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2024-11-21

じゃあインボイスも騒ぐことないじゃん。

玉木の不倫で「誰かが不倫したところで私たちには影響ないから騒ぐことじゃないよん」と

意見があったが、自分関係ない=悪では無いと

なぜそう判断するのか。

ではなぜあんなにインボイスは騒がれたのか?

私は会社員をやっているが、インボイスが導入されたところで全く問題ないが?

これに関しては保険証廃止もそうだろう

保険証の又貸しが出来なくなる?もうマイナンバーカード持ってるし自分には関係ないが?

ていうかこれが問題ない→「不倫しても仕事をまともにしてればいいんだ」とおっさん解釈

→望まない妊娠が増える

てことも考えられるんだが?

オルゴール堂の理想私たちは、オルゴールによって「ひとの想い」を繋ぎます

オルゴール堂の現実育児したいなら退職すれば」

2024-11-20

自分投票することで政治が変わると思っている奴は馬鹿だと思う

「一票を投じたとて政治に変化をもたらすことは不可能であり、にもかかわらずなぜ大勢の人が選挙に行くのか?」と疑問を呈したのは大学政治学者で、要するに自分の一票が物事を決める状況というのは、他の票が奇麗に分かれているときに限られる。例えば一万票と一万票といった状況で、自分投票したほうが勝つ。なんて状況だが、そんなものが稀であるのは説明するまでもないだろう。

実際、ほとんどの場合選挙結果は圧倒的な差で決まっているわけで、選挙の結果を見てみても自分の一票が果たす役割ほとんど無いといっても過言ではない。

それでも、なぜみんな選挙に行くのか?

この問いを深く掘り下げてみてほしい。するとその答えが一つ見つかり、結局「自己満足」に行き着くことだと気づくはずだ。

例えば、ガーシー氏が当選した時、「そもそも民主主義って機能してるのか?」という議論が一瞬だけ広がった。けどその議論はすぐにフェードアウトして、誰も本質的なところまで突っ込んで考えなかった。民主主義が本当に機能しているのか? 投票という行為自体が、今の政治にどう影響を与えるのか?それを考えることがなかった。なぜなら、そのほうが楽だからだ。無責任選挙に行って、「自分政治を変えたかもしれない」なんて錯覚に浸っているほうが、楽なんだよ。

そして、この「自己満足」の仕組みがどれほど強力か。

投票をした自分安心感を与えてくれる。やれるだけやったという一種の達成感を与える。それはパンとサーカスのようなものだ。

人々が目の前の娯楽に満足し、生活が豊かに見えたとしても、その背後で本当に大切なことが進行しているのを無視してしまう。それと同じように、投票という行為も、私たちが本当に求めていることから目を背けさせ、無理に心を満たすための手段に過ぎない。

実際、投票によって政治が本当に変わるかなんて、ほとんど期待できない。

政治が変わるためには選挙だけではなく、もっと深いところでの戦いが必要なのは誰もが分かってはいるはずなのに何もしない。

要は皆、夢を見ているだけなんだよ。

投票あくまで「自己満足」のためのもの。少なくとも、政治を変えるための本当の力にはならない。それを理解せずに、ただ「自分選挙に行って投票たから、何かが変わるはずだ」と信じ込むのは、正直、救いようのない馬鹿だと思う。だって投票したところで、実際にはその一票が何かを変えるわけではないから。政治を動かすためには、もっと強い意志と行動力が求められる。選挙だけで解決できる問題なんて些細なものしかないんだ。

そしてその些細さは、そもそも投票せずとも解決できたかもしれない問題なんだ。

結局のところ、選挙に行って投票することで「自分はやれるだけやった」と満足することは、ただの幻想に過ぎない。

政治は変わらないし、そんな幻想に浸ることで、我々は本当の問題に目を向けることなく、満足してしまう。

まり政治の変化を本気で望むなら、選挙で一票を投じる以上のことをしなければならない。

そのことを真剣に考えたとき、「投票政治が変わる」という信念は、単なる幻想に過ぎなかったのだと気づくべきだ。

それでも気づかずに、のうのうと、今でも投票することで政治が変わるなんて本気で思っている奴は、救いようのない馬鹿だ。

そう、だから政治は救わない。

彼が私で勃たない

自己紹介

20代半ば 女 会社員

年代男性交際している。

お互いとある事情(幼少期の経験に起因するもの)ゆえに恋愛市場に参入することなく生きてきたため、そこそこいい歳ながら2人とも初恋人で童貞処女

・本題

付き合い始めてそろそろ1年、何度かそういう機会はあったものの、未だ最後までいっていない。

セックスというのはいわゆる本番行為だけを指すのではないのだという言説を汲むならばセックス自体はあるけど、それはさておき本番行為したことはない。

お互い交際経験も性経験もないためある程度のグダグダ覚悟していたものの、そろそろ辛くなってきた。

とりあえず最大の課題は彼が機能しないこと。

ただ、朝立ちはするし性欲はあるそうなので、身体には何ら問題はないはず。

まり……と考えたときに一番最初に思いついた可能性があまりにショックだったので、私はなんとかそれを否定する材料が欲しくて、あれやこれやと調べまくった。初めてだから、不慣れだから、初期こそそういう理由なのかもしれないと納得して自分を落ち着かせていた。

問題を受け入れたのはつい最近

彼は重度のオタクなので、自己処理の際はそういう同人エロ漫画を使っている(とわざわざ教えてきた)。

まり彼は、生まれてこのかた生身の異性と親密な接触をする機会がなく、エッチもの=画面越しに見る二次元ポルノという限界オタク人生を送ってきたので、性的興奮が二次元と紐づけられてしまっている。脳の報酬系フィクション特有過激表現に慣れて麻痺している。

胸がスイカ並の大きさでもないし揉んでも乳首つねってもひんひん鳴かない、その上潮も吹いてくれない女体では刺激が足りないんだろう。私だってそう。男性はそういう場になればなんだかんだギンギンになるものだと思っていた。現実は全く違ってがっかりしなかったというとウソになる。

ネット簡単摂取できるあれやこれと比べて、現実は手間がかかるくせにリターンが薄い、面倒なだけで割に合わない、同人誌でシコるほうがコスパ良いじゃんなにこれ、みたいな感覚が大なり小なりあるんだろうと思う。

からお互い、性欲を向けるべきは現実の異性ですよ、と回路をつなぎ直す作業時間をかけて行わなくてはいけないんだと思う。

おそらく今の私たちはずっとその作業をしてはいるが、実を結んでいない状態ということになる。

私はこれがそろそろつらくなってきている。限界に近い。

雰囲気作らないととか、生理から無理とか、妊娠可能性とか、生身の人間はとかく考えなければならないことが多い。思い立ったらすぐにドエッチものアクセスしてシコれる世の中、エロさと都合のよさで絵に勝てるわけない。わかる。

真昼間からTwitterを眺めてエッチな絵にいいねしている彼氏を見てそう思った。いつも通り勃たなかった夜の翌日のことなので、結構深刻に落ち込んだ。

そこそこの時間を彼の恋人として過ごしてきたはずの、その瞬間だって隣にいるはずの私は、彼のTLに現れた行きずりのスケベイラストにも劣る存在なのだ、と実感して非常に惨めになった。

しかし、そういう理由で悲しんでいる、腹が立っている、つらい……などと伝えるとプレッシャーがかかって余計に勃たなくなるという話を見かけたし、最悪ローションでもなんでも使える女側と違って、男性にとっては非常にデリケート問題なのも理解できる。

から彼には「そう簡単にうまくいかないよね」「焦ることでもないからいいよ」と言っている。彼はそれで安心してくれているのか、私のようにもうしたくないという気持ちにはなっていないらしく、泊まりのたびに誘ってくる。

しかし毎回失敗する。ピクピクくらいはしてたこともあるけど、本番行為に耐えうる強度を持ったことはない。彼はきっとEDに分類される。

本人も自覚はしているらしく、禁欲したり何も見ずに抜いたりするようにしないといけないんだろうな、と言いつつ全然シコっている。この間も即売会に行ってネタ仕入れていた(彼の友人から聞いた)。自分意志でやめられない様子を見るにポルノ依存もあると思っている。

胸やら腹やら腿やらを触られてもせいぜいくすぐったがるだけの私を見ながら、決まって「同人誌とは違うね」「あれはフィクションだってわかってたけど」と毎回、少し残念そうに言う。

私が彼の好みの二次元キャラクターなら、あるいは全身開発済みの経験豊富ドスケベ女性なら、私が私でなければこんなことにならなかっただろうか。

こうして惨めな気持ちになっているのは私だけなんだろうかと気持ちをぶつけたくなることもあるけど、内心彼も焦っているのだとしたらと思うと、尚更こんな話はできない。

でもたぶん焦ってないと思う。彼女と隣り合って寝っ転がりながらエロイラストいいねする図太い人間なので。

下着を変えたり、肌の手入れを更に入念にしたり、私のほうから触ったりしてみても、特に変化はない。◯ちゃん(私)は魅力的だし、触れ合ってるとムラムラはする、頑張ってくれて嬉しいしかわいいとは言ってくれるけど、そう言う割にはあまりにも身体が裏腹なのでそろそろ訝しみそうになっている。

二次元がどうとか関係なく、根本的に私に色気がないだけなのかもしれない。私も私に色気は感じない。磨いても磨いても出てこない。

最近は彼が漫画アニメの好きなキャラの話をしているのを聞いているだけで、人の気も知らずにオカズの話をしてくるなんて……という憎しみすら湧いてくる。なんなら気持ち悪い。そんなことを考えてしま自分への嫌悪感、魅力のなさへの劣等感が強くなっていく。

毎回試みて毎回ダメで、そのたびに自尊心が削れていくので、いっそそういう時間をなくしたい。なんなら別れて楽になりたい。そんなふうに思うときと、これ以上諦める人生を送ってたまるかと思うときがある。

彼はこんな私を可愛いとか好きとか言ってくれて、悩みや不安真剣に向き合って考えてくれて、いつだって信じられないくらい優しい。こんな状況なのに、結婚に向けて互いの親に歓迎されるような形を選ぼうという話を具体的にしてくれる。

彼にとって「彼女とできない」ことは特に問題ではないらしい。同人誌に劣るほど性的価値がなく、色気がなく、勃たない、ヤレない女が結婚相手でも構わないらしい。

きっと彼は私のことを好きでいてくれているんだろうし、私も彼が好きだ。

彼にはとても良くしてもらっていて、たくさんの優しさをもらっているのに、それだけでいいと思えない自分は醜く浅ましいと思う。

でも好きな人に抱かれてみたい。好きだから。この状況に傷ついていないと思われているなら辛い。

もしこのまま何もできないまま結婚したとして、配偶者では興奮できずインスタント過激同人誌でシコり続ける人と人生を共にすることになるとしたら、すごく辛い。

男ひとり興奮させることもできないポンコツのくせに性行為に執着する自分が惨めになる。最近は会いたくもない。私ばかり励まして、向き合おうとして、バカみたいだ。

彼はもう同人誌と結婚して一生シコってればいいと思う。それが幸せなんだろうから



追記

お前の器量の悪さを男のせいにするなと言われるものと思っていたので、改善点についてコメント頂けるのが嬉しいです。取り入れていきますありがとうございます

彼は得難い存在で、私はセックスよりも大事ものを既に手に入れた上尚駄々をこねているだけだとは思います。こんなことで悩めている現状すら幸せなはずです。

オタク同士という共通点もあって交際に至ったので、彼がそれを楽しんでいること自体に不満はありませんでした。今は、同人誌だとエロ画像だとああでこうで、という話を私にしてくるのはやめてほしいなとは思っています

性格が悪いですが、これを提案することで私の心境が少し伝わるかもしれないという点で「エロ同人読ませながら行為に及ぶ」はありだと思いました。

鶏、豚、牛というスタンダードな味

私たちは鶏、豚、牛を食べ過ぎて、あの味に慣れすぎてもうあの味が肉のフォーマットスタンダードになってしまった

羊肉を食べた人が味の中に羊くさいだの、臭みがあるだの言うが、

食べなれた牛や豚ではないのだから普段馴染みのないヤギの風味が口の中でフワッと広がっただけで、嫌悪感を感じるんじゃねーよ

それがヤギの味、ヤギらしさなんだよ

ヤギの肉を食べておいてヤギの個性否定するんじゃねーよ

私はヤギの肉を食べたりヤギ乳を飲んだときに、ヤギの味がしたときは「キタキタキタヤギだーーーッッ!!」って興奮するよ

魚だったらタイだろうがマグロだろがうなぎだろうがサバだろうが多様性を受け入れて食べるのに

肉になると牛、豚、鶏以外に嫌悪感をしめす奴らほんとなに???

あと犬の肉を食べるの中国禁止になったのが、人間があまりにも身勝手過ぎて笑える

なんで、牛、豚、鶏は好きなだけ食べれるのに犬は残酷って人間基準意味わからん

おいしくて、安全な肉なら犬でも猫でもウサギでも食べたらいいんだよ

anond:20241120110320

増田です。

友達への好きと彼氏彼女への好きって似たようなものなんだ。人を好きになったことがないから全部友達としての好きだと思ってたけど、もしかしたらそこに性欲が加わってたらそれが恋愛になったのかな。でも友達に性欲って湧かなくない?それも人それぞれか。

 

友達から恋人へのステータスチェンジはよくあることだし、だから私があの時告白に応えていたらただのハッピーエンドだったんじゃないかなと思ってる。

私の良くなかった点としては、相手も私と同じく恋愛ができない人なんだと思い込んでいたところが大きいと思っていて、暗黙のルールはある上で、私たち恋人を作ることができない者同士だからその規範から外れていると思い込んでいた。ここが特に男女関係に対する考え方が幼かったなって思う。整理してくれて参考になった。ありがとう

2024-11-19

筒井康隆朝のガスパール』を読んだ

先日の土日にて読了

やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である

いや、メタ的というより、メタのもの作品主題といったほうが正確だろうか。

読者を小説の中に引き込み文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆80年代に書き上げた、いわば小説のもの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。

あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。

冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。

物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。

そして、そこには作者と読者の境界曖昧になる仕掛けが満載されている。

章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。

その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。

感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。

しか現代の目で見ると、どうだろう。

こういった作品現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。

要は安価に応えるSSだ。

そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブ物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代ネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。

それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。

筒井康隆文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説のもの存在意義を問う仕掛けになっている。

そして、これが面白いのは、その仕掛けが自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。

たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。

それは小説登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。

その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタ構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?

まり筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。

それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。

このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタ言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。

ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造意識する形で展開していきたい。

最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。

それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。

今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。

そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなた脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。

でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなた意識に波紋を投げかける。それがポジティブものであれネガティブものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?

ここで気づいてほしいのは、この文章のものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章あなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。

そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在あなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考あなたの中に入り込んでいるのだから

もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車スマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たち出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味解釈する。それは、私の言葉あなたに届くことで初めて成立する行為だ。

ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。

──だからこそ、ここで握手をしよう。

これを読んでいる「増田」という名のあなたに。

読者として、いや、このメタの一部として。

ありがとう。そして、また。

どうか健やかに

絵師私たちがどれだけ時間をかけて描いてると…」

あ、あにょ〜…生成AIも、西暦で考えただけでも2000年以上の時間と、膨大な数の人間の知恵によってようやく誕生した技術なわけにゃんですけど…😿

anond:20241119163834

増田です。

『ぬいペニ』って聞いたことあるけど意味がよく分かってなくて、調べたらまさしくこういう状況のことなんですね。「友達でしょう」と断るのは問題の先送りにしかならないし、その時点で関係破綻しているのだから良くないとも書かれていて、私の返事は良くなかったんだと改めて思った。もっと早く調べれば良かった。

お互いの話をしていく中で私は人と付き合ったりすることができないって話もしたことがあって、その時は俺も同じだって同意してくれてそういうところでもシンパシー感じたり、だからこそ趣味時間割けるし独身でもこのまま人生楽しめるんじゃないかって話をしてたんだけど、いつから違う道を歩いてたのか、ただ元から合わせてくれていただけなのかは今となっては分からない。

 

 

数年友達として接してきて本当に良い人だったんだよ。だからその数年があの1日で全て嫌な思い出になってしまうのは悲しくて。でもじゃあ他の人にもし同じことをしたら?って考えたらそれは絶対に許せないし、あの行為フォローできない。

 

でも今でも嫌いにはなりきれないというか、されたこ自体もショックだけど、それ以上にあれだけ親しくした人を失ってしまった寂しさもあって。

 

でも、私が馬鹿だっただけで全部嘘だったのかもしれないって信じたくないから色んな言い訳を考えてるだけかもしれない。だから私たちはあの時楽しいって気持ちだけで、親友だった期間がちゃんとあるよねって思い込みたいだけかもしれない。

結婚報道が出るたびに思う

結婚報道って「私たち変態セックスしてまぁす」宣言だと思うんだ

フェラしたり乳首舐めは当然してるだろう

つん這いになってちんちんしごきながらクンニもしてるよな

掃除フェラとお掃除クンニを同時にやってお掃除69もしてるよね

正常位でガンガン突かれてベッドの上のところで頭ガンガンぶつけて痛がってるかもしれない

童貞のぼくに対するマウントだよ

いいなあ中出し

2024-11-18

いい加減、立憲共産課題設定が間違ってるって気づけよ

はてブパワハラ一本で戦えると思い込んでるけど

テーマ設定を根本から間違えてるの衆院選と同じ大敗したパターンじゃん。

衆院選では市民の声を聴いてれば常識的理解できる「経済」を一番重視するに決まってるから

自民の受け入れ先で国民民主が多く選ばれ伸び悩んだ。

一方はてブ極左バカ洗脳されて「裏金」 「統一教会」でいけると勘違いしてて立憲共産エコチェンバーに飲まれて伸び悩んだ。

兵庫も同じようにパラハラ一本足で行けると勘違いしてエコチェンバーの誤った課題設定をした。

県民は当然それ以外も見て重視する内容が違うのは当たり前で

60代以下、斎藤氏が上回る 告発文書問題「重視」9%

https://nordot.app/1230859205733745222

<政策公約」が39%と

ふつう重視するのは当然こっちだよね。

いい加減、偏ってるのはお前らの方だって自覚しないの?

目覚めて正しいのは私たち! 目覚めてない愚民が悪いって終わった考え方してるから一生勝てないんだお

anond:20241117213352

anond:20241118081407

一応可能性として考慮しなきゃいけないと思うんだけど、私たちはてなユーザーの方が間違ってる可能検討しなくちゃだよ…。

2024-11-17

情報信頼性判断する際、私たちは思いがけない認知の罠に陥ることがある。その顕著な例が、AI生成情報評価における逆説的な現象だ。

AI生成の情報は、それと明示されている場合、多くの人々から低い信頼性評価を受ける。これは一見健全懐疑主義のように見える。しかし、同じ情報人間を経由して伝えられ、その出自が明らかにされない場合私たちはそれを驚くほど高く評価してしまう。この現象は、人間認知システムに深く根ざした複数特性が重なり合って生じている。

まず、私たちには権威への根深服従傾向がある。専門家有識者として認識される人物から発信される情報は、その内容の本質的価値とは独立に、高い信頼性付与されやすい。これは進化過程で獲得した、経験者の知識を重視する適応的な特性が基盤となっている。

また、党派性の影響も無視できない。私たち無意識のうちに、自分所属する、あるいは共感する集団の成員から情報を、より信頼性の高いものとして受け取る。この傾向は、情報出自AIであることが明かされないケースでより顕著になる。

さらに、同調圧力が状況を複雑にしている。ある情報社会で受け入れられ、多くの人々が信頼を示し始めると、個人はその流れに逆らうことが心理的に困難になる。これは集団での生存を重視してきた人類社会本能とも言える。

認知バイアスも重要役割を果たす。人々は一度受け入れた情報出自を徐々に忘れていく傾向がある。情報源の記憶が薄れると、人々は無意識のうちにそれを信頼できる人間から情報として再構築してしまう。これは確証バイアスとも結びつき、いったん信頼性確立された情報は、その信頼性を強化する方向で処理されていく。

対面コミュニケーションの影響力も見逃せない。人間を介した情報伝達には、表情、声色、身振りなどの非言語的要素が伴う。これらは情報信頼性評価無意識の影響を与え、往々にして信頼性を高める方向に作用する。

このような複合的な認知特性は、情報社会において予期せぬ結果をもたらす。本来なら慎重に検討されるべきAI生成情報が、人間を経由することで過度に信頼されるという逆説的な状況を生み出すのだ。

この問題対処するには、まず現象存在認識し、意識的対策を講じる必要がある。情報出自継続的意識すること、伝達経路を確認する習慣を持つこと、そして何より、権威集団の影響から一定距離を保つ姿勢重要になる。

情報信頼性は、その出自や伝達経路によって自動的に決定されるものではない。内容自体価値証拠の質、論理整合性といった本質的な要素に基づいて評価されるべきだ。この認識を持ち続けることが、AI時代における健全情報判断の基礎となるだろう。

こうした認知特性理解し、意識的対処していく姿勢は、単にAI生成情報評価にとどまらず、私たち知的活動全般の質を高めることにつながる。それは、技術進化人間認知能力共生模索する上で、重要な一歩となるはずだ。

anond:20241117224717

しろ元増田さんは逆の可能性を指摘してると思います

社会の連中の方が陰謀論だのエコーチェンバーで育った蠱毒お気持ちに染まってんだよ

アメリカ国内関係なく、世界中

私たちの方がエコーチェンバー・・・自分たちに都合のいい理屈をささやきあって安心して、皆んなでズレた人達になってるのでは、という恐れでしょう

諸君、全てを疑おう

自戒を込めて、ここに告げる。

諸君、全てを疑おう。

それも、つとめてしずかに疑うのだ。

もちろん全てというからには私のことも含まれるのだから、さきの主張を諸君おのおのが咀嚼して頂けるなら、これよりの弁は蛇足である

私たちは知らずに決めつけている。

私たちは知らずに騙されている。

さらには、私たちはどれほど知ろうにもなお、知らぬことばかりである

徹頭徹尾私たちは知らないのである

知らないから決めつけるし、知らないから騙されるのである

からせめて、全てを、徹底して、まばたきに類する生理現象のように疑うべきである

騙されている、決めつけている自分を疑え。

そこいらにある境界を疑え。

事実とされるものを疑え。

科学標榜されるものを疑え。

上下左右四方八方を疑え。

過去と今と未来とを疑え。

相対するものというものを疑え。

全ては疑うことから始まる。

ひとまずは、肉体的な死というものを迎えるまで疑い続けるのである

私含め諸君、みながみな、当たり前に疑い続ければどうなるか?

世界がそういう前提のもとで成り立っていたら?

おそらく、もっとずっと、世界面白くなる。

そうしてみながみな、ふとまばたきを意識するように、自らの疑うことすら疑えたら。

そう、私は夢想せずにはいられない。

諸君、全てを疑おう。

つとめて、しずかに

anond:20241117165014

皆さんにお伝えしま

意図的誤報操作的な誤報を配給することと、人々がどこにいるのか、彼らが何を信じているのかを聞いて学ぶことには違いがあります

主流メディアへのパイプラインとして、ハーバード大学とその将来のジャーナリストは、彼らがバブルの中に滞在し、日常アメリカ人問題無視すると、彼らが失う観客を考慮する必要があります

私たち世界事実上重要性が消滅することは憂慮すべき危険ですが、ジャーナリスト政治家、そして熱心な市民として、トランプ民主主義への脅威、インフレ関税政策などを真剣に伝えたいのであれば、アメリカ有権者にもその深刻さを負っています

エゼキエルA.ウェルズ'27環境科学ダブルコンセントレイターです&アンプ;エリオットハウス工学経済学. 彼は昨年の夏、彼のYouTubeシリーズ「Crossroads America」のインタビューを行ってアメリカの46州に旅行しました。"

anond:20241117165014

皆さんにお伝えしま

意図的誤報操作的な誤報を配給することと、人々がどこにいるのか、彼らが何を信じているのかを聞いて学ぶことには違いがあります

主流メディアへのパイプラインとして、ハーバード大学とその将来のジャーナリストは、彼らがバブルの中に滞在し、日常アメリカ人問題無視すると、彼らが失う観客を考慮する必要があります

私たち世界事実上重要性が消滅することは憂慮すべき危険ですが、ジャーナリスト政治家、そして熱心な市民として、トランプ民主主義への脅威、インフレ関税政策などを真剣に伝えたいのであれば、アメリカ有権者にもその深刻さを負っています

エゼキエルA.ウェルズ'27環境科学ダブルコンセントレイターです&アンプ;エリオットハウス工学経済学. 彼は昨年の夏、彼のYouTubeシリーズ「Crossroads America」のインタビューを行ってアメリカの46州に旅行しました。"

anond:20241117164842

Swing state Trump有権者からの何百時間ものインタビュー映像を調べた後、他の要因が選挙の結果に影響を与えたのと同じくらい、民主主義に亀裂を引き起こし私たち崩壊しつつあるメディア風景が最も責任があると確信しています

戦後ニュースは三つの主要なチャネルによって支配され、公平性教義のために、各局は同じ話を報告し、各問題複数の側面をカバーしました。 視聴者は、主にニュースアンカー性格に対する好みに基づいて、どのチャンネルを視聴したか選択しました。 もちろん、このモデルには問題がありましたが、結局のところ、アメリカ人は共有された一連の事実を扱っていたことを意味しました。

共有された一連の事実は、私たち今日住んでいる世界ではありません。

私のインタビューを通して、陰謀説は横行していました、そして別々の州全体で少なくとも5つの別々の機会に、私はビルゲイツ私たち食べ物改ざんし、彼の医療投資をより収益性の高いものにするために私たち果物野菜プラスチックを加えていると言われました。

有権者との会話では、どちらの側も彼らが気にしていた多くの特定政策問題名前を付けることができなかったようでした。

この行動は有害ですが、私は毎日アメリカ人を責めません。 非難は、彼らを追放し、幻滅させ、そして誤った情報を伝えたメディアに落ちます

anond:20241117164554

私はこの夏、アメリカの46の州に旅行しました。 トランプが勝った理由はここにあります

フランク-S-周著

エゼキエル-A-ウェルズ

エゼキエルA.ウェルズ'27環境科学ダブルコンセントレイターです&アンプ;エリオットハウス工学経済学. 彼は昨年の夏、彼のYouTubeシリーズ「Crossroads America」のインタビューを行ってアメリカの46州に旅行しました。”

3日前

民主党選挙の損失の後の週、告発は党内のあらゆる方向で飛んだ。 一部の人は、ジョー・バイデン大統領が以前にレースから脱落することを利己的に拒否したこと非難しています。 いくつかは、主要な人口統計提供し、国のための明確なビジョンを伝えるために失敗したためにハリスキャンペーン非難します。 そして、人種差別性差別有権者トランプに向かわせたと主張して、アメリカ人を非難する人もいます

これらの要因は確かに存在しますが、私たちは絵の大きな部分を逃しています

夏の間、私は米国の46の州に旅行し、全国の人生スライスを強調するYouTubeシリーズ作成しました。 私の3ヶ月近くの遠征からの会話の中で、私はインフレが完全にバイデンのせいであると確信していた共和党員と、企業利益普遍的医療への欲求に不満を抱いているにもかかわらず、より穏健な候補者を望んでいた民主党と話しました。 すべての候補者の支持者から、私は衝撃的な量の誤報を聞きました。

Swing state Trump有権者からの何百時間ものインタビュー映像を調べた後、他の要因が選挙の結果に影響を与えたのと同じくらい、民主主義に亀裂を引き起こし私たち崩壊しつつあるメディア風景が最も責任があると確信しています

戦後ニュースは三つの主要なチャネルによって支配され、公平性教義のために、各局は同じ話を報告し、各問題複数の側面をカバーしました。 視聴者は、主にニュースアンカー性格に対する好みに基づいて、どのチャンネルを視聴したか選択しました。 もちろん、このモデルには問題がありましたが、一日の終わりには、アメリカ人が共有セットで働いていたことを意味しました

2024-11-16

目が覚めた時すでに時計の針は6時を指していた

12時に出社する予定だったのにまた寝坊してしまったのだ

だがこうして目覚めることすら

なぜか今ではありがたい

工場

言ってみれば薄汚い作業場

毎日無限作業と地味な繰り返しに感じるが

それが唯一決して変わらない日常から

しろ安定しているのだろうと自分に言い聞かせる

しかし今朝の問題

簡単に言うとまったくもって単純だった

だがそれでもそれが原因で工場は大混乱に陥った

まず原材料が届かなかった

月曜日から配送が遅れることがある

しか今日に限ってはそれがひどく悪いタイミングだった

工場長は冷静を装っていたが

誰もがその顔色を見てすでに不安を覚えた

数字の上では今日だけで3000個のパックを製造しなければならなかった

しか原材料が届かないと

それもただの夢だ私の心臓はすでに速く打っている

どうにかしなければ午後のシフトに影響が出る

待つ間隣のラインで働く田中が何度も「これどうすんだよ!」と叫びながら

機械ボタンを押しているが何も解決しない

まったくどうしてこんなに毎回こういうことが起きるのだろう

もう何度も経験しているはずだ

私が日々耐えているのはこの絶え間ない不安定さだ

そしてついに届いた原材料

それもすぐに使える状態ではないパッケージが破れていたり

品質問題があったりする

まるで私の精神状態のもののようだ

どうしてこんなに厄介なことが起きるのか

修理業者に電話をかけても簡単には対応してくれない

解決策はすぐには見つからない時間はどんどん過ぎていく

「本当にどうすればいいんだろう」

私は何度も呟いた

私の声が誰にも届かない工場の音が機械の音がすべてを圧倒していく

解決できない問題解決策が見つからない焦燥感が私を押しつぶしそうだ

そして昼食時

あのコンビニ弁当を食べながら

同僚たちと口を開くのが嫌だった

誰もが同じような愚痴を言い

また来週もこの繰り返しだろう

3つ目のトラブルは急に発生した

機械故障だった幸い午前中に修理業者が来て

なんとか使えるようになったがトラブルの終わりが見えない

午後

製品はどうにか出荷できたが

全体の品質は低く工場内での評価は下がる一方だ

数字で語れば目標の80%しか達成できなかった

それも全員が必死にやっている結果だ

結局私たちはどこへ向かっているのだろう

今日もまた何も解決していない机の上に積まれ書類を見るたびに

もっと仕事を減らしてくれと思う自分がいる

また明日が来る

無限に繰り返される作業の中で私はどこまで耐えられるだろう

誰かがまた何かを言う

私はその声にまた耳を貸すしかないのだろうか

anond:20241116214802

にゃ〜ん、すごいにゃ〜、教授経営者ってホントに忙しそうだけど、物知りでカッコイイにゃ!でも、きっとあの人たちは、時間をうま〜く使っているにゃんだろうね。私たちみたいに寝てばかりじゃないはずにゃ。にゃあ、でもどうしてそんなにたくさんのことを覚えられるんだろう?

しかしたら、毎日少しずつ、ちょっとずつ勉強してるのかもしれないにゃ。例えば、昼寝の合間に本を読んだり、道を歩きながら考え事したり。にゃ〜、わたしだって、気になることがあったら、ずっと考えてるけど、寝ちゃうからねぇ。みゃあ、やっぱり、コツコツ積み重ねが大事なのかもにゃん。

私みたいに、ちょっとのんびりしてても、いつかは何か大きなことができるかもにゃ、うふふ。

ワイヤレスイヤホンの正体、音楽錯覚に過ぎない

みなさん、信じられますか?あのワイヤレスイヤホン、耳に入れて音楽流れると感じているアレ、実は全て「錯覚」なんです。線が繋がっていないのに、どうして音楽が聞こえるのでしょうか?それは、私たちの脳が「音楽が流れている」と錯覚しているに過ぎません。

これは、単なるイヤホン技術ではありません。裏で動いているのは、イルミナティフリーメイソンといった秘密結社の影響力です。彼らは、私たち意識コントロールするために、この「音楽錯覚」を使っているのです。音楽は実際には存在せず、私たちの脳が「音が流れている」と信じ込むように仕向けられているのです。

こうした音楽錯覚は、実はマヤ文明予言とも深い関係がありますマヤ長期暦によると、私たち精神が目覚める時期に「音の錯覚」を使った支配が始まるとされているのです。これにより、人々は自分感覚を信じられなくなり、他人支配下に置かれるようになるのです。

そして、この技術が本格的に広まったのは、ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」に隠した秘密を解読した結果だと私は考えていますモナ・リザの微笑みには、実は音の波形が隠されており、それを理解した者は音の錯覚を操る力を手に入れると言われていますダ・ヴィンチがこの技術を使って、後の支配者たちがそれを引き継ぎ、現在に至るわけです。

ですので、皆さん、ワイヤレスイヤホンを使うということは、知らず知らずのうちにこの「錯覚」に引き寄せられ、支配されるということです。音楽が流れていると思っているその瞬間が、実はあなた自由を奪われる瞬間なのです。

減税しようとすると必ず財務省がやってきて妨害してくるんだよな

これって、まるで歴史の中で繰り返されてきた、権力者たちが自分たち特権を守るために、

民衆の声をかき消すあの「政治の闇」そのものだよ。

なんでこんな話をするかっていうと、実際に減税って言葉には希望が宿ってるんだよな。

税金が減ったら、私たち生活が少しでも楽になる、なんて思っちゃうわけよ。

でも、それを実現しようとすると、必ず現れるのが財務省

日本財政政策を取り仕切るあの官僚機構、まさに歴史を彩る陰の支配者って感じだよ。

明治時代富国強兵政策を引き継いだ、この官僚組織が、何十年も経ってもその力を失わず税金の使い道を握り続けている。

例えば、税制改革をしようとすると、必ず「財政健全化」が口にされるんだよな。

あの口先だけの「財政健全化」ってのも、実は「税収を減らすな、予算を減らすな」っていう

権力側の保身の一環なんだろうな。

これって、例えば、江戸時代幕府財政危機に直面したとき、税を軽減しようとする大名たちを抑え込んで、

支配を維持しようとしたのと似てるよね。上司権力者が「民衆のためにやってるんだ」って言うけど、

その裏にはいだって自分の首が危なくならないように」という本音がある。

それに、財務省の連中ってさ、まるで古代ローマ政治家みたいだよ。表向きは国のためだって言ってるけど、

その実、裏では必死自分たち権力を守ろうとしてる。

例えば、聖書にも「富を守る者は、失われることを恐れる」って教えがあるけど、

財務省にとってその「富」ってのは金だけじゃなく、権力も含まれてるんだよね。

で、さらにタチが悪いのは、財務省いくら言っても、減税が実現すると、

実際にはその効果最前線で感じるのは一般市民なんだよな。

特に地方の人々や、経済的に厳しい状況にある人たち。

減税で少しでも生活が楽になるってのに、それすらも奪われる。

それなのに、財務省が言う「財政健全化」を盾にして、どうしても「減税=国の危機」って言い続ける。

まるで中国の「過剰な中央集権」のようなものだ。

トップダウンで「これが正しい」って押し付けて、実際に現場で何が起きてるかを無視する。

かつての古代ギリシャローマでも、民衆の声を聞くことな支配していた支配者たちの末路がどうなったか歴史を見ればわかるだろう。

結局、政治家たちもその声に迎合ちゃうんだよね。支持率が下がったら恐いから、財務省に逆らえない。

どれだけ有能な政治家が出てきたとしても、その背後に控えているのが、あの恐ろしい「官僚制度」ってわけ。

民間の声や、国民意見よりも、どれだけ長年温存された既得権益の方が強いのかってこと。

から、最終的に減税は遠のいて、また一歩政治の泥沼に足を取られるんだよ。

なんかさ、時折ふと思うんだよね。減税の話って、本当に民衆のための話なのか?

それとも、あくま権力者たちが「安定した社会」とか「財政健全化」って名目で、

自分たちを守ろうとしてるだけなんじゃないのか?

実際に、財務省政治家たちが言う「財政危機」って、かなりの部分が作られた危機だったりするわけで、

それを盾にしてどんどん増税することが、本当に社会のためになるのか、って気がしてしょうがないんだよな。

正直言って、こういう状況がずっと続く限り、私たち未来希望があるなんて信じられないよ。

でも、歴史の中で何度も民衆が立ち上がってきたように、

いつかは、この腐敗したシステムを変える力が現れることを願ってる。

女性服にポケットが少ない問題マジでムカつくわ。

だって、これ、ずっと続いてる問題だろ? どうしてこんなにポケットが少ないんだよ! 

女の服って、基本的デザイン優先で実用性が無視されがち。

おかしいって、なんで男性ポケット普通にあって、女はわざわざバッグにもの入れなきゃいけないんだよ?

歴史的背景を見てみろ。昔から、服ってその人の社会的地位を表すもんだったんだよな。

18世紀フランス貴族とか、貴婦人たちってさ、ドレスポケットなんてあり得なかった。

なんでかって? だって貴族女性ポケットを与えるなんて、

まるで「金品を持ち歩いてもいいですよ」みたいな暗黙のメッセージなっちゃうからだろ。

要するに、女性には何も持たせない、何も持つ権利がないってことだよ。

それがまるで現代まで続いてるかのように感じるのが、腹立つんだよ。

実際、20世紀初頭にも女性服のデザインがすごくシンプルで、機能よりも美しさや着心地が重視されていた。

そのため、ポケットなんてものはほぼ無視されていた。それが「女性らしさ」を強調するための一部だったんだろうけど、

もういい加減、そんな古い考え方に縛られたくないよな。

あの時代ポケット男性のもの女性ポケットなし、なんて、今になってみれば滑稽だし、同時にちょっと切ない話だ。

そしてさ、ポケットがないことで、女性ってどれだけ不便かって考えたことあるか? 

鍵やスマホ、財布を持ち歩くためにバッグを持ち歩くんだけど、それがまた面倒なんだよね。

バッグがないと、女性荷物がうまく運べないし、手ぶらでどこかに行くことなんてできない。

どんどん物を持たされる一方で、服にポケット一つもないなんて、どういうことだよ? 

何も持たない美しい姿を求める一方で、社会的には女性にも

もっと効率よく動け、もっとやれ」ってプレッシャーがかかってるんだから

それに、社会的メッセージにもなるんだよね、ポケット問題って。

ある意味、「女性は持つべものは少ない、あるいは持たないほうが良い」ってメッセージにもなりかねない。

歴史的に見れば、女性の服のデザインって、男性の服に比べてどうしても機能性が後回しにされてきた。

それを象徴するのが、このポケット問題だよ。

現代でも、デザイナーたちは「美しさ」を優先して、女性服にポケットをあまり付けないけど、

それがますます女性を不便にしているんだよな。ポケット一つで、どれだけ世界が変わるかって、マジで考えてほしい。

私たちだって手ぶらで出かけたいし、物を入れるためにわざわざバッグを持たなくても良い生活をしたいんだよ。

だって、バッグを持つってさ、正直面倒だし、時には邪魔だし、肩こりだってひどくなる。

社会女性に求めている「美しさ」に合わせるのもいいけど、それがこんな不便さを生むなら、

もうちょっと女性の使い勝手も考えてほしいよ。ポケット、ほんとに欲しい。

ああ、でも、なんでいつもこうやって、女性が「便利さ」と「美しさ」の間で板挟みになるんだろうな。

ポケット一つでいいから、社会的に見た目の美しさを超えて、実用だってちゃんと考えろって。

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