はてなキーワード: ゲンとは
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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約7年くらい前、インターネットのとあるところに、ASDスペクトラム他の発達障害者や理解者、関係者のための、掲示板がありました。
リアルの現実では『軽度発達障害グレーゾーン』と呼ばれる人たちなどが、何千人も、ネットの海に潜伏していました。そして掲示板にたどり着いていました。
その、発達障害当事者・関係者向けのコミュ場所、掲示板も、もう終了してしまいました。
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小さな小さな、一参加者だったレモンむしぱん(旧ハンドルネーム)はブログを作りました。
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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受動当事者なのに頭の中だけ、言語化が止まらない。生活を浸食する言語化。自分を許せない感情の分析で言語化。
苦しんでいるはずなのに救済をあきらめ続けることが止まらないこの国の軽度当事者たちの不可解さを言語化。
とり憑かれると生活を浸食される妖怪、それは妖怪ゲンゴカー。野良レモンに取り憑いて、今日も薄いペラッペラの言論を危なっかしく書き走る。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●ひっそりと趣味を続けて、ストレス溜まっても趣味を続けて、発散されて、安らげる。ここが羨ましい話。いいねぇ。
この場合は、私も一時期えんえん見てたけど、ソロキャンプがバズってしまって、承認されて、収入としても花開いてしまったけれども、近い世代の野良としては、羨ましいのはそこじゃなくて。もうかったところじゃなくて。
心のオアシスが、今でもいつまでもオアシスであり続けるところ。
私は、身体に限界がきて制限している趣味が発生している。私たち当事者たちは、限界が早めに来やすい。旅行とかの趣味はなるべく早く、気が済むところまで極めておいたほうがいいかもですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=3P8zMqCMYxs&t=211s (リゲイントリプルうんちゃらの宣伝も入っていましたが、野良はそんなの視界に入ってません。興味は無いでもない…)
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●子どもの支援の場合についての動画ですが、4つにまとめられていて、とても ❝とっつきやすい❞ ので揚げました。
大人の私たちも、悩みは多肢にわたって抱えます。あれがうまくいかない、これが満たされない、この相手にこれが通じないetcetcで、まず自分に原因を探すさいに、私たちは自分の生育の中でなにが足りなかったんだろう? と振り返ります。よね?
野良のように、医療からは検査診断以外のなんの分析もご指導ももらえない境遇の当事者は、自分で自給自足しようと孤軍奮闘して人生がほぼ終わるわけです。自分で調べても、ネットで聞いても、振り回されるばかりなのですが、私たちに不足している栄養分(お勉強)にはだいたいこういうものがありますよ、と可視化されるだけでも不安感は違うものなのです。
それでもね、私たちに必要なのに、無い栄養分が4つもあるなんて、多過ぎるかもしれませんね。日々の日常を回すときに、念頭に置いておける限界は、せいぜい1つか2つでしょ。世の理不尽は底知れませんね。
ちなみにこの4つがそろうまでも、1つ1つがブームになりながらそろってきた歴史があります。発達障害が世に知られてくる20年以上前からメンヘラさんたちの治療に応用行動分析、次に自閉の療育にティーチ、そのさいコミュニケーションするためのツールとしてぺクス、今はSSTが流行………? 書店に本がいっぱいある感じですね。
(動画URL、取っといて無かった)
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ふーん。野良は ❝いやいや過激な実験ですねぇ……❞ と感じて苦笑いするだけで済みますが、済まないかたは、動画再生は無理しないで。
少なくとも、野良の生活圏内で、この治療に近づく手段は無い。それに想像力の獲得が短時間だけ、でも考えようによっては命懸けの治療を一般化することは、今はまだ現実的に考えづらいですよ。
ASD傾向の人は、ASD持ちの家系にも生まれるんでしょうが、一般の普通の家系にも普通に生まれます。それが、こんなお幾ら掛かるか分からない治療が必要であることも現実的に考えづらい。保険適用にするとしても、日本人たちは同調圧力という気質も強い。治療をするように社会が強いることにならないように、成人してから標準以上の知能指数で考えて自己決定でする法整備も必要。成人するまでに、養育者が療育する自信が無いとか、難しいとか、そういう事情は別問題として、横に置いておいて議論されなくてはならないという意見を私は持つよ。
「治療に出資してやるからここに署名捺印しろ」とか、犯罪しろとか、利益を貢げとか、服役しろとか、加害者の加害を受け入れて従えとか、そういう悲劇も問答無用で制裁されて欲しいけど、問答しないと法整備されないのよね~。
私は『永遠の『宿題』の提出』(ブログ参照してね。)問題の自説を持っている。治療していざ、張り切って思考した結果が、必ず『永遠の『宿題』』の正解を出せるものでなければ、脳をリスクにさらしただけで、本人の人生はなにも変わらない現実にしかならない。
大人の当事者たち自身も自己努力をするけれど、多様性を社会が受け入れてくれる気があるなら、たとえば貧困や二次障害のメンヘラを傍観する見守りするだけじゃなく、今の社会の『永遠の『宿題』』の内容をどーにか議論することから始めていただきたい。
(動画URL、取っといて無かった)
ChatGpt:
ヾ(*´∀`*)ノキャッキャイ゛イィィィ!!ャギギザゴォォォッ!!??!!
負債がオンラィン就活ヲ?!!「トンボゲンドウノ話がツキマトウ看板ニクソヌリタクラサレル!?!!
噛ミツイ太クソバカ! https://imgur.com/gallery/SklS2GG ゃバ スゴイ!
ブチヌクスプレービッグカンジヤキュウセイズンナヨ♪☆
コンビニノ冷凍ボックスに入リ、寿司屋で醤油をペロペロスルッ!
バカニツケル薬ハナイ....ゾ! 「お前はバカだからSNSをヤルな!」
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↓
「アレバカムケノハナシダロ!?ブラカナオレハダイジョウブ!!」
バ..バカ発言ヲ繰り返ス...
会社モ学校モ...バカガカンバンニカカワッテシマッタトキテンデ..
https://imgur.com/gallery/YFlco2j
↑
ドラッグハンバイレイプ! イメージガボミダァァァ!!!
「ペーパーテストシカシテナイカラ..」学校ハアル程度ハリカイシテクレル
デモ会社ハ面接ヲヤッテシマッテイル...
「バカノ頭のおかしさヲミヌケナカッタトイウミスダナンテ世間ハ思ワナイ!」
アリトアラユルリスクヲソウテイ..少シデモバカジャナソウナヤツヲエラブ地獄ノジジヌキゲーム!
ちょっと失敗シタダケナノニ...
「トンボ鉛筆という会社は驕リ高ブッテイル」
「JAXAという組織はNASAと比べると精神年齢が大幅に低い」
カワイソウダヨ..
自衛隊ミタイニ..上カラ下マデスウジュウマンタンイデノウミソヤンキー高校ジミタクソバカノ群レ...
「そういう人達を集めたい」って組織ナノササモアリナンダ!
https://x.gd/vhBjf
世ノ中ニハそういう組織ガアルンダカラ...
安心シテ面接デハバカヲ落トシテ..
最終的ニそういう組織ニ流レテモラウノガ適材適所ナワケダヨ!
user:
よく分かりました。ありがとうございました。
カンザキイオリが不可解参(想)を最後に外れたり、オリジン寄りの存在として廻花がお出しされてそっちではシンガーソングライターの道を歩み始めていたりするが、それはそれとして花譜の道は続く。
歌ヨシ、絵ヨシ、創作への熱意は誰にも負けない神椿きっての奇人。一応バーチャルダークシンガー。
エイプリルフールを自らの願望を実現するために何をやっても良い日だと思っている節がある。
この曲は救いなんだ……
割と春猿火であることに迷いつつも、ついに一体化を果たしてくれたラップもいけるシンガー。
睡眠時間以外は常識人なのだけど、とりあえず夜寝て朝起きてくんないかなとかは思ってる。収録・ライブの度に生活リズムが崩れてそうなので。
デビュー当初はVALIS同様の方針で行く感じだったけど、今はバーチャル専門になったのかな?
名前のとおり、空が似合う歌声のシンガー。ただ、その空は必ずしも晴れ模様のみを受け入れるというわけではない。
存流と明透の対照性と、歌劇的な皓とクラブサウンド寄りな黑の対照的な曲群という二重の対照性によって独特の世界観を表現していたユニット。
この曲でAlbemuth 1st ONE-MANを締められたことが最高だったんだって、いつか振り返られる時が来ると良いなと思っている別れの曲。
黑曲で1曲絞るならこの曲かなと思ってる曲。
話し始めると止まらないマシンガントークに、そのトークを支えるだけの感情の言語化が上手いなと思っているシンガー。
他にもVってわけじゃないけどDUSTCELLとか雨宿りとかAwairoとかGuianoくんに梓川くんに跳亜くんにEmpty Old Cityに獅子志司さんに……色々いるよ!
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジのメンバーである梅ラボが
画像掲示板のふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚
リーダーの黒瀬陽平が「ネットの画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したことで
pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。
当時のカオスラウンジは
アート業界からは村上隆、オタク業界からはpixiv、言論業界からは東浩紀という
三業界からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。
しかし、この炎上が原因となり、村上とpixivはカスラジとの関係を断ち
以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。
当時、東浩紀は「福島もチェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから
https://togetter.com/li/609484
また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校」を開設。
「表現の不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には
2020年、当時カオスラウンジ社員の女性が黒瀬のセクハラ、パワハラを告発し告訴。
後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。
2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。
なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。
2011年の炎上の当事者である梅ラボは、本件には無関係で被告にもなっていない。
本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として
同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジを提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。
2013年8月にキュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。
ゴキゲンだね、ボーヤ
前半新聞配達は積み込みをミスり1部だけ余ってしまい焦るがギリ2時間で終了
アレだね、鮮度の確認するたびに思うけど野菜の廃棄って結構出るね
ニラが黒ずんでたり、チンゲン菜の茎の根元が溶けて千切れてたりして
ピーマンは破裂してグジュッとなってるんで食えねえけどそれ以外はすぐ調理すりゃ割と食えるものばかりで勿体ねえな~って思いながら捨ててる
偉そうなことを言ってしまうがこのバイト先はダメな職場だな・・・ダメな職場だからこそ働きやすいんだと思うけども・・・
野菜の半額の基準や廃棄の基準の一覧表や資料が一切ないんだよホントに・・・ボスに毎回尋ねて時間を奪うのも申しわけなくなってくるしよ・・・
金に関わる部分だから勝手に半額にゃできねえしよ・・・頭抱えちゃうぜ
はあ
それはそうとそろそろ食う量減らさないとな
今日もチートス1袋400kcal、焼うどん2玉(しめじ・タマネギ・もやし)、納豆、ブルボンプチラングドシャ食っちゃった
でも体力の向上にはこの暴食が寄与している気もする
でさ、
新聞配達を辞めたら次はニトリの2ヶ月のバイトを午後に入れようと思うんだけどニトリの短期バイトってどんな感じなん?
経験者が居たら話聞きたいやで
参考にはならないと思うが、もう二度とセックスしないだろうと思っていた旦那とのセックスレスが解消したので簡単に書いとく。
詳しいことは端折るが、修羅場で離婚寸前だったこともあり、私は「嫌いな人とセックスしたくない!」という気持ちが大きかった。
このまま誰ともセックスしないまま死んでいくのかと鬱々していた。
数年後、キスシーンがめっちゃエロい俳優さんにハマり、とにかくキスがしたくなった。
旦那に「私はもっとラブラブしたい!仲の良い夫婦になりたい!」と正直に話した。
数年前の大ゲンカが尾を引いていたが、少しずつ夫婦仲を解消し、いつしかセックスするようになった。
夜中は子供が起きてくることがあったので、昼間にしている。←旦那も私も平日に休みがあるため可能。
【そんな私のセックスレス解消法まとめ】
『東京 練馬区・石神井公園駅前の再開発 異例の執行停止のなぜ?』 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240325a.html
異例の執行停止と見出しにあるが確かに。類似する都の都市計画上の手続きだと、昨今一番の話題になった某外苑の再開発でも、イコモスなどに怒られていても差し止めにはなっていないので、これは相当異例。
練馬区のサイトを見ると粛々と淡々とスケジュールがこなされているのが分かる(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.html)。ここまで(借地権の申告:ここで再開発をするので借地を持ってる権利者は早く言ってね保障するから)来て、土地の明け渡し(土地の所有者が再開発に伴いいったん土地を売却し移転する)を差し止める事案は個人的には初めて聞いた。
一般的には、あらかじめ決められている都市計画(建蔽率とか容積率とか住宅専用地域とかそういうやつ、国と地方自治体が決めてる)を超えて特例的な建物(タワーマンションとか馬鹿デカいビルとか、通常の規定以上にデカく建てて儲けようとする建物)を建てる場合は
3東京都の「都市計画審議会」という会議→何度か冷や汗の出る質疑を乗り越えて
と、いくつかの関門を経ないと建てられない(ものすごくざっくりとした説明)。デカイ建物を建てるためには誰もが通る道。
で、この一番最初の「地元で意見集約」がないと、行政は当然すべての再開発事業にOKが絶対に出せない。民間人が所有する不動産を行政が勝手に動かすことは基本出来ないから。例えば木造住宅が密集してて道路が狭くて救急車も入れないようなところを再開発したいよなぁと考えていたとしても無理。なのでこの1「地元で意見集約」がとても大きな要素になる。
そしてこの「集約する」仕事は、多くの場合、ゼネコンやデベロッパーなど「ここにタワマン建てて儲けたいでゲス」という目的がある人たちが行う。
建前はあくまでも地元の住民や地権者から相談を受けて、という形だが、あけすけに言えば、何十人もいる地権者をマイルドに立ち退きさせる仕事だ。平成以降の地上げは昭和のころのように放火してなんてことはしない。毎日街のバーサンの家に茶飲み話をしに行ったり、商店会の「有志の会」とか「〇〇町の未来を考える会」なんて名前になりがちの再開発推進派のオッサンやジーサンどもと夜な夜な地元のスナックで飲み明かしたりして、誰が反対しそうか、どうやったら立ち退いてくれそうかなどを探りながら、数年をかけて『地元住民の意見を集約する』ということをやってる。これを綿密にねちねちと、時にはお金を使ったり(金で移転してくれる人は割とかなり多い)して、ぺんぺん草も生えないほどに賛成派を取りまとめることで「再開発準備組合」という、再開発の準備をするための組合ができる。組合員は地元の地権者、つまり今まで懐柔してきたオッサンオバハン、ジーサンバーサンなどで、「再開発を成功させて無事にみんなで儲けよう」というSameBoatのメンバーになる。
通常、東京都や首都圏の好立地の場合は、地権者は再開発中の住まいの保障なども含めて一銭も金を出さないことがほとんど。地権者は自分がもともと持っていた土地を差し出して、その代わりに、再開発期間中の生活+再開発後の開発利益の一部(建物の中の新しい店舗だったり、タワマンに建て替わった新居だったり)を手に入れる。
あくまでも邪推だが、今回は、このSameBoatに乗りたくなかった地権者か、再開発で不利益を被る可能性がある周辺の関係者(でかい建物が建つのだから周辺環境は一変する)が複数いた可能性があるのかなと思う、まぁ邪推ですけども。
「不利益を被るかもしれない周辺住民・関係者(店やってる人とかね)」は実は、真っ先に懐柔しておくべきキーパーソンなのだが、この手順で業者が雑な仕事をしたんだろうなと思う。私見だが、N村不動産はこういうところがかなり下手というか雑というか、無視する傾向がある。まぁN村が合意形成にかかわってたのかは全然分からないので本当に邪推でしかないですが、当該の再開発予定地の周りにすでに恐らく同様の再開発スキームで建てたプラウドタワーが立っているので「行けるっしょ」ってなったのかもね。まぁ分からんけど、知らんけど。
ちなみにこのプラウドタワーは恐らく建物高さ90mぐらいじゃないかと思うのだが、NHKの記事に掲載されている完成予想パースの、当該建物の左側に白でごくうーっすらと半透明に描かれている建物がそれにあたると思う。こういうズルいことをするのがデベロッパーである。ちな建物の右側に白でごくうーっすらと描かれてるのはやはり再開発のマンション「エミリブ石神井公園」で恐らく建物高さ50m程度。石神井公園の駅前にこんなに青空が広がってるわけがないから!
で、近年に再開発された両隣のタワマンの高さが恐らく90m、50m程度なので、「なんで100mをOKしてんだよ」とツッコミは入るよなとは思う。
まぁ、10数年前にできたプラウドタワー石神井公園よりも高く積まないと今の高騰する事業環境では採算が取れないんだろうなーと予想はできるので、そう言えば裁判で戦えたんじゃとと思うんだけどね。都市計画審議会でそういう言及でもあったら「だってその高さにしないと事業ができません、事業ができないと困る地権者もいるし道の整備もできません」と言えたと思うんだけどなー。さすがに都市計画審議会の議事録を見るのは面倒なので、これもあくまでも邪推。
「街のにぎわいを棄損してる」これは一面では本当にそうなんだけど、一方で、現地を知ってる人やGoogleMapを見た人ならわかると思うが当該地は正直、再開発した方が良い場所ではあると思う。
このあたりとか見るとなぁ。https://maps.app.goo.gl/oacM7JfmgrEmFjsw9 ブッコメにも「まなマート返してくれよ」とあるが、まなマートの辺りとかうっかり火事が出たら大惨事は免れないと思う。私もこういう地元密着スーパー大好物ではあるので気持ちは痛いほどわかるが。特に既に南でも北でも再開発マンションが建ってる石神井公園周辺では最後のオアシスのような路地ではあるので本当に惜しい、が、地震と火事のリスク…。
でも味のある路地と古くからある店がなくなるのは、増田としてもとても寂しいことだよなとは思う(だからこそとても丁寧に反対意見が出ないほどに、広めに地元の人たちと話をする必要があるのだが。これを気合を入れてやったのが小田急と下北沢の再開発)。
「優遇しすぎな面」
計算してないからわからんが、図書館(公共用途)、もともとあった区道を建物を貫いて再保存しているところから、公共用途への供出がそこそこあるプロジェクトのようである。(https://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/machi/kakuchiiki/shakujii/saikaihatu.files/jigyoukeikakusyo-2.pdf)そのせいで、ある程度補助金が手厚いのでは、と思う。事業費や公共床の比率などで補助金額には色々制限があるので、この件だけが手厚いということはないのでは…。むしろそうだとしたら大問題だが恐らくそれはないんじゃないかな(適当な言いきり)。
それは広告のイメージ戦略に乗せられておりますな。タワーマンションは容積率の制限の緩和を受けてはじめて建てることが出来る。その代わりに一定の計算式のもとに地面部分に「公開空地」を設けることが法律で決められていて、どのデベロッパーもその最低限度しか公開空地は用意しない。「建物を建てられる面積」は少しでも確保したい、タワー型ならなおさらである。規制より多く空地を設けるのはデベロッパー業界ではほぼ有りえない。
そして分譲マンションとして売るので、ほとんどのデベロッパーは、事業を圧迫しないように最低限確保した公開空地を公園のように整備することが多い。何かいい雰囲気になるからね。これは野村に限った話ではないっすね。そして一方で「いい感じの公園っぽくする」のは住友不動産にだけは当てはまらない。住友のタワマンの足元は本当に管理がしやすそう(で無味乾燥)、そういうのが好きな人もいるよな!管理費も節約できそうな気がする!
ちなみにこの「高いビルやタワマンの足元まわりの公園状のなにか」=公開空地は、「みんなが憩える空間を整備した代わりに容積を許してやったぞ」という空き地なので、みんなどんどん散歩したり休憩したりしようぜ!
「地域を作り替えたい業と地元民として街を守りたい業のせめぎ合い」
このブコメは本当に言いえて妙。上にだらだらと書いたが、「街を守りたい業」の人もいる。この手の件は共産党は必ず絶対に反対に回る、が、本件は商店会の偉い人が表に出てるので共産党とはちょっと違う筋なんじゃないかニャーという気はする、知らんけど。
政治的な話は置いておいても再開発エリアの線引きに入れなくて損した気がする人が反対、なんてのは普通にあるある。どっちも商店会メンバーでどっちもJCにも消防団にも入ってて、それで大ゲンカして大変、とかね。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。