はてなキーワード: 國分功一郎とは
「読書力」(著:齋藤孝)という本に、「本を読まなくてもいい、なんて言う読書家はフェイクだ」的な記述があるらしい。僕はこの本を読んだ事があるのだが、実際、そのような記述があったような記憶がある。だが、そんな事は忘れていた。この前、Xでこの本を読んだ人が、その記述についてポストしていたのだ。ところで、恐らく、齋藤孝は「フェイク」などといった言葉は使っていない。大胆な意訳を試みた事になる。
さて、ここら辺で僕は教養に関する見解を雑多に書き殴ろう。昨今、中学、高校レベルの知識を元に、日本人の教養を誇る、大変恥ずかしいポストがよく流れてくる。耳なし芳一に至っては小学生や幼稚園児なのだが、これが「分かる」のが教養らしい。
問題は、彼らが日本ageをする時に、諸外国に比べて、実態的に、どの程度日本の教育が優れているかを体系的に論じている訳ではないことだ。もしくは、それを論じた論文の一つも引っ張ってこないことだ。この時点で教養がない。というか学術的態度を持ち合わせていない。無論、そもそもの突っ込み所は、日本で耳なし芳一という話が共有出来るのと同様に、諸外国でもそれぞれの国での逸話などが共有されている可能性の話である。そこの精査もなしに、日本を持ち上げるのはナンセンスだ。
ところで、日本人は教養がある、外国人に比べて、みたいな話はとても気持ち悪い。外国人が日本人に対して何か言ってきたのだろうか。そうまでして日本は凄いんだと言い張って、本心では何をしたいんだろうか。この発言は、事実に関するステートメントだが、この事実をピックアップしたい心理を考えてみよう。
言うまでもない。経済でボロ負けしている、上にクソブラックな労働環境で、諸外国の人々(アメリカとか)の方が金持ってて羨ましい、悔しい。こんな所だろう。ドイツ人は労働時間が短い。悔しいよおおおおおおお。発狂。日本人はIQが高い!それで?この態度自体がIQが低いし教養もない。
そもそも、教養というのは、「教養ない」のが大半で、「ある」人などひと握りである。世間的には教養があると言われる人は、「自分なんてまだまだ不勉強」と言うぐらいで、そこを突き抜けたごくごく1%ぐらいの人が教養人である。訳の分からぬ無教養アピールを展開し、相対評価で俺を付け上がらせるのを辞めて欲しい。僕なんて、まだまだですよw
こういう事を宣う大半が、殆ど学問と言われる営為を行っていないのは明白だろう。学術書なんて月1冊も読んでないのが殆どだ。コイツらに本物の教養マウントを食らわせてやりたい。
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。」そもそも、学問なんてものは、「知りたーい❤」「楽しーい❤」ので、皆やりたい癖して、「私頭が悪いから…」とか「難しくてわかんない…」みたいな雑魚が楽しめない、厳選選民・雑魚淘汰趣味なんだよ。「教養なんていらないっすよ!衒学者乙!」みたいなのは、楽しくゲームが遊べない雑魚のすっぱい葡萄に過ぎない。楽しいからやるの!
読む意味あるの?とか学ぶ意味あるの?とかバカじゃねーの?プラトン読めて楽しくない事あるか?シェイクスピアの韻文を英語で読めて楽しくないとでも?つまり、学問という広大な世界に繰り出ないで、「いや経験が重要で…」とか言い出してるのが負け犬仕草なの。遊びなんだよこっちは。
というかね、ここが分岐点でさ。逆にこういう学術書とか読むタイプの人間は、大抵のアカデミックな話を友達にされても、分かりやすく説明されれば理解出来る。文理問わず。ところが、この手の教養負け組共は、理解できない上に教養マウントを取られたと思い込む。世界をエンジョイ出来てない奴らは更に人生クソゲー。面白いアカデミックな話が理解できない上に、そういう人間に嫉妬して仲良くなれない。可哀想!
最初の方にも書いた通り、教養があるなんて言えるのはごく一部の人間だ。だけど、この手の、若干のアカデミック力を身につけてないと、クッソ惨めな人間になるんだよな。「本当に教養のある人間は〜」とか、いやお前はどれぐらいの知識量があって、どれぐらい精神が涵養されているの?読書メーターを開示しろ。
という話だよ。Xで「教養」について語った奴、全員読書メーターを開示しろ。じゃないと話にならないよ。ところで、言っておく。君が読んでる本が、リチャード・ドーキンスだろうが、マイケル・サンデルだろうが、國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」だろうが、決して馬鹿にはしない。その大海原に一歩を踏み出そうとしている勇者は、讃えよう。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
皆さんもそんな瞬間があると思いますが、最近僕も『サピエンス全史』を読み上げてもらいたいな、と思ったのでAmazon Audibleを契約した。
未だに無料キャンペーン中なのでよく料金体系とかが分かってないのだが、要するに月1500円払うことで、月あたり希望の一冊が新たにプラス+玉石石石石混交の無料本が聞ける、ということらしい。
(実際にはこの「月あたり一冊」は「任意の時点で任意の一冊を聞く権利」に近い物らしく、公然の裏技として「返品して新たな読み上げを取り寄せる」というものがある。Amazonの側も「当会員特典はお客様のご理解の上に成り立っています」とメリケン企業らしくないことを言いながら暗黙に認めているように見える)
これがいいのだ。不眠に。
当然はてなメンヘラ界隈の皆様は僕と同じく眠剤を服用されていると思うのですが、それで問題が解決するなら話は早いというもので。
実際は眠くなるタイミングがシビアで、それを待ってる間ネットサーフィンしてて逃すとかは日常茶飯事である。
何がこの悲劇を引き起こしているのかと問えば、おそらく國分功一郎のいう「退屈への向き合いがたさ」があるのではないかと思う。
眠剤の効果で40分後に眠くなるのは分かっている。でも40分も退屈したくない……あっ1時間過ぎてる……。
これを解決するのがAudibleである。僕がこのアプリを開いて最初に驚いたのは「スリープタイマー」がとても目立つ位置に設置されている点である。
で、実際に『サピエンス全史』をワイヤレスイヤホンで聴きながら何日か横になってみた。すると寝られるのである。おまけに起きたときには興味深いセンテンスの一つや二つも頭に入っている。
しかし問題点が2点あった。寝てる間にワイヤレスイヤホンをどこかへ放り出すこと、普通にサピエンス全史の講義を受けて5時間くらい経ってしまうことがあること。
どちらの問題も簡単に解決できた。1つ目の問題はスマホのスピーカーから流しておけばよく、2つ目はすでに読んだライトノベルを流して横になること。
かくしてメンヘラは退屈さもなくば不眠という不毛な二者択一から解放されたのである。僕はこれから『無職転生』(フィッツとなんやかんやあるあたり)を聴きながら一歩先に眠ります。おやすみ。
貧困層といっても色々あるけど、たぶん進学できず就職もできない人が多数を占めると思う。
で、不思議なのは、「政府は意図的に貧困層を生産して兵士になるしか選択肢が与えられないようにしてるんだ!」とわめく人たち。例えば國分功一郎のこのブログ記事→http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10570987570.html
いやそれおかしいよね。進学できなかったり就職できないってことは基本的な仕事や知識を身につけていない人たちってことでしょ?こういう人たちを一人前の兵士(自衛官?)に育て上げるまでにどれだけのお金が必要なのか考えたことはある?で、その人たちに出す俸給はどこから出るの?財務省が大幅な自衛官の人数増加を許すと思うの?
そんなこというと、「いや、民間軍事会社に就職せざるを得ないように政府は仕向けるんだ!」と主張するかも知れない。でもそれも変じゃん。例えばパ○ナがそういう会社を新設したとして、どこの軍隊がノウハウのないぽっと出の会社と契約したがるの?信頼して仕事任せられないでしょ。それなら海外の民間軍事会社に就職?最初に挙げた貧困層の定義に限って考えれば、進学できなかった日本人がまともに英語喋れると思うの?もし万が一、日本が東南アジアで軍事展開するとしてその下請けをするとしても、日本は現地の政府軍ないし米軍と共同作戦する可能性が大でしょ。となると英語が共通語になる。日本語しか喋れない人がそんな状況で使い物になるの?