はてなキーワード: 選択とは
「セクハラってそんなに重大な問題か?」って書いて集中砲火受けている増田を読んで結構驚いた。アレがネタとか釣りとかで無く本気で書かれているんだとしたら、結構深刻に社会性の認識がズレている一団がいるって事だよね。ブコメの中にも少ないけど、同調してる人もいたし。眺めててちょっとマジかよと思った。
そうですか。
書いてもどうせ論点が霧散すると思うけど、まず最初に「報道されている事が全て真実だとしたら次官の行為はマズいよね」って所から話しをしてみる。
まず問題になった録音の当日。電話で記者を食事に呼出したのは次官。これどう考えても「親睦深めましょう」って趣旨の呼出しじゃ無いよね。
①それはあなたの感想ですよね?あなたの考えられる範囲での「どう考えても」であることを忘れないようにしましょう。
例えば私が「いやどう考えても『親睦深めましょう』って趣旨の呼び出しだよ」と言ったら個人の感想のぶつかり合いになります。
②最終的にそれを決めるのはあなたではありません。決めてよいのは裁判所です。もちろん、裁判所は理想的には「民衆の総意」を反映する訳ですが。
裁判所が決めることであって、メディアやあなたが決めることではないです。とりあえず「私刑」という概念を理解しましょう。
ないですが、ニュースを見てその風景にある社会の風潮を考える自由はありますが。
例えばLGBTの件とあなたは関係あるんですか?ないとモノ申してはいけないんですか?あれば何言ってもいいんですか?
単純に「自分達が女性と距離を縮められない」っていう「あなた達自身の問題」を他人や社会の流れのせいにして駄々をコネているだけじゃんか。
①誰がそこ趣旨においてるんです?MeTooやセクハラ告発は私刑である、という部分が一番の争点になってると思いますが。
②「個人的なことは政治的なこと」です。ていうかあなた、政治が個人の選択に介入しないっていう自己責任論者ですか?まあいいでしょう。それで?
元増田や同調しているブコメの人達さ。その子供染みて甘ったれた考え方を捨てないと本当にマズいんじゃ無いかな?そんな考え方してるとこの先ずっと世と異性を恨んで、ひとりぼっちで生きて行く事になると思うよ。
相手の属性を透視したうえで、的外れなアドバイス。この下り、丸々不要。
あなたが異性との距離を縮められないのは、セクハラの告発が一般化しいている事とは一切関係ない。本当はそんな事わかってるんだよね。そうであって欲しい。なんて思うのだけれども。そうじゃなきゃ、この世は地獄だわ。
ここも不要でした。
指定席車輌が存在して指定席をお金で買えるのだから、自由席車輌では席を譲らなくてもいいと思う。
ていうか、指定席があるのに「席を譲ってもらいたい」と考える事がマナー違反。
隊長のふとした一言と某隊員の熱望により、ついに実現したツアーといえば、「第一回東京ブラックツアー」で決まりである。東京のディープスポットを探訪していくという、とてもわかりやすいコンセプトが唯一の自慢である。今回は初回であるし、ディープな場所から抜け出せなくなることを避けるため、ツアーは昼間に行われることに決まっていた。それなのにそれなのに、予想通りというべきかいつもどおりというべきか、隊員の集まりは悪い。全然時間どおりに集まらない隊員、この先の我々の運命を暗示するかのような曇天、どんどんと下がるテンション、等々の様々な悪条件の中、我々は出発した。その出がけ、玄関で見知った顔を見つける我々3人。当然のごとく強制参加させ、隊員の数は4人に急増した。4人といえばSPEEDと同じ人数だ、これでもう心細くないね!
曇天の上野公園、しのばず池にいる鳩や鴨達も心なしかブラックに見える気がしてならない。今にもあの平和の使者である鳩が俺達を襲うのでは?、と意味不明の疑心暗鬼が次々とわき上がってくるほどに気分はダークである。目的地へ近づくにつれ、隊員の緊張は見てとれるほどになり、武者震いなのだろうかしきりと震えだす隊員もでる始末。そう、例の場所に向かう我々の姿を客観的に見れば、怪しい4人組=おやじSPEED(暗黒)といっても過言ではなかっただろう。目指す場所は上野某所の映画館である。「ほら、あそこだよ」という隊長の言葉に、なんともいえない緊張のさざ波が隊員達を駆け抜けた。その場所は、少し歩けば大通りに出てしまうくらい人通りは激しい所だった。
その映画館はそこにあった。紛れもなく、そこに。映画館は2階らしい。あせるな、と思いつつ上映時間を確認する我々隊員。まだ上映開始まで時間があるようだ。合議の結果、若者が集うゲームセンターで時間をつぶすことになった。しかし、どの隊員も緊張のせいかゲームには手を出さない。いや出せなかったのだ。あと数分後に行かなければならないあの場所のことを思うと。上映時間が近づき、なにはなくともとりあえずトイレを希望する隊員が続出する。しかし、京成線の駅のトイレには紙がなかった。とても嫌な予感がする。嫌な予感がビンビンするよ!
トイレの事は諦めて、我々はその映画館へ向かった。ちなみに映画は2本立てである。これから約2時間の長丁場である。しかし、隊員1号はそのことを知らなかった。このことがあの悲劇の序章だったとは、全隊員露ほども思っていなかっただろう。年季の入った階段を縦列に並んで登る途中にも、映画を見終わった人達だろうか、次々と人が階段をおりてくる。もう誰も信じられない、あの人もこの人もそういうのなのだ、そうなんだあの中ではすざましい饗宴が繰り広げられているんだ、と思いながら階段を登っていくと、「ヤング薔薇族ショー」という看板が突如現れる。ますます下がるテンション。ふと階段の上を見ると、そこにはいかにもなもぎりのおばちゃんがいた。一番最初に階段を登り切った一人の隊員が、おばちゃんに近づくと、何かを指さすおばちゃん。そうである、自動販売機で切符を買うのである。ハイテクである。自動販売機へ向かった隊員へ、たたみかけるようなおばちゃんの言葉が襲いかかる。「どっち?薔薇族?学生さん?」。思わず「は、はい」と答えてしまう隊員だった。実はそこには劇場が2つあり、切符売り場は共通だったのである。もうひとつの映画館はピンク映画館だった。次々と無言のまま切符を、学生の切符を買う我々隊員であった。血の契りを交わしあい、相当に団結しているはずの隊員達であったが、その時には既に他の隊員を省みる余裕はなかったようで、会話を交わすこともなくなっていた。そして、ひとかたまりにはならずに、ひとりひとり左奥にある劇場へ向かうのであった。
妙な圧迫感。第一印象はこれにつきている。72席あるという座席は、ぱらぱらとしか埋まっていない。それなのに、壁際にたつ人が異常に多い。なぜだ。と、座席を見渡して、先に着席していた隊員を見つけると、思わず安堵の息をもらしてしまう自分がいじらしい。あれ、でも、事前のミーティングでは一番後ろに座ろうと決めたはずじゃあ。。。何故か入り口のすぐ側の列、後ろから4列目ほど、に整列して座っている隊員達であった。その顔は暗い。その場の嫌な感じに、その顔は真っ暗であり、しかも皆うつむいていた。一番最後に劇場入りした隊員1号は、既に着席していた某隊員の左隣に座った。隊員1号の左隣は一番端の席である。そう、その時点ではスクリーンに向かって一番左の端の席が空いている状態だった。ふと嫌な予感、突然の頭の回転、第六感で席をうつる。当然、左端にである。それは、隣を空席にしておくのは危険すぎるという判断からだった。身の安全を確保したあと、少し落ち着いて上映開始を待つ間、なにか生暖かい気がしてならない。しかもポマードなのかなんなのか、嫌な匂いがエアコンから暖風とともに排出されているようだ。もうテンショメーターは左に振り切れ、ほぼ0になっていた。
ブザー、暗転、上映開始。まわりは気にせず映画に集中しよう、と心に決めて観賞を開始する。初っ端から、現代映画とは思えないチープ感が漂っている。なんなんだあの貧相な女優は。と思っている間に、例のシーンに。変則的な格好に思わず心の中で笑ってしまう。これがそうなのか、と訳も分からず納得している自分。そしてストーリーは展開を見せはじめるのだが、映画に集中などできなかった。ストーリー自体のしょうもなさもさることながら、それよりも気になったのはまわりの人間達、隊員以外の動向だった。のれん状のカーテンが掛かっているだけの、ドアのない入り口のすぐそばに座っているせいか、上映中にも頻繁に出入りする人々が気になるのである。そして、席に座ったとたんに立ち上がって壁際に立ったと思ったらすぐに別の席に座る客が気になるのである。そして、壁際に立つ人の後ろに立って腕を前の人にまわしている人が気になるのである。その場所で、落ち着いて映画を見ることは不可能であった。このくだらない映画はいつ終わるのか、そんなことばかり考えはじめたのは、まわりの人間模様が気になりはじめたのと同時だったかもしれない。その間にも、入り口付近では相も変わらず人が頻繁に出入りし、通路に出て奥にあるトイレの方へ向う人あり、がら空きなのに人の隣に座る人あり、映画よりもその様子が気になってしようがなかった。いつか、それは我慢の限度を超えるほどに。
1本目と2本目の休憩時間に他の隊員と一緒に抜け出そう、と決めた。その時決めちゃったのである。とにかくこの場所から早く抜けだしたかった。いつだいつだいつ終わるのだ、と思っているうちに、映画はどうにかスタッフロールまでたどりつく。当然普通の映画館でよく見られるような、スタッフロールで立ち上がり帰る客はいない。いつもはそんな客を苦々しく思っていた隊員1号も、この時ばかりは一刻も早く立ち去りたかったのはいうまでもない。終了。「1999(映倫)」の文字に驚愕する。最新の映画だったのだ。あの映像感で。それよりも、ようやく帰る事ができることが嬉しいかった。しかし、ライトよ早くつけ、と熱望しているのに、なかなか客席のライトはつかない。ライトがついたら全員で帰ろう、と思っていたのにライトはつかない。そう、その時、次の映画がはじまってしまった。2本立てなのだから当然である。軽い衝撃を受けつつ、あと1時間我慢するか、いますぐ立ち去るか、立ち去るなら他の隊員にはどう伝えるか、数秒の間に色々な考えが渦巻く。そもそも、大抵の映画館なら休憩時間におしゃべりしているうるさいカップル等が必ずいるものだが、この映画館には言葉が存在しない。無言のコミュニケーションがその場を支配している。とても他の隊員に話しかけられるような状況ではなかった。もし、今左端に座る自分がいなくなると、某隊員の左隣には二つの空席ができてしまう。それはきつい。自分だったらそんな状況は嫌だ。でも、この生暖かい嫌な雰囲気にあと1時間は耐えることはできない。すまない、と心の中でつぶやきつつ、他の隊員には無言で席を立ち、もぎりのおばちゃんの前を抜け、逃げ去るようにその場を立ち去った。つらい選択であった。すまん。
しばらく映画館の付近で待つが、他の隊員が出てくる気配はない。あと1時間耐えることを決めたのだな、と判断して、ツアーからひとりぼっちの帰還を果たした。なんともいえない疲労感をかかえつつ。その頃、あの映画館では、左端に二つの空席を抱えこんだ某隊員に緊急事態が起きていた。その列の左端に座る見知らぬ人。この時点でおかしい。席はがら空きである。そのうち席をひとつ右に移る見知らぬ人。完全におかしい。席を移る意味がわからない。そして、見知らぬ人の右手が某隊員の左膝に。。これ以上は詳細不明のため描写できないが、その隊員が無事帰還したことだけは記録しておきたい。
脱力感、疲労感、倦怠感。どうやら全員無事帰還した我々隊員は、今日の日の事を忘れたくても決して忘れられないだろう。そして、この記録をここに残すことによって、あなたの心の中にもいつまでもこの体験は残り続けるだろうし、どこかの誰かによって語り継がれていくだろう。疲れた。
なんでキャッシュレス派って現金派を馬鹿にしたり否定するんだろう。理解しようとしないね。現金派はキャッシュレス派を否定しない様子なのに、ワンサイド感ある。アーリーアダプター的な層の人柄特性かな。
消費にはいろいろな背景と人それぞれの合理的な方法があって実行されていて、その選択の多様性が認められるべき21世紀のはずなのに。
そのままWordなどに貼り付けようとすると、スタイルシートの情報が紐付いてしまう。
わざわざプレーンテキストを選択して貼り付ける操作が必要になるのがいちいち面倒なのだが、この機能って必要?
初心者向けの機能だとしても、余計な書式情報が紐付いてコピペされてしまうせいで、初心者が作ったファイルの見た目がさらに汚くなるだけだと思うのだけど。
ご返信ありがとうございます。
教えていただいた内容から考えるに、私が考えているのは結果の平等についてです。
既存の条件(機会)は同じだけれども、ある事象を選択した結果、そこに差が生まれることに対して、平等を唱える人はそれを平等と考えるのか否かと、そういうことです。
思い当たること
・赤ん坊の頃、周りの子と比べてすごく大人しく、育てやすかった
・保育園入園後喋り始めた(らしい)が、言葉になっていなく保育園の先生が困惑していた
・小学生のころ、山小屋のトイレで夜中癇癪を起こした(寝ぼけてたんだろうけど、思い返してみるとちょっと異常だと思う)
・近所の子と一緒にお囃子をはじめるも、俺だけ練習についていけない。途中でやめる。
・頭悪い
・中学校あたりから周りと馴染めずいじめられる(友達はいた)。女子からも。
俺は未だにiPod classicを現役で使ってるんだが、iTunesの管理場面でおかしな症状が出る。
管理場面の下部に使用済み容量を示すバーがある。そこの右にある空白部分にカーソルを合わせると、現在の空き容量が表示される。
そこまではいいんだが、そこの表示される容量が5GBくらいで表示されるタイミングと、1GBくらいで表示されるタイミングがある。つまり、ここの表示が一定しない。多いパターンとしては、何か曲について操作した後にバーを見ると空き容量が1GBになってて、同期をすると5GBになっているというのが多い。
このときiPodに入っている曲数の方を見てみると、こちらも変動しているようだ。
そもそもどちらが正しい表示かもわからないが、一定しないというのが困る。
ちなみに管理方法は選択したプレイリスト、アーティスト、アルバム、ジャンルのみをiPodに入れる方法で、チェックマークの付いている音楽だけ同期してる。
同じような症状に遭遇した経験のある人はいないだろうか?対処法があったら教えて欲しい。
これをここで聞くべきことかどうかわからんが、検索しても適切な検索ワードが出てこないし、かといって人力検索はてなってのも何か違う気がするので、俺が書き込めるところで一番人目に触れる機会が多いであろうここで書かせてもらった。
それなりに珍しい症状であると思う(検索じゃかからない)ので、できるだけ拡散して欲しく、ブクマもしてもらえると助かります。
電話が掛かってきたので起きざるを得ませんでいた。
何時だと思ってるの?
どうやら奴隷が洗濯をしないこと。窓のシャッターを開けない事に怒った様です。
ごめんなさいね。少ないなって思って勝手に選択をしないでいいと思って。
ごめんなさいね。
ごめんなさいね。
これがあと30年続くのかと思うと気が長くなってしまう。
多分この生活が始まって5~10年だと思うけれども、あと30年だと思うととても長い。
最近、月日の流れの速さを感じたけど、とんでもない。
年月が経つのはとてつもなく遅い。
あと30年この生活が待っているし、それ以上に厳しくなるのだろう。
こういうことを表では言えないけれども早く死にたいな。
あと30年もこんな生活が起きるのかと思うとそれよりも先に死にたい。
長生きなんかしたくない。
動かなきゃ。怒られる前に働かなきゃいけないと思うけれども
一瞬たりともその姿を見たくもないし、声も聴きたくない。
誕生日なんて嬉しくもなんともないけれども
このカウントダウンが減っていくのだと思って喜ぼう。
さぁ、今日も一日働こう。
歳を重ねれば重ねるほど、友人との近況報告の中に浮気だの不倫だのってフレーズが出てくる割合が高くなる。
もう世の中全員浮気してるんじゃねぇかと思うぐらい。本人がしてなくても旦那や彼氏がしてたりする。
きちんと決められた相手がいるのに他の人にフラフラするのは信じられない!なんて潔癖な気持ちがあるわけではない。
世の中には魅力的な人間がわんさかいるし、まぁ同時に複数の相手に惹かれることだって珍しいことではないと思う。
是非を問うというよりも、してるやつはやっぱりバカなんじゃないかって気持ちが強い。どう考えても浅はかだ。
1人の相手で満足できないくせに、どうして特定の相手を作るんだろう。
これと決めた相手より魅力的な相手に心変わりしたなら、なんで今のパートナーとお別れしてから次に進めないんだろう。
自分の見る目がないってわかっていながら、なぜきちんと見極める期間もとらずに結婚したり付き合ったりするんだろう。
好きになったことを責められてるんじゃなくて、きちんと手順を踏まないで関係をもったことが問題なのに。
奥さんはもう家族としてしか見れないけど自分はまだ男だから、男はいつまでもモテたい生き物だとか仕方ないとか。
そういう本能を責めてるんじゃなくて、本能を抑えられない理性レベルのくせに知的な関係性をもとうとしたことが浅はかだって話なのに。
旦那はもう女として見てくれないけどまだ女として現役でいたいから仕方ないとか。
女として見てもらいたい気持ちが悪いんじゃなくて、旦那に女として見てもらえるように接してこなかった怠慢やそもそもの相手選びの誤りを指摘されてるだけなのに。
腰据えて他人と関係性を築けないなら、拠点を欲しがっちゃダメなんじゃないのか。
自分がそういう生活に適してるかどうかぐらい何十年も生きててなんでわかんないんだ。
そんなバカみたいな話を聞かされるのが本当に嫌だ。
アニメ見てたら会話文に「鬱屈」なんて言葉が出てきた。普通会話で使うか?
ラノベ原作はこういう違和感が多い。知ってる言葉を無理に使いたがる傾向があるというか。
そういえばこの前ここにいたラノベオタクも「嚆矢」とか「あわい」とか使ってたな。まあそういう文章書くのは若い学生なんだろうけど、ああいうのも恥ずかしいと思ってしまう。文章の内容と選択した語彙のレベルが釣り合ってないというか。要するにあまり深く言葉を理解していない。
子育ての失敗例みたいな人生だったので、作らないことを前提に結婚した。
自分の人生に満足している人間だったら、子供がいらない、とはならんだろう。
『エロマンガ表現史』 北海道で有害図書指定。なぜ書いたのか? 著者に聞いた。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/18/eromanga-history_a_23413932/
エロマンガ(18歳未満閲覧禁止の成年コミック)から画像を引用した書物は、
やはり18歳未満閲覧禁止にすべきだと思うんだが、それはおかしいんだろうか。
学問・研究の自由とか言っても、実際にエロマンガを読めるのは18歳以上だし、
それを研究するとなれば自然と18歳未満は排除されるのだから、
著者には、その選択はなかったのか。あったならなぜそうしなかったのか。はっきりしてほしい。
我々庶民はインテリ左翼設定のオタクと戦わなければならない。彼らは日本人の上位5%にある選ばれた人間であり、彼らが目指すのはその5%にとって都合のいい社会でしかないからだ。自民党は95%の庶民の方も意識して政治をしている。もちろん上級国民が得をするのは自民党でも同じなのだが、自民党政治は庶民もおこぼれをもらうことができる。インテリ左翼設定のオタクが支持する政党は選ばれた人間だけが得をして、他の95%の人間を家畜にする。我々は自由を制限された人間であろうとするか、自我を抹消された家畜であろうとするか、その選択を迫られているのである。
今見返していて「ヒェ…」ってなったww
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2017-02-18
覚悟を決めるのだ。そして前に進もう。
優先順位を決めるのだ!そしてすべてを注ぐのだ!
余すところなく、心血を注ぐのだ!
失敗するとか成功するとかそういう事をあまり深く考えては行けない。
自分を甘やかすな!!
そうなんだ!言い訳するな!全力で生きろ!
日々、灰になるまで燃えつきろ!
ストレス? 上等だよ!!
肉体疲労? どんとこいよ!
痛み、苦しみ? 屁でもねぇぜ!
責任? 全部オレが背負ってやる!
慰め? 犬にでも食わせちまいな!
どす黒い欲望も、闘争心も、慈悲も自愛も、すべてを昇華させ、そして成し遂げるのだ!
できないと思うな。無理だと思うな。
どんな時も、どうやったらできるのか?どうやったら成し遂げられるのか?それだけを考えろ!
結局、お前はどうなりたい?
お前はどのように生きたい?
お前は何に価値を感じる?
何が大切なんだ?それをはっきりさせるのだ。
そして取捨選択をするのだ!すべてを捧げよう!
熱く熱く、純粋に、純情に。
なぜハタから見て神や宗教にハマる人々が狂っているように見えるのか?
それら重圧が生まれたての人間の「こころ」を蝕むのに時間はかからなかった。
何一つわからない。どこに行けばいいのかも、何をすればいいのかもわからない中で、ただただ世界と自分が対決し続ける。
その寂しさ、恐ろしさにとうとう耐えられなかった人間たちが作り出したのがいわゆる「神」、すなわち抽象的な保護者やねん。
抽象的な保護者が見守ってくれて、自分たちが「いる」ことには意味がある。行くべき何かが、するべき何かがこの世界にある。
まがい物の安息感で存在しないものを信じることを選択した結果が神や宗教の誕生や。
なんでそんなことを知ってるかって?
みんな大好き漫画村による被害金額が 3000億円 とか言われてるけど、
明らかに誇張しているし、かつ誤解を招く表現を意図的にしているよね。
ということで、そこらへんのことをまとめてみた。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/180413/siryou2.pdf
4ページ目の脚注に書いて書いてあるのが以下の内容で、
1 例えば、1.背景で示した「漫画村」「Anitube」「Miomio」では、それぞれのサイトへ の訪問者が、
「漫画村」では、約1億 6000 万人(96%が日本からのアクセス)、
「Anitube」については、約 4600 万人(99%が日本からのアクセス)、
「Miomio」では、 1200 万人(80%が日本からのアクセス)になっている
(※いずれも 2018 年 2 月のデー タ)。
また、被害額については、
流通額ベースの試算で、
「漫画村」については約 3000 億 円、
「Anitube」では約 880 億円、
「Miomio」では約 250 億円に上ると推計されている
いやまあ、百歩譲って、数字自体は正確なんだろう。xTECHでも裏を取ってあるし。
SimilarWebはいちおうリンクも貼っとく。https://www.similarweb.com/ja/website/mangamura.org
Alexaはデータ見るのに月一万円ぐらい必要なのだがそんなお金は財布の中に無かった。ごめん。
こないだ一枚の紙が約八百枚の紙に増殖してから、お財布が寂しいんだよね。
上のデータの漫画村を例に挙げると、月間に約1億 6000 万という数字の単位は"人"なのだけど、
どう考えてもおかしい。
Total VisitsとはTotal traffic to any websiteですって注意書きにあるよね。
少なくとも訪問"者"数じゃない。訪問数もしくはGoogleで言うところのセッション数だよ。
こんなもん厨房でもわかる英語なんだから、書いた人は悪意を持ってやったよね。
xTECHに書いてあるデータを参考にすると、一人当たりの訪問件数が10.69回だから、
1500万人が利用しているとわかるよね。雲泥の差だ!
よくみてみよう
流通額ベース
出てきました初歩的なテクニック。
数字が複数あるときに、より説得力を持たせられる方のみを書く技。
隠されたもう一つの数字は"マネタイズしうる最大市場規模"なんですね。
違いは何か。
ユーザーが利用しているオンライン海賊版の流通量を金額に換算したもので
ユーザーの正規版購入意向や、繰り返し視聴を考慮しない最大市場規模
オンライン海賊版ユーザーの正規版 購入意向を考慮した、マネタイズが 期待できる最大市場規模であり、
打ち手/施策の実現性やユーザーの実際の反応は考慮しない理論値
http://www.meti.go.jp/meti_lib/report/2014fy/E003740.pdf より
2013年のデータだと、海賊版流通金額の約60%が最大市場規模となっている。
参考にするデータが少し古いと思うかもしれないけど、アニメはストリーミングサービスが流行ってるからともかくとして、
漫画の状況って2013年から大きく変わってないよね。いいや、変えようとしてこなかったよね。だから有効であると言えるのではないか。
3000億円と1800億円はかなり違う。大きすぎて実感できないけど。
政府が違法性も覚悟の上にISPに指示出すかどうかを決めるという大事な大事な会議の資料で、
厚生労働省のデータ問題といい、内閣人事局さん、政権の取り巻き官僚の人選ミスしてません?
まあ、メディアで3000、3000と叫ばれてるけど、不正利用者を正規販売に回せたとして
でも1800億分円の懐に入るはずだったお金がどっかに流れているのだから忸怩たる思いもあると思う。
美味しいご飯が食べられて、あったかい布団で眠れるようになってほしいと切に願っている。
これは作家の責任ではなくて、構造を変えようとしない、出版社?の責任だよね。
ブロッキングが本質的な解決策ではないことはわかっているだろうし、
焼け石にかける手持ちの水が尽きる前に新たな水源を見つけるか掘り起こすかしないと、
後に残るのは焼け野原。そして、テンセントとかが残り物を平らげにやってくるかもよ。
13日のデータの中のアニメの不正視聴に関する金額は正確だと思われる。
H25知財WG等の最終報告書に書いてある、オンライン海賊版流通金額の1488億円と近い数字を出しているため。
そのうち出版社の緊急声明にそれぞれ感想文書きたい。どの声明もまるで指摘してくださいとばかりに適当な理由を並べているからな。
ちなみに出版社などはこれまで、海外向けの海賊版には対策を-MAGプロジェクトを筆頭に-行ってきているが、
国内向けは手が薄かったと言わざるを得ない。国内海賊版市場の成長が早すぎたから対策が追っつかなかったというのもある。
次に何か読みたいならば滅びゆくのはマンガ文化か、出版社か、それとも表現の自由か – P2Pとかその辺のお話Rをおすすめするよ。直近の漫画村問題だけではない、どのような選択がなされてきたから今の状況ができあがったのか、といった書籍文化の話まで絡めた文章である。だだ、微妙に長い、もちろんそれを補って余りある読む価値はあるけれども。
セクハラ問題で世間が揺れている。世界的には、ハリウッドに端を発した#MeToo運動。
日本でも財務省事務次官というエリート中のエリートのセクハラ疑惑で、#MeToo運動が盛り上がるかもしれない。
セクハラ問題でよくみられる反応として、「女性がそういうかっこうだったんじゃないの・誘ってくるようなことしたんじゃないの」
的な反応とか「こんなに制限されたらなにも言えない」とか何が悪いかすらわかっていないレベルの反応。
これらは年配の方に多い。ここらへんはまあどうぞはやくお亡くなりになってくださいという感じ。。
根底にあるのは、女性差別の意識。ご年配の方は、もう女性差別の意識が深く内面化されてしまっているし、
ジェンダー教育を受けていないだろうから、政治的な正しさを理解することもないだろう。
私は、昭和ギリギリ生まれぐらいの世代だが、「女は愛嬌があればなんとかなる。男のお前はちゃんと勉強せえ」
と父親にも母親にも言われて育った。姉もいたがその通り、愛嬌たっぷりの自由人に育った。
両親は特に差別意識を植え付けようとそう言っていたわけではないと思う。今後のことを考えて、
本当に将来のことを思っていってくれていたと思う。
一方で、小学校は道徳の授業から、大学では人種やジェンダーの授業で差別はいけないことだと学ぶ。
その正しさは非常に納得のいくもので、差別してはいけないということを頭では理解できる。
ずっと理解してきたつもりだったが、セクハラ問題などで持ち上がったときにふと、「女性が男の職場に入ってきたらこうなるよな」
とか心のなかで思うことがある。
頭では、今までがおかしかったのだから、女性も性的なことで嫌な思いをすることなく過ごせる職場をつくらないことが問題である
ことがわかるのに、思ってしまう。もちろんそれを声に文章に出すことはないが、多分、心の奥底で、女性差別の意識が内面化されてしまっている。
親や周りの人間からから自然に引き継いだ差別意識と、だんだん正しさを増してくる
ポリティカルコレクトネスとの葛藤は非常に苦しいものがある。
表面的には、よくないことだとわかっていても、内面化されてしまった差別意識が心の奥底で拒否反応を起こす。
もうどうしようもない。
うちの親は絶対にそのことを口にしなかった。
だから私は同和問題をよく知らないし、誰がどこ出身とかどうでもいいし、聞いてもわからない。
私の中に同和の差別意識は内面化されていないから、ポリティカルコレクトネスと衝突しない。
正しいことがわかったなら、引き継がないという選択をした両親は正しかったと思う。
これを見ている子育て世代の人は、ぜひ自分が葛藤している差別意識を子供に引き継がないように努力してほしい。
今正しいと思っているものがこの先も正しいとは限らないけれど。