はてなキーワード: 空間演出とは
1968年創業。豚骨や豚肉、背脂を煮込んだ脂肪分と旨味が溢れるジャンクなスープ、一般的なラーメン店よりも多い麺量に野菜が盛られたボリューミーなラーメンが特徴。学生街(慶應義塾大学三田キャンパス近く)という立地も相まって、一躍人気店に。1990年代になってからは「直系」と呼ばれる暖簾分け店が増え、2000年以降はラーメンの特徴や注文システム等を模倣した「インスパイア店」が急増。全国規模の知名度を得るに至る。
1974年創業。白濁した豚骨スープに東京の醤油を合わせたラーメンを考案し、人気店となる。弟子の独立店も1990年代から神奈川を中心に増加し、2000年以降は、模倣したラーメンをセントラルキッチンでチェーン展開する企業も参入。ラーメンの一大ジャンル「家系」として認知される。
ちなみに創業者の吉村実氏は、開業前、東京は平和島にある「ラーメンショップ」での勤務経験があり、豚骨スープに醤油ダレという共通点があることから、同店は「家系のルーツ」とも言われる。
1985年創業。新横浜ラーメン博物館への出店を皮切りに、店舗を全国へ拡大。早くも2000年には先鞭をつけた海外展開や、清潔感のあるスタイリッシュな内外装の店舗など、以降のラーメン店に与えたとされる影響は多い。
1986年創業。創業者の佐野実は人気テレビ番組に出演し、当時のスター店主の中でも代表と言える存在。そればかりではなく、自家製麺への拘りやブランド食材の使用等で、多くのラーメン店に影響をもたらした。佐野実は2014年に他界したが、支那そばやは横浜市で現在も営業を続けている。
1988年創業。煮干しを主役に据えたスープと低加水の細麺、具はネギだけのシンプルなビジュアルが特徴。開業してしばらくは知る人ぞ知る地元の名店だったが、2004年の東京進出を皮切りに、煮干しラーメンブームの火付け役となる。
1996年創業。1996年は多くの有名ラーメン店が開業した年で、それらの店は「96年組」と呼ばれるが、その中の一店。期間限定メニューの提供、券売機の設置、店内の凝った空間演出等々、今や一般化したスタイルの元祖とされる。
1996年創業。「麺屋武蔵」と並ぶ「96年組」の一店。別々の寸胴で炊いた動物系素材と魚介系素材のスープを後から合わせ、両者の言わば良いとこ取りをした「ダブルスープ」のラーメンで一躍人気店となり、「豚骨魚介系」と括られるほど多くのインスパイア店を生み出した。
2002年創業。「中華そば 青葉」によって膾炙したダブルスープに対し、一つの寸胴で時間差を設けて動物系素材と魚介系素材を一緒に炊き上げることで、より濃厚なスープとなるようにした「濃厚豚骨魚介」の先駆けとされる。現在も営業中。
2005年創業。スープ素材として鶏だけを使用した、いわゆる「水鶏(鶏水)系」のラーメンや、麺をあらかじめ昆布水に浸した状態で提供し、細麺のつけ麺だと麺がくっつきやすい問題を解消した「昆布水つけ麺」の元祖として知られる。店舗は幾度かの移転を経て、現在は兵庫県尼崎市で「ロックンビリーS1」として営業中。
2012年創業。「セメント系」とも言われる、エグ味や苦みさえも絞り出したかのような、セメントを彷彿とさせる灰色がかった超濃厚の煮干しスープと、ラーメンの麺を食した後に別皿で提供される、油で和えた麺「和え玉」の発祥店とされる。現在も営業中だが、今は特濃な煮干しラーメンは、基本的に提供をしていない。
俺は人口10万人以下の地方で公務員をやってる。念願の博物館への異動が叶ったのに、クソ女のせいで異動になった。
美大を出て資格をとった俺にとって、希望した博物館への異動は願ったりかなったりだった。しかし、異動先には学芸員採用でそこに居座っていた上司とクソ女がいた。上司は変わり者だがさして問題ではない。問題はこの新卒2年目のクソ女だった。
まず、女は学芸員のくせに展示がズブの素人だった。俺は美大で展示の演出方法について学んだし、この女より確実に多くの美術館に足繁く通っている。とにかくこの女の担当展示がひどいものだった。空間演出というものを知らない。パネルに手製のへたくそなイラストを描いただけで満足しているようで、見るに堪えない展示だ。
それに加えて俺の持つ事務業務を手伝おうともしない。新人なら、事務や雑務も多くこなして早く仕事を覚えるべきなのに、このクソ女は時間を見つけては研究ばかりしている。展示に役立てようとしていたみたいだが、ならまず空間演出を学んだ方がいい。
これらのことを、本人や周りにも言っても改善される余地がないので、Twitterに職場のことを書きこんでいた。少ないながら、俺の書き込みには少ないながら現職学芸員や大学教授からの賛同を得た。
しかし、このTwitterアカウントが見つかったことで俺は異動になった。間違ったことは書いていない。大学で博物館学の教鞭を執る教授も、俺に賛同し、クソ女のことをバカだと言ってくれた。なぜ正当な批判をした俺が異動になって、無能なバカ女が博物館に居座るんだろうか。社会は、女に甘い。そういえば、クソ女は、一橋で表彰された(上司から聞いた)ことを鼻にかけて、無能のくせに一回り年上の上司にあたる俺に資料の触り方がどうだの、レファレンスがどうだのあれこれ言ってきた。挙句俺が取材を受けているときに、「それは間違ってます」とすぐさま野次をいれてきた。事実関係が間違っているなら、後から訂正すればいいだろうに、すぐさま否定することで俺に恥をかかせた。このでしゃばりで、物の順序も知らない無能のどこが優秀なんだかわからない。女だから大学の査定も甘いんだろう。まだ大学に通ってるらしいが、よほど甘い汁が吸えるのだろう。こんな能無しのバカに博士論文なぞ書けるわけがない。
俺も最初はこの女に甘くしてやった。そいつのために時間を割いて運転の練習を見てやるために公用車予約までしたのに、直前で具合が悪くなったとかでサボりやがった。思えばそいつは月一で頻繁に体調を崩す。崩す癖に職場に来て皆に心配をかけて目障りだから、ふたりきりのタイミングで注意してやった。自分の体調も管理できないバカに仕事が勤まるわけない。
せっかく学芸員になる夢をつかんだのに異動になったのは、すべてこの無能クソ女のせいだ。どうにか法律が許す範囲で報復したい。
そんなワイが家を買ったわけだがそこが対面キッチンだった。
これが使いにくいというか妙に気を使う。
料理は運用がすべてだと思っているので普段使うものを使いやすい位置に置きたい。
しかしリビングに面しているのであまりごっちゃり汚くもできない。
なのでそこまで使いやすいとは思えないシャレオツな容器で調味料を揃えたりとか
いちいち器具をシンク下にしまったりなどえらい面倒くさい。なんだこれ。
家を買う時のカタログにはキッチンの開放感だとか家族との一体感みたいな文章が並んでいた気がする。
当時はそんなもんか程度にしか気にしてなかったが実際に使ってみるとめちゃくちゃ面倒。
なんでこんなもんがデファクトスタンダードになってんだよ。
で、いろいろ考えた結果、これワンオペ育児特化型なんだろうなと。
おそらく子供がいる家庭で料理中に子供を見てくれる人がいない、または機能していない。
なので子供に目をやりながら料理する必要があり対面キッチンがその答えになってる。
もちろんこれは想像なんだけど実際どーなんですかね?
仮に子供に気を使わなくても良い環境になっても対面キッチンみたいなのがいいんですかね?
豊田市美術館に行ってまいりましたわ。
平日なのにすごいお客様で驚きました。大半がお年寄りでしたわ。
敷地の端に建っている櫓をみて盛んに「城」とおっしゃっているのを耳にして、
天守どころか櫓でも城とイコールにされてしまうのだと世間の感覚を思い知りました。
ここのものは七州城の復元櫓ですが、あのような認識の方が多いのでは
そのままの配置で展示されています。
恥じらいもなく大量の群青と緑青を使った波濤の絵は圧巻です。
全体的に薄暗くなっていたのは、顔料が繊細な日本画の保存のためだと
思われますの。
また抽象の力展も同時開催されており、
頭の良い監修者がうまく説明されていました。
なにせミュージアムショップでカタログが売り切れているというのですから、
コンクリートの容器に、コンクリートの破片を詰めた高松次郎の作品
わからないものでもヒルマ・アフ・クリントの初期抽象作品はなんとなく
好きになれました。
いちばん分かりやすかった抽象芸術はコンスタンティン・ブランクーシの
こんな破廉恥な展示が許されるのかしらと作品の前でどぎまぎしてしまいましたわ。
対応しそうな作品としてルーチョ・フォンターナのピンクに塗りたくったキャンバスに
赤い縦の貫通穴をほどこした作品もありましたけど、
コンスタンティン・ブランクーシのせいで、そういう目になっていただけかもしれません。
恐ろしげな世界をあじわえました。
ファイナルファンタジーの初期イラストを描かれた天野先生の作品に
少し印象が似通っています。
小嶋悠司作品は抽象の力にあった、熊谷守一の作品「轢死体」とならんで
SAN値を下げてくださいました。
再入場できない東山魁夷作品を最後に見るべきでしたわ・・・・・・