はてなキーワード: あさが来たとは
⚫︎波瑠
10代でモデルデビューから端役を経て2016年朝ドラ「あさが来た」でブレイク。朝ドラの放送が終了した10日後には日テレで嵐の大野主演「世界一難しい恋」にヒロイン役で出演。以降は主演orヒロインで連ドラに出てない時期を数える方が早い。おまけにこの年は24時間テレビのパーソナリティに舞台までやってる。死んじゃう。今クールはドラマに出てないなと思って安心してたら立て続けに映画やって番宣にもしれっと顔を出してくる体力オバケ。1月ドラマの出演はないようだけどどうせ映画の撮影してるんだと思う。体に気をつけて。
⚫︎田中圭
今更大ブレイクも糞もない安定のポジションだったのに2018年「おっさんズラブ」で一躍時の人になってからはドラマがないときは映画に出て、映画がないときはドラマに出てる。昨年はコロナの影響で連続ドラマの撮影と放送スケジュールがズレたせいかマジで毎週毎週田中圭と画面越しに会っていた。しかも見てないけどゴチにも出てたんでしょ?週刊誌で酒癖の悪さをパッシングされているが酒でも飲まなきゃストレスたまりまくりなんだろうと同情する。もうバラエティのレギュラーはやめた方がいいと思う。体に気をつけて。
あまちゃんはね
頭いいんだか悪いんだか
よくわからない掴みどころのない
そんなまっとうに働いていてちゃんと友達もいるんだろうけど
twitterやブログで実況めいたことばっかしやってる人たちにウケてた
最近でいうカルテットのはてなやtwitterでの盛り上がり方と
あまちゃんの盛り上がり方は似ていた
カーネーションあたりでなんか意識高いちょっとオタクちっくな人も注目しだしたりで
なんとなーく朝ドラみてそのままあさイチ見る習慣がご婦人方に定着しだした
その勢いはあさが来たでピークを迎えたように今のところみえるけれど
さてさてこれからどうなるんだろうね
http://anond.hatelabo.jp/20150910001208
を書いた元マスダだが、旧IDパスワードを紛失したため、証明はできない。エンタメカテゴリに目を通していたら、1年前に書いた記事(しかもまったく話題にならなかった)が上がってきていて驚いた。
部米を読んでいて、「正気かおまえ?」と言いたくなるようなコメントもあったので、反論補足しておきたい。
これはまったく逆。東京制作の作品のアベレージを70点とすれば、大阪局のは40点以下。
大阪制作の方が質が高い、なんて言っている人は「カーネーション」、せいぜいが「ちりとてちん」以後しか見ていないんじゃないか。
「ひらり」と「ええにょぼ」、「あぐり」と「甘辛しゃん」、「天うらら」と「やんちゃくれ」、「ちゅらさん」と「ほんまもん」、「私の青空」と「オードリー」、「さくら」と「まんてん」、東京制作にも駄作は多いが、大阪の駄作とは程度が違う。大阪の駄作は、本当にカネを徴収しておきながらあり得ないレベルの駄作だから。
ごくまれにうまくいけばヒット作を「だすこともある」。「おんなは度胸」とか「ふたりっ子」とか。なぜそれらがヒットできたのかを考えれば、逆に大阪局の持つ弱点も見えてくる。それはガバナンスがむちゃくちゃだということだ。
私は見た範囲内での最低の作品は「やんちゃくれ」だと思うが、例として使いやすいのは「まんてん」。どちらも大阪制作の「超絶駄作」だ。
「まんてん」は種子島に生まれた少女が宇宙飛行士になる、というのが起承転結の結にあたるのだが、宇宙飛行士という相当特殊な設定なのだからもともと特殊なストーリーになるのに、そこに無意味な変化球を入れてくる。そもそもからいえば日本は有人宇宙飛行をしていないわけだから、外国の協力を仰ぐか、共同プロジェクトに参加するしか宇宙飛行士は作れないわけで、努力に努力を重ねて、体力と経歴、技術と運、強い意欲がなければなれない職業だ。そもそもがバクチのような話なので、それを丁寧に描いていけば、例えば女性宇宙飛行士であれば結婚生活との両立の問題とか、ドラマの種はいくらでもでてくる。
だが「まんてん」の主人公は、種子島出身の高卒女性が、バスガイド、編集者もやってたかな、気象予報士、まあ職を転々としながら、いつのまにかNASAにいていつのまにか英語ペラペラで、いつのまにか宇宙飛行士で、「宇宙から天気予報を伝えたい」と実に薄っぺらなことを言う。
宇宙飛行士になりたいという「夢」はほとんど「ハリーポッターになりたい」というのと同レベルの夢なのだが、この主人公は、わりあい真剣にこの夢をずっと持っている。持っていてなお、やることが、バスガイドであり、気象予報士であり、というのはドラマの論理がそもそも破綻している。
なんでこういうことが起きるのかという話だ。NHK大阪には白痴しかいないのか、という話だ。そんなこともあるまいよ、とは思うが、要は「ドラマを作ろう」という動機から発していないのだ。予算内でそこそこの視聴率を維持する、なにかクレームがあれば全体の構想もまげてすぐに変更する、ドラマ制作のガバナンスが徹底的にできていない。大阪制作局でそこそこ出来が良かったのは、脚本家が大物で脚本側に主導権があった場合だけだ。
「ゲゲゲの女房」以後、視聴率も朝ドラの位置づけも、制作態度も明らかに潮目が変わっているが、「カーネーション」以後の大阪局はそこそこよくやっている。これは伝記物、原作付きが増えたからで、要はオリジナルがあれば要諦部分はオリジナルから大幅には変えられないので、無茶苦茶なことにもなりにくいからだ。
「あさが来た」などを見るにつけ、大阪局の姿勢が根本的に改まっているのであれば、それに越したことはないのだが。
20年スパンで見れば決して高くはない時期もあった。今は他のドラマが落ちただけだ。1990年代、2000年代には民放が30%のヒットを出している中で、20%とか、そういう数字でさらに落ち込む傾向だったので、朝ドラ衰退説も根強かった。大河の落ち込みはさらに激しいけどね。「ゲゲゲの女房」がやはり潮の変わり目で、単に放送時間が変更になったというだけではなくて、「きちんとしたドラマをつくる」という当たり前の姿勢が見られるようになった。相対的にNHKにおける朝ドラの位置づけが高くなったと言えるだろう。
元気いっぱいの女性主人公が体当たりで道を切り開いていき、いつのまにか善人ばかりでなんとかなっている、という朝ドラの王道パターン(特に「まれ」的な現代物における)を徹底的にずらしたお話。私は全く駄作とは思っていない。朝から見たくないという気持ちはよくわかるけれど。
主人公自身は典型的な朝ドラヒロイン。相手役がテレパスだというオカルト風味はあるけど、基本は困難に体当たりでぶつかる、という朝ドラの王道路線は踏襲している。その結果がすべて裏目裏目に出るとなっているだけだ。かわいいし、善良だし、一生懸命なんだけど、うざいよね、普通はうざいよね、というのが現実的な扱われ方だろう。その現実と、現実をデフォルメした悪意に焦点をあわせてる作品だ。沖縄の何島だっけ? どっかの離島、コミュニティがしっかりしていそうな田舎なのに、主人公には友達が一人もいない。普通の朝ドラなら友達100人できました、みたいに描くわけだけど、どっちがリアルなのかな、という視点の問題だ。
全部裏目裏目、悪い方に悪い方に行って、救いのないエンディング。でも朝ドラは基本これと同じことをやっているわけだ。ポジネガの方向が違うだけで。
だからこのドラマはそういう構造を楽しむとか、キャラクターたちがいかに予定調和を裏切るかとか(武田鉄矢とかね。普通だったら何度も和解ポイントがあったのにことごとく振り切るってのも、あの世代、あの年齢のオヤジにむしろありそうな話)、そういう楽しみ方をすれば楽しいドラマだ。主人公の兄弟や兄嫁のクズっぷりとか、動物園を眺める視点を楽しめるかどうか、それがこの作品の評価の違いになるんだと思う。
経済問題を理由にした自殺数が施行後数年で(警察が調べる限りでは)半減したんだってね。
特に悪質金融業者から運転資金を借りた中小企業経営者の自殺が見事に減ったらしい。
「法律で人を救えるか?」と聞かれて、ここまで鮮やかに効果を示した例は少ないかもね。
ちなみに、自殺してもお金が下りる特約付けた生命保険を中小企業の経営者に売りまくってたのは、
有名どころだと『あさが来た』で主人公のモデルとなった人物が作った生命会社だよね。
法律では人間を質に入れるのは禁止されているのに、事実上の人質契約だと批判されてるたりする。
正確にいえば、人命を抵当に入れてるって感じ。どこが人権尊重した国家なんコレ?
5年休んでいた間にもっと待望論的なものが巻き起こるかと思ったのに
驚くほど大きなうねりにはならず、静かな再開って言えるかもしんない。
もうびっくるするぐらいに。
清水翔太の「花束のかわりにメロディーを」のほうが数段良くできてる。
この「花束を君に」は、年下の外人男性掴まえて結婚したこともあるのか
NHKの朝ドラを意識して奇をてらわず仕上げたって可能性があるとしても
それでもこのクソつまんない曲は活動再開の狼煙としては弱過ぎる。
ロクに人生経験も積まないまま一生遊んで暮せるほどの印税を手にして
このままじゃイカンと思ったって。
女が配偶者選びにおいて重視すべき10項目 という記事がホッテントリになった。
ここで、次の記述が目を引いた。
「隠れ保守」「潜在的家父長」は,高学歴男性に割と多い印象である。彼らは高い教養を身につけているから,表向きにリベラルを「装う」ことの重要性は承知している。しかし付き合いが長くなるにつれ,彼らはその保守性を露わにし始める。私の友人たち(東大卒)がその元彼たち(東大卒)から言われた言葉の例はもう,口にするのも恐ろしくてここには書けないくらいだが,まあ要するに,「男と女なら,女が仕事をやめるのが当然」みたいなことを平然と言い出す。相手がいかなる「バリキャリ」と言われる部類の女性であろうともである。しかしながら,当然ながら知り合いたてや付き合い始めの時点においては,彼らはリベラルなフェミニストを装っているので,非常に見極めづらい。まあ,遅かれ早かれボロは出るので,そこは友人の言う通り,「じわじわ探る」しかないのだろう
しかしこれは、女性の見る目が間違っているとしか言いようがない。
「リベラルなフェミニスト」というのは、世間一般の風潮に対する態度であり、他人に対する態度である。自分自身のことではない。特に、家庭における自分の個人行動のことではない。「女性一般の権利を尊重する」ということと、「自分の女房の権利を尊重する」ということは、まったく別のことだ。前者はフェミニズムで説明できるが、後者はフェミニズムとは全然関係がない。
では何を見ればいいか? それは、男と女の相性だ。付き合えばすぐにわかるが、高学歴男性は女性に対して、ジェントルマンな態度を取ることが多いが、そこにも二通りが見られる。
このどちらであるかを見極めることが大切だ。こういうのは根っからの性格(および相性)なので、あとでどうなるかというものではない。最初から決まっている。
で、女性の多くは、最初に「リードしてくれる男性は頼りになる」と思うことが多い。そう思うのだったら、ずっとリードしてもらうしかない。つまり、女性は従うしかない。
一方、最初に「リードされる男性は頼りにならない」と思うこともある。そう思うのだったら、自分がずっとリードするか、その男と別れるか、どっちかだ。
頭のいい女性ならば、自分がずっとリードする方を選ぶだろう。「あさが来た」のヒロインみたいに。
一方、この男は頼りにならないと思うなら、あとで頼りになる King タイプを選ぶはずだ。そのときは、相手にリードされるしかない。
だから、女性は、最初にどちらのタイプの男性を選ぶかを決めるべきだ。現実には、頼りになる King タイプを選びながら、「 knight タイプみたいに好き勝手にやらしてくれない」と文句を言う。しかし、King タイプを選んで、「 knight タイプでない」と文句を言うのは、自己矛盾だ。
女性が自分の好きなような人生を歩みたいのであれば、(頭でっかちな)フェミニストの男性を選ぶのではなく、(常に一歩引き下がるような) knight タイプを選べばいい。ちなみに、そういう男性は、理系にはたくさんいる。
pollyanna 今40代以上の東大卒男子における「隠れ保守」「潜在的家父長」率の高さハンパないよね(なまじリベラルを装ってるのが卑怯)(再燃する怒り
http://b.hatena.ne.jp/entry/mephistopheles.hatenablog.com/entry/2015/12/02/000000
こういうのは、文系の男性から選ぶから、こうなるのだ。文系だと、権力志向の人が多い(¶)から、King タイプが多くなる。一方、理系ならば、 knight タイプがいっぱいいる。はてな の男性にも、そういうタイプは多いはずだ。
女性が見るべき点は、King タイプか、 knight タイプか、だ。そこを間違えてはいけない。そこを理解しておけば、「リベラルなフェミニスト」なんてのは、何の判断基準にもならないとわかるはずだ。
¶ 「文系だと、権力志向の人が多い」という表現に対して、「そんなわけがない」というブコメが来た。
失礼しました。「東大卒では」特に「東大の法学部と経済学部の卒」という限定を付けて読んでください。つまり、権力を握ろうと思えば握ることができる、という立場にある人の話。一般の文系の人の話ではありません。
引用した元記事とブコメが東大卒の話だったので、それに対応しています。
以下、ブコメへの解答。
まあ、ネタでしょうけど、一部だけ切り取ってもダメですよ。「そう思うのだったら」という条件下での話です。私の結論は「タイプを見極めよ」です。お間違えなく。
それは当り前。ただ、元記事やブコメでは、「東大卒は家父長タイプばかりだ」と書いてあったので、私の観測範囲(東大・理系)では、「東大卒は家父長タイプばかりだということはない」というふうに、元記事やブコメを否定しています。奥さんの尻に敷かれている東大卒って、いっぱいいますよ。そういう話。
人を「フェミニスト」「保守」「高学歴」とカテゴライズすると確かにわかりやすくなるけど、実際にはそんな簡単なカテゴライズで語れる話ではないと思う。
まったくその通り。元記事は、「フェミニスト」「保守」「高学歴」とカテゴライズしていたけれど、そういう既存のカテゴリーでは説明が付かない。だから新たに「 King/knight 」という対立軸を新設したわけです。