はてなキーワード: ふたりとは
恋愛的な意味になる。男性を見ていて、本当に鈍いと思うことがある。人生でそう何度もあるわけじゃない機会だ。ここで愚痴らせてほしい。女の子が不憫すぎる。どうして男の人は気が付かないの?と思ったことがそれくらいある。
若い年齢ではないから、リアルな感じは伝わらないし、違和感もあるかもしれないけど、ちょっと聞いてほしい。
これまでに何十回とそういうのを見てきたけど、年代別に3人だけ語りたい。それぞれ、高校生の時とか、大学生の時とか、社会人の時とかいろいろある。
小町とかで書いた経験もない。文章は不足してると思う。読みにくかったらごめんなさい。
一つめは、高校の部活での出来事になる。文化系の部活に入っていて、社会福祉の活動をしてた。今の言葉でいうと、ヒューマンライツ部みたいな名前だった。
ハンセン病とか、人権があやぶまれている人達のために募金活動をしたり、東日本大震災の被害者のためにカンパでお金を集めたり、署名活動をしたり、あとは非核運動にも参加していた。集めた募金の方は、政党や団体に寄付していた。
書いてるうちに懐かしくなってきた。自慢にはなるけど、実績のある部活動だった。広島県庁からも、文部科学省からもインタビュー依頼があったり、賞をもらった。
忙しい時はとにかく多忙だったけど、普段はそこまでやることもなかった。そんな日は、狭い部室棟の一室で、みんなで雑談して盛り上がっていた。その部室で、ある時、当時は高3だった私と、同じく高3の女の子と、高2の男の子がいた。3人だけだった。
私は人権学習の資料を読んでいて、あとの2人は楽しげにトークをしていた。ちょっとうるさくて、注意しようか迷ったけど、そういう雰囲気の2人なんだなと思ってやめた。
気がついたら6時半になっていて、もう帰ろうかと思ってたら、高3ちゃんが高2君に話をはじめた。
「ねえ。なべは帰りは自転車だっけ」
「うちは電車なんだけど、じゃあ途中まで一緒だね」
「途中……あぁ、あの坂が途中で別れますよね」
「なあ、今日いっしょに帰らん? 駅まで。暗いし」
「途中までなら」
「駅まで帰らん?送ってくれん?怖い」
「うーん」
イライラしていた。高2君に。男はここまで愚かなんだろうかって、この時絶対にそう思っていた。高3ちゃんは黙ってたけど、一声を振り絞ったのを覚えてる。
「ねえ。なべー、今日一緒にかえろ?」
「すいません。帰れないです。今日は家まで急ぎなので」
さっきまで、あんなに楽しい調子で話してたのに。なんだったんだろう。だったら、さっさとあなた1人で帰ればいいのに。どうして、ここまできて駅まで送ってあげないの?
どうして、男の人はこんなことをするんだろう。たとえ乗り気じゃなくても、一緒に帰るのがマナーだと思う。高3ちゃんは、性格のいい子だった。外見だって。私から見てもブサイクじゃない。
なんで、高2君はあの時、誘いを断ったんだろう。一般的な男子だったら、一緒に帰るものだと思う。
彼のような男性が減ってほしいと願う。高3ちゃんの勇気が無駄になってしまった。ひどすぎる。
二つめになる。
大学生の時だった。教職課程を取っていた私は、ある難しいグループ講義に参加していた。教育方法学だったと思う。6人でチームを作って、先生が出した課題に沿ってグループ内で討論をして、レポートを半年間で4回作って提出する。2・3年生が中心の講義だった。
私が通っていた大学では教職課程最難関と言われていて、まじめに受けても3人中2人しか単位がもらえないという話だった(しかもほとんどの人が「可」の評価)。当然必修科目だ。
私が入った講義グループ(チーム)は、3年生が1人、2年生が5人で偏りがあった。講義の初回はオリエンテーションで難しくなかったけど、2回目からは本格的な教育学の討論が入って(エリクソンの発達課題?)、みんな自分の意見が出せずに苦戦してた。しかも、2週間後には関連付けたレポートを出さないといけない。
私もぜんぜんわからなかったけど、話の種はなんとか出てきて、ノートに記述を書き留めていって……でも、次の回になると課題がもっと難しくなった。上の課題が、別の経済問題(非正規雇用とかの多様な働き方)と関連付いていた。
ほかのみんなも黙り込んでしまってどうしよう、となったところで3年生の男の人が口火をきった。なんて言ったかは詳しく覚えてないけど、「先生の意図は、どうやったら主体的な学びができる子を増やせるかだと思う〜」という内容からはじまって、経済問題につなげていって、話を終える頃にはグループ全員が小レポートを作れるくらいの論がたまっていた。
講義終了後に、担当講師の人が用意したチーム単位の登録制SNSがあったんだけど、そこでも自分の論考をオープンにしていて、みんなその人の意見を参考にしていた。
第1回のレポートを終える頃には、チームのある女の子(大2ちゃん)が、その3年生(大3君)にひたむきな視線を送っていた。
講義中に話をする機会があったら、大2ちゃんはまっすぐに大3君の目をみていた。座っている同士だと、講義机の上に両手をちょこんと載せて、口を結んで彼を見ていた。お互いに立っている時だと、背筋をのばして大3君を見上げるみたいにして、できるだけ近くに寄ろうとしてる。
そういう姿を見るのが楽しみだった。大3君は、見た目はぼやっとしているけど、頭の回転が早くて、堂々としてた。私自身も、いい人だな、ご飯に誘われたらどうしようと思ってた。
第2回、第3回のレポートも提出が終わって、いよいよ最後のレポートを出す直前の講義だった。
その講義の責任者だった教育学部の教授から言われたのは、「最後のレポートを出す前に、お互いを評価しあいましょう」というものだった。5点満点で、メンバーがそれぞれ評価を出し合って、平均点が最終レポートに加算されるみたいだ。
その時、6人のメンバーは長机×2にそれぞれ座っていて、その5点満点の評価シートを眺めていた。緊張感があったと思う。人生初めての経験だった。
そしたら、大3君が言い出した。「これは、お互いに満点をつけるために存在しているとしか思えないから、みんなそうしよう」って。
みんなうんうん、と頷いていた。かくして、私たちはお互いに5点を投じ合った。大2ちゃんは、彼のそんな様子をあこがれの視線で観ていた。もう、第三者にもわかるような、それくらいわかりやすかった。
でも結局、彼女の想いは報われなかった。最終レポートを出し終えて、「最後に飲み会をしよう」となった時だった。福岡市内にある落ち着いた雰囲気の居酒屋で、みんなで六人だけの飲み会を楽しんだのだけど、わたし達は一緒に見計らって、大3君と大2ちゃんをくっつけようという話になった。
席を隣にしたり、一緒に話す機会を作ったり、ふたりがいっしょになるように計らっていた。でも…大3君は、そんな彼女をスルーしてた。仲良くする気配もなくて、ただ「そうだね」みたいに呟いてた。
その後、最後のチャンスということで、大2ちゃんが彼をご飯に誘ってみて、一緒にデートしたみたいだった。けど、大3君からは特にアプローチはなく。
告白しようか、と思ったみたいだけど、傷つくのが嫌だからやめた方がいいかなって彼女は言ってた。私もそうした方がいいと思って「待った方がいいよ」と、一通り話を聞いた後で助言した。
私が許せなかったのは、その次の年の別講義で私と大3君が同じ班になった時、一緒にご飯に行く機会があったんだけど、彼はその時「実は、大2ちゃんのことが気になってた」と意味不明なことを言ってた。
こいつ最低だと思った。自分の想いも告げないのに、勝手にフラれた気になって、自分からは動かないのに。どうして、男性はここまで自分勝手なんだろう。
大2ちゃんが気になってるなら、彼からご飯に誘って、彼からそれとない会話をして、彼から告白して、とにかく想いを告げるのは男性の役割だ。
もう過ぎたことだけど、今でもそういう煮え切らない態度の男性を見ると、正直腹が立つことがある。
三つめになるけど、今の職場でいうと、私と同じ齢の30手前くらいの男性がいて、彼は多分、私の同僚の好意に気づいているのに、なにもしようとしない。私はすぐ近くの席で見てたから知ってる。
その子は、彼と目が合いそうになったらすぐに逸らしたり、廊下ですれ違う時に端っこに寄ったり、彼と話をする時にまっすぐ背を伸ばして彼の顔を見詰めたり、話をしている時は声が極端に高かったり、低かったり…そういうわかりやすい態度で示してるのに、その男性は知らん顔をしている。
※結婚してる人じゃないよ。念のため。
その男性も、会社の飲み会の二次会では「あの子が気になるかも」ってトークをしてた。お酒の席だから冗談かもしれないけど、私からすると彼も彼女のことが気になってる。
男性って、どういう気持ちでそんなことをするんだろう。女の子からのアプローチがあって、しかも自分がその子を気になってるのに…どうしてそんな行動が取れるんだろう。
私にとっては、男性のそういうところが理解できない。悲しい話ばかりになったけど、我慢できなかった。今回は、自分の気持ちを正直に言ってみたつもりだ。厳しい意見は覚悟してる。一増田の意見として読んでほしい。
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
私の所属していた法人課税部門の話ではあるが、直接関わったわけではない。どちらかというと、もっと上の方の、課税全体の企画や調整・取りまとめを行う部署の話になる。
当時も、国税庁が掲げるところの「内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現」をめざして、日々勉強の毎日だった。世の中は変わり続けている。税の勉強に終わりはない。当時の仕事を平たくいうと、税制改正の内容を関係者・関係部局にわかりやすく伝えて質問相談苦情に答える、といったところか。管理職が近づいた当時は、そんな仕事をしていた。
40代が近づいても、税の世界は深かった。税理士資格は若い時分に取得したが、それでもマニアックな税分野とか、諸外国の税制度になると不案内だった。
そんな折、とある会議の最中だった。ある人が、たしか個人課税の徴収部門の責任者だったか、ビットコインの話を始めた。課税の方法がわからない人や、脱税の疑いがある人が増えており、(内閣府まで通じて)国レベルの対応を考えているという。
ビットコインのことは何となく知っていた。どんな形であれ、収益を得たのであれば納税するのが当たり前である。だが、事情があってできない者や、あえてそうしない者もいる。私の思い違いは、後者が思いのほか多かったということだ。
国の関係機関は、ビットコインほか暗号資産に関する文書を多数発行している。国税庁もそのひとつだ。それは6,7年前だったか、取り掛かったのはさらにその数年前になるが――上の会議の後で、主に若手職員が中心となって暗号資産の税務上の取扱いに関する文書(納税ガイドライン)を起草した。国税庁のページに今でも載っている。
ガイドラインを作るにあたり、各部署からは若手数人(YoungなAdultを含む。40代でもOK!!)が抜擢された。うち1人は私の同僚だった。あの頃、仕事帰りに個室の飲み屋で話をしたのを憶えている。彼は、ビットコイン(暗号資産)に対して恨みの感情をいだいていた。
・ただでさえ忙しいのに。ガイドラインの下準備だけでも難しい
・国際反社の資金源を絶とうと思えば、暗号資産を違法化してもよいのでは
・でも、それでは他国との足並みが揃わない。国力にとってデメリットがある
・暗号資産がどの国でも一般的な存在になれば、俺達のこの仕事は報われるかもしれん
・上司は評価をくれると言っていたが、貸し借りにすらなっていない感がある
・実は、「優秀な若手を」と言いつつ、優先順位の低い職員を駆り出しているのでは?
・こんなことが続くようなら、転職を考えた方がいいかもしれない
このような愚痴をもらしていた。この人は、高卒枠で国税庁に採用され、若い頃は地方税務署を転々とした。その後、実力を評価されて国税庁の現場寄りの部門で働くようになった。叩き上げというやつだ。普通に幹部候補である。このあたりの考え方は、省庁によって違う。※後述。
私だって彼のように、当時は「よくわからないもの」「社会に必要性がないもの」「反社の資金源」とされるものを扱う仕事に抜擢されたとしたら、どんな気持ちになっていただろう。憂鬱になっていたかもしれないし、反対にワクワクしていたかもしれない。おそらくはその中間だ。
ところで、件のガイドラインは相当に練られている。人件費で換算するなら、軽く数千万はかかっている。本来の部署でさえ仕事に忙殺されているのに、彼らはよく作ったものだと感心した。
____________________________
《後述の内容》
中央省庁は大卒しか採らない印象があるかもしれないが、高卒採用は私が知る限り全省庁で実施している。省庁によって雰囲気は異なるが。私が若い頃だと、毎年何十人も採用しているところもあれば、実質的に高卒者を採用していないところも当然あった。覚えている限りでは、次のような印象だった。
(総務省)
たくさん採用する。男女比は同じくらいか。データの取りまとめや解釈など、政策の基本になる数字を拾う仕事が多い。実力が認められると政策立案も担当できる。地方自治体への幹部待遇での出向も。
(国土交通省)
たくさん採用する。男性が多い。本庁に採用されても、ダム管理関係など現場作業をするポジションになる可能性があるからだろうか。工事用の図面作成なんかも当然あるだろう。
(財務省)
ほどほどの数を採用する。高卒枠だと、ほぼ女の子しか採用してなかった。もちろん顔採用だ。たまに業務で寄ることがあったが、当時の先輩が「俺も財務省の子と合コンしたい……」と呟いていた。当然ながら、銀行の一般職みたいに、大卒採用の男性とくっつけるためにやっている。
(国税庁)
略
(厚生労働省)
たくさん採用する。男女比は半々だ。労働環境が厳しいこともあるのだろう、私が知っている子は、ガタイがいい人ばかりだった。総じて言えることだが、高校3年生の時点で中央省庁の面接官の眼鏡にかなうわけだから、指折りの人材だ。特に「役職持ちの高卒者を見たら刮目せよ」のイメージは正解だ。
____________________________
かくいう私も、当時はこの仕事を続けるべきか迷っていた。実際、数年後には転職することになるのだが、正直やりがいを感じられなかった。
実際、あの彼の言うとおりだったと思う。あのガイドラインは、いわゆる『火消し』の仕事に近い。すぐにバブルが弾けてなくなると思われたビットコインが生き残ったことで、脱税者(善悪を問わない)が多く存在することが予想された。事前の対策を打とうにも、そんな余剰人材は配置されていない。
実際、暗号資産関係の脱税者がいたとして、まともに取り締まることができていなかったのではないか? 現金で数千万円を国内口座に出金、みたいな愚か者はすぐに摘発されただろうが、もう少し小さい金額とか、取引所にずっと利益を預けていたとか、そういう人は対応ができていないはずだ。他部門の私ですらわかるほど、それくらい国税庁はマンパワーが足りていない。
加えて、思い出②で説明したストリートレベルの行政職員の観点もある。海外の取引所や、すでに潰れた取引所で売買をしていた場合、納税者も行政庁も課税情報の証明ができない。そういう面倒かつ費用対効果の低い案件――それでいて該当者が数千人に上るであろう案件は、あえて手をつけないこともある。
さて、こうした想定外の事態が起こった場合、上で説明したように臨時のタスクフォースが編成される。今回の火消しチームだと、指揮を取る者が選り抜きであったのは言うまでもないが、ほかのメンバーを見る限りだと、各課がイマイチなメンバーを人柱にしていた感がある。正直、エースは残して温存させているように見て取れた。
そんな理不尽でも耐えられるほどに組織が魅力的で、職員にとってやりがいのある仕事内容や職場環境を用意できればいいのだが――こういうわけで、近年の若手官僚大量離職問題が起こっている。
ちょっと路線変更をする。思えば、このあたりの時期は私も病んでいた。過重労働で心が沈んでいた。
一応マイホームは買っていた。ただ、数年前から妻が病気で入院していて、子どもふたりは実家にしばらく預けてあった。つまり単身だった。
かつては、いろいろと堪え切れずにデリバリーヘルスを呼んでいた時期もあるが、穴があったら入りたい気分だ。煉獄さん……。
その日々では、深夜に誰もいないマイホームに帰宅して、独身時代が懐かしいと思いながらテレビを点けていた。ある時だったか、今時風のアニメが流れた。
♪ わんわんわん猫が好き 夢中で何も見えない
ほぼ終電+徒歩の関係で、自宅に帰る時間は固定だった。ダイニングの食卓の上に、コンビニのおにぎりと綾鷹を置いてから、大匙1杯の味覇を小鍋に入れて沸騰させ、菜箸で溶き卵を回し入れていた。最後にテーブルコショーを振りかける。ネギは買い忘れることが多かった。
食事の支度ができて、テレビを点けると上のアニメがやっていた。女の子が出てくるやつ。
サブカルチャーについては、若い頃に少し嗜んだだけの私でもわかった――これは三級品のアニメだ。放送枠を埋めるためにひとまず作られたような、1話につき実質4分間だけの5分もの作品。それが正体だった。
かわいそうに。作者はどんな想いだったろう。悔しいと思わなかっただろうか。残念ながら、番組製作者にとって優先順位が低いアニメだったのだ。※当時はそう思っていたが、今は違う。
内容だが、女の子同士が仲良くするようなものだった。はっきりいって中味はない。ただ単に、女子高生が仲良くしているか、仲良くしようとアプローチしているだけの。そういうやつだった。だが、観ている最中に何も考えなくていい。それがいいと思って、つい毎回見てしまっていた。
別に興味はない。なんとなく見ているだけだ。深夜帯だから、それ以外に選択がなかった。前後の時間帯にほかのアニメが放送されることもあったが、観ることはなかった。この齢になると、特に30分枠のアニメは見るのがしんどい。子どもと一緒に土日朝のアニメを観るのであれば、まだなんとかなるのだが。
愚痴が長くなった。この章は仕舞いにする。これ以外にもパワハラ職員とか、やる気のない職員とか、省庁間のいがみ合いとか嫌がらせとか、議員と行政との癒着・密着とか、嫌なことはいくつもあったが、本題ではない。
そういうのが知りたい人は、元キャリア官僚が書いた書籍やブログを探して読んでみるといい。意外とみんな、けっこうぶっちゃけている。生々しい。
その人達に比べれば、当記事の内容というのは、やはりベジタブルに違いない。冷静に考えて、野菜よりも肉の方がハイパワーだろう。そういうことだ。
「官僚から政治家になりたい」という想いを抱く人は、一応は存在している。そして、そういう人が政治側から求められる場面もある。
30代に入る頃の話だ。具体的にいつ頃だったかは失念したが、自由民主党で地方自治を担っているグループが各官庁にチラシを配っていた。要するところ、「官僚の皆さんの中で政治家になってみたい人、手を挙げて。ハーイ、ハーイ!!」と、ここまで軽いノリではないが、かくして官僚から政治家へ……というルートを希望する人は一定数いる。
そういう説明会に参加したことがある。「興味本位でいい。年齢関係なし」といったことがチラシに書いてあったが、会場に同年代はほぼいなかった。
説明会の流れは月次だった。自民党のそこそこ偉い人が挨拶をして、後は別の人達に交代して政治家への転身ルートの大まかな説明(国政コースと地方自治コース)があって、最後に簡単なグループ討議だった。
なお、これはずっと昔の話だ。今がどういうシステムかはわからない。
私がいた席の隣には、一回り年上の国土交通省(の前身)の技官であるIさんがいた。体格は小柄だったが、その割には大きく見えた。頭の回転が速くて、こっちが話しても0.5秒でレスポンスが飛んでくる。
Iさんとはグループ討議の後で連絡先を交換して、一度だけ飲みに行った。頭の回転だけじゃなく、教養のある話し方だった。人としてのスペックの違いを感じた。
Iさんが上の説明会に参加した動機は、出世や昇進に関係していた。上に行けないのであれば、いっそ政治の世界で活躍してみたい――そんなことを話していた。
Iさんは、東大でも京大でも筑波大でも東工大でもなく、一般的な国立大学だった。偏差値でいうと50ちょっと。私と同じくらいの。その大学名では正直、立身出世の見込みはなかった。よくて審議官、民間でいうと次長~部長ほどか。今はどうかわからないが、当時は学歴が問われる時代だった。国交省でも、上級管理職は東大が基本だった。
Iさんのキャラクターというのは、古い語彙になるが、ザ・自民党といった雰囲気だった。政治的に保守というやつだ。頭の回転が速いというよりは、物事の道理がわかるというか。いざという時には清濁併せ吞むことができる。そんな具合だ。
かくいう私は、政治家ルートは無理だと感じ、その後にあった面接を受けることはなかった。国会議員になるには地盤も看板も鞄も足りないし、かといって地方自治体に出向して市町村の助役(今でいう副市長)になるのはリスクが高すぎる。もし地場に合わなければどうすればいいのか。どの面を下げて霞が関に帰ればいいのか? いや、というか帰れない。片道切符だ。
でも、本当に政治家になりたい人であれば、不安に打ち勝ってしまえるのだろう。当時の私は、転職を考えはじめていたけれども、今と違って転職市場は整備されていなかった。インターネットでの転職活動も始まったばかりだ。リクナビ黎明期になる。
まあ、それらも言い訳に過ぎない。本気で転職したい人だったら、そんな事情は関係なく転職エージェントに架電していることだろう。心の底では、そこまで転職したいとは思ってなかったのだ。
その後も、厳しい日々が続いた。職責はどんどん増えていくけれども、やりがいは減っていった。給料も見合っていない。時給換算だと千数百円ほどか。上でいう40才になる頃には、自分がなんのために働いているのかわからなくなった。行政ロボットのようだった。
ひたすら政策課題に対して向き合い、法律や常識に照らして世間でいうところの正解と思われる回答を見つけ出し、複数の上司に忖度とやらをしながら仕事を回していた。税制を維持していくためのロボットになっていた。
あと数年以内には、おそらく課長補佐から課長級になる。もっと忙しくなるだろう。子どもを2人育てるなど不可能だ。
もやもやした気分で深夜に帰宅した時、やはり、あのアニメ――『犬神さんと猫山さん』が流れていた。たった三ヶ月の付き合いだったが、少しばかりの息抜きになった。コンビニおにぎりとお茶と、味覇のスープを飲みながら、ほとんど何も考えずに観ていた。
女性同士が仲良くすることに主眼を置いていたのはわかる。メインふたりの関係だけでなく、ほかの女性同士の関係性も描いている。
犬神さんは積極タイプだった。猫山さんのことが大好きだ。ほかの女の子とはいざこざがありながらも、最後には仲良しになっていた気がする。
強いていえば、犬神さんの猫山さんに対するアプローチには、セクシャルハラスメントを構成する要素があった。いきなり抱きついたり、薬物を飲み物に混ぜようとしたり、髪型を自分好みにさせようとしたり、猫山さんの反応が気に入らないとキレたり、ハラスメントし放題だった。デートDVに通じるものがある。人権という観点からは、現代社会で許容されるべきものではない。
この日記を書き始めた頃、ニコニコ動画に登録して全話パックを購入した。順番に話数を巡ったところ、第9話にこういうやり取りがあった。以下、犬神さんを「犬」とし、猫山さんを「猫」とする。
犬「あの~、今なんて……?」
犬「バッカなんですか猫山さん!」
猫「そこまでいうの犬神さん!?」
犬「だって、素晴らしいその猫っ毛を矯正するとか、そんなのって、そんなのって、コーヒーからコーヒー抜くようなものですよ!?」
リアルの高校生ならこういう会話をするのかもしれないが、中年の私には厳しい描写だった。若い人向けの作品なのだからと思いつつ、読者が真似をしたら相手が苦しいことになる――と当時は考えていた。こちら以外にも、若い人なりの情動(リビドー)が爆発するようなシーンがあったのを思い出す。
思えば、若い人向けの作品なのだから、少しオーバーなのがちょうどいいのかもしれない。作者が若年だったのもあるだろう。梶原一騎(巨人の星)にしても、雁屋哲(野望の王国)にしても、巻来功士(メタルK)にしても、CLAMP(聖伝)にしても、荒木飛呂彦(バオー来訪者)にしても、板垣恵介(バキシリーズ)にしても、作者が若いと、エログロやスプラッタや、恋愛的確執や社会的価値観との対峙など、青春期ならではのリビドーに溢れている。反対に、作者が齢を取ってくると確執的関係が雪解けするような、そんなシーンを描くようになる。『バキ親子ケンカ編』などが顕著だ。
あの人達が若かりし頃のマンガというのは、基本線として反社会的だ。反社会的といっても、若者にとっての抑圧を打ち破るという意味での反社会性だ。うまく料理できれば、マンガの魅力として存分に活きてくる。あの人達は、若者のそんな感情を搔き立てるのが抜群にうまかった……と、元若者が振り返ってみる。
追記 Iさんはその後、大成した。少しではあるが本人に馴染みのある地域で、市町村の助役として迎え入れられた。その後、国会議員や職員団体や地元からの応援を受けて市長選に立候補し、並み居る解放同盟の勢力を圧倒して市長になった。
あれから調べてはいないが、きっと長い間お勤めになったのだろう。ああいう人がもっと多くなれば、地方はもっと活性化するに違いない。
Part3/3
■大学時代の友達が金持ちで嫉妬で死にそう 追記あり でいろいろ書きました。
ご無沙汰です。
もうみんな興味ないと思うんだけど、ブコメが多かったし、いろんな人から反応もらってたんで日記として書きます。
結局あの後、例の友達のインスタミュートしました。ブロックは角がたつので。
で、二日三日後に相手からブロ解されてました。仲良しグループ6人組の他の1人からもブロ解されていました。
自分以外の5人のうち2人からブロック解除されてたって感じです。
別の子に聞いたら、なんで分かんないの?と言われました。なんて返したら良いかわからず放置しています。
増田みてたのかなー、他の人から言われたのかなー、本当のところはわかりませんが、友達2人消えました。
でも不思議と罪悪感とか申し訳なさとかはありません。最低な人間ですわかっています。
昨日つるとんたん(うどん屋さん)行って勝手にその子のことを思い出しました。
https://anond.hatelabo.jp/20230907113408
2023-09-07
ご無沙汰です。
もうみんな興味ないと思うんだけど、ブコメが多かったし、いろんな人から反応もらってたんで日記として書きます。
結局あの後、例の友達のインスタミュートしました。ブロックは角がたつので。
で、二日三日後に相手からブロ解されてました。仲良しグループ6人組の他の1人からもブロ解されていました。
自分以外の5人のうち2人からブロック解除されてたって感じです。
別の子に聞いたら、なんで分かんないの?と言われました。なんて返したら良いかわからず放置しています。
増田みてたのかなー、他の人から言われたのかなー、本当のところはわかりませんが、友達2人消えました。
でも不思議と罪悪感とか申し訳なさとかはありません。最低な人間ですわかっています。
昨日つるとんたん(うどん屋さん)行って勝手にその子のことを思い出しました。
ワーママがわりと多いこともあり、もともと飲み会が盛んな職場ではないが、歓迎会送別会やら、ちょっとした打ち上げなど、小規模で行うやつはそこそこある。
この数年「いやー飲み会とかパスな人なんで…サーセン!」という新人もやはりいて、別に角が立つ感じの断りかたでもなく、また気が向いたら来てねーで終わる。
そんな子たちが1、2年経つと飲む飲まないにかかわらず飲み会に来るようになるのは、その職場のおっさんの力である。なんというか、このまま家に帰るのもしんどいなというタイミングで絶妙に「メシ食ってかない?」と声をかけるのだ。この力をプライベートで発揮したら女の子に事欠かないと思うんだけど、普通に結婚しておとなしくしている。
俺もそうして誘われたクチで、全然大した内容の話もアドバイスもないのに、ふたりで美味いメシ食って飲むだけで、なんか救われた。マジックである。
好きなものを語りたくて、中学生当時、遊佐未森のCDと出会った思い出とか色々書いてみたものの、自分語り気持ち悪いからやっぱり全部消してしまった。
遊佐未森を知らない人でも、シュワルツェネッガーが青い空の下で赤い車を持ち上げてるカップヌードルのCMは知ってると思う。
あれで使われてたのが、遊佐未森の「地図をください」という楽曲。
CMの雰囲気に合わせたんだと思うけど、あれはぜひ一曲通して聞いてほしい。
好きだからっていう贔屓目もあるけど、今聞いても全く色褪せてないの本当にすごいと思う。
かく言う自分も、15年くらい遊佐未森という言葉を忘れていた。
子供が成長して、書斎を子供部屋に変えるということになったとき、断捨離できなかった彼女のCDを見つけて掃除のBGMにしてみたのがきっかけ。
大体1988年から1993年の作品なんだけど全然ふるさを感じさせないし、何なら最近の個性派アーティストって紹介のされ方されても納得できるくらいに流行りに左右されない曲調だっていうことを、2023年に再確認するとは思ってもなかった。
どれも好きすぎてランキングは作れないけど、せっかくだから10曲チョイスしてみる。
・M氏の幸福
・川
・夏草の線路
・山行きバス
・きみのなかに
・旅人
・一粒の予感
・0の丘無限の空
・ときの駅
・街角
10曲でおさまるわけなかった。
並び順は好きな曲順でもなければ、年代も作品もバラバラに書いてある。
理由は彼女の作品の幅とかを先入観なく聞いてほしいから。だからあえて曲紹介もつけない。
・マイベスト3曲
全曲好きすぎるなかで、どうしても別格なのがこの三曲。
・シリウス
・桃
これが名曲だという意味でもなければ、人に勧めたいという曲でもない。
自分がこの3曲がどうしても好きだという表明。
久々に聞いても魂が静まるのがわかるくらいに落ち着く曲。
遊佐未森に限定しない、人生で好きな3曲がこれ。(15年も忘れてたくせに。)
当時、中高通してアニメ研究部所属の自分とは住む世界が違う人間だと思ってたけど、たまたま席が近くなったときにCDプレイヤーを聞いてたら声をかけてきた柔道部エースの岡田くんは元気だろうか。
高校の終わり頃、J-pop全盛時代に個性派アーティストを聞いてることを馬鹿にされるのが嫌で断ろうと思ったけど、そういう雰囲気でもなさそうだったので聞かせてみたところ目をキラキラに輝かせて感動してくれてめちゃくちゃ嬉しかった。
遊佐未森以外にも近藤名奈の「こんな日は早起きしてあなたに会いたい」でも盛り上がって、まさか高校の終わり頃にこんなに仲の良い友達ができるとは思ってもなかった。
オタク差別されるのが嫌で自分から壁を作っていたけど、差別してくるに違いないと色眼鏡で人を差別していたのは自分だったんだなと気付かされた出来事。
彼との出会いがなかったら、人並みの人付き合いができないまま全く違った人生を歩んでいたと思う。
それをつないでくれた遊佐未森と、色眼鏡をかけていたのは自分だったと気づかせてくれた岡田くんへの感謝をあらためて増田の片隅に。
望遠鏡もあったし、日本地図のパズルもあったし、ルービックキューブもあったし、元素周期表もあったし、広辞苑もあったし、世界の国旗が全部載った本もあったし、本棚いっぱいに絵本と図鑑がぎゅうぎゅうに詰まっていたし、500色の色鉛筆もあった。
毎年決まった日に七草粥を食べたり、菖蒲湯に入ったり、かぼちゃを食べたり、柚子湯に入ったり、おせち作りを手伝ってつまみ食いをしたりしていた。
ずっとそれが普通だと思っていたけど、自分も大人になり、子どもを授かって、ようやく、自分は恵まれていたんだなと気づいた。
私が暮らす今の家には、地球儀も、図鑑も、500色はもちろん12色の色鉛筆すらない。日本の伝統的なイベントなんて正月すらほとんど何もしていない。
男の大先輩に呼び出されて部屋まで行った結果、襲われて「警戒しないで男の家に行ったJKが悪い!自業自得!その気だったんだろ!ハニトラ!!」とぶっ叩かれましたとさ
https://togetter.com/li/1222429
男を警戒せずに「自転車がパンクしたので見てほしい」などと頼まれて親切心でついて行った結果、レイプされましたとさ
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASP1V35G6P1TPTJB009.html
男を警戒せずに、親切心で倒れた男を助けようとした結果、性被害に遭いましたとさ
https://www.youtube.com/watch?v=yWshHQ950x0&feature=youtu.be
男を警戒せずに同性の友人と同じように接したら勘違い男、ストーカーの嵐。男に気遣うのをやめたらそれが止まりましたとさ。
http://kansuke.doorblog.jp/archives/54484551.html
まだまだまだまだまーだまだ、あるけど?
自衛するなとは言ってない!男様を不快にさせないように自衛しろ!って?
あのさ、散々フェミのお気持ちだの何だの批判してきて、自分達の「警戒されて不快ダァ!」っていう「お気持ち」は大事にするんだ
エレベーターに男とふたりきりで乗り合わせないために、傷つけないように忘れ物したふりとかするけど、それは気を遣ってることにならないの?
届けた後すぐ鍵閉めるだけで警戒されたぁ!とか言い出すめんどくセー配達員いるけど、気を遣わなきゃいけないの?
http://bigbangchannel.net/article/471054759.html
あとこれは見つかんなかったけど、暑いからって隣部屋の女子高生に「鍵を無くしたから家に入れろ!何もしないから!警戒するなんて自意識過剰だ!」って暴れたやつの話があったよな?
そんな奴にも気をつかうとか、無理じゃね?
弟は近所の原っぱから綺麗な花のつぼみを見つけるのが上手だった
どれも根元のあたりはぷっくりと膨らんでいて
先っぽの方はくるくるっとうずまきのように花びらが巻かれていた
鼻を近づけると濃厚な甘い蜜の匂いがした
弟は原っぱでつぼみを見つけてきては、姉に渡した
姉はそれらをデコレーションし、適切な値札をつけ多くの人に売った
それはとても綺麗な花のつぼみだったので、みんなが欲しがったのだ
弟は気に入った花のつぼみは姉に渡さずに、こっそりと自分のものにしていた
しばらく眺めると我慢できないかのようにつぼみに口をつけ、ちゅーちゅーと甘い蜜を吸った
つぼみの甘い蜜が舌の上にこぼれ落ち、口の中を甘い香りで満たした
飲み込むと、どろっとした蜜が食道を通り胃に落ちていくのを感じることができる
その快感に思わず鼻から息をもらすと、自分自身が花になったかのような濃厚な香りを感じることができた
弟にとってそれは若き生命そのものを飲んでいるような喜びの時間だった
甘い蜜を吸われた花のつぼみのなかには、そのまま枯れるものもあったが
それを弟はまるで最初から興味がなかったかのように窓からぽいと捨てた
なにしろ原っぱに行けば、またきれいな花のつぼみはすぐに見つかるのだ
枯れたつぼみは、窓の外の日が当たらないじめじめとした土の上に捨て置かれた
甘い蜜を吸われても、生き生きとしていたつぼみはそのまま姉に渡した
姉は弟がこっそりと蜜を吸っていることを知っていたが
弟のお気に入りのつぼみは、特にみんなが欲しがることに気づいてからは黙っていた
ふたりの花のつぼみは評判になり、他の国からも客が訪れ、権力者への献上品にもなった
そうすればもう原っぱにいく必要もないし、たくさんのつぼみを集めることができた
花のつぼみとしては信じられないような値段がついた頃にも
弟は隠れてつぼみに口をつけちゅーちゅーと甘い蜜を吸い
枯れたはつぼみは窓の外に捨てた
それは最初のうちは相談だったが、しだいに懇願に変わっていった
なにしろその花のつぼみがあしらわれているだけで売上が二倍も三倍も変わるのだ
姉と弟の作った会社は経済的な必要性からしだいに権力を帯び始めた
もちろん偽物や真似をするものも現れたが、そういった時には姉が徹底的に潰した
姉のやり方は徹底的で恐れられ、業界で彼女に歯向かうものはいなくなっていった
そして人々にいつまでもきれいな花のつぼみを売り続け、人々は喜んだ
何十年がすぎ、やがて窓の外に捨てられた枯れたつぼみが、窓の枠までうずたかく積もったころに
その王国で弟が死んだ
〜続く〜
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
昨夜の話です。
少年と少女がひとりずついて、それぞれ反対の方角からお互いのほうに向かって自転車をこいでいました。
互いの距離がちょうど20マイルになったときに、ふたりは相手のほうに向かって全力でこぎ始めました。
それと同時に、少女の自転車のハンドルにとまっていた一匹のハエもまた、少年のほうに向かって飛び始めました。ハエは、少年の自転車のハンドルに到着すると、またすぐに少女のほうに向かって飛んで帰ります。
ハエは、このようにして、最終的にふたりの自転車がぶつかるまで、ハンドルからハンドルへ行ったり来たりしました。
それぞれの自転車は、時速10マイルの速さで一定して移動します。ハエはちょっと速くて、時速15マイルの速さで一定して飛びます。
タイトルからなんとなく想像する以上の面白さがあるのかと思ったら全然なかった
それどころ事前に期待 想像してたのよりはるかにつまらなかった
男は恋は雨上がりのようにの店長っぽさがある潔癖でわきまえた人間
に見せつつ、常識はずれの場所でタバコを吸い続ける常識なし人間
会議が長引くとかなんとか
リーマンとしてはたらいたことがなくてろくに取材もしてないのがまるわかり
シチュエーションだけ
女側、スーパー店員の方はかろうじてほんの少しスーパーバイト用語みたいなのが出てきたりするけど
いい大人がくっちゃべる内容じゃなくて高校生かよくて大学生程度のあっさいやりとり
過大評価すぎる
あくまで関係性としてだけど、ヒガシ×ジュリーさんはアリだなと思った。いや当人同士に関しては無いんだけど、関係性を煮詰めてくとめちゃくちゃ自分好みのCPだわ
美貌の商品×売人の一族、商品を食い散らすのに躊躇ない叔父と愛のない母、自分たちの商売に疑問を持ちつつ囚われていくお嬢様、世間の人気者になっていく美青年。
結婚の話が現れても当人同士は互いの未来のために拒絶し、しかし芸能界から自由にはなれずに長い年月が過ぎる。エモい。
そしてふたりが老境に近づいた時、叔父の重ねた罪の清算が必要となって、二人は初めて公の場で手を携える…いやエモくない?
倫理観壊滅しててすまんな
さっき「択・愛」が薦められてて目を瞠った。
そうあのゲームは、ややマイナーなゲームだけど、恋愛観が凄くて、柔らかい絵柄の恋愛シミュレーションなのに想像もしない衝撃を、臓物にガツンと来る重い感情を覚えた。
プレイ後に暗い気持ちにはならないから是非やってみて。恋愛の価値観に大きな変化があると思う。
マジでこれ本当に180°恋愛観が変わるから匿名の馬の骨に騙されたと思ってプレイしてほしい。(ただし序盤はミソジニーが育まれる怖れもある。全部を無考えに鵜呑みにするプレイヤーにはオススメしない)
恋愛観に大きな変化を与えた作品、私の人生を振り返ってみて、何かあるかな…。
『アリス探偵局』
幼い頃にNHK教育でやってたアニメ。当時はボンヤリと恋愛は男性がリードするものだと思ってたから、年下のお弟みたいな主人公のイナバくんと、スペックで大体上回る姉ポジションのアリスちゃんの組み合わせに驚いたし、恋愛的な好意を抱いてる対象じゃないのに関係性が少しずつ近づいてくのが新鮮だった。縛られて海に落とされたアリスちゃんを決死で助けに飛び込むイナバくんに男らしさのギャップを感じて、何故かちょっと泣いてしまったのを覚えてる。
主人公ふたりの恋愛関係じゃなく、互恵関係っていう距離感が新しかったし、お互いを利用しあってるからこその独特な信頼関係があって、ああ別に男女って恋仲じゃなくてもアリなんだ。こんな関係性もあり得るんだ、と衝撃を受けた。
皆さんには、読書とかアニメとかで自分が当事者でない安全圏にいるはずなのに、恋愛観を大きくシフトさせられた瞬間ってありますか。
-----------
追記・元は孤独耐性の無さに気づいて恋愛を始める弱者男性への「実際の恋愛の役に立つオススメフィクション募集」への回答でした。そちらも答えてあげてね。
どんな子どもになるのだろうか。
彼は身長がギュンと大きくて、私は平均よりも少し身長が高いぐらい。
私の家族は私よりも全員身長が高いので、背が低い子にはならなさそうだな。
彼は脚がギュンと長くて、私はめちゃくちゃ短い。座ると憎々しいほど身長差なくなる。
ちなみに、私の父はそんな私よりもっと短い。身長180cmあるのに脚の長さ私とだいたい一緒。
電車など公共の場で座ってると「どないなっとんねん」という感じになる。
私と彼の遺伝子を足して2で割ればかろうじて平均的な足の長さにはなるだろうけれど、
どちらか一方に似るならぜひ手足がシュッとしている彼の方に似てほしい。
私は努力家のコツコツタイプで不器用で、彼は器用になんでもひょいとこなす。
その代わり、彼は努力や忍耐が苦手のようだ。
私は自分のコツコツ努力して(時間はかかるけど)ほしいものを勝ち取る自分の生き方が嫌いじゃないけど、
私みたいなのが嫌いな人もいるだろうからそこはどっちでもいいかな。
器用でなんでもヒョイとこなすけど、コツコツ努力もできる子なら最強だろうが、人生そんなにうまくはいかない。
金銭感覚はぜひ彼に似ないでくれ。
髪質はどうだろうな。
髪の毛は向こうはふわっと軽い天パで、私はドンと根元から強いドストレート。パーマをかけても3日以内に効果がなくなる強者だ。
天パの子はみんな天パなことに悩んでいるけれど、私はふわっとした感じが好きなのでどっちでもいいな。
顔はな〜。どうだろうね〜。
彼は顔のパーツが全体的に大きい。本当に、手も足も、パーツがなんでも大きい人だ。
私は全体的に小さい。特に口がちっちゃい。そのせいか声もぜんぜん通らないので、彼みたいに口が大きい人に憧れる。
目も小さい。鼻はなんかやぼったい。眉毛は濃いのがずっとコンプレックスだったけれど、最近は比較的しっかりめの眉が流行っているのでちょうどよくなった。
うーん、足して2で割ったらどうなるのか、まるで想像がつかないな。
私はもう何をやってもダメ!!!!そんな私でもけなげに元気に生きているが、運動神経がよくて損することって基本何にもないもんね。
私は歩き方がペンギンだと親にも彼にも言われたので、スラッと美しい歩き方をする人にぜひなってほしい。
彼も私も、子どもが好きだ。彼は高い高いが得意で、私はどちらかといえばお家で遊んで好かれることが多い。
彼なら、外遊びもじょうずにこなすだろう。私は公園は日陰のベンチで座っているだろうし、プールに行けば私がおぼれる。
その代わり、読み聞かせとかそういうのは私がやるよ。「ドテッ!」とか言うの、結構うまいのよ。
でも、私は彼と自分たちの血がつながった子どもをつくるところは今のところできない。
彼は数年前まで抗がん剤治療をしていたので、生殖機能に問題が出てしまっているのだ。