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はてなキーワード: 物体とは

2021-06-17

国語文章喚起するべきイメージをないがしろにしてはいませんか?

国語辞典ブリタニカのような写真ではなく字が主体百科事典動植物あるいは衣服等の説明は分かりづらいものです。

あれはそもそも現物を見たことがあることを前提にしているような解説になっているようにみえます

辞書の主な使い方の一つとして、文章に出てくる具象名詞がどういうものか分からいから引いてみることがありますが、この場合現物を見たことがないことも多いはずです。

ですから解説写真を用いないならば実物と相違ない像がありありと浮かんでくるような文章説明されていなければある意味本末転倒なのです。

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試みにあなたが知らない植物を何か一つ引いて、その説明を読んで図に描いてみてください。そしてネット画像検索比較してみてください。

いかに実物からイメージがずれていたかかると思います

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今はAIがありますからより科学的に辞書事典記述妥当性を検証できると思います

写実的な絵を描くことに定評がある人達から同じ植物の絵を集めて、模範的な絵として学習させたら、同じような人たちからその植物をまだ知らない人たちを選出し、辞書説明だけを頼りにその植物の絵を描かせます

次のパターンとして、絵は全くの素人という人たちに実物を見せてその絵を描いてもらったら、既に学習させた模範的な絵との比較で、両パターンの近似度の平均をそれぞれ算出します。おそらく全くの素人が実物を見て描いたものの方がまだ高い近似度を持っていることでしょう。

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広く捉えればこれは国語教育問題かもしれません。つまり国民全体において辞書から正しいイメージが得られないというのが平均的な水準として示されるならば、それは個人によつ勉学の怠慢という自己責任ではなく、教育制度側の過失といえることになります

PISAではごく単純な論理パズルのような説明文を読ませて正答を導かせるようなことを行ってきていますが、一度、文章からそれが示す物体やその配置に関する図を選択させる問題も出してみるべきだと思います

数学には取って付きのマグカップドーナッツを「同型」とみなすようなトポロジーという学問がありますが、そのような緩い制約の下ですら構造的に異なるような一群を選択肢としても、なお正解を選べない人がごまんと出てくる結果となるかもしれません。

そうだとすれば小説の情景描写もまたまともに機能していないかもしれません。自覚のないあきめくらが読者かもしれませんから

しかし読者にその責任はないでしょう。

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本をたくさん読めば読解力が身に付くという考えが横行しています。この根性論のような考えも問題です。

PISA等で国民文章からイメージ自分の頭に形成する力の低下が判明したら、文章とそれが一般的に指し示す図の対応ということに焦点を当てた学習法をぜひ初等教育に取り入れるべきでしょう。

やみくもに本を読んでれば読解力が上がるというのは、読書に慣れるとか、知らない単語発見することで知識を埋め合わせる機会が得られるということが考えられるのである意味で正しいですが、しか言葉イメージ還元する力の育むに際しては根本的に、原理的に無力だと思います

我々の脳よりもはるかに高い処理能力を持つAIでさえも、一部の学習に際してはフィードバックという一定の手順を必要するのです。

我々が文章から正しいイメージを得るようになる過程についても同じことが言えると思います

「そのイメージで合ってるよ」「そのイメージは間違ってるよ」と教えられることによるフィードバックがなければ、自分の読みが修正される機会がなく、何かを読んでもトポロジー的にすら間違ったイメージを展開していくようになるでしょう。

あるいはそれは教育されなかった「ヒト」としての自然な姿なのでしょうけども、それはそれとして。

話を戻せば、するべきことは、文と図との基礎的な対応表を作って、九九のように叩き込ませることです。

これは一見根性論めいているかもしれませんが、無計画多読よりも遥かに効率的でしょう。

基礎的な表がクリアできたら、もう少し複雑な文や文章でも作成しておいた対応表へと移行していけばよく、方式としても構造化されていて明快です。

結局これは数学において基礎をおろそかにすれば応用問題で容易につまづくようなこと、たとえば掛け算ができなければ割り算はできないとか、微積分の原理が分かってないのでは微分方程式は解けないということと同じです。数学に取り組むのとある意味で同じ態度で国語学習にも臨まれるべきだと思います

三島由紀夫vs東大全共闘感想

ツイートではなくて、こうちゃんとした一つの感想文?としてまとめようとすると前置きとかいい感じのまとめとか必要で、いきなり書きたいところだけ書くわけにはいかず大変だった。あと携帯で長文書くの疲れる。みんなどうやって長い文書いてんだ。そんなわけで構成が雑で尻切れトンボ気味ですが許してください。ほんとひどい文章なのでいたたまれなくなったら消しま

東大全共闘三島の討論のドキュメンタリーを見て三島に強く共感したという話をする。内容の細かい解説はしない。プライムビデオにあったんで見てください。youtubeTBSが上げてるやつはもっとコンパクト

まず、三島議論の冒頭からいきなり始める「エロティシズム」について共有しておきたい。これはサルトルのいう「猥褻」という概念から引っ張ってきたもので、いわゆる一般的性的衝動というよりも衰弱したもの無気力ものを指している。他者オブジェとして捉え、他者予測不可能であること、操作不可能であること、転じて「人間であること」を認めない態度。

文脈的に良いかいかといえば今回は悪いものとして使われてる言葉

他者物体視するエロティシズムというのは、自と他が関係している状態とは違う。関係に入るということはすなわちそこに対立があり闘いがあるということ」と、三島はこの猥褻さを批判しており、暴力にはむしろ人間的な関係性がある、と学生共感ポーズを見せる。議論の出だしにこう語ることで私は君らを頭ごなしに批判しにきたんじゃないよと言いたいのだ。

つづけて、そのようにエロティシズムを批判しつつも三島は「かつては小説家としてただエロティックにの世界と関わろうと願っていた」と言う。

この部分を聞いて、それがまさにいま自分(筆者)がいる次元なのだと気づいた。

振り返ってみるとどうも自分は人と関係するということにいい思い出がなく、関係が強いものであればあるほどその相手といるとき自分が「本来自分」でない気がしてしまう。(実際、関係から開放されると安らぎを感じる) そして世界コントロール不可能であることも常にストレスだ。電車ダイヤじゃなくて自分の都合に合わせて走ってほしい、映画自分の見たい時間に始まってほしい、人の生活音が鳴るときはまず断りを入れてほしい。自分のこうしたストレス根底にあるのは「自分世界フィットしていない」ことを見せつけられることへの恐怖だ。

エロティシズムとは違う気がするが、似たような傾向自覚されてないだけで多くの人間が共有するものだ。(エロティシズム以外の名前を当てようとしばらく考えたけど思いつかなかった)

インターネットを見ていると昨今は「思想トレンド化」が激しく、日々流行りの服を着替えるように思想トレンドを着替えて「遅れたことを言っている人」にならないよう皆必死こいている(一年前まで「男女間に友情はありえない」としたり顔で言っていた人間が今年はしれっとLGBTQを擁護するツイートリツイートしている、みたいなのを何回も見た。もう少し意地張れよ、そんなんだから差別主義者に思想の借り物感を見抜かれるんだよ、と思う)。

つまるところこれは自分の「主観」に落ち着くことへの恐れであり、世界三人称で見たいという欲求とも言い換えられる。たった数年前までもてはやされた育メンという言葉はもはや一種差別用語、下手にフラット思想の持ち主を気取りそんな単語を口に出そうものなら冷ややかな目を向けられる。このスピード感の中で誰が自分主観にこだわりたいと思うだろうか。人の思想を借りて乗り換える、主観は持たず三人称だけを持つ、それが一番楽なのだ。こうして人々はエロティシズムに走る。

しか三島はそれを良しとしなかった。

三島曰くこうした猥褻世界観に欠けているのは他者との関わりであり、それを生むのが「意地」である

「(エロティシズム的な世界との関わりを捨て)どうしても一つの関係に入りたくなっていった。それが当然対立を生むことになって、対立他者というものイリュージョンを作っていかざるを得ない。それで私はとにかく共産主義というものを敵にすることに決めたのです」

三島はここではっきりと「敵にすることに決めた」と言っている。

そう、三島にとって共産主義は敵にしないこともできた存在だったし、事実かつてはそうしてきたのだ。しか三島自分で選ぶことによって共産主義という敵を作り、それにより世界関係を持った。

ここを踏まえれば三島がこの討論の間ずっと楽しそうなのも頷ける。立場の違いは本質的ものではないということをあの場で三島けが知っていたからだ。三島自分思想作品として表現するだけではなく、生の対立の中に身を置かないと気が済まなかったのだ。このへんをよくわかってない全共闘の芥は「作品は自立空間だ。三島がこんなところにデマゴーゴス披露しに来てるのは三島が敗北している証だ」と言い返しているが、三島に言わせれば作品を発表するだけ、一瞬しか続かない解放区を作るだけで満足しているのはエロティシズムに過ぎない。(が、三島は彼を論破しに来たわけではないので強いてそこを芥に認めさせようとはしない。)

右翼左翼だに結局「論理的着地点」などありえないし、あり得たところでそれは本当に世界と関わっているのか?と言われるだろう。少なくとも机をバリケードしたことが実際に世界になんの革命をもたらしたのかといえば、机が汚れただけである。内容が即形態であり形態が即内容である活動他者必要としないので自己完結で終わる。

脱線するが、途中で芥にヤジを飛ばしてちょろっと喋りに来る学生が「現実的実在社会的関係が先行する、それをお前は無視している」とめちゃくちゃセンスのない言い回しで(全体的にこのとき全共闘言葉選びはセンスがない)芥の論を批判するが、これが「その関係を切れっつってんだよ!」という芥だけでなく、三島にも苦笑で流されてるのは「関係現実にあり、それが自らに先行する」というかなりナイーブな決めつけをしてしまっているからではないかと思う。三島の考える関係とはあくまで自らが選んで作る「イリュージョン」だから

右翼左翼本質的な違いはないし論理的な決着もつかないという話に戻る。

これは三島が言っていることではないのだが、つまるところ論理も「意地」の道具でしかないのだと思う。

論理が無力だとは決して言わない、しか論理は使い手に媚びる性質があるのだ。

三島は途中、珍しく自分ノスタルジー全開で天皇腕時計を授与されたエピソードを話す。その時の天皇の姿が自分いかに立派に見えたか三島は強調しており、またそれが個人的経験であることも認めている。

三島はこの経験が彼の愛国主義、つまり「意地」の原点なのだと考えていた。

三島保守ポジションに立つのは「意地」のせいであり、

それは自分個人的体験世界と繋がりたいという欲求の唯一無二の現れ方なのである、だから変えられない、と。

その意地>論理という三島イデオロギーがはっきりと現れたのが以下の箇所。

「僕は論理の通りに行動しようと思ってない。つまり意地だ。もうね、ここまで来たらもう意地だ。」

このとき東大学生の間には「論理捨てるって宣言しやがったよこいつ笑 もう負けたなw」というニュアンスと思われる笑いが起きている。

ここで東大学生はこの日の討論における自分たちの勝利三島の完全な敗北を確信したのだろう。そして三島は翌年に切腹した。

しかし、あれから50年経った今日、やはり正しかったのは三島だったのではないかという気がしてくるのだ。

テン年代では没落していたひろゆきが今、ネット神様から論破神様として転生している現象にそれが現れている。ひろゆきは「善」という概念を持ち出さない。善は常に主観的だからだ。倫理的にいいかどうかは置いといて論理的にはこうでしょ?、というのがひろゆきの基本スタイル

この「判断放棄」はまさに三島が再三述べてきた「他者物体化」「エロティシズム」にほかならない。

彼を崇拝する現代ネットは、かつてないほどにエロティシズムな世界観を求めているのだ。

ひろゆき曖昧だと一笑に付す善には、ただし、こんな側面もある。

伊藤計劃ハーモニーから引用する。

「善、っていうのは、突き詰めれば『ある何かの価値観を持続させる』ための意志なんだよ」

ちなみに小説ではこの「善」は人間の本性に反する歪な概念として批判的に扱われていた。人間とは本来気まぐれな有限の存在であると。

しか三島はこの本性に逆らうこと、持続させようという意志にこそ真の人間らしさがあると考えた。

ひろゆき批判的な態度を保ちつつも彼の動画を見た多くの人はこう言う。

論理的には正しいかもしれないんだけど…

この「だけど…」という違和感を生んでいるのが聞き手の「意地」であり「善を持続させようとする意志なのだ。それは正しいかもしれない、だけど認めたくはない。そう、「正しい」からと言って認めなければいけないわけではないのだ。先程も言ったように論理は使い手に媚びる(論理学の人にめちゃくちゃ怒られそうな仮定ですが…論理とは一つの信仰体系なのです)。とすれば数十年後には真逆のことを論理的説明する人間がいてもおかしくない。

多くの人が誤解しているが、論理は常に偏見という土台の上に立っていて、論理を積み上げることよりもその土台を見直すことのほうがよほど難しいのだ。

ひろゆきみたいなタイプは「人を言い負かしたい」という「意地=土台」が最初にあり、その上に論理を積み立てていくから論破」において強く見えるんだと思う。しか論破目的化してその先がないのだ。

ひろゆきは人の欠点は指摘できるが、自分の考える「理想の世界」の話は絶対にしない。そんな意地を持った途端にそれは自分の論の弱点になるから

ただし、そうして「論破」だけを繰り返した先に何がある?もちろん何もない。仮にひろゆき提案する通りに世界運営してみたら、きっとそこに残るのは論理服従した人間たちの何もない荒野だろう。

全共闘との議論最後

「それで(三島全共闘と)共闘するんですか」

と聞かれた三島はきわめて朗らかにこう答えた。

「今のは一つの詭弁的な誘いでありまして非常に誘惑的であったけれども、私は共闘拒否します」

イデオロギーの違いを超えて人間として認め合う、平田オリザが説く「シンパシー(同情)からエンパシー(共感)」という思想がその時、三島学生たちの間にはあったのだと思う。

三島個人昭和という時代に生まれ天皇制に基づいた美しい日本を信奉したためその衰退に殉ずる結果となった。しかしそのイデオロギーと、そこに三島を導いた彼の考え方は別であり、それは単に「敗北した破滅思想」だとは思えないのだ。

2021-06-16

Vtuberなんてものがなんで流行ったのか分からん

あんなん二次元の中身をまんこにしただけじゃん

整形した上に触れられない上に中身はまんこって最悪の物体では?

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド続編の動画を見た考察

舞台が空

開発が飛行機バグを見て「上の方空いてるな」と思った説

物体時間を戻すようなギミック確認

開発内にぺこぱファンがいる説

2021-06-12

双子の女に殺されかけた

小学生の時、二つか三つ年下の双子の女がいた。一卵性双生児だ。同じ学童に通っていたため知り合ったのだが、どちらがどちらか分からないぐらいは仲はよくなかった。よくなかったと書くと語弊はあるが、興味がなかっただけだろう。全員で20人ぐらいの学童だったと思う。全員に確認したわけではないか、その双子の見分けがつかなかったのは自分ぐらいだった。

双子の家と自分の家は歩いて10分ぐらいの距離で近かった。なので双子の家の前の道を歩くこともよくあった。

自分が小5ぐらいだったと思う。双子の家の前の道を歩いていたとき、その家の窓から双子の姿が見えた。一人か二人かは覚えてない。双子の家を通りすぎて何秒かたったときガチャンと音がして後ろから足元に何かが転がってきた。双子の家の方向から投げられたのは分かったので、すぐ二階の窓を見たら、窓の下にさっと誰かが隠れたのを見た。一瞬のことだったので誰かは判別できなかった。十数秒見つめていたが、姿を表す気がないようだ。そこで転がってきた物体に目をやると、自転車の前輪の鍵を1.5倍したらぐらいの金属部品だったことは覚えている。こんなものを後頭部にぶつけられたら、下手したら死んでるところだった。そのあとは距離的に殺傷能力があるものを投げられないのは分かっていたので、普通に歩いて帰った。

その後、双子に会っても投擲事件話題に出すこともなく、双子とはなるべく接触しなくなった。

2021-06-08

技術は見た目が9割

なんか研究者って勘違いしてるけど技術って見た目なんだよね

中身の技術なんて基準を超えてたらある程度運用対処できるし営業的にはほとんど意味が無いよ

物体認識技術リンゴとナシの区別ができるようになりました!とか、リンゴ農園で使うならそもそもナシなんてねーから

それよりUIなりAPIなり使い勝手を重視しないと土俵に上がれませんけど

まぁ論文にはなるんだろうね リンゴとナシの区別ができた、とかいうの

そんでそれがいつの日にか大きなブレイクスルーになるかもしれない、とかいうクソみたいな理屈

そんなのに金使うわけねーだろ マジメにやれ もしくは勝手にやれ

から研究なんて金持ち道楽でやってたしパトロン付けてやるもんだよ

そのときでもいかに明るい未来を見せられるか、とか、魔法のような技術か、とか

いかパトロンを納得させるかに必死でそれによって資金を得てたんだよ

から結局見た目だよ

性格が良ければ結婚できるとか思ってんじゃ無いのか

もっと見た目を磨けよ

自分で無理なら他の人にやってもらうとか考えろってマジで

2021-06-03

さなものの中にある世界

子供の頃の感覚を書く。

子供の頃私はともかく他人が目に入れないようなもの面白がる子供だった。

例えば身体的な操作感覚である、ただ坂を登るという行為においてもモリモリ登る、いつまでも登って行けるという興奮があったし、他人が見向きもしないような当たり前の道具をみて、こんなに便利なものがあるなんて楽しい、と嬉々としていた。

それを見た他人温度は低かった。なんでそんなつまらないものを、という冷水容赦なく浴びせかけてくる。そんなふうに言われても空は世界と繋がっているし、もしかすると今吸っている息は名も知れない孤島の少女が吐き出したものかもしれない、そう考えていた。情報量の少ない土地に生まれたことも心象を作り上げる要因になっていたのだろう。周囲はなぜこの一つのアイテムに、あるいは情景に素晴らしさを感じることができないのだろうと疑問に思っていた。1ポイントしかダメージが与えられない武器を、1ポイント確実にダメージが与えられるのだ、それ自体凄いことではないのか、という思いを巡らせていたことまで思い出した。

しかしこうした感覚は周囲の肯定必要であり、悲しいかな私の周りには否定的で打算的、物体物体、情景を情景としてしか考えられない大人大勢であった。その背後になにかのストーリーがあって、人々が暮らしていて、生産していて、と考えるものは皆無だった。かくして自分の感じていることはつまらないことなのだと思うようになり、やがてその感覚は忘れさられていった。そして、こうした感覚が忘れ去られるに従って、どういうわけか、というよりも必然的他人の痛みに涙を流したり、共感することがなくなっていった。

思えば自分自身、周囲の面白みや好きという感情否定していたりする。そんなものは焼き直しだ、見たことがある、繰り返してるだけだ。しかし個々人が焼き直しの中に唯一無二の何かを感じられているとすれば、それは否定されるべきではないとも思う。マッチポンプではあるが、たとえ私が対象否定してもである

見捨てられたものの中から見つけ出される小さな発見は、往々にしてイノベーションと呼ばれる原動力につながる。侮るなかれと思う。

2021-06-02

前世旅行してきた

二日前、オモコロ催眠術記事を読んだことをきっかけにYouTube催眠術動画を見た。ヒプノディスク(なんかようわからんぐるぐるするやつ)を見ているうちに手が開かなくなったりとか、そのまま目を閉じるとまぶたが開かなくなったりとか。そういう5分に満たない動画。数年前にこれを試したときはてきめんに効いて驚いたのだけれど、今回は二度目だからか、当時よりも大人になったからか、はたまたヒプノディスクってヒプノシスマイクみたいだな…と邪念が湧いていたからか、催眠に対して抵抗することができた。アッもしかして"ヒプノ"は催眠を表す単語ですか?

その流れでおすすめに上がった前世催眠前世瞑想…?の動画を見ることにした。こちらは30分程度の大作である人生の30分をこれに使うのかと思ったけれど、どうせ暇なので、惰性のままに再生ボタンを押した。導入。ゆったりとした女性の声が私にリラックスを求めてくる。部屋を薄暗くし、マットレスに横たわり、命じられた深呼吸を繰り返しているところでアロマを炊けばよかったかとほんの少しだけ後悔した。埃をかぶっているアロマランプはこういうときに使うものだろう。たぶん。

さて、動画女性は私が完全にリラックスできたていで話を進めていく。私の精神深呼吸くらいでリラックスできないし、身体深呼吸くらいで脱力できないのだけれど、まあ、しかたがない。というか呼吸って意識すればするほどに浅くなりませんか?ほんとうにアロマを炊けばよかったと思ったよ。とにかく彼女は私に目を閉じろと言った。私は閉じた。あなたは海にいますと言われた。海。これまでの人生の1/3を海沿いの町で過ごしてきた私は海のイメージに自信があった。今となっては思い出の中にある海。真っ暗な空とそれよりも深い色をした海面、テトラポットに打ちつけられる波の音と飛沫、寒さでざらざらとするような潮風とその匂い。遠くで空港につながる道が光っている。

満天の星が輝いていますあなたを包む風はあたたかく……」と女性が言った。後出ししないでほしかった。思い出をまるめて捨てた私はおそらく海外だろう美しい砂浜を作り上げることに努めた。

この時点で結構いっぱいいっぱいというか、彼女が想定している私の脳内と実際にかなりの乖離があったのだけれど、彼女はペースを緩めてくれない。その海の中からなにかがあなたを案内するために迎えにくると言われ、それは人かもしれないし動物かもしれないし物体かもしれない、とにかくあなた安心できるものだと。ところで、私はそれまでの時間乙女ゲームにかけていた。攻略対象picをずっと見つめていた私が急拵えで作った「私を迎えにきた安心できるもの」は当然のように攻略対象だったわけだ。

いや、ちがうだろ、と思った。

前世乙女ゲーム攻略対象に案内してもらうのは違うだろ。

私はそのイメージを打ち消すと、白いワンピースに身を包んだ幼女一心不乱に想像した。案内役が幼女安心できるのかと言われたらNOだと今になれば思うのだけれど、そのときは焦っていた。幼女は……というか動画女性は私を海底に導いた上で目の前に門があるとぬかす。門。門か。門ってなんだろう。コナンアニメで出てくるあれかな?両開きの扉がついているやつ。もうそれでいいよ。妥協が肝心だ。この門をくぐると私は前世体験できるらしい。いよいよである

これはもうほんとうにイメージの話であるのだけれど、事件の始まりを予感させる扉の先で脳内に浮かんだものショッキングピンクだった。女性が足下を見てくださいと命ずる。なにを履いていますか?それとも裸足でしょうか……ゴールドハイヒール……ハイヒールということはドレス……いやでも前世パーティードレスを着るか?ドレス……なんかもっとこう異世界転生して悪役令嬢になった主人公が着るような……マリアントワネットみたいな…………連想ゲームのような感じで私の前世は決まった。中世ヨーロッパ貴族の令嬢。連想ゲームというか乙女ゲーム世界から抜け出せていない感じは否めない。あと、ショッキングピンクはまじで関係がなかった。なんだったんだよ。

女は「前世あなたいちばん幸せだった場面に飛びます」と言った。私は飛んだ。素直だから。その場面の私は幼女の姿をして椅子に座っていた。優しそうな侍女が私の長い髪をくしで梳かして、ととのえている。指先や表情から彼女が私をかわいがってくれていることは明らかだった。嬉しいなあ。幸せだなあと思ったけれど、これをいちばん幸せな瞬間とするならば前世の私はよほど不幸だったのか。はたまた、ありふれた日常の一幕こそがほんとうの幸福なんだよ、そういう教訓だろうか。とにかく私は侍女のことが大好きで彼女ハグをしていると「今度はあなたいちばん愛情を感じた場面に飛びます」と指示が入る。飛んだ。そこは、舞踏会か、なにかしらのパーティーの壇上だった。17歳の私はそのきらびやかな席で主催である父親に娘だと紹介されている。そっかあ、そうかあ。だれに紹介しても恥ずかしくない娘か……

ぶっちゃけ、これが前世のはずはないのだ。わかっている。ただイメージを作ることを強制された脳内の中で自分欲望は思いがけず、はっきりと浮かぶもので、要するに私はすでに父親がいない。彼は再婚した先で新しく家庭を築いている。そうして私は、私が、両親にとってよくない娘であったことがずっとコンプレックスだった。そのことで苦しむ夜は数年単位で訪れていないのだけれど。

なんだかしゅんとしてしまった。あと、この場にさっきの侍女がいないことがさみしかった。なんとなく彼女はすでに私から離れているような気がしていた。さっきから母親の影がないこともなにかしらの表れかと悲しい思いがする。

しか感情に浸る間もなく「現世であなたレベルアップさせるための場面に飛びます」と女がめちゃくちゃを言った。それはもう私の脳内にないだろって。そのイメージ材料無意識下にでもないだろって思ったのだけれど、だからなのか、使い回しのように私は海辺にいた。差分変化として夕暮れだった。隣に妙齢女性

彼女は厳しい目で海をながめていた。馬鹿にしているようでもあった。ただ、私は怖い顔をしているけれどこの人はほんとうは海で遊びたいんじゃないかな?と考えていた。誘ってみようかな。ああでも彼女も美しいドレスを着ているから海に入れないか。でも……「あなた前世から戻ってきます。少し先の未来レベルアップしたあなたはなにをしていますか」私は職場にいて、四月に入職したり異動してきたりしたまだ親しくない同僚にいっしょに仕事しましょうと持ちかけていた。それを終えて、大変だったけれどやってよかったですねえと笑った。

これで前世旅行おしまい不思議な三十分間だったので記録しておきたいと思って、これを書いた。なんの意味もない。この話をしたら友達からは「新興宗教か?」と訝しまれたのだけれど、それはほんとうに私もそう思うよ。

anond:20210602193626

値段は売る人の価値観であって、カロリー物体が持ってるエネルギーからむしお買い得なんや

 

から二日に分けて食べなさい

anond:20210602055643

ユムシのような変な物体に振り回されるだけの人生だった

こちらが振り回したりもした

2021-05-31

anond:20210531221714

おっぱいがあっても

はい

まれつき男性勃起時そのサイズに満たない人がかわいそう

男性?この世界男性女性という区分はありません。

陰茎様物体勃起時8cm以上の人間か、8㎝未満の人間の二種類しかいません。

2021-05-29

anond:20210529222723

そこに立ってるお前とスーパーカブの違いはなんだ?

両方とも邪魔物体なんだが。

2021-05-26

グラビトンはあるのは皆体感してるので理屈上は分かってるのだが観測手段がないためはっきりあるとはいえない微粒子

物質が大量に集まり密度になると微力なグラビトンも塵も積もれば山となり大きな重力となると考えられている

ただこのグラビトン万物に働く力があり、真空状態で伝達するものがなくても作用する、障害物があっても透過して範囲内の物体に同じ量で作用すると、性質的に謎の部分が大きい

射程圏内であれば同一の量の力が作用するのも特徴だ

観測手段がないので別次元の何かではないかと考えている科学者もいるほどだ

グラビトン観測原理を解き明かしコントロールできるようになったら反重力装置を作れるようになるのだろうか

2021-05-25

anond:20210525172215

状態を表すのってニュートンみたいに1ニュートンは、1 kg質量を持つ物体に1 m/s²の加速度を生じさせる力という状態を表すことがあるし1N/1Nは1でいいんじゃないの?

状態を表すことって物理でよくあるやん

2021-05-23

オリンピックは繰り返す

2020年東京オリンピックは、大盛況で幕を閉じた。

開催国日本メダルラッシュに沸き、経済も上向いて最高の一年となった。

そんな明るい未来を予感させる年が終わり、翌年の2021年初頭、冷や水を浴びせるがごとく、凶悪ウイルス人類を襲った。

それは新型インフルエンザウイルス

突然変異を起こしたこ病原体は、例年の流行とは一線を画し、高い感染力と致死性を備えた最悪のウイルスだった。

この年、新型インフルエンザによる死者は世界人口の3割に達し、各国は大混乱に陥った。

しかウイルスは毎年変異を繰り返し、有効打と期待されたワクチンさえも効果限定的だった。

翌年以降も猛威を振るい続け、どの国も例外なくインフラ経済基盤に大きな打撃を受けた。

人類は衰退の一途を辿った。

そんな中で、皮肉にも発達したのがAI機械学習だった。

労働人口が激減する穴を埋めるべく、積極的投資が行われ、技術革新が起きた。

AIのおかげで高い精度の未来予測可能となり、遺伝子操作の分野でも大きな成果があった。

何よりもタイムマシン理論の構築は、人類の知性のみでは到達不可能だったと言われている。

2030年にはタイムマシンの試作機が完成した。

一部では目覚ましい科学の発達を見せながらも、人類滅亡は目前に控えていた。

新型インフルエンザウイルス蔓延により生産性は激減し、深刻な食料不足になっていた。

それを引き金に各地で紛争が勃発。

AI予測でも明るい未来を導き出すことはできなかった。

しかしそのAIから意外な提案がされる。

もしも新型インフルエンザが発生した2021年の前の年、2020年に毒性の低いウイルス流行していたら?

感染対策が十分に行われた翌年、新型インフルエンザ感染を拡大することができずに消滅する、というシミュレーションをはじき出した。

過去修正することで、人類を救うことができるかもしれない。

作品タイムマシンは、人間のような大きな質量を運ぶことができなかったが、微小な病原体であれば、過去へ送り込むことが可能であった。

遺伝子操作新型インフルエンザウイルスRNAを組み込むことにより、感染力だけが強く毒性の弱いウイルス作成された。

遺伝子を組み込む毒性の弱いウイルスには、風邪の原因としても有名なコロナウイルス選択された。

タイムマシンは、2020年へ、遺伝子操作したコロナウイルスを送りだした。

人類袋小路に迷い込むことなく、より良い未来をつかみ取ることを願って。

◇◇◇◇

2020年初頭、突如発生した新型コロナウイルスはいくつかの国でパンデミック引き起こした。

大きな犠牲を払いつつも、各国は隔離政策を打ち出し、少しずつではあるが封じ込めることに成功した。

翌年の2021年新型インフルエンザが爆発的に広がるはずであったが、高熱を出した患者はすぐに隔離他者感染することなく、人知れず消滅した。

こうして、新型インフルエンザ人類を追い詰める未来は消え、新型コロナで混乱する世界線へと改変された。

新型コロナは、新型インフルエンザを知らない人類にとっては大きな痛手となったもの、数年のうちに克服された。

人類は、より良い未来へ舵を切ったはずだった。

この新型コロナ騒動で、一人負けの様相を呈した国が日本だった。

新型インフルエンザよりも一年早く発生した新型コロナのせいで、東京オリンピックは中止となった。

しかも、延期中止をめぐる中で数々の不祥事が発覚。

日本は諸外国からの信頼を失い、国民は自信を失った。

期待していた五輪特需も無くなり経済が衰退。日本はみるみるうちに失速していった。

そんな日本が打開策として打ち出したのが、かつての栄光科学技術立国日本の復活であった。

とは言え、一度失われた物を手に入れるのは容易なことではない。

場当たり的な政策を繰り返し、国内外失笑を買うことが多かった。

それでも、数を打ったことで奇跡的に成果が出た。

それは空間不思議な亀裂があるという、今までに発見されていない現象だった。

実のところ、この亀裂はタイムマシン新型コロナウイルスを送り出した際に生じたものだった。

タイムマシン過去物質を送るのはピッチャーキャッチャーへ向けてボールを投げるのに似ている。

時空とはピッチャーキャッチャーの間にある障子のようなもので、途中を通る時、空間に亀裂が入る。

2030年から2020年の間には新型コロナウイルスが通過した亀裂が発生しており、日本研究チームが偶然にもそれを発見したのであった。

本来タイムマシン理論人類には到達し得ない領域である

新型インフルエンザ世界線ではAIの発達によりパラダイムシフトが発生したが、AIが未発達な新型コロナ世界線ではあり得ない。

しかし、何もないところから考えを飛躍させるのは無理であっても、観測できる事象があれば、類推可能だった。

落ちぶれた日本には他にできることもないので、この研究に力を注いだ。

ピッチャーが投げたボールの途中の軌道観測すれば、それがどこから発生し、どこへ向けたものなのか推測できる。

時間的連続した亀裂を観測することで、これが2030年から2020年へと微小な何かを送りつけた結果であると仮説が立てられた。

この仮説には様々な飛躍があり、突っ込みどころも多かったが、偶然にも正鵠を射ていた。

そして2020年という終着点は、日本にとって忌々しい年だった。

新型コロナ未来から「悪意によって」送りつけられたウイルスである

そう結論づけた日本はこの過去へ向けたボールを撃ち落とすことにした。

ピッチャー2030年から2020年へ投げたボール軌道上にいる今、そこへ大きなエネルギーをぶつけ、ウイルスのような小さな物体消滅させることは、それほど難しいことではなかった。

これが他の国の発見であれば、もう少し慎重な対応をしたかもしれない。

しかし、余裕を失った日本は、すぐに行動へ移した。

2030年から2020年へめがけて送られた新型コロナウイルスは、こうして途中で破壊された。

2020年に新型コロナ感染爆発を起こさなくなったことで、2021年新型インフルエンザが大流行した。

新型コロナ世界線は消滅し、再び新型インフルエンザ世界線へと戻った。

こうして世界2020年から2030年の間で、新型インフルエンザ世界線と新型コロナ世界線を繰り返すこととなった。

人類は2つのウイルスに繰り返しパンデミックされる監獄へ囚われた。

◇◇◇◇

この様子を興味深く観察する、高次の存在があった。

人間が考えるところの神と言える存在である

彼は驚きと興奮を持ってこの事態を観察していた。

文明が未発達で精神的にも未成熟地球生命体が、まさか時間を操る術を身につけるとは想像していなかったのだ。

さらには無限ループを発生させ、宇宙全体を停滞させるとは。

ただ、感心はしたものの、地獄絵図をループするだけの人類にはすぐに飽きた。

宇宙全体を見渡せば、地球よりも優れた生命体は数多く存在した。

そちらを停滞させてまで宇宙ループさせる意味はなかった。

そう判断した後の彼の行動は速かった。

地球恒星である太陽に力を注ぐ。

太陽には、コロナと呼ばれる100万度を超える大気層がある。

彼は地球大気コロナ大気を入れ替えた。

奇しくもその日、日本では何度目かの東京オリンピック開会式が開かれていた。

その世界線では、新型コロナウイルス存在しなかった。

オリンピック開会式の段階では、新型インフルエンザウイルスも発生していなかった。

まだ人々は、明るい未来漠然と信じていた。

聖火台に火を灯す、オリンピック象徴する儀式の始まる瞬間。その時はやってきた。

地球太陽からの「聖火」が届く。

100万度を超える高温のプラズマ電子レンジよろしく地球をチンした。

こうして人類は終わりを迎えた。

この時、ループを繰り返した東京オリンピック10回目の開催だった。

オリンピック10回。

五輪10

ごりんじゅう。

ご臨終。

お後がよろしいようで。

2021-05-19

ゼロから落ちゲー考えてみる②

前回(anond:20210518172408)のあらすじ。

落ちゲー、上から見るか、横から見るか。

縦長か、横長か

視点を考える際にこちらも検討必要だった。

テレビPCディスプレイプレイするのであればおのずと横長になる。

落ちるという特性上、縦に長いほうがなんとなくいいような気はする。

ゲームセンター用の筐体とかだと縦長も採用できる。

というか、スマホがもう縦だ。横にもできるが。

ウマ娘PC版も縦長でプレイする時代

から視点で考えた場合には横長のほうがおさまりが良い気もするが。

保留。

モチーフに頼るか頼らないか

五目並べ碁石○×ゲームのように、単に記号としての物体制御するか。

ハンバーガーやブレ音形式意味のあるオブジェクトにするか。

間を取って、文字とか単体で意味をなさなもの使用し、組み合わせて意味を見出す方向にするか。

物理エンジン的なもの採用

物理エンジンという呼称があってるか、そもそもゲーム使用できるかどうかはわからない。

が、なんか使えたら凄そう。

ヒゲダンスダンスしてない時の剣に果物刺すみたいなやつの派生で、よくアニメ漫画で、投げられた食材お盆やお皿で受け止めるというような表現がある。

そっち系ゲームにするのであれば、単に決まったマス目にオブジェクトをはめ込むのではなく、ドット単位で変化が生まれ物理エンジンとの相性はいいように思える。

3Dにこだわってみる

落ちゲーではないが、似たような現実世界ゲームからアイデア拝借する。

積みあがったブロックを抜き取って上に重ねるやつ。ジェンガ? 落とさず抜いて乗せゲー。

将棋崩し。落とさず音を立てず取りゲー。

ぐらぐらタワーみたいなの。揺らさず乗せゲー。

これらに共通するのは、360から視点必要になるという事。

落ちゲーでもこれを採用するのはどうだろう?


画面の縦横比や扱うモチーフオブジェクト)については保留。

一旦視点を回転できるという方向をベース検討を進めていきたいと思う。

anond:20210514143005

少しずれる話題だけど、車輌の陸送(トレーラー電車を運ぶ)に関わる仕事をしています

誘導車で特殊荷物を積んだトレーラー目的地へ連れて行くのが僕の仕事

SNS等で「鉄道 陸送」とか「廃車陸送」で検索して頂くと輸送の様子がわかると思う。

去年から疫病の影響もあって年に数回しか陸送には行ってないが、最近撮影に来た鉄道ファン若者に悪目立ちする人が増えた。

このままじゃ「京阪100年号事故」と同様なケースが起きそうな気がするので、注意喚起反面教師として困った人々を列挙する。

今後このような事はどうかしないで欲しい。

輸送の隊列に車で割り込んで撮影する人

 (もし交通事故起きたらどうするの?)

・道中の工事現場侵入してカメラ構える人

 (不法侵入だよね?怪我したら無関係業者さんへ迷惑かかるよね?)

輸送隊列が通過してるのに無理やり道を横断する人

 (トレーラーが急停車して荷物壊れたらどうするの?スクラップになる車輌でも荷主には大事商品なんですが?)

輸送ルート路駐をして撮影する人

 (全長30m弱のトレーラーから車線変更も大変。もしかして撮れ高欲しさにわざとやってないよね?)

はっきり言おう。

あんまりにも撮影対象への気遣い常識が無さすぎやしませんか?

そして危ないから注意すると逆ギレされる。

この際だからはっきりと言っておこう。

輸送当事者から見れば撮影に来る鉄道ファンは「お客様ではない」んだ。

僕らから見たお客様は荷主なの。

君たちカメラを構えたファンじゃないの。

ファン仕事風景を撮りに来ているのだから仕事邪魔にならない」事をまず第一にしないといけないはず。

この前提条件が見事に崩壊している。

鉄道ファンマナー崩壊」と話題になっているけど、こっちの業界でも本当に酷い人がいるんです。

こうした無法者の影響で、トラブルを避ける為に積荷の電車をシートで覆って撮れ高を消す会社も増えた。

(大型トラックより大きな物体をシートで覆うのですから、その分の手間はかかりますし勿論シートで覆えばファンから心無い言葉罵声大会になる)

勿論、大半のファンの人はこちらの邪魔をしない行動を心掛けてくれています

しかし、どこへ行っても本当に酷い人がいる。

今後も目に余る厄介者には躊躇なく口を出します。

お互いの安全の為です。

本当にファンの方は違法な事や危険な事をしないで欲しい。

どうか冷静に振る舞って欲しい。

事故事件が起きてからでは遅いんだ。

別に自身鉄道ファンの人を敵視しているわけではないし、炎上を望んでもいない。

正直に言うとここ最近行った案件で前述の無作法者が多数来ていて「ここまで酷いのか」と割とショックだったんだ。

からといってSNSで書けば炎上犯人探しとなってしまうから、この匿名場所に書いた次第。

どうかモラルマナーを。

輸送隊列の中の人からお話でした。

2021-05-16

いい加減現実を見ろ

Vtuberなんてのは高額スパチャしか興味無いんだよ。

低額でどんなにいい話があっても、糞Vtuberが拾うのは高額スパチャのみ。

アイツラからすれば、そのへんのリスナーは『豚』より低い存在家畜以下の物体しか見えてないわけよ。

高額スパチャはいわゆる高級な豚程度の扱いなの。

そんな奴らに金を注ぎ込んで存在意義を確かめるくらいなら、その辺の孤児院とかの施設に多額の寄付ヒーロー名前でも使ってした方が

よっぽど存在感あるし話題にもなるでしょ。それに実名じゃなくたってそういう事やったやつのほうがカッコいいわ。

2021-05-13

anond:20210513135738

でも「本という物体好きな人」の実在を知らなかったんですよね?

anond:20210513133958

「本という物体好きな人」というのは普通に多くてビブリオフィリアと呼ばれているが。もしかして知らなかった?

マインローゼさんに憧れない

あの漫画の「本好き」って「本に書いてある内容」じゃなくて「本」という物体のものが好きなんだよね

根底がそんなバカの考えた本好きって感じで滑稽な上に、それ以外はいもの知識チートなろう系と一緒でただ薄ら寒かったよ

2021-05-12

anond:20210512205801

狩猟本能がどうたらと言うやつ、あれ本当なんかね

…と思って動体視力の男女差をググったら出てきた

https://kitagawa-kaede.com/reading1/

https://bit.ly/3vZWPf3

目の性能、というところで言えば、男性は動いている物体をとらえる“動体視力”が女性よりも優れている一方、女性は色の微妙差異に敏感という研究結果が出ています

こちらは人間狩猟をして生活していた時代男性は狩りを担当女性は木の実などを探す役割したことで、男性は「動体視力女性は「色の認識」の能力に特化したのではないか、という説が有力のようです。

二つとも親ソースが無くてもやっとするが、一応研究結果出てるんだなぁ

2021-05-10

単なる作業にすぎない

食事を楽しんでいるだろうか。

一部の人食事、食べることが楽しみで、好きなもの、おいしいもの、珍しいもの、高級なものなどを食べるのは至福のときとまで言う人もいるほど。

至福のときとまでは言わなくとも、食べることに楽しみを見出している人は少なくないと思われる。

かに私にも好きな食べ物があり、それがおいしい、有名などのお店なら並んでもよいし、ある程度のお金を払うことも構わないとは思う。

ただ、基本的に私は食に興味がない。

朝昼晩の各食は、活動のためのエネルギー栄養素を補給するための作業にすぎないと認識している。

ゆえに、短時間で、少量で、効率よくエネルギー栄養素を補給できさえすればよく、よほどまずくさえなければ特別美味しい必要はないし、活動栄養状態に支障さえなければ満腹にならなくてもいい。

費用は安ければ安いほどいいし、食べる時間も短ければ短いほどいい。

食べるのに時間がかかって休憩時間活動時間が減るのがとてももったいなく感じてしまう。

たくさん食べるのもただ胃腸が苦しいだけ、必要ないならできるだけ少量で済ませておきたい。

理想一口大の物体を食べれば、一定エネルギー栄養素を過不足菜く摂取できる食べ物

自分活動量を大体算出して、1個あたり×必要個数だけ摂取すれば簡単である

食べないと動けないが、食べすぎても動けない、そんなジレンマも解消される。

必要に応じて別の食料品を追加することで、トレーニング時の糖質たんぱく質補給などもコントロールやすくなる。

そんなスーパーフードみたいなものがあったら利用してみたい。

2021-05-06

父を自宅で看取った

・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。

病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期ときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルス感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。

10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情制御ができるくらいには大人になった。

・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。

発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。

から、大好きなゲーム世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。

(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。

コラボウィスキー当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)

でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。

20年以上前から大好きなゲームリマスター版の発売と、父の逝去ほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。

危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。

握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。

・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。

最期家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?

・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。

・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。

・私は死後の世界何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である現在科学技術では魂の存在証明できない。だから遺影の手前にあるもの意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るもの必要なのだということがよくわかった。

・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。

結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。

でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。

・父や母がその親(つまりから見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。

・父は7人姉弟末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。

私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまたことが、切なくてたまらない。

・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。

だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい

緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。

この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。

・大体1ヶ月程度実家滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。

隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。

父が亡くなる前のまま、この部屋の時間は止まっていた。何でもない日々に戻るから時計は動かさないといけない。

・もうどこにも父はいない。そのことが無性に切なくて悲しくて寂しい。

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