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はてなキーワード: バスケットボールとは

2018-08-28

夏が終わる

墓地から漂う線香

雨上がりのアスファルト

木々の下を歩いた時の腐葉土匂い

カブトムシを探し回った記憶

蝉の声

プール塩素

体育館バスケットボールをつく音

田んぼの中にはカブトエビ

日焼けした子供

あっという間に溶けるアイス

夏の間に鍛えられたビーチサンダルを履く足

見上げれば昼明かりの中の満月

夏が終わる

2018-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20180820222211

法律にピッタリくる倫理観です。

ただ、バスケットボール選手たちが「管理売春でないかどうかを確かめずに買ってしまって申し訳なかったです」

と謝ったとして、それが受け入れられるでしょうか。

2018-08-20

売買春何が悪いんだか全然からない

成人が自分判断自分の持ち物を売り、売ってるものを買っているだけなのに、何が問題なんだか全くわからない。刃物とか銃火器なんかはそれで他人危害を加えうるか流通の段階で食い止めようとするのはわかるし、麻薬は不可逆的に心身を損なうので禁止すべきだけど、ただのセックスで何が失われるというんだ。もちろん性病危険はあるし、イカれた客に当たれば暴力沙汰の怖れもあるけれど、コンドームやら店の後ろ盾やらで防御は可能だし、リスクがあるからなどという理由個人の行動を制限するのなら、アイスクライミングみたいなエクストリームスポーツ咎められなきゃおかしいんじゃないか。性も命もかけがえのないものだけど、それを危険晒す冒険行為自分意思で、自らの責任でやっている以上、他人が口を挟むことじゃないのではないか。今回の事件、周りの人たちは、国旗を背負って何をやってるんだとか恥を知れとか、軽率だとか、ふさわしい行動ではなかったとか、ご迷惑をお掛けしたとか、さも間違ってる理由暗黙の了解が皆に当然あるかの様に、説明なしの平謝りだが、しかしまったく全然サッパリ俺にはわからないのだ。

バスケットボール協会会長コメント。「言語道断」。最近こういうの多すぎでは。ヤフー男性同僚をAR女性化した事件も、件の生産性発言も。当事者にとってはさして考えるまでも無くどの点が悪いのか明らかなことなのかも知れないが、それでも説明してほしいよ。

2018-08-02

上手な生き方

今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います

幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。

一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラス女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。

私は、クラス女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールバスケットボールをするのが好きでした。だから男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。

二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラス女子ほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラス女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達ドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラス女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。

中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望中学不合格でしたが。

中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校宿泊行事に行っているあいだ、携帯メールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族距離を置くようになりました。

もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。

話が逸れましたが、中学高校はとても楽しかったのです。人生ピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。

ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。

暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。

その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。

相手のことは好きでした。一緒にいると、幸せでした。

けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。

あっさり別れられた時点で、自分価値を再認識しました。

そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。

何より辛いのが、無価値自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人迷惑がかかっていることです。

私さえいなければ、上司気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。

ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました

ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ねメンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています

女に生まれたくなかった。男に生まれたくもなかった。

迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。

人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから

親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。

親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。

もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。

どうすれば、うまく生きられるのですか。

2018-06-23

 全九州高校体育大会バスケットボール男子準決勝延岡学園宮崎)1年の留学生(15)が審判を殴った問題で、同校は23日、

この留学生を6月末までに帰国させると発表した。本人や保護者意向尊重し、自主退学にするという。また、監督を解任し、

対外試合を3カ月間自粛する。出場権を得ていた8月のインターハイは辞退する。

2018-06-19

この件が大手マスコミ等で話題にならないのが不思議

2014-05-21 関西学院大学の闇

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20140521

小谷野氏がここまで実名で書いていて特に抗議もされていないんだから根底を覆すような間違いは無いんだろうし。

以前、はてブちょっと話題になったくらいで、世間の人は殆ど知らないと思うんだが。

先日、バスケットボール試合中の審判への暴力話題になったが、言うても無名未成年外国人留学生やった事だけど。こっちは名前のある著書も多く、マスコミに出て来る機会も多い御仁だからなぁ…

2018-06-17

207センチ コンゴ出身15歳、報徳バスケ部

バスケットボール男子の報徳高兵庫県西宮市)に今月、中部

アフリカコンゴ出身デイビッドコンゴローが加入した。

昨春に来日して西宮市高須中に通い、この春卒業した。

海外で生まれ育った外国籍選手が同県内スポーツ強豪高校でプレーする例は珍しい。

207センチ長身で注目を集める15歳は「みんなといっぱいコミュニケーションをとって、

試合で優勝したい」と全国制覇に照準を定める。

https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201804/img/b_11156675.jpg

https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201804/img/b_11157314.jpg

https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201804/img/b_11157315.jpg

んっ!キャラ

2018-05-24

自分について

高校生の時、周りが就職や進学などでいろいろ騒いでいる中、自分は何がしたいのか、まったくわかっていなかった。また、それに対しての焦りも感じておらず、どうにかなるだろうと、漠然と思っていたものだ。では、その高校生の時になにをしていたかというと、特になにもしていない。中学校の頃はバスケットボールをしていたのだが、高校に入ってからはやめてしまった。友達と遊ぶのが楽しかったのだ。

自分友達というのはいわゆる「悪友」で、よく酒を飲んだりタバコを吸ったり夜遊びしたりしていた。(もちろん、シンナー暴走族といった、本格的な悪友では無かったが。)週末になると「ドーバン、ドーバン(土曜の夜のこと)じゃけーけーや(だから来いよ)」と呼び出しがかかり、深夜の駅前の街で違う学校の奴や女の子たちと酒を飲んだり、道の真ん中に円状に座ってボケ合戦をしたりして盛り上がっていた。2年生の頃から付き合っている彼女がいたので浮気することはなかった。

あるとき、町中に「fan」というファッションビルができた。スカスカファッションビルで、小さな舞台テレビ局内包しているもので、ヒマ人だった自分たちは、そこに女子校女の子たちがよく遊びに来るという情報を聞きつけていたので、学校帰りによくそファンクに立ち寄っていた。女の子とも仲良くできるし、行けば誰か知り合いがいたので、ファンクに行くのは楽しかった。そんな日々を過ごしていると、小さな舞台撮影をしているのを見学していたら、「漫才師募集テレビに出てみませんか」という告知が。趣味コンビを組んでいた(学校旅行とかで披露するため)自分おもしろがって応募する。そしてその場でショートコント3分ほどやった。コンビ相方が変わったがテレビに隔週で出れる事になった。なぜかギャラはいつも3000円分のお食事券だった。

そんな生活だったから、もちろん成績も悪く、また、勉強する気もまったく無かった。周りも同じだった。

卒業後、とりあえずなんの目当ても無く東京上京する。親の知り合いの娘が自分と入れ違いで岡山に帰るということで、そのままその部屋を借りることになる。家具スクーターをもらって、経堂という世田谷区小田急線沿線の駅に住む事になった。

本当になんのアテも無かったので新宿ビアホールアルバイトをしていた。始めてのアルバイトはけっこうきつく、ビアジョッキをよく落としたりお客さんにかけてしまったりした。それでもあまり怒られる事はなく、東京って優しい人が多いなーと思っていた。アルバイト大学生ほとんどであったが、友達大学生が増えてきても、まだ大学に行ってまで勉強する意味がわからなかった。いまだにあまりからないのだが。アルバイトは他にも飲食店を何度かやった。

高校卒業時、服、特に裏原宿系」と言われるものに興味を持っていた。そこでそういった服を扱う広告制作会社就職一年間ほどそこで営業広告制作取材などしていた。れっきとした下働きであったが自分用のパソコンも与えられ、そこでコンピュータの使い方、(イラストレーターフォトショップなど)を覚えた。しばらくして、なんか違うということで、やめた。それが20歳のころ。

とりあえず働かなければ、ということで派遣アルバイトプレイステーション2メールサポート、という非常に地味な派遣バイトを始める。時給が1500円とすごく良かった記憶がある。そのバイトでは、周りにパソコンに詳しい人が多かったから、ホームページの作り方を教えてもらう。プログラム視覚的に色や形になるのが面白い。なかなかホームページを作るのは楽しく、そのころ友達趣味で作っていたTシャツインターネットで売り始める。けっきょく一枚しか売れなかったのだが、インターネット面白さに目覚めたので、ウェブ制作会社就職する。半年ほど働いて、会社がつまらない仕事ばかりするので辞める。22歳。

ウェブ制作派遣アルバイトをしつつ、個人グラフィックウェブ仕事を受注しはじめる。そのころフラッシュサイトを作れる人が少なかったらしく、仕事にこまることは無かった。グラフィックフライヤーメモ帳DVDパッケージなどを作った。ウェブサイトはいくつかコンペに勝って受注することができた案件もある。しかしながら、クライアントディレクタープロデューサーと、、、何層にもなっている仕事の進め方にうんざりして、つまらなくなってきていた。

2018-05-19

構図が同じだからストレス解消の生贄にされている

日大フェニックスの件、プレーのひどさと言ったら、当該選手は気でも違ったのか、クスリでもキメてんのか?というおかしな、そして危険度の大変高いプレーだったのは確かだが、ここまで蜂の巣をつついたような騒ぎになるのは、アメフト好きとしても忸怩たる気持ちでいっぱいである。

いわゆる「体育会の病」のようなものについては、たとえば高校野球不祥事がらみや体育会学生私生活のはめはずしやら、バスケットボール協会の長年のアレでアレな感じやら、ついこないだのサッカー協会やらレスリング協会やら相撲協会やら、昔から今に至るまで枚挙にいとまがないわけで、それをいまさらこんな大事日本中がギャースカ言うほとアメフトってみんな興味ありませんでしたでしょう?という感じではあるのだが。

ひとつには、これってまさに今の政権政局とおんなじ感じの構図にはからずもなっちゃってるってのは少なくないんじゃないかなと思ったん。

ネトウヨの皆さんは置いておいて、安倍自民消極的賛成だった自称穏健派現実派の人たちあたりが、ボロ出まくりはいえいまさら政権を叩くのも格好悪いし外聞悪いし評判も落ちるだろうけど、日大を叩いてる分には、社会理不尽を叩くことはできるけど自分立場社会的な体裁は崩さずに社会悪を叩けるという感じにはなっているのかなーと思ったりな。

2018-05-05

野球という欠陥だらけのスポーツ 」に真面目に回答してみる

https://anond.hatelabo.jp/20180503192028

出遅れしまったが、野球話題はてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。

競技フィールド問題

ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールド必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー競馬クリケットウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。

言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツ普通である環境標準化問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。

プレイの洗練の問題

プレイが洗練されているかどうかは個人主観に拠るところが大きいが、サッカーシミュレーション柔道レスリング化等、野球に限った問題ではない。

<第三アウトの置き換え>

マンガあまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?

サイン盗み>

これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間無駄な延長に繋がるため。

故意のファールの見分け>

これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)

打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーン目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである

しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのもの認定するのは線引きが難しいので、12連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。

なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者なかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神片岡篤史など)。

<大量リード時などゲーム終盤の手抜き>

サッカーの終了間際のボール回し、競馬勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上距離決勝進出が確実な選手準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。





以下はブコメ意見に対するレスポンス

バット振って当たればラッキーみたいな感じでスポーツとして怪しいかも>

130km/hのボール投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒であるリリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定仮定した場合計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットボールの大きさは10cmもないので、130キロボールと115キロボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。

プロ打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングバットを数cmレベルで、さらコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人静謐クリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。

フォーメーションが決まってるから柔軟性、というか発展する余地がない?>

現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球醍醐味の一つである野手ファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフト制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。

喫煙肥満が云々>

喫煙肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間活躍するのも、ある種野球面白さだと思う。松坂大輔攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい

野球不文律について>

野球不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手野手文句言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。

wikipediaの「野球不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合忖度などは無くすべき慣習のように思う)。

つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。

アップデートの無いゲームは欠陥がかなり残っているでしょう>

まり知られていないことだが、実は野球ルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。

ストライクゾーンってのがマジで理解出来ない 選手ごとに可変でしかも全部審判目視て>

MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判ストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。

<一つのポジションピッチャー)のゲームへの寄与が、他のプレイヤー全員の寄与を合わせたよりも大きい点で、デザインおかしスポーツ

少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手スタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルサッカーバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供ボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。

野球においては投手が多くボールを扱っているか投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球面白いところで、投手負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近高校野球でも複数投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手ゲーム支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。

ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通指標存在するが、2008年から2017年までのMLBリーグトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである

2018-03-04

部活顧問批判されているけれども

僕は部活動顧問になったことが教員をやめた現在、飯の種になっている

全く特殊な例なので敷衍はできないが

私学に就職し4年間運動部をもった、しかし、その運動経験者が二人同時にはいったため顧問を弾かれて全く希望していないコンピュータ部の顧問になったのがすべてのはじまり

当時はネット黎明期だったのでこれを機にプログラミングをやってみようとPCを「学校の金」で購入、放課後2時間バスケットボール指導をやっていた時間をすべてプログラミング学習に当てた

もっとも土日は運動部と違い部活休みだったので非常に楽になった上にプログラミングはやればやるほど面白く、上達して1年後には初心者には指導できるようになった

ただもちろん生徒の中にはプログラミングオタクのやつもいるのでわからないことはその子に聞けば大抵解決できた

それを6年続けたのでプログラミングは上達した

しかし、コンピュータ部が部員が最終的に二人になり廃部になってしまった

そのときにまた運動部に戻されそうになったのだが、前回は望みもしないのに運動部をやめさせられたことを盾に初めて自分希望を聞いてもらった

就任した部活は「語学部」

英語教員でもないのに語学部の顧問になった

語学部は外国人教員顧問だったのだが、外国の方は時間外の仕事は基本しないので放課後17:15までしか活動していなかったのだ

僕が顧問になることで18:30まで活動できるようになった

そして、またも放課後の二時間を生徒と一緒に英語習得に明け暮れた。もちろん教材も「学校の金」で全て買った(もともとたくさんあったが)

ニュージーランド人のもう一人の顧問とも英語で話した

毎日2時間、週に10時間でも3-4年もやっていると英語ニュースはわかるようになるし外国人との会話も普通にできるようになった

しかもその間2年に一度くらい部費でNZ旅行に行かせてもらった

この間の僕の評判は生徒とともに部活動を熱心に活動する良い教師という評価だった

この2つのスキルプログラミング英語就業中に習得したおかげで現在全く別の職についている

本当に部活動顧問はありがたかったが、最初の僕の意に反して運動部をやめさせられるというのが普通はないのでそれがラッキーだった

2018-03-03

リアル系ってどういう意味だ?

人形ロボットの何を持って「リアル」というんだ?

車椅子にでも乗ってるのか?

バスケットボールでもするのか?

いじめにあったりしているのか?

トチ狂ってお友達にでもなりに来たのかい

2018-03-02

バスケットボールって重いよな

あのボールもっと軽くもっと投げやすくてもっと小さかったら扱いやすくて楽しかったと思う。俺の筋肉がないだけだって?うるせー。

2018-02-15

北朝鮮スパイはどうでもいい。必ず来る国難に備えろよ右翼

はいはい北朝鮮スパイいるかもね。でもそれがなんだ??どうして右翼はくるかどうかもわからない危機戦争に備えようと慌ててるんだ。北朝鮮ミサイル飛ばされすぎて頭おかしくなったのか。日本には必ず大地震が来るんだよ。それも必ず東京神奈川に来る。何万人もの難民が出る。2011年を忘れたのか。東北北関東ですら簡易住宅がなかなか建たねえー温泉たらいまわし、そんな人たちが何百人といた。東京直下型地震が来るんだよ。なんで仮設住宅関東に周りに作っておかないんだ?あらかじめ建設しておくのは無駄か?熊本地震で「避難先の体育館バスケットボールして遊んでるうるせー児童がいたか管理者文句言ってやめさせたったわw」ってブログに数百ブクマがついて絶望感じたわ。体育館公共施設宿泊所じゃないんだよ。避難先になって、何か月も授業再開が遅れる十代の身になってみてね!体育館バスケやって走り回るところなのに、なんで「ここならみんなの顔も見えるし話し相手いるか避難施設に移りたくない」って老人の意見を優先して子供日常を奪ってるんだよ。地震東京神奈川で起きれば何人の家が潰れるんだ????どうして外国からスパイにはおびえるくせに、必ず来るとわかっている大地震国民が力を合わせて備えておこうとしない???オスプレイより先に仮の避難所建設して万が一に備えろよ!ほんとに国を愛しているんだろうか

エイリアンがくれば、地球ひとつになるとかも大嘘だと思ってる。そんな状況になっても愛国右翼様は「でも中国邪魔するー」「韓国が足を引っ張るー」「アメリカがうんだらかんだらー」って文句ばっかり言って、協力を知らないんだろうな。

2017-09-29

レスおもしろいのでひとこと

ありえない仮定に基づくため選択することに何の意味もないような「無意味二択」に答えるという問題だけでなく、今回の増田の問は、答えることにより身の危険を感じるところも、少し左翼の方の怒りポイントだったのではないだろうか。

まりたとえば

例:ゲイのおにいちゃんに目をきらきらさせながら「ねえねえケツの穴に入れるならバスケットボールバレーボール?」

 →「入れねえよ! つーか入れたくもねーしそもそも入らねえよ!」

 →「だいたい何が聞きたいんだよ。オカズネタ提供かよ。答えたくねえよ。くだらない質問すんな」

 →「なに?『ボクはバスケットボール』だと? 聞いてねーよ。つーかそもそも聞きたくねえよ。」

リベラル派の皆さんの反応は、だいたいこんなんだったんではないだろうか。


ちなみに私は一応リベサヨなので答える権利あると思うが、絶望不自由なら、まあ不自由の方がまだマシ。

あ、支持政党は昔から共産一択なので、今回の総選挙で改めて共産に入れるわけじゃないからそれだけは言っとくわ。

それから、追記11の人は後半でちゃんと答えてるのに批判されててかわいそう。相手批判するならちゃんと最後まで読んでやれ。少なくとも引用部くらい。

以上。

https://anond.hatelabo.jp/20170929072315

2017-09-19

anond:20170919104624

スラムダンクには桜木という主人公がいてだな、そいつ身体能力は驚異的なんだけどバスケットボール能力初心者で、話の最初自分天才と疑ってない

で、話の途中でライバル流川ってやつに1対1の試合でボロ負けして現実を知る

それでも根本的には桜木バスケットボールが好きだから基礎練習を続けて、話の終盤では驚異的な身体能力を持っていてなおかつ初心者としては少し上手いくらバスケットボール能力を持つ主人公進化する

その新人もある面では勘違いしててもある面では本当に天才かもしれないし、それを周りが気付かないってことはあるかもしれない



孫正義会社立ち上げた当初にぶち上げた目標現実離れしてて社員全員がドン引きして社員が全員辞めたって話もあるし、三菱財閥創始者岩崎弥太郎は字が下手でも部下に書かせるって事業初めてすらいない10歳の時に言ってたし、社長になってから英語学べたけど通訳使ったっていうしコアスキル以外の雑務なんて無能レベルでも成功には関係ないと思うけどな


長くなった。ちなみに俺もどうでもいい仕事は手を抜きまくってて勘違いされてるタイプだ。元増田が言ってる27歳がどんなやつかは知らん

2017-06-01

しかしたら僕はラッキーだったのかもしれない

Twitterで、高校時代同級生悪戯で怪我をし、重い障害を負ってしまったバスケットボール選手の手記がリツイートされてきた。

彼の怪我の原因となった「悪戯」は、着席しようとした彼の後ろから椅子を引いて転ばせるという、小学校低学年以下がよくやるやつだ。

僕は、高校生にもなってそんな事をする奴がいるということに驚いた。普通、そういうのは小さい時に誰かにやったりやられたりする経験を通して、やってはならないものと学ぶものではないのか?

僕も幼稚園の頃、隣の席のA子ちゃんによくやられてはべそをかいていたものだ。あれをやられて転ぶと勿論とても痛いし、皆に指差しで笑われるので恥ずかしい。

執拗椅子引きをするA子ちゃんに僕は腹が立ったので、一度仕返しにやり返した事があった。そしたら、あまりにも上手く行きすぎて、A子ちゃんは派手に転倒、大きな音を立てて尻餅をつき、号泣した。

こんなはずでは……、と、僕は思った。

思い返せば、あの頃の僕は椅子引きをやられ慣れしてしまっており、転ぶのが上手になっていたみたいで、もーなんだよぉー!と言ってすぐに立ち直れたので、A子ちゃんも転んだらそうするだろうと無意識に期待していたのだろう。

だがそうはならなかった。

幸いにも、小さな子供の尻餅だから、A子ちゃんは怪我をしないで済んだ。けれどもA子ちゃんは、痛みにも仲の良い同級生に欺かれる事にも慣れていなかったので、その心理的な傷は甚大だったろうと思われる。

以来僕達はパタッと椅子引き"遊び"をやめた。

あれをやっていたのは僕達だけではなかったけれども皆パタッとやめたのは、あの件でA子ちゃんが大泣きしていたのと僕が先生からめちゃめちゃ怒られたのを見たからだろう。

僕は加害から、A子ちゃんは被害からあんな事はしてはならないのだという事を学んだ。

椅子引きは、怪我をするからいけない。そして友達を騙し辱しめる行為からいけない。

僕の経験幼稚園の頃の話で、お互いまだ体重の軽く、ぷくぷくとして柔軟な身体幼児だったお陰で大怪我をせずに済んだから、ただ泣いたり叱責されたりで済んだ。

これが大人大人に近い子供の体格の人がやられたら大変な大怪我をするか、下手すると死ぬ

大人の転倒はとても怖いものなのだ

それを僕が学んだのは、小学校中学年位の頃、理科の授業中だった。

季節外れな事甚だしい話なんだけど、晩秋から冬の始めのこと。

近く、全校生徒で市営のスケートリンクに赴きスケート教室を受ける事になっていたんだけど、ある生徒が理科担当をしていた先生に、「先生スケート教室行かないんですか?」と聞いた。

先生担任クラスを持っていない人(何か役職のついている偉い先生だったのだ)なので、そういう学外活動の日は学校でお留守番なのが普通だったんだけれども、先生は、もし同行しなければならないとしても、

「ぼくはこの歳になってまでスケートなんかしたくないですよ、だって、転ぶから。」

と言った。

それで教室爆笑の渦になったのだけれども、先生はおもむろに黒板に図を描き始めた。

まずは地平線の様なもの

次に、大きな棒人間と小さな棒人間を描いた。

それで説明して曰く、

「君達は小さいので、転んでリンクに大の字に転んでも、打つ面積はたったこれだけです。だがぼくは大人なので、コケればこんなに沢山の面積を打つのです。それはとても痛い。しか大人体重が重いですから、打った時の衝撃に自重が加わり大変な事になります。君達が擦り傷で済む様な事でも大人骨折したり打ち所が悪ければ死ぬのです。だから大人スケートなぞするもんではありません」

何かをしなくて良い理由というのを、その様に論理的説明された経験が僕にはそれまであまりなかったのもあったし、とても分かりやすかったので、この話は強く印象に残った。

そうか、大人が転ぶっていうのはとても危険な事なんだ!

と。

また、自分が平気と思う事でも他人は大きなダメージを受ける事もあるんだという事を、改めて学んだのだ。

A子ちゃんとの事や理科先生の話は、何気ない日常のひとコマだったけれども、その後の僕の運命を大きく変えたのかもしれない。僕は他人を怪我させないように気を配るようになったのだから

しかし、世の中僕みたいに幼少期に大事なことを教えてもらえる人ばかりではないのかもしれない。

そういうのを長じるまで完全にスルーして来てしまって、ちょっとしたムシャクシャや悪戯心で他人ちょっかいを出して大変な事故を起こしてしまうという事もあるのだろうか。

2017-05-01

学校の体育で球技を重視するのって発達障害者を振り分けるためだよね

発達障害者ってバレーボールとかバスケットボールとかの球技が苦手とされている。

学校教育発達障害者をこれらのスポーツスクリーニングして置けば管理やすくなるよね。

あとはチームプレーで仲間の足を引っ張ると言うことは必然的イジメも発生するし、発達障害者はチームプレーを重視する社会の中ではお荷物であることを叩き込めるという副次効果も期待できる。

2017-04-06

人類熱狂する五大競技といえば

サッカー

野球

ガンダムファイト

バスケットボール

の4つは確定済だけど

あと1つは何?

2017-02-19

この世の中に居場所があれば

小さい頃から人見知りでプライドが高い人間だった。

親に聞いても、気難しい子供だったとのことだ。

繊細と言っていいのかわからないが、スーファミストリートファイター

位の暴力的描写が怖かったし、人にいわれた事にいちいち傷ついたりして

自分の内に閉じこもる事が多かった。

小学校くらいの時は友達が多かった様な気がする。

嫌な事があるとその人に暴力を振るったり、それが

できないと親に当たり散らしていたりした。親が自分

気持ちを察してくれないと激昂したたいたり蹴ったりしていた。

比較的楽しく過ごせていた様に思うが、いつも満たされない気持ち

あって辛かった。

中学生地元公立高校に行ったのだが、ここがまあひどかった。

基本的治安が悪く、勉強をちゃんとするやつらがいじめられて

いたり、文化的にひどかった。兄の影響でバスケットボール

始めたが、ここも不良たちばかりで基本的に気に入られる様に

たち振る舞う必要があって自分を押し殺すのが必死だった。

勉強ができればまだ良かったのだが、頭が良くなかったし、

勉強に対するインセンティブも無かった。する意味もわからなかった。

今ならわかるが。

中途半端に不良に足を突っ込んでいたが、真面目になろうと思い

中学3年の初め暗いか生活態度を改めた。勉強ができる訳じゃなかった

ので、真面目にもなれないし、居場所が無かった。このときは本当に

苦しくて何をするにも焦燥感しか無くて生きるのが辛かった。

その後、先生からは無理だといわれていた地元工業高校合格する事が

できた。

工業高校基本的資格を取って、工場勤務者を育てるための学校

そこでも生きる意味が見いだせず、ひたすら日々を無為に過ごしていた。

高校では硬式テニスを始めたがいっさい成績を残す事が出来なかった。

勉強なんてやれば出来て、その勉強が将来につながっているという

事もわからず、何か自分を活かせるものは無いかといつも考えていた。

太っていたし、勉強もできないし、背は高くないし、おでこは広い

性格は暗いし自分に自信を持てる要素なんて一つもなかった。

勉強もできないし何にも興味が持てなかったが、

親が専門学校でもいっとけなんて言ったもんで、

情報処理専門学校に行った。受験すれば受かる様

な所だ。専門学校なんてのは。

専門学校なんてのも基本的には資格を取る様な所だが、

勉強する習慣も仕方もわからなかったし、一個も資格

とれなかった。完全に落伍者だ。

その後、地元会社就職する事が出来て、上司

良い人だったが、自分根本的にだめでいつも自己嫌悪

抑うつ気分だった。仕事をしなくて給料泥棒といわれた

事もあった。

今も7年同じ会社にいる。部署は異動しているが、

基本的自分に自信が無いし、人間関係をうまく築けない。

そしてこれから何かが良くなったりする希望

持てない。30歳くらいになったら自殺したいと

思っている。

努力する習慣があれば。親がもっと教育してくれれば

もっと選択肢がある環境であれば。

自分精神的に強い人間であれば

頭が良い人間であれば

素直な人間であれば

他力本願なのはわかっている。

でも、環境も素質もなしに努力なんて

し続けられる人なんてほとんどいないはずだ。

2016-12-01

メジャーリーグ史において最も重要な40人」について調べてみた

メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディアスポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。

The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News

ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。

1位 ベーブ・ルース(1895-1948)

MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。

2位 ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)

近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年ドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。

3位 ケネソー・マウンテンランディス(1866-1944)

1920年ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。

4位 バン・ジョンソン(1865–1931)

1900年アメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。

5位 ブランチリッキー(1881-1965)

カージナルスドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。

6位 マービン・ミラー(1917-2012)

1966年エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。

7位 アルバートスポルディング(1850-1915)

スポーツ用品Spalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボール標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。

8位 ウィリアム・ハルバート(1832-1882)

シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグ創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。

9位 ルーブ・フォスター(1878-1930)

黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年ニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。

10位 ヘンリーチャドウィック(1824-1908)

野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。

11位 バド・セリグ(1934-)

元はブルワーズオーナー。MLB選手会オーナーの対立が激化していく中で、1998年実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。

12位 ウォルターオマリー(1903-1979)

ドジャースオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。

13位 ビル・ジェームス(1949-)

1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。

14位 フランク・ジョーブ(1925-2014)

1974年ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。

15位 ハンク・アーロン(1934-)

ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である

16位 ルー・ゲーリッグ(1903-1941)

ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。

17位 ドク・アダムス(1814–1899)

野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的ルールの策定に貢献した。遊撃手ポジション創始者とも言われる。

(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)

18位 バック・オニール(1911–2006)

ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。

19位 ロベルト・クレメンテ(1934-1972)

MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。

20位 ジェームス・アンドリュース(1942-)

肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。

21位 ジョー・ジャクソン(1888-1951)

シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。

22位 ピート・ローズ(1941-)

最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。

23位 ウィリー・メイズ(1931-)

走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。

24位 コニーマック(1862-1956)

1901年アスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である

25位 ハッピーチャンドラー(1898-1991)

上院議員ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナーランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラー進歩的であり、1947年ドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。

26位 オリバー・ウェンデル・ホームズジュニア(1841–1935)

連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。

27位 バーニー・ドレイファス(1865-1932)

1900年パイレーツオーナーとなった。その後のナ・リーグア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。

28位 アレクサンダー・クリーランド(?-?)

スコットランド出身のビジネスマン1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。

29位 テッド・ウィリアムズ(1918-2002)

レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。

30位 デビッド・ネフト(1937-)

大学で統計を学び、1969年スポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーバスケットボール百科事典も編纂している。

31位 トニー・ラルーサ(1944-)

ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックスアスレチックスカージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。

32位 レフティオドール(1897-1969)

MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。

33位 ロイ・ホフヘインズ(1912–1982)

アストロズオーナー1965年世界初ドーム球場アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。

34位 ロバート・ボウマン(1955-)

MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。

35位 マーク・マグワイア(1963-)

1998年サミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年ストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。

36位 カート・フラッド(1938-1997)

1969年カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。

37位 野茂英雄(1968-)

日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。

38位 メリッサラットク(1951-)

1977年ワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイキューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。

39位 ビル・ドーク(1891–1954)

1920年カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。

40位 セオ・エプスタイン(1973-)

2002年レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブス球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。

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