はてなキーワード: 格闘ゲームとは
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_MF01201642010038_68
第38話:直談判
37話の「中ぐらいの権力を持った敵役によって絶体絶命の危機に陥った主人公」、どうなるかと思ったら
古式ゆかしきサラリーマンまんが(釣りバカ日誌)もっと古くは水戸黄門の
”その前に偶然知り合い意気投合していた相手Aが実はもっと高い地位の人物だったというのが明らかになり、Aの助力で解決に至る”の系譜・変奏曲でした。
さすがに令和だけあってそのままではなく
・中ぐらいの権力を持った敵役によって危機に陥り、問題を解決できるレベルの高い地位の人物Aが敵役サイドについたおかげで絶体絶命レベルに達したが
・高い地位の人物Aは偶然、一方的に主人公を認識しており、実は味方だったので解決に至る
というひねりが面白かった
古典版における伏せられた情報が「Aは(そう見えないが)実は権力者である」(主人公とAが意気投合している情報は開示済み)
と言うのに対し
本作で伏せられた情報は「権力者Aが、実は知己Bの知りあいであった」(Aが権力者であることとBと主人公が意気投合していたことは開示済み情報)
前者(古典型)も本作も伏せられていた情報が明かされることによるプチどんでん返しなのですが、古典的な方は現在では陳腐化しているので、パロディでもないかぎりやめた方がいいですね
そして本作の方の”偶然”が若干「唐突」で「アンフェア」な感じを与えるのは興味深いです
(古典型の場合、Aがただ者ではない描写の程度はいくらでも加減できる)
本作の場合の「Aが一方的に主人公を認識している」描写は、読み返せば存在していたのかもしれませんが…
そして一難去ってまた一難! 来月が楽しみ
おじさんが学生の頃はゲーセン全盛期でね、対戦してて怒号が飛んだり台パンなんて日常茶飯事だった。
灰皿だって円盤みたいに飛び交ったし、モニターを割る猛者も居たもんだ。
それなのに今はどうだ。
ストリートファイターの新作が大人気ということでようつべでも盛んに対戦動画が配信されているが、負けたところで怒ることもなければ台パンなんて全くしない。
それはもちろんいいことなんだけど、なんだろうな…
なんだか違和感があるというか本気で悔しくないのか?と心の片隅では思ってしまっている。
昨今では感情を露にするのはよくないよね、みたいな風潮がある気がする。
でも本気でやっているなら、怒ってもいいような気もするんだ。
格闘ゲームに限らずほとんどの対戦ゲームでは、勝つことが唯一のカタルシスではない
負ける→原因を探す→原因を突き止める→改善する→対戦する
これは格闘ゲームに限らず、囲碁将棋、麻雀やボードゲームやマリオカートのようなレースゲームでもそうだろう
格闘ゲームの場合、コンボなどを練習した結果、自キャラを思った通りに動かせるようになるというカタルシスも大きい
むしろ自分の納得する勝負さえできれば、負けても満足する(楽しい)という人が大半で
勝ち負けにこだわる人は見えている以上に少ないと思う
というかそういう人は逆にどんな対戦ゲームも楽しめないと思う
チーム戦にしようが運要素を絡めようがCPU対戦があろうが
結局のところ勝ち続けるようになるまでに負けることは防げないからだ
確かにチーターなど一部にはいるが、大多数が対戦すること自体を楽しんでいる
勝ちによるカタルシスを得られないから格闘ゲームが衰退するというのは間違っていて
一つはほぼ30年前にスト2が一世を風靡したときが人気もピークで格ゲー人口が最も多かったからでそこから減少しているから
二つ目はその30年前にゲーム性は完成していて要は今でも30年前のゲームを今のグラで楽しんでいるにすぎない古いゲームだからだ
そんなわけでストリートファイター6を発売日に買ってプレイしてるわけだがこれがまぁなかなか勝てん
勝率は40%程度で半分を切っている
ストリートファイターシリーズというか2D格闘ゲーム自体は初めてだが、3D格闘ゲームはけっこうやってきた
何万円もするアケコン(ゲームセンターとかにある筐体の操作台を模したコントローラー)を2台も3台も買ったり
アケコンじゃなくてゲームパッド(所謂普通の手に持つタイプのコントローラー)のほうが合ってるのかとこれまた2個も3個も買ったり
相手の行動がよく見えるようにと性能のいいディスプレイをわざわざ買って、プレステ版ソフト持ってるのにPC版の方が快適だからと同じゲーム買って・・・
なんて感じのこと当たり前にする程度には別の格ゲーを遊んでいた
その程度には格闘ゲームにおける操作や読み合いというものに慣れているつもりだったが、ストリートファイター6では全然勝てん
ストリートファイター6には段位のようなものがあって上からマスター、ダイヤモンド、プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ、アイアン、ルーキーとなっている
対戦で勝利し、一定のポイントを貯めると次の段位に上がれるわけだが、今はプラチナの真ん中くらいで停滞している
対策やら強い行動やらを調べて実践してもポイントはあまり伸びず・・・
と思ってネットなんかを見ているとそんな攻略情報ページのコメントに当たり前のように「格ゲー初心者ですがこの攻略のおかげでマスターいけました!」とか書いてある
嘘だろ
初心者が、ダイヤモンドにすら上がらない俺が見ている対策を実践して、最高段位に到達しているというのか
別ゲーとはいえ、格闘ゲームを何年も遊んで、周辺機器にもこだわっていたこの俺がプラチナで停滞しているというのに、お前はマスターになったというのか
・・・どうせ強キャラ使って勝てそうにない相手からは逃げてポイント稼いだんだろ
と言いたくなるのは置いといて、まぁなんというか、やはり才能というものはあるんだろう
というか、発売日からやってる人はもう大体プラチナ程度は脱してダイヤモンドになっているのが当たり前のように目につくのを考えると、発売から3ヶ月もたってプラチナというのは相当に才能がない方っぽい
ストリートファイター6は他の人のプレイなんか見ててもどんな読み合いが行われているのか、何を狙っての行動なのかがわかりやすいゲームだ
なんなら自分が今までやっていたゲームよりもよっぽどわかりやすいし、雑に言えば勝ちやすいと思う
でもだからってやめたいわけじゃないし、暇があればプレイしてしまう程度にはハマっている
でも勝てない
自分以上の才能をまざまざと見せつけられる
そいつらに対してなのか弱い自分になのかわからないとにかく怒りが湧いてくる
やめられない
勝てない
くやしいなあほんと
34歳。営業職。
でも社会人になってからは全然で、というかゲーム自体全然やらなくてなってた。
スト6評判いいし、やってみない?と学生時代の友人から誘われたのがきっかけだった。
で、久しぶりに格ゲーをやってみたんだ。というかスト6を。
格闘ゲームっていうのは元来、バランス調整が難しくて、どう頑張ったってキャラ差が出てしまう。
その点、スト6はマジで頑張ってると思う。
流石に多少のキャラ差はある。でも下位キャラが上位のキャラを倒すのは不可能じゃない。
実際、キャラランクでは下の方にいたザンギが大会で優勝したりしてるし。
それで最初はその友人と嗜む程度に遊んでいたんだけど、気がついたときには熱中してた。
いや、熱中なんて話じゃない。沼だ。本当に沼にはまってしまったんだ。
仕事から帰ったら飯を食って、あとは寝るまでスト6のランクマ。
土日もめったに出かけず、たいていスト6をやってる。
今までオンライン対戦とかしたことなくて、だからFPSとかで何十時間もやってぶっ倒れるまでゲームしてます!みたいな話を聞くと、こいつらイカれてるなと思ってた。
けど、スト6楽しい!ランクマ最高!ってなだけで不満がないなら、それでいいと思うんだ。
でも土日に何十時間もやって、気が付けば日が暮れててさ、窓の外を見るともう夕焼けも暮れて外が暗くなってる。
ああ、俺何やってんだろ。って我に返る。
本当は資格の勉強だってしなくちゃなのに、ちょっとは外に出て何かしようかと思っていたのに。
自己嫌悪に陥る。スト6やってるときにはそんなことも忘れて没頭し、脳内麻薬ドバドバでハッピーなのに。
やめたいけどやめられない。
そんな事態に自分が陥るとは思ってなかったので戸惑ってるし、焦りもある。
友人に話したら「他に興味あるもん探せよ」と言われた。
自分でもわかっているというか、おそらくこうしてゲーム依存になる人は自己肯定感が低いんだ。
自分を認めてほしい。そんな思いでゲームをして、勝つことでようやく自己肯定が少しだけ満たされる。
自分の存在価値が認められるような、そんな思いで延々と対戦ゲームをやってしまうのだと思う。
だったら自己肯定感を高めればいいんじゃないかと思い立ったんだけど、さてどうしようかと悩んでいる。
彼女を作るべきなのかな。
ウディコン1位とかは相変わらず面白いんだけど本当にそれぐらいかな。
「オタクなら一生に一度はやっておかなければいけない義務教育」レベルのゲームはフリーで出てないように思える。
たとえば
辺りの作品だ。
今の20代はともかく30代以上のオタクでこれをやってないのは流石に「君……ちょっとコンシューマーや商業ゲームを神聖視しているみたいだね。浅いよ」と言われても仕方ないんじゃないかな?
ホロライブ関連のファンゲームにしたって、Vを追ってる人間であっても「いやー俺ゲーム興味ないからやってないです」と評価くだされて何もおかしくないと思う。
1000円ぐらいで製品版出して、それでも普通に売れてようやく「あのゲームはやったほうが良いですよ」と言われる土壌に立った感じというかね。
そもそも実力のある制作者はインディーズで最初から勝負する時代なんだろうね。
責任が伴わず好きにやれるのが魅力のフリーゲームだけど、本当に情熱のある人は「面倒でも良いから金の力で仲間を集めたり時間を作ったりしてもっと良いのを作ろう!」となるんだろうな。
アイディアはめちゃインディーズだけどスタッフは結構使ってる感じのゲームが話題になってるのはここ10年ぐらいでかなり見るわけだが、あの辺も昔はフリゲとして公開されてたんだろうな。
※追記
「長い。読まない。」
ごもっともです。ごめんね!
今北産業。
スト6のオーバードライブシステムは、今までのゲージシステムと似てるようで大きな違いがあるよ!
格闘ゲームにおける攻撃と守りと同じくらいに勝敗に影響があるのに今まで数値化が難しかった重要な”くずし”にとても強く関係しているよ!
それを今のesports時代に合わせて見た目にわかりやすく、更に実際の格闘技と同じ解釈ができるいわばキャラクターの「無理をしている量」が数値化された画期的新システムだよ!
つまりこれを読むと、スト6を観戦する上でとても重要なポイントがわかるようになるかも!
それでは!いってみましょーーーー!!!
※追記2
もう見てる人いないかもしれないけど補足。
「スタミナじゃないの?」
そこが味噌なんです。スタミナのようでスタミナとは違うんです。
そういうゲームは、基本的にスタミナが切れると行動できなくなるということが多い。
ダクソ系はこれ。
無理ができなくなるだけ。
その代わりに無理ができないと返せない技とかがでてくることでピンチに陥る。
今までのパワーアップゲージは、「あればあるだけ強化できる」だったのが、オーバードライブゲージは「あれば無理はできるけど無理しすぎるとピンチだよ」という点が一番に異なる。
「彼らはアスリートだからスタミナは無限にある。だけど、無理しすぎたら無理はできなくなって当然だよね。」という、とても自然に状況が理解できるのがすごいというお話でした。
くずしとオーバードライブでできることを詳細に語らなかったのは、それを語って面白いと思ってもらえたなら今までと変わらないよねという理由から。
そういうことが理解できなくても面白いと思えなければ意味がない。なので面白いと思えなかった人には申し訳ない。
あとトラバに偽物湧いてるな。俺のかわりに誤ってくれてありがとう。
※追記終わり
ストリートファイター6が売れてますね!
売れている理由はプロモーションのうまさとか色々あるのだけど、その点について言及したい内容ではありません。
今回声を大にして言いたいことは、スト6は格闘ゲームを再発明した!という点。
もちろん世界中に存在するすべての格闘ゲームを熟知しているわけではないので他ではすでに存在していたかもしれないけど、その部分をここまで掘り下げてなおかつ自然にゲーム性として取り込めているという点においてはやはりこのスト6がはじめてだと思う。
それがオーバードライブという要素。
これが本当にすごい。
今まで必殺技を強化するようなシステムというのは沢山あったのだけど、オーバードライブのすごいところは生身の格闘技との差を一気に詰めることに成功したという点。
格闘ゲームの元祖といえばストリートファイター2。
大きなキャラクターが向かい合って、大中小の通常技と必殺技を組み合わせながら相手の体力ゲージ(体力メーターとも言う。以下ゲージ=メーターのことを指す)を0にする、もしくはタイムアップ時に多く残ってたら勝ちというシンプルなルールで世界的なブームを巻き起こした。
そしてその進化系にして完成形なのがスーパーストリートファイター2X。
新たにスーパーコンボという超強力な必殺技が加わったことで、逆転要素が更に高まりゲームを白熱させるものに進化させた。
このときにはじめて、スーパーコンボゲージという体力とは別のゲージがつけられるようになった。
(他のゲームではすでに取り入れられていたりするので、あくまでスト2シリーズで初という意味。)
キャラクターの状態を操作する人が視覚的に捉える必要のある格闘ゲームにおいて、状況を量として捉えられるゲージというのは非常に理にかなったシステムだった。
こうしてスーパーコンボゲージに始まった体力以外のゲージというものが、それからの格闘ゲームの多様化のために不可欠なものとなっていった。
ゲージを増やさなくてはならない理由は、ただ単にゲームを面白くするという理由以外にも格闘ゲームというゲームの特性上もう一つある。
格闘ゲームは対人戦を前提に作られているために、勝つことが何よりも正義とされる。
ここでありがちな誤解を一つ。
その勝つための行動としては”攻め”が強いと思われがちなのだが、実は格闘ゲームこそ”守り”が強いゲームであるといえる。
どれだけ攻めが強くても、守りが弱ければいつかは逆転されてしまうし、最初に体力リードを奪われてしまったらば、守りが弱いキャラが逆転することは非常に難しいからだ。
かといって、守りが強いからとお互いが何もしなければ決着もつかない。
そのために取り入れられた要素が、攻めと守りを三つ巴にするための”くずし”という概念だ。
くずしは守りに強く、守りは攻めに強く、攻めはくずしに強い。大雑把に言えばこんな形の三つ巴ができていると思ってもらえれば良い。
くずしの代表格と言えば”投げ技”がそれにあたる。
同じダメージを奪う行動なので攻めと思われるかもしれないが、相手のガードに関係なくダメージを奪うことができるためにこれはくずしと考えるのが妥当だ。
初期のスト2から存在しているものだが、その時はまだこの”くずし”が概念として確立されていなかったため、投げハメという言葉が生まれてしまうくらいに強すぎてしまった。
これについての説明をするだけでものすごい文字数を必要としてしまうが、大雑把に言えばそれから研究が進むことでくずしという概念は確立されることになる。
それくらい格闘ゲームには様々な”くずし”が存在していて、まさにこのくずしの研究こそが格闘ゲームの進化の歴史と言っても過言ではないだろう。
そうして生み出されたのが、体力ゲージ、スーパーコンボゲージに加えた、第三のゲージである。
第三のゲージとは言いつつもそれは第三にとどまらず、ガードゲージ、スタンゲージ、テンション、怒り、、、etc様々な活用のされ方をし、また、ゲームによっては同時に何本も登場することとなった。
当然UIは分かりづらく複雑になり、そうなれば使いこなせるのは一部のやり込んだプレイヤーのみとなってしまい、新規とベテランの溝は一層深くなることとなってしまった。
もちろん格闘ゲーム業界も努力していなかったわけではなく、頑張って減らそうとしたり、一部は不可視化してみたりと努力はしたが万人に受け入れられると言われるものまではなかなか生み出されなかった。
コアなプレイヤーは面白さを追求するために複雑でもついてきてくれる。
しかし、新規プレイヤーの獲得には高い障壁になってしまうという、いわゆる市場衰退の図式が格ゲー業界できあがるきっかけとなってしまったのだ。
(格ゲー衰退の理由はもちろん他にも数えきれないくらい沢山あるので、ここで衰退を語りたいわけではないです。)
すでにニッチ業界となってしまった格ゲー業界としてみれば、今いるやりこみプレイヤーを手放すわけにも行かず、ジレンマを感じながらも必要悪となっていたことは否めないだろう。
誰もが一度は耳にしたであろう、esports時代の到来である。
これからの世界で格闘ゲームが生き残るために、このesportsの存在を無視するわけにはいかなくなってしまったのだ。
唐突だが、esportsが成功するために絶対に欠かせない要素はなんだろう。
その答えは、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」であるかどうかだ。
しかし、「知識がないと楽しめない」では、絶対に成り立たないのだ。
なぜなら、プロスポーツは賞金や報酬がなければ成り立たないからだ。
そしてその賞金は、興行なくしては成り立たない。
そしてその興行を支える観客は、直感的に面白いと思えるものでなければ、業界を維持できるほど最大化できないのだ。
しかし、どれだけ競技として完成していても、選手として優れていても、プロリーグ発足後に収益で苦しむプロ選手は後を絶たない。
esportsにおいてもそうしたことは容易に起こり得るし、そして実際にこれでもかというほどおきているのが現実だ。
たとえば、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」とはどういったものか。
総合格闘技のようなでかい男たちが素手で殴り合い最後に立っていれば勝ちというルールは誰もが楽しめる。
しかし、例えば競技性に重きをおいたオリンピック柔道は、きれいな投げ技が決まった時以外ではいまいちポイントが掴みづらく盛り上がりに欠けてしまう点は否めないだろう。(あくまで競技の完成度ではなく、プロスポーツとしての成功の話である。)
これを格闘ゲームに置き換えてみれば、”複雑なUI”、”解説を聞いても分かりづらい複雑なシステム”、”体力と残り時間以外に、直感的な理解が難しい戦況”というゲームシステムは、全く持ってesportsには不向きである。
唯一、「最後に立っているキャラクターが勝ち」というシンプルなルールが残されているのだが、それさえもゲームとしての演出が見るものを困惑させることになっている。
格闘技の美しさは、死力を尽くしあった選手同士が、相手を打ちのめそうと最後の最後まで力を振り絞る姿にある。
筋力、体力、精神力、その全てが全身から溢れ出て、まさに生命同士がぶつかり合うリアルがそこにある。
キャラクターたちはKO寸前まで試合開始と同じ様子で技を振り、体力がゼロになったとたんに吹き飛んで倒れる。
そこにリアリティがないと言われてしまえばそれまででしかなかった。
もちろん実際にプレイしている人間にしてみれば、体力ゲージ以外の様々な要素がもたらす戦況の変化によって実際の格闘技に劣らないほどのドラマが起こっていることだってある。
ただ、知識のない人間にしてみれば、画面上の情報だけでそれを直感的に判断することは難しかった。
スト6といえど、そうした問題をすべて解決できたわけではない。
しかし、その解決に向けて重要で大きな一歩を踏み出したと言える。
スト6は、体力ゲージとSAゲージ(スーパーコンボゲージ)に加えて、オーバードライブゲージというものが一つあるだけだ。
スト5のときで、体力ゲージ、EXゲージ(スーパーコンボゲージ)、スタンゲージ、Vゲージと4本のゲージがあった。
それ以外にもプレイヤーが選択したVスキルとVトリガーの種類を表示するアイコンなども含めれば、戦況を判断するための情報はスト6に比べてかなり多かったことがわかる。
ただ、スト5でさえ当時は洗練していると言われていた。
「格闘ゲーム UI」などで検索してもらえればわかると思うが、何の説明も無ければ何のために使われるかわからないゲージやアイコンで溢れたゲームを沢山見ることができる。
それ自体の賛否は別として、ゲームをどうやって面白くしようかという開発者の努力を見ることができるはずだ。
そうした上で、スト6の対戦画面を見ればそれがどれだけシンプルなのかが分かってもらえるだろう。
見るところが少ないということは、すなわち観戦する上での見どころがわかりやすいということを意味している。
これだけでも、スト6がどれだけ観戦する側の立場にたって作られているかが伝わってくるはずだ。
しかし、今まではシンプル=ゲーム性を犠牲にすることと考えられてきたために、なかなかそこに踏み出すことは難しかった。
それを見事に解決したのがこのオーバードライブという要素なのだ。
なぜここまで力説したかったのかの理由を感じてもらえただろうか。
最初に述べた通り、このオーバードライブゲージの面白さは、その使い方が生身の格闘技と非常に優れた形でリンクしていることにある。
オーバードライブとは、車で言うトップギアのことで、要するに「無理をする」ことを意味している。
スト6のキャラクター達は、このオーバードライブゲージを使うことでゲーム内において様々な無理をすることができ、また、無理をする行動をすればこのオーバードライブゲージが減っていくようになっている。
そうして何らかの形でこのオーバードライブゲージが0になってしまうと、「バーンアウト」と言われる状態に陥ってしまう。
ゲーム上では色々な不利を背負うことになるのだが、この言葉だけですでにこれ以上説明が必要ないくらいにわかりやすい。
これの何がすごいのかを改めていうと、今まで概念としてとても捉えづらかった格闘ゲームにおける「くずし」の要素が、見る側にとって一目瞭然になったといえるからだ。
実際に画面上でも、バーンアウトしたキャラクターは色彩を失い立ち姿はオドオドとした様子に変化することで、ピンチに陥っていることが視覚的に表現されている。
(バーンアウト状態は時間と一部の特定条件によって解除されるが、観客はそこまで理解する必要はなく、なくなればピンチ、沢山あれば有利ということが直感的に判断することができる。)
体力ゲージ以外の要素において、この「くずされている」という状態を視覚的にこれほどまでわかりやすく表現した格闘ゲームは今までなかったのではないか。
ゲージがあるだけ無理ができる。ゲージがなくなれば燃え尽きる。
ただそれだけのことだ。
いままでの格闘ゲームは、この「無理できる」という要素を、様々なゲージを使って表現してきた。
それぞれの無理を別々の概念として捉えて、別々のゲージとして表現してきたのだ。
それをスト6は「無理できるゲージ」の一本にまとめてしまった。
すでに登場したものを評価しているからこれだけシンプルに話ができているだけで、スト6の登場以前ではあり得なかった解釈である。
なにせこれは格闘ゲーム30年の歴史で誰一人としてなし得なかったことなのだ。
これがどれだけesportsとして観戦する上でわかりやすい要素になるかは説明するまでもないはずだ。
いままではそれぞれのゲージをゲームシステムとともに説明が必要だったところを、「無理できるゲージ」の一言で説明できるようになってしまったのだ。
「無理できる」中身についてはもちろん別途知識をつける必要がある。
ただ、その知識がなくても、キャラクターの行動によって増減するゲージを見ているだけでもある程度戦況を掴むことができるということは、観戦する上でこの上ないほどわかりやすい要素であると言える。
見る側にとってシンプルであることを、プレイヤーにとってもできることの選択肢を狭めずに、尚且つ格闘技という肉体同士がぶつかり合う上で矛盾の無いシステムとして採用した。
esports全盛と言われるこれからの時代に向けて、スト6が格闘ゲームを再発明したと言いたい意味がわかってもらえただろうか。
スト6がesports競技として完成されたものであるかはわからない。
esportsとして未だかつてない取り組みもあれば、残された課題も数多くあると思っている。
それ故、今回はこのオーバードライブという要素に限っての話にすることで、それだけ切り取っても今までの格闘ゲームとは違うということを感じて欲しかったのだ。
この興奮を誰かと分かち合いたくてオタク早口で文章を書き上げてしまった。
乱筆乱文で申し訳ないが、今後なにかの折に格闘ゲームの歴史がスト6前と後で変わったということを思い出してもらえたならこの上ない喜びである。
もしどこかでスト6を観戦する機会を得たときは、体力ゲージの下にある黄色いゲージに注目してほしい。
プレイヤーがどの程度無理をしながら戦っているのか、体力の優劣以外にも見えてくる戦況を楽しんでもらえるはずだ。