はてなキーワード: ごくせんとは
小学生の頃、先生と(後述の問題もあり)性格が合わなかったのかすごい色々言われるのが嫌で中学でも不登校気味になってしまい、受験では内申と出席日数の問題で第一希望のGOサインが出ず、高校は定時制高校に進学した。
小学生の頃から授業への集中力が無くて自由帳でお絵描きしたり寝てたり、勉強は全くできないし、問題児だった。
それでも、自分の得意分野になると記憶力や集中力が極端に上がる。自分の好きな分野については小学生ながらもそこらへんの大人よりも知識があったと思う。
中学生の時は、さすがに授業に参加してノートを必死に取るし、頑張って集中力を継続できるよう頑張ったけど、いつの間にか寝ていて、それも本当に記憶が無かった。
中学が公立のくせに住んでいる街が街だからか、親が金持ち教育熱心家庭が多くまともな生徒が多くて、俺以外でもちょっと違うと攻撃されたり避けられたりしていた。
おまけに教育熱心な家庭に合わせて授業が進むため公立にしてはハイペースな授業だったと思う。授業にもついていけず、先生とも合わず、人間関係も辛くて、中学ではついに不登校気味に。
朝起きると、平日だけ何故か頭が痛くて起き上がれない。通学路で涙が止まらない。本当に行きたくない日は行かなかった。
なんでみんな1時間も机であんな授業受けれるんだろう。勉強もできないし自分がおかしいのかな。なんでだろう。ってずっと思ってた。
親は「学校の休みがちならせめても…」ということで家庭教師をつけてくれた。その時は定期試験も少し点数上がった。高校受験に向けても対策をした。
でも、やっぱり勉強が苦手。覚えられない。計算ができない。集中力が続かず、結局バックレて(家庭教師の時間になったら外出して逃げた。)家庭教師も中2終わり頃に解約した。
同時期、初めてインターネットで知り合った人と実際に会って遊んだ。学校が辛くて、学校を行くふりしてその人の最寄り駅まで行ったり。自分の最寄りまで来てくれたり。
新しい世界が見えた気がして、その時は精神的にも心から楽しかった。その人と、はまだ繋がっていてたまに遊んだりしてる。本当に感謝。
ちなみに家族はめっちゃキレてた。「なにしてんだよ」「学校行け」「学校行かないと近所の人から変な目で見られる」。結局家族は世間体だけで、多分俺がサボってるとしか思ってなかったんだと思う。まぁ確かにサボりだし。今思えばそうだなと思う。でもその時はこれしか逃げ道がなかったのもわかってほしかった。
そんな中、中3に。周りはみんな受験モード。自分はぎりぎり行ける近所の全日制高校を狙っていたが、内申点と出席日数的に第一希望として認められず、
定員割れの定時制高校へ進学した。定時制にも理由があって、学校行く前の頭痛や体調不良が午後になれば少しはマシになるかな。というのが大きな理由。安直だけど。
定時制高校は驚きの毎日だった。本当にごくせん?GTOの世界。
まず、日本語が通じない。噛み合わない。俺よりバカな人がいる。
行動が高校生っぽくない。(言葉に言い表せない感じ。なんか子供っぽいというか…)
覚せい剤を使って同級生が逮捕。タバコ・お酒は当然。喧嘩や窃盗、無免許運転。まだまだある。
本当にこんなことって現実にあるんだ。フィクションじゃないんだ。
自分で選んだ学校だから文句は言えない。けど辛かった。中学校とは違うベクトルの辛さ。
でも勉強は簡単すぎて余裕だったし、校則も緩い。悪いところだけではなかった。
バイトも始めた。
バイトは、本当に向いていたと思う。接客業。高1の1学期から始めた。
お客様に「ありがとう」って言われると本当に心から嬉しかったし、クレーマーは来たらちょっと嫌だったけど。
店長や社員さんから褒められるのも嬉しかったし、仕事を任されるのも嬉しかった。気づいたら本部の研修を何回か受けて名札の★が増えたり。
勉強以外で、自分が認められて本当に楽しかった。週5~6入って必死に働いた。大人との接し方も、電話応対も、社会のアレコレもたくさん教えてもらった。
高校で学んだことよりもバイト先で学んだことの方が今の自分にとって大きいと思う。
小学生の頃から好きだった分野を仕事にしたいと思い始めるようになった。そのためには最低でも専門学校か大学にはいかないといけない。
専門学校も考えたけど、大学のほうが分野についての授業や設備が幅広くて自分のやりたいことはそっちの方が強かった。
でも、小学校の頃からまともに授業受けていない自分には無理だな。というのが第一に思った。
先生にも相談した。「●●(俺の名前)さんのやりたいことは、大学でしか学べないよ」この言葉が決め手だった。
今から一般の勉強なんてビルギャルじゃないんだし、無理だなと思った。すでに7月。
分野が若干特殊なせいか、やっと見つけた大学は、日東駒専レベルの大学。日東駒専と言えば、インターネット上ではよくバカにされている印象だが
それでも偏差値測定不能の高校に通っているヤツが受かる確率は1桁ほどだろう。
そんな中、先生からAO入試を進められた。プレゼンテーションをするだけでよいらしい。
パワポを作るなんて簡単だし、プレゼンの内容を考えるのも楽しそうだった。でもプレゼンするだけでって、そんな都合よい話があるんだろうか…?
あった。
受かってしまった。それも数人しか取らないAO入試だ。倍率はまぁまぁ高かった。
学校行ってないときはPCやスマホをいじるのが生活の一部になっていたせいか、プレゼン資料作るのも苦じゃなかったし、
資料で出典元を見つけたり自分の考察、案を考えるのも苦ではなかった。
面接官からは「高校生でこんなプレゼン初めてみました。」「完成度高いですね」「すごいですね」…。
まさか褒められるとは思っていなかった。面接だから鋭い質問されると思ってドキドキしていたのに、プレゼンが終わるとすごい褒めてくれた。
さすがに受験会場で誉められたくらいで、受かるなんて思っていなかったけど、忘れもしない11月のとある合格発表日、ウェブサイトには合格と表記が出ていた。
正直実感が無いのと、やっぱり勉強についていけるか心配だった。焦って大学に向けて中学校の範囲から少しずつ勉強をし始めたり。
そして入学。
もう2~3週間経つけど、割と授業は楽しい。小学生の頃から関心があって自分なりに勉強したり調べていた分野だったから専門的な授業は簡単に感じる。
「高校までまともな学校行ってなかったのに、大学にAO入試で入って授業も割とついていけてます!!!!!!!楽しい!!!!」みたいな記事ではない!本題はここから。
入学して数日。幸いにも数人、話すような仲の友人…(少なくとも自分はそう思ってる)ができた。
話し方や行動、高校の時の話、上京してる人の地元の話。。。聞く限り「アオハル」を満喫した「ガチの高校生」なんだなと思った。
いや、「ガチの高校生」ってなんだよって感じだけど、自分は定時制高校という特殊な構造の学校でお世辞にも普通の高校生活とは程遠かった。
テレビや中学時代の友人を見るたび「青春」が羨ましかった。もちろん、もし普通の高校に通ってても青春できる保証はないけど。思うだけなら自由じゃん?
それも、日東駒専レべルだからか、偏差値50後半くらいの高校からの指定校推薦や、滑り止めで来た人が多かった。
そんなやつらが勉強もまともにできない底辺高校出身の俺と一緒の大学で一緒に過ごしてる。
本当に申し訳ない。自分は何も努力していない。勉強も全然頭に入ってこない。興味ないことは全くできない。人間としての欠陥品。
ちょっとその分野が得意なだけで、取柄もなんもない。
自分がバカ高出身って明かしても全然みんななんも言わないんだ。
なんでお前がここにいるんだよとか。中学校の頃みたいになんか言われたり距離を置かれるんじゃないかと不安だった。
ある日、入試の話になった。周りは共テ利用だったり一般入試だったり。そんな中プレゼンだけのAOなんて言いたくなかった。
けれども、聞かれて正直に答えたら「AO入試!?すごいね!」「才能あるんだね!」って褒めてくれた。お世辞でも嬉しかった。
AO入試で入ったからずるいとか、避けられるかなって思っていたから。優しい。泣きそう。
みんな、高校でフツーの青春をして、人並みかそれ以上に勉強ができて、こんな自分にも優しく接してくれて。
そんなやつらと一緒にいると毎回自分が醜いなって思うのと同時に、
集中力があって、興味がない勉強も理解できていれば、自分も普通の高校生活を過ごせたのかなとか。
普通ってなんなんだろう。なんで自分は頭悪いんだろう。集中力尽きると記憶が無いまま寝っちゃうんだろう。とか。
たらればばかり。
だからといって努力もしないくせに劣等感を感じる自分が一番つらい。
日本語めちゃくちゃで見にくい文章。最後まで読んでくれてありがとう。
追記 4/21 22:55
いつもの流れでトップページ開いたら自分の記事があってビックリしました。
ちょっと指摘された部分や日本語がおかしい(不適切な)部分を修正しました。
ADHDや発達障害の傾向は小学生の時から言われていました。現在正式な診断は受けていないですが、小学生の頃は毎週カウセリングを受けていました。
記事内の大学の相談に乗っていただいた先生と当時担任の先生には本当に感謝しています。周りの生徒とは少し合わなかったけど、高校の先生は本当に優しかった。
ものすごくせんないことでへこんでる。ささいなことなのは理解していても、その行動を実行した他人の心理の裏には、きっと自分の知らない理由があるんだろうな、とか、一呼吸置いて考えてみるけど、最終的にどうしても自分を責めてしまう思考になってしまうのは寒いからなんだろう。
悲しいこととか苛立ちってすぐ近くのものやことや人を見ているから発生するような気がする。もっと先の方、あるいは俯瞰でみることで、客観的に今の自分を見つめ返してなんてことはない、大丈夫大丈夫とこの増田を書きながら念仏のように唱える。
…
……
………
(多数説・判例)学園重視説
「ブルアカで抜いた生徒を庇うヤンクミ」の着想は、『ブルーアーカイブ』という作品が、プレイヤーの視点となる主人公が学園都市に教師として赴任し、生徒たちと交流を深めていくストーリー・舞台設定が、ドラマ『ごくせん』と類似していることに起因するものであるから、派生作品の中では、同じく学園ものの要素を持つ「ブルアカで抜いた生徒を庇うウテナ」「ブルアカで抜いた衛宮士郎を庇う間桐慎二」等のみを正統と認める立場。
(有力説)様式重視説
上記学園重視説の視点に加え、「ブルアカで抜いた生徒を庇うヤンクミ」は、『ごくせん』における、周りから糾弾を受けたり、冤罪を被ったりした不良生徒を主人公・山口久美子がひとり庇うという典型的なシチュエーションが踏襲されている、パロディとしての様式美にこそ重点があり、実際の作中に誰かを身を挺して庇う描写が存在するキャラクターでなければパロディが成立していないとする立場。
そもそも『ブルーアーカイブ』をやっていないしなんなら『ごくせん』もそこまでちゃんと覚えておらず、ただ「過酷なオナニー」という謎のワードの破壊力と、2022年に『ごくせん』の話をする絶妙なノスタルジー、やけに上手いモノマネが面白かったのであるから、モノマネが懐かしくて上手ければなんでも良いという立場。
①大友啓史
②園子温
実写化代表作:新宿スワンシリーズ、ヒミズ、TOKYO TRIBE、みんな!エスパーだよ!
③福田雄一
実写化代表作:銀魂シリーズ、変態仮面シリーズ、今日から俺は、斉木楠雄のΨ難
④三池崇史
実写化代表作:殺し屋1、土竜の唄シリーズ、ジョジョの奇妙な冒険、テラフォーマーズ
⑤金子修介
実写化代表作:デスノートシリーズ、あずみ2、神の左手悪魔の右手、プライド
⑥佐藤信介
実写化代表作:GANTZシリーズ、アイアムアヒーロー、いぬやしき、キングダムシリーズ、BLEACH
⑦曽利文彦
⑧佐藤東弥
⑨英勉
実写化代表作:あさひなぐ、東京リベンジャーズ、映像研には手を出すな!、お粗末さん、賭ケグルイ
実写化代表作:約束のネバーランド、僕だけがいない街、ROOKIES、春待つ僕ら
⑪清水崇
⑫武内英樹
実写化代表作:のだめカンタービレシリーズ、テルマエ・ロマエシリーズ、翔んで埼玉
⑬三木孝浩
実写化代表作:ソラニン、僕等がいた、ホットロード、アオハライド
⑭堤幸彦
実写化代表作:20世紀少年シリーズ、BECK、金田一少年の事件簿
⑮山崎貴
実写化代表作:寄生獣シリーズ、ドラえもんシリーズ、ドラゴンクエストV
実写化代表作:海猿シリーズ、逆境ナイン、ワイルド7、暗殺教室
⑰新城毅彦
実写化代表作:僕の初恋をキミに捧ぐ、Paradise Kiss、四月は君の嘘
⑱那須博之
果たしてそうだろうか?
あ
AMAKUSA1637
暗殺者は魚を嫌う
い
う
海ニ眠ル花
うわさ (漫画)
え
エデンの花
お
おとなにナッツ
か
ガタピシ車でいこう!!
銃夢 LastOrder
き
く
KUROKO-黒衣-
こ
恋はオン・エア!
恋はゲームで!
さ
三獣士
山賊王
SAND LAND
し
シトラス学園
女クラのおきて
新・野球狂の詩
す
すくらんぶる-b
せ
そ
続・戦国自衛隊
空の昴
た
Wピンチ!!
ち
忠犬ディディー
つ
て
太陽の玻璃
と
な
ナニワトモアレ
に
の
は
バカバカしいの!
花の湯へようこそ
ぱられる
ひ
BM ネクタール
ひまじん
ふ
ふたご最前線
無頼伝 涯
ほ
ぽけっとタマちゃん
ま
み
も
や
ヤマトナデシコ七変化 (漫画)
ゆ
雪ん子!!
よ
汚れてる暇なんかない
ら
雷神〜RISING〜
り
ろ
わ
男性で、左翼で、オタクっていう人が萌え絵に難色を示している。
この人たちの今までのツイートを見てみると、オタク観が何となくわかった。
「"オタク"は作品を深く考察・論評し、社会的意義や社会に与える影響を論じるべきだというのに、お前らはただエロければよい萌えればよいという極めて低俗な人間だ!お前らはオタクじゃない!」
こんな感じだ。
https://anond.hatelabo.jp/20191122203342
ここの増田にも書いてあるように、実際にそういうことをした人もいるようだ。
https://note.com/iovis_takahasius/n/n5d806216d51c
まさにこれがオタクの例。
俺も大学ではサークルに入っていて、別にアニメサークルというわけではないが
情報系の学部の生徒がたくさん入るサークルだったのでオタクはたくさんいた。
多分そのサークルで「鬼滅は自助・共助を…」と言い出したら友達はなくすかな…
「自己責任論っぽくてイヤ」でギリギリ何とか踏みとどまれるか。
あ、有名なものを批判してるから敬遠されるとかいう理由でなく、
「そういう政治にもってくタイプの人なのね」と判断されて敬遠される。
(これは左右関わらずネットで過激に政治を語る人たちのせいなんだろうけど、
俺が上で上げたような作品を論評するオタクがだいたいこんな感じの人なんだよなぁ…)
それで、左翼オタクが否定しているような"オタク"というのは、考えてみればヤンキーに近いんじゃないかと思ってる。
昔のドラマ・アニメとかで、女子更衣室を覗くのはどちらかというとヤンキーのイメージが多い。
「ごくせん」でも不良が当時あまり流通していなかったノートパソコンを使ってエロ画像をダウンロードしていた。
ヤンキーに近いというよりかはヤンキー的な目で女を見ているといえるか。
とにかくエロいのが見たい。エッチしたい。蹂躙したい。こういうヤンキー的目線。
宇崎ちゃんのポスター擁護してる人全員がこう思っているとはいわないし、全員レ○プ願望あるとも言わない。
ただ、萌えればいいというのはヤンキーに近いのかなという感じ。
ちょっとしたおまけだが、オタクとフェミニストは両立しないという意見をちらほら見るが、別のオタクとなら成立するのではないか?
別のオタクというのは、先ほど挙げたような作品を論評して、左翼思想の元に社会の問題点を指摘するオタク。彼らに言わせれば真のオタクか。
例えば、なろう系の作品で女騎士が敵国の捕虜になり悪徳大臣の下で「超ミニスカ絶対領域、胸の谷間大あらわ」の破廉恥メイド服を着させられて奉仕させられるというシチュの時は、
「中世ヨーロッパの時代はこのように女性の人権が云々…」「今こういう作品が日本で受け入れられること自体が日本の人権意識の云々…」
父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。
私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。
父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたことを武勇伝としてずっと話していた。
小中学生のスポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベルの体罰の話も自慢げにしていた。
父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。
私は幼少期から父から殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手をねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。
それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんのドラマも流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。
漫画やドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子に暴力をふるおうとは思わず、男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。
取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。
父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。
休み時間や放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚でケンカして遊んでいた。
ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構なクリーンヒットだった気がする。
特に気にせず他の男子とさらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。
いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。
担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると
「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。
それから校長室に呼ばれ校長に事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。
翌日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。
私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、
大けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、
担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。
手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。
怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。
数日後、男女数人で公園で鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。
1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。
危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなたの暴力性は信じられない!あなたはおかしい!女の子にも乱暴する気!?
みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。
私は知らない人だったけどたぶん同級生の母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。
取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。
危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。
今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。
どう考えてもあの頃の私はおかしかった。
それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段の生活では大人しくなった)
腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。
子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。
小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。
制服のスカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガの世界にしかいなかった。
中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。
穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部や帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。
父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。
「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」「1人だけグラウンドを20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブの練習に行きたくないと言っている」
知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。
母がそういう電話を取った時は「名乗りもせず言いたいことだけ言って失礼じゃないですか?」と応戦していた。
父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。
鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。
偶然小学校の同級生の男子と会社で同期となったので、2人で飲みに行った。
当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。
私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。
それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。
何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。
「俺も暴れる問題児だったからお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。
同期は父の教えていたスポーツチームにも所属しシバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもだから……」と言われた。
私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。
かっこよくない。自分の気分だけで人を大声や暴力で威圧することなんて何もかっこよくない。
父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。
誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。
今から何年もの前の中学生のときに、選択給食なんてものがあり、春巻きか揚げ餃子かどちらか好きなメニューを選ぶことができる日があった。
春巻きはそこまで好きではなかったから、私は揚げ餃子を選んだのだが、友達はこう言った。
この会話をした2008年は、ボンビーメン、ごくせん、ブラッディ・マンデイと多くの人気ドラマに三浦春馬くんが出ていた年で、中学生に大人気だった。
それだと、三浦はるまきくんになっちゃうね、なんて言いつつ、私も春馬くんが大好きな1人で、その一言でたいして好きではなかった春巻きが大好きになってしまった(人間って単純なものである)。
それから数年経って、高校生になって、大学生になり、社会人になったが、未だに春巻きを食べる度に春馬くんを思い出す。
しかし、大人になってしまったので、思い出しても言葉に出すことはなかった。
今年の4月の投稿に、春巻きの写真と共に、給食で春巻きが配膳される度にはるまき君と言われていたことが書いてあった。
なんでかって聞かれたら、こう答えよう。
「春馬くんが好きだから。」
順位 | タイトル |
---|---|
17 | ROOKIES 卒業 |
22 | THE LAST MESSAGE 海猿 |
24 | 花より男子ファイナル |
28 | BRAVE HEARTS 海猿 |
29 | LIMIT OF LOVE 海猿 |
34 | テルマエ・ロマエ |
37 | キングダム |
38 | るろうに剣心 京都大火編 |
40 | デスノート the Last name |
55 | ALWAYS 続・三丁目の夕日 |
56 | るろうに剣心 伝説の最期編 |
62 | 20世紀少年 最終章 ぼくらの旗 |
67 | テルマエ・ロマエⅡ |
77 | 信長協奏曲 |
79 | のだめカンタービレ 最終楽章 前編 |
80 | SPACE BATTLESHIP ヤマト |
84 | NANA |
88 | 20世紀少年 第1章 終わりの始まり |
101 | のだめカンタービレ 最終楽章 後編 |
105 | 翔んで埼玉 |
106 | 銀魂 |
113 | 銀魂2 掟は破るためにこそある |
115 | ごくせん THE MOVIE |
118 | どろろ |
119 | GANTZ |
125 | ALWAYS 三丁目の夕日'64 |
127 | 暗殺教室~卒業編~ |
134 | ALWAYS 三丁目の夕日 |
146 | ヤッターマン |
149 | 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN |
152 | L change the WorLd |
155 | 怪物くん |
165 | クローズZERO2 |
166 | 20世紀少年 第2章 最後の希望 |
169 | DESTINY 鎌倉ものがたり |
170 | orange-オレンジ- |
173 | るろうに剣心 |
176 | デスノート |
179 | GANTZ PERFECT ANSWER |
https://entamedata.web.fc2.com/movie/movie_j2009.html
2009年 | |
---|---|
21.5億円 | 僕の初恋をキミに捧ぐ |
34.8億円 | ごくせん |
2010年 | |
41.0億円 | のだめカンタービレ 最終楽章 前編 |
37.2億円 | のだめカンタービレ 最終楽章 後編 |
23.2億円 | 大奥 |
15.3億円 | 君に届け |
2011年 | |
44.6億円 | コクリコ坂から |
13.9億円 | パラダイス・キス |
2012年 | |
25.2億円 | 僕等がいた 前篇 |
21.5億円 | ヘルタースケルター |
18.8億円 | 映画 ホタルノヒカリ |
17.2億円 | 僕等がいた 後篇 |
2013年 | |
17.7億円 | 今日、恋をはじめます |
2014年 | |
24.7億円 | ホットロード |
17.8億円 | カノジョは嘘を愛しすぎてる |
11.7億円 | 近キョリ恋愛 |
11.0億円 | 好きっていいなよ。 |
2015年 | |
24.3億円 | ヒロイン失格 |
23.2億円 | ストロボ・エッジ |
19.0億円 | アオハライド |
16.8億円 | 海街diary |
2016年 | |
32.5億円 | orange-オレンジ- |
26.7億円 | この世界の片隅に |
16.3億円 | ちはやふる-上の句- |
12.5億円 | 青空エール |
2017年 | |
13.7億円 | ひるなかの流星 |
2018年 | |
17.3億円 | ちはやふる -結び- |
12.3億円 | センセイ君主 |
2019年 | |
37.0億円 | 翔んで埼玉 |
嵐のシングル売上を見ると、
https://w.atwiki.jp/orideta/pages/70.html
デビュー時からの勢いが落ちてシングル売上が20万枚前後だった2007年に
「Love so sweet」が売上45万枚とスマッシュヒットしたのが前触れとなり
2008年に「One Love」(55万枚)、「truth」(65万枚)と連続でヒットしてオリコン年間1・2位を独占。
ここがターニングポイントとなって、
それ以降はシングル売上も50万〜60万枚くらいが基本線となっている。
また松本潤が2002年「ごくせん」、2003年「きみはペット」、2005年「花より男子」などで主演。
「ごくせん」と「きみはペット」では楽曲のタイアップが無かったものの、
「花より男子」の主題歌「WISH」と、「花より男子リターンズ」の主題歌「Love so sweet」、
そして映画「花より男子F」の主題歌「One Love」が如実に売れてるので、
ここでかなり知名度を上げたと思われる。
といったあたりが始まる。
そうして2010年代初頭には人気を確固たるものにしていた、という印象。
あとSMAPのシングル売上を見るとちょうど2007年くらいから半減してるんだよな(40万枚前後→15万枚前後)。
https://w.atwiki.jp/orideta/pages/20.html
これについてはSMAPの人気に陰りが出てきたから嵐が取って代わったのか
嵐の人気が出てきたせいでSMAPが落ちてきたのかは分からないけど。
2009年末には「嵐はSMAPを超えた?」的な記事が出ている。
https://www.cyzowoman.com/2009/11/post_1116_1.html
https://www.cyzowoman.com/2010/02/post_1522_1.html