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はてなキーワード: 書物とは

2023-09-13

大学とか、大学院とかは本来書物批判的に読めるスキルを身に付けるところであった。

ところが中途半端に学があると、長時間洗脳に耐えられたり、何回な話を聞いたり読むことへの耐性があるので、騙されやすくもあると、新興宗教ブームの時に予備校講師が話していた。

また、学問が出来ることとお金を稼ぐ力は別物だという意見もある。

  

一方で、現在中途半端YouTubeSNSアクセスできるようになり、再生回数お金にもなるので

それで陰謀論に騙されちゃう人もいるのだろうか。

2023-09-09

夢日記

自分はどこかの学校に通っている。

何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。

傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。

山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。

男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装男性。で、何故か自分その男性の向かい側で古書を見ていて、その古書神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性教員けが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分男性教職員に出してくれる。

そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかに存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。

夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれ年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれ書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。

艶々黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。

分厚い紙に包まれ書状を調べたら折紙文化、位の高い人々が用いた和紙についてなどのページに辿り着いた。

自分の脳が作った映像の中に、自分が知らない技術文化が折り込まれているのは啓示的でもあり面白い

2023-09-06

anond:20230901215521

まさに「百」貨店で、衣類だけじゃなくて書物玩具、あるいは果物時計宝石食器みたいなものを扱う部門があったよ。

子どもの頃はクリスマス前になると新聞に入ってくるデパートおもちゃのチラシをみるのが楽しみだった。まあうちは貧困世帯デパートのものなんて買えなかったけど。

宝石果物カトラリーみたいなものは、そのデパートで買ったものというだけで品質の高いものお墨付きがあるいようなものだった。

2023-08-27

病院」って嫌な名前だよな

病気施設って事でしょ。なんか嫌だな。

健康になる、あるいは健康を保つ為にあるものなのに。

「病」入れてもいいけど、治病院かにして欲しいわ。

 

中国語では何ていうんだろうと思って調べたら医院だった。

良いじゃん、「医院」。

って日本にもあるじゃんそういえば。

病床数が20以上だと病院になるらしい。

その辺の区別中国語にはないのかな。

 

調べると、病院という単語は1623年の書物に初めて出てくるとされる。

今年2023年だから丁度400年前だ。

病院という単語は今年で400周年です!おめでとう!

良い機会だし改名しよう。

2023-07-31

anond:20230731210135

自己啓発の本読むのも勉強」というから思ったけど、最近になって「プログラマーはかくあるべき」的な書物記事が出てきたような気がする。たとえば、ホワイトハッカーとか個人国家の背負うべきリスクを負うべき領域にまで「愛国心北朝鮮ハッカーに対抗しよう!」みたいな押し付けが起こっているような気がする。そんなことをしていると、あんまり知識がないガキが勘違いして、226事件のようなことを起こしちゃうぞーって思っちゃう

2023-07-30

  フェルマーの大体系で、n=4のときフェルマー証明もっとも要点を得ていて、なおかつ、無限降下法という以後に一般的に知られる驚愕的な技術を編み出したと言われているので

  フェルマーのしたn=4における仕事もっとも多産であったと言われている。フェルマーは全部のnに対する証明は難しいと言われているが、4のとき構成されたため、4の倍数では全て

  証明され、25%の自然数証明されて多大な利益を獲得した。これに対して、オイラーのn=3における証明は、同じように無限降下法を用いているが非常に進捗のないものだった。

  18世紀になると、クンマーが、理想数という独自見地から61%の素数証明を達成したが、本質的でなかった。特段に体系的な利益が得られなかったため、志村谷山は、複素関数

  モジュラーから迫ろうとしたところ、現代数学界に多大な進捗がみられ、コホモロジー理論など実りのある一般理論を多く生み出した。代数的サイクルやエタールコホモロジーなどについて

  一般的著作ものしたのは、今年で定年退官になる斎藤司教である。他方で、初等研究は、n=4で行き詰まり、n=3.5の証明ではとりかかった各数学者の独自領域にとどまり

  何らの応用のある着想も出てこなかった。x^p+y^p=z^p以後、ソフィージェルマンは1つの定理を発表したが条件付きのもので以後なんらの進展もしていない。

   戦後東京社会ないし工場研究状況であるが、昭和天皇は、共同研究による経済的効率性を優先して徹底してやったこから戦後30年の時代には様々な学問分野で生産沃野

  を獲得することができた。そのきっかけは、とにかく工場で共同知見で行えば一人でやるよりも多くの結果が出るだろうという考えで実際に戦後30年で日本国民平均余命40歳から70歳

  80代まで一気に爆増した。昭和時代における数学書物によくみられる表現として、そう考えるのは自然である自明である、といったものである昭和天皇は、哲学を徹底的に研究

   エレガントでビッグになりそうにないような行動は一切排除した結果として、多大な学問上の結果が出た。

2023-07-18

anond:20230718110622

いまだにゲンで覚えた広島弁が口ついて出るからコンテンツの影響はあると思うが、

良い影響悪い影響の可能性を事前検閲して選別するなんて不可能だろう。

オウム日本赤軍に影響を与えた書物を全部選別して発禁にできるか?

無理にやれば規制側の思い込みで際限なく暴走するしかない。

影響されて「行動に移した」時に、その行動を起こした人間を罰するを粛々とする他なかろう。

それ以上を求めるのはゼロリスク信仰と同じ心理だと思う。

2023-07-07

弱者男性が感動しても無価値 本の帯にからは除外される存在

誰向けに書かれる書物なんだろうね

分不相応

2023-06-29

anond:20230629224023

アダルトチルドレンという名のもとでは当事者たちの集まりやそれを食い物にする怪しいカウンセラーの跳梁跋扈発達障害教育分野への結びつきや、そういう現象について書いた書物が大量に出てきたけど

化現はいつの時代存在する若者恋愛あるある話でしかない

2023-06-26

フェミニズムが浸透するほど女の自己卑下被害妄想がひどくなっていくこの現状ってどうにかならないんだろうか

ラディアkるフェミニズムは男が敵、マルクス主義フェミニズム資本主義が敵、というのはもうちょっと考えたら「女性が苦しむこの世の中は何者かによって仕組まれている」という陰謀論しかな位というのはちょっと考えたらわかるんだが、だからといって女性自分たち権利を獲得するために教育啓蒙政治上議論を進めるなんていうくらいに気概を持たれたらいま日本支配するこの2フェミニズムがあっという間に駆逐される。

じゃぁどうするかと言うならば、誰かのせいにしてグチグチ言ってりゃそれでいいラディカル・フェミニズムマルクス主義フェミニズムから抜け出せないようにしていくのが彼らにとっては最もいいアプローチだ。

そのためには女性自分に対する自信をひたすら失ってくれるのが一番ありがたい。

おそらく女性には子供の頃から常識としてこの辺の思想が刷り込まれてるんだろうなと思っているから、もはや自分たちがこういったたぐいのフェミニズムに従って生きているなんて言うのは気が付かない。ちょっと勉強すりゃあっという間に気づくから勉強をさせたくないってのもあるんだろうな。

たまにツイッターかに上がってくる「これをxxのロールモデルなんかにされたら云々」っていうやつがあるんだけど、なんで女っていうのは「xxを名乗りたかたらこれくらいやれと言われている」という被害妄想というか、あらゆる書物自分に対する批判に変換されるんだろうかと思うことはよくあるが、こういう背景があるとしたらまぁそりゃそうだよな。

一部のスーパー女性フェミニズムなんかに頼らなくても立派に自立できるが、それは偏差値80以上の女性だけなのだというような変な自己卑下でもある。

単にリベラルフェミニズムに従って生きていきゃそこまでじゃないんだけど日本では徹底的にそのへんの情報統制が行われているのでわからないんだろうな。

俺みたいなやつがこんな増田でグチグチ書いててももうどうしようもないが、日本社会はもうどうしようもないんだろう

2023-06-23

   わたしが大体この者がほとんど正しいことを言っているだろうと信じている詩人に、ヨハン=ヴォルフガング=ギェエテがいますが、この詩人が言っている人類人生哲学みたいなものとして

   真理は深いところにあるのでそれを見つけるのは誰でもできるものではないとか、ただ、ゲーテは、数学について、私が一番数学バカにしてるように見えるが、私は数学を一番尊敬している、

   なぜなら数学は私が成し遂げられないことをできているからだと別の本で述べている。それから古代数学者について、やはり幾何学をしない者は論外であると言っているし、ただしそれは

   数学であることを意味しないとかね。ユークリッドの初等幾何学は、公理公準(Axiom)っていうんですかそれから成り立っていてちゃんと一つの分野になっていて大量に問題があるという

   ことで。あとそれ以外にも、人類が到達できる最大のもの驚愕であるとか人生の正解みたいなのを全部言ってるので詩集は読んだ方がいいと思いますが。それとゲーテは、法律学が大嫌い

   なそうですね。シラーもそうですがローマ法大全は悪魔書物であると。その理由として人間に対する猜疑心が強すぎるといっている。ゲーテ法律学に対して詩集ほとんど何も言っていない。

   法律学については、碧海純一という法哲学者が昔東京にいたんですが、2003年に死んでるんですね。それ以外にもラートブルフとか色々いるらしいですが文部科学省の金森越哉が相当前

   に、法律学は法的安定性と具体的妥当性の調整であるというエッセイインターネット掲載していて、それから東大憲法学教授もまあ基本書でそう書いているし、LECプロヴィデンス

   にも、法律ってのは基礎的に幾何学インターセクションと同じでとにかく決めておくことに価値があるといっているしね。2005年発売の法学入門では、法律は専門技術であると書いてあって

   それ以上のことは書いていない。私が民事訴訟法判例を読んでいた時に、最高裁判例で、やたら、このように解しないと法的安定性を害するという文章が出てきて、それだけ実務法律学

    技術性が高いし難しいと思っていてその時は何を言っているのか分からなかった。また憲法に関する最高裁判例でも、別に正義道徳合目的性が法の目的の1つであると判示したもの

    ないわけではない。判例六法CD版とかでも読めると思いますが。

2023-06-09

anond:20230609153447

もっと文学部ぽく書かないとダメだよ。以下手本。

 文学部を選ぶことは薦められぬ。止むを得よ。何故ならば文学部の授業においては、熱意を持てば自ら調べ、書物を読むことによって身に付けることが基本とされるからである特に国文学歴史学の分野においては、新たな事実が滅多に加わらず、既に整理された知識を、その科目の愛好者である教授が楽しげにお話ししてくれるのみである。言い換えれば、博識なることはできるが、生計を立てる能力は授業だけでは身に付かぬかと思われた。


もしくはこんなふうにもっと古典的に。

 よもや文学部というものは汝に勧めざるべし。此を断念せよ。何が故かと申さんか。文学部の授業において聴くことは、いかなる場合も熱心さによって調査したり書物を読んだりすることにより得られるものなればなり。特に国文学歴史学なるものは、新たなる事実の追加はほとんどなく、既に構築せられた学問の体系を、其の科科目の熱狂的なる教授が楽しげに饒舌するばかりなり。要するに識者となることは許されんとも、食物を得るための能力は授業のみによって身に付くものとは思わず候。

2023-06-08

anond:20230605140627

その方(図書禁止法を支持した保守的な親の権利団体人物)は、聖書を「最もセックスにまみれた書物ひとつ」とし、近親相姦獣姦売春性器切除、強姦言及している文章を指摘しました。彼らは例のリストを含んでいました。

"聖書は...我々の新しい定義ではポルノであるため、"未成年者にとって深刻な価値を持たない "ことが間違いなくわかるだろう。このPORN学校から追い出せ!"

こっちの記事だと若干詳しく載ってるけど真偽は知らない

https://newrepublic.com/post/173221/utah-school-district-bans-bible-vulgarity-violence

2023-05-30

うんちが出やすくなる呼吸法

かつて「なんか、うんちスンナリ出る時期と出ない時期あるよな」てのを書いたことがあったけど

https://anond.hatelabo.jp/20220331150849

このスンナリ出ない時期に、うんち出そうと息を止めて「フんっ!」て気張るより、息を止めないでちょっとずつ出す方が、出やすいって気がついたw

息を大きく吸って、唇をつぼめてごく細いスキマを開け、スゥ〜〜〜〜〜っと少しずつ20〜30秒(できればなるべく長く)吐き続ける。上半身ちょっと前傾姿勢がいいかな。

まぁ、たんなるシロートのN=1のサンプルでしかなく、厳密な測定調査統計も取ってないヨタ話で、もしかしたら禅とかヨガとかそういった方面では昔からよく知られたことなのかも知らんけどw

とくにその方面師匠に付いたりせず、書物Youtubeとかで勉強したわけでもないのに、自分で思いついたのがエライでしょww

2023-05-27

anond:20230526085502

そういえば、一日に一冊本を読むを習慣づけている、というのがホットエントリに入っていたよね。

から、やり方によっては数時間で本を読めるのだと思う。

でも、大抵の人は「本を読む行為」にとても高いハードルを設けてしまう。

これは、とても不思議なことだ。

なにが、これほど「本」というものへの抵抗感へとつながるのか?

決して時間がないわけではないと思う。

そりゃ学生時代かに比べれば、一日の余暇というものは著しく減少している。

それでも「簡単なこと」に費やしている時間はそれなりにあるのだ。

簡単なこと、というのはSNSweb漫画ゲームTikTokとか人によりけりだけど、

要はスキマ時間息抜きするのに労を要せずに行えることだ。

その時間読書に割り当てれば、それなりの読書量になることは間違いないだろう。

そして重要なのは、今やっている「簡単なこと」というのはジャンクフードのように栄養分が少ないのは自覚しているのだ。

それと比して読書はとても栄養価の高いものだ、と単純に断言してもいいのかどうかはわからないが、

少なくとも読書量が少ないことに引け目を感じる人はそんなふうに感じているのだ。

それでも読書をすることが出来ない。

この人間のやらなければいけない、と感じていることへのハードル感を克服することこそが自己啓発書存在意義だと思うのだが寡聞にしてそれに成功している書物存在を知らない。

であるなら、実は読書というのはそれほど重要ものでもないのかもしれない。

2023-05-26

いろいろな「三大欲求

プラトン法律』(紀元前350年ごろ)

I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.

私は、人間あいだではすべてのことが三つの欲望依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれときからまります。あらゆる動物自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気燃え上がらせる「性欲」の炎です。

今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトン著作明治時代翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。

法雲『翻訳名義集』1134年

欲界三欲

(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠不能修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。

欲界三欲

1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。

翻訳名義集』は中国南宋時代編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在スタンダードである

貝原益軒養生訓』(1713年)

いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。

養生訓』は江戸時代の大ベストセラー貝原益軒儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶ことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。

内山真弓『歌学提要』(1843年)

そもそも飲食男女と、言語とは、天下の三大事なり。

歌学提要』は幕末歌人香川景樹理論をその弟子内山真弓がまとめたものだという。

山本友一『私の短歌入門』(1977年)によれば、

人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。

ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。

官報』(1885年

人生の三大欲望すなわち黄金健康・不死

これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアンプレイフェアのスピーチ翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師黄金健康・不死のために賢者の石研究していた」…みたいな内容だったらしい。

they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.

直訳すると「人類享楽感覚的な三条件」か。

村上専精『宗教観』(1906年

思ふに人生の三大慾望たる知識慾、資財慾、生存慾は直ちに人生の三大不可能と云ふを得べし

村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中文章で「日本人は三大欲求生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。

滝沢秋暁『愛の解剖』(1907年

人間の三大慾望たる衣食住

個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的もの」「必要もの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。

黒田鵬心『美学芸術学概論』(1917年

美慾は字に示す如く美を求める慾で食慾、色慾と共に人間の三大慾の一つである

美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか

依田今朝蔵『日本風土を主としたる保健衛生論』(1920年

人生の三大慾とも稱すべき食慾と性慾と名誉

明治以降経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。

ロス・ロックリッジ『愛情花咲く樹』(1958年

そうすれば一日にして人間の三大慾望を果たすことになる、性慾と食慾と戦争――つまり殺傷慾だな

もとはアメリカ1948年刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。

小松武樹『囲碁将棋の泉』(1959年)にも、

また囲碁将棋は、人間の三大欲望、つまり、食欲、性欲に次ぐ、闘争欲の中和剤の役目をしてくれます

といった記述がある。

鍵谷幸信『食欲と性欲の谷間に顔を埋めてしまったフェリーニ』(1974年

食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。

いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。

梶矢文昭『読者を想定した教材解釈と授業展開』(1978年

本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである

この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。

吉田聖『誘惑に負けない勇気、強い意志』(1979年

貞潔清貧従順修道誓願人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。

これはつまりカトリック修道士が守る三誓願対義語となるような欲望貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックあいだでポピュラー解釈なのかは知らないが、三誓願のもの3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。

実用日本表現辞典『三大欲』(2015年

一般的には、生存にかかる根源的な欲求とされている食欲、睡眠欲、性欲を総称した言い方。

現在一般的認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白現象である

2023-05-25

anond:20230524201352

なんかはるところを間違ってるんじゃないかと思うのだけど「なんとか主義」っていうのは「うちの餃子のつくりかた」みたいなもんだよ

・うちのであってよそのではない

餃子であってラビオリではない

・つくりかたであって食べ方ではない

みたいな話だよ

民主主義からどうすべき 民主主義からありえない 民主主義からこうする

ってゆってもそうすべきじゃないと言えたり実際に言ってる人は存在するし

ありえないって言ってもありえてる状況もあるだろうし

こうするってゆってもしてない事だってある

じゃああってもなくてもなんにも意味がない主義って存在のもの意味あんのって話になるじゃん

おかたく存在肯定しようとすればするほどその熱意で焼しめた硬度でもろく崩壊して粉末になっていくよ

そもそもね 説明をしないといけない時点でそうなってない状態が横行してるわけ

それは民主主義じゃないって指摘をしたりこれが民主主義だって説明する時点で

説明する人の考えた新民主主義だって

から物理的に変わらず共通の項目として言葉にすればそれが理解できる「民主主義」なんてもの存在するのならそれを言えばいいだけ

辞書にある(出版社編集者作成したもの)や歴史にあるもの(その時点の使用者が使ったもの)とか現実存在するもの(各国各団体であるもの)がそれぞれ別のしくみであるでしょ

別に君の考えた民主主義がわるいわけじゃない

それもありだとおもうしいいとおもうよ

主義かいうのは二人以上の人間共通認識で使っていくこと そして第三者理解ができること そのための名前なんだよ

名もないわれら増田主義をとなえたところでそんなもの意味はないよ

共通ルールで基盤をともにしたい仲間と それをあきらかにしたい境界線の明示のために使う言葉をここ増田やほか借り物の主義定義をもってきても意味はないよ

から民主主義専制君主制だという意味でつかう増田がいてもおかしくはないしその人の中ではそれが正解だろうしみんなも「それを正解としている人」という認識でいいんだよ

餃子にらをいれようがにんにくをいれようが、あいびきが豚100%だろうがみんなそれぞれ自由でいいんだよ

もし具体的に固定的な意味を使いたかったら名前のついた主義主張をしたらいい

民主主義が何年のどこでつかわれただれによるものとか、だれが定義したものでその情報をもとに共有したかったらその書物を読めばいいとか、その書物にないバージョンだとか、自分で考えたものなら自分名前を出すとか

餃子ってだけならみそでたべるのか酢醤油でたべるのか塩なのかもしかしてそれワンタンなのではってものとかなんでもいいんだよ

「陳さんの餃子」とか「こだわりおやじ餃子」とか「東京餃子」とかそういうものがあるならその名前でだせば、きみの考えてる主義理解されるよ

ただ「今の日本民主主義においては」みたいな話の仕方をすると「おいしい餃子」みたいなもので「おいしいの基準はなんだよ」ってなるよ

めしにやってみてもらってもいいけど主語でかすぎ細部がちがうって人のかずだけつっこみがくるとおもう

2023-04-01

へきってなんだよ

碧ってあるじゃん。水色と緑色両方意味するやつ。

あれ透明に近い水色なんだよ、もとは。何故かというと、人工池が元ネタから

古代って、ダム概念いから池に水ためるじゃん。水って古代から資源じゃん。だから税じゃん。

ここに池作りました承認お願いします!って地方の長がやる。大体地方の上位の長が立ち会う。

上位長は立ち会えば税取れそうか見れるから。当然下位長は池を綺麗にしておく。だから、水も綺麗。

池って水張った初日は水綺麗じゃん。だから透明で美しい。見た日には一句詠めそうなくらい美しい。

でも水は日を経ると腐る。

苔が生えてタニシが住んで黒っぽい緑色になる。

偉い人は「この池いとすみわたってへき!」とか言っちゃう。水色のつもりで。

でも古代は立会すら日がかりで、役人が見に来るのはさらに数日後。

野ざらしの未処理水なんてまぁしんどいよね。

予想通り役人は「この水くっさ!へきってこの草色かよ」と書物に書いちゃう

ここで認識の食い違いが生じる。

おもしろいね

ここから転じて碧とは「前提条件を見直せ」という標語になっているよ。

研究職には耳が痛いね

俺は今日この話をゼミから聞いて眉間にシワ寄っちゃった!

2023-03-16

なんで歴史家って、鍵垢から人の悪口を言ったり、ブロックしてから人の悪口を書いたりするのだろう

ブロックされてなかったらどうということのない発言だったのだけれど、いちいち対象ブロックしてから発言しているのが面白い

所謂ゲーム史」的な書物があまり出版されていないのは、オタクの「ここが違う」というツッコミがあまりにも細かすぎるせいで、それらの書物出版を困難にしてるんじゃないかと。(アニメ史も同じことが言えるかも)

からオタクの「ここが違う」ツッコミをあまり無邪気に楽しめないでいる。

ゲーム歴史、俺なんかがWikipediaとか片手に読んでもいくつもミスが見つかるであろうとは思うんだけど、あれくらいの網羅的な読み物がこれまであったかと言うと、多分ないので、まともなのが作られるのを待たれる


という発言を受けた上で、ブロックした上でこういう発言をされているわけですが。

ゲーム歴史』はゲーム網羅歴史書がないから意義があるとかい妄言が流れてきたが、ちゃん日本デジタルゲーム学会 https://digrajapan.org という学会があり、学会誌「デジタルゲーム学研究」という学会誌もある。ググれば論文読めるし、調べないオタク不勉強なだけだ(断言)

テレビゲーム産業技術史(第一部)

https://jstage.jst.go.jp/article/digraj/3/2/3_191/_article/-char/ja/ 上村 雅之 とビデオゲーム黎明期をきっちり論じた論文もあるのに「網羅的な歴史がない」とか言い出すオタクオタクとして不勉強すぎる。自分の怠慢を棚において、偽史を弁護する輩は歴史研究者の端くれとして許せんわ。

ちなみに、5分でググって見つかった論文だとPDF無料で読める。他にもゲーム歴史を論じた論文は多数無料で読める。「自分で調べないのに文句を言う」オタク怠惰さが『ゲーム歴史』とかい偽史偽書を生み出したとも言える。怠惰に逃げるやつはオタクじゃねえ!

わざわざブロックしてくるということは、これがRTされたりすると燃えるというのは自覚があるのかなと思うんですけれど、それでも

Twitterでわざわざ発言せずにはいられないというというところがちょっと理解できない。

しかも、ツイートの内容自体有意義ものであり、書き方さえ気にしなければブロックする必要もなかったはずなのに。

behuckleberry02 妄言相手取って討論する気が無いからでしょ。相手取る気はなくブロックしても言いたいことは言う。普通です。

さすがはてブ民、もう自分がダサイという感覚すらなくなっている。

わざわざFANBOXの有料プランで見えないようなところで書いているのだから

Twitterでは一切黙っていればいいのではないかと思うのだけれどどうして、いちいちちょっとだけTwitterでにおわせのようなことを書いてしまうのだろうか。

現代いじめの構図

https://jiraygyo.fanbox.cc/posts/5499010

2023-03-06

anond:20230306144053

能力があっても人間的に好かない輩をなぜあなたけがやせ我慢して付き合い続けなければならないのか?―それはあなた帝王からです。人の上に立つ者の孤独なのです。しかあなたは一人ではありません。書物に親しみ、歴史を学び、あなた運命を同じくした人々の生きざまを胸に、今日もやっていきましょう。

2023-03-02

anond:20230302001009

でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリート全然いないよね。

ビジネスエリートキラキラ経歴とは全然違う。

なんなら成り上がり感がある。

ではここでノーベル賞物理学者 湯川秀樹の経歴を見てみましょう。

1907年明治40年1月23日東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。

1908年明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家京都府京都市移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。

1歳から大学までは京都大学を出て一時大阪西宮いたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮苦楽園生活していた)。

湯川自伝に「私の記憶京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。

母方の祖父・駒橘は元紀州藩藩士であり、また湯川自体先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。

和歌山県出身実業家松下幸之助郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山暮らし経験はない。

5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍素読を習った。駒橘は漢学の素養豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドンタイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川自伝に「私はこのころの漢籍素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。

2023-02-27

小説があるなら大説もあるの?

Wikipedia見たら、大説は「君子国家政治に対する志を書いた書物の事。四書五経等」と書いてあったけど、要出典とあったから、なんかモヤる

2023-02-19

ロシアウクライナ戦争の開戦一年を前に

まもなく開戦から一年を迎える。

冷戦終結させ核戦争の恐怖から逃れた人類が祝砲とともに迎えた21世紀が、よもや侵略戦争とそれに伴う核戦争懸念に飲み込まれるとは誰が予想したであろうか。ここに至る経緯は長く複雑であって一冊の書物にさえ収まりきらないものではあるが、それが世に出るころには世間の関心は賞味期限切れを起こしていると思われるので、ここにその一部を記そうと思う。


そもそもウラジーミル・プーチンウクライナ併合をもくろむようになったのはいつのことだろうか。すなわち、民族的ロシア人保護というロシア社会における要求に甘んじず、かつてのロシア帝国的な全スラブ民族庇護者というアイデンティティ確立し、ウクライナロシア範疇とするべく模索を始めたのはいつのことだろうか。これは遅くとも2019年にはその転換は生まれていると考えられる。冷戦の勝者であったはずのアメリカトランプ政権の下で国際的威信を低下させ、アラブの春以降に生まれた膨大な中東難民ヨーロッパ社会疲弊させた。東に目を向ければ2008年の中露国問題解決をもって後顧の憂いを絶ち、和平条約こそ結べないものクリミア危機をもってしてもなお対露宥和政策を維持する日本を見る限り不安要因とはなりえない状況であった。そして、ウクライナにおいてさえ、2019年大統領選挙では対露強硬派ポロシェンコが敗退し、政治的には素人コメディアン出身ウクライナ語さえ満足に話せないゼレンスキーが対露宥和政策を掲げて当選するに至ったのである。むしろこの時にこそ、プーチンミンスク合意を超えたウクライナ併合という天啓を得たとしてもおかしくはない。彼の帝国に、およそ実現不可能侵略戦争妄執を諫める官衙が無かったことが、世界悲劇であった。

ロシア軍の当初の作戦は様々な面で事前の調査検討が不十分なものであった。もとより実現可能性も実効性もない目標を大真面目に検討しろと言う方が無理であろう。とはいえ杜撰侵略作戦はいかにして作られたのだろうか。これにはおよそ二つの側面がある。一つは、計画立案の手間を惜しんで集団安全保障条約(CSTO)加盟国内で政変が起きた際の介入計画を下敷きにしている面。もう一つは、プーチン個人が気に入るであろう要素を加えることで、彼個人が満足するように作られている面である。このため、作戦計画はもとより無理のある要求に非現実的企画で回答するという悪循環産物と化しており、2022年2月の史上稀に見る大失敗に至るのは当然のことであった。

プーチンはこれまでに2回、親露派内閣の救援に失敗している。ブルドーザー革命で当時ユーゴスラヴィア大統領であったミロシェビッチ保護できず、またマイダ革命でもヤヌコヴィッチ内閣を支え切れなかった。これを踏まえ、CSTO加盟国内で政変が起きた際の対応計画は、かなり真面目に練られていた。そのうちの一つが開戦劈頭のアントノフ空港攻略作戦の原型になっている。原型となった計画では、クーデターなどによって親露派政府が打倒されそうになった場合ロシア空挺軍部隊首都近郊の空港制圧して先行する特殊部隊とともに政府首脳部を保護し、これを空挺堡として首都や周辺の主要都市軍事拠点順次制圧していくという展開を想定している。

実際、ウクライナ侵攻の直前に起きたカザフスタン政変ではトカエフ要請を受けてロシア空挺軍によるアルマトイ国際空港を中心とした展開が行われており、一方の権力を奪われたナザルバエフ隣国キルギス脱出し、カント空軍基地プーチン政権奪還を支援してくれるものと待ちわびていた。権力闘争の結果は周知のとおりだが、仮にトカエフがより反露的な人物であれば結果は違っていたかもしれない。

ウクライナ侵攻計画においても、親露派大統領に対するNATO とりわけアメリカ主導のクーデターが発生した際の対応計画を元に、少数の特殊部隊と大規模な空挺軍を利用したアントノフ空港制圧とこれを拠点としたキエフ制圧計画立案されていた。この作戦の致命的な欠陥として、クーデターであれば存在していたはずのウクライナ国内の親露派有力者、とりわけウクライナ部隊ウクライナ保安庁内の協力者からの援護が十分に期待できない点が挙げられる。計画上は確かに彼らが侵攻開始と同時に蜂起する想定になっていたのだが、ウクライナ国内の親露派の多くはロシア軍の本格侵攻を信じてはおらず、投下された膨大な準備資金個人的な利益に帰してしまった。さらに、開戦直前に至るまでアメリカによる情報公開攻勢が行われたため、ウクライナ国内の親露派との連絡調整を職掌に収めていたロシアFSB第五局は情報漏洩を恐れて正確な開戦日時を伝達せず、結果的2月24日は(開戦日は教えてもらえると思い込んでいた)親露派に対する奇襲となってしまった。この、事前連絡のない開戦とロシアによる一方的な協力への期待は、数字としては出ていないが、民族的ロシア人あるいは経済的恩恵といったものを背景とした親露派の翻意を大いに促し、以後のロシア軍を大いに苦しめることとなる。

また、本来であれば、制空権の確保と空挺堡の構築、地上部隊の侵攻は十分に連携の取れたものでなければならない。しかし、ロシア政府内では侵攻作戦プーチンの「お戯れ」であるとみなされていたため、作戦計画の内プーチンが喜びそうな内容、具体的には前述のアントノフ空港への奇襲といった派手な作戦ウクライナ全土制圧後のロシアへの併合宣言といったハイライトのみが詳細に検討され、それ以外の点については何ら考えられてこなかった。例えば、アントノフ空港制圧した空挺軍部隊と合流するためにベラルーシから地上侵攻を行う必要があるが、チェルノブイリ原発周辺の森林地帯を通過する際の計画東部軍管区のある若手士官図上演習課題として丸投げされ、提出された素案を元に別の将校が大規模演習の名目で具体的な計画に起こしていたことがわかっている。想定された場所以外では戦闘妨害が起こらず、また演習名目であったために部隊の移動は迅速に進むという前提で計画が確定してしまたことが、キエフの戦いにおいて裏目に出てしまった。同様にロシア空軍も、地上軍との連携が乏しく長期の作戦計画立案されていないなど、全面戦争を想定したものとは到底言いがたい状況であったのには、このような背景があったのだと見られている。

戦前年にもロシア軍はクリミア半島などにおいて大規模な動員訓練を行っていたが、プーチンが本気であると知らない者には、これら人員物資の集積はあくまウクライナおよびNATO に対する威嚇として理解されていた。事情を知る者は当初計画があまりに楽観的であることに懸念を示していたものの、FSB第5局の人員の多くは親露派ウクライナ人の協力が当然あるとして疑わなかったし、またある者はプーチンが本気でウクライナ侵攻を計画していると認識していなかった。何より、プーチン本人が自分に気に入られるべく作られた即興作戦計画を「狙い通りに」気に入ってしまった。平たく言うと、ロシア軍としては侵攻計画の前提となる環境整備は対外諜報活動を所管するFSB が行うことが大前提であり、しかFSBはその軍事侵攻に十全な準備をできていなかったのである本来なされるべき長期的な見通しの欠如は、未だにロシア軍を苦しめている。


もう一方のウクライナ側の防衛計画についてはどのようなものだったろうか。戦前ウクライナ政府および軍が想定していたロシア軍の侵攻計画は以下のようなものであった。まず、ドネツクルガンスク人民共和国(D/LNR)との停戦ラインにおいて大規模な衝突を起こす。これを受けてロシア政府ウクライナ政府に即時の停戦撤退要求する。ウクライナ政府拒否した場合ウクライナ軍による民族浄化作戦からロシア住民保護」を名目ロシア軍による大規模な空爆を行う。空爆によってウクライナ政府降伏しない場合地上軍による侵攻を行い、かつてノヴォロシアと呼ばれていた民族的ロシア人の多い地域制圧する。これらの地域はD/LNR と同様にウクライナ国内の(EUNATOへの加盟を拒否できる)自治州として温存し、長期的にはこれらを通じてウクライナを間接的に支配する。このプロットは明らかにコソボ紛争における欧米の介入の経過をなぞったものだが、ウクライナ軍はプーチン個人的な欲求からNATOに対する当てつけとしてこのような展開を望むと考えていた。ロシアが率先してウクライナに侵攻するのではなくD/LNR が優位な戦況を作り支配地域を広げる体裁をとることが国際的批判回避する方策であるため、国際社会による仲裁拒否民族浄化を続けるウクライナへの懲罰的攻撃という方便を生み出すよう布石を打っていくのである。前提として、ウクライナ国内クーデターのような政変が無く、ロシアからエスカレートを仕掛ける場合を想定すると、このような順で進むと想定するのは合理的である

問題はこれがどの程度のスピードで進むかであるが、ウクライナ軍の想定ではコソボ空爆と同様に開戦から地上侵攻まで最大3か月程度の時間的猶予があると考えていたようである。今を思えばのんびりした想定であるが、ロシア陸軍各部隊は徴集兵を少なからず含んでおり、これらは法律上ウクライナ派兵できないため、全面的戦争を始めるには予備役招集と訓練が必要であると見られていた。したがって部隊の充足率を高めるのに必要時間がある程度は期待できたのである。このタイムラグの間は空爆ドネツクルガンスク両州が主な戦場となる。そこで、ウクライナ軍としては東部陸軍の主力を集中させてD/LNRとの停戦ラインを堅持することで大きな損害を与え、ロシア本体が参戦するまでに東部戦線を安定化、あわよくば地上侵攻を思いとどまらせるという方針が定まっていた。また、この時、クリミア半島やベルゴロド州からロシア軍が侵攻してくることが考えられたが、ここは動員した予備役領土防衛隊国境線を維持することとされた。長期的な見通しはさておき、ウクライナ軍にとって主眼はあくま東部戦線であり、停戦ラインから20km の範囲で多数の陣地構築を行っている。隣接するヘルソンザポリージャハリコフの各州での陣地構築は開戦後住民避難と並行して行う予定であったと考えられる。

もし、開戦に先立ちウクライナ軍が上述の想定の元東部戦線への戦力の集中を行っていた場合、図らずもがら空きのキエフロシア空挺軍殺到していたことになる。では、ウクライナ軍はどこで引き返したのか。最も有力な説は2月21日のロシアによるD/LNRの独立承認の直後であろうというものである。前述のような経過をたどるには、D/LNR がウクライナの一部という立場のままロシアミンスク合意の履行を強制する状況になければならない。両地域独立承認してしまった場合、D/LNR や民族的ロシア人が優位な支配地域を中心とした間接的なウクライナ支配という筋書きと整合しなくなる。また、東部戦線におけるD/LNR の攻勢が想定よりもだいぶ弱く、ロシア軍が両地域へ展開している部隊数も想定をかなり下回っていることからウクライナ軍では当初想定とは異なる侵攻計画がある可能性を認めざるを得なくなった。この時、米国から情報によればロシア軍の侵攻計画長大国境線での一斉攻撃であった。残念ながら、ロシア軍が主体的に全面侵攻を仕掛けるという情報ウクライナ軍は信じることができず、さりとて東部戦線へ部隊を急派する必要もない状況を踏まえ、ウクライナ軍は部隊移動を取りやめ、部隊位置を秘匿したうえで数日待機、すなわち様子見することとした模様である結果的に、キエフ周辺には開戦直後のホストメリ空港一時的にせよ防衛するのに十分な戦力が残っており、第一機甲旅団チェルニゴフ州でドニエプル川左岸防衛することができた。一方で、南部においては部隊移動が混乱をきたしてしまい、クリミア半島との境界に当たるペレコープ地峡からメリトポリ付近に至る広い範囲守備部隊のいない状況となってしまった。もしこの地域担任する部隊が移動前であったならば、事前準備の不徹底なロシア軍の南部からの攻勢すら頓挫していた可能性がある。

開戦初期の戦況はこのような状況から作られたが、その後の展開は周知のとおりである

2023-02-14

anond:20230214205716

こういう浅い奴に適当憲法語ってほしくない

憲法保障された書物上の自由って、こいつの想像するその自由と全く違うと思うわ

バカがイキるな

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