はてなキーワード: 教師とは
小学校3年生くらいのころか…学校でパソコン教育がはじまった。
教師はヤフーきっずのサイトの使い方とかデジカメの写真の取り込み方とかパワポのようなものを教えてくれたと思う。
授業中に生徒の画面を見てた記憶はない。見られてたのかもしれないが解像度が今ほど良くないので目が悪かったら何が表示されてるのか分からなかったかもしれない。
というか教師がそもそもインターネットに詳しくないのか…マニュアルが確立されてなかったのかもしれない。
パソコン室が使える時間は早く集まったり遅く残ったりして、みんな好きにインターネットを見ていた。
北朝鮮がミサイルを飛ばしドラえもんが変な歌をうたう。赤い部屋で騒ぐ。
そろそろ小中学生になる子供を持つ同級生もでてくるころなのだが、みなスマホをどこまで許容するか悩んでいる。
自分たちが中学生のころには殆どの同級生がフィルタリングなしのガラケーを持っていた。
違法視聴でハルヒを見て、けいおんが流行った高校生ごろには音楽の違法ダウンロードもあったし個人ホームページ(ミニブログなど)も備えていた。彼氏との半裸写真を載せてる先輩もいた。
「掲示板は本名でやれ」という教えを今も忘れることが出来ない。
ニコニコには性行為の動画が上がっていたり、YouTubeにはテレビ番組が普通にあがっていた。
mixiの裏でこっそりTwitterをする人も出てきた。その頃ははてな匿名ダイアリーなんか一切やってない。なにそれ。
自分たちはそうやって育ってきた。
ネットの怖さはよく見てきた。顔と名前を出してTikTokはちょっと遠慮するという価値観がまだある世代だ。
そんな奴らがこどもに、どんな顔で一部のサービスやネットを遮断できると言うのか。
あの頃の自分たちはそんなことを言われて、生きてる心地がしたのだろうか。
親は不良だった過去をすべて隠してSNSをやるなと言うしか無いのはわかる。本当にSNSはやらないほうがいい。あの頃とリスクが段違いなのだ。
でも学べたことは沢山あったのだ…。
インターネットでの学びはすべて自発的な学びだったから今仕事で役立ったりもする。大人になってSNSで炎上しない方法も知ってる。本当に大事だ。
いやでも…そうするしか無いのだろう。
絶対にはてな匿名ダイアリーだけは子どもから避けなければならない。
昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。
ちょっと長くなるけどごめん。ピュアな気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。
かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。
地元の小中学校を卒業してからは、家から十キロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。
偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校とかに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラスで大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニのアルバイトに挑戦することにした。同じクラスの女子でアルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。
七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。
60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。
友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。
八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。
その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツとネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリのストラップがひとつ付いていた。
ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかわからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品のバーコードを読み取っていった。
レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。
その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。
ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。
その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服の男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。
Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。
八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃんは小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。
で、私も晴れて、初めてもらったお給料で美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。
入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃんの受け売りだった。「シャンプーはしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。
こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。
それで、次の土曜の昼にコンビニでレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶があいまい)。ちょっとびっくりした。
「増田さん、髪切った?」
どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からもコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、
「似合ってるね!!」
と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。
あの頃は、Kさんが特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。
瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラスの男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさんの目力はダントツだった。
「ありがとうございます…」
途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。
別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆や正月もシフトに入る。試験期間中は休み」という約束を守っていただけ。
月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリの死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。
和やかな日々が続いていた。学校の勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子が可愛い、ということで有名な広島県東部の公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。
その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部の活動が終わった後だった。彼女が自分の机に座っていて、私は自分の椅子をそこに移動させていた。
Mちゃんがカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色の封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。
「これ、あの人からもらった」
とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんがコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。
もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。
「増田さん。これどうすればいい?」
そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。
今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。
コンビニを休むようになった。それまでは試験期間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金は好きな音楽や漫画や雑誌に使っていた。
美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。
高二の梅雨時だった。Mちゃんがコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。
そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。
Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。
Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品やホットスナックや炭酸水やビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はい、お久しぶりです!」と作り笑いを返した。
昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。
それから、Kさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。
その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。
馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色のラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。
次の日、コンビニでレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズとTシャツのラフな格好だった気がする。
「はい。変えました」
「うん、うん。変わってるね」
「どーですか?」
「似合ってるね!」
この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計の金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんがカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。
Mちゃんの気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。
でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんがレジの三番目に並ぼうとしていた。
ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。
でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。
ほかに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。
「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」
「……兄さん警察呼ぶよ」
「呼べ!!」
「……」
おじさんが退散すると、Kさんもバツが悪そうにしていた。ほかの子が応援に来たので、私は向こうのレジに行った。
もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。
Kさんに手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。
何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。
・増田さんはよく動いていてすごいと思う
・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい
・今年中に引っ越すのでその前に
・興味があるならメールがほしい
当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子者タイプの男子だった。
そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。
ある夜、その彼氏とKさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさんの圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。
もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。
Kさんは雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分は相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。
高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。
当時、高校を出た後の進路は美容の専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校に入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクやファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。
自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。
その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。
入学試験のちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニの駐車場に入った私を呼び止めた。
「お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日も寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はい、めっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。
その時、Kさんが「増田さん。俺、今日で最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日でコンビニは最後だから。じゃあ、元気で」と、Kさんは自転車に乗った。
私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはいい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。
あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社の契約社員のポジションを探そうか思案している。
実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容の専門学校を卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載の営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんがサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。
「お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんはちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日の約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。
この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那のカバンに付いているぬいぐるみのストラップを眺めていて、思うところがあった。
とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。
少し違う話をさせていただきます。
昨日、電車に乗ろうと私鉄駅に行くと遠足であろう小学生の集団がいました。子供たちはテンションが上っているし、他の乗客に迷惑をかけてはいけないし、子供がはぐれたり事故にあったりするなんてことがあっては勿論いけないし、先生は大変だなと思って見ていましたが、引率の若い先生たちはそれを懸命にこなしていました。
昨今は、教職というのは人気がない職種だと聞きます。保護者からの要望、クレームなどの対応や、それに対応するべく書類仕事が増えたり、政治家が教育をいじくり回そうとして現場は大変なのだと聞いております。
それでもこういう風に若い方が教職に就いて子供たちを指導していて、まったく頭の下がることだなと思いました。
教師というものには昔のような尊敬が与えられていないと感じていますが、そういうのは宜しくないなとも思っています。そして、教育実習で心が折れるようなことがあったことが綴られていて、ちょっとこれは酷いなとも思いました。ただブックマークコメントにもあるように民間の企業でもそういう嫌な人間はいます。
元増田さんがどちらを選ぶかはあなたの決断なので、そのことには何も申し上げませんが、若い方が教職に就いて子供たちを指導してくれていることを尊敬し感謝している人間がいることも覚えて置いて下さい。
教育実習お疲れさまでした。
おれは幼少期からひねくれた子供であった。疑り深い性格で、何かにつけて疑問を投げかけた。他人から「これはこうなんですよ」と言われると、決まって「ほんまか?」と反発した。素直とか純粋とは真逆の、反骨精神の強い子供であった。
教師やクラスメイトから何か言われるたび、おれは繰り返し叫んだ。
「ほんまか?」
そうして順調に友人を失っていったおれは、大学に上がる頃にはとうとう本物の一人ぼっちになった。噛みついてばかりの面倒くさい奴だと周囲に見限られたのだ。
そんなある日、インターネットの広大な海を放浪していて、「はてなブックマーク」というサイトにたどり着いた。トップページには記事の一覧が表示されている。なるほどスマートニュースみたいなもんか、と思った。
はてなブックマークにはブックマークコメントというものがあった。140文字以内でコメントを書くことが出来るらしい。
これが大きな転換点だった。
おれははてなブックマークにのめり込んだ。コメントを書いていると、おれはおれであることを許されたような気がした。ここなら自分らしくあってもいいんだ、と思った。どれだけ批判しても、邪推しても、ひねくれたコメントを書いても、それはただのコメントの一つとして溶け込んでいたし、時にはスターで輝いてさえいた。おれは夢中でコメントを書いた。
ブックマークコメントというものに魅了された。それがおれの人生だった。
ところではてなブックマークのコアなユーザーは「ブクマカ」と呼ばれるらしい。その名の響きにおれは妙な親近感を覚えた。「ブクマカ」という名前には母の優しさを思い起こさせるような温もりがあった。
気付けばおれもブクマカになっていた。
ブクマカ――――。
もしも誰かがおれに向かって
「お前の書いたことはすべて間違ってる。この嘘吐きめ。お前は一体何者なんだ」
と罵ってきたら、
おれは爽快に髪をかき上げてニヤリと笑い、こう答えるだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230601110312
あるいは女性の社会進出に抵抗する目的で、少子化=悪を前提条件としたうえ、
少子化は、悪いのか
・移民需要増加 →多文化需要高まる →ただし司法業界の外国人の扱いは酷い
・将来の税収の減少 →ただし現政府は国庫金の運用利益で賄うつもり
・女性が専業主婦化しても多子化にはならない(雇用不安定・低賃金・学費等の高騰)
・しかし日本はアレが絶対的に劣っている →子の安全を確保するための司法対策(執行猶予判決多すぎ)
教員は社会に出ないままセンセイセンセイと呼ばれるようになったせいで、他の業界でやっていけない変な人が多いんだよ。
一回、教員免許を更新させる制度にして、メンヘラ教師もロリコン教師もまとめて排除できる仕組みにした方がいいと思う。
先生の性加害を糾弾するキャンペーンを新聞社でもやってたと思うから、女性支援団体や自民党の後援団体なども巻き込んで法改正まで持っていきたい。
私が悪いんかもしれんけども……ある程度のフェイクもあり。チラ裏だと思って書いてるから読みにくいです。
教育実習では実習日誌っていうのを書かなきゃいけなくて。
その日あったことを書いて自分であとで読み返す用のヤツ。一応公式な文書として扱われるから間違えたら訂正印、修正テープは厳禁。ついでに大学にも提出はして実習をした証明になるんだよね。
それを毎日見てもらって、実習校の指導教諭にコメントを付けてもらうことになってた。
ある時その指導教諭にちょっと呼び出されて、何かな?と思ったら
【今日は生徒が授業中に教室を立ち歩いてしまう事案が発生してしまった。その際の○○先生の指導が参考になった。】
「これじゃ〇〇先生の指導が悪かったみたいだから書かないでほしいんだよね、上から紙を貼り付けて書き直してくれない?大学側にも見せるやつなんでしょ?」
????悪かったみたいじゃなくて悪かったんじゃない?????実際立ち歩いてたわけだし………と思ったが、そういうこともあるか、と頷いた。
「じゃあ紙から透けて見えないように修正テープ貼ってもらって良い?見ててあげるから」
こんなこと言われるんだ、社会って……
教師ってもっと誠実で真面目な人がやるものだと思っていたけど、実際はこんなものなんだなあ……
こっそり泣いている私にその指導教諭は「添削をするためにこの間違った文章をコピーしてきてあげるね」と言った。
一生懸命書いた日誌が間違い扱いされて、私はもっと泣けてきた。けど大人しく待っていた。
5分経っても印刷室から戻って来ない。何かトラブルでもあったのか?私は覗きにいった。
指導教諭には日誌を他の先生に見せて、「こんなん書いてきたんだよ?やめてほしいよね〜〜ホント」とニヤニヤ陰口を叩いていた。
無理すぎて職員室に戻った。べそベそ泣きながら(マスクで隠した)添削を受けて、全然違う文章にされた日誌の文章を書かされた。
最悪だった。
「コレじゃ研究授業のことと生徒のことだけじゃん?もっと見学した先生のこととか受けた指導のこととか書いてほしかったな」と言われた。
貴方に初めて添削された時のことがトラウマになってて他の先生の話書けなかったんですけど……
そもそも表現を直すならまだしも内容を全部貴方が変えちゃったら私の日誌じゃなくて貴方の理想の日誌になっちゃうんですけど……
というのを飲み込んで
「他にもまとめは出すので日誌のまとめはこのまま行きたいです…」
とか細い声でもそもそ言ってやった。
その教諭は不満そうに「じゃあ他の先生にも読んでもらってそれでOKもらったらいいよ」と言った。
そして他の先生のところに行って、何やら内緒話を始めた。なんかクソみたいなまとめ文書いてきたんだけどガツンと言ってくれない?みたいな話をしているのか?私はまた泣きそうになった。
その先生にも添削を受け、微妙そうな顔の先生に「まあ……いいんじゃない?他のところでも書くんでしょ」と言われ、不満そうな指導教諭の視線を受けながらそのまま提出した。
最後に職員室を出る時、みんな「お疲れ様でした」と言ってくれた。その指導教諭は私のことを無視して、背中を向けていた。
もともと教育実習は資格とるためだけに行ったけど、(もしかしたら先生になりたいって思うようになるかもな)と思ってた。
実際、生徒は控えめで大人しかったけど優しくしてくれたし、先生たちも差し入れのお菓子をくれたりして、頑張って実習できた。でもああいう教員と一緒に働かなきゃいけないのかな、と思ったら、教職はやりたくないな〜〜になってしまった。民間で大人しく働くことにします。
・実はこの教師恩師の奥さんらしくて「この人恩師の奥さんなのにこんなひどい人なんだ」っていうショックもありました!!!
・今はそこまでショックじゃないっていうかクソ〜〜!!とは思ってるけど平気です!そういう嫌な大人もいるよね
・試験受けます!頑張ります!っていう噓ついて実習受けてたしクソ実習生VSクソ教師だと思います
・民間でも嫌なことあるかもしれないけどお疲れ様ってここで言ってもらえたから頑張ろう!って思いました。有り難うございました。
高校中退した
先週高校中退した。
ガイジとサヨク教師しかいないゴミ学校なので一ミリも後悔してない。
中退した理由は無駄だから。ChatGPTに聞けばわかることを10代の貴重な時間をかけていちいちやってる時間が無駄の極み。
つーか成績の基準が変。ChatGPTに負ける斜陽産業ができることが褒められて、日本のメインカルチャーのアニメイラストゲームに全力注ぐことはサボりとか言って全否定。
オタク差別は減ったとか年上の人が言うけど、日本のオタク差別は今もなくなってない。
メインカルチャーなのに詳しくても全く点数になってない
アニソンゲーソンじゃなくてゴミクズの化石みたいなクラシック、Vtuberや声優じゃなくて大昔の知らんおっさん、何かのゲームの乱数計算でもない意味のない数学。
イラストも課題優先で自分の描きたいキャラで出しても点数つけない。
結局メインカルチャーなのにいまだに全ての中心にされてない。
決して貧しい家庭ではなかったと思うのだがそれでも親に気に入ってもらうためにあらゆる手を尽くした
家族との関わりの薄い父親がたまに本屋に行こうと兄弟を誘っても誰もついて行こうとせず寂しげにしているのが見ていられなくてついていき、行った先の本屋でも何も欲しいと言わず立ち読みだけして帰るようなことは何度あったかもうわからない
そのようなことを繰り返して高校生になると兄弟の中で俺だけ家業を継ぐように命じられた
扶養下にある身なので文句は言えないが俺にもやりたいことはあるので当然反抗し数ヶ月毎晩にわたり言い争っているがもう疲れた
塾の恩師にも相談し、こちらは親に電話までして説得しようとしてくれたらしいがこの話を聞いたのは恩師本人からで親からはその旨を一切聞いていない。なかったことにされたようだ
自分の人生の結果が見えてしまっているからなのかなんの気力も湧かない
したいことも食べたいものも思いつかない
もうどうしたらええねん
「公的な立場として不謹慎」らしいけど具体的にどこがダメなんだろう。
いい気分はしないまでは分かるけど、追い込むほどの出来事でもない気がしている。
・税金で飲み代を支払ったとか、
・絨毯に跡がのこるようなゲロ吐いたとか、
個人的には就業後にオフィスでちょっと飲み会する、みたいな感覚でいるんだよなあ。
大学生ノリな写真を見て嫌悪感を感じた人はいるかもしれないけど、
スシローペロペロ事件に代表されるようなバイトテロみたいに衛生面で被害にあって、営業停止に追い込まれたみたいな実害があるわけでもないしな~とも思ってる。
よく覚えてるのは給食の時間に対する厳しさで、嫌いなものがあったり食べるのが遅い子に対する仕打ちはかなり酷かった。
時間内に食べられないとお椀に入ってる料理を盆にぶちまけてそこから食べさせたり、掃除の時間になってもまだ食べ終わらない子だけを席に残して周囲を箒で掃かせたりしていた。
今の時代なら絶対問題になってるだろうが、当時はパワハラ教師なんて普通に許されてた時代だった。
そんな女性教師が、結婚出産で1〜2年ほどいなくなるタイミングがあった。
当時、あんな人でも結婚できることが子供心ながらに意外だったが、まあそれはそれとして、あの人に躾けられる子が出なくなることに安心したものだった。
それで年月が経ち、私が高学年になる頃にその女性教師が復職した。
復職したことを知らずに、廊下で会った時に挨拶されて初めて気づいたんだけど、その時驚いたのが、当時とは間違えるくらいに穏やかな顔になってたことだった。
挨拶も「おはようございます、〇〇さん」という穏やかな口調で、正直向こうから挨拶されなければとてもその教師だと気づかなかっただろうと思った。
その後、その教師は学校でもかなり優しく面倒見がいい先生として知られることになった。
当時の厳しさを知ってる高学年からしたら目を白黒させる事態だったんだけど、まあ子供ながらに、結婚することで人って変わるんだなあと思った一例だった。
これはほんの一例だけど、その後も現在に至るまで色々な女性のケースを見ていると、基本的に結婚によって穏やかになる女性のほうが基本的に多いなと感じている。
小学校時代の思い込みが残っており、そういう偏見があるのかもしれないが、個人的には女性は結婚したほうがいいなと思っている。
外で言うと反感を買う発言だとは分かっているので、こうした場で吐き出しさてもらった。
それでさ、「羞恥の無い着衣失禁は着衣失禁に非ず」というのは言うまでも無い訳じゃん。
極端な話、老人が失禁しても「まぁそういう年齢だし」で本人も周囲も極端な羞恥を感じることは無い。赤子も同様。そもそも自我が無いんだから。
では、羞恥の絶対値がどの年齢において最も高くなるかについてなんだけど、これはシチュエーションに大きく依存してくる。
ここはオーソドックスに、「公立校でテスト中に言い出せなくて教室で引っ込み思案で考え過ぎてしまう女の子が」を前提にして、年齢のみを対象実験の形式で測ることとする。
羞恥の絶対値は、主観及び観測者からの客観的な考え(独断)に基づいて算出する。
小学1年生
「もう〇〇生なのに」という思考の原典。親教師から「もう〇歳なんだからトイレくらい自分で言いなさい」と日頃から耳にしており、それが出来なかった「失敗」の情けなさは非常に強い。他方、周囲の大人は口で言いつつも「まぁまだ7歳だしね」と心の中で思っており、観測者からすればそこを考慮すると羞恥の絶対値が最大とは言えない。
小学2~5年生
「もう〇〇生なのに」に加えて、「もうお姉さんなのに」という、低学年の存在が脳裏にチラつく年頃。「トイレくらい~」は聞かなくなっており、だからこそ「幼い子がする失敗」という意識が先立つ。
他方、これも周囲の大人からすれば「まぁたまにいるよね」となる。また、この年齢までに小学生の「失敗」エピソードを1度くらいは聞くだろう。まだ「自分だけじゃないし」と慰める手段があるので、これも最大ではない。
最高学年である自負、もしくは「もう小学生じゃない、自分は大人」という年齢であり、思春期でもある。
特に「恥ずかしくて言い出せない」意識が強く、また「もう中学生なのに」という意識は小学生のそれに比べて非常に強い。大人の目も流石に冷たくなってきており、羞恥の絶対値は非常に高い。
しかし、中学進学や高校進学が目に見えており、その後に引きこもったとしても後を引く可能性はだいぶ少なくなる点を考慮するかで絶対値が増減する。
高校1年生~3年生
ここまで来ると「恥ずかしくて言い出せなくて失敗した」ということ自体が更に羞恥を強くする。
大人の目も「あり得ない」という域に達しており、また義務教育と違って引きこもる訳にはいかない。ネットで同じようなエピソードを見聞きしたりして、なんとか自分を慰める他に無い。
当事者としての羞恥、周囲の目からの羞恥、逃げられない苦しさ、それら全てが「テスト中に言い出せずにおもらし」という自分の「過ち」に繋がっていく。ここが周知の絶対的な最大値と言えるだろう。
その他
シチュエーションがブレるので考慮に入れないが、高校卒業以降はアルコールの作用における着衣失禁の現場も出てくることだろう。
しかし、「酔ってたから」という理由付けが出来る時点で、得られる羞恥は中高のそれに比べて少ない為、シチュの前提によって排除した。