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2020-05-24

暗記数学絶対に間違っている

はじめに

自分は、「一般的に、暗記数学に賛成している人」とされている、

の中の一人だが、そのはしくれとして、「暗記数学が正しい」という妄言を徹底的に批判する。

自分が暗記数学を間違いだと考えるようになった理由

自分浪人生向けの大学受験塾でアルバイトをしていた。

その塾では基本的に生徒に自習させ、分からないことがあったら講師自分)に質問する、というスタイルを取っていた。

基本的自習だが、毎日チェックテスト(基礎的な数学問題が数題出題される)のみ、全員に共通したノルマだった。

講師初日、全員にチェックテストやらせていたが、一人(A君とする)だけなぜかやらなかった。

話を聞いてみると、「基礎の練習など無意味自分もっと応用問題の解答を暗記する」という強い信念を持っていて、基礎はやらない、とのこと。

生意気言うな。基礎もできない人間に応用問題なんてできるわけないだろ」と何度も注意したが、

なんでも和田秀樹の本を読んで感動したらしく、忠告拒否され、毎日せっせと解答の丸暗記をしていた。

結局浪人期間の一年間で一番A君と仲良くなった(自分説明が分かり易いので気に入ったらしい)が、

彼の解答の丸暗記法では、全く同じ問題だと解けるのだが少しでも違う問題だと全く太刀打ちできなかった。

彼が熱っぽく如何に和田秀樹理論が素晴らしいかを語るを聞き、

問題が解けるようになってから言えよ。とはいえいたいけな受験生をここまで変な考えにさせるなんて和田秀樹ってやつはトンデモねー極悪人だな。」

しか思えなかった。

結局彼は成績が上がらず、目標としていた難関大学ぶっちゃけ慶応)よりも相当偏差値の低い大学に行った。

最後に彼は「やっぱり基礎は大事なんですね」と反省していたが、彼の貴重な一年を棒に振った暗記数学はもう極悪だとしか思えなかった。

以上が、私が和田秀樹提唱する暗記数学絶対に間違っていると判断するに到った根拠である

A君は暗記数学を誤解していたのでは?

とは言え、暗記数学氏の

論理ギャップや式変形の意味等の不明点は曖昧なままにせず、人に聞いたり調べたりして、完全に理解すべきである

との主張は至極最もだし、暗記数学氏の提唱している勉強法は「暗記数学」というタイトルを除けば極めて全うだろう。

また、私もA君からの又聞きによってしか和田秀樹理論を知らないので、

「A君のやっていた『解答を丸暗記する』法は本当の暗記数学ではない。本当の暗記数学理解して暗記するものだ」

との反論はあるかもしれない。

詳しくは知らないが、自分の読んだことのある和田秀樹エピソードは、

和田秀樹大学時代に灘の高校生(B君とする)の家庭教師をしていた。B君は灘というプライドがあったため、和田秀樹が何度も

「解答を覚えろ」と忠告したのにも関わらず、いきなり難問を自力で解くという勉強法を繰り返し、成績が上がらず、大学受験で撃沈した

というものである。これは暗記数学氏の言う「何かをこじらせて勉強法無駄な拘りを持っている人たち」に対応するものだろう。

かに数学は暗記だ」という言葉は、B君みたいな灘に入ったからと言って勘違いしてしまった一般人(灘にいる本当の天才はそんな勉強法でも大学受験レベル数学くらい解くだろう)には有効言葉かもしれない。

しかし、である

A君みたいに解法を暗記するだけ暗記して全く応用の聞かない馬鹿を産み出したのは確実に和田秀樹のせいである。

そして、日本の「数学が出来ない高校生」のうち、A君タイプ(解法の暗記はするけど理解が追い付いていなく、暗記した問題から少し変えると答えられない)が99%で、

B君タイプ自分天才だと勘違いした凡人)は1%にも満たないだろう。

そのような状況で、B君タイプを減らすことを目的として、A君タイプを量産することになる

数学は暗記だ!」という言葉に何の意味があるのだろう。

仮にA君の暗記数学理解が不十分だったとしても、暗記数学という言葉有害無益である

じゃあどう言えばいいんだよ?

暗記数学氏の主張が

平方完成のロジックを暗記せずに二次関数問題を解こうとするな

という主張なら、それは100%正しい。オイラーガウスでもない一般人が平方完成も知らずに

二次方程式が解けるはずがない(というかオイラーガウスも平方完成は暗記しただろう)。

しかし、オイラーガウスが行ったことを「暗記数学」とは言わない。

暗記数学氏の想定している「アンチ暗記数学派」の主張は「数学の体系をゼロから始めて全て車輪の再発明をしよう」

という荒唐無稽な主張であるため、このような主張のアンチテーゼである「暗記数学

という言葉には何の意味もない。

よって、暗記数学氏の言う暗記数学は「数学」という名前で呼べばよいのではないだろうか。

https://anond.hatelabo.jp/20200521175803

2020-05-23

anond:20200523211021

阪神淡路大震災が起こる数年前から関西大地震が起こる可能性がある」とある学者が警告していた、って話を聞いた事がある。

だけど荒唐無稽に感じたのか「そんなのあるわけない」みたいな感じで誰も気にしてなかったと。

それを思えば自分で出来る最低限の対応を、いやせめて命だけでもってなると思うんだけど。

何故か最後最後で「きっと誰かが・この国のお偉いさんが助けてくれる・何かしてくれるから別にいいよね」って自分自身を放棄してしまう。

そんな暇や余裕がある訳ないのにね。

2020-05-19

AI社員マネジメントすべき

企業内に「管理職」や「平社員」などの役割存在しているにも関わらず、なぜか管理職管理ではなく部下と同じ作業をして

並行してマネジメントをやっている。こうした業務形態を「プレイングマネージャー」という肩書でまとめているのもあるが、そんなのはクソなんじゃないかと思っている。

企業における仕事のさまざまなタスク100m走だったとしたら、当然体力のある人が100m走を続けることができる。

管理職が100mを走りながら、隣で走る社員の姿を見て手足の動かし方や体力維持の仕方を教える想像を考えてみてほしい。

まず管理職だって100mを走りきらなければならないのに、隣で走る奴らにアドバイスなんてできるわけがないだろ。

「そんなのは朝飯前だ」という奴もいるかもしれないが、そういうのは当然体力や筋力が備わっているごく限られた「アスリート」だ。

企業内にどれくらいアスリートがいるだろうか。そしてそれは管理職の数とイコールになっているだろうか?)

からこれからAI、いやAIでなくてもいい。とにかく人間ではなく機械マネジメントをさせることを考えるべきだ。

そして機械マネジメントをさせるために必要なことは何かを考えながら、今までの働き方を変えていく。

・紙文書のやり取りでは機械作業時間を記録できない。だから文書を辞めて機械で記録するようにする

電話のやり取りでは通話時間を記録できない。だから電話をやめてチャット会議システムにする

承認フローが5つあったとして、それが全て物理印鑑だった場合、全承認にかかった日数が分かっても、それぞれの承認フローでどれくらい時間がかかったのかは分からない

から電子印鑑に切り替えて各承認フローでどれくらい時間がかかったのかを記録する

こうした取り組みによってAI機械マネジメントをさせるという目標が達成できなかったとしても

管理職や平社員100m走をするパフォーマンスを上げることができるんじゃないかと思う。

からその最初の一歩としてタイトルのような荒唐無稽なことを言う人が必要になるじゃないだろうか。

2020-05-09

平田オリザ発言演劇界の闇を垣間見る

平田オリザ氏の発言が絶賛炎上中だ

演劇界の窮状はわかるが下手な比喩で別の業界に例えようとして滑ってるだけと言えばそうなのだが、下手な比喩比喩なりに発言者の考えを読み解く鍵になりえるもの

  

さらに、照明、音響スタッフなどフリーランスの方たちの収入が極端に減っており、ここが一番、たいへんになっています

世界中に、漫画を読むと感染するウイルスが発生したと思ってください。漫画家さんは過去印税でしばらくはしのげるかもしれませんが、アシスタントさんは全員、解雇ですよね。」

  

とのことであるが、荒唐無稽な前提から漫画業界への例えは確かにアクロバット何言ってんだこいつというのが第一印象

ではこの発言から読み取れることは何であろうか

  

まず、漫画家は貯えがあるがアシスタントにはないことを当然のこととして語っているということだ

漫画家もアシスタント漫画が描けない状況になればどちらも収入は著しく減少することだろう

その状況でも漫画家には貯えがあるからしばらくしのげるが、アシスタントはそうではない、と対比されているのだから

アシスタントには貯えがないからしのげない、と平田氏は言っているのだと解釈すべきだろう

  

実際の漫画業界がどういう収益配分になっているかは俺にもわからない

漫画家のアシスタントとは下積みでギリギリ生活できるだけの食い扶持をもらって貯蓄する余裕がないものなのかもしれないし、そうでないかもしれない

極端なことを言えば実際のところはどうでもいい、問題になるのは平田氏にとってこの例えが演劇界比喩足りえるものだという点だ

  

この漫画業界への例えを演劇業界に再投影してみよう

漫画家に相当するのは監督演出家、主演俳優といったところだろうか

アシスタントはまさしく音響や照明だろう

すると演劇業界においては「監督演出家、主演俳優過去の貯えでしのげるが、音響や照明は貯えがないのでしのげない」ということだろうか

  

しか演劇関係は下積み時代稽古の合間に複数バイトの掛け持ちで苦労するなんて話はよく耳にするしお金にはならないものなのだろう

音響や照明の裏方にしても十分な給料が支払われているかと言えばそうではないのだろう

一方で売れっ子にさえなれば一攫千金というのが芸能というものなのだろう

  

実際の演劇業界収益配分も俺にはわからない、しかしこれに近い状況がなければあの比喩は出てこないのではないか

もしそうだとすればそれは演劇業界構造上の問題

一部の上位者収益の大部分をかすめ取り、大半の下位の者は食うや食わずでやり繰りするというのは様々な業界にありうるものだろう

しかしその構造上の問題放置しておきながら上位者たるものが「うちの業界の下っ端が困っているから援助してくれ」はいささか都合がよすぎるのじゃないかという気もするのである

2020-04-27

現実に耐えられない風俗おじさん

風俗おじさんはどうも

風俗業は楽して稼げてしか安全な素晴らしい職業であり、風俗で働くほとんどの女性は望んで風俗嬢になった

という荒唐無稽ストーリーを強く信じているようだ。

風俗おじさんは自分相手をしてくれている女の子お金のために嫌々自分に抱かれている現実に耐えられない。事実事実として自覚すると認知的不協和が発生してしまうから、それを解消するために「この女の子も含め、世の中の風俗嬢はみんな、心の底から望んで風俗嬢になったのだ。だからこの僕との行為も楽しんでくれているのだ」ってストーリーにすがるしかないんだよね。

追記

話題になってる岡村氏は逆に「風俗はキツい仕事であって、望んで働いている女性は少ない」ことを自覚していると思う。「コロナ不況になって経済的に困窮する女性が増えれば、コロナがなければ風俗で働くつもりのなかった美人風俗で働くようになるので、それが楽しみですね」と言ったわけだから

なお当方風俗いかないおじさんです。図星突かれた風俗おじさんが秒で現れて女認定して叩いてきてちょっと笑ってしまった。そういうとこやぞ。

2020-04-16

さようならメンヘラ女子

担当していたクライエントが、明らかにメンヘラ女で

とにかく最初からすごい苦戦した。  

 

毎日鬼のようLINEが来て、私のことをわかってかまってアピールがすごくて

これはまとも取り合ったら私がつぶれると思ったので、なるべくクレームにならない範囲

ビジネスライクに付き合ってきたけども、だんだん向こうの不満が溜まってきたようで

いきなりクレームが来てブチ切れた。 

 

自分から今日は体調が悪いだの今日生理だって聞きたくもないことを

開示してきたくせに、それに対してコメントしていると

「私は本気でやってるのに優しすぎます」って怒られて

あげく、「体調管理ぐらい自分でやりますから」ってクレームになった。 

 

それに対して、感情できるだけ殺して、冷静にこちらのスタンスを伝えると

「こんなにもあなたと心が通じないと思いませんでした。

少しでも良い人間関係を作る頑張ってきたのに、その時間があるなら

勉強時間にあてれば良かったと思います

私は散々傷つきましたし、一晩中泣きました。

解約も検討しています。」

 

 

そのメールに、返事は不要と書いてあったので放置していたけど

いつまでたっても解約しないので、解約、解約詐欺だなと思いました。

いわゆる瀬戸際外交

ギリギリカード出してこっちが泣きつくのを待っている。 

 

もちろんそんなのに振り回されるほど暇じゃないので、クレームがあった時点で

会社にも伝えているし、返事は不要と書いてあったので完全無視

さっさと解約してくれればいいのに。 

 

そもそも目標設定から荒唐無稽だったし、どんな奇跡を望んでんのよ

と思ったし、本気でがんばりますって言う割には全然できてないし。

とにかく疲れた

 

相談した人に、もう相手しなくてもいいと言われて、やっとほっとした。

私は細く長く仕事を続けたいので、熱血コーチになるつもりはないんです。

そもそも目的が間違ってるこの人に必要以上のサービス提供するつもりはありません。

カウンセラーじゃないんだけど。  

 

お金払うと言う事聞いてもらえると思ったら間違いなんだよ。

払ってもらった分の仕事をさせていただきました。

これ以上引き取り下さいませ。 

 

しかし、いわゆるメンヘラと言う人に初めて出会たかも知れない。

噂には聞いてたけど、これまでクライアントに恵まれたんだろうなって思ったし、

相手に尽くしすぎずに、一線を引くと言う自分のやり方が間違いじゃないんだって

よくわかった。

今までもめんどくさいクライエントはたくさんいたけど、

ここまでひどいのは初めて。

そして、運悪くこういうクライエントに当たった同僚が、何にも心を

折ってしまってるのもたくさん見てきた。

真面目で熱心な人ほど、途中で消えていく世界。 

 

私は優しくなくて、ジコチューで冷たいので、だからうまいこと

細く長く続けて来れたんだと思う。

私のようなコーチは物足りないって言われるかもしれないけれども、

それでもうまくはまった人は、大きな成果だしてくれるから、そんな時すごいやりがい感じる。 

 

なんだかんだ言って、最終的に結果を出してきたってのは大きい。

いくら尽くしたって通じない人がたくさんいるから。

プロに徹して、ビジネスとして、+ αのボランティア精神で、

これからもこの仕事続けていこうと思う。

 

 

とりあえず、

二度と私の視界に入ってくるな、このメンヘラ女!

2020-04-10

もってけ!セーラーふくに感動した

俺はもってけ!セーラーふくが聴けない。イントロはまあなんとかいけるが「いーかげんにシナサイ」でダメになる。恥ずかしいのだ。なんというか2007年の"萌え"がガッっと懐に飛び掛かってくる。俺の心はまだそれを受け止められない。電波曲は嫌いじゃないしむしろ好きなんだが、どうしてももってけ!セーラーふくという電波曲の金字塔を前にすると照れが生まれしまう。

で、

なぜ俺がもってけ!セーラーふくに感動したかというと、月ノ美兎がこの曲の歌詞うろ覚えで紙に書いたものツイッターにあげていたのをふと思い出して、さっき歌詞検索してみたからだ。

すごいね畑亜貴天才と言われている所以再確認した。他の畑亜貴作詞の曲も聞くけど、ちょっとこの曲は段違いだ。

一番すごいと思ったのは多分Cメロにあたるところの「うんだかだーうんだかだーうにゃうにゃはれってほれってひれんひらー」だ。

それまでに散々荒唐無稽な、いや実際には女子高生の"萌え"を表した言葉を紡いできているんだけど、ぱっと見何が何だか歌詞を書いていきながら、この「うんだかだーうんだかだーうにゃうにゃはれってほれってひれんひらー」であぁこの曲は、この歌詞はもうすぐ終わるんだなということがわかる。いやそれまでの英語歌詞あっての「うんだかだー」ではあるんだけど。

畑亜貴はすごい。

俺がもってけ!セーラーふくが聴けるようになるまで、もう少しかもしれない。

2020-03-23

anond:20200323153624

「375度」

書き間違いじゃないんだろうなぁ

この手の荒唐無稽自己紹介ばっかりして面白がってる人はもう平成令和の社会に割り込んでこられても手がつけられない

2020-02-19

[]残響のテロルいまいち面白くなかった理由を考える

監督は、ナベシンじゃない方ナベシンビバップ好きとしては当然、おシャンティ作品になるだろうと期待(チャンプルーだのダンディだのの他作品は見てない。ごめん)

音楽菅野よう子ぼく地球の頃から好き。パクリ疑惑?知ったことかバカタレ!

テーマテロテロリストが主人公アニメはだいたい好き。ガンダムWコードギアス閃光のハサウェイ(公開前)……デスノなんかも広い意味では含まれるかな。自分の手を汚してでも世界を変える、正義とか悪とかじゃないんだ、みたいなそんな感じのヒリヒリしたアレだ。

舞台現代東京。どちらかといえば異世界未来よりも現実(に近い)世界現代の方が好きだし、一話から実在建造物である都庁の爆破(9.11を思わせる)をリアルに描いていて掴みはばっちり。

これはどう見ても面白くなるだろう!……と思って最後まで見たのだが。

最終的な感想は、まあ、うん、絵はキレイだし、よく出来てると思うよ?ぐらいに落ち着いてしまった。決して悪いアニメではないのだが、期待値からの落差で、かなりガッカリしたことを覚えている。

どの要素も平均点は超えているので、原因を特定するのは難しいが、自分にとって重要な点を一つだけ挙げるなら、「現代っぽさ」が足りなかったと思う。残念ながら、現代社会が抱える問題をなんとなく鋭く描いているように見えるタイプ作品には、「残響のテロル」はなっていなかった。

主人公であるテロリストたちは、かつて「アテネ計画」という人体実験被験者であり、この計画物語の中心となる。「アテネ計画」は右派政治家による愛国的な動機によって行われたもので、そこに現実現代日本と接続するものがなくもないが、基本的には空想産物だ。

単純にそうした設定面での非現実性が「テロル」を、「現代っぽさ」から遠ざけているのかというと、そんなこともない。「現代っぽさ」は、あくまで「っぽさ」であり、それらしく感じられることこそが重要だ。どれだけ現実社会リアルに反映しても、それだけで「っぽく」なるわけではない。

実際、上でも挙げたギアスデスノは、「テロル」よりはるか荒唐無稽な設定を持つが、自分は「現代っぽさ」をかなり強く感じたし、ヒットの理由として近い話が挙げられることも多い。テロリストテーマではないが、ガッチャマンクラウズなんかもそうだろう。

残響のテロルいまいち面白くなかったのは、比較リアル現代日本を舞台にしつつ、現実と地続きな手触りがあまりなかったからだが、どこをどうすれば現代っぽく感じられていたのかは正直分からない。単純に時事ネタを入れればいいというものでもないだろうし。

もともと「現代日本社会を鋭くえぐる」みたいなことは全く意図していない作品かもしれず(インタビューなどはほとんど読んでないので実際のところは知らない)、もしそうであれば俺のこういう感想は全くの言いがかりしかない。その前提で言うが、惜しい作品だったなとは思う。

2020-02-16

野口武彦鳥羽伏見の戦い』を読んで

野口武彦鳥羽伏見の戦い幕府の命運を決した四日間』(中公新書2010年)読了あとがき以外は面白いね。

あとがきの「閉ざされてしまった回路」(=あったかも知れないイフ)は興味深いが、この書名や慶喜に負わせる問題じゃない。そして一つ目の公議政体はともかく、二つ目の「天皇制ぬきの近代日本」は荒唐無稽。このような反論に著者は「こう考えることを妄想だとする向きは、話があまり大きすぎて歴史的想像力がついてゆけないかである」と予防線を張るが、それはそうじゃない。

歴史にはたくさんのイフがあり、それぞれの実現可能性にとってプラスに働く因子とマイナスに働く因子とがある。それら諸因子の大小強弱は定量的に計測できるようなものではないが、ある程度の序列はつけれられる(というよりつけなければならない)。野口さんの言ってるのは、「マイナス因子をすべて無視すれば別のイフもあり得た」というに過ぎない。

彼は慶喜よりもはるかに大きな他の因子、例えば思想史的要因を全く無視している。列強ひしめく国際社会へ出て行ったときに、来たるべき「日本人」のアイデンティティはどこに求められるのか。それは「皇国」以外にないだろう。それは鳥羽伏見のずっと以前から使われている言葉で、すでに相当な浸透力をもっていた(松陰を想起せよ)。たとえ慶喜が逃亡せず新政府首班に座る(=徳川勢力が温存される)としても、天皇権威を前面に押し出さなければ新たな公議政体での意思統一はできなかっただろう。となれば、それが天皇神格化神聖付与へ向かうのは自然な流れ。(来たるべき憲法の条文がどうなるかはともかく)

天皇制を32テーゼではなく著者のように定義するなら、慶喜が逃亡しようとしまいと、かなりそれに近い状態に達したと考えられる。

要するに「天皇制ぬきの近代日本」というイフにとって、慶喜逃亡はきわめて小さい因子に過ぎない。他にもっと強力なマイナス因子があるのに、それらを全部無視してイフを手柄顔で語られてもねえ…。

天皇制ぬきの近代日本はあり得ただろうか?」という問題提起は興味深いし意味があるが、慶喜逃亡が決定的な因子であったという主張は愚かしい。その意味で「この書名や慶喜に負わせる問題じゃない」と書いた。アルキメデス支点に立ってるように見えるのは、著者が戊辰戦争ばかり見てるだけのことじゃないの。

から、ここに至って、なんでこの著者と気が合わないのかもはっきりする。この人の本は面白いけど、同時に「面白い話を一発吹いて目立ってやろう」という助平根性も感じるんだよね。勿論この人はれっきとした学者であって、歴史作家のくせに歴史学者のふりして商売してる人種とは違う。だから猶更その根性が気になる。我々はワトソンより寧ろロザリンド・フランクリンであるべき。ワトソン剽窃者として謗りたいのでははなく、帰納的に考えることをおろそかにしてはならないということだ。

古今伝授フラクタル

中屋敷均『科学非科学読了。まぁ面白かったが前作ほどではない。というより期待が大きすぎたのか。

科学非科学も飛び越えて、この世に生きる勇気を与えてくれるのは、人の心にあるそんな「物語の力」ではないだろうか。」

物語」にも物語にも日々向き合ってるこっちにしてみれば、悪い意味で同感だ。つまり凡庸。これって「科学は万能じゃない」や「人は皆死ぬ」ほど有名ではないかもしれないが、しかしかなり多くの人がかなり多くの場合にすでに悟っている事柄問題はそこからなのだ。独力では到底到達しえなかったであろう洞察、それに出会いたくて俺は本を読んでる。本書はこれに応えるものではなかったが、この著者はこれからも追いかけていきたい。

一方で得るものもあった。カオスの縁フラクタル直感だが、これを援用すればうまく解けるのではないか。俺が「コジツケの体系」と呼ぶもの構造や生成過程が。中世日本荒唐無稽ともいえる独特で奇妙な古典解釈大系。

古今集序にせよ何にせよ、書かれた当時にあってはなんてこと無かった筈の片言隻句が、時代が下るに従って転じて転じてねじ曲がりねじ曲がり、膨大な後づけと神秘性を付与された複雑な世界形成する(思想体系と呼んでよい)。それは社会的には権威の獲得や富の集積と同時進行であるが、しかし単にそれらを得る為の手段というには留まらない(たとえ部外者にはそう見えても、当人たちはそのように割り切ってはいない)。なにか複雑化それ自体を欲するかのような、ある種の情熱がある。その体系がすっかり出来上がり、生成を止め、社会的影響力を失った後の時代からふり返れば、(その情熱には共感できないので)荒唐無稽まやかしの残骸にしか見えない。だがこれを不揃いの渦みたいなフラクタル図形と見做せばどうか?

思想史における生成発展継承克服、ある思想が成長して影響力をもちやがて失う。こういった変化の過程理解するのに、進化モデル遺伝モデル・遷移モデル(極相林とか)等があると思うが、フラクタルモデルもまた有効ではないか

特に一見して不規則複雑だが無秩序でない点、部分と全体との自己相似という点が、すごく似ているように思う。片言隻句からオウギョウな解釈が生まれ、その解釈から儀礼形式(例えば物の配置)が生まれ・・・というあたり。人や物をこのように配置してこれこれの形式で行うことで、テキストから膨らませたこれこれの世界と重なることになるのだ、という思考様式。これを自己相似と言わずなんと言う。

これを更に敷衍するなら、「歴史」や「伝統」に基づく正統性が主張/確認されるあらゆる場面にこの自己相似が顔を出す(大嘗祭を想起せよ)。ある習慣がなぜ「伝統」になるのか、あるいはなぜ「伝統」が作られるのかを考える時、適者生存がよく説明に使われる。だがそれではあまり光の当たらない側面もある。生存や利害得失だけを考えるなら、これほど複雑精緻(なのに脆弱)にする必要はない。そこには生存戦略とは別の原理も働いていると考えるべき。それを読み解くヒントがフラクタルにある。

古今伝授ウイルス

思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。

思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、

古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合本地垂迹説・卜部神道中世日本紀等々…の奇妙奇天烈世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義評価軸じたいが古今伝授支配圏内形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体ナンセンス。)

古今伝授古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い民族文化の精髄のように認識されていくそ過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたか胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的断罪とか文化価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。

本来ウイルスもつ能力自己の一部として、機能として取り込む。生物自己の維持に必要機能の一部を外部環境依存する。ポータブル外部環境としての細胞生命と非生命境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだもの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。

契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念押し付けてるだけじゃないの?とも思う。

根拠がない、合理的でない、和歌質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?

これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授擁護する側)にもその立場から反論するやつがいからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからんしかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感いかにも科学合理性に偏っている。

しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。

本書の示唆する構造は、外来文化自家薬籠中の物にする日本文化性質(漢字仏教等々)、中世の遺制としての近世身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。

本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまことなく、細胞異変があれば細胞生物独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。

文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教信者でないのか?わけがからない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか

2020-02-06

ムーンショット政策馬鹿にするけど、革新的な案ある人いるの?

目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間時間の制約から解放された社会を実現

目標2:2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現

目標3:2050年までに、AIロボット共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

目標4:2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能資源循環を実現

目標5:2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出

目標6:2050年までに、経済産業安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現

ムーンショット自体アメリカDARPAを参考にして作られているわけだが、

向こうは、米国以外の国が技術先行し米国を脅かすようなことがないようにするというのが目的だ。

とはいえDARPA投資先は米国以外も含まれている。

それまでとは動作原理が異なるもの、桁で性能が変わるものを重視している印象がある。

(既存の性能から線形な性能向上から外れるというのを重視しているように見える)


この手の性質上、現代感性からすると荒唐無稽と感じるのが出てきても不思議ではない。

もう一つ、米国を脅かすような目標を立てると潰される。中国中国製造2025を出して覇権を握ろうとしたら米国から対抗策打たれているのが現状だ。

こういう文言にするしか仕方なかったのかなとも思えるが、米国に気づかれないうちに産業力をつけられれば大成功だろう。


さて、そんなムーンショットだが、反対する中から、あまりこれは革新的だという案を見たことがない。

なろう系を見ていても、そんな革新的ものが出ているわけではない。

そういう案を出している人は日本存在しているのだろうか?


個人的には、アト秒レーザー関係、光コムあたりは日本が強く出てきそうな気はしているが。

2020-02-05

悪いと思っていたお爺ちゃんが正しくてその孫が活躍する作品

物語の冒頭あたりに頑固で偏屈なお爺ちゃんが登場し、荒唐無稽な話ばかりするので、周囲から相手にされない。

しかしやがて、物語は動き出し、お爺ちゃんが言っていたことが正しかたことが証明され、その孫が危機を救う、というようなストーリが大好きです。

具体的な作品を挙げると、

この手のストーリーでは、漫画アニメしかたことないのですが、他におすすめあったら教えてください。

2020-02-01

解釈違いがわからないオタク

前提として、解釈パラレルワールドみたいなもので、どれが存在してもおかしくないと思っている。

なので解釈が違うだけで拒否反応が起きる人を理解できない。

しかし、解釈違いを感じない人が少なくみえるのは、気にしない人は最初から書き込みしないかなのだろう。

そういう意味では、既に「解釈違いがわからない人がわからない」という解釈違いを起こしているとも取れる。

終了。

蛇足

解釈違いが起きない理由の一つに、自分解釈が常に不安定なことも影響していると思われる。

からか新しい考えを見つけると、つい引っ張られがちだ。

たとえ設定を無視してようと、荒唐無稽な展開を見せようが他人世界が知りたい。

好みの妄想で基礎だけ固めて、また人の解釈を覗きに行く。

2020-01-26

anond:20200126214616

もちろん、

給料が無くても生存できる従順スーパーマン無尽蔵に従えることができなければ経営は成り立たない」

という荒唐無稽要求を掲げてはいるが、

経営者諸氏はそれが荒唐無稽であることを十分に承知しているし、

ポーズとしてこの要求を掲げることで得られるであろう様々な副次的効果を狙っている。

2020-01-02

思い出を食べるということ

獏という生き物は人の夢を食べるという。では夢とはなんだろう。科学的にもそれは結論が出ていないそうだが、私は夢とは思い出なのだと思う。もちろん夢として発現したとき、思い出とはとても言えないような荒唐無稽な内容になることもある。でもそれでも、その夢を作ったのは私たち記憶であり、すなわち思い出なのだ。つまり獏とは、人の思い出を食べる生き物であると言える。

ではなぜ獏は思い出を食べるのだろうか?それは簡単だ。甘美だからだ。人の思い出はいつも美しい。甘いとは限らない、苦いかもしれない、酸っぱいかもしれない、しかしそれは甘美な苦みであり酸味である特に他人にとっては。一度その味を知れば、もう人は人間には戻れない。獏という化け物として生きるしかない程に。

突然だが、皆さんは男女の友情というものを信じるだろうか。意見割れる話だと思うが、私はそれは儚くも存在するものだと思っている。儚いからこそ美味しいのだ。

女を抱くときに、最も燃える要素はなんだろう。美しいことだろうか、魅力的な体をしていることだろうか。それらも勿論大事な要素だ。だが、バックグラウンドの、思い出の量が最も大きな燃料になると私は思う。長年の友人を抱いた時、困難なプロジェクトを切り抜けた職場の同僚を抱いた時、そしてその関係がただ一時の快楽に終わらず、私たち関係を蝕んでいくことを感じながら彼女たちを抱くとき、私はこの世のものとは思えない快楽を感じる。快楽を感じただけ大切な思い出を失っていることに、たまらない快楽を感じるのだ。私の心も、相手の心も思い出のあの頃から変質し、ただお互いを貪っていると感じている時のあの幸福感を、どうか皆さんにも味わって欲しい。

一つ覚えておいて頂きたいのは、思い出は有限であるということだ。いつかあなたはそれを食べ尽くしてしまうことだろう。だが、限りある思い出を意地汚くも最後の一滴まで貪るあの快楽を、どうかあなたにも。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

2019-12-15

anond:20191214061225

山田太郎の「自民の中で圧力団体になる」は初めから荒唐無稽おとぎ話なんだよなあ。オタがあっさり騙されて爆釣りされてたのはハーメルンの笛吹きよろしくレミング集団自殺見てるようだったよ、哀れ。

2019-12-02

anond:20191202093841

とはいえID論擁護するのも否定するのも一部は否定できないが荒唐無稽評価するのも、天体物理学……ではなかったな……まあなんか科学仕事だったろう。

負の性欲って言葉が厳密性を欠いたジャーゴンだってのは認めるが、進化心理学の他に適切な置場所もない。

これまでに一度だけ、友人に金を貸したことがある。もともと個人間での金の貸し借りはしないと決めているから、最初から返してもらうことは期待していなかった。

こちから返済を求めたことはない。向こうから「返さない」と言われたわけでもない。そんな中途半端な貸金だ。

3ヶ月かけて車でオーストラリア大陸縦断するという旅の費用で、わずかな金額ではなかった。

もちろん私は慈善家ではないから、金を出したのには理由がある。人生が変わるかどうか、知りたかったのだ。

それ以前の何年か、彼は家庭でも、仕事でも、不本意な状況に置かれていた。その苦しみがどれほどのものであったのかは知らないが、彼はある日、すべてを投げ捨てて旅に出ることを決意し、その金を工面するために私のところにやってきた。

彼はこの旅で、人生がやり直せると信じていた。

旅の目的は、誰もいない真夜中の砂漠で、赤い月とともに踊り明かすというものだった。こんな荒唐無稽な話になぜ魅かれたのか、自分でも不思議だった。

誰もが心のどこかで、人生リセットしたいと考えている。だが残念なことに、人生にはコンピュータゲームのようなリセットボタンはない。

私たちが暮らす高度化された資本主義社会では、人生を変えたいと望む人々のために、さまざまなコンビニエントな方法が用意されている。新興宗教自己開発セミナー携帯電話出会い系サイト、薬物などはどれも、人生リセットするためのお手軽な道具の一種だ。少し前には、「自殺すれば人生リセットできる」とする本が、若者たちの間で圧倒的な支持を得た。

私たちは、これらの方法がすべて幻想であることを知っている。だがその一方で、どこかで人生を変える出来事を願ってもいる。

昨日と同じ今日が、今日と同じ明日永遠に続くとしたら、生きることの意味はどこにあるのだろう?

私にも、漂泊への抗いがたい憧憬がある。非日常世界に身を投じたいという衝動がある。砂漠月光の中で踊りたかったのは、彼ではなく、私自身だった。

オーストラリアへの長い旅から帰って、彼の生活さらに荒んだものになった。家庭は崩壊し、仕事の大半を失い、やがて連絡すらなくなった。

人生は、日々の積み重ねの延長線上にある。だから簡単には変わらない。そんなことは、彼も知っていたはずだ。

最近、彼がアパートを引き払って、予定のない長い旅に出たことを聞いた。今頃はインド放浪しているはずだという。

際限のない自由を手に入れた彼は、人生を変える体験をまだ探し続けている。

はいつかは終わり、戻るべき家はない。

橘玲雨の降る日曜は幸福について考えよう

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