「アイデンティティ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アイデンティティとは

2020-06-01

anond:20200601103206

たとえ属性全体が恵まれていても自分がそれに与れなければ無縁でしかないし、弱者集団の上澄みを多少優遇したところで、それ以外の弱者にとって大した得になるとも思えない

アイデンティティなどいちいち考慮せず、無慈悲に救うしかない

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

2020-05-28

anond:20200528105839

別に合法ですが?

ああ、役所手続きか。

役所手続きアイデンティティが絡んでくるっていう発想がマジでからない。

国民背番号を付されると自分人格をもった個人じゃないみたい、な批判と同種のものに見える。

2020-05-27

テレワークしてるんだけど仕事全然ない

テレワークしていて、自分のあまり仕事のなさに気が付いた。

かにオフィスにいたときもなんか暇だなと思うこと多かったけど、これほどまでとは。

テレワークになって「暇潰しの時間」が「おうち時間」に変換されるようになり、一日のほとんど仕事をしていないことに気付いた。

自分あんまり仕事に対して上昇志向がないし、アイデンティティ仕事ではなく余暇に置いている人間から

自尊心を損ねることもなくただただ「やったー!」という感じなんだけど、

こんな働きぶりの奴に給料を満額出してくれる会社というのはなんなのだろうと疑問に思う。

こっちは嬉しいからいいけど、慈善事業か何かなのだろうか。

このままずっとテレワークにならないかな。

2020-05-26

もう何も言えない時代になった

匿名掲示板でも誹謗中傷するのはタブー

近頃の正論常識を盾にして他人攻撃する時代は終わったんだよ。資本主義の鳴りの果てさ。

俺たち人類は上の段階に進む時が来た。

今こそパラダイムシフトだ。

1人1人が持つアイデンティティ生き方マイルール

多種多様価値観を誰も否定はできない。

だって正しいことなんて何ひとつとして無いんだから

他人批評して安心するのが当たり前の物事を斜めから見てる俺カッケー見たいのは逆にダサいぞ。

俺は違う 誰のどんな言葉にも耳を傾ける

決して真っ先に否定なんてしない

たとえ俺を否定したくてたまらない奴らに標的にされても俺は動じない。

何故なら彼等が何に怯えているか知っているか

彼等は馬鹿にされたり劣等感を感じるのがとてつもなく怖いんだ。

から先に攻撃して上に立たないと安心できない。

それじゃあ人に嫌われても仕方ないよね。

anond:20200526104823

ワイのアイデンティティから

食べないとすぐ90kgくらいに落ちるやで

2020-05-25

例の自〇

これ、アンチのどうこうというより、コロナエンタメ全体が機能不全+収入危機の段階で

自分アイデンティティ破壊された、鉄道模型の夫案件だと思っていた。

テレビは、鉄道模型案件の隠ぺいのためにアンチを狙いだしており、それにみんなのっ掛かっている状況。

ここでテレビバッシングすると、いよいよ収入が絶たれるからな。

2020-05-23

anond:20200521222959

ほんとにな。

○○よりはまし、みたいなまるでネトウヨのようなことを言うよな。

アイデンティティはてな依存してる。


どのSNS住民よりも底辺なのをまず自覚してほしいわ。

2020-05-22

自分オタクだったのか、気持ちがぐらついている。

きっかけは、以下のツイートを見た時だった。

大丈夫、俺はまだ大丈夫アマプラで今期のアニメも追えてるし、FGOもまだ続けている。vtuber生放送も通知がある度に見れている。

から、俺はオタクなんだ。大丈夫、まだ大丈夫…」

(夜勤明けの吉野家。既に丼の中の肉はなくなりあと一口食べれば終わる量のご飯を残し、twitter声優結婚を知る)

https://twitter.com/wak/status/1261647825676365825

私自身は、小学生ときからオタク自覚があったのだが、上記ツイートのいう「オタク」ではないのではないか疑念がわいた。

自分オタクじゃないと思うところ

1.FGOをやってない。そもそもスマホソシャゲをやったことがない。

キャラだけはなんとなくわかる。マシュぐらいは。それ以外全く知らない。

スマホソシャゲパズドラとかモンスト含めて一度もやったことがない。

2.アニメほとんど見てない。むしろ実写ドラマしか見てない。

今期は「邪神ちゃんドロップキック」と「あひるの空しか見ていない。

ツイッターオタクを見ていると、1話は全部見て、そこから切っていく

ようだが、そうしようという考えすらわかない。

一応オタク活動を一番やってたと思っている大学生時代も週1~2本しか見ていなかった。

3.vtuberを見ていない。

リアルユーチューバーはよく見ている。vtuberに全く興味がわかない。

そもそもvtuber自体ゆっくりの延長としか思えない。発展性がないと思う。

4.声優結婚にショックも何も感じない。

これは昔からで、声優結婚の旅荒れ狂うオタクを見て本当に意味が分からなかった。

でも、声優に興味がないわけじゃなく、「声優に対する知識」だけはある

戸松遥実家が大ホテルだとか、茅野愛衣マッサージ仕事をしていて、

帰宅時に見ていた「ARIA」を見たことが声優を目指すきっかけになったとか。)

でもこれって、ただ知識自慢のためだけに集めたのであって、声優への愛がないことに

最近気づいた。むしろ荒れ狂うオタクのほうがよっぽど私より愛がある。

逆に自分オタクだと思うところ

pixivやニジエでオカズを探している。

最近のはやりのキャラとかはここで名前を知っている。

私の「アニメオタク」としてのアイデンティティ

もう「二次元しか抜けない」ということしかなくなった。

2020-05-20

anond:20200520132855

ネトウヨがよく叩いているミサンドリストと、「左」巻きを叩いていることから左巻き意味勘違いしていると推察されてるのであって「左巻き」が「左翼」と「頭のおかしい人」の両方の意味では伝わっていない。

ダブルミーニングとしても

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

「もしかして」という形でしか伝わっていなかったので、そもそも伝わる文章にはなってなかった。

まり伝わると思ってるやつが左巻きなだけ。

anond:20200520105548

その考えが異端者だからダブルミーニングなんじゃないの?

あいつらとはちがう!」ってノリで資本主義否定したおれカッコイイの大2病からくる変わり者アイデンティティが「左巻き人生原風景だったのに今更それを捨てるのダサくね

侵略される恐怖ってこんな感じなんだなって思ってる

最近食用コオロギを使った食品が登場している。

無印だけかと思ったらすでに専門店も出来ていて、色々な商品が沢山でていた。

しろ、今まで一部の愛好家のみが楽しんでいたものが、無印によって市井に解き放たれた形だ。

もし無印の売れ行きが良ければ次はコンビニが手を出すだろう。そこそこメジャー製菓メーカーかもしれない。

絶対食べたくない。

なんで虫なんぞ食わねばならないのか。

お前が食ってる○○と大差ない、そういう意見もあるんだろうけど、食品好き嫌いって似てるからOKってものじゃない。

知人にしいたけ嫌いがいるが、理由を聞いたら「全てがしいたけになる」とどこかの小説みたいなことを言っていた。

テレビかなにかで同じこと言ってる人もいたので、しいたけ嫌いはおそらくしいたけアイデンティティが嫌いなのだろう。

こちからしたら合理的理由ではない。

でも好き嫌いはそういうものだ。

そして多分自分コオロギアレルギーではない。きっと食べれてしまう。

このままコオロギメジャーになってしまったら、知らないうちにコオロギ入りの食品を食べてしまうのではないだろうか。

プロテインがいつの日かコオロギ入り担っている可能性もゼロではない

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だコオロギ食べたくない。

から恐ろしい。

2020-05-19

anond:20200519095219

わかりやすい巨悪と認識してるからじゃないかな。自分たちの見えるところだけで減点すればそうもなる

あとアイデンティティとか一種所属欲を満たす道具にもなってる

正直誰がどのような運営してもキレ続けると思う

PPAレーティングマトリックス

https://imgur.com/q9EaFwd.png

各項目を10点満点で

重要

そのプロジェクト自分にとってどれだけ重要かどうか

困難さ

そのプロジェクト実行する際の難しさ

透明性

友人や家族がそのプロジェクトの進み具合を知れる、または理解できるかどうか

管理

そのプロジェクトに対して、どれだけ「自分コントロールできる!」って感覚があるか

責任

そのプロジェクトには社会的責任があるかどうか

時間適正

そのプロジェクトをやるだけの十分な時間があるかどうか

成功率

そのプロジェクトを達成、または満足できるレベルまでこなせる確率は高いか

自己同一性

そのプロジェクトが、自分アイデンティティに沿っていると感じられるかどうか。または、自分キャラを正確に表現できるようなプロジェクトかどうか

他者から重要

他人から見て、そのプロジェクト重要かどうか

価値観の一致

そのプロジェクトが、自分人生価値観と合っているかどうか

進捗状況

いまの時点で、そのプロジェクトをどれだけ達成できているか

やりがい

そのプロジェクトやりがいが感じられるかどうか

没頭度

そのプロジェクトに夢中になれるかどうか

支持レベル

そのプロジェクトを達成するためにサポートが得られるかどうか(金銭的なサポートでもアドバイスでも何でもOK

自律

そのプロジェクトに対して、誰から強制でもなく「自分意思でやるのだ!」と感じているかどうか

 プロジェクト重要簡単透明性管理責任時間適正成功率自己同一性他者から重要進捗状況やりがい没頭度支持レベル自律合計値
1                 
2                 
3                 

GFMだと下のような感

 プロジェクト重要簡単透明性管理責任時間適正成功率自己同一性他者から重要進捗状況やりがい没頭度支持レベル自律合計値
----------------------------------
1                 
2                 
3                 

2020-05-18

Twitterをやめて初めて鋼の錬金術師の結末が腑に落ちた同人字書きの話

自己陶酔長文

同人界隈のくだらない話です

ハガレンあくま個人的感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。

※以降、鋼の錬金術師の重大なネタバレを含みます

鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである

私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語最後主人公エドがアルを取り戻すためにとった手段のことである

そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまたからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギーである賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間材料にして作られていることを知ってしまう。

経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エド賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。

エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エド錬金術を使う能力のものだった。

私はその展開に正直もやっとしていた。

鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術エドというキャラクターアイデンティティだった。

実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エド師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエド最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。

だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エドあんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。

しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。

前置きが長くなってしまった。

私は同人の字書きであるTwitterpixiv二次創作小説をアップするとそこそこバズるジャンルではまあまあ人気の字書きだ。

小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンル情報推しの素敵な二次創作、実社会ニューストレンドリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。

しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係承認欲求ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラ二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。

それでも、同人SNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。

(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)

冴えないぼっち日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安から、私はTwitterを続けていた。

だけど、限界が来た。

きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰質問しづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホ電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。

とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。

Twitter彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。

私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由メンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかい推しを目にするたび、推しのものが嫌いになり始めている自分がいた。

(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)

楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。

そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。

思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitter投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか場所がない状況を作っていた。

世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。

しかし、そのとき私は確かにエド最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。

エドは、錬金術能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。

Twitterも同じである日常のあらゆる情報リアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。

錬金術しろTwitterしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界もの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エド最後、笑ったのだと思う。

Twitterを退会し、同人交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説カルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。

たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。

最後に。

鋼の錬金術師は最高だからみんな読もう。

anond:20200518110000

ウニとしての特徴とアイデンティティを備えていて、都合がいい時は事あるごとにウニアピールしてる人が

都合が悪くなると棘引っ込めて「私はウニじゃないのに…アンチウニは叩ければ誰でもいいんだな!」ってごまかしてるだけでは?

2020-05-17

はてなぁの皆さん

はてなぁとかブクマカとか言われたら一枚岩じゃないんだから主語が大きいとか反発するけど自分はその批判対象には当てはまらないって思ってるならほっとけばいいのに。

その批判対象男性とか女性とか国籍とかアイデンティティに関わるデリケイトで重大な問題なら反発するのは当然だけどただのネット上の糞アカウントの1つに過ぎないのに。

どんだけはてブに入れ込んでんだよ。

キモい

2020-05-16

在日」だけど、「ネトウヨ」の人を理解することが少しだけできた

https://twitter.com/M16A_hayabusa/status/1260223488779943936

このツイートきっかけ。

その前に少し長くなるけど、自分語りさせてほしい。

私は元在日韓国人だ。数年前に帰化したので今は「日本人」として暮らしている。帰化する前は「韓国人」として暮らしていた。

両親ともに韓国人だけど、私は日本で生まれ育ち、日本教育を受けてきたので日本しか喋れない。

いくら両親が韓国人であっても自分アイデンティティ日本人だった。それなのに書類上では韓国人で、私には参政権もないしパスポート赤色じゃないし身分証明書には自分名前じゃないもの刻印される。そのねじれというか、ちぐはぐしたものに30年、ずっと困惑していた(これは帰化して解消!選挙行けるのうれしかった)。

クラスメイトからの「●●ちゃんのお母さんって喋り方がへんだよね」というなにげない言葉や、在日韓国人であることをカミングアウトした翌日に別れを告げてきた恋人とか(この手の話題は尽きなくて、最近だと婚約者の両親にも元韓国人というだけで拒絶された。帰化してたのにですよ。ばかみたいですよね。婚約者が煮え切らなかったどころか仕方ないとか言い出したので別れました)、世間の「在日日本にいるな」「韓国人うそつき」といったヘイトスピーチさらされることによって、私の中には韓国人であることは恥ずかしくて、隠すべきことであるという認識が生まれしまった。いつしかそういう差別的視点を、私は自分の中にも持ってしまったのである

(当たり前だが、だからといって別の在日外国人のことを差別していいわけはないので言動には注意しているつもりである)

このように私は、「普通であることに憧れ、在日韓国人であることに苦しみ続けてきた。

しかし初めて、その苦しみが少しだけとけるような思いがしたのである。ここで冒頭のツイートの話に戻る。

いわゆる「ネトウヨ」の人たちは、在日韓国人のことを、あることないこと、いや99%くらい「ないこと」を理由侮辱している。こういう言葉たちは実際、「いや何言ってんだw」とほとんどかわせるけれども、自分でも気づかぬうちにダメージがたまっていく、落ち込んでしまう。相手にしない、目にしないのが一番と思いつつもたまに出会ってしまう。

目にするたびに、なぜこの人たちは私たち在日韓国人を「攻撃」するのだろうなと思っていた。嫌な言葉を撒き散らして何がしたいのだろうと。そんなことしても一銭の得にもならないのに……。インターネットなんてやめて、美味しいもの食べたり飲んだり本読んだりお花育てたりした方がいいよ、なんて思って。

その理由が冒頭のツイートで示されたのだ。目からウロコが落ちた。おおげさだよって思うかもしれないけど本当に私には衝撃だったよ……。

攻撃」をしてくる人たちだと思ってたけど(実態はそうなんだけど)、在日韓国人が悪だから攻撃をしてくるわけではなく、彼ら彼女らの心の中のすきまを埋めるために持ち出される存在ということに驚いた。いや当たり前だろって思う人も多いのかもしれないけれど、私は今までひたすら怯えていたので彼ら彼女らを直視できていなかったのかもしれない。そうだよね、あなたたちも人間なんだもんね。

そして彼ら彼女らの気持ちなんてわからないなあと突っぱねていたけれど、初めて理解に近づいた気がする。なんでネトウヨ在日韓国人のことを理解してくれないのだろう?とヤフーニュースコメント欄とか一部界隈のTwitterとかを見かけるたびに思い続けてきたけれど、私も理解しようとしてなかったんだなと少し反省した。

からこういうことをツイートしてくれるのはありがたいなと思った。

もちろんヘイトスピーチはけして許されないし、人種差別する人の気持ち共感は全くできないけど、少しだけ見えた気がするのである

そして、「目覚める人がいること」も発見で、私に希望を与えた。このツイートリプライたちも見てみるとわかるけど、「なんてバカなことしてたんだろう」と悔い改める人も結構いる。ネトウヨは一生ネトウヨなのかと思っていたけれど、そうじゃないことに心底安心した……。

というわけで、私は元韓国人というアイデンティティも抱えながら、これからは少しずつ胸を張って生きていきたいと思ったのでした。きっとこれから差別偏見さらされることがあるだろうけれど、今までよりもその傷が浅くなる気がしてる。

どこの誰だか知らない人だけれど、ツイートしてくれてよかったです、ありがとう

そして長くなったけどここまで読んでくれた人いたらありがとうございます。

2020-05-15

見た目が男とも女ともわからん人の話

つっても自分ことなんだけど。

そしてかまととぶるのもあれだから先に言っとくけどLGBTQ+の世界には一通り足突っ込んでるし知識もある。トランスジェンダーに一番近い。

戸籍は女。最近は大体いっつも男ってことで働いてる。体はなんもいじってない。男性ホルモン摂取してない。

で、不思議というか悩みというかがあるんだけど、自分は何をアイデンティティにすればいいと思う?もうちょいわかりやすく言うと、他者に対して自分はどう映っていてどう映るべきなんだと思う?

男として働いてる女?男っぽい女?

いいねマンガみたい。イケメンパラダイスみたい。イケメン女子、かっこいいよね。女子高ではヒーローになれる。学生時代はそんな位置づけにされそうになったこともある。そしてこれが正解だと強く思ってしまっている自分がいる。アイデンティティっていうのは自分に対する他人自分共通認識なのであって、今の状況を一番正確に書こうとするならこのタイトルが一番合ってる。人によっちゃこれは事実以上の何物でもないというかもしれない。

でも一番にあげといてなんなんだけどこれは絶対却下だ。なぜなら自分は”女ではなく”て、自分を女と説明されることにとてつもない嫌悪感を抱えているから。

女ってーのは事実じゃん、染色体・外性器etc...っていう批判は聞き飽きるほど聞いたけど、自分にとっての女という体験(=人生)は、というか性別という体験そもそもその定義以上のものを含むものだと思う。

まぁ勘がいい人は性同一性障害とか性別違和とかいキーワードが頭に浮かんだだろうし、分かんなかったらググってほしい。そしてその嫌悪感を抱くことこそがその障害を持つ者の定義であるわけで、ここを議論しても仕方ないから許してほしい。

というわけで自分を女として知っている知り合いの多くは自分を男っぽい女だと思ってるだろうし、一度女として認識した人間へ向ける視線をひっくり返すのはとても難しい。自分はそれがとても悲しい。通ってきた門は変えられない。



幸か不幸か、自分は初対面の人間に対してその入り口をある程度意図的に変えられる。つまりこれから自分はその人と付き合っていくにあたってどっちの性別で行くか大体決められちゃうってことである

ちなみにこれは初対面一発目で相手自分の望む性別自分認識するということでは必ずしもなくて、話していくうちにちらちら実は男なんです~/女なんです~要素をチラリズムさせていく、もしくは単刀直入自分性別宣言してしまえば納得してもらえるってぐらいの見た目を自分はしているってことだ。端的に言うと一人称を変える程度で私の性別は揺らぐ。

また会うことなんてねぇだろうなって人は勝手にあっちの想像に任せて話を合わせている。会話の節々で「あっこの人は今自分を君付けで読んだな」とか判断材料にして。

これから長く付き合っていく人間に対してはそうもいかないので、大体付き合いが長くなってきた時点で胸が裂ける思いがしながらも自分ネタバラシをする。しか卒業を目前に鬱で発狂した自分はもう考えるのをやめたくなって、性別欄のない履歴書を黙って送って、雇ってくれた会社の人に自分性別判断を託した。(性別のわかる公的書類の提出はいらないとこだった)

はじめて会ったとき君付けで呼ばれて聞きなれないながらも若干安心して、それから職場では同じ戦術ながら奇しくもずっと男として働いている。



男として働きだすと言われることが真逆になった。女の子っぽい男の子だね、かわいいね、と。(ちなみにほとんどが初対面の客からである。世の皆さん、人の性別安易に突っ込まないでください、肝が冷える)

女の子っぽい男の子、というタイトル自体はも満更でもない。それどころかその受け皿に収まってしまおうか、つまりそれを自分アイデンティティにしてしまおうかという選択肢まで生まれだした次第だ。しかしそう言われるたびに腹の底が冷えるような気持になり、その話題をどうにかしてそらしたくて仕方なくなる自分には、そのラベル積極的自分を売っていく気にはまだ到底なれない。

話が少しそれるが、自分はあわよくばわかりやす自分他人に分かってもらえるようなラベルアイデンティティが欲しいと常々思っている。しかも自信をもって自分から提示できるような。(この場合の自信っていうのは真実か否かっていう次元の話)

性別不明の人間に対する探るような人々の視線は、一度経験してみてほしいと思う。みんな説明安心がほしいんだと思う。

男として生きてくのも色々大変なんだ、特殊な業種なんだが仕事中に生理なんか来た時には泣きそうになった。女子更衣室のチェックのために同僚の女の子読んでこなきゃいけなかったときは笑いそうだった。不意打ちのボディタッチはいつも致命傷になりうるししょーじき男として生きるのもしんどい。これが一生続くのかと考えると。

自分(の身体)が女だと知られることが自分への他人見方を決定づけてしまうことになる一方で、男か女かしかないこの世界真実を隠し続けながら一生過ごさなきゃいけなくなると思うと死にたくなる、ライトに。積極的死にたいっていうよりはこの苦しみから解き放たれたいの方が近いほうの死にたい

悲しくて泣きたいけど、今まで流してきた大抵の涙は、大人になったらよくなるとかなんでそんなことでくよくよ悩んでいるのかとかい言葉で流されていった。もう大人になってしまった。



Xジェンダーとか、LGBTだけにとどまらない言葉は世の中に無数に存在していて、それに出会うことはできる。でもその言葉に含まれる人々は、一般社会の中で存在していることになっているだろうか?その受け皿は、いまだ世の中に生まれはいない気がする。

アイデンティティ自分他人共通認識で、他人の中に存在できない自分は、いない。それがとても虚しい。考えても分からない。どうしよう?

2020-05-14

anond:20200514210335

東京非難してる奴はイケハヤだって決めつけることで東京都民という唯一のアイデンティティを守ってるんだよな

バーチャル行為を公にするな

自粛続きの世の中と、バーチャルマーケット4が重なりVRChatに新規がかなり増えた。

非常に喜ばしいことではあるが、ひとつだけ物申したいことがある。

それはVRユーザーネカマ同士でエロいことをする気持ち悪い集団だと思われていることである

現在インターネットはバズったもの勝ちな側面があり、そういうキャッチーネタウケるのは仕方ないとは思うが

VRの紹介として「バ美肉おじさん同士でイチャイチャ」や「最終的に行き着くのは女装」というようなことを前面に押し出すのはやめていただきたい。

行為自体をやめろと言ってるわけでなく、バズに心を惑わされて何故バーチャルに夢を見たのかという原初感情を忘れないでほしい。

本当にバズ文化は悪だ。

井の中の蛙として暮らしていれば、誰もが何かしらの一番になれたかもしれないのに

インターネット接続してしまったせいで、キモさをアイデンティティにするしかなくなった可愛そうな人たちが増えてしまった。

というようなことを、とあるVRChatの紹介ブログを見て思った(URLは貼らないが)

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