ込む。

ここで死んでいく理由をHは妻にどのように説明するのだろう。

今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。

にゆときさえも後悔で終わっていく自分人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。

ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気身体へと流れ込んできた。

肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。

涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。

音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。

カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。

僕は一度死ぬことが出来た。

後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。

まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。

2018-04-24

みなしごハッチ第三話「悲しき対決」

キズナアイ経由で見ました。https://tver.jp/episode/42656337

蜘蛛に捕食されそうになっていたリップハッチが助ける。リップ天涯孤独の身らしい。自分が何者か分からないリップハッチ意気投合兄弟のように仲良くなる。

明くる日、リップ背中が痛いと泣き叫ぶ。ハッチ医者に見せようと村に連れていくが村人達は扉を閉ざし無視してしまう。ハッチ友達が死にそうだという叫びが届いたのか、ようやく一軒だけ扉が開きリップを診てもらえた。

リップの痛みは無事収まった。しか医者は「病気が治ったらすぐに出ていき、リップと別れろ」とハッチ忠告する。

(ここで一旦CM)

この村には時折吸血鬼が現れ、村人たちはとても脅えていた。ハッチはなぜ戦わなのかと問うが、露虫達は戦う術を知らないのでどうにもできないらしい。

目が覚めたリップ背中の痛みが無くなった上に羽が生え、体も少し大きくなった。

村人たちに感謝し村を出ていくリップハッチハッチ吸血鬼を倒すことで恩返しをしようと提案リップもそれに賛成する。

それを偶然耳にした露虫の娘は両親に「自分たちは何もしなくて良いのか」と問う。

池で吸血鬼と戦うリップ達。露虫達も応援に駆けつける。吸血鬼を茨に誘い込み動きが止まった所に茨の棘を突き刺す。吸血鬼を倒すことに成功した。

それでもまだ動いている吸血鬼リップはとどめを刺そうとする。しか吸血鬼リップに「同じ仲間を殺す気か」と話しかける。

吸血鬼の正体はタガメだった。タガメは他の生物の血を吸って生きていかねばらならない。しか吸血鬼の正体はリップの実の父親だった。

タガメは死んだ。リップハッチ拒否する。実の父親を殺されたからではない。タガメである自分がいつリップを傷つけるか分からいからだ。自分の正体を知り絶望したリップハッチから離れていく…。

動物擬人化物における「この世界住民は何を食ってるんだ」問題に対し、食物連鎖存在を突きつける回。普通に良かった。見入ってしまった。この世界にジャパリまんは存在しないのだ…辛いのだ…。

しかしよりによってなぜこの回を実況しようと思ったのか。ツッコミ実況がしたいならチャージマン研星の子ポロンの方が良かったんじゃ…。しかツッコミも上手くないしボケも酷いぞ。

2018-04-23

人見知りすぎて距離感自動巻き戻しされる

奇跡的に仲良くなれても、少し日が空いてしまうとせっかく縮めた距離が元に戻ってなにも喋れなくなってしま

赤の他人に戻っちゃう

不機嫌を露わにしていると思われてしまうのではないか?と不安になるんですけど、自動巻き戻し未搭載諸氏的にはこういう人どうなんでしょう

「前回意気投合したのに今日は押し黙りやがって。嫌な奴」とか思います

どうしたらいいんでしょうね

2018-04-14

デレマス好きが新卒同期だったんだが

両方とも城ヶ崎莉嘉好きということを聞いて意気投合していたんだけど、

「俺と推しが一緒」、では、ない!推しでは、ない!担当

という自分の中のクッソ面倒くさいオタク部分を酒で流し込むのに必死だった。

でも話聞いてて分かったのは、そうはいっても熱量はあって、この間のイベントすごくよかったとか話してくれて、

ベクトルは同じ方向を向いてるし、その大きさもすごかったのよ。

こうね、だめなオタクからちょっとしたことで面倒くさいこと考えてしまうけど、言葉の使い方はちょっと違うかもしれないけど、

そんなことでギャーギャーいうのはいかんなぁと。ちょっと黙っていれば、いろんなことが見えてくるんだよ。

何が言いたいのかというとやっぱり城ヶ崎莉嘉は最高だってことです。ありがとう。いろいろ気づかせてくれた同期もありがとう

そうなんだよなぁ、もう本当に独り立ちしたアイドルになったんだもんなぁ。これからどうするんだろうなぁ。楽しみだなぁ。

thとかどうなるんだろう。ツインテールやってくれたら泣く自信がある。

2018-04-02

惚れてる女の子に飲みに誘われたんだけど。

行ったら「前々からこの人を紹介したかったんです〜」って、同じ歳くらいの男性が同伴で来てたんです。

趣味も合う。性格も合う。普通に意気投合したんです。連絡先も交換したんです。

彼氏なんだってさ。

うーーーーーーーーーーーーーーーん。

俺は君のお兄さんか何かなのかい

実際、3歳上だけどもさ。

これは「それくらい人間として信用されてたんだなー」って喜んでいいところなのかい!?

それともあれかい。カレピッピが俺と君の浮気ッキを心配しチッチなので、その誤解を解くための謎儀式だったのかい!?

浮気どころか手すら握ってないピッピなのにねー。

なんだかとっても虚しさこみ上げてきているので、今夜はお気に入りつぼみAVで抜いてからます

明日仕事だよぉ〜。

2018-03-16

元カレ結婚しておけばよかった

当方先月39歳になった特定派遣SEアラフォー喪女

最近29歳の時に半年だけ付き合った元カレ(というか人生唯一の彼氏)のことを思い出す。

元カレとは現場出会った。当時私は7年目の中堅で元カレは異業種から転職してきた1年目だった。

その現場所謂デスマ状態リーダーが変な人で私はその人と全然わずキツかった。

元カレ新人からミスが多くてよく怒鳴られてた。

そんな感じの現場職場飲み会帰りにたまたま帰り道が同じだった元カレと話しながら帰っていたらリーダー憎さと同い年ということで意気投合

メールとか帰りが一緒になった時に話したりをしているうちに30手前にして始めて付き合うことになった。

元カレはとにかくマメな人だった。朝晩のメールはかかさず週1のデート希望し会えない時は電話

マメな連絡が苦手だった私は段々返さなくなって、それでも彼からメール毎日きていたし電話もきていたけど出なくなっていった。

休出もあったし女友達と遊んでいた方が楽しかったので2カ月目以降は週末会うのも月に1回か2回になっていった。

そんな状態で5ヶ月目を迎えた時、私も元カレ現場を離れることになった。

それから毎日会わないしもういいやってなって放置。それでも連絡は来るんで最後は面倒になり着信拒否メールアドレス変更で私の人生唯一の恋愛は終わった。

当時は束縛ウザいとしか思ってなかったけど今思えば自分天狗になっていただけだった。

元カレはいつも連絡面倒だったら抑えると言ってくれていたんだけど私は察してみたいなノリでいつも黙っていた。

初めて家族以外の異性から好意を寄せられて舞い上がっていたんだと思う。

Facebook元カレ検索したら別の人と結婚して子供もいた。当時は私より給料も低かったけど今ではそこそこ大きい会社転職して部下もいるみたい。

私はというと去年末長年の長時間労働ダメージからか体を壊し現在休職中。

今更結婚もできないだろうし両親も年金暮らしで頼れないし私はこれからどうすればいいんだろう。

あの人とちゃんと話あっていれば結婚して別の未来もあったのかな・・・

2018-03-13

我慢はしたくない

私は今まで我慢をしてきた。

当時の彼氏自分意見が伝えられなくて

勤めてる会社パワハラを受けていたが辞める勇気がなくて

地元に帰りたかったが、帰ると負け犬みたいに思って。

だけど、その当時の彼氏にフラれてはじめてわかった。

私はただ人のせいにして生きていると。

不満は多かった。

ただ我慢をしていた。

なんで我慢をしていたかというと、当時の彼氏結婚たかたから。その思いだけで全てを我慢していたら 自分への不満もつもり 当時の彼氏との距離が離れていってることにも気づかなかった。

フラれて初めてわかった。

私は 自分自分のことを選択していなかったと。

選択をしていないから、たくさんの我慢がでて、爆発してしまたこと。

今度はちゃん選択しようと思ってまずは 今いる場所に残るか、地元に帰るか、悩んだ結果、やはり今いるところで頑張りたいと思った。

次に仕事

私がしたい仕事は何だろうと、当時の仕事をやめて、好きなバイトをいくつか掛け持ちした。

その中で 自分の中での仕事を見つける優先することが発見できた。

ただ自分がしたい業界経験者ばかりの求人だったので、まずは経験をつもうと今の会社就職した。

ただ 私の想定外のことがおきてしまった。

好きな人ができてしまった。

私は前の彼氏を引きずっていたが、こんなに惹かれる人に出会たことがなかった。

彼も同じ気持ちで、すぐに意気投合して交際を始めた。

順調に進んでるなか、2人の間に結婚お話がでてきた。

ただ、私はつい最近自分のしたいことを見つけた。

彼とは遠距離こちらにきてほしいとのことだが、彼のいるところには私のやりたい仕事もない。

友達こそ彼側に居たらよかったが、友達もおらず、地元とは今いるところより離れる

そして、なによりも私は私の事が心配だ。

PMSがひどくて 気分の落差が激しい。そんなときに全て環境が変わったときに耐えられるのか、すごく不安だ。

全てのことを考えたときに、

私はまた我慢をしなければいけないのかと思ってしまった。

そう思うと、当時の自分を思い出して吐き気が出そうになった。

だったら 我慢 ではなくて

選択をしようと納得しようと

理由を探した。

彼と一緒に居られる

それ以外の理由が見つからなかった。こんなんじゃ前と一緒だと思ってしまい、精神的に追い詰められてる。

彼には依存はしたくない、だから自分理由を見つけたい。

そんな気持ちダメなんだろうか。

私は私で生き、彼は彼で生きて

間で折り合いはつけられないだろうか。

どうしたらいいのだろう。

最悪なことは考えたくない。

2018-03-12

デート約束をしたけど結局行かなかった男の人

しゃぶしゃぶ食べたいですね!」って意気投合して

仲良くなったのに

いざ食事に行こうとしたら

刺身うまい店があって」って言いだして

「いや、しゃぶしゃぶ食べるって約束じゃ」っていっても

結局刺身の店に決められた

なんでや

2018-03-02

反差別主義リバタリアンの居場所がなくて辛い

はてなの人たちとは反差別では完全に意気投合できるんだけど、政治経済話題になると意見が違いすぎて居心地が悪い

かと言って数少ないリバタリアン優位な場所はなぜか同時にネトウヨ自民支持患ってるやつだらけ、俺としてはスノーデン、アサンジ、ロンポール議員みたいな路線リバタリアンは好きだが日本リバタリアンはどいつもこいつも劣化橋下みたいなのばかりでうんざりする

一応俺の意見を言うと自民党こそ大きな政府の最たるもので、とてもじゃないが支持したくない、ていうかここが目指してるのは国家社会主義だろ最悪だよ、立民も大きい政府志向だが人権方向じゃ自由重視のリベラルなんでまだよっぽど支持できるて感じです

もしかして自由経済重視と反差別って成り立たないのかなぁ…俺個人としては差別がないほうが最終的に市場経済にもプラスになるという考えなんだが…

あとそうであったとしてもやっぱり政府権限の強化は警戒してしまう、とくに安倍政権を見てるとね…みんななぜそこまで無邪気に政府というものに全幅の信頼を寄せられるのかが疑問…

いや反論として自由の行き着く果はモヒカン社会ってのはあるんだろうが、結局政府も強大なモヒカンになる危険性はあると考えてるんだよね、ナチスとか民主主義で生まれモヒカンみたいなもんだし…

政治の話の脱線は置いといて反差別とか社会市場両方の自由をきちんと追い求めてるリバタリアンの方っていますか?僕一人だと思うと正直寂しい。

追記:俺の言う差別とは生まれ持った属性でどうにもならないことに対するものです、人種民族障害など…しかし確かに知能に関してはどうなんでしょうね、貧乏の子供は貧乏であるべきか、たしかにその通りだと思います自身としては機会の平等方面ではなんらかのセーフティは敷かれても良いと思う立場です

あと日本じゃ特に民間の救貧が無いも同然だからやはりリバタリアンとなると弱者死ねになりやすいのかなってのある気がします、僕は言うなれば穏健リバタリアン理想みたいな所があるんで本来リバタリアンではないのかもしれません

さらに追記:リバタリアニズムはたしかに全てにおいて自由を重視しますが「他人自由侵害」については反対だという理解です、これを適用すれば人種民族性差別他人自由侵害になりうるので反対とは言えると思います、ただしここはリバタリアンの間でも意見の相違が多く、更にいうと「経済平等こそ他者自由侵害だ」といったレベルまで行くとリベラルに入るのだと思ってます

2018-02-28

人生で僕が傷付け、失った人の多さに気づき泣いている

【0】

2004年、中学生の僕は初めてけいこちゃんという彼女ができる。元々陰キャでダサくて奥手の僕は、なかなか積極的になれず、どのデートもまともな会話もできずひどいものだった。それでも彼女は僕を好きと言ってくれた。1年間付き合って手をつなぐことしかできなかった。好きなのに気を遣う関係に疲れて、僕から別れを告げた。彼女は嫌だと言ってくれたが、無理やり別れた。その後僕は引っ越し疎遠になったが、大学の通学路にあるデパートケーキ屋で彼女を偶然見つけた時は、何かの運命かと思ったが声をかけられずに卒業してしまった。フェイスブックでは元気そうだが、友達申請をできずにいる。向こうも多分こっちに気づいているが、友達申請は来ない。

【1】

2005年、僕はヤフーゲームチャットでスケベ発言ばかりする常連の猿だった。

そこでルルちゃんという同い年のメンヘラ女子と親密になり共依存になるも、スケベ発言の暗い過去を持っていた僕は周囲の協力が得られず破局。今でも彼女消息は今でも分かっていない。

きっと人生で一番好きになった女の子で、僕の心に大きな傷を残していった。この事件以降、僕は女の子を本気で愛する気持ちをどうしても持てなくなってしまった。その後女の子に対してあるのは所有欲、肉欲だけだ。

【2】

ルルちゃん一派の友人の一人、1個年上のケイスケ先輩にはこのとき凄くお世話になった。

色々話を聞いてくれて、彼の的確で説得力のある話し方に、男だというのに僕は一発で恋に落ちてしまった。

しかし、スケベ発言の暗い過去のせいで彼の一派から総スカンを喰らっており(味方はケイスケ先輩だけだった)、いつの間にか疎遠になってしまう。

今でも彼のことを心から尊敬しているが、もう10年近く彼とは話せていない。彼を今でも待ち続けている。

【3】

大学に入ったばかりの僕は、チャットで知り合った年下のミサキちゃん人生で初めてのキスをする。

年は3歳ごまかしていた。偶然にも出身中学地元が同じで意気投合したが、何せ貧乏大学生だったので本当に遊ぶ金がなく、やむをえず適当理由を付け、大泣きさせて別れた。

その後グリーで見つけて声を掛けたら、信じられないくらい恨まれていた。最近フェイスブックで見つけてメッセージを送ったがもう僕の事なんて覚えていなかった。

【4】

大学チャットで知り合った年下のミオちゃんと初めて同士でセックスをした。金がないので親の目を盗み家に呼んでセックスしたが、大陰唇と小陰唇の間にカスがギッシリ詰まっていた。

金がないのでなかなか会えずにいたら、そのうち飽きられて振られてしまった。フェイスブックで探してみたら、今では結構いい大学に通っていたのでメッセージを送ったらブロックされた。

【5】

ゲーム仲間のモモカとは不思議関係だった。知り合ったのルルちゃんと同じ頃だ。

ルルちゃんを失った後、彼女が心の支えになってくれていた。デブなのだが器の大きい性格で、巨乳だった。20で大学生の僕は、自殺しようと失踪して宮崎まで辿り着いたとき彼女と初めて会い一晩を共にしたがセックスはしなかった。ペッティングまではしたのだが、彼女は僕の中で守るべき最後神聖領域に思えて、挿入することができなかった。彼女就職して上京して来た時にも彼女アパートに一晩泊まったがセックスはしなかった。翌朝彼女の部屋で作ったホットケーキの味を今でも覚えている。その後自然と別れて、時折Facebookメッセージをやりとりしていたが、もう半年くらい返事は来ていない。

【5】

大学時代チャットで知り合った年下のミサキ(その2)ちゃんとは初めてフェラチオをしてもらい、生セックスをした相手だ。ブスだけどとても僕に好意を寄せてくれて、なんでもしてくれた。するのは初めてだというフェラチオはとても愛が籠っていて上手だった。貧乏で遊ぶ金が無く、尽くしてくれすぎて面倒になってしまい大泣きさせて別れた。久しぶりにメールをしたらラインを教えてくれたが、すぐにブロックされた。彼女以上のフェラチオをしてくれる女の子と未だに出会えずにいる。

【6】

大学時代チャットで知り合った年下のつぐみちゃんは、従順な子だった。2回目に会った時、山間公園の便所でセックスをした。過去の男歴を聞くと、大学生の男の性奴隷になっていたことがあるというので、潔癖症の僕は怖くなり、一緒に即日のエイズ検査に連れていき、陰性であることを確認したらデパートトイレフェラチオさせて別れた。復縁を求めるメールが来ていたので無視していたのだが、しばらくして返信したら宛先不明送信できず、音信不通になってしまった。

以下略

書いていてキリが無いのだが、この後も同じように、ネットで後味の悪い出会いと別れを繰り返してきた。

どの女の子もいい子ばかりで、僕の甲斐性が無いばかりに涙を流させたり、憎まれたりしながら別れてきた。

どうにかして、誰か一人でも幸せにできればよかったのに

ももう20代後半になってしまい、今では周りに誰も残っていない。

結局は孤独になってしまった。

現実女の子と親密になれたのは、最初のけいこちゃんだけだ。

僕は今でも、精神的には14歳のままでいる。

これから出会う誰かこそは、幸せにしたい

2018-02-02

友達喧嘩別れするお話

突然ですが、私は友達喧嘩別れをよくします。

これの原因は、はっきり言って私にあります

それは分かっています。だけどずっと抱えていたものをここに書かせてください。

例えば、Aちゃんの話です。Aちゃんとは同じクラスで、最初はよそよそしかったのですが、同じ趣味があり、意気投合しました。人見知りだった私にはAちゃんは頼れる姉みたいな存在でした。

けれどAちゃんは、突然私に冷たくなりました。私は最初理由が分からなくて本人に問いかけました。ごめんなさいと謝りました。でも何も言ってくれないし、あっそ、と冷たい返事が返ってきました。

それ以来Aちゃんとは話していません。Aちゃんと私の共通友達にAちゃんが怒ってる理由を尋ねてみたりもしましたが、その友達からは、一言だけ、【私が何かしたらしく、それが気に入らなかったらしい】と言われました。

私は、どうしてそれを直接言ってくれないのだろう、私はエスパーじゃないから、相手が何を考えてるなんか分かるはずないのに。そう思いました。

結局Aちゃんとは学校卒業するまで仲直りは出来ませんでした。

卒業前にもう一度ごめんなさい、と伝えましたが、それがどう捉えられたのか、それは分かりません。

ただ、私はどうすれば良かったのか、今でも分かりません。

他には、Bちゃんの話です。

Bちゃんは、同じ運動部部活所属していました。趣味も似ていて、部活以外でも仲良くしていて、一時期は一緒に帰ったりもしていました。

の子は、部活引退の約2ヶ月前、私のせいで辞めてしまいました。

元々Bちゃんは部活に滅茶苦茶熱心な方ではなく、よく休みたい、とか呟いている子でした。

そして運動部メンバーの中でもあまり強い方ではありませんでした。

けれど本人は勝ち負けを気にしている素振りもなかったし、ズル休み等していたので特に本人に何も言いませんでした。

だけど、Bちゃんは突然部活を辞めると言い出しました。

ここで理由を聞かなければ良かったのですが、理由を聞いてしまったのが私の過ちです。

Bちゃんは、どれだけ努力しても強くならないから辞める、と言い出したのです。

私は頭に血がのぼるのが分かりました。

はっきり言って、その子はお世辞にも努力してるようには見えませんでした。朝練にも殆ど来ない、居残りもしない、休憩時間もずっと駄弁っていて、ズル休みもしていました。

私は朝練も行って、居残りも出来る時はして、ズル休みは一度もしたことがありませんでした。

から、余計に怒ったのだと思います

Bちゃんに、【上手くなりたいなら、もっと努力したら!!?】と感情的になって言ってしまいました。

結局Bちゃんは部活を辞めました。

後々考えれば、私にももっと言い方があったのではないかと思うのです。そうすれば、今も仲が悪いなんて状況にならなかったのではないかと思っています

後悔ばかりの人生です。

けどここで少し吐き出せて良かったです。

長文失礼しました。こんな私を許してください。

腐女子ありがちな仲違い

同じ作品が好きってだけで意気投合したタダの性格の不一致。

ケンカのダシに使われる作品カップリング可哀想だわ。

同じ作品、同じCPが好き=人生の苦楽を共に出来る友人

と思い込む腐女子の多い事多い事。

一人の人間としてじゃなくて、

好きな話題を語れる相手としてしか見てないって事さ

2018-01-30

絵を描くのを諦めきれず出戻ってきた話

1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。

絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、

最近になってまた戻ってきた話をします。

せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます

しかすると1990年生まれで2002年あたりから

ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。

しかすると、知り合いだったかもしれません。

アイデンティティが「絵を描くこと」になった幼少期

物心いたこから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に

「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。

それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、

自分=絵を描く人間だという自己イメージ自身の中で確実なものとして定着していました。

幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール

赤ずきんチャチャ折原みと先生漫画くりた陸先生漫画をこよなく愛し、

よく真似て絵を描いていた小学校低学年。

高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、

その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。

ちょうど6年生になったあたりのころから

インターネットが家庭に手軽なものとして普及してきて、

自分イラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。

あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。

そこにはたくさんの同世代イラスト趣味とする子たちが集まっていて、

同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)

ネット上の友達ができたのもふみコミュのおかげ。

ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、

本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。

上手い人が降臨するともう大人気でコメント欄は大賑わい。

私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。

そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。

劣等感が現れ始める中学校時代

中学校に上がるとドラゴンボールに大ハマりして、

ドラゴンボールファンサイト管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、

毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。

ファンサイトの中でも特に人気だったサイトがあり、

そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。

チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、

その時に人生で一番画力が上がったように思います

二次創作ドラゴンボールにどっぷりでしたが、

一方で「9091P」という1990年生まれ絵描きを集めた同盟が立ち上がり、

同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。

その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と

劣等感が湧き上がるようになってきたと思います

しかったコミュニティもいつか衰退し、

中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。

いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。

同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?

そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います

課題のための絵しか描かなくなった高校時代

絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校美術を専門とした学校へ進学。

デッサン油絵、水彩、彫刻プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。

課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生から評価も高いのだけど、

その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。

それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…

わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、

なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。

課題はいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。

同人活動で売れ始めた人。

絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。

成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。

でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。

絵の話だけするのはつまらなかった。

恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分からか?

そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか

一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。

自分は違う」。「自分は比べられる土俵そもそもいない」。

仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、

でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?

ネット上では自分リア充的な側面は一切見えないために、

気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。

物作りを職業にするため、グラフィックデザインの道へ

相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、

「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京美大デザインを学ぼう。」と思い、

頑張って受験し、一浪の末美大進学を果たします。

絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと

点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います

自主制作はもはや高校時代にはほぼしなくなっていたため、

絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。

デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。

ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。

デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。

でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。

付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、

そもそも大学研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間評価すらされない。当たり前のことですが。

そして最終的には就活で完全につまづき、希望企業には就職できず、

かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています

もうコミュニケーション手段として、絵はいらないのかもしれない

書きたい絵なんてのはもともとなかった。

誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。

誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、

コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、

劣等感けが募る毎日になってしまった。

私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか

新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。

なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?

物作りから離れることは、自分人生否定すること、アイデンティティ崩壊することという思い込みが、

未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。

やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、

これから人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。

どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。

から、一旦最後区切りとして、ちゃんと絵を描いてみよう。その取り組みを、今年は頑張りたいと思っています

2018-01-14

anond:20180114183723

実際街でなんとなく意気投合してホテル入ったらぼっこぼこに殴られましたみたいな体験談たまに聞くからなあ

男の脳がチンポで判断力が鈍るのと同じような欠陥が女の脳にもあるんだろうなと思う

2018-01-13

合コン戦略Vol.01】メダカ群はお持ち帰り不可。まずは群れを引き離す

メダカの群は方向転換を一斉に行う。お互いぶつかることもなく同じタイミングで。

他の魚より脳に近い場所感覚器官があるため、ぶつかることもなく同調した動きが可能なのだ

 

群を作るのは外敵から身を守るため。個体数が多いほど外敵を発見する可能性が高くなる。

群の1匹が外敵を発見し方向転換をする。すると

同調して他の個体も方向転換。

 

これは合コン女子にも同じことが言える。

飲み会意気投合してこの調子ならホテル真っしぐらというシチュエーション

しかしいったんお店を出て、群に紛れ込んだ女子は二度と連れ出せない。

 

群になり貞操を守る女子

この難攻不落状態を打破するには群を引き離す必要がある。

 

そこで、こんな一言効果的だ。

「じゃあ次は二次会にいく組みと解散組みに別れよう。」

 

Vol.02に続く

2018-01-09

日本語だとダメなのか

2人は共通の友人を通じて知り合ったというが、

まれも育ちもオーストラリア英語ペラペラ

一方、高校時代イギリス留学していて

英語ペラペラのため、英語が話せるという共通点

意気投合したようだが、同誌によると、

お泊まりもなく、まさに“さわやか交際”といったところのようだ。

英語が話せるということで意気投合とか意味がわかんね。

俺も日本語話せるけど、誰とも意気投合しない。

2018-01-07

Web系での就活について

はじめに

そろそろ就活シーズンなので、数年前の就職活動の思い出を書くことにしました。

私はネイティブアプリフロントエンドエンジニアとして、Web系と呼ばれる会社選考を受けました。

10社ほどの選考を受け、2社からお祈りされ、4社辞退し、4社から内定を頂きました。

この記事のねらい

色々思い出してきたので、個人的に良かった会社と悪かった会社愚痴を書きます

スケジュール

当時大学院1年生だった私は、10月逆求人系のイベントに2回ほど行き、お互いに「良いな」と口に出し合った企業選考を受け、1月就職活動を終えました。

良かった会社と悪かった会社の違い

結論から言えば、「人事の方がどれだけ学生目線で考えてくださっているか」に尽きます

最初から企業理念事業内容・エンジニア雰囲気については良いと思えた会社のみの選考を受けましたので、結局は人事の方がどのように接してくださったかが肝でした。

良かった会社

お祈りをされてしまいましたが、目黒のL社の人事の方の対応は素晴らしいものでした。

お祈りメールを頂いた後に、「なぜ選考に落ちたのか」を訪ねたところ、たった1日で採用担当者の方に掛け合って頂いた上で詳細な理由をご教示頂いたからです。

悪かった会社

M社

M社については、選考を辞退した際に人事の方から社会人経験の長い私からアドバイスがしたい」とお話を頂いたので、半信半疑ビデオ通話をして頂きました。他の会社に進む理由を1分ほど話せば「それはウチの会社でもできるよね!」と一生懸命覚えたであろう自社のアピールポイント10分ほど立て続けに喋り続ける、ということを繰り返すだけで、話は平行線に終わってしまい、心底疲れました。

P社

P社については、2次選考までは順調でした。お互い途中までは意気投合していたこともあり、面接が終わったその場で合格を頂いたのは後にも先にもこの会社だけでした。しかし、3次選考が5日間のフルタイム無賃インターンであることが判明してから、流れは大きく変わりました。

どうにかならないか人事に掛け合った結果、「あなたのことは大変良く気に入っています!なので、最終選考を終えた後、内定が出たら無賃インターンをしてもらえればと思いましたが、どうですか?」と素晴らしい提案を頂きました。なぜ私のことをよく気に入ったにも関わらず、内定を出した後に無賃インターンをするのでしょうか…?私の実家年収がかなり低く、はっきり言って無賃インターンを5日間もしていては生活が回りません。そこで改めて三次選考についての再考をお願いしたところ、メールが返ってこなくなってしまいました(これは私も悪いと思いますが)。メール一言ぐらいは返して欲しいですが…

W社

W社については選考を受けておりませんが、「あなたが夏に体験した弊社のインターンについて何か意見を頂けませんか?」というお話を人事の方から頂いたのでビデオ通話を行いました。ところが、私が就活クロージングし始めていることを伝えたにも関わらず、途中からあなたは弊社について誤解をしていますCTOと是非ランチに行って誤解を解きませんか?」としか仰らなくなり、流石に苦笑してしまいました。私の先輩をサイレントお祈りしたり、違法アニメアップロードサイトリンクを呟いたりする人事の方がいらっしゃる会社というのは存じておりましたからあまりショックはありませんでしたが。

2018-01-04

幸せにたどり着いた

最近家族が寝入った後に一人でPCに向かいながら趣味時間を過ごしていると「自分幸せにたどり着いたのだな」という感慨に浸ることが多くなった。

自分はもともと真面目系クズと分類される高校生だった。

そして、大学ダメな奴らと意気投合してしまクズ化するというよくある流れを過ごした。

講義に出ずに友人とつるんで酒を飲んでは街を徘徊し、バンドを組んで誰にも理解されないような音楽をやりながら過ごしていた。

その頃のモットーは「幸せになることが重要なわけではない。心が常に震えて揺れる人生こそ俺の目指すべきもの」だった。

坂口安吾の「あちらこちら命がけ」という言葉体現したいと思っていたわけだ。

そういうわけなので、知り合いの女などがいう「幸せになりたい」というのを心底理解できなかった。

幸せだと自分認識するという事は、お前は誰かの生き方パターンをなぞっていることなのだぞ?」

なんて、ひどく下に見ていた。

しかし俺は結婚をして、子供が生まれホワイトな職を得てしまった。

「心が常に震えて揺れる人生」を望むには、うまくいきすぎてしまったような気がする。

自分が本当に好きだと思うことに挑戦したり命がけになることに憶病になる感覚の方が強くなってしまった。

心底好きだと思えなくても、ほら、少し考え方を変えれば日々の仕事の中にだって本気で打ち込めるものがある。

平凡な生活の中にある幸せをそのまま幸せと受け取っても悪くないんだ。

そういう気持ちになってしまう。

こうの史代のように「私は常に真の栄誉を隠し持つ人間を書きたいと思っている」を座右の銘にして、日常の中に真の気高さがあるという考え方を全く理解できないわけではない。

それでも、俺は「あちらこちら命がけ」に憧れながら、ふいに手に入れてしまった幸せを「本当に俺が欲しかったのはこれじゃなかったんだけどな…」なんて言いながら後生大事墓場まで持って行ってしまう気がする。

2018-01-02

「合う!」という感覚を抱かせられない(これでも悩みのつもり)

気になる人と多少会話が弾んでも趣味や好きなことなどがことごとく合わず、肝心なところで「この人なんか合う!」という感覚を抱かせることができない。

自分からすれば、気になる相手なのだから趣味や好きなことが合わなくとも他の何か…と考えをシフトすることができるが、相手からすればよほど自分に興味がある特殊場合を除けば一番好きなことや趣味で合わないなと感じたらそこから先に進めようという考えにはならない。

「ナシ」の烙印を早い段階で押され、以後の進展は絶望的(むしろ皆無?)だ。

「合う!」という感覚を抱く・抱かせることだけが関係性を進展させるものではないだろうが、何かものすごくもったいない気がしてならない。

せっかくのチャンスをみすみす棒に振ったというか…。

たとえば自分が好きになるタイプはなぜか旅行好きの人が多いのだが、自分特別の興味はなく、面白いエピソードなども持ち合わせていないので、こういった話題相手の興味関心を引いたり、意気投合感を演出したりすることはできない。

(誘われれば喜んで付き合うし、過去の旅のエピソードを嬉々として話す相手言葉に耳を傾けるのは喜んで行うが、順序が違うよな)

しかしだからといってさして興味がないことを無理にやってみるのもストレスになるだけ。

やはり他の手段でもって相手の興味を惹くことを考えるのが現実的か。

2017-11-03

彼氏と別れた

約1年くらい付き合った彼氏と別れた。

いっぱいケンカしたし、付き合ってくうちにドンドン体調崩していったし。周りからも散々「別れたほうがいい」って言われてたけど、いざ別れるととても辛い。

別れて正解って思ってるけど、どこかで復縁したい自分がいる。

年下だった彼氏とは、趣味の集まりで会って意気投合して

仲良くなり始めてから1ヵ月位で付き合った。

若いのに礼儀正しいし、朗らかでよく笑うし いい子だなって思ってた。

私のこともいっぱい「好き」「かわいい」って言ってくれる貴重な人だった。将来のことも色々考えてくれてた(と思う)し、趣味世界で会ったかレジャーデートの行き先もあまり困らなかった。

自分で書いててもめちゃくちゃいい人だなって思うけど、当たり前だけどいいことばっかりではない。

なまじ人当たりが良いから知らず知らずのうちに他の子をその気にさせてしまい、それを私が指摘しても気に止めず修羅場になってしまたことがある。

その割に私と仲のいい男性には嫉妬し、一切連絡をとるな(sns含み)と言われてそれまでの人間関係制限されたり

趣味の延長でパリピっぽいイベントにたまに参加するのだがそれを禁止されたり(私は自衛はしているし彼氏を連れて行ってもいいと思ってる位)

あとは単純に乙女心理解して貰えなかったり(デートの行き先くらいは決めて欲しい、1人の時だけじゃなく私とも美味しいご飯食べに行ってほしい、誕生日くらいはちょっといいものプレゼントし合いたいetc)

彼はどちらかというとネット友達が多くて広く浅く、私はリアルでご飯やカラオケに行く狭く深くのタイプだったので お互いの友人に対しての付き合い方に価値観の相違があったり

言葉遣いや人への接し方でケンカしたりもした。

彼は自分の中で納得して反省すれば、意識して直そうとはしてくれてたと思う。

上記の、修羅場になってしまった女の子とは一切絡まなくなったし

私が不安がれば自分コミュニティにも紹介してくれたり、デートで「ちょっと美味しいもの食べに行こう」って言って探してくれたりもするようにはなった。

じゃあなぜ別れたのかというと、

日本語が通じなくて価値観のすり合わせが出来ない

基本的自分は悪くないと思っている

・話しても聞いてないことや、聞いてないのに相槌だけ打って内容わかってない(忘れる)ことが多すぎる。

上記の3つが酷かったから。

日本語が通じない、というのは例えば

私が顔を合わせたくないからうちにある荷物は送るって言ったら、俺の顔見なければ良いじゃんって言ったり

そういう事じゃない、ていうのが多くて話してて疲れてしまう。

あとは、この行動をしてしまったのは悪いけど、変な意図があった訳じゃないんだ

という言い方を毎回する。

私が「例えば、万引きも毎回間違って、とかたまたまポケットに物が入ってしまって、とか何度も言ってたら信用されなくなるよね?」という例え方をすると

「その例え方はちょっと酷いんじゃない?心外だな」と言われる。

こういうことがいっぱいあって、遂にキレてしまって別れた。

ある程度事情を知ってる人からは、お疲れ様、とか良かったんじゃない?と言われるけど

あんなに好き好き可愛いって言ってくれて、普通にしてたら話も趣味も合う人ともう一緒にいられないのだと思うと

自分が決めた事なのに苦しくなる。

相手が嫌ってくれたら諦めもつくのかな

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