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2018-09-20

anond:20180920134003

公共の福祉憲法勝手に主張してることであって人類普遍定理などではないんですけどお

セレブの風格

シリコンバレーにいるんだけど。

前澤氏の月旅行の件、当然話題になった。

でもみんな「誰コイツ???」って言ってて、「日本にSon(孫正義)以外のビリオネアっていたんだね。」ってな感じ。

で、みんな一様にシラケた感じになってたのね。

資本主義になって、どんな輩であろうと金さえあれば好きな事ができて、買えるものなら手に入れられる時代になったことは、

人類平等を手に入れた証でもあるから(現在では)正しいことなんだろうけど、

ある個人が「celebrity」でいられることはまだ平等ではないんだ、と皆の反応を見て思った。

前澤氏は美術品を買い漁った人として英語圏でも多少は露出されたけど、ただそれだけ。

日経ったら顔も名前も誰も覚えてない。

例えば今回の月旅行が同じアジア人でもJack MaとかMa Huatengだったりすれば皆納得だったと思う。

ビリオネアであってもcelebrityとして認められるには資本力以外のいろんな人間力必要で、

前澤氏は日本の中でこそセレブ扱いだけど、日本国外ではただのJapanese businessmanでしかないってことなんだな。

同じ日本人としてはちょっと寂しい出来事だったけど、なんか納得してしまった。

anond:20180920093627

恐竜絶滅して恐竜の傍系である鳥が地球の春を謳歌したように、人間が衰退したとすればそれはまた別の人類繁栄を示すことになるだろう。

それはきっと、鋼鉄の子からまれてくる人間から作られたアンドロイドのようなものだった利するんじゃないだろうか。

anond:20180920093627

どうせ50億年もしたら太陽に飲み込まれてるからいずれ人類消滅するよ

人間は滅びるの?あるいは滅びるべきなの?

少子高齢化現代から数十年後までのトレンドじゃん

子孫を残すことを重要視しないのが種の選択ってことで、このまま衰退して滅ぶのが人類なんだろうか?

2018-09-19

院生だがソフトランディングした

自分の例が成功例だとは思わないが、悩んで思い詰めている人の参考にもなるかと思い、書いておく。

私は社会科学系の博士課程に進んでいたが、研究成果が全く上がらない、やる気もないダメ院生だった。査読付きの論文なんか一編もないし、当然学振もなかった(申し込んですらいなかった)。家族のこともあり、いよいよ食い詰めた10年前には29になっていた。どうにもこうにもならず、就職することにした。

と言ってもどうやって就職したらよいのかもわからないので、リクナビとかがやっている新卒第二新卒向けのイベントに行った。出展していた会社に片っ端からエントリーした。30社くらいエントリーした。

自分の中でカッコいいと思ってたコンサルとか金融とかSIerとかは軒並み落とされたが、全く興味のない業種の3社から内定をもらった。その中で、相対的にまともに思えたのが前職の会社。確かスタート年収400万ぐらい。5年間働いて同じ業種で転職したのが今の会社。いまの年収は700万。

就職するとき心配していたのは、再スタートするには遅すぎるのではないか、ということだった。確かに就職して2年ぐらいは年取った新人なのでへんな感じだが、部署異動をしてからは誰も細かいことを気にしない。さらに言えば、転職をしてしまえば、その人が二十代に何をやっていたかなんて事は他の人にとってどうでもよいことになる。つまりは、どこかの会社に入ってしまえば、後は職歴ロンダリングで、院生として過ごした日々はどうとでもなってしまう。

自分ダメ院生だったか一社目の就職は思ったようなところに行けなかったが、理系で、プログラミング数学なんかができる人は就職の口はそれなりにあるのではないかガチ文系は知らん。学習塾かに入社して転職するのがいいのではないか

私のような人間ですら、就職によって失ってしまったものがあると感じるのだから研究でそれなりの成果を上げている人であれば諦めるのは辛いとは思う。とはいえ、毎月給料が振り込まれること、毎年、翌年の心配をしなくていいのは、精神的にすごく楽だ。年金も払っている。健康保険にも入っている。結婚した。子供も生まれた。どれも、あのままのダメな私であれば得られなかったものだ。

もらった給料で好きなように暮らすのは、かつて思い描いた人類全体への知的貢献から得られる生き甲斐とは全く違うが、これはこれで幸福である。思い詰めて死までも考えているのなら少し考えてみてほしい。

anond:20180919141828

1945~1950年まれ団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ

昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた

核戦争題材の映画渚にて1959年公開

フランキー堺主演の『世界大戦争1961年公開

当時の超有名作品から観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう

このころはしょっちゅう地上や離島核実験やってたか死の灰も降ってた

公害問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年

そのころ団塊世代高校生から大学生

オイルショック1973年)に直面した時期に団塊世代20代前半

下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる

連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊20代前半の時期

「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊20代1970年代には

日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論流行

環境汚染核戦争人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった

いっけん関係いかも知れないけど、団塊世代10代の1960年代には

幼児誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか

女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年

在日韓国人差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件1968年

極貧少年永山則夫による連続射殺事件1968年

などなどが起きてる

団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです

そもそも当時は現代比較すればGDPはずっと低い

兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった

団塊世代10前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年テレビ普及率は50%以下

テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず

だんだん普及していく過程では「お前ん家まだテレビねえの~」っていじめもあったろう

現代人と比較して何から何まですべて幸福だったとはとても思えんぞ

anond:20180919112852

生産性がどうとか何が正しいとか人類ときが判定なんてできないし、結局あるべき形に落ち着くだけ」

という方向性で十分反論になると思う

anond:20180918160731

親が子供幸せ保証すべき!っていう思考人類の甘え。

魚類とか昆虫類とか、産み捨てが基本の種族もいるんだ。

死なない程度に体が大きくなったら放置されるのが当たり前なんだぞ。

嫌なら死ねばいいんだよ。

馬鹿死ね 殺す」

普通「そういうこと言っちゃいけないんだよ」

馬鹿表現の自由侵害表現の自由侵害表現の自由侵害表現の自由侵害表現の自由侵害!」

こういうことしちゃう馬鹿がけっこういるのが人間の悲しさなんだ。逆にこういうトンチンカンな人を人類が何割か用意してあげることで、人類が集合遺伝子としてのレベル多様性を保持し、生存確率を上げているんだという説があるけど、そう思うしかない現代民度の低さが辛い。はやくみんな頭よくなーれ

2018-09-18

社会正義を叫ぶひとに対する一抹の違和感

一言でまとめると「自分が支持し、主張する立場恣意性(非論理性)に無自覚人間が多すぎる」。

青識亜論まわりでいま丁度燃えているけど、個人的な印象論の範疇で言えば、フェミニストLGBT側の立場人間は、「自分他者を抑圧している可能性」というもの無自覚すぎるんですよ。

自分が、自分自身にとって大事だと思う権利を守るために、それを侵害する他者権利を抑圧する」、これ自体別に珍しくもなんともない。だけど、それを無自覚にやるのは流石に問題がある。丁度、「ラノベの表紙が気持ち悪い」「LGBT気持ち悪い」「殺人」を等価に置いた社会学者がいたよねという話題でもそれは結構散見される。

今更こんなことを言わなきゃいけないくらいに人類の知性は発展してこなかったんだという事実を目の当たりにするのは悲しいけれど、「論理的に等価である」というのは別に珍しくもなんともないんですよ。

LGBT気持ち悪いと思う権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと思う権利」も、誰にだってあるんです。

そこから一歩進んで、「LGBT気持ち悪いと発言する権利」も、「ラノベの表紙が気持ち悪いと発言する権利」も、誰にだってある。ただし、そこには発言したなりの責任が伴う。「LGBT気持ち悪い」と発言することによって、LGBTである人々を抑圧することはあるでしょう。それと同じことで、「ラノベの表紙が気持ち悪い」と発言することによって、ラノベの表紙を描くことをライフワークにしているイラストレーターさん・ラノベの表紙によって生きる糧を得ている人々(ざっくり言うと女性から切断された「キモくて金のないおっさん」を例に挙げておきますが、もっと単純にそれを単純に「いいイラストだなー」と思いながら受容する人々[男女問わない])を、抑圧することもあるでしょう。

そこは、何をどう解釈したとして、論理的に等価です。

では、その二つの何が違うかって、「何かを気持ち悪いと発言することで、どれだけの存在保護しようとしているのか。そうすることで、どれだけの存在を切り捨てることになるのか」という違いでしょう。

LGBTへのヘイト発言禁止することで救われるLGBT当事者気持ち価値は、LGBTへのヘイト発言禁止された人々の気持ち価値を上回る。LGBTに対するヘイト発言は、LGBT当事者を下手すると死にすら追いつめてしま可能性があるし、そういった想像は容易だからだ。

では、それと論理的に等価であるところの、「ラノベ気持ち悪いと発言する」ことの場合はどうなのか。ラノベ気持ち悪いと言われることで抑圧される対象は、発言を受けたことでLGBT当事者と同程度に守るべきなのか。これは個人的見解だが、同程度の重みを持たせることは、少なくとも想像範疇では難しいのではないかと考えている(これは、あくま個人想像範囲である)。

だけど、そこから一歩進んで、「気持ちいか規制すべき」という話になると、話は別だ。

LGBT気持ちいからその権利規制すべき」となったら、まあ、少なくない人間直感的におかしいと思うだろう。「気持ち悪い」という内心の権利を守るために、他者人権制限するというのは、保護法益バランスが全く取れていない。

では、「ラノベの表紙が気持ちいから、ラノベの表紙を制限すべき」という話になると、直感的におかしいと思う人が減る、という印象が、本増田にはある。減る理由はわかる。当事者属性の違いだ。LGBTである人々の存在は、少なから想像がつく。フェミニズムが守ろうとしている「女性」という存在も同様である。それに対して、「ラノベを表紙を制限することによって抑圧される人々」の存在がやや想像しづらいというのは、まあ、わからなくもない。

ラノベの表紙は「娯楽」である。娯楽に対して、LGBTというのは在り方そのものである。在り方そのものと、娯楽とであれば、そこの比重が異なるのはわかる。だが、世の中には、少数であっても、「ラノベの表紙を書くのが生業である人々」「ラノベによって救われている人々」が存在する筈なのだ。そこにあるのは、人類の数%(1億人近く)の権利を守るために、数千人の権利を縛るべきかどうか、という利益衡量の問題である人類の半分である女性権利を守るために、何千万人と存在するミソジニーな人々を抑圧すべきか。あるいは、女性権利を守るために、ラノベ関係する人々の権利を抑圧すべきか。

ここで本増田が言いたいのは、「お前の発言で抑圧される人々がいるから、ラノベの表紙を気持ち悪いと言うな」という話ではない。

現実世界において権利権利がぶつかるのは当然であって、そのような現実において、ある特定立場の人々を「守らない」という選択をするのは、仕方がないことだとは思う。だけど、その「守らない」という選択したことから目を背けるのは、誰がどう取り繕ったとしても、欺瞞しかありえない。

LGBT気持ち悪いと思ってしま人間にとって、それは仕方がないことだ。だが、発言した瞬間に、LGBTの人々を敵に回す覚悟必要だ。

それと同時に、ラノベの表紙を気持ち悪いと思う人間が、それを口に出し、主張する場合、「他人を抑圧する」という現実から目を背けてはならない。

況んや、「規制すべき」という話になると問題はかなりでかくなる。ここに来ると、「規制すべき」という形で、表現の自由問題が関わってくるからだ。

表現の自由」は、誰かが誰かから抑圧されないための権利である(それは主に公権力であることが多かったが、それ以外の私的権力からの抑圧を防ぐためでもあろう)。それは、どんな人間にとっても、本来的に備わっているものである、と法学人権定義をそのように構築してきた。それを制限するためには、それなりの整合性、具体的には「保護法益がどの程度大きなものなのか」を精緻検算しなければならないと、様々な判例の構築によってその線引きを見積もってきた。世の中の人々が考えている以上に、表現の自由ものすごく大きなものなのだ

それに対して、気軽に「ラノベの表紙が気持ちいからそれを制限しよう」と言い出す人たちは、その権利の重さをどの程度理解しているのだろう。「ラノベの表紙が女性扇情的に描くことで、女性蔑視・女性の「モノ化」・男尊女卑的な観念等を強化する」というのは理解できる。そして、それを守ることがそもそも男尊女卑的な、フェミニズム批判し続けてきた構造権力を強化するから全く擁護できない、という話もわかる。

だけど、それを主張することで、逆に自分たちが誰かを抑圧する可能性について無自覚か、目を背けているひとが多すぎやしないだろうか。

最悪、抑圧が発生するのはいいよ。民主主義ってもの絶対に少数派の意見を切り捨てる(厳密に言えば、多数派は少数派の意見を最大限聞かなくちゃいけないのだが、本題から逸れるので一旦措く)ので、仕方がない、避けようがない部分もあろう。でも、「そもそも自分たちは誰も抑圧していない」と言いはじめるのは、何か違うんじゃないか

俺が、青識亜論は少しむかつくけどそれ以上に彼を擁護したくなるのは、それが原因だ。青識亜論は特権性について何度も言及していた。市民社会において、どのプレイヤーも、プレイヤーとしては等価な筈なんですよ。市民市民を抑圧することはできない。市民は抑圧に対して抑圧に反発する権利がある。その権利が、あたか存在しないようにふるまう少数派が多すぎる。

せめて、「私は少数派の権利を守るために多数派権利を抑圧する立場に立ちます」くらいの大上段はふるってほしいものだ。本増田はその権利を守る。

anond:20180918124629

一万組に一組の選ばれた男女だけが子供を作れることにすれば、たちまち人類進化するであろう。

やはり剛力彩芽宇宙に行くんだろうか

人類起源を知ってるし

喧嘩の間に挟まれた。喧嘩ではなくて揉め事?諍い?そういうものなんだけど。

わたしは2人とも好きなのに、なんで喧嘩してるんだろう。それはまあいいんだけど、お互いからお互いの悪口聞くわたし気持ち考えてよ〜〜って思いながらヘラヘラ聞いてる。かなしい。人類はみんな友達とは言わないし、わたし好きな人同士が揉めることがあるのもわかる。だけどわたしは挟まないでほしい。悲しくなってしまうよ

一世紀ちょいしか歴史の無い共産主義政権が軒並み失敗したように

実現したのはせいぜいこの半世紀しかない表現の自由

いずれ人類の失敗として歴史に刻まれるのかねぇ・・・

 

コイツが出てきてからというもの、明らかに社会モラルを失ったしさ

人工的な概念ってのは、人間社会には合わないのかもな

anond:20180918002451

まあそういうのはあるだろう。DNA設計図みたいなね。

とはいえ元増田人生においては今更標準どおりに人生を堪能してみたかった!と思っても学生時代からすでに標準から外れたのだから元増田自分人生に沿って、考えて行動して感じて、また考えて、をするしかあるまい。それが幸か不幸かは本来測りようがなく決められまいが、リア充を最高基準で捉えれば自明に他の人間は全員不幸だ。

DNAでいえば、人類からしたら異例の鎌形赤血球で、マラリアから守られ生き延びた地域種族もいるし、標準ならいつでも何でも最高と決まってもおらず、何が幸するかは人智認識レベルでは完全決定的でないからなあ。

なんて書いておいて何だけど、生まれ変わっても私は標準にするよ。

2018-09-17

オタク他者に対する思いやりの欠如が根本的な問題だと思う

今回はたかポルノ表紙が批判されたことに対して「オタク差別だー」だもんなあ。ポルノ表現は少なくない女性差別的要素を含むものだし、全年齢対象で表に出せば当然それなりに批判を受ける可能性がある。で、今回、多くの人の目にとまって議論を呼んだ。ただそれだけの話ではある。批判されたくないなら最初から全年齢対象らしくもっと穏やかな表現にするべきだった。ラノベであっても性的でない表紙を採用しているほとんどのラノベ批判されてないのだから


ラノベ全体が批判されてるとか曲解する人間が必ず出てきて「そうじゃないラノベもある」とかい反論をするけど、批判されてるのは「ラノベの中でも女性差別的な性的描写がきつすぎる表紙を採用した一部のラノベ」(の表紙)だけなんだよ。一部のやばいやつを、このままやばいまま売りたいならゾーニングして普通ラノベとは分けるべきじゃないでしょうかという話でしかない。これがラノベオタクの頭の中でラノベ規制問題勝手に発展して、オタク差別なっちゃうっていうのがなー。女性女性差別的な表現不快に思うのは当然だし、オタクもそういうきつい表現不特定多数の人の目に触れるところに置くのは自重する(ことに賛成する)、くらいの思いやりはあってもいいんじゃないの。


まず、この日本日本人の成人男性は圧倒的強者なんだよ。その前提が欠落している気がする。「強者弱者配慮する必要などない!」という意見もあるだろう。でも世の中にはそういう意見に反対する人たちもいて、人権を拡大するために頑張ってきた歴史がある。社会全体で弱者配慮して、彼らにとっても生きやすい世の中を作っていくというのが文明社会なんじゃないか。長い時間をかけて血を流して人類はそういう段階までやっときた。それなのにオタクたちは「俺たちこそ真の弱者だー」とやって議論をひっくり返している。これはほんとに現代人として呆れてしまうというか。抑圧し差別してる強者の側がむしろ被害者面するという醜悪な構図。まあとても日本人的な振る舞いとは言えるが。



基本的にはまずは強者が譲歩するべきだ。それが正義だ。なぜ弱者である女性たちに自分たち強者に対する配慮を求めるのか。ポルノ絵でまず最初一方的女性に殴りかかっておいて、批判されたら「オタク差別だー」「表現規制だー」「弾圧だー」といって騒ぐ。この一方的な構図が不正義だと思わないのか。しかも今回フェミニスト側が言っているのはかなり譲歩した穏当な意見しかない。出版することをやめろだとか、規制しろなんて意見はなくて、「性的表現のきつい絵を子供の目につくところに置かないでほしい」という極めてありふれた素朴な意見にすぎない。

ジョブスは実は~~←みたいなの本当にくだらんわな

勝手にお前らが崇め奉って何でも完璧にこなせると思いこんでいただけなのにな。

自分らが言ってるのが「なんだよ。アイドルなのにうんこするんじゃん」と何も変わらないって事に早く気付けよ。

アイドルだって増田と同じでウンコするし、ジョブだって増田と同じでウンコするし。

人類はだいたい皆ウンコするんだよ。

それをいつの間にか勘違いして「あの人は増田とは違って伝説級に凄くてアレもコレも出来るからウンコもしないんだろうな~」と勝手に思い込んだ自分達がアホなんだといい加減認めればいいのに。

なんでそれを「ジョブスが圧倒的権力によって、自分ウンコをしていたことを隠してさも生まれから一度もウンコしたことがないかのように世間アピールしていたんだよ」と騒ぎ立てるのか。

わざわざ口にしてもしょうがいから言わなかっただけで人類は大体皆ウンコしてるよ。

アイドルマイクパフォーマンスで「みんな~~ウンコしてる~~私も今朝ぶっといの出してきたよ~~」って言うかよ。

マネージャーインタビューで「ウチの子最近便秘に悩んでいるんですが、こっちとしては彼女トイレに行った後の強烈なニオイを嗅ぐ機会が減って助かってますwwww」って応えるかよ。

ウンコしてます。してました。これからウンコします」ってアイドルの口から言わせる必要がどこにあるんだって事だよ。

大体の人はウンコはするよ。

でもそれを皆が口にする必要はない。

増田ウンコしたしないをしょっちゅう口にするのは、増田がそういう空間からに過ぎない。

世の中は基本的に聞かれても居ないのにいきなりウンコしたしてないを口にしないって方向で動いてるの。

アイドルなのにウンコするなんて幻滅した!今まで俺たちを騙してやがったんだ!畜生!お前がもっと早く自分の口から一度でも『私もウンコします!』と言ってくれてたら、俺たちはこんな妄想いつまでも抱えずに済んだのに!畜生!恥をかかせやがって!俺はな!『マーちゃんウンコなんてするはずないだろ』スレ建ててアク禁食らったことまであるんだぞ!それもこれも全部お前がウンコしてますって自分から言わなかったせいだぞ!」なんて騒ぎ立てるほうが間違ってるの。

分かってくれるかな?

2018-09-16

anond:20180916150725

猫という己よりも非力な存在を己の都合だけで飼育して種としての優越を日々確認する異常者。人類として猫への差別意識に溢れている。規制しないとな。

胸糞悪すぎるもの見てしまって頭から抜けないから聞いてほしい

他に書くとこないんだ。

数日前酔っ払って閲覧注意案件検索したら半端ないグロ画像を見てしまって、酔いが覚めた今になって頭から抜けない。

内容は中国人間標本にされた若い女性の写真

経緯はよくわからなかったけどまあ政府の何かに殺されたんだと思う。

それの何が胸糞かって顔が生きてる頃そのままでから下を開かれてる。

顔が分かるから本当キツイ。見てる時は酔ってたからおえーくらいにしか感じなかったけど今反芻すると気持ち悪いわ怖いわでしんどい

そんなの検索しなきゃよかったんだけど、そもそも何でそんなのにたどり着いたかというと、酔っ払ってる時に好きな歌手MV見てたらふとなぜか「人類不思議展」思い出したんだ。

知ってる人は知ってると思うけど、あれも死体を作って人間の標本にしてたとかでかなり胸糞な案件だった。

あれってどんな感じだったっけ?と検索したらその記事が出てきた。

合成かフェイクか何かと信じたいけどあの国の事だし本物なんだろうな、と思うと更にキツイ

そんで、人間酔ってる時は残酷もの見ても大してショック受けたり気持ちに響いたりしないんだな。

素面で見るのはまず無理だわ。

そして酔ってる時の記憶が飛ばないタイプは、後でかなりのパンチになって返ってくるというのも学んだわ。

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