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はてなキーワード: アイデンティティとは

2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

家族推し炎上で狂い続けてて辛い

家族推し炎上して2ヶ月、どんどん家族性格が悪くなっている。

炎上前より不寛容になり被害者意識が激しくなった。分担して行っていた家事も出来なくなり、他の家族に当たり散らす始末。

夕飯を一緒に食べれば何度聞いたかからない推し事務所への愚痴を言い、つい生返事をしたり、嗜めたりすれば「私のこと考えていないのね」とヘコむ。前向きになろうよ、と慰めれば「貴方にはどうせ分からない」と言う。耳にタコが出来た話を可哀想だね、辛いね、と同意する以外のことはぜ〜んぶ「攻撃」と受け取る。

自分が全く関係ない話をしている時でも隙さえあれば推し事務所への愚痴差し込んで、同じ話を繰り返す。そして上記選択が繰り返されるのだ。

これで、逆に自分が落ち込んだ際に相談をしたら「考えすぎ」と返されるのだからやっていけない。それどころか、私だって…と推し事務所への愚痴を繰り返すのだった。

推しライバルグループへの愚痴も激しくなった。ライバルグループファンを悪様に叩いた日には、自身推し活が邪魔されると怒るのに、人の活動のことは嘲笑うのかとドン引きした。

しかし、思い返せば炎上から……

推し活の一環としてファンアートを描いていたが、ずっといいね!の数を気にしてイライラしていた。

自身推しへの愛を喋りファンアートをたくさんの人に見られたいのに、他人推し語りやファンアートは解釈違いが許せない、私よりいいね!が伸びてたらヘコむからと頑なに見ようとしなかった。

推し活と言うのはファン同士の交流醍醐味だとよく聞くが、家族にとっては苦痛の方が大きいように見えた。炎上する前から苦しそうに見えたのだった。

推し活は健康にいい!人生に彩りを与えてくれる!

というけど家族の様子を見ているととてもそうは思えない。

自分手綱を握れない、コントロール出来ないものアイデンティティを預けるのは危なっかしい。推し炎上したら自分は何もしてないのに一緒に燃えしまうんだぞ。

推し活っていうのは楽しくなるためにやるんじゃないのか?私ってこんなに苦しい、可哀想、ってやるならもう辞めて欲しい。

2023-05-26

anond:20230520211832

本心でそう思っている人はたくさんいるだろうし、なのにそれを現実世界で口に出すことってかなりはばかられるからしんどいよね。

子を持つ人生も、持たない人生も、どっちを選んで後悔しても取り返しがつかないわけだから本当に難しいところ。

自分場合は「子どもを産まなかった後悔」をするのが怖くて、諸々の覚悟があまりないまま産んでしまった。

結局は産んでからは全ての「大変」と「しんどい」を「子どもが最高にかわいい」だけで全て乗り越えられてきているので結果オーライだったけど、それは自分が他の物事仕事趣味自分磨き)に対する熱意や執着が少なかったからなんとかなってるだけだと思う。

仕事が好きだったり、アイデンティティになるような趣味があったり、自分ひとりの時間が大切な人にとって子どもはかなり足枷になってしまうよね……。

社会と野生と性別

わたし人間社会性的役割でも野生動物や虫の群れと同じ部分や彼らから学ぶ部分はあると思っているんだけど、現実ではそれを言うと「動物と一緒にするな」って烈火の如く怒る人が結構いるんだよね。

人間の知性を過信するあまり、何千年規模で世代を重ねて凝縮された野生を蔑ろにするのは違くない?

本当に種族アイデンティティに出来るくらいの知性の出す結論が男女で同じ椅子の奪い合いすることなら、今まで男女が別の役割を持ってた意味がわからないし。

何言われても動物基準の話は聞かんって人と同性愛動物にもある系の人、ジェンダーセクシャルの話だけじゃない断絶があるんだよなあ。

社会構造に関わる議論は横道に逸れるとただの揚げ足取りレスバになりがちなんだけど、もっと「何故その思想・主張に辿り着いたのか」みたいな部分を開示してる議論の記録はないんだろうか。

2023-05-24

国連トランスヘイターになったみたいやで

https://note.com/sws_jp/n/nb81ae1e3137c

https://twitter.com/asahian222/status/1660925438808698881

https://twitter.com/UN_SPExperts/status/1660601329394278401

ジュネーブ2023年5月22日) - 性別性的指向について意見を述べる女性に対する脅威と脅迫は、深く懸念されると、女性女児に対する暴力に関する国連特別報告者のReem Alsalemは、本日声明で述べました。

一部の女性権利活動家トランスジェンダーとの間に意見の相違が見られるという背景があります

Alsalemは、女性に対する暴力と、異なる意見を表明したことに対する人々への脅迫を警告しました。

ナチス」「大量虐殺者」「過激派」という烙印を押すことは、女性発言意見表明を抑止することを目的とした攻撃脅迫手段です。

このような行為は、女性に恐怖心を与えて沈黙させ、女性に対する暴力憎悪を煽ることを目的としているため、深く問題視されています

女性女児は、脅迫暴力の脅威から解放されて、あらゆるテーマについて議論する権利を有しています。これには、彼女らにとって重要問題特に生来アイデンティティの一部に関連し、差別禁止されている問題も含まれます性別性自認に基づく社会における権利範囲について意見を持ち、表明することを、委縮させたり、矮小化したり、否定したりしてはなりません。

2023-05-23

LGBT達が「猫自認を認めろ」とか言い始めてる

https://lgbtq.fandom.com/ja/wiki/ゼノジェンダー

ゼノジェンダー(xenogender)は、「ヒトの性別理解範疇を超える性別のありかた。動物植物、その他の生物ものなどとの関係を用いた、性別の分類や体系をつくることを重視する」[1]と説明される性別のありかたです。多くの人が性別と関連付けない概念を用いて自らの性別表現することもあります。ゼノジェンダーを含むネオアイデンティティは、「おかし」くも「誤っ」てもいません。この世界存在する様々なアイデンティティの大切な一部です。

とのことなんだけど、こりゃそのうち「動物との結婚権利を認めろ云々」ってのが来るよね。こころの準備しておいたほうがいいと思う。

2023-05-22

才能も能力情熱もない斜に構えた発言けが唯一のアイデンティティの人たち

自分が驚き屋にだまされる情弱だった問題

自分はずっと情報強者だと思っていた。

ネトウヨにもならなかったし、投資詐欺にも引っかからない。

デマにも流されず、いわゆる「嘘を嘘と見抜ける人間」だとずっと思ってきた。

実際はただのバカだった。

生成AIが出てきたとき、界隈は驚き一色だった。

自分の周囲は圧倒的にAI肯定派だった。

これからAIを使って創作する奴だけが生き残るし全ての人類AI洗礼を受けると思った。著作権法崩壊するし、プロンプトをぽちぽち打つやつが勝つと真剣に思っていた。

日本は遅れているが海外ではもうすでに大規模活用が行われて、世界AI多数派だろうと信じていた。

で、生成AIに反対してる奴は時代遅れで、進歩しない旧人類の少数派だと思ってた。AI推進派は多数派だと信じていた。

8:2ぐらいで、AI圧倒的多数だと思っていた。だってネット記事が「AIはすごい」「日本は遅れるな」しか言っていないし周囲のSNSの人たちもそういう言説しかしていなかった。当然そうだと思い込んでいた。

で、実際はどうだったのか?

プロ絵師ネットアンケートをとったら1:9だった。

9割がAIに反対、規制を望んでいた。

AI反対派が徒党を組んで水増ししているんだろうなあと思った。

次に行われたAI絵師アンケートも結果は変わらず90%が規制を望んでいた。

ここでも自分ネットアンケートは正確じゃないから、と思っていた。

芸能団体意識調査で90%が反対していても、「特殊クラスタ」の反対だと思っていた。

で、ついに讀賣新聞アンケート調査結果が出た。85%がAI規制を望んでいた。

ネットアンケートは正確な数値を叩き出していた。

AIネット工作なんて存在しなかったのだ。

そもそもネット工作って何さ。ネトウヨが言いそうな単語じゃん。

つのまにかAI肯定推進派が圧倒的多数規制派が少数派だと信じていた。しか現実は全く逆だった。

つの間にか、「AI使用は、全然OKです」と言っていた、創作インフルエンサーも「規制必要です」「意見は変わる可能性がある」とトーンダウンしてポジションが変わっていた。

イラストレーターだけではなく人気声優歌手世界的に反対し始めた。

冷静になると「こんな他人アイデンティティいくらでも捏造してフェイクニュース濫造できる技術規制されないはずないな」とわかる。

AIに賛成か反対か以前に、自分は結局情弱だったし、驚き屋に騙されるタイプ人間だった。

今回の一件はそれがいちばんの収穫だった。

anond:20230522165936

5歳と0歳児の父です。

親も祖父母も「A子ちゃん」ではなく「(B君の)お姉ちゃん」と呼び始めますからね。

A子「私はA子じゃないのか?B君の付属物なのか?」と

アイデンティティの揺らぎ・不安になります

A子(ちゃん)と呼び続けるのがいいでしょう。

ケアしてあげてください。

2023-05-21

anond:20230521214815

そうか?最初GPT無関係な人嫌いを出すってのはよほどそこにアイデンティティを感じているってことだし、そういうのは間違いなく自分大好き他人バカって感情だろう

そこは別に普通から否定しなくてもいいと思うぞ

害はないんだし

マイケル・ベイリーーのトランス理論

https://gendai.media/articles/-/99878?page=3

彼が展開したのは、トランスジェンダーのなかでも「MTF」と呼ばれる人々についての理論である。通常、MTFの人々は「身体的には男性として生まれてきたが、ジェンダーアイデンティティ性自認)は女性である人々」として理解されることが多い。しかし、ベイリージェンダーアイデンティティという概念疑問視して、その代わりに性的指向に基づいてMTF定義しようとした。

そして、性科学者レイブランチャードの理論依拠しながら、MTFは「異性愛男性性的対象としており、彼らと恋愛セックスするために性転換を望む人」(トランスキッド)と「“女性としての自分”への愛情を抱き、自分女性になることを想像することで性的に興奮する人」(オートガイフィリア)とに区別される、とベイリーは論じたのである

ドレガーによると、『クイーンになる男』が発表された当初はトランスジェンダー当事者なかにもこの本を好意的に受け止める人が多く、MTFに関する理論についても「自分実体験に基づいている」と賛同する当事者は多数存在した。

しかし、一部の活動家が「ベイリートランスフォビアである」と喧伝し続けて、脅迫を恐れた大学メディア関係者ベイリー支援擁護しなかったこから、彼が差別主義であるというイメージが定着してしまったのだ。ドレガー自身も、実際にベイリーに会って事件について詳細に調べるまでは、彼がトランスフォビアであると思い込んでいたのである

2023-05-19

anond:20230519124041

それで生きやすくなるかどうかは自分ではなく社会の風潮次第ですよね?

生きやすくなくなったらまたアイデンティティ変えるんですか?

2023-05-18

ヨルシカコンポーザー:ナブナが紡ぐ歌詞マジで良い

俺はヨルシカコンポーザーであるブナが大好きで、中でも特にその歌詞が好きだ。特にボカロ時代歌詞が好きだ。なので、俺が良いと思った歌詞ランキング形式で紹介する。

ヨルシカコンポーザー:ナブナについて

ヨルシカボーカルのsuisとコンポーザーはn-buna:ナブナ構成されており、もともとナブナボカロPだった。Pだった頃から”ウミユリ海底譚”や”夜明けと蛍”などの曲で人気を博していた。ヨルシカ代表曲は”僕は音楽をやめた”や”花に亡霊”。

第5位

背景、夏に溺れる(2013/8/20発表)

夏の終わりを歌った曲だ。歌詞は情景描写に終始していて、極めて抽象であるのにも関わらずびっくりするほど切ない気持ちにさせる。歌詞に時折現れる「君」との……これは何だろう? 別れではない、まるで夏の間だけ現れる神秘的な何かとの出会いと別れ? かな? 

こんな風に、よくわからないのになんかよくわかりそうで、聞き手想像余地を多分に与えている点がこの歌詞のよいところ。

“君の声が響く 夏の隅を

街に泳ぐさかなのように”

一番のサビの締めくくりの歌詞だ。この歌詞センスヤバい

君の声が響く 夏の隅を

の”隅を”のワードチョイスがすごい。通常”夏の”に続く言葉ではない。

“街に泳ぐさかなのように”の”街「に」”の”に”がすごい。普通なら”街「を」泳ぐ”としてしまいそうなところを”に”にしている。ほんとすごい。ほんと良い。

原曲と、俺が一番いいと思う歌ってみたリンク(りぶが歌ったやつ)を掲載しておく

原曲

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21638600

りぶが歌ったやつ↓

https://www.nicovideo.jp/watch/sm24409321

第4位

始発とカフカ(2015/8/31)

 カフカの「変身」をモチーフにしたリズミカルな曲だ。しかしその陽気な曲調と歌詞のどことなく闇を感じる歌詞が独特の魅力を生んでいる。

“伝えたい事しかないのに何も声が出なくてごめんね”

“見返すには歩くしかないのに上手く足が出なくてごめんね”

これは毒虫になってしまった歌詞主人公言葉であるのは間違いない。とりあえずこの歌詞はなんかいい。すごくいい。

興味深いのは”見返すには歩くしかないのに”の”見返すには”という部分だ。ここに歌詞の中の主人公、あるいはナブナ自身の何かに対するコンプレックスや、攻撃的な意思の顕れを見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=j-cQ97A0OPM

第3位

メリュー(2015/5/12)

リズムの感じはウミユリ海底譚と似ているような気がする。なんか良いんだよな……(語彙力の消失)。この曲の歌詞マジでいい。

灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ

もう声も出ないそれは僕じゃどうしようもなかったのだ”

心臓が痛いから死んだふりの毎日を見なよ

もういっそ死のうと思えたなら僕はこうじゃなかったのだ”

“どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか

俺のお気に入りはこの中の”どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか”という歌詞だ。生きるのも死ぬのも嫌だった高校時代めっちゃ共感したのを覚えている。

https://www.youtube.com/watch?v=Jak2qiq_jJo

第2位

ウミユリ海底譚(2014/2/24 発表)

独特なテンポが特徴的な、900万回再生された大ヒット曲である

この曲は……アイデンティティ確立ができていない、モラトリアム期間にある少年少女が抱く不安の歌と考えればいいのか? わからん

サビで繰り返される”僕の歌を笑わないで”という歌詞がナブナ自身の思いだと推察するのは妥当だと思われるが、初音ミクが歌っているのに胸に迫るような感じがするからすごい。

“僕を殺しちゃった 期待の言葉とか

聞こえないように笑ってんの”

Cメロにあるこの歌詞を初めて聞いた時、やば!!!! と思った。人をほめたり期待したりすることも罵倒否定と同じように、その人を縛り付ける呪いになってしまう……みたいな。そういう感じ、な気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=7JANm3jOb2k

第1位

ラプンツェル(2016/7/6)

つい最近、偶然町田ちまというvtuberが歌った「ラプンツェル」がランダム再生で流れてきて、歌詞ものすごくいい、誰が書いた歌だろう? と思ったらナブナだった。ガチビビった。

以下この曲のネタバレを含む。

この曲は童話ラプンツェルモチーフとしており、そのテーマ性はラプンツェル物語を知っていればそれほど難解ではない。すなわち、叶わない、あるいは叶ってはならない恋の歌……であると思われる。一見童話世界の歌だと思わせておきながら、Cメロ

“空いた灰皿やビールの缶が示した心象風景は”

という歌詞差しまれる。これによって舞台現代であることが明らかになり、一気に物語が具体的な様相を呈してくるのはこの歌詞の興味深いところだ。

さて、第一位にふさわしい、俺が最も好きな歌詞は二番のサビにある。

“僕の目に君が見えないなら

何が罰になるのだろう”

この歌詞を聞いた時、戦慄した。こんな日本語があっていいのか? 夏目漱石I love youを「月が綺麗ですね」とか訳したらしいが、もうそんなの比にならないレベル天才的な表現だ。この言葉意味を俺自身説明するのはあまりにも無粋なので、ここでは控えておく。

短歌でやり取りして恋情を婉曲に表現しまくってた平安時代貴族でも卒倒するくらい良い言葉だ。主人公の痛ましい想いがこれでもかというほど伝わってくる。

原曲

https://www.youtube.com/watch?v=1okLHuZUftU

町田ちまver

https://www.youtube.com/watch?v=XlUhsBX2bLY

anond:20230518082550

多分これやっちゃうとツカミのないありきたりな漫画になったんだろうけど

おじさんにはこっちの方がいいわ

最初インパクトドーン要らないし、今も転生設定要る?って思ってる

どうせ結局「推し」に戻るのだろうしね 主人公アイデンティティ的には母親ではないか

まあ途中で展開が読まれるぐらいなら最初から出した方がいいっていう判断なのかもだけど

2023-05-17

anond:20230515213800

なんかAI叩いてるやつってサブ垢でfanboxやってるやつが何人もいたし、著作権侵害に焦点あてると二次創作にも迷惑かかるだろ...って思ってた

正直エコーチェンバーによる過激化がすごい

アイデンティティ形成イラストを描ける能力依存してるからなんだろうな

創作者は「創作しないクリエイター」によって潰される

生成AI現在社会システム考慮していない技術なのでいろいろと議論すべき点はある。

あるんだが…こと創作活動に関しては気がかりな点などほぼないと思える。

というのも知られている通り生成AIは平均点を出す天才であり、雑に仕事を投げてもありふれたクオリティ仕事しかしないからだ。

生成AI創作的な絵を描こうと思ったら「こういう効果をここで使って、ここではこういう風にして…」と異常に細かい注文をしなくてはならず、要は扱う側が創作性を注入するという工程必須なのである

逆に言えば創作活動の最も本質的工程は相変わらず人間がやる必要があり、人間から創作活動を奪ったりはしていないと言えるのである

とはいえ創作性の注入されていない絵をもって絵師として活動する、「創作しないクリエイター」が大量に現れたのは事実である

翻って、今議論が白熱しているイラスト界隈はこれまでどういう文化を築いてきたか

イラスト界隈を語る上で外せないのは、圧倒的な著作権軽視の風潮がその土壌にあるということである

これは大衆文化はどこでもそうなるのでイラストだけ極端に治安が悪いということでもないのだが、とにかく著作権を何とも思っていない。

二次創作者だけでなく消費者一次創作者までもが(少なくとも表向きは)著作権を軽視していることが重要で、そういう土壌の中では己の創作性クリエイターとしてのアイデンティティと向き合う必要性がかなり低い。

だって他人の作り出したキャラクター関係性を借用して焼き直すだけで周囲から認められるのだから

こうしてイラスト界隈には絵は描けるが創作という観点ではほぼ何もしてない、「創作しないクリエイター」があふれる事態になっていた。

さて、こういう背景で成立している界隈にAI絵師が現れてしまった。

創作しないなりに絵が描けることに特権意識を持っていた絵師連中はアレルギーを起こし、あの手この手理屈をこねまわして反AI活動をやりはじめた。

ところが、トップ層のクリエイターたちはAI推進を肯定したり、利用法模索する動きを見せる。

AI絵師は当然彼らにも反発する。なぜ推進するんだ。創作の場が奪われてもいいのか。クリエイター文化を失っていいのか。

なぜ推進するかと言えば、最初に述べた通りで、AIを使おうがその創作的本質利用者が握っているかである

トップ層は己の創作性と向き合ってきたから、創作AIに実のところ大した関係がないことをよくわかっている。

しか二次創作文化ぬくぬくと育ってきた絵師は違う。創作と向き合っていないので、上っ面の表現にこそ創作上の価値があると勘違いしている。

からAIが現れるとすべてが失われたような気分になる。実際は創作と呼べるような活動ほとんどしていないために、初めから何もなかっただけである

まり、もともとが「創作しないクリエイター」によって荒らされていた界隈に、またドカッと創作しないクリエイターが流れ込んできたにすぎないのだ。

なのにもともといた方の創作しないクリエイターこと反AI絵師は、AIを叩きつぶし、AIを推進したトップ絵師たちをも叩き潰さんとする勢いである。

創作者たちは「創作しないクリエイター」によって潰されるのだ。

2023-05-16

anond:20230516011606

トランス批判欧米由来やで

https://www.theguardian.com/commentisfree/2020/sep/30/feminists-anti-trans-idea-sex-gender-oppression

>私を含むジェンダークリティカルフェミニストたちが、身体重要視しているからです。もちろん、LGBTQの活動家以上に、私たちはすべてにおいて同意しているわけではありません。しかし、大まかに言えば、女性人生男性との身体的な違いや、そこから派生する文化的意味によって形作られているというのが、私たち分析です。例えば、女性家事介護労働搾取は、生殖における女性役割と関連しています正当化されるわけではありませんが)。女性解剖学構造は、レイプによる妊娠など、性的暴力に対して特定方法私たち脆弱にする。乳房女性にとって最も一般的な癌の発生部位です。

私たちは、性的差異人間経験重要な側面であることを理解し、それを認識する平等の形を求めます私たちは、ジェンダーアイデンティティ男性または女性であるという感覚)という、より新しい概念代用として受け入れることはしません。そして、バトラー派のフェミニストたちが提唱するように、「性」を捨てて、より包括的用語に切り替えるという考えは甘いと考えています。なぜなら、もし「セックス」が語られなくなり、考えられなくなったら、欧米諸国だけでなく、世界中セックスに基づく抑圧をどのように認識し、取り組むことができるのでしょうか。

2023-05-15

anond:20230513070043

おいよせ本柿も偽柿も「比率」にアイデンティティがあるんだよ。それをいじったら、柿ピー主権侵害だぞ

やっぱ言論バトルはナワバリバトルじゃん

anond:20230504195706

そういうあなたは性欲ひけらかしオタクどころか痴漢ではないか——『Whataboutism』

って言ってるけど、これ自体がWhataboutismじゃん。

「それを言うなら注目ブコメ詭弁術使ってるよね?」ってまさにそうじゃん。

anond:20230504212106

フェミニスト v.s. オタク戦争でも見られたけど、オタクってなぜか性欲を表に出したがるんだよな。」

こっちでは「オタク=性欲ひけらかす無恥者」は当たり前の前提のように言っている。

そりゃそうだろうな。

フェミニストにとっては「オタク男性醜悪で残虐な女性蔑視を向けられ、無辜である全女性たちの尊厳を著しく踏みにじられている」

研究者気質のシン・オタクにとっては「高尚で重厚作品社会への厳しい問いを向ける作品は消え去り、下劣品性のない女性蔑視作品があふれかえり、オタクが昔のヤンキーのように女性を踏みにじっている」

ような状態なんだろう。

自らの尊厳、拠り所、自らを構成する根幹、アイデンティティなどなど奪われようとしているんだよ。

なにがなんでも取り戻したいよな。

こうなったら、とにかく勝つしかない。

「たくさんナワバリを確保しろ!」

誤謬スペシャルウェポンだ。

「今今今!!!ここ!!Whataboutism!!!

「敵三枚落ち!塗れ塗れ塗れ!!!


さあさあ、フェスを開催しているよ。

しか24時間365日開催だ。


今回のテーマは…


右翼左翼、どっちがいい?」


勝ったらスーパーサザエが多めにもらえる?

いやいやそんなぬるい商品じゃない。

「自らの理想社会を築き上げることができる」

これが商品

負けたやつに口を出す資格はない。

勝者様のいうことを黙って聞いていろ。


さあ、君も自らを勝ち取るためのこのフェスに参加しなイカ

子育てに対する雑感

30代、3歳娘がいる。近いうちに次女が産まれる予定。

子どもがいて幸せなこと。まず子どもがとても愛してくれる。産む前は、親が子に愛情を注ぐものだと思っていた。もちろんそうなんだけど、与えてる愛情より受け取る愛情の方が大きいんじゃないかと思う。子どもは親が好きだ。生きるためにそうなってるんだろう。「ママ大好き」「一緒に遊ぼうよ」「抱っこして」と甘えられる。かわいい。愛されてるなと感じる。そして、私もこんな風に親のことが好きだったのかな、とか親も私から愛されてる実感があったのかな、とか思ったりする。

子どもがいなかったら知らなかったであろうことをたくさん知る。

これはまぁ子の発達段階、世の中の仕組み、プリキュアことなど様々であるプリキュアとかディズニーとか何の興味もなかったため子どもと一緒に見て学習しているところ。今も興味が沸いてるわけではないが、こういうのが好きなんだな〜へーと思って見ている。

大変なこと。

時間がない。子ども対応する時間が増えるわけだから当然他の全てにおいて出産前と同じ時間をかけることはできない。睡眠家事仕事趣味。予定立ててもそれ通りにいかないことも多々ある。消化不良でストレスたまる最初は。次第にあきらめる。子どもが生きてりゃなんでもいいかぁと思う。そういう経験があるから子どもがいる人は他人そして自分に対する「諦め」が早いと思う。あくま主観だけど。

気をつけていること。

夫婦仲良くいること。これ一番大事だと思ってる。私の両親は不仲で、私が学生時代は会話は私通してしかしてなかった。離婚しないのは自分いるからで、両親を不幸にしているのは私だと思っていた。母が父の悪口を言っていたので父が嫌いだった。結局今も離婚せず悪態つきながら2人でやってるので今となってはそんな思い悩むことなかったよなと感じるが、思春期アイデンティティ形成にはかなり影響あったと思う。

なので、夫婦仲良く、夫の愚痴子どもには言わない。いないところでたくさん褒める、を、心がけている。実際そんな不満もない。

また子どもが増えると幸せなことも大変なこともあるだろうけど、楽しみだな。

追記

日生まれたよ!疲れたー!かわいい

2023-05-14

ジュディス・バトラーについてChatGPT先生に聞いてみたよ

Q:ジュディス・バトラーの主張と批判について教えてください。

A:ジュディス・バトラー (Judith Butler) は、ジェンダーアイデンティティ権力問題に焦点を当てた哲学者ジェンダー理論である彼女の主な主張は、ジェンダーは固定的で自然カテゴリーではなく、むしろ私たちの日々の行動や相互作用を通じて継続的生産され強化される社会的構成であるという考えに基づいている。彼女クィア理論の発展に影響力を持ち、フェミニズム、異規範性、伝統的なジェンダー概念に対する批判を行ってきた。

バトラーの主な主張の1つは、ジェンダー遂行的であり、それは単に生得的または既存アイデンティティ表現する問題ではなく、むしろ私たちが行動や行動を通じて創造し、実行するものであるということである彼女は、ジェンダー私たちが学び、内面化する文化的スクリプトであり、私たち日常的な他者との交流を通じて常に再生産されていると主張している。つまりジェンダー私たちから独立して存在するものではなく、私たち積極的に生み出し、参加しているものであるということです。

バトラー研究のもう一つの重要な側面は、本質主義に対する彼女批判である本質主義とは、特定の特徴や性質個人集団に固有のものであり、これらの特徴がそのアイデンティティ定義するという信念であるバトラーは、本質主義は抑圧の一形態であると主張する。それは、アイデンティティには固定的で自然カテゴリーがあり、それが差別排除につながる可能性があるという考えを強化するからである。代わりに彼女は、複数の変化する表現形式可能にする、より流動的で柔軟なアイデンティティ概念提唱している。

ジュディス・バトラーに対する最も一般的批判の1つは、あまり抽象的で理論的であり、彼女アイデア現実世界でどのように実践できるかが必ずしも明確ではないということである批判者は、ジェンダーパフォーマンス的な性質アイデンティティ流動性に焦点を当てることは、具体的な政治的または社会的行動に変換することは困難であり、彼女仕事は不平等と抑圧の問題対処するための明確な戦略提供していないと主張している。

バトラー研究に向けられたもう一つの批判は、個人アイデンティティ主体性に焦点を当てすぎており、より大きな社会的制度構造私たち経験を形作る方法を十分に説明していないということである。一部の批評家は、彼女成果主義ジェンダー社会的構築を強調していることは、家父長制、資本主義人種差別のような制度システムを通じて権力機能する方法に十分に対応していないと主張している。

最後に、フェミニスト学者活動家の中には、生物学的な性と女性経験重要性を損なうとしてバトラー批判する者もいる。彼らは、ジェンダー流動性アイデンティティ社会的構築を強調することで、バトラー女性身体物質的な現実と、性に基づいて歴史的に抑圧されてきた方法を消し去ると主張している。

ChatGPT先生トランスジェンダリズムについて聞いてみた

Q:トランスジェンダリズムに対する主な批判について教えてください。

A:トランスジェンダーは、生まれた時に割り当てられた性別とは異なる性別と同一視することであり、論争や議論の的となってきた。トランスジェンダーに対する主な批判には次のようなものがある。

ジェンダー本質主義:トランスジェンダーは、ジェンダー社会的構成体ではなく、固定された固有の特性であるという考えを強化すると主張する批評家もいる。彼らは、これがジェンダー本質主義を強化し、ジェンダー固定観念を強化すると考えている。

医学化:トランスジェンダーアイデンティティ医学化は、トランスジェンダー個人病理化し、烙印を押すと主張する批評家もいる。彼らは、トランスジェンダーアイデンティティ精神障害と見なされるべきではなく、そのように扱われるべきではないと考えている。

安全上の懸念:トランスジェンダー権利は、特に公衆トイレロッカールームにおいて、シスジェンダーの人々の安全を損なう可能性があると主張する批評家もいる。トランスジェンダー個人自分の性同一性に合った施設を利用することを認めると、性的暴行嫌がらせを受ける可能性があると主張している。

イデオロギー的な懸念:トランスジェンダーイデオロギーは、特に子供若者に関して、社会有害であると主張する批評家もいる。トランスジェンダー活動は、若者ホルモン療法や手術などの健康に悪影響を及ぼす可能性のある医療処置を受けることを奨励していると彼らは考えている。

2023-05-11

アメリカ国籍を取ったボーア人ベルベル人は、人権活動家からアフリカ系アメリカ人と認めてもらえるのだろうか

それとも、当事者アイデンティティ関係なく生まれつきの肌の色で自動的ヨーロッパ指定を受けるのだろうか

単なるアイデンティティの話ならまだしも、大学受験の点数にも関わってくる重要問題

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