はてなキーワード: 幸せとは
先日なんとなくSNSを眺めていたら、友人の投稿が目に留まった。
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「身内です。このアカウントの持ち主は A月B日に永眠いたしました。生前のご厚誼に感謝申し上げます。」
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彼女との出会いは、200X年だった。趣味関係で彼女のブログを見つけた俺は、彼女のブログにコメントをした。その後コメントを返してもらったり、mixiのアカウントを教えてもらったりして、コミュニケーションの頻度が上がっていった。連絡先を交換して電話もした。おはようからおやすみまで、ガラケーで連絡を取り合う感じになった。
お互いの写真も交換して、会ったこともなかったのに電話で告白をして付き合うようになった。お互い大学生で、相手は首都圏在住、俺は地方在住だった。遠距離のもどかしさがあったけど、俺は大学卒業後就職して首都圏に引っ越すつもりだった。
俺は大学4年になると、就活とか何かしらのタイミングで夜行バスや新幹線で首都圏へ行き、彼女に会った。最初会う時は、本当に不安でいっぱいだった。思ってた感じと違うと言われたらどうしようと。彼女は、俺のスーツにメガネの容姿を褒めた。それまで容姿を褒められた経験のなかった俺は、褒められたことを単純に受け入れる事ができず、嬉しさよりも恥ずかしさの方が優った。
彼女は、派手な感じのない小綺麗な人だった。背が俺より高くて175cmくらいあった。コンプレックスを感じる必要は全くないのに、ヒールを履きたいけど自分の背が高いのが嫌なんだと言った。ネイルをしたり、コスプレをしたり、カメラマンの人に容姿を撮ってもらうことが好きみたいだった。
あまり俺の意見や話に対して自分の考えを述べたりせず、基本的に良く相槌を打ち、よく笑う人だった。いわゆる聞き上手な人のように見えた。家庭問題と学校問題等によって鬱病なんだと聞かされた時は、人に攻撃されないようにとか、嫌われないようにするための処世術?としての聞き上手なのかもしれないと思った。
鬱病が本当に辛そうだった。体調のいい時に始めたバイトも、体調が悪くなると寝込んで欠勤が続き、辞めることになった。「パン屋のバイトに受かった、楽しみだ」と言っていたが、最終的にそれも辞めることになった。大学も然り、留年中退となった。「どうして、自分はこんなに他の人ができることができないのか」と悔しがった。
俺は大学4年生の夏頃までに就職の内定をもらった。でも、周りの友達はほとんど大学院に進学予定で、自分の就職選択が正しいのかどうかよくわからなくなっていた。そして、大学院に進学すると遠距離恋愛をさらに2年続けることになる。彼女に電話で悩みを打ち明けると、「試験、頑張りなよ!」と応援してくれた。後2年待ってくれそうな気がした。大学の夏休みを院試の勉強に充てて、試験に合格をした俺は、彼女に結果を伝えた。喜んでくれた。内定していた会社には、内定辞退の謝罪をしに行った。
その年の暮れ、俺は年末年始を首都圏の親戚の家で過ごさせてもらえることになり、どこかに遊びに行こうと彼女を誘った。俺はインドア派でどこかに行きたいとかはなかったから、行きたいところはないか聞いた。彼女は「109の正月セールに行きたい」と言った。初めて入った109は想像していたより狭かった上、中は大戦争だった。朝からセールにいき、昼に食事をしながら「正月セール、やべーw」と2人で笑い合った。
いつの頃からか、「(俺が学部を卒業して就職したら)もうすぐ頻繁に会えるようになるね」という話題もなくなり、二人の会話がトーンダウンし始めて、とうとう「別れよう」と言われた。院進学の判断をしたのは俺だったし、彼女は明確な意思を持って何かを話す時、結構頑なな人だったから、あまりとりつく島がなかった。そして別れることになった。
それからも俺は彼女と連絡をとった。2年間の博士前期課程を修了後、就職で首都圏へ引っ越した時も、一緒にどこかに遊びに行った帰りに「もう一度付き合わないか?」と聞いた。でも、断られた。それから、お互いに新しいパートナーができたりして、少し疎遠になった。ご飯を食べに行こうと何度か誘ったこともあったけど「行きたいんだけど、体調が悪くて」と断られた。「流石に空気読めよ」って話だったのかもしれないし、本当に体調が悪かったのかもしれない。今から思えば体調は悪化していたのかもしれない。でも、もうわからない。
彼女は、口数が多い方ではなかった。でも、話せば色々考えていることがわかった。人を蔑んだりすることなく、性格は優しかった。笑顔は素朴で屈託がなかった。俺は彼女の書く文章も好きだった。memorizeとかを昔やっていて、ブログとかでは読みやすくて書き慣れた感じの文章を書いた。何よりこんな俺の稚拙な文章とは比較にならないくらい筆に勢いがあった。
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闘病生活お疲れ様。あの頃、俺は君に夢中だったし、手を繋いでデートできるのが本当に幸せだったよ。優しい笑顔と文章をありがとう。
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合掌
外資系に勤めている友人・知人の100%全員の顔が不幸な顔をしているのだ。まるで不幸が服を着て歩いているかのようだ。
一方、JTCの7割は幸せそうだ。
まあ、こっちはこっちで能天気という表現がしっくり来るのだがそれはともかくとして。
もちろん彼ら外資の連中は全員プロフェッショナルなので、プライベートであっても会話中は絶対に笑顔を絶やさない。
特段、暗い顔をしているというわけでもない。
が、しかし――。
目の奥が笑っていないのだ。笑顔の奥にムンクの『叫び』が見える。
ツイッター上のタイムラインを眺めていてもまったく同様の事象が確認可能である。
ガイシーの9割が愚痴や人を攻撃するような言葉を日々延々と紡ぎ続けているのだ。
仕事の話題であればまだ理解できるがプライベートの内容であってもそれはかわらず、ほぼネガティブな書き込みで彼らのタイムラインは埋め尽くされる。
元々ネットなんて匿名だし顔も見えなし、昔からそんな場所だろう?と特にはてなー界隈の方々なら思われるかもしれないが、
そんな人間の特性を差し引いても彼らから発せられる悲壮感には、目に余るものがある。
そしてまた、外資の人間は人をまったく信用しない。本当に信用しない。人間不信の塊である。人間不信がパンツはいて手足が生えてきたような生き物である。
この人、仮に家族ができても配偶者も子供もまったく信用しないんだろうな、とすら思う。
なぜ彼らはそろいもそろっていつもこうなのだろうか?
プライベートで普通に雑談をするにしても、何か純粋な質問をしようものなら、突然、自分が攻撃されたと勘違いし、
「だって●●●は△△△△じゃない!」などと烈火の如くスイッチが入り、謎の弁解&こちらへの激しい攻撃が開始される。
いやいや、普通に質問しているだけなんだけども。しかも仕事でのつながりじゃないし。
会話していても常に何かに怯えるような目をしていて、攻撃されたらその場で2倍3倍のカウンター返しで刺し返せるよう、幾重にも予防線を張り巡らせながら、言葉の刃物を懐に忍ばせている。
殺るか殺られるかの世界に身をおいていると誰でもそうなってしまうのか、はたまた、元々そのような気質がある人が好んでそのような世界に飛び込んでいくのかは、私にはわからない。
もし彼らが腐っている理由が仕事がハードだからということであれば、世の中の起業家らは全員不幸そうな顔をしていなければ説明がつかない。彼らの多くは活き活きとしている。
この違いは何なのか?
私が推測するに、それは彼らが「ルール無用の殺し合いの場」に晒されているからに他ならないと思う。
経営者が繰り広げる経済的な戦い(≒戦争)も本質的には似たようなものだが、彼らの場合は一定のルールに則って戦争を始める。なぜならそれらは1つの組織として成立しているため、法を逸脱すればすぐに目につくからだ。
例えば、中国を見ればわかるように国が戦争を仕掛ける場合は、原則、事前に演習を行うなど十二分な期間をとり周知徹底してから開始する。国家間ともなればこのような暗黙のルールにのっとって殺し合いをする。
ヤクザはヤクザで裏社会のルールに則って日々活動を行う。そうしなければ秩序を保てなくなり組織として統率もできないからだ。
しかし外資系の社員の場合は個と個の争いであるため、ルール無用の路上ファイトを四六時中行っているに過ぎない。
常に四面楚歌、しかも敵は社内に無数に存在し、少しでも気を抜けば仲間(と自分が勝手に思い込んでいた同僚)に背後から撃たれ滅多刺しにされる。それが外資系の世界なのだ。
いわば秩序に則って戦うのが経営者やヤクザであるとするならば、見境なく本能に赴くまま殺し合うのが半グレや外資系社員なのだ。
ブレイキングダウンの口喧嘩フェーズですら何となくの脚本があるが、個が勝ち抜くためには一人一人が路上の伝説にならなければならない。
今一度、考えてもらいたい。
二十歳そこそこでこれらの問いに明確に回答するのは難しいかもしれない。
人から良く思われたい、経歴に泊がつく、勝ち組になりたい、大金を稼ぎたい。
それもいいだろう。まだあなたが若いなら、それ自体を否定するつもりはない。
ただ、それ以前に、あなたは誰のために、何のために生きているのか?
人は最終的には死ぬ。絶対に死ぬ。来世に金や経歴を持っていけない。
だから今一度、よく考えてほしいのだ。
使い切れないお金のために人生を棒に振ることはどうか止めてほしい。
それぞれ見ると大したことないだろうけど、これが揃ってる人とは今まで一度も会ったことがないし今後も会うことがないと思う
なので、結婚していなかったら永遠に絵に描いた餅を探し求めて婚活を続けていただろう。
お金の足し算も消費税の計算もできないし一度怒ったら手を付けられないほど爆発するし家庭環境も全然違うし好奇心もなく毎日同じような動画しか見てないし姿勢も悪いけど
人の悪口はあまり言わないし髪の毛とメイクさえ整えれば可愛いし可愛げがあって甘え上手で子供への考えも同じだし無駄遣いしないしきっと一途だし
喧嘩すると死ぬほどめんどくさいし周りからはあまりいい反応されないけどそれなりに幸せ。
積極的に死ぬつもりはないんだけど、ずっと「死にたいな」と思って生きている。子供が成人した頃死ねたらベストなんだけど。
昔『思考は現実化する』という本があったけど、私が夢見てるのはいつも今際の際のすがた。絶対一人ぼっちがいい。
病院か施設にいて誰かお見舞いに来てくれたとしても一人になった時に死にたい。人前で死ぬなんて絶対いや。一人で死にたい。
もともと死にたかったところを夫に拾われて、一緒に暮らせて楽しい十年だった。子供が生まれたと思ったら夫は事故で死んでしまって、また一人ぼっち。
「子供の成長が支えです」って顔して生きてるけど内心は寂しくて早く死にたい気持ちしかない。子供が悲しむから実現しても困るけれど。子供の成長は嬉しい。この子が成人すれば心残りなく死ねるから。「いつ死んでもいいや」と思いながら余生を過ごすのは楽だろうな。あと10年。早く過ぎないかな。
天国なんて無いのかもしれない。あったとしても夫は私のことなんて覚えてないし待ってないのかもしれない。どこかの誰かに転生してしまったのかも。それでもいい。昔私の夫だった人がどこかで幸せに過ごしていてくれるなら、それだけでいい。
ああ、この世はつまんないなあ。大事な人の去ってしまった世界は本当につまらない。何をしても続かないし、何も欲しくない。死んでしまった人が羨ましい。毎日朝焼けを見て「美しいな」と思うのに心は空っぽで、ただただ虚しい。
無理して結婚しなくても幸せになれる時代になっただけなんだよな。男女問わず。
HSPじゃないけど確かにうちの兄もADHDって診断されてからすべてにおいて「俺ADHDだから~」って開き直って性格悪化した。障害ってわかんないほうが幸せなんじゃねって思う
こんなに自慢できる恵まれた経歴のくせに何言ってるんだ?こいつって思ってしまった。
てかなんも自慢するものがないおれが今幸せだなって思って生きてるのっておれがただバカなだけじゃん。
バカでよかった!
なんとなくだけど、両親が幸せな結婚をしている人達の子孫同士だけが幸せな結婚をしていて、
幸せな結婚をしている人達は、わざわざ、ネットで不満を言ったり、幸せ自慢をしたりしないので、目立たない。
日本人家庭の大半は幸せな結婚生活をしているけれど、何も言わないので、サイレントマジョリティーとなってる。
大学のポストは就活みたいに、毎年何名とりますよ、という形じゃなく、基本的には欠員補充になる一点物の職
その中で最終的に定年までのポストをとれたらいいね、という世界なので、彼が彼の望む人生をやっていくなら、彼はなにひとつライフプランを約束できないと思う
結婚して子供が欲しいなら、増田自身の給与で、増田のワンオペで育て上げる覚悟がないとまず無理だ
それが可能なら、彼に心配はいらないと言って同意をとればいいだろうし、それはできるだろう
もし仕事をセーブして養ってほしいなら、彼が劇的に目覚ましい研究成果をあげて、いいポジションを若いうちにさくっと取るしかない
そうなれば少し彼にも余裕ができるだろう
そのために増田は全力でサポートしてあげるといいかもしれないね
増田が、一般的な幸せな家庭をもし夢見ているのなら、増田が経済的支柱になるか、彼が早めに素晴らしい成果をあげるか、二択しかない
どちらも嫌なら他の人に行くしかないよ
最後の奥義としては、彼のことを妄信して、全てうまくいく方に二人の人生を全力でギャンブルするというのもある
俺自身はそんな感じだった
インスタグラマーみたいな美女にダメ元でいいねしたらマッチングして、数回のやりとりの後で会うことになった。
1回目は休日にカフェ行って、カラオケ行って、それなりに盛り上がったけど、晩御飯というか飲みは無しで解散になり、まぁ自分相手じゃそんなもんか、と思っていた。
会ってくれたお礼を含めて、一応2回目を誘ってみたらすんなりOKしてくれて、数日後に仕事終わりで食事に行くことに。
1回目を奢ってくれたから、と相手が自分がお手洗いに行っている間に会計を終わらせてくれて、そのまま流れでホテルに。
幸せいっぱいで帰宅して、次のお誘いをするも反応薄く、2回続けて断られ、また一度決まった約束が無しになり、「忙しいから予定決まったら連絡するね」というメッセージを最後に会話が途絶えてしまった。
まさか自分みたいな平凡な男がいわゆるヤリ捨てみたいな目に遭うことが起きるとは思わなかったけれど、なかなかにダメージがデカイ。
身の程知らずなんだろうけれど過ごした時間が楽しすぎて忘れられないし、何よりもマッチングアプリでやりとりしてる他の女の子のことがちっともよく見えなくなってしまった。
イカれてるよね
相当現実が辛いんだね
かわいそう
一定の距離を保つならまだしも、キャラの推し活までやり始めたら病気だよね
そういう人が増えすぎて、狂ってることすら気付かない時代になっちゃってるよね
だって自分の信仰してるものが否定されたらメンタル壊れるからね
でも本当は架空のキャラを崇拝したり推したりするのは不自然で不健康だってこと、知っておくべきだよね
それができないから二次元のキャラ、はたまた作り上げられたVtuberとかアイドルに夢中になってるんだよね
現実逃避だよね
でもこんなこと言っても怒るだけなんだよ、そういう人たちは
かわいそう
社会に洗脳され、自分で自分を洗脳していることに気づいていない
怖い時代だね
そこに本当の幸せはないんだよ
てかさ、政治なんてどうでもいいくらい個人が強くなる方が簡単だよな
実際自助の方が楽だし手っ取り早い
もちろん、政治がないと困ることはたくさんあるが、関わりは最低限に限って期待せず、ただ自分や自分の手が届く範囲の人たちを強くすることに労力を使う方が楽だし幸せなのではなかろうか
政治に頼りすぎることに不幸の原因があるのではなかろうか
どんな最低さなのかは省く。友達が悩んでたら「絶対にやめとけ」と自分でも言うような人。結婚したら幸せ一色を感じられる日は来ないであろう人。
別れようと切り捨てたら別れられるはずなのに。
まだ好きなんだと思ってる
でも、思い出すのは嫌なエピソードばかり。時には苦しくて泣いてしまう。
でも、昨日見かけたおいしそうなご飯屋さん、職場で言われた嬉しいこと、美容室に行ったあと、綺麗な花を見かけて、報告したいと頭に浮かぶのも彼。(彼は花が好き)
ついつい、喜ばせたいと考えてしまう。でもその後に「いやいや、あんな奴喜ばせてどうすんの」とも考える
なんというか、毎日いくつも5点くらいのことをしてくれるけど、定期的にマイナス70点くらいのことをしてくる人。毎日の5点を手離せないのかな。
バカなオスに幸せな結婚生活を描かせると、他に何もなくても褒めてくれてラブラブでセックスを沢山できる関係でみたいなこと言い出す
女性にとっての性的に満たされた幸福とは、簡単に言えば繁殖のコスト軽減と質の向上である
清潔で好きなものに囲まれて金があって子育てが上手でわがままを聞いてくれるパートナーが尽くしてくれること
高収入オスは頭がよくて能力が高いから、家事も育児もできるし女性のニーズを理解して満たせる
低収入オスや高収入だが性格キモオスは、大抵無能で頭も悪いから女性のニーズを理解出来る知能がなくて満たせない
これを満たさないパートナーは、種まき托卵阻止オスに置き換えると、セックス嫌いでイチャイチャ嫌いで相手を褒めたりしない女と同じ
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。