はてなキーワード: 稀有とは
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
色々と読んでみたい本はあり、
なんなら気になる本をKindleでチマチマ買ってたりするのだが、
序章部分だけ読んで飽きてしまい、途中ではてブとかを開いてしまう。
そうしたら、もうその本は二度と開くことはなくなる。
そんなことを、もう何度も繰り返している。
ネット記事のように、数分で読了できるようなモノなら興味深く読めるのだが。。
とても興味深く読めた。
でも、それは俺にとって稀有な例で、
他の自己啓発書を手に取ってみても、これほど興味を惹かれるものを未だ見つけられていない。
自己啓発以外でも、色々読んでみたい分野はある。
世界史とか、コンピューターサイエンスとか、経営学とか。。
それらの本を気まぐれに買ってみては、導入部だけ読んで、積む。
あとで読み返そうとしても、既読部分の内容はすっかり忘れているから、もう一度最初から読む羽目になる。
そんなことを繰り返していると、いつしかやる気を無くしてしまう。
どうすりゃいいんだろう。
何かいい策があれば、ぜひ教えて欲しい。
法律婚を願う、かつどちらの姓にするか揉める男女は女性が改姓するパターンが多いのでは、という話を聞いた。データ取ったわけじゃないんだろうが、まあそうなっても不思議じゃないなと個人的に思う。
私自身は選択的夫婦別姓導入して欲しい派かつ絶対苗字変えたくない派だ。ゆえに、これは女性が苗字を変えることを推奨する意図の文章ではない、と先に明記しておく。
まず男女平等の観点から言うと、9割以上が女性側が改正している現状を変えるためには男性に変えてもらう方がいいだろう。『女性が苗字を変えるのが当たり前』という現在の風潮は『多くの場合、女性が苗字を変えている』という事実に支えられているから。
ただ、結婚してどちらが姓を変えるかというのは結局のところ個人と個人の間の話だ。ゆえに議論するにあたり『いかにして男女差別を無くすか』よりも、『いかに落とし所を見つけて良好な関係を継続するか』が大切になる。(男女差別に日頃から意識を向けている人間同士であれば前者の方向性で話を進めることもできるかもしれないが、稀有な例だと思う。)
日本人の女性の多くは『結婚したら自分が改姓するだろうな』と、きっと一度は思ったことがある。ゆえに自分ごととして、改姓までの道がとても面倒なことも理解している。そこで男性が改姓する場合はさらに、『希少性』が追加される。
例えば男性が改姓することとなれば少なからず周囲に「どうしたの?」と聞かれるだろう。また、自分の息子には苗字を変えてほしくないという親もいるだろう。
相手の立場で考える女性ほど、周囲の視線や親戚の説得といった『改姓によって生じる男性ならではのコスト』を相手に背負わせることに躊躇する。だから自分が変える、ということになってしまう。『相手に思いやりを持つこと』は結婚生活を続けるにあたり、重要なことだからだ。
私個人としては、だからといって常に女性が改正すべきだとは思わない。女性は「結婚するの?苗字何になるの?」と当たり前のように苗字変わる前提で話を振られる。『苗字を変えたくない』という気持ちを伝えただけで、相手や相手の親戚に拒否反応を示される。苗字を変えたくない女性だって、風潮に晒されて傷ついてきたのだ。男性サイドがそうゆう女性の傷つきに寄り添って苗字変えてくれてもいいんだよ?と正直思う。
話を戻す。要は、女性(特に苗字変えたくない女性)の方が男性より改姓に伴うアレコレを考える機会も多く、そのため相手の負担も見えてしまうし考えてしまう。そして、自分が譲らざるを得ないという結論になってしまうのではないか。
ただ、そのようにして女性が我慢して改姓したことについて、どれだけの男性が感謝しているのか、また感謝を忘れないでいられるのかとも思う。
これは『当たり前のことに感謝するのは難しい』という話だ。
例えばこの国では蛇口をひねれば水が出るし、スイッチをつければ部屋は明るくなる。でも、そのことをありがたいと日々感じている人はどれくらいいるだろうか。
改姓もそれと同じで、男性にとっては『相手が変えるのが当たり前のこと』だ。なにせほとんどの夫婦がそうしている。
幸い、水や電気に日々感謝の意を示さなくても料金を払う限り日本人は当たり前にそれを享受できる。ただ夫婦関係は、金さえ払えばいいってものでもないだろう。
相手が自分のために何かしてくれることは当たり前ではない。これは人間関係の基本ではないかと思う。パートナーが苗字を変えてくれた側は、それはパートナーがあなたとの関係を思って出した結論だということを心に留めておいてほしい。
ここまでは、法律婚をしたい男女に対して私が思うこと。ここから先は私個人の話だ。
冒頭でも書いたが、私は絶対に苗字を変えたくない。そして、嫌がる相手に苗字を変えさせたくもない。選択的夫婦別姓が無理なら事実婚だ。子供を持つ気もないし。
私はもし自分が苗字を変えるとなれば一生根に持つ。それこそ、その後のあらゆる選択の主導権を全て自分が握ったとしても気が済まないだろう。逆に嫌がる相手に渋々変えさせても一生負い目に思うだろう。
日々の感謝は忘れられがちだが、負の感情は意外と長持ちするものだ。片方が一生モノの恨みや負い目を抱えてる夫婦ってどうなんだろう?と思うので改姓を伴う結婚はしない予定だ。
このような問題で各々が悩むのは、現行の制度で法律婚する場合どちらかの苗字に統一しなければならないためだ。1日も早く、選択的夫婦別姓が導入されることを願っている。
会社員だ。40代になったばかり。株式投資メインで、仮想通貨は5年前に始めた。
今回、ふと思うところがあったので、会社員(又は若い人)の仮想通貨との付き合い方を説明する。これまで仮想通貨(長期投資)に4年、レバレッジ取引に1年ほど向き合ってきた感想をお届けしたい(株は15年ほど)。
仮想通貨が気になるあなたにとって、いい記事にできるよう心掛ける。
なんとなく興味があって、仮想通貨で儲けたいので、口座を開いたのはよいがぜんぜん勝てなくて、仮想通貨は詐欺だと言われるけど他の意見も聞いてみたくて、興味はないけどたまたま記事を見つけたので……いろんな人がいると思う。
ビットコイン自体については、Wikipediaの概要欄が一番よくまとまっている。100字以内で答エヨ(トリノコシティ)と言われると、
「個人や企業同士が電子送信により商取引できるデジタル通貨。発行主体や単一管理者はいない。代わりに、ブロックチェーンという改竄困難な台帳により取引履歴を記録する」(78字)
大まかにいえばこんなものか。10年以上前に、オープンソースのソフトウェアとして公開された。
当初は、「これ面白いじゃん!」というアーリーアダプター達がネット界隈で持て囃していたが、やがて反社組織やテロリストや個人犯罪者も、「これ便利じゃん!」と考えるようになり・・・・・・次第に仕手筋が参入し、値段が吊り上げられ(後述)、地下経済での決済手段として使われるようになって今に至る。
私としては、仮想通貨をやってみる価値はある。この記事では、社会人(を想定する)のあなたが仮想通貨についてより多くを知るため、またはより真剣に向き合うため、または見切りをつけるきっかけとなることを目指して書くことにする。
社会人として〇年働いて、貯金もそれなりに貯まってきて、でも寝かせたままにはしたくない。「投資」に挑戦してみたい。
しかし、どこに投資しようか……悩みの種が尽きないある日、「仮想通貨は面白そうだ」と思い立ったものの、怖そうなイメージがあるので踏ん切りがつかない。仮想通貨をやってみたいけど、財産を失うのは怖い。でもやりたい。興味がある。そんな人に向けて話をする。
何事も挑戦だ。まずは一歩を踏み出そう。
株とは違い、仮想通貨は非常に小さい資金から挑戦できる。が、最初に全財産を突っ込むなど論外だ。「小さく始めよ」はどんな経営分野でも通用する。
3万円とかでいい。失ったら惜しいお金ではあるが、全額失っても生活には困らないくらいの資金を入れる。肝心の仮想通貨取引業者だが……例えば株式投資の場合は、SBIか楽天の2択になる。株初心者にとってはこの2つしかない。
さて、仮想通貨の場合だが、適当な言葉――例えば、「仮想通貨」「取引口座」「どこがいい」といった言葉でググってみよう。
私がYahooでググってみたところ、https://minkabu.co.jp/choice/cc-recommended-ranking/(みんかぶChoice)が一番上にきた。初心者に仮想通貨を教える『口コミ風』サイトだ。
仮想通貨で儲けてみたいが、どこの取引所がいい~? → ランキング形式で各取引所を紹介(又は条件比較) → 取引所ごとの口コミ → 質問事例集 → 関連サービスのリンク集
といった順序だ。どのサイトも同じようなコンテンツである。ほぼすべてのリンクにアフィリエイトが貼ってある。勉強になったと思ったらリンクを踏んであげよう。それも礼儀だ。
上のような取引所案内サイトには、ある問題点がある。アフィリエイトのリンク先に致命的によくない部分があっても教えてくれないことだ。向こうも商売でやっている。許してあげよう。
【1点目】
仮想通貨の「販売所」ではなく、「取引所」が置いてあるところにする。理由は一択、販売所にはバカみたいに拡がるスプレッド幅(買いと売りの価格差)があるからだ。普段のスプレッド幅は、例えば上のサイトで2番人気のDMMだと、ビットコインが4,5千円ほど。仮に1ビットコインを勝った後で即売ると、数千円だけ損をすることになる。率で言ったら0.1%くらいか。
安く見えるだろう。しかし、なんと! このスプレッド幅は20万~40万になることがある。私が見た中で一番大きかったのは55万円。1ビットコインを買ってすぐ売ると、55万円失うということだ。当然、アラート通知や強制ロスカットはスプレッド幅も込みで判断される。
仮想通貨『販売所』というのは、ユーザー同士の取引ではなく、あなた個人が販売業者からビットコインを購入する形式だ。暴落時など、価格が乱高下する際には販売業者も即座の入荷が難しくなるため、その分だけスプレッドが拡がるというわけだ。
なので、販売所ではなく取引所一択となる。販売所形式だとアラート通知が来やすいわ、ロスカットされやすいわ、指値注文はなかなか約定しないわ、逆指値注文(特に損切)はダマシに遇いまくるなど、てんでいいことがない。レバレッジ手数料も取引所形式の方が若干安い(個人的乾燥)。
「いや、ちょっと待て。販売所はスプレッド幅を我慢すれば大量の買い付けができるわけだから、一気に数百万円をトレードする場合は、取引所よりも販売所の方がいいんじゃないか?」
そう思われる人もいるだろう。
私はかつて一度だけ、DMMビットコインで200万円を投じてイーサリアムを買おうとしたことがある。当時はレバレッジ4倍だったので、800万円分である。その時に表示された、「約定しませんでした」という端的なメッセージは今も記憶に残っている。
それから買いのボタンを6回ほどタップしたところ、「一部が約定しました」のメッセージとともに、買いたい金額の約15%が約定した。直後、スプレッドは最初の約2倍に拡がっていた...
上のような販売所・取引所ランキングを扱っているサイトは、こんなことは教えてくれない。アフィリエイト先をディスる内容など載せるはずがないだろう。リンクを押す人まで含めてアフィサイトの商材なのだ。忘れてはならぬ。
【2点目】
では、取引所の中でどこを選べばいいのか? レバレッジ取引の有無や、手数料の安さ、アプリの使いやすさなどいろいろあるが、正直どこのサイトもそこまで差はない。色々見ていって、あなたが一番気に入ったものを選ぶべき……と言いたいが、これでは答えになっていない。
あなたが初心者であれば、GMOコインがいい。取引所と販売所があるし、手数料はほぼ最安だし、何よりチャート機能が充実している。
あとはLiquid by Quoine(リキッド)が思い付いた。チャートを含んだ画面の見やすさはそれなりで、スプレッド幅が狭いのがいい。セキュリティも国内最高レベルだが……サイトの重さがダメなんで、Coincheckにしときます。BITPOINTも捨てがたいですねェ。
ところで、後述するAPIによる自動トレードに挑戦する場合は、GMOではなくリキッド一択となる。
口座を開いたら、まずは挑戦だ。あなたの直感や自然な考えに従ってトレードしてみよう。素人レベルでOK。むしろそれがいい。
最初の数日間はまずまずの成績だが、だんだんと負けが込んでくるはずだ。そして、負けた分を取り返そうとすればするほど、資金を失う速度もまた上がっていく。一月も経つ頃にはすっからかんになっているかもしれない。
普通はそういうものだ。反省はしても気に病む必要はない。むしろラッキーだ。ツイている。たかだか数万円でこのこと(実力がない者はお金を毟られるだけ)が学べたのなら、その時点でコストパフォーマンスがいい。株やFXも同じ構造だ。
大事なことを述べる。この段階で、「トレードはつまらない」「これなんか違う」「負けて悔しいから何とかしたい」などと思った場合、少なくとも短期投資からは身を引くべきだ。あなたは向いていない。
別に悪いことじゃない。仮想通貨で勝てなくても、人生はどうにでもなる。何度も言うが、あなたは運がよかったのだ。短期投資で勝てないことがわかったのだから。
最悪の場合、「絶対取り返してやる」などとギャンブル中毒者のごときマインドに縛られ、さらに数十万、100万以上を市場で溶かしていた可能性がある。
私の場合は、長期投資が向いているようだ。多くの人はそうなのではないか。仮想通貨のレバレッジ取引を始めて1年ちょっとになるが、購入そのものは2016年からやっている。その時に無くなってもいい程度のお金で買ったイーサリアムが、今ではけっこうなお値段だ。毎年ちょっと取り崩して飲み代にしている。
これまでの仮想通貨の歴史に従うと、『毎年大量購入作戦』が効果的である。毎年一定額を購入し続けてひたすら寝かせる作戦を採った場合、全員が勝っている。下がる年もあるが、大幅に上がる年もあり、それまでの負けを帳消しにする。
私の場合、短期投資(レバレッジ取引)は『ゲーム』としてやっている。50万円以内の、別に無くなってもいいお金で――『グノーシア』とか、『Inscryption』とか、『ダークソウル』とか、『ポケモンGO』とか、いろいろあるだろう。そういうゲームをプレイするのと同じ感覚でトレードに参加している。
仮に私が真剣勝負でレバレッジ取引に挑んだ場合、必ず負けると感じる。トレードアルゴリズム(取引ロボット)やプロに勝てるはずがない。『ゲーム』だから勝てている。
もし相場に対して真剣勝負を挑み続けたとしたら、私はプレッシャーに負けて大事な場面で選択を誤り、強制ロスカットを受けて資産が吹き飛ぶ未来が見える。
株だろうとFXだろうとCFDだろうと、一番大事なのは決めたルールに従い続けることだ。ルールの一部に直感や感覚が含まれていてもいい。とにかくマイルールに従う。
例えば、ビットコインを480万円で買って、500万円で利益確定した後、巨大な火柱が立って540万になったとしよう。
ここで、「40万円×購入枚数だけ損した」と考えるのは素人だ。玄人の場合、ルールに従っていたのであればそこまで気にならない(ちょっとは気になる)。そういうことが何度も続いた場合、ルール変更を考えるだけだ。
これは、利益を確定した後でその銘柄が大きく値下がりしてホッとした場合もそうだし、ポジションを持とうか迷っていた時に価格が急変動し、「ポジションを持っていればよかった(ポジションを持たなくてよかった)」と思った時もそうだ。
いわゆる、機会損失とか機会利得を気にしなくていい理由というのは、それが【異なる選択をした自分】だからだ。それは、あなたとは違う人間だ。異なる世界線にいる違う自分なのだ。これからバタフライエフェクト的な意味で、その枝分かれした2人の人間は違う未来を歩んでいく・・・・・・。
イーサリアムが絶望的な価格水準になっている時、反発を期待して勇気を出して買ったとする。それで何十万も儲けて、大喜びをしたとする。だが、それが偶々だったら? また同じようなタイミングで底狙いに挑んで、今度は何十万も含み損を抱える未来はきっとある。その後も、過去の自分を信じたがために、強制ロスカットで100万以上を失ったかもしれない。
逆に、リップルを損切りした後で、爆発的な価格上昇となって悔しい思いをしたとしよう。しかし、その上昇は仕手筋によるものであり、何日か経つと一気に値下がりし、ある日ついに数時間で50%以上も下げてしまい、市場参加者は根こそぎロスカットに遭ってしまった……みたいな実例もある。
『禍福は糾える縄の如し』という。いいことも悪いことも繰り返しやってくるものだ。どこかの鬼狩り漫画の兄弟鬼みたいに、ひたすらツイてない場合もあるだろうが、多くの場合は幸不幸の繰り返しだ。
蛇足だが、妓夫太郎はそこまで運に見放されてはいなかったと感じる。綺麗な妹がいて、自身も喧嘩の強さに恵まれたわけだろう。幼少期を生き残れるだけの運もあった。
もうちょっと別の運命がきていれば人生なんとかなっていたかもしれない、と2018年頃にジャンプを読んだ時に思った。
本題に戻ろう。仮想通貨の場合、その波の大きさに普通の人間は耐えられない。特に自己の裁量でトレードを続ける場合がそうだ。多くの人間は、損を繰り返した後でさらに多くの資金をリスク最大で突っ込んで、より傷口を拡げていく。そうならないために、ルールでわが身を守る必要がある。
ルールといっても、そんなに難しいものじゃなくていい。結局、トレードをする以上は、勝ち負けとあなた自身の性格や感覚は切っても切れない。エントリーやエグジットの時に直感が入っても構わない。ただし、条件を満たした場合はどれだけ苦しかろうと実行する。それだけだ。簡単なルールを備えて、失ってもいいお金で何十回と検証してマイルールを身に付けよう。
参考までに、私のルールを紹介する。テキストエディタに書き留めて、適当なタイミングで更新を続けている。私の場合は、このルールで過去1年間で40%の利益となっている。現物取引に換算したら20%くらいだ。最高の素質を持った人間とそのマイルールであれば、400%とかの桁違いの利益を叩き出せるのだろう。
・市場参加者の心理(ファンダメンタルズ)を推し量る。チャートはその後。
・①日足を第一基準として相場を読む(RSI,移動平均線,トレンド)
・ルールに従っている限り自分を責めるべきではないし、責めてはならない。
・投資は間違えることが前提のゲームである。想定通り以外であれば利確損切していい。
(2)エントリー
・日足チャートに従う。
現在価格付近での指値(成行)注文orチャート上の底(天井)狙いor爆発的な初動を狙う。
※トレンド転換を事前に読むことはできない。移動平均線が転換するまではトレンドに従い続ける。
・底(天井)狙いの場合、理論上の最安(高)値から±2%以内をエントリー価格とする。
(3)エグジット
・市場観測時(定時22時過ぎ)に損失2%以上を確かめた場合は決済する。
反発する確信がある時は別の条件付きで保持する。その条件が満たされたら即座に決済する。
・平坦ムード(ヨコヨコ)からの急下落(上昇)が見られた場合は損益に関わらず決済する。
・利確注文と損切注文は置かない。急激な値動きやストップオーダー連鎖があるため。
(4)今後の考え方
・今が「買い」か「売り」かを考える。過去に買った価格は関係ない。
・勝ち負けの考えを捨てる。ルールに従っていれば自分を責めない。。
・トレード方針を決める時間は15分~30分まで。それ以上は考えすぎで失敗する。
・本格的にお金を増やすトレードは無理。稀有なチャンス狙いで小遣いを稼ぐのは可能性あり。
・決定の際に恐怖があれば成功の可能性あり。快感があれば蛮勇の可能性大。
・人が欲望している時に恐怖し、人が恐怖している時に欲望する。※受け売り
・労働等の義務がある時間帯(昼休憩を含む)はログイン不可。仕事に差し支える。
なお、私の『勝率』は一番儲かっている時で2割~3割だ。これでも利益を得ることはできる。というか、むしろこれぐらいの勝率がいい。
つまり、注文が約定してから半日以上が経ってトレード画面を見ることが多かったのだが、その時に2%以上の損失が出ていたら決済する。利益が出ていた場合は、チャート的に上がる相が出ていたら放っておく。下がり始めた「かもしれない」と感じたら決済する。直感的なトレーリングストップだ。
今は、絶対に勝てそうな場面だけを狙ってトレードするスタイルだ。勝率は6割を超えている。約定するのは月に1~2回か。チャート上の最高によさげな地点にリミット(指値注文)かストップ(指値注文)を置いて放置しておく。週に2回くらいGMOのチャートを開いて、価格がいいところに来ていると感じたらなら成行で買う。
wuzuki
この連ツイの主張は「性的な妄想を実行に移せる場所も対象もすごく限られてるということを理解して。
公共の場で子どもを性的に見ることを肯定するメッセージになりうるものを新聞社が出さないで」ということかと。
2022/04/16
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718241157743732898/comment/wuzuki
1行目も2行目も、
まず、”性的な妄想を実行に移す場所”として「架空の世界」「絵の中」より適切な場所が思いつかないんだけど。
ていうか
そもそも「~を肯定するメッセージになりうるもの」って言い回しが凄くて
その言い方許すならどんなコンテンツにも無限にイチャモンつけられるよね?
たとえばゲームや漫画では結構生き物や人間を攻撃したり殺したりする展開あるじゃん。
鬼滅の刃ですら、未成年の主人公が刀持って戦闘させられたり敵の命を奪ったりしてる。
wuzuki 論法ならこれは「少年兵や殺傷行為を肯定するメッセージになりうるもの」って言える。
現実で許されないことはフィクションの中でも描写しちゃダメってこと。
実際こういうことを言う人はいる。
だからあの人達は本当に現代のコンテンツの殆どを自分や子供から遠ざけて暮らしてる。
wuzukiさんもそういうスタンスで生きてる人なら筋は通ってる。
でもそうじゃなくて、多かれ少なかれ現実では許されない内容のコンテンツを現実と区別しつつ消費して生きる普通の人だったら
「肯定するメッセージになりうるもの」論法はすごいダブスタでかなり恥知らずなイチャモンじゃない?
つまり、
wuzukiさんだけに限らないけどこの手の問題へのクレームって
表現へのこの手のクレームが成り立つケースは一応3パターンあって
A.コンテンツと現実の区別が付かない異常者を前提にすれば成り立つ。
でもそういう人、0ではないにしても元から日常生活が難しいレベルの稀有な病人や障碍者じゃない?
B.または、クレーム者自身がコンテンツと現実の区別を混同すれば成り立つかもしれない。
そういう病人や障碍者自身がクレームしてるってケースはあるかもしれないけど
それもコンテンツ側がどうこうすることではなく、社会がクレーム者を保護してケアや支援すべき話だよね。
C.クレーム者自身が対象作品によって区別したり混同したりと立場をコロコロ変えれば成り立つかもしれない。
自分が嫌いなコンテンツや気持ち悪いコンテンツに対しては厳密な現実基準でクレームを入れる。
でもこれただの不誠実なダブスタさんだよね。
たとえば少女漫画に出てくるかっこいい男の子は多くが未成年だよね?
そういう男の子との恋愛を眺めてドキドキしたりして楽しむコンテンツも
「子どもを性的に見ることを肯定するメッセージになりうるもの」と何の苦もなく言えちゃう。
(wuzuki式は確からしさとか参照無用なので何に対してもどんなことでも言えちゃう。)
同世代の読者が読んでるならセーフだけど
でも「あの巨乳漫画の読者におじさんが多いから問題!」って言ってる人は
少女漫画よりは大人向けで、最近完結した『プロミスシンデレラ』も10時台のドラマにまでなった漫画だけど、
肉体関係は最終話だけど、アラサーバツイチと17歳の恋愛関係の時点で「不適切」とか「気持ち悪い」って言い方は出来るよね?
でもお話の中だからみんな許容してそれどころか楽しんでるわけじゃん。
所詮コンテンツと現実を区別しましょうで終わりの話だってちゃんとわかってるから。
年齢差なんてただのスパイスとして楽しむ。現実と同じほどの心配やモラル判定まではしない。
オタク向けの気持ち悪い漫画だとそこを知らんぷりして現実準拠で攻撃しようとする。
ダブスタだし、気持ち悪いものへの嗜虐心が強くなりすぎて色々麻痺してるよね。
表現の自由の話が「反日」的なものとキモオタコンテンツにばかり発生するのは
どっちも「こんなケシカランものは抹殺されて当然!」という正義の人々が湧くからでしょ?
そういう憎まれやすい表現ほど表現の自由で守られなきゃいけないんだから当然でしょ。
あの巨乳漫画が嫌だっていう人が20パーセントでなく80パーセントだったら、猶更規制したらまずいと思う。
たとえば通勤途中で女子高生を盗撮して「元気が出る画像サイト」とか言って陳列してる大人がいたら
それはもう秒で逮捕して打ち首獄門に処してほしいんだけど、
コンテンツの中でフィクションの女の子で元気出しててもそれは被害者いないでしょ?
どんなコンテンツだって不適切な行為を肯定するメッセージに「なりうる」。
そしてこれって要は
「性犯罪を助長する」を、より根拠をぼかして反論されにくくしただけの言い回しじゃん?
「性犯罪を助長する」は根拠を求められてしまって何もエビデンス出せなくて袋叩きみたいになったから。
「~を肯定するメッセージになりうる」はほとんど同じことをより微妙な懸念っぽく言ってるだけ。
実際に社会に悪影響があるという証拠はない。頑張って調べる気もない。
「なりうる」は噓ではない。
女性は医者になってもハードな勤務をせず教育費の無駄や社会の損失に「なりうる」。
なんて言ったって可能性が0ではないということを言ってるだけだから証明責任すらない。
こういうことを意味ある風に言って周囲を操ろうとしてるならまあまあセコいし卑劣だよね。
ところであの漫画を問題にしてる人はちゃんと内容読んでるのかな。
https://yanmaga.jp/comics/%E6%9C%88%E6%9B%9C%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%8F%E3%82%8F
原作者も楽しみにして放映まで盛り上げてたのを見てるからネガティブなことは言いたくない。
でも初回の最初で「あ、これ駄目だ」ってなった。
だからあの酷いバレエになるのは技術不足やリソース不足ではなく、スタッフがバレエをあのように見てるってこと。
業界屈指のアニメ技術力を持ちながらあんな物は作らない。作るわけない。
スタッフがバレエに何も感じてないのがあのアニメを見れば手に取るようにわかる。
じゃあなんでこんなもんアニメ化したの?
そこが不思議。
溺れるナイフはもう映像になってるから今連載中の~みたいになったか。
とにかく『ダンス・ダンス・ダンスール』のこともそんな好きじゃないね。
あとさあ、
登場人物が吹き出しの外の手書きでゴチャゴチャッと喋ってる台詞を
ああいうのはカメラを他所へ振って画面外でちょっと遠い音で早口で喋らせたりしろ。
でもうひとつ
主人公の潤平の声が汚いんよ。
いや声優は上手い人なんだろうけどさ。
なんか三枚目的な汚い声、善逸みたいな声を出すわけ。
違うだろうよ。
本来女の子みたいな、見た目だけなら王子様で通る少年なんだよ潤平は。
父の死で無理にマチズモをまとおうと頑張ってきたけどちゃんと繊細な感性を持ってる少年。
だからもっときれいな声をベースに「ババア!」みたいな台詞を言わせるんだよ。
剽軽な汚い声でがならせてどうする。
もう何もかも駄目なんだよな。
3D使うのはいいけど腕の動きひとつだって動かし方のタイミングだろうが。
ただ腕を動かすだけでも下手糞の棒みたいな動きから凄い表現力を放散する動きまであるぞっていう
そういうことを原作ではさんざんやってるわけでな。
あれ読んであんな、普通のアニメと何も変わらない程度の労力しか籠ってない動かし方をするなら
ならなんでこんなもんのアニメ化に手を出したの?
それが本当に不思議で。
拘り込めることをさぼったり感激なく作品を作ったりするならこんな仕事やめちまえよ。
だが作画監督がバレエ…というか踊りに対して感激する感性全くない人間なのは確信してるよ俺は。
バレエの作画するにあたってたぶん振り付けは頑張って資料を揃えてる。
でも感性はない。
だから振り付けを正しくなぞる以上のことがなんにもわからない。
そういう人間が付けてる動きだって言うことは一目見ればわかる。
俺が何にこんなにムカついてるのか、アニメ未視聴の人は1話でいいから見てみてくれ
別に高度な水準の話はしてないのでわかる人は一目でわかると思う。
技術的な限界の問題じゃなくて、表現しようとしてない、踊りに何か感じたことがない、って5秒見りゃわかる。
いまいち若年層を取り込めてないジャンルが大流行したものにのっかってこういう公演打ち出すのってたぶん鬼滅が好きで能は知らんみたいな人を集客して「けっこうおもしろかったな!他の能や狂言も見てみたい!」って方向にもっていきたいんだろうけど、
こういうのってもともと能や狂言が好きな人しか行かないんじゃないのかなって
「最近流行ってるみたいだけどそういうのに伝統芸能が乗っかるのは軽薄で好かん」
「能とか狂言ってなんか難しそうな感じするし年寄りがたんじろうやねずこやるの違和感あるから見ない」
「どうなるのか気になるので見る」
皆そこは知りたいところだろう。
何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。
それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間を虐待する、理不尽で卑怯な単なるマイノリティ攻撃である。
いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。
だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。
独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家で日本のような大昔から独自の民主主義を持っていた国で、
武士道を重んじて来た世界でも稀有な民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である。
マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミに於いて顕著にみられる。
そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇、ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!
しかし日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネットに真実を発信出来る事はありがたいことだ。
我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。
色々感想はあったはずだが、ラスボス戦で発生した展開にビックリし過ぎて思い出せない。
表のラスボスは吟遊詩人みたいな正体不明の男で、シナリオの前半からたびたび出現して主人公たちを煽りまくる、Wizardryには珍しいタイプのアクティブなラスボスなのだが、
これはシーフ系の敵が付与されている事が多い攻撃パターンの一つで、金やアイテムを盗むと同時に逃走するムーブで、金はともかくアイテムだとレアな武器防具でも遠慮なく盗んでいなくなるため、非常に嫌な攻撃なのだが、
まさかラスボスが金盗んで逃げる(当然、戦闘からいなくなるからそのまま勝ち)とは思わなかった。
このラスボスはとある条件を満たさないと倒しても何度でもでてくるので、これまで何度か倒していたが、これは珍しいパターンで、おそらく作者の人もそんな事になると思ってなかった可能性がある(もちろん判ってた可能性もある)のだが、
このラスボスは最終戦後に、主人公たちに感謝の言葉を残して成仏するんだよねえ。
お前ラストバトルで金盗んで逃走して感謝して成仏って、何の未練で現世に残ってたんだよ。最終ステージのそこかしこに、彼の身に起こった事を悲嘆する詩(フレーバーテキスト)が残ってて、単に残忍なだけではない背景を感じさせてシナリオを盛り上げていたのだが、
具体例としてゆたぼんの親が思い浮かぶが、ゆたぼんやゆたぼんの親のことは詳しく知らないので、あくまで「子供を学校に通わせたくない親の気持ち」という抽象について考えてみたい。
この話をするうえで反出生主義の中核をなす命題「人類の総苦痛量を最小化するべき」は補助線になると思う。
学校教育現場に小さなイヤなこと(掛け算の順序、前近代的なスポーツ指導)や大きいイヤなこと(いじめ、教師による淫行、死亡を含む重大事故)など、いずれにせよ苦痛が存在することは周知の事実なわけだ。
ということは子供を学校に通わせることは確実に子供を苦痛にさらすことになる。
子供を苦痛にあわせるのは悪であるから、学校に通わせるべきではない。
という具合に、反出生主義は出生以外のものごとに応用することが可能な理論なのだな。
まあ子供産んでる時点で反出生主義者ではないので、たいていの親は子を学校に通わすわけだが。それだけに、ゆたぼんの親は稀有な例といえよう。
仕事と家庭について、未来を模索している女の子たちへ。将来、家庭をもち、子供を育てながら、やりたい仕事でも成果を出したいと思う女の子たちへ。
この国は、そんな女性に決して優しい国ではありません。
どうしたって、ほとんどの場合、家事と育児は女性が担当になります。同じくらい優秀で、同じくらい活躍していた同期の男性は、そのままのスピードで走り続けます。
女性は出産をします。産前産後で体は激変し、生まれる前から子供の成長に合わせて身体も生活も変化させなければなりません。この時から、同期男性とは条件が違います。
つわり、体重の増加、ホルモンの変化、そして出産。そうやってお腹の中にいた赤ちゃんがこの世に生まれた時、お母さんであるあなたはすでに10ヶ月子育てを体内でしてきています。
だから、泣き出す赤ちゃんに誰よりも早く反応し、誰よりも早く世話をします。そこからスタートのお父さんには、手出しができません。当然です。
お父さんは、そんなお母さんを気遣い、自分は外でしっかり稼いで、家族が安心して暮らしていけるように頑張ろうと決心します。ますます、仕事に精を出します。
あなたが仕事をお休みし、慣れない子育てと大ダメージを受けた身体を癒す間、あなたの同期男性はそうやって加速していきます。
出産を境に、男性をライバル視するのは一切やめましょう。心が折れます。それまで同じコースを走っていた彼らとは、あなたはもう別の競技に入っているのです。
男女の違い、子持ちか否かはキャリアに関係が大有りです。出産を選んだ女性は、仕事での評価という競争において、ずっと後ろでストップさせられていることを自覚するべきです。それは、自分の心を守るためです。
仕事に邁進する同期男性の傍、子育て中の女性は、これまでやってこなかったタスクが鬼のように押し寄せます。しかも、やり方を教えてくれる人がそばにいない。日々成長する赤ちゃんに合わせたお世話、作ったこともない離乳食、延々と続く目的の見えない遊びや、泣きわめく子供に付き合う時間。
昔持っていた仕事への夢や希望は、ここで一旦見えなくなります。少しは仕事に自信があった人も、ここで自信は地に落ちます。
だんだんと、世の中の男性への怒りがこみ上げます。それは、仕事への評価を得るために必死に努力してきたから。受験も、就活も、残業も、男性と同じくらい頑張ってきたのに、出産を機に無に帰します。その怒りの矛先は、夫にも、同期男性にも、世の中にも向かいます。
もっと子育て世帯に優しくなればいい?お母さんに優しい世の中になればいい?
そんなこと言ってるんじゃないんです。まるっと入れ換われって言ってるんです。一度、男たちが全部の立場を女性とまるっと入れ替えろと。できないだろうと。むちゃくちゃしんどいぞと。
男女平等なんてうそです。無理です。赤ちゃんが女性から生まれてくる限り、そんなことはありえません。じゃあ、そんな苦しい気持ちはどうやったら救われるのでしょうか?
それは「人生に大切なことは、仕事だけではないこと」を教育することだと思うのです。
良い学校、良い会社に入ることだけを目指すと、苦しくなります。それを目指して子供時代に頑張った真面目な女性たちは、出産により仕事に邁進できなくなった結果、それまでの努力が握りつぶされるのです。
美味しいご飯がつくれること。美しい絵が描けること。歌が上手なこと。いるだけで場が明るくなること。ひかえめで思慮深いこと。元気で大胆であること。
そういった、その人らしいことそれ自体が、価値があると伝わる教育が必要です。付加価値なんかじゃない、人として本質的な部分の価値です。お金を稼ぐことや、仕事で評価されること以外でちゃんと自分を認められる価値観を、育てることが必要です。
残念ながら、そんな教育を受けていない今のお母さんたち。これからは女性も社会進出だと言われ、必死で勉強や仕事をしてきたお母さんたち。たくさん努力してきたのに、活躍できない悔しさを、子供たちにまで引き継ぎたくないですよね。
家庭をもち、子供を育てながら、やりたい仕事でも成果を出したいと願ってきた女性のみなさん。私も同じ気持ちです。でも、現実はそんなに甘くない。一部のスーパーウーマンか、稀有な環境の人しかできない。変えられるとしたら、私たちの子どもの代からです。
生きるために必要なことが、人間にとって大切なことや価値あることは何か、私たちが実感し、私たちを肯定できること。その姿を子どもたちに見せられること。
そうして、世の中全体が、仕事以外の大切なものを実感できたとき、成果至上主義は終わり、みんなが子育てに参加したくなる時代がくるのではないかと思います。
これはラルクに飽きて今はPlastic Treeのファンをやってるから思うことなのだろうが。
どうしてラルクばっかり「4人全員が作詞作曲できる稀有なバンド」扱いされるんだ?先日のアメトークもそういう紹介をしていた。別にラルクだけの特色ではないのだが。そう言って持ち上げてるドエルは自分の無知さを晒してる気がしてならない。
ジャンルの幅なんかラルクよりPlastic Treeの方が広いだろう。大半が暗いけどな。暗いのに幅広いってなんなんだよ。
ので、そういうドエルを大海を知らないという意味で蛙と呼んでみたりしている。
確かにPlastic Treeはドラマーの曲がシングルの表題曲になったことはない。俺はケンケンの書く曲が殊更好きなので、1回くらいケンケンにシングルを書いてみてほしい。ありえないだろうけどな。名曲揃いなんだが。月に願いをの美しさといったらない。
全体的に病的で脆弱だから、それが合わない人は徹底的に受け付けないのだろう。もったいない。アキラの書く意味分からん曲だけでもいいから聴いてほしい。
他にも全員が曲を書くバンドはあるが最推しはPlastic Treeなので。イタい海月なのは分かりきっている。
2週間ほど前にYouTubeでワーナー時代のPVがいくつか公開されたんだが、絶望の丘の読みがキボウノオカになってるのはいつ修正されるんだ?公式から言及がないのは通常運転だから構わん。
けど、推し作品があまりノミネートされていないので、私はショボンとしている(´・ω・`)
『秋山くん』(のばらあいこ)がベストシリーズ部門とベスト受け部門にノミネートされているのはいいとして、ベスト攻め部門は!? 柴くんはどこ行ったんじゃあ……。やっぱりあれか、見た目貧弱な普通顔スクカー最底辺男はいい攻めとしてBL世間では認められないのかうわああああん!!
スンッ。
あと、地味に悲しいけどまあしょうがないかなって諦めたのは、座裏屋蘭丸先生の作品でノミネートされたのが『シャングリラの鳥』ではなく『コヨーテ』で、朝田ねむい先生の作品でノミネートされたのは『スリーピングデッド』ではなく『CALL』の方だったこと。
座裏屋先生の作品については、どっちも面白いのだが去年『シャングリラの鳥』は休載が多くてあまりストーリーが進まず、一方『コヨーテ』は佳境に差し掛かった上に圧倒的クオリティで殴ってきたのでインパクトが凄かった。私は『シャングリラの鳥』の方が好きなんだけど、これはもう仕方ない!
朝田先生の『CALL』はディープ部門とはいえよくノミネートされたなって驚いた。評価は高い一方でレビューが良くないという印象だったので。私はまあまあ面白いと思うんだけど、「主人公がクズ過ぎてうけつけない」とかいうレビューには、うん、そう言われたらぐうの音も出んなと。あとエロ少ない。しかし、そういう表面上の理由で却下されずにノミネートされたのは、朝田先生の過去の実績(『マイリトルインフェルノ』のヒット)と掲載紙の人気ゆえだろうな。『スリーピングデッド』は来年度に期待。すごく面白いんだからね!!(今年度の私のイチオシ)
次にくるBL部門には、正直、はん、これが次にくるだと? 毎回寝起きセックスしか書描いてねーじゃねーかよ! という作品がノミネートされていて嫌だった。ぺっ。『息できないのは君のせい』(澄谷ゼニコ)がノミネートされているのは、そうだねノミネートされるよねって感じだ。メインカプがセフレ関係という設定ながらエロが全くない・脱ぎさえしないという稀有な作品である。『遥か遠き家』(八田テキ)は、これって今年度の作品だったの!? という意味で驚いた。ずっと前から話題作だったような気がして。ということは、単行本発売前、雑誌掲載時から話題だったっていうことだ。これはすごいことだ。何しろBL読みはあまり雑誌を読まないので。『副音声はうるさい十分に』(英子)はBL小説投稿サイトfujyossy発の作品。やったねfujyossy! だが、小説投稿サイトなのに人気作品は漫画ばかりという現状。腐界での小説の求められなさたるや。
ベストディープ部門にやはりfujyossy発の漫画『密書でござる!』(斑月)がノミネートされていて爆笑。この作品は腹がよじれるほど面白いけど、ポリティカルコレクトネス? 知ったことかぁ!! な人向き。どうしようもないエロギャク満載。ディープ部門の中で去年いちばん見かけたのが『夜画帳』(Byeonduck)と『ハッピー・オブ・ジ・エンド』(おげれつたなか)。『夜画帳』は私は読んでドン引きしたが、話題作なので賞取る可能性はありそう。『ハッピー・オブ・ジ・エンド』は私は未読だが、私とは一切趣味の合わなそうな人達の支持している作品なので、私には買っても金の無駄になりそうだから手を出すことはないだろう。
私的にある意味注目なのは、ベスト小説部門。実は私は商業BL小説の世界はあまり肌に合わないからほぼ読まない。読むとしたら一般文芸でも書く作家さんか海外作家さんかムーンライトノベルズ出身の作家さんくらい。なので、ノミネート作品だいたいあらすじすら知らない。のだけど、今年は商業BLの外部から参戦してきた作品がどんだけ頑張るかというところに注目している。とくに『魔道祖師』(墨香銅臭)。これは「このBLがやばい!2022年度」で小説部門第1位だったのだが、BLアワードを主催するBL情報サイト「ちるちる」での評判は今一つ。そもそも、商業BL読みの多くがBL漫画を読むだけで商業BL小説は読まず、商業BL小説を読む層は独特な美意識を持っておられるので、商業BLの掟に添わない作品は読まない。『魔道祖師』は海外発Web小説なのでもちろん商業BL小説としては型破りというか邪道。しかも「漢字ばかりで難し~いぃ」といってBLファンから広く敬遠されてしまったので、一体その状況でこの超大作が果たして受賞することがあるのか。あったとしたら今後、商業BL小説界は大きく変わりそうなので 、注目なのである。
某配信アプリに入り浸ってるんだけど、何人かの配信者が同じこと言ってたのが印象的だったんだが「初見お断り設定したいな」という素直なお気持ち。わかるわ~。
ゲーテッドコミュニティというか。ゆるい線引きが欲しいよなーっての。NIMBY問題とまでは行かないが、まあ延長したら地続きではある問題かも知れないが。
そうなんだよね、見知った人だけを相手にして喋りたい。なんかマナーがなってない人間に郷に入っては郷に従えと注意するとか、「うちの配信はこうなんですよ」というマイルールを尊重してくれない一見さんが来てしまい対応に追われるリスクがある。
だってさ知らない人と喋るモードと、ある程度の知ってる人と喋るモードってどう考えても脳の警戒度というか緊張度が違うじゃん。見知った相手のほうが疲れないし。でも基本的に配信って全世界に公開されていて誰でも入って来れてしまうものじゃん、だから疲れる。
でも10年前のニコ生からそうだけど「今日テストの点数がさ~」みたいなめちゃくちゃローカルな、半径2kmみたいな話してたりするじゃん。そういうのってもうLINEとかのクローズドな場に移行していってるのかな。ツイキャスとか。
そも人間って川を越え山を越え海を越え、複数の異文化人と渡り歩けるような人間ばかりじゃないし、って言うかそんな越境人間のほうが稀有じゃないですか。基本ローカルすよね。
だから半クローズドというか、開き具合、閉じ具合をコントロールできるようにするのが、日本的?というか、ある意味全人類に普遍的な配信プラットフォームにとって必要な機能じゃね?
YouTubeにもパリコレの波がきて規制が厳しいじゃないですか、エロとかも厳しいし。その点はニコニコのが緩いというか日本人の倫理観で制御されてるぶん比較的に馴染みやすい、文化的には。某N氏が「グローバルな規制を~しないと~GAFAが」みたいなことをちょっと口走って炎上して減給処分かなんかされてましたけど、ちょっと安心しました。日本の文化防壁としてニコニコには生き延びて欲しい。
閑話休題。
もちろんトレードオフなんですよ。それは分かる。配信者も新規ファンの獲得・開拓、外貨を稼ぐ、といったムーブが必要な場面もある。しかし、お金やメジャーになりたい名声を得たいといったようなものでなく、「見知ったファンとこじんまり地下ライブハウスみたいな、場末の居酒のママみたいに客の人生相談や愚痴でも聞きながら過ごしたい」って言う需要も確かにあるんでしょよねー。採算度外視、趣味の弁当屋・喫茶店・駄菓子屋のジジババ的な余生型配信者というか、いわゆる「漁師のコピペ」みたいな状況だよね。
でも資本主義の論理と正反対にあるので、営利企業的には美味しくないのかも知れないね。あとグローバル化とも反するね。
例えばYouTubeで成り上がる手段って、ようは「もっとYouTubeを見てくれる人や時間を増やし、広告媒体としての価値を上げてくれそうな動画投稿者(YouTuber)を優遇する」というリコメンドのアルゴリズムしてるわけで。クローズドなんてもってのほかなんすよ。だって広告だし。クローズド配信する機能が解放されるのは収益化が通ってメンバーシップという会員制を敷いて課金してる人だけ、っていうね。
門を閉じたいならカネを払う必要があるし、無料でやりたいなら全世界に門戸が開いた状態でしかできない。a.k.a "全世界にお見せできる内容しかできない" わけですわ。
そうだ、キョート行こう
外見差別と戦った同志の死 「バケモノ」と罵倒された過去 それでも笑い続けた稀有な才能(withnews) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/05870ce19e7cb170b63592c2c398992a297a9447
あざの顔、見るのは仕方ない? 「自意識過剰」で片付けられない問題
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/withnews.jp/article/f0190307002qq000000000000000W06810801qq000018812A
「見た目問題は障害」バケモノと呼ばれた男性の願い 就活で心砕かれ
https://withnews.jp/article/f0170707001qq000000000000000W06810101qq000015484A
M1は中止されるべき