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はてなキーワード: 郵便とは

2018-10-19

新宿のタワマンに住む謎の仕事してた

去年の9月頃まで新宿タワーマンションに住んでた、もちろん自費ででは無い。

届いたレターパックゆうパック宅急便類を指定の住所に送る仕事で中身を教えて貰った事は無い。

とにかく全ての郵便物を受け取らなければならないので日中の外出は不可、どうしても外出したい日は雇い主に連絡して代わりの人を出して貰っていた。

たまに海外からの国際スピード郵便も有り不思議仕事だったと思う。


年間30回くらいは近くの神社公園、下のスーパーで手渡しで荷物を受け取る人もいた、もちろん宅配員が来ない夜だ。

受取人は外国人が多かったのでこの仕事に就く条件に英語中国語フランス語(必須では無い)が堪能なことがあった覚えがある。

結局最後手紙でこの仕事が打ち切られると通達が有り、2週間でスピード引っ越し


今思うと給料は全てギフトカード、衣類や家財道具は支給で怪しいことだらけだったがマンション自体は最高に良かった。

機会が有ればまたやりたい。

2018-10-16

anond:20181016034714

自己補足。

ついでに言うと、あえてルール違反する人は例えば普通郵便現金入れる人ならバレないように便箋で包んだりするよね。

爆発物送る人だって当然バレないように送るよね。

ISPブラウザから普通違法サイトコネクション張ってくれっていうのは「違法なことします」って言いながら郵便窓口に行ってるようなものでしょ。

違法なことしたかったらそれなりに自覚した上で、torだとかVPNだとか頭を使うべきで、何も考えてない大衆のもろに「違法サイトアクセスします」って公言してるパケットを通す権利守るのはキツくない?

anond:20181016025434

動き出したコンテナは止まらいかもしれないけど、郵便局の窓口ではラベルに宛先と内容物書かされて係員に見られるよね?

客「○○宅に爆発物を送りたいんですけど」 郵便局お断りします

客「違法サイトの80番ポートにコネクション張りたいんですけど」 ISPお断りします

この2つがどう違ってなんで後者だけ通信の秘密を盾にできるのかがよくわからない

例えばメールの内容の検閲等したらそれは完全に駄目だけど、違法コンテンツしかない違法サイトコネクション張らせないのは郵便でいう「宛先ラベル」の段階で断るだけだから検閲じゃなくない?

ブロッキング通信の秘密への素朴な疑問

郵便局は宛先の住所見て外国への郵便は高い料金取るし、北朝鮮の住所書いても送ってくれないよね?

通信の秘密があっても普通郵便現金や法的書類送るなとか、爆発物は送るなとか中身にすらルール決めてるよね?通信内容が完全に秘密だったらわかりようがないんだからナンセンスだよね?

まり通信事業者は宛先を見てサービス変えてるし法律に応じて中身に口出しもしてるよね?

電話だって国際電話かけたら国内電話より高い料金とられるよね?それは宛先の情報取得してるからだよね?

で、ISPにとってIPパケット送信のための必要な宛先情報からISPサーバフィルタリングするしないに関わらず情報としては取得してるよね?

でなんで違法な宛先を断るのがダメなの?上の例で言ったら北朝鮮手紙送れって言ってるようなものじゃない?

俺もブロッキングは反対だけど、宛先見て遮断するだけのことに通信の秘密ってあまり盾になってなくない?

[返信への返信をコピペ追記]

郵便局の窓口ではラベルに宛先と内容物書かされて係員に見られるよね?

客「○○宅に爆発物を送りたいんですけど」 郵便局お断りします

客「違法サイトの80番ポートにコネクション張りたいんですけど」 ISPお断りします

この2つがどう違ってなんで後者だけ通信の秘密を盾にできるのかがよくわからない

例えばメールの内容の検閲等したらそれは完全に駄目だけど、違法コンテンツしかない違法サイトコネクション張らせないのは郵便でいう「宛先ラベル」の段階で断るだけだから検閲じゃなくない?

ついでに言うと、あえてルール違反する人は例えば普通郵便現金入れる人ならバレないように便箋で包んだりするよね。

爆発物送る人だって当然バレないように送るよね。

ISPブラウザから普通違法サイトコネクション張ってくれっていうのは「違法なことします」って言いながら郵便窓口に行ってるようなものでしょ。

違法なことしたかったらそれなりに自覚した上で、torだとかVPNだとか頭を使うべきで、何も考えてない大衆のもろに「違法サイトアクセスします」って公言してるパケットを通す権利守るのはキツくない?

2018-10-14

【5】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181014104131





Day 3



3日目 4,000年に一度


寝る前に飲んだ睡眠導入剤が効いたのか、夜中に一度目が覚めたものの、計8時間ほど眠る事ができた。

自律神経の回復大事なのは睡眠なので、まとまった量眠れたのは喜ばしい。


5:45からの2度寝の最中に見た夢で、自分刃物が絡むような人間関係トラブルに巻き込まれそうになった後、道路が波のように捲れ上がって崩れ落ちる大災害を間一髪で逃れて、その様を遠い目で振り返る後日・会社ビルの前で、髪型の悩みを訴えてくる女性を褒めちぎって赤面させた挙句、恥ずかしさで昏倒させていた。

全身をピンと伸ばしたまま、後ろ向きに倒れた彼女道路に激突しない様に抱きとめて、気分を落ち着けるために、彼女の真っ赤になってしまったうなじをさすっていると、仕事に厳しい事で定評のある女性同僚が「おい!」と咎めてくる。

そうすよね、会社の前では節度を守ってやらないと。

場面が変わって、その後のオフィスでも自分女性を褒めていた。

春の香港で、夢の出演者習近平麻生太郎だったのと比べれば、ややテーマ卑近になった印象がある。

願わくば刃傷沙汰崩落事故スキップして、女性を褒めちぎる件だけ現実のものとなって欲しい。

7:59、ホーチミン

窓の外の通りではもうスクーターが行き交い、そこかしこクラクションが鳴っていた。

予報によると、今日も雨は降らないらしい。


今回の旅程には自律神経の調子以外にもちょっとだけ不安要素がある。

前にも書いたが、2日後の帰国便は6:25発。

当日にホテルをチェックアウトしては到底間に合わないので、前日にチェックアウトして、タンソンニャット国際空港で夜を明かす事になるのだ。

そうなると日中歩き通しも辛いので、何処かで休めれば一番よく、H.I.Sの支店でそれが可能かどうか確かめたかった。

電話で事足りるのかも知れないが、日本人と顔を合わせて確かめたい。

朝食後の散歩ついでに行ってみよう。


軽く支度を整え、ベッドにチップを置く。

ハウスキープの感謝も有るが、防犯についても少しだけ考える。

ベトナムではチップの習慣は一般的では無いらしいし、これだけ格式の高いホテルホテルパーソンが悪さを働くとも考えづらいが、充分な額のチップがあれば不意に襲ってくる邪念の抑止効果にもなるかも知れない。

適正な額は分からないが、昨夜食べたバインミーが25,000ドン、と考えると昨日置いた5,000ドンでは軽食にも足りないぞ。安すぎだ。

仕事片付いたらバインミーを食べられる額、25,000ドンを置いて部屋を出た。


ホテルの目の前にある公園で、制服を着た少年の一群が、順番に手にマーカーを持って走り、おそらくは地面に置き、次の少年がまた走ってそれを回収するという運動をやっていた。

授業である事は確かだろうが、何の授業かはわからない。

少年達の歓声が、快晴の朝の公園風景をより活き活きとしたものにしていた。


「そちらのラウンジがあるので営業時間中はご自由にどうぞ」

H.I.Sの日本人女性スタッフちょっと素っ気ない感じで、満面の笑み少し期待していた自分の甘さにガッカリした。

接客業者が客に対して笑顔で接するのは日本独特の事で、ベトナム人にそういった過剰サービスは期待していなかったが、日本人に素っ気なくされると少し驚く。

異国に長く住めば、日本人でもサービス異国風になるのだろうか。

ラウンジにいたベトナム女性スタッフの方が物腰は柔らかかった。

まあとにかく、明日、ここで休憩できるのは間違いない。

ちょっとだけ一息ついて、目と鼻の先にあるフレンチコロニアル様式建物に向かった。


歩いて5分もないところにある美しい建物は2つ。

サイゴン大教会と、サイゴン中央郵便局だ。

黄色い壁の中央郵便局に向かう。

ここはレートの良い両替所として事前にチェックしていたが、入ってみると内装レトロな美しさに圧倒された。天井のアーチの下には扇風機が緩やかに回り、さらにその下に並ぶカウンターでは人々がガラス越しに職員と話している。郵便か、預金か、両替か。

アーチの突き当たりに掲げられた、ホー・チミンの絵画がその様を見守っている。

まるで映画光景だ。

スマホで何枚か撮ったが、出来ればちゃんとしたカメラでも撮りたい。

可能ならまた来よう。

と、外に出ようとして、館内の土産物屋が目に留まり、のぞいて見ると帽子が売られている。

強い日差し辟易していたので好都合だ。

黒いハットをレジに持って行った。

「80,000 don.」

まとめて整理して置いた札束レジ女性に渡す。

「non , non. That,s 800,000 don. This is 80,000 don.」

お金流通する郵便局で派手な間違いをしてしまった。ドンマイ。

ベトナム人はこういう際にも誤魔化しはしないらしい。


すぐ目の前の大教会はその眼前にマリア様が起立している。

マリア様センターに一枚。

朝の散歩の成果としては充分なので、一息つける場所を探す。

と、広場脇の木陰に、白いドレスを着た少女大人に手を引かれて、何かの記念撮影の準備をしていた。

花飾りを身につけた少女は小さな淑女だ。

「Excuse me , Mr, I want teke she photograph.」

近くのカメラマンに話しかける。

から考えれば文法メチャクチャだが、自分の為だとゼスチャーで伝え、

She is beautiful.」と言うと、カメラマンは笑顔

「No probleme.」

マリア様に続いて、木陰で微笑む小さなレディーを写真に収めることができた。


ホテルに戻る途中のカフェで一息。

ここで旅の目的の一つ、練乳たっぷりベトナムコーヒーが飲めそうだ。

カウンターで指差し注文をすると、ややあって陶器カップに注がれたベトナムコーヒーサーブされた。

カフェの奥に陣取って口にする。

柔らかで濃い苦味に、底に溜まった練乳がほのかに香る。美味い。

旅の目的に充分耐えうる味だ。

ふと思いついて、ベトナムMV撮影したガールグループ新曲DLした。

強い日差しの中を歩いてなんとなく思い出し、この瞬間にぴったりだと思ったからだ。

コーヒーを飲みながら聴く

日本で聴いた時は「ちょっと古いテイストだなぁ」と思っていたが、自称「4,000年に一度の美少女」が唄う希望自由に溢れる歌詞と、明るいメロディーに涙が溢れてきた。

自律神経をやっていて心がある面で脆くなっているのは間違いない。

でも涙を流せばストレスも流れ落ちると言う。

泣けるのはきっと良いことだ。

この瞬間を楽しもう。きっと今しかできないことがある。


ホテルに戻る道すがら今度は女学校の前を通りがかった。

校門にたむろする白い制服

カオタン テクニカルカレッジでもそうだったのだが、校門前にはスクーターが引っ切り無しにやってきて、学生が乗り降りしている。

ちょうど昼時だ、近くに食事を取りに行くのかも知れない。

自分はひとまずホテルに戻ってシャワーを浴びよう。

女学校を通り過ぎてしばらくすると、正面から長い黒髪少女が駆けてきて、すれ違った。

遅刻だ、遅刻。急ぎな。」


【6】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 3|センターの神通力 へ >>

2018-10-06

無理

ツイッター介して郵便事故

品物が相手に届いてないって今日知らされた。

早く問い合わせとか対策したいのになんでこんな時に限って連休で全部休みなのか。

多分私が返金してその人にブロックされてこの件は終わる。

なんかやだね。私なんかと取引したばっかりに不快な思いをさせてしまった本当にごめんなさい。

生きててごめん

2018-10-04

中国から謎の書留郵便が来てる

不在票入ってた。なんなんやろ。心当たりのある通販はしてない。

2018-09-30

ヤマト銀座採用貴族運営する最大手奴隷

根性が腐っているので、国・郵便アマゾン文句を言うくせに従業員残業代を払わないのである

2018-09-20

滅ぼしたいビジネスマナー

自分宛ての郵便は「行」で書く

・「行」で受け取った側は「様」や「御中」に書き直す

無駄多すぎだろ

2018-09-16

人に感謝されることをしよう

子供の時から晩酌ときいつも会社文句を言う父親をみて、会社員にはなりたくないと思っていた。

しかし人に雇われる以外の生き方を知らなかったので、大学4年のときなんとなく就職活動して失敗。大学院に入院した。

今、なんとか研究者として食えてるものの、大学業界の先行きは暗い。

ここまでは、人から必要とされることをやっていたら、自然と食えるようになってきたのだが、上司が変わり、私の仕事はあまり必要ではなくなったと言われ、やっても評価されない仕事押し付けられ、家でも家族邪魔者扱いされ、誰から感謝されないと思うと、近い内に自死するしかないと思えてしまう。

人に感謝される仕事をしたい。じゃないと生きていけない。きつい仕事でも、大変な仕事でも、必要として、喜んでくれる人がいれば楽しい仕事になる。

翻って見ると、日本人は人に感謝を伝えるのが下手だ。

から多くの仕事がつまらない仕事になっている。人手不足になるのも当たり前ではないか

郵便配達にもありがとう言おうよ。

2018-09-12

AIを導入するなら

RPAとか流行ってるらしいけど、

AIで間接業務自動化をするならエクセルファイル印刷して、ゴム判子を押して、スキャナーでスキャンしてファイル名替えて所定のフォルダに入れた上で印刷して郵便で送付する超重要仕事自動化して欲しい。

2018-09-01

俺も3年前に自宅前から単車を盗まれたことがあるが、半年位経ってから警察から電話があり

「見つかったから来て欲しい」と言われて、早速行ってみると、単車ボロボロに壊れていたので

警官に聞いたら、このバイクを盗んだ少年事故を起こしましてお亡くなりになりました。と言われた。

その瞬間怒りは消えて「あははざまぁ~みろ!」と言ったら警官にすごく怒られた。

でも俺は「他人財物を盗んで盗んだ物で命を絶ったのだから自業自得でしょ」と

言ったらそれ以上は何も言って来なかった。

盗んだ奴の遺族に単車を弁償してもらうので住所を教えて欲しいと言ったら、

最初は「親御さんの事を考えて損害賠償請求する事は控えて欲しい」と言われたが、

「私は泣き寝入りしろという事ですか?」と強く粘ったら、盗んだ奴の住所を教えてくれた。

俺はその親に内容証明郵便単車代を請求したら、あっさり満額支払われた。

オマケ盗難保険も入っていたので二重取りでウマー

俺の単車を盗んでくれた××君どうもありがとうあの世いつまでもツーリングを楽しんで下さい。

2018-08-30

楽天カードに申し込んだんだけど

//追記//

電話で問い合わせた。結論から言うと時間かかるけど作れる。アドバイスくれた人ありがとう

電話で問い合わせたら

佐川受け取り人確認サポートでは、住民票保険証転出証明書住民票コード通知書や保険料年金領収書年金手帳じゃ受け取れない。

・発送方法の変更をしたいが今カード佐川にあるので、楽天に戻ってきたら保険証で受け取り可能な「本人限定受取郵便」で再送する。到着に2週間くらいかかる。

「実は2週間後に引っ越す予定なんですけどどうしたら」

・では楽天から封筒を送るので、それに新住所が書いてある新しい住民票コピーを入れて楽天に送るように。届き次第カードを、保険証で受け取り可能な「本人限定確認受け取り」で送る。

・多分9月中旬カードが届く。8000ポイントは受け取れる。

とのことで、カード作れるし8000ポイントも受け取れるしクレヒスも育てられる!

アドバイスくれたみんな、ありがとう

//追記ここまで//

今回は佐川の受取人確認サポートっていうので届くらしい。

受け取る際に本人確認書類提示必要で、

運転免許証

パスポート(日本政府発行のもの)

在留カード

外国人登録証明書

特別永住者証明書

個人番号(マイナンバー)カード顔写真のもののみ有効

のいずれかしか確認に使えないらしい。

免許証マイナンバーカードも持ってないや。無理じゃん。受け取れないじゃん…。

これで私も楽天カードマンだ!とか思ってたのに残念。

7年前の期限切れのパスポートじゃ駄目かな…だめだよな。

銀行で作るしかいか…。

8000ポイントしかった…。

ブコメ

正直情弱向けカードだと思ってバカにしてた。情弱は私だったわ。

2018-08-27

anond:20180827143821

ヤクザよりも漁師大工が背負ってるものってイメージのほうが一般的じゃないか昔は。

郵便大臣?なんかも刺青彫ってたくらいだし。

2018-08-24

警察検察に行ったり民事裁判を起こしたりした話

警察被害届を出そうとしたとき、私は北海道にいたので、北海道苫小牧署に行った。

そこでは、事件が起こった場所被害届を出すのがよいから、横浜に行く機会があったらそのとき警察に行くのがよいと言われた。

その旨を、現場管轄である神奈川県警戸部署に相談してみると、やはりこちらに来る機会に来署してくださいとのことだったので、

数か月後、東京に行く用事のあったときに、戸部署に寄った。

戸部署で話をすると、それでは被害届を受けるので明後日また来てくださいとなった。

なので2日後にまた行くと、女性警察から被害届は受けられない、ただ話を聞きたいだけだと聞いている、被害届を出したら加害者が怒ってあなたに何かするかもしれない、同じ女性としてあなた危険な目に遭う可能性にさらすことは出来ない、という話をされた。さらには、どうして時間が経ってから来るのだと言われた。(そのことについては事前に戸部署に相談しており、こうなっているのに。)


苫小牧署の対応と随分と感触が違う。

北海道に戻った私は、再び苫小牧署に行き、こういう被害届を出したいと言われたら苫小牧署ならどういう対応しますか?ということを質問した。

そういった場合にはこういう捜査をするだろう、という説明苫小牧署の警察から受けた。

から警察に不満があれば監察に申し立てるとよいと聞いたので、

戸部署ではじめに対応してくれた警察官と2日後に会った女性警察官とでは話が違ったこと、

苫小牧署ではこういう相談があればどういう捜査をするという話をしているのに戸部署では被害届を受けつけてくれなかったこと、事件に遭った場所によって捜査格差があってよいのか、

ということなどを手紙に書いて、神奈川県警の監察に送った。


手紙が届いたであろう頃に、戸部署に電話をしてみると、電話を取った人からして、ああはいはい、と話をわかっている感じであった。

そして、私の事件刑事課の(企業でいうと)部長クラスと思われる人が担当することとなった。

監察の力ってすごい!


ところで、私は、例えば「医師は全員女性なので安心」のような、女性相談を受けるスタッフ女性なので安心だという世の中の謳い文句安心を感じたことがない。

戸部署の女性警察官のように、「同じ女性として」という文句が「私も我慢しているのだからあんたも我慢しろ」という風に使われることがあるからだ。

生物学的な性が同じである前に、私とあなたは別の人間だ。

たいていの事件には加害者復讐可能性というのは伴うのではないか。そうした場合被害者は泣き寝入るしかないと警察はいうのか。

被害届を出すかどうかは私が決めることではないのか。同じ女性からといってそれをさせてもらえないのであれば、私とあなたは別の人間であるということの尊重のうえで相手の状況を慮ってくれる男性警察官が担当となってくれた方がいい。



事件捜査してもらえることとなって、2か月に1回くらいの頻度で戸部署に呼ばれた。

その頃には北海道から埼玉引っ越していたのだが、平日の昼間に片道2時間近くかけて警察まで行かなくてはいけないのはなかなか大変であった。


戸部署では、いつも刑事課の個室の中で話をきかれた。

その個室に入るときは、携帯電話をドアのポケットに入れなくてはならなかった。”いつもは悪い人を取り調べる部屋だから、外に連絡して打ち合わせることができないように”という説明を聞いた。

たいてい冷たいお茶を出してくれた。個室の壁のペンキはひび割れていた。警察建物ってたいてい老朽化している。お金がないからあまり捜査をしたくないのかもしれない。でもだからといって私が人権侵害行為を受けたことを泣き寝入ることはしたくない。


車で被害現場まで行き、ここですと指さしているポーズ写真を撮られることもあった。「おお、それっぽいことをしてる」と思った。


被害届刑事作成してくれるのだが、被害者の喋り口調で作るものになっているようだ。加害者被害者ニックネームがあれば、その名前が使われる。例えば、「みちょぱ」と「らぶりん」がニックネームであればそれが被害届のなかで使われる。こういった種類の事件テンプレートなのだろうか、「ときには優しいこともあって、そういうところが好きでした」なんていう文言も入る。つまり「みちょぱはらぶりんの、ときには優しいところが好きでした」という文面が出来上がる。それを刑事に読み上げられて、恥ずかしくってしかたがなかったのだが、こういうものなのかと思い「はい、それでいいです…」と言っておいた。


この頃、私はちょっとした男性不信になっていた。

加害者人権は守られている。例え立件されても、起訴されたとしても、特殊権限のある人がそれを調べない限り、そうなったことは知られない。

そう考えると、道を歩いている人も、実は殺人犯なのかもしれない。あの男の人は親切に道を教えてくれたけれど、家では妻や恋人を殴っているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。


現場に関するものが少しトラウマとなっていた。「横浜」の文字を見ると嫌な感じが湧き上がってきた。加害者がよく着ていたような白いTシャツを着た男の人を見ると、恐怖感が湧いてきた。


私が警察被害を届けることを知人に話したら、その知人が加害者にそのことを告げるということが起こり、ショックを受けた。


加害者が「女性は1人の人間としてではコンテンツとしてみていて、必要がなくなったら他のコンテンツに乗り換える」と語っていたことがあり、その話をまた別の知人男性にすると、その知人男性も「男はみんなそうしたいと思っているところがある」と言って、そのことにショックを受けた。


ネットなんかで「女性ちょっとしたことでもすぐDVと騒ぐから」と書かれているのも見かけると、私の言っていることもそう思われるのだろうか、信じてもらえないのだろうか、と思った。

そんなことがあり、警察にも通っていたりで、精神的負荷がすごかったのだが、それで精神的に不安定になったら、”メンタル不安定な人”ということで、私の言うことの信憑性が低くなるのではないか、と思い、周りに支えの無さを感じていた。

そんなときに、10年ぶりに会った後輩に、これまでにあったことを打ち明けると、

「僕はあなたの言うことを信じますよ。だってあなた、苦しんでいるじゃないですか。」と言ってくれて、こころが救われた。

私が警察被害を届けようとしていることを知人が加害者に告げたことも、女性コンテンツ扱いする発言も、「ひどい」と言ってくれた。ようやく、私がおかしいと思っていたことを「おかしい」と言ってくれる人が現れて、私はほんとうに救われた。


警察捜査の進みはほんとうに緩慢で、1年くらいかかったと思う。

ようやっと書類送検ということになった。

警察で立件された時点で、前歴となり、その記録は警察自治体永久に残るらしい。


横浜地方検察庁に私も1度行き、話をきかれたりした。


事件は「執行猶予」となった。

これは加害事実があったと認められたということである

起訴」には社会的に重大な事件ではないとならないらしい。


その後、民事裁判を起こすことにした。


この時点で時効が迫っていたので、内容証明郵便加害者宛てに送った。こうすることで時効半年延びる。

その間に弁護士を探した。


親切にしてくれる弁護士もいたけれど、証拠が少ないということで引き受けてもらえなかったりした。

嫌な思いもした。被害に遭ったことについて私が馬鹿だと言う弁護士もいた。

私はDV被害者当事者会に出たりして勉強したが、DV被害者というのはみんな自分馬鹿だと思っているんです。そう思っているから、なかなか外に打ち明けられなかったするんです。それなのにそんなことを言う弁護士がいるなんて。

そもそも、人を疑って警戒しながら生きているのが賢くて、人を信じると馬鹿と言われる社会なんて。


そんな中、ようやっと、引き受けてくれる弁護士出会えた。

実は、警察では証拠不十分で立件できなかった加害事実について(数種類の加害行為があり、証拠が揃っているものけが立件された)、加害者検察での供述の中で加害事実を認める発言をしていることを、私は検察から聞いていたのだ。

裁判となれば、その供述調書の開示を求めることができるかもしれない、と弁護士は言った。開示されたら、それが重要証拠となる。


そして裁判が始まった。


東京地方裁判所は大きなビルの中に部屋(法廷)がたくさんあって、廊下の壁は明るい色に塗られ、大きな病院学校みたいだった。

地階に食堂があるので、ここは「裁判に勝つ」ということでカツ丼を食べようとしたのが、カツ丼メニューに無かったのでざるそばを食べた。

裁判官は頭に黒い帽子をのせてポンチョのような黒い服を着ており、「あれは昔はシルクだったけど今は合成繊維になった」と弁護士が教えてくれた。


私も裁判に出席して事件について述べなくてはならなかった。

ハンカチくらいは持ち込んでもよいと聞いたので、すごく緊張したかハンドタオルをぎゅっと握りしめて法廷に立った。

述べる前には、ドラマとかであるように、嘘はつきませんってことを宣言しなくてはならなかった。その文言は、プリントされたものが前に置かれていたので、それを読んだ。

私が述べた後には、加害者側の弁護士から質問をされる。

ここでも結局、私が馬鹿だということを匂わせることを言われる。

いくらDV被害者には特殊心理状態があるという研究があっても、DV被害者当事者団体が訴えても、それはなんにもならない。

私は「はい」か「いいえ」しか答えられない。私を侮辱するようなことを言われても、反論しようとすると裁判から制される。


この後しばらく、私は加害者側の弁護士の喋り口調がフラッシュバックすることがあり、精神的な危機を感じた。

弁護士の喋った内容ではなく、息遣いのようなものフラッシュバックがあった。

これまで警察検察に行ったり裁判を起こしたりして、かなり精神的に負荷を感じることがあったけれど、これが一番ひどかった。なるほどこれがセカンドレイプってやつかと思った。数週間したらおさまったのでよかったのだが。


私の弁護士裁判の中で、検察庁に加害者供述調書の開示を求めてくれたのだが、

それが開示されることな裁判は終わった。

和解ってやつになった。



警察被害を届けたり裁判を起こすときに、どうして警察に行くの?どうして裁判をするの?と言う人たちがいた。どうしてそういう質問がなされるのか私にはわからなかった。

泥棒に入られたら警察に行くのと同じことだと思った。カバオくんを泣かせたバイキンマンは、アンパンマンにやっつけられる。幼稚なのかもしれないが、世界はそういうものだと思っているので、私には泣き寝入るという選択肢は無かった。けれど、泥棒に入られても警察に行かない人もいるのかもしれない。

「得られるものに対して自身へのダメージが大き過ぎる」と忠告してくれた人もいた。

(確かに、負荷は大きくて、円形脱毛症になりかなり派手にハゲをこさえた。裁判が終わって1年近く経つ現在もまだ完治していない。)

そう考えて泣き寝入る人たちはたくさんいるのだろう。けれど私はそんな例を増やしたくはなかったし、このままあったことを無かったことにされたくなかった。

暴力的自分の意にそぐわない状況に置かれるという体験は、私の自己効力感とか自信を失わせるものであった。

むかしの私は将来に希望を持っていて活動的であったが、被害に遭った後は、何かをしようと思っても、自信がが持てずに力が入らないのだ。

警察に行ったり裁判をすることは、暴力的に意にそぐわない状況を受動させられたことを、自分で動くという能動に変えることであった。

から私は、やれるだけのことをやってよかったと思っている。

2018-08-20

結構かい

戸籍謄本を郵送してもらう必要があり、本籍地役所申請一式出した。

そこで引っかかったのが封筒の重さ。

申請書に定額小為替免許証コピー、そして角形2号の返信用封筒切手を畳んで入れたら、簡単25g以上になってしまう。

これには驚いた。ウチに秤があったから良かったが、危うく封筒を突っ返されるか、受取先に迷惑をかける所だった。

しかし、封筒の重さで料金が違うのは理解できるが、25gに50gという区分では、今回のようにすぐ想定外の重さになる。

いや、別に切手多めに貼っとけって話なのはわかるが、ずいぶんと細かいなーなんて思った次第。

しかもきょうび郵便なんて滅多に使わない上に、いざ使うとき普通ハガキ手紙よりも一手間かかるものばかりだから、尚更詰まるというか。

先輩から必要書類郵便で来てるか確認して欲しいとラインがあり

郵便担当している後輩に、って先輩から連絡あったんだが…と

話したら後輩の方にもラインが入っていて、後輩が既読つけないか

こっちにも送ってきたらしく、まぁ12時くらいに確認してくればいいよね

なんて話をしていたのだが、後輩は郵便物取りに行くのを忘れているし

郵便物を取りに行ったら行ったでわざわざなかったことを伝えてくるし

いやいや先輩に自分で連絡とれよって

後輩に使われるのもイラッとするけど

先輩と連絡取るのを面倒臭がっているのが丸わかりだから

余計にイラッとするんだよなぁ

というか多分先輩からラインも来てるのわかっててスルーしてたなこれ

2018-08-05

祖父から聞いた戦時中の話

 ドラマこの世界の片隅に」を見ていて、横柄で大袈裟に騒ぎ立てる憲兵さんが登場したところでふと祖父から聞いた話を思い出した。

 威張りくさって周りから怖がられていた憲兵さんは、終戦と同時に夜逃げ同然に姿を消していた、相当恨まれていたらしい、と。祖父自身特に憲兵さんと関わり合いになることはなかったのでその話はそれでおしまいだが、祖父から聞いた戦時中の話を忘れないように記しておこうと思う。

 あくまで何年も前に祖父から聞いた話なので、一部正確じゃないところもあるけどご了承ください。

軍需工場

 終戦の年から二、三年前、東北地方出身の当時十代の若者だった祖父は、軍需工場で働いていた。工場の持ち主は、今でも名を変えて現存する大企業だった。

 私の父は戦時下の話をあまりいたことがなかったそうだが、祖父は孫達にはよく話して聞かせてくれた。もちろん辛いこともあったろうが、祖父から話を聞くと「結構楽しそうだな?」と子供心に思ったものだ。

 何故なら、ある時祖父パソコンインターネットの使い方を教えていた時、GoogleMapを開き見たいところがないか聞いたら、祖父は「昔働いていた東京を見てみたい」と言ったのだ。

 そこで当時の蒲田区があったところを見せると、祖父は懐かしそうにここに工場があって、ここの川で昼休みに水浴びして、休みの日に遠足でここまで行って…といろいろ説明してくれた。

 聞けば祖父が働いていた工場の寮はとても待遇が良く、特に食事が良かったと。

 祖父はそこで生まれて初めてライスカレーカレーうどんを食べたそうだ。とても美味しかったらしい。今でも祖父の好物はライスカレーだ。

 近くに他の工場もたくさんあったが、そんなに待遇がいいのは珍しかったそうだ。休み時間に別の工場の人と話をすると、そんなにいいものを食べられるなんて、と羨ましがられた。

 そんなに食事がいいのにはもちろん会社側の「健康若者をこの工場から徴兵して貰って、国から褒めて貰おう」的な思惑があったそうだが、祖父徴兵される前に終戦を迎えることになる。

 祖父に話を断片的に聞く限り、戦時中で大変なこともあったろうが、田舎から出て来た若者らしく都会で楽しく過ごしていたようだった。ちなみに東京空襲の時はどうしていたの? と聞いたら、祖父がいた寮から遠くの夜空が明るく光って見えた、とだけ教えてくれた。防空壕に逃げたという話は聞いていない。とにかく直接被害は受けなかったらしい。おかげで私の父も私もここにいる。

(後で調べたら東京空襲蒲田区はあまり被害がなく、その後の別の空襲で爆撃を受けたと知ってぞっとした。よく生きていたな…?)

終戦

 終戦の直前、国の広報日本は勝ってると言い続けていたが、みんな負けていることはわかっていたらしい(それこそ憲兵さんに聞きつけられると面倒なことになるので、誰も口にはしなかった)。米軍が撒いた「日本は負けるよ」と書かれたビラもよく落ちていた。

 案の定昭和二十年八月十五日に日本降伏した。

 それと同時に祖父が働いていた工場は操業を停止した。軍需工場から戦争に負けた今、工場で作るモノなんて無いから。そこで祖父は同じ地方出身の者達と相談して、故郷に帰る電車切符を手に入れるのに奔走した。

 交代で列に並び、四、五日かかってようやく切符を手に入れられた。その時に町を出て、祖父は荒廃した東京風景を見て愕然としたという。今現在、よくテレビで目にする終戦直後の驚くほど何もない東京映像写真のものだった。

 その後祖父は一旦故郷に帰ったが、働く場所を求めて親戚の伝手ですぐに遠く離れた地へ渡り現在に至る。

 祖父現在91歳。もう少しいろいろ話を聞きたいと思っている。私が作ったカレーライスも食べて欲しい。

おまけ

 祖父から聞いた戦争の話はここまでだが、ちょっとしたおまけがある。

 ある時、祖父不思議な顔をして郵便で届いた書類を見せにきた。「これはどういう意味だ?」と。

 それは『ねんきん特別便』だった。よく見てみると、祖父戦時中に軍需工場で働いていた頃に納めていた年金がいわゆる「宙に浮いた年金記録」となっていたことが発覚し、年金受給者の祖父支給されていなかったのだ。祖父自身、その頃に自分年金を納めていたことなど全く知らなかった。

 インターネット検索したら「全国消えた年金相談センター」のウェブサイトによると戦時中宙に浮いた年金記録はたくさんあるらしい。知らなかった。

 とにかく書類に書いてある通り、記入して返送すればお金が貰えるよ、と説明した。書類には覚えてる限りの勤めていた会社名前、住所を書いてくださいとあった。祖父はきちんと記入出来た。きっともう覚えてなくて書けない人もいたんだろうな。

 後日、祖父お金が振り込まれた。祖父曰く「案外少ない」でした。

おわり

2018-07-28

台風を穿け!! ぼくの履歴書

郵便窓口職員「えーっと、台風きてるからいつ着くかわかんないよ」

あ、これ、終わったわ

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時間前の様子はというと...

締め切りギリギリ履歴書いっちょ上がり     19時50分

やばい郵便窓口21時でしまるやんけ      20時00分

コンビニ履歴書印刷             20時15分

光速で飛ばせ! 対面通行高速

わー、夜景が綺麗

間に合うかわからねえ、このスリルがたまらない

ぼくの人生、いま最高に輝いてるぜ

繁華街を急げ急げ               20時40分

この信号さえなければ             20時50分

もうだめかもそれでもいこう          20時53分

あれ、思ったより郵便局近かったな       20時54分

簡易書留速達で               20時55分

そして冒頭のセリフへといたる



ぼくの履歴書よ!台風を貫いて東京へ向かえ!

台風なんかに、負けんじゃねえぞ! 止まるじゃねえぞ!

いい加減この性格を治したい

2018-07-24

#自分をつくりあげたゲーム4選

twitterで盛り上がってるハッシュタグ

参加したいけれどフォロワーろくに居ないwし、twitterで人気あるデジタルゲーじゃないし、140字じゃまともに語れないしでこっちでやってみる。

自分語りチラ裏)注意。

日本機動部隊エポックレックカンパニー)』1982年

人生SLGだった『連合艦隊バンダイ)』と迷ったけれど、次にハマったこれに。ややこしいシステムになりやす空母戦を未確認マーカーと誤認チットを使った索敵、十字型のマスに船を配置して陣形効果表現するといった簡素でツボを突いたシステムで表すことに成功していた。デザイナー鈴木銀一郎氏がTactics寄稿したデザイナーノートもよかった。戦闘参加者の手記の記述から指揮官が彼我の相対速度を下げて自分が撃たれるのを覚悟で必中を狙ったか(敵味方の被害大)、逆に撃ち逃げしたか(〃小)を分ける必要に気づいて攻撃結果表に組み込んでいく制作プロセス説明は、シミュレーションゲームのなんたるかを教えてくれた。

『熱闘12球団ペナントレースホビージャパン)』1984年

野球シミュレーションカードゲーム。各選手ごとにその年の成績から状況別の確率計算で求められた打撃結果パターン守備力が書かれたカードになっていたが、これは当時手に入る中では最高の野球ビッグデータ集で、数字を見ているだけでも飽きなかった。試合は1打席ごとにサイコロ2つ振り、1・1~6・6まで記された打撃結果番号をランナー別に分かれた結果表に当てはめて打撃結果を求める(時には守備投手能力で結果が変化する)。一試合30分で教室の机の上で出来る手軽さから人達担当球団を決めてペナントレースをやったりしたのはいい思い出。それをきっかけにパリーグファンになってやがて近鉄合併反対運動に参加するまでになった。今もやきうオタです。

シムシティ(マクシス)』1989年

説明不要。多数の要素が(時間差をおきながら)影響を与え合うことで生じるマクロ不断の変化の表現に衝撃を受けてノート取りながらプレイしまくった。やがて「エージェントベース社会シミュレーション」なんてテーマ修士論文ネタに選んだのは間違いなくこいつのせい。

N95鋼鉄の虹(遊演体)』1995年

郵便手紙)を使って数千人がかりで一年掛けてプレイする前Web型のMMORPG。一ヶ月1ターンで自分の行動を主催に送ると、数千人の行動の絡み合いの結果どんな事件が起きたのかが短編小説形式で返ってくる。あくま自分キャラ視点で書かれたものなので、他のプレイヤーと情報交換が必要になるがそれが事実とは限らない。来たるべきネット社会幻視させた予言的なところさえあった。実際2ちゃんねるもそこでの様々な騒ぎもデジャビュを感じたくらい。Web社会論や集合知論なんかの議論に参加する下地を作ってくれた。メイルゲームとのファーストコンタクトの『N90蓬莱学園冒険!(1990年)』と迷ったが、N90は他に挙げている人がいたんで個人的に楽しめたこちらを。

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