はてなキーワード: 命名とは
ファイナル・ガール (The Final Girl) は、ホラー映画に登場する人物類型である。
1960年代後半以降のアメリカで大量に作られたホラー映画が、
一様に「純粋な若い女性が男の殺戮者と対決するが最後には生き残る」という構造をもっていること
が映画研究の分野で注目され、この類型的な女性像が映画研究者キャロル・クローバーによって「ファイナル・ガール」と命名された。
去年から稼働している現場で、以前からあったReact Nativeの面倒を見ているんだがまあこれがひどい出来なんだ。
jQuery時代に見かけたようなコードをやたら見かけたので思わず懐かしくなってしまった。
リファクタリングしようとしたけど直す範囲が広すぎてアプリを壊しかねなかったので、早々に諦めてだましだまし保守をしていた。
そんな中今年に入ってアプリのリニューアルの話が出てきた。React Native捨ててSwift/KotlinやらFlutterに書き換えるとかそういうのではなく、デザインの刷新といくつかの機能改修。
このままだとアプリが更に魔窟化するので、マネージャーに色々相談したところいくつかの事実がわかった。
ということだった。
結局現状のまま進めるわけにはいかず、要件定義の傍らリファクタリング作業をしている。
そういう経緯もあったので、リファクタリングとテストの工数も積んだ上で見積もりだしてもらってる。
「レガシーアーキテクチャをモダンアーキテクチャに刷新」なんてよく聞く話しだけど、
実態は「長年の増改築とだましだましのリフォームが限界になってきたので新築で建て替えます」何だと思う。
最近は「Vue.jsからRemixにマイグレーション」なんて見かけるけど、悪いのはVue.jsじゃなくて禄に設計しないでコード書いてるエンジニアと、
リファクタリングには予算でないけどマイグレーションなら予算取れるという悪しき風習。
年がら年中フロントエンド刷新しているような会社は地雷なので行かないほうがいい。
平成11年の延岡工業高等学校の校長は、 岩坪昭夫であり、 岩坪朗彦は、 福岡高裁の裁判官 ( 令和4年3月18日 )
岩坪朗彦というのは、 岩になるのが坪にはまるような、ほがらかに歌を歌う男という意味で命名されたと思うが、 令和6年1月に依願退官して弁護士になった。
しかし一言で言うならば、 延岡工業高校は、 ケーズデンキの向こうにありますが、 平成11年と言う時代にケーズデンキの向こうなどに行ったことのある人はいないので、
岩坪昭夫とは誰かなと思います。 平成11年にケーズデンキの向こうの街に行ったことがない理由としては色々あると思うが、行く必要がなかったか何か。
漠然とした記憶ですが当時の世間では、公務員は、人殺しで殺し屋だから関係してはいけない、というようなことの他に、予備校業界などが流行っていたから、顔を見る必要性がなかったから
だと思います。
(トラバが見づらいという指摘があったため、過去番付へのリンクは廃止しました。そちらが見たい奇特な方はカテゴリから適当に辿ってください。あと十両以下はあまり変わらないので今回も割愛とします)
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒して回る増田。自身の経歴からか、特に法や行政、裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
自分語りによれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしているらしい。
文頭をスペースで空けるため、「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。別名フミさん、まーさん他。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを複垢で作りまくっては、それを増田やはてブで拡散しようと企む某ツイフェミ。男叩きのためならいつもちゃんねるとかいう誰も知らない掲示板にまで粘着する執念深さ。
すでにTwitter・Togetter・はてブで凍結や垢BAN、404化を経験しているにも関わらず、すぐ別垢で戻ってくる札付きの悪質ユーザーである。ただ「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで文章を使い回す上、噛みつく人物もネタも同じ(共同親権・ヴィーガン・絵本作家「のぶみ」・龍神・はるくもなど。最近では案の定、暇空に粘着している)。
はてブでも複垢を悪用し、404化を食らった前科持ち。こいつの関与が疑われるはてブidが前回からさらに増えており、「idが違うのになぜか文面が全く同じ使い回し」のブコメまで存在する。
なお、これらidと同名のツイ垢が存在し、「彼らに依頼してブコメをコピペ投稿してもらっている」説が浮上している。一部は凍結されたり別垢で復活したり提訴されたりしているようだが、中の人が同一かどうかはあくまで不明。
🐸
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。ネームド増田の中ではおそらく最古参。
「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」「女子大生の設定では」「プロパンガスの専門家でしたっけ」などと、意味不明なクソリプを飛ばしてばかりいる。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらにセルクマや自作自演を疑うのも特徴。
「自分の気に食わない奴は全員同一・特定の人物」という思い込みが非常に激しく、最近では無関係な他の増田をしきりに「番付作成者」呼ばわりしているが、
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。
こちらもハッタショ増田同様、発達障害・セクマイ気取り系の増田をターゲットとしたクソリプ増田。
過去に投稿した長文トラバから、大量のリンクを貼ってくる過去からの追跡者。
以前はコロナに関する話題でも同様のトラバを繰り返しており、どうやら医療や教育に相当コンプレックスを抱えている様子。
わかりましたね?
名前の通りの増田。他の横綱大関クラスに比べ出現頻度は低いものの、一度出てくると定型コピペ連投と自演トラバを繰り返し、非常にしつこい。
はてブで同様の主張を繰り返す特定のid、Togetterで似たようなコピペをまとめているれいわ信者のフェミ垢があり、いずれも同一人物の可能性が高い。
パンティー
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。
投稿頻度が不定期に増えたり減ったりしているが、例のテンプレと文体を使っていないだけで、普通に潜伏している可能性もある。
noteにも進出しており、先月には某増田への返信がXをも巻き込み大いにバズった。
ただバズったのはあくまでnoteの記事であり、普通に増田にトラバしてブクマを稼いだだけで、果たしてここまで外部に広まったかどうかは謎。
おーぷん2chやまとめサイトから、おそらく他人の投稿を勝手に転載している増田。
元の文章から微妙に改変されていることもあるが、そもそも文体がいかにも昔の2chといった感じなので、あまり意味がない。
さらに最近では「釣り増田と同内容のスレが数分差で嫌儲に立つ」という逆パターンの転載も多い。こちらについては「バナナアイコン」なる人物の関与が噂されている。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
他の増田にいらすとやへのリンクを貼る増田。URLだけ貼ると反映されない仕様のためか、「(^^)」という顔文字も添えられている。
レスバトルになると乱入し、漫画「タフ」の語録を投下していく増田。
以前は「コモンビート」という、ピースボートかそこら系のNPOのサイトを宣伝することもあったが、これが規約に引っかかったのか、投稿が全て消えたことがある。
増田に生息する定型トラバの一種。他に「礼には及ばんでござる」「という話」「マジかよサバカレー最低だな」「うるせぇ小便小僧」など。
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。
ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味がない。
また、彼らに対して「再投稿は正当な権利」と訴える増田や、彼らをおちょくるためにわざと再投稿を繰り返す増田、
既存の単語を微妙に並べ替えした変な検索をしている増田。検索の件数らしき数字もあるが、どこでどういう検索をしているのか不明。
こちらもブクマのついた増田に対し、タイトルを適当に並べ替えたクソトラバを残していく増田。正直荒らしやスパムと区別がつかない。
以前は「性欲強太郎」を自称しており、その名残で語尾がハム太郎のパロになっている。
名前の割にタフ語録は使わない。
この日記の内容は、会社の後輩から「最近エクセルマクロを勉強し始めて(キラキラ)」という話を聞いて、先輩ムーブをかますために話した内容になります。
とにかくこれから説明する「計算用シート」が憎くて憎くてたまらず、ちょっと引かれるほど熱弁してしまいました。
ただ、他の方がどうされているのかや、逆に「計算用シート」を愛用する方の意見も聞きたくなり、増田に書いてみました。
エクセルマクロのお作法とか書きましたが、要するにエクセルマクロで「計算用シート」って色々な意味でよくないよね、という話をしたいです。
3行でまとめます。
〇 エクセルシートはユーザーインターフェース(インプット)か出力結果(アウトプット)のためのものとすべき
〇 データ加工をする場合には、原則配列や辞書型配列(連想配列)に格納して加工を行い、最後の結果だけシートに出力するべき
〇 何事にも例外はある。
エクセルマクロにも色々あると思いますが、今回は下記を想定します。
日付や人物名などを入力し、データベースや別のエクセルファイル、別のシートから取得したデータを入力された値を基に加工し、加工後のデータをシートに出力する
この場合、入力欄があり編集可能なシートがユーザーインターフェース、最終的に加工されたデータが出力されるシートが出力結果です。
(もちろん、ユーザーインターフェースの別の欄(セル)に出力する場合もあるし、その場合はユーザーインターフェースと出力結果が一体のものとみなします。)
また、データ用シートは同じエクセルファイル内に基となるデータが含まれる場合を想定します。
(これ自体が非推奨で、SQLデータベースかせめてAccessを使え、という意見はありますがそれは別にして…)
ではここで定義する計算用シートとはなにかというと、文字通り計算を行うためのシートです。
1.元となるcsvファイルをエクセルに読み出してシートに格納
2.そのデータは日付が数値型になっているので、日付(数値型)の入った列を文字列に変換した日付(文字列型)列を新たに作成
これは極端な例ですが、とにかく変数や配列を定義せず(あるいはエクセルのセルオブジェクトを変数のように扱い)、エクセルに値を入力し、それを直接加工することで目的となるデータ加工をしたり、様々な処理をします。
なんかこんな感じの処理をしているエクセルマクロ、どこの会社でも腐るほどあるんじゃないでしょうか。
ある程度マクロに慣れた気の利く人なら、このシートはロックや非表示にして、ユーザーから触れないようにするでしょう。
・・・これ、やめたほうが良くないですか?。
ある程度詳しい人なら同意してくれると思いますが、このやり方でダメな理由はいっぱいあります。
後で説明する配列や辞書型配列(連想配列)と比べると格段に処理が遅いです。
ちょっと詳しい人が知っている「画面更新の非表示」を駆使しても、配列を使った処理からみれば止まったハエです。
いったんエクセルシートにデータを格納して加工しているので、コードとエクセルシートを両方見る必要があり、とても読みにくいです。
変数として命名されていないのも致命的で、処理の意図が余計に分からなくなります。
計算用シートを事前に用意して、別のセルに関数を格納しておき、マクロと関数を使ってデータ加工をするものも見たことがあります。
あまり知られていませんが、セルの最大文字数は32,767 文字です。
セルの最大文字数を超えると自動的に隣のセルに値が入り、シートが滅茶苦茶になります。
他にもエクセルの数値を丸める自動変換の仕様とか文字列→日付の自動変換とか、いくつものバグに苦しめられます。
できる人だと、いちいち最大文字数が多い場合の処理を書いたり自動変換機能を殺したりしてくれますが、そんなことに手間をかけているから日本のGDPは上がらないんだと思います。
他にも、データが大きくなると処理が重くなり不安定になる、計算用シートを人が触ってしまうリスクがある、などいくらでも理由は上げられます。
(逆に利点は、目の前でガチャガチャ動いてスーパーハッカーになった気分になれるくらいしか思いつかない・・・)
配列を使いましょう。
配列とは何ぞや、という人はググってください。
配列にデータを入れて、データ加工は配列や変数に対して行い、一番最後の出力だけセルに値を格納する。
個人的にオススメしたいのは辞書型配列(連想配列)で、うまく使うとデータの管理が簡単になり、処理も爆速になります。
(参考)【VBA】大量データから高速で値を検索【Dictionaryを使う】
csvファイルもなまじエクセルで開けるだけに別のブックやシートで開きがちですが、これは悪魔のささやきです。
直接ファイルを読み出してLine InputやSplitで配列に格納しましょう。
エクセルとして開くやり方はコード書くのは簡単でも、実行時間に天と地ほどの差が出ます。エクセル開くと処理もめちゃ不安定です。
(参考)Excel VBAでCSVオープンするときのパフォーマンス比較
いや、冒頭のマクロを書く人の気持ちも分かるつもりです。自分もコードを書き始めたころは全部シート上で操作していました。
冒頭のマクロのほうが直感的なんですよね。自分が手で書くことをマクロにやらせる、というマクロ本来の趣旨にはあっていますし。
途中の計算過程もすべて目の前で展開されるから分かりやすいです。
ただ、それではダメなんです。。。処理は遅いし挙動は不安定だし後で改修・保守する人が死にます。
あと、エクセルシートやセルは当然エクセルにしかないので、エクセルマクロ(VBA)から他の言語に移れなくなります。
自分もエクセルマクロの里の出なので、計算用シート脱却には苦労しましたが、苦労して会得した配列や辞書型配列(連想配列)のスキルはそのまま他の言語に活かすことができました。
配列の中身を見る方法は別にある(ローカルウィンドウやDebug.printを使うなど)ので、リハビリに取り組んでほしいです。
(参考)VBA デバッグの仕方
計算用シートを許容できる、使うべきケースもあると思います。。
個人的には、
(最後のは、なんでも自分で確認しないと気が済まない上司の発注で、意味不明と思いましたしたがしぶしぶやりました。)
この場合、インプットのエクセルシートに直接加工するのは論外なので、計算用(加工用)のシートを用意してそこで操作を行うことは必要だと思います。
他にも、こういうときは「計算用シート」があったほうが良い、という状況があれば教えてもらえると嬉しいです。
そもそもツッコミとして、「データ加工するならエクセルマクロを使わずにpythonとかRとかもっとまともな言語使えよ」という言葉が来そうな気がします。
ただ、個人的にはエクセルマクロ(VBA)は大好きですし、初心者にもおすすめしたいです。
自分のような非エンジニアだと、セキュリティの関係などでPythonの開発環境とかすごく用意しにくいんですよね。
(あと、コマンドプロンプトの真っ黒な画面が怖かった)
その点エクセルマクロは、開発環境の用意はプロパティでチェック項目を一つオンにするだけだし、入門書がたくさんあるし、セルの挙動を追えば視覚的にプログラムを理解できるし、初心者に優しいです。
(そのやさしさが上述したとおり悪魔の罠なわけですが。)
最初は計算用シートに頼ってでもエクセルマクロからプログラミングを始めて、本格的なデータ加工をし始めたあたりで計算用シートという諸悪の根源から脱却する。
さらに本格的なデータ処理を行うために、PythonやRなど別の言語を習得したり、エクセルからSQLデータベースやACCESSなどに切り替えていく、というプロセスがいいのではと個人的に思います。
博士論文の公聴会を無事に終え、学位を実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。
その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。
もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである。
もっと言えば、大学入学から約10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である。
プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。
Zoomでの発表を一人終え、研究室からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。
もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。
審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。
齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生の実態は浮草稼業の根無し草。
死にたくなった。
ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。
蓬莱学園の復刊とラノベ図書館04 ライトノベルの二次文庫を出すにはどうする?|中津宗一郎
しかしここで問題になるのが、ライトノベルというジャンルの傾向です。「書き下ろし文庫」として書かれたライトノベルは、良い意味でも「読み捨て」という傾向が強いのは否めません。例えばスニーカー文庫という名称も、元々は『スニーカーのように履き替えられる、読み捨てして軽やかに読める文庫』という意味が付与されていたとも言われています。
このスニーカー文庫の名前の由来について、ブクマで疑問視する声があったのでググってみた。
ラノベ史探訪(1)-「スニーカー文庫」:名称の公募から決定まで【前編】 | ライトノベル研究会
スニーカー文庫はもともと、「角川文庫・青帯」という形で角川文庫内の一部として生まれたらしい。
ラノベ史探訪(2)-「スニーカー文庫」:名称の公募から決定まで【後編】 | ライトノベル研究会
発表当初から「スニーカーシリーズ」となっていた記載は、「コンプティーク」や「ドラゴンマガジン」の1989年3月号発売の頃に「スニーカー文庫」に変わっていきます。
この記事の中では、「スニーカー」が選ばれたことについて、「私見」としてこう書かれている。
上記候補の中からなぜ「スニーカー」という名称が選ばれたのかについて。出版社側からすれば、靴の中では手軽でカジュアルなスニーカーのイメージが、若者向け作品を刊行していた「角川文庫・青帯」のイメージに合致したからではないかと(もちろん若者に馴染み深い単語だからといった他の理由もあったとは思います)。
(中略)
ただここで注目したいのは、「スニーカー」という名称が公募の形をとって読者側から(公募ゆえ「応募者=読者」とも限りませんが)提案された点です。つまり読者側にとって当時の「角川文庫・青帯」は、スニーカーのような手軽さがあると少なからず思われていた、ということになります。その「手軽さ=ライトさ」という意識こそ、1990年末頃に「ライトノベル」という名称の誕生へ繋がっていく…こうした仮説の検証も今後行っていく必要がありそうです。
スニーカーという語には、当時の読者の「ラノベ」(と後に呼ばれるジャンル)に対する「手軽」「カジュアル」「ライトさ」のイメージが反映されていたのではないか、という内容だ。
これ自体はもっともな話である。だが、少なくとも「履き替えられる」「読み捨て」とまでは書かれていないのは間違いない。
という話が、もしもこの記事を参考にして言っているのだとすれば、さすがにやや誇張した要約と言わざるを得ないだろう(文化軽視の風潮があると危機感を煽るため?)
ただ一方で、noteの著者はまさに、もともとスニーカーの編集部にいた人らしい(在籍時期は90年代とのことなので命名時に立ち会ってはいない)
そのため引用した記事とは無関係に、スニーカー=「読み捨て」の意図があったと言えるだけの根拠を得ていた可能性は十分にある。編集部内ではそういう意識で語られてたとか、応募ハガキ?にそんな感じのことが書かれてたとか。
どっちなのかは本人に聞かなきゃわからん。俺は直接聞くほどではないので、気になる人はどうぞ。
おしまい。
そこは「シューニャター」だろ、OpenAIには仏教徒か、せめてまともな教養を身につけた人間はいないのか?
いないんだろうなー。
でも、そういえばOpenAIにはAIがいたな、と思い出したのでChatGPTに聞いてみた。
質問: 西洋人が開発したあるサービスの名前に、色即是空の「空」を名付けました。アルファベットでどう表記しますか?
回答: 西洋人がサービスの名前に「空」を付けた場合、サンスクリット語の「空」は「Śūnyatā」と表記されます。したがって、そのサービスの名前にこの単語を使用する場合は、アルファベットで「Sunyata」と書かれることが一般的です。ただし、サンスクリットの発音や翻字にはいくつかの方法があり、「Shunyata」のように表記する場合もあります。この単語の選択は、サービスのコンセプトや背後にある哲学に深く関連していることでしょう。
2011年に052D型駆逐艦1番艦が起工して以来、すさまじいスピードで大艦隊が建造される 第二次世界大戦期のアメリカ海軍さえ凌駕するスピードの大軍拡 技術的にも055型で世界トップレベルに追い付いた
劉華清死去
052B型と052C型の10年にわたる研究の末に完成した、中国人民解放軍海軍の新型主力艦
日本のあたご型やアメリカのアーレイ・バーク級、韓国のセジョン・デワン級等と比較すると船体サイズが小さく戦闘能力は若干劣るのではないかとされている
しかしバッチ1は8隻、バッチ2は5隻、バッチ3は12隻のとてつもない大量建造が行われ、2024年現在も052DL型の建造が続いている
★055型駆逐艦(南昌級) 1番艦 南昌 起工
中国人民解放軍海軍の最新鋭艦、ついに世界トップクラスの性能に到達
満載排水量12,000~14,000tと駆逐艦のサイズを超え、アメリカ海軍にはミサイル巡洋艦と識別されている
「南昌」は人民解放軍建軍の地とされていることから、055型駆逐艦の位置づけがよくわかる
40年前に技術不足のため実現できなかった055型大型火砲ミサイル駆逐艦計画から艦型を継承している
★003型航空母艦福建 起工
全通飛行甲板によるヘリコプター運用能力とウェルドックによる上陸用舟艇の運用能力を兼ね備えている
アメリカ海軍のワスプ級強襲揚陸艦を上回り、アメリカ級強襲揚陸艦よりも少し小さい
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
命名自体はセンス無さすぎて一般的じゃないし失笑ものなんだけど、いわゆる左翼・活動家界隈の人間の横の繋がりが強いしぶっちゃけコネ社会だってのは当時末端にいた人間としては肌感で分かるのよ
例えば所属してたグループのメンバーがお世話になってるちょっとお偉いさんの知人の友人、ぐらいまで行けば某団体のあのお方とかしばき隊のあの人とか、あるいは◯産党某支部の某先生とかさ
自分も◯◯党の人とは今でもゆるく繋がってたりする訳だし
何でそうなるのかって言われるとはてなーの人間ならご存知の話だと思うけどとにかく人材不足なのよね、新しい人が入って来ないから
入ってこない理由は単純に活動家とか政治活動が学生運動時代みたいに流行ってないし参入ルートが身近にあるって訳でも無いのも大きいけど、今更入ってきても正直旨みが無いってのも大きい
良いポストや権威ある立場ってのは既に名前の知られてる様な中年・高齢の大物が収まって離れないし、結局その後を引き継げるのはどこそこの誰々のご子息さんだったりするからご新規さんはお溢れにも預かれない
ガチで思想入ってる人だったらともかく嫌儲辺りで左翼ぶってる輩なんてのはせいぜい動員要員ぐらいで後は無料か格安でネット含めたドブ板活動にこき使われてうんざりして足抜けしていくのが殆ど
特にバックグラウンドがある訳でも無く活動家になって今の地位に成り上がった某アイドルのお姉さんなんかは異例中の異例でまさに女秀吉って印象、マジであのひとは凄い
(だから某堀口くんがかなりの高待遇なのは界隈では優良人材だと高評価されているからなんだろうね)
暇界隈に対するアンチ活動に初期段階からしばき隊が関わっていたのは話に聞いてたんだけどまさか自分らからバラしちゃうとは思ってもいなかったからちょっと驚いた
若手左翼からは馬鹿にされてる人達だけど界隈全般からすればまだまだ実績のある人達扱いな訳ですよ彼ら、特にコアメンバーは
上の方の人達は良くも悪くも学生運動再びみたいな夢物語を理想としている訳だからね
そりゃ今の時代流行らないだろうし普通に働いて納税してるその他大多数の市民からしたらナニ考えてるの?って話にもなるけど彼らは本気なんですよ
だから暇みたいな小物でも全力でありとあらゆるコネ使って叩き潰そうとしている訳
ただの会社員だったり家族がいたりしたら恐らくそこを狙って攻撃してたのは理解出来るので、正直運が良いよねって印象
とは言え今の界隈ってのは先にも書いた通り高齢化著しいしポストが無いから新しい人もロクに入って来ないわ入って来ても使い捨て要員でポイ捨てする勿体ない使い方してるからマジで新規が居着かない
20年ぐらいはさすがに持つと思う、30年後はちょっと分からない
NさんとかOさんとかKさん辺りの影響力が加齢によって失われていく辺りが終わりの始まりなんじゃねぇかな、多分