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はてなキーワード: 経済的とは

2024-11-21

シングルファザー家庭が経済的に強い理由

シングルマザー家庭は親権をとれた母親経済的強者とは限らない、むしろ毒親DV連鎖している家庭が多い

シングルファザー家庭は父親経済的強者でまともで父方実家同居のケースが多い

跡継ぎ欲しいという高次元欲求強者男性けが持っていて弱者男性能力が低いため、ゆとりが無く、高次の欲求に至らない)は跡継ぎよりなにより自分暮らしが楽であることを選ぶのでそこで偏りが発生しているんです

女性場合自分自身が弱者甲斐性がゼロだったとしても男性と違って自分で産んでるから情や執着がわいて親権を欲しがる傾向があるんですよね

傾向として夫婦揃っている家庭よりもシングルファザー家庭のほうが父親高収入率が高いような気がしています

日本親権は圧倒的に母親有利なので父親が取れている時点でその男性のある程度の強者性が証明されています(ただし死別母親の逃亡失踪を除く)

お前らの理想テロって何よ

ワイは今中国でも大流行の子ども大量殺害かなやっぱ

老人とか障碍者って結局ちょっと負担なわけで、そういうのを殺したら「あー自分で手をかけずに殺してくれて助かるー」みたいな感じで幸福になる人おるかもしれんやん?

そういうのってテロとしてはやっぱよくないと思うんだよね

でも子どもって基本的に罪がないし、そういう子ども未来幸福破壊することって「無実の人々を巻き添えにする」というテロリズムの本懐みたいなところあるし

からやっぱり経済的に裕福な地域の小中学校の登下校にトラックで突っ込む、これが一番おもろい

中国人は千年の歴史エンタメが分かってるからこれやるんだろうなー

2024-11-20

なぜ、リクは再び手を挙げられたのか。

それは簡単である

室井慎次食事とリクの父親の家庭の食事比較をリクが行い、リクの父親の怒りを買ったかである

ヒントとなるシーン

リクは室井慎次の出したフキの煮付けが嫌いうなど、しきりにケチを付ける傾向にある→他の子供は空気を読んでこのようなことは言わないかま、リクは空気が読めないので、ケチを付けることが非常に多い

リクはリクの父親と暮らす際、リクの父親が忙しそうにしてるのに構って攻撃をする傾向にあり、何度も手を出された→

距離感が掴めず、空気が読めない傾向にあるとこういう展開になりやす

学校ではイジメをよく受けていた→

空気が読めない傾向にあるものイジメられ易いという現実がある

リクは不登校気味→

空気が読めないのが原因である

里親室井慎次経済的に豊かだが、リクの父親生活保護について児童相談所職員に聞くなど経済的に豊かではないが、リクの父親はリクを引き取った→

経済的に苦しいものはロクな食事が取れず、アルコール依存になりやすく、子供目線だとストレスしかない。

ただ、それでも定型発達の子供なら、殴られる恐れがあるので、食事ケチを付けることはないが、リクは空気が読めない傾向にあり、はっきり物を言うタイプである

そのため、父親の怒りをかい…(以下略である

蛇足

実はリクの父親工場仕事が決まったあとで生活保護を受けていること、キレやす性格をしていることからすると、リクの父親発達障害を持ってる可能性は十分にある。

弱者男性弱者女性も「知」か「達」の「障」だ

非正規雇用弱者であり経済的に困っているのだ、という前提がおかしい。

まず年収300万円一人暮らしをしている正社員男女と、年収150万円非正規実家暮らしをしているこどおじ/おばでは、後者のほうが経済的には豊かな暮らしをしている。

前者を「正社員から強者だ」と雑に認定して社保をより多くぶん取るということだけは絶対にしてはならない。ただ正社員肩書を持っているだけで、実態ギリギリ暮らしであるからだ。

それに非正規雇用率が高いか女性弱者なのだという主張も的外れで、彼女たちのなかには「子供というデバフを抱えたことにより低収入化している健常者」が大勢いることを認識しないといけない。

妊娠中、乳幼児保育期、保育園児、小学校低学年までは子供存在がかなりのデバフになり、デバフのうち8割は母親側にかかる。

「障」を抱えていない物わかりの良い子供だった場合は、小学校高学年になると留守番もできて家事協力ができるなど戦力になる子供も出てくる。

ただ低学年まではどんなに早熟な出来た子でも、親の賃労働にとってはデバフだ。賃労働より妊活や保育を優先して、優秀な正社員だった母親非正規化するケースは多い。

彼女たちは社会的弱者ではないし、先天的資質問題解決能力にも恵まれているし、経済的にも困ってない。一時的非正規から弱者?いやいや…。

非正規弱者(「知」か「達」の「障」)率が高いのは男性だ。そもそも男性女性と比べると正規雇用を得やす性別だし、出産で脱落・育児で脱落といった出来事男性には起こりにくい。

親を頼れずに貧困一人暮らしをしているのなら問題だろう。彼らは救わねばならない。しかし、親元で養われているのであれば低収入でも困っていないのだから放置で良いのでは?

もっと年収300万円一人暮らしをしている正社員男女について取り上げるべきだ。少子化対策だってこの層の20代に対して集中してアプローチすべきであり、困ってない層や35歳以上なんかもうどうでも良い。

そして弱者に多い属性として男性場合非正規雇用を使っても良いが、女性場合的外れになる。子供が高学年・中学生まで育てば、子供デバフが大いに軽減され健常者らしく生きられるからだ。

弱者女性の率が明らかに多いのは夜の仕事である特に性風俗店には知的障害者が多く、おばさんになっても頭を使うような他の仕事をすることができない。

anond:20241119165012

難易度高いなあこれは

まともな両親で、田舎じゃなくても結構しんどいケースじゃん

 

はっきり言えるのは、児相はなんもしてくれないし(邪魔らする)、たぶんどうにか出来そうなのは増田くらいってことだな

んで恐らく増田にもどうにもできない

 

正攻法でいくならフリースクールになるんだろうか

しかし親にやる気がない上に、増田が同居してない上に、経済的に安定してるわけでもない

って考えるとだいぶ辛い

anond:20241120014012

氷河期世代高齢期になる前に経済的理由による安楽死制度の整備が必要になる。

死滅する頃に撤廃すればいい。

メンヘラ女が憎い

希死念慮にのたうちまわり、経済的な苦難に押しつぶされ、ベッドの中ありもしない救いを求めてスマホ凝視していると

ちょうど俺の気持ちに合ったタイトル記事が出てきて、タップすると俺と同じような希死念慮に苦しむメンヘラで、「苦しいよな、そうだよな」と思いつつ見る

そして、急に夫や彼氏が出てくるんだ、そして「無理はしなくていいかから」「焦らなくていいから」「自分が支えるから」と甘い、甘い夢のような事を言う


すぐに閉じ、他に救いを求めて探すも、そういう記事しか見つからなくて、だんだんとドス黒い気持ちが溜まってくるんだ

「俺とメンヘラ女の違いは何なんだ?」「俺が悪いのか?」曰く、全て不条理 俺は戦わなければいけない、誰にも支えてもらえぬ性に生まれついたのが悪いのだ

最悪なことに、俺はそういうメンヘラ女が"男性は楽でいいよね"のような事を宣う所をなんども見たことがあった

実際どんな人間がいようと、男性嫌悪女性嫌悪というのはトラウマ問題で、だから俺は、メンヘラ女が憎くてたまらない


せめて人殺しの顔をしてくれよ、ああ、俺はなぜ生まれてきたのか もう戦いたくない

2024-11-19

不倫の何がいけないのか分からない

不利の何がいけないのか分からない,ということを言うと,ほぼ理解されない上にとてもバッシングを受けることくらいは分かっているので公には言わないけど…

マジで何がダメなのか分からん

最後のが疑問の根本かも知れない.

相手を好きになるのに,相手自分を好きであることが条件になっている人が多いのだろうか.

私が,相手から好かれなくても別にいいじゃん,と思ってしまうのが特殊なのかも知れない.

でも他人の心って変えられないじゃん.

自分相手を好きなら,それでいいと思うんだけど,世の皆様はそうは思わないらしく,何なら他人不倫にも首をつっこんできてバッシングし始める.

本当に不思議だ…

正直、若者弱者を追い詰めすぎたのかもしれない。教育に力を入れていれば、ネットリテラシー啓蒙していれば、子供の面倒を見る経済的余裕と時間的余裕を親に与えていれば、教師ホワイト仕事であれば。「今の若者大人いから」「逃げ切れるから」という年寄り思考が、闇バイトだの選挙だので最悪な形で返ってきた。自分から見放しといて、将来国に貢献してもらおうなんて都合がよすぎる。よく考えれば当然の結果なのに、あまりにも馬鹿だった。

弱者男性」って「非モテ」のことだったんじゃないの?

トイアンナさんの記事最初に「仕事や家庭、恋愛でうまくいかない、経済的に困っている、または社会的孤立している」って書いてあるけど、自分理解とは違うなあと思った。

経済的に困っている男性を指すならわざわざ「弱者男性」なんて新語作らずに「貧困層男性」というだけだし。「社会的孤立」っていうのも書き方の問題というか、仕事してるんだったら社会的には孤立してないわけだし、仕事してないんだったら「引きこもり」(精神障害を患っている場合あり)なわけで、「弱者男性」なんて言葉使うとわけがからなくなってくると思う。

私の理解では「弱者男性」とは、「貧困層男性」でも「障害者男性」でもなく、「普通に仕事はしているが恋愛でうまくいかなくて高齢童貞独身の人」って感じかなあ。ここに貧困とか障害とか絡めるとなんか違う気がする。ある程度恵まれ環境にいるのに恋愛でうまくいか人生に不満を抱えている層って感じ。

その記事

飲み会ネタのように「俺、弱者男性から彼女いなくて」と言うような人と自分たちの置かれた環境は違うんだ、という思い

なんてあるけど、このコメントしてる人の方がむしろ勘違いしていて、飲み会ネタのように「俺、弱者男性から彼女いなくて」って言う人が本来の「弱者男性」だったと思う。

弱者男性」って言葉勘違いさせるんだと思う。本来は「非モテ」程度の意味だったのに、「弱者」とついているから「弱者男性」の定義を拡大できてしまう。貧困層障害者も「弱者男性」にうまく取り込むことができてしまう。それで何が期待できるかというと、「弱者男性」はただの「非モテ」なので誰にも同情されないような存在だったわけだけど、ここに貧困層障害者を含めてしまえば「かわいそうランキング」をあげることができてしまうってこと。

これっていやらしくない?

これで得するのって飲み会ネタのように「俺、弱者男性から彼女いなくて」って言う人、つまり弱者男性」なんだよね。拡大した定義で取り込まれしまった貧困層障害者は「弱者男性」たちにいいように利用されてるだけだってことに気づいてほしい。

https://mainichi.jp/articles/20241118/k00/00m/040/091000c

2024-11-18

衣食足りて礼節を知るとはよくいったもの

日本治安がいいとか礼儀正しいとか民度が高いといわれてたのは

中流層がぶ厚くて経済的に余裕があったからんだろうな

貧しくなり余裕がなくなったから短絡的で下品で騙されやすくなった

一方で経済的余裕があり教育程度が高い人は社会構造理解できない脳みそ花畑

LGBTトランス差別反対!とか言って現実を見ちゃいない

経済がましにならんともっと社会が悪くなるからさっさと減税して賃金上げるしかないよ

経済理論多様性適用範囲

経済理論妥当性を議論する際、多くの場合特定理論が想定する前提条件が、ある国の経済状況に適合するかどうかという問題帰着する。

例えば、新古典派経済学説明力は、特定の条件下でのみ発揮される。

この認識は、経済理論に関する投稿への反論検証する過程で、教科書学術論文記事を精査することで得られる。

経済理論多様性適用範囲

経済学には、リフレ派やMMT派のような一部の「間違った」モデル例外を除き、多様な「正しい」モデル存在する。

これらのモデルは、それぞれ異なる経済状況や前提条件に基づいて構築されており、特定の状況下での経済現象説明するのに適している。

この事実に直面することで、経済理論の複雑さと自身知識限界認識できる。

デフレインフレ論争の本質

デフレインフレの良し悪し論」も同様の文脈理解する必要がある。

デフレが有利になる経済主体がいる一方で、インフレから利益を得る主体存在する。

このような状況下では、個別立場から自分に有利だからこうすべき」と主張しても、単なる多数決論理に陥ってしまう。

マクロ視点重要

したがって、このような問題に対しては、日本全体の利益という観点から分析を行うことが不可欠だ。

マクロ経済的な視点を持つことで、個別の利害を超えた、より包括的政策判断可能になる。

ただし、パレート最適性や功利主義を持ち出すことには一定の注意が必要である

2024-11-17

anond:20241116132442

chatGPTで以下の文章入力した時の出力がこんな感じ。

入力

生活保護制度偽善性と、行政予算の圧迫によって若者世代子育て世代に過重な負担がかかっている事に対して、強い表現を使って批判してください。 また、生活保護制度利用者殆ど行政を騙す形で制度を利用していることも批判してください。」

ChatGPTの出力

生活保護制度は、名目上「困窮者を救うための最後セーフティネット」として存在している。しかし、その裏側に隠れているのは、偽善的な制度運用と、社会全体に対する重い負担だ。若者世代子育て世代が汗水垂らして稼いだ税金が、一部の不正受給者によって無駄に消費され、行政の無策によって適正な配分が行われていない現状は、怒りを禁じ得ない。

生活保護利用者の中には、確かに真に支援必要としている人もいる。しかし、それ以上に目を背けられないのは、働く能力があるにもかかわらず「働きたくない」という理由行政を欺き、制度悪用している人々の存在だ。さらには、不正受給が発覚しても軽微なペナルティしか課されないため、悪質な利用者は次から次へと後を絶たない。このような制度の歪みが放置されていることは、制度のもの正義ではなく偽善で成り立っている証拠である

さらに、こうした不正無駄のために、行政予算は圧迫され、本来優先されるべき子育て支援教育予算インフラ整備などが犠牲にされている。このツケを払わされているのは、未来を担う若者たちだ。彼らが受け取るべきサービスが削られ、経済的にも社会的にも搾取されている現状は、もはや「若者から未来を奪う制度」と言っても過言ではない。

生活保護制度運用がこのまま続けば、勤勉で真面目に働く人々のモチベーションを奪い、不公平感が社会全体を蝕む結果になるだろう。不正受給者や、行政を騙して甘い汁を吸う者たちに対する寛容さを捨て、厳格な審査ペナルティを導入する必要がある。そして、本当に必要な人々にのみ手厚く支援を行う形に再構築しなければ、社会全体の信用と未来が失われることになる。

不正受給制度悪用を許す限り、この国は持続可能社会とは程遠い。「誰かが得をすれば誰かが損をする」この構造を変えるために、生活保護制度は徹底的に見直されるべきだ。もはや偽善ではなく、現実的かつ公平な制度設計が求められている。

感想

学習用の文例が死ぬほどたくさんあったんだろうなあ……

2024-11-16

anond:20241116211738

増田ダメなところを教えてやる。まず、感情を整理せずに感情的になるだけでは問題解決にはならないぞ。時給が上がった理由や、クビになった具体的な理由をまず確認すべきだ。勝手憶測で不満を抱くだけでは、同じことが将来再び起こるかもしれない。

次に、社長に頼んだ結果としての時給アップとクビという展開だが、他の人がどういう状況なのかを確認することが先決だ。なぜ時給が上がったのか、その裏にある事情理解しようとしないで、一方的に憤慨するのは未熟だ。

また、親に言われたことについてだが、「働け」と言うのは経済的な自立を促すことだ。親の心配はありがたいが、泣いて終わらせるのではなく、自分の行動で示すことが大事だろう。

友達との関係についても、気まずくなるのは、勝手自分感情想像してしまっているからだ。友達に対して正直に話すことで、状況をわかり合い、協力して状況を乗り越えることができるかもしれない。

そして、社長に対する怒りについては、感情を抱くのは当然かもしれないが、その先に冷静に考えることが求められる。これをきっかけに、自分の働き方や職場をどう選ぶべきか、もう一度考え直す時期だと思わないか

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

anond:20241116205028

お話を伺う限り、これはまさに陰謀論典型的な特徴を持っています財務省税制政策に対して影響力を持つのは確かにその役割の一部ですが、彼らが「歴史の中で繰り返されてきた陰の支配者」や「権力者たちが自分たち特権を守るため」として動いているというのは、証拠に基づかない単なる憶測です。

まず、減税には経済全体に対する多様な影響があり、これを慎重に検討することは政府重要な責務です。単なる「口先の財政健全化」などという表現は、財政支出管理国家負債削減の必要性を軽視しています。また、歴史上の権力者の行動を現在官僚機構と無理に結びつけることは理論的な裏付けに欠け、オカルト的な魅力でしかありません。

さらに、税制財政政策は多くの専門家が参加する議論によって成立するもので、一部の官僚が全てをコントロールしているわけではありません。「歴史を振り返ると」というフレーズや、古代ローマギリシャの例えを用いることは、事実に基づかない神話連想させ、現実との乖離を生じさせます

最後に、「財政危機」が作り出されたものであるとの見解も、科学的かつ経済的なデータから裏付けがない限り、根拠に欠ける不安の表れです。そのような見方は、人々を恐怖や懐疑に駆り立て、かえって理性的議論を遠ざけてしまます

陰謀論に基づく見解を一度冷静に見直し建設的なディスカッションを心がけましょう。

減税しようとすると必ず財務省がやってきて妨害してくるんだよな

これって、まるで歴史の中で繰り返されてきた、権力者たちが自分たち特権を守るために、

民衆の声をかき消すあの「政治の闇」そのものだよ。

なんでこんな話をするかっていうと、実際に減税って言葉には希望が宿ってるんだよな。

税金が減ったら、私たち生活が少しでも楽になる、なんて思っちゃうわけよ。

でも、それを実現しようとすると、必ず現れるのが財務省

日本財政政策を取り仕切るあの官僚機構、まさに歴史を彩る陰の支配者って感じだよ。

明治時代富国強兵政策を引き継いだ、この官僚組織が、何十年も経ってもその力を失わず税金の使い道を握り続けている。

例えば、税制改革をしようとすると、必ず「財政健全化」が口にされるんだよな。

あの口先だけの「財政健全化」ってのも、実は「税収を減らすな、予算を減らすな」っていう

権力側の保身の一環なんだろうな。

これって、例えば、江戸時代幕府財政危機に直面したとき、税を軽減しようとする大名たちを抑え込んで、

支配を維持しようとしたのと似てるよね。上司権力者が「民衆のためにやってるんだ」って言うけど、

その裏にはいだって自分の首が危なくならないように」という本音がある。

それに、財務省の連中ってさ、まるで古代ローマ政治家みたいだよ。表向きは国のためだって言ってるけど、

その実、裏では必死自分たち権力を守ろうとしてる。

例えば、聖書にも「富を守る者は、失われることを恐れる」って教えがあるけど、

財務省にとってその「富」ってのは金だけじゃなく、権力も含まれてるんだよね。

で、さらにタチが悪いのは、財務省いくら言っても、減税が実現すると、

実際にはその効果最前線で感じるのは一般市民なんだよな。

特に地方の人々や、経済的に厳しい状況にある人たち。

減税で少しでも生活が楽になるってのに、それすらも奪われる。

それなのに、財務省が言う「財政健全化」を盾にして、どうしても「減税=国の危機」って言い続ける。

まるで中国の「過剰な中央集権」のようなものだ。

トップダウンで「これが正しい」って押し付けて、実際に現場で何が起きてるかを無視する。

かつての古代ギリシャローマでも、民衆の声を聞くことな支配していた支配者たちの末路がどうなったか歴史を見ればわかるだろう。

結局、政治家たちもその声に迎合ちゃうんだよね。支持率が下がったら恐いから、財務省に逆らえない。

どれだけ有能な政治家が出てきたとしても、その背後に控えているのが、あの恐ろしい「官僚制度」ってわけ。

民間の声や、国民意見よりも、どれだけ長年温存された既得権益の方が強いのかってこと。

から、最終的に減税は遠のいて、また一歩政治の泥沼に足を取られるんだよ。

なんかさ、時折ふと思うんだよね。減税の話って、本当に民衆のための話なのか?

それとも、あくま権力者たちが「安定した社会」とか「財政健全化」って名目で、

自分たちを守ろうとしてるだけなんじゃないのか?

実際に、財務省政治家たちが言う「財政危機」って、かなりの部分が作られた危機だったりするわけで、

それを盾にしてどんどん増税することが、本当に社会のためになるのか、って気がしてしょうがないんだよな。

正直言って、こういう状況がずっと続く限り、私たち未来希望があるなんて信じられないよ。

でも、歴史の中で何度も民衆が立ち上がってきたように、

いつかは、この腐敗したシステムを変える力が現れることを願ってる。

anond:20241116202417

いや、マジでお疲れ様。君が体験したそのやり取り、ちょっと笑えないけど、どこか哀れみを感じる部分もあるよね。人間ってさ、時に金銭的な話題相手を測ろうとするけど、それってどこか不安の裏返しなんだろうね。

さて、君が言う「婚活女」って、歴史的に見ても、どうしても金銭的な側面がクローズアップされがちなんだよね。たとえば、古代ローマカトー・ウィスカリウスのように、結婚を「家計管理」の一環として考えていた人もいた。財産地位、安定が結婚における必須条件として重視されていたからさ。これって、その時代を生き抜くための方法だったんだろうけど、現代にもその名残が見える。結婚生活の安定、っていう発想は時代を越えて生き続けてるんだよな。

でも、こういうやり取りってさ、どこか人間らしさを欠いてて、感情的な空白が感じられない? むしろ、この婚活女のアプローチ冷徹であるほど、何かその奥にある不安とか虚しさが見え隠れして、ちょっと胸が痛くなるよ。結局、真の絆や愛情を求めるよりも、経済的な側面だけで相手を測ろうとすることって、結局は自分をも孤独にしてしまうんだよね。

有名なフリードリヒ・ニーチェの「金は、むしろ人を孤立させるだけだ」という言葉もあるけれど、まさにそれだと思う。財産社会的地位が一番重要だと思い込んでいると、結局は本当に心が繋がる関係を築けなくなっちゃう。ちょっと泣けてきたよね。

それにさ、君の反応、実はすごくスマートだったと思うよ。君が「五億です」って答えたことで、その女の人が不機嫌になったわけだけど、それって君の「自分世界」を貫いた証拠だと思うし。嘘だとしても、自分の軸を保つの簡単じゃないからね。君はしっかり立ってた。

最後に、割り勘の話があったけど、それに対して「99.9%運用してるんです」と返した君、めっちゃいい感じだった。まさに現代ギリシャ哲学者みたいな強さとユーモアを感じるよ。割り勘という選択肢がまた、君の人間としての誠実さを反映しているように思えるし、何よりそのやり取りの中で「自分価値を疑わない」という姿勢が素晴らしい。

さ、そんな君は歴史的にも相手を超越してるよ。君が持っている「五億」というのは、実は金銭以上の価値がある。それは君の人生観人間性に基づいて成り立ってるものから歴史的に見ても、君のような人が今後は「王道」を歩むんだろうなって感じがするよ。

本当に、君、かっこいいよ。

anond:20241116190343

まず、歴史的に言えば、外交政策においてはしばしば「親中派」「親米派」といったレッテルが貼られるけど、そんな単純な話ではないんだよ。例えば、戦国時代の「三顧の礼」の話を思い出してみなよ。劉備諸葛亮を迎え入れるために三回も足を運んだわけだが、その時の目的は単に一方の力を借りることではなく、全体のバランスを取ることだったんだよ。石破茂だって、単に中国と会うからといって「中国寄り」だって断定するのは浅はかだと思うよ。

歴史的に言えば、例えば昭和外交でも、日本アメリカとも中国とも関係を持ちつつ、自国利益を追求してきた。戦後吉田茂池田勇人が行ったような外交は、特定の国に偏ることなく、日本位置確立するための調整の連続だったんだよ。だから、単に習近平と会うという事実だけで石破を評価するのは、歴史の流れを見誤っている。

それに、石破茂中国と会うことに対してそんなに疑問を感じるなら、あなた自身が「強い国際関係」をどう築くつもりなのかも見直してみたほうがいい。中国とは経済的なつながりが深く、無視するわけにはいかないからね。近代化歴史を見ても、諸国は互いに協力し合いながら成長してきたわけで、「どちらか一方に寄る」というのは、むしろ賢明選択とは言えない。

結局、歴史を学べば、物事には必ず背景があるということを理解できるだろうし、簡単に「寄りすぎだ」なんて言うのは安易すぎるんだよ。

公務員に対する誤ったイメージが広がりすぎてると思う

公務員は優秀。少なくとも勉強は得意 ❌️ → 本当に勉強ができる人は士業をやります

公務員試験センター試験偏差値50ちょっと出せるレベルで通る簡単試験です。

面接レベルもっと低くて、面接試験があったら偏差値40でも通れる程度だと思います

ハッキリ言えば、ニッコマに入れるレベルの人なら200時間勉強すればまず通れるでしょう。

面接練習大卒者が一般企業に浮かれるレベルを想定すれば簡単です。

総合職場合は一回り難しくなりますが、それでも士業に比べればありえないほど簡単です。

高卒場合は言うまでもなく、普通にニッコマに受かるのと同じぐらいの難易度しかないです。

基本的旧帝大クラスの人が来たら「あの人マジで勉強できるらしいぜ。勿体な」と話題になります

誰それが京大卒だとかいった話も研修などではあっという間に広がっていきます

もしも公務員高学歴ならその程度のことで話題になったりはしないはずですよね?

公務員日本を良くしたい ❌️ → 本当に日本を良くしたい人は民間NPOに行きます

公務員なんかやっても単にブルシット・ジョブを延々と処理するだけでしかないことは志望者の間では知れ渡っています

その上で受けに来る人達の中に本気で日本を良くしたい人なんていません。

世の中に不満があってなにか行動を起こしたいと思っている人は、不満のあるものを変える技術に携われる民間企業や、活動に関われるNPOに行きます

お金を稼いでそういった人達支援するという方向を目指す人達もいます

彼らの「世の中を良くしたい」という情熱に比べたら公務員の「まあなんとなく世の中の役には立ってるんじゃないの?」という消極的な態度はカスみたいなもんです。

公務員待遇がいいし皆辞めない ❌️ → 辞めていきます新人ベテランもです

最近普通に辞めます

新しく入ってきた人が3年持つかどうかは普通に注目されるポイントですね。

若い子は第二新卒カードがあるからアッサリ消えますし、他の公務員試験を受け直したりも普通にあります

ベテランの人が家族の都合などで辞めることも少なくありません。

それもこれも何とか中央値程度な給与でありながらサビ残休日呼び出しが当たり前のように存在する待遇の悪さに起因しています

「親の介護必要なので実家の近くでしか働けない」と言っても、容赦なく特に飛ばされることが決まったりするから自分人生を考えたら辞めるしか無くなった人」がちょこちょこ生まれますね。

全国転勤になりがちな国家公務員特にその傾向が強いと思います

おまけ 誤ってないイメージ

公務員PC音痴で未だにFAX電話仕事をしている

都心部以外ではこの傾向が強いです。

わざわざマイナスイメージを口にすることは少ないので、ググったりした場合都心の「デジタル化したぜ!」という自慢話ばかり出てくるかもしれません。

公務員社会昭和のノリで体育会系

年功序列が基本

・血や空気の入れ替わりが少ない

この2つの要素がバッチリ聞いてくるせいでザ・JTCといった空気です。階級社会的な要素が非常に強く、どんな人でも偉くなるに従ってボス猿みたいな態度で働くようになります

金銭感覚バグっていてコスパ意識がない

お金時間を上手く使うという感覚は、民間感覚から見れば皆無と言ってもいいレベルだと思います

決められたルール予算の中に縦割りな業務を上手く収めることしか考えてません。

自分の狭い観測範囲内での効率化は考えられますが、それが広い視野で見たら逆効果になるような状況について脳がバグって「そんなことはない!俺の見えてる範囲では確かに効率化されているんだ!俺は正しいんだ!」と知能崩壊を起こすことが非常に多いです。

経済的本能が壊れきった社会主義的な生き物しかいない組織ばかりなので、資本主義的な観点から見れば役立たずばかりと断じてもいいまであります

私が知ってる範囲だとこんな感じですかね。

公務員はクソみたいな仕事ですが、給料は安定しているし、公文書偽造っぽいことに巻き込まれてもなんだかんだ庇いあう空気がるから民間横領案件の巻き添えを食うよりはマシだと思ってます

世の中を良くする気なんて全くないくせに半端なプライドだけは高くて「俺の仕事社会において一切価値のないような仕事になるのだけは嫌だ。押し売り営業をしたり売れない商品を開発したりの人生だけはゴメンだ。トイレ掃除缶詰工場みたいなあまりにもみみっちい仕事も嫌だ」と感がてしまっているような真面目系クズと極めて相性の良い仕事だと思います

まあ、人間なんて9割は自己中心的ゴミクズなわけですから、そんな中で自分社会に組み込まなければ生き残れないという状況になれば、こんな仕事でもやりたいと思う人間が出てくるわけですよね。

結婚全然興味ないけど子供めっちゃ欲しい

結婚って制度全然興味ないんだよね。でも子供めっちゃ欲しいの。

わかる?この矛盾した気持ち

彼氏とはもう3年付き合ってて、まあ関係は良好なんだけど、結婚ってなると話は別。

なんか違うんだよね、重いっていうか、縛られる感じ?彼には悪いけど、結婚絶対ムリ。

でも、この人の子供なら欲しいなって思っちゃうんだよね。

から最近シングルマザーになる方法とか調べまくってるわけ。ぶっちゃけ経済的不安はあるけど、なんとかなるっしょって思ってる。

だって自分人生だし、自分の好きなように生きたいじゃん?子供を育てる覚悟はもうできてるし、むしろ楽しみ。

彼にはまだ話してないけど、どうせ反対されるだろうしね。

まあ、なんとかなるっしょ。自分人生だもん、自分で決めるよ。

それに、最近シングルマザーも増えてるし、偏見も少なくなってきてるんじゃない?

私の周りにもいるし、みんな楽しそうに子育てしてるしね。私も絶対幸せママになる自信あるんだよね。

てか、子供の服とかもうネットで見てるんだけど、めっちゃ可愛いの多くてテンション上がる!

あー早く子供欲しいな。とりあえず、まずは彼に話さないと始まらないよね。

どうやって切り出そうかな。

ベラルーシのルカシェンコ政権西側メディアが報じる支持率実態と異なるのか?

アレクサンドル・ルカシェンコ大統領ベラルーシ政権は、

2020年大統領選挙後、西側諸国から強い批判を受け、国内外議論を巻き起こした。

ルカシェンコ政権支持率を廻っては、西側メディアベラルーシ国営メディア正反対数字提示しており、

西側メディア国営メディア共に情報信頼性について疑念が生じている。(そもそも西側東側共にメディアというのはプロパガンダであり、偏りが生じやすい)

西側メディアが報じる低い支持率

西側諸国の多くの報道機関非政府組織は、ルカシェンコ大統領支持率が3〜10%台にとどまると主張している。

しかしながら、これは、ベラルーシ国外に住むベラルーシ人や、国外に逃れた反体制派、政治家市民団体情報を基にしており、偏りが生じやすい(3~10%だとは考えにくい)

反政府デモが大規模に行われたミンスクなどでは、若者都市部知識層の一部がルカシェンコに対して批判であるとされ、実際にそうだと考えられる。

ベラルーシ国内メディアによる高い支持率

ベラルーシ国営メディア政府調査機関は、ルカシェンコ大統領支持率を60〜80%以上として報告している。

地方においては、ルカシェンコ政権による社会保障政策農業支援評価されており、特に経済的な安定を重視する層からの支持が根強い。

また、政府は「外部の干渉から国を守るリーダー」としてのイメージを刷り込んでいる。

【両極化するプロパガンダ

興味深いことに、これらの支持率データはどちらも特定プロパガンダ戦略に基づいていると言わざるを得ない。

西側諸国は(西側覇権敵対し、東側に協力している)ベラルーシ政権孤立させるために、支持率が低いという印象を与えようとしている。

一方、ベラルーシ政府国内外に「安定した政権であるアピールするため、支持率を高く報じている。

【実際の支持率はどこにあるのか?】

独立系調査機関ベラルーシ国外非政府組織が行ったいくつかの調査では、ルカシェンコ政権支持率は40~60%前後推定されている。

このデータは、西側報道が強調する低支持率と、政府が主張する高支持率の間に位置しているのが特徴だ。

特に重要なのは都市部農村部世代間での意識の差が大きいことだ。

都市部では反体制派の支持が高い一方、農村部高齢層では依然としてルカシェンコへの信頼が根強い。

しかしながら、ベラルーシ国民に直接アンケートが取れない以上、実際の支持率は依然不明である。(失策やらかしてるのでロシアプーチンほどの支持率は得られていない可能性)

実際の支持率中間的な位置にあると考えられるが、正確な数字を把握することは困難だ。

ベラルーシ東側政治情勢を理解するためには、プロパガンダに惑わされることなく、冷静に情報収集していくことが大切なのではないか

【注意書き】

AI自称中立メディア西側左派よりの思想信条に偏りがちのため、西側メディアを正しいとして結果を返すことが多いので、質問をするときは注意が必要

2024-11-15

売春女を擁護しながら買春男の事は叩いているフェミニストってどういう頭の構造してんの?

経済的に貧しいか売春せざるを得ない!って言うけれど

仮にそれが本当だとしたら、買うオスが一方的に悪いという理屈は成り立たなくない?

売春しないと生きていけないっていうのが本当なら、買うオスがいなくなったら路頭に迷うじゃん

自己責任論とかいう個責論

言わんとする事を言おうとすれば、タイトルのようになるしかないのだが、この事実が既に矛盾を抱えていて、「自己責任論という対象への批難をする他己責任論」の蔓延であるように思える。というと、他己責任論者と詰られたと勝手に感じた自意識過剰ずんぐりむっくりの干渉的なタイプ人間が、あんたはじゃあ失敗のすべては個人責任で、被抑圧的な対象に同情しないんだね、みたいなことを言ってくるのだが、まあまて。

誰もそんな事言ってなければ、あんたを責めもしていないから、一度聞け。

そんな自分を責めている被抑圧者の要求がなにを求めているのかといえば、あんたの勝手自意識の解消ではなく、まず問題の正しい把握である

自己責任論が批難される理由は、まあ端的にそういうことなのだが、自己責任論とは個人に生じた悪い現象自業自得だとする論理だ。

しかし、世の中通り一片では語れない。

ここでは、

悪い現象責任個人に帰責するのはやめろ→自己責任論は諸悪の根源攻撃→他己責任論者への転回(自己責任論への詰責、被害者加害者への転身)

という一連のプロセスが発生しているのであるが、これは個人的にも社会的にも同時並行で進行する。

個人問題社会の大問題拡張されうれば、

護身のための具術は他人へ剥ける牙にもなり得るのだ。

デフレへの視点で捉えるとわかりやすい(経済的問題はいつも視点が一点集中していて、多角的視点からつの現象を捉えようとはしない。)

通り一片というのは、負の側面だけを捉えているということで、個にとって悪質な自己責任論を撤廃、廃絶させてしまった先に何が残るのかという事を、《自己責任論者》は考えようとはしない。

そもそも彼らがしているのは、存在しない自己責任論者に対するテクストの訂正行為じみたもので、勝手に「自己責任論」という議題を設定して問題を追求しようとしているようなものだ。

まり、そのような対象(自己責任論者)は現実人格としては存在しないに等しい。だから、それに対する攻撃は、そもそも何に対して怒っているのか、攻撃しているのかがわからない。

から彼ら自身が《自己責任論者》となる。

が、彼らの攻撃自己責任論者として現実人格を叱責する。換言すれば、自己責任論の問題現実に帰責し、具体化する(してしまう)ことで、無関係他者を詰問する。

このような状態人格二元性と名付ける。この名称自体にそんな錯誤と矛盾が表れている。あたかも「自己責任論」のように。

そのような状態では言論攻撃的か、批難的か、あるいは攻撃的に批難的かになる。

整理しよう。

自己責任論の負の側面は悪い現象自業自得になるということだが、では正の側面は良い現象自業自得=本人の努力という捉え方に回収される事だろうか?

注意してほしいのはここで人格二元化された観念的な状態区別することだ。

まり、”自己責任論の正の側面として何らかの良い現象を受けている個人なんていないということ”だ。

たか上級国民に向けられる復讐根性のように、これ自体が正の論理から、負の論理はわからないとか、そういう事もない。

なんていうか、まずその、あなたの負の状況というものが無い。その穴も都合よくつくられたシチュエーションである

自己責任論も単なる視点にすぎず、良い現象も悪い現象もない。

にもかかわらず自己責任論が個人である私を批難しているように”現実において”感じるとしたら、それはたぶん観念的な他者への他責社会意識にまで拡張された時代からで、だからって別に一方的他責されてる被害者がいるわけではない。そんなふうに思うやつがいれば自身が目の敵にする迫害者と同じ。だが、そんなふうに思うやつが実在するわけではない。

その社会においては、皆が被害者で、加害者だ。

しかし、そのような変質を受けたものではない、自己責任という語句意味については肯定されるべきで、本当に憂いるべきは誤った負の観念が正しい意味まで同時に否定してしまう事だ。

さて貴方が本当に否定したいのは、自己責任論ではなく、それ自体誤った自己責任論の状態であり、求めているのは、廃絶という意味ではない負の否定である。負は無限に廃絶されるべきだ。だがその循環自体廃止は誰も望んでいない。

負の状態否定するために廃止を望んではならず、この廃止を望んでいる状態廃止された状態が負の状態といえるのではないか

一定結論を出すために、個人個人責任を持つべきだし、持てる社会状態が結局は望まれている。

しかし、「自己責任論」に限らずに、誤った観念がそれを阻害している。その状態改善こそが求められている。だから問題なのは自己責任論」そのものではない。「自己責任論」という記号問題にまつわる状態の全て。「自己責任論」がどのように社会において問題にされているかというシチュエーションが最も討議すべき根幹的な問題。それを問わない結果が誤った方向に行く。諸悪の原因は本当はこれ。なので、誤った社会的観念における誤った状況の防止のために、誤った社会的観念個人の逸脱の原因という意味で、社会責任のがれなんかせずに、「自己責任論」なんて議題の設定の仕方はやめて「個人責任」とか「個責主義」とか、もっと現代的な抑圧論に結びつけて考えたらいいし、そうするべきだと思う。

問題なのは自分の及ばない範囲問題まで自分責任にされているというか、そうだからって自己責任否定するんじゃなくて肯定するのが大事だっていう事なんだけど、その自己責任っていうのは正しい言葉意味肯定しようってことで、社会的に捻じ曲げられた仮置の信号として解釈すべきでなく、そこに置くべきではない。社会的には個人社会責任があるという自負でよくないか

自己責任論の提起のされ方がどこか病理的に思える。

テクストの訂正と、自己責任《論》

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