はてなキーワード: 家族とは
街を歩いていたら女性に「死ねばいいのに」とはっきり言われました。
理由はすれ違う際に、私が女性が想定してた避け方をできなかったからだと思います。
(よくある 左右どっちに避けようかな、、の状態)
あなたの思う動きができず、結果的に通行を妨害し不快にさせてしまい申し訳ございませんでした。
不快にさせたことは間違いないので、気を付けねばと思う気持ちの一方で、もやもやも残ります。
あなたも私と同じ行動をとったから起こったことなのに、なぜ一方的に怒れるのか?
日常で何度も起こり得ることに対して都度不満を持ってしまうのか?そして相手が100%悪いと思ってしまうのか?
など色々思うことがありますが、
あまりの言葉に「おい」と声をかけたところ目も合わせてくれずそれで終わってしまったので、消化不良で今に至ります。
私は家族、友人などいつも大切にしてくれる存在がいるので、すれ違いに失敗したことのお詫びとして死ぬことはできません。
もし、あなたに大切な人がいるならば、その人が同じような状況で死ねと言われていたらどう思うか想像してみてほしいです。
イライラして咄嗟に言ってしまった軽い気持ち、口癖レベルの「死ね」だったのかもしれませんが、そんな言葉もう使ってほしくないです。
処分?の重さにもやもやしていると言うことだが、ものすごくざっくり言うと他人が怪我、もしくは死亡するような重大な事故の原因になりうるかどうかでわけてるから結構妥当じゃないかな?
まあまだ厳罰化が始まったばかりでそこらへんが慣らされていくんは今の状況を見てからの今後でしょうね
ただ個人的には自転車の事故は増えてるし、一時停止や信号無視がからんだ事故では怪我や死亡事故も少なくないし、そんなにバランスが悪いとは思えない
シートベルトは自分が怪我するだけだけど、時速5kmで50cm?とは言えベルトと違って怪我させる立場になるわけだしね
元増田が望んでいる警告カードは無灯火なんかの本当に軽いものだけだよ
あと捕まった要因として何点かあげているが、ノルマとか新人研修はそんなに関係なく、でかいのは下記の3点になると思う
1.交通安全運動の期間
→これは元増田の言うとおり。この時期は自転車に限らずありとあらゆる交通違反の取締が厳しくなり、普段なら見逃してもらえるような物も一切見逃さなくなる。
→その瞬間に車と同じ扱いになるとかだったはず。以前聞いた限りでは、歩道を走っている場合は一時停止違反はとられないけど車道を走っていたら捕まりますとの事。
かといって歩道を走っていたら実際に事故を起こした時の処分は重くなるとかだったはず。自転車専用の通行帯をもっと充実させてほしいけどこれも難しいだろうね。
→おそらく捕まった時のお巡りさんや、簡易裁判所の検察官に「今後はこう言った事はこうやって厳しく罰していくから、ご家族やご友人にも伝えてください」的な事を言われなかっただろうか?
人は身近な人間からの警告の方が受け入れやすいためにこう言った手段を啓蒙活動の1種にしていると思う。言い方は悪いけど要するにトラウマ植え付け&見せしめですね。
元増田はこうやってわざわざまとめてたくさんの人に自転車厳罰化についての啓蒙活動を行っているわけだから、お巡りさんは良い人材を捕まえたと思う。
そもそも赤キップの内は、裁判所に出頭して今後は気をつけてねという注意だけで終わるので、実質不起訴確約みたいな物だし、3年以内にもう1回やっても有料の講習会に出席するだけ
元増田が希望している青切符は切られたら無情にも初回から即罰金になるだけ
どっちが良いかって言ったら前者の方がまだ温情あると思うし、後者にすると不服に思ったやつが「金払えばいいんだろ」って不貞腐れるだけで真の目的である交通安全に繋がりにくくなるんじゃないかな
実際たとえどれだけ狭い道路でも、もう信号無視はしないように気をつけようって思ったんじゃないかな?それが警察の一番の狙いだよ
Sの二世だけど選挙は個人の自由と思うので活動してない、題目だけは唱えてる、習慣だから
新聞も配ってる。信心深いのではない。田舎のため徒歩で朝30分のジョギング運動になるのだ、健康維持にちょうどいい。新聞を配達しないわけにはいかないのでサボれずおかげで肥満とは無縁だ
全てが本尊様のおかげとは思っていないが、しんどいって時に祈る物があるってだけで気持ちの問題が違うなってだけ
前にもう死ぬかもしれないって病気になったときもう自分にできることないから毎日ずっと祈ってたら、なんだかんだで5%の壁を乗り越え生き残れたんだけど、信仰のおかげというより
「何も出来ることがないときに、とにかくなにかやった気分になる希望が持てる」っていう存在がありがたかった
母は熱心なSだが年老い、認知症が発生しはじめたがSの人間関係のおかげで「会合にいかなければ」などの使命?があるのと日々のお祈りをしなければ、の長年の習慣のせいで精神的に安定してるんだよな
そういう意味で心の支えになっているのならこの存在は悪くないなと思っている
Sとしてはありえない思考かもしれんが宗教はキリスト教でも何教でも俺はいいと思ってる
その宗教で本人が辛い時に乗り越えられて、他人に迷惑をかけず、家族を不幸にしないならそれでいいと思ってる
増田はその宗教のせいで結婚などができなくて苦労するのなら自分の幸せのためにそれを捨てていい
俺は嫁はSではなかったが説明したら「あなたの宗教に口出しはしない好きにすればいい、他人に迷惑をかけたり押しつけないならいい」という理解があったので結婚した
増田の気持ちはわかる。おかしいだろと思うこともあるだろう。捨てたければ捨てていい。
あとおじさんのSの歴史では、独身の時バリバリやってた女性が結婚した途端に脱会はしないまでもなにもしなくなった。あれだけ活動家だったのに。旦那が嫌がるというのはあれだけ叩き込まれて日々頑張っていた信仰を吹き飛ばすのか、愛ってすごいな、って思ってた。
結婚したら女性ってここまで180度変わるんだなって思った。増田のようなのもよくあることだから気にしないでいい。
ネットだとSはフルボッコだから俺も肩身が狭いが、親しくなった人にはSなことは言っている。今のところそれで縁を切られたことはない
Sは昭和の頃に比べれば相当緩くなってきたと思う
酷い目にあった人もいるが、あれ行き過ぎた信仰心のバカとか長期間大組織のぐだぐだとかまあいろいろ。Sは緩やかに衰退していく宗教だろうしそれは他も一緒だろう
で、私の家の庭にうんこを垂れるわけですよ。
自分が可愛がっても無い、懐きもしない猫のうんこをショベルですくって処分してあげてるのです。
嫌になる。ほんと、マジでくせぇし。
その家の御主人は朝、家の北側の道路を歩いて月極駐車場まで歩いて行ってるんですね。
ふと、思ったのです。
お前、猫のうんこ舐めてるだろうと。猫を餌付けだけして愛玩し、猫のうんこ、舐めてるだろ。
でですよ。昨日の昼に猫が糞をしていて、いつものよう処分するんですけど、はっと思ったんですよ。
丁寧に処分するんじゃなくて、家の北側道路のど真ん中に投げ捨てればいいんじゃないかってね。
その北側の道路、自分も家族も普段使わないし、実害は無いんじゃないかって。
で、やってやったわけですよ。道路にポイ。もういいでしょ。飼い主でもないし。責任は無いし。
何なら通勤時にネコのうんこ踏めって。もっと言えば、ご主人がいつも歩いている位置になるように置いてやったわけです。
そのまま駐車場まで行って車に乗り込んで、靴裏の溝に嵌りこんだ猫のうんこを車のフロアマットに塗りたくってしまえ。と。
そしたらですね。
見事に踏まれていました。
綺麗に粉砕です。
でも、思ったんですよ、心から。
ざまぁみろ!と。
この世の宗教、キリストユダヤイスラム他の仏教宗派では「この世は宿命」、つまり未来は全部決められてるって信じられてる。しかし日蓮の教えに基づき本尊に祈り行動すれば未来を良い方向に変えられる≒自分の宿命を良いを転換できる
ってのだ
つまり出世成功したり金持ちになったりの現世利益が得られるってわけ
だから元増田の家族も、元増田の努力や幸運を「信仰のおかげ」と解釈したんだ。それがSの根本だからな。
S学会が大規模宗教団体になったのも、この理論で戦後高度成長経済に田舎から出てきた都市部の貧民を取り込んだのが大きい。簡単に言えば「昭和版立身出世・自己啓発セミナー」
最近ずっと騒がれている性加害者や加害者の名前を冠した事務所の件について
答えがわかりきっているのに、気づいていない人。
一部の人が色々騒いで、謎の争いをやりあったり
今回の件について、加害者の名を冠したままの事務所を擁護したりできるのは結局
「他人事」だと思っているからその答えになっているんだろうなと。
(事務所を擁護してない!タレントを応援しているんだ!という方も
タレントさんが、「加害者の名を冠したままの事務所」に所属している時点で
その論は通用しない。ということを冷静に考えてみてください。)
角度を変えて今回の件を見てみましょう。
あるいは
いかがでしょうか?
あなたはこれでも、加害者の名を冠した事務所を応援し続けられますか?
今の状況のように、
・愛着があるから加害者の名を冠した事務所名を変えなくていいじゃないか、と言っている人
これらに対して、うんうん、そうだよね!そのとおり!それでオッケー!
あなたや、あなたの大事な人はは性暴力、性加害を受けた側なのに?
使われている言葉のせいで自分とは関係のない事柄のように見えて
これは私やあなた、あなたの身の回りの親しい人に今日、明日起こるかもしれない
すでに起こってるかもしれない『性暴力』『性加害』についての話です。
とんでもなく身近な話です。
というのは、冷静になって俯瞰的に物事を考えるということです。
自分の好きなもの、守りたいものを大事にしたいのはわかりますが
それによって、冷静な視点を見失い
考えてみるといいかもしれません。
今回は性加害でしたが、この話は加害行為全てに通ずるものです。
性加害にピンと来なかった人は、
自分が抵抗できない弱い立場で、強い立場の人から一方的に殴る、蹴る、暴力的な言葉を吐かれているところを想像してみてください。
もちろんあなたは抵抗することは許されません。反撃もできません。
ふつうに嫌ですよね?
今も周りから肯定され、応援され、存続を願われ続けていたらどうでしょう?
(現状、その事務所に所属しているタレントさんを応援することも
私達は私達を侵害する犯罪行為を行った人物やその行為を一切肯定するべきではありません。
今回の件で、最初から最後までずっと答えは出続けていると思います。
1回目の会見ですべきだったことが
今度ようやく行われるようで、安堵しています。
(社名を変えれば全てが解決するわけではありませんが。)
バスとか電車でよく、お父さんとお母さんと子供の家族3人で仲良く出かけているな、と思っていたら、お父さんではなく無関係の男性だった、ということがよくある(母子と思ってたのは本当に親子だった)。
また、他人なのに母子にまとわりついている変な男性がいるな?とジロジロ見ていると、急に打ち解けた雰囲気を出して、「ああ、家族だったのか」と思うこともある。
子どもとお母さんについてはそういうことは全く無いのに、必ず男の人をそういう風に間違える場合が多い。
でも、子供の場合は、絶対に親子だろうと思うのに、瘦せていて、なぜか親が子供と手を繋いで歩いてくれない、他人のような関係性の家族がいる。
いや、そんなことしたら家族めちゃくちゃでしょ
もうすぐワンちゃん10歳で、今度猫ちゃんをお迎えすることが決まり、犬用・猫用のプレゼントを探している。
夫婦共働きでそこそこ稼ぎはあり、子どももおらず犬一匹と猫一匹(予定)、家族四人で穏やかに暮らしている。
ワンちゃんは今もグースカ寝ているが、そう遠くない将来永眠してしまうと思うと、心臓のあたりが重くなるような気がする。
普段あんまり贅沢などしない私たち夫婦。たまーに旅行をするくらい。
石田ゆり子さんもそういっていたし、私もそう思う。
ありがたいことに口座に貯まっていく行くだけのお金を有効活用し、なんとかこの子たちがここにいたことをカタチに残してあげたい!と思いペットのメモリアルグッズ、その中でもジュエリー・アクセサリー系を色々と調べてみた。
調べてびっくり、こんなニッチな市場にいろんな商品があるもんだ。
ということで、自分の整理がてらに記しておこうと思う。
まず、ペットジュエリーという言葉で指すものが3つあるみたい。なんともややこしい。
まずペットジュエリーと調べて一番上に出てくるのはケイウノというブランドのページ。
ペットモチーフのジュエリーだったり、オーダーメイドでデザインしてくれたりする。オーダーをやっているところであればここに限らずペットモチーフのジュエリーを作ることは可能だろう。
オーダーメイドなのでどこまでやるかだが、20万円もあればある程度のものを作れるのではないか。
首輪に着けるチャームのパターン。正直ペットジュエリーという言葉から浮かぶのはこっちなのだが、商品はあまりないようだ。
あるのは数百円から数千円のアクセサリーばかりで、一生ものかというと微妙な感じ。
さすがにペットにジュエリーはないのかと思ったが、一つだけ見つかった!
Mr. and Mrs. Abeというブランドが出しているペットジュエリー。
これはプラチナandラボグロウンダイヤモンドということでお値段なんと30万円。ひえ。
次に遺骨を使ったもの、これは大きく二つに分かれる。
数万円代でいろいろなデザインがあるみたい。
遺骨をダイヤモンドに加工してジュエリーを作るという、なかなか驚きの技術。
カラット数によるが、ダイヤの製作費とジュエリーへの加工費でお値段は50~60万円はしそう。ひえ。
それぞれ一長一短あるが、結論Mr. and Mrs. Abeのペットジュエリーが一番気になっている。
おチビたちはまだ元気なので、遺骨系はなし。
おチビたちへのプレゼントという意味では人間用はちょっと違うかなと思う。
チャーム系で他にもあるんじゃないかとも思うので、リサーチは継続する。
ただMr. and Mrs. Abeのペットジュエリーは他のチャームと違ってチェーンリングにもできて、自分でも着用できるのはめっちゃいい。ついでにお揃いのネックレスも買おうか悩んでしまう…
おチビたちがグースカ寝てる時にこのクラスのジュエリーがちらっと光ってたりすると、ちょっとむふふと思うだろうな。
デザインもペット系にありがちなラブリー系じゃないところも個人的ポイント。
一方でデザインが一種類しかないし、新しいブランドみたいなので大丈夫かなという不安もある。
使ってて壊れたらだいぶ悲しいからつけっぱなしにはできないだろうな。なんてことも考えてしまう。(実際つけっぱなしにしない推奨みたい)
色々悩むが急ぐこともないので、私もグースカしつつのんびり考えようかな。
夜間救急といえば学生の頃ピアスの穴から白い糸が出てきて夜中家族総出で総合病院駆け込んだなぁ
先生に「これはただの汚れですwww白い糸とか失明とか都市伝説ですよwwwwwwww」ってめっちゃ笑われて…
そのくせ奥の方からその日出勤してたメンバー全員ちゃうかってくらい先生と看護師さん出てきてみんなにみられたあげくティッシュでぺいって取られたなぁ
ふと思い出してしまった
ちなみに診察料はいりませんって言われた
とんだアホな家族が来たと思われたんやろうなぁ
金がなかったり酒が飲めない場合は、最近だとライブ配信アプリにハマるというのもある
ウチの職場の60代バツイチオジサンは定時で帰宅したら毎日3~4時間17ライブなどの配信アプリを視聴しているらしい
ギフト等を結構贈ったりもしているそうで、イベントなどでそのライバーが近くに来る際には会って奢ってあげたりもするらしい
ガチ恋勢なのかと思いきや、見ている(推してる?)ライバーは結構たくさんいる上、その中には既婚者もいるらしく、この前会ったのも既婚者(夫公認で活動中)らしいので、色恋目的とかではないのだろう
嫉妬ではなく真面目に考えるんだけど、
今40歳の自分が結婚して何を得られるんだろうかと考えてしまう。
性欲もほぼないし風俗でいいし、
子供も今更ほしいと思ってないし、
学生時代の友人(だと俺が勝手に思ってて15年会ってない人)とかはいるにはいるが
職場の人間とも表面的な会話はするけど根本的に相手に興味を持てないから話が続かないしプライベートな付き合いに発展することはまずない
相手もそれを見抜くのか、俺抜きで会ってたり遊んでることが多い
接したいとも思ってないのかも知れない
趣味の仲間が欲しくなる瞬間もあるが楽しい以上に面倒が増えるんだろうなと思うとその欲も消える
結構いるだろこういう奴
前の職場でお世話になった人から突然コロナのワクチンに注意した方が良いというメッセージが届いた。
実はコロナワクチンの危険性がよくわかってないとかじゃなくて、コロナワクチンは闇の政府による人口削減のための策とかそういうやつ。
別に医学の専門知識を持ってるとかではないけど知的な人だという印象だったのでまず驚いた。でもそこそこ知的好奇心があって情報収集にも意欲のある人がかえってはまったりするんですかね。
で、これ送ってきた人はまあまあ年配の人で職場ではそれなりの肩書きがある人なわけ。自分はそもそも直接の上司ではなかったし、今後会うこともまあそれほどなさそうだし「勉強になりました!」でなんとか乗り切れると思うけど、これもし部下とかにもやってたらきつくない?
前にまったく別のつながりの飲み会で突然911陰謀論について語り出した人がいたんだけど、ああいう陰謀論て「なるほどー」「そうかもしれないっすねー」とかでけっこう流せる。でもワクチンだと打ったかどうかの話がその後に出てくる可能性があるよね。打ってても「いや打ってないです」って言えばいいのかもしれないけど副反応で発熱したりすることを考えるとその人だけじゃなくて職場の関係者全員にワクチン打ったって言えなくなるよね。実際にやるの意外に難しそう。
いやーやっぱり医療系の陰謀論はきついっすよ。日本じゃもうHIV陰謀論なんか知ってる人の方が少なそうだけど実害につながる可能性が高すぎる。でもたぶんそういうことを教えてくれる動機は善意なんだよね。「気付けない人たち」を馬鹿にしてくれても良いから、頼むから陰謀論者だけで盛り上がっててくれないかな。
で、ちょっと心配になったんでつながりのある人にそれとなく聞いてみようかなと思ったんだけど、これが意外と難しい。「○○さんも聞きました?ワクチンこわいですよね!まさか打ってませんよね?」とかなったらやびへびだもの。
実はこれ増田に書こうと思ったのも意外とこういうのって誰かに愚痴るの難しいなと思ったからだ。適当な人に愚痴ってその人も陰謀論者だったらややこしいからね。
ずいぶん前から、自分が逆潔癖症だということに気づいてしまった。
私が飲んだコップを「一口ちょうだい」と言って飲む人がいると、「私のこと汚いと思ってないの?」とびっくりする。
あと、私のスマホに耳をつけたくないだろうと思って、電話を替わる時にわざとスピーカーオンにした状態で渡すのに、耳につけて話す人がいる。それもびっくりする。
電車やバスで隣の座席に人が座ると安心する。私のことを汚いと思っていないから。
トイレを使用するときは、自分が使う前は綺麗にしないのに、使った後めっちゃ綺麗にする。
子供の頃、家族でご飯を食べていたら、母親が私の食べていたグチャグチャになった納豆ご飯を指さして、