はてなキーワード: 資本とは
https://twitter.com/uno_kore/status/1661899593842556928
「公開してくれた技術には特別に(収入が貰えるような)権利を与える」
ってことで「特許」になったわけでしょ
ここまでは良く分かる
それにもかかわらず「そもそも公開されることが前提になっているもの」にまで特許が与えられてるのはなぜ?
ゲームの仕組みなんてどう考えても公開されることが前提(公開しないとサービスにならない)なのに
サーバでブラックボックスになって動いている謎の仕組みとかなら特許にすればいいと思うけど
だって新しいボードゲームのルールとかは特許にならない、って明確に書いてあるんだよ?
資本のある大企業が何にでも特許を申請して、彼らに不当な権利を与えてるだけだと思うんだけど
元増田はゼロリスク志向が行き過ぎかな、とは思うが、それはそれとして「子育て」という一大プロジェクトの責任をせいぜい二人、最悪一人に背負わせるのはかなり歪だとは思う。
原始的な社会では「集落」、少し進んで「家」がその責任を担ってきたが、個人主義の時代になり、その責任がかなり狭い範囲に集中するようになっている。
個人主義がなぜ可能かというと、需要と供給のバランスによる自由競争によって必要なものは金で手に入るからだ。
子育ては求める主体がこの社会での資本を持っておらず、いわゆるやりがい的なものを除けば個人としてのリターンはほとんどゼロなので、自由競争でまかなうことは絶対に不可能だ。
子育てを欲する主体が親では?そのためにベビーシッターなどのサービスがあるでしょう?という考えが自然に出てくるかもしれないが、それは既に子育ての主体が親であるという前提に支配されている。子育てを求めるのは子ども本人である。
人類全体、あるいは国家、あるいは宗教というものを主体としたとき、子どもが生まれてくれないと困るという側面がある。個人もまた動物の本能から子を生み育て、またおなじく動物の本能から個人主義を進めてきたが、その二つがここにきて利益相反を起こすようになってしまったのだと思う。
なお反出生主義はバグ技というか、もうゲームプレイ自体を諦める発想なので、付き合うだけ無駄だと私は考える。反出生主義は自らの厭世的な気分からゲーム盤自体をひっくり返したら爽快であるという昏い楽しみであり、けっして人類の幸福を願うものではない。
個人的には子育ては国や自治体が主体となって行うべきであると考える。子どもを親から奪うことになる、というような考えは、子どもが親の所有物であることを案に規定しており、子ども自身の人権をあまりに軽視する態度である。
子供に愛情をあげられるかすら、まず金の余裕とかまともな心を持ってるかだし
愛情が足りないと、成長後、ホストまで行かなくても何かしらの依存や搾取に引っ掛かりやすくなる
マルチ、宗教、酒、賭博、ゲーム、コンプレックス産業…様々な依存
あとは恋愛な、愛情欲しさに金や時間を奪うばかりの異性に引っ掛かる、これが1番人生を破壊する。結婚の失敗。
心と財布の防御がなってない
変なものに金や時間や感情を落とさない使わないためには愛情(まともな感情のやりとり、正しい関わり、子供そのものへの関心、適切な褒め、応援…)を十分与えておく事が大事だ。
まぁそれもなあなあになったわけだが
IT系左派政党が国政選挙初挑戦の際に一番最初に挙げるマニュフェストはIT系らしく「国民の公的申請に関わる時間削減」あたりが良いんじゃないか?
時は金なりと言うが、公的申請に関わる時間削減が進めば自由な時間が増えて、国民は趣味やレジャーを楽しむことや家事・仕事の時間に使うことが出来る
公的申請は何らかの価値・富を生むことが少ないけれども、趣味やレジャー、家事・仕事は少なくとも金銭的取引を生む、市中に資本が流れるわけだ、これは経済に取って良い効果である
という具合にアピールする
どうあっても絵描きを救うのは技術的に不可能でしょ。生成AIによる絵描き市場の消滅という危機に対して、無断使用という倫理的問題を掲げて叩いて立ち向かおうとしてるけど、両者は別の話だからな。今の資本の集中具合なら、絵描きにお金払ってホワイトなデータ集めて学習すれば、倫理の問題は解決して結局市場の消滅という結果だけ残る。
利用している店なので衝撃だった。
この件だけど、金属探知機の導入やボディーチェックなどが徹底されるようで安心。ハードイチャイチャスタイルのキャストが中心の接客マニュアルは変えないで欲しい。
世の中にはどう頑張っても現実世界で女性とのイチャイチャを一切得ることができない男がいる。俺もその1人だ。先天的な魅力の欠落、それらに起因する自身のなさとコミュニケーション能力の欠乏によって女性に本当に愛されたり好かれることが不可能な障害を持っている。
だから金銭を払ってでも、仮初でも擬似でも良いので女性とのイチャイチャを摂取してこの絶望的な社会を生きる活力にしたいんだ。
高級店に通う客の中にはプライベートでは相思相愛の配偶者がおり、育児やプライベートに充分な資本を投下した上で尚有り余った金を注ぎ込み、休息や気分転換、息抜き、娯楽の場としてイチャイチャなど一切求めず美貌を持ったベテランキャストによるプロの接客を求める強者男性がかなりいる。キャスト受けもそう言う客の方がいいんだろう。
だけど、平均的かそれよりちょっと高めの収入の中からやりくりしながら風俗代を捻出し、孤独死の不安や虚しさ、仕事のストレスを耐え抜くための活力としてイチャイチャを摂取しようとする男の場所も守って欲しい。
そのためには金属探知機やボディーチェックの徹底、怪しい客のNGの徹底などによってキャストの安全を守る手段をしっかり講じて欲しい。
日本首相「海外にODAで資金も出すし、博物館も建てるし、支援金も出すで!」
日本国民「また海外にばっか金撒いてる!日本国内のことをもっと考えろ!」
新工場建てる金あるんなら給料増やせよって言ってるうちの社員みたい。
今の暮らしが厳しいのもわからんじゃないけど、少なくともこの経済戦争時代に自国にばっかり金つぎ込んでたらあっという間に置いて行かれる。
中国がどんだけアフリカに金ばらまいてその金で発言権買ってると思ってんだ。
コロナのときにWHOが中国にばっかり甘い!つってたけど、WHO理事長のテドロスはエチオピア人でエチオピアには中国が手を引いた瞬間国が崩壊するレベルで中国資本がガッツリ入ってる。国際機関の長はエチオピアみたいな弱小国からも平等に選ばれるので、その時のために自分の手の中の国を経済力で買い増やしていくのが今の戦争。
何かの時のために「日本?知らん国ですなぁ」ってならないためには、国外にもある程度の金を突っ込んでいく必要がある。それが最終的に国宝を保護するために金を使うことなんかよりもよっぽど、日本の国益になるんだが。
…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的な偏見等を込みで色々思うところを書いていく。
おそらくここで語るものは陳腐で凡庸な面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。
オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメやVtuberなどとコラボした商品が散見され、街中でアニソンが流れていたりする。
アニメや漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。
オタクコンテンツは一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくまで偏見である)
というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである。
もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。
そこで問題にしたいのはオタクコンテンツの精神性というふわっとしたものになる。
これらコンテンツは個人的な偏見等込みではあるが迫害の歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所は隔離されるそのようなものであった。
しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るものを解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。
このようなコンテンツは最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にのみ評価されていた。
また自身が面白いと思うコンテンツは他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツールで面白いと思う感情を広げていった。
問題はここからで私は一般層はものを評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。
動物に悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者のサクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。
しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやすい感情の変化にしか反応しないのだ。
感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。
感情の変化というものは各人のセンスや知識、経験に依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験が必要になる。
例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかいう人間がいる。しかしピカソが写実的な絵も描くことができ、キュビズムが本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。
コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準や表現、感性を探求するという性質がある。
しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。
一般層の人間はこの知識や経験がない、そのため評価基準が他者に依存することになるかもしくはわかりやすいものしか評価できなくなる。
さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれた産物である、営利活動の評価を行う際に基準となるものは収益であろう。
当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツを評価するようなオタクやコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。
考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすいものしか評価できない。
ではどうなるか
なので1手先しか考えていないようなわかりやすい一見深そうで薄いコンテンツが生産されていく。
間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。
では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。
というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターと比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。
企業からすると一般層のクリエイターは収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である。
このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)
クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。
そうしてオタク向けのコンテンツは一般向けのコンテンツへと狂気が希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)
そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しかし評価はされづらくなる。
もしくはそのようなクリエイターが時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。
さてオタク向けのコンテンツがオタクコミュニティーから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。
ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。
後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である。資本とマーケティングの勝負に落とせるからだ。
つまり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。
私は最近のコンテンツが話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。
ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業の行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。
このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメや漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。
これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるとしかいえない。
しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。
まあたしかに卑怯にもいろいろあると思いますが、「臆病」「自己中」「保身」「ラクに生きたい」みたいな感じでしょうか?
成果を出さないでも、システムの穴を使って十分稼げる、という甘い蜜を知ってしまってそれに乗っかる的な。
自分に損になりそうなことがありそうだったらすぐ逃げ出す。
そんな感じかと。
卑怯な手で会社を大きくする人もいますが、大きな違いは「社会に還元してない」ってかんじでしょうかね?
会社や売上を大きくしたなら、いずれその資本で社会に再投資して還元されますからねぇ。
そういう「アグレッシブ卑怯者」に対して、「パッシブ卑怯者」ってとこですかね(命名)。
フリーライダーに近いのかもしれない。
卑怯者ってのがよくわかんない
まあたしかに卑怯にもいろいろあると思いますが、「臆病」「自己中」「保身」「ラクに生きたい」みたいな感じでしょうか?
成果を出さないでも、システムの穴を使って十分稼げる、という甘い蜜を知ってしまってそれに乗っかる的な。
自分に損になりそうなことがありそうだったらすぐ逃げ出す。
そんな感じかと。
卑怯な手で会社を大きくする人もいますが、大きな違いは「社会に還元してない」ってかんじでしょうかね?
会社や売上を大きくしたなら、いずれその資本で社会に再投資して還元されますからねぇ。
そういう「アグレッシブ卑怯者」に対して、「パッシブ卑怯者」ってとこですかね(命名)。
フリーライダーに近いのかもしれない。
タマゴが先かニワトリが先か、みたいな話になるけど、自分が接してきた何人かの卑怯者は、以下の特徴があった。
・なぜか子供が2~3人いる
という傾向でおもしろいほど一致しており、おそらく家庭環境が仕事に影響しているのだろう、との考えに至るまでそう時間はかからなかった。
おそらくだが、夫婦生活の設計をしくじった可能性があると思われる。
長年つづけていくうちに、自分の家庭の運用のために全世界が存在している、という考えに至ってしまったのではないだろうか。
そのため、人格や仕事を犠牲にして卑怯者になっていくのではないかと思われる。
<追記>
あ、あと子供が小学生とかに育ってくると、あたりまえだが「一個の人格」になるわけで、もしその人格が自分ゆずりの卑怯者にそだっていたら、もう家族全体が「卑怯グループ」として相互パワーとなって増大してしまうよねというはなし。
つまり、嫁選び・仕事えらび・子供のそだて方、この3っつって連動してるんすねというはなし。
<以下レス>
それの何が悪い?
オマエは他人だろ?
いやわるいだろ
自分の家族せいぜい2~3人のために、何十人何百人の仲間の足かせになっちゃアカンでしょ
ってことすね
つまり卑怯性とは「自分だけがよければいい」という、自己中ってことに帰結するのではないだろうか。
あと、彼らを見ていると「会社組織をギリギリ首にならない程度にいかにラクして生き抜くか」みたいなゲーム性を感じてしまうのである。
自分のかわいい家族のためだけは全力をつくしますよ、みたいな。
そのあたりがなんか「卑怯」なんすよね┐(´д`)┌
共働きで自分の給料が上がらなくても奥さんの分と合わせるとまあまあな世帯年収だから出世しなくていいやっていう発想ならまあわかるけど。
鋭いご指摘どうも!
そのとおりで、自分が出会った卑怯者は、以下の特徴がありました。
なので、大企業づとめというシステムをフル活用した結果の卑怯者なのではという結論です。
たぶん中小零細づとめだと年収揚げるためにガツガツ出世をもとめるのでは?と思います。
まあたしかに卑怯にもいろいろあると思いますが、「臆病」「自己中」「保身」「ラクに生きたい」みたいな感じでしょうか?
成果を出さないでも、システムの穴を使って十分稼げる、という甘い蜜を知ってしまってそれに乗っかる的な。
自分に損になりそうなことがありそうだったらすぐ逃げ出す。
そんな感じかと。
卑怯な手で会社を大きくする人もいますが、大きな違いは「社会に還元してない」ってかんじでしょうかね?
会社や売上を大きくしたなら、いずれその資本で社会に再投資して還元されますからねぇ。
そういう「アグレッシブ卑怯者」に対して、「パッシブ卑怯者」ってとこですかね(命名)。
フリーライダーに近いのかもしれない。
ラクに生きたいで良いじゃん
頑張った分だけ金が貰える昔とは違うんだし
そうそう つまり大企業にうまく入れた時点でその人の人生は「あがり」なんですね
政府もがんばってるようですね。
まあ一番の障壁は「解雇規制」ってことは、賢明な皆さんなら百も承知でしょうが。