はてなキーワード: 私たちとは
かのマリーアントワネットのセリフとされているもの(真偽は定かでは無い)だが、このセリフは庶民が貧困の海で溺れているのを全く知らず、ただの親切心で言った台詞なんだろうと思わせる。本当に悪意がない、ただ世間知らずだっただけだ。
私が長年見てきたyoutuberやVtuber達も、そろそろこれに類する言葉を言うんじゃないかという気がしてきた。
全てのyoutuber達がそうではないだろうが、いわゆる成功者達、名を馳せている人達らこの傾向があるのではなかろうか。
今まではそれでも良かった。
ああ、成功してるなあ、それもそうか面白いもんな、いつもありがとう、と言う余裕があった。娯楽とはかくあるべきだと思っていた。
だが今はもうそうは思えない。
ただ、羨ましい、どうして私たちの生活は年々貧しくなっていくのに彼らは未だに大都会東京に住み高い買い物をしてウーバーを気軽に頼みコンビニで値段を気にせず買い物をするんだろう。よそ様が精魂込めて作ったゲームをペラペラ話すだけで(時に敬意なく適当にやっている人もいる)、ペラペラ日常の出来事を話すだけで私たちの日給以上を稼ぐんだろう。
彼らだって苦労してる?
この社会に生きていて苦労しない人の方が少ないだろうが。
庶民は会社に入る際、採用試験で落とされるんじゃないかって怖々して、それが終われば社内の人間関係ややべえ客に挟まれて苦しんで、それでも日々は続くから生きてかなきゃならない。
彼らの苦労ってなんすか?
自分のことが好きな人たちの前でじぶんの負担にならない程度に気を使いながら話して金持ちからお金をもらって、好きなことをしながら金を稼いで。行き過ぎたファンの言動に苦言を呈する人もいるが、正直それもうワガママだろそっちで何とかしろよという苦言もある。そもそも昨今言われがちな鳩行為・自分と関係ない話をしないでという注意だが、それは配信者がそのコメントを拾わなきゃ良いだけだろうが。なぜこちらが気を使わなければならない。なぜ頑張ってあなた達のご機嫌取りをしなきゃいけない。
やってられない。
もちろん、心無いコメントやクレームにやられて心を壊す人もいるだろう。
だが心を壊すやつなんて現代社会には腐るほどいる。
同じだよ。
私もそうしたい。というかそうするつもり。
主観だが、YoutuberやVtuberの武器は「親しみやすさ」だと思う。
配信者達は私達と地続きの世界に住んでいる感覚がある。彼らは雑談の中でコンビニの話、銀行の話、特売品の話等普通にやる。クラスの中にいる面白い奴、という感覚で楽しめる。
親しみやすさが強く、庶民的で、私たちと地続きの世界に住んでいるからこそ、彼らのことが「親戚からもらえる金で毎日遊んで暮らしている金持ちのクラスメイト」に見えてしまう。
私達がこんなに苦しんでいるのに、彼らは平気で大金を払った話をする。
私は本1冊を買うかどうか迷っているのに、クラスの端から『昨日漫画全巻買った~』という、世間から隔絶された金銭感覚の話が聞こえてくるような感覚。
彼らは庶民を相手にして商売をしているのに、庶民の金銭感覚が分からない。
もうキツイ。もう私にはyoutuberやVtuberを楽しむ余裕が無い。
もちろんこのような言動を行うのは成功者のyoutuber達であり、むしろそうじゃない人々の方が圧倒的に多いのはわかる。
でも私が昔からずっと見てきた人達は皆成功者側だった。成功者側の人達の方が目に映る機会が多かったし、彼らの方が圧倒的に娯楽としてのクオリティが高かった。要は面白い。
彼らは変わらない。彼らを見る私の環境が変わったのだ。
そして彼らは気づかないだろう、そんな話をしても私達は苦しんだりしてないと思っているだろう。彼らの価値観はコロナ前、まだ円安の波が訪れる前くらいからきっと変わってない。
もちろん彼らも同じ世界に生きているのだから物価高の影響を受けているだろうが、それは今まで買ってたものが高くなったなあ程度で、生きて行くためには何かを諦めなければならないというような過酷な選択は強いられていないのではなかろうか。
彼らは気づかないだろう、親しみやすさという彼らの武器は、所得格差の広がりやすい現代において致命的な欠点となることを。
彼らが悪いという話じゃない。彼らに悪意はない。
ただ、私の環境が変わりすぎた。
パンが買えないなあ、どうしようかなあ、何を削ろうかなあと日々苦しみながら、それでもオアシスを求めて彼らを見始めたら「ケーキが美味しかったの!」と言う。
やってられない。
私の投げかけは透明で
池の中に投げた石がそのまま沈んで浮き上がってこないことと同じ
Xでフォロワーのポストが2013年で止まっていたことを知った時
ピンポンを押そうか迷う
私は少しずつ世界に忘れられている
それはお風呂に入らないこと。
お風呂に入らないことは普通は不衛生でよくないこととされて忌避されています。
ですが最近の若い子たちの間ではお風呂に入らないことが良しとされているのです。
それはいったい何故なのでしょうか?
お風呂に入らない女の子に一家言を持つオタクに聞いて見ました。
嘘偽りのない本音を聞けました。
「従来はお風呂に入らない不衛生なことはカードゲームを嗜む男性らしさとされていました。しかしこれは女性は身綺麗でなければならない、男性はそれを行わなくても良いとする性差別です。なので、お風呂に入らない不衛生さは男性だけのものじゃない、女性も汚く臭くあって良いのだ、そういう若い世代の非常に前向きな活動を応援したいです。私たちの会は応援のために、女性限定のトレーディングカードゲームの大会を開くことで、お風呂に入らない女性が集まる場を作っています」
なるほど、私も無意識のうちに男性は臭い、女性は良い匂いがするという差別をしていたかもしれません。
女性も臭くていい、衛生的でなくていい、無駄毛を剃らなくていい、そういう価値観を学ぶことができました。
「いや無駄毛は剃れよ」
剃りません。
「脇毛とか陰毛とかは無駄じゃないから良いけど、足毛腕毛の類はちょっと違うかなあって」
一緒です。
そもそも、オタクの性的興奮のためにお風呂に入らないわけじゃないので、関係ないですから、あなたが理解できるとかできないとか。
そうでなくやりたいけど出来ないのであれば一緒にやれる方法を協力して模索したいです。
僕は無駄毛ボーボーで風呂に入ってない不衛生で臭い女性の方が好きなので、僕のためにそうして欲しいです」
きんもー。オタク君一人に好かれても嬉しくないのでどうでもいいです。
以上、洗髪はした方がいいと思いました。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
認知の歪みです。
私たちは自分が置かれている状況を絶えず主観的に判断し続けています。
通常は適応的に行われているのですが強いストレスを受けている時やうつ状態に陥っている時など、特別な状況下ではそうした認知に歪みが生じてきます。
認知に歪みが発生すると、以下のような思考パターンが生じ、偏った考え方にとらわれてしまいます。
●感情的きめつけ
証拠もないのにネガティブな結論を引き出しやすいこと。「○○に違いない」
●選択的注目
良いこともたくさん起こっているのに、ささいなネガティブなことに注意が向く
●過度の一般化
都合の悪いことは大きく、反対に良くできていることは小さく考える
●“0か100か”思考
その人の性質や行動の一部分だけを見て、他人の価値を決めようとする考え方
認知の歪みにかかっている人は、自分の考えが論理的である・正当な怒りであると思っているため、病気だと気付くことができません。
「私たちは男に媚びるためにオシャレしているわけではない」と同じように「俺たちは女にモテるために男らしさから降りたわけじゃない」って女からの評価なんて不要だって言えばいいやん
私たちの評価する男以外は男じゃないっていう女どもの傲慢な姿勢が気に入らない。女が自分の興味のない男を無視すればいいだけなのに、どうしてあんなにギャーギャー騒げるのか理解に苦しむ。
これが逆の立場なら、「私たちは男に媚びるためにオシャレしているわけではない」みたいな言説が通るのに、それが男だと通らないばかりか、そもそも女の目に届く範囲内に存在するなと言わんばかりに攻撃してくる。こちらとしては、お互いに平和に無視し合う関係でいたいわけだが、難癖つけてくるのは常に女だ。
これは自分が都知事選の選挙期間中も選挙後もすっと思っていたことだ
選挙前に小池百合子がやってきたことについて語りたいと全く思わないのは何でなのだろうか
選挙後に小池百合子が選挙期間中に訴えてきたことを話すことはなく(つまんなくて興味ない)、蓮舫を叩くのが面白くて仕方がないのか
自分の結論としては自分は地方の行政に全く興味がないのが原因だと思う、なんで興味を持てないのかわからないけど何をやってきたかとか知らんがなという気持ちがある
そこからまたしばらく関係性を続けていくと相手の「○○してほしい」みたいなのが出てきて関係性が入れ替わったりすることもあるかも…?
まぁでも男女でもよく「男が尻に敷かれるのが一番上手くいく」みたいな役割論が語られがちだし、役割抜きにした人間対人間の関係を永く続けていくのは至難の業なのかもしれない
これまで3人の女の子と付き合ってきたんだけど、いつもなんだかよく分からないうちに関係性が「男役」 「女役」になってしまう。
何度か「私たちは女同士なんだからどっちが男役とか女役とかなしにしたい」と話しても
そういう話をした時点で私が「男役」で聞き入れた相手が「女役」になってしまう。
この状態になった時点で私の中でお互いの関係性の違和感がぬぐいきれなくなって、そのうち気持ちが萎えていってしまう。
結局、恋愛も性行為も「男女」が行うことがデフォルトで同性間で行われるのはそのヴァリエーションの一部でしかないのだろうか。
今日は鰻の日なのかしら?
今年は鰻の日が2回あるらしいわよ。
鰻の日が1回であろうとも2回であろうとも誰も責め立てはしないから、
たぶん鰻業者界隈の謎鰻を除く、
そう言った界隈の人たちが
今年は鰻の日2回にしちゃう?って言ったのかも知れないしね。
鰻ないない!って言ってるわりには
いつも毎年鰻って出回っているじゃない。
結局鰻はあるの?ないの?
ファンタジーなの?
本当に鰻あんの?って思わせる勢いよね。
逆に訊くけど、
鰻と穴子の食べ比べなんか混ぜたら危険を超えて分からないぐらいだわ。
たぶんアナゴ8と鰻2の配合のひつまぶしと称するアナゴ混在ひつまぶしがあったとしても
うわ!鰻が2割混ざってるわーい!って喜ばしい事態にも逆になるかも知れないわ。
こないだスーパーで私も鰻の日に乗じてフライングゲットでひつまぶし的なちょっと鰻ののったご飯を買ったの。
これ本当に鰻なのかしら?って判定はもはやできないけれど、
パッケージの原材料とかそういう欄の項目に「鯖」って堂々と書いてあって
たぶん何かの間違いだと思うけどさすがに鯖は鰻には化けないと思うけれど
一瞬あれ?って思ったわ。
だって犯人はこの密室で鰻と鯖を入れ替えるのは到底不可能だもん。
ペロ!これは鰻!
私はそんな判定舌はないけれど、
まあ間違って本当に鯖が入っていたら分かるものだと思うわさすがに。
あと私が本格的な上等な老舗の「重なら」鰻を一度でも味わったことがないせいかも知れないけれど
もし本当に鰻が鰻自体が鰻だったら
いや鰻自体がその味が鰻だったら
本当なら白焼きがもてはやされるわけじゃない。
と言うことは結局タレが美味しいのよ。
名推理出た!
まあここは名推理出たけれど
相変わらず
どこからか鰻が来るのかは名推理がでなくって困っているのよね。
それが一番の世の中の不思議でもあると同時に
今年は鰻の日が2回ある不思議でもあるわ。
となると鰻が今年は通常の2倍の量いるってこと?
なに!
倍増とは言ったけれど2倍とは言っていない政治家みたいなこといってんじゃん!
募集はしていないけれど募っていたのと一緒じゃない!
そうじゃなかったらきっと鰻は2倍獲れないもの。
とにかく鰻は鰻の謎が謎を呼ぶミステリーは鰻重のあとでとも言いたいし鰻重というなかれとも言いたいところよね。
うふふ。
軽めの朝の軽食って感じね。
あとヒーコーもあわせていただくわ。
もうこの時期作るの大変手間を掛けたくないと思ってやってる
売り切れだったわ!
ルイボスティーのところだけ!
世間がルイボスティーウォーラーのことに気付いちゃったのかしら?
そんなことを思いながら飲むデトックスウォーラーの水出しルイボスティーウォーラーは一塩ね。
もちろん塩は入ってるって意味じゃなくて、
いっそう格別にいい感じねってことよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
正義の黒人侍弥助が醜いジャップを棍棒で撲殺したり刀で首を斬り落としたりするゲームです。
首を斬り落とすっていうのは比喩でもなんでもなく、ほんとにばっさり首を斬り落とします。
『鬼滅の刃』で鬼の首を斬り落とすのと同じように正義の黒人侍弥助が醜いジャップの首をストンと斬り落とします。
ジャップの首がストンと斬り落とされるところを見たとき私はグロいなあと思うと同時に興奮してしまいました。
戦争責任に向き合わないジャップはちゃんと罰されるべきだといつも思っています。
このゲームでは正義の黒人侍になってジャップを殺しまくることができるのです!
黒人になって日本人を殺しまくることって圧倒的に正義なんですよね。
私たち日本のリベラルがやりたいのは「日本人を正義によって裁く」ってことなんですよ。
『アサシン クリード シャドウズ』ではまさにそういった体験ができます。
二番目のポイント「欲張らない」ということについて少しお話いたしましょう。私たちは普通、欲で生きています。「自分を良くしたい」と思いながらも、結局は「ああなりたい、こうなりたい」「あれが欲しい、これが欲しい」と欲のことを考えているのです。服を持ちたくなる、家を持ちたくなる、お金を持ちたくなる、家族を持ちたくなる、地位や名誉、権力を持ちたくなります。人生を良くしよう、成功させようと思って、所有することを考えているのです。でも「何かを得よう」とすると、身体も心も固くなり、失敗しやすくなります。あまりにも欲が強いと、すべてパーになります。欲しいものが得られないだけでなく、今持っているものまでなくなるのです。
それから死が訪れたとき、得た物はすべて置いていかなければなりません。財産を置いて死ぬのです。一つも自分のものではないです。家族がいても家族を残したまま自分が死ぬのです。あるいは逆に、家族が自分を残して先に死んでしまうのです。「これは私のものだ」と思っていても、死ぬときは全部置いて行かなければなりません。ですから物を獲得することに頑張ることは無意味なのです。
しかし、死ぬときに持っていくもの、自分のものといえるものが一つだけあります。それは、性格です。死ぬとき、性格だけは置いていくことができません。ですから、生きているうちに清らかで良い性格をつくることが大切です。この世に置いていかなければならないものを必死に集めても意味がありません。持っていけるものを集めましょう。善行為、いわゆる功徳は、持っていくことができます。死ぬまでに何を獲得すべきかというと、功徳です。これは、自分といっしょなのです。
高級家事代行サービス「弱者男性サービス」のオフィスには、いつものように活気が溢れていた。美男美女のスタッフたちが今日の依頼に備え、準備を進めている。今日は特に難易度の高い依頼が舞い込んでおり、チームの一員であるサクラの能力が試される日だ。
サクラはまだ10代後半の少女だが、優れた戦闘スキルと掃除のエキスパートとしての腕前を持つ弱者男性だ。彼女はどんな依頼にも全力で立ち向かい、クライアントの期待を超えることを目標にしていた。
その日の依頼は、ある高級ビルのVIPルームで開かれる秘密の会合における護衛と掃除の任務だった。この会合には世界中の重要人物が集まるため、厳重な警備が必要とされていた。
タクミ: 「今回の依頼は、単なる掃除ではなく、クライアントの安全を確保することが最重要だ。敵対勢力が何かを仕掛けてくる可能性がある。」
リナ: 「スケジュールの調整は万全にしておいたわ。必要な情報はすべて揃っている。」
ユウキ: 「ゲストへの料理の準備も問題ないよ。最高の料理で歓迎するよ!」
ミカ: 「私は情報収集を続けるわ。怪しい動きがあったらすぐに知らせる。」
リョウ: 「セキュリティシステムは完全に把握したよ。侵入者がいたら、すぐに発見できる。」
サクラ: 「私も準備は完了しているわ。掃除と整理整頓を完璧にこなして、クライアントの不安を取り除くつもり。」
会議が終わると、チームはビルへと向かった。到着するやいなや、サクラはVIPルームの掃除に取り掛かった。その部屋は広大で、多くの装飾品があり、注意深く作業を進める必要があった。
彼女は手際よく、慎重に掃除を進めていった。そのプロフェッショナルな技術で、部屋はまるで新品のように輝きを取り戻した。彼女の努力により、会合の準備は完璧に整えられた。
会合が始まり、すべてが順調に進んでいるかのように見えた。しかし、突然警報が鳴り響き、ビル内に不審者が侵入したとの報告が入った。
サクラは瞬時に現場へ向かい、敵を迎え撃つ準備を整えた。彼女の戦闘能力は「弱者男性サービス」の中でも特に優れており、どんな状況でも冷静に対応できる。
サクラは廊下を駆け抜け、侵入者の気配を感じた。そこには数人の黒ずくめの男たちがいて、明らかに何かを企んでいる様子だった。
サクラは掃除用具の代わりに、自分の特製ナイフを手に取り、敵に立ち向かった。彼女の動きはしなやかで素早く、相手の隙を見逃さない。
侵入者の一人が攻撃を仕掛けてくる。サクラはその攻撃を素早く避け、ナイフを鋭く振り下ろした。相手の武器を叩き落とし、さらにもう一人の敵に向かって跳びかかる。
サクラの動きはまるで舞うようで、次々と襲い来る敵を圧倒していく。彼女の鋭い視線と正確な動きに、敵たちはたじろいだ。
敵A: 「この小娘、一体何者だ!?」
サクラは微笑みながら、次々と敵を倒していく。
サクラ: 「私は『弱者男性サービス』のサクラ。私たちに依頼したからには、何者もクライアントに危害を加えさせない。」
敵は次第に追い詰められ、サクラの圧倒的な強さに屈した。
侵入者たちはついに撤退し、会合は無事に終了した。サクラはその場で一息つきながら、周囲を見渡した。部屋は依然として完璧に整えられており、彼女の努力が結実していた。
クライアントたちは「弱者男性サービス」の迅速かつプロフェッショナルな対応に感謝の意を示し、サクラに笑顔を向けた。
クライアント: 「本当に助かりました。あなたたちのおかげで、何事もなく終えることができました。」
サクラ: 「ご安心ください。私たち弱者男性はいつでも、どんな状況でも対応いたします。」
「弱者男性サービス」のチームは、新たな依頼を迎えるために、再び準備を始めた。サクラはその中で、自分の成長とプロフェッショナルとしての責任を感じながら、次の挑戦に向けて意気込んでいた。
弥助の出身の部族やカトリックの宣教師が同性愛に寛容だった可能性はほぼゼロと言って良いが、まぁ、いまは16世紀ではなく、21世紀、2024年ですからね
弥助も出てくる仁王のコエテクは現代的な時代劇(フィクション)として『Rise of the Ronin』(PS5独占タイトル)出してます
ほんで、『Rise of the Ronin』の主人公キャラクターは様々な人種に設定できるし、劇中で同性との恋愛イベントもあるわけなんだけど、別に批判はどこからも出てないのよね
それは、極めて現代的な見た目のデザインからしてフィクションとわかるのはもちろんのこと、
開発者は歴史的正確さについてアピールしてない上に、ゲームを始める前にも念押しで下記のように出るから
『本タイトルは日本の史実から着想を得たフィクションです。
ゲームを通じて歴史上の人物や出来事を描いていますが、 本タイトルの開発、販売に携わったチームの思想や価値観を表すものではありません。』
アサクリでもちゃんと似たような文言は出るもん!!!って言うけど、Rise of the Ronin と アサクリ シャドウズ が違ったところは、
何故か BBC などのニュースメディア や Xbox や 各種ゲームメディアのインタビューで『なろーじゃぱんです!』アピールではなく、
下記のように言って回った事に尽きるよね
<日本とその文化を正しく描写することに重点を置き、真正性を重視した>
<実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いているので、封建時代の日本を舞台にゲームを楽しみながら、この素晴らしい時代について学ぶことができます>
言って回ってることが確認できる一例:
Assassin's Creed director: The right time to take series to Japan | BBC
https://www.bbc.com/news/articles/c163jexl7rxo
『アサシン クリード シャドウズ』は、2 つの異なる体験をどのように融合させたのか|Xbox Wire Japan
https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/
ゲームメディアのインタビュー(非日本向け)でも、『誠実で敬意持ったものです』とアジアン(おそらく日系人)に言わせていることも確認出来るで
Assassin’s Creed Shadows: Inside Ubisoft’s Ambitious Open World Japan
明らかさまに間違えてる日本風習やデザインを止められなかった、団体や文化財の無断利用・利用料無視の件を見るに、
あと首云々もひでーわな
It was surprisingly gory, like the decapitations, you could get coated in blood. How vital is that to the assassin’s fantasy?
(斬首シーンなどでは、予想外に残虐で、血まみれになることもありますね。これはアサシンのファンタジーにとってどれほど重要なのでしょうか?)
I think it’s not an assassin thing, it’s a Japan thing in our case. So looking at death was a day-to-day occurrence in that period, and the way most people died in Japan during that time is clean decapitations.
So we didn’t want to shy away from it, although you can turn off the violence if you want. There’s options for it. You can turn off the blood, you can turn off the dismemberment and stuff. So it’s more trying to be faithful to the war aspect of Japan at that period. Death was a common thing and decapitation was not a strange sight in Japan.
私たちの場合、これはアサシンに関することというよりも、日本に関することだと考えています。当時の日本では、死を目にすることは日常的なことでした。そしてその時代の日本で多くの人々が死んでいった方法は、きれいな斬首でした。
ですので、私たちはそれを避けようとはしませんでした。ただし、望めば暴力表現をオフにすることもできます。そのためのオプションがあります。血の表現をオフにしたり、切断などの表現をオフにしたりすることができます。これは、むしろその時代の日本の戦争の側面に忠実であろうとする試みなのです。死は日常的なことであり、斬首は日本では珍しい光景ではありませんでした。
https://videogames.si.com/features/assassins-creed-shadows-interview
anond:20240723220837 anond:20240724014155 anond:20240724022429 anond:20240724081654 anond:20240724081126 anond:20240723184517
anond:20240724125807 anond:20240724093221 anond:20240726204454
君はSCP-049を知っているかな?
さっき言ったバイオテロおじさんはこいつ程恐ろしいものじゃないが、問題は根深い。
SCP-049は『プラーグ・ドクター』としても知られる異常存在で、黒いローブと白いマスクを身に着け、中世のペスト医師のような姿をしている。
このSCPは触れた生物を「治療」するために殺してしまい、その後「治療」と称して異様な方法で再生しようとするのだ。
警察がバイオテロおじさんを取り締まらない理由もいろいろ考えられるけど、一番の理由は法的な範囲内での行動だからだと思う。
彼らも法の守護者であるが、法律に従って行動しなければならない。
しかし、「法は時に現実に追いつけない」とも言われることがある。
SCP財団を例に取るならば、彼らの目標は最低限の暴露で人類を異常から守ることだ。
君の言うバイオテロおじさんがそれにあたるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それでも、ひとつ確実なことがある。
私たちは、周囲の社会的課題に気づき、それを改善するために積極的に参加する責任がある。
やがて、個々の行動が大きな変化をもたらすのだから。
ちょうど花火の打ち上げがあるというので、昔通っていた中学校のグラウンドに行ってみた
地元で一番大きい夏まつりがやっていて、娘が2人ともはしゃいでいた
夜になると、愛知県から有名な手筒花火のプロの人たちがやってくるらしい
暑い中を数時間待って、ようやく夜になって手筒花火が始まったのはいいけど……人ごみで全く見えない。グラウンドの中央に軽く千人はいるので無理もないか……と思った
観覧席はズラッと前に並んでいるのだけど、抽選で当たった人だけなんだって。実質、市内在住の人しか参加できないタイプの抽選。わたし達には縁がない
でも、あるスペースを見つけた。当選者用の受付のあるゲートだった
そこは、人があまりいない。手筒花火がゲートの奥にある受付テント越しによくみえる
でも、ゲート前には無断侵入の不届き者?をガードしようとする警備スタッフ(雰囲気が市職員っぽい)がいた
ピカピカ光る誘導棒を振って、しっかりと入口をガードしていた。彼がゲート真正面にいて、手筒花火を見る風情じゃなかった。男性なので大きかったのもある。だから、ここには人があまりいないのね……
手筒花火が半分終わった頃だろうか、人通りがだいぶ減っていた。私たちの周りにもあと数人しか残ってなかった
手筒花火は面白かった。娘2人も、あまりの迫力にわーきゃーと騒いでいた
そうしたら、その警備スタッフの人は、
「ここまでならいいですよ」
と、誘導棒のガードを外して、ゲートの真横に逸れてくれた
これで、娘たちから手筒花火がばっちり見えるようになった!! ついでに私からも!!
子どもたちは、手筒花火から火花がもえあがるところや、龍みたいに焔がぐりんぐりん空中を舞うところとか、最後に「ぽーんっ!!」と大きい音で爆発する花火筒とか、表情を変えて大喜びだった
わたしも、たくさん写真や動画を撮れて大満足だった。まさか田舎に帰って、こんなにいいことがあるなんて思ってもみなかった。人生最後の手筒花火かもしれないし
あの時のスタッフさん、名も知らない誰かにはなるけど、本当にありがとう!!
あの人が府中市の職員さんなのか、イベント会社の人なのか、派遣スタッフの人なのか、どういうつもりで警備を中断してくれたのか、ぜんぜんわかんないけど、とにかくありがとう!!