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はてなキーワード: 幸せとは

2018-01-20

自動安楽死施設の構想を練る

はてブを見ていると、安楽死についての文章を度々見る。

自分は反出生主義。

まれてきた人は全て幸せに生きてほしいと願っているが、どうやら無理そうだ。

死にたいと思い続けて10年。自殺未遂が怖くて、チャレンジすらしないで10年。

安楽死施設の構想を練っているときいちばん楽しく、ニコニコしてしまうよ。

安楽死問題複数あるが、まず「自殺幇助者の精神負担」があげられる。

とすれば、死から墓場までを自動化することで解決しそうだ。

日本では死刑囚を死なすの首吊りが使われていて、

複数ボタン複数人で押すと吊られるが、そのうちの1個が本物、

という仕組みになっていると聞いた。

まず、安楽死施設ではそのボタン自分で押せるところに配置すれば良いだろう。

ボタンを押したあと、確実に死亡したか機械判断

遺書がお母さんのところへ発送される。

自動でおろされ、ベルトコンベアで運搬、花とともに棺に納まる。

ベルトコンベアの上に乗ったまま、私は加熱される。

お菓子工場のように、ゆっくりゆっくりオーブンを通り、私は骨になる。

ちょっとお金がかかるが、私はダイヤモンドになることにしたのだ。

骨の中の炭素が集められ、私はダイヤモンドになる。

真っ白な施設入り口ロビーにあったアクリル製の細い管の中に

“1個”になった自分が追加され、陽を浴びてキラキラと光る。

安楽死施設は、死への夢を叶える楽しい場所だ。

建設して一番最初に利用するのは私だから自殺幇助者はひとりもいない。

全ての人が幸せ人生を終えられますように。それが、私の願いだ。

anond:20180120121101

想像できない範囲のものを思い浮かべて怖がるのは馬鹿げてると思うんだけど…。実際にイヤなことに遭遇してからで充分じゃん。逆に今そういうことが全然ないというのは幸せなことだと思う。

まらない人生を楽しくするにはくだらないことをいかに楽しむかということ

inoue311です。

冒頭から極論になりますが、つまらない人生を楽しくするにはくだらないことをいかに楽しむかということ。

タイトルにもある通り、今の人生がどうしてもつまらないのであれば、くだらないことを楽しむことを心掛けましょう。

別にくだらないことをしたからといって、他人の目を気にする必要はありません。

もちろん、犯罪になることはダメですが、それ以外のくだらないことで人生を楽しめれば幸せです。

まらない人生を楽しくするには、一体どのようなくだらないことをすればいいのでしょうか。

まらない人生を楽しくするには?

まらない人生を楽しくするにはくだらないことをすればいい。

くだらないことというのは、自分自身にとって本当に楽しければどのようなことでもいいのです。

将来に繋がらなくてもいいですし、お金にならなくても構いません。心の底から楽しめることがある人生幸せです。

なんだかんだ言っても人生は楽しまなければ意味がありません。

毎日のように口癖が、「疲れた」「もうどうでもいい」などと呟く人生から早く卒業したいものです。


幸せ人生は本当に人それぞれ

別に結婚たからといって、幸せ人生を歩めるかはまた違います

逆もまたしかりで、幸せ人生は本当に人それぞれということ。美味しい御飯を毎日食べられるだけで幸せな人もいれば、今している仕事が楽しくて仕方のない人もいます

とにかく幸せなりたければ、人生を思いっ切り楽しむこと。

さなことでもできる限り楽しむことで人生ドンドンと楽しくなっていきますからね。ポイントしては、つまらない人やくだらないと感じる人間と付き合わないこと。

自分自身がくだらないことをして楽しむのはいいのですが、くだらないと感じる人と付き合う必要はありません。

ここを同じようにしてしまうと、人生が途端につまらなくなるので気をつけていきましょう。



くだらないことでも楽しんだもの勝ちでいく

人生というのは本当に楽しんだもの勝ち。

人生を心の底から楽しんでいる人には、同じような人間が集まってくるもの

もちろん、人生を楽しめていない人の周りにも同じような人間が集まってきます。どちらの人生選択するかは自分しだいですが、当然ながら人生楽しい方が良いに決まっています

からこそ、くだらないことでも楽しんだもの勝ちでいくこと。

何ごともゲーム感覚で楽しむことで、人生の大半はどうにかなるものですからね。むしろ、このように楽観的に考えることが人生を楽しむ秘訣です。



まらない人生を楽しくするにはくだらないことをいかに楽しむかということのまとめ

今の人生がどうしてもつまらないのであれば、ブログを書くことをお勧めします。

このようなブログ記事でもいいので、ドンドンと好きなことを書いていきましょう。文章を書くのが下手だからという理由で、ブログを書かないのは非常にもったいないこと。

ブログコンクールでもなければ、何かの評価を定めるテストでもありません。

自由に感じたことを書くだけでストレス解消にもなりますし、何よりも人生が楽しくなってきますからね。

嘘だと思うのなら、ぜひブログ自分だけの視点で書いてみて下さい。



ブログを書くと人生が180度変わっていくのが体感できますよ!

夢で話せて幸せ

他愛無い会話だったがお話できて本当に幸せ気持ちになった。

そういえばリアルのほうでも名前聞くだけで幸せを感じるようになってたっけ。

でもこういうのだめなんだろうな。ある種の神聖視というか…ゆくゆくは勝手に嫌いになって、迷惑かけて、ろくでもないことにしかならないのだろう。そんなのよくない、本当によくない。

anond:20180115171411

元増田です。増田はてブのみなさん、いろいろありがとうございます!せっかくなのでみなさんの意見をまとめてみました。

固形食が食べられない時なに食べればいいか
結果として増田が食べたもの
増田のその後

今回の口内炎ですが、口を1cm以上開けると強い痛みが走り、口を開ける量と痛みの程度が一致しているやつでした。通常時でも痛く、少しでも歯に当たったりしても痛かったので、ベッド上で寝返りを打つと痛く、椎間板ヘルニアにも似たQOL破壊ぶりでした。増田は腰の痛みで眠れなくなる椎間板ヘルニア経験たことがあります。早く歩くのでさえ億劫になる痛みがあるやつです。

口内炎に直接貼るパッチを買ってみたのですが、そもそも指で貼れないほど奥という始末。結果として流動食に頼るという生活を送りました。かさがあるものは口を開けた時に起きる激痛のせいで食べられないんですね。なので無理して食べろっていう案は不可能だったんです。そういうことを言ってきた人はまだ本当に痛い口内炎にあったことがないんだな、脳が幸せなんだなって思いました。

のじゃおじさんの就職先がどうなのかは分からないが

例えば、コストを考えなければ、バーチャルユーチューバーを実現するために新規性のある技術はまったく必要ない

逆に、徹底的にコストを下げる、

例えば、iPhone X一台とこのアプリさえあれば誰でもできます、みたいな、金を掘るより、ジーンズツルハシを売る方が賢い選択だろう。

スタジオよりも自宅のような場所、室内よりも屋外でもライブトラッキングできるようにもしていけるだろう。

そうなると、結局寡占状態になっていく。

屋外でライブバーチャルユーチューバーをするとして、その取材先とか、その行動力とか、ネタ重要になっていくわけで、

失礼ながら、のじゃおじさんの頑張ってきたことを簡単凌駕する環境が待っているのではないか、と推測する。

技術的優位性も発揮できないとなると、のじゃおじさんとして成功した、という話題性だけになってしま危険性もある。

こういう先駆者がいました、という昔話として消費されて終わってしまう。

となると、待ち受けてる環境技術優位性を示すか、企画力か、いずれにしても「好きなことで食べていく」というのは過酷だなあ、と思わざるを得ない。

もちろん、嫌いなことで食べていくのも地獄である

話は変わるが、日経で「人工知能機械学習系の求人が増えている」という記事を見てモヤモヤする。

そんなに仕事がありうるだろうか。

大手ならいざ知らず、安易AIMLに走る前にまずExcelだったり、導入しても負債になりやす技術にも思う。

よく分かってない、おっさん経営者や人事が促しているのだろうか。

今の時代、本当に技術優位性を生み出しづらい。

Game Engine一つとっても、昔は自分で書いたり、プロも秘蔵の個人ライブラリを持ち歩いていただろうが、

今はUnityUnreal比較対象になってしまう。

ちょっと前まで難しかたこと、面倒だったこと、一部の人しかできなかったことが、

とりあえずなら中学生ぐらいでも実現できてしまうようになっていく。

OpenCVが登場するまでは、各大学研究室、国の研究機関であれ、その研究室組織独自の秘蔵のライブラリがあった。

しかし、今はOpenCVもある、Dlibもある、とりあえずface trackingぐらいなら誰でもできてしまう。原理は分かっていなくても

そういう機能iOSなどに当たり前のように入り、snowのようなアプリが誰でも書けるようになって、陳腐化して、つまらなくなっていく

しかし、他者に、他社に勝つためには差別化しなければならない。

技術簡単には勝てない、お金でも勝てない、では、どうやったら他に勝てるのか

辛い時代だなあと思う

正直、TKのように一山築けた人はまだ幸せだと思う

看護助手って表現要らなくない?

まずは電車内で出産された方、取り上げた方、現場居合わせた方、皆さんお疲れ様でした。

無事ご出産されたこと、本当に喜ばしく思います

お子さんの成長を強く願っています

***ここから本題です***

柏駅ニュースでさ、元看護助手の方が!ってどの報道でもやってるけど要らなくない?

何人も産んでる肝っ玉母ちゃんがたまたまその場にバスタオルを持って居合わせ、適切な処置を行いましたってだけでいいじゃん。

それだけでハッピーじゃん。

看護助手ガーなんて言っちゃったらさ、意味を知らない人からすれば字面イメージでその人が元看護助手「だったから」助かったって思えちゃうし、意味を知ってる人からすれば「元」「看護助手」って素人じゃん?ってなることはちょっと考えればわかるじゃん。

結局助けられた人も助けた人も変な形で矢面に立つじゃん。

しか看護助手看護助手って報道ちゃう看護助手看護師!って思いこんじゃった人とかさ、現在でも元でも看護助手の人とかに変な使命感が生まれ医師看護師准看護師看護助手も困っている人がいたら助けましょう!って流れになったらどうするわけ。

困っている人がいたら助けるのは当たり前だよ。

そりゃそうだよ、ほっとけないよ。

だって困ってるんだもん手を貸すよ。

でも「資格を持った専門家である人」と「資格を持った専門家である人のそばにいる人」じゃ評価違うじゃん。

で、そこで(対処法を見たことあるから知識人ぶっちゃう人とか、この人は「看護助手」だからこの人の言うこと聞いてれば助かるって勘違いされる危険だってまれてくるじゃん。

近い環境に身を置いていたか何となくそれっぽいことが出来たとしてもそこを表面に出しちゃうと同等に扱われる危険だってあるわけじゃん。

世間評価看護助手医療行為が出来る人(知識がある人)って誤解が生まれるじゃん。

SNSとかで元看護助手文句言ってる人なんなの?助かったんだしいいじゃん?みたいなこと書いてる人いるけどさ、きっと元看護助手ってとこにモニョモニョしてるひとはその人の行いじゃなくてその後の報道表現が気になってるんだと思うんだよね。

看護助手だったから動けたのかもって言ってる人いるけど推測でしかないじゃん。

どんな環境にいようと動ける人は動けるし動けない人は動けないよ。

もし今後同じように看護助手の人が事故現場出産現場に立ち会って何もできなかったときに「看護助手のくせになんで助けられなかったの?」って非難するの?

そんなのかわいそうじゃん。

だって病院で働いてる専門家ではない人だもん。

から別にそこは世間に出さなくてもいいと思うんだよ。

で、こういうことを書くと何を言っても結局立ち会った人を叩いてるって評価つける層が一定いるんだよ。

叩いてる人を非難したいわけじゃないんだよ。

しろ話題の人を守ろうとしてるわけだし正義感強い人だと思うよ。

ここで話したいのは結局不用意に色んな情報を付けたしちゃう問題火種しかならないってことなんだよね。

もし変に問題が大きくなって赤ちゃん誕生を素直にうれしく思えなくなったらそれって凄く悲しいことだよ。

こういうのも一助になる可能性があるけど怒りが爆発したので書き込んでしまいましたごめんなさい。

で、世のマスコミは誰も幸せにならない報道して何が楽しいの?

幸せになりたいなぁ

てみんなが思ってるんだよね。

世の中の人間の全ての行為は「幸せになりたい」という気持ちから行われている。

そして時々衝突する。

運が良ければお互い妥協していい感じになるけど、大抵弱い方が潰れる。

悲しいなぁ、みんな幸せになりたいだけなのに。

2018-01-19

博論審査を終えて(所感、長文)

周囲の誰にも話せないので、誰も見ていないかもしれないが、ここにツラツラと書く。

出来の悪い駆け出し研究者の戯言だが、誰かが聞いていてくれたら嬉しい。

身バレは怖いので、専門分野は伏せさせていただく。


先日、博士論文審査を通過して、学位取得がほぼ確定した。

正確には、まだ微修正製本作業があるので、学位授与は2ヶ月ほど先だが。

博論審査が終われば、いろいろと解放されると思っていた。

ブラック気味の所属研究室からも抜け出せるし、次のポスト任期付きだが決まっている。

結婚、の予定は無いし恋人も居ないが、ずっと放置していたプライベートも少しは充実できるだろう。

しかし、実際に終わってみて、期待したような達成感や開放感は全く無い。

それどころか、非常に後味の悪い悔しさばかりに捕われている。

まりに虚しく、情けなくて、もう3日ほど布団から起き上がれない。

私の博士論文は、とても酷い代物だった。

「3年(あるいは5年)間の研究集大成」ではなく、「研究者としての第一歩」にもならず、

博論審査を通過するためだけの博論」にしてしまった。

非常にせこく、下品で、信念が無かった。

こうなったのは当然で、自業自得だ。一貫した研究をやって来なかったのだから

博士課程の研究とは、(人によっては修士課程からかもしれないが)

「1つの大きな研究プロジェクトを立て、試行錯誤しながら遂行する」

プロセスを初めて自力で行うものだ、と思う。

私は、この最初から躓いていた。

博士課程において(おそらく)一番重要な、「1つの大きな研究プロジェクトの構築」が出来ていなかった。

長期的なゴール設定も無いまま、目の前の課題盲目的に取り組み、とりあえず日々忙しいからと慢心していた。

なまじ、目の前の課題は山ほどあったので、散発的にでも小さな成果が出れば、研究したつもりになれた。

本当は「個々の課題が、より大きな研究計画の中で、どう位置づけられるか」こそが重要だったのに。

私は問題本質から目を逸らし続け、そのまま博士3年の後期まで至ってしまった。

10月後半、いよいよ問題から目を逸らせなくなった時、私の目の前にあったのは

複数の、脈絡ない研究課題の、小さな成果の寄せ集め」だけだった。

個別の成果だけでは小さすぎて博論にならないし、全体を包括するストーリー存在しない。

私には、博士3年間でこれをやりました、と言えるものが無い。

そして、この愚か者がどうしたか

分かりやすい業績(論文等)が出ている話を掻き集めて、後付けでゴールを作った。

つぎはぎだらけの代物に、博士論文タイトルをつけて提出したのだ。

元々興味があった話題は、切り捨てた。十分な成果が出ていなかったから。

私のこれを博士論文と認めて良いのか、自信が無い。

少なくとも、「3年間の研究集大成」では決して無い。

なんて、取り返しのつかない事をしてしまったのだろう。

恥ずかしくて、情けなくて、泣きたいのに涙も出ない。

それでも、博論の提出条件(論文数など)に適っていたから、私は合格を頂いた。

私のこの学位は、半分以上「お情け」で与えられたものだと思う。

これを誇れるだろうか。

博士号とは何だろうか?

私は博士号に値する人間になれただろうか?

博士号とは、先を行く先輩研究者たちに

自分が一人前の研究者であり、1つの研究プロジェクトを完遂させられる人物である

と納得させて、自力で掴み取るものじゃないのか。

お情けで頂いて良いはずがない。

恥ずかしい。悔しい。

それでも、頂いた博士号を返却する気はない。(もっとも、取り消し以外でそんな制度は無いが)

今のラボで、オーバードクターする気もない。

見切り発車で学位を頂いてしまったのなら、これから博士号」に見合う人物になるしかない。

しかし、なれるだろうか?

私なんかが、3年かけて1つの研究プロジェクトも成し遂げられなかった人間が、この先一人前の研究者になれるだろうか。

いっそ、怠けていたら幸せだったと思う。

少なくとも、怠けた故の失敗なら言い訳ができた。本気を出せば良かったのだ、と。

私は、方向性の正誤はともかく、言い訳余地が無いくらいには必死に頑張ってきた。

その結果がつまらないものだったのだ。一体どう受け止めれば良い?

努力たからえらい、結果よりプロセス大事だ、なんて言えるだろうか?

私は言えない。

大人世界では、結果が全てだ。プロセスじゃない。当然だ。

覚悟していた以上に、自分は出来損ないの期待外れだった。

どんなに頑張っても、理想ハードルは超えられない。

自分の期待も、他者からの期待も、簡単に裏切ってしまう。

私は非常に、信用できない奴だ。

でも私には、こんなに信用できない自分くらいしか味方が居ない。

今後も、この胡散臭い研究者もどきを信じて、地道に努力を重ねるしか無い。

そうして度々、期待を裏切られては失望して、潰れて、また立ち上がるしか無い。

他に、私に選べる選択肢など無いんだと思う。

酷い博士論文を提出して、博士号を頂いてしまった分、

自分失望した分、他者失望させてしまった分、この先結果を出していくしかない。

一人前の研究者に、なれるか自信はないが、なろうと努力するしかない。

結果はすぐには出ないから、きっとまた暫くは、挫折感や敗北感とのにらめっこだ。

失った期待や信頼は、一朝一夕には取り戻せないし、そう簡単に一発逆転は起きない。

また1つ、恥を上塗りしてしまった。

また1つ、今後の課題を増やしてしまった。

しかし、挫折や敗北から這い上がることだけは、幸か不幸か慣れている。

博士号に見合う研究者たるべく、今回の反省点を、今後に繋げていこう。

私はきっと自分に甘いし、世界は私に甘くないから、今後もっと苦しいだろう。

それでも、頑張る。

頑張る以外の選択肢が、最初から存在しない。


3日も泣いて寝込んだ。

明日こそは早起きして、やるべき事を地道にやっていこう。

親の教育がクソで死ねって思って爆死寸前に

俺の親は共働きだった。

父親公務員

母親事務


俺は小さい頃からロボットみたいにいうことを守ってきた。

門限を気にし、起床時間、親の言う事、親の価値観を気にしてきた。

守らなかったら、怒声を食らった。

から怒鳴られ、旅行先で怒られ、俺はいつも怯えていた。

もちろん、ムカついてもいたが、守っていれば褒められたので、

嬉しいときもあった。


親は世間には良いかっこして、悪く思われないようにと必死だった。

気に食わないことが在ると、世間を見下すことによって自分たち肯定していた。

俺もその「相手を見下す」方法でもって叱られた。

自分の考えをバカにされ、「今のお前にはわからない」と言われてきた。


親は口癖だった。

「好きにすればいいじゃん。」

「好きにすればいいじゃん。」


何を言っても同じだから、悩みを相談たことは一度もなかった。

そして俺は好きに生きなければいけないという価値観に縛られていた。



もう一つ口癖があった。

「人様に迷惑をかけるな。」


ならいうだろう。でも、言われた俺はもうよくわからなかった。

迷惑をかけず、好きなことをするなんて、できなかった。

親のいう人様なんて9割自分たちのことだ。

親に迷惑をかけずにできる好きなことなんて、オナニーぐらいだった。


親は「お金が無くても幸せと感じて欲しい」と願って教育してきたようだ。

俺はその願いを遂行しなければいけないと思っていた。

学校はいろんな言葉を習った。

「恒産なくして恒心なし」

一定職業財産を持たなければ、しっかりとした道義心や良識を持つことはできない。)

「衣食足りて礼節を知る」

(人は生活に余裕ができて、初めて礼儀節度をわきまえられるようになるということ。)


大人になった時、俺は就職せずに社会にでた。

大多数が就職するように教育されてきただろうが、俺は違った。

就職がわかんなかったから、お金がなかった。

衣食も足りてなかった。

親の教えに沿って生きてきたが、俺は圧倒的に不幸を感じていた。


はいわばコンピューターだった。

そして、親のプログラミングで動いてきた。

親は「幸せ」に向かうように設計したつもりだと思う。

しかし、俺は不幸だった。あきらかにエラーだった。


教育に正解は在ると思う。

教育って、出してほしい結果があって、そこにたどり着かせたいからするんでしょ。

子供に限ったことじゃない。

新人教育だって、なんだって、同じ。

別にすげえ人間を育てられたら正解とかじゃなくてな。

目的を達成するかどうか。


批判したいやつが批判してくるポイントもわかるけどね。

ただ、批判したいヤツは、初めから親の言う事を守るように設計されてないんだよな。

別に珍しい話じゃなくてさ。

感情派は否定してくる話なんだよ、これ。

感情派は「スタートそもそも違うんだよ」って話してもわかんないみたいなんだ。

でも、ロジカルオナニー野郎はわかってくれるよな?


もう爆死だ。

地獄で、絶望だ。

(ちなみに爆死も、地獄も、絶望自分が感じたらソレ。

誰も他人の爆死も、地獄も、絶望も図れやしない。)

全部、嘘デタラメだった。

コード全消去だ。

色々考えたけど、こればっかりはもう無理だ。

解決できない。


だけど、地獄の世の中で、1個だけ伝えたいことがある。

親も所詮男と女しかない。


タリーズでくっちゃべってる金髪の女、

スーツ来て口臭そうなおっさん

ロン毛でタバコ臭いバーのマスターみたいなヤツ、

クラスでいけ好かなかったあいつ、

うるせえ女子

鏡の前にいる自分

そういうなんかどっからどうみても不完全な人間一人ひとりが

結婚して子供を育てて死んでいく世界だ。


ソレを思えば、ロジカルオナニー野郎にも、少しは心の余裕が持てる。

俺は動物なんだなあ

食欲のままに飯をめっちゃ食っちゃう

昨日はたらふく焼肉食ったし今日チキン南蛮をもりもり食べた。

最近太ってきたと言うのに。

おい!俺の理性!どこへ行ったんだ!

食欲のままに動く俺を止めてくれ。

理性が人間人間たらしめているのではないのか。

そんな理性がない俺は動物か。

ま、人間動物から、そうか。

そんなもんだよな。

人間けが食欲の支配から開放されている、とか人間けが理性によって、とか、自惚れなんだろう。

何を言ってるかわからなくなってきた。

わかっているのは、飯うまかった、満腹は幸せ、それだけ。

それだけわかってりゃ十分だ、そうやって生きてきたんだろう、人間という種は。

二次創作著作権侵害通報する奴はEvil

一つ 二次創作は愛によって行われる行為であるため、作品をそのまま違法アップロードするような行為とは全く性質が異なる

一つ 二次創作の多くが一次創作者によって感謝されていることからも、二次創作本来グレーとして野放しにされているべき存在である

一つ それをわざわざ通報してグレーになっている物をブラックに変えようとする行為通報して気持ちよくなる奴以外誰も幸せにならない

一つ 以上のことから二次創作著作権侵害をわざわざ明るみに出そうとする人間は巨悪である位置づけられる

一つ 巨悪とはすなわちEvilである

一つ つまり表題に示したとおりである

anond:20180119142429

素直に言ったらいいんじゃないの?息子が幸せになれそうなら、細かい事は言わないと思うけど。

失恋した 相手は私の名前を知らない

コーヒーショップで好きなアイドルにどこかが似ている人をみつけた ネームプレートがついていなくて、その人のことは何も分からなかった 毎日のように通って、バレないように席に座ってからも顔をみた

なにも情報がないから、通うことが唯一の出来ることだった

ある日 インスタグラムでその店舗名ハッシュタグ検索していたら 店員アカウントを見つけて その人のタグ付けされている投稿から 好きな人もいっしょにタグ付けされている投稿を見つけた

こうやってアカウントは見つかるんだな、気をつけないと行けないと思った こんなよはダメだし危ない奴のすることだと思ったけど、止められなかった

名前とか大学名とか、フォローしてる欄から好きなバンドとかもわかった

全然、ていうか一枚も顔を載せていなくてがっかりしたけどそんな感じはしていたから、裏切らないな、みたいな気持ちだった

その人はもとからそんなにシフトに入らない人だったけどもう二週間くらいきてないんじゃないの、ぐらいのノリで本当に来なかった こっちがサブのバイトなのかと思った

年末に一度見た レジにはあたらなかったし飲み物も作ってもらえなかったけど、泣きたくなるくらい嬉しかった その人がいるかもわからないのに、服とかメイクとかもちゃんとしていってたから毎回 バカすぎ

それで年明けてまた来なくなった

一昨日その人っぽい人をみた マスクをしてたか微妙だけど金髪だった その人のツイッター(インスタとidがほぼ同じで見つけた)を調べてる時にみつけた、金髪だったころの写真のその人と似てたし身長も同じぐらい、遭遇した場所場所から合ってると思った

そのまま一回は通り過ぎたけど、こんなチャンスあるか、と思ってついていった 文章にしていて、本当にこれは犯罪だと思った アウトだ もうしませんから その人はcdショップに行って、なんのcdかわからないけど表紙がベージュっぽいものを買ってた そして改札に入っていった 雨で、スエードの濡れちゃいけないヒールを履いていたのに走って中までびちょびちょになって、家で脱いだらふやけた足が出てきた

またその人のアカウントをみた 昔の投稿に珍しく人をタグ付けしてた 複数人いる中にあまり有名じゃない女優がいた 前も見たことのある投稿で、前に見たとき複数人だし2年くらい前のだからと思って何も気にしていなかった

でも、そのアカウントも、好きな人の最新の投稿も同じ、マイナー劇場で撮った演劇ポスターだった 同じ日の

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なるほどねなるほどねなるほどね!!!!!そういうことでしたか!!!!って、なって 涙は出なかったけどちょっとその日は笑ったりできなかった ショートカットの、"彼女"感のある人。むりむりむりむりむりすぎこんな、こんなことってあるかよって思った これにタグ付けしてないのは相手女優からか、ああそうか、もし一般人ならもっともっと心をえぐられる投稿をしてたんじゃないか、って思った

こんなにつらいのに、友達には何も言えないのがまたつらかった 犯罪じみているから え、なんでしってるの?ってなるから

それと、好きな人金髪になってたのは昨年付でお店を辞めたからじゃないかと思った あのチェーン店金髪は見たことがないか

お店にはもう2度といけないなと思った あそこには 普通に場所としても好きではあったけど 苦しすぎてむり

それで、これがおとといのはなしだけどなんか更に心が沈んでいて、前にその人の好きなバンドの中で珍しく私好みのガールズバンドがあって 丁度よく暗いからそれを聴いてたけど、どの曲もあの人っぽさがあって ああ、ってなってた

私はこんなになってるのに、相手は私の名前も知らないと思うと、本当に何をやっているんだろうと思った けどあの人のおかげで去年の秋から幸せだった あー別れちゃえ、でも三つも下のガキは無理だろうし、どっちにしろもう2度と会えないな

くるしいから好きなアイドルをみて癒されようと思っても、その人を気にしだしたきっかけが"推しに似ている"だったから、見たらやっぱり似ててもっとダメになった いつになったら彼を楽しく見ることができるだろうか

anond:20180119123514

そんな辛い生活続けるくらいなら毎日500円でジャンキーな旨いもの食い続けてなんかの病気でポックリ逝った方が幸せやな

松屋の特盛はちょうど500円やし

誕生日って祝う方も祝われる方もなんかうれしいっていうコストなしでみんな幸せになる最高の方法な気がする

何気ない毎日もどこかの誰かの誕生日

顔も名前も知らないどこかのあなたへ

誕生日おめでとう!

そういう気持ち毎日持ち続ければずっとハッピーにいられるんじゃないか

そう思っていた頃もあった

しかしそうではなかった

自分以外の人間はすべてクローンだった

なんで自分だけ生身なんだ

創造主への復讐が今始まる――

現時点を幸せだと感じること

足るを知るってやつだ。

かに足るを知れば幸せだろうが、足るを知ったらもう今より上にいこうとは思わないんだろうか?

普通の女の子に戻りたいって

なんじゃそらって一瞬思ったけど

高校の帰り道友達と喋りながらたい焼き買い食いしたり、マックポテトシェイク買ってだらだら話してたり。

文化祭の出し物の準備で普段はいられないような暗くなる時間まで教室に残って、あんまり喋ったことのない子と案外仲良くなっちゃったり。

その中に好きな人がいて、こっそり見てたらちょっと目があったけどやっぱり話しかけられない!って下向いちゃったり。

でもその後話しかけてくれてすごくテンション上がったり。

なんかこんな普通世界にいる女でも学生時代のそんな一瞬のきらきらした思い出を今でも大切にしているから、その時間アイドルに費やした彼女は今からでもそんな普通キラキラが欲しかったのかな。

普通に生活してたら絶対体験できないような素敵な世界彼女が見られるのは確かだけど、その逆も然りだよね。

今までお疲れ様でした。

どうか幸せ人生を。

anond:20180119034939

どうしてかわいそうなのか分からない。

川先生はかわいそうなの?

日本から出る必要がないって幸せだと思う。

これは私が海外いるから本当にそう思うこと。

anond:20180118145602

俺も恋愛メンドクサイ派なので、こんな感じに信頼できる人生パートナーとの恋愛なき地味婚を夢みていた

けど、唯一の障害セックスだった

こんなクソキモオタにも好意を寄せてくれた女性過去に何人か居て、その中には人間として尊敬できる人も居たが、彼女たちとセックスする自分をどうしても想像できなかった

子供は欲しいし、性欲もあるからセックスはしたい

でも、生理的セックスOKパートナー、または別のセックスフレンド風俗通いを許して貰えそうなパートナーとは遂に巡り合うことができなかった

世間に言わせれば「理想プライドが高すぎる」ということのようだが、ともかく俺はこのまま独り身で墓まで行くことになりそうだ

いや、実際に墓に入れてくれる人はいいからそんな比喩すら使えないか

ともかく元増田はお幸せにな

週末は久々にソープでも行くかな

anond:20180118145602

え?なに?俺?ってなった。細々違うし、性別も違うようだし、そもそも俺が書いてないから俺じゃないんだけど。

増田の話とてもわかります。俺もそうだから。そういう感覚結婚して、もうすぐ5年。今でも続いている。子どもが2人いる。

はてブとか言及とか見てると、俺が他人に話して言われたことのオンパレードだった。

「それが恋」

「そんなんで結婚して大丈夫?」

「奥さんかわいそう」

「恋を超えた結婚みたいなマウンティング?」

この増田もそんな調子のようだ。

この増田とは違うかもしれないけど、この機会に自分場合説明してみる。自分でも整理したいと思っていたから。

恋愛がわからない、と増田も書いてるけど、より正確にいえば「感じられない」に近い。世間で言われる恋愛感情に付随する反応が自分に起こらない。映画はじめ創作物が振りまくロマンティクラブイデオロギー丸出しのものから世代を越えて様々な人にきいた恋人配偶者との馴れ初めに至るまで共通して見聞きする、ドキドキする、会いたい、声が聞きたい、思いを伝えたい、とかそういうのがない。というか生まれてこのかた感じた記憶がない。で、正直にいえば感じてみたいは思う。でもわからない。

なので、先ほどあげた反応群には以下のような回答になる。

「それが恋」

知識として知ってるのと違うんだけど、本当にこれが愛なの?

「そんなんで結婚して大丈夫?」

→愛があっても必ずしも大丈夫ではない。

「奥さんかわいそう」

→向こうが良ければ良いのでは?(この辺のことを話した上で結婚している)

「恋を超えた結婚みたいなマウンティング?」

お疲れ様です!

ということになる。基本的自分から話すことはない(馴れ初めというのは本当に聞きたいと思ってるかどうかはともかく、聞かれるものである)。

結婚して一時期は、長く暮らすパートナーとして好ましいという感情は多分、恋なのかもしれない、恋愛というもの典型的感情から外れているだけで。と思った。でも、やっぱりいまは違うと思っている。

子どもができた。変な意味ではなく、ドキドキする、会いたい、声が聞きたい、思いを伝えたい、そういう感覚子どもには芽生えた。たぶんこれ愛(情)なんだと思う。産まれから、ずっと続いている。

増田の話を読んで、気がついたことがある。増田がそうかは知らないけど、俺は人一倍自分時間」を愛しているのではないかということ。結婚しなくても楽しく暮らしていける自信があるし、1人で過ごす時間がとても大事。1人の時間が欲しいといつも思っている。

妻と子どもの差はそこだ。

妻は大人だ。2人のうちはそれぞれが一個体大人として話して生活を調整すればよかった。家事だって抜きたいときは好きに抜ける。でも子どもは違う。自由奔放、目は離せないし、保育園の送り迎え、料理洗濯、寝かしつけ、ときには病気になって仕事を休んだり、遅刻したり。子どもが生まれて、たくさんのものを失ってしまった。(ちなみにいえば子どもも欲しいと思ったことはまったくなかった。どちらかといえば欲しくなかった。妻が欲しいと言わなかったらつくらなかったと思う。)

子ども自分人生を、時間を削り取っている。しかし、共有してもいる。子供時間は、俺の愛する俺の時間でもある。自分の半身に否応なくなってしまった。たぶん、そこなんだと思う。世間一般の愛とは、やっぱり何か違うけど、俺にとってはそこが大きい気がする。考えたくもないけど、自分より先に子ども死ぬことがあれば、「自分の費やした時間」=人生がごそっと持ってかれることになる。それが辛い(なんか冷たく読めそうだけど、たぶんに感情的感覚です。上手くかけない)。

じゃあ妻はどうなのかといえば、やっぱりパートナーとして一緒にやってけたらいいなと思えている。でも子どもに対する感情とは別物だ。ともに過ごす相手として、誰よりも望ましいと思える。でもたぶんこの気持ちは男相手でも持ちうるものであると思う(俺はここまできていうのもなんだけどヘテロである)。もちろん彼女が死んでも悲しい。でも、たぶん子どもに対するものとは種類が違う。

けっきょく自分でもまだよくわからないや。

推敲なしでスマホで書いたからめちゃくちゃだし、なんかまとまらなかったけど、増田はたぶん自分不思議感情をどこかに吐き出したかったんじゃないかと思っている。俺がいま思わず駄文を書いてしまったように。

増田さん、あなたのような人、世の中にはいますよ。安心してください。とりあえず、うちの家族円満にやれてます(妻は我慢してるかもしれないけれど)。あなたきっと大丈夫。お幸せに。

スパイ大作戦」は好きじゃない。

これだと、もう片方も幸せになれない。

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