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2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620084444

ロードススレイヤーズオーフェンブギポ猫の地球儀めっちゃ好きだけど「名作」というポジションに行けてるとは俺も思わないな。

物語としては名作だけど、文化的に名作として扱われてるとは感じない。

その辺の作品群を読むことが「教養」という風に受け止められてないというのが大きい。

アニメにもエロゲにも「教養としての作品たち」みたいのがあるのに、ラノベにはそれがない。

年取ったファンが「あれは凄く面白い」「エポックメイキングだった」と言っていても、それは教養語りと受け止められず、ただ懐古という風になってしまう。

それが何故かはわからない。ラノベが未熟だから、などという簡単理由ではないだろう。

はいえ、「名作」がない、つまり「触れていることが教養とされる作品群がない」ことは必ずしも悪いとは思わない。

名作とされる作品群が発生するということは、権威が生まれるということに繋がるからだ。

それを読んでいるということを誇り、知識考察をひけらかす衒学に走り、触れてない奴を浅学と馬鹿にする権威主義

そういうものが、ラノベ界隈ではあまりない。そういう振舞いをしようとする人がいても、周囲から馬鹿にされるだけだ――それこそ懐古厨として。

同じ時代を生きた人に素早くリーチし、高速で消費され、そして次の世代過去の積み重ねにも触れねばというプレッシャーを受けず読みたいものをスッと手に取れる。

その猛烈な速度は、たぶんライトノベルのいいところだ。

大塚英志小説版サイコあとがきで書いた文章に、

「速度。そう、重要なのは消費される小説けが持ちえる速度だ。屑さえも書物に仕立て上げる速度だ。その速度に乗せなければ届かないことばというものがある。その速度に乗せなければ届かない遠い場所に読者がいる。」

というものがある。

この文章が書かれてから20年がたっても、ライトノベルは速度を失っていない。

2017-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20170601075658

元増田です。コメント頂き、まことにありがとございます

聞いてて耳が痛い話が満載ですが、(身バレしない範囲で)できる限り回答させていただきます

確かに、嫁はスペースの問題は重視していますリビングや空き部屋(将来的な子供部屋)には、漫画は一切置くなと厳命されています

元増田自身は「整理ができるが、物を捨てられない」人間です。実家に住んでいた時代に、「断捨離しろ!!」と強く言い寄られて捨てたのは、服だけでした。漫画書物には一切手を付けませんでした。

現在収入に関しては・・・まぁ・・・保管用の部屋を一室借りるとか、そんな事はできないレベル人間です。

一応、他の兄弟には話は通していて、実家書籍は(もし実家に何かあった場合)は好きにしてくれと言っています実家には田河水泡先生水木しげる先生貸本(超美品)とか、冒険ダン吉全集とかあったような気もしますが、今まで実家迷惑かけた分としては全然足りないだろうなあと思っています

大人しく、自炊(もしくは電子書籍)に移行するべきというのが、時代の流れのようですね。。。合理的ではありますが、一抹の寂しさもあります

ともあれ、親切なコメントいただきありがとうございました。今日は久しぶりのデートなんですが、うまく漫画(の収納)の話ができればなあ、と思っております

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。

目次 [非表示]

1 概要

1.1 「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

1.2 書名の由来

2 脚注

3 刊本

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

概要[編集]

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。

文中、鍋島藩である鍋島直茂武士理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏併記しており、鍋島氏龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。

当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君浅野長矩切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別相手に突っかかることはできないのである」と評している。

この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。

明治中期以降アメリカ合衆国出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしま気概覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。

浮世から何里あらうか山桜    常朝

白雲やただ今花に尋ね合ひ    陣基

武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」[編集]

葉隠記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻玉砕自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。

しか山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナー指南書や礼法マニュアルに近い記述ほとんどである。また衆道男色)の行い方を説明した記述等、一般近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。

戦後軍国主義書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術マニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書出版されている。

戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。

書名の由来[編集]

本来葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公大義とするという説。さらに、西行山家集葉隠和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。

2017-05-18

あんなに歴史的遺物大事にしないジャップがなんで平安時代とかの書物の内容が伝わってるのかわからなかったけど、歴史修正主義者の国だってことを考えれば自ずと結論は出る。

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516115013

昔のイスラム書物で、

何かの拍子で女性の生の手の甲を観てしまった男性が超悶々とした

ってのがあったそうだ


また、アフリカ裸族で腰に紐一本巻いてるだけだが、

初夜にその紐を解くのをすごく恥ずかしがるって話なので、

なにやってもエロスってのは出てきちまうのだ。

男女同権の現代社会ではなんとか理性でとどめるしかないんだよ

戦時中日本の首脳部はアホデスカ

戦時中日本の政治家、軍首脳部

あほばっかりって関連する書物など

見るといつもそう思う。

いつもだ!

トラウトマン和平工作交渉決裂させたバカ

外務大臣首相バカ

なんであんなにバカなんだ?

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511112517

ちなみに当方としても全くわからないので当該書物を読んだ人がいたら彼の人がどう考えているか教えてほしい

あとあの人は国破れて山河ありなんてこと考えてないと思うよ。

おそらく国土も含めて美しい国なんちゃらと言ってるんだと思う

2017-05-06

天皇在日韓国人

誰も読まれた事が無いのだろうか?

日本三代実録第一巻には,天皇百済から来たと明確に記述されている.

これは,図書館で借りる事ができる書物である.(館外持ち出し禁止であった.札幌中央図書館)

 私は,地震学勉強していたが,この際に,災害のあった時期と,災害を祓う為に,陰陽師に執り行わせた祭祀との関係を調べ,

新収日本地震年表に記載されていない地震を探していた.

この際に,日本三代実録を借り,年表と照らし合わせている際に目に留まったのが,第一巻の初めに記載されている『百済から来た』との記述である.

この際に,秋篠天皇の側近として百済から来ている.

このように,天皇家朝鮮半島から来たという学術的な文献が存在する.

2017-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20170419111942

お前は「幕末体験してないのに書物で得た知識だけで新撰組維新志士に萌えないで」とでも言うのか

2017-04-13

先週人を殴ってくクビになった奴が他社(多分前職)の機密保持契約書と関連書物を一式忘れてったんだけど元の会社ににおくれば面白い事になるかな?

書物は知の集積という幻想はもうやめよう

働き盛りが読書しない日本

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/post-7389_1.php

この話は、テレビ黎明期の頃から言われていることで、書物にもいろいろあるのだからDockerテクニカルリファレンス本を読むのならそれは「調べもの」で、闇金ウシジマくんを読むのならそれはマンガを読む楽しみだし、ファッション誌を読むのならそれはお洒落の準備だし、ブックオフ中古で買った新書を読むのならそれは暇つぶしです。

通勤電車内での時間つぶしならスマートフォンのほうがはるか効率的で、ゲームSNS音楽鑑賞も映画鑑賞も全部できます

何かの勉学に取り組むのであれば、それは本であれネット情報であれ学者講演会であれいろいろ駆使して追求するわけですから、何も「書物」に知を仮託する必要はありません。

最近わりとマジで外国人向けの準日本語とか開発できないかとおもってる

そして先行者利益享受するのだ!!

昔昔のどこぞの学者さんは、国際的にど田舎日本人国際標準英語を学ぶ前に、アルファベットになじんどけば拒否反応もすくなかろうと、読み書きの記述英語日本語中間に、ローマ字表記日本語を設定することを発明した。

ということで大半の日本人は、英語の読み書きはできなくても、ローマ字の読み書きはできる。

これとおんなじようなことを英語圏の連中にもやらせる。

しかローマ字のそれがそのまんまというわけにはいかない。

日本人欧米書物を読んで国内には存在してない知識を蓄えることが重要だったので、アルファベット一般教養になるまでに身近にするための手段としてのローマ字表記うまいことハマったわけだ。

だかしかしっ!、英語圏の連中の場合日本語映像をみたり日本旅行したときに、内容が理解できて会話ができることがマストである

ということで、英語圏発音を組みあわせて日本語意味になるような、そういう中間言語を設定開発していきたい。

いきたいけど、どっから手をつけたらいいのか...。

半分ネタだけどネタで終わってほしくない自分もいる。

つうか東大文一とか京大のやつとか、なんでこういうプロジェクト立ち上げないんだよ。

日本人英語覚えて云々...外人日本語のレッスン云々....もいいけど、その中間だよ。

中卒レベルでも使える中間的な言語の開発と普及が必須だよ。

日本外国に合わせるでもなく、エリート外国人日本語マスターしてーのでもなく、どちらの国民も同等に『使える』言語の開発が急務だよ。

2017-04-09

どなたか「死とは何か」をわかりやすく記した書物を知ってる方はいらっしゃいませんか

できれば宗教色のないもの

2017-03-20

教育勅語ダメなら聖書ダメだよね

過去に数百万単位の「異端」「異教徒」を殺戮した思想の根幹となった書物であり、現在でも聖書記述をもとに同性愛差別が行われてるんだから

こんな危険書物教育の場に持ち込むのは断じて許容すべきではない。キリスト教を教える学校はすべて潰すべき。

2017-03-13

ぼくはきみの服の中のオッパイを見たかった

Mはぼくと同じ高校で一学年下の女の子だった。

まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。

ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。

小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。

きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。

から学校への道を並んで来る姿、帰る姿をぼくは覚えている。

そのときぼくは思ったよ。

あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。

もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。

しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ

それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。

自慢じゃないがぼくのいた公立高校男子童貞率96%、つまり童貞クラスに一人くらいしかいなくて、

しかも在学中に処女童貞を失った場合浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲正義だったんだ。

もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。

受験勉強甲斐あってぼくは現役で大学合格し、その喜びもつかの間、片想い女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大合格して大学生になったことを知った。

当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。

大学生になったきみの胸はさらに巨大化していた。

巨乳というのは裾野が広いんだ。

富士山裾野が広く伸びていてるみたいにね。

「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。

ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。

かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか

からぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。

今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。

京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。

しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。

ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。

しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。


秋になって、いろんな大学学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大学園祭に出かけた。

高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。

実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから

女子大学模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。

あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。

そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。

とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。

でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。

だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。

女子大学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。

普通カップルのように彼女学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。

しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャル領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。

その理由簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。

手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。

そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣住吉大社に出かけ、そこから阪堺線チンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。

潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。

あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。

そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。

しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。

どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。

まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。

もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。

ぼくは免許を取り、中古車いすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。

Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬おもちゃみたいなケーブルカーに乗った。

汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。

ぼくたちとの違いは彼らがキスをしていたことだった。

ぼくは赤面した。

キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか

まだぼくは胸を見たこともないのに・・・

いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為さらに先に位置するものであるはずだ。

ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら

先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である

もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。

まり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要法則をそのとき発見したのだ。

ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。

乳首を舐めたかっらたまず相手の唇を舐めろ!」

ぼくはその真理をここに理解したのだった。

しかし、破局は突然にやってきた。

Mが教会に通い始めたからだ。

学生のぼくたちがデートできるのは日曜日に限られていた。

その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。

ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。

当時はまだ原付ヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。

ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会聖書を見たいとは思わなかった。

僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要書物であった。

「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。

ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。

ぼくがMと最後に会ったのはぼくが大学卒業した春だ。

そのとききみはブラウスボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。

そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304032115

お前、頭わるいだろ。

「客体としての世界を言うのならそれに観測者を付け加える必要は無い」ことはない。

「客体としての世界」があったら、「主体」としての観測者がいるはずだろう。

主体」がいなかったら「客体」もないだろ?

「主」がいないのに、なんで「客」だけいるんだよ(笑)

一方で、「客体としての世界」を想定しないとして、「脳内にある世界」について語るにしても、「脳内認識している世界世界観」なんて、粗雑そのものじゃん。

まさにその「脳内認識している世界」を形作っているのが、「世界観」じゃねえのか?

両者は別物だろう。

世界観」の方がメタ存在から、おなじレベルでは語れないだろう。

世界観」がなかったら「脳内認識している世界」もないだろうけどな。

あ、あと、おバカはあまり読んだことないかもしれないけど、世の中には「国語辞典」って便利な書物があるから、そこで「世界」と「世界観」って言葉を探してみなよ。

世界観世界が同じものって書いてないから。

2017-01-08

全ての文系バカ男子に告ぐ!!!!!!!!!

お前は馬鹿か!何太宰治研究してんだよ!!

なにが「何かを待つということについて」だよ!!「人間が何かを待つということは一体どういうことなのだろう。彼女が待っていたものは何だったのだろうか。死、男、時間。さまざまな可能性が考えられる」じゃねーよ!!!

待ってるのはこっちだっつーの!!!!!!!!!茶でも誘えよ!!!!太宰の書く女が待ってるものより、目の前の私が何を求めてるか考えろよ!!!!!

こっちは何回も助け舟出してるのに悲しいじゃんか。私のことも書物と同じように考えてくれればいいじゃん。物語を読むように紐解いてよ。私が誰を待ってるかなんて明明白白だろうが。

早くしてよ。バカ!!!!!文系男子あほ!!!!!

2016-12-18

多くの書物を読んできたであろう日本代表する知識人たちでさえブログSNS上では死ぬほど噛み合わない議論を繰り広げ「曲解するな」を連発するということが可視化された一億総インターネット時代に「ラノベを読まなきゃ読解力が身につく」とはあまりに素朴すぎやしないだろうか。

2016-12-15

日本の文化を豊かにしている「伝統継承」の存在

最近日本ゲームメチャクチャ品質に優れてると思うのは、表現リアルさだな。表現の良いものを据置機・携帯機で販売し、その補助としてPCゲームを利用している。1970年代からトンデモ文化だったゲームは今や大衆文化。従来型ゲームを残し、進化させたことが奏功したともいえるよね。リア充の人は、アニメを見て、そこからPCオンラインゲームなりスマホゲームをしている人がいると思う。パズドラを深く楽しみたい人は3DSのみならずスマホを買う。ソシャゲとはオンラインゲームに近いスケールのものであって、中毒性質のない古典型とは違う。オタクならよくわかると思う。ゲーオタにとって任天堂ソニーのそれはXBOXとともに本格的にゲームを楽しむための機械事実上ネトゲであるソシャゲ難易度が低く、リア充の遊びであって敷居が低い。深く味わうにはPCゲーム買うほうがよほど効率的だ。

こうしたゲームを含んだサブカルオタク圏というものがあり乗り物文化・非大衆文化がある。さらにそれと構造を共有する文化があって、それは「サブカル性」の存在日本文化繁栄を実現している場所なのだ問題は、それ以外のもの。そこには深く楽しむのための技術がない。

たとえば中国には据置機ゲーム開発メーカーがないという。PCソフトゲームこそあるが、その品質も据置機にすら負けていることは、マリオを愛する日本人間にはよくわかっている。ソシャゲ嫌いがほとんどだからね。韓流台流ゲームアメリカ流のそれと比較するべき水準ではなく、どちらかというと和製オンラインゲームと似ていると思う。サブカル拡張ために発展した据置機文化と共有できる要素がない。単に特殊アイテムを買うときだけに金を払わせるので収益性がない。ミーハーはともかく硬派から評価は高いといえない。

アジア諸国交通が長い間道路依存していてそれを鉄道が補っているように、韓国台湾中国鉄道オタクに対する理解が遅れている。アジア諸国マイルドヤンキーが多いから、中韓台より事情は悪いかもしれない。「日本は異常なんだからいいだろ!」とヤンキーに言われそうだけど寛容性は大事よ?大卒の元ギャルにお世話になったことがある。ギャルはい文化だと言っていた。誇らしげだった。しかし「リア充」という感覚ではなく「元ギャルの人」という意識があるような感じだった。鉄道好きだって鉄道オタクではなく元変わり者」という感覚が古い世代にはあるはずだ。車・バイク好きのオタクに以前噛みつかれたが、それこそヤンキー文化ソフト版が車・バイクカスタムフェチでしょう。痛車好きは一応オタク文化だが、敷居が低いこと、イメージの悪い時代存在、極めて似ている。鉄道好きも車・バイク好きもマイルドヤンキー化しているし硬派の存在無視した大衆化だそう。道での繋がり傾向のサブカルとは違うのだ。

2000年代に不良の衰退でまともになった点や文化的歴史位置づけにおいて、バイク文化キモヲタ文化は似ている。どちらもへそがないものだ。しかしこれらはマイルドヤンキーとは違い、縦方向上下があり、そこでは繋がりが途切れることない。バイクは1970~1990年代世代キモヲタ1990年代世代が変わり者の集まりになっている。一方、鉄道路線鉄道趣味人口密度関係はどうか。負の相関関係にあることは誰にでもわかる。とにかく地方ほど鉄道好きが多い。おまけに観光地化も進んでいる。足を引っ張る人間もいる。都会にこそアンチがいるどうもバイクよりかは可愛いバッシングに思える。

ソシャゲが生誕10周年を迎えるが普遍的ビデオゲームとの性質の違いがはっきりしているように、将来この溝は埋まらないと思う。そして、2000年代以降の最近に量産された書物にはこういうパターンが多い。物凄い売り上げになるが、誰にも知られない…。この手の似非サブカル文化がよくないのは、サブカルとは消費者構造の違いがありすぎるのに、内実を伴う本当のオタク文化のようにビジネス方向性として普遍化してしまうこと。しか財界の都合はどうであれマイルドヤンキー割合が高くなり、民度もばらつきが出てしまう。そこに道の繋がりはなく、完全な単細胞になる。

結果的ハイカルチャーでもなければ、サブカルでもない中途半端サブカルチャーが寂れる。ギャル文化は(業界面で)のイメージ凋落して久しいがその人達の評判もクソッタレてるでしょ?ヤンキーみたいな末路を追うことになるんです。いい加減な文化はみんなどこも。もちろんアニメ好きや鉄道好きに対するバッシングもあって1989年宮崎勤ショックや2002年西武鉄道ショックがまさにそうなのだが、低迷期はわず10年弱だったし、現在ではむしろ好かれている文化ので、私たち鉄道好きはほんとはめちゃ好かれ者なんだよね。「汚い日陰者」から一転して大成功ってすごすぎるよ。

最近都市部では駐車場駐輪場金も安くなっているのに、いざ買うとなるとかなりの金額がかかり、トータル費用原付バイクだけとっても最大で10万円台はいささか敷居が低いとはいえない。ロードバイクですら5万円以内で始める事等やろうと思えば可能だ。持続的に利用できて、かつ一定の敷居の高さがあればいいわけ鉄道は厳かな仕来りを残しつつ観光要素があるのは非常に優秀で、バスもその点では平成以降は充実の流れがある。

最近流行っている鉄道不買運動は、田舎外国から来たよそ者が参加できない、敷居が高いしか難易度の面でも非常に中途半端。ひどいと最低限度の駐車場駐輪場はおろかガソリンスタンドが整備されておらず、都会特有曖昧道路交通マナーとあって運転もめちゃくちゃ大変なのである。あれは遅かれ早かれにわかに終わる運命しかないと思う。別に日本大都会で増え続ける都市鉄道嫌いと車・バイク好きをDISってるわけじゃないが、日本ではロードサイド文化もろとも車社会は終わる運命にあるし、車やバイク都市部ではスポーツ用具以外もはや意味ないし、アジア諸国を手本にした再開発を実行したらその発展の犠牲欧米由来の都市文化の居場所が消えうせるのは必然しかない。したがって現代であれば満員電車も大量の外国人必要悪なので、日本は本当の意味観光大国化がしたいなら防災などの予算などで余った分を人口増加対応に充てればいいと思う。歩道車道を分離して歩道の容量を拡張する。近年では鉄道の整備に努めているようだが、例えば鉄道だけを取って鉄道女性専用車が役目を終えたら、その跡にグリーン車を設置したらいい。乗客分散させるのだ。

神奈川県横浜郊外はかつて、関東特有田舎文化があった。昔の相鉄ローカル線同然だった。それが昭和時代経済成長で都会の仲間入り。どれ程すごいかと言うと、昔は関東仙台同然だった横浜郊外仙台市とは比べ物にならないような高度なニュータウンへと変貌したというのだ。話がそれてしまった。

電車男サブカル文化が変わり、鉄道に対するイメージすらJR九州の躍進で変わった。縁の下の人を守り続けることが日本文化の持続可能性のポイントであり、もちろんそれを各現場の人が一番わかっていると思うんだよな~

2016-12-13

WELQ並にヤバそうな予防接種に関するNEVERまとめについて

一言で言うなら『やっぱNEVERまとめもまともじゃないのこいつもさっさと閉鎖しろ』という話。

ただの個人的意見だがネットに限らず不特定多数現在の正しい情報提供するためにはエビデンス(証拠的な意味での)は公的機関等が発表した信頼性の高い書物論文記事であるのが絶対条件。そしてその中でも過去4〜5年くらいまでのものが実際に使えるものだと思っている。私が学生時代ディベート試合なんかをしていた時には年季の入った引用先のエビデンス信憑性が下がるから使うなと指導されたものだ。

WELQに始まるキュレーションメディアの騒動では著作権違反やらエビデンスなんてクソ喰らえと言わんばかりのデマ拡散やらで多いに盛り上がったが最近NEVERまとめでも微妙に怪しいまとめを見つけてしまったのでそのことについて記そうと思う。

近辺でのインフルエンザ予防接種を扱う病院を調べていると何故かまとめサイトに行き着いた。「インフルエンザワクチンは打たないで!」とかいタイトルなのだ引用(という名のただのほぼパクリなのはともかく)されている情報信憑性が欠けているように思えて仕方がなかったので少し調べることに。

このまとめの引用元としてよく使用されている元母里氏の書籍だが発行はなんと2007年。9年も前の医学を元にまてめているらしい。そして氏のワクチンは全く効かないだとかのアンチ意見引用されてるが、(引用問題があるのかもしれないが)特に例を出されている箇所は約30年ほど前のワクチン使用中止の話がベースとなっている節がある。医学進歩する中、今のワクチン事情に引き合いに出すものではない。

あと気になったのが慶応大等の研究結果によりインフルエンザ予防接種中学生乳幼児には無意味!という記事研究結果自体をちらっと拝見すると単に"件数不足により分析不可"ということらしい。うむ、毎○新聞記事はあてにならないということか。

…とまあ医療知識に乏しい素人目でもちょっとおかしいなと思っていたのだがネット上にもこのまとめについてWHO等の発表や最近ワクチン事情について比較信憑性の高いエビデンスを用いた反駁をされている方々がいるようで。それらはワクチン効果は十分期待できるものであり近年使用されているワクチン危険性が低いよう改良されている等まとめの内容と真逆を行く情報ばかりだ。

無論私もワクチンに限らず薬には副作用があるもの100%安全性があるとは考えていない。が、この情報を見た今まとめにあるような危険性があるとも考え難いものがある。まとめを信じるか否かは各々に任せるとしてもこのような情報確認したまとめ閲覧者はどれ程いるのだろうか。

他に腹の立つことを挙げるならば後半のページにあるこのまとめに対する肯定意見ワクチン否定派のTwitterまとめ。否定的意見は気にもせず一方通行で「常識ウソ、こんなに沢山の人が信じているから正しいに決まってる」的な誘導をしたいのだろうか。このような自分に都合の良い情報ばかりを集める所はアフィリエイト丸出しの2ちゃんねるまとめサイト等にもよく見られるものだが。

このまとめを知る人からしたら何を今更とも思うかもしれないが一連のキュレーションサイト問題がここまでの大炎上となった今、この騒動が鎮火する前に是非このような情報拡散するNEVERまとめも逃げずに削除なり何なりの対応を取ってほしいもである

2016-11-07

戦国劇の麗しき足軽

突然ですが私は戦国腐女子です。

戦国ゲームから入り、好きが高じてキャラ時代歴史書史跡巡り、伝記なども読みあさる所謂にわか歴女”というやつです。

歴史”“戦国”という世界に惹かれたきっかけがゲームとは言え、モデルとなった偉人達に対する敬意は持っているつもりですし、書物や残された書状などの研究書を一通り読み、ゲームとは切り離してその生き様に改めて惚れ込んでいます

そんなこともあり、定期的にそのモデルとなった偉人達のお墓や城など“聖地”を巡礼することもしばしばあるのですが、最近大河ドラマなどの影響もありどこも大盛況で、祝日ともなると各地域イベントも多数開催されています

中にはその偉人を主役とした劇のようなものも上演されています。有名なところだと名古屋の“おもてなし武将隊”かな?一般の方や役者さんがその武将になって…いや武将達が現世に蘇って史実を元にした物語ちょっとした舞台のように演じられるのです。

前置きが長くなりましたが、今回のテーマはその戦国舞台演者さんのことです。

今までもその存在は知っていましたが、なかなか機会に恵まれず先日ついに初めての舞台を拝見しました。そして同時になんとも言えない気持ちになったのです……原因はその…演者様の「女性率の多さ」

姫役ではなく、足軽大将にも女性女性…その数ざっと見積もっても半数以上。

冒頭に書いた通り、私も女です。同じ女として、勇ましい衣装に身を包み凛々しい演技を目の当たりにし、女性でもこんなに格好良く演じられるんだ!という感動とともに感じたのは大きな違和感でした。

違和感……というよりはまぁぶっちゃけほんの少しの嫌悪感があったんです。だって歴史上の“史実”において、足軽にこんなに女性がいたなんて記述はどこにもありません。0ではなかったかもしれない、でも半数以上が女性足軽隊なんて聞いた事がありません。それだけではなく、実在する武将まで人によっては女性の方が演じていらっしゃいました。それは私に、昨今の漫画ドラマでよくある「男性の振りして足軽になったけどイケメン武将に女であることがバレてしまって~?!☆」系の少女コミックを想起させるに充分でした…もしくは…女体化…?

いや、わかっています彼女たちは高潔な心意気のもと純粋気持ちでこの演舞に臨んでいること、それがひいては地域活性化などに繋がり、大好きな武将達が語り継がれていくことに大きく貢献されていること。わたしみたいなにわか歴女とは違ってその知識も深く、また比例して歴史偉人に対する愛情尊敬人一倍いえ一百倍以上であること。ひたむきで真剣眼差し、目に焼き付いています

でもね、見ている方にとってはそうじゃない。演技から真剣気持ちは伝わってきました。でも、そうじゃない。だって歴史はそうじゃないから。武将足軽男性から演技力とか、美醜とか、そういうことでもないよ。

こんなことを言うと、男尊女卑とかジェンダーとか、そんな問題にも発展しそうですが、何度でも言います。そうじゃない。

だってね、わたしだって演者さんと同じくらい…いえおこがましいかもしれませんが、武将が大好きです。戦国が大好きです。その好きな理由として、私は「男同士の友情、義、好敵手」という要素があります。これ…結構みんなもそうなんじゃないかなぁ…と思うけど。

“作中では男役”とされていても、だって女性じゃん?!恋愛ドラマでさ、女役が男性だったらどうなる?作中では女っていう設定でもさ、純粋気持ちで見られる?うっとり出来る?ホモじゃん!!ってなると思う。

これは、わたし腐女子からとか、そういうことでもないと思う。純粋歴史ドラマ群像劇が見たいのに…その気持ちはどうでもいいのかな。

戦国が好きだったら自分も一緒に何かを作り上げたい気持ちってすごく大事だし尊いと思う。そういう気持ちがたくさん集まって、何百年も昔にあった出来事現代に蘇ってもっとたくさんの人に感動を与えている。

すごく素敵なことでこれからも是非続けて欲しい。でも、その中にはこんな気持ちを抱くひねくれ者もいるんだってことを少しだけ知って欲しいというか…届いたらいいなというか…もう届かなくてもいいや……どこにも言えないか匿名でしたためたかった。

実際に演舞に出演された方がこの日記を見てしまったらごめんなさい。でもこれだけはわかって欲しい。女は演舞に出るな!なんて言いたいわけじゃない。軽い気持ちで出ないで!っていうことでもない。なんていうかただの愚痴。忘れてください。

でもほんの少しでも…共感してもらえたらいいな…と思わなくはないです。偉そうに色々書いたわりに適当な終わり方でごめんね。

最後に、思ったことをわかりやすく書くために一部適切でない表現蔑視表現があったかもしれません。その点についてまとめてお詫びいたします。

これから戦国ジャンル栄光あれ…!

2016-10-23

なろうファンタジーで便利過ぎる設定に見る、作者と読者の温度差

俺が少数派なのかもしれないけど、

「なんでそっちに行くかな」という傾向が散見されるので吐き出しとく。

なろうのファンタジーでよく使われるゲーム的設定の、

代表的ものを挙げる。

アイテムボックス4次元ポケットみたいなの)

ステータスウィンドウ

・明かりの灯った階段付きダンジョン

回復魔法

2作や3作なら別にいんだけど、

やたら出るんだわこれ。

そして、これを出されるのって、俺的には全然嬉しくない。

なぜなら、世界単純化しすぎて話をつまらなくし易いから。

何が問題か、もう少し詳しく述べる。

アイテムボックス」については、どれだけ便利かは誰にでも判るだろう。

武器ポーションアイテム入れ放題。

・金華銀貨入れ放題。

商品(や現代から持ち込んだグッズなど)入れ放題。

モンスターの「素材」入れ放題。

戦利品入れ放題。

しかサイズ・重さゼロ

ご丁寧にも、「中に入っている物は腐らない」とかいオプション付きの作品もある。

物凄くファイナルファンタジー的だが、おそらく発想がゲーム的だからこういうアイテムを出すのに抵抗がないのだろう。

作者的にも色々な事を考えなくて良いのが凄く楽なのだろう。

なにしろ、野外でもダンジョン内でも新鮮な食材調味料と鍋とフライパン使って調理した温かい食事食べ放題

ダンジョンを踏破して素材と戦利品ガッポガッポ。

華奢な女の子達連れて、ほぼ手ぶらで数週間旅することもできる。

しかし、読んでる方がそれを「面白い」と思うか?

なのは主人公と作者であって、読者じゃないだろそれ。

そんなもんがあったら、異世界サバイバル醍醐味もクソもないだろ。

冒険って、人類生存圏を離れて、未踏危険地帯に踏み込んでくもんじゃないのかよ。

目的目的地を設定してさ、

経験者に話を聞きに行ったり、書物をあさったりして事前に目的地や経路の情報集めてさ、

不確かな情報経験と知恵でより分けてさ、

地図をにらみつつ、連れてくメンバーから危険度やキャンプ地を考え併せつつルート設計して、踏破にかかる時間予算を算出してさ、

そのために必要な装備を吟味してさ、

必要な装備の中から、更に人数とサイズ・重量を考慮して限られた荷物に含められる絶対必要もの代替手段を厳選してさ、

旅のついでに更に収益を増やすために受注可能クエストを考えてさ、

旅の途中も、定期的に小休止と大休止とってさ、

食料の残量チェックしてさ、

天気を予想して雨に備えてさ、

雨が降ったら荷物濡らさないように注意したり雨宿りしたりしてさ、

怪我人病人が出たら、パーティ分割や撤退視野に入れて難しい判断してさ。

・・・そういうのって、想像してて楽しくない?

お祭りの準備や裏方作業って、お祭りを見物するより楽しかったりしない?

そりゃゲームだったらね?

そういう面倒くさいことすっとばして、ポーションエーテルテント99個持って、開始10分でフィールドに飛び出したいだろうよ。

「重さが増えすぎると移動速度が落ちて、体力と気力もどんどん落ちて」とか説明書にかかれてたら、

そりゃ、うわぁ面倒くせぇって気にもなるだろうよ。

ゲームなら。

けど小説だろ。「物語」だろ。

そこで手抜きしてどーすんだよ。

インディ・ジョーンズ無限容量のアイテムボックス持たせたいと思うか?

「準備? 俺にはチート能力がある」って感じで何も考えずにアイテムボックス持ってダンジョン突撃した挙句経済破壊しかねないほどの財産を一回の冒険で手に入れちゃってさあ。

そんでどーすんだよ。

「次の冒険」もクソもねえだろ。そりゃエタるよ。

そんなだから戦闘料理デートシーンくらいしか描写するもんがなくなるんだろうが。

ステータスウィンドウ」と「明かりの灯った階段付きダンジョン」と「回復魔法」についても同じように言いたいことは溜まり溜まってるけど、

もう長くなったからいいや。

どにかく。

今俺が挙げた4つは、別に世界モノのお約束なんかじゃない。

ゲーム作る時に、そうした方が楽だから存在してるだけのものだ。

物語から見たら害悪なんだよこんなの。

クソみたいに安易な設定に頼ってないで、作者はもっと苦労しろ

調べろ。想像力働かせろ。頭使って考えろ。

作者が苦労しないと面白い作品になんてならねえんだよ。

2016-10-21

皇后陛下も「生前退位」という言葉に衝撃を受けていた

ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。


何故「譲位」ではなく「生前退位」を使うのか不思議だった。マスコミが足並み揃えて「生前退位」で統一しているので、宮内庁(そしてNHK)が分かりやすさ重視のために主導したのかなと推測してた。でも皇后さまも「生前退位」という用語に驚いたらしい。一体どうして「生前退位」という耳慣れない言葉が「譲位」という言葉を圧倒したのだろう。「譲位」じゃダメなのか。「譲位」の方がかっこいいし、「生前」って言葉は何か物騒な趣ない?

ってあんまり言いすぎると「生前退位という言葉は不敬だ!」って主張してる某皇族芸人などのお仲間扱いされそうだから増田に書くに留める。

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